根来泰周コミッショナー代行「阪神は日本一にならなくてもいい」「毎年Aクラスに居る最近の阪神はおかしい」
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名無しさん@恐縮です:
阪神って良くも悪くも野村克也に歴史を変えられたチームだよな。
1973年→残り2試合のうち1試合でも勝てば優勝の状況に。
そこでスポーツ紙がプレーオフ進出を決めていた南海の監督・野村にインタビュー。
「阪神と日本シリーズがやれるように(プレーオフは)頑張る」→逆フラグが立ち阪神2連敗。巨人逆転優勝。
1992年→ペナントレースは4チームの大混戦も、島野実質監督(1973年南海優勝時の1番打者)の手腕で残り5試合のうち
3勝すれば優勝という大チャンス到来。
ところが初っ端のヤクルト戦、野村に先発岡林の奇襲を喰らい完封負け。
次の試合も優位に進めていたが、最後の最後で中村暗黒監督は中込から湯舟にスイッチ。湯舟フォアボールの後は
中西にスイッチし逆転負け。かの有名な野村の「勝ちに不思議の勝ちあり」というセリフはこの試合の後に出たもの。
最後は本拠地でキッチリ胴上げを決められる。以下本格的な暗黒到来。
1999年→その野村が監督就任。結局三年連続最下位ではあったが、井川や矢野の育成、赤星や藤本の獲得・抜擢、そして
なんといってもあの桧山に野球を覚えさせることに成功。それまで規定打席到達時に2割7分越えが一度もなかったにもかかわらず
野村政権三年目の2001年に3割をクリアしてからは5年連続で2割7分をクリア。3割も2度マークした。
桧山曰く「一番好きなのも、一番嫌いなのも、野村監督です。一番プラスになったのが野村監督です」。