【長編SS】鬼子SSスレ7【巨大AA】

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38ねことこねこ
  ◇ ◇ ◇
 ──延々、『混沌』と戦い続け、気がつけば夜が明ける直前だった。そしてハンニャーが『混沌だったもの』に
施した封印は頑健な岩だったが、その岩の表面にヒビが入り、所々障気が漏れていた。とはいえ、まだ夜までは
保ちそうだ。そこで閻とハンニャーは例の薬膳がゆを作って飲むと夜まで休む事にした。

「うえ〜にーがーいー」
この薬膳がゆの苦さは何度飲んでも飲み慣れるものではなかった。

「黙って飲みなさい。アンタの中の鬼達にもいいはずだから」

──そして木陰に枯れ葉を敷き、寝床を作った。それと、閻の腕に刻印された天沼矛を取り去ることにした。もう
『混沌』を『分化』しきってしまった以上、天沼矛は必要ない。

「今度は痛くないから心配いらないわよ」
「……うん」
とはいえ、閻は刻印された時のことを思い出して少し腰が引けてしまう。それでも袖をめくって、刻印された腕を
ハンニャーにさしだした。その腕を見、大主は動揺の声をあげた。

「!!っ閻、その腕は……っ!」
閻の腕には痛々しく文字と絵が焼き爛れた線で描かれていた。

「そうよ。このコ、アナタの為に頑張ったんだから」
そういうと、閻の腕を両手で優しく包み込む。

「だが、閻はまだ子供だぞ……っ」
聞いてるのか聞いてないのかハンニャーはゆっくり口の中で何かをブツブツと呟いた。閻はハンニャーが手を
添えている場所からほんのりと温かくなってゆくのを感じた。暫くしてハンニャーが手をどかす。すると閻の肌は
すっかり綺麗になっていた。

「その子は自分のやらかしたことの責任を自分でとったのよ」
閻の腕から手をどかし、髪の毛をかきあげながらハンニャーは素っ気無く言い捨てた。

「だが、しかし……」
そう言いよどむ。納得がいっていないようだ。

「ま、その話もこの件が済んでからにしましょ。まだ完全には解決してないんだから」
そういうとハンニャーは眠そうに伸びをする。

「ぐ、ぐむ……」
そう言われて大主は黙り込んだ。

「じゃ〜寝る事にしましょーか」
ハンニャーはのんびりと木陰の寝床に横たわった。
「寝る〜〜〜〜〜〜」
そう言って閻はハンニャーの横に潜り込んだ。

「……なによ。アンタの寝場所はつくったげたでしょうが」
「ここがいい〜」
そういってハンニャーにすり寄る。

「……珍しい。閻が懐くなんて初めて見たぞ」
大主が呟く。

「……ま、好きにするといいわ。アンタ、今日は頑張ったもんね」
どちらかと言えばメンド臭そうにそう呟くと、腕に頭をのせ、閻の上に腕を回して瞼を閉じた。

「クロスケ。その娘がまた余計な事しないようにちゃんと見てなさいよ」
「う、うむ……」

そう言うと二人は程なく眠りに落ちていった。
39ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:47:49.26 ID:NcexVyQx
……ように見えた。
「……ねぇ、ばっき〜」
規則正しい寝息がハンニャーから聞こえてきてからだいぶ経ってから、ポツリと閻は呟いた。

「……なんだ。眠らないのか」
他の鬼達は『混沌』との戦いで閻に体力を与えた為、当分は閻の中で休まなければ使いものにならない。
が、大主は最後の方で復帰したため、それほど消耗はしていなかった。

「うぅん、あのね、ちょっと聞きたい事があるんだ」
閻は姿勢はそのままに目を開き、大主に話しかけた。
二人の話し声は小さくてパーカーの外にまで漏れ聞こえたりはしない。

「なんだ?」
「あのね?ばっきーも見たよね『アイツ』のこと?」
「う、うむ」
激しい障気の渦の中、禍々しい異形の胎児の赤く光る目は忘れようったって忘れる事はできない。
夢に出てきそうな光景だった。

「ニャー姉ぇ、アレを封印するって言ってたケド、やっぱり大変なんだよね?」
「ああ、かなり大変だろうな」
閻たちは最初にハンニャーが『混沌』を封印しようとしていた所を見ている。彼女の頭上に描き出された無数の
『術式』は法術に詳しくない閻でもかなり高度なものだと分かる。

「最初に閻たちが見たアレみたいな事をまたやることになるんだよね?」
「まあ、そうだろうな。アレと同じくらい大変であろうな」
大主も『専門外』ではあるものの、永年の経験であれがどれくらい大変かは推察できる。

「……うまくいくと思う?」
暫くの沈黙の後、閻はおそるおそる聞いた。ややあって大主はポツリと返した。

「…………かなり難しかろう」
長く『混沌』に居たからその間の事は大主にはわからない。しかしアレほどの『封印術式』を展開し、わずかな
休息と薬膳がゆを口にしただけで『神器』を手に『混沌』と戦い、またもう一度大規模な『封印儀式』を行おうと
いうのだ。本来ならそのどれもが何週間も時間をかけて準備するものであり、多少の薬や休息で回復するものでも
なかった。

「やっぱり、閻が余計な事をしたから……こんなことになったんだよね……」
そう呟くと自分を抱くように腕をかけて眠るハンニャーを見上げる。眠ってるハンニャーの寝顔はどことなく疲れて
いるように見えた。閻と大主の会話に気づいている様子はない。よほど疲れ、深い眠りに沈んでいるのだろう。

