1 :
まさこ@20:
本当に緊張しました!(*⌒ヮ⌒*)
自分の声が店中に流れるなんて・・・{{ (>_<;) }} ブルブル
『店内放送』もなめるものじゃないですね(@@;)アセアセ
とりあえずなんとか終わりましたっ!\(^o^)/ みなさんありがとうね!
それでは、今夜もバイトに行ってきまーすC= C= C= C=┌(^ .^)┘
おめでとうござります
おめでとモキ
このコピペ笑える
5 :
牌鬼屋:2001/05/19(土) 05:15
30年以上麻雀をしているけど未だに天和、地和,レン和、どれもしたことが無い。
それも10年ほどサンマなのに、、、、。
うらやまし〜!!!
6 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 05:31
たぬで、親の第1打があがり牌だったから、周りに「レンホーってヤクマンですか?」と聞いたら「ないよそんなの」と返され、そのまま待ちばればれダブりーしたことあったな・・・ツモってマンガンだった(;;
7 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 09:12
ちょっと確認
親の第1打であがるのは、地和じゃないの???
8 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 09:18
子が純粋な第1ツモであがるのが地和です。
地和に出あがりはありません。
9 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 09:38
「レンホー=人和」
子が第一ツモの前に出上がりで和了すること。
フリーの雀荘では満貫扱いになる事が多い。
つーか、たぬ御殿HPに人和なしって書いてあるがな(藁
>>7 私も何日か前に同じことを書いたのですが、誰の賛同も得られません
でした(苦笑)私も親の第1打が地和ではないかな、と思っています。
同志がいてくれて嬉しいです(w
一応根拠を再掲しますが、
『親の第一ツモ・・・天 親の第一打・・・地』
というのを古い本で読んだ記憶からです。
11 :
7:2001/05/19(土) 09:51
返事ありがとう
実は、私ももともと8さんと同じ考えでした」。
ただ、過去の経験で
「親の第一捨てハイで子があがる」
「子が第一ツモであがる」
のうち、どっちが地和でどっちが人和か、人(店あるいは本)
によって解釈が違うような気がしてるんですよ。
(人和というのを日本人がでっち上げたのが混乱の原因み
たいだけど)
最近も
ある麻雀に詳しい人のHPで
「親の第一ツモを天牌といい、第一捨て牌を地牌という
天和・地和はそこからきている」
とよんだことがあります。
そこで、どうなのかなあ、と持って質問したわけです。
8さんの答えが標準なの???
ほかの人の意見もほしいなあ。暇な人書き込んでください。
12 :
ちいといつ:2001/05/19(土) 09:54
親の第一打で出あがりが地和というのは古い定義です。
今はつもあがりが地和という定義が主流ですね。
昔、東風荘で親のとき第一打を対面にロンされましたが
西のみでした(^^
13 :
フェア(=7・11):2001/05/19(土) 10:10
8さんに長々とコメントかいて掲示したと思ったら、
いきなりマシンが飛んじゃって、再接続したら
いくつもコメントがついてて、うれしいっす。
>麻雀名人
根拠は私と同じみたいですね。もっとも、原典にあたってる分
あなたのほうが賢い。
>9
言われて思い出しました。「子が第一ツモの前に出上が
りで和了すること。」という解釈もありましたね。
これは北家が最も有利なのでおかしいという批判が多いです。
>つーか、たぬ御殿HPに人和なしって書いてあるがな
知ってます。(たぬの常連だから)おそらく解釈による混乱
回避だと思います。親方の見識ですね。
>ちいといつ
なるほどですね。
14 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 10:20
そもそも、親の第一ツモ というものが現代にはないことを再確認
人和ってのは、「天知る地知る人ぞ知る」から作り上げた後発の決め事らしいです。
阿佐田哲也の名作「麻雀放浪記」ではれっきとした役満として取り扱われています
ので、時代背景が確かなものであれば戦後すぐの頃にはすでにあったものと思われ
ます。なお阿佐田作品の中では地和は子の第一ツモとなっていますね。
>>13 さらに解釈を付け加えますと、荘家(親)が天の牌を持ってきて、河に地の牌とし
て降ろす。荘家が天の牌で和了であればすなわち天和、散家(子)がその牌で和了
となればすなわち地和である、という定義だったと思います。
子方3人に等しくチャンスがある、ということであれば、親の第一打こそ地和、と
する解釈がベストのような気がします。人和同様、南家のチーポンがあれば西家と
北家には権利が消滅するわけですから、それがシンプルかつ妥当ではないかと。
>>14 いや、つまり「チョンチョン」の2牌目が、それにあたるわけです。
ささっと理牌してしまえばどれが天の牌だったかわからないケースも
あるでしょうけど(w)どのみち配牌でアガリならば天の牌でアガリ
になったことは間違いないのですから。
17 :
牌鬼屋:2001/05/19(土) 22:41
33年目にして初めてあがった〜!!!!!
