◆2002M's&ICHIRO&SASAKI&HASEGAWA 04◆
http://espn.go.com/magazine/vol5no11ichiro.html 閃光
by ジェフ・ブラッドレー
全員が頷く。全ての偉大な者たちが賛同する。ジーター、Aロッド、ボンズ、グリフィー、
ソーサ、ピアッツァ、そしてジアンビ。イエス、イエス、1000回でも言おう、イエスだ。
全員にこう尋ねたとしよう。「調子がいいときは、ゲームはスローダウンするか?」と。
彼らは頷く。さらに「調子が悪いときは、とても速くなる?」と問えば、また頷くだろう。
集団として見れば、彼らはこれが調子のボーダーラインと考えている。
「それが試合ってもんだよ、なあ。」ジアンビは言う。「簡単に言えば、それが試合の
やりがいでもある。選手はいつも快適なスピードで進むように試合をスローダウンさせよう
とするものなのさ。」
そしてここでイチローの登場だ。
「ノー、ノー」彼はマリナーズのスカウト部長補佐であり通訳も務めるヒデ・スエヨシを
通じて主張した。「試合はスローになったりしません。試合にまつわる全て――投球、走塁、
守備――はとても速いものです。」
きっと訳すときにニュアンスが抜け落ちてしまったんだろう。もう一度尋ねてみよう。
「多くの選手たちはこういう概念について語っています。マリナーズ一つとってみても、
ジョン・オルルドやブレット・ブーンは、これが試合の最重要部分だと語っていました。
彼らは上手くプレーしているときは試合がスローモーションのように見えるといいます。
そしてスランプの時には、まるで早送りのようになると。」
今度は通訳も動きを交えてくれる。スエヨシは手を動かし、目を指差す身振りを交えながら、
「スローモーション(どうやら明らかに日本語でも通じるようだ)」という言葉を使って
説明している。ついにイチローは分かったというようにうなずく。しかしかれは通訳に
話しながら再び首を左右に振りはじめる。
「彼は『自分はそう思わない』と言っている。」スエヨシは語る。「しかし彼は、他の選手が
試合を違った目で見ていることは良く分かる、とも言っている。これでいいかな?」
最初は納得できなかった。ノーだ。しかしそれも、絶好調時にウィー・ウィリー・キーラーが
こう言っていた事を思い出すまでだった。
「俺にはボールがグレープフルーツ大に見えるんだ。」
またスランプ時のダッキー・メドウィックはまるで「アスピリンの錠剤に向かってスイング」
しているような気がすると言っていた。これは抽象論だと思われていたわけではない。
メジャーのスピードに関するより技術的・複雑な会話のための基本的な叩き台となる考えだと
思われていた。しかしイチローは再考を促してきた。そして今、彼はゆったりとロッカーに
腰掛け、次の質問を待っているのだが、こっちはどう話を続けたものか言葉に詰まり、どもり
ながら途方に暮れる。スエヨシは神経質に微笑んでいる。
「『ゾーン』についてはどうです?」こう尋ねてみた。「彼は『ゾーン』を信じていない?」
スエヨシは再びにやにや笑っているイチローに質問を伝えてくれる。また頷きながら答えている。
「もちろん信じてますよ。」通訳は言う。「しかし選手ごとに自分自身のゾーンがあります。
僕のゾーンはスローモーションじゃありません。」
数日後になってやっと、よく熟考した末、イチローの答えが完全に意味をなしている事に
気付かされることになる。彼はメジャーリーガーたちを彼独特のスピード技術でもって
神経衰弱者の群れに変えてしまったのと同じように、型破りな考えでゆさぶってきたのだ。
そう、イチローは試合を彼自身のスピード――速い――でプレーし、他の者全員がそれに
合わせる事を強いられるのだ。アメリカでの1シーズンと2ヶ月、彼は本格派投手には
コースをはずずことを考えるようにさせ、一流内野手――『普通のゴロ』を普通にさばく者
