デジタル的オカルト
ではネットの登場とともにオカルトは駆逐されてしまったのか。そうではない。
デジタル雀士ばかりが幅を利かせているのか。そうでもない。そうではなく、
むしろ新しいオカルトが再生産される土壌ができたというのが実情だ。
何より、まったく新しいタイプのオカルトが登場する。
彼らは、牌山生成のプログラムに偏りを見出し、着順に恣意性を感じ取る。見ても
いない牌山攪拌プログラムを、さも見てきたかのように語り、筆者が中学生頃に
さえ書かなかったであろう残念なプログラムを想定し、「こういうシステムを使って
いるから、ゲームの牌山は偏る」「そもそも、コンピュータでちゃんとした乱数を
作成するのは無理で、何らかの偏りが生ずる」などと本気でまくしたてるのである
【5】(2ちゃんねる等での単なる愚痴ではない。公式の掲示板などに長文で何度も
批判記事を書いていたりする)。あるいは、Rating(ネット麻雀において成績を表す値。
Rと略される)が1600だの一定値に近づくと、「1600の壁」に妨げられ、とたんに相手の
アタリ牌を連続してツモるような「モード」に入り、負けが続く仕組みが備わっているのだ
と主張し、同じような輩と同意しあっている【6】 。
*5 むろん、筆者が電子政府推奨暗号リストに基づく暗号学的一方向関数を利用して
「偏らない牌山生成ルーチン」をコーディングしてみせても、彼らは耳を貸さない。
*6 なお、筆者はいくつかのIDを作成して当該「壁」の存在を確認しようとしたが、いつも
気づいた頃には1600を遥かに超えており、実証困難であった。そこで、同様にしばしば
主張される「R2000の壁」について、任意のR2000直前のユーザの成績の統計を取った
が、その近傍の他のユーザの成績と何ら違いは見出せなかった。ちなみに筆者は、この
5000試合程度の間において、1900という「下の壁」が存在するようだ。
上家のダブルリーに対し当然安牌なしで
掴んだのが字牌だったからなにげなく捨てたら字牌単騎で一発くらった。
うかつだった…
リーチかかった順目に引いて来た牌が現物でないならロン牌掴まされたという気持ちで打たなな
オカルトのメンタリティ
だいたい、なぜこんなバカげた事態が生ずるのだろうか。彼らとて、まさか会社の職務上の
判断に際して、この種の根拠なき、愚かしい主張をしたりする人間ではなかろう。「ウチの営業
成績には、50件の壁ができるよう、誰かの陰謀がある」と騒ぐことはしなかろう……たぶん。
ここには、単に「偶然性に対する無理解」と斬って捨てるには忍びない何かがある。麻雀な
るもののうちに、少なくともかつて存在し、今でもいくばくか必要とされるある種の神話めいた
ものへの憧憬が、そこにある。
悪い方の例から先に述べる。
自分が負けるのは、かつては「ナガレ」のせいであった。ゲームの性質上、異常に高い
偶然性が存在することを認めず、「必然」に落とし込むには、ある程度制御対象となり
得る「ナガレ」が必要とされた。そして、「ナガレ」をもっと上手に操ることによって、自分
はアカギや桜井章一氏に少しでも近づくことが可能なのだと信じていたかったのだ。
そうした壮大な自己ストーリーをもってしか、毎日の「単調なめくりあい」に耐えられない
部分もあったのかと思う。
だが、現在は様相が違う。リーチ率だの和了率だの平均順位だの、「どこかの頭でっかち
の合理主義者」が作った憎たらしい各種の指標が幅を利かせ、簡単に言い訳ができなく
なってしまった。ではどうするか。システムに問題があると考えるのが手っ取り早い。
ネット雀荘に課金している卑しいプレイヤーは、毎度のように優遇されたツモをもらい、課金
していない自分は不利になる。成績の良い打ち手とは、汚いことにネットの牌山のクセを熟知し、
悪用しているに違いないのだ。しょせん金のかかっていないゲームだからと、いい加減に打つ
プレイヤーが場を乱さなければ、当然自分はもっともっと勝てるに違いないではないか。そうで
なければ、「リアルでは強い」(という印象を持っている)自分が勝てないことを、どう合理的に
説明できるというのか――!