【MLB】松井秀、6試合連続出番なし ヤンキースは投打かみ合い大勝で2連勝! NYY 9-2 CWS[9/19]

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470名無しさん@恐縮です
週刊文春2008年9月25日号のコラム「新聞不信」より

新聞はイチローに甘すぎる!
前々から思っていたのだが、新聞のイチロー報道は、少し甘すぎるのではないか。
日本人選手が増えるのに比例して、大リーグの結果が朝夕刊で報道されるのは当然のことだが、
「8年連続200安打まであと何本」と、イチローの安打数に一喜一憂するがごとき報道が続くのは、長年の大リーグファンとしてなんとも納得しがたい。
はたしてイチローは無謬の打者なのか。
イチローの所属チームは1位から30ゲーム以上も離され、哀れなほど弱い。
そんなチームの状況をヨソに、イチローは自分の安打を増やすためだけに野球をしているように見える。
むしろ、イチローが自分の記録を優先したために、チームの勝ち星が増えないのではないかとさえ思えてくる。
 日本の新聞にはそのような視点での報道はない。しかし、アメリカのメディアは、チームメイトのなかにもそういう批判があることを報じているようだ。
実際、9日のゲームでは、第4打席に右つま先に死球を受けながらも、審判に促されるまで一塁に走らなかったことが報じられている。
チームのために出塁するより、安打を稼ぎたかったのだ。
ある夕刊紙は、イチローの「セコさ」として揶揄していたが、まさにその通りだ。ところが一般紙ではこうした批判的な報道は見受けられなかった。
とにかく最近は「イチロー4安打、200本へ残り10」(11日付朝日夕刊)といった具合で、イチローのコメントを共同配信で伝えていた。
例によって“高邁な安打論”である。
 レッドソックスの松坂の制球力のなさについては「地元もため息」(10日付朝日夕刊)と自社の記者の冷静な記事もあるのだから、
こうした筆調の記事が、なぜイチローに関しては少ないのか。
イチローの巧妙なメディア戦略で、野球の面白さが封じられているように思う。
 死球を受けたら塁出ろよ、自分のわがままを押し通してはいけない、と忠告するのが記者の務めである。