【訃報】往年のハリウッドのミュージカル女優・ダンサーのシド・チャリシーさん死去 代表作に『バンド・ワゴン』など
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アザラシールφ ★:2008/06/18(水) 13:18:20 ID:???0
子どものころ、ダンスの勉強のためロサンゼルス(Los Angeles)に移り、
その後14歳で伝説のバレエ団「バレエ・リュス(Ballet Russe)」に入団する。1939年、第二次世界大戦が勃発で
バレエ・リュスが解散するまで、チャリシーは出演演目に合わせて名前を数回変えながら同バレエ団の欧州巡回公演に同行した。
映画デビューは1942年。リリー・ノーウッド(Lily Norwood)の芸名で『Something to Shout About』に端役で出演した。
1945年にMGMと7年契約を結ぶまでは、芸名を何度も変えた。その後『ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)』で
アステアと踊ったのをきっかけに、ダンサー役として多くの映画に出演するようになる。
■『雨に唄えば』の出演からミュージカル映画スターに
ハリウッド大手スタジオのミュージカル映画がかつての勢いを失いかけていた時期、チャリシーは『雨に唄えば(Singin' in the Rain)』で
ケリーを誘惑する女性を演じ、一躍注目を集めた。せりふもない脇役だったが、ケリーの帽子をハイヒールのつま先にかけ、
足をまっすぐに伸ばした印象的な登場シーンは、ケリーだけでなくカメラも虜にした。
その後、ヴィンセント・ミネリ(Vincente Minnelli)監督の『ブリガドーン(Brigadoon)』でケリーの相手役に。
『バンド・ワゴン(The Band Wagon)』や『絹の靴下(Silk Stockings)』ではアステアと再び共演した。
しかし、大手スタジオ多くの制作費をかけたミュージカル映画から撤退し始めると、チャリシーも脇役での出演が増えいていった。
そんな中、チャリシーはフランスへ渡り、最後のミュージカル映画となった『ブラック・タイツ(1-2-3-4 ou Les Collants noirs)』に出演した。
チャリシーは2004年のインタビューで「大声を上げるのは私のスタイルではない」と答えている。
さらにチャリシーを「美しいダイナマイト」と呼んだアステアは、少し謎めいた言葉を残している。「シド・チャリシーと踊るときは、踊らされているんだ」
(
>>3-5辺りに続く)
■70歳でブロードウェイ・デビュー果たす
私生活では十代のころにダンス教師だったニコ・チャリシー(Nico Charisse)とパリ(Paris)で結婚。長男を授かるが、その後離婚している。
ニコとの離婚後は、同じくテキサス州出身の俳優ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)と短期間だったが交際している。
『On an Island With You』の撮影中にチャリシーが階段のシーンで足を骨折すると、ヒューズはチャリシーに移動用のリムジンを出したという。
その後、2人目の夫トニー・マーティン(Tony Martin)と結婚。『巴里のアメリカ人(An American in Paris)』で
ケリーの相手役のオファーを受けたが、マーティンとの結婚生活を優先して辞退。2人の夫婦生活は60年以上続いた。
1953年の『バンド・ワゴン』では女優としての才能も開花させた。マリリン・モンロー(Marylin Monroe)の
最後の出演作『Something's Got to Give』(1962年)でディーン・マーティン(Dean Martin)の妻役を演じたことでも知られている。
1970年代に入ると映画出演を続けるかたわら、夫とともにナイトクラブにも出演し人気を集めた。
70歳のとき、ミュージカル版『グランドホテル(Grand Hotel)』でブロードウェイ(Broadway)デビューを果し、
映画版ではグレタ・ガルボ(Greta Garbo)が演じた役を演じた。引き続きテレビにも出演していた。
デヴィ夫人
最近「暗黒街の女」を映画館で見ました。合掌。
ところで、生年には1921年と1922年の両方の説があるようです。
IMDbやソース2では1921年となっており、
ソース1では1922年であることを前提に86歳で亡くなったことになっています。
いつもならスレタイに亡くなった年齢を入れるのですが、
どちらであることも考慮して今回はいれませんでした。
6 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/18(水) 13:28:14 ID:GemRf0y+0
デヴィかとおもった
7 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/18(水) 13:31:30 ID:vXCz19+j0
バンドワゴンではアステアより上手く踊ってたかもしれない
好きな女優さんだった・・・
で、誰?
デヴィ夫人かと思った
美しい脚の持ち主だった
11 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/18(水) 13:40:52 ID:ITqd6Ao00
鈴木茂かと思った
『雨に唄えば』の登場シーンは子供心にも衝撃だったなー
あの脚の美しさ!!
天国でアステアと踊っているかな
チャリーリー・シーンが死んだのかと思った。
14 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/18(水) 23:30:16 ID:rZ1F1lWK0
俺的にも暗黒街の女のダンサー役だなぁこの人
あんまミュージカル見ないんで
雨に唄えばはどこに出てたか思い出せない
15 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/19(木) 00:36:19 ID:OdPCsTwO0
バンド・ワゴンは本当に素晴らしいミュージカル映画でした。
あの映画の彼女の踊りは「凄い」の一言。
シド・チャリシーはJ・ロジャースよりもダンスは素晴らしいと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。
>>13 冗談にもほどがあるよ。
16 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/19(木) 10:52:48 ID:1m2oCqxm0
アンティークな映画ファンは”シド・チャリス”なんだよな。
アステア曰く『ビューティー・ダイナマイト』な女性だった。
古き良きミュージカルスタアにご冥福を。
そして素晴らしい映画に乾杯。
17 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/19(木) 12:57:12 ID:zNGeIGwp0
>>14 ラスト近くでI Gotta Dance♪とか歌いだす劇中劇で
煙管持って鼻からふーっと出してる人がシド・チャリシー
18 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/19(木) 16:37:19 ID:dILhwOqs0
いつも上天気の彼女は可愛かったなあ。
19 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/19(木) 18:06:08 ID:0FAzzB15O
『絹の靴下』が一番好きだった。
悲しすぎる……。
21 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/19(木) 20:08:33 ID:imaMCQMu0
ミュージカルピピンに出てたなぁ
23 :
名無しさん@恐縮です:2008/06/23(月) 02:57:19 ID:sRW1fiRZ0
雨に歌えば
は何処に出てるの
バンドワゴネスク?
一週間くらい前に絹の靴下を家族で見た。なにかの知らせかな。
おまけ映像でも相変わらず美しかったがあれで80すぎてたのか・・・
足の美しい、クールな美人でしたね。さようなら