「閻……?」
大主はいぶかしげな声で閻の様子を窺った。閻がらしくもなく……しおらしい。

「ううん、何でもない。おやすみ、ばっきー」
閻はそういってハンニャーにすり寄ると今度こそ眠りに落ちていった──


  ◇ ◇ ◇
 ──日がとっぷりと沈む頃、かつての『混沌』が封じられていた洞窟の中を進む二つの人影があった。
ハンニャーと閻である。ハンニャーは先頭に立って歩いていた。左手を頭上に掲げ、『術』による光によって
洞窟内を照らしだしている。また、右手には天沼矛を持ち、周囲を警戒しながら歩いていた。
『分化』しそこなった『混沌』が洞窟内に残っていないか警戒しているのだ。慎重に進む彼女の後ろを閻が例の
『アレ』を封じた石を肩に担いで歩いていた。しかも閻の姿はいつもの黒いパーカーの姿ではない。
黒猫を模したようなヘルメット。体にぴったりしたレオタードのようなスーツ。肘から先になるにつれ
大きくなってゆくグローブとその先についてる巨大なカギ爪。化鬼猫大主の力を『魔縁』し能力を取り込んだのだ。
40ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:48:33.75 ID:NcexVyQx
『アレ』を封じた石を運ぶなら力持ちの腕黒坊の方が適任だが、今は大主以外の鬼達は先の『混沌』との戦いで
消耗しきっている。薬膳がゆを啜ったくらいではまだ十分に働ける程回復できなかった。
その為、閻は力の残っている大主を『魔縁』で取り込んで力を借りたのだ。

二人は、『混沌のしずくから分化したアレ』を再び『封印』する為、この洞窟の奥を目指していた。
今にも割れそうになっている『アレ』を封印した『殺生石』を運ぶと言い出したのは閻のほうだった。
ハンニャーに「できることはもうない」と言われたものの、閻は強行にハンニャーについていくと
だだをこねだしたのだ。

「今度邪魔したら承知しないからね」
そう言い含めると閻の同行を許可した。閻は素直に従い、大主と『魔縁』して『殺生石』をかつぎ上げた。万一、
運んでいる途中に『殺生石』が爆ぜたとしても、大主の加護を得ている閻なら問題ないとの判断だった。

「しっかし、見事にガランとしているわね〜」
言葉通りガランとした空間にハンニャーの独り言が響きわたった。洞窟内は『混沌』が
手当たり次第に『吸収』したのか洞窟内は本当に空虚だった。ただ、天井はある程度の高さから上は鍾乳石が
連なっているが、ある高さからスッパリと途切れている。『混沌』が通った名残だろう。
床もツルツルでのっぺりしていて歩きやすいといえば歩きやすく、視界も広かった。『混沌』がまだ中に
残っているのでは?という心配とは裏腹に二人は何の苦労もなく洞窟の最深部に到達した。

「──さて、じゃぁ、ソコの奥に『石』を置きなさい」
ハンニャーはかつて『混沌』を封じた台座のあった場所に『殺生石』を置くよう、閻に指示した。閻は指示の通りに
『石』をゴトリと置いた。置かれた石は表面がクログロとしており、ピシピシと小さな音を立てて細かなヒビが
入っている。今にも内圧で弾けそうだ。

「さーて、それじゃ、始めるわよ」
『術』の明かりを頭上に放り投げると、光が空中に留まった。そして両手を組み合わせ、ん〜〜っと伸びをすると、
最初の封印呪歌を詠唱しはじめた──

──ハンニャーの呪歌により、彼女の頭上には無数の術式が空中に描き出され、術式や魔法陣が踊るように舞い、
やがて準備が整う。

「──と、よし。いいわよ『ソレ』を壊して頂戴」
ハンニャーの言葉を受け、閻は鉤爪を振り上げ、そして──

「たぁあぁぁぁあああっ!」
渾身の一撃を『殺生石』に振り下ろした。──最初にハンニャーがやったように完全に封印する為には、一旦封印を
解かなければならない。表面を中途半端な封印である『殺生石』に覆われてては完全な封印はできないのである──
閻の一撃を受け、『殺生石』は全体の亀裂が大きくなり、爆ぜるようにして吹き飛んだ。
たちまち洞窟内にどす黒い障気が充満する。

「閻!早くそこを退きなさい!閻……閻っ?!」
本来なら、『殺生石』を壊した閻は速やかにそこを離れ、ハンニャーが封印処置を施す手はずになっていた。
しかし、閻はその場所を動かなかった。ただ立ち尽くし、覚悟を決めた眼差しで微笑んでいた。

「閻っ?!何をするつもり?!」
「ニャー姉ぇ、ごめん……」

そういうと、再び殺生石の中からでてきた悪夢の落とし子のような胎児に向け、手をかざすと叫んだ。

「魔縁!!縛(ばく)!────
41ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:49:16.35 ID:NcexVyQx
  ◇ ◇ ◇
 ──山間にあるこの里はとっくの昔に人のいない廃村である。それゆえ、そこかしこに雑草が群生し、自然が
幅をきかせている。だが、閻とハンニャーが『混沌』と戦った場所の周囲は石や木、瓦礫が散乱してこそいたが、
その中心はぽっかりと空白が
あいていた。その端っこにハンニャーは居た。その縁で適当な石に腰掛け、キセルをふかせていた。
何をするでもなく紫煙を吐き出し、太陽の光を浴びながら遠くの山の峰々をぼーっと眺めていた。

「まったく、あのこったら……」
小さく呟くと苛だちとともに再び煙を吐き出す。閻は今、木陰に用意された寝床で眠っていた。今さっきやっと
状態が落ち着いてきた所だ。さっきまでハンニャーがつきっきりで看病していたのだ。

