81 :
はなのうた:
◇ ◇ ◇
まるで春が咲き誇ったような舞台だった。紅をさし、白粉を塗り、幾つものカンザシで美しく飾りたてた女たちは
艶やかな笑みを浮かべ、色とりどりの着物を纏いて舞を舞う。その後ろでは同じように美しく着飾った女たちが
華やかに微笑みながら楽を奏で瀑布の音に負けじと楽の音を奏でていた。
大量に流れ落ちる水の音にもかかわらず、研ぎすまされた技量で奏でるおんな達の演奏は妙なる調べを観客達の耳に
届け震わせた。度重なる練習により磨き抜かれた足運びは一糸乱れぬ舞踊と相まって一斉に花開く世界を
そこに再現した。
ここは滝の上に設えられた大舞台。巨大な滝を背景に設置されたこの舞台には55人ものおんな達があがり、
舞い踊ってもビクともしなかった。
今日はこの町の鉱山が閉鎖される最後の日。そのためおんな達は最後の宴にと呼び出された。金を輩出していたこの
金山もついには金脈が尽きたのだ。そこで金山が閉鎖される最後にと盛大な宴が開かれることになった。
そのためだけにこの舞台が用意され、おんな達はここぞと日頃鍛えた芸の腕前を披露した。そして舞台の上には
艶やかな春が、夏が、時には秋や冬までが咲き誇った。
いつもは、やんややんやとはやし立てる観客の男達は魅了され、固唾をのんで見守っていた──
──違う。そうじゃない。男達の表情は硬く強ばっている知っているのだ。この後何が起こるのか、どうなるのかを──
あたしはとっさに振り返った。
いた。楽の音を奏でる娘たちの中に。同じように微笑みながら演奏を続けるあたしの姿が──
何も知らないあたしは笑みを浮かべながら内心では必死に楽器を奏でていた。これから起こることを何も知らずに──
駄目、みんなそこに居てはいけないっ!!あたしは警告しようと必死に叫んだ。
「──────っ!」
だが、大量の水が流れ落ち、その音に負けじと響きわたる楽の音、たかが小娘ひとりの声が届くはずもなく──
「──────────っ!」
それでも必死に声を張り上げる。みんなそこから逃げて、と。だがしかし、必死に声を絞り出そうとしても声が出ない。
やがて宴もたけなわにさしかかった。楽の音も踏みならす舞いにも一層熱がこもる。すると、舞台の端に一人の男が
現れた。舞台の死角だったので、女たちは誰も気づかない。舞踊に演奏に一心不乱だ。男は屈強な肩に大きなまさかりを
かかえている。永く使い込まれて所々黒く錆が浮かんでいて、研ぎすまされた刃だけがあたしの目にやけに白々と映えた。
「!!」
知っている。あたしは知っている。男がなにをするつもりなのか──
やめて!お願いやめて!
「────っ!」
必死に懇願するもやはり声は出ない。おとこはあたしに気づかない。おんな達は一層艶やかに、華やかに舞い踊る。
おとこはまさかりを振り上げ、舞台を支えている太いツタに向け振りおろした。
これだけ大きなまさかりでも太いツタは容易には切れない。
「───────っ!!」
あたしは叫ぶがやはり声が出ない。おんな達は気づかない。男衆が自分達の舞踊に魅了されてると信じきっていた。
舞台の上のあたしはだんだん白熱していくみんなの踊りと演奏についていこうと必死だった。
幾度目か振りおろされたまさかりでツタに切れ目が入る。
「──────────っ!!」
もはや自分でもなにを叫んでいるのか分からない。誰の耳にも入らない。舞台の熱狂が頂点に達したその瞬間──
ブツン
ツタが切断された。
舞台の要のツタが切られた瞬間、55人ものおんな達が上がってもビクともしなかった舞台は一瞬でバラバラに
なった。突然の事でおんな達は自分の身に何が起こったのか分からぬままだろう。悲鳴をあげながら、わたしと
54人ものおんな達は奈落の底へと落ちていった──
82 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:05:06.98 ID:QmerbB1F