本日、午後九時頃。親で。
客二人は白けていましたけど。
18 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 22:51
某Q&Aから転載
(回答者は別人28号=浅見了氏)
[Q]人和の定義はいろいろありますね。私は、「チーポンカンのない純粋な第一巡で、"まだ自摸を行っていない"子方(散家)が親以外(親なら地和)の他家の捨て牌で和る場合」としているのですが。
[A]おっしゃる通り、本来の地和は「親の純正な第1打牌による栄和」でした。しかし中国麻雀では「十六漲不出門」とか「海底不出門」といって、海底牌ツモ者はアガリに関係なく打牌しませんでした。しかし寧波麻雀の一部では打牌するルールが採用されていました。これによる栄和が人和でした。
ところが時代の流れの中で、地和が「子の純正な第1ツモ和」、人和は「河底撈魚(牌底放銃)」に変身してしまいました。そこで行き場を失った人和は、空き家になった「親の純正な第1打牌による栄和」に引っ越してしまったのです。
このあたり歴史的事情がゴチャゴチャしているのですけれどね.....。
いずれにせよそんなわけで、一応、人和は「親の純正な第1打牌による栄和」ということになりました。ところがやがてある人が、「親でも子でもツモアガリが役満になるなら、子供の第1打牌だって役満にすべえ」といいだしました。「大きいことはいいことだ」というので、第1打牌によるアガリを全部人和役満とするルールが登場しました。ところがこれでは南家はまずチャンスゼロで、北家が圧倒的に有利です。そこで「純正な1巡内の打牌ならOK(すなわち手変わり後のアガリもOK)」というルールが登場しました。
ここまでゆくと「これではいくら何でも人和の価値が薄い。第一、手変わり後でもOKというなら、親が最も有利で北家は最も不利ではないか」という論がでてきます。そこで「親の純正な第1打牌によ栄和」だけ人和(役満)、「子の第1打牌によるアガリ」を底和(テイホー)=満貫扱いとするルールも登場しました。しかしあくまで「親の純正な第1打牌による栄和が地和だぁ」と言う人もいて、人和は現在クチャクチャになっています。(^^;;;
こんなクチャクチャ役満を採用するのは、どうもトラブルのもとのような気がします。しかしどうしても採用したいという場合は、「親の純正な第1打牌による栄和=人和(役満)、子の第1打牌によるアガリ=底和(テイホー)=満貫扱い」というところが、まぁ順当ではないでしょうか。
19 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 22:53
[Q] 以前から思っていたのですが、子の第一ツモによるあがりを「地和」といいますが、ある漫画や友人の話ですと「親の第一捨て牌による子のあがり」も地和といい役満になるということを聞いたことがあるのですが、本当のところはどうなのでしょうか?。
私自身はその地和はちょっと納得できませんし(子がツモってこその地和だと思います)、チャット麻雀でも親の第一捨て牌であがったことがあるのですが、その時は地和はつきませんでした。
[A] チーホー【地和】中国古文献「麻雀牌譜」には「間家(シェンチャ=子)、起手(チーショー=配牌)に順子あり。雀頭あり。既に等張(トンチャン=聴牌)。荘家(チョワンチャ=親) の第一打牌で和了。地和という。地の宜しきに合す。宜しく満門(マンメン=役満貫) に賀すべし」とあります。
親の第一ツモ牌を天牌といい、親の第一打牌を地牌といいます。すなわち地和は、この地牌による栄和というわけです。そして今日、これを本義の地和と呼びます。
大正時代、麻雀が本格的に日本に伝来しました。当時、鎌倉在住の文豪、久米正雄氏(後の日雀連総裁)を中心とした文士グループの中より、「親に第1ツモによる和了があるのに、子に無いのは不公平」、あるいは「天和、地和があるなら人和があってもいい」という声があがりました。それを受けて、やはり日本麻雀界の先人、林茂光氏(本名・鈴木廓郎)が、林茂光麻雀研究所機関誌「麻雀」誌上で人和の採用を提唱。昭和3年の鎌倉規則に「人和(子の第1ツモ牌、および子の第1打牌による和了)」が登場しました。これを広義の人和と呼びます。
牌底放銃(河底撈魚)という役があります。これも麻雀伝来当時「海底自摸和があるなら牌底放銃があってもおかしくない」という発想から誕生した日本製の役です。しかし実はこの牌底放銃こそ中国麻雀の人和でした。もともと中国麻雀で海底牌ツモ者が打牌するのは寧波麻雀の一部ルールだけでした。この為、この中国麻雀の人和が日本に伝わらなかったと思われます。麻雀学の祖と称される故・榛原茂樹氏(波多野乾一)は、後年、その著の中で中国麻雀の人和を紹介したが、既に和製人和(広義の人和)も牌底放銃も定着した後であり、この事実は黙殺同然となりました(この中国麻雀の人和(牌底放銃)を本義の人和と呼びます)。