 そんな風に一息つくハンニャーのそばに近づく小さく黒い影があった。ハンニャーは前をむいたままキセルを
くわえ、視線を小さな黒い影に向けた。

「よう」
一匹の黒猫だった。当然、その声には聞き覚えがあった。

「どうクロスケ、あの子の調子は?」
「呼吸はやぁっと落ち着いたな。あとはぐっすり眠らせれば何とかなんじゃねぇのか。ただちぃっと、
 余分なモノが生えてきちまってたな……」
黒猫はそう答え、後ろ足であごの下を掻く。そのなつかしい仕草にハンニャーは思わず目を細めた。

「あたしも見たわよ。あれは……どう考えてもアレが原因よね」
「あれだよな……」
黒猫も憂鬱そうに呟いた。閻の腰から黒く禍々しい悪魔のようなしっぽが生えていたのだ。
黒く堅い甲殻に覆われ、節々が堅く尖っているその尻尾は障気の渦の中で閻が見たあの黒く禍々しい胎児のものに
相違なかった。

「……たく、多少の影響は予想してたがまさかあんなあからさまにあンなのが生えてくるたぁな。参ったな〜……」
もし黒猫に手があったら頭を抱えていただろう声で呟いた。だからといって状況が好転する訳ではない。なので
ハンニャーは別の話題を振る事にした。

「……ま、あの娘にどんな影響が出るのかは経過を見守るしかないわね……で?
 アンタの方はなぁんだって、そぉんな事になってンのよ?」
黒猫から目を離し、遠くの景色に目をやりながら、ハンニャーはたずねた。

「あン?何の事だ?」
トボけた事をヌかす黒猫にメンドくさそうに指摘する。

「アタシの目は節穴じゃないわよ。なんだってアンタみたいな大化け猫の尻っぺたにそんな代物がついてんのよ。
 ソレ、あの娘のでしょう?あんた程の化け猫がらしくないわね。クロスケ」

「おぉ、見えちまってんのか。仕方ねぇなぁ」
そう言うとそらっトボけた様子で尻尾を持ち上げた。ジャラリといった感じで尻尾と共に影でできた鎖が持ち上がる。
その『影の鎖』は地面に潜り込み消えているように見えたがその先はあの娘に繋がっていることは明白だった。
それは閻から伸びている心の鬼を縛る『魔縁』だ。本来、ふつうの者がその存在に気づくことは希有である。

「コレが見えるってこたぁ、大したもんだな。ソッチはそっちで色々あったってことか。そういや、久しぶりに
 合った時は問答無用で眠らされたっけなあ。久しぶりだったぞ、あんな経験は。しっしっしっしっし」
そう言って愉快そうに笑う。今や彼程の化け猫を問答無用で眠らせられる手練はめったにいない。その事を
面白がっていた。そして、彼の笑い声はハンニャーがずっと昔に聞き慣れた笑い方とちっとも変わっていなかった。

「笑い事じゃないでしょ。それにお互い、1000年も生きていりゃ、その位にはなるでしょ」
そう言って、わざとらしくため息をつくと、憮然と煙をはきだした。

ハンニャーは以前、はるか昔にこのすっとぼけた化け猫……いや、猫又の世話になった事があった。その時
この猫又は人と共に生きる事に飽き、野良猫に混ざって生きることを旨としていた。ハンニャーは暫くは共に
過ごしていたものの、人と共に生きる道を選び、自然と二人は袂を分かった。が、それなのに今、彼はこうして
年端もゆかぬ小娘に使役されているのだ。首を傾げたくもなろうというものだ。
42ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:50:02.44 ID:NcexVyQx
「で、どういうことよ?」
「……まぁ、いろいろあったがヨ。一言で言やぁ、『生きるのに飽きてきた』っつーこったな。野良で生きてた
 時はよ、そらぁ、気楽だったゼ?でもよぉ、長生きしてっとよ、野良気取っててもよ。どーしてもメンドっちい
 色んなモンで動けなくなってくンのよ。しまいにゃ『化鬼猫大主』(ばきねこおおぬし)なんつって名前で
 タテマツッテくれチャッテ結局雁字搦めよ。うざいったらしょうがなくてなあ。これがよ」
ハンニャーはその名前に心当たりがあった。

「南の化鬼猫大主……アンタ土地神に祭り上げられてたの?」
あきれたように声をあげるハンニャーに少し得意そうに黒猫は応じた。

「へへ、おどれーたか」
そういって影の鎖のついている尻尾をじゃらりと一振りするが、その様子はどー見てもただの黒猫だった。

「で、だ。そんな時だ。あの娘に出会ったのぁよ」
そういって黒猫は目を細めた。閻に出会った時の事を思い出していた。猫よりも猫っぽい娘だった。
途中からは絶対敵わないと分かりながらも決して屈しない強い光をその目に宿していた。それは強大な化け猫になり、
大抵の妖怪も逃げるか平服するだけになっていた彼には新鮮な反応であり、興味をひくには十分だった。

「そんでよ。ちょっと思っちまったもんさ。『この嬢ちゃんにつき合うのも悪かねぇかな』ってよ」
そうしたら不覚にも隙を突かれ、『魔縁』に『呪縛』され、彼女の軍門に下ったのだ。