◇ ◇ ◇
「────っ!! っは!はあっ!はあっ!」
息苦しさと共に目が醒めた。
「……夢…」
またあの時の夢……数百数十年経った今でも時々うなされる。これからもうなされ続けるだろう悪夢──
私はゆっくりと起きあがると人気のない城内を見回した。明かりになるようなものはなく、周囲は闇に沈み、
私の着ている白い夜着だけがぼんやりと闇にうかびあがっている。
私は窓に歩み寄ると鎧戸をあけた。戸はギイときしんだ音をさせつつ開いた。途端、青白い月の光と冷たく清浄な
外の空気が城内に入り込んでくる。それらに身を晒しながら外を眺めた。
闇に沈んだ城下町は月明かりに照らされ、ぼんやりと輪郭を浮かび上がらせている。こんな時間だというのに、
いや、こんな時間だからこそ、町のあちこちに明かりがぽつぽつと灯っている。夜は鬼の時間なのだ──
そんな町を眺めながらも私の目は過去に向けられていた──
◇ ◇ ◇
──さいしょ、あたしの目の前に無造作に放り出されたそれはボロクズに見えた。
「!せん太? せん太ぁ!せん太ぁ────!」
あたしは駆け寄ろうとしたが屈強な男衆に組みしかれ、地面に押しつけられた。もがこうと必死にあがくが、
男たちの手はビクともしなかった。
そして、目の前に放り出されたボロクズのような男は弟・せん太の変わり果てた姿だった。
「まったく、あんたたち姉弟はそろいも揃って強情だねぇ『姉ぇちゃんを返せ』『おうちに返して』その一点張りだ」
頭上からそんなあきれたような声がふりかかる。あたしは声のするほうを見上げた。そこには一人の美女がキセルを
ふかしていた。あたしが無様に土間の地面に頬を押しつけられているのとは対照的に一段高い畳の上に寝そべり、
気だるげにひじかけにもたれ掛かっている。肩を大きく露出した紫の着物を纏い、大きく結い上げた髪の毛には
いくつものきらびやかなかんざしを刺していた。まるで遊女のような格好だが、遊女ではない。
女は艶やかな紅をさした唇からけだるげに言葉を紡ぎ出す。
「いいかげん、あきらめることだね。あんたは『売られ』たんだ。おとなしく『しつけ』られて『客』をとってくれれば
悪いようにはしないよ。毎日おいしいおまんま食べれて、綺麗なおべべも着られるってんだから」
そう言って、唇からぷかあっと、キセルの煙を吐き出した。
そう、この女は女衒(ぜげん)だ。人買いから女を買い、色町に売り渡す。あたしはこの女に『買われて』この
色町へやってきた。らしい。
「じゃけん、なんかの間違いじゃ!おっとうがそんな事をするわけはない!あたしたちをうちに返して!」
あたしはなおもそう言いつのった。だが、女はあたしの必死の訴えも聞き飽きたとばかりにキセルをふかしている。
そして豊満な胸の谷間から一枚の紙切れを取り出すと無造作に開いてピラピラとふってさし示した。
「そうはいっても現にあんたを買い取った証文がここにあるんだ。この金額を返済しないかぎり、アンタはずっと
ここでこのままよ」
そこには間違いなくおっとうの名前が記されているという。だけど、その頃のあたしは字も数も分からなかった。
だから信じられなかった。
「そんなこと──」
いつもの堂々巡りにさしかかった時、どぼっと鈍い音が響いた。
目の前のボロクズのようになったせん太──弟だ──に男が無造作に蹴りを入れたのだ。
「やめて!弟に酷いことしないで!ぶつならあたしをぶてばいいでしょ!」
弟に駆け寄りたいが、ずっと男衆に組みしかれ、押さえつけられていて動くことすらままならない。
「わかってないね。あんたは大切な商品なんだ。そうムザムザと商品を傷モノにできるもんかね」
つい、と手にしたキセルで男衆に合図を送ると、男の一人がせん太の髪をひっつかんで顔をこちらに向けさせた。
