最強打線の『最強』の定義を統一せにゃ結論出すの難しいぞ。
PLひとつ取っても意見がわかれるのは『最強』をどう捉えるかだろ?
85年の飛距離や爆発力のインパクトの強さを最強と考えるか、
87年のムラなく点を取り確実に勝利に結びつける事を最強と考えるか。
前者はスカウティングレポート的な尺度だし、後者はスコアブック的な尺度ということだ。
どっちにするんだ?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/19 05:04 ID:BtkrVuFx
最強は3番内田、4番原島、を擁した日大三に決まってる!
あんたら馬鹿?
まあ次点としては2000年智弁和、1985年PLでしょ!
決定だね。
飛ぶ金属バット使って打ちまくっても評価できないなあ。
やっぱ最強は87年の片岡がいたPLだと思うね俺は。
最近だと智弁和歌山になるのかな格下だけど。
智弁はとにかく、好投手から点を取り捲った事なので十分1位
でもおかしくないと思う。例 五十嵐・朝井・香月・根市・浜名。
どれもプロ注目の投手だよ。凄くない。(by野球雑魚北海道民)
55 :
:02/02/19 13:20 ID:uqkIkTWD
56 :
:02/02/19 18:53 ID:e3Lw0Cru
香月はスピード、制球力、スライダーの切れ、ナックルの落差と、高校レベルでは
かなり完成度の高いピッチャーだったよ。腰の故障が無ければプロの評価ももっと
高かったはず。
あと、2000年の智弁打線が評価されるのは飛距離やホームラン数だけでなく、
腰の入った力強いスイングと打球スピード、何より信じがたいくらいの勝負強さが
あまりに印象的だったから。
>>54 >どれもプロ注目の投手だよ。凄くない。(by野球雑魚北海道民)
自ら否定してどうする(とツっこんでみる)
>>51 最強打線とは、飛距離でもヒット数でもなく
とにかく多く点を取れる打線だと思うがどうでしょう?
59 :
:02/02/20 08:00 ID:???
>58
第7回大会の和歌山中学。戦前だけどね。
和歌山中 20-0 神戸一中
和歌山中 21-1 釜山商業
和歌山中 18-2 豊国中
和歌山中 16-4 京都一商
60 :
名無し:02/02/20 18:40 ID:XQ5DVQaY
絶対的打力というのでなく当時の中でのインパクトということだったら、
1960年 法政二・・・尾崎を打つのは並大抵でないはず
1970年 東海大相模・・・これほど投低打高の優勝チームは存在しない
1982年 池田・・・荒木、石井のノックアウトは悲惨だった
は挙がると思う。
特に、たとえば相手が松坂クラスの投手でも打てるのではないかという意味でなら、
池田が1位に入るのではないか
少なくとも1のランクのうち、1,3,4,5,6,7,8位はまず打てない(万全な調子なら0〜2安打完封が濃厚)
と思うが・・・・
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 18:45 ID:kkZtcp8H
やっぱ、池田でしょ
俺も圧倒的に池田だと思う。
他の学校とは別格だよ。
63 :
アイケルバーガー:02/02/20 19:01 ID:1Wp/3UZ5
2000年のチベソは青山がザコ過ぎたのがマイナス
64 :
60:02/02/20 19:28 ID:YB8K9UH5
わちべんについて言えば、六大学を見る限り池辺は現時点でも当時の松坂を打てないと思う
こう言っては何だが、2000年は投手レベルに関して98年以降最低だったのではないか
日大三は打線の迫力ではわちべん以下だが、意外とバランスの取れてたチームだったと思う
まあ池田の打線に勝る学校といえば
85年のPLくらいしかないでしょう。
66 :
だいだななし:02/02/20 20:40 ID:q6cWR91U
インパクトならやっぱり池田になるんだろうな。それまでの野球をかえたという点で。
決勝が広島商というのも象徴的。
しかしそのたった1年後にまたとんでもないチームが池田を粉砕するんだが…。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 21:26 ID:q4hEq6O6
「速攻!猛攻!池田高校」
打撃レベルは20年前とかに比べれば全然
上がってるわけだから、相対的な判断だよな?
やっぱ池田やね。
69 :
ふ:02/02/20 22:06 ID:yyDngl2T
池田の全盛期はスポーツ新聞も1面だった。
「猛爆!池田」「やまびこ響く!」「打棒炸裂!」
派手な見出しも全然大げさではなかった思い出がある。
70 :
一球:02/02/21 10:26 ID:???