「や〜れやれ、大主ともてはやされたオレサマがざまぁないさ」
そう嘘ぶく彼にハンニャーは冷たい視線を注いだ。

「ウソおっしゃい。その気になったらその程度の支配。簡単に振り払えるクセに」
その指摘が図星なのか黒猫は居心地悪そうに後ろ足であごを掻いた。

「おっと、このこたぁ、あの娘にゃぁ内緒だぜ?しっしっし」
「何でよ?」
「俺ぁ今から楽しみにしてんのよ。あの娘が俺を必要としなくなる時をよ。あの娘自身が、自分からこの『魔縁』を
 解くのをよ」
それを聞いてハンニャーは呆れ返った。

「……気の永い話ねぇ〜」

「ま、でもよ。おかげで退屈しないぜぇ。永いこと生きてても経験しねぇようなことばっかりよ。しっしっし」
そんな風に笑う彼にハンニャーはあきれたような眼差しを向けた。

「あんたのヒマ潰しにつき合わされるあの娘もイイ面の皮ね」
そういってハンニャーは何度目かのため息をつく。

「だがよ、マサカあんな事をやらかしちまうたぁな」
一転、黒猫は憂鬱そうに呟いた。それを受けてハンニャーも深刻そうに顔を陰らせる。

「そういえばどういう事かしら?アンタがついていながら、何であんな事を許したりしたの?」

「う、うむ……それは……」
そう言われ、大主は言葉を詰まらせた。

 混沌の『核』だったもの、『分化された混沌』は今、閻の中にある。
あの時、ハンニャーが封印しようとした『混沌を分化した存在』。悪夢の中から生まれたかのような黒い胎児を閻は
『魔縁』で自分の中に取り込んだのだ。

 その時の事は大主も忘れることはできないだろう──
43ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:50:44.75 ID:NcexVyQx
  ◇ ◇ ◇
──あの時、ハンニャーの『殺生石』の中かから出てきた『魔物』に対峙した時、黒い障気の吹き荒れる中、
閻は悪夢が産み落としたとしか思えない禍々しい胎児のような化け物に向け、左腕から『魔縁』を打ち出した。
一瞬で鎖の形をした影が黒い胎児に巻き付く。

「閻!いくら何でもムチャだ!こんな悪意の固まりを取り込むなど正気の沙汰じゃぁないぞ!」

 大主は閻の正気を疑った。真っ黒い障気が吹き荒れる中、だが、閻はじっと正面を見据えながら呟く。

「ばっきー、お願い。閻の言うとおりにして!」
「しかし──」
 このとんでもない化け物をも閻は従えようと言うのだろうか。あまりにも無謀だ。閻の器は潜在的に言えば
かなり大きい。それでも今の閻では竜を丸飲みしようとするようなものだ。まだ離武無(りぶな)という心の鬼の
力さえ御しきれていないのだ。それなのに……

「おねがい、ばっきー!閻、ニャー姉ぇみたいになりたいの!」
「閻、おまえ……」
閻がハンニャーに懐いていたのは知っていた。休憩の時の様子がおかしかったことも分かっていた。
だが、ここまでのムチャを覚悟しているとは思っていなかった。

「このまんまじゃ閻はニャー姉ぇとたいとーにつき合えない!そんなの閻は嫌だよ!魔縁!!」

すると、閻の影が光源を無視してぐるりと動く。そして黒い胎児の上に重なった。間をおかず、閻は叫ぶ。

「罪に穢れた咎人の御霊よ!獄たる導きに縛につけ!百の贖罪・万の贖い!彼岸の彼方へと堕ち我が軍門に降れ!縛っ!」

 その叫びと共に閻の影の中から無数の『影の鎖』が沸き上がり黒き胎児に巻き付いた。そして真っ黒な禍々しい
胎児はそのままズブズブと影の中に沈んでいった──

──結局、閻の熱意に押される形で黒い異形の胎児は閻の中に封印されたのだ。体内に黒い胎児を抱え込んだ閻は
障気にあてられたのか高熱を出して昏倒してしまい、それから長いことうなされ続けた。ハンニャーと大主は
できうるかぎりの処置を施したが後はもう閻自身の問題だった───

「──まったく、あたしと対等になりたい……ね。背伸びするにも程があるでしょうが」
そう言うと、複雑な顔でキセルの煙を吐き出した。おまけに寝込んだ後は変な尻尾まで生えてきたのだ。間違いなく
『アレ』を取り込んだ影響だろう。
……第一、成長したいなら、対等になりたいなら、もっとゆっくり歩む道だってあっただろう。ハンニャーに
言わせれば、閻のやったことは単なる『無謀』だった。だからといって責めるつもりにもならなかったが……
……その閻の状態も今は何とか安定している。

──それまでは苦しそうに喘ぎ、息も荒かった。ハンニャーはその娘にずっと付き添い、看病を続けていたのだ。
一度、閻はうっすらと目を開き、ハンニャーを見上げた事があった。

「かか…さま……?」
熱にうかされたのか、そんな風にハンニャーに向け、手を伸ばしてきた。心細いのだろう。ハンニャーはその手を
優しく握り、閻の額に手をやり語りかけた。

「大丈夫、ここにいるわ。だから負けちゃダメよ?」
そういうと閻は小さく「うん……」と答えると安心したように目を閉じた──

──それからだ。状態が安定したのは。

「しっしっし。まあ、そういってやるなよ。あの娘にとって初めて目指したいってぇ相手に出会ったんだ。
 その目指したい背中がおめぇの背中なのはなンかの巡り合わせって奴にちげぇねぇよ。
 俺からの頼みだ。アイツのイイ目標になってやってくれよ。な?」
昔なじみの気安さか、黒猫は飄々と言う。それを聞いてハンニャーは渋いものを舐めたような顔になった。

