91 :
はなのうた:
◇ ◇ ◇
──次に意識を取り戻したのは喉の奥に水が入り込んでむせかえった時だった。全身を激しい痛みが襲う。身体が
重く頭も重い……せき込む度に激しい痛みが全身を走った。そして、たまらず胸に入りこんだ水を吐き出した。
「ぜぇ……ぜぇ……、気が……ついた……かい?」
息も絶え絶えのその声で、あたしはあたしを半ば引きずるようにして水辺から引き上げようとしてくれてる人物が
おますだと気がついた。
「ひどいもんだね……あんた。でも、生きててくれてよかった……」
あたしは全身を覆う苦痛と吐き出す水でそれどころではなかった。おますに水辺から引きずられながら水を
吐いていた。えずく度に全身は耐えがたい痛みに苛まれる。身体の感覚はないがまだ身体の大半は水の中に
あるようだ。
首の後ろを引っ張られ、引き上げられる。身体の上半分が水から出た所でおますは力尽きたのか手を離した。
「ごめんよ。あたしにゃこれ……以上……引き上げられない……」
全身の痛みが強くて体の感覚が分からない。頭も打ったのかぼうっとする。視界がぼやけていて見えるものも全て
あやふやだ。おそらくは白い小石が集まっている川岸だろうか。ぼんやりした視界は一面、白かった。
「一体……何が……おこった……の」
動かない唇を動かし、かろうじてこう聞いた。おますも力尽きたのか、あたしの側に横たわるように腰を下ろした。
「あたし……にも……何がおこったのか……わかりゃしないよ……舞台が……急に崩れて、みんな……落っこち
ちまったんだ……」
息も絶え絶えに返事が戻ってくる。
「みんな…は…桔梗は……どこ……?」
その答えはしばらくしてから返ってきた。
「桔梗は……死んだよ。……みない方がいい……他の……みんなも……ひどい有様さ」
「そんな……」
あの高い舞台の上から落ちたのだ。あたしやおますのように命があるほうが幸運なんだろう。やがておますは水を
吸い、重くなった衣装をひきずりながらのろのろと立ち上がった。
「さて……あたしはともかくあんたも酷い有様だしね。待ってな。今、助けを呼んでくるよ」
おますだってなにかしら痛手を負っているのだろう。足を引きずるようにしながらやっとという感じで立ち上がった。
「あ……」
霞んだ視界におますがゆっくりと遠ざかってゆくのがぼんやりと見えた。あたしは急に心細くなり、おますを呼び
止めようとした。
「まって……お願い……まって……」
だが、痛手を負った身体は思うように動かなかった。おますを追いかけようとしてもまるで芋虫のようにずりずりと
前に進む。途端、甲高い音をたてて懐からこぼれ落ちるものがあった。ぼんやりとした視界に黒く楕円形のものが
いくつも写る。
「あ……いけない……」
自分を買い戻す為の金子だ。貯めた金子をお守り代わりに懐にしのばせていたのだ。このお金さえあれば、自分を
買い戻せる。自分を買い戻し、家に帰り、もう一度せん太に会える。
腕を前に伸ばし、硬貨を集めようとする。が、全身の痛みで、身体が思うように動かない。力が入らない。無理に
腕を伸ばし、震える手でやっと一枚だけ掴みとる。全身の痛みのせいで硬貨をつかんだ感覚がない……
あたしは自分の金子さえ拾い集められない自分の腕の弱々しさ、ふがいなさに涙がこぼれた。同時に男たちの腕を
思い出す。
自分を抱きよせるときの腕、自分を押さえつけた腕……自分にもあれだけの力強い腕があれば……そう思わずには
いられなかった。そうやって、腕を伸ばし、うつ伏せになった状態でどれくらい経っただろう。やがて遠くから
おますの助けを求める声が聞こえてきた。
「おねがいです、助けて、助けてください。舞台から滝に落ちて……死にそうなんです──」
「…………」
何かぼそぼそ声が聞こえて来たような気がした。相手は男の二人組のようだ。そして、何か鋭い声がしたと思ったら、
次の瞬間、柔らかいものを叩く鈍い音が響いた。
92 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:00:54.27 ID:gslPjl0S
「ギャーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
おますの絶叫が響き渡った。その声を断ち切るようにゴッゴッと身の毛もよだつような音が覆いかぶさる。やがて何も
聞こえなくなった。
「お、おい、何も殺すことなかったんでねーべか……」
しばらくしてそう囁く男の声が聞こえた。
「馬鹿言うでねぇ。お上の言うことに逆らう訳にもいかねーべ。聞いたべ?『おんなたちを決して助けてはならぬ』
とよ。女たちはぜってー助からねえ。なら、いっそ楽にするのがせめてもの慈悲っちゅうもんだべ」
男たちの声はこれ以上おんな達に関わるのはゴメンだと囁きあうと足音が徐々に離れていった。
あたしはそのまま、水辺に取り残された。目から涙が後から後からあふれ続ける。あたし達が何をしたというのか……
桔梗はあけすけで、明るく、どんな時もミもフタもない物言いで、元気づけてくれた。おますは愛嬌ある笑顔で
どんなに辛くても屈託なく励ましてくれた。二人とも懸命に
生きようとしていた。確かにあたし達は汚れた女なのかもしれない……でも、こんな風に虫ケラみたいに殺されるような
罪深いことなどしていないはずだ。
男は言っていた。
「おんなたちを助けてはならぬ」と。それはつまりこの事態はお上が引き起こし、最初からおんな達をみんな殺す
つもりだったのだ。
……あたしは無力だ。身体はこれ以上動かない。桔梗は死んだ。おますもたった今、死んだ。殺された。二人とも
いい仲間だった。辛いときも互いに支えあい慰めあったから、井戸に身投げをせずに済んだ。二人のいないあの世界で
一人、生き延びられる気がしない。それに、今の状況からあたしが生き延びられるとも思えない。
あたしの身体は水で冷えきって、身体の痛みも感覚とともに徐々に無くなってゆく。あたしもそろそろ終わりだろうか。
こんな事になっても思い出すのはせん太の事だった。あと少しで会えると思った弟。最後に、せめて、せめて一目
だけでも、会いたかった……
シャン、シャン……
どれくらいそうやっていたのだろう。どこからともなくそんな音が聞こえてきた。あの世へのお迎えだろうか?
