引退後・・・・・・・・・・・

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9名無しさん@実況は実況板で
―プロアマの壁をざっくり理解―

プロ野球との関係は、同じアマでも社会人野球と学生野球は別の道をたどってきた。


学生野球とプロの壁は戦前から。
満州国建国の非常時という情勢の下、過熱気味だった学生野球熱を抑えるために
1932年に文部省から野球統制令が出され、学生野球の試合・大会に関する細かな規定を制定。
規定により、プロ(発布時はアメリカから遠征してくるプロチームを想定。日本のプロ野球はまだなかった)と学生チームの対戦は
禁止となる。

学生野球は、戦後の1947年になって野球統制令が廃止されたことで
自主運営の道を回復していたが
再び文部省の管理下に置かれて自主運営の道を閉ざすような事態を招かないよう、
アマチュアリズムを堅持しプロと一線を画す姿勢は崩さず。
「学生野球はあくまで教育の一環」と言い続けてきたのもそのため。


社会人とプロは、戦前はエキシビション等で試合をすることがままあった。
が、1949年に占領軍の意向(アメリカが提唱していた「アマチュア野球世界大会」への日本代表参加構想)によって
プロとアマ(社会人)の線引きを明確にするために「アマチュア資格」を制定。
これにより対戦の機会がなくなった。
それでも1960年までは1年ごとに協約を締結して
シーズン中の選手引き抜きをしないことを条件に社会人は元プロの受け入れ(アマチュア資格の回復)をしてきた。
 ※アマチュア資格=競技以外の職業を持ち、あくまで趣味としてプレーをすること。プレーの対価として報酬を得ることを目的としないこと。
 プロと試合をする、試合をしなくても同じ大会に参加する、報酬を受ける目的で野球を指導するなどの場合はアマチュア資格を喪失。

が、1961年に元プロの出場制限期間や人数に関して双方の主張が対立し、プロ側が協約締結を拒否。
協約が無い状態となり、直後に柳川事件(シーズン中の社会人選手の引き抜き)が起こる。
この件をきっかけに、社会人側は元プロの受け入れをしないことに。
10名無しさん@実況は実況板で:2012/10/24(水) 12:36:43.24 ID:+/YjDSun
社会人とプロ

戦前   少なからず試合をしていた
1949年 「アマチュア資格」制定により、試合の機会がなくなる。
      プロ経験者のアマチュア(社会人野球)復帰は可能(1年ごとに協定を締結)。
1961年 プロ、協定破棄。
      柳川事件。
      社会人、元プロの受け入れをしないことに
1969年 プロ側からの要請で協議再開
1973年 プロ経験者の臨時コーチが条件(資格審査)付きで認められる
1978年 プロ経験者の監督・コーチを受け入れ(1チーム2名まで)
1992年 バルセロナ五輪出場のアマ全日本チームとプロ選抜が壮行試合。
      現役プロ選手による技術指導も条件付きで可能に
1994年 社会人、技術指導の申請手続きを許可制から届け出制に変更、期間制限を撤廃。
      プロアマ合同機関:全日本野球会議設立
1997年 (IBAF、翌年の国際大会よりプロ参加の容認を決定)
1999年 1チーム2名まで、プロ経験者の選手を受け入れ(未制度化=形式上は特例措置)。
     シドニー五輪予選、プロアマ混成チームで出場。以降もIBAF管轄の国際試合にNPB所属選手出場
2001年 プロ・社会人交流試合解禁(湘南シーレックスvs日産自動車)
2002年 社会人野球公式戦へのプロチーム参加解禁(JABA広島大会、広島カープ)
2003年 社会人、「プロ野球との関係についての改正」を議決。
      ・元プロ・プロ関係者による臨時コーチについて届け出制を廃止。技術指導の制限を撤廃、自由化。
      ・監督・コーチ、選手の登録を正式に制度化。選手登録の期間制限を撤廃
      
     選手登録1チーム2名までという制限を除き、プロ・社会人の間でプロアマの壁はなくなる
11名無しさん@実況は実況板で:2012/10/24(水) 12:37:17.10 ID:+/YjDSun
学生野球とプロ

1932年 文部省、野球統制令を発令。学生野球に関する試合や大会について細かな規定を作成。
      プロと学生が試合することは不可能となる
1945年 (終戦)
1946年 学生野球基準要項制定。
1950年 野球統制令廃止。
      学生野球基準要項制定を学生野球憲章と改称。アマチュアリズムは堅持
1973年 大学、母校に限りプロ退団者が特別コーチとして学生への指導が可能に
1984年 高校、教諭経験10年以上の元プロが野球指導者になることを認める(未制度化=形式上は特例措置)
1994年 高校、元プロが指導者になる条件を教諭経験4年に短縮
1997年 高校、元プロが指導者になる条件を教諭経験2年に短縮
      大学、大学野球出身の元プロの特別コーチに関し、母校のみという制限を撤廃。母校以外でも指導可能に
2003年 高校、現役プロ選手による野球部員への技術指導シンポジウム「夢の向こうに」を開始
2005年 大学
      ・プロ球団退団から2年以上経過した元プロ野球関係者の監督・コーチ就任を解禁。申請ののち学生野球協会が承認
      ・大学専任教員経験2年以上の元プロの指導者復帰を認める
      ・特別コーチの規定を「プロ球団退団から2年以上経過」と改める。所属連盟への届け出制
      高校・大学、現役プロ野球選手の母校施設での練習参加を解禁。12月1日〜1月末までのプロシーズンオフ期間
      高校、プロ野球OB会と協力し、都道府県高野連主催の野球部員への技術講習会に元プロが講師として参加することを容認。
人選についてはプロ野球コミッショナーが適任者を推薦、日本高野連が承認。
2006年 東京六大学選抜vs東京ヤクルトスワローズの特別親善試合
2009年 大学日本代表vsプロ選抜の特別試合
2010年 大学、プロとの交流試合解禁(学校が休暇となる3月、8月)
      高校、元プロが指導者になる条件を緩和。
      ・教諭経験2年以上→臨時採用期間を含め通産2年以上に
      ・大学専任教員経験通産2年以上の元プロが高校野球部指導者となることを認める
2011年 高校、2012年1月より屋内施設でのシンポジウム形式だった「夢の向こうに」に
       グラウンドでの技術指導講習を導入を発表