「……そうは言ってもね。事の顛末を聞いた神々がどう判断するかしら……」
 ハンニャーは神々の依頼でここに赴いたのだ。封印失敗した上、対象が少女の中に封じられた。
これをどう判定するのか……
44ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:51:27.11 ID:NcexVyQx
「まー下手したら、対象をあの娘ごと封印、なんて事にならなきゃいいけどね〜」
気のない様子でハンニャーは紫煙を吐きながらそう呟く。

「なぁに、そンなことになったら、オレサマが内側から封印を喰い破ってやる」
そう言って黒猫は歯をむき出し、にやっと笑った。

「あんたならそれくらいしそうよねー……」
ハンニャーは横目でその様子を眺めながらキセルを吸う。

「──ま、できることはやったげる。ケドね……もし封印が決定したらどうするツモリ?」
「しっしっし。十中八九そんな事にゃぁなんねぇよ。心配すンなって。でもなぁそーなったら、思いっきり
 暴れてやろうかね。おめぇもつき合ってくれンだろ?シロスケ?」
ハンニャーは気のなさそうな様子で紫煙をくゆらす。

「んーま〜しょーがないわねぇ〜」
昔世話になったこともあり、無下にはできない。神々に反旗をひるがえす。それがどういう事か十二分に
知りながらもハンニャーはヤレヤレと頭を振った。

「しっしっし。ま、一つ頼むわ。あの娘のこたぁおめぇの両肩にかかっていんだからよ」
心底愉快そうに黒猫は笑う。

「いいけど、アンタ、あの娘を甘やかしすぎてない?」
キセルをくわえ、ハンニャーはジト目で睨みつけた。

「な、なんだ?その目は、し、仕方ないだろう?オレはあの娘に『呪縛』されてる哀れな化け猫なんだぜ?」
平静を装おうとして見事に失敗している。久しぶりの再会とはいえ、永くつきあった仲だ。ハンニャーの
冷たい視線に黒猫は居心地悪そうに毛づくろいをする。

「……ま、いいわ。じゃ、眠り姫の様子でも見にいくことにしましょうかしらね。様子も落ち着いたみたいだから」
腰掛けている岩にキセルを当てて中の火草を捨てるとハンニャーは閻の様子を見にいくために立ち上がった────


  ◇ ◇ ◇
「──と、いうことがあったのよね〜〜」
──ハンニャーは火の玉の姿をとってキツネ目の男の目の前を漂っていた。ここは夢幻の宮。執務室。
キツネ目の男はハンニャーに例の『混沌』の再封印を依頼した神の一柱、スセリだ。
ハンニャーは一応の顛末を報告に夢幻の宮を再び魂の姿で訪れていた。

「いや〜それは大変だったねぇ〜お疲れさま」
キツネ目の男はニコニコと笑って報告を聞いていた。相変わらず簡素な貫頭衣と青い曲玉の質素な首飾り、
そして結わえ付けた髪の毛と、以前来た時と寸分も変わらない様子で書類整理をしていた。
……以前と違う所といえば、怒ったハンニャーに髪の毛が少し焦がされていた事くらいか。

「──それだけ?」
ハンニャーは今、火の玉のような姿をしている為、イマイチ表情がわかりづらいが、拍子抜けしていた事だけは
明らかだ。それはそうだろう。渦中の封印対象が女の子一人のなかに封じ込められ、あまつさえ連れ帰ってきて
しまったのだ。本来なら大騒ぎになってもおかしくない事態だ。

「──ん?なにか『ぺなるてい』でも欲しかった?」
スセリは今現在も熱心に手元の書類にサラサラと筆を走らせながらそんな事を聞いてくる。

「そんなことないけど──て、そうじゃなくて!あの娘の中の物騒な『アレ』放っといていいのかっていってんの!
 すっトボけてんじゃないわよ!」
身体があったら両手で机を叩いてただろう勢いで思わずハンニャーはスセリに詰め寄った。だが、スセリは目を
あげず、書き物をする手の動きを加速させながらこう言った。

「んー?大騒ぎだよ〜?マサカこんな事態になるなんてね〜今、カミサマの間ではどうするか審議の
 真っ最中みたいだね〜」
自身も神であるのにまるで他人事のようにスセリ。
45ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:52:11.84 ID:NcexVyQx
「審議中?」
たった今、報告した事なのにもう審議が始まっている事にハンニャーは違和感を覚えた。
神々はそんなに暇なんだろうか、それともそれだけ重要なことだったのだろうか?

「そ、君が手がける仕事はいつも神々の注目の的だよ?今回も天沼矛が使用された為、緊急会議が招集されたのさ。
 それに今こうやって書き込んでるこの書物ね。書いたそばからカミサマ達の元に届けられる術がかかっててさ、
 君の報告も詳細に届けられているって寸法さ」
スセリはニパっと笑って書類をハンニャーに見せた。たった今、スセリが書き込んだと思しき文字がスゥーっと
消えていく。神々に報告が上っているというのは嘘ではないようだ。

「ふ〜ん、それで、どうするって?」
疑い深げな声でハンニャーは尋ね返した。

「ん〜まだゴチャゴチャしてるようだね〜こりゃ結論出るのは少し先の事になるかもね〜それで、他に報告は?」
キツネのような目をますます細くして書き物を再開しながらスセリは聞いた。

「そーねー例の『封印の祠』ね、もうダメっぽいわ。『混沌』が根こそぎさらってしまったわよ。
 メンドクサいんで後の事は狐族の連中にまかせてきたけど」
スセリはふんふんといいながら書類に筆を走らせる。

「まー彼らはボクの眷属なんでお手柔らかに頼むよ……と、報告する事はこれで全部かな?あ、……と、
 あと一つあった」
「なによ」
ハンニャーは少し身構えた。特に隠すこともなく報告したが何かマズかっただろうか?

