ロスト・スペラー 4

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1創る名無しに見る名無し
タイトルは飾り

過去スレ
ロスト・スペラー 3
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/
2創る名無しに見る名無し:2012/04/14(土) 16:13:00.31 ID:y82kk9YE
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。

『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。


ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。
3創る名無しに見る名無し:2012/04/14(土) 16:18:06.81 ID:y82kk9YE
500年前、魔法暦が始まる前の大戦――魔法大戦で、全てが海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
沈んだ大陸に代わり、新たな大陸を1つ浮上させた。
共通魔法使い達は、100年を掛けて唯一の大陸に6つの魔法都市を建設し、世界を復興させ、
魔導師会を結成して、魔法秩序を維持した。
以来400年間、人の間で大きな争いは無く、平穏な日が続いている。
4創る名無しに見る名無し:2012/04/14(土) 16:19:26.35 ID:y82kk9YE
唯一の大陸に、6つの魔法都市と、6つの地方。
大陸北西部に在る第一魔法都市グラマーを中心とした、グラマー地方。
大陸南西部に在る第二魔法都市ブリンガーを中心とした、ブリンガー地方。
大陸北部に在る第三魔法都市エグゼラを中心とした、エグゼラ地方。
大陸中央に在る第四魔法都市ティナーを中心とした、ティナー地方。
大陸北東部に在る第五魔法都市ボルガを中心とした、ボルガ地方。
大陸南東部に在る第六魔法都市カターナを中心とした、カターナ地方。
そこに暮らす人々と、共通魔法と、旧い魔法使い、その未来と過去の話。
5創る名無しに見る名無し:2012/04/14(土) 23:44:03.24 ID:3yjUn+vl
>>1
4スレ目乙です

あんたマジすげえよ!!
6創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:33:50.85 ID:7V00aq9T
ありがとう。
マイペースで続けて行きます。
7創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:45:08.64 ID:7V00aq9T
魔導師会は何を守るか


魔法暦504年 第二魔法都市ブリンガー フェストゥカ地区にて


この年の春、第二魔法都市ブリンガーのフェストゥカ地区で、小動物の惨殺体が街中に捨てられる、
怪事件が続いた。
ブリンガー魔導師会の法務執行部に、今年3月就職したばかりの新人執行者、
ジラ・アルベラ・レバルトは、ブリンガー都市警察フェストゥカ地区駐在所に出向し、
この事件の解決を「見届ける」様に命じられた。
飽くまで「見届ける」のであり、協力するのではない。
呑気で温厚な市民性から、余り魔法を使った事件が起きないブリンガーでは、屡々この様に、
魔法と関係が無さそうな事件でも、執行者が動く。
これには、市民(警察を含む)の魔法の濫用を牽制する、犯罪予防的意味合いと、
執行者を市民生活に添わせる事で、魔導師会の存在を印象付ける、広報の意味合いと、
同じ治安維持を任務とする組織同士、連携を深める狙いがあり、大抵は新人か閑職が回される。
だが、魔法の悪用が明確に疑われる事例でない限り、執行者が捜査を手伝う事は無いので、
都市警察にとっては、少々迷惑な余り者と言った扱いをされるのが、現実だ。
8創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:46:15.15 ID:7V00aq9T
未だ若く、それなりに美人なジラは、フェストゥカの駐在所で、嫌な思いをしなくてはならなかった。
事ある毎に所員から無視されたり、お座なりに扱われたり……。
若い魔導師は、それだけでやっかまれ、敬遠される。
その理由の1つは、多くの若い魔導師が、社会経験の乏しさから、周囲と摩擦を起こす為だ。
若者に限らず、大抵の魔導師は、魔導師会に忠誠を誓う半面で、都市警察の指図は受けたがらない。
魔導師会の法は、都市法に優先すると言う、序列関係から来る勘違いである。
魔導師個人は、都市法に従わねばならず、魔導師会からの具体的な命令が無い限り、
徒に都市法を破る事は許されない。
それは、魔導師会から具体的な命令があれば、都市法に従わない事もあると言う事。
しかし、魔導師会の該当条項には、「都市法には最大限配慮して、市民の同意を得る様に努め、
それでも已むを得ず都市法を破らねばならない時には、それを認める」とある。
魔導師とて市民の一員、その模範になる姿勢を示さなくてはならないとも。
所が、成り立ての魔導師には、名誉ある地位への憧れから、過剰な自尊心を抑えられない、
未熟者が少なくない。
それが全体として、若い魔導師のイメージを悪化させている。
9創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:47:19.99 ID:7V00aq9T
だが、ジラは大人しい性格であり、余り気取った所も無かった事から、嫌味な対応は直ぐに止んだ。
彼女は捜査に協力出来ない分、進んで雑用を手伝い、所員の好感を得た。
苦労は多いが、損は少ない性分である。
……ジラが所員に協力的だったのには、生まれ持った性質の他に、彼女なりの理由がある。
彼女は徒に世間を騒がせる、小動物を惨殺した犯人を許せなかった。
か弱い小動物を残酷に殺して喜ぶ者の存在が、どうしても認められなかったのである。
10創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:51:28.81 ID:7V00aq9T
最初の事件では、フェストゥカの繁華街に、約30羽の小鳥のバラバラ死体が積み上げられた。
小鳥は何れも綺麗な羽根色をしており、毟り取られた羽毛が臓腑を覆い隠していた事から、
一見した住民や通行人は、その正体に気付かず、一体これは何だろうと訝った。
羽根の山は異臭を放っていた事から、中々正体を確かめに近付く者は居らず、
都市の清掃業者が通報を受けて、これを片付ける際、鳥の惨殺体であると、初めて判った有様。
どこかの業者が始末に困って不法投棄したのか、周辺住民への嫌がらせが目的なのか、
警察は周辺の関係業者に聞き込みを行ったが、犯人像を絞り込むまでには至らなかった。
綺麗な羽根の鳥を売っている店はあっても、最近大量に処分した事実は無く、
一度に誰かに売り渡した記録も無い。
個人で行うには量が多く、仮に単独犯なら、それは相当の狂人であるが……。
結局、犯人は見付からない儘、次の事件が起きてしまう。
11創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:56:26.72 ID:7V00aq9T
その1週後に起きた第2の事件では、数え切れない(正確には『数えられない』)ネズミの死体が、
そのまた1週後にはカラスが11羽、その次はネコが9匹と、殺される動物の種類は、
次第に大型化し、殺し方も(飽くまで警察の主観だが)猟奇的になって行った。
何時か人が殺されるのではないかと、フェストゥカ地区の住民は不安がったが、
特に誰かを狙っている感じは無く、実際に人が傷付けられた訳でもない事から、
ブリンガー都市警察の指令部(誤字でない)は、重大事件を扱う特別捜査部の派遣を認めず、
端役を適当に送って済ませた。
動物が大きくなるに従って、明らかに死体の数が減っている事も、住民の脅威にはなり得ないと、
判断される一因になった。
人が殺傷されるか、市民が余程困窮する事態にでも発展しない限り、事件の捜査は、
フェストゥカ地区駐在所の捜査部に任された。
事件の重大さによって、動く組織が駐在所から本署へと変わる、縦割り業務の弊害と言えよう。
12創る名無しに見る名無し:2012/04/15(日) 21:57:41.86 ID:7V00aq9T
都市警察の中にも魔導師や、魔導師に準ずる能力を持つ共通魔法使いは居る。
一連の事件が、外道魔法の暗黒儀式である可能性は、ブリンガー都市警察も考えていたが、
検察官を派遣した結果、魔法儀式が絡んでいる可能性は、低いと判断した。
故に、都市警察の指令部は、魔導師会に協力を仰ぐ事はせず、駐在所に事件の処理を任せたのだ。
1月以上の時間を掛けても尚、この凶行を止められず、事件の真相も解明出来ない様なら、
その時は流石に特捜部が動き出す(……他に重大な案件が無ければ)。
しかし、それはフェストゥカ地区の駐在所には、不名誉な事である。
自らの手では事件を解決出来ない、無能集団の烙印を押されたも同然なのだから。
市民からの評価を落とさない為にも、フェストゥカ駐在所員は必死にならねばならなかった。
当初ジラ・アルベラ・レバルトに、所員等が冷たく当たったのも宜なるかな。
魔導師会から物見に来る者の相手をしている暇は、無かったのである。
13創る名無しに見る名無し:2012/04/16(月) 18:38:42.68 ID:fXLmzy+K
さて――駐在所員の信頼を得たジラ・アルベラ・レバルトは、夜間の区内見回りに、
同行させて貰える様になったが、巡回警備は捜査部ではなく、保安部の仕事。
事件解決の為と言うよりは、日常業務の一である。
駐在所では、ジラは飽くまで部外者。
都市警察は、魔導師に捜査を手伝わせる訳には行かなかったし、逆も然り。
雑用を手伝わせる以上の事では、区内の見回りに同行させる程度が、落とし所だったのだ。
ジラの目付けには、保安部の若い巡査、ダーウィド・メダルが充てられた。
ダーウィドには特別な権限は何も無いし、特別に秀でた能力がある訳でもない。
これは、なるべくジラを働かせない為の、「持て成し」であった。
己の分を弁えて、その待遇に甘んじるジラだったが、何か自分に出来る事は無いかと、
日々悶々としていた。
……そうこうしている内に、最初の事件から4週が過ぎ、第5の事件が起きる。
今度は6匹のキツネ。
ブリンガー都市警察本部署の特捜部が動き出すまで、後2週……。
14創る名無しに見る名無し:2012/04/16(月) 18:50:57.96 ID:fXLmzy+K
第5の事件が起きた日、ジラは事件の解決を見届ける必要があると主張して、
事件現場の検分に立ち会ったが、ただ見ているだけで、口出しは許されなかった。
執行者に成り立てのジラには、事件の捜査に関する知識が無い。
実地検分では、難解な専門用語(隠語)が飛び交う。
捜査部の者に、素人のジラの相手をする暇は無く、彼女は会話内容を理解する為に、
お付きのダーウィドに疑問に思った事を一々訊ねなければならなかった。
新人のダーウィドは、手帳のメモを頼りに、捜査に関する常識を、懇切丁寧に説明したが、
それはジラに無知を自覚させ、事件への介入を萎縮させる結果にしかならなかった。
否、それで良いのだ。
そもそも、誰もジラが事件を解決する事など、期待していない。
今、彼女が為すべき事は、都市警察が如何にして事件を捜査し、解決するか、よく観察して、
報告書に記す事である。
決して、都市警察に協力する事ではない。
15創る名無しに見る名無し:2012/04/16(月) 18:53:06.95 ID:fXLmzy+K
その日の夜も、ジラはダーウィドと共に、夜のフェストゥカ地区の見回りに出掛けた。
彼女が出来る事は他に無かった。
昼間の検分で、分厚い職業の壁を実感したジラは、意気消沈していた。
溜め息ばかり吐く彼女を、ダーウィドは気に掛ける。

 「ジラさん、気分が優れないのですか?」

 「いいえ、違います。
  何でもありません……御免なさい」

夜間の見回りで、犯行現場に出会す可能性だって、無いとは言い切れない。
しかし、今のジラには、とても虚しい事の様に思われた。

 「……直ぐに解決しますよ。
  捜査部の人達は、何だ彼んだでプロですから」

ダーウィドが何を察して、そう発言したのか、ジラには解らない。
彼女が出向を苦に感じていると思ったのか、駐在の無能振りに呆れていると思ったのか……。
誤解を避ける為に、ジラは本心をダーウィドに告げる。

 「私、動物が好きなんです。
  だから、この事件の犯人は、絶対に許せなくて……。
  自分にも、何か出来ないかと――」

 「ああ、成る程」

ダーウィドは納得して、大きく頷いた。

 「お気持ち、解ります。
  本官、保安部所属ですが、捜査部を志していましたから」

年齢はジラと変わらないダーウィドだが、言い回しが堅苦しいのは、相手が魔導師だから。
失礼が無い様に、慎重に言葉を選んでいるのが、ジラにも伝わった。
16創る名無しに見る名無し:2012/04/16(月) 18:56:25.50 ID:fXLmzy+K
畏まった口調で、ダーウィドは続ける。

