【話題】理想の夫婦総合1位は三浦友和&山口百恵夫妻…11/22「いい夫婦の日」アンケート
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3 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:11:46 ID:01mO0StG0
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4 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:12:23 ID:xNhMmKCK0
谷とTAWARAは?
あのぶくぶくに太った画像みたら・・・・
こういうのってほんとイメージ先行
山口百恵の在日はいいとして、三浦友一も在日なの?
明治安田生命 「いい夫婦の日」に関するアンケート調査を実施!
http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/release/2006/pdf/20061121.pdf ※ 理想の夫婦トップ3
「三浦友和・山口百恵」「唐沢寿明・山口智子」「中村雅俊・五十嵐淳子」
※ 年齢層別理想の夫婦
・ 20 歳代のトップ3
「江口洋介・森高千里」「高橋ジョージ・三船美佳」「唐沢寿明・山口智子」
・ 30 歳代のトップ3
「唐沢寿明・山口智子」「江口洋介・森高千里」「木梨憲武・安田成美」
・ 40 歳代のトップ3
「三浦友和・山口百恵」「中村雅俊・五十嵐淳子」「唐沢寿明・山口智子」
・ 50 歳代のトップ3
「三浦友和・山口百恵」「中村雅俊・五十嵐淳子」「皇太子様・雅子様」
10 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:21:33 ID:zQ+UiKTqO
中年リーゼントと中卒元ヤンタレントの夫婦も入れてやれよw
11 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:24:29 ID:Cw1OzHf20
「青春時代のアイドルが、結婚後はしっかり家庭を守り、
夫も妻を大切にしている様子が…」
↑これって知らないよ〜ったらっよ 山口ふともも?
12 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:27:36 ID:YXHAM7ok0
いや、よりによって全然情報が出てこない二人が理想とは
野村監督の嫁みたいな見てくれになってた山口百恵の画像はまだとな
13 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:28:46 ID:R0UN8HqUO
木村拓哉&工藤静香夫妻は・・・。
もし彼等が離婚したら キムタクの好感度が逆に更にアップしそうな気がする。喜んで ホッとするファンもいるんじゃないかな。
なんというか根拠なし
15 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:29:44 ID:GSJtwg2f0
こんな無駄なアンケートをするだけの余裕のある企業はいいなぁ
17 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:45:11 ID:JubsLJr5O
18 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:51:53 ID:3q1r8WQs0
隣の芝生は青く見えるか。
それにしても6位は当て付けか。
19 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 20:58:56 ID:LFEcDKfH0
林家ペー・パー子夫妻は?
20 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 21:00:50 ID:lQQgrJ1a0
理想っつったってカミさんの方がどんな人間かは想像しかないだろ
浅香光代みたいになってるかもしんないじゃん
21 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 21:05:50 ID:qYmHjqRg0
ウオンジントク きんぽう堂令嬢夫妻
浜ちゃん道子さん夫妻
理想にしたくない夫婦ランキング
1位:中村獅堂&竹内結子
2位:押尾学&矢田亜希子
3位:木村拓哉&工藤静香
23 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 23:02:14 ID:NvbZk/o60
私の歳がばれるが、五十嵐淳子が高校時代JR(当時は国鉄)車内で
よく見かけた。すごく可愛くて見とれていた。
それが結婚後ポロポロ子供を生み(生まされ?)悲しくなった。
24 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/21(火) 23:05:12 ID:Li0Wuw8O0
ほとんど姿が見えない夫婦なのに何で?
>>13 旦那はあれだけの人なのに、なんで理想の夫婦に選ばれてないんだろう?
皇太子と雅子さん?ハァ?
マア確かに皇太子が雅子さんに惚れてるのは間違いないが、
アレ、理想の夫婦像か?
16 :名無しさん@七周年:2006/11/21(火) 23:45:15 ID:cRGEhIyA0
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:i、 `. ヽ, .‐ .,l゙ │ 鼻糞、おいしいよ!
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ト ,l゙ .〔." ゙i、.l゙,l゙ "."" .,i´ ゙i、
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.'l゜ ,! \ `'く :| ._,,,-'''"`!
.ト .| `ヽ ゙'┐ .| .,,,/゛ ゙l
1996年
, -‐‥ 、
/ \
/ 〃 ,. ヘ、 ヽ
./ / ヽ 丶 ニヤニヤ
| ,ノ -‐ '''ー { }
| | | '’` く '’` |. i もろ手もちてひたすら花の苗植うる
| .fヽリ ´゚ ,r "_,,)、 ,イ ; 知恵おそき子らまなこかがやく
i .ヽ_」 イエエエア ! /
ヽ i、 ``二 ´' 丿/
. ヽ r|、` '' ー--‐f´'´
_/ | \o 。 。。八_
/ ̄ l \ / i  ̄ ヽ
. / >‐ y < i
2001年
, -‐‥ 、
/ \
/ 〃 ,. ヘ、 ヽ
./ / ヽ 丶 ゲラゲラ
| ,ノ -‐ '''ー { }
| | | '’` く '’` |. i 健康に恵まれた子供を持っているということは,
| .fヽリ ´゚ ,r "_,,)、 ,イ ; そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので,
i .ヽ_」 イエエエア ! / 本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っております
ヽ i、 ``二 ´' 丿/
. ヽ r|、` '' ー--‐f´'´
_/ | \o 。 。。八_
/ ̄ l \ / i  ̄ ヽ
. / >‐ y < i
妻が鬱でひきこもっている夫婦なんか、
全然理想じゃないんだが。
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. ゚゚龜j、 ` ゙゚『}狐茲茲槊¶゚゙'゚! .,,l゚ < 「ハイ、そうでございます」
. ゙゚髦. . 、.'''''~'゚'''` . . ュf’
. `ラj, ....jメ
. ‘゚ゥi_、 、,,ir'゚.
‘゚゚→==→f・゙゚`
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白馬のそばで王子様を待つ 秋篠宮 眞子内親王殿下
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20060820144056.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20060813044623.jpg `'-、 ,,,,,,,,,,,,,,,,,,、,--r='"゙゙”゚''″`゙''‐、,,, ゙l,.,l二,__ .゙l
‘-、、,―--、,,、,,,,!ッr='.''" `ヾ'"テ'゚゙゙'゙‐'-ニ ̄|
`゙゙'''ヤ`゙┴ry,,r「゙“゙′ ゙'イ
.r:,ニ‐ル- .',ク`` ヽ
、 ‘i、 ゙bi|` ゙l,
ヽ :, ゙l )`'i、 __ __ ヽ
、゙l, ゙i、 、" " ゙L .,,ィr!'''゙「ニ气l態l巛 .,ji|lllll}llll゙゙゙゙フ |
.゙‐゙l. ゙l, .ト .゙┐ ト ~゜ .,、` ゙゙゙゙ l,
│ ゙i、.,,L .゙l,,i´ .'冖''''≪ニニ゙'= .,,、 .,″ 、-''ニ≫=r l
" ゙l, |`^=,,..‖ ──'' .} l゙ |
.゙t'l ゙'!ii′ ″ .゙l、 |
″ \ ,,‐ `.''m,, │
ヽ ,,/゙ヽ,,,r-v_ .,,,,,,, ゙l ゙ヽ、 .,,/ │
i、 ヾ‐ _/` .゙"''''″ `゛ \ . │
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,,ニ二,ニ,,,-‐` \ ――ーi、 _,/ :.゙l .リ
\ ,,/ .:リ..i、|
゚'←ー---―‐'f″ : ゙l、
328 :可愛い奥様:2006/11/21(火) 12:19:17 ID:qf7vmZKg
確かにデカイ女になりそうですw
おすべらかしなどしたら・・・女官より頭一つ出てそうだし
口元も・・・しまりがないというか・・・目つきも怖いし
あまり躾も入って無さそう。
雅子様が一生懸命、顔を近づけて何か言ってるけど、
それに答えてる様子も一切ないよね。何かダラダラと体をゆすってる。
愛子様が将来、女帝になる可能性もあるとかないとか出てるけど、
このまま愛子様が成長され、多かれ少なかれ疑問を持たれる言動をされ、
愛子様に知性や品が感じられなければ自然に消えていくと思う。
秋篠宮家の内親王お2人の成長の姿を見ても、
秋篠宮悠仁様が皇室の空気をまとってお育ちになるだろうし、
外見的にも魅力的な方に成長される可能性は高い。
その時、皇太子家の唯一の子供とはいえ・・・・
同情論はあっても人気があるかは考えにくい。
それに雅子様の一族の評判が悪すぎ。
【跳び蹴りジャニヲタ姫の眞子様】 川丶`∀´>リ
週刊新潮 9月14日号
「やんちゃすぎる」?秋篠宮家の教育
「眞子さまは、あれでいて、結構、やんちゃなお嬢様なんですよ。
小学3年生の時だったかクラスメイトが ランドセルを背負って廊下を
歩いていると、眞子さまが後ろからいきなり背中を蹴った。思わず
這いつくばったその子を尻目に、眞子さまはケラケラ笑いながら
走っていかれたそうです。そんなイメージがあるので、テレビで
かしこまって会釈される姿を拝見すると、なんだか笑ってしまって」(同級生の母親)
こんな武勇伝もある。
「警備の人間を振り切って、ジャニーズのコンサートに行かれたことも
ありました。その一方で、おそらく皇族としての自覚のなせることなので
しょうが、先に待っていた学友を差し置いて“おどきなさい”とばかりに
エレベーターに乗り込まれるようなことも一時期、見受けられたのです」
秋篠宮ご自身が、比較的自由な皇室生活を送ってきた方だけに、
将来の天皇と嘱望される親王誕生ともなれば、その”しつけ”は
大いに注目を集めることになるはずだ。
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20060906182455.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20060820144056.jpg 川丶`∀´>リ < あはははは!! 飛び蹴り楽しいニダー!!
と⌒ て) .人
( ______三フ< >_∧∩
) ) V`Д´)/ ← ご学友
レ' ドゴォ!!
週刊文春 2006年9月21日号
夜ふけのなわとび 989 美智子さまの笑顔
林真理子
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/ それにしても、紀子妃の評価は高まるばかりである。こう申し上げては失礼で
あるが、判官びいきも手伝って、世の女性たちの人気は雅子妃の方が上だったよ
うな気がする。働いていた時代のふつうの言葉で喋ろうとする雅子妃に対して、
すっかり宮中語になじんだ紀子妃に異和感を持った女性は多い。それが今、聖家
族の中心に祭り上げられたのである。
皇室が担わなければいけない「ノーブレス・オブリージュ」のひとつに、理想
的な家庭をつくり、それを国民に見せる、というのがあるが、秋篠宮家はそれを
今回たっぷりと披露してくれた。
私の年代だと、十七年前のお二人の婚約記者会見のことをはっきりと憶えてい
る。あの初々しかったカップルが、今や中年の入り口に立ち、思慮も分別もしっ
かり身につけられたのだなあという感慨がわく。病室での「いってきます」「ご
苦労さま」といった会話など、「いいご夫婦だなあ」と心をうつではないか。そ
して病室にいらした二人の内親王さまの可愛らしくて賢そうなこと。
あまりにも秋篠宮家がお幸せそうなので、ついつい皇太子家と比較してしまう
。するとやはりぎこちなさが目立つのである。皇太子だけがニコニコと笑われ、
こわばった笑顔の雅子さまがいる。そして全くお笑いにならない愛子さまがいる
……。
週刊朝日 2006年9月22日号
皇室取材20年の岩井克己朝日新聞編集委員が語る 秋篠宮ご夫妻「思い定めたご出産」
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7610.shtml 両陛下のお話に耳傾けるご夫妻
近年、両陛下はお子さまたちとの私的な食事会の席で、「あのときは、こう
いう気持ちでこういうことをした」と過去の公務の話をなさることが多いそう
です。ご自身の経験を次世代に伝えたいという思いが高まっているのでしょう。
これに対し、秋篠宮ご夫妻は「もっと聞かせてください」とせがみ、遅くまで
居残ることもありました。昨年、紀宮さま(現・黒田清子さん)が結婚して皇
籍を離れ、御所でのお二人暮らしになりました。ご夫妻は高齢のご両親の寂し
さを思い、「自分たちが両陛下を支えなければ」という気持ちを強めていった
のではないでしょうか。
二人のお子さまも、そうしたご両親の姿をみていることでしょう。8月16日
朝、ウィーンでのホームステイを終えて成田に到着した眞子さまは、その足で
皇居へ向かい、宮中三殿賢所で帰国の「ご奉告」をして御所で両陛下に帰国の
ご挨拶をし、秋篠宮さまも合流して昼食を共にしたそうです。その後、東京・
元赤坂の秋篠宮邸に戻り、出産準備のために東京港区の愛育病院に入院する紀
子さまを見送った。
こうした慌しいスケジュールを、長時間のフライトの疲れもみせず、淡々と
こなす眞子さまの姿に、美智子さまも、「やはり(天皇家の血をひく)内親王
ね」と、目を細めておいでだったと聞いています。
両陛下は、新宮さまの誕生に際して発表した文書で、秋篠宮家の家族の胸中
を次のように思いやった。
「様々な心労を重ねた十ヶ月であったと思いますが、秋篠宮夫妻が、その全て
を静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えた
く思います。二人の内親王も、この困難な時期を、一生懸命両親に協力して過
ごしてきましたので、今は、さぞ安心し、喜んでいることと思います」
週刊新潮 2006年1月26日
特集】激震走る「雅子妃と皇室」
気に入らないと「ポイ捨て」愛子さまは大丈夫?
愛子さまは健やかに育っていらっしゃるのか。国民の心配の目は、雅
子妃に対してと同様、愛子さまにも注がれている。何かにつけて愛子さ
まのご様子が話題になるからである。
「1月5日に両陛下が皇太子、秋篠宮ご一家を招いて夕食会を開かれた時
も、愛子さまがお風邪をひき、雅子妃は当日になってキャンセルされま
した。妃殿下はご自身の誕生日の12月9日に、両陛下を招いての夕食会を
直前でキャンセルしていますから、それに続いてのことになりました」
(宮内庁担当記者)
12月23日の天皇誕生日の夕食会の際も、愛子さまがむずかったため、
雅子妃は席を外して東宮に帰り、3時間近い“中座”をしたことも明らか
になっている。
「この時は大混乱でした。お二人が東宮へ帰られた時、東宮職員は外で
食事会をしていて、なかなか連絡がとれなかったのです」と、宮内庁関係
者がいう。
「おまけに雅子妃が一度、東宮の“奥”に入られれば、誰も声をお掛けす
ることができない。まして東宮には、雅子妃に進言できる侍従もいません。
結局、妃殿下が御所に戻り、両陛下との夕食会が終わったのは夜10時を過
ぎていました」
宮中は、愛子さまがむずかっただけで、こんな事態に陥ってしまうの
である。
岩井克己(朝日新聞皇室番記者or編集委員)←雅子様を流産させた張本人
それにも飽き足らず、次期陛下ご一家を妄想で誹謗中傷し続け、秋篠一家をマンセーする反日工作員。
>やはり岩井氏の非常に大きな執念となっているのは,皇太子同妃両殿下を
>如何に叩きのめすかということなのであろう,ということである。
>この第4章の中で,岩井氏は流産時における自らのスクープについて以下
>のように言い訳をしているが,随分と自分に甘いお人である。
>--------引用開始--------
>私が書いた理由のひとつに,長年接してきた皇太子夫妻の赤ちゃん誕生が,
>政治の世界の思惑に絡められているのではないかとの密かな反発がありました。
>兆候の中身はプライバシーだが,皇太子妃の懐妊自体はすぐれて公的なことと
>整理したつもりだったのです。しかし,結果としては皇太子,雅子妃に大きな
>プレッシャーを与えてしまったと痛切な反省が残りました。悪意など全くなく,
>さぞやご本人も楽しみにしており,国民も喜びを共有できるだろうと思ったのですが。
>--------引用終了---------
皇太子殿下誕生日会見(2000年2月)
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h12.html 【皇太子殿下】多くの国民の皆さんに心配していただいていると思います。
(中略)しかし,そこに至る過程で,医学的な診断が下る前の非常に不確
かな段階で報道がなされ,個人のプライバシーの領域であるはずのこと,
あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であります。
そのような中で雅子は非常によく辛抱したと思いますが,国民の中にも
戸惑いを覚えた人も少なくなかったというふうに聞いております。今後,
事柄の性質上,慎重で配慮された扱いを望みます。
雅子妃殿下誕生日会見(2000年12月)
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h12.html 【雅子妃殿下】国民の皆さんの期待もある中で,昨年の暮れの結果は私も残念に
思っております。そしてまた同時に,非常に早い段階から報道が過熱してしまっ
たということについて,正直申しまして戸惑いを覚えたことも事実でございます。
雅子さま 流産
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~genji/2000/20000102.html 1999年12月10日の朝刊トップで、朝日新聞は「雅子さま懐妊の徴候」とス
クープした。朝日新聞はスクープを出したことに大喜びし(注・雅子さま
懐妊に喜んだのではない)、2000年早々に折り込むPR版にこのスクープ
を載せて配ろうと準備していた。ところが今回、2回目の検査で流産が
判明し、このPR版は回収されることになった。
週刊新潮(1/20・P142-143)によれば、そのPR版は各販売店に計450万部用
意されていたが、流産の発表後、折り込み中止・完璧保存の通達FAXが
流れた。「それにしても、まだ2度目の検査が行われていない段階でPR
版の宣伝材料にしてしまうとは、いくらなんでもスクープボケではないか。
(同)」と言われても当然だろう。
また、この懐妊スクープそのものに対しても、多方面から批判があがって
いた。朝日新聞も「本社に抗議など390件」と認め、報道についての釈明文
を載せた。この釈明文に対し、週刊文春(1/20・P29)は、「皇室の人権には
鈍感な朝日」として、朝日新聞のスクープ報道は「他人のプライバシーに
ちょっと触れる行為ではない。それは日本語で言えば、まぎれもない人権
蹂躙である。」と当然ながら厳しく批判。編集局長は引責辞任すべきだ、とした。
一方、産経新聞1月8日の斜断機で、金美齢さんにより驚くべき事実が一般に
知らされた。タイトルは「下品さとセクハラと」で、「『週刊朝日』(99年
12月24日号)に「お二人の愛の結実は熊本で、だった」の見出しで以下の文章
が出ている。「(皇族の女性の体のリズムを推察する方法を説明した上で)
本誌が入手した雅子さまの体のリズムを考えると、皇太子夫妻のベビーは
十一月前半ごろに結実したことになる。なかでも可能性が高そうなのは…(中略)。
宿は熊本市内の老舗のホテル(中略)。大きなダブルベッドのある部屋だった。」
というものである。この週刊朝日は12月14日発売であるから、取次搬入など
も考えれば、10日のスクープ直後に書かれたものだろう。金美齢さんは「これ
は紛れもないセクハラだ。「下種の勘ぐり」に猥褻な想像をまじえて面白がっ
ている趣味の悪さ、読んでいる方が恥ずかしくなる。」と怒りをあらわにする。
/ ,!::::゙l、ヽ:::│:::::::::::::::::::::::.l゙ ゙l::::: : : : .........: .: : :::::::::::::::::::::::::| ∞〜 プーン
`゙'-l゙:-,.:゙l,:::゙∨::::::::::::,、::::::::,l゙ ゙l::::::::,,:::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;::;;、::*::::゙l
.,/|::-,"'-/:::,、::::::,l゚!::::::::./ ,!:::::::/|:::::::::::ュ,::::;;;;;;;;;;;;;;::;;ヽ:::::::| ←裸のブタのカラミ合いが好きな変態ガキ
,/` |::::::゙'ッ":::./{::::::::| |:::::_,l―-(,--l゙ ←--/ ゙=,,,,,,,,,,-,u,り:::::,l゙
`\ |:_,,,::゙'ー/;;;;;;;;ノ..;;;);::;;:::;;:::;::::::::: `____ ` `)/ 将来女帝になる
`-,i´ `\、:゙l .冖'" .,,┬r(:;;;;;;;;;;;:),、 ヽ ,/r(;;;;;;;;;;;;;;;) ゙l
{ ⌒''-,,゙'-| ~^ { l 愛ちゃんでーす
゙l. ./^゙'i、゙l (;;;;;;;;;;;;;;; ∵∴∵ |
.゙l゙l、 、,、` .| ;;;;;; │∵:,∵ l ううっ、うう・・・んっごう!
|:::ヽ、 .| ;;;;;;; ;;;;;;; ゙'-―--‐ ,l
↓:::::゙"'''''"|!、 ;;;;;;; :;;;;;;;*`;; _ __、 /
⌒⌒ヽ 彡`';:; ヽ . 〈lf%gj,、 . ```. _,gg&.. _i'゙.. /|∞〜 プーン
、 ) ̄} ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヾ /:::::§;;:::;;;::;;::;;ヽO:::ノ:::;:::::ヽく .,,l゚ /
、_人_,ノ⌒)}─┐ .,,;:':;}#;\∬;;:;;:;;;;ヽ;:/:;::~;;::~::::゚'''` . . ュf’.