83 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:05:51.30 ID:QmerbB1F
「っ!せん…太っ」
あの人なつこかった弟の顔は見るも無惨に腫れ上がり、原型をとどめていなかった。腫れたまぶたが目を塞ぎ、意識が
あるのかも分からない。腕と言わず足といわず痣だらけで身体は埃にまみれていた。意識があるようには見えなかったが、
かすかに「姉ちゃん……」と唇が動いたような気がした。
顔を背けたかったが男衆に無理に顔を向けさせられた。
「わかるかい?このボウヤは言うことを聞かないあんたの代わりにこんな目にあっているのさ」
再び女がキセルを振ると、男は無造作に手を離した。せん太は力なく、べしゃりと地面に顔を突っ伏した。
「せん太ぁっ!」
そんなあたしたちの様子も目に入らないように、女は無関心な調子で言葉を続けた。
「うちの男どもにとっちゃ、こういう事は毎度の事でね。あんたみたいな娘やこのボウヤみたいなコの扱いには
手慣れたもんさ。今はかろうじて死なない程度にしちゃいるが、今夜一晩、川べりにでもほっときゃ死んじまうだろうね。
その子。今まで何度もやった事だから確かな事よ」
「そんな……!」
あたしは女を見た。女はそ知らぬ顔でキセルをふかしながら言葉を続けた。そして相変わらずけだるげに指示を出した。
「さ、あんた達。そのボロクズを河原に捨てといで」
「へいっ!」
男たちが無造作に弟をかつぎ上げた。あたしはぞっと肝が冷えた。
「まって!お願い、まって!」
懸命に駆け寄ろうとあがく。が、あたしを押さえつける腕は少しも緩まなかった。そうしているうち、弟はアッサリと
あたしの目の前から運び去られてしまった。
……そんな……このままでは……弟は、助からない……
「そんな……弟が……何を……何をしたって言うの……」
誰ともなく呆然と呟いた言葉だったが女が答えた。
「きまってるじゃない。ぬ・す・っ・と。いい?あんたがどんなツモリであっても、うちの商品なんだ。それを勝手に
連れだそうとするのは立派な盗っ人。なら、殺されても仕方ないわよねえ?」
「そんな……」
不意に、かん、と音が響きわたった。女がキセルの中身を灰入れに捨てた音だ。あたしはビクリと身をすくませる。
「事実よ」
女は冷然と言い捨てた。
いつの間にか男衆の戒めはなくなり、あたしは地べたに力なく座っていた。
しばらく間をたっぷりもたせて、女は口を開いた。
「そうねえ……だけど、あのボウヤを助けるすべはまだ残ってるわよ?もちろん、あなた次第だけど」
どこかなぶるようにそう言ってくる。
「………………」
あたしに重い現実がのしかかってきた。前からそこにあったのに頑なに認めなかった現実が。
「……かり……した……」
かろうじて口から言葉が漏れた。
「あら?今、何か言ったかしら?気のせいよね〜?」
まるで、捕まえたネズミをいたぶるネコのようにわざとらしく女は聞き返した。
「わかり……ました……言うことを……聞きます……だから……弟を……」
「ん〜聞こえなあ〜い。今夜はひときわ寒いわね〜河原の石には今頃、霜がおりてるんじゃないかしら〜」
「わかりました!何でも言うとおりにします!『しつけ』も『客ひき』も何でもします!だから、弟は!弟の命だけは!」
そこまで叫んで何かがぷつりと切れた。後は嗚咽で言葉にならなかった。女はそれで満足したようだ。何か合図を
したんだろう。男が一人、出てゆく気配がした。
84 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:06:34.78 ID:QmerbB1F
「んふふ、いいコね。あのボウヤは今から手当をすれば何とか助かるでしょうね。何なら雇ってあげてもいいし
故郷(くに)に帰るなら幾らかお金をもたせてあげてもいい。とにかく悪いようにはしないわ。あなたが約束をちゃんと
