身内に甘い和田アキ子には“アッコにおまかせ!”とはいかない ゲンダイ

このエントリーをはてなブックマークに追加
441名無しさん@恐縮です
噂の真相2002年12月号

「和田アキ子さんの父親は済州島の生まれで、かつては民団大阪東成支部の監査委員長もつとめた在日
韓国人。帰化もしておらず、本名は『金基淑』。日本通名も『金海』という姓でした。もちろん和田ア
キ子さん自身も、芸能界で公表されている『和田現子』が本名ではなく、実際は『金福子』です。とこ
ろが歌手デビューするためにはどうしても在日であることを各ス必要が出てきて、本名はもちろん通名
も使わなくなってしまったと聞いています」
 そして、和田アキ子の父親の4人いる兄弟のなかで、ただひとり父親の4人いる兄弟のなかで、ただ
ひとり日本に帰化して、「金」や「金海」ではなく「和田」という日本名を持っていたのが和田忠浩、
つまり叔父だったのだという。
 「たぶんスカウトした時にホリプロ側が父親にねじ込んだのだろうが、アッコがホリプロ入りする際、
父親が弟のところに行って、こう頼んだらしい。『福子をお前の娘やということにしてくれへんか』と。
娘のためにとはいえ、そんな屈辱的なことを弟に頼まざるを得なかったのだから、よっぽどのことだっ
たんだろう」(前出・芸能プロダクション幹部)

   中略
  
今度は彼女をよく知る別の老舗プロダクション関係者が語る。「彼女の叔父は、アッコが芸能界では
人一倍礼儀にうつさいくせに自分は世話になった人間に挨拶もないとカンカンで、いまやアッコの話
をされるのも嫌なようです。92歳になった父親は川崎のアッコの末弟が引き取り世話をしているん
だが、ここにもやはりアッコは寄り付かず弟が怒っているらしい。とにかく彼女にとって、親族や故郷
といった自分の過去と結びつくすべてが嫌で嫌で仕方なく、接点を持つどころか、できるなら永久に
封印しておきたいものなんだろう」
442名無しさん@恐縮です:05/03/06 05:33:40 ID:5ScsP8ns
【和田アキ子】金正日の愛妻 高英姫との接点 週刊文春報道
http://blog-yamasaki.com/archives/000817.html

高英姫は1953(昭和28)年、在日朝鮮人が多く住む大阪・鶴橋で生まれている。密集した家々の軒下を通る細い路地
を歩くと、猫の額ほどの空き地がある。伸びっぱなしの雑草やヘチマに覆われたその更地に、かつての高英姫の生家
はあった。高英姫は在日二世。柔道家の父・高太文(コ・テムン)氏と母親、妹の四人家族だった。高英姫の母親も、
当時国民的マドンナだった吉永小百合似の美人だったという。が、あまり家から出ることはなく、ミシンがけの内職を
していたという。娘二人は目が大きく、「すごいベッピンさんやった」と近所の人々は今でもその容姿を鮮明に覚えて
いるが、言葉を交わした記憶は薄い。「柔道の世界で頭角を現していた高太文氏は、55年、大阪の在日商工人をスポン
サーに『東亜プロレスリング協会』を立ち上げて、大同山又道のリングネームでデビューしたのです」日本中が力道山
の空手チョップに熱狂した当時、いくつものプロレス団体が誕生し、大同山こと高太文氏の名も広く知れ渡った。だが、
興行的に成功したとは言い難く、数年後にはリングから姿を消した。彼は柔道の世界に戻り、講道館で六段を取得した
という。

「高さんが自宅から歩いて10分ほどの所にある『金海道場』に時々トレーニングをしに通っていたことは覚えています。
和田アキ子の実家ですわ」。畳百畳ほどの広さをもつ金海道場は、最盛期で百人ほどの生徒を抱え、その地区で最も大き
な道場だったという。高太文氏を知る人は、「高太文は大阪では有名な柔道家で、和田アキ子の父親とは柔道仲間やった
んです」と証言する。