「天沼矛(あまのぬぼこ)で『混沌』を『分化』しきっちゃったなら、最初の『ひとしずくの混沌』さ。
 それも『分化』しちゃったんだろ?なら、一体、どんなのが生まれたんだろうね?」
興味深そうに目を寄せて、机ごしにハンニャーににじり寄った。珍しく好奇心を露わにした様子に
ハンニャーは少し後ろに下がる。

「……さあね。あたしには判らないわ。障気のガスが濃かったし。あたしは知ることはできなかったわよ」
それを聞いて、スセリはシュンとなる。

「そうか……それは残念」
……半分は嘘だ。ハンニャーはあの『混沌だったモノ』の正体を知る者を知っていた。……クロスケだ───

 ───二人で閻の様子を見、峠を越えたと確認した頃、ハンニャーは疑問に思っていた事をクロスケに
問いただした。

「──で、あんたなんだってあんな『混沌』の離れた所にいたのよ?」
閻の鬼達が比較的続けて出てきたのに、クロスケだけ随分と後の方になってから出てきた。
おかしいといえばおかしかった。

「あぁ、そのことなンだけどよ、オレぁ『混沌』に呑み込まれた時も完全に溶けちまったワケじゃなかったよ」

「それはまあ、予想できてた事だけど……」
閻の様子を確認した後、閻を起こさないようにそこから離れながら化け猫と猫又の二匹は元の場所に戻る。

「少しずつ、意識が溶けていくのを感じながらよ。オレぁ、『混沌』の中心に漂っていったのよ」
「中心?」
『混沌』に中心も端っこもないだろうに彼は何を言っているのだろう。

「まあ聞けよ。その『混沌』ン中で溶けきってない……いや、違うな。ありゃぁ、モトモトああいう
 『意志』なんだろうな。そう、『意志』がよ。俺に話しかけてきたんさ」
「へぇ……」
ハンニャーは狐につままれたような顔で相づちをうった。それが本当なら『混沌から分化された存在』は、思いの外、
いや予想以上に厄介なのかもしれない。
46ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:54:12.31 ID:qmZjA9d9
「そいつぁ言ってやがったたのさ、神々が憎い……とさ、『分化』して世に出さず自分だけ『封印』するとは
 許せねぇ……意訳すればそんなふーな感じかね。恨み事を吐いてやがったな」
黒猫は思い出すように顔を上げ、目を閉じながらそんなことを言う。

「それ、確かなの?それが今、閻って娘の中にいる『奴』だと?」
あの『混沌』の周囲のものを捕食するかのような挙動はもしかしたらその『悪意』によるものだったのかもしれない。

「あぁ、間違いねぇ。あの悪意に満ちた赤い目は間違えようがねぇよ」
間髪入れず、黒猫は肯定した。それだけの悪意が今、閻の中に封印されているのだ。
そこまで考えハンニャーは眉根をよせた。

「ま、そんなワケだからよ。あの娘の事、頼まれてくれよ。な?」
「まー目が離せないのは確かだけどねー……」
ハンニャーは頭を掻きながらアヤフヤに答えた。こんな大事、そう簡単に答えを出すわけにはいかない。
が、他に選択肢はないような気がした。あの娘の中からあの悪夢が出てきたら対処できそうな者は
ハンニャー位しかいないだろう。

「まあ、そう言わずによ。また暫くよろしく頼まぁ。もっとも今度はこっちが世話になるンだがよ。しっしっし」
そう言って黒猫は何が面白いのか愉快そうに笑った────

──あの時の話の様子からクロスケは閻が取り込んだ『悪意』の正体を知っている。そう感じ取ったハンニャーだが、
いくら聞き出そうとしても例ののらりくらりとした調子でかわされてしまった。あれ以上話すツモリはないらしい。

「……と、あら〜ヤッパリこうなっちゃったか〜」
スセリの大仰な台詞にハッと現実に引き戻された。見るとスセリが別の書類を開いて、額に手をあてていた。

「あっと、でも、今君が目の前にいるのは都合がいいかな。神さまがたの方針が決まったようだよ〜」
そう言うと、手にした書類をハンニャーに見えるように開いて見せた────

  ◇ ◇ ◇

 チュン チュン チチチ……

──変わりばえのしない朝。『夢幻の宮』から魂の帰還を果たしたハンニャーは寝床からむくりと身を起こした。

「ん〜まったく、メンド臭いことになったわねぇ〜……」
そう言ってボンヤリと周囲を見回し、ボリボリと頭を掻いた。眼鏡をかけてないため、視界がボヤけている。
と、そこで胸周りに何かがまとわりついているような違和感を感じて布団をめくった。
──そこには黒い衣装を着た閻が胸にしがみつき眠っていた。ふぅ、と息を吐いて閻の頭に手をやる。

「全く、しょうがないコねぇ……」
そう言って頭をなでる。眠っている閻は特に悪夢にうなされるということもなく、安らいで眠っていた。
峠を越えた後も度々調子を悪くしたりするものの、少なくとも今は大丈夫なようだ。

「と。眼鏡は……」
枕元を手探りしていると眼鏡のほうから手に触れてきた。

「しっしっし。お目覚めかい。報告ゴクローさん」
見ると枕元に黒猫が佇んでいた。クロスケだ。どうやら眼鏡をよこしたのはこの猫のようだ。

「閻はともかく、アンタが居るのは感心しないわね。
 まがりなりにも無防備な女の寝顔を見るなんてどういうツモリよ……」
眼鏡をかけ、身を起こしながらハンニャーは苦情を言った。閻はそのまま眠っているようなのでそっと
身体からはなして布団を掛けた。