池田で決定!
意外と知られてないが
箕島と優勝争った昭和54年の池田の打線も凄かったよ
松商学園戦だっけかな、6連打くらいであっという間に5点くらい取った
その時の打球の速えの何のって‥‥‥。その時確かTV解説者が
「こんな打線は見たことがありません!」とビビッていたような記憶がある
箕島もけっこうすごい打線だった
強打の捕手島田・主将上野山善久・巨人ドラフト指名の上野敬三
選抜決勝でサイクルヒットの不動の4番北野 あの同点本塁打の森川
北野は2年の時も4番で中京戦で流し打ちの同点本塁打打った時すげえ
と思った(負けたが)高校生で甲子園で流し打ちの本塁打なんてその頃は
あまり無かったからね。
やっぱしバントの野球から強打の野球へ時代を動かした
エポックメ−キングの試合は、池田−早稲田実業戦なんだよな
ウッドストック以前や以後という言い方をするように、池田−早実戦以前と以後
では、高校野球の魅力そのものが変わってしまった。
その中でも象徴的なシ−ンを挙げるなら、6回の裏の水野が打った渾身の
一撃だろう、NHKのカメラは打球を追いきれず、はるか頭上を見上げる
早実の中堅手の姿を小さく写していた、あんな飛距離の本塁打はそれまで
高校野球では「あってはいけない」本塁打だった。
場内のどよめきがこのあたりから尋常ではなくなっていき、8回の裏の
池田の猛攻の時は、完全に場内が池田の豪打に飲み込まれてしまっていた。
準々決勝という「舞台装置」も満点の状況だったし、荒木大輔の早実により
注目が集まっていたという池田の立場、その荒木が最後の学年に全国制覇を
無しえるだろうというファンの予定調和を打ち砕いた衝撃度。
確かこの試合が事実上の決勝とまで言われていたのに、池田の豪打はその
前の試合まであまり本領を発揮しておらず、「池田ってこんなもんか」と
全国のファンが思っていた反動もその衝撃の強さに影響してるだろう。
実際、西東京代表の日大二−池田の試合は4−3で池田の辛勝だったのだから。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 20:53 ID:hZsv6sCP
>>72 荒木、石井の2人から14点も取ったってだけどもすごい。
ま、もっともこの頃の石井は全然頭角をあらわしてなかっただろうけど。
74 :
ふ:02/02/21 21:05 ID:S2Q2ILMY
確かに水野・江上の池田時代を境にランナーが出ればバントの野球から
4、5点ならいつでも引っくり返す野球が高校野球の主流になった。
荒木というスーパースターをボコ殴りにしてなお、自らもスーパースター
になったクソ田舎出身の池田ナイン。
あのころの池田人気はすごかったなぁ。
早実−池田戦は、水野の2打席連発や江上の初回の先制の一発が
よく話題なるが、2回の満塁から打った多田の打球音とスピ−ドが
「これぞ池田!」というものすごい当たりだった。結局左翼手の
頭上を抜く2塁打だったが。
2回の3点が勝負を決めたと言ってもいいと思う。
あのときの荒木はベンチに帰るたびに「池田はすごい」と言って青ざめて
いたそうだね。水野の一発食ったときも笑うしか無いという感じだったしね
蔦監督の「荒木君には悪いことしてしもうた」という談話も印象に残ってる
でも荒木は、昭和50年代後半の高校球児の目標であり続けた存在だった
なあ。‥‥あの試合までは。
しかし次の年に、池田がPLの下位打線7.8.9番に本塁打を浴びて惨敗する
とは、面白いね。
池田のすごいとこは、予選より甲子園の方が打撃がすごいところ
本格派投手に合わせた打撃練習してたせいなのかな?
