40年にわたって水俣病の惨禍を追い続けた記録映画作家の土本典昭(つちもと・のりあき)さんが24日
午前2時47分、肺がんのため千葉県南房総市の病院で死去した。79歳だった。葬儀は近親者で営み、
後日お別れの会を開く。喪主は妻基子(もとこ)さん。
記録映画作家として注目を集め始めた60年代半ば、テレビ番組の取材で水俣病と出会う。65年、
テレビドキュメンタリー「水俣の子は生きている」を発表。以来、未認定患者や、チッソと交渉を続ける
グループなどに密着し、71年に長編「水俣 ―― 患者さんとその世界」を完成させた。
同作で世界環境映画祭グランプリを獲得。その後も水俣病を主題に「水俣一揆 ―― 一生を問う人びと」など
10本以上を制作した。丸木位里・俊夫妻が水俣を描く姿を記録した「水俣の図・物語」(81年)で毎日芸術賞。
亡くなった水俣病患者の肖像写真を集めた展覧会の企画もした。
岐阜県土岐市生まれ。早大で学生運動に傾倒。羽仁進監督「教室の子供たち」などの影響から、56年に
岩波映画で働き始め、フリーに。小川紳介や東陽一、黒木和雄の各監督らと交流した。
63年、列車乗務員の過酷な勤務を追う「ある機関助士」で本格デビュー。タクシー運転手に密着した
「ドキュメント 路上」は64年、英エディンバラ映画祭で賞を受けた。
他に、内戦のアフガニスタンへ出かけた「よみがえれカレーズ」(89年)など。最後の作品も、水俣を扱った
「みなまた日記 甦える魂を訪ねて」(04年)だった。
ソース
http://www.asahi.com/obituaries/update/0624/TKY200806240191.html 依頼
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1214144504/515