あたしのような女でも、極楽浄土へいけるのだろうか?それとも地獄につれていかれるのだろか……
ジャリ……
ぼんやりとした視界に砂利を踏みしめた足が写った。
「?」
どうやら、お迎えではないようだ。なんとか霞んだ目を見上げると、お坊さまが立っているのがぼんやりと見えた。
少しだけあたしの胸に希望が灯る。助かるかもしれない……と。
「お坊さま……助けて……助けて……ください……」
「助かりたいか」
お坊さまにしては精悍な声が問いかけてきた。
「だが、見たところ、酷い有様だ。その様子ではどうやっても助からん」
ピシリとした言葉使いはお坊さまらしからぬ物言いだった。
「そんな……」
「だが、手だてが無いわけではない。お前にはどうやってでもやり遂げたい未練があるか?復讐したい相手がいるか?」
低く、力強い声が不思議な魅力をもって淡々と響く。
「もし、あるなら手を貸そう。外道へと身を堕とす事になるが、それで良いなら未練を要に命永らえる外法がある」
お坊さまの言葉とも思えぬ言葉だが、その時のあたしは何も考えられなかった。
「このまま人として死ぬのならば安らかに死ねよう。だが、外道に堕ちてでも叶えたい望みがあるなら……」
「────」
あたしは答えを口にし、弱々しく顔を伏せた。せん太に会いたい。その未練のためだけにあたしは魂をこの男に
売ってしまってもいいと思った。半分、自暴自棄になっていたのかもしれない。どうせ地獄に堕ちるとわかりきってる
汚れた業深き女の身。なら最後くらい自分の思うままにするのもいいだろう。答えた口元は知らず笑みを浮かべていた。
93 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:01:37.77 ID:gslPjl0S
「──よかろう。その望み、しかと聞き届けた」
その怪僧はそう約束した。
◇ ◇ ◇
手にした錫丈を傍らに置くと、男はあたしの上にかがみ込んだ。そして、あたしの手から掴んで離さなかった硬貨を
とりあげた。
「タガメか。いいだろう。これを使う。この術には要となる蟲が必要だからな」
その言葉で、あたしが金子だと思い必死で掴んでいたのは虫けらだと知った。何と滑稽なことか。
しかし男はこう言った。
「念のこもった虫けらならより確実になろう」
男は、懐から朱塗りのさかずきと札を取り出し、川の水をすくって、虫と札をその中に入れた。そして、何か口の中で
ゴニョゴニョと呟いていたが、意識の薄いあたしには何を言っているのかは分からなかった。やがて、あたしを川の水の
なかから抱き起こすと、そのさかずきを口元に持ってきた。
「飲め。歯は立てるな」
あたしは言われた通り、さかずきの中のものを飲み干した。ガサガサした不快なものが喉の奥を通り過ぎるのを感じる。
飲み込んだ後、ケホケホとせき込んだ。不快なものはゆっくりと腹の中を下ってゆく。
どくん
急に、胃の腑の中で何かが弾けた。今までの痛みに数十倍はあろうかという痛みが腹の中で破ぜた。まるで無数の針が
腹の中で炸裂したかのようだ。
「────っ!!」
すさまじい絶叫が口をついて出た。身体をのたうち回らせ暴れ回る。鋭い痛みの針が胃の腑を突き破り、次々と全身を
貫き、引き裂きながら広がってゆくようだった──
──どのくらいそうしてのたうち回っただろうか……短い間だったようにも何日も経ってしまったようにも思う。
気がつくと、辺りはすっかり暗くなっていた。
あたしは、あいかわらず、川べりに横たわっていた。冷たい水が身体をじっとりと冷やしている。だが、相当長い時間、
水に浸っていたはずの身体は問題もなく動いた。水を吸って重くなった着物を引きずり、立ち上がる。不思議な事に
身体の痛みは引き、新たな力が全身に漲っている。
やがて、そんなあたしの耳に、シャン、シャン、と、例の錫丈の音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「……気がついたか。もう動けるようだな」
お坊さまは後ろにおんな達を引き連れて歩いてきた。ボロボロの衣装、青白い顔と肌……あたしと同じ、他のおんな達か。
当然、その中にはおますや桔梗の姿はみられなかった。知らない顔ばかりだ。
「お前で最後だ。すくい上げられたのはこれだけだったか……まあいい。ついてこい」
そう言うと、この暗い川辺を歩きだした。あたし達は不思議と真っ暗なはずの夜道を不自由なく歩くことができた。
お坊さまはあたし達を伴い歩くうち、川辺から山道へと踏み
いっていった。そして、シャン、シャンという錫丈の音に導かれるように足を運ぶうち、前方にボウ、と何かの明かりが
見えてきた。誰かが道をやってくる。
明かりを掲げ、やってきたのは男だった。質素な衣類からすると、この辺りの農夫らしかった。
「なんだべ?この遅い時刻に……ひぇっ?!」
男はあたしたちの異様な様子にひどく驚いたようだった。おんな達は血塗れでボロボロな衣装をまとっているのだ。
驚くのも無理もない。だがそれよりも、あたしはその声を聞いて怒りの炎が胸の奥で燃え上がるのを感じていた。
この声。あの男の声だ。おますを殺したのはこの声の男だった。あたしはこの男を許さない、許さない許さない……
あたしは突如沸き上がった怒りとともに男につかみかかった。
94 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:02:21.87 ID:gslPjl0S
「あっああっ、あぁあぁぁあぁあああっ」
喉の奥から人とも獣ともつかぬ叫びがほとばしる。巨大な手が男を掴みあげ、絞めあげた。あたしはその男の喉元に
牙を立てようとむしゃぶりついた。
「そこまでだ」
シャン、
錫丈の音が耳朶を打つ。途端、身体が見えない何かに縛られ、動けなくなった。農夫はいましめからとき放たれ、
気を失ってずるりとくずおれる。
「ぎっ……が、がぁっ……っ!!」
ブツブツと、念仏のように響く言葉の旋律があたしを縛る。重々しく、深い声があたしを押しとどめた。あたしは
呪縛された身体を無理に動かし、頭をめぐらせた。視界の隅でお坊さまが札を掲げ、ブツブツと何かを唱えていた。
掲げたお札は青い不思議な光を放ち燃えているようだ。
「うぬの目的はそうではなかろう。そんな事に力を使うでない」
そう言うと、まじないを止めたからだろうか。お札の光は光を失い、身体の自由をとりもどした。だが、あたしの
怒りは復讐を妨げた男に、お坊さまにそのまま向けられた。
「がぁあぁっ!!」
怒りの衝動のまま彼にとびかかり、肩口にかみついた。そして笠が飛び、血が散った。
──それから、暫く時間が経過した──
やがて、かなり時間が経過して怒りが引き、あたしは我に返った。あたしの首筋にそっと指が添えられた。思いの外
優しい手の指先。その感触にハッとして、身体を離した。目からはいつの間にやら赤いものが流れていた。あたしは
怒りに飲まれ、今何をしたのだろう?
