【サッカー】「近いうちに日本に戻る」 ストイコビッチ氏、名古屋からのオファーに応じる意向示す
★ストイコビッチ 旧ユーゴ 名古屋グランパス レッドスター
1990イタリア大会の年の、移籍金世界最高金額を記録した当時の世界一の選手
対アルゼンチン戦で退場者が出て、10人で闘ったのに、マラドーナをチンチンにしてしまった このときのユーゴ監督がオシム
欧州ではイタリア大会は「ストイコビッチの大会」と呼ばれた。
バロンドールの最有力候補であったが、ケガをしてすべては御破算になり来日
すぐに帰国するつもりが、日本のすばらしさに魅了され、長期滞在、
選手生活を日本で全うすることになった。
名古屋を引退後、ユーゴサッカー協会会長に就任 その後レッドスター会長に就任
日本語は日常会話レベル 家族全員が親日で、嫁と娘2人は日本での永住を希望していたが叶わなかった。 娘2人は成人したら日本で仕事を見付け、日本に永住したいと
明言している。
世界中行った先ざきで日本をベタ誉め
「日本ほど素晴らしい国はどこにもない」「日本はユートピア、地上の楽園」が口癖
納豆大好き 「納豆ほど旨い食べ物は地上に存在しない」
「一日でも納豆切らすと私は死んでしまうだろう」
「納豆嫌いな大阪の人は日本人とは思えない」など・・迷言を残した。
ユーゴ代表の食事に無理やり納豆を導入して、選手に顰蹙を買ったw
(ちなみにヒトラーも第二次大戦中にドイツ軍に納豆を導入して、顰蹙を買っている)
監督としての才能は未知数 日本代表監督に意欲