――には、グラブに収めたボールをどれだけ素早く取り出さなければならないかを計算
し直させることを強いているのだ。そして彼はまたかつての本能的・積極的なランナーたちを
ためらいがちで注意深いランナーに変えてしまった。イチローのゲームテンポは速すぎて、
他の者たちみんなの通常の流れは台無しにされてしまうのだ。
「それはまるでタイガー・ウッズが他のゴルファーにするようなものだよ。」マリナーズ
捕手のダン・ウィルソンは言う。「タイガーに勝つには違う方法でプレーしなければならない
とみんな考える。だから試合に対するアプローチも変わるんだ。そのいっぽうでタイガーは
いつも通りの自分のプレーをする。そして他のみんなはボロボロになるんだ。イチローも
これと同じだよ。彼は決して試合に対する姿勢を変えたりしない。何かを強いているという
ことはないんだけど、他の奴らは自分を見失わされてるように見えるんだ。」
エンジェルス3連戦での彼のプレーを見ればこの主張を裏付ける重要な事実が浮かび上がる。
事例A: 2ストライクでイチローが三塁手のトロイ・グロスへ向かってボールを叩きつける。
グロスがいつも軽くこなすプレーだ。しかしイチローはまるで打つ瞬間に左打席から一歩
踏み出しているように見える。しかも彼のホームから一塁へのスピードは普通3.7秒なのだ。
グロスは慌て、2回ボールをお手玉し、投手のスコット・ショーエンワイスにボールを放り
投げるしかなくなる。ヒットだ。
事例B: エンジェルス中堅手のギャレット・アンダーソンがライトのイチローの左側へと
ライナーを放ち、はるばる外野フェンスへ飛ぶ。ボールはそれほどフェンスからバウンド
せずに、パッド部分の下に留まっている。イチローがボールを拾って内野に返してみると、
アンダーソンは二塁へと滑らず、一塁へ歩いて帰っていき、バッティンググラブをはずし、
あえて危険を冒したりはしない。
さらにその好対照となる事例C: 捕手ベンジー・モリーナ(多分球界で最も鈍足の選手)
が、ライトへきれいなライナーのヒットを放つ。イチローはボールに突進し、ショートの
深いところへ15バウンドするような打球を放った打者に対するように処理する。
「彼がみんなにいつもと違うプレーを強いているというのは疑いのないところだね。」と、
エンジェルスの遊撃手デビッド・エクスタインは語る。「僕は彼が打席に立つときには
二歩前に出てボールを素早く取れるようにする。でもそれはいつもと同じだけの範囲を
カバーできなくなる事をも意味するんだ。そして心の中では、少しでもボールがそれて
しまったら、ボールに突進しなければならないことも分かってる。それと、イチローに
関して他に思いつくのは、彼はクルーズコントロールしているように見えるってことだ。
僕はあいつがフィールドで不安そうにしているところを見たことがない。」
これはイチローもある種認めるところだ。いや、彼の性格からして、彼の試合ぶりが人を
ゆさぶるものであると認めることはない。(少なくとも公表されている性格にはない。
彼のチームメイトは彼は自分自身を良く分かっているよと教えてくれるだろうが。)
しかし彼はもし自分が完全にコントロールできているようなら、それは偶然によるものでは
ないと言うだろう。「僕は心と体をハイ・スピードでプレーできるように準備しています。
僕にとって、試合で最も重要な事は完全な準備をすることなのです。」
しかしこれはイチロー自身と同じくらい深遠な話だ。彼に『完全な準備』とは何かと尋ねて
みたら、こう返された。「全てです。」例をあげてくれと頼んだら、こうだ。
「打つ前に汗をかいたTシャツを変えるとか。スパイクに泥がついていないか確認するとか。」
じゃあ、チェックリストがあるの?「ある種のね。でもいつも全部出来るわけじゃないから
優先順位をつけておかなきゃならないですけど。」それはあなたの心構えに関するもの?