「気が済んだか──」
肩口を噛み裂かれているにもかかわらず、全く動揺した様子もなく、男は言った。
「お前の望みは弟との再会だったはずだ。それを忘れぬことだ。それ以外の事で力を使う事は許さぬ。よいな」
だが、あたしは別の事に驚いていた。
「お坊さま、あなたは……」
笠が飛んだ男の姿は異形だった。精悍な青年の顔にはこめかみから太くガッシリしたツノが生えていたのだ。
また、眉間には鋭く斜めに刀傷が入っており、ひきむすばれた眼差しが強くきびしい眼光をたたえていた。
あたしは自分の卑しくあさましい性分を見抜かれいるような気がして狼狽え、目を逸らした。
「これか?そうだ。拙僧もうぬらと同じ……外道よ」
落ちた笠を拾い、かぶりなおしながら男はそう言った。肩口の傷には全く頓着していない。
「さて、本来ならもう少し先でやろうと思うたが、よい機会だ。ここで済ますとしよう」
男は再び、懐をさぐり、札を数枚取り出すと、あたし以外のおんな達に向きなおった。
「うぬらの望みはうぬらをこんな目にあわせた者達への報復……そうであったな」
そう言うと、左手で印を結び口の中でブツブツと何事か唱える。と、右手に持ったお札が白い炎に包まれた。
「うぬらをこんな目にあわせたのはこの国の領主だ。お前たちの口からここの隠れ金山の秘密が漏れることを恐れ、
口封じのためにこんな事をしでかしたのだ……」
そう言うと、手のお札を宙に放った。すると、お札はほの白い火の玉となり、それぞれ、おんなたちの頭上に
漂いだして止まった。そしてお坊さまは、おんな達にこのような事を目論んだ者達と領主の名を告げた。
「その火の玉の後をついてゆけ。おまえたちの仇の元へ導いてゆくだろう。存分に復讐するがよい」
すると、おんな達の足下から青白い炎が沸き上がり、おんな達は炎に包まれた。一瞬後には、大きな青白い
火の玉になり、お札の白い火の玉に導かれるようにして、空を飛んでいってしまった。
「うぬらの望み、成就することを祈っておるぞ」
空に散ってゆく火の玉を見送り、男はボソリとつぶやいた。数年後、おんな達の呪いか領主達は落城し、姫達は
奇しくもそろって水に身投げする憂き目を見ることとなった……
95 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:03:12.62 ID:gslPjl0S
「……さて、つぎはうぬの望み……だったな。懸想した娘はさっきのおんな達の中にはおらなんだか?」
お坊さま(この呼び方がふさわしくないのはわかっている)がおんな達が消えた後、その後ろに控えていた人物に
声をかけた。
あたしはその人物を見てギョッとなった。
「いいえおぼうざま。だっだいまみづがりまぢだだ」
ひどいだみ声でその男は答えた。ひどく低い短躯、がっしりした体つき、傷だらけの芋のような容貌……その男は
あの醜い男、骸(ムクロ)だった。男のねっとりとした粘っこい視線があたしをねめつけていた。
◇ ◇ ◇
「なんで?!どうしてっ?!あんたがここに居るのさっ?!」
あたしは嫌悪感で身を引きながら叫ばずにはいられなかった。
「この男は領主のたくらみを知ってそれを逆に利用してやろうと目論んだのだ」
お坊さまが淡々とあたしの質問に答えた。
曰く、おんな達が滝壺に落とされたら、自分も助けに飛び込み、そのまま死んだ事にしてしまえば、ともに郭抜けが
できる。おんなを助け、下流に流れ着いて適当な所で陸にあがり、その後は自由に住む所を定める。醜い自分でも
そうやって郭抜けをすれば一蓮托生。女も一緒に過ごさない訳にはいかないだろう。
「……だが、実際に飛び込んでみたものの、この男自身も水に溺れ、おんなを助けるどころではなかった。結局、
瀕死の状態で流れ着いた所に偶然居合わせたのでな。丁度、足下を這いずっていた虫ケラを使って拾い上げた」
……あたしはこの醜い男の考えを知ってゾッとした。この男にずっとみられていたこともさることながら、この男の
考えに嫌悪感しかわかなかった。下手をすればこの男に救われていたかもしれないのだ。この男と落ち延びるなど
冗談ではない。
「近寄らないでっ!あんたと一緒なんてまっぴらごめんよっ」