_,,ノ´ └───;イ;゚;'∬:∬:::〔ヽヽ;|::::;::::::::::::::::ヾ;::;:::;;:..jメ’
r‐'´ ブチッ…ブチブチ…','/;;ヽ;/ヾ〔:::::;;;;::::::;;;:::;ミノ:::::;;;;::::ソ《ゝ;:\
ヽ:;;;;ノ 〉|:::;;:::::;;;::;;;;:;ミ《ミ;;::;;;:;;;;ヽ;;;;;;::::ノ
υ \::::::;;;:::::;∧;::::::∬;::::::)〕::;::/
,`ヽ;/~~ ~∪⌒ι/
勝谷誠彦の××な日々。
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225 ■2004/12/25 (土) 天皇さま皇太子さんなら愛子様は呼び捨てかね朝日。
朝日新聞は<皇太子殿下がお嫌い>なようである。23日付の朝日は実に
意図的な記事を載せた。産経などが記者団の質問に対する天皇陛下の
誕生日のご回答を全文掲載したのに対して朝日は皇太子殿下に関するく
だりだけを載せる。そこに岩井克己編集委員の解説をくっつけその中で
こう書くのである。<気になるのは、憶測が広がり、様々な人が傷つき
つつあることに対して、皇太子ご夫妻からブレーキをかける強い意志が
感じられないことだ。両陛下が心を痛めていることや、自分たちが務め
を充分に果たしていないことについて率直にわびる言葉も聞こえてこな
い>。引用が長くなったのは例によってasahi.comではこういう政治的な
記事は狡猾にも削除しているからである。敬語を使わないのは築地をど
りの伝統らしいのでまあいい。しかし この踏み込み方は常軌を逸して
いるのではないか。陛下ご自身が<こうした段階での細かい言及は差し
控えたいと思います>と言われているのにどういう傲慢さがこうして病
をえた方を巡る人の家庭の中にまで踏み込ませるのだろう。
私があった何人かの皇室ジャーナリストの人々も仰天し口々に岩井とい
う記者の天狗ぶりを指摘した。
紀宮内親王殿下のご婚約という大スクープをまたも朝日で飛ばしたのが
岩井記者である。幕末の蝙蝠公家どものように彼は宮廷政治に淫してい
るのではないか。だから尻馬に乗った泡沫名取まで昨日の素粒子でこう
書く。<「そりゃまあ、天皇さまだって皇太子さんを理解できないそう
だけど」>。違うだろ。陛下はまだ差し控えたいと言われているのだ。
綸言を歪めるなこの非国民。
文藝春秋 2006年10月号 平成皇室の危機は去ったのか
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju0610.htm 雅子妃「オランダ静養」の衝撃
高橋 ここからは皇太子ご一家のことを中心に話しましょう。皇太子妃雅子さま
は、適応障害からいぜんとして回復しておらず、この夏はご一家でオランダで静
養されました。公務以外の目的で皇族が海外に滞在するのは、皇室の歴史上極め
て異例のことです。どうも私には皇太子ご夫妻の最近のおふるまいには、「公」
よりも「私」を優先させているとしか思えないことがあり、お畏れながら不満に
感じることも多いのです。
櫻井 同じ思いです。そしてオランダ静養にも落胆しています。特にオランダ到
着直後に配信されたご一家の写真には驚きました。写真を一面に掲載した読売新
聞は「はじける笑顔」とキャプションをつけていましたが、オランダ王室の方々
と並んで、雅子妃、愛子様、皇太子様とも、国内では決してお見せにならない本
当にお幸せそうな笑顔をしています。この写真をみていると、「自分たちの本来
の居場所は日本ではないのです」とおっしゃられているような気さえしてきまし
た。
■大反対だった皇室がキコ&鯰の結婚を許可せざるをえなかった事情
以下は「★=事実」「☆=都市伝説または類推」をつないだ仮説
キコさん中絶(☆2回と言われている)→★川嶋教授、皇室に怒鳴り込む
→ ☆娘を傷物にして、B差別ゆえに結婚に反対するのかと両陛下を脅す
→ ☆裏に街道がいて、皇室が断ったら騒ぐ手はず
→ ☆それを川嶋教授懇意の朝日新聞記者が記事にする手はず
→ ☆両陛下&皇室降参 →★朝日新聞が婚約をスクープ →★既成事実で婚約成立
→ ★キコ、おかげで婚約できたと朝日新聞社を御礼訪問
→ ★朝日記者は狂喜してキコにフカヒレラーメンをご馳走する
→ ☆以後、朝日とキコは強固に癒着。キコから東宮叩き情報ざぶざぶリーク
→ ★朝日新聞とその系列雑誌には秋篠宮礼賛記事、東宮叩き記事しか載らない
(朝日新聞は、皇室関係の大スクープ記事を連発している)
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
【田中康夫】仰るとおり。紀子スマイルとやらに秋篠宮だけでなく天皇
・皇后 夫妻も“なびいてしまっている”のは、いやはや、何ともだ。
皇太子妃の古巣である外務省なんかじゃ、父親が事務次官だったことも
含めて、いまだに嫉妬が渦巻いているみたいだしさ。しかも、宮内庁記者
クラブも、怪しからん話だけど、皇太子夫妻に対して冷たい。気の毒だよね、ほんとうに。
【田中康夫】勝谷誠彦がWEB日記で書いてるけど、皇太子批判の急先鋒は
「朝日」だよ(
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225)。
岩井克己という皇室番記者の編集委員がね、「気になるのは、憶測が広がり、
様々な人が傷つきつつあることに対して、皇太子ご夫妻からブレーキをかける
強い意志が感じられないことだ。両陛下が心を痛めていることや、自分たちが
務めを充分に果たしていないことについて率直にわびる言葉も聞こえてこない」
と言い切ってるの。雅子妃の心の痛みを増大させているのは誰なんだ(苦笑)。
秋篠宮と並んで「微笑む」紀子妃が映し出されるたびに問い質したくなるよ。
645 :名無しさん@七周年:2006/11/20(月) 02:06:23 ID:keJHol1H0
皇太子殿下を「クラウン・プリンス・ナル」などと茶化し、
ご夫妻を「番い」と呼ぶ。妃殿下の歯列矯正を公費で行なえ、などと不敬な
言葉を書き連ねる国賊・田中康夫
SPA! 1993年2月10日号 神なき国のガリバー 田中康夫
将来の「象徴」の妻なればこそ忌憚なき評論が繰り広げられるべきだ
が、当時のあの彼女たればこそ、プリンス・ナルは斯くも御執心なのだと伝え
聞き、この二人が“番い”となれば、喜ぶべき新局面が皇室に訪れる可能性高か
らん、と期待していた僕からすると、少なくとも、このところ彼女は、「二人の
為に世界はあるの」と信じて疑わぬ数多の妙齢女性と何ら変わらぬように見えて
きて、秘かにカッカリしてしまうのだ。
けれども、こうした両極の意見を開陳しているマスメディアは、皆無に近い。
記者会見に於ける帽子のアンバランスさ、という、恐らくは多数派を形成してい
るであろう声さえも、正に都市伝説として隠蔽されたままだ。皇室らしいファッ
ション、お似合いなファッションという当たり障りなき美辞零句が並ぶ。
成人を遥か昔に過ぎた齢の女性だ。仮令、周囲から帽子着用を献言されたにせ
よ、自身の意志によって最終的には被ることを選択した、と我々は看做すべきで
あり、仮りにそれが不釣合いであったならば、鋭くも今回、林真理子女史が慨嘆
したように、広言すべきなのだ。
http://ime.nu/www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060530190508.jpg
【両陛下と皇太子ご一家のみ天皇家 皇太子ご一家の敵対者は朝敵・国賊】
森暢平 週刊朝日2006.9.22
現在の皇太子がいずれ天皇になったとしても、秋篠宮は「皇太子」にはならない。
皇位は親から子へ継承するのが基本であり、「皇太子」とは、ときの天皇の
子供の中で最も順位の高い継承者(通常は長男)を指す。(中略)
秋篠宮は一度天皇家から出ており、「狭い意味の皇室」から見れば、「外の人」である。
皇太子の即位後に、新たな皇太子になることは絶対にないのだ。(中略) 繰り返すが、
秋篠宮家は本来的には天皇家の外にあり、身位がまったく異なる存在である。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:58:47 ID:XDSsRXbm0
>>128 部落問題を研究してるというのなら、部落民ではない証拠。
そもそも、部落開放同盟の前身ともいえる水平社は有馬頼寧侯爵が設立に尽力。牧野宮内大臣も、有馬の
部落問題に取り組む姿勢を「実に結構なことだ」と、賛同し、資金を援助した。
有馬頼寧の妻も皇族である北白川宮の出。
有馬は、皇室の藩屏である自覚から、部落差別を解消しなければ、との自覚から
の取り組みだった。
131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:09:24 ID:XDSsRXbm0
川嶋家のルーツは、実にハッキリしている。
もともとのルーツは、和歌山の豪商であった有田屋新九郎。
和歌山場のすぐ西には、有田屋が以前屋敷を構えていた由来から
有田屋町の地名が残っているほどの由緒ある家だ。
それはそうと、某お妃の実家のルーツはナゾに包まれているな。
結婚内定直後、そのルーツがマスコミに掲載されたが、その後
全く公にされない。
宮内庁が雅子妃の身元を調査してことについて、部落開放同盟が
猛抗議をしたそうだが。。。
132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 11:43:12 ID:sEYAr9HuO
>>131 朝鮮発祥のチッソの創立者名簿に江頭の名前があったと他スレで見掛けた。
妃の妹のダンナは創価学会関係の名簿に載ってるらしいし。
【両陛下と皇太子ご一家のみ天皇家 皇太子ご一家の敵対者は朝敵・国賊】
天皇陛下のお誕生日会見(平成16年)
天皇陛下のお言葉
『「時代に即した公務」が具体的にどのようなものを
指すかを示し,少なくともその方向性を指示して,
周囲の協力を得ていくことが大切だと思います。
2人が今持つ希望を率直に伝えてくれることによって,
それが実現に向かい,2人の生活に安定と明るさが
もたらされることを願っています。 』
天皇陛下のお誕生日会見(平成17年)
天皇陛下のお言葉
『女性皇族の存在は,実質的な仕事に加え,
公的な場においても私的な場においても,
その場の空気に優しさと温かさを与え,
人々の善意や勇気に働きかけるという,
非常に良い要素を含んでいると感じています。
その意味でも皇太子妃の健康が現在徐々に
快方に向かっていることは喜ばしく,
一層の回復を待ち望んでいます。 』
週刊新潮 (1996.6.20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 1
・天皇陛下が「前庭神経炎」という聞きなれない病気で、突如、ご静養されることになった。
・ある宮内庁関係者は陛下が一番心を痛めているのは、やはり秋篠宮殿下の一件だと
打ち明ける。
「川嶋教授が一人で御所を訪れたのは、四月二十一日の日曜日。秋篠宮殿下が、
まだタイをご訪問中の時でした。この日は午後三時から、陛下のプライベートな
アポイントメントが入っており、その相手が川嶋教授だったのです。
もちろんこれまでにも、川嶋教授は何度も御所を訪れて、両陛下とお話や会食を
されているのですが、この時ばかりはそんな和やかなものではありませんでした。
有体に申し上げれば、紀子妃殿下の父親として、秋篠宮殿下の女性問題を問い質
すため、御所に怒鳴り込んで来られたようなものですから」
教授が帰った後の陛下は、随分と沈んだご様子だったという。
・川嶋教授をよく知る学習院のOBは言う。
「考え方が西洋的というか、周囲の状況を気にせずに、自分の思った通りの
ことを言う方ですから、相手が誰であっても、その弁舌は全くひるまない。
それはおそらく陛下に対して同じで、何か言いたいことがあって御所に赴いた
としても、彼にとって相手が天皇であるという意識はなく、娘のご主人の親御
さん、という感覚なのだろうと思いますよ」
実際、川嶋教授が秋篠宮殿下ご夫妻に関して、陛下に言わば「苦言」と呈し
たことは、何も今回が初めてではない。
「それは遡れば、平成2年に秋篠宮さまと紀子さまがご結婚される前にもあり
ましたし、長女の眞子さまがお生まれになってからもありました。でも、それ
も結局は、いつも秋篠宮さまのわがままや自分勝手のため、紀子さまが辛い思い
をされているためで、火種は秋篠宮さまの方にあるんです」
と川嶋家に近い事情通はこう語る。
週刊新潮(96/6/20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 2
と川嶋家に近い事情通はこう語る。
「四月二十一日の件にしても辰彦さんが心配されて、“秋篠宮さまについて、
こういう報道があるが、どういうことなのでしょうか”と陛下にお尋ねになった
と聞いています。いくら皇室に差し上げたお子様とはいえ、それは父親として
当然のことでしょう。にもかかわらず、秋篠宮さまご本人はまったく気にして
いらっしゃらないのか、その後もご友人とのお酒の席で“ああ、ボクにはタイに
彼女がいるんだよ”と公言されたという話も伝わっています。記者会見では
笑いながら“夫婦喧嘩はしょっちゅうします”と話されていたお二人ですが、
本当は紀子さまの方が、かなり我慢されているんですよ」
たしかに、これでは陛下のご心痛も増すばかりだろう。
だが、仲には事態をさらに深刻に受け止めているムキもある。さるベテラン
皇室記者が語るには、
「このままでは秋篠宮ご夫妻の仲が、ますますギクシャクしていくのではないか、
という話は宮内庁職員や他の宮家でも、かなり以前から語られていることです。
巷間、言われているような秋篠宮殿下の浮気が原因かどうかはわかりませんが、
とにかくあのお宅は、家の前を通ると、殿下が紀子さまに向かって、外に漏れる
ぐらいの大声で“お前は何も分かってない。もう出て行け”という怒鳴り声が
聞こえるほどだそうです。紀子さまもたびたびお里帰りをされていますが、
このままでは英国王室の二の舞になりかねない、という声すら出ています」
週刊新潮(96/6/20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 3
元東宮侍従で教育評論家の浜尾実氏も、
「今回の陛下のご病気に関しては、詳しい症状などは分かりませんが、もし
ご公務のお忙しさに加えて、ご心労ということがあったとすれば、それは
秋篠宮さまのご行状がひとつの要因であるということは否定できません」
とこう話す。
「お小さい頃から、皇太子さまと秋篠宮さまはご性格も違って、皇太子さまが
転んで涙を浮かべて耐えているのに対して、秋篠宮さまはまさに天真爛漫と
いいましょうか、滑っては泣き、転んでは泣きという方でした。そんなお二人を
皇后陛下は同じようにお育てになりましたが、やはりそこは将来のお立場から
考えても、秋篠宮さまの方がずっとご自由であったのは事実です。しかし、
いつまでも天真爛漫というわけにはいきません。この前の晩餐会の件もそうですが、
あれなどは許されないことですよ。私としては秋篠宮さまは、どうもご公務より
遊んでいらっしゃることの方が多いように思えます。」
時には、皇籍離脱を口にして、やんちゃぶりを発揮してきた次男坊殿下だが
陛下のご静養をどう見ておられるのだろう。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
しかし、皇后さまは愛子さまの話を聞かれることはなかったのだ。
雅子さまは、喪中を理由に皇居を訪れなかった。
愛子さまは「遠足の疲れ」を理由に欠席された。
実に失礼なことで嘆かわしい(皇室評論家・松崎敏弥)
皇后さまは、がっかりされたことでしょう。
愛子さま、着袴の儀・元赤坂の東宮御所で
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20061111AT1G1002F11112006.html 12月1日に5歳の誕生日を迎えられる皇太子家の長女、愛子さまの着袴(ちゃっこ)の儀が
11日午前、東京・元赤坂の東宮御所で行われた。一般の七五三に当たり、皇室の
お子さまが初めて袴(はかま)を身につける儀式。
愛子さまは女官の介添えで濃い紫色の小袖と袴、紅色の袿(うちき)など平安装束の
童形(どうぎょう)服を身につけられた。儀式は皇太子ご夫妻が見守られる前で行われた。
童形服はお誕生時に天皇、皇后両陛下から贈られたもので、
愛子さまは皇居・宮中三殿に参拝し、天皇、皇后両陛下にあいさつされた。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
しかし、皇后さまは愛子さまの話を聞かれることはなかったのだ。
雅子さまは、喪中を理由に皇居を訪れなかった。
愛子さまは「遠足の疲れ」を理由に欠席された。
実に失礼なことで嘆かわしい(皇室評論家・松崎敏弥)
皇后さまは、がっかりされたことでしょう。
噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証
■小和田雅子をめぐる噂の数々
さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に
は常に男性の噂がつきまとってきた。
実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。
「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)
しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
愛子さま 「着袴の儀」に臨まれる<11/11 12:38>
http://www.news24.jp/70949.html 愛子さまは11日、一般の七五三にあたる「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨まれた。
着袴の儀は平安時代から皇室に伝わる儀式で、愛子さまは皇太子ご夫妻が見守られる中、
誕生の時に天皇・皇后両陛下から贈られた袿(うちき)と袴(はかま)を身に着けられた。
そして、前に進み出て皇太子ご夫妻に一礼し、儀式は終了した。
11日午前10時半、着袴の儀を終えた愛子さまは皇太子ご夫妻と一緒に皇居に向かわれた。
皇居では皇室の祭祀(さいし)を行う賢所で参拝し、その後、天皇・皇后両陛下に
皇太子ご夫妻とそろって挨拶(あいさつ)された。
噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。
