【芸能/事件】中田カウスさん襲われけが、覆面の男逃走

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514名無しさん@恐縮です
山口組系列傘下企業(企業舎弟)

芸能部門・・・吉本興業に参与。プロレスやK−1、Wrestleにも深く関る。
1968年1月11日には吉本興業社長林正之助が田岡と組んでレコード会社を乗っ取った容疑で兵庫県警に逮捕されている。
当時の日本経済新聞によると林正之助は「わしが田岡組長に電話したら山口組組員300名が駆けつけて血の雨が降るぞ!」と脅迫した。
毎日新聞によると「食品会社、レコード会社から千二百万円相当の株を脅し取った」と書かれている。週刊文春によると「林正之助は
山口組の準構成員であった」(企業舎弟)と書かれており、林正之助は田岡の葬儀にも出席し棺を担いでいる

戦前の初代社長吉本せいの頃より山口組と組んで嫌がる売れっ子芸人を契約させたり、地上げや興行を行ってきた。
新興演芸発足に伴う引き抜き事件の際には、かなりの極道が動いたという。山口登(山口組二代目組長)は、初代社長・吉本せいの
依頼を受け、吉本興業の東京進出に尽力した。1940年、山口登は人気浪曲師・広沢虎造(映画興行権を吉本興業が所有)の興行トラブルから、下関の籠寅組・保良浅之助と対立。
山口登は、東京浅草で籠寅組幹部と話し合いを持ったが、籠寅組に襲われて重傷を負った。余談ながら、山口登は、この籠寅組に
東京浅草で襲われた時に受けた傷がもとで、2年後死亡した。 戦後も吉本興業は力道山などのプロレス興行を手掛け、
田岡一雄(山口組三代目組長)や町井久之(東声会会長)と親交があった。

2007年(平成19年)には週刊現代が「創業者一族が○暴(まるぼう)を使って副社長を恐喝!」というスクープ記事を載せたり、週刊新潮が中田カウスが山口組を背景に創業者一族を
脅しているとの告発記事を掲載と、週刊誌を使って経営権争いを有利に進めるためのリーク合戦をするに至り、注目を集めた。

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  !、/   一   一 V
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   |   ヽ ヽ二フ ) / < お前ら、(山口組系)極心連合会に頼んでボコボコにしてもらうぞ!
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    | \ ヽ、_,ノ