 「あっ、軽率に『解る』とか言ってしまって、済みません。
  中々犯人が捕まらないので、御心配なのでしょう」

 「いえ、そうじゃなくて……。
  何も出来ない自分が、歯痒いと言うか……」

 「済みません。
  魔導師さんなら、魔法を使って、あっと言う間に解決出来るのでしょうが……」

どんどん解釈が歪んで行くダーウィドに、ジラは焦った。

 「そうじゃないんです!
  ただ側で見ているだけと言うのが――」

そこまで言い掛けて、ジラは止めた。
よくよく考えれば、ダーウィドの言った事と同じ。
都市警察を信頼していないから、捜査を任せられないと思われても仕方無い。
個人的に許せないと言うだけで、処罰感情を超えて、自ら裁きを下さねば気が済まないとなれば、
それは無法者の論。
都市警察を信頼してないより、性質が悪い。
17創る名無しに見る名無し:2012/04/17(火) 10:11:05.10 ID:wXRDPZB4
18創る名無しに見る名無し:2012/04/17(火) 19:42:15.52 ID:U5qt34B/
ジラが急に押し黙ったので、ダーウィドは気不味い空気を変える為に、自ら話を始めた。

 「今回の事件については、本官も思う所があります。
  これは言葉遊びなのです」

 「どう言う事ですか?」

 「捨てられた動物の死体は、Thirty Birdies, Lots of Rats, Eleven Ravens, Nine Miaos, Six Foxesと、
  こんな感じで、韻を踏んでいます。
  それが何だと言われると困るのですが……」

 「そんな語呂合わせで、沢山の動物を?」

 「多分」

ジラは怒りの感情より、疑問が先に浮かんだ。
一連の事件は愉快犯の仕業だと、彼女は思っていたが、ダーウィドの話を聞いて、
何か隠された目的があるのではないかと考え直したのだ。

 「Many Magusに続かないと良いのですが……」

 「えっ」

ダーウィドの呟きに、ジラは驚く。

 「Lots of Rats, Lots of Cats and Many Magus Died a Desired Death――昔の遊び歌です。
  外道魔法使い狩りが流行っていた頃の」

外道魔法使い狩りは、魔法暦250年頃に行われた。
今から250年も前である。
当時の遊び歌を、ダーウィドの様な若者が知っているのは不自然だ。
19創る名無しに見る名無し:2012/04/17(火) 19:44:56.50 ID:U5qt34B/
ジラは当然の疑問を口にする。

 「その歌、どこで知ったんですか?」

 「身内に外道魔法使いの裔が居りまして……」

魔法大戦後、多くの外道魔法使いは、自らの魔法を封印して、魔法が使えない市民に紛れた。
故に、外道魔法使いの血を引く市民は、多いとは言えないが、決して少なくはない。
中には密かに魔法を受け継いでいる者も居る。

 「最後には、外道魔法使いが犠牲になると……?」

 「いいえ、確証はありません。
  Eleven Ravens, Six Foxes――この程度の言葉遊びは、誰でも思い付きます。
  昔の遊び歌と似ているのも、飽くまで本官が、そう感じたに過ぎません。
  それに……保護するにしても、自分から外道魔法使いと名乗り出る人は、居ないでしょう」

ダーウィドは悲し気な瞳をしていた。
未だ外道魔法使いに対する偏見は強い。

 「今日ので5件目……好い加減、そろそろ犯人を特定しないと、駐在の面子に係わります。
  捜査部も必死にならざるを得ません。
  やってくれると信じましょう」

どこか他人事の様で、冷淡な口振りのダーウィド。
それが信頼から来る物なのか、それとも割り切っているだけなのか、ジラには判らなかった。
判らなかったが、彼女は静かに頷いた。
……結局、その晩も何も無かった。
20創る名無しに見る名無し:2012/04/17(火) 19:47:41.46 ID:U5qt34B/
翌日、フェストゥカ駐在捜査部は、犯人を特定し、身柄の確保に動いた。
当初、是が非でも犯人の顔を拝んで、一言物申さねば気が済まないと思っていたジラだったが、
彼女は被疑者確保に同行こそした物の、捜査部の手際を大人しく見学するだけに止めた。
犯人は若い専門学校生で、やはり愉快犯であった。
ダーウィドの予感は外れていた。
犯人は動物を集めるのに魔法を使っていたが、実際に動物を殺し、その死体を不法投棄する際には、
魔法を使っておらず、初犯と言う事もあって、魔導師会が出る幕は無かった。
罪状は、都市制定迷惑防止条例違反、都市制定動物保護条例違反、反社会的行動禁止法違反、
業務妨害。
都市制定動物保護条例では、食用・駆除・防衛等、特別に指定された目的以外で、
正当な理由無く、濫りに動物を殺傷してはならないと定められている。
21創る名無しに見る名無し:2012/04/18(水) 19:38:19.04 ID:Osgx8pMk
都市警察組織体系

上級警察組織

 大陸警察機構
 ・統合司令部(Central Control Station)
 ・戦略研究室

 地方警察庁
 ・司令部(Control Station)
 ・監査委員会
 ・特別警察部

下級警察組織

 都市警察署
 ・指令部(Directive Station)
 ・刑務部
 ・治安維持部
 ・特別捜査部

 地区町村警察駐在所
 ・連絡部
 ・保安部
 ・捜査部
22創る名無しに見る名無し:2012/04/18(水) 19:40:22.12 ID:Osgx8pMk
捜査部の上級組織が特別捜査部、保安部の上級組織が治安維持部に当たる。
特別警察部は、捜査部と保安部、両方の役目を持っているが、部内で捜査班と保安班に分かれる。
保安部も捜査部も、規模が大きくなるに従って、下級から上級へと管轄が移る仕組みは変わらない。
例えば、同じ公的行事の警備でも、地方レベルなら特別警察部が、都市レベルなら治安維持部が、
地区町村レベルなら保安部が出動する。
保安部と捜査部の違いは、これから起こるかも知れない事件を防ぐのが保安部で、
起こった事件を解決するのが捜査部と考えれば判り易い。
連絡部は、指令部からの命令伝達を行う他に、報告書を纏めたり、意見書を提出したり、
捜査部と保安部の仲介をしたりする、駐在所内の実質的な上層部で、現場では活躍しない。
保安部と捜査部は実務のみを執り行い、上級組織との交渉権を持たない代わりに、
連絡部が設置されている。
刑務部は管轄内の刑務所の管理を行う。
都市警察署と警察駐在所は、多くの都市部では完全な上下関係に置かれているが、
市政から独立して町村運営が行われている場合は、一定の権限を与えられている場合もある。
時に、その仕組みは隠蔽や腐敗を呼ぶ。
対策として、地方警察庁には、監査委員会が設置されている。
23創る名無しに見る名無し:2012/04/18(水) 19:50:16.06 ID:Osgx8pMk
都市警察の前身は、各市町村の自警団が、復興期の終盤から開花期に掛けて、
魔導師会から一部の警察権限を移譲された物。
歴史的に、都市警察署や警察駐在所が先にあり、地方警察本庁、大陸警察機構と言った、
組織体系自体が、大規模事件に対応する為の、後付けの序列に過ぎない。
地方警察庁と大陸警察機構を合わせて、上級警察組織と言うが、その役割は、
下級警察組織を統率し、指示を送るだけである。
その為、地方警察庁の特別警察部は、多くの場合、所属人員100名以下。
大陸警察機構に至っては、警察の最高権力組織でありながら、独自の権力行使集団を持っていない。
地方の魔導師会への依存度が大きい程、上級警察機関は発言力が弱くなる傾向にある。
実際、組織力も規模も魔導師会の方が遥かに上で、何にしても魔導師会を頼った方が早い。
それでも地方警察庁は、地方が定めた法律に従って行動する事で、
魔導師会とは異なる立場を明確にし、一定の地位を保っている。
一方、大陸全土の安全に係わる事態は、大抵魔法絡みで、その場合は魔導師会が動く為に、
大陸警察機構は影が薄い。
組織の構造上、地方警察本庁の司令部には、都市警察の事情に詳しい関係者が就く。
それに対して、大陸警察機構には、政治的都合で配属される者が多い。
警察駐在所は駐在、都市警察署は本署(本部署)、地方警察庁は本庁と呼ばれるが、
大陸警察機構のみ略称が無い。
指令部をDS、司令部をCS(或いは単にD、C)として、その指令をDS指令、CS指令(D指令、C指令)と、
現場では言うが、CCS指令は聞かれない。
存在価値の疑われる大陸警察機構。
CCS指令は都市伝説とさえ言われていたが、近年は活動範囲が広い地下組織の台頭から、
あり得ないとまでは言い切れなくなっている。
24創る名無しに見る名無し:2012/04/18(水) 19:51:00.64 ID:Osgx8pMk
大陸警察機構の本部は第四魔法都市ティナーに、各地方警察庁は各地方の魔法都市に在る。
グラマー地方にのみ警察組織が存在せず、魔導師会法務執行部が警察業務を代行している。
25創る名無しに見る名無し:2012/04/19(木) 19:22:36.61 ID:FIUQOEXf
『成り上がり<アップスタート>』


成り上がりとは、元々人でなかった物が、後に人の姿を取った例である。
成り上がりと言われる所以は、人の姿ばかりを真似て、人の心が伴わない事から。
旧暦や復興期の伝説では、成り上がりの話が数多く見られるが、魔導師会に確認された事例は無い。
だが、知能の高い、妖獣・霊獣、その他、高い魔法資質を持つ動物が、『成り上がる』可能性は、
否定出来ない。
人ならざる人の存在を、どう扱うか、都市法に定めは無いが、魔導師会には一応ある。
以下の条件が整った時、魔導師会は成り上がりを認め、それを人として扱う。

一、一般的な手段を以って、人と意思の疎通が可能な事。
一、高い社会性を持ち、人の法の定めに従える事。
一、明確な自我を持って、独立した意思で行動可能な事。
一、独自の規律を持った、一定の集団を形成している事。
一、価値観・倫理観に大きな違いが無く、友好的な関係を築く意思がある事。

これは未知の知的生命体の集団に遭遇した時を想定している。
集団ではなく、個体が現れた時は、その個体を特別に扱う。
実際に、都市には名誉市民として、動物が登録された例がある(これは成り上がりに限らない)。
魔導師会の定義とは別に、人の間で長く暮らし、人の行動を真似る様になった動物を、
成り上がりと言う事もある。
26創る名無しに見る名無し:2012/04/19(木) 19:23:42.10 ID:FIUQOEXf
拝啓 プラネッタ・フィーア様

風薫る若葉の季節になりました。
そちらではマミラリア(※)の花盛りと存じます。
先ずは、今月8日無事に第五魔法都市ボルガに到着した事を、御報告させて頂きます。
復興期、魔導師会の到達が遅かったボルガ地方では、独自の宗教観が根付き、
他では聞かれない説話が、数多く残されていると聞きました。
民俗学的見地から、趣深い話の一つ二つ、御紹介出来ればと思います。

敬具

5月25日 サティ・クゥワーヴァ

※:サボテンの一種
27創る名無しに見る名無し:2012/04/19(木) 19:38:17.70 ID:FIUQOEXf
第五魔法都市ボルガ アンラク地区にて


第五魔法都市ボルガのアンラク地区に着いた、サティ・クゥワーヴァとジラ・アルベラ・レバルトは、
予約した宿に寄って荷物を置いた後、それぞれ自由に行動出来る時間を設けた。
サティは図書館へ資料収集に向かい、ジラは地区内を散策する。
去年までは、サティが勝手な行動をしないか見張っていたジラだったが、最近は、
そんな心配をしなくなっていた。
傍目には、サティは研究熱心で、他の事は頭に無い様に見えていた。
実際、サティはジラの見ていない所で、勝手に問題を起こした事が無い。
逆に、ジラの監視下では、無謀な試みをする事が多かった。
彼女に付き添っている間の方が心配だったジラにとって、自由時間は本当に自由な時間だった。

 (陰で黙って分からない様に、やってくれれば良いのに。
  面倒な子……)

つい、そんな風に思ってしまう。
本気で実行されては、ジラに止める術は無い。
流石に十年に一度の才子と言われるだけあって、共通魔法使いとしての実力は、
サティの方が数段上である。
だが、サティはジラを気遣っている。
ジラが魔導師会に報告し易い様に、どこで何をするのか態々教えるし、監視の目が無い所で、
勝手な行動を取る事も無い。
だが、サティの気遣いは、ジラを巻き込む物である。
報せる為には知らねばならないが、不都合な事実を知ってしまえば、当然ジラにも累が及ぶ。
立場上、ジラは知る事から逃れられない。
28創る名無しに見る名無し:2012/04/20(金) 19:22:17.82 ID:NmPZOEWw
サティが必ず不都合な事実に触れるとは限らないが、彼女には危うい部分がある。
ジラは、それを心配していた。
杞憂に終われば良いが……と、思案していたジラは、偶々とある物を目に留めて、歩を止める。
街中を二足歩行する妖獣――半身以上ある大きな白黒の化猫。
頭には緑の羽根付き帽子を被って、同じく緑のマントを羽織った、まるで童話の世界から、
飛び出したかの様な存在。
使い魔でも、2本の足で立って歩く猫は、そうそう見られない。

 (何!?
  何あれ!?)

