前にも別スレで投稿しましたが、怪我する前に書かれた
ジェフ・ヒーバーロについての記事です。
もう読んでいたらゴメンネ。間違いがあったので少し修正しました。
マリナーズのオフィシャルサイトより。
http://mariners.mlb.com/NASApp/mlb/sea/news/sea_news_story.jsp?article_id=sea_20020128_heaverlo_news&team_id=sea 固有名詞の読み方については、間違っているのがあるかも
しれません。Heaverloをヒーバーロとしましたが、これは適当です。
君は彼を知らない。ジェフ・ヒーバーロ
スプリングトレーニングで、元マリナーズの選手の息子は
大きなチャンスをつかむだろう。
シアトルマリナーズは、同じ外野でメジャーの試合をプレーした
初めての親子を生み出した。
(ケン・グリフィー・ジュニアとケン・グリフィー・シニアのこと)
それから10年以上がたち、もう1つの2世代目の選手が
姿をあらわし始めた。
今回は、すべてピッチングに関するものだ。
右投手のジェフ・ヒーバーロは元マリナーズの救援投手
デーブ ・ヒーバーロの息子だ。
彼は、マリナーズのマイナーリーグの組織をすばやくかけ上がり、
2002年のシーズンをトリプルAのタコマ・レイナーズで始める予定だ。
しかしベテランの救援投手ノーム・チャールトンが先週、
回旋筋腱板を損傷した。
これにより24歳のヒーバーロに、スプリングトレーニングでの
チャンスがまわってくるかもしれない。
マリナーズの先発ローテーションの一角を、獲得できるかも
しれないのだ。
特にジョン・ハラマがチャールトンの代わりに、救援投手となった
場合は。
高い評価を受けているギル・メッシュとライアン・アンダーソンは、
去年手術を受けて投げれず、今も回復中である。
そしてデニス・スタークとブレット・トムコはオフシーズンにトレードで
出された。
そんな中でヒーバーロが来月のスプリングトレーニングに向けて、
先発の有力候補として急上昇してきた。
彼はメジャーへの道をひた走ってきた。
去年テキサスリーグのダブルAサンアントニオにいた時に、更に
そのスピードを上げた。
質の高いチェンジアップを身につけ、速球をもっと使うようになった。
ヒーバーロは11勝6敗で、防御率3.12の成績で、チームの
最優秀投手に選ばれた。
「彼は去シーズン大きく進歩して、楽しみな若手有望選手となった。」
マリナーズのマイナーリーグ管理局のグレッグ・ハンターは語る。
「彼はシーズンの締めくくりも良かった。」
ヒーバーロはリーグで2番目に低い防御率だった。
そして父親の助言を良く守り、178と2/3イニングで40の四球と
173の三振というトップクラスの三振/四球率をあげた。
「私はいつもストライクを投げて打者に立ち向かえと強調してきた。」
7年のメジャー生活でマリナーズ、アスレティックス、ジャイアンツで
投手を務めたデーブ ・ヒーバーロは語る。
「息子はそのことを良く理解して、いい仕事をしてくれたよ。」
若い方のヒーバーロは1999年にサンドイッチ指名権で、
その年のドラフトで指名されプロ生活が始まった。
それ以来373と1/3イニングを投げ、わずかに107人の打者を
歩かせただけだった。
ワシントン州のエフラタ高校を卒業して、ワシントン大学で3年間
プレーした。
99年にはオールパシフィック10カンファレンスに選出された。
「185センチで98キロの彼は大きな男ではないし、豪速球投手
でもない。」
とマリナーズのマイナーリーグの投手コーチのパット・ライスは語る。
「しかし彼の速球には大変良い変化がついていて、マウンドでの
すばらしい存在感と投手としての精神力を持っている。」
「それに彼はよく練習する良い子なんだ。」
マウンド上での存在感の多くは、彼の父親から引き継いだものだ。
彼の父は1990年に1シーズンを、マリナーズと共に過ごした。
「彼はまさに彼の父のように、戦いを好み、競争心に
あふれる男だ。」とライス。
「彼は野球の試合とともに育った。」
「だからゲームがどのように戦われるのかを知っているし、
ピッチングをすることを本当に楽しむ。」
マリナーズは野球の試合とともに育った子供達の事を、大変に
よく知っている。
ケン・グリフィー・ジュニアはマイナーリーグに2年いただけで、
トリプルAを経由して1989年にはメジャーのセンターとして定着した。
2年後、彼の父ケン・グリフィー・シニアがマリナーズに加わった。
そして1991年8月5日にキングドームで、ジュニアがセンター、
シニアがレフトの守備につきMLBの歴史を作った。
それ以来マリナーズではホセ・クルーズ・ジュニアと
デービッド・セギーの2世代、ブレット・ブーンとデービッド・ベルの
3世代選手がプレーした。
そして今、ヒーバーロの番がやってきた。
「もしそうなったら素敵だね。」とデーブ ・ヒーバーロ。
