【和田アキ子】金正日の愛妻 高英姫との接点 週刊文春報道
http://blog-yamasaki.com/archives/000817.html 高英姫は1953(昭和28)年、在日朝鮮人が多く住む大阪・鶴橋で生まれている。密集した家々の軒下を通る細い路地
を歩くと、猫の額ほどの空き地がある。伸びっぱなしの雑草やヘチマに覆われたその更地に、かつての高英姫の生家
はあった。高英姫は在日二世。柔道家の父・高太文(コ・テムン)氏と母親、妹の四人家族だった。高英姫の母親も、
当時国民的マドンナだった吉永小百合似の美人だったという。が、あまり家から出ることはなく、ミシンがけの内職を
していたという。娘二人は目が大きく、「すごいベッピンさんやった」と近所の人々は今でもその容姿を鮮明に覚えて
いるが、言葉を交わした記憶は薄い。「柔道の世界で頭角を現していた高太文氏は、55年、大阪の在日商工人をスポン
サーに『東亜プロレスリング協会』を立ち上げて、大同山又道のリングネームでデビューしたのです」日本中が力道山
の空手チョップに熱狂した当時、いくつものプロレス団体が誕生し、大同山こと高太文氏の名も広く知れ渡った。だが、
興行的に成功したとは言い難く、数年後にはリングから姿を消した。彼は柔道の世界に戻り、講道館で六段を取得した
という。
「高さんが自宅から歩いて10分ほどの所にある『金海道場』に時々トレーニングをしに通っていたことは覚えています。
和田アキ子の実家ですわ」。畳百畳ほどの広さをもつ金海道場は、最盛期で百人ほどの生徒を抱え、その地区で最も大き
な道場だったという。高太文氏を知る人は、「高太文は大阪では有名な柔道家で、和田アキ子の父親とは柔道仲間やった
んです」と証言する。