男は無言でじっとこっちを見ている。熱っぽい、ドロリとした視線を注いでくる。それだけで全身に汚ならしいものを
塗りたくられているかのような嫌な気分に陥った。
「おでば……おめえをずぐえながっだ……おめえをものにでぎながっだ……だがら、ぜめで、づいでいぎでえ……」
だみ声でそんな事を言ってきた。
「拙僧はうぬの望みを叶えると約束した。それが望みなら仕方なかろう」
あたしが「お断りよっ」と、叫ぶ前にお坊さまがそう言ってしまった。
「なっ……!そんっ……お坊さまっ!?」
あたしはお坊さまに言い募ったが、お坊さまの意見を翻させることは不可能だった。逆になにがいけないのかと問わ
れ
言葉に詰まった。理屈ではないのだ。この言い知れぬ不快感、嫌悪感……それらをうまく説明できたとしてもお坊さまの
意志は変えられなかったろう……結局あたしの訴えは聞き入れられなかった。
96 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:07:15.06 ID:gslPjl0S
◇ ◇ ◇
どの道、あたし達はお坊さまの導きなしには世の中を渡り歩けないと説明された。世の中を見る目が変わっているの
だという。半ば幽霊と同じ状態で世に存在しているのだ。なので、今のまま、お坊さまの導きもなしにさまよい歩けば
たちまち道に迷い、永久にこの世を彷徨う事になるのだとか。つまりこの身がなじむまでの暫くの間は一緒にいくしか
ないのだそうだ。
そして出立。あたしの望みを叶える為、お坊さまに導いてもらう事になっている。しかし、その前に桔梗とおますをはじめ
おんな達を供養してから出立したかったがお坊さまに止められた。
「やめておくことだ、うぬはまだ領主らに抹殺されかかっている最中だと忘れたか。それに、我らは外道だ。外道に
弔われては成仏できるものもできなくなるやもしれぬ……業腹だろうが弔いはこの辺りの者達に任せるがよかろう。
見捨てた後ろめたさで弔わずにはいられぬ事だろうしな」
……そう言われては諦めるしかなかった。せめて、二人の亡骸は一緒に葬ってもらえるよう、一緒に河原に並べて
おくことにした。
二人とも酷く痛めつけられた亡骸だった。できるだけ
綺麗にしてあげたかったが、顔を布でぬぐってやることしかできなかった。……せめて死化粧をと近くで採れた赤い実を
すりつぶして紅をさした。
「こんな事しかしてあげられなくてごめんなさい……」
そしてあたしはおますと桔梗。二人の亡骸に別れを告げた。
──それから。あたし達はお坊さまのシャン、シャン、という錫丈の音に導かれながら、自分の故郷に帰った。そこに
弟のせん太がおっとうと一緒に暮らしているはずだった。
──だが、そこには誰もいなかった。家は荒れ果てあばら屋になっていた。裏の畑も雑草が生い茂って人の手が入った
様子はなかった。そして、おっとうの姿も弟の姿もどこにもみつからなかったのだ……
あたしは隣近所の人に話を聞いてみた。そして知ったのは信じたくない事実だった。
おっとうは何年も前に死んでいた。半ば騙されるような形で人買いに娘を……あたしを買い取られ酒に溺れる日々
だったという。弟も姉を連れ戻すと出ていったきり、結局戻らなかった。そして、金子が尽きる頃におっとうは体調を
崩してしまっていた。挙げ句、誰にも看取られず、ある日ひっそりと息を引き取っていたそうだ。
あたしはおっとうが埋められた墓の場所を聞き、いってみた……土まんじゅうの上に丸石が二つ……それがおっとうの
墓だった。
「おっとう……どうして……どうして……」
その言葉しか出てこなかった。最初は何故あたしを人買いに売ったりしたのか。そしてどうして死んでしまったのか……
気のいい人だった。大らかな人だった。だから人買いにコロリと騙されてしまったのだろう。何となくそうじゃないかとは
思っていたが、それでもあの辛い生活の中では自分を売ったと聞いておっとうを恨まずにはいられなかった。
でも……それでも、それも生きていればこそ。なのに……
あたしは暫くの間、呆然とおっとうの墓の前に佇むことしかできなかった。桔梗……おます……そしておっとう……
好きな人が次々と居なくなっていく……
そして弟は行方がわからない。どこを探せばいいのだろう?
