【秋季】大学野球総合【神宮】

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885名無しさん@お腹いっぱい。
主要リーグの誕生と相互関係の歴史

1903年 早慶戦開始。
1906年 早慶戦中断
1914年 早慶明で三大学リーグ戦を始める(早慶戦復活せず)
1917年 法大がリーグ戦に参加。四大学リーグに(同上)
1921年 立大がリーグ戦に参加。五大学リーグに(同上)
1923年 関西学生野球連盟(旧)が発足。
1925年 東京帝大(現在の東大学)を加え、東京六大学野球連盟発足、早慶戦再。
    国学、専大、日大、東京商大、東洋大、宗教大(後の大正大)で東京新大学野球連盟(旧)を結成。
1926年 東京新大学(旧)が改編。国学、日大、東洋大、東農大、上智、東大農学部に青山学院、
    高千穂高等商業(高千穂大の前身)、早大高等師範部(早大教育学部の前身)、東京高等工芸(現在の千葉大工学部の前身)
    などの専門学校も加えた東京新10大学野球連盟と改称。トラブルも多く歩調が合わず、結成はしてみたものの結局はその後、自然消滅に近い形で解散。神宮球場落成。
1927年〜1930年 国学、日大、専大などの技量が整っていき、六大学に対して個々が加盟を打診。
    テストマッチを行なう話が再三起こったが行なわれないままうやむやで推移。
1930年 関西四大学野球連盟結成(関大、京都帝大、同大、立命)
1931年 国学、日大、専大は、やむなく中央大学と東京農業大学を招聘して、後に現在にいたる東都大学野球連盟の前身である、東京五大学野球連盟を結成。
同年秋、旧関西学生の一部(関学・神戸商業大←神戸大の前身)が関西四大学に移り関西六校野球連盟を結成(翌年に関西六大学連盟と改称)。
1936年 東京五大学連盟に東京商科大(一橋の前身)が加盟し東都大学野球連盟へ改称
1940年 東都の加盟構増加に伴い1部2部制を導入。入れ替え戦を開始
1941年 太平洋戦争開始
886名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 09:11:32 ID:xGwYtac8
>>885 つづき

1945年 太平洋戦争終了
1946年 東京六、東都、関西六の各リーグ戦が再開。尚、東都と東京六大学の再開に伴い東都側から合併の申し入れが行なわれるが拒否。
1947年 旧関西学生の有力校(阪大、大阪商科大←大市大の前身、大阪理工科大←近大の前身)が大阪三大学リーグとして再開。
    東六・東都・関六で全国大学野球連盟を結成(三大学王座決定戦開始)。
1948年 大阪三大学に新規3校(奈良医大、大歯大、神戸商科大)を加え近畿六大学に改編。
1949年 学制改革の結果誕生した多くの新制大学による新制大学野球連盟が結成。新制大学選手権が開始。(東京六・東都・関六は含まれない。それ以外が全て所属。)
1951年 加盟校増加に伴い近畿六大学を近畿大学リーグに改称。入れ替え戦を開始。
1952年 全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟が合併→全日本大学野球連盟の結成。
    全日本大学選手権が開始。東都が加盟校増加に伴い3部の下に準加盟リーグを設置。
1959年 近畿リーグの中心校の近大が近畿リーグと関西六大学の合併運動を開始。(拒否される)
1961年 近畿地区(近畿・阪神・京滋)と関西六との合併申し入れを関六が了承。
1962年 関西大学連合を結成。関六と下部3連盟間で入れ替え戦開始。
1964年 東都の準加盟校を中心に7校が脱退し首都リーグを結成。
1970年 同年秋から神宮大会が開始
1981年 同年冬、関六の入れ替え戦を凍結。再編問題で大揺れ。
1982年 再編問題の結果脱退校が相次ぎ関六も解体。再編成の結果、新関六・関西学生・近畿・阪神・京滋に分裂(連合の解体)

以上