守るなら……ね」
そう言って、泣き続けているあたしに歩み寄り、キセルの尻でつい、とあたしの顎をあげ、顔を上に向けさせた。
そのまま目をすがめ、あたしの泣き顔をのぞき込む。何故かあたしはこの女の瞳がネコのようだ。と、ボンヤリと思った。
「ふぅん……あんた、上玉とはいかないが、磨けば上の下くらいにはなれるかもね……悪くないわ」
そう言って手を離すと、もう用はないとばかりに軽く手をふった。すると男衆は心得たように先ほどまでの荒々しさ
とはうって変わった丁寧な手つきであたしを部屋から連れ出した。
その手が逆にあたしに酷い現実を思い知らせた。
──あたしは『商品』なのだと。
その夜、あたしは一晩、泣き通した────
◇ ◇ ◇
──あれから結局、弟にはあわせられなかった。男衆にどうなったのかしつこくたずねたが、ぶっきらぼうに
三日は眠りっぱなしだろうという答えが返ってくるだけだった。
あたしはその後、『客』をとるための『しつけ』と『芸事』の練習をみっちりと仕込まれる為に息つく暇さえなかった。
『しつけ』とは『客』をとるための作法やら、技量やらの総称だ。所作のこまごまとしたものから屈辱的なことまで
色々とさせられた。男衆を相手に練習させられることもあった。
あたしが今までゴネていたため、時間を無駄にしたと酷く責められた。先輩の遊女に手ひどく叱られながら必死で
覚えることを頭に詰め込んだ。
そうこうしているうちにあっという間に三日が過ぎ、一週間が過ぎ、半月が過ぎた。どんな辛い仕打ちにも弟の為と
自分に言い聞かせ、堪え忍んだが、とうとう弟に再会することは叶わなかった。男衆のいう事には弟はあの女に言い
含められたそうだ。あたしが弟の為に身売りを承諾した事を知り、また暴れ出そうとしたという。だが、それであたしが
酷い目にあうとときふせられ、小銭を渡されてしぶしぶ郷里(くに)に帰った。と。
それを聞いてあたしは心のどこかで安堵した。おそらく弟とはもう会うこともないだろう。しかし、今のあたしを
見られたくはなかった。もうこの後はあたしの事など忘れて達者で暮らしてくれればいい。そう自分に言い聞かせた。
……そして、いよいよ格子部屋にあげられ、そこに来た『客』をとる。という頃、あの女に呼び出された──
◇ ◇ ◇
「あんた、鉱山にいく気はないかい?」
あの女はキセルの煙を吐き出した後、唐突にそう切り出した。
ボロクズのような弟と再会させられた例の土間のある建物の中だ。あの女は相変わらず遊女の様な紅色で肌を露出した
着物を着て肘掛けによりかかり、キセルをふかしながらそう問うてきた。
「……鉱山?」
女は紫煙を吐き出しながら、うっすら笑みを浮かべた。
「そ。鉱山。ま、ここじゃ名前を出すのもはばかる金山の町なんだがね。活きのいい娘を数人、寄越して欲しい
って、話があってさ。それだったらあんたがいいんじゃないかってね。これでもあたしの目利きは確かだと評判でね。
あんたは上玉って程じゃないが磨けば上の下はいけると踏んでいる。この話に丁度いいんじゃないかってね。
何せ、向こうの『客』は金を掘り起こしている連中さ。金払いもいい。
これでもほかに希望者が殺到しているんだよ?それでも、まあ、向こうさんの希望が希望だけに、ね。それで
あんたにも声をかける事にしたのさ」
どうでもいい。どの道自由のない人生だ。どこであれ同じ地獄が続くのなら。興味などない。そう思った。
だがそれに続く言葉が少しひっかかり、あたしの注意を引いた。
「それに、向こうの『客』の相手はなかなか大変だが、稼ぎの良さはここと段違いだしね。上手くいけば、あたしの
様に遊女から足を洗えて、しかももう身売りしないで済むくらいの田畑を用意できる金子まで稼げるだろうさ。
弟さんと郷里(くに)に帰りたいだろう?」
思わず、顔をあげた。今何と?