「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問
題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパ
イプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」
(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
噂の真相 1996年7月号
秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁 @
都内にある秋篠宮の“隠れマンション”とタイ女性の接点とは・・・
コトの起こりはこの4月、来日したクリントン大統領を迎えての宮中晩
餐会に秋篠宮が欠席、単身でのタイ旅行を強行したことだった。しかも
このタイ訪問、秋篠宮のかねてよりの趣味であるナマズ研究を目的とした
完全なプライベート旅行。つまり、天皇、皇太子に次ぐナンバー3の皇族
がナマズ見物を理由に、国賓のもてなしというきわめて重要な公務をほっ
ぽりだした形の旅行だったため、これには普段、皇室に弱腰のマスコミか
らも批判の声が一気に高まったのである。
宮内庁担当記者が語る。
「秋篠宮殿下がクリントンの歓迎宮中晩餐会を欠席してタイに出掛けるこ
とは、閣議報告の前日の4月4日に発表されたんですが、途端に記者の間
から疑問の声があがりましたね。大谷茂宮務課長は(タイ訪問が)あらか
じめ決まっていたため日程は動かせなかった等、理由にならない理由を強
弁していましたが、報道陣は納得せず、一時、会見が紛糾したほど。実際
は宮内庁も秋篠宮の行動に困惑している様子がありありでしたよ」
もっとも、これだけなら単に「ナマズ好きが高じたわがまま」という
批判だけで片付けられたかもしれない。ところが、秋篠宮がタイに出発す
る1週間前に発売された『週刊新潮』(4/18号)が「秋篠宮殿下 度重なる
『タイ訪問』に流言蜚語」と題した特集記事を掲載。こんな噂を紹介した
のである。「殿下には結婚前から親しくしているタイ人の女性がいて、
その女性に会うためにタイに行くのではないか」
そして同誌は「相手は身分の高い女性で、エキゾチックなタイ美人」
「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていた」「今回の旅行だ
ってタイ女性とプライベートビーチに行くんだと聞きましたよ」等の周辺
コメントを紹介したうえで、「タイに親しい女性がいることは間違いない」
と断じたのだ。
実をいうと今回、タイ愛人報道が出た際の宮内庁周辺の反応は「まさか」
「信じられない」といったものではなく、「やっぱり」「殿下なら十分あ
りえる」といった声が大勢を占めていたのである。
噂の真相 1996年7月号
秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁 A
▼根強く囁かれる秋篠宮の女性関係の噂
実際、秋篠宮の「女性好き」「プレイボーイぶり」を物語るエピソードは
それこそ枚挙に暇がない。「居酒屋で隣り合わせた女性客をナンパした」
「独身時代、学友に『恋人は7人いる』と豪語した」などなど、だ。
中でも象徴的なのが、学習院大学時代のエピソードだろう。当時、
秋篠宮は「パレスヒルズテニスクラブ」というサークルを主宰しており、
キャンパスで気に入った女子学生を見付けたら、必ず学友に命じてこの
サークルに勧誘させていたのだ。そして、その勧誘された女性の一人が紀子妃だった。
当時の同級生がこう話す。
「この『パレスヒルズテニスクラブ』というのは、殿下の恋人選びの
ために作られたクラブだったんですよ。紀子様以前にも、複数の女性を
勧誘してアプローチしていましたし、紀子様が入ってからも、同時進行
していた女性がいたんじゃないかな。お二人が婚約した際、宮内庁は
『自然文化研究会』というサークルで顔を合わせているうちに親しくな
ったと発表していましたけど、おそらく体裁が悪いので嘘をついたんで
しょう。『自然文化研究会』なんてお二人が付き合いはじめた後に作っ
たサークルですからね」
秋篠宮のこうした女性関係の噂は紀子妃と結婚した後も、なくなること
はなかった。「もうひとりの学習院出身の女性がいて密かに付き合ってい
た」「一時期タカラジェンヌに夢中になり、深夜まで戻ってこず、警護官
が大慌てした」などだ。
実は3年前、ある週刊誌が秋篠宮のこうした浮気問題を記事化しようと
動いたことがある。その週刊誌とは他でもない、当時、美智子皇后バッシ
ングの中心的役割を果たしていた『週刊文春』だ。
「編集部は、当時、美智子皇后批判キャンペーンをやっていたんですが、
それが一段落したら次は秋篠宮の浮気の噂を追い掛けるつもりだったんで
すよ。ところが、宮内庁からの抗議、さらには社長宅に銃弾が撃ち込まれ
るという事件があって、皇室批判そのものができなくなって頓挫してしまったんです」(元『週刊文春』関係者)
噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証
また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所で
すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省
関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。
噂の真相 1996年7月号
秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁 B
そして、こうした噂の中でかなり以前からもっとも根強く囁かれていた
のが、今回報じられたタイ愛人疑惑だったのである。
実際、秋篠宮のタイへの執着は尋常ならざるものがある。好物はメコン
ウイスキーにタイ料理というのは有名な話だが、なんといっても驚かされ
るのはその訪問の頻繁さだ。
学生時代の85、86、87年に3年連続で訪問したのを皮切りに、
89年には1ヶ月以上滞在。結婚後も92年に2回、そして昨年も2回
訪れており、今回の訪問はこの半年で3度目になる。いかに日本の皇室が
タイ王室と関係が深いとはいえ、ここまでひとつの国ばかりに集中して
出掛けるというのは、例がない。しかもその大半は、妃を残しての単身
旅行なのである。これでは「タイに何かあるのでは」という憶測が飛び
かうのも当然だろう。
▼外務省職員や王女の名前も取り沙汰
実際、取材をすると、秋篠宮が結婚前から親しくしているタイの女性が
いるという話は、打消しようがないくらい多方面から聞えてくる。いやそれ
どころか、現地では何人かの具体的な名前まで取り沙汰され始めている
のだ。例えば、そのうち一人は、タイ外務省の東アジア課につとめる女性。
現地の特派記者が語る。
「彼女は日本の皇室関係者が来ると、必ずといっていいほど通訳をつとめ
ている外務省きっての日本通。逆に王族が日本に出かける際に同行したこ
ともありますし、日本の大学に留学した経験もある。もちろん、秋篠宮と
は以前から面識はありますよ。今回、マスコミの前では親しげな素振りは
なかったということですが、マスコミは24時間、すべての行動を把握し
ているわけではありません。一行はバンコク入りした後、北部のチェンラ
イという都市に移動。ズシタニホテルという一流ホテルに滞在していたん
ですが、ホテルの中での行動まではまったくわかりませんから」
また驚くべき相手も噂にのぼっている。
噂の真相 1996年7月号
秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁 C
タイの現国王・プミポンには三人の娘がいるが、その末娘であるチュラ
ポン王女と秋篠宮がきわめて親しい関係にあるというのである。
もしこれが事実なら、外交問題に発展しかねないような大スキャンダル
である。しかも、チュラポン王女といえば、秋篠宮が結婚した際、宮内庁
が結婚の儀に海外からの来賓は呼ばないという方針で臨んでいたにもかか
わらず、強引に出席を要求。とうとうごり押しして来日してしまうという
一件もあった。もしかすると、これも秋篠宮との特別の関係が原因なのだろうか。
本誌は独自取材で、もっとも可能性が高いと思われる女性をつきとめた。
▼秋篠宮が密かに通う超高級マンション
バンコク・ドンムアン国際空港近くにある国立カセサート大学。秋篠宮
が本格的にナマズ研究に夢中になり始めたのは、学習院時代、ここを訪れ
たのがキッカケだった。以来、秋篠宮はタイ訪問の際、必ずといっていい
ほど、ここに立ち寄り、昨年は同大学から名誉博士号を貰っている。
そして、秋篠宮のタイの愛人とは、どうやらこのカセサート大学付属
水産研究所の女性研究員らしいのである。この女性の年齢は20代後半。
いわゆるエキゾチック系の美人で、王族ではないが、名字にタイ特有の
王族を示す称号が入っており、王室とは縁戚関係にある。
同大学関係者が話す。
「彼女は数年前、プリンス・アキシノがナマズ研究のためにバンコクに
1ヵ月滞在した時、ずっとアシスタントをつとめていた女性です。以来、
二人は親しくなり、彼女はプリンス・アキシノが来るたびにアシスタント
に指名され、世話をつとめてきたようです。出会った当時は学生だった
彼女は現在、研究所の正式研究員になっていますが、学内でもプリンス・
アキシノのガールフレンドということで、かなり有名です」
今回のタイ訪問でも、マスコミレベルでは二人が会ったことは確認され
ていないが、秋篠宮は同大学付属水産研究所に立ち寄っており、密かに会
っていた可能性は十分ある。
噂の真相 1996年7月号
秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁 D
いや、二人が会っているのは、何もタイでだけではないようだ。実をい
うと、彼女は頻繁に日本にきて、秋篠宮と会っているという噂も流れている。
「彼女が日本にくると、秋篠宮は知人の持っているマンションに宿泊させ、
そこに通うという形をとるらしい。最近はあまり聞かないが、一時、そう
いう噂でもちきりになった時期がありました」(宮内庁関係者)
にわかに信じがたい話だが、『週刊新潮』の記事にも皇室評論家・河原
敏明のこんなコメントが載っている。
「結婚されて2、3年たったころ殿下と紀子さまの間で家庭内騒動があっ
たのですよ。何でもタイの女性が殿下を追いかけて日本に来たのが原因だ
という噂が流れました」
実は、本誌はまさにその2年前、ある奇妙な情報をキャッチしていた。
東横線沿いにあるバブル絶頂期に建てられた超高級マンション。その最上
階にある一室に出入りする秋篠宮の姿がかなり頻繁に目撃されているとい
う話だ。
「秋篠宮様がくると、SPの人が廊下に立っているのですぐわかります。
ええ、住人の間では、宮さまの借りている部屋として有名ですよ」
(マンションの住人)
しかも取材を進めていくと、このマンションを借りているのは、思わぬ
人物だった。その人物とは、秋篠宮のナマズ研究の師で、今回も含めた
タイ旅行には必ずといっていいほど同行している某国立大学教授。だが、
この教授は自宅は別に持っており、普段、この部屋にはまったく人気が
ない。それより何より、この部屋はワンルームとはいえ、専有面積が50
平米近くもある超豪華マンション。家賃は30万円は下らないといわれ、
どう考えても一介の国立大学教授がセカンドハウスとして借りられるよう
な部屋ではないのだ。
もしかしたら、このマンションは秋篠宮とタイ人女性との密会のために、
その教授がダミーとなって借りているのではないか。そして、カセサート
大学にいるという女性との密会の手引きもこの教授がやっているのではな
いのか・・・そんな疑惑さえ浮かんでくるのである。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
しかし、皇后さまは愛子さまの話を聞かれることはなかったのだ。
雅子さまは、喪中を理由に皇居を訪れなかった。
愛子さまは「遠足の疲れ」を理由に欠席された。
実に失礼なことで嘆かわしい(皇室評論家・松崎敏弥)
皇后さまは、がっかりされたことでしょう。
着袴の儀でも、また両陛下に迷惑をかけた皇太子夫妻@週刊新潮
噂の真相 1996年7月号
秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁 E
たしかに宮内庁・皇室周辺における秋篠宮の評判はあまり芳しいもので
はない。いや、芳しくないどころか、兄の皇太子に対する悪口がほとんど
聞かれないのと対照的に、この殿下は周囲から完全に浮き上がっているよ
うにさえ見受けられる。何しろ数年前、長く秋篠宮の世話をしてきた富士
亨宮務官が任期途中に突如退職した際、庁内では「殿下に愛想を尽かした
結果だ」といった陰口さえ飛びかったほどなのだ。
では、秋篠宮の何がそんな悪評を呼んでいるのか?宮内庁関係者が辛辣
に批判する。
「それはやはり、皇族としての自覚のなさでしょう。皇族として必要な
努力や勉強にはまったく無関心で、やるのは自分が興味のあることだけ。
しかも自分の欲求は周囲に迷惑をかけてでも、強引に押し通そうとする。
職員はいつも殿下のわがままにふりまわされっぱなしですよ」
たしかに秋篠宮は皇族としてはけっして優等生とはいえないだろう。
大学時代にはまったく勉強せず、成績はほとんど最下位。そのため、大学
側は秋篠宮と同じ学年に落第生を一人も出せなかったという逸話もあるほ
どだ。服装や生活も皇室らしからぬ派手なもの。若いときから髭をたくわ
え、ブランドものを身につけ、外車を乗り回す。皇太子家でさえ私有車は
雅子妃が嫁入りの際に持ってきたカローラだけなのに、秋篠宮はワーゲン
にベンツまで所有している。天皇制の根幹をなす宮中儀式などもおざなり
で、なんとブレスレットをつけて儀式に出席し、顰蹙を買ったこともある。
また、紀子妃との結婚も「若すぎる」という周囲の反対の声を強引に
押し切って強行したものだった。この時、秋篠宮が周囲に「結婚を認めて
くれないなら、皇族をやめる」とダダをこねたのは有名な話だ。しかも
この時は、昭和天皇の喪があけないうちに婚約の儀をすませるという、
前代未聞の荒ワザもやってのけている。そして、今回の宮中晩餐会を欠席
してのタイ行き強行、前述した女性問題・・・。
秋篠宮の派手な消費生活に我々の血税が使われているということは納得
しがたいし、その行動が自らの公的立場をまったく自覚していないもので
あることもたしかだろう。
噂の真相 1998年9月号
秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 1
▼宮内庁も寝耳に水の秋篠宮告白本
雅子妃懐妊の兆しもなければ、紀宮の結婚話も具体化しない。
もはや、女性週刊誌に話題を提供する力さえなくしてしまったかに見える
最近の皇室。だが、この「殿下」だけは例外のようだ。
2年前、タイ愛人問題で世間を騒がせたばかりの秋篠宮が、今度は単行
本出版で話題を集めている。6月29日、毎日新聞社から出版された
『秋篠宮さま』は発売以降、増刷に増刷を重ね、1週間で10万部を突破。
週刊誌やテレビもこぞってこの話題を取り上げた。
それも当然だろう。この単行本、表向きは同社の元宮内庁担当記者・
江森敬治による秋篠宮論という体裁をとっているが、実際は秋篠宮自身の
肉声が満載されている一種の「告白本」というべき内容なのである。
<私は昭和天皇というのが、別の世界にいる人のようなとらえ方をして
おりました。(中略)同じ家族という感じでは、接してなかったです>
<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけど・・・
(笑う)。勉強が大嫌いでしたから>
<結婚してから何人かの友人に、ビヘービア(行動)が少しよくなった
と言われます。お行儀というか、主にアルコールの話です。家内は、
私の酒とたばこを大変、心配しております>
他にも小さい頃、現天皇に怒られて池に放り込まれた体験、紀宮をいじ
めていたという話、さらには学生時代、ベ平連のイデオローグだった故・
鶴見良行教授と親交があったなど、興味深いエピソードが秋篠宮の口から
直接、次々と語られているのだ。そして皇族という自分自身の立場につい
ては、こんな感想まで登場するのだ。
噂の真相 1998年9月号
秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 2
<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、
それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたや
ってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう>
しかし、この単行本がマスコミを仰天させたのはこうした微笑ましい
エピソードや心境の吐露ということだけが理由ではなかった。同書の後半、
秋篠宮はこんな発言をしていたのである。
<私の小さいころでも、内舎人とか侍従の接し方が、必ずしも適切では
ない場合もあった。(中略)ことなかれということも、あったと思う>
<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配
りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというもの
を考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇
族や国民のニーズにどのように答えていくか、そのあたりをもっと考え
てもらいたい>
天皇家の一員がここまで露骨に、身内であるはずの宮内庁に不満をぶつ
けたというのは前代未聞ではないだろうか。
もちろん、秋篠宮は新聞記者の誘導尋問に乗せられてこんな勇ましい
発言をしたわけではない。版元の毎日新聞関係者が語る。
「著書の江森はたしかに宮内庁を担当していたことがありますが、スクー
プを狙うようなやり手記者ではないし、今は社会部からもはずされている
存在。秋篠宮とは個人的な友人なんです。なんでも夫人が紀子妃の父親で
ある川嶋(辰彦)教授の教え子だった縁で、秋篠宮と家族ぐるみの付き合
いをしているらしい。今回の出版ももともとは秋篠宮自身が言い出したこ
とであり、江森は秋篠宮に頼まれて書いたというのが真相です」
噂の真相 1998年9月号
秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 3
実をいうと、このタイ愛人報道の情報源は他でもない、宮内庁内部だっ