奇異と言うか、異様と言うか、奇怪な化猫は、ジラが鬱々とした今の気分を変える切っ掛けには、
十分な存在であった。
悩みは一瞬で吹き飛び、彼女は爛々とした目で、この化猫を追っていた。
29創る名無しに見る名無し:2012/04/20(金) 19:23:19.59 ID:NmPZOEWw
化猫は直ぐにジラに気付いて、振り向いた。
化猫の金の瞳を直視してしまったジラだが、彼女は怯えるより、この猫に逃げられはしないか、
それを最初に心配していた。

 「『御婦人<ワニータ>』、私に用かなコレ?」

帽子に手を掛けて、真面目な声で尋ねて来る化猫に、ジラは心を射抜かれた。
感動の余り、まともに応える事が出来ず、言葉に詰まる。

 「あ、あのっ……!」

 「コレ、私の様な存在を見るのは、初めてですかな?
  コレ、魔導師の御婦人よ。
  我輩はニャンダコーレ、ニャンダカ国王ニャンダコラスの子孫」

化猫は胸を張って名乗った。
ジラは震えながら声を絞り出す。

 「しゃ、喋れるの?
  誰かの使い魔?」

多くの使い魔は、共通魔法によるテレパシーで意思の疎通を行っている。
人語を解するには特殊な訓練を受けねばならず、そうした訓練を受けられる環境にあるのは、
所謂『高級使い魔<ハイアー・サーヴァント>』に分類される物に限られる。
その中でも、流暢に人と会話出来る物は珍しい。

 「使い魔?
  コレ、人に付き従うばかりの妖獣共と一緒にされては、コレ、困りますな。
  私はコレ、私の意思で動いているのですよ、御婦人」

 「えっ、誰の使い魔でもないの!?
  大丈夫!?」

 「コレコレ、何が大丈夫でないと言うのですかな、コレ」

野良になった捨て使い魔は、大抵碌な事をしないので、都市警察か執行者に保護される。
知能が高いければ高い程、人に対する危険性が増すので、使い魔以外の妖獣が、
人を伴わずに街中を堂々と歩く事は、普通は無い。
余程、市民の信頼を得ていない限りは……。
30創る名無しに見る名無し:2012/04/20(金) 19:24:31.29 ID:NmPZOEWw
ニャンダコーレと言う名の、大きな化猫は、にやりと笑って言う。

 「御婦人、あなたはブリンガーの方ですな、コレ。
  訛りで判ります。
  コレ、私、各地を旅してまして、ブリンガーは良い所ですが、コレ、私の様な存在には厳しい所で。
  畜産業が盛んな土地柄、食肉獣に神経質になるのは、コレ、仕方の無い事ですが……」

一体この化猫は何が言いたいのか?
察し兼ねているジラに向けて、ニャンダコーレは続ける。

 「コレ、実は私、ティナーとボルガでは、結構有名でして、コレ。
  ここらの人も、コレ、気軽に挨拶等してくれるのですよ、コレ」

理知的に話が出来る妖獣の存在を、ジラは初めて知った。
これが世に言う『成り上がり<アップスタート>』なのかと、彼女は感心した。

 「――と言う訳で、コレ、御婦人、御心配には及ばないのです、コレ」

 「そ、そう?」

長い歴史の中で、1匹や2匹、こう言う動物が出て来ても、不思議ではないのかも知れないと、
ジラは独り心の内で頷くのだった。
ニャンダコーレは、そこらの人間より余程落ち着いて話が出来る。
余りにも堂々としているので、ジラは彼を普通の猫の様には扱えなかった。
彼女は結局最後まで、「撫でさせて下さい」の一言が言えなかった。
ニャンダコーレと別れてから、ジラは一日中後悔し続けた。
31創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:34:01.19 ID:up0KqMbz
ブレイン・ストリーミング


娯楽魔法競技のストリーミングには、魔力を用いないで、読みや駆け引きと言った、
神経戦の鍛錬を目的として行う、ブレイン・ストリーミングと言う、派生競技がある。
この発想自体は復興期からあったが、公に広まったのは、開花期から。
主に、公学校の生徒間で遊びに利用された。
端的に言えば、ストリーミングのシミュレーションである。
ローカルルールが多数存在するが、基本ルールは以下の通り。

・ストリーミングと同じく2人用の遊び。
・魔法資質の優劣は無視、相手と自分は対等とする。
・開始時、プレイヤーには魔力石の替わりに、持ち点12が与えられる。
・通常5ラウンド勝負で、持ち点は増えない。
・持ち点の範囲内で点数を出し合い、多い方をラウンドの勝者とする。
・持ち点がある以上、1ラウンドに最低1点は消費しなければならない。
・3ラウンド先取で勝利。
・第5ラウンド終了を待たずに途中で持ち点が0になっても、3ラウンド先取すれば良い。
・但し、第5ラウンド終了を待たずに、持ち点が0になり、且つ3ラウンド先取出来ず、
 相手に1点でも残っている場合は、残りラウンド数に依らず、負けが確定する。
・第5ラウンド終了を待たずに、両者同時に0点になり、共に3ラウンド先取出来なかった場合は、
 取ったラウンド数に依らず引き分け。
・5ラウンドを戦い切った場合のみ、取ったラウンド数で勝敗が決まる。
・5ラウンドを戦い切っても、取ったラウンド数が同じなら引き分け。
・引き分けは、トーナメント等では、両者敗北扱い。
・第5ラウンド終了時に点を余らせても無意味。
・迅速な決断を促す為、考慮時間は30極以内。

速攻で3ラウンド先取を狙う電撃作戦の他に、相手の点数切れを待つ防衛戦術がある。
引き分け=勝負下手と見做され、引き分け狙いは好まれない傾向にある。
ハンデを付ける場合は、持ち点を下げるのが一般的。
32創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:36:38.59 ID:up0KqMbz
ブレイン・ストリーミングには、属性ルールと言う追加ルールがある。
属性ルールは、4属性ルールと6属性ルールがある。


4属性ルール

・1ラウンドに、火水土風の4属性の内、1つの属性を与える。
・自分の属性が、相手の属性に有利だった場合には、そのラウンドに懸けた点が2倍になる。
・水は火に有利、火は風に有利、風は土に有利、土は水に有利。
・一度使った属性は、別のラウンドでは使えない。
・属性は4つしか無いので、1ラウンドは必ず無属性を使う事になる。
・無属性を使うタイミングは自由。
・考慮時間は50極以内。


6属性ルール

・1ラウンドに、火水土風木闇の6属性の内、1つの属性を与える。
・基本的に4属性ルールに準ずるが、一部の強弱関係が異なる。
・火は木と闇に強く、水と土に弱い。
・水は火と風に強く、土と木に弱い。
・風は土と闇に強く、水と木に弱い。
・土は火と水に強く、風と闇に弱い。
・木は水と風に強く、火と闇に弱い。
・闇は土と木に強く、火と風に弱い。
・4属性ルールとは違い、1属性余るので、無属性は使えない。
・考慮時間は100極以内。

6属性ルールでは、3分の1の確率で有利な属性に、同じく3分の1の確率で不利な属性に当たる為、
持ち点を18点か24点に増やす事が多い。
公式大会では、6属性ルールには18点制が採用される。
水←土←風←水……の関係は、液体←固体←気体←液体……の概念。
水は器に溜まるが、風は器には留まらない。
風嵐は巨岩を削るが、水面は波立つのみ。
33創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:37:43.79 ID:up0KqMbz
火は草木を燃やし、闇を照らすが、水と土は燃やせない。
水は火を消し、風を往なすが、大地と草木に吸収される。
風は砂を巻き上げ、暗雲を払うが、川の流れは変えられず、根を張る木も倒せない。
土は猛火に耐え、水を堰き止めるが、空には届かず、影を生み出す。
木は水を吸い、風を収めて花咲くが、旱(ひでり)と日陰では育たない。
闇は地上を覆い、草木の成長を止めるが、火には近寄れず、天の星も隠せない。
然れど物には限り有り、倍半過ぎれば何れにも克つ。
34創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:39:43.69 ID:up0KqMbz
6属性ルールに追加して、資質ルール(特技ルールとも呼ぶ)と言う物もある。


・プレイヤーに属性を1つ乃至2つ設定する(設定しなくとも良い)。
・ラウンドで相手の出した属性が、自分の属性(自分の出した属性ではない)に弱い属性だった場合、
 そのラウンドで自分が懸けた点数が2倍になる。
・だが逆に、ラウンドで相手の出した属性が、自分の属性に強い属性だった場合、
 そのラウンドで相手が懸けた点数が2倍になる。
・属性ルールとの組み合わせ次第では、最大で懸けた点数の32倍になる(※)。
・自分と相手の属性は、事前に知らされない。
・同一属性に対して強い属性と弱い属性が、プレイヤーの属性として同時に組み合わさっている場合、
 強弱関係が無効化される。
・次の組み合わせは無属性と同じ扱い……水+闇。
・考慮時間は150極以内。


※:相手の2属性の弱点被りを突いて4倍、相手がラウンドで出した属性が自分の得意属性で更に4倍、
  ラウンドで出した属性同士の優劣で更に倍(4×4×2=32)。
35創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:42:01.26 ID:up0KqMbz
弱点の組み合わせで、純粋に点数が高くなる為、持ち点は24か30にする場合が多い。
公式で資質ルールが採用される場合は30点制。
資質ルールでは、弱点を減らす組み合わせが好まれる。
例えば、火+水の組み合わせでは、闇、火、風に強くなり、土に4倍不利になる物の、
弱点は水と土だけなので、実質1属性分有利である。
同じ属性は2度使えず、3ラウンド先取のブレイン・ストリーミングに於いて、3属性に強く、
2属性に弱いと言う事は、大きなアドバンテージになる。
しかし、ラウンドに懸けた点と属性は公開される為、4倍弱点が判明すると自動的に、
自分の属性も明らかになるので、メリットばかりとも言えない。
弱点が減る組み合わせは、以下の通り。
火+水、水+風、土+闇、木+闇。
逆に、弱点が増える組み合わせは好まれない。
例えば、火+闇の組み合わせでは、闇と木に強くなり、特に木に対しては4倍有利になる物の、
火、水、風に弱くなる為、1属性分不利である。
弱点が増える組み合わせは、以下の通り。
火+闇、水+土、水+木、風+闇。
資質ルールでは、相手の属性を探りつつ、ラウンドを取る戦い方をしなければならない。
互いに第1ラウンドは小さい点を出し合い、捨てに掛かる事が多い。
自分の属性の弱点を、ラウンドで繰り出す属性でカバーする戦い方が、一般的。
基本的に、ラウンドで繰り出す属性を、自分の属性に被せる事はしない。
16倍、32倍有利を出すのはロマン。
ローカルルールでは、1ラウンドの点差が60以上離れると、ダブルムーンで即勝利とする物がある
(30点以上離れるとフルムーンで、2ラウンド分の勝利を得るローカルルールの延長)。
36創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:43:54.22 ID:up0KqMbz
資質ルールの例


