【高校野球】蔦流「のけ」、形を変えて受け継がれ 徳島・池田高校

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1THE FURYφ ★
「攻めダルマ」の異名をもつ監督の教えはとにかく単純。「遠くへ飛ばせ」「速い球投げろ」
「アウトにしろ」――。

春7回、夏9回の甲子園出場経験がある池田高校(三好市)。92年まで40年間、監督を
務めた故蔦(つた)文也さんは、82年夏と83年春、甲子園で連続優勝に導いた。
初優勝だった82年夏の全国大会は、6試合で本塁打7本を含む85安打を放つ猛攻ぶり。
「やまびこ打線」と呼ばれ、全国に知られた。

「蔦先生は全く教えてくれない。生き残るには自分の頭を使うしかなかった」と言うのは、
現監督の矢川雅英さん(43)だ。入部して最初のバッティング練習で、打球が外野の
フェンスに届かなかった。「のけ」。つまり、「どいていろ」という蔦さん。打力の弱い選手は当分、
練習で打てない。そんな決まりがあった。

打てるのは部員約70人のうち15人だけ。選ばれても安心できない。練習試合で、最初の
ストライクを見逃すと「のけ」。三振になる前に交代させられた。

全体練習が終わったら、午後10時半まで黙々とティーバッティングをする毎日。
監督に自分のことを見てほしい、怒ってほしいと思った。

「打ってみい」。1年生の12月、蔦さんに言われた。打球はフェンスを越え、バッティング練習に
参加できるようになった。元の日々には戻りたくない一心で、日が暮れても素振りに励んだ。

>>2-以降に続く
2THE FURYφ ★:2009/07/04(土) 00:42:09 ID:???0
矢川さんは98年、母校の監督に就任した。教え子の一人に徳島インディゴソックスの投手
平野誠さん(23)がいる。「何で怒られるのか分からないくらい怒られた」ことが忘れられない。

近くにある山の中腹まで往復7キロを走る練習があった。中ぐらいの順位で帰ったのに、
「おまえだけもう1回行ってこい」。学校前の90段の階段を30往復するトレーニングでも、
終わったらそのまま走らされた。自分だけに厳しいわけでもないが、「さぼっているように
見えるキャラだったのかなあ」。

そうではなかった。矢川さんは「のけ」と言いたい気持ちを抑えて、チャンスを与えていた。
「山から1番で戻れる力があると期待していた。自分に負けていては他人には勝てないんだ、
と気づいてほしかった」

選手が自ら考えて練習しなければ、身につかない。でも、蔦さんのように「のけ」と言い放つだけでは、
今の選手は去ってしまうだろう。矢川さんはそう考えた。

3年ほど前から、4種類の指導スタイルを使い分けている。(1)蔦監督風に怒る(2)ほめちぎる
(3)自分が怒って部長がフォローする(4)自分で怒り自分でフォロー。選手に合うやり方で
伸ばしてやるためだ。

それは、主将(17)にも伝わっている。「どうしたらやる気が上がるのかは、それぞれタイプが違う。
はっきりと言っていいやつとよくないやつがいるんだと最近分かりました」。
蔦さんの思いは、形を変えながら受け継がれているようだ。

http://www2.asahi.com/koshien/91/butai/OSK200907020041.html