映像がとらえた屠殺のシーン
(食卓のお肉ができるまで)
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年間、数十億の動物が毎日毎日殺害されています。
残酷ですね。でも、これらに目をそむけて肉食しているほうがもっと残酷だと思うのです。
家畜には、私たちが想像していたような安楽死はありません。
また私たちの体に肉食は百害あって一利なしなのです。
http://saisyoku.com/pics_killed.htm
今夜のハンバーグ、大丈夫?
この弱って歩くことも出来ない牛は生きたままシュレッダー(肉をつぶす機械)にかけられました。
ビデオの音声に残っていますがこの牛の体は機械に吸い込まれていく寸前まで「モ〜〜!」と鳴いています。
米国農務省の調査官長が2006年に行った公表によると、米国農務省の屠殺場調査官達は未だに
(狂牛病にかかっているかもしれないものも含め)弱った牛達を違法に人間の食べ物とすることを許可しているそうです。
肉食を続けるということはこれらの行為に加担しているとも言えます。
http://saisyoku.com/movie/cow.wmv
Q:植物にだって命がある。動物だけ食べないというのは、おかしいではないか。植物を食べるなら動物も食べるべきだ。
A:植物にも生命があります。感情もあります。
愛情をかければそれなりに育ち、憎しみを込めて育てた花はすぐ枯れると言う報告もあります。
でもリンゴをもぐように、鶏の首をしめあげて殺せるでしょうか?
トマトをもぎとるように鳥を殺せるのかどうか。
稲を刈るように牛の首を刈るのかどうか。
芝生を踏むのと小鳥を踏むのは同じ行為かどうか。
野菜を殺して食べているんだから動物も殺して食べていいのだ。
このように、本当に植物の命と動物の命が平等だとお感じになる方もいらっしゃるようです。 =??
しかしほとんどの方が動物を殺すことは植物を採取することよりも抵抗を感じることが多いと思います。
それは動物は我々と同じ仲間だと感じているからではないでしょうか。
動物には我々と同じ、脊椎をもち、顔があり、動き回り、殺そうとすると激しく抵抗し逃げ回ります。
植物は地球上には動物よりも先に存在し、我々動物を育んでいます。
我々の吐き出す二酸化炭素を吸収し、我々に必要な酸素を生み出してくれます。
果実は動物の好む匂いや色や味を用意して食されることにより繁殖を試みます。
我々動物の糞尿や死骸は土となり、植物の栄養となります。
動物は人間の食物ではなく、我々と同じ植物に育まれている仲間であると考えられます。
Q:動物達に成仏してねと思いつつ、残さず食べてあげるのも供養かと思うのですが?
A:もちろん、すでに殺されてしまった動物達を粗末にするのは、とんでもないことです。
でも、もう1歩踏みこんで考えてみませんか?
殺人犯が、『殺すけど、あとでちゃんと供養するからいいでしょう』と言って、世の中がゆるすでしょうか?
残された遺族は、納得するでしょうか?
私達は肉を食べなくては死ぬというわけではないのですから、供養するくらいなら始めから殺さないのがよいのでは?
Q:お肉を食べる時、感謝して食べていますので問題はないと思いますが?
A:動物に何かしてもらったならば動物に感謝をしなければなりません。
しかし動物からは強引に命を奪っているので(動物が自殺のごとく食べられるために献体したのではありません。)何かを強引に奪ったものは罪になります。
命を奪ったら感謝ではなく、謝罪または懺悔でしょう。