A(火)

風5点

 対

土6点

B(木+闇)


火属性のAは、5点懸けた風属性をラウンドに出した。
木+闇属性のBは、6点懸けた土属性をラウンドに出した。
Aがラウンドに出した風属性は、Bがラウンドに出した土属性に強いので、Aは10点を得る。
Bの木属性は風に強いが、闇属性は風に弱いので、Bの属性による点数の変化は無し。
しかし、Bがラウンドに出した土属性は、Aの火属性に強いので、Bは12点を得る。
A10点対B12点で、このラウンドはBが制した事になる。
37創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:44:10.89 ID:up0KqMbz
ブレイン・ストリーミングの競技者は、主に公学校生である為、低年齢層の遊びと言う面が強い。
公式大会では、年々流行のローカルルールを取り入れる傾向もある。
魔法を使わない為、名目的には魔導師会の管轄外だが、公式大会の多くは魔法競技会が主催する。
ブレイン・ストリーミング用のグッズを売買しているのは、魔法道具協会だったりと、実質的には、
魔導師会が管理運営している。
民間には、ブレイン・ストリーミングと類似したボードゲーム、カードゲームが多数ある。
38創る名無しに見る名無し:2012/04/21(土) 18:44:52.98 ID:up0KqMbz
……この設定は使い難いな。
39創る名無しに見る名無し:2012/04/22(日) 19:20:03.07 ID:P5P1IReE
The fool fall in a hole.


The fool fall in a hole.
――直訳すれば、愚者が穴に落ちる。
第四魔法都市ティナーでは、よく使われる言葉である。
「考えが足りない者は酷い目に遭う」と言う意味の、戒めの言葉ではない。
そこには「穴に落ちる様な奴は馬鹿なのだ」と言う、辛辣な嘲笑が込められている。
人が失敗した時に、不運だったとか、仕方が無かったとか、そんな甘い言い訳は、
ティナーでは許されない。
そこに至る過程を含めた、厳格な結果主義に基づき、人は上下の隔て無く裁かれる。
それがティナー市民の哲学である。
しかし、冷血ではない。
法律とは無関係な所で、ティナー市民は情に篤い。
40創る名無しに見る名無し:2012/04/22(日) 19:21:06.96 ID:P5P1IReE
ティナー地方の都市部では、金持ちと名誉は余り関係が無い。
どんなに財産を持っていようが、それだけでは少し上等な一般市民に過ぎない。
私財を投じて公に尽くす者でなければ、市民からは尊敬されない。
だが、ティナー市民の性質上、そう言う者は現れ難い。
故に、職業上の貴賎が生じる。
所謂「名誉職」だ。
特に医師、警官、裁判官、役人、議員、報道員と言った、公務員の評価は高い。
それは決して高くない給金で、公の為に働くからである。
公務員の社会的評価が高いのは、何もティナー地方に限った話ではなく、他の地方でも同じだが、
所謂「土地持ち」が発言力を持つブリンガー地方よりは、資産家に対する評価が明らかに低く、
家系が重視されるボルガ地方と違って、伝統的でもない。
グラマー地方やエグゼラ地方程、魔導師が優遇されてもいない。
徹底して個人の資質を追求されるのは、ある意味で公平と言える。
金に卑しく、強欲と言われるティナー市民だが、金と名誉と権力の分離は、どこよりも進んでいるのだ。
いや、個々人が金に卑しく、強欲だからこそ、公平平等に拘るのだろう。
権力者には誠実さが、公人には清廉さが何より求められ、儲けた金額が全てと言われる商売人は、
望んで公人になろうとしない。
商売人が権力者に取り入ろうとする事は、極当然の事として、余り問題視されない一方で、
その誘いに乗った公人は、公人である以上とことん蔑まれる。
勿論、恐喝・贈賄等の違法行為を働けば、商売人とて商売自体を許されなくなる事もあるが、
どんな理由があっても公人は、「公」を侵す誘惑を毅然と撥ね退けなければならない。
41創る名無しに見る名無し:2012/04/22(日) 19:22:38.81 ID:P5P1IReE
そこで問題となるのが、公共機関従事者に対する悪評である。
金儲けに走る医師、職杖を振り翳す役人は、嫌われて当然の立場にあるが、時に事実無根の噂から、
離職を余儀無くされる事がある。
しかし、無言で去る者に、同情は向けられない。
付け入られる隙がある事は悪、「The fool fall in a hole」なのだ。
それでも「fool」でないと言うなら、徹底的に真実を示して抗わなければならない。
何故なら、ティナー市民の感覚では、嘘に反論しないのは、虚偽の横行を許す大罪だからである。
その為、事が落ち着いた後で、「真実は違う」と告白する事は、最も恥ずべき行為とされ、
非難の対象になる。
戦うべき時に戦わなくては、誤りで非難され、真実を話して非難され、2度罵声を浴びる事になる。
偽りに対しては、勝つか負けるか、2つに1つ。
有耶無耶には終わらせないのがティナー市民。
だが、この真実と虚偽を巡る争いに疲れる者も少なくない。
ティナーで権力の座に立った者の多くは、都市から離れて田舎に隠居したり、
他地方に引っ越したりする等して、静かに余生を過ごす。
この様な習慣から、ティナーの都市部では「最後の戦い」と言う物がある。
職歴の長い重役に対して、事件が取り沙汰され、真実を争った末に、引退するパターンだ。
退職時に花道を作る意味で、適当に事件が捏ち上げられる場合もあれば、
「早く引退しろ」と急かしている場合もある。
勿論、引き際を見極めるのは、個人の判断。
長く居座って迷惑がられるのも、潔く身を引くのも自由だ。
42創る名無しに見る名無し:2012/04/23(月) 19:28:50.68 ID:A5tDdQWy
魔法暦485年 ティナー地方の小村トックにて


この年、トック村に越して来た一家があった。
フィーア家の家長コズマーは、第四魔法都市ティナーで、医師を務めていた。
転属でもないのに、都会から田舎に引っ越して来る一家。
それも家長が高い社会的地位にあった者。
何も語られずとも、どの様な事情か、察しが付くと言う物である。
狭い村は噂の広まりも早く、表向きは体の弱い妻ソーラの静養の為と、
コズマーは説明していたが、それをその儘信用する大人は居なかった。
一部の大人は親戚や知り合い伝に、フィーア一家がトック村に来た、正確な情報を仕入れた。
43創る名無しに見る名無し:2012/04/23(月) 19:29:26.66 ID:A5tDdQWy
真実は、次の通りである。
ティナー中央病院で外科医を務めていたコズマー・フィーアは、然程重大でない医療過誤を、
関係者(主に被害者家族と対立派閥)から厳しく追及され、離職せざるを得なくなった。
彼の妻ソーラは、いざこざに巻き込まれて、精神的に疲れ、ノイローゼに……。
妻を静養させに、トック村へ来たと言うのも、強ち嘘とは言い切れない。
この事が知られ始めると、フィーア家への態度は幾分同情的に変わった。
都市部の喧騒に対する忌避感は、ティナー地方の小町村で特に強い。
44創る名無しに見る名無し:2012/04/23(月) 19:31:26.81 ID:A5tDdQWy
幸い、村の大人は一応の良識と分別を持っており、子供は噂から遠ざけられていた為、
フィーア家の一人娘プラネッタが不快な思いをする事は無かった。
両親はプラネッタに、離職と転居の理由を詳しく説明をしていなかった為、表向き、
彼女は何も知らない筈であった。
プラネッタとて何も気付かなかった訳ではないが、幼い態に考え、一家の平穏な暮らしを優先した。
彼女が本当の事を知るのは、15歳になってから。
その切っ掛けは「魔法学校」である。
45創る名無しに見る名無し:2012/04/24(火) 18:58:37.51 ID:9a9tHVLH
プラネッタの両親は、愛娘がティナーの魔法学校に通う事に、明確に反対しなかった物の、
難色を示した。
プラネッタ程の魔法資質の持ち主なら、魔導師を志すのは自然な事だが、魔導師にならなくとも、
その才能を生かせる場所はある。
闇雲に魔導師を目指すのではなく、自分の本当になりたい物を見付けるのだと、プラネッタの両親は、
彼女を説得した。
それは本意ではない。
プラネッタの両親は、誰かに過去を暴かれ、彼女が傷付けられはしないか、それを恐れたのだ。
就職にしても何にしても、魔導師になれば圧倒的に有利になる。
魔導師会の拘束を嫌うなら、魔導師にならず、魔法学校卒業の資格を得るだけでも、価値はある。
何にしても、優れた能力があるなら、魔法学校に通わない選択は無い。
それに、特に目標も無く魔導師を目指す事は、珍しくない。
魔法学校を卒業するまでに、進路を決めれば良いのだ。
初めから、将来何になると決め込んで魔法学校に入る者は、そうは居ない。
46創る名無しに見る名無し:2012/04/24(火) 18:58:58.10 ID:9a9tHVLH
しかし、プラネッタには確固たる将来像があった。
それを両親に問われたプラネッタは、魔法学校の教師になりたいと答えた。
彼女が魔法学校の教師を志す切っ掛けになったのは、ワーロック・アイスロンとの出会い。
バファル・ススールの様に、魔法資質が低い者の為の教導者を目指すワーロックを見て、
感化されたのだ。
熱心に、そして真剣に自らの希望を語るプラネッタに、父コズマーは折れて観念し、遂に、
一家がティナーを離れる事になった理由を明かした。
「どうしても魔法学校に行きたいのなら、ティナー以外の所にしないか?」とも提案した。
――だが、プラネッタの心は変わらなかった。
コズマーとソーラの拒否感は、客観的に見て過剰だった。
それだけ過去の諍いが、激しい物だったとも受け取れるが、それをプラネッタは冷静に指摘し、
両親を説得した。
自分の考えは譲れない。
遠くの魔法学校に通うのは、一家で引っ越すにしても、プラネッタが単身で行くにしても、
経済的な負担が重過ぎる。
全く習慣が違う地域に、馴染めるかも分からない。
医療過誤とは言え、死に繋がったり、後遺症が残ったりする様な、重い事件でもなかったのに、
それも既に十数年が経過した後で、住所も変わっていて、人に憶えられているかすら怪しいのに、
幾ら何でも気にし過ぎている……と。
コズマーとソーラは、自分達の小心を認めざるを得なかった。
47創る名無しに見る名無し:2012/04/24(火) 18:59:23.67 ID:9a9tHVLH
果たして――魔法学校に中級過程から編入して、卒業するまでの5年間、プラネッタの身に、
過去絡みで問題と言える様な問題は、全く起こらなかった。
両親の懸念は、杞憂に終わった。
……本当の問題は、過去の事件とも、彼女自身とも関係が無い所で起こっていた。
48創る名無しに見る名無し:2012/04/25(水) 19:12:37.25 ID:RiaB/MM0
黄金の手