彼はいまだに東ワシントンに住み、野球をやっていた頃の
ニックネームのTunaで呼ばれている。
「子供の1人が後を継いでくれるようになるなんて、最高に
良い気分だね。」
ジェフ・ヒーバーロはマリナーズの投手陣の一角に食い込み
たいと願い、アリゾナ州ピオリアのキャンプに参加する。
ただ球団がもう少しマイナーの経験が必要、と判断してもショックは
受けないだろう。
「高校を出てそして大学へ、俺はすぐにメジャーに上がれるような
若者になりたかったんだ。」と彼は言う。
「そう思うのは夢としてはいいんだ。だけど現実はそうじゃない。」
「俺はこの世界じゃ、まだひよっこだし。教育を受けている最中さ。」
力強い速球を投げれて、もう1種類の球種があれば、メジャーでも
成功するのは可能だ。
しかし君が140キロから148キロくらいの速球のピッチャーだった
としたら。
その場合はスピードに変化をつけたり、ピンポイントの
コントロールを身につけたり、多くの球種を覚える事が、
より重要となる。
「我々がワシントン大学を出た彼と契約した時、彼は65から
70パーセントの割合でスライダーを投げていた。」ライスは言う。
「我々は彼に強制的に速球を投げさせた。」
「去年のなかば頃、彼はようやく速球に十分な自信を持てるように
なって、もっと速球を投げるようになった。」
「そして彼が15パーセントのスライダーと15パーセントの
チェンジアップを投げるところまで来た。」
「シーズンの後半は、リーグを圧倒するほどになり、
もうほんの少しで最高防御率賞を取れそうだった。」
ヒーバーロは言う。
「去年の始めはスライダーをたくさん使った。たぶん使いすぎた。」
「しかしある日、うちのチームの先発の1人のアラン・シンプソンが
マウンドに行き、速球だけを投げたんだ。」
「彼は56球の速球を投げて、とても良い結果だった。」
「俺は彼と話して、次の登板の時、もっと速球とチェンジアップを
投げる事にした。そして良い投球が出来た。」
「少ない投球数で済み、スライダーを大切な時に取っておく事が
出来たんだ。」
これは2種類のスライダーと速球とチェンジアップを持つ彼に
とっては、失うもののない理想的な状況だった。
スライダーはヒーバーロが高校と大学で成功した理由だが、
彼の父から引き継いだものではない。
「うちの父は俺や俺の兄弟が、若いうちから変化球を投げるのを
許さなかったんだ。」ジェフは語る。
「俺は15の時、ワシントン州のエレンスバーグの野球教室に行った。」
「そこでカーレイ・ラッソーという人にカットファーストボールの
投げ方を教えてもらった。」
「それがやがて、スライダーになっていった。今では、俺は教科書
通りのスライダーを投げるんだ。」
「それは落ちながら、右打者から見て逃げていくやつだ。そして
もう1つのほうのスライダーは、変化はするが、落ち方が小さい。」
そしてそれが彼が左打者に対して、効果的に使う球種だ。
ここまでのことは、どのように投球すべきか学ぶ過程の一部だった。
そしてヒーバーロは疑問を持った時(それが投球に関する
ものでも、人生一般に関するものでも)、誰に聞いたらいいのかを
知っていた。
「父がいてくれて、毎日24時間ピッチングコーチがついていて
くれるようなものだ。」と彼は言う。
「1日中いつでも電話をして、話す事が出来る。」
「スプリットフィンガーファーストボールの投げ方を聞くような事は
しないよ。」
「だけど、父はメジャーでプレーしていたので、いろんな問題の
対処の仕方を知っているんだ。」
aso
「父には色々と教えてもらった。」
「ストライクを取る大切さや、まわりに影響されて感情的に
ならないことなんかだ。」彼は言う。
「気持ちが澄んでいる時の方が、投球はずっと楽だ。」
「切れそうになった時はいつでも、出来るだけ早く感情を
抑えるようにするんだ。」
1つだけ彼が父から引き継がなかったものは、スキンヘッドだ。
「父はしょっちゅう髪を切れと言ってくるんだ。」ジェフは笑いながら言う。
「俺は何回かはさみを持ち出して、頭を剃ってみた事があるよ。」
「だけどそれは俺が頭を剃ったら、どんなに馬鹿に見えるかを
忘れている時だけだよ。」
スキンヘッドだろうが、髪の毛ふさふさだろうが、ジェフ・ヒーバーロが
マリナーズの先発ローテーションに入るのは、ただ時間の問題だろう。
以上です。
パシフィック10カンファレンスとは、太平洋沿岸の10の大学で
構成するリーグのことです。
サンドイッチ指名権(sandwich pick)とは、前年FAで選手を失った
チームに与えられる、ドラフトの時の指名権です。
FAで選手を獲得したチームから、失ったチームに指名権が移るわけです。
例えば、去年マリナーズはその前年にFAでネルソンを
獲得したので、ヤンキースに指名権を譲りました。
またA-RodをFAで失い、レンジャーズから指名権を獲得しました。
今年からこの制度は廃止された模様です。