元巨人軍の千葉茂さん死去
9日午前9時45分ごろ、東京都新宿区市谷砂土原町3の元巨人軍選手、千葉茂さん(83)の妻(74)から、「朝、夫を起こそうとしたら、布団の中で冷たくなっていた」と119番通報があった。
東京消防庁から通報を受けた警視庁牛込署で調べたところ、千葉さんはすでに死亡していた。
目立った外傷などはなく、同署では病死とみている。
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千葉さんは、1919年愛媛県生まれ。35年、松山商3年の時、「8番・左翼手」として夏の甲子園大会に出場し、初優勝した。38年に巨人軍に投手として入団し、すぐに二塁手に転向、3番打者として39、40、41年の優勝に貢献した。
42年から4年間兵役に出たが、46年に復帰すると、主将としてチーム再建に献身。川上哲治さんらとともに巨人軍の第2期黄金時代を築いた。
58年、巨人の二軍監督になったさい、この年入団した長嶋茂雄・終身名誉監督に「背番号3」を譲り、翌59年に近鉄監督に就任。61年にユニホームを脱いだ後は、野球評論家として活躍していた。
一見鈍重な体つきと闘志あふれるプレーぶりから、現役時代は「猛牛」と呼ばれた。そのニックネームは現在も近鉄の愛称「バファローズ」に生きている。派手さはないが、堅実でしぶとい攻守に定評があった。
また、バントとライト打ちの名人としてファンに親しまれ、80年に野球殿堂入りした時も、「車で言えば、タイヤみたいなもの。泥にまみれて車を動かすのが私の役目だった。バントだけは日本一だったと自負している」と語っていた。(読売新聞)
[12月9日13時31分更新]
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