ティナー地方南部の町カジェルにて


このカジェル町に暮らす外道魔法使いは、他の魔法使い達と一線を画している。
厳密に言うと、彼自身は魔法使いではない。
だが、彼は魔法を使う事が出来る。
……呪いの力によって。
彼の名はミードス・ゴルデーン。
不老にして不死不滅。
朽ち莫しの『黄金の魔法使い<エンカースト・オーラム>』である。
旧暦から生きる魔法使いの中で、その心は最も人に近く、その身は最も人から遠い。
49創る名無しに見る名無し:2012/04/25(水) 19:24:38.93 ID:RiaB/MM0
旅人ラビゾーは、予知魔法使いノストラサッジオの紹介で、カジェル町のミードスを訪ねた。
人が住む集落から遠く離れた、シェルフ山脈の麓で暮らすミードスは、見た目30〜40歳の、
中年の男だった。
普通の田舎者らしく、藁帽子、作業着、軍手、更には手拭いを首に掛けた姿で畑仕事をしている彼に、
ラビゾーは好感を持った。

 「何者だ?」

ミードスのラビゾーに対する第一声は、彼を警戒した物だった。
ノストラサッジオは、出会う前からラビゾーの事を知っていたので、旧い魔法使いとは、
大体そう言う物だと思っていた彼は、当惑した。

 「ぼ、僕は……ラビゾーと言います。
  あの……、ミードスさん……ですか?」

ラビゾーが名乗っても、ミードスには心当たりが無いのか、反応が鈍い。

 「ラビゾー?
  私に何の用だ?」

 「えーと、ノストラサッジオさんに言われて来ました」

 「……ノストラサッジオ。
  成る程、あんたが新しい運び屋か」

仲介者のノストラサッジオの名を聞いて、ミードスは漸く事情を理解した風だったが、
彼は無愛想に黙って背を向け、自宅の方へと引き揚げてしまう。
その行動の意味する所が解らず、ラビゾーが立ち尽くしていると、ミードスは足を止めて振り返り、
彼に言った。

 「何をしている?
  早く来い」

ミードスはラビゾーの返事を待たず、再び背を向けて歩き出す。

 「あ、はい」

ラビゾーは急いでミードスの後に付いて行った。
50創る名無しに見る名無し:2012/04/25(水) 19:25:33.89 ID:RiaB/MM0
ミードスの家は一見した所、豪華でも貧相でもない、極普通の石造りの民家だったが、
その内装は異様としか言えなかった。
ミードスの家の中は、壁や床だけでなく、椅子や机と言った調度品まで、あらゆる物が金に輝いていた。
金の眩しさにラビゾーが戸惑っていると、やや恥ずかしそうにミードスは小声で言う。

 「気にしないでくれ」

しかし、これを気にしないのは無理だろう。
金が本物だろうと、偽物だろうと、全面金一色と言うのは、余りに悪趣味過ぎる。

 (鍍金かな?)

未だ物珍し気にしているラビゾーに、ミードスは最早何も言わなかった。
ラビゾーを客間に通したミードスは、手拭いを金の椅子の背凭れに掛け、帽子を金の机の上に置いて、
そこで大人しく待っている様、彼に指示した。
客間から出て行くミードスの背を見送り、ラビゾーは改めて室内を見回す。
客間も目が痛くなる程の金一色である。
何を思って、こんな内装にしたのか、何か魔法的な意味があるのか……。
ミードスが戻って来るまでの間、ラビゾーは独り答えの出ない事を考えていた。
51創る名無しに見る名無し:2012/04/26(木) 20:00:43.38 ID:Dp2l/cQ9
客間に戻って来たミードスは、小さな巾着を幾つも抱えていた。
それを金の机の上に、どさりと置いて、彼はラビゾーと対面する。

 「これを換金してくれ。
  一割は手数料として取って良い」

 「何ですか、これ?」

ラビゾーは当然の質問をしたが、逆にミードスに驚かれる。

 「聞いてないのか?」

ラビゾーが頷くと、ミードスは難しい顔をした。

 「サッジオめ……。
  まあ良い。
  ラビゾー君、これは金だ」

 「金?」

鸚鵡返すラビゾーに、ミードスは巾着を1つ寄越す。
その手には軍手が嵌められた儘だと言う事に、ラビゾーは今気付いた。

 「100万MG位にはなるだろう」

 「全部で?」

 「これ1つで」

 「えっ」

 「ここに11袋ある。
  全部MGに換金して来てくれ」

そう言いながら、ミードスは1つの巾着の口を開けて傾けた。
さらさらと粉状の物が零れ出し、金の机の上に広がる。
52創る名無しに見る名無し:2012/04/26(木) 20:02:17.82 ID:Dp2l/cQ9
それは砂金であった。
それも普通の砂金ではなく、やや黒味掛かった、ブラックゴールドの砂金である。
数粒が机の端から床に零れ落ちたが、ミードスに惜しむ様子は無かった。
ラビゾーは俄かには信じられず、失礼だと思いながらも彼に尋ねる。

 「本物?」

 「ああ。
  嘘だと思うなら、鑑定して貰えば良い」

 「でも、こんなに……どこで換金すれば?」

 「MGに換えてくれる所なら、どこでも構わない」

どこでも良いと言われるのが、ラビゾーにとっては一番困る。
今の彼には、そんな伝手は無い。
それに金は希少品。
出所の不明な物を大量に換金すれば、何らかの犯罪への関与を疑われる。
その辺りを判っているからこそ、ミードスはラビゾーに頼んでいるのだろうが……。

 「この金は、どこで?」

ラビゾーは金の入手経路を確認せずには居られなかった。
ミードスは堂々と答える。

 「私が作った物だ」

 「そ、それは不味いですよ……」

魔法で貴金属を生成する、所謂「錬金魔法」は、直接人を害する物ではないが、
経済を混乱させる元として、特別条件付きでA級禁断共通魔法に分類されている。
これを売ると言う事は、魔導師会への挑戦と同義だ。
53創る名無しに見る名無し:2012/04/26(木) 20:03:24.52 ID:Dp2l/cQ9
怖気付いて尻込みするラビゾーに、ミードスは溜め息を吐いて、失望を表した。

 「何を今更……全て承知の上で、ここに来たと思っていたが……?
  ノストラサッジオは何と言っていた?」

 「いや、確かに使いを頼まれてくれとは言われましたけど、それが違法な物だとは……」

 「違法……、違法か……。
  違法な物でなければ良いのか?」

 「え、ええ……」

意味深気なミードスの問い掛けに、ラビゾーは不安を感じながらも頷く。
ミードスは徐に両手に嵌めていた軍手を外し、素手を見せた。
ミードスの両手は、白金の輝きを放っていた。
その白金の手には、黒金で怪しい文様が描かれている。

 「そ、その手は……?」

 「私は『金<オーラム>』だ」

 「……ど、どう言う意味ですか?」

 「話せば長くなる――私は旧暦の生まれだ。
  こうなってしまう前は、私は極普通の人間だった。
  いや、今でも心は人間の積もりだ」

そう言って、ミードスは己の過去を語り始めた。
54創る名無しに見る名無し:2012/04/27(金) 19:54:47.64 ID:LENN577p
ミードスは旧暦の貧しい家の生まれだった。
満足な教育が受けられず、成人しても定職に就かず、街をふら付く毎日。
適当に貧乏仲間と連んで掏りをし、罪を見逃して貰う為に、汚職官憲に賄賂を渡して……。
そうやって、その日その日を凌いでいた。
劣等感を感じていた彼は、金さえあれば、金さえあればと、楽して稼ぐ事ばかり考えていた。
ぐだぐだ三十路を手前に控えて、ミードスは漸く、使いっ走りの掏りの毎日に、疑問を覚えた。
何も成せずに死ぬのが無性に怖くなり始め、焦り出したのだ。
何かを成すには大金が必要であるとの、貧しさ故の思い込みから、金を求める心は、
日に日に大きくなる一方だった。
せこい掏りで小金を稼ぐのではなく、大事件でも起こして一発当てなければ、自分は何の価値も無い、
貧乏人の儘で人生を終えるのだと、半ば強迫的な観念に囚われて怯えていた。
55創る名無しに見る名無し:2012/04/27(金) 20:11:39.03 ID:LENN577p
ある日ミードスは、1人の老人から財布を掏った。
彼が魔法使いとは知らずに……。
あっさり掏りを見抜かれたミードスは、何故財布を盗んだのかと、その魔法使いに問い詰められ、
人間らしく生きる為には、どうしても金が必要だと答えた。
魔法使いはミードスに言った。

 「金さえあれば、人間らしく生きられると言うなら、お前に『金<オーラム>』の力を授けよう。
  あらゆる物を『金製<ゴールド>』に変える力だ」

そして――ミードスは魔法使いから、黄金の手を授けられた。
触れた物を金製に変えるばかりか、自らの身をも蝕む、破滅の手を……。
初め、それを知らなかったミードスは、調子に乗って誰彼構わず黄金の手を披露し、
あらゆる物を『金製<ゴールド>』に変える魔法使いとして、有名になった。
今まで自分を蔑んでいた者や、同じ掏り仲間までも、急に自分に阿る様になった為、
ミードスは浅ましい欲望の目に嫌気が差し、人間不信に陥って、距離を置く様になった。
それから間も無く、金市場の独占を企む地下組織に、身を狙われる様になる。
遂に組織に拘束されたミードスは、軟禁状態で金貨を生み出し続ける毎日に堪えられなくなり、
脱走しようとした。
所が、その途中で見張りに発見され、矢で心臓を射抜かれてしまう。
しかし、ミードスは死ななかった。
血の一滴も彼の体から失われはしなかった。
『金<オーラム>』は腐蝕しない。
不朽にして不変、失われる事の無い輝きは、永遠の象徴。
『金<オーラム>』の力を授かったミードスは、不死身になっていたのだ。
ミードスは背に矢を浴びながらも、組織から逃げ果せた。
56創る名無しに見る名無し:2012/04/27(金) 20:12:46.00 ID:LENN577p
だが、この時点では未だ、ミードスは魔法使いの言葉の意味を、真に理解していなかった。
寧ろ、不死身になった事に、感謝していた有様だった。
その後、誰も自分を知らない土地に移り住んだミードスだったが、更なる困難が彼を襲う。
月日が経つに連れて、ミードスから生物らしさが失われて行くのだ。
身体がゴールドになった事で、痛覚ばかりでなく、味覚も鈍くなり、何を口にしても、
美味いとも不味いとも感じなくなった。
それに伴って、情動の浮き沈みも少なくなり、生の喜びが見出せなくなった。
毎日が退屈になって、この儘では良くないと言う焦燥感だけが残り、何時しか彼の心は、
貧しい暮らしをしていた時代に、すっかり戻ってしまっていた。
そうなって初めてミードスは、あの時に魔法使いが怒っていた事を、悟ったのである。
魔法使いは善意でも憐れみでもなく、戒めの為にミードスに黄金の手を与えた。
金が無くて人間らしい生活を送れないと言ったから、金を呉れてやる代わりに人間らしさを奪ったのだ。
これを知ったミードスは、逃亡生活を続けながら、魔法使いを探した。
この忌々しい呪いを解いて貰う為に。
57創る名無しに見る名無し:2012/04/28(土) 20:13:09.30 ID:Evu9zd23
幾つもの国を跨ぐ、何年もの旅の末、ミードスは遂に、自分をゴールドに変えた魔法使いを探し当てた。
呪いを解けと脅しに掛かる彼に、魔法使いは冷徹に出来ないと告げた。

 「人は死ねば土に還るが、土塊からは人は造れぬ。
  命を生むのは、命以外に無い」

一番の問題は、自らの非を認めないミードスの態度にあったのだが、彼に自省する余裕は無かった。
しつこく戻せ戻せと縋るミードスに、魔法使いは言う。

 「お前は金さえあれば人間らしく生きられると言った。
  お前の望み通りに、私は金を与えた。
  その金で人間らしく成すべき事を為せば良かろう。
  金さえあればと言ったのだ、出来ぬ筈が無い」

成すべき事を為せ。
ミードスが答えに窮している間に、魔法使いは姿を消した。
ミードスは初めて、これと言った明確な人生の目的が、自分には無い事に気付いた。
人間らしく、人間らしくと、尤もそうな事を吹きながら、その実、彼は他人より贅沢に暮らす為に、
金を求めていたのだ。
成すべき事等、初めから無かった。
58創る名無しに見る名無し:2012/04/28(土) 20:13:53.69 ID:Evu9zd23
ミードスは自分が何を成すべきなのか、旅を続けながら考えた。
過去の自分は何を以って、人間らしさと言っていたのか……。
金を得て、普通に暮らす分には困らなくなったが、満足感は無い。
大金を振り撒いて贅沢する気も、全く起きない(既に散々やった後である)。
人間らしさとは何か、その答えが出ない内に、魔法大戦が始まり、旧い世界は終わった。
ミードスは新しい世界で、外道魔法使いとして暮らす事になった。
何百年と経った今では、昔程は悩まなくなったが、それでも時々、人間らしさについて考えると言う。
59創る名無しに見る名無し:2012/04/28(土) 20:14:26.42 ID:Evu9zd23
長いミードスの話を聞いて、ラビゾーは思った。

 (……やっぱり違法じゃないか?)