85 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:07:24.25 ID:QmerbB1F
「……興味をもったね?そうさ。あたしも昔はここで『客』をとる身だったのさ。だが、必死で『芸』と読み書きを
覚えて自分の『証文』を買い戻すことができた。それでこうやって……」
その女の言葉をあたしは遮った。
「今、弟と帰るって……だってせん太は郷里(くに)に帰ったと……」
言葉を遮られたのがよほど不快だったのか、女は渋面になった。急に不愉快そうになり、小さく舌打ちすると
つっけんどんに言葉を継いだ。
「言葉のあやって奴よ。で?あんたにとっちゃこんな機会、もうないかもしれないよ?どうすんだい?」
──あたしは暫く考えた後、その話を承諾した。どうせどこにいっても同じなのだ。なら自分の証文を買い戻せるかも
知れない。この話にのってみるのもいい。そう思っていた。
86 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:13:28.54 ID:QmerbB1F
◇ ◇ ◇
──出立には三人の男衆と二人の遊女が一緒だった。男衆は、女たちが逃げたりしないように鉱山までの見張り役兼
道案内。遊女二人はあたしと同じく鉱山行きが決まった年若い娘たちだ。
二人とも年が近いこともあり、道中、早い段階で打ち解けた。二人ともすでに格子部屋で『客』をとった経験があり、
あたしよりも少しだけ先輩だった。一人は線が細く、肌がやけに白い娘。名を桔梗といった。
「でも、痛くしといて気持ちいいと思ってる客が多いのよねーおまけに○○いじっときゃ女は悦ぶって勘違いしてるし
終わった後、ヒリヒリして薬油塗っとかないと次の客がとれやしないったらないよ」
桔梗は病気じゃないかと思うくらい、白く細い外見に似合わず、あけすけに客との交合を話題にあげつらう娘だった。
「いいじゃないかい。そんなの適当にアンアン言っときゃ満足して金払いがよくなるんだからさ。それよか、あたしゃ、
やたら春画に描かれてることを鵜呑みにしてねちっこくいいかいいかとたずねて来る事の方が迷惑さね」
そう言ってガハハと豪快に笑うのはもう一人の娘。桔梗とは対照的で、肌は浅黒く、エラがはり、骨格がガッシリ
した娘だ。名をおますといった。自分の顔を芋に例えて笑い飛ばす豪快な娘だった。
二人ともあたしがまだ格子部屋にも上がってない事を知ると、心配そうに顔を見合わせた。
「ちょいとそれ本当かい?!この先の相手は鉱夫なんだよ?!もうちょっとやりようはなかったのかい?!」
おますは憤懣やるかたなしといった風情だ。
「最初の客はうちらでもそれなりに相手を選んでもらったんだよ?!それなのによりにもよって……っ」
よくわからない表情でいるわたしに二人はこう教えてくれた。
なんでも、『客』の中にも『初モノ好き』がいるらしく、値が張るにもかかわらず、そういう娘ばかりを率先して
買う『客』がいるという。そういう客は逆を言えば『初モノ』を扱い慣れた客でもあり、そうでない客に比べて娘が
痛手を引きずることが少ないのだという。
「それなのに……これからいくお山の『客』連中は荒くればっかりと聞いてるよ。ちゃんと女の扱いを心得てるのかねえ……」
そう呟く桔梗の脇をおますが肘でドンと突いた。あたしを不必要に怖がらせないよう、気を使ってくれたのだ。
「安心おし!向こうに着いたらあたしが男衆に掛け合ってどうにかしてやっから!なぁに、向こうだって娘が使いモノに
ならなくなるのは困るハズだし!少しはマシになるさ」
そういって、安心させるように胸をドンと叩いた。
あたしは勇ましいその言葉に力づけられたが、逆におますのことが心配になった。あたしたちの立場は決して強くない。
身体に傷を付けられるようなことこそされないものの、身体に傷をつけずに酷い目にあわせる手段はいくらでもある。
おますはその外見によらず愛嬌のある娘だが、それが男衆に通用するかはあやしい所だ。二人にとってあたしは
後輩にあたるのだろうが、あたしたち三人とも遊郭に身を
置いてそんなに時が経っていない。おますの強がりは空元気にすぎないと痛感していたのは当の本人かもしれなかった。
……そんな心配をしながら、山道を歩いていると、ゾクリと背中を這い上がるイヤな気配を感じた。
まただ。あたしはそう思いつつ振り向いた。そこには男衆の一人がしんがりをつとめていた。
「どうぢだ、はやぐいがねぇが」
