宮城県大崎市の松山高野球部の氏家規夫監督(62)が辞任した。練習が厳しくて部員の退部が
相次いだことが理由とみられる。氏家氏は1973〜99年、仙台育英(仙台市)など私立高3校の
野球部監督として8回、チームを甲子園に導いた。
辞任は1日付。氏家氏は理由について「一身上の都合」としている。「残っている部員に申し訳ないと思う。
一つでも上を目指して頑張ってほしい」と話している。
同校によると、部員は2007年には約40人いたが、退部が目立ち、現在は8人にとどまる。
佐々木郁夫教頭は「私立強豪校のような厳しい指導に選手が応えられなかったのかもしれない」と述べている。
氏家氏は04年に監督に就任した。05、08年の秋季県大会で8強に入った。夏の甲子園出場を懸けた
全国選手権宮城大会は06年の3回戦進出が最高だった。
辞任に伴い、同校非常勤講師で野球部コーチの長男勇亮氏(32)も辞めた。
氏家氏は仙台市出身。73年に仙台育英高監督に就き、春夏合わせて6回甲子園に出場した。
東陵高(気仙沼市)、青森山田高(青森市)でも夏の甲子園に導いた。
河北新報 東北のニュース/氏家監督が辞任 松山高野球部 厳しい練習に退部相次ぐ
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/02/20100224t14016.htm