ミードスが金から造られた人間なら、その金は違法か違法でないか、判断は難しくなるが、
生物質を金に変えられたのなら、それは魔法による金の生成である。
ミードスの話に思う所は多いが、違法は違法。
誤魔化されてはならないと、ラビゾーは気を引き締めた。

 「ミードスさん……お話を聞いた限りでは、どうも自然金ではなさそうなのですが……?
  体質の特殊さは解りましたけど、呪いとか魔法による金の生成は、専門家が調べれば、
  痕跡が見付かってしまう物なんです。
  自然金は流通が認められますけど、そうでない金は魔導師会に許可された物でないと……」

 「成る程。
  危険で引き受けられないと言うのだな?」

 「はい」

ミードスは思案する。

 「今までサッジオが紹介して来た連中は、上手くやってくれていたのだが……」

その呟きから、ラビゾーは嫌な予感を働かせた。
ノストラサッジオは地下組織マグマの世話になっている。
不法な金の取引で得た利益は、その活動資金になっていたのではないだろうか?
何故今頃ノストラサッジオは、自分にミードスの金の現金化を頼んだのか、それが気に掛かった。
マグマと縁を切りたがっているのか、それとも何か別の理由があるのか……。
60創る名無しに見る名無し:2012/04/29(日) 19:35:16.75 ID:6Gi6HLA5
どんな訳があるにせよ、ここで幾ら考察した所で、予測の域を出はしない。
ラビゾーは違法でさえなければ、ミードスの頼みを聞いても良いと思っている。
ノストラサッジオの期待を裏切りたくない気持ちもある。
彼の心境は複雑だった。
ラビゾーはミードスに尋ねた。

 「……どうしてMGが必要なんです?」

それが邪な目的でない事を、確かめる為だ。
尤も、邪な目的があったとして、正直に話す者は居ないだろうが……。

 「どうしてって、MGが無いと不便だろう?
  幾らゴールドでも、飲まず食わずでは居られないし、多くの面倒事も避けられる。
  人並みに生きたいと思えば必要になる物だ」

体が金になっても腹は空くのかと、ラビゾーは変に感心した。
だとすれば、消化器官や排泄は、どうなっているのか……?
横道に逸れ掛かる思考を戻し、ラビゾーは続けて尋ねる。

 「今までは、どうやって換金していたか、分かりませんか?」

 「さあね」

然して考えた風も無く、あっさり答えるミードスに、ラビゾーは脱力した。

 「いやいや、もっと真面目に考えてくださいよ。
  MGが手に入らなくて困るのは、僕じゃなくてミードスさんですよ」

 「良いさ、サッジオに新しい奴を寄越す様に言うから」

 「そ、そうですか……。
  では、僕は失礼します……」

結局、ラビゾーは何もせずに、ミードスの住家を後にしたのだった。
61創る名無しに見る名無し:2012/04/29(日) 19:37:19.01 ID:6Gi6HLA5
――ティナー市に戻り、ノストラサッジオの元に帰ったラビゾーは、そこで事の顛末を説明した。
ノストラサッジオは不快と失望を露にし、彼に告げた。

 「お前は何と愚かな奴なんだ……。
  黙って言われる儘にしていれば良かった物を」

 「いや、でも、危ない仕事は御免ですよ」

 「口賢しいぞ。
  選べた立場か!」

言い訳を許されず、ラビゾーは項垂れる。
ノストラサッジオは大きな溜め息を吐いて、気を落ち着けた。

 「アラ・マハラータが苦労する筈だな。
  全くの愚鈍でないのが、尚悪い……。
  ――否、的確な助言が出来なかった私の所為でもあるか……。
  鈍ったな。
  こんな様では予知魔法使いを名乗れん」

ノストラサッジオは独り言を繰り返し、悩まし気に額を押さえる。
散々な言われ様に、ラビゾーは返す言葉も無く黙っていた。
62創る名無しに見る名無し:2012/04/29(日) 20:09:00.25 ID:6Gi6HLA5
暫し後、ノストラサッジオは徐に顔を上げ、ラビゾーに問う。

 「ラヴィゾール、ディアス平原を知っているか?」

 「……ええ、聞いた事はあります。
  金の産地だった――」

ラビゾーの答えを全て聞き終えない内に、ノストラサッジオは自ら語り始める。

 「面白い事を教えてやろう。
  魔法大戦後、天変地異に巻き込まれたミードスは、今のディアス平原で目覚めたそうだ」

直ぐには、ノストラサッジオの意図が解らなかったラビゾーは、間抜けに訊き返した。

 「はい?」

 「ディアス平原は金の産地、……そうだな?」

はっとして、ラビゾーは息を呑む。

 「まさか――」

 「……だから愚かだと言ったのだ。
  余計な知恵ばかり働かせおって」

 「そ、それが本当なら、ディアス平原で採れた金は――全部?」

 「ああ、魔導師会にも見分けは付くまいよ。
  今まで通りな」

ノストラサッジオは不敵に笑う。

 「解ったら行け」

ラビゾーはミードスの元へ蜻蛉返りした。
63創る名無しに見る名無し:2012/04/30(月) 19:26:55.82 ID:5552Pji0
しかし、堅物のラビゾーは、本当に心の底から納得してはいなかった。
本物と見分けが付かなければ、良いと言う物ではない。
金の流通量が大幅に変化すれば、経済的な混乱が引き起こされる。
ノストラサッジオとて外道魔法使い。
それを企んでいない保証は無い。
だが、その場で直ぐ、こうした問題に気付ける程、この日のラビゾーは感が冴えていなかった。
下衆の後知恵と言う奴である。
それに、仮に気付けていたとしても、ノストラサッジオに邪心の有無を直接問える程の度胸は、
彼には無かっただろう。
途中で引き返して尋ねても、愚図扱いされるのが落ち。
ラビゾーは取り敢えずカジェル町に向かい、懸念はミードスに伝える事にした。
64創る名無しに見る名無し:2012/04/30(月) 19:29:02.33 ID:5552Pji0
カジェル町のミードスを再び訪ねたラビゾーは、彼にノストラサッジオとの遣り取りを話して聞かせ、
自分が砂金を換金しに行く旨を伝えた。
そして、その代わりに――最後の確認として、ミードスに共通魔法社会を混乱させる意図が無いか、
念を押す様に尋ねた。
ラビゾーの心配そうな顔を見て、ミードスは苦笑する。

 「換金して貰いたいのは全部で1000万MG程度だ。
  大陸の金市場は何百兆と言う規模……加えて、毎年何兆もの純金が、新しく流入している。
  高々数千万増えた位で、経済が混乱すると思うのか?
  フフン、物知らずだな」

心配無用だとミードスは余裕を見せたが、それでもラビゾーの表情は晴れない。
ミードスは内心で彼を、面倒な奴だと思った。
しかし、今の所は現金に困っていないとは言え、ラビゾーの代わりの者が、何時訪れるか判らないので、
今換金して貰えるなら、して貰いたいのが、ミードスの本音。
一々ノストラサッジオに依頼しに行くのも、億劫だった。

 「第一、そんなに頻繁に換金を頼んではいない。
  前回換金して貰ったのは、10年位前だった。
  大金が必要になる生活をしている訳ではないからな。
  その程度で十分なんだ」

ラビゾーは、変わらず無言である。
長く目を閉じ、顔を顰めて、思惟している様を面に出してはいるが……。

 「……昨日の今日出会ったばかりで言うのも何だが、信用してくれ」

 「分かりました」

「信用してくれ」――その一言を受けて、ラビゾーは漸く頷いた。
その通り、「漸く」ではあるが、もっと渋られるかと予想していたミードスは、拍子抜けする。
ラビゾーが欲していたのは、これから良くない(と自分が思っている)事をする為に、
本の少しの罪悪感を打ち消す、明確な依願の言葉。
独自の価値観に基づく行動は、他人には理解し難い物であった。
65創る名無しに見る名無し:2012/04/30(月) 19:29:30.31 ID:5552Pji0
こうして砂金を受け取ったラビゾーだったが、どこで換金すれば良いか、彼には分からなかった。
金の取引に応じてくれる所は少ない。
大手の取引所に行けば、やはり出所を疑われる。
ラビゾーは散々迷った末、再び助言を受けに、ノストラサッジオの元へ向かった。
ノストラサッジオは、本物の愚図を見る目でラビゾーを睨んだが、下手をされるよりは良いと考え直し、
敢えて説教はせず、非公式取引所に行けば良いと教えた。
その通りにラビゾーはティナー市内の非公式取引所で、砂金をMGに替えようと試みたが、
一度に換金しようにも、1000万MGもの大金を持ち歩いている者は、そうそう居ない。
その為、彼は各地の非公式取引所を巡って、数十万〜数百万MGずつ換金しなければならなかった。
旅商ラビゾーの誕生である。
66創る名無しに見る名無し:2012/04/30(月) 19:31:22.12 ID:5552Pji0
さて、結構な手間を取られながらも、無事に全ての金の現金化を済ませたラビゾーは、
約束通り、それをミードスに渡しに行ったが、異様に驚かれる事になった。
ラビゾーがミードスに渡した金額は、約2500万MG。
依頼した額の倍以上である。
ラビゾーが商売上手だった訳ではない。
偶々良い目利きに出会い、鑑定して貰った結果、上質な物と言う事で、高く売れたのだ。
いや、ミードスが最初に1000万MGと言ったのは、低目の見積もりである。
予定より高く売れても、彼は何ら驚かない。
では、何に驚いたのかと言うと、2500万MGもの大金を得たのに、ラビゾーが何一つ誤魔化さず、
御丁寧に領収書まで添えて、正直に報告して来た事に驚いたのだ。
正直ミードスは、1000万を越えた分は、黙って懐に仕舞われても、見過ごす気でいた。
……それだけでは済まず、ラビゾーは内1割の報酬でも多過ぎると言って、幾らか預かって欲しいと、
逆にミードスに依頼する有様。
ミードスはラビゾーに尋ねずには居られなかった。

 「金が惜しくないのか?」

 「僕は未だ未だ旅を続けないといけませんから。
  余り大金を持ってると逆に不安で……。
  ここまで来るのも結構怖かったんですよ」

ミードスは、世の中には変わった者が居る物だと、改めて思った。
67創る名無しに見る名無し:2012/05/01(火) 21:13:10.30 ID:Ze4e2UpZ
悪事を働くと言う事は、そう難しい事ではない。
過つは人の常なり。
その意志の有無に関わらず、私達は何時でも罪を犯す可能性に脅かされている。
何気無く放り投げた小石が、道行く人に当たろう物なら、即ち罪。
罪とは人生の通り道に仕掛けられた罠。
罪は浅慮から最も多く生まれ、軽率な者は見えている落とし穴に嵌まる。
心して生きよ。
だが、罪を犯さずに済んでいる者は、心根が清いのではなく、幸運なのでしかない。
心優しく、情に厚い程、人は過ちを犯さずには居られなくなる。
何故なら、我が罪逃れから、罪を許す事も、また罪なのだから。
罪を許せと言うは、罪を負えと言うに同じ。
過ちは、消せぬが故に、過ち。
68創る名無しに見る名無し:2012/05/01(火) 21:14:41.77 ID:Ze4e2UpZ
「……――と言う訳で、彼は無事に罪を犯したよ」

「結構、大いに結構」

「果たして、どうなのかな?
 実害は無に等しいとは言え、共通魔法社会に対する、明確な反逆行為に加担したんだ。
 嗾けた私が言うのも何だが、この様な形で帰る場所を奪うのは、些か気が咎める。
 彼には元の生活に戻る選択もあっただろうに……」

「戻ろうと思えば、何時でも戻れる」

「言葉を返す様だが、あの性格からして、それは無理だろう」

「その為の試練だ」

「……期待は出来ない。
 彼は苦しみ続けるだろう」

「予知か?」

「予想だ。
 気に掛かるなら、貴方自身の手で導くべきだろう」

「それでは行かん」

(これは相当な入れ込み様だな。
 らしからぬ……何故そこまで?)

