俺は昼の12時ごろに目が覚めて、よく利用しているフォーラムにログインして スレッドをチェックしてたら、「三沢光晴 R.I.P.:1962-2009」という書き込みが眼に飛び込んできた。 それを見た時俺は、全身が凍り付いたように感じた。彼がリングの上で死ぬなんて考えもしなかったんだ。 俺はその時、彼はリング上じゃなくてショウが始まる前か後に倒れたんだと思っていた。 "On Strong Style Symphony and Death Valley Driver Video Review forums"には、彼が負傷したので 人工呼吸器が取り付けられ、蘇生を試みているという書き込みがあり、次には何とか蘇生出来たので病院に 搬送されたとの内容があった。それを見た皆は安堵の溜息を漏らしたんだけど、次の瞬間には 彼が広島の病院で亡くなったと言うニュースが書き込まれた。
90年代に俺は、数え切れないほどの栄誉を勝ち取っていた三沢の(そして川田や小橋の)姿を、 当時買い漁っていたプロレス雑誌で見て「Wow!彼はなんてグレートな奴なんだ」と子供心に思っていた。 他にもプレステ1で出てた「WCW vs. The World(邦題:バーチャル・プロレスリング)」のゲームでも 彼が出てて熱狂したものだった。 "The Wrestler"の1998年5月号には、ブルース・プリチャード(当時のWWFのタレント・リレーション担当)が、 三沢光晴と川田利明の2人をWWFに呼び込みたがっていると言った内容まであった。俺は今、ちょうどその雑誌を 手にしているところだ。そこには川田をフェイスロックに捉えている三沢の写真が掲載されていて、 「WWFはレスラーの相互派遣に関して、全日本プロレスと協議に入った。」 「タレント・コーディネイターのブルース・プリチャード曰く『全日本プロレスには、三沢や川田と言った 素晴らしいスターが何人もいる。是非彼らにWWFのリングに上がってもらいたい。』」 とも書かれている。言うまでも無く、それは決して実現される事は無かった。
2001年の夏の事だ。俺と友達は週末にはおきまりのゲーム屋に足を運ぶか、WWFのNo Mercy Tournamentを 見に行ったりしていた。 ある週末、前年に発売された「Virtual Pro Wrestling 2(Nintendo64版バーチャルプロレス2:王道継承)」を 持ってた奴からいろんな話を聞いた。三沢光晴、田上明、川田利明、ジャンボ鶴田、小橋健太、橋本真也、 俺が以前見ていた雑誌の時よりもさらに成長した姿の写真も見た。そしてゲームも驚くべき出来だった。 その友人は俺に、彼らのDVDをいくつか俺に貸してくれた。三沢の姿は、すぐに俺の心を撃ち抜いた。 そして機会があったら、是非彼の試合を見てみたいと望んだ。 三沢について語るのに、他の偉大なレスラーと比較することすら十分ではない。 彼は想像を絶するくらい素晴らしいレスラーだった。 しかし、2005年に俺がプロレスラーとしてハードに打ち込んでいた時に、そのチャンスは訪れたんだ。