【野球】感動秘話!日本ハム・豊島が母代わりの姉に恩返し

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1かばほ〜る φ ★
感動秘話!豊島が母代わりの姉に恩返し

一番、見せたかった2人はいなかった。10日に札幌市内のホテルで行われた日本ハムの
入団発表会見。ユニホームに袖を通した豊島明好投手(17=北陸大谷)の晴れ姿は、
姉岩本一美さん(31)が見守った。中学生の時に両親が相次いで急逝。母親代わりに
手塩にかけ、プロ選手へと育て上げた。「感激しました」。優しいまなざしを向けながら、
声を上ずらせた。

02年12月16日。豊島が中学1年の時だった。「びっくりした。突然だったので…」。
父敏明さんが急性心筋梗塞(こうそく)、49歳で他界した。その日の登校間際まで元気
だったが、帰宅した時には息を引き取っていた。翌03年11月13日。母ゆみ子さんが
乳がんで天国へ旅立った。57歳の若さだった。思春期の弟に一美さんは「言えなかった」。
末期がんとギリギリまで知らなかった豊島は、精神的に不安定になり、食事がのどを通らない
こともあった。

2年間で、身寄りがなくなった。結婚間近の一美さんが引き取り、野球を続けさせた。
豊島はしみじみと言う。「お金の面とかいろいろ、迷惑を掛けたと思う」。北陸大谷進学後は
下宿生活。毎朝5時に起床し、午後9時ごろまで野球に没頭。「下宿をやめたい」と漏らした
こともある弟を、一美さんは何度も励ました。「明好だけじゃないよ。もっと恵まれない人も
いるんだから」。洗濯させるなど、生活面は厳しく接した。その一方で、野球にかかる用具費
などは惜しまなかった。

高校2年でプロを目指そうと決めた。大学進学の選択肢もあったが「経済的な面もあるので」と、
9月下旬の入団テストを受けて合格。無名ながら、野球界の頂点へこの日、たどり着いた。
5日後の16日が、父の命日。「ちゃんと報告をします」。豊島の自室には仏壇がある。
天国で見守ってくれた両親へ、そっと手を合わせる。【高山通史】

http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/p-hf-tp0-20071211-294032.html
豊島に帽子をかぶせてあげる姉一美さん
http://hokkaido.nikkansports.com/baseball/professional/fighters/h-bb-071211-3-ns.jpg
依頼ありました http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1197234241/149