「どうした?」

「……いや、別に。
 彼は良い使い走りになれる。
 利用させて貰うよ」

「結構、結構」
69創る名無しに見る名無し:2012/05/01(火) 21:15:12.20 ID:Ze4e2UpZ
一度罪を犯せば、二度目三度目には抵抗が薄まる。
そうして人は罪に侵されて行く。
人の罪を許すのは優しさだが、己の罪を許すのは惰性である。
人は知らず知らず深みに嵌まって、終には後戻り出来ない所まで踏み込んでしまう。
心に壁を作りなさい。
深みに嵌まらない内に、そこから引き返せる様に。
70創る名無しに見る名無し:2012/05/02(水) 19:45:01.02 ID:5QYYBOM4
蘇る宗教


ティナー地方西部を縄張りとするシェバハは、一般にマフィアと呼ばれる集団が持つ「掟」を越えた、
独自の「戒律」と「教義」を持つ為に、ティナー地方の他の地下組織とは一線を画す。
魔導師会に忠誠を誓っている(が、言う事は聞かない)為に、一般的な認識は、
「暴走する魔導師崩れ」だが、実態は大きく異なる。
シェバハは八導師を神格化した伝承の支持者で、宗教色が強い。
魔導師会は八導師の神格化を、快く思っていないが、一般に知られている魔法大戦の伝承を、
明確に否定はしない。
八導師は魔法大戦を制し、崩壊した世界を蘇らせた。
事実として認められている、その偉業は、十分に信仰の対象となり得る。
シェバハは伝承を最大限に解釈して、次の様に伝えている。
71創る名無しに見る名無し:2012/05/02(水) 19:46:06.96 ID:5QYYBOM4
今の世界は、八導師を始めとする、共通魔法使いの生き残りによって創られた。
我々全ての人間の存在は、八導師の温情の下にある事を、忘れてはならない。
八導師は寛大な心で、美しい善人ばかりでなく、醜い者、弱い者、悪人の魂すらも、存在を許された。
魔導師会は、八導師の教えを忠実に守り、魔法秩序の番人となっている。
全ての人間は、共通魔法によって生まれた事、そして共通魔法社会の一員である事を自覚して、
八導師と魔導師会に感謝し、よく生きる様に努めなくてはならない。
外道魔法使いは、その恩恵に与りながら、思想を改めないが故に、外道と呼ばれる。
共生の意思無く、社会の脅威であり続ける者達の存在を許してはならない。
72創る名無しに見る名無し:2012/05/02(水) 20:23:38.46 ID:5QYYBOM4
この伝承は組織内で秘密裡に伝えられている物で、シェバハの構成員は絶対に口外しない。
その理由は、魔導師会が八導師の神格化に、肯定的な反応を示さないからである。
シェバハと言う組織は、秘密を共有する事によって、全体を取り纏めている。
その形態は、ある種の秘教に近い。
一種の宗教的秘密結社とも言える。
シェバハの構成員になる者は、所謂「魔導師崩れ」の中でも、犯罪を嫌悪する者が多い。
シェバハの創設者は1人の民間人であり、組織の誕生は復興期にまで遡る。
当時、盗賊として名を馳せていたイシュバール・ジャファは、初代八導師の一、オッズと出会い、
魔法大戦の事を教えられ、己の愚かしさに気付いて改心したと言う。
イシュバールは手下を使って、未だ数が少なかった魔導師の代わりに、周辺の治安維持活動を行った。
それが後に、シェバハになったと伝えられている。
しかし、時期が時期だけに、その正確さは疑われる。
治安が安定しない復興期に、盗賊団は珍しくなかったが、元々マフィアの様な性質を持っており、
拠点付近の治安こそ守る物の、遠くの町を襲撃しに遠征を繰り返していた。
魔導師会(魔法啓発会)は、そうした盗賊団を退治していたが、八導師が出向いた例は少なく、
あっても八導師の座を退いた後で、自ら八導師とは名乗らない。
それに、魔導師会と出会った盗賊団は、例外無く解散させられ、失職した元盗賊団のメンバーが、
治安維持活動に従事する様になる例は多数あったが、治安維持組織の管理者には魔導師が付いて、
根拠が不明な独自の戒律を残す事は、絶対に許されなかった。
以上の理由から、シェバハは開花期になってから、急速に拡大した無法活動を取り締まる為に、
敢えて法を冒す物として誕生したと見るのが、一般的である。
73創る名無しに見る名無し:2012/05/03(木) 20:39:56.34 ID:HUk9onll
占い


唯一大陸で占いと言えば、魔法色素による色占いが有名である。
色占いとは、魔法色素から人柄や悩みを言い当て、生活上の助言を与える物(血液型占いに通じる)。
赤、青、緑、黄、紫、水色と白の7色で、黒は除外される。
占いと言っても、カラーイメージを人に当て嵌めたに過ぎないので、根拠は無に等しい。
こう言った迷信や小呪いの類を、魔導師会は快く思っていないが、殆ど無害なので、見逃されている。
魔導師になる者は、こんな物を信じていてはいけないと言われており、余り熱を上げている様だと、
魔法学校では成績評価に−が付く。
各色の評価は以下の通り。
74創る名無しに見る名無し:2012/05/03(木) 20:42:21.77 ID:HUk9onll

・活発で情熱的。
・集中力が高い。
・人を引っ張る率先型。
・何に於いても積極的。
・対抗意識が強い。
・感情が表に出る。
・理想主義。
・熱くなり易く、後先を考えない。
・信念を持って、主張すべきは主張する。
・努力家で克己心が強い。


・余り活発ではない。
・持続力に長ける。
・冷静沈着で状況判断に優れる。
・基本的に慎重。
・人の干渉を嫌う。
・他人のリスクを負う事を嫌う。
・実利実物主義。
・俄と流行が嫌い。
・好き嫌いは激しいが、それを表に出さない。
・赤の反対で、補完の関係にあるが、反りは合わない。


・穏やかで争いを好まない。
・融和を第一に考える。
・押しに弱い。
・人に共感し易い。
・親切で面倒見が良く、気遣いが出来る。
・利他的。
・進んで表に立ちたがらないが、内向的ではない。
・人柄が良く、誰とでも上手に付き合える。
・安全主義で、小さな危険でも避けたがる。
・堅実で着実な方を好む、実直型。
75創る名無しに見る名無し:2012/05/03(木) 20:44:36.61 ID:HUk9onll

・明朗快活。
・気分屋で、熱し易く、冷め易い。
・やや無責任。
・良くも悪くも空気が読めない。
・物怖じしないが、赤とは違い、単に鈍感なだけ。
・好き嫌いが多く、それを表に出す。
・好き嫌いの変遷が激しく、興味の無い物には見向きもしない。
・意見をよく言い、人が思い付かない事をするが、整理集約は下手。
・自分を生かしてくれる人を慕う。
・勢いに乗るのが上手い。
・よく失敗するが、立ち直りは早い。
・新しい物好き。


・自尊心が強い。
・完璧主義。
・見栄を気にする。
・名誉を重んじ、不名誉を嫌う。
・嫉妬深く、独占欲が強い。
・欲望に忠実で、計算高い。
・野心が大きい。
・これと決め込むと一途で、執念深い。
・裏切りは許さない。
・昔の事に拘る。
・一度落ち込むと、立ち直りが遅い。
・人の使い方に長ける。


・何事にも淡白で、深入りしたがらない。
・臆病で心配性。
・流動的で、落ち着きが無い。
・軽い付き合いを好む。
・やや消極的。
・観察眼に優れる。
・客観的な物の見方が出来る。
・場の流れに敏感。
・自己主張が苦手。


・神秘主義。
・人と違う事を嫌う。
・注目される事を嫌う。
・表向きは保守的な反面、革新的な物に憧れを抱く。
・探究心が強く、真実に拘る。
・諦めが早い。
・高い理想を持ちながら、現実に疲れている。
・虚無主義の気がある。
・警戒心が強い。
76創る名無しに見る名無し:2012/05/03(木) 20:45:32.32 ID:HUk9onll
何にしてもカラーイメージが先行しており、実体験に基づいた物でも、統計を取った物でもない。
よって、当てにはならない……と言うか、当てにしてはならない。
グラマー地方やエグゼラ地方では、こう言った占いや小呪いの類を信じるか信じないかで、
社会的信用が大きく変わる。
影響され易い者は、冷静な判断が出来ない者として、蔑まれる。
一方で、ボルガ地方やカターナ地方では、所謂「験担ぎ」の儀式を、慣習として好んで行う所が多い。
ブリンガー地方や、ティナー地方では、グラマー地方程の嫌忌感は無いが、全体としては、
余り好まれない傾向にある。
77創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 20:26:40.32 ID:IdQCLcDc
ラブ・ロマンス


第四魔法都市ティナー中央区 ティナー中央市民会館にて


この日、ティナー中央市民会館の大ホールでは、マリオネットによる演劇が行われていた。
午後の部は、ボルガ地方クイ村の民話を元にした、愛の物語。
題は「Discard a virtue」……訳せば「美徳を捨てる」と言う意味になる。
78創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 20:32:10.29 ID:IdQCLcDc
ラビゾーは約束の為に、バーティフューラーと、この劇を見に来ていた。
平日の昼間なので、ホール内に人は少ない。
明かりが落とされ、ホール内が徐々に暗くなると、舞台に照明が集中する。
ラビゾーの左隣に座っているバーティフューラーは、左脚を上に高く組んで、体を右側に預けた。

 「行儀が悪いですよ、バーティフューラーさん」

しかし、それの意味する所が理解出来ないラビゾーは、穏やかに彼女を窘める。
バーティフューラーは憮然として姿勢を正し、演劇を観賞した。

 「昔、昔、ボルガ地方のクイ村に――」

ナレーターが静かに語り始めると……、

 「アロガと言う、美しい女と――」

 「シンシロと言う、醜い男が居りました」

紹介に合わせて、役者(人形)が登場し、軽い辞儀をする。
人形なので、人に似せてはいるが、人その物ではない。
女の人形には確かに妖しい美しさがあるが、人間の魅力とは違う。
男の人形は余り不細工には見えない。
醜いとは飽くまで設定上の話だが、あらましを知っているラビゾーは、「醜い」の意味が誤解されそうだと、
要らぬ心配をした。
それに元の話には、この男女の名前は記されていない。
お話の都合上付けられた、仮名である。
アロガはarrogantより、シンシロはsincereより。
ラビゾーは予習を欠かさない。
79創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 20:34:15.34 ID:IdQCLcDc
劇中、冒頭から美しい女アロガは、醜い男シンシロを罵る。

 「何と醜い顔でしょう。
  潰れた鼻は徳の低さの象徴でしょうか?
  すると、大きい口は貪欲の証?
  それとも口性無い下品さの現れ?
  なのに、そんな大きい顔をして、厚顔無恥とは貴方の事」