「で、どうよ?裁定は下ったんだろう?」
苦情をアッサリ聞き流して黒猫はそう水を向けてきた。
47ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:54:51.61 ID:qmZjA9d9
「……ちょっと外の空気を吸ってこようかしら」
ハンニャーは質問には答えず、そう言って香箱を手に縁側に出た。
黒猫はハンニャーの後をついてくる。ややあって、キセルに火が点された。ハンニャーは縁側に腰を下ろし、
朝の冷たい空気の中にキセルの煙をぷかあ、と吐き出した。その隣に黒猫がチョコンと腰を下ろす。
暫くそのまま時間が過ぎていった。

「……だいたい、アナタの予想通りの裁定が下されたわ」
ポツリと、夢幻の宮で聞いてきた結論をそう伝えた。

「……そうかぃ。そらぁ、結構」
黒猫もそう呟いて、ホッと息をついた。大方の予想はついていたのだろうが、答えを聞いて少し力が抜けたらしい。
前足の毛づくろいを始めた。

「あの娘をアタシの監督下に置いて様子を観る……ですって。鬼子と同じね。
 まったく……あいつらったらメンド臭い事はみぃんなコッチへ押しつけてくるんだから」
煙と一緒にボヤきを吐き出しながら、ハンニャーは隣の黒猫にキセルをつきつけた。

「で?アタシが居ない間、あの娘はどうだったの?」
言われて黒猫は愉快そうに笑った。

「おぉ、結構大変だったぞ。アレだけ言い含めていたのに、おめぇが死んじまったと勘違いしちまってなあ……」
ハンニャーはそれを聞いてジロリと黒猫を睨みつけた。

「ちゃんと説明したんでしょうねえ」
「いや、したさ。ちゃんとしたとも。翌日にはちゃんと起きてくるってよ。それでも聞かなくてなあ……」
黒猫は尻尾を落ち着かなげにパタパタと動かしながら釈明をする。

「それで、布団に潜り込んで起きてくるのを待ったと……まったくしようのない子ネー」
空を見上げながらキセルをふかし、ハンニャーは呟く。寒いが今日も一日、天気はよさそうだ。

「そんな事言うもンでねぇさ。あれで初めて自分以外の……おめぇの為を考えて一生懸命になってたんだからよ……
 封印の事だってよ」
その言葉に引っかかっておうむ返しに聞き返した。

「封印の事?」
まだ何か聞いてない事があったのだろうか。ハンニャーは黒猫に目を向けた。

「あぁ。ほら、おめぇの封印作業。閻のやらかした事でシンドい事になったろう?それが閻の奴には、
 らしくもなく申し訳なく思ったんだろーな。そのせーで、悩んだ末におめぇの代わりにアレを封印する事が
 できねぇかってんでやらかしたんだ。せめてそこン所は酌んでやってくれ」

「あの娘……」
確かにあの後、閻に封印の儀式を邪魔されたことは腹だたしかったが、それもこれもハンニャーの不手際に
よるものだった。あの時、閻が眠りの術にちゃんとかかってるか確認するだけでも、封印の洞窟の入り口をキチンと
閉めておくだけでも、今回のような事態は起こらなかったろう。そして閻が介入し、メンド臭いことになった。
だが、だからと言ってあの二度目の封印が困難になった事と閻の責任とは別の話だ。なにより彼女がやらかした事の
後始末は彼女自身にとらせた。天沼矛を使い混沌の分化作業を手伝わせるという形で。
それだけでも閻にはかなり厳しかったハズだ。天沼矛を手にする苦痛は大の大人でも耐えきれる者は少ない。

「なんだってあの娘はそんな事をしてまで……」
「しっしっし。いったろう。あの娘はおめぇにアコガレたのよ。そンで少しでも近づきたいと足掻き始めたんさ」
後ろ足で首の後ろを掻きながら黒猫はそんな風にいう。

「だからって、いきなりあんな無茶……」
同じ事を言いかけてフーッと煙と一緒にため息を上に向けて吐き出した。

「まあ、そうだなあ……実を言うと、あの娘にゃぁ、何か目標があったらしい」
尻尾をパタパタさせながら黒猫は語りだした。
48ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:59:18.99 ID:yk9ILweJ
「目標?」
キセルから唇をはなしハンニャーはおうむ返しに聞き返した。

「あぁ。オレも詳しくは知らねぇんだけどよ。あの娘が旅にでるのになンか目標があってよ。その目標を目指す
 具体的なイメージが見つからねぇつってたかな。おそらくだが、おめぇン中に目標に到るイメージを
 見たンじゃねぇかな」
毛づくろいしながら黒猫はそう言う。

「……そんな事言われてもねぇ〜」

「しっしっし。これだけ永い事生きてきたんなら、誰かを指導したり育てたりした事もあンだろう?
 あの娘も導いてやってくれねぇかね?」
確かにハンニャーは今までも誰かを育てたり導いたりしたことがなかった訳ではない。が、大抵は成り行きで
そうなっただけだし、何よりも自分にはそういう事は向いていないとよく分かっていた。

