服部幸應
服部 幸應(はっとり ゆきお、本名:染谷幸彦(そめや ゆきひこ)1945年12月16日 - )は、
日本の料理評論家、学校法人服部学園理事長兼服部栄養専門学校校長、生島企画室と業務提携するタレント。
東京都豊島区出身。立教大学社会学部卒業。「1561年(永禄4年)に発祥し、1885年(明治18年)
に日本に初めてカレーを紹介した『服部流割烹』[1]17代目家元[2]の孫」を名乗っていたが、
下記の経緯などから2004年頃以降中止し、経歴からも削除したはずであったが、現在もなお
服部学園卒業生に『服部流割烹免許』と題した書状を交付し続けている。
父の服部道政こと染谷栄(服部学園創立者)から英才教育を受け、産地の異なるフグやタイの
刺身[3]、カラスミを毎日食べさせられ、「味」に開眼したと称している。
実妹も服部津貴子の芸名を用い料理研究家として活動中であるが、
兄と同様に『服部流割烹家元』の名称使用は中止したことになっている。
2001年5月に、調理師[4]・専門調理師・調理技能士・ふぐ調理師・製菓衛生師・
栄養士いずれの免許も持たぬまま、調理師養成施設を永年経営していた事実が発覚し
たが[5]、本人に叙勲歴があり、かつ既に調理師試験を出題する側の地位になってしま
っていたため、事実上不問に帰された形になっている。
更に2007年9月には、『週刊文春』[7]や『日刊ゲンダイ』[8]で、これまで自称してきた
「戦国時代から続く服部家の末裔」という経歴が誤りではないかと報じられたため、
服部幸應は芸名のようなもので、服部家と血縁関係がないことを認め、以後経歴を修正することになった。
あと10分ほどで真夜中になるという時間帯に、私は特急電車に乗っていた。
やがて、途中の駅で一人の男が乗り込んできた。
その男は、電車のドアが閉まると、突然我に返ったように乗客の顔を見回し始めた。
「すみません。あなたの年齢は28歳ですか?」
男が私に話しかけてきた。
「そうですが、どうしてわかったんですか」
私が聞き返しても、男は無視して、また別の人に話しかけた。
「あなたの年齢は45歳ですか?」
「そうですけど……」
「あなたは62歳ですね?」
「どうしてわかったんだ?」
そんなやり取りを繰り返していく。
どうやら、その男には、顔を見ただけで年齢を当てる特殊能力があるらしい。
次の停車駅までは、まだ15分以上ある。
私を含め、乗客たちは全員その男に注目し始めた。
「あなたは50歳ですね?」
「そうですが、あと5分で日付が変わったら、51歳になるんですよ」
最後に質問された女性は、笑顔でそう答えた。
年齢を当てていた男の顔が、その途端に青くなった。
「凄いですね。百発百中じゃないですか」
私は男に話しかけた。
すると、男は青い顔を私に向け、こう言った。
「・・・私が見えてるのはあなた方の寿命です」