●ドラ・エィ・モン:Drums, Percussions 生年月日不明
'76年、剛田はVocalをしながらDrumもしていたが負担が大きいため
当時野比の家に居候していた謎の異国人ドラ・エィ・モンが「ジャイアンメイデン」に※サポートとして参加
※正式にバンド・メンバーではなく'94年の活動休止までサポート・メンバーだった。
インディーズ時代から、Vocalの剛田よりも目立つ全身青い衣装(通称、青子)でドラムを叩くスタイルが話題になる
'89年、バンドブームの波に乗り華やかにメジャーデビュー。
2ndシングル「俺はジャイアン」がオリコン初登場2位を記録する。
ドラ・エィ・モンのドラムテクニックが話題になる。ロボットのような正確なドラミング。
新人では異例のドラム専門雑誌に、2ヶ月間連続表紙を飾る。
'91年、当時、日本では考えられなかった欧米ツアーを1年間敢行する。成功を収める。
初めはドラ・エィ・モンの青子の姿が観客に笑われるが、ライヴが始まると彼のドラミングに終始魅了された。
この1年間の欧米ツアーの活躍で、世界のトップクラスのアーティスト達から数々のオファーが来る
'92年、この年からの「ローリング・ストーンズ」誌に世界最高のドラマー1位に3年連続選ばれ殿堂入り果たす
'93年、初のアジアツアー敢行。ツアー中、ある国で彼が食用ネズミを食して体調を崩し、途中でアジアツアーが中止になる
'94年、前年のアジア・ツアーの体調不良が続き、バンド活動が休止。この年以降、彼は行方を晦ます。