だみ声でそんな風にせき立ててくる。三人の男衆のうち二人の事は粗野な男、ぐらいの印象しかない。が、この男は
強烈だった。
おますはよく、自分の顔の出来を芋に例えていたが、この男ほど醜くはない。芋を崖の上から転がし落としたら
こうなるかというくらい、あちこちがデコボコしてて傷だらけで、小さいいびつなまぶたの向こうからは藪睨みの目が
ねちっこい視線を放っている。背は身体も他の男衆よりも短躯で、あたしの肩までしかない。それなのに横幅はあたしの
倍近くあり、身体はガッシリしていた。聞けば、流行り病に倒れた娘を町の外に運び出す仕事をよくしていたそうだが、
あたしは例え病で死ぬ事があってもこの男に運び出されるのだけはゴメンだと思ったものだ。この男には何の非も
ないのに、それがわかってても沸き上がる嫌悪感はどうしようもなかった。
この醜い男の本名は知らない。だが、病で死んだ娘を運び出す役割が多かったためか、骸(むくろ)と呼ばれていた。
そして、この男から何故か粘っこい視線を感じることがたびたびあったのだ。
あたしはその男の視線から逃げるように足を早めた──
87 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:14:10.40 ID:QmerbB1F
◇ ◇ ◇
──しつけは済んでるということで、おますの努力も空しく、あたしはすぐに格子部屋にあげられた。
格子部屋とは文字通り格子で区切られた部屋で、『客』が外からおんなを品定めするための部屋だ。格子の向こうで男が
気に入った女を見つけるとおんなを買いに店に入ってくる。
──格子部屋に出されて最初のあたしの『客』のことはよく覚えていない。『しつけ』で教えられたことが、
頭の中を空回りしていたことだけは確かだ。教えられてた事はほとんど無意味だったような気がする。
気がつけば、あたしの身体は剥き出しのまましとねの上に横たわっていた。そして、事が済んだ『客』は悪態を
つきながら早々に部屋を出ていってしまっていた。
──まるで嵐のようだった。それがかろうじて覚えていた印象だ。難破した船がバラバラになるように自分の身体が
バラバラになってなかったのが不思議だった。
ぼうっとしていると、男衆の一人が無造作にやってきて、まるで犬小屋の掃除をするように部屋の中を片づけはじめた。
あたしの横たわるしとね周り以外を手早く片づけ追えると、
「おう、お初だってな。きょうはこれでおしめーだってよ。ゆっくり寝てていいぞ。今日は特別にやってやるがよ。
次からはてめーの使った部屋の事はてめーで始末をつけな。わかったな」
無造作にそう言い捨てて、さっさと部屋を出ていった。
──これからずっと、こんなことを続けるのか……それも毎晩、何回も──
ぼんやりとそんな事を考えて横たわっていたが、その時はもう一つ、部屋に入ってきた気配に気がつかなかった。
その気配はあたしのそばに寄ってくると、無防備なあたしの身体に何かを這わせはじめた。首、肩、乳房、わき腹、
へそ、そして……ほと。
今日、もっとも痛めつけられただろう場所に触れられ、その痛みであたしの意識はハッと目覚め飛び上がった。
バッと身体を起こした。あたしの上に覆い被さっている影が何かわかった途端、全身の肌が泡だった。あの男が、
そこにいた。デコボコの芋のような顔面、小さな白目がちな目、醜い容姿……骸と呼ばれてる男だった。
あたしはとっさに手近なものをかきよせ、身体を隠しながら男から少しでも離れようと後ずさった。
今、この男に襲われてもなす術はない。せめてもの抵抗に精一杯睨みつける。
「……何をしてるの……!」
あたしの声は怒りと恐怖で震えていた。だが、それ以上に動揺していたのは男の方だった。
「お……おでば……おでばだだ、がらだをふいでやろうがど……」
例のだみ声で必死に弁明しようとしていた。そして、その手には湿った手ぬぐいが握られており、その手ぬぐいは
あたしの破瓜の血で赤く染まっていた。
カッと頭に血が昇り、考えるより先に身体が動いた。素早く男に近寄ると、その手から手ぬぐいをひったくり、
また離れた。例え血の一滴でも自分の一部がこの男に握られているのはガマンがならなかった。
「……出てってっ!」
精一杯の嫌悪と怒りを込めて言い放った。
「お……おでは……おでは……っ」
「出てって!」
もう一度、ハッキリ言うと、男は肩をおとし、トボトボと部屋を出ていった。
──完全に男の気配が消えてなくなると、あたしは完全に力が抜け、部屋の壁にずるずるとくずおれ、気を失うように