たのである。前出の宮内庁関係者が語る。
「今だから明かせるんですが、宮内庁の複数の職員が『週刊新潮』に情報
を流していたんです。彼らはオクではなくオモテの人物で、宮内庁内部で
は具体的な名前も判明しています。名前はいえませんが、課長補佐クラス
の人物も含まれています。『週刊新潮』に殿下と紀子妃が近所に聞こえる
ような声で大喧嘩をしていたというクダリがありましたが、あれだって、
秋篠宮邸に隣接して宮内庁の職員住宅があるからわかることなんです」
そういえば、一連の報道に対する宮内庁の対応は不可解きわまりない
ものだった。まず騒動のキッカケとなった宮中晩餐会の件。秋篠宮欠席の
理由をマスコミに追及された際、宮内庁は「意思を尊重し、熟慮の上、
不本意ながら決めた」と暗に秋篠宮のわがままであることをほのめかす
発表をしている。
愛人問題でも同様だ。『週刊新潮』がはじめてタイの愛人の存在を書い
たのは96年4月だが、宮内庁はその後、2ヶ月もの間、何の抗議もして
いないのだ。
こうして見ると、一連の秋篠宮批判報道に何らかの形で宮内庁の意思が
働いていたのは間違いないだろう。そして、秋篠宮はこうした宮内庁の
不可解な動きを知って、今回の単行本出版を決意した、そういうことのよ
うだ。実際、秋篠宮は同書の中でもタイ愛人問題に触れ、こう断じている。
<(宮内庁が)報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題
が大きくなったきっかけだと思われる>
前出の宮内庁関係者もこう語る。
「愛人報道の直後、秋篠宮殿下は江森さんら取り巻きの方々に宮内庁に反
論したいと相談され、最初、『週刊ポスト』に『匿名の側近が代弁する秋
篠宮の肉声反論』という記事を掲載したんです。その流れの中で、単行本
も作ろうということになった。最初はもっと早く出す予定が慎重に表現を
チェックしたりしているうちに、ここまでずれこんだということのようです」
噂の真相 1998年9月号
秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 4
ある宮内庁OBは苦り切った表情でこういう。
「宮内庁は秋篠宮殿下にはずっと手を焼いてきましたからね。とにかく
わがままで、皇族としての自覚がまったくない。宮内庁の困りものなんで
すよ、殿下は」
たしかに秋篠宮のこれまでの行状は、皇族というイメージからは程遠い
ものだった。学生時代はまったく勉強せず、成績はほとんど最下位。若い
ときから髭をたくわえ、ブランドものを身につけ、外車を乗り回す。一方、
皇族の責務といわれる宮中儀式などはおざなりで、ブレスレットをつけて
儀式に出席し、顰蹙を買ったこともある。
きわめつきは、紀子妃との結婚をめぐる経緯だろう。兄の皇太子がまだ
結婚していなかったこと、昭和天皇の喪が明けていない事情もあって、
周囲から猛反対を受けるのだが、秋篠宮は「結婚を認めてくれないなら、
皇族をやめる」とダダをこねて強行してしまったのである。
また「女好き」「プレイボーイ」を物語るエピソードにも事欠かない。
「独身時代、学友に『恋人は7人いる』と豪語した」「テニスサークルを
作って、お気にいりの女子学生を次々に入れさせていた」「結婚後も学習
院出身の女性と付き合っていた」等々・・・。
今回の単行本の中で秋篠宮はタイ愛人問題を<捏造>と完全否定してい
るが、実をいうとこれもけっして無根拠な噂ではない。
前出の宮内庁OBがこう話す。
「本の中で、夜は研究仲間とホテルで懇談しているだけでそんな時間はな
いとあったが、この『研究仲間』というのが問題なんです。秋篠宮殿下は
タイに行く際、ナマズ研究の師である多紀保彦・東京水産大学教授、タイ
政治の専門家である赤木攻・大阪外大教授、それから今回の本の著者であ
る江森氏ら個人的な取り巻きを必ずといっていいほど連れて行くんだが、
朝から晩まで彼らが殿下を囲い込んで、大使館や宮内庁関係者から遠ざけ
てしまうんです。彼らが協力すれば、ホテルに女性を連れ込むことなど
いとも簡単ですよ」
俺は保坂、高岡夫婦が一番と思うw
週刊朝日 2006年10月6日増大号
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7630.shtml 本当に「帝王教育」は必要か 成城大学専任講師 森 暢平
いまの皇太子さまも学習院に通う一方で、中国古典や歴代天皇の事跡について、
専門家の講義を受けた。幼少期から英会話を学び、乗馬の訓練もしている。教育
担当侍従だった浜尾実さんの著書によると、幼児だった頃、生まれたばかりの弟
(秋篠宮)がベビーベッドで寝ている時、
「アーヤ(秋篠宮の愛称)は泣いていいんだよね」
とつぶやいたという。「皇族男子は簡単に泣いてはいけない」と強く教えられ、
弟が叱られないかを心配した弁護だった。小学生になると、「水道で水を飲むと
きは、友人たちが終わってから」と最後まで順番を待つ忍耐を教えられた。
世間で想像される「帝王教育」とは、このように最高水準の教育によって、高
い仁徳と、広い教養が、涵養されるものというイメージであろう。
( 中 略 )
それでは、果たして、「帝王教育」の成果は表れているのであろうか。皇太子
さまに対する批判を考えてみればいい。「公務よりも、雅子妃の治療を優先して
いる」「日本を留守にして、オランダに15日間も出掛けるのは如何なものか」
「皇室に41年ぶりに男児が生まれたのに、登山にいそしんでいる場合だろうか」
……。
断っておくが、私自身、こうした批判にくみするつもりはない。病気の妻のた
めに、仕事よりも家庭を大事にしたとしても、道を外れているとは考えない。
ところが、皇室の伝統を何よりも重んじる人たちはそうは思わないだろう。
「小さい頃は、立派だった皇太子さまがどうして」と考える。なぜ、そう感じる
のかを考えれば、「帝王教育」というものが少し見えてくる。
噂の真相 1998年9月号
秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 5
しかも、秋篠宮はもうひとり、宮内庁にとって招かれざる人物をタイ
旅行に必ず同行させている。その人物とは、ソムチャイ・コシポンタンと
いうタイ人男性。
「コシポンタン氏は殿下がはじめてタイを訪れて以来、ずっと現地ガイド
としてすべてのタイ旅行に同行しています。もちろん宮内庁やタイ政府が
雇っているわけではなく、むしろ宮内庁は彼の存在に困っているんですが、
殿下が勝手に呼んでしまうんです。殿下のプライベートでのスケジュール
はすべて彼が仕切っていて、お忍びで色々な所に連れていったり、色々な
人間に会わせているらしい。彼はタイの警察にも顔が利く地元ではかなり
のヤリ手ですから・・・」(前出・宮内庁OB)
実際、89年の訪問で秋篠宮が一時的に行方不明になるという騒ぎが
あったが、これもコシポンタンが地元の警察に警備を依頼して、いわゆる
「売春窟」に案内していたという事実が判明している。
▼引き払われていた隠しマンション
実は秋篠宮が紀子妃と結婚してから2、3年後、タイの女性が日本にや
ってきて、隠しマンションで密会しているという噂が流れたことがあった。
しかも取材してみると、秋篠宮の姿が頻繁に目撃されているマンションがあったのだ。
この部屋は、渋谷区東1丁目にあるバブル絶頂期に建てられた「P」と
いうマンションの1511号室。部屋の前には「アジア魚類研究会」とい
う小さな表札がかかっていたが、いついっても人気はない。だが、住民に
聞いてみるとこんな答えが帰ってきた。
「秋篠宮様の姿はたまにお見かけしますよ。それに秋篠宮様が来ると、
SPの人が廊下に立っているのですぐわかります」
そしてこの部屋の借り主を調べてみると、なんと秋篠宮の側近であり、
パノム博士の恩師でもある多紀教授だったのである。
しかも不可解なことに、本誌がこの事実を96年7月号で報じた少し後、
この部屋は跡形もなく引き払われてしまっていた。
週刊新潮 2006年9月21日号 「皇室の危機」は終わらない
日本大学教授 百地 章
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 41年ぶりの親王ご誕生は、数年来続いていた、皇室の先行きを心配する声をか
き消し、一転、国民の間には楽観ムードが漂い始めているかに見える。が、親王
誕生というご慶事をもってしてもなお、皇室が直面する危機に大きな変わりはな
い。
まず、懸念される点として、皇太子ご一家をめぐる問題があげられる。特に、
長引く皇太子妃雅子さまのご病気が心配だ。次の皇后となられる方であり、一日
も早いご回復を祈念申し上げたい。
平成15年12月、静養に入られた雅子妃について、その翌年5月10日、皇太子殿
下が、
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあ
ったことも事実です」
と発言された。それが発端となり、国民の間では何が原因なのか。誰が悪いの
か。様々な憶測を呼んでしまった。
週刊新潮 2006年9月21日号 「皇室の危機」は終わらない
日本大学教授 百地 章
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 昨年12月に公表された医師団の見解では、「適応障害」と診断された同妃の病
は皇室にいることそれ自体が原因、とも読み取られかねない。もしそうであれば、
大変なことだ。
ご静養は今年12月で4年目に入る。まだ復帰の見通しは立っていないというが、
国連大学で研究され、外交に関するご進講は東宮御所でお受けになっているご様
子だ。
皇太子殿下はお一人で立派に公務を果たしておられる。しかし、国民の一部に
は、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻が公務でご多忙であるのに比べ、東宮家がそ
のお立場に相応しい公務をなさっていないのではないかとの疑問や批判がある。
天皇陛下は前立腺がんの治療中であり、皇后陛下も体調を崩されることが多い
にも拘わらず多忙なご公務をこなされている。ご静養が長引くにつれ、批判の声
が高まっていく恐れもある。
週刊新潮 2006年9月21日号 「皇室の危機」は終わらない
日本大学教授 百地 章
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 先月には、雅子妃殿下のオランダでのご静養に伴い、皇太子殿下まで2週間も
国内を留守にされた。天皇のご名代ともいうべき方が、私的な静養で海外に出ら
れた前例は、今まで一度もない。
もし、ご高齢の陛下が病気で倒れられるなど万一のことがあった場合、どうさ
れるのか。皇太子殿下には、くれぐれも慎重なご配慮をお願いしたい。
最も心配なのは、皇太子殿下や雅子妃に対する国民の批判が、皇室に対する尊
崇や敬愛の念を失わせ、国民統合の象徴である皇室にひび割れを生じさせかねな
いことだ。それだけは絶対に避けなければならない。
週刊新潮 2006年9月21日号 「皇室の危機」は終わらない
日本大学教授 百地 章
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ また、雅子妃殿下のご実家である小和田家の皇室に対するスタンスを疑問視す
る向きもある。
2年前の春、雅子妃が静養先に選んだのは、軽井沢にある小和田家の別荘であっ
た。このことに違和感を覚えた国民は少なくない。
昨年、女系天皇容認の報告書を提出した有識者会議では、妃殿下の父上、小和
田恒氏に近い人々が中心的役割を果たしていた。
例えば、この有識者会議を実質的に取り纏めてきたのは古川貞二郎・元内閣官
房副長官である。元通産官僚の八幡和郎氏が指摘しているように、元厚生事務次
官の古川氏は、元外務次官の小和田氏とほぼ同期に、事務次官会議のメンバーだ
った。さらに、小和田氏の妻、つまり妃殿下の母上と同じ佐賀県出身でもある。
これは、偶然の一致だろうか。
羽毛田信吾宮内庁長官は古川氏の元部下で、内閣官房内にある皇室典範改正準
備室の柴田雅人初代室長も厚労省出身である。また、この4月、東宮大夫に就任
した野村一成氏は、かつて小和田恒氏と駐モスクワ日本大使館で同僚だった人で
ある。
直接の部下ではなくとも、現在の宮内庁には、小和田氏に極めて近い人々が働
いており、女系天皇容認を画策しているのではないかとの疑念はぬぐいきれない。
週刊新潮 2006年9月21日号 「皇室の危機」は終わらない
日本大学教授 百地 章
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 消 え た 雅 子 妃 の「ご 会 釈」
雅子妃殿下について特に気がかりなのが、宮中祭祀のご欠席である。
一般には、皇室と祭祀についてはあまり知られていない。しかし、祭祀こそが天
皇の天皇たる所以、皇族の皇族たる所以と言っても過言ではないのだ。
8月14日、オランダへのご出発に先立ち、皇太子殿下はお一人で武蔵野陵に参
拝を去れた。潔斎で身を清め、長時間を神域で過ごすなど負担の大きい宮中祭祀
について、雅子妃のご出席が困難であることは理解できる。
しかし、潔斎などを要せず、比較的身軽な参拝であればご同行が可能だったの
ではなかろうか。
かつて第96代・後醍醐天皇は、天皇のあり方を、以下のお歌に詠まれた。
世をさまり 民やすかれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思ひなりけり
世が治まり、民が安穏であれと祈ることこそ、自分にとって尽きぬ思いなのだ
と―。
後醍醐天皇に限らず、歴代の天皇は、こうして無私の心で国民のために祈って
こられた。これは二千年の間、続けれれてきた皇室の伝統である。両陛下だけで
なく、皇室と国民の架け橋となる他の皇族方も、無私の祈りを続けられている。
片道十数時間をかけての外国への移動が静養のためなら可能であるのに、なぜ
数時間程度のご参拝ができないのか。これには私ならずとも、多くの国民の間に
釈然としない思いが残っているのではないだろうか。
八幡和郎 ← 皇太子妃及びそのご実家の小和田家を誹謗中傷する反日工作員
八幡和郎(徳島文理大学大学院教授)
「拉致問題なんて長い目で見ればたいした問題ではない」
http://blog.satohs.jp/200609/article_203.html 拉致問題なんて大した問題じゃない
数年前ならこのような発言も聞かれたかもしれないが、今日ほど拉致問題が
クローズアップされ、北朝鮮への圧力を加えようとしているさなか、公器の
テレビで堂々と発言した大馬鹿者が現れた。
テレ朝「スーパーモーニンク゜」(2006年9月28日)
小泉前総理の歴史的評価
100年後の教科書にどう書かれる
反日マスメディアの筆頭テレ朝は、小泉前総理が100年後の高校歴史教科書に載るか
どうかというナンセンスな視点を利用して、アンチ小泉のコメンテーターや学者を
総動員してけなし、安倍新政権への牽制球を投げた。 実にあくどい手法だ。
なかでも、「歴代総理の通信簿」の著者、八幡和郎(徳島文理大学大学院教授)は、
散々小泉前首相をけなした中で・・・
「拉致問題なんて長い目で見ればたいした問題ではない」 とまで言い切った。
許しがたい暴言だ!
さらに、新聞各紙の安倍人気が高いというリポーターの解説に続いて・・・
八幡
「安倍さんの人気のあり方は近衛文麿さんに非常に良く似ている。育ちが良くて
背が高くてハンサムで、親孝行な息子でそして愛妻家であると。
物ははっきり言うけれど、あり無茶はしないだろうと。近衛文麿さんもそうだった。
ところが実際にはふらふら、ふらふらおよそ考えられない馬鹿なことをやった。後で後悔する。
安倍さんの場合もやっぱり本人が人生経験であるとか苦労だとかを知らない。
そのなかで妙に思い切った事をふぁっとしてしまうことを心配している。
だから、何にもしないことがかえっていいかも知れない」
勝谷誠彦の××な日々。
http://diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20050223 ■2005/02/23 (水)
4時起床。皇太子殿下の御年はそのまま私の年齢であってお誕生日の会見と
聞いて自分も今年45歳になるのかと思う。そしてお言葉の内容を精読するに
つれてもただ馬齢を重ねた私などとはちがいなんと深い思索と配慮に満ちた
魂をお持ちになるに至られたかと頭が下がるのである。
http://www.asahi.com/national/update/0223/006.html及び http://www.asahi.com/national/update/0223/007.html。軽薄なメディアは
<皇太子さまおわび>などと伝えるがせっかくのお言葉をかかる愚劣な読み
方しかできない国民をもたれた殿下に私は心からお詫び申し上げる。おそら
くは殿下が<天皇、皇后両陛下にご迷惑をおかけしましたことを申し訳なく
思っております。また国民の皆さんにもご心配をおかけしました>とおっし
ゃられたことを差して<おわび>と言っているのだろうがこれは発言そのも
のが巻き起こした波紋に対するお言葉である。それもご両親と国民に対して
それぞれまことに言葉を選んでおられる。波紋の根幹にある雅子妃殿下をめ
ぐる出来事とその評価については実は今回も殿下の発言はいささかもブレて
はいない。<昨年の私の発言は、雅子の状況を国民のみなさんに知って頂き
たいと思ってしたことです>。むしろそれが確信的な発言であり国民に忘れ
てはならないと念を押しておられるのである。殿下のファイティングポーズ
はいささかも崩れてはいない。お言葉の端々に具体的な課題を明示しながら
ご自身としての皇室のあり方を勝ち取ろうとしておられるのだ。その姿勢は
まことに昭和天皇に似ておられる。
88 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/22(水) 01:08:38 ID:COayK/2r0
あるザイがむかし、「夫婦そろってハーフだ。」って言ってたぞ。
642 :名無しさん@七周年:2006/11/20(月) 02:01:51 ID:keJHol1H0
勝谷誠彦の××な日々。
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225 ↑
元週刊文春の記者。
捏造記事をもとに美智子皇后バッシング。
皇后陛下を失語症に陥れた張本人!
その文春の美智子皇后バッシングを批判し、三流ゴシップ雑誌からご皇室
を守ったのが朝日。
岩井克己「天皇家の宿題」参照。
かつて捏造記事をもとに皇后陛下を失語症に陥れた勝谷、お前がエラソーな
ことぬかすな!
