まあ甘えん坊にはいくら言っても分からないようだから仕方ない。
「受益者負担」という言葉があるが、益を受ける人たちが等しくリスクを負うべきというのが沖縄サイドの主張であって当然の話。
原発問題もそうだが、東京を中心とした首都圏の連中がそんなに電力を必要としているなら、その連中が原発を受け入れればいいのであって、
電力を首都圏ほど必要としていない福島に原発を置くのは間違っている。
基地問題と原発問題は同じ構造だと指摘したのが沖縄タイムスと琉球新報で、中日新聞や東京新聞など本土のメディアでさえそれに同調しているのが現状。
つまり、日本が常にアメリカの後ろ盾を必要とし、そのために基地が必要だというなら、必要だと主張している都道府県に基地を置けばいい話で、
いらないと言ってるところに基地を置く必要はない。
日本人が等しく安全保障を享受しているなら、そのリスクも公平であるべきというのが沖縄タイムス、琉球新報の記者、そして琉大、沖国大、沖大などの学者の主張である。
当時の首里中について
詳細な情報を持っている=俺
何一つ情報を持っていない=ナイチャー荒らし
自分の出身地を言えないのは自分に自信がない証拠。
自分に自信のある人間は堂々と自分の出身地を言えるし、自分の地元を誇りに思うもの。
自分に自信のない人間は、自分の地元に誇りが持てない。
大和土人は地元愛にも欠け、また同郷の人間にも特に親しみを感じることがないともいわれる。
そこが我々沖縄人との大きな違いで、異人種・異民族であることの証でもある。
だから郷土意識が強く、相互扶助の精神にあふれる沖縄人が羨ましくてしょうがないらしい。
自分に自信のある人間は、いくらでも地元の自慢話ができるが、自分に自信のない人間は、自分の地元の自慢話が何一つできない。
自分に自信のある人間はいつも堂々としているが、自分に自信のない人間は常に劣等感に苛まれ、自分の出身地を堂々と言うことができない。
自分に自信のある人間は、自分の郷土を愛し誇りを持てるが、自分に自信のない人間は自分の郷土を愛せず、誇りも持てない。
だから自分に自信のない人間は、自分に自信があり、自分の郷土を愛し、自分の郷土を自慢できる沖縄人が羨ましくてしょうがないらしい。