長い間、墓前に佇んでいたが、やがておっとうにも別れを告げると、弟の事が気がかりになってきた。もうあたしの
肉親は弟だけになってしまった。それと気になったことがある。
「弟はここに帰ってきていなかった……?」
あたしの聞いていた話と違う。せめて弟が帰ってきていたら、おっとうは死ななくとも済んだかもしれないのに。
これはどういうことなのか、あの女にもう一度話を聞く必要が出てきた。色町に居る女衒の、あの女に──
◇ ◇ ◇
──だがあの女の居た色町一帯は焼き払われ廃墟と化していた。聞けば大火が出たという。おんなたちも沢山焼け死に、
色町は壊滅状態だった。
廃墟と化した町のなか、偶然見かけた男衆の一人をつかまえて話を聞き出した。
「女衒の姐さん?さあな。あの大火以降、行方知らずよ。おんなどもと一緒に焼け死んじまったのかもしんねぇなあ」
あたしは力が抜けてしまった。これでせん太の手がかりは途切れてしまった……
「せん太?あぁ、姐さんに騙されてた間のあの抜けた小僧の事か」
あたしは聞きとがめた。騙されていた?問い返すと、男は事も無げに語りだした。
97 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:08:01.27 ID:gslPjl0S
「あぁ。姐さんが小金を稼ぐ毎度の手なんだがよ。時たまああいう小僧と賭け……ちゅ〜かお遊戯をするのよ。
ま、小金稼ぎかね」
賭け……その言葉にあたしは不穏な響きを感じていた。男のお喋りはなおも続く。
「姐さんは時々ああいう小生意気な小僧を見つけてはこういう話を持ちかけてコキ使うのよ。持ちかける話はだな。
『姉ぇちゃんを取り返したかったら、うちで働け。働いている間、一日に二刻だけ自由に動ける時間をやろう。
その時間の間にこの色町のどこかにいる姉ぇちゃんを見つけ出せたら、無条件で姉ぇちゃんを返してやろう。
もちろん、うちで働いて姉ぇちゃんを身請けできるだけの金を稼いでもいい。金子が貯まれば姉ぇちゃんを買い
戻せるぞっ』ちゅ〜てな。
──っつても、実際にゃ、その娘は大抵、よその色町へやっちまうから、その町じゃぁ見つかりっこねぇ。
一日のうち二刻は無駄に走り回っておしめーって寸法よ。
せん太って小僧もよく働いたぜぇ。見つからなくても姉ぇちゃんを買い戻すってはりきってな。つーても、小銭で
いいようにこき使われてやがったな。やがて、色町ン中みんな探し尽くして、やっと町ン中にゃぁ姉ぇちゃんは
いねぇって気づいたらしい。姐さんところに怒鳴り込んできたっけな。そしたら暴れたんで今度こそ男衆にごてーねーに
かわいがられて河原にポイよ。ま、死なれても寝覚めが悪いから今度はある程度手加減はされてたがね。今頃はどこで
どーしているのやら」
……あたしはその話を聞きながら、怒りに震えていた。思い出す。あの時、格子部屋に上げられる前、呼び出された事……
鉱山行きの話……つじつまの合わない話……あたしたち姉弟をいいように使って金を儲けていたのだ。あたしを金山に
送り、弟を小間使いにこき使って……全て合点がいった……だが、そのおかげで……その結果おっとうは身を
持ち崩して死んでった……
「ところでよ。あのガキの事を尋ねるってこたぁ、おめぇ、あのガキの姉か?っつーこたぁ、ヤマから抜け出して
きやがったのか?」
そういって、あたしの肩をつかんだ。抗いがたい力強い男の腕がまたもあたしを捕らえようとした。その時だ。
ゴッ
あたしは怒りを男にぶつけた。巨大な腕が男を捕らえ、焼け残った建物の壁に叩きつけた。男は「ぶぎゅべっ」
と、蛙がつぶされるようなうめき声を上げた。ぎりぎりと巨大な腕が男を絞め上げる。
いつの間にかあたしの帯の一部が巨大な腕の形となって男を締め上げていた。
「答えなさい。弟を捨てた河原はどこ?」
男を睨めつけ、問いつめると男はひっと息をのんで
「ば……化け物……」
と、呟いたっきり、気を失ってしまった。結局、弟の行方はわからなくなってしまった。あたしは腹立たしげに男を
放り出した。あの女にいいようにされていたなんて。なんと腹立たしい。あの女など、地獄の業火に焼かれてしまえ。
できればこの手で八つ裂きにしてやりたいとさえ思った。
……ふと自分の腕をみるとポタポタと流れる赤いもので汚れてる事に気がついた。そしてそれは目から出て頬を伝っている。
どうやら、血の涙を流しているらしい。怒りでボンヤリとした頭でそう考えるまま、顔を洗おうと水を貯めている
手近な桶をのぞき込んだ。
──そこには亡者の顔が写り込んでいた。頬がげっそりとこけ、青白い顔は幽鬼の色だ。口からは牙が生え、目は
白目の部分が真っ赤に染まり、血がダラダラと流れている。あさましく醜い、亡者の姿。これが、今のわたし……
まさに化け物だった。
だが、あたしは頓着せず、目から流れ出た血を洗い落とした。幽鬼だろうが亡者だろうが、今はもう、どうでもよかった──
◇ ◇ ◇
町を出ると入り口でお坊さまが待っていた。あたしが見失わないよう、目印としてチリーン、チリーンと導きの鈴を
鳴らし続けていた。まだ、世を見る目になれていないのだ。一人で世の中を動けるようになるにはまだ少し時間がかかる。
「どうした。話は聞けたか」
お坊さまがあたしに気づき、声をかけてきた。あたしは急に気恥ずかしくなり、顔を隠したくなった。この人にもあの
幽鬼のような顔を見られているのだ。同じ鬼なのに、この人の凛々しさと比べてあたしの何と浅ましく醜い事よ。つい、
目を逸らしがちになりながら答えてしまう。
「いえ……弟の行方は辿れませなんだ……」
「そうか」
98 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:08:55.41 ID:gslPjl0S
あれから、せん太が放り出された河原の場所は調べがついた。町の裏手の川だったが、手がかりは何も得られなかった。
お坊さまは、ややあって、あたしたちにこう申しつけた。
「ならば、少しつき合え。この近くで人喰い鬼が出没するそうだ」
◇ ◇ ◇
──夜。町を離れ、街道からも少し外れた所で、あたしたちは火を焚き暖をとった。パチパチとはぜる炎を見つめつつ、
あたしはお坊さまにたずねてみた。
「それでお坊さま、人喰い鬼とは……?」
これだけ暗くても、笠を脱がないのはやはりツノを隠すためなのだろうか……?