勝谷誠彦→イラクで人質となった日本人三人組を「自作自演」だとテレビ
番組で暴言を吐いて大恥かいた電波芸者wwwwwwww
元通産エリート官僚で小和田親子の悪評ぶりを身をもって知っている
八幡と電波芸者の勝谷なんかを同列に扱うなよwwwwwww
645 :名無しさん@七周年:2006/11/20(月) 02:06:23 ID:keJHol1H0
皇太子殿下を「クラウン・プリンス・ナル」などと茶化し、
ご夫妻を「番い」と呼ぶ。妃殿下の歯列矯正を公費で行なえ、などと不敬な
言葉を書き連ねる国賊・田中康夫
SPA! 1993年2月10日号 神なき国のガリバー 田中康夫
将来の「象徴」の妻なればこそ忌憚なき評論が繰り広げられるべきだ
が、当時のあの彼女たればこそ、プリンス・ナルは斯くも御執心なのだと伝え
聞き、この二人が“番い”となれば、喜ぶべき新局面が皇室に訪れる可能性高か
らん、と期待していた僕からすると、少なくとも、このところ彼女は、「二人の
為に世界はあるの」と信じて疑わぬ数多の妙齢女性と何ら変わらぬように見えて
きて、秘かにカッカリしてしまうのだ。
けれども、こうした両極の意見を開陳しているマスメディアは、皆無に近い。
記者会見に於ける帽子のアンバランスさ、という、恐らくは多数派を形成してい
るであろう声さえも、正に都市伝説として隠蔽されたままだ。皇室らしいファッ
ション、お似合いなファッションという当たり障りなき美辞零句が並ぶ。
成人を遥か昔に過ぎた齢の女性だ。仮令、周囲から帽子着用を献言されたにせ
よ、自身の意志によって最終的には被ることを選択した、と我々は看做すべきで
あり、仮りにそれが不釣合いであったならば、鋭くも今回、林真理子女史が慨嘆
したように、広言すべきなのだ。
http://ime.nu/www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060530190508.jpg
ウヨだかサヨだかが荒らし放題だな。
こいつのプロバイダーがたDIONじゃない事をねがうよ。
「おめでとう雅子さま」(Yomiuri Weekly臨時増刊5/15)
各界著名人が贈る「おめでとう」より
田中康夫長野県知事
国体でリラックスのお二人
「皇太子妃殿下のご懐妊の報に接し、心よりお喜び申し上げます。
この2月の飯山国体の時に、お二人がとてもリラックスなさって
お語らいになっていらっしゃるのを拝見し、大変仲むつまじく、
とても喜ばしいことだと感じておりました。元気なお子さまが
授かりますことをご祈念申し上げます。」
■大反対だった皇室がキコ&鯰の結婚を許可せざるをえなかった事情
以下は「★=事実」「☆=都市伝説または類推」をつないだ仮説
キコさん中絶(☆2回と言われている)→★川嶋教授、皇室に怒鳴り込む
→ ☆娘を傷物にして、B差別ゆえに結婚に反対するのかと両陛下を脅す
→ ☆裏に街道がいて、皇室が断ったら騒ぐ手はず
→ ☆それを川嶋教授懇意の朝日新聞記者が記事にする手はず
→ ☆両陛下&皇室降参 →★朝日新聞が婚約をスクープ →★既成事実で婚約成立
→ ★キコ、おかげで婚約できたと朝日新聞社を御礼訪問
→ ★朝日記者は狂喜してキコにフカヒレラーメンをご馳走する
→ ☆以後、朝日とキコは強固に癒着。キコから東宮叩き情報ざぶざぶリーク
→ ★朝日新聞とその系列雑誌には秋篠宮礼賛記事、東宮叩き記事しか載らない
(朝日新聞は、皇室関係の大スクープ記事を連発している)
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
【田中康夫】仰るとおり。紀子スマイルとやらに秋篠宮だけでなく天皇
・皇后 夫妻も“なびいてしまっている”のは、いやはや、何ともだ。
皇太子妃の古巣である外務省なんかじゃ、父親が事務次官だったことも
含めて、いまだに嫉妬が渦巻いているみたいだしさ。しかも、宮内庁記者
クラブも、怪しからん話だけど、皇太子夫妻に対して冷たい。気の毒だよね、ほんとうに。
【田中康夫】勝谷誠彦がWEB日記で書いてるけど、皇太子批判の急先鋒は
「朝日」だよ(
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225)。
岩井克己という皇室番記者の編集委員がね、「気になるのは、憶測が広がり、
様々な人が傷つきつつあることに対して、皇太子ご夫妻からブレーキをかける
強い意志が感じられないことだ。両陛下が心を痛めていることや、自分たちが
務めを充分に果たしていないことについて率直にわびる言葉も聞こえてこない」
と言い切ってるの。雅子妃の心の痛みを増大させているのは誰なんだ(苦笑)。
秋篠宮と並んで「微笑む」紀子妃が映し出されるたびに問い質したくなるよ。
723 :朝まで名無しさん :2006/11/19(日) 04:40:00 ID:vm2+eikM
変態の独身者に比べれば、いかなる皇族も健全によくやってるよ。
力を合わせ、離婚もせずに円満で子を作り。妾も儲けずに。
ところで「公人」である田中康夫の私生活の方はどーなんだ?w
そっちのほうが気になるぞ?
724 :朝まで名無しさん :2006/11/19(日) 05:02:35 ID:vm2+eikM
変態の独身者、田中康夫の肩書きって一体なんなんだ?代表作は。
文学者としてのキャリアは皆無といっていい。誰か彼の小説でも読んだのか?
ルポライター?コラムニスト?活動家?
本職が聞いたら真剣に怒るレベルだろ。
こいつは一体何か、そーだよ「転がし屋」。左翼ころがしという新手だが。
自分を肩書きとして周りを転がす詐欺師。よくあるペテンの手法だ。
注意しなければならないよ、この手合いってw
725 :朝まで名無しさん :2006/11/19(日) 08:33:42 ID:b75qx55x
変態の独身者、田中康夫って、雅子さんと何か関係があるんですか?
726 :朝まで名無しさん :2006/11/19(日) 08:38:05 ID:sJKodxtR
雅子みたな1980年代臭い女が好きなんでねえの?>田中
727 :朝まで名無しさん :2006/11/19(日) 09:43:15 ID:xaA9vZsZ
1980年代女性って一時期ブームだったな。
最近、写真週刊誌で見た山口百恵は
頬がたれて小太りで、その辺のおばちゃんと変らなかった・・・
年月は残酷だな。
■キコの従兄弟(川嶋教授の弟の息子)は破廉恥な詐欺師(1)
週刊文春2006年3月2日号より抜粋その1〜「皇室関係の建築士だから信用したのに」
「暖房が全く効かず、あまりの寒さに凍えそうでした。しかも家のいたるところで結
露がひどく、 窓ガラスや壁は水が流れているような状態で、そのうち家中でカビが
発生するようになった〜中略〜
『断熱材は工事料金に含まれていないから、別料金で断熱材を入れることになるし、
サッシを交換 するのも別料金を払ってもらう』といわれたんです。
私は耳を疑いました。あれだけ断熱材はしっかり入れて欲しい、サッシは結露を防
ぐペアガラスのサッシにして欲しいと、具体的な要望を出していたにもかかわらず、
Aさんは全く聞いていなかったんです。
しかし住み始めた以上、生活のできる家にすることが先決と考え、Aさんの言うこと
を聞いて、Bさんに五百五十万円の追加料金を払って補修工事をしてもらったんです」
翌01年の夏には逆に冷房が全く効かないばかりか、カビが大繁殖。子供が急性気管
支炎にかかったという。「その後も補修工事をしたにもかかわらず、冷暖房は効かない
し、結露もカビも収まらない。子供たちも気管支炎や肺炎で入退院を繰り返すようにな
って、私たち夫婦も堪忍袋の緒が切れました。もうAやBに任せておけないと、別の業者
に調査をお願いしたんです」
その調査の結果、「原田邸」の床下には断熱材が全く施工されていなかったばかり
か、結露を防ぐペアガラスがほとんど使用されていなかったことが判明。その他にも建
築確認図書に記載されている工法が実施されていない箇所や不良施工がいたるところで
発見され、ガス管に釘が打ち付けられ、ガス漏れしている箇所まで見つかったというの
だ。そしてこの間、驚愕の事実が明らかになった。
■キコの従兄弟(川嶋教授の弟の息子)は破廉恥な詐欺師(2)
週刊文春2006年3月2日号より抜粋その2 〜「皇室関係の建築士だから信用したのに」
「あまりに欠陥が見つかるので、私はAさんに『建築確認書類を見せてくれ』と要求し
たんです。ところがAさんが出してきた『確認済証』の添付書類の中に私が見たことのな
い『委任状』が含まれていた。それには、私が知らない『C』という一級建築士の名前が
書いてあり、その下には、私が決してした覚えのない私のサインが書かれ、三文判が押
してあったんです。そこでAさんを問い詰めたところ、初めてAさんが一級どころか、二
級や木造の建築士免許すら持ってないことが分かったのです」
つまりA氏は無資格者であるにもかかわらず、原田さんと「設計管理業務委託契約」を
結んでいたというのだ。 〜中略〜 「A氏の『設計管理業務』に従い、実際に原田邸の建
築を手がけたB氏も実は無許可の建築業者だった。無許可業者が鉄筋コンクリート造り、
千五百万円以上という『原田邸』レベルの建築工事を請け負うという行為も建築合法で
禁止されている犯罪行為。つまり彼らは二重、三重の犯罪を重ねていたのです」
--------------------------------------------------
【解説】
この詐欺事件の報道直後、宮内庁から報道自粛の要請(※)があり、その後、本事件の
続報は出ていない。文春一誌のみで他のメディアでの報道もない。言論統制が行われた
と見るべきでは? メディア論を専門とする方々の見解を知りたい。
※)「文仁親王(秋篠宮)妃殿下ご懐妊について 〜皇室医務主管記者会見要旨」
〜順調なご出産をお迎え頂くためには,身体的にも精神的にも安寧で健やかな日々をお
送り頂くことがもっとも大切なことであります。そのような観点から,報道関係者の良
識と配慮を期待します。 (平成18年2月24日:宮内庁)
http://www.kunaicho.go.jp/akishino/hidenka-h18-02.html#kunaichochokan
噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡!
ところがそんな中で、唯一、タブー的な存在とされている人物がいる。
雅子の母方の祖父・江頭豊のことだ。今も健在で、雅子や恒夫婦と同じ
敷地内に住んでいるにもかかわらず、妃決定以降、ただの一度もマスコミ
に姿を見せたり、声を聞かせたことはない。まるで幽閉されているかの
ように、である。
それもそのはずである。周知のようにこの祖父・江頭豊こそ水俣病を
タレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦
浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在
が最大の理由だったといわれている。
「当時、宮内庁幹部も我々報道陣に係累にチッソ関係者がいるのはま
ずいとはっきり口にしていた。全国各地を回らねばならない皇太子夫妻が
熊本に行けなくなる、とね。また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬
に反対していたようで、一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部
を『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたとい
われているほどです」(宮内庁担当記者)
実際、八八年のはじめ、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チ
ッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、
後に富田自身も認めているほどだ。
噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡!
ところがそれから五年、あれほど問題視されていた公害企業元社長の孫である
小和田雅子は再び妃候補に浮上し、今度はそのまま皇太子妃に決定してしまった。
そして、宮内庁は内定に際し、自らこのチッソ問題をこう説明したのである。
「江頭氏は社長といっても水俣病が発生した後に日本興行銀行から派遣されたも
の。公害病発生とは無関係で責任はない」
「水俣病は既に和解が進んでおり、解決済み。地元でもチッソについて悪い反応
はなくなっている」
宮内庁担当記者はこうした宮内庁の手のヒラをかえしたような“声明”に対し、
以下のように“解説”する。
「宮内庁は今回、チッソの件をクリアするために、マスコミを利用して先手を打った
フシがある。管野弘夫東宮大夫や山下和夫東宮侍従長が内定前から、記者相手の
ブリーフィングなどでしきりに『江頭氏に責任はない』ということを強調してい
た。中にはこちらが質問している訳でもないのに、向こうからチッソのことを
持ち出し、わざわざ水俣病といかに無関係かを説明する幹部もいたほどです。さら
には藤森昭一宮内庁長官が、会見で正式に『(江頭氏に)法的責任がないこと
が判明した』と言明したのも異例中の異例でしょう。
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 1
軽井沢で目撃された「異変」
8月4日午後3時半ごろ、旧軽井沢にある「軽井沢会テニスコート」
でのこと。観覧席の最上階で、友人数名と地元のテニス大会を観戦して
いた秋篠宮文仁殿下(30歳)は、ふいに席を立ち、ひとりでコートに出て、
宿泊先の万平ホテルに歩いて帰り始めた。
同じテニスコート敷地内の、すぐ目の前のクラブハウスでは、紀子様(29歳)
が一生懸命にふたりの子供の面倒を見ている、通常の仲の良い夫婦であ
れば、帰りしなに子育てに忙しい妻に、ひと声いたわりの言葉をかけて
もよいところだろう。だが、殿下は紀子様や愛娘の様子を見ようとも
せず、声もかけなかった。
紀子様もまた、殿下のほうを見ようとしない。残された紀子様と
子供たちがホテルへ引き上げたのは、それから小1時間も経ってからの
ことだった。
8月2日から7日まで、秋篠宮家が静養に訪れた軽井沢では、ご夫妻
が一緒にいるところはほとんど見られず、別行動をとる光景ばかりが
あちこちで目撃されている。
「秋篠宮殿下と紀子様の仲がしっくりいかなくなっている」
こうした情報が盛んに流れたのは、すでに4ヶ月も前のこと。4月に、
秋篠宮殿下がクリントン大統領歓迎の宮中晩餐会を欠席し、タイに私的
なナマズ研究旅行に出掛けたのが発端だった。
「タイに行くのは親しい女性に会うためだ」と、秋篠宮殿下の不倫疑惑
を取り沙汰する噂がさかんに流れた。噂のなかには、相手の女性について、
「タイ人でナマズ研究のアシスタント」「タイ政府の高官の娘で通訳を
務めている女性」などと、具体的に名指しで語られたものもある。
少なくとも戦後日本で、これほど皇族が明白な批判に晒され、さらに
女性問題の噂が露骨に報道されるのは前代未聞であろう。噂は、皇室、
および宮内庁を震撼させ、いまもくすぶっている状態なのである。
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 2
「このままでは、殿下にまつわるスキャンダルがどんどん噴出して
収拾がつかなくなる」
こう危惧するのは、自民党の元重要閣僚である。
「首相官邸には、殿下の女性に関する情報は途切れることなく入ってき
ていた。官邸では、殿下はご結婚が早すぎたのではないか、との危惧の
声まであがっている。殿下は普通の男なら遊びたい盛りに、紀子様とご
結婚して2児の父になり、いまや皇室の幸せな『親子像』を象徴する
役割を一手に担うようになった。もともと奔放な性格の殿下だけに、
そうした役割が重荷になっているのではないか」
理想の夫婦、理想の家族を象徴していたはずの秋篠宮家が、まさに
グラグラと揺れているというのである。
それにしても、秋篠宮殿下の訪タイは、学習院大学の学生時代の85年
8月に初めて訪れて以来、実に9回に及ぶ。しかも、本誌の取材では、
これ以外に数回の隠密旅行があるとの証言すらある。訪タイのなかには、
新婚旅行を含めて紀子様同伴のこともあるが、多くは単身での訪問。
89年には1ヶ月滞在したほか、過去1年間では3度もタイを訪れている。
なぜ、秋篠宮殿下は、繰り返し、繰り返し、タイに出かけるのか。
宮内庁を通じて示される訪タイの理由は、その都度、「私的なナマズ研究旅行」というもの。
ホテルを脱出してソープランドを視察
しかし、タイで殿下の警護にあたる駐タイ日本大使館関係者から聞こ
えてくるのは、思いきり羽根を伸ばす殿下の行動に対する不満だ。
「殿下のタイでの行動には、警護の者は困惑することが多いようです。
スケジュールを突然、変更したいといったり、とにかく行動が突発的で
予想が付かないため、大変だとボヤいていましたよ」(全国紙バンコク特派員)
タイの日本大使館関係者から不満が上がるのは、殿下のスケジュール
管理をタイ政府が仕切り、日本側の裁量が及ばないからである。
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 3
また、殿下のタイご訪問には、毎回必ず日本から殿下と親しい学者た
ちがピッタリと寄り添って同行する。そして、彼ら同行学者たちは、ま
るで殿下を囲い込むかのように常に行動を共にする。特に殿下に近しい
のは、東京水産大学元教授・多紀保彦氏とタイの政治事情に詳しい大阪
外国語大学教授・赤木攻氏。
「多紀さん、赤木さんは、ホテルで宿泊するときも殿下のすぐ隣の部屋
を占め、しばしば殿下の部屋に行って、深夜までお酒を飲んだりしてい
る。そうした場でどんなお話をしているのか、殿下がどんな振る舞いを
しているのか、日本大使館員にはわからないんです」(前出・特派員)
こうした、日本大使館の目が届かないなかで、89年には秋篠宮殿下は
タイ北部の町・ピサヌロークで、「行方不明」になり、大使館員たちが
パニックに陥ったこともあった。
この殿下の行方不明事件は、表向きはホテル内のディスコを見学に
いった、ということにされている。が、実際に殿下が出かけていたのは、
同町にある「ソープランド」だった。
タイ人ガイドで、殿下のタイ旅行には必ず案内役として付き添うとい
うソムチャイ・コシタポン氏が前もって地元警察に警備を依頼。店に
連絡して貸し切り状態にして店内を見せて回ったのだが、日本大使館員
たちは、突然、殿下を見失い、大騒ぎになっていた。
ナマズ研究にも、日本の外務省はじめ政府関係者のなかには眉をひそめる者もいる。
「気に入ったナマズを見つけると、すぐに持って帰るといってきかない。
研究熱心なのは結構だが、あれほど自分を通されては、周囲は振り回さ
れるばかりだ。また、殿下は私的な調査旅行のつもりでも、タイ国では
『国賓』としてもてなされるし、ナマズ調査も外交の一環としてみなさ
れるんです。タイに恋人がいるという噂が流れるのも、殿下の振る舞い
を快く思っていない人もいるからでしょうし、自重していただかないと
困るのです」(前出・元重要閣僚)
噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡!