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 21:12 ID:fODO0uKY
1位 1982年 池田2位
2位 1985年 PL
3位 1992年 拓大紅陵
4位 1984年 取手二高
5位 1987年 PL
6位 1982年 池田
以上ネタ切れ
2000年の智弁和歌山−PL戦は池田−早実戦に近い衝撃度が
あったように思うが。
2回の池辺・山野のバックスクリ−ンへの2発(池辺のはスコアボ-ド手前まで飛んだ)
山野の2打席連続のセンタ−越えの一発は、高校野球のバッテイングが
また一段高い次の次元に進もうとしてる事を示したように思う。観衆のどよめきも
何かそういう物に気がついていたかのようだった。この辺も池田−早実戦に似ているよ
ただ智弁は投手弱かったので、PLに猛追されて11-7という接戦だったのが少し株を下げて
いる点だろうな。
PLの北村総一郎にクリソツの河野監督は試合後「今までの高校野球レベルの打線じゃない
正直言って恐怖さえ感じました」と語ったという。
最強池田打線は桑田によって終止符を打たれ、清原含めて3年間はPLが
高校球界を席巻。桑田清原が卒業するとまた池田が天下を取った。そして
PLが天下を獲り返し、、、池田はもう戻って来れなかった。PLもその
後は天下を獲ってないな。若い若い新監督で、もういちどPLの天下獲り
があるか?
あの頃の池田は9番も本塁打打ってたからね。
山口って覚えてるかなあ?
当時から高校野球を見出したのであれが当たり前だと思ってました。
実はもの凄く異例なことなんだけどね。
クチビル山口
「報知高校野球」1982年11+12月号の記事から
------------------------------------------------------------------
練習中、フェンスに激突してクチビルを2針も縫う大ケガにかかわらず、
日大二との二回戦では7回に決勝ホーマー。続く都城戦でも勝ち越しの一
発を放つなど、この大会でチーム1の4割7分8厘をマークするなど大活
躍だったが、大会前は一時蔦監督の怒りにふれて練習もさせてもらえなか
った。
蔦監督は別に選手をひとつの型にはめ込むような独善的指導はしない。
しかしどうしてもその選手のバッティングフォームに欠点があれば、そう
せざるを得ないこともある。
山口は1メートル75の身長だが、どう見ても一発をねらえる打者では
ないのに、バットを高くあげ、そのヘッドが頭の後ろから投手の方へとむ
けられるほどはいり過ぎ、それがインパクトが遅れてしまう大きな原因で
もあった。
「そこでバットを寝かせて打て」とアドバイスしたが、山口はほとんど耳
を貸すことなく、自己流に打ち続けたため、一時メンバーからはずしてし
まった。山口は1年の時からレギュラーでしかも昨年は5番を打つ実績の
持ち主だったが、指導方針に従わないため遠征試合にも連れていかなかっ
たほどだ。その、チームの不在の間、山口にはグラウンドの草むしりを命
じて反省の期間を与えた後に復帰させている。
「インコースのボールはライトしか飛ばんかったし、カーブがくれば泳い
で手打ち。甲子園にきてから内角の球でもホームランになりよったんです。
うちであれだけですね、言うことを聞かんかったのは。自分がこれじゃ
と思ったら、間違ごうとってもそれで押し通す子でね。先生の言うこと聞
いて、バットを寝かせちゅうても、阪神の掛布を真似しちょった。高校生
が掛布の真似しとっても打てるわけがない。
またひと言多いし…。カーブがボールになれば、次はストレートがくる
のが“鉄則”です、といいよってね。私が前に、普通の投手はそういうパ
ターンで投げるので、まっすぐをねらえと教えていたんですわ。でもカー
ブ投手はそういうパターンではきよらへん。それを自分で鉄則といいよる。
素直と言うか、なんて言うか…。」
--------------------------------------------------------------------------------
カーブの次はストレートという鉄則は、お立ち台のインタビューでもト
クトクとして語っていたか、NHKのアナが取材したとき聞き出しただか
で、テレビ中継でも紹介されていましたね。
ともかく甲子園に来ると、予選のときにも増して大爆発するヤマビコ打
線でした。
2年生で5番打ってたのが3年になったら9番。そりゃぁつええや。
>>80 山口ってラッキーボーイ的な扱いされてたひょうきんな感じの選手ですよね。
よく覚えてます。
とにかく、あの人が当たりまくってたからそのまま上位打線に繋がって攻撃が
なかなか終わらなかった印象がある。
蔦さんって力のある選手を9番バッターに置くっていう持論があったみたいですね。
85 :
:02/02/22 19:35 ID:???