20 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 22:54
さてこうして誕生した鎌倉規則の人和(子の第一自摸和)は、当時の他団体でも役満として採用されましたが、人和ではなく地和に含めて採用されました(日本麻雀標準則、日本雀院、日雀連)。これを広義の地和(親の第一打牌、子の第一自摸和)と呼びます。そして昭和5年、当時の中心的団体である日雀連でも、地和・人和を鎌倉規則と同様にしました。もちろん和製人和(広義の人和)など認めず、本義の地和(親の第一打牌)だけを採用したルールも存在しました(S5・関西麻雀連盟)。
日雀連ではしばらく鎌倉方式で行われていましたが(当時は日雀連ルールが一般麻雀ルールの規範となっていました)、昭和7年の一家抛(一人払い)実験ルールでは偶然性の和了役廃止の機運によって天和・地和・人和すべてが廃止されました。しかし昭和8年発表された本格的一家抛ルールではまず天和が復活、昭和9年には地和も復活しました。
ところがこのとき採用された地和は本義の地和ではなく「子の第1自摸和」というものでした。これを新義の地和と呼びます。この後、日雀連では今日に至るまで人和という役は一切採用していません。しかし一般では「天和・地和が親子の第一自摸和なら、人和は親子の第一打牌による和了(新広義の人和)、または親の第一打牌による和了(新義の人和=本義の地和)であろう」との認識が普及しました。そのうちに世の中は世界大戦に突入し、あらゆるゲームの世界もその活動を中断することになりました。
21 :
焼き鳥名無しさん:2001/05/19(土) 22:55
第二次大戦中、中断されていた世のゲーム活動も終戦と同時に再開されました。そして昭和22年、日雀連も再結成され、昭和23年、新ルールが発表されました。この日雀S23ルールでは、本義(親の第一打牌)と新義(子の第一自摸和)の両方に配慮し、地和は新広義(親の第一打牌、子の第一自摸和、子の第一打牌)となっていました。しかしS25ルールでは新義(子の第一自摸和)の地和のみと改められました。
一方、戦後、設立された立直麻雀団体「日本牌棋院」では地和を本義(親の第一打牌)で採用しました。この様な麻雀団体の目まぐるしいルール改定が一般麻雀の地和・人和の解釈に混乱を惹起し、現在、その解釈に様々な見解が示される原因となりました。しかし現在ではこのような混乱はほぼ一段落し、その善し悪しは別として、地和は「子の第1自摸和(新義地和)」、人和は「親の第一打牌(新義の人和=本義の地和)」、または「(親子に関係なく)純正な第1打牌(新広義の人和)」という方法で普及しています。以上
>>18-21転載。
相当複雑な事情があったようで。
別人28号はnifのsysopになれなかったね。
で閉鎖・・・どうしてかな?
>>22 閉鎖はされてないでしょ?
でも、なんでnifは浅見氏sysop就任を拒否したのかな
人格見識貢献度、どれをとってもsysopに最適の人物だと思いましたが。
事情知ってる人、解説きぼんぬ
24 :
フェア:2001/05/20(日) 10:57
それは昨年のことですね。
話は変わるが
結局昨年別の人がsysopに就任しましたが、その人も
今月で辞めるようです。
いまでは東風荘なんかができて麻雀とネットはがっちり結びつ
いてますが、以前は、麻雀とネットを結ぶのはあのグループだ
けだったような気が・・・
でも、ここ数年迷走中ですね
>事情知ってる人、解説きぼんぬ
解説できる人って5〜6人じゃないんでしょうか。
解説なんかしたら、名前わかっちゃうよ。
ニフなんて滅びる寸前だからどーでもいいな・・・
もうフォーラムなんて2年くらい見てない
26 :
焼き鳥名無しさん:2001/07/02(月) 16:52
>1
おめでとー
27 :
焼き鳥名無しさん:2001/07/03(火) 04:21
俺も一回天和アガった。残念だったのは、それが実現したのが東風荘だったことだ…。
28 :
焼き鳥名無しさん:2001/07/03(火) 05:14
「天和」と漢字で書くと何となくありがたいけど、
「テンホー」とカタカナで書かれると、「みこすり半劇場」の
岩谷テンホーみたいでなんだかヤだな。
29 :
もぐら:
れんほー(漢字わからない)
第一捨て牌で上がると成立役
しかし 基本的に取り決めであって 雀荘などでは満貫扱い
もしくは 認めていないところ ヤクマンとして扱うところ
様々なようです。
さんれんこうとか マイナーな役の部類にはいるみたいです。