■江頭チッソ社長の“犯罪性”
江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、そんな渦中
の一九六二年のことである。そして六四年には副社長、同年暮れには社長
に昇格した。
公害発生時にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおり江頭には
「法的責任」はないのかもしれない。むしろ、江頭は水俣病問題の処理の
ためにメインバンクの興銀から送り込まれたカタチになっている。
しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題なのだ。それはど
う考えても「解決努力」などとよべるシロモノではなかった。
そもそも、江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自らの
工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったので
ある。前述した熊本大学だけでなく、厚生省水俣食中毒部会までが「原
因は有機水銀」との答申を提出。胎児性水俣病までが発見され始めてい
たのにもかかわらず、である。
そして、先の「見舞金契約」をたてに患者といっさい交渉をもとうと
しなかったのはもちろん、驚くべきことに江頭チッソはそのまま六六年
まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けたのだ。排水を完全循環方式に
改良して、水銀放出をストップするための費用は五○万円。こんなわず
かな金を出し渋って、である。
「法的責任がない」どころではない。少なくとも六二年から六六年ま
での四年間については、江頭自身が殺人行為に加担していたことは動か
しがたい事実なのである。
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 4
いっぽう、紀子様は、どんな気持ちで殿下の「奔放な行動」を見つめているのか。
殿下と紀子様の関係を語る際にしばしば引き合いに出されるのは、宮
内庁担当記者の複数が打ち明ける、次のような有名な「伝説」である。
「92年の夏、赤坂御用地内のグラウンドで宮内庁職員と天皇家とで親善
ソフトボール大会が開かれたが、秋篠宮殿下は、ゲームに参加せずに、
応援席で昼間からビールを次々に空けていた。酔っぱらって、女性職員
をからかう秋篠宮殿下を見て美智子皇后が一度たしなめたが、殿下はや
めない。皇太子殿下がみるに見かねて注意したら、秋篠宮殿下が、
『そんなに堅いことばっかりいって』と、皇太子殿下に言い返したとい
うんです」(全国紙元宮内庁担当記者)
温厚な皇太子殿下の顔色がサッと変わり、その表情の険しさに周りは
息を呑んだ、という。
すかさず紀宮様が「(お兄さん)やめなさいよ」と割って入り、なん
とか収まった。ところが、紀子様はすぐ横にいたにもかかわらず、秋篠
宮殿下をたしなめるでもなく、見ているだけだった、という。
また、現在は会社員の学習院時代のご学友は、学生時代の縁戚での次
のようなエピソードを打ち明ける。
「殿下を囲んで友人同士の飲み会があり、そこで友人のひとりが酔って
殿下に絡んだんですよ。その男は、紀子さんに横恋慕していて、当時す
でに紀子さんと付き合っていた殿下の前で不愉快なことを並べたてた。
そうしたら、殿下はいきなりその男につかみかかって、平手打ちを食ら
わせたんです。みんな目を丸くしたんですが、同時に、ああ、紀子さん
のことが本当に好きなんだなと感じました」
「不仲報道」のひとつの根拠とされているのは、秋篠宮家でしばしば
激しい夫婦喧嘩があるというものである。
女性セブン(96/9/3)
紀子さまショック! 秋篠宮殿下、「ソープ見学」が発覚! 1
ささやかな軽井沢の休日。だが帰京後の秋篠宮家に思わぬ騒ぎが待っていた。
秋篠宮さまがタイ訪問の折、ソープランドを“社会見学”したという
“冒険”談がある男性週刊誌に報道されたのだ。
学習院大学の学生時代から何回もタイを訪問されている秋篠宮さま。
この“冒険”は89年、23才のときのことだという。場所はタイ北部の町
ピサヌローク。秋篠宮さまはここで『行方不明』になったが、行った先
がソープランドだったことが発覚したというのだ。
ミラー越しに女性をご覧に
タイのソープランドは通称“熱帯魚の水槽”。マジックミラーの向こ
うにヒナ段になった大部屋があり、胸に番号札をつけたソープ嬢がズラ
リと並んで座っている。
客からは見えるが、彼女たちには客は見えない。客は好みの女性を選
んで番号で指名し、店内の個室かホテルの自室で、即席の恋愛をする。
話の出所は、秋篠宮さまの通訳でもあり友人でもあるバンコク在住の
ソムチャイ・コシポタン氏だという。
同氏は日本の上智大学を卒業したタイのエリート。
秋篠宮さまの初めての訪タイ(85年)にガイドを務めていらい宮さまの
信頼を得て、訪タイのときは必ず行動を共にしている。
「ソープランドのことは“殿下が羽を伸ばせるのは、宿泊ホテルの中く
らいしかない”という例として、オフレコで話したことなんです。
が、記事になってしまって困っています」
と当惑しながら、実態をくわしく話してくれた。
「室内に落ち着かれて、備えつけの館内案内のパンフを殿下と見ており
ましたら、地下1階にディスコとソープランドがあることを知りました。
殿下もまだお若いときですし、私が“ディスコやソープランドがあり
ますね、社会勉強にごらんになりますか?”とおたずねすると、“ああ、
見てみたいね”と気軽におっしゃって・・・」
女性セブン(96/9/3)
紀子さまショック! 秋篠宮殿下、「ソープ見学」が発覚! 2
この話を聞いて、驚きの表情を見せたのは、元東宮侍従の浜尾実さん。
「とても信じられないことです。かつて皇族の方がそういう所へいらっ
しゃったという話は聞いたことがありません。たとえ社会見学でも、そ
んなところへいらっしゃる必要があるのでしょうか」
皇室ジャーナリストの大久保利美さんも、
「次男坊殿下として自由奔放なところがあるので注目されているし、と
かく誤解されやすい。たとえ社会見学といっても、ソープランドの見学
はやはり軽率だったのではないですか」
と批判的。
淡水魚の研究で秋篠宮さまと研究仲間である某氏はこんな見解を寄せた。
「これは殿下の昔の“武勇伝”として、研究仲間はみんな知ってること
なんですがね。農民が農業の合間に淡水魚を捕っているんですが生活は
貧しい。都会の歓楽街のソープランドで働く女性たちの多くは、地方の
娘たちなんです。“両親に家を建ててやりたい”などの動機で、性風俗
店で働く女性たちの姿を見ることは、滅び行く大ナマズのバックボーン
を知るうえで、いいことかもしれません」
しかし女性の立場から見ると、この行動は果たしてどうだろうか。
89年というのは、秋篠宮さまと紀子さまの婚約発表の年だった。
婚約者が“社会見学”と称して“性”を金で売るソープランドの店内へ。
これがショックでないはずはない。
秋篠宮さまもすでに30才。
いままでのことはともかくも、もうそろそろ“武勇伝”はご卒業を。
116 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2006/08/24(木) 23:11:05 ID:u3aJ/kaY
>>113 雅子さんの先祖については、マスコミやジャーナリストがかな
り突っ込んで調べているの。彼らがあらゆる情報網を駆使して
それでもわからない、ということ。ここが問題なんだと思う。
もっとも現在の行状に比べればなんてことない、ちっぽけな問
題に過ぎない。
117 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2006/08/24(木) 23:11:55 ID:GNTkz5Yu
>>113 戦災で焼けたって親族死亡してたって除籍簿など記録は残っているよ。
探そうと思えば遡れるよ。
ここの人達は小和田家のあまりの極悪非道ぶりの謎を求めて
色んな原因が気になってるの。そのひとつが家柄なの。
個々が差別感を持っているわけじゃないのよ。
八幡和郎 ← 皇太子妃及びそのご実家の小和田家を誹謗中傷する反日工作員
八幡和郎(徳島文理大学大学院教授)
「拉致問題なんて長い目で見ればたいした問題ではない」
http://blog.satohs.jp/200609/article_203.html 拉致問題なんて大した問題じゃない
数年前ならこのような発言も聞かれたかもしれないが、今日ほど拉致問題が
クローズアップされ、北朝鮮への圧力を加えようとしているさなか、公器の
テレビで堂々と発言した大馬鹿者が現れた。
テレ朝「スーパーモーニンク゜」(2006年9月28日)
小泉前総理の歴史的評価
100年後の教科書にどう書かれる
反日マスメディアの筆頭テレ朝は、小泉前総理が100年後の高校歴史教科書に載るか
どうかというナンセンスな視点を利用して、アンチ小泉のコメンテーターや学者を
総動員してけなし、安倍新政権への牽制球を投げた。 実にあくどい手法だ。
なかでも、「歴代総理の通信簿」の著者、八幡和郎(徳島文理大学大学院教授)は、
散々小泉前首相をけなした中で・・・
「拉致問題なんて長い目で見ればたいした問題ではない」 とまで言い切った。
許しがたい暴言だ!
さらに、新聞各紙の安倍人気が高いというリポーターの解説に続いて・・・
八幡
「安倍さんの人気のあり方は近衛文麿さんに非常に良く似ている。育ちが良くて
背が高くてハンサムで、親孝行な息子でそして愛妻家であると。
物ははっきり言うけれど、あり無茶はしないだろうと。近衛文麿さんもそうだった。
ところが実際にはふらふら、ふらふらおよそ考えられない馬鹿なことをやった。後で後悔する。
安倍さんの場合もやっぱり本人が人生経験であるとか苦労だとかを知らない。
そのなかで妙に思い切った事をふぁっとしてしまうことを心配している。
だから、何にもしないことがかえっていいかも知れない」
河原敏明 『皇太子妃雅子さま』
http://ime.nu/www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062064243/qid=1116177034/sr=8-7/ref=sr_8_xs_ap_i7_xgl14/250-7237738-6462634 雅子さんのお祖父さんは水銀公害で世界的に注目された「水俣病」を引き起
こした、チッソ(当時は新日本窒素肥料。昭和四十一年一月にチッソと改称)の役
員江頭豊氏だった。江頭氏は日本興行銀行から昭和三十七年チッソの専務に転
じ、副社長、社長、会長と十一年間、代表権をもつ役員を務めていた。チッソ
が公害を起こした後からだが、その役員のときの江頭氏の患者側への強硬な態
度が、チッソに対する反発を助長して、あまりいい印象はもたれていなかった。
「全国各地を回らねばならぬ皇太子ご夫妻に、ムシロ旗が立つようなことがあ
っては」との懸念が一部の関係者からだされ、それが次第に、「皇太子妃とな
る方には、大きな瑕があってはいけない」という考えとともに、宮内庁全体に
浸透していった。
皇太子の数年におよぶ“雅子コール”にもかかわらず、宮内庁はかたくなに
反対しつづけていた。その好個の例が「週刊朝日」(平成三年三月八日号)で、
元宮内庁長官だった富田朝彦氏の言葉が端的に物語っている。氏が現職中の六
十二年暮か、六十三年早々らしいが、
「小和田さんは、チッソのことが付随してまいりますので」
と殿下に申し上げると、
「わかった」
とおっしゃった、とその記者に打ち明けている。富田氏は警察官僚出身で、宮
内庁に来るまでは内閣調査室長、つまり日本版“CIAの長官”である。いろい
ろと調べてのことだろうか。
噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡!
■冷酷な江頭の患者対策
いずれにしても、ようやくチッソが非を認めたことで、患者に対する補償交渉
も大きく進展するだろうと誰もが考えた。
ところが、この謝罪後もチッソの無責任な対応は全くかわることがなかった
のである。「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬう
ちに、江頭はさまざまな画策を始める。
謝罪から二週間近く過ぎた一○月八日、チッソはようやく患者側(患者互助
会)との第一界交渉に応じるのだが、「死者一三○○万円、生存患者年金六○
万円」という患者側からの補償要求額の提示にはいっさい回答せず、かなり経
った第二回交渉ではなんと「関係各省に補償金額の目安を示してくれるように
依頼している」と責任のがれともとれる姿勢をみせる始末。
業を煮やした患者側は厚生大臣に陳情し、補償額基準設定のための県知事中
心の第三者機関設置が決まるのだが、江頭はこの期に及んでもなお、知事にた
いしてあくまで今回の補償は「会社の行為によるもの」で、補償は一○年前の
「見舞金」プラス・アルファに止まると主張。そのせいで県主導による第三者
期間の設置が暗礁に乗り上げてしまうのだ。
「少なくとも回答の期限を示せ」と患者側に迫られた第四回交渉では、「厚生
・通産両省は基準をつくることを検討するといっている。そちらに陳情してほ
しい」と言い逃れをし、年末ぎりぎりの妥協案として患者が「ひとり当たり一
○○万円の仮払い」を要求すると、これもにべもなく断るのである。
華麗なる川島一族の家系図
■華麗なる川島一族の家系図
松浦平吉(童話)
|
(童話)川島庄一郎 <--松浦家から川島家へ養子に
|
| 池上四郎
| |
(童話)川島孝彦 = 紀子(いとこ)
|
(童話)杉本和代=辰彦(童話)
|
秋篠宮=紀子(きこ)童話
-------------------------------------------------
【解説】
※川嶋家ルーツの松浦平吉氏の家と墓地は地元では周知の童話地区にあるとのこと。
※杉本和代氏と川島辰彦氏は部落解放同盟の研究会で知り合い結婚に至ったとのこと。
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、 ゙濁髟. |i ′$ .
、 ゙層蠶 . _, ' .
. ']醴, : . -.(、... _.- . . .:,「 (記者:礼宮様は初恋の人ですか?)
層$. . 〈lf%gj,、 . ```. _,gg&.. _i'゙..
. ゚゚龜j、 ` ゙゚『}狐茲茲槊¶゚゙'゚! .,,l゚ < 「ハイ、そうでございます」
. ゙゚髦. . 、.'''''~'゚'''` . . ュf’
. `ラj, ....jメ
. ‘゚ゥi_、 、,,ir'゚.
‘゚゚→==→f・゙゚`
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20061029114907.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20061024164411.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20061021090842.jpg
85 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2006/08/24(木) 22:33:10 ID:3gZRhfMD
戸籍謄本を取り寄せれば簡単に4代5代くらい確認できるでしょ。それなのに3代先が
わからない、ってどういうことなんだろう。その人物の戸籍がないってこと?
私が簡単に田舎の農民の自分の先祖だって辿れたのに、小和田家はなんでかなー、って不思議です。
86名前: 可愛い奥様投稿日: 2006/08/24(木) 22:33:16 ID:bhOuLMeG
密入国者が戸籍買いをしたという説のほうが納得いくんだよな
あの一家のやり口見てるとさ
クソサヨ氏ね!!
くそ〜携帯じゃなきゃ、即、通報なのに(怒)
118 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/22(水) 01:38:47 ID:hAAJ8RpEO
友和・百恵が理想の夫婦なのに、なんでみんな必死に共働きしてんだろ。
バカ夫婦がいっぱいいるんだな。
街道が宮内庁に糾弾して入内したエッタの雅子
番太部落出身で「いわれなき差別を受け」、小学校の小使いの職にしか
就けなかった江頭嘉蔵。
息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。
1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は部落民」だと発言。
いいじゃないか。先祖が部落出身でも皇太子妃に選ばれるこの国は。
お前もご同胞のマサコ様のローブデコルテ姿のお写真で毎日抜いてるんだろ?
同胞300万の星、雅子妃殿下を中傷するな!
宮内庁長官がその出自に慄き、後藤田正晴や皇族が猛反対した雅子妃殿下。
差別的な身元調査に憤慨し、糾弾してやっと皇室に送り込んだ部落民の星
・雅子さまを誹謗するとバックに控える解同に糾弾されるぞ!