>>78 初めて甲子園に出てきた学校が強豪と対戦し、その打球スピードに対応できず
外野手が右往左往する光景はよく目にすると思う。
ただ、逆に強豪高校とりわけPLクラスになるとその逆だ。PLというと歴代
のスーパースターや華々しい強力打線のイメージが強いが、本当の凄さは、
鍛えぬかれた堅実な守備力に裏打ちされた緻密で高度なプレーにあったと思う。
だから、あの智弁との試合は衝撃的だった。PLの外野陣がまるで初出場の
学校のように右に左に翻弄され、頭上を抜かれているんだから。
でたらめで奔放なハードパンチャーが、華麗なテクニックのチャンピオンを
粉砕した瞬間だった。
他の人も言ってるように打線と投手は相対関係にある以上、ここ数年の投手
レベルが落ちているというのもあるとは思う。
だが、インパクトの強さという点ではKKのPLや畠山、水野の池田に匹敵
するものがあった。
86 :
名無し:02/02/23 16:26 ID:D7sVPAXd
>>85 確かに2000年のちべんはすごかったね。ここ十年では最もインパクトが強いし、
最強打線の名に恥じないものだったように思う
ただしあの年の守備力ダントツは東海大相模
智弁戦もいかなる打球が来ようがそれなりに対応してた
PLが堅実な守備を誇ったのは河野就任前まで
ぼくはあの試合を見てちべんのすごさよりPLの衰退を感じた
2000年春の決勝:東海大相模vs智弁和歌山は見応えあった。
相模の二塁手、、、村山?が、かつてのPL片岡のように見えた。
立浪ばかり目立つけれど、片岡も守備はうまい。
智弁和歌山vs香月柳川の1−0とか、あの年は守りの試合が
印象に残る。それもセンバツのほうが印象深い、珍しい年だった。
うー。どう考えてもスレ違いであるた。
88 :
_:02/02/23 21:51 ID:???
>87
片岡?
セカンドの尾崎だろ。一番でスイッチヒッターの。ホームランも打ってたよ。
あの時の立浪との2遊間は高校史上最強。(守備力がね)
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/07 10:02 ID:W36N+25F
昨年の日大三対明豊のビデオを見ていて気づいたんだが
3回裏に日大三の内田が打った弾丸ライナーのホームランがあったけど
打った瞬間、明豊のサードがジャンプして取りにいってたね。
ジャンプしたあと振り返ったらスタンドに入ってたっていう物凄い打球だったなあ。
この試合のビデオ持ってたら見てみ。
池田は投打とも82年よりも83年のチームのほうが上だった。
82年はたまたま対早稲田実業と広島商業戦で大量点をとり
その印象が強く残っているだけ。
さして強力な打線ではなかった。
91 :
ふ:02/03/07 11:03 ID:rSpTICij
>90
82年の池田も強打には間違いないでしょう。
打撃の記録をことごとく塗り替えたんだから。
92 :
1:02/03/07 14:55 ID:+42F3loK
あと初出場でいきなり早実破って二回戦の高知商業と14−8の乱打線
したときの倉吉北もすごかった。態度もすごかったけどツバはいてたし。
>>92 14−6です。
一時、7−0から倉吉北が1イニング6点取って7−6なお一死満塁までは
どうなることかと思いましたが。
ナイタ−だったよねこの試合
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/07 21:53 ID:GGMitR/n
愛知の最強打線はどこよ
122点取った東奥義塾が最強
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/11 02:10 ID:17AgsADw
>>95 最強のチームが甲子園にもかすりもせんとはさすが青森県。
あまり知られていないが、昭和57年の箕島も強力だった。
春はPL榎田に抑えられたし、夏は甲子園に出られなかったので
印象が薄くなってしまったけど。
4割バッターを8人そろえた穴のない打線で、長打力もあった。
(選抜出場チームではダントツのホームラン数だった)
元日本ハム・住吉(ドラ1)が7番、が元近鉄・畑山(ドラ2)が8番を打っていたくらい。
当時2年生の山下(ロッテでクリーンアップも打った)でも、ベンチ入りすらできなかった。
98 :
:02/03/11 21:58 ID:???
>>97 そういえばそうだね。1回戦の上尾戦も大会ナンバー1左腕・日野を滅多打ち。
3番・岩田がホームラン打ったっけ。二枚目スラッガーとして人気者だったけど
近畿大ではいまいちパッとしなかった。
箕島の岩田って少年隊の東山紀之に似ていた。
180センチ70キロ(当時)のスリムな体と甘いマスクは野球選手には見えなかったけど、
中心選手(ショート、3番、キャプテン)だったんだな。
住吉、畑山といったゴツイ選手揃いの箕島のなかでは異質だったけど、
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>1 日大三がねえぞ。氏ね。昨年も、遠い昔の吉沢のころモナー。
これ以上あるかい。