それはともかく、お坊さまはうむとひとつうなずくと人喰い鬼について語りだした。
「この街道沿いで女が何人も襲われているらしい。人喰い。と言われても、喰らうのは骸のほんの一部分だけ……
という事らしいな。襲われた女のむくろがそこかしこで見つかるので噂が出回るようになった。ということだ」
お坊さまは、じっと動かぬまま炎を見つめ、淡々と概要を語りつづける。
「なにぶん、この格好だ。物の怪や怪異の話は色々と舞い込んでくる。今回も是非にと鬼退治を依頼されたのだ」
そういって語り終えた。あたしはだいたいの要約を聞き終えたが、腑に落ちない点がいくつかあった。
「しかし、お坊さま、聞いてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「何故、私を同行させたのでしょう?私は非力なおんなですのに……次に、その鬼を見つけだしてどうなさる
おつもりなんです?お坊さまはお坊さまではないのでしょう?」
そうたずねると彼はくっくっく、と、愉快そうに笑いだした。
「……そうよな。我は外道よ。本来、仏門からはもっとも遠き存在よ。それゆえ、例え人喰い鬼が出没しようとも、
退治するいわれなどない」
それならどうして……と、再びたずねようとしたあたしを片手で制して、彼は語り続けた。
「まずは最初の問いに答えよう。単純な事だ。人喰い鬼はおんなを狙って出没するそうだ。ならば、おんながいなければ
遭遇することかなわぬかもしれぬ。次に……うぬはすでにか弱い女ではない。拙僧は見てみたいのだ。うぬがどれ程の
使い手に生まれ変わったのかを」
正直、あたしはお坊さまが何をおっしゃっているのか分からなかった。
「そういう意味ではうぬにも期待しているぞ。オケラよ」
そう言って、炎の向かいにうずくまる醜い男に声をかけた。
言われた男は腰を下ろし、ただ無言でじっと炎を見つめている……
もちろん、この男はあたしがムクロと呼んでいた男だ。当然、あたしたちの旅にもずっと同行していた。最初お坊さまに
名前をたずねられた時も、あのだみ声で「おずぎにおよびぐだぜえ」と言うばかりで、名乗ろうとはしなかった。
なので、お坊さまはこの男を蘇らせるのに使った虫ケラの名前……オケラと呼ぶようになった。
それにしてもこの男には相変わらず嫌悪感しか沸かない。なので、普段はできるだけその存在を意識の外に締め出している。
だが、時々この男の粘っこい視線が身体を舐めるように這い回るのを感じていた。その度に肌が泡立つような嫌悪感に
さいなまれていた。
……とはいえ、ムクロ……いや、オケラはかつて男衆に身をおいていたからわかる。身体もガッチリしているし、荒事は
お手のものだろう。だが、あたしはそんな世界とは無縁で生きてきた。芸事だけの世界に生きてきたおんなが同じ
外道に堕ちたからといって物の怪退治に駆り出されても何かできるはずがない。そう申し立てたが、お坊さまはそうは
思わなかったようだ。
「ふ……うぬは既に力の一端を拙僧に示したではないか」
「お坊さま、それは……」
「シッ!」
あたしがお坊さまに真意を確かめようとしたとき、何かの気配が近づいてくるのを感じていた。
男二人は素早く立ち上がり、焚き火を挟んで接近してくる人影と対峙した。
サク、サク、サク、と軽い足音をたててその人影はゆっくりと焚き火の灯りの中に踏み込んで来た。
99 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:12:43.13 ID:q3Z2Isnv
「やあ、こんばんわ。ちょっと火に当たらせてもらっていいかな。人探しをしているうちに道に迷っちゃって。女の人を
探しているんだけどね。ボクのねーちゃんなんだ……」
やんちゃそうなその声を聞いた時、あたしは自分の耳を疑った。
「せん太……せん太なのかい?」
◇ ◇ ◇
そこにはなつかしい少年の姿が立っていた。人なつっこそうな童顔、質素な着衣、間違いない。弟のせん太だ。
向こうもあたしの事を見て気がついた。
「姉ぇちゃん、姉ぇちゃんなのかい?」
だが、感動の再会とはいかなかった。
ジャリン!!
唐突にあたしと弟の間にお坊さまの錫杖が割って入ったのだ。
「っ?! お坊さま、一体、何を?」
お坊さまは錫杖を構えながら、笠の向こうの目は油断ならぬ光を放ち、弟を睨みつけている。
「よく見ろ。ぬしの弟、既に外道に堕ちている」
言われ、目を弟に戻すと弟は棒立ちでブツブツと何か
呟いていた。いつの間にか目は塗りつぶされたように漆黒に染まっていた。何より、首の斜め後ろに異様な大きさの瘤が
膨れ上がり、そこにいくつもの小さな人面瘡がより集まっていた。
「姉ぇちゃん……姉ぇちゃん……かい……」
せん太が虚ろに繰り返す。すると首の瘤から甲高く小さい声があがった。
「イーヤ、かか様ジャネェ」
別の声が続いた。
「チガウ、ねね様ジャナイノ!」
別の声が叫ぶ
「こんなのかー様じゃナイ!」
「妹、妹ハドコダ妹ハドコダ!」
「チガウチガウチガウ!コイツハチガウ!」
ひとしきり人面蒼たちが騒いだあと、弟はゆっくりとこちらに向きなおった。
「そうか……違うのか……なら……喰い殺しても……いいよね……」
漆黒に塗りつぶされたせん太の目があたしをうつす。せん太の口から牙が生え、指の爪が鋭く長く伸張した。
ギリギリと額から突き破るようにツノが突き出した。
「……せん太!」
次の瞬間、信じられない速さでせん太は襲いかかってきた。お坊さまの錫杖がそれを阻んだ。
ギャリンッ!
せん太のカギ爪と錫杖がかみ合い、火花が散った。あたしに向かって突進してきたせん太はその錫杖によって弾き
とばされた。
「あははははっ あははははっ!!」
そのまま、けたたましく笑いながらせん太は闇の中へと駆け込んでいった。呆然となったあたしをそこに残したまま。
一体、せん太に何があったのだというのだろう……?