「……ガラじゃないわね」
そう言ってキセルをくわえた。

「しっしっし。それはオレの方がもっと向いてねぇよ」
ずっと永い事野良猫として生きてきた黒猫は笑い飛ばした。

「……ところで、一つ、確認しときたいんだけど……」
ハンニャーはキセルから口を離し、一番尋ねにくい事を聞きにかかる。

「うん?」
黒猫は毛ずくろいをやめ、頭をめぐらせた。

「あの娘の今の『器』じゃ、本来ならとうてい封印できそうもない代物なのよね?『アレ』は?」
その声音に黒猫は少し警戒するまなざしを向けた。

「……何が言いてぇ……」
「あの娘が『アレ』を封印したんじゃなく、逆にあの娘の中の『アレ』があの娘の事を『苗床(なえどこ)』に
 選んだ……とは考えられない?」
「……………………」

 黒猫は沈黙し、答えなかった。考えうることだった。閻の今の『器』で『アレ』を封印できたというのが
不自然といえば不自然だからだ。そこを逆に考えてみればどうだろう。
クロスケのように『自ら進んで封印された』とすれば?『アレ』いずれ彼女の中で成長し、力を貯め、最後には彼女を
喰い破って表にでてくる……そんな顛末が脳裏をよぎる。
あの禍々しい尻尾がまるで田植えで植えられたイネが水面に出す穂先のような気がしてハンニャーは背筋を悪寒が
這いあがるのを押さえきれなかった。

「なぁに。だが、成長するのは『アレ』ばっかじゃねぇよ。閻の奴だって、これからガンガン成長するさ。
 そン時になって奴さんは後悔するのさ。自分が抜け出せないタコ壷にハマっちまった抜け作だってことをよ」
そう言うと、黒猫は毛づくろいを再開した。

「……だと、いいんだけどね……」
今となってはそうなる事を祈るばかりだ。この黒猫が見込んだ娘だ。だったらそう悲観しなくてもいいのかもしれない。
これでもこの猫は昔から人を見抜くカンのようなものが鋭いのだ。

と、唐突にハンニャーの部屋から猫の鳴き声のような悲鳴が聞こえてきた。

「にゃ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

「お、閻の奴、やっと目を覚ましたか」
毛づくろいを止め、黒猫は呟く。

「騒がしい娘ねぇ〜〜〜〜」
ひとごとのようにハンニャーは呟いた。
49ねことこねこ:2013/05/23(木) 19:59:55.74 ID:yk9ILweJ
「しっしっし。そら、目が覚めたら俺たちがどっちも居なかったらビックリするわな」
人が悪く黒猫が笑う。

 ガラッ

縁側に続くハンニャーの部屋のふすまが開かれた。そして閻の顔が部屋から出、キョロキョロと周囲を見回す。
 そしてハンニャー達を見つけるとパァァッと顔が明るく輝いた。たちまちドタドタと駆け寄ってくる。

「ニャー姉ぇえ、ばっきーーっ!」
その勢いのまま、閻はハンニャーの背中にむしゃぶりついてきた。

「ホラ、言った通りだろ?ちゃんと朝になったら戻ってくるって」
黒猫が閻に向かってそう言ったが閻には聞こえているのかどうか。

「ねーねーニャー姉ぇ、もう調子はどー?お仕事は終わったの?」
 ハンニャーの背中にもたれ掛かり、甘えたように矢継ぎ早に質問を重ねてくる。落ち着かなげに例の尻尾が
ぴょこぴょこ動いた。

「まあ、おかげでみんなうまくいったわ。心配かけたわね」
 ゴロゴロと鳴き声をあげんばかりの閻に戸惑い気味になりながら、ハンニャーは返した。

「じゃ、じゃあ、ニャー姉ぇ、閻と一緒に居てもいい?いい?」
どうやら、大雑把なりに、大主から事情を聞いていたというのは本当のようだ。
……もっとも、この娘ごと封印とか苗床云々は話していないだろうが。

「いいわよ」
そう言われると閻はピョコンと飛び上がりこれ以上ないほど喜びを身体で表した。

「ニャーッ!やったーーっ!」
喜びすぎじゃないかと内心苦笑しつつもハンニャーは閻に言葉を向ける。

「さて、それじゃ、ちゃんとこの家の主に挨拶しなきゃね。お世話になるんだし……挨拶はした?」
そう聞くハンニャーの問いに閻は動きをピタリと止めた。

「にゃ?アイサツ?」
よく分かっていないようだ。

「……普通、世話になる家の人にはあらかじめ挨拶するものよ。まだやってなかったの?」

ハンニャーも閻たちを伴い帰ってきたのは夜も遅く、例のお清めも早々に報告に夢幻の宮に向かったのだ。
お清めの冷たさに閻が耐えられなかったとはいえ、二人を置いて行ってしまったのはまずかった。
色々な事を後回しにしすぎたか。

「おぉ、そういえば忘れていたな」
黒猫もわざとらしくそう声を上げた。自由奔放な閻と、永年野良をやってきた黒猫。
一般常識が欠けているのは仕方ないことなのかもしれない。

 ──もっとも、ハンニャーの普段の言動に常識があるのかは大いに疑問が残るが。

「それじゃ、最初にあたしから教える事。まず、お世話になるおうちの人には挨拶する事──」
ハンニャーは普段の自分の事を棚にあげて、常識を知らない閻にこれから教え込まなければければいけないことを
脳裏に山ほど羅列してその多さに軽くめまいを感じていた──

                                     ねことこねこ
                                          ──おわり──
50ねことこねこ:2013/05/23(木) 20:04:55.97 ID:yk9ILweJ
>>38-49
……という訳で、こねこがねこに出会う物語はこれで終幕です。長いことお付き合い下さいましてまことにありがとうございました。
同時に、この物語は9番目の鬼と少女閻が出会う物語でもあります。閻という少女が成長して、この鬼を御する事ができるのか……
はたまた逆にこの鬼に飲み込まれてしまうのか……全てはこれからのお話となっております……それでは。