本田はあの宮本武蔵を想起させる。
●ローマやマドリッドから高額なオッファーをけって、厳しい環境のCSKAに敢えて残留
→サッカー求道者として自分が最も鍛えられる所を選んだ
●「名ばかり」のプレーヤーにガチ勝負を挑み、どっちが上がはっきりさせる。
「ここはオレっしょ」で始まった俊輔との勝負を実力でもぎ取る
→武蔵も名ばかりの吉岡一門に勝負を挑み倒した。
●マスコミやスポンサーに媚びない孤高な求道者。
W杯後高額ギャラのオッファーで取材やTV出演依頼が殺到したが全てけって
母校の星稜や自分が通った保育園をボランテイアで回り後輩達を励ました
→武蔵は大名家への就職を拒み、洞穴で一人暮らしをして「五輪の書」を書いた。
つまり、スポンサー・マスコミ・草加から見ると最もかわいくないサッカー選手。
武蔵もあまりにも純粋な武芸者だったので将軍家に疎まれた。