◇ ◇ ◇
「──怨念の集合体だ。うぬの弟はそれに取り込まれて鬼と化したようだな」
お坊さまの説明によると、同じような境遇で死して朽ち果てた魂たちが寄り集まり同じ境遇の弟に取り憑いて鬼と化したの
だろう。と、いうことだった。
100 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:13:18.77 ID:q3Z2Isnv
「うぬの弟が死して鬼と化したのか、生きながら鬼と化したのかはわからぬ。が、あの怨念が憑いているかぎりは
うぬの事を姉とはわからぬであろうな」
「そんな……」
やっと、やっと再び会えたと思ったのに…… その間もお坊さまの言葉は淡々と続く。
「そして、生きていようが死していようが怨念を引き剥がせば、うぬの弟は生きてはいられまい。つまり、このままでは
うぬら姉弟は永遠に再会すること叶わぬという訳だ」
しん、と空気が静まり返った。パチパチと火の燃える音だけが聞こえる。
あたしはどうすればいいのか全く考えつかなかった。元より、あたしに何かできるとも思えなかった。何も手だてが
ないのだろうか?知らず顔がうつむいてゆく……
「……ここで先の話に戻る。拙僧に聞いたな?あの鬼をどうするつもりなのか?と」
「?」
話の流れがつかめず、あたしは首を傾げた。このお坊さまは何を言うつもりなのだろう?
「知っての通り、拙僧は外道よ。この格好で旅をしているにも訳がある」
そう言って立ち上がると常にかぶっていた笠を脱いだ。こめかみから生えた、異形のツノと厳しく引き締まった
眼差しが笠の下から現れた。そしてあたしを見下ろすと、力強く語りだした。
「我は我の国をより強くする為、同胞(はらから)を集める為の旅をしておる。国の名前は天魔党。鬼の国よ。
そして我の名は天魔党・侍衆が頭、黒金(くろがね)。こたびの鬼も我が国に迎え入れられぬかとこうして様子を
見に参った。それがよもやうぬの弟だったとはな」
お坊さま……いや、黒金さまの語る言葉がその響きがあたしの中に力強くはいってくる。呆然と見上げるあたしを
見下ろし、男は言葉をさらに続けた。
「うぬも弟と共に我が党に入れ。我が天魔党の力をもってすれば、姉弟揃って再会する望み、造作もなき事。
叶えてしんぜようぞ」
「! それは本当でございますか?!」
思わず身をのりだし、すがりつくような眼差しで男を見上げた。
「わが党には鬼の力や本性を鬼から引き剥がし、物に封じ込める事で人の群に紛れやすくする秘術がある。その術を
もってすれば、うぬの弟も正気を取り戻すだろうて」
あたしはその言葉に光明を見いだしたような気がした。今度こそ、今度こそ、せん太に会える。
「だが、それには条件がある」
「条件……?」
「そうだ。我が党に無能はいらぬ。うぬ自身がうぬ自身を鬼であるというのならば、証明してみせよ。力を示して
みせるのだ──」
101 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:16:34.15 ID:q3Z2Isnv
◇ ◇ ◇
──パチパチと火のはぜる音を聞きながらあたしは一人、炎が踊るのを眺めていた。あれから数日が経過した……
黒金さまの示した条件は鬼の国に入るなら当然の条件だ。しかし、あたしは黒金さまの術で復活したのだ。
確かめるまでもなく、あたしは外道に堕ちている。あんな条件を示したのはあたしの外道としての力を見極めたいと
考えているからだろう。
あたしは今、囮として、火の前に座っている。例の鬼─弟─の仕業であろう女の死体の見つかった場所の近くで幾度か
夜を過ごしてみた。今までは鬼の気配はなかった。だが、今夜は妙な胸騒ぎがする。何か─何か起こるような──
サク、サク、サク、と足音が近づいて来た時は身のすくむ思いだった。ついに来た。そう思った。そしてこの前の
夜のようにその人影はゆっくりと焚き火の灯りの中に踏み込んで来た。
「やあ、こんばんわ。ちょっと火に……」
そこまでしか言わせなかった。次の瞬間、せん太の小さく華奢な身体は巨大な両腕に握り込まれるように掴み取られていた。
言うまでもなく、あたしの「帯の腕」だ。あたしを組み強いた男衆の腕を具現化した忌まわしい恐怖の象徴。
それに今のあたしはさぞ浅ましく醜い容貌に違いない。だが構わない。鬼の国とはいえ、せん太と一緒に暮らせるのだから。
そのためなら忌むべきものだろうが恐怖の象徴だろうがなりふり構ってなどいられない。何だって利用してやる。
「黒金さま、今です!」
そのかけ声と共に黒金さまとあの男……オケラが藪の中から現れた。それぞれ、手に鬼封じの札と縄を手にしていた。
あたしがせん太を抑えている間にオケラが縄をうち、鬼の怪力で縄を切られないよう、黒金さまが札で鬼の力を抑え込む
手はずになっていた。
その時だ、あんな事がおこったのは──
「姉ぇちゃん、苦しい、苦しいよ──」
細く、弱々しい声が聞こえた。閉じた巨大な手のひらの隙間から、せん太が助けを求めてきた。気弱しげな眼差し、
弱々しく差し出された両腕、あの頃の弟と何も変わっていない──
思わず、決意が鈍り、腕の力が緩んだ。途端、せん太は両手から滑り降り、鬼の形相になると、爪を伸ばして、
一瞬であたしの懐に飛び込んできた。
(やられる!)
