グレイプバインのベストアルバムを作るスレ

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97Track No.774
神戸で生まれる。父はヤクザもの、母は水商売、母は再婚で
種違いの10才上の兄と4人家族だった。幼い頃はお金があり(父は
外車に乗っていた)田中は父に溺愛され、兄にも可愛がられる。
しかし父が女をつくり家を出て行き、母は働かず家は貧乏に傾き、
生活保護で暮らす様になる。更に母は夜中いなくなる事がしばしばあり、
とうとう家を出て行ってしまう。この時田中小学3年、兄は17.8才。
仕方なく兄がバイトで食わすも生活できず、パンの耳を食べる毎日。
そんな2人をアパートの上に住んでいた母親の水商売仲間の夫婦がみかねて
田中を引き取る事になり、大阪に引っ越す。そして兄は東京へ。
田中は大阪で小学校卒業まで育てられ、中学から再び母と暮らし始める。
(母は生活の基盤を作る為、金をためていたらしい。田中は既にヤンキー
だったが母には優しかった)また兄も東京から帰り再び3人の暮らしになる。
田中は14才で年を偽ってラブホテルで働き、そこで働いていた年上の女と
童貞を捨てる。その給料でギターの通信教材を買い、熱心に練習を始める。
学校ではシンナーとか吸っていたが(こんな事してても俺にはロックがある、
こいつらとは違う)とヤンキー仲間を見下していた。
勉強も全くせず高校進学も危ぶまれたが先生が探してきた守口高校に入学。
が、そこでもやはりヤンキーで、またかなり女関係も乱れていた。
それとは別にバンドもスタートさせ、ボーカルをやったりギタリストを
やったりする。また在学中に小学校の時育ててくれた夫婦が焼死した事を知り
ショックを受ける。高校卒業間近の酒屋の就職を蹴り、卒業後はバイトを
点々としながらバンドメンバーを探す。自動車工場でバイトを始めた頃、
原因不明の鬱状態になり、ほとんど働かず給料は月2万程。その頃西原の
はり紙(ボーカル募集、黒い音を混ぜつつ歌ものをやりたし、当方二−ル・ヤング
等好む-という内容)を見て、ギタリストとして潜り込もうと会いに行く。が、
西原が田中の声を気に入り、また西川という速弾きができるギタリストが
既にいた為、ボーカルにならざるを得ない状況になる。
田中は気後れし、フロントマンの圧力から逃げる為西原の留守電に「やっぱりやめます」
とメッセージを残し、車で四国に行く(が、淋しくてすぐ帰ってくる)
その後借金(既にサラリーローンに手を着けていた)や女関係の修羅場に
苦しみながら高校の時のバンドを復活させたりしたが、なんとなく上手く行かず
家の留守電には西原からの「帰ってきてくれ。他の子入れてやってみたけど
どれもこれもだめや」というメッセージが度々入り、「そういえばあの人(西原)
のつくった曲は良かった、あのバンドが俺には向いているのかも」と復帰を決める。