「心構えは、その一つに過ぎません。」
そのリストには他にどんなものがあるのか、イチローの同僚は知りたがっている。マリナーズの
選手たちはいまだに好奇心いっぱいの子供のようにして、イチローが様々なストレッチの手順を
繰り返すのを観察している。ストレッチはイチローにとって単に試合前にこなすものではなく、
投球ごとになされるものなのだ。ユーティリティ選手のデシ・レラフォードはオフのトレードで
マリナーズにやって来たのだが、キャンプ中から何か学ぶことがあるだろうとイチローを綿密に
研究していたと言う。「でも彼が自分の体でやっている事が僕に出来るとは思えないんだ。」
レラフォードはあるイチロー体操をして見せようとしながら言う。「あのスクワットみたいなのさ。
足をべったりと地面に開いて、尻を地面につけて、しばらく揺するやつ。」レラフォードは笑う。
彼には似たような真似をすることすらできない。「それに彼はかなり強いやつだと思うよ。」
レラフォードは続ける。「でも大多数の選手のようにウェイトリフトで鍛える類のものじゃない。
僕らは腕や、背筋や、肩を鍛える。でも僕が思うに、彼は体幹の力がもの凄いんだ。
芯の部分がね。」
レラフォードはこう推測する。イチローは体幹の強さによって、軽いスイングに見えても
内野の間を弾丸のように抜けるボールを打つ事が可能になっているのだと。
「それに彼のスイングはとてもコントロールされてるからね。」レラフォードは言う。
「彼はどのタイプの投手に対しても同じゲームプランで打席に立つことが出来る。ほとんどの
選手は、剛球投手には素早く反応し、軟投派投手にはボールを待て、というゲームプランで臨む。
でもあいつはアプローチを変える必要がないんだ。」
イチローのバッティング練習を見ていると、半分から四分の三程度の速さのスイングで流しつつ、
左へ右へと強烈なラインドライブを放つ。順番が回ってくる毎にスイングスピードは増していき、
打球もより強く、より広い範囲に飛ぶようになる。しかし、イチローのスイングが50%だろうが
100%だろうが、ボールをしっかり打とうが中ぐらいで打とうが強烈に打とうが、彼の
バッティング練習で放つほとんど全ての打球がヒット性のものであることに気づかされる。
もちろん、すごい『5時の打者(ファイヴ・オクロック・ヒッター)』というのはアメリカ中に
いくらでもいる。40代の元控え捕手がスクリーンの向こう側のマウンドにいて、65マイル
の球を投げ、フォーシームの直球をプレートのど真ん中に投げてくれている限り、同じような
バットコントロールを見せられる者はいるだろう。しかしイチローのように試合でも全く同じ
ことをして見せるのはどうだ?ペドロ・マルチネスやロジャー・クレメンスやバリー・ジートが
速球やチェンジアップやスプリッターを織り交ぜ、モーションで惑わし、腕の振りも一定で、
たとえどんな球が来るのか分かっていたとしてさえ打つのが難しいと言うのに?
「説明するのは難しいですね。」イチローは認める。「頭よりも体が投球に反応するんです。
ボールが投手の手を離れたら何も考えません。体がボールが来るのを感じるんです。」
じゃあ、感覚というわけ?でもほとんどの打者は目に見える手がかりについて語っている。
カーブを投げる投手の手首が回転する様子とか、指を離れた後のボールの回転とかはどう?
「僕にとっては、投球の見極めは投手のモーションの開始から始まります。どの投手にも
独特のタイミングがあります。そして僕にも自分のタイミングがあります。僕の最初の動き、
つまり自分のステップですが、これが決定的です。ボールが手を離れたらそれを注視したりは
しません。それでは遅すぎるのです。【The Physics of Baseball (Robert K. Adair 著)に
よれば、時速90マイルでホームプレートを通過する速球が、投手の手を離れてプレートに
達するまでに要する時間は0.40秒だという。】僕は投手がモーションを開始したときに
投球の見極めを開始します。その後は、そう、感覚です。」
そしてイチローが(ほとんどの選手は単にボールを強く叩こうとするだけで、あとは運を
天に任せるのだと言うが、これとは違って)ヒットを打とうとする時のこの考えはどうだ?