眠りに落ちた。
結局、あたしはあれから三日、格子部屋に出られなかった──
◇ ◇ ◇
最初の『客』は序の口だった。鉱山の男たちはみな屈強で、粗野で荒々しく、あたしはそのたびに翻弄されっぱなしだった。
夜毎繰り返される嵐、暴風にも似た荒々しさに吹き散らされるあたし、どれだけ強く爪を突き立ててもビクともしない
背中……繰り返される偽りの愛……上滑りする睦事……
『愛』というものがピンとこないまま愛してると紡ぐ唇の虚ろさ……あたしを抱き寄せる、抗がいがたい屈強な腕……
汗と鉱物と埃混じりの男の臭い……
88 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:14:47.90 ID:QmerbB1F
「なあに、そのうち慣れるさ」
おますはガハハと笑いながらそう言うが、あたしは最初、そうは思えなかった。だが、人間というのは、思ったより
強かなものらしい。気がつけば、一晩に何人かの『客』をとれるようになっていた。しかも『しつけ』で教わった技を
自分なりに応用さえできるようにさえなっていた。
とはいえ、だからといって生活がラクになった訳ではなかった。なんとか『客』を捌けるようになってきた頃、
今度は『芸』を仕込まれはじめた。これは別段おかしな事ではない。おんな達はよく宴の席に呼び出され、芸を披露する
こともある。前の町でも、わずかなりとも習ってもいた。
夜は『客』をとり、昼は芸の稽古……再び息の詰まるような毎日がはじまった。『芸』のほうはまだお座敷にあがれる
腕前ではない。それでも、宴で芸を披露できる程度に上達すれば『上客』をとれる機会が増えるかもしれない。
そうなれば実入りがよくなる。それは自分を買い戻す好機につながる。なので、あたし達は必死で稽古にかじりついた。
それだけではない。読み書きができる遊女に必死に頼み込んで字を教えて貰っていた。
もっとも、そちらの方は桔梗やおますには怪訝な顔をされたのだが。証文という、自分の命を握られてるようなものを
自分以外のものだけが読める状況が嫌だった。少なくとも、騙されにくくなるはずだ。だから字も懸命に覚えた。
その間、骸というあの男もこの町に留まっていた。あたし達をここに送り届けた男衆のうち、二人は早々に帰って
いったというのに。
何をしてくるでもなく、気がつけば、粘っこい視線を時々投げかけてくる……だが、それだけで近づいてもこなかった。
薄気味悪かったが、自分ではどうしようもない事もわかっていたので放っておくしかなかった。
そうやって過ごしていると、数年などあっという間に経過していった──
◇ ◇ ◇
「ねえねえ、聞いた?近々盛大な宴が開かれるらしいって!」
ある日、その愛嬌でいろいろな所から話を仕入れてくるおますが、そんな知らせを持ってきた。
「へぇ、するってぇと、お武家様や大名なんかも出てくるのかい?上手くいけば、お偉いさんに見初められて身請けっ!
なんてこともあるかもしれないねぇ……」
いつもは歯に衣着せぬ物言いをする桔梗でさえ、珍しく舞い上がった事を言い出した。
ここ数年遊女として生きてきてわかった事がある。今の生活を抜け出す術は三つしかない。という事だ。
一つ、借金を返して綺麗な身体になること。でも、実際には日々の生活費や、着物・化粧だけでなく、色々な事に
お金がかかる。切り詰めても少しずつしか貯まらない。
ここは他の色町よりは『客』の羽振りは良いと聞いていたが、それでも期待していた程ではなかった。
一つ、死んでしまうこと。たまにこの生活に耐えられなくて井戸に身投げする娘がいる。時々うらやましいと思って
しまう自分がそこにいた。けれど、結局は少しずつだけど貯まってゆく金子と桔梗とおますの存在とが身投げを
思いとどまらせていた。
一つ、誰か偉い人の目に留まり、誰か『客』に借金を返済して貰い、身請けされること。これも滅多にあることでは
なかった。でも、それでも女達はその僅かな望みにすがるしかなかった。
「場合によっちゃあたし達も呼ばれるかもしれない……ということかしらねぇ……?」
あたしたちも芸を覚えて結構経つ。今ではそれなりにお座敷に呼ばれるようになっていた。もっとも、あたし達より
上手な芸達者はこの小さい町の中でもかなり居る。
「ま、それでもあんたは呼ばれないだろうね〜な、に、せ、山芋だもんね〜」
桔梗がそういっておますをからかった。いつも自分の顔を芋になぞらえ冗談にしているおますは苦笑するしかない。
