【サッカー/代表】DF中澤「流れが悪くてもレフェリーが悪くても、それでも勝てるというのは強いチームの勝負強さだと思う」
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名無しさん@恐縮です:
中澤佑二
1993年(平成5年) - 1995年(平成7年) 埼玉県立三郷工業技術高等学校
近所で尚且つサッカーの強い高校を選ぶ為に三郷工業技術高等学校を選択
しかし県予選も突破できずに高校サッカー生活が終わる
もちろんプロからのオファーも来ず、大学からのオファーも無し
1996年(平成8年) - 1997年(平成9年) FCアメリカ ブラジル
高校卒業後、バイトをしてブラジル留学資金を貯め
ブラジルのFCアメリカ ブラジルに留学
しかし試合に出れない日々が続く、なお同所属クラブには現代表のジウベルトシウバが在籍
苦労の末、スタメンを奪取して試合に出始めた頃にパスポートの期限が来てしまい
更新の為に一時、日本に戻る事に
ところがパスポートの更新に3ヶ月が掛かってしまい 更新された頃にFCアメリカの社長に連絡をした所
「うん 君のポジションは無いから帰って来なくていいよ」と言われ無所属に
1997年(平成9年) ニート無職時代
困り果て高校の恩師に相談した所、高校の練習に参加させて貰える事に
なり、職にも就かず朝から晩まで高校生とサッカーに明け暮れる
三郷と東京Vユースの練習試合に高校生と偽り出場
恩師がクラブの生徒に「こいつの最後のチャンスになる 全部中澤にボールを集めろ」と指示を出し
ロスタイムに中澤がヘッドで東京Vのゴールを突き破る
試合後、中澤は東京Vのユースコーチに頼み込み 東京Vの練習生として参加させて貰える事に
1998年(平成9年) 東京V練習生時代
埼玉から多摩の東京Vの練習場に毎日3時間 お母さんが作ってくれたオニギリを
車内で食べ、そして朝から晩まで練習に明け暮れる
そしてトップコーチに認められプロとして初のピッチに・・・・・・・