http://blhrri.org/info/koza/koza_0135.htm (社)部落解放・人権研究所 BLHRRI
Q.皇太子の結婚に際して行われた身元調査に対して解放同盟はどのような抗議
や取り組みを行っているのですか。
A.小和田雅子さんの身元調査については起こってからかなり後で事実が分かった
ので、一応抗議はしましたが、それほど強力なものではありませんでした。
また、差別身元調査事件が起こって以降、部落解放同盟大阪府連では、関西
の4大経営者団体と就職差別をなくすなどについての懇談会を毎年定期的に行って
います。
なにせ、雅子妃殿下の母上は車で連日東宮御所に乗りつけ、御所内の調度品を
くすねるような佐賀の部落民の血を引くお方だ。
解同にとっては雅子妃殿下の皇室入りは快挙事だろう。
『諸君!』1993年3月号 天皇家の「生存への選択」 保坂正康
小和田嬢の家系が教育を武器とした上昇志向を体現していくのは、
この毅夫の時代からである。むろんそこには精神面と経済面の支えが
あった。精神面とは本家、分家を含めて教育者が多く、そういう環境
で教育に使命感をもった事である。さらに金吉の学問に対する関心は、
村上藩に一貫して流れていた儒学思想の吸収でもあったが、毅夫にも
その学問体系を身につけたいとの強い意欲が伝わったと思われる。
経済面といえば、次のような話がある。
村上藩は三面川の鮭の人工増殖に成功し、鮭漁が藩の財政を支えて
いた。明治維新で旧藩士七百人が職を失って生活に窮したため、明治
十五年に村上鮭産育養所を設立し、鮭漁業の経営にあたった。これが
成功して旧藩士たちの生活にゆとりができた。
「この育養所の利益の二割は教育にあてられ、小学校の増設や旧藩士
の子弟の学資として貸与することになりました。県外に移った子弟も
本籍が村上市本町にあれば貸与できたのです。その貸与額も返済方法
も各様で、要は家庭の事情や本人の希望により異なります。現在、こ
ちらに保存している明治十七年の鮭産育養所規則には金吉さんの名が
あります。大正十三年にだされた漁業者名簿には小和田毅夫さんがい
ます。こうして育英資金が生まれたのは、ここは特別に産業面でも恵
まれていたわけではないので、教育に力を入れ、人材の育成に務めた
ということでしょう」(村上城跡保存育英会理事長・竹沢盛夫)
この育英資金は昭和二十三年に漁業法が改正になるまでつづいたと
いう。育英資金の貸与者で社会的に成功した者は“鮭の子”といわれ
るが、この中には元法務大臣の稲葉修などが含まれている。藩校の
克従館は鮭産育養所の資金で村上私学校と改称し建て直されている。
ここからは二高の校長から皇子傅育官長となった三好愛吉などが
輩出している。
130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:58:47 ID:XDSsRXbm0
>>128 部落問題を研究してるというのなら、部落民ではない証拠。
そもそも、部落開放同盟の前身ともいえる水平社は有馬頼寧侯爵が設立に尽力。牧野宮内大臣も、有馬の
部落問題に取り組む姿勢を「実に結構なことだ」と、賛同し、資金を援助した。
有馬頼寧の妻も皇族である北白川宮の出。
有馬は、皇室の藩屏である自覚から、部落差別を解消しなければ、との自覚から
の取り組みだった。
131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:09:24 ID:XDSsRXbm0
川嶋家のルーツは、実にハッキリしている。
もともとのルーツは、和歌山の豪商であった有田屋新九郎。
和歌山場のすぐ西には、有田屋が以前屋敷を構えていた由来から
有田屋町の地名が残っているほどの由緒ある家だ。
それはそうと、某お妃の実家のルーツはナゾに包まれているな。
結婚内定直後、そのルーツがマスコミに掲載されたが、その後
全く公にされない。
宮内庁が雅子妃の身元を調査してことについて、部落開放同盟が
猛抗議をしたそうだが。。。
パッとある夫婦のことがアタマに思いついたんだが、すでに
>>4で書かれていた。(・∀・;)ゞ
333 :日本@名無史さん :2006/09/17(日) 00:36:09
週刊朝日 1993年1月29日号
新六と郡蔵の関係は定かではない。
村上市史編纂室の大場喜代司さんは、こういう。
「年代的に見てつながるというだけ。資料もないし分かりませんよ。
『どうしてもっと調べないんですか』なんて不服そうな記者もいたけ
どね。わたしらがやってるのは郷土の地域史だし……」
二人の小和田氏についても「雅子さんの先祖らしい」という推定の
域をでない。
ま、考えようによっては、それでこそ、「民間人出身のお姫様」ら
しい。
■大反対だった皇室がキコ&鯰の結婚を許可せざるをえなかった事情
以下は「★=事実」「☆=都市伝説または類推」をつないだ仮説
キコさん中絶(☆2回と言われている)→★川嶋教授、皇室に怒鳴り込む
→ ☆娘を傷物にして、B差別ゆえに結婚に反対するのかと両陛下を脅す
→ ☆裏に街道がいて、皇室が断ったら騒ぐ手はず
→ ☆それを川嶋教授懇意の朝日新聞記者が記事にする手はず
→ ☆両陛下&皇室降参 →★朝日新聞が婚約をスクープ →★既成事実で婚約成立
→ ★キコ、おかげで婚約できたと朝日新聞社を御礼訪問
→ ★朝日記者は狂喜してキコにフカヒレラーメンをご馳走する
→ ☆以後、朝日とキコは強固に癒着。キコから東宮叩き情報ざぶざぶリーク
→ ★朝日新聞とその系列雑誌には秋篠宮礼賛記事、東宮叩き記事しか載らない
(朝日新聞は、皇室関係の大スクープ記事を連発している)
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
【田中康夫】仰るとおり。紀子スマイルとやらに秋篠宮だけでなく天皇
・皇后 夫妻も“なびいてしまっている”のは、いやはや、何ともだ。
皇太子妃の古巣である外務省なんかじゃ、父親が事務次官だったことも
含めて、いまだに嫉妬が渦巻いているみたいだしさ。しかも、宮内庁記者
クラブも、怪しからん話だけど、皇太子夫妻に対して冷たい。気の毒だよね、ほんとうに。
【田中康夫】勝谷誠彦がWEB日記で書いてるけど、皇太子批判の急先鋒は
「朝日」だよ(
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225)。
岩井克己という皇室番記者の編集委員がね、「気になるのは、憶測が広がり、
様々な人が傷つきつつあることに対して、皇太子ご夫妻からブレーキをかける
強い意志が感じられないことだ。両陛下が心を痛めていることや、自分たちが
務めを充分に果たしていないことについて率直にわびる言葉も聞こえてこない」
と言い切ってるの。雅子妃の心の痛みを増大させているのは誰なんだ(苦笑)。
秋篠宮と並んで「微笑む」紀子妃が映し出されるたびに問い質したくなるよ。
雅子さま 流産
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~genji/2000/20000102.html 1999年12月10日の朝刊トップで、朝日新聞は「雅子さま懐妊の徴候」とス
クープした。朝日新聞はスクープを出したことに大喜びし(注・雅子さま
懐妊に喜んだのではない)、2000年早々に折り込むPR版にこのスクープ
を載せて配ろうと準備していた。ところが今回、2回目の検査で流産が
判明し、このPR版は回収されることになった。
週刊新潮(1/20・P142-143)によれば、そのPR版は各販売店に計450万部用
意されていたが、流産の発表後、折り込み中止・完璧保存の通達FAXが
流れた。「それにしても、まだ2度目の検査が行われていない段階でPR
版の宣伝材料にしてしまうとは、いくらなんでもスクープボケではないか。
(同)」と言われても当然だろう。
また、この懐妊スクープそのものに対しても、多方面から批判があがって
いた。朝日新聞も「本社に抗議など390件」と認め、報道についての釈明文
を載せた。この釈明文に対し、週刊文春(1/20・P29)は、「皇室の人権には
鈍感な朝日」として、朝日新聞のスクープ報道は「他人のプライバシーに
ちょっと触れる行為ではない。それは日本語で言えば、まぎれもない人権
蹂躙である。」と当然ながら厳しく批判。編集局長は引責辞任すべきだ、とした。
一方、産経新聞1月8日の斜断機で、金美齢さんにより驚くべき事実が一般に
知らされた。タイトルは「下品さとセクハラと」で、「『週刊朝日』(99年
12月24日号)に「お二人の愛の結実は熊本で、だった」の見出しで以下の文章
が出ている。「(皇族の女性の体のリズムを推察する方法を説明した上で)
本誌が入手した雅子さまの体のリズムを考えると、皇太子夫妻のベビーは
十一月前半ごろに結実したことになる。なかでも可能性が高そうなのは…(中略)。
宿は熊本市内の老舗のホテル(中略)。大きなダブルベッドのある部屋だった。」
というものである。この週刊朝日は12月14日発売であるから、取次搬入など
も考えれば、10日のスクープ直後に書かれたものだろう。金美齢さんは「これ
は紛れもないセクハラだ。「下種の勘ぐり」に猥褻な想像をまじえて面白がっ
ている趣味の悪さ、読んでいる方が恥ずかしくなる。」と怒りをあらわにする。
小和田家
小和田金吉(エタ)
|
|
|
| 田村又四郎(エタ 平家の落人村出身
| | 田村家に養子)
毅夫=竹野_|
|
小和田恒=優美子(エタ)
|
徳仁=雅子 (エタ)
|
愛子 (エタ)
華麗なる川島一族の家系図
■華麗なる川島一族の家系図
松浦平吉(童話)
|
(童話)川島庄一郎 <--松浦家から川島家へ養子に
|
| 池上四郎
| |
(童話)川島孝彦 = 紀子(いとこ)
|
(童話)杉本和代=辰彦(童話)
|
秋篠宮=紀子(きこ)童話
-------------------------------------------------
【解説】
※川嶋家ルーツの松浦平吉氏の家と墓地は地元では周知の童話地区にあるとのこと。
※杉本和代氏と川島辰彦氏は部落解放同盟の研究会で知り合い結婚に至ったとのこと。
【両陛下と皇太子ご一家のみ天皇家 皇太子ご一家の敵対者は朝敵・国賊】
森暢平 週刊朝日2006.9.22
現在の皇太子がいずれ天皇になったとしても、秋篠宮は「皇太子」にはならない。
皇位は親から子へ継承するのが基本であり、「皇太子」とは、ときの天皇の
子供の中で最も順位の高い継承者(通常は長男)を指す。(中略)
秋篠宮は一度天皇家から出ており、「狭い意味の皇室」から見れば、「外の人」である。
皇太子の即位後に、新たな皇太子になることは絶対にないのだ。(中略) 繰り返すが、
秋篠宮家は本来的には天皇家の外にあり、身位がまったく異なる存在である。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
788 名前: 朝まで名無しさん 2006/10/21(土) 17:07:52 ID:ROF6ye+w
一橋大学関係者なら知ってるかも知れんが、田中康夫は卒業
間近に停学食らって結局卒業が一年遅れた。(日本興業銀行
に内定してたが棒に振って、翌年モービル石油だったかなんか
に就職したけど、その留年中の一年間に書いた「なんとなく
クリスタル」があたって作家さんだよ。あれって、いかにも
卒業論文みたく注釈多いだろ。発想が知れるね。)
まー、その停学理由がクラブ活動(学内就職情報誌編集)で
企業から集めた金を着服して女をマンションに囲っていたこ
とがばれたからだ。
その当時(1980年春頃)の毎日新聞にも記事がでたぜ。
「なんとなくクリミナルな過去」って見出しで(藁)
789 名前: 朝まで名無しさん 2006/10/21(土) 17:14:26 ID:2GYZWe0m
>>788 卒業しただけいいじゃん、今の天皇は高卒だぜ。
790 名前: 朝まで名無しさん 2006/10/21(土) 17:19:07 ID:VqT1zv/p
>>788 その盗っ人の田中康夫と、天皇制打倒を叫ぶ浅田彰にしか擁護され
ない皇太子夫妻w
130 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/22(水) 01:48:31 ID:3OPX3AybO
上げたろ。善意ある人がこのスレ見つけて
通報してくれる事を願って。
【跳び蹴りジャニヲタ姫の眞子様】 川丶`∀´>リ
週刊新潮 9月14日号
「やんちゃすぎる」?秋篠宮家の教育
「眞子さまは、あれでいて、結構、やんちゃなお嬢様なんですよ。
小学3年生の時だったかクラスメイトが ランドセルを背負って廊下を
歩いていると、眞子さまが後ろからいきなり背中を蹴った。思わず
這いつくばったその子を尻目に、眞子さまはケラケラ笑いながら
走っていかれたそうです。そんなイメージがあるので、テレビで
かしこまって会釈される姿を拝見すると、なんだか笑ってしまって」(同級生の母親)
こんな武勇伝もある。
「警備の人間を振り切って、ジャニーズのコンサートに行かれたことも
ありました。その一方で、おそらく皇族としての自覚のなせることなので
しょうが、先に待っていた学友を差し置いて“おどきなさい”とばかりに
エレベーターに乗り込まれるようなことも一時期、見受けられたのです」
秋篠宮ご自身が、比較的自由な皇室生活を送ってきた方だけに、
将来の天皇と嘱望される親王誕生ともなれば、その”しつけ”は
大いに注目を集めることになるはずだ。
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20060906182455.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20060820144056.jpg 川丶`∀´>リ < あはははは!! 飛び蹴り楽しいニダー!!
と⌒ て) .人
( ______三フ< >_∧∩
) ) V`Д´)/ ← ご学友
レ' ドゴォ!!
132 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/22(水) 01:50:07 ID:nlTIhbx50
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
しかし、皇后さまは愛子さまの話を聞かれることはなかったのだ。
雅子さまは、喪中を理由に皇居を訪れなかった。
愛子さまは「遠足の疲れ」を理由に欠席された。
実に失礼なことで嘆かわしい(皇室評論家・松崎敏弥)
皇后さまは、がっかりされたことでしょう。
幼い頃から頻繁に御所を訪問されたいる眞子、佳子さま姉妹と愛子さま
とでは両陛下の関係には大きな温度差がある(週刊女性 野中恭太郎)
134 :
名無しさん@恐縮です:2006/11/22(水) 01:51:14 ID:cV8XVkx90
三浦夫妻
ある意味さげマンやし、夫婦仲どうかわからんやろ!
想像だけで理想の夫婦ナンバーワンはアカン!!
愛子さま着袴の儀 最近は自転車の練習も<11/11 20:43>
愛子さまは11日、東京・元赤坂の東宮御所で、一般の七五三にあたる
着袴(ちゃっこ)の儀に臨まれた。愛子さまは最近、自転車の練習も始め
られたという。
着袴の儀は平安時代から皇室に伝わる儀式で、愛子さまは皇太子ご夫妻
が見守られる中、誕生のときに両陛下から贈られた袿(うちき)と袴(は
かま)を着けられた。そして前に進み出て皇太子ご夫妻に一礼して、儀式
は終了した。着袴の儀を終えた愛子さまは、袴姿を両陛下に見せるため
皇居に向かわれた。
http://www.news24.jp/70965.html
河原敏明『皇太子妃雅子さま』
その祖先が眠るという西真寺を訪ねた。西真寺は村上市にある浄土真宗の寺
で、元和四年以来、ここで三百七十年の歴史を持つ。住職本荘長弘師はその小和田
家の墓について、毅夫氏が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の
泉性寺に移した、という話をしてくれた。
ゆえにいま西真寺にある小和田家の墓には、兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻
とその子供だけ(夫の道蔵の墓は新潟に)二基の墓石が並んでいる。高さが七
十センチ、近隣のものと比べて極端に小さく墓域にも余裕がない。
「なぜ祖父の妻と子、および曽祖父夫妻の墓を残していったのか。ふつう移す
ときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
と住職夫妻も不審気だった。昭和六十一年十一月、恒氏が外務省官房長のと
き、恒、毅夫の両氏夫妻が村上にきたが、そのときも祖父、曽祖父が眠ってい
るにもかかわらず墓参していないことにも、理由をはかりかねていた。
そこで小和田毅夫氏が、村上から墓を移したという新潟市の泉性寺に聞くと
住職の広沢誠師が、
「小和田家の墓は明治七年よりうちにあるが、ただ金吉と兵五郎の墓はない。
匡利(道蔵)の墓だけがあります。外務省の小和田家にとって初代にあたる兵
五郎の墓は寺にありません。私の父が死んでいるので、その辺の詳細は分かり
ませんが。三十年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということ
はまったく知りません」
と西真寺の住職の話とはだいぶ食い違いがある。しかも泉性寺が明治十三年
の大火で類焼しているので資料が乏しいという。
昭和五十五年に毅夫氏が、この泉性寺にある墓の台座だけを、よりよいもの
に直している。
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060722002005.jpg
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
しかし、皇后さまは愛子さまの話を聞かれることはなかったのだ。
雅子さまは、喪中を理由に皇居を訪れなかった。
愛子さまは「遠足の疲れ」を理由に欠席された。
実に失礼なことで嘆かわしい(皇室評論家・松崎敏弥)
皇后さまは、がっかりされたことでしょう。
幼い頃から頻繁に御所を訪問されたいる眞子、佳子さま姉妹と愛子さま
とでは両陛下の関係には大きな温度差がある(週刊女性 野中恭太郎)
着袴の儀でまたもや両陛下に迷惑をかけた皇太子夫妻(週刊新潮)
938 ::可愛い奥様::2006/11/20(月) 15:28:06 ID:P25WgytC
今月のサイゾー「雅子妃叩きの真相」って見出しだったから
読んだけど雅子妃叩きはマスコミと仲の良い千代田派がもらす
本当かどうか分からない不確かな情報を元に記者が推測して
書いてる、みたいな内容だった。あと多くの国民は雅子妃に
同情的なのにこのままバッシングが続けば国民の心は皇室から
離れていく、と書いてたよ。
943 :可愛い奥様:2006/11/20(月) 15:40:50 ID:QhRyoJAO
>>938 サイゾーGJ。
リアルでアンチ雅子さんは見たこと無い。
ネットの東宮アンチみたく、税金ドロボー仕事しろなんて言ってる人、一人も知らんわ。
でも、アンチ紀子さんはテロ懐妊以降周囲に激増している。
いらんことしぃなんだよね、この人。
おとなしくしとけば、ただでさえ華がないんだから、そういやそんな人も
いたよねーで済んでいたのに。
945 :可愛い奥様:2006/11/20(月) 15:45:57 ID:0UXi/gO/
サイゾーGJだねw
私もリアルでアンチ雅子妃&東宮は見たことないけど
アンチキコさんは身近にいるww
アンチまではいかなくても「ちょっとどうかと思う」程度の人なら
もっとたくさんいる。
週刊朝日 2006年9月22日号
皇室取材20年の岩井克己朝日新聞編集委員が語る 秋篠宮ご夫妻「思い定めたご出産」
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7610.shtml 両陛下のお話に耳傾けるご夫妻
近年、両陛下はお子さまたちとの私的な食事会の席で、「あのときは、こう
いう気持ちでこういうことをした」と過去の公務の話をなさることが多いそう
です。ご自身の経験を次世代に伝えたいという思いが高まっているのでしょう。
これに対し、秋篠宮ご夫妻は「もっと聞かせてください」とせがみ、遅くまで
居残ることもありました。昨年、紀宮さま(現・黒田清子さん)が結婚して皇
籍を離れ、御所でのお二人暮らしになりました。ご夫妻は高齢のご両親の寂し
さを思い、「自分たちが両陛下を支えなければ」という気持ちを強めていった
のではないでしょうか。
二人のお子さまも、そうしたご両親の姿をみていることでしょう。8月16日
朝、ウィーンでのホームステイを終えて成田に到着した眞子さまは、その足で
皇居へ向かい、宮中三殿賢所で帰国の「ご奉告」をして御所で両陛下に帰国の
ご挨拶をし、秋篠宮さまも合流して昼食を共にしたそうです。その後、東京・
元赤坂の秋篠宮邸に戻り、出産準備のために東京港区の愛育病院に入院する紀
子さまを見送った。
こうした慌しいスケジュールを、長時間のフライトの疲れもみせず、淡々と
こなす眞子さまの姿に、美智子さまも、「やはり(天皇家の血をひく)内親王
ね」と、目を細めておいでだったと聞いています。
両陛下は、新宮さまの誕生に際して発表した文書で、秋篠宮家の家族の胸中
を次のように思いやった。
「様々な心労を重ねた十ヶ月であったと思いますが、秋篠宮夫妻が、その全て
を静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えた