あたしは再び、死を覚悟した──
白刃が一閃し、血が大量に舞った。全てがゆっくりと動いて見えた。せん太はゆっくりと前のめりに倒れ込んできた。
あたしは思わずせん太を受け止める。すぐ横ではオケラが短刀を両手で構え、得物を前に振り抜いていた。そして……
そしてせん太は首の瘤ごと首筋を切り裂かれていた。切り裂かれた瘤からは、大量の血とともにその怨念の元となった
魂たちが無数に宙に飛び散っているように見えた。
「おめえにじなれでばごまる」
そう呟いた醜い男の呟きなど耳に入らなかった。
「せ、せん太ぁーーーーーーーーっ!」
あたしの絶叫は闇夜に木霊した。
◇ ◇ ◇
「……姉ぇちゃん……姉ぇちゃんなの……け?」
ヒューヒューと、喉から呼吸が漏れながらもせん太はぼんやりとした視線をあたしに向け、そうたずねてきた。
膝の上に横たえた弟の身体からはみるみる生命が抜けてゆくのが分かる。
「そうだよ。あんたの姉ぇちゃんだよ。しっかりおし。せん太……」
あたしはせん太の手を握り、懸命に涙を堪えながらせん太に語りかけていた。わかってる、せん太はもう助からない。
それでも、生きていて欲しかった。外道に堕ち、鬼だったとしても一緒にいて欲しかった。
「なんだよ……しょーがねえなあ。また蛇にでも脅かされたんか……まったく、姉ぇちゃんは俺がいねえと、てんで
ダメなんだから……」
あたしは涙を堪え、いつものように答えようと努めた。
「馬鹿……お言いでないよ……せん太こそ……あれから、ちいとも……成長して、ないんだから……」
いくら我慢しようとも、にじみ出る涙はどうしようもなかった。
102 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:17:27.21 ID:q3Z2Isnv
「はは……姉ぇちゃんこそどうしようも……ねえ泣き虫だ……なあ。姉ちゃん……帰ろう……おっとうが……
待って……いる」
そう呟くと、眠るように目を閉じた。
「せん太……?せん太、せん太?」
せん太の目は、もう二度と開かなかった。
◇ ◇ ◇
せん太は荼毘に付した。小さな容器に入れた遺骨はさらに小さく見えた。後はこの遺骨をおっとうの埋められた所と
同じ場所に埋めてもらい、弔ってもらおう。
「よいのか?父と弟の墓を守り、人にまぎれて暮らす途もあるのではないか?」
弟の遺骨を拾い集めた後、黒金さまはあたしにそう声をかけた。あたしは首を横に振ると
「もう、私の故郷はあそこにはありませぬ。もしよろしければ、黒金さまの国に入れてもらいとうございます」
そう答えた。外道のあたしが人にまぎれて生きてゆくのも難しかろうし、あたしのような外道に墓を守られても二人とも
安らかに眠れないだろう。
「そうか」
黒金さまは重々しくうなずいただけだった。今思えば、あれはあたしを試していたのだろう。もし、あの時、故郷に
留まる途を選んでいたら、あたしもせん太と同じ運命を辿っていたに違いない。
そういう、苛烈な所がある方なのだ。
◇ ◇ ◇
──青白い月の光を見上げながら、私は長い回想から今の時間に立ち返った。ここは天魔党・城内。
あれから、せん太の遺骨は近所の人に預け、父と同じ場所に葬った後、供養するようお金を渡して頼み込んだ。
自分を買い戻すために使うはずだったお金だ。受け取った人は金額の多さにビックリしていたが、事情があって自分では
供養できないことを頼むのだからと言い含めて受け取らせた。
自分の名前はその時、自分を買い戻すための金子とともに手放した──
そして、私は天魔党に入った。幸いなことに私には武芸の才覚があったらしい。今では黒金さまの補佐を務めさせて
いただいている。
唯一の不満はあの男だ。オケラ。弟を手にかけた憎く醜い男。だが、あの男の介入がなければ私は死んでいたという事で
黒金さまのとりなしで私の従者に収まった。これだけ私が嫌っているにも関わらず、当人たっての希望でだ。
最初、事ある毎に謀殺しようと無理な注文を突きつけたりもしたが、思いの外有能でそつなくこなすため、天魔党
内でも後ろ暗い勢力を伸ばしつつある。
私の忌むべき本性……亡者のような容貌も例の秘術とともに憎女の仮面に封じ込めた。だが、あれが私の本性である
ことに変わりはない。それを忘れぬよう、私はその仮面の名─憎女─を名乗るようになった。
もうあの巨大な腕を使ってもあのあさましく、醜い姿になることもない。それでもあれが私の正体だ。それを
知ってるのは黒金さまと──腹立たしいことに──あのオケラだけだ。
とはいえ、私はめったな事では素顔を晒す気にはならなくなっていた。
だが、黒金さまに忠誠を誓った身。二心なきことを示す為、あの方の前でだけは仮面を外して素顔を晒す事にしている。
「おぞうざま──」
不意に部屋の外から声がガラガラのだみ声がかけられた。今の所、忠実な醜い従者、オケラの声だ。
「じのびのものがらぼうごぐがとどぎまずだ」
「忍から報告……?分かった。すぐ参る」
そう答えると、部屋の向こうの気配はすぐに消えた。
おそらく、我らが天魔党に逆らうものどもの報告がまとまったのだろう。
「ひのもと鬼子……黒金さまに逆らうなど、なんと愚かな……」
私は一つ息を吐くと、身支度を整えた。そして分身の仮面をつけると、報告を受けるため黒金さまの部屋に向かって
歩きだした。
──おわり──
103 :
はなのうた:2013/01/04(金) 19:22:01.98 ID:q3Z2Isnv
>>91-102 そんな訳で「はなのうた」後編をお送りいたしまス。生みの親さんに色々と断片的なネタを貰っていたので、それらを
使って話を組み上げられないかと試みた結果、生まれた物語でした。
気に入っていただければ幸いです。それでは。
PS
そのいち
ちなみに今回の物語は遊女に関する2大事件をモチーフ取り入れてみますた。どちらも悲劇的な悲しいお話です。
そのに
某キャラもゲスト出演しているけど、ここまでノリノリでやるとは思わなかったヨ!