【サッカー】男は強く逞しくあれ!−欧州で輝きを放つ本田圭佑のちょっと深い話 …中村俊輔にも歯に衣着せぬ物言い&家族から学んだこと

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1リーガφ ★
欧州の舞台で輝きを放つ本田圭佑のちょっと「深い」話 (サッカー/CSKAモスクワ)
http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/others100318_1_1.html
http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/others100318_1_2.html

今どき珍しい、有言実行の若者

“草食系男子”の多い昨今の日本にあって、本田圭佑(CSKAモスクワ)は極めて珍しい存在だ。
「自分は点を取ることがすべて」と言い切り、ガムシャラにゴールに向かう野獣のような姿勢は、見ていて実に気持ちがいい。

彼の歯に衣着せぬ物言いは、しばしば周囲を驚かせる。例えば、北京五輪1次予選。
決定機を外し続けた平山相太(FC東京)のことを取材者に聞かれて「相太君が決めてくれればもっとラクに勝っていた。
FWは結果を出さないといけない」と批判とも鼓舞とも取れる発言をズバリした。
年齢が上でもピッチに立ったら関係ない。悪いところがあったら何でも言い合うべきだと本田は考えているのである。

昨年9月のオランダ遠征でもこんな出来事があった。0−3で敗れたオランダ戦(エンスヘーデ)の試合後、
中村俊輔(横浜)が「途中から新しい選手が出てきてプレスがかからなくなった。
全員で意識して連動しないとキツイ」と暗に本田を批判するようなコメントを残し、2人の間には不穏な空気が流れた。
俊輔は遠征中ずっと突き放すような素振りを見せていたが、本田は俊輔からのアクションを待ち続けた。
「俺は俊さんをリスペクトしている。もし俺に何か言いたいことがあるなら、直接話してほしい」とメディアの前で訴えたのだ。
この潔さと負けじ魂には、近くにいた私自身も面食らったほどだ。

直近のバーレーン戦(3月3日、豊田)でも、「今日点が取れなかったら何を言われるか分からなかった」、
「俊さんからのパスがまだまだ少ない。俺の引き出し方にも問題があるけど」と言いたい放題。
ミックスゾーンは独演会のような感じだった。この「有言実行」のスタイルには賛否両論があるだろうが、
どんな時も正々堂々なのは変わらない。他人の誤解を招いても言うべきことは言う。
男はつねに強く逞しくあるべき。そんな信念を本田は持っている。

>>2-10辺りに続く
2リーガφ ★:2010/03/21(日) 20:00:25 ID:???0
父から「カッコいい男の姿」を学ぶ

彼のこうした人間性は、父・司さんら家族の影響が大きいようだ。
「親父にはいつも『一番になれ』と言われてました。俺が家で休んでいると『今、ブラジルでは他の選手が練習してるぞ』と言う。
要は、人より上に行くなら、人よりやらないとダメってことなんです。ガンバのジュニアユースの頃も、
最初の2カ月間はモノレールで通っていたんですけど『何でモノレールで行くんだ。
自転車で行くのもトレーニングだ』と大反対されて、自転車に切り替えましたね。親父は楽をしようという考え方が大嫌い。
強い気持ちを持つことの大切さを繰り返し言ってました。そんな感じなのに、金銭的なことも含めて、サポートはすごくしてくれた。
親父には『かっこいい男の姿』を教えてもらいましたね」と、彼は過去のインタビューで話したことがある。

厳しいのは父だけではない。祖父も絶対に負けを許さない人だった。
「『お前なんか絶対、一流選手になられへん』とおじいちゃんにも言われてました。毎日『甘い』と。クドクド言われたけど、
自分も努力してたつもりですよ。兄貴(3歳年上の弘幸さん)も帝京高校でサッカーをしていたし、ライバルみたいな存在だった。
そんな家族に認められたい一心でやっていたところがありますね」と。

強気の本田がガンバ大阪ジュニアユース時代に天才・家長昭博(C大阪)と出会って挫折した上、ガンバユースに昇格できなかったのだから大変だ。
「本田家ではありえへんことやから」と本人も大いに打ちひしがれたようだ。
再起を懸けるためには、大阪を離れて自立し、選手として一回りも二回りもスケールアップするしかない。
15歳の彼は「プロになるまで敷居をまたがない」と覚悟を決めて星陵に行き、3年間一度も休まず練習し続けたという。

10代の頃から自分をギリギリまで追い込んできた男だから、プロ意識は人一倍強い。北京五輪本大会で3戦全敗を喫した後も、責任を強く感じていた。
2008年秋にVVVフェンロでプレーしていた本田を訪ねた時、「3連敗って今までの五輪ではなかったこと。その悔しさはある。
いろいろ言われてたみたいだし、それはしっかりと受け止めないといけない」と神妙な面持ちで言った。
人前では強気の本田が、ふと弱気な一面をのぞかせた瞬間だった。

続く
3リーガφ ★:2010/03/21(日) 20:00:54 ID:???0

けれども、彼はすぐに気持ちを切り替え、「五輪も終わって日本代表からも外れて、今の自分には全く光が当たってへん。
でもそこで腐らずやっていくことが大切なんやと思う。また表舞台に出られるように、
地道に力をつけていかなあかんよね」と自らを奮い立たせるように話した。切り替えの早いところが本田のよさである。

ちょうどこの時期に結婚し、心の支えができたのもプラスになっているようだ。「結婚はお勧めできますか?」と問いかけたところ、
「お勧めできますよ」とキッパリ。「ありきたりだけど責任感が出たし、家族のためにしっかりやらないといけないという思いも出てきました。
サッカー選手はサポートしてくれる人がいるかいないかでは全然違う。俺がサッカーに全て捧げられるようにやってくれてる。
後は俺が結果を残すだけだと思うんで」と奥さんへの感謝を忘れない。

モスクワという厳寒の地にも同行してくれた力強いパートナーとともに、本田は更なる高みを目指す。
南アワールドカップ出場も一つの通過点に過ぎない。彼はどこまでも貪欲に世界の頂点を追い求めていくはずだ。

(終わり)