「ひのもとさ〜ん、こんにちわ〜!アレ?何この香り?お香?」
私の名前は田中匠。
オタクである事を除けば、ごく普通の女子高校生だった。
今は少し特別。私の友人の「日本鬼子(ひのもと おにこ)」は人ではなく鬼なのだ。
「いらっしゃい田中さん♪」
山奥から通じる、人間界とは少し離れた空間。
一年中紅葉に囲まれた、古い日本家屋が彼女の住処だった。
何か良い事があったのだろう。いつもよりちょっと明るく、彼女は出迎えてくれた。
「これ、最近知り合った『良い鬼』さんからもらったお香なんですよ」
彼女の「仕事」は、人間に取り憑いてその心を穢れさせる「心の鬼」を「萌え散らす」事。
退治するのではなく、簡単に言うと「悪い鬼」を「良い鬼」に変換してしまうのだ。
萌え散らされて「良い鬼」になった心の鬼を、鬼子さんはたいてい友達にしてしまう。
「人間界のものだって言ってましたから、田中さんも知ってるんじゃないでしょうか」
「へー、なんていうアロマ?」
「たしか『だっぽうはーぶ』って言ってました♪」
一瞬、私は固まった。
そんな私を見て、日本さんは小首を傾げながら、それでもその微笑みには一点の曇りもない。
「え、と、ひのもとさん?それ、体に良くないって事知ってる?」
どう説明したらいいのか分からず、ようやく言葉を搾り出す。
「え?そんなはずないですよ♪このお香を嗅いでると体が軽いし、
とっても楽しい気分になるんですよ?ほら!」
やおら立ち上がると、日本さんはくるくると踊りだす。
「あはは、うふふ、ウェーイwwwウェーイwww」
滅多に見られないが、テンションが上がりきった時の日本さんはこんな感じだ。
私はどうしていいのか分からず、しかし楽しそうに踊る日本さんを見ているうちに
「まあいいか」と思うようになった。
鬼は人間より丈夫なはずだし、無理に止めようとして抵抗されでもしたら私の身にも危険が及ぶ。
もし薬物中毒になってしまうとしても、廃人になるのは日本さんで、私ではない。
…
そんな事があって日本さんと距離を置くようになって後、
日本さんが「ついなちゃん」に滅ぼされたと聞いた。
「ついなちゃん」は方相氏と呼ばれる、一種の陰陽師の少女なのだが、
断片的な情報によると、なんでも彼女が「本物の日本鬼子」だったらしい。
そのために「偽者」である日本さんは滅ぼされたという。
正直、意味がわからなかったが、世の中何が起こっても不思議ではないのだし、
いちいち気にしていても仕方がないので、とりあえず日本さんの事は忘れてしまう事にした。
友達というものは、いや、家族でさえ、
いつかは別れの時が来るし、時間とともに記憶から薄れていくものなのだから。
…
「田中ぁ、かんにんな…」
眠りの中で、関西なまりのついなちゃんの声が聞こえた。
それが夢の中だというのが自分でも分かった。
ついなちゃんは、私の知っているついなちゃんじゃなかった。
ああそうか。今の彼女は「日本鬼子(ひのもと おにこ)」なのだ。
彼女は泣いていた。
「鬼を『萌え散らす』…生まれ変わらせる言うんは、本当はな。
その鬼を一度『殺す』ちゅー事なんねん…」
日本さんの事を言っているのだと、私は思った。
それを謝りに、私の夢枕に立ったのだろう。
唇を噛んで涙を流す彼女の姿を見れば、それをどんなにか悔やんでいるかが分かった。
いいんだよ、ついなちゃん。キミは悪くないよ。
それが日本さんと、あなたの運命だったんだよ。仕方なかったんだよ。
声に出す事は出来なかったが、私は彼女に微笑みかけた。
私はキミを、責めたりしない。
「田中ぁ、かんにんな…かんにんな…」
ああ、いいんだよ、ついなちゃん。
そんなに自分を責めないで。
日本さんは鬼なんだもの。いつか誰かに殺されていたさ。
それに、私に謝る必要なんかない。
キミが殺したのは日本さんで、私ではないのだから。
「堪忍!!」
次の瞬間、ついなちゃん…「日本鬼子」の手にした槍が、私を貫いていた。
「田中、かんにん、かんにんな!!」
ついなちゃんは号泣していた。
ちょ、ついなちゃん、何してくれてるのよ。
私は鬼でも、鬼の友達でもない普通の女子高校だよ?
そりゃオタクかも知れないけど。
ああ、なんか体崩れてきた…
「田中ぁ、たなかぁぁぁぁぁ!!堪忍してや!!堪忍してや!!」
泣きたいのはこっちだよ。
謝るくらいならやるなよ。泣くくらいならやるなよ。
、てゆーか
「田中」って、誰だ。
最期に私の目に映ったのは、紫煙となって消えていく「鬼の手」だった。
それは、「ひのもと おにこ」のものではなかった。