東武東上線の上福岡駅に、東口がない。駅の東側すぐ、と聞いていたが迷い込む。南口に降りれば
マンション群がそびえる。その反対、北口の商店街に身を寄せるとパチンコ店の先に、のれんを見つけた。
長嶋茂雄巨人終身名誉監督が左手で書いた「條辺」の文字をくぐると、昼前で店内の8割が埋まっていた。
女性店員の声に少し遅れて、太い声が響く。「いらっしゃいませ」。巨人の中継ぎ投手として活躍した
條辺剛さん(28)の新天地だ。久恵夫人の実家近くに「讃岐うどん 條辺」を08年4月にオープン。セルフ
サービスで、カウンターに並んだてんぷらをさらい、うどんを注文する。「こだわりはかけうどん。シンプルな
ものを食べてほしい」と、朝4時半から仕込む自信の一品をいただく。
香川「中西うどん」で1年半修業したうどんは、しっかりしたコシだけではない。モッチリ感も十分。いりこを
中心にかつお節やコンブで出したあっさりダシもカラむ。無料の揚げ玉がうれしい。「去秋ぐらいから景気が
悪くなったのが分かる。てんぷらは100円するけど、うどんを1玉から2玉に替えるのは50円増しで済みます
からね」。てんぷらも、かき揚げ、磯辺揚げ、れんこん、あなご、いわし、かぼちゃ、コロッケ、たまごなど豊富だ。
店内に置かれたスポーツ紙の1面に、かつての同僚たちの見出しが躍る。99年にドラフト5位で巨人入団の
條辺さんは、01年に長嶋監督のもと188センチの長身から繰り出す150キロ直球を武器にセットアッパー
として活躍。「01年6月には、もう肩が痛かった。2カ月しか持ちませんでした」と自嘲(じちょう)気味に笑う。
01、02年で計93試合に登板したが、05年に引退。24歳の若さだった。
どの病院にいっても「休まなければ治らない」と言われた。「痛いと言っておけばよかったけど、言えない。
失うのが怖い。あとどれぐらい野球ができるのか、いつも考えてました」。痛みを打ち明ければ、立場を失って
しまう。胸にひた隠し、プロ人生を全うした。「自由契約になる3年前ぐらいから、覚悟してましたから。今考えると
夢みたいな世界。現実でやっていたのかなって。ああいう興奮はないですね」。
(
>>2以降へ続く)
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