く思います。二人の内親王も、この困難な時期を、一生懸命両親に協力して過
ごしてきましたので、今は、さぞ安心し、喜んでいることと思います」
同和の血が・・・
「噂の眞相」1993年6月号
小和田雅子の母方である江頭家のルーツは当時賎民だった水軍との噂が
エッタの血が・・・
村上水軍の軍勢は、木津川の「えっ田が城」より出撃してきたと記さ
れている。当時「えた」と呼ばれた下層の民衆の住んでた河岸に上陸
して、石山本願寺に兵糧を運び込むことに成功した。穢多崎とも書か
れているが、西木津川と尻無川の分かれるあたりだ。
ここで「えた」とされている人びとは河原者であろう。彼らがどの
ような仕事で生計を立てていたのか明らかではないが、皮革や土木、
漁猟や運送などにも従事していた海の民・川の民であったとおもわれ
る。この河口に住んでいた「えた」と呼ばれた中世賎民も、浄土真宗
の熱心な門徒だったから、水軍の上陸を手引きしたのであろう。
沖浦和光「瀬戸内の民俗誌」より
岩井克己(朝日新聞皇室番記者or編集委員)←雅子様を流産させた張本人
それにも飽き足らず、次期陛下ご一家を妄想で誹謗中傷し続け、秋篠一家をマンセーする反日工作員。
>やはり岩井氏の非常に大きな執念となっているのは,皇太子同妃両殿下を
>如何に叩きのめすかということなのであろう,ということである。
>この第4章の中で,岩井氏は流産時における自らのスクープについて以下
>のように言い訳をしているが,随分と自分に甘いお人である。
>--------引用開始--------
>私が書いた理由のひとつに,長年接してきた皇太子夫妻の赤ちゃん誕生が,
>政治の世界の思惑に絡められているのではないかとの密かな反発がありました。
>兆候の中身はプライバシーだが,皇太子妃の懐妊自体はすぐれて公的なことと
>整理したつもりだったのです。しかし,結果としては皇太子,雅子妃に大きな
>プレッシャーを与えてしまったと痛切な反省が残りました。悪意など全くなく,
>さぞやご本人も楽しみにしており,国民も喜びを共有できるだろうと思ったのですが。
>--------引用終了---------
皇太子殿下誕生日会見(2000年2月)
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h12.html 【皇太子殿下】多くの国民の皆さんに心配していただいていると思います。
(中略)しかし,そこに至る過程で,医学的な診断が下る前の非常に不確
かな段階で報道がなされ,個人のプライバシーの領域であるはずのこと,
あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であります。
そのような中で雅子は非常によく辛抱したと思いますが,国民の中にも
戸惑いを覚えた人も少なくなかったというふうに聞いております。今後,
事柄の性質上,慎重で配慮された扱いを望みます。
雅子妃殿下誕生日会見(2000年12月)
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h12.html 【雅子妃殿下】国民の皆さんの期待もある中で,昨年の暮れの結果は私も残念に
思っております。そしてまた同時に,非常に早い段階から報道が過熱してしまっ
たということについて,正直申しまして戸惑いを覚えたことも事実でございます。
雅子さま 流産
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~genji/2000/20000102.html 1999年12月10日の朝刊トップで、朝日新聞は「雅子さま懐妊の徴候」とス
クープした。朝日新聞はスクープを出したことに大喜びし(注・雅子さま
懐妊に喜んだのではない)、2000年早々に折り込むPR版にこのスクープ
を載せて配ろうと準備していた。ところが今回、2回目の検査で流産が
判明し、このPR版は回収されることになった。
週刊新潮(1/20・P142-143)によれば、そのPR版は各販売店に計450万部用
意されていたが、流産の発表後、折り込み中止・完璧保存の通達FAXが
流れた。「それにしても、まだ2度目の検査が行われていない段階でPR
版の宣伝材料にしてしまうとは、いくらなんでもスクープボケではないか。
(同)」と言われても当然だろう。
また、この懐妊スクープそのものに対しても、多方面から批判があがって
いた。朝日新聞も「本社に抗議など390件」と認め、報道についての釈明文
を載せた。この釈明文に対し、週刊文春(1/20・P29)は、「皇室の人権には
鈍感な朝日」として、朝日新聞のスクープ報道は「他人のプライバシーに
ちょっと触れる行為ではない。それは日本語で言えば、まぎれもない人権
蹂躙である。」と当然ながら厳しく批判。編集局長は引責辞任すべきだ、とした。
一方、産経新聞1月8日の斜断機で、金美齢さんにより驚くべき事実が一般に
知らされた。タイトルは「下品さとセクハラと」で、「『週刊朝日』(99年
12月24日号)に「お二人の愛の結実は熊本で、だった」の見出しで以下の文章
が出ている。「(皇族の女性の体のリズムを推察する方法を説明した上で)
本誌が入手した雅子さまの体のリズムを考えると、皇太子夫妻のベビーは
十一月前半ごろに結実したことになる。なかでも可能性が高そうなのは…(中略)。
宿は熊本市内の老舗のホテル(中略)。大きなダブルベッドのある部屋だった。」
というものである。この週刊朝日は12月14日発売であるから、取次搬入など
も考えれば、10日のスクープ直後に書かれたものだろう。金美齢さんは「これ
は紛れもないセクハラだ。「下種の勘ぐり」に猥褻な想像をまじえて面白がっ
ている趣味の悪さ、読んでいる方が恥ずかしくなる。」と怒りをあらわにする。
■大反対だった皇室がキコ&鯰の結婚を許可せざるをえなかった事情
以下は「★=事実」「☆=都市伝説または類推」をつないだ仮説
キコさん中絶(☆2回と言われている)→★川嶋教授、皇室に怒鳴り込む
→ ☆娘を傷物にして、B差別ゆえに結婚に反対するのかと両陛下を脅す
→ ☆裏に街道がいて、皇室が断ったら騒ぐ手はず
→ ☆それを川嶋教授懇意の朝日新聞記者が記事にする手はず
→ ☆両陛下&皇室降参 →★朝日新聞が婚約をスクープ →★既成事実で婚約成立
→ ★キコ、おかげで婚約できたと朝日新聞社を御礼訪問
→ ★朝日記者は狂喜してキコにフカヒレラーメンをご馳走する
→ ☆以後、朝日とキコは強固に癒着。キコから東宮叩き情報ざぶざぶリーク
→ ★朝日新聞とその系列雑誌には秋篠宮礼賛記事、東宮叩き記事しか載らない
(朝日新聞は、皇室関係の大スクープ記事を連発している)
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
【田中康夫】仰るとおり。紀子スマイルとやらに秋篠宮だけでなく天皇
・皇后 夫妻も“なびいてしまっている”のは、いやはや、何ともだ。
皇太子妃の古巣である外務省なんかじゃ、父親が事務次官だったことも
含めて、いまだに嫉妬が渦巻いているみたいだしさ。しかも、宮内庁記者
クラブも、怪しからん話だけど、皇太子夫妻に対して冷たい。気の毒だよね、ほんとうに。
【田中康夫】勝谷誠彦がWEB日記で書いてるけど、皇太子批判の急先鋒は
「朝日」だよ(
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225)。
岩井克己という皇室番記者の編集委員がね、「気になるのは、憶測が広がり、
様々な人が傷つきつつあることに対して、皇太子ご夫妻からブレーキをかける
強い意志が感じられないことだ。両陛下が心を痛めていることや、自分たちが
務めを充分に果たしていないことについて率直にわびる言葉も聞こえてこない」
と言い切ってるの。雅子妃の心の痛みを増大させているのは誰なんだ(苦笑)。
秋篠宮と並んで「微笑む」紀子妃が映し出されるたびに問い質したくなるよ。
262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:44:11 ID:DszzK7iU0
小和田家なんて曽祖父の素性も分からないような家だからな。
墓も村上と新潟のどちらが先祖の墓かも分からないし。
鎌倉時代以来の系譜が分かっている聖子の実家の方が遥かに名家だ。
788 名前: 朝まで名無しさん 2006/10/21(土) 17:07:52 ID:ROF6ye+w
一橋大学関係者なら知ってるかも知れんが、田中康夫は卒業
間近に停学食らって結局卒業が一年遅れた。(日本興業銀行
に内定してたが棒に振って、翌年モービル石油だったかなんか
に就職したけど、その留年中の一年間に書いた「なんとなく
クリスタル」があたって作家さんだよ。あれって、いかにも
卒業論文みたく注釈多いだろ。発想が知れるね。)
まー、その停学理由がクラブ活動(学内就職情報誌編集)で
企業から集めた金を着服して女をマンションに囲っていたこ
とがばれたからだ。
その当時(1980年春頃)の毎日新聞にも記事がでたぜ。
「なんとなくクリミナルな過去」って見出しで(藁)
790 名前: 朝まで名無しさん 2006/10/21(土) 17:19:07 ID:VqT1zv/p
>>788 その盗っ人の田中康夫と、天皇制打倒を叫ぶ浅田彰にしか擁護され
ない皇太子夫妻w
792 名前: 朝まで名無しさん 2006/10/21(土) 18:08:56 ID:ROF6ye+w
田中康夫の女の趣味がいかなるものか知りたければ、ペログリ日記読んでみな。
雅子が田中のストライクゾーン、ど真ん中だということがよくわかるぞ。
こいつの好きなタイプは、ド派手ででかくてキツそうなスッチータイプの女。
フォーカスだかフライデーだかで、知事になってから女連れでイタリア旅行に行くところを
激写されたことがあるが、美人というかケバイというか、モロ雅子タイプ。
自分の好きなタイプの女だから擁護してるだけで、そもそも動機が不純だわなw
下半身で論じる天皇制なんてのが好きなやつにはオススメ。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』
しかし、皇后さまは愛子さまの話を聞かれることはなかったのだ。
雅子さまは、喪中を理由に皇居を訪れなかった。
愛子さまは「遠足の疲れ」を理由に欠席された。
実に失礼なことで嘆かわしい(皇室評論家・松崎敏弥)
皇后さまは、がっかりされたことでしょう。
幼い頃から頻繁に御所を訪問されたいる眞子、佳子さま姉妹と愛子さま
とでは両陛下の関係には大きな温度差がある(週刊女性 野中恭太郎)
街道が宮内庁に糾弾して入内したエッタの雅子
番太部落出身で「いわれなき差別を受け」、小学校の小使いの職にしか
就けなかった江頭嘉蔵。
息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。
1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は部落民」だと発言。
いいじゃないか。先祖が部落出身でも皇太子妃に選ばれるこの国は。
お前もご同胞のマサコ様のローブデコルテ姿のお写真で毎日抜いてるんだろ?
同胞300万の星、雅子妃殿下を中傷するな!
宮内庁長官がその出自に慄き、後藤田正晴や皇族が猛反対した雅子妃殿下。
差別的な身元調査に憤慨し、糾弾してやっと皇室に送り込んだ部落民の星
・雅子さまを誹謗するとバックに控える解同に糾弾されるぞ!
http://blhrri.org/info/koza/koza_0135.htm (社)部落解放・人権研究所 BLHRRI
Q.皇太子の結婚に際して行われた身元調査に対して解放同盟はどのような抗議
や取り組みを行っているのですか。
A.小和田雅子さんの身元調査については起こってからかなり後で事実が分かった
ので、一応抗議はしましたが、それほど強力なものではありませんでした。
また、差別身元調査事件が起こって以降、部落解放同盟大阪府連では、関西
の4大経営者団体と就職差別をなくすなどについての懇談会を毎年定期的に行って
います。
なにせ、雅子妃殿下の母上は車で連日東宮御所に乗りつけ、御所内の調度品を
くすねるような佐賀の部落民の血を引くお方だ。
解同にとっては雅子妃殿下の皇室入りは快挙事だろう。
刊朝日 2006年10月6日増大号
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7630.shtml 本当に「帝王教育」は必要か 成城大学専任講師 森 暢平
いまの皇太子さまも学習院に通う一方で、中国古典や歴代天皇の事跡について、
専門家の講義を受けた。幼少期から英会話を学び、乗馬の訓練もしている。教育
担当侍従だった浜尾実さんの著書によると、幼児だった頃、生まれたばかりの弟
(秋篠宮)がベビーベッドで寝ている時、
「アーヤ(秋篠宮の愛称)は泣いていいんだよね」
とつぶやいたという。「皇族男子は簡単に泣いてはいけない」と強く教えられ、
弟が叱られないかを心配した弁護だった。小学生になると、「水道で水を飲むと
きは、友人たちが終わってから」と最後まで順番を待つ忍耐を教えられた。
世間で想像される「帝王教育」とは、このように最高水準の教育によって、高
い仁徳と、広い教養が、涵養されるものというイメージであろう。
( 中 略 )
それでは、果たして、「帝王教育」の成果は表れているのであろうか。皇太子
さまに対する批判を考えてみればいい。「公務よりも、雅子妃の治療を優先して
いる」「日本を留守にして、オランダに15日間も出掛けるのは如何なものか」
「皇室に41年ぶりに男児が生まれたのに、登山にいそしんでいる場合だろうか」
……。
断っておくが、私自身、こうした批判にくみするつもりはない。病気の妻のた
めに、仕事よりも家庭を大事にしたとしても、道を外れているとは考えない。
ところが、皇室の伝統を何よりも重んじる人たちはそうは思わないだろう。
「小さい頃は、立派だった皇太子さまがどうして」と考える。なぜ、そう感じる
のかを考えれば、「帝王教育」というものが少し見えてくる。
『諸君!』1993年3月号 天皇家の「生存への選択」 保坂正康
小和田嬢の家系が教育を武器とした上昇志向を体現していくのは、
この毅夫の時代からである。むろんそこには精神面と経済面の支えが
あった。精神面とは本家、分家を含めて教育者が多く、そういう環境
で教育に使命感をもった事である。さらに金吉の学問に対する関心は、
村上藩に一貫して流れていた儒学思想の吸収でもあったが、毅夫にも
その学問体系を身につけたいとの強い意欲が伝わったと思われる。
経済面といえば、次のような話がある。
村上藩は三面川の鮭の人工増殖に成功し、鮭漁が藩の財政を支えて
いた。明治維新で旧藩士七百人が職を失って生活に窮したため、明治
十五年に村上鮭産育養所を設立し、鮭漁業の経営にあたった。これが
成功して旧藩士たちの生活にゆとりができた。
「この育養所の利益の二割は教育にあてられ、小学校の増設や旧藩士
の子弟の学資として貸与することになりました。県外に移った子弟も
本籍が村上市本町にあれば貸与できたのです。その貸与額も返済方法
も各様で、要は家庭の事情や本人の希望により異なります。現在、こ
ちらに保存している明治十七年の鮭産育養所規則には金吉さんの名が
あります。大正十三年にだされた漁業者名簿には小和田毅夫さんがい
ます。こうして育英資金が生まれたのは、ここは特別に産業面でも恵
まれていたわけではないので、教育に力を入れ、人材の育成に務めた
ということでしょう」(村上城跡保存育英会理事長・竹沢盛夫)
この育英資金は昭和二十三年に漁業法が改正になるまでつづいたと
いう。育英資金の貸与者で社会的に成功した者は“鮭の子”といわれ
るが、この中には元法務大臣の稲葉修などが含まれている。藩校の
克従館は鮭産育養所の資金で村上私学校と改称し建て直されている。
ここからは二高の校長から皇子傅育官長となった三好愛吉などが
輩出している。
華麗なる川島一族の家系図
■華麗なる川島一族の家系図
松浦平吉(童話)
|
(童話)川島庄一郎 <--松浦家から川島家へ養子に
|
| 池上四郎
| |
(童話)川島孝彦 = 紀子(いとこ)
|
(童話)杉本和代=辰彦(童話)
|
秋篠宮=紀子(きこ)童話
-------------------------------------------------
【解説】
※川嶋家ルーツの松浦平吉氏の家と墓地は地元では周知の童話地区にあるとのこと。
※杉本和代氏と川島辰彦氏は部落解放同盟の研究会で知り合い結婚に至ったとのこと。
■大反対だった皇室がキコ&鯰の結婚を許可せざるをえなかった事情
以下は「★=事実」「☆=都市伝説または類推」をつないだ仮説
キコさん中絶(☆2回と言われている)→★川嶋教授、皇室に怒鳴り込む
→ ☆娘を傷物にして、B差別ゆえに結婚に反対するのかと両陛下を脅す
→ ☆裏に街道がいて、皇室が断ったら騒ぐ手はず
→ ☆それを川嶋教授懇意の朝日新聞記者が記事にする手はず
→ ☆両陛下&皇室降参 →★朝日新聞が婚約をスクープ →★既成事実で婚約成立
→ ★キコ、おかげで婚約できたと朝日新聞社を御礼訪問
→ ★朝日記者は狂喜してキコにフカヒレラーメンをご馳走する
→ ☆以後、朝日とキコは強固に癒着。キコから東宮叩き情報ざぶざぶリーク
→ ★朝日新聞とその系列雑誌には秋篠宮礼賛記事、東宮叩き記事しか載らない
(朝日新聞は、皇室関係の大スクープ記事を連発している)
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
【田中康夫】仰るとおり。紀子スマイルとやらに秋篠宮だけでなく天皇
・皇后 夫妻も“なびいてしまっている”のは、いやはや、何ともだ。
皇太子妃の古巣である外務省なんかじゃ、父親が事務次官だったことも
含めて、いまだに嫉妬が渦巻いているみたいだしさ。しかも、宮内庁記者
クラブも、怪しからん話だけど、皇太子夫妻に対して冷たい。気の毒だよね、ほんとうに。
【田中康夫】勝谷誠彦がWEB日記で書いてるけど、皇太子批判の急先鋒は
「朝日」だよ(
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041225)。
岩井克己という皇室番記者の編集委員がね、「気になるのは、憶測が広がり、
様々な人が傷つきつつあることに対して、皇太子ご夫妻からブレーキをかける
強い意志が感じられないことだ。両陛下が心を痛めていることや、自分たちが
務めを充分に果たしていないことについて率直にわびる言葉も聞こえてこない」
と言い切ってるの。雅子妃の心の痛みを増大させているのは誰なんだ(苦笑)。
秋篠宮と並んで「微笑む」紀子妃が映し出されるたびに問い質したくなるよ。
【両陛下と皇太子ご一家のみ天皇家 皇太子ご一家の敵対者は朝敵・国賊】
森暢平 週刊朝日2006.9.22
現在の皇太子がいずれ天皇になったとしても、秋篠宮は「皇太子」にはならない。
皇位は親から子へ継承するのが基本であり、「皇太子」とは、ときの天皇の
子供の中で最も順位の高い継承者(通常は長男)を指す。(中略)
秋篠宮は一度天皇家から出ており、「狭い意味の皇室」から見れば、「外の人」である。
皇太子の即位後に、新たな皇太子になることは絶対にないのだ。(中略) 繰り返すが、
秋篠宮家は本来的には天皇家の外にあり、身位がまったく異なる存在である。
皇后陛下のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h1801.html 『 この度のオランダ訪問は,東宮東宮妃共にこれをよしと考え, さらに治療に
当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。 東宮職,本庁の幹部も,皆この
計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので,陛下と私もこれを支持し,
一家,わけても東宮妃が,この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。
帰国後,東宮と妃より,感謝の言葉と共に,滞在が素晴らしいものであったこ
とを聞き,また,多くの方が,この旅行後,東宮妃の健康状態に改善が見られる
ように思う,と語られるのを耳にし,安堵(あんど)し,嬉しく思いました。
ベアトリックス女王陛下が, ご家族と共に東宮の3人をあのように温かく迎えて
くださったことを,深く感謝しております。
東宮妃の公務復帰については,専門医の診断を仰ぎながら,妃自身が一番安心
できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく,しかし,
その日が必ず来ることに希望をもって,東宮妃も,また東宮も,それまでの日々,
自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。
敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。
今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。
今年4月,幼稚園の服装で訪ねて来た日には,肩かけカバンや手さげの中から,
一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には,
きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。』