時代掛かった口調なので、然程きつくは感じられないが……。
どんなに刺々しい言葉を打つけられても、シンシロは怒らない。
人形だから怒れないのではなく、そう言う話なのだ。
金持ちで美しいが、鼻持ちならない女と、見目悪いが、心優しく剛直な男の対立。
アロガは、賤しい男を金と美貌で釣って、犯罪紛いの事をやらせ、弱い立場の者を苦しめて悦しむ。
その悪行を、シンシロは何度も諌め、止めようとする。
しつこい彼に、アロガは益々向きになって、より苛酷で容赦の無い言葉を浴びせる……。
その度に、バーティフューラーは無言で、ラビゾーの顔を見詰めた。

 「な、何ですか……?」

ラビゾーが反応すると、バーティフューラーは何事も無かったかの様に、視線を逸らす。
彼女の真意が掴めず、ラビゾーは何とも不安な気持ちになった。
80創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 20:42:39.17 ID:IdQCLcDc
話は進み、物語は終盤。
正論で訴え続けるシンシロに対して、当て付ける様に、アロガは非道と悪行をエスカレートさせ、
やがて彼女は誰からも相手にされなくなる。
止めに、自らの悪業が原因で、彼女の家は没落した。
過去の報いを受け、誰もアロガを見放した。
アロガは自暴自棄になり、自ら命を絶とうとする。
しかし、シンシロだけは彼女を見放さなかった。
彼は懸命に説得した。

 「過ぎた事は終わった事です。
  これから真面目に生きましょう」

 「無理よ、無理。
  貴方は忘れても、他の人達は忘れてくれない。
  もう戻れないの」

 「そんな事は――」

 「どうして私なんかに構うの?
  私は貴方に酷い事ばかりしたのに!
  同情なら放って置いて!」

マリオネット演劇でも、声を当てているのは人である。
人形の動きと完全にシンクロした、迫真の演技に、観客は息を呑む。
ラビゾーは、隣のバーティフューラーが舞台に集中しているのを、横目で確かめて、小さく安堵した。
81創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 20:46:11.07 ID:IdQCLcDc
ここで醜い男シンシロは、美しい女アロガに告白する。

 「……同情なんかじゃない。
  私は君が好きだった。
  だからこそ、罪を重ねて欲しくなかった。
  皆の心が君から離れて行くのが辛かった」

勇気を振り絞り、敬語を止めて、思いの丈を打ち明ける。

 「は?
  ……好き?
  今でも?」

 「今でも」

 「フン、私の何に惹かれたと言うの?
  貴方の様な人が、こんな私の何を好きになるの?
  この顔?
  この髪、この肌?
  だったら――」

アロガはナイフを取り出して、その柄をシンシロに向けた。

 「私の顔に傷を付けて。
  罪の証として、二度と消えない位、深い刻印を。
  そしたら私、貴方の物になるわ」

当然、シンシロは反対する。

 「そんな事をしても、何にもならない。
  落ち着いて、冷静になってくれ」

 「いいえ、私は冬の星空の様に冷静よ。
  貴方にとっては……いいえ、他の誰が見ても下らない事でも、私にとっては大事な事。
  貴方が生涯、私を愛せると言う証拠が欲しいの。
  今の私には、この顔しか誇れる物が無い。
  もし貴方が私の容姿だけを愛しているなら、そんな愛は要らないわ」

アロガの剣幕に気圧されて、シンシロは黙り込んでしまう。
82創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 21:00:29.64 ID:IdQCLcDc
その反応に、アロガは気が狂れた様に高笑いした。

 「アハハハハ、出来ないでしょう!?
  出来る訳無いわよね!
  貴方にとっては、何の利益も無い事!
  美しさを失った私に、価値なんて無いもの!」

シンシロは必死に反論する。

 「私に愛する人を傷付けろと言うのか?
  君の言う通り、そんな事、出来る訳が無い。
  そんなに私が嫌いなら、そう言ってくれ!!」

アロガは急に落ち着いた声で答えた。

 「いいえ、誤解よ。
  私は、貴方が私の為に、貴方の大切な物を失う覚悟があるか、それを確かめたいの。
  貴方が誇り高く、清潔な精神の持ち主だと言う事は、知っているわ。
  でも、私の顔に傷を付ければ、皆は貴方の事を何と言うでしょうね……?
  貴方が私の侮辱に耐え続けられたのも、貴方に『誇り』があったから。
  私は、それが疎ましくて……いいえ、本当は羨ましくて、仕方が無かった。
  こんな私の為に、貴方は自分の『誇り』を捨てられる?
  今まで貴方が築いて来た、信用や名誉を失う事になってまで、私を欲してくれる?」

アロガの言い回しは、意地が悪い。
どう転んでも、シンシロには良い事が無い。
シンシロは何も言う事が出来ない。
しかし、数極の逡巡後、シンシロはアロガの手を取り、ナイフを奪った。

 「私が君を追い詰め、誤らせたのか……」

そして、そう小さく呟いた後、穏やかな声で、アロガに言う。

 「解ったよ。
  宣言しよう、君は私の誇りを捨てるに値する。
  それを行動で示そう……――」

そして舞台の照明が落ちる。
83創る名無しに見る名無し:2012/05/05(土) 21:02:49.10 ID:IdQCLcDc
再び明かりが点いた時には、主役の2人の姿は無く、代わりにクイ村の婦人等が噂話をしている。

 「見た?
  あの女、顔に大きな×(十字)傷!」

 「見た見た!
  何でもシンシロに付けられたとか」

 「あのシンシロが?
  想像出来ない!」

 「そうそう、幾ら肚に据え兼ねたと言ってもねぇ……。
  あれだけの傷が残るって、相当深く抉らないと。
  ま、良い気味だとは思ったけどさ」

 「でも本当に、信じられないわ。
  弱った所で復讐するなんて」

 「シンシロも聖人ではなかったって事でしょうよ」

 「……でさ、あの女、シンシロに責任取らせて、結婚するんだって。
  只では転ばないって奴?」

 「ああ、そう言う事……。
  やれやれ、全く馬鹿だね。
  そんな見え透いた手に掛かるなんて、あの家は大丈夫なのかしら?」

無責任に面白可笑しく陰口を叩く婦人達。
再び暗転の後、場面が切り替わって、主役の2人が現れる。
台詞の1つも無く、椅子に腰掛けているシンシロと、その側で慎ましく紅茶を淹れるアロガの姿。
アロガの顔には、眉間で交差して、頬にまで掛かる、派手な×印の傷。
そして緞帳が下り、劇は終わる。
84創る名無しに見る名無し:2012/05/06(日) 18:31:49.80 ID:LnoXqXlx
終劇後、バーティフューラーは真面目な顔をして、何事か考え込んでいた。
ラビゾーは、この演劇を彼女が気に入ったか、それだけが気になっていた。
彼は解説を求められた時に備えて、脳内で演劇の批評を考える。
人物の心情を語るのは良いが、少々饒舌に過ぎないか?
独自解釈が多分に盛り込まれている分、原話と齟齬が生じていないか?
元はボルガ地方の復興期の話なのに、小道具を現代の風習に合わせているのは如何な物か?
――ラビゾーの異性との交際経験の浅さが知れる思考である。
そんな所に注目するのは、どう考えても一般的ではない。
楽しく会話を盛り上げる事は出来ないだろう。
批評で無駄な知識を披露するより、大人しく素直な感想を言い合う方が良い。
85創る名無しに見る名無し:2012/05/06(日) 18:34:54.11 ID:LnoXqXlx
ホールから出ると、バーティフューラーは思い詰めた表情で、ラビゾーに尋ねた。

 「……ねェ、ラヴィゾール。
  アンタはアタシの顔に傷を付けられる?」

明らかに劇の影響を受けた発言に、ラビゾーは驚いたと同時に、少し嬉しくなった。
それは何か心に響く物があった証拠。
前回の様に、詰まらない、下らないと一蹴されるよりは、誘った甲斐がある。
もし今回も不評だったら、彼はマリオネット演劇に、良くない記憶を持ち続ける事になっていただろう。

 「そんな、無理ですよ」

ラビゾーが素直に答えると、バーティフューラーは不機嫌になる……と思いきや、彼の予想に反して、
彼女は俯いていた。

 「……アタシを愛してはくれないのね」

拗ねた様に、冗談とも本気とも付かない台詞を口にする。

 「少なくとも今は、誰かと付き合うなんて考えられませんよ。
  何もバーティフューラーさんに限った事じゃありません」

ラビゾーは申し訳無さそうにフォローした。

 「じゃあ、何時になったら?」

 「……僕の魔法が見付かったら、その時は――」

 「それって何年、何十年後?
  悠長な事言ってると、アタシどっか行っちゃうよ?
  居なくなってから気付いたって、遅いんだからね」

ラビゾーは何も答えない。
そんな脅しが通用しない事は、バーティフューラーが誰より知っている。

 「何とか言ったら?」

 「……寂しく、なりますね」

ラビゾーの呟きには、悲しい響きがあった。
それはバーティフューラーにとって、全く予想外の反応だった。
86創る名無しに見る名無し:2012/05/06(日) 18:36:41.99 ID:LnoXqXlx
無神経なラビゾーの事だから、「勝手にして下さい」とか「僕は別に良いですよ」とか、
色気の無い答えが返って来ると、彼女は思っていた。
或いは、答に窮して苦笑したりと、煮え切らない態度を取られるか……。
それが遠い目をして「寂しい」と言われると、反応に困ってしまう。
だが、ラビゾーはバーティフューラーの言葉を素直に受け取り、彼女が自分の前から姿を消して、
二度と現れなくなった時を想像して、そう答えたに過ぎない。
彼にはバーティフューラーの本心が判らない。
自分を誘う態度が、果たして冗談でないと言えるのか?
何時も違う男と一緒に居て、適当に遊んでいる風で、その中でラビゾーだけが特別だとは、
彼の視点からでは言い切れない。
バーティフューラーは好むと好まざるとに拘らず、人を誘惑する性質を持っている。
それを最大限に利用するのは、悪い事ではないのだが……。
ラビゾーが彼女を、誘惑の魔法使いだと事を知っているのも、警戒される理由の一だ。
しかし、仮にバーティフューラーが本気だったとしても、自分の魔法を探して旅をしている今、
色恋に現を抜かしている場合ではないと言うのも、嘘ではない。
彼は面倒な男だった。
87創る名無しに見る名無し:2012/05/06(日) 18:45:41.14 ID:LnoXqXlx
「寂しくなりますね」と言ったラビゾーを、バーティフューラーは今少し待つ事にした。
ラビゾーは鈍感で、彼女の好意に気付きつつある物の、確信を持つには至っていない。
それは擬かしいが、心地好くもある。
真意を測り兼ねて、戸惑い、悩む彼を見るのが、愛しく楽しいのだ。
態と曖昧にして、本気と思われない方が、気軽に付き合えて、都合が良いのもある。
本気で愛していると言ってしまえば、肯にしろ否にしろ、もう今まで通りとは行かない。
あれでラビゾーは責任感が強い。
余り答えを急かし過ぎると、不本意であっても、自ら身を引く可能性が高い。
関係は全然進展しないが、現状に甘えていたいのは、バーティフューラーも同じだった。
――魔法使いの一生は長い。
或いは……何も変わらない儘、付かず離れずで居るのも悪くは無いと、彼女は考えていた。
88創る名無しに見る名無し:2012/05/07(月) 19:17:23.55 ID:YFiB698l
魔法暦498年 第一魔法都市グラマーにて


サティ・クゥワーヴァ10歳


幼い頃から、尋常ならざる魔法の才能を発揮していた、クゥワーヴァ家の次女サティ。
彼女にも、人並みに魔法大戦の英雄達に、憧れていた時期がある。
『灼熱の<レッドスコーチャー>』セキエピ、『織天<ヘブンウィーバー>』ウィルルカ、『轟雷<サンダーラウド>』ロードン、
『地を穿つ<アースレッカー>』マゴッド、『鎮まぬ<アナベイテッド>』