「時には、」とイチローは語る。「ただボールを強く叩こうとする事もありますし、
時には守備隊形を見て広角に打ち分けようとする事もあります。そしてその両方の事も。」
言うまでもなく、メジャーリーグのスピードに合わせるのでさえもの凄く大変なことだ。実際、
いまやイチローにとって難しいかもしれないと想像しうる唯一のことといったら、ちょっとした
おしゃべりで自分がどうやっているのかをつっかえずに説明することぐらいのものだろう。
それぐらいしか残されていない。
「何に一番気付かされるかって言ったら、彼のバランスだね。」オルルドは言う。「彼が一塁の
方向へ動きながらスイングするように見えるものだから、投手はチェンジアップやスプリッター、
シンカーを投げれば打ち取れるだろうと考える。でも彼はそういう球はちゃんと見極めて、
逆方向へライナーを打つんだ。2―0や2―1のカウントを稼いでも、ベストピッチで打ち取る
ことが出来ないんだから、投手にとってはイライラするだろうと思うね。」
イライラさせる、というのはイチローを攻略しようという試みで投手が感じていることをを描写
しきっているとは言えない。昨シーズン、AL新人王とMVPを獲得する道程において、彼は1930
年以来最多となる242安打を放った。そのうちの四分の一以上――正確には68安打――が、
2ストライクから打ったものであることを考えてみるがいい。そして投手がもっとも切実にアウトを
欲しがるとき、すなわち得点圏にランナーがいる場合、イチローは.445の確率でヒットを打つ。
2アウトの得点圏なら.460。これこそ、投手たちがベンチ裏で壁を殴りつけることになる要因である。
「僕はずっと近くで見てきたけどね、」とマリナーズ投手ポール・アボットは語る。
「彼が難しい球に対してやってのけることといったらばかげてるよ。つまりこういうことさ。
彼が全速力で一塁へ走っても、左側へ転がったゆるいゴロが上手く処理されれば、送球には
遅れをとるかもしれない、ということはちゃんと分かってるんだ。そこで低め、外角への
投球はどうだろうかと考えることになる。でも彼は既に内角のボールをさばくこともできる
ということを見せつけている。僕ならただ真ん中低目へ投げてそれで彼を惑わせないものかと
思うんだけどね。」
ここでちょっとESPN.comに載っているイチローのスプレーチャート(STATS,Inc)を見てみよう。
それはまるで幼稚園の芸術活動の一つ、子供が絵の具を紙に点々と付けて、ちょうど真ん中で
折りたたんで鏡像を作り出したようにも見える。レフト、センター、ライトに等しくサンプルが
散らばっているのだ。唯一、鏡像からはみ出しているのは内野の色具合だ。30本かそこらの
内野安打のうち、四分の三はレフト側にあることに気付くだろう。
「彼はショートの深いところへ芸術的なゴロを転がすんだ。」レラフォードは言う。
「自分がそこへ打てば、誰も彼をアウトにしようなどとはしないと分かってるんだよ。」
言い換えれば、イチローを困惑させても彼を塁に出さずにいる事はできそうにない。
「彼がボールをインプレーにすれば、」とブーンは言う。「彼には常にヒットのチャンスがある
ということなんだ。普通の選手はそんなチャンスはない。普通の選手が上手くボールを打てずに
走った場合、あまりヒットにはならない。ほとんど。でもイチローは、ゴロを転がしさえすれば
内野安打に出来る。時には1試合で2つも3つも。そのうえ上手くスイングできれば、一晩で
3,4本のヒットが稼げるんだ。全く不公平ってもんだよ。」
日本のパ・リーグで9年やった後メジャーにやって来た奴が、選手たちが「調節」と呼ぶものを
経験する必要もなくいきなり活躍できるというのもまた、ちょっと不公平なように見える。
デレク・ジーターのようなスターでさえこう言う。「レベルが上がるごとに試合は速くなるんだ。
リトルリーグから始まって、上に上がるたびに、投手はより強い球を投げるし、走者は速くなる。
ゴロだって速くなる。全ての段階において、自分は果たしてこれについていけるだろうか、と
疑いを抱く時期と言うのがあるんだよ。」
そしてそこに、イチローの登場だ。