……はずだったが、何故かおますは得意げだった。
「んふ。ふ、ふ、ふ〜ん。それがねぇ。お大名様は遊女全てを参加させるよう、お命じになられたの、よ〜」
「全員?!」
この町の遊女はそう多くないとはいえ、50人はいる。
「それは……盛大な宴になるわね……」
あたしの感覚では正直、想像がつかなかった。
「な、に、を、悠長な事言っているんだいっ これは大きな好機なんだよっ」
そういって、おますがあたしの肩をドンとこづいた。強い力に思わずあたしはよろめく。
89 :
はなのうた:2013/01/03(木) 20:17:59.69 ID:SgPKGS4r
「そうだよ。あたしたちにだってまったく当てがないなんてこたぁないハズだよっ。だったら、ここはめいっぱい
発憤しようじゃないかえ」
桔梗がそういってあたしの肩をゆさぶった。
その日、あたし達は「宴の日」の為の準備に大半を費やした。おますの持ってきた知らせはすぐに他の女達にも
知らされたのだ。遊女の全てを呼び寄せる盛大な宴のわりに催される日は思いの外すぐだった。
しかも、その理由はこの金山が閉められるからだとか。だとしたらあの町に戻ることになる。丁度、金子が
貯まってきた所だ。あと少し、頑張ればあの証文を買い戻せる。この町での稼ぎは思ったほどではなかったが、それでも
やはり、他の所よりよかったのだろう。おんなが自分を買い戻せる事はめったにないとおますから聞いていた。
ともあれ、女達はこの日のためにとっておきの白粉いや紅を用意し、きらびやかな衣装をひっぱりだし、かんざしを
磨いた。あたしたちもそれらに不備がないか確認し、互いに協力しあった。
「いい、もし、この中の誰かがお武家様の目に止まって身請けされても恨みっこなしだからね」
おますはそういってあたしたちとうなずきあった。おんな達の間ではこういう事があると陰で足の引っ張りあいをする。
誰だってこの苦界から抜け出したいから。でもあたし達がそんな事をしても自滅するだけだ。あたしたち三人は
気心がわかりあってるためか、自然と協力しあってた。おかげで、先輩遊女達のイヤがらせじみた妨害も力を合わせて
切り抜けられた。
──宴当日──
あたしたちはめいっぱいめかし込んだ。とっておきのカンザシをいくつもさし、目立つように真っ赤な朱塗りのクシで
髪を結い上げた。自分の顔は山芋だと冗談をいうおますでさえ丹念に白粉を塗り紅をさした。
「さあ、二人とも出番よ。お大名様たちにあたしたちの艶やかさを見せつけて失禁させてやろうじゃないかえ!」
桔梗がいつものミもふたもない言い回しであたしたちを鼓舞した。
「いやあね、あんた何いってんのさ」
おますがちょっと困ったように応じた。でも、ガチガチに緊張していたあたしはつい、吹き出してしまった。それを
見ておますも苦笑を浮かべる。
「まったく、しょうがないね。あんたたちもドジ踏むんじゃないよ」
そして、舞台が始まった──
まるで春が咲き誇ったような舞台だった。美しく飾りたてた遊女達は艶やかな笑みを浮かべ、色とりどりの着物で
舞を舞う。その後ろでは同じように美しく着飾った遊女達が艶やかに微笑みながら楽を奏で瀑布の音に負けじと楽の音を
奏でていた。研ぎすまされたおんな達の奏でる演奏は妙なる調べを観客の耳に届け、震わせた。度重なる練習で
磨きぬかれた足運びは一糸乱れぬ舞踊と相まって一斉に花開く世界をそこに再現した。
──演奏はだんだんと早くなっていく。あたしは必死で楽器を奏でる。それなりにひけるようになってきたと思ったが
まだまだ未熟だ。そう思いながらも、目の前を踊り舞うおんな達にあわせ楽器を奏でる。
いよいよ失敗するのではないかと緊張が頂点に達したとき、視界がぐらりと揺れた。
「っ?!」
なんだと思う間もなく妙な浮遊感が襲い、あたしは訳も分からず悲鳴をあげた。次の瞬間には全身が激しい衝撃に
襲われ気を失った。
かろうじて記憶に残っていたのは崩壊してゆく舞台の端に立ち、大きなまさかりをもった男の姿だった──
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はなのうた:2013/01/03(木) 20:19:48.77 ID:SgPKGS4r
>>81-89 はい。そんな訳で、とあるキャラの過去話。「はなのうた・前半」をお届けいたします。一体、誰の過去話なのか。
終盤にはわかると思いますが、どうぞお付き合い下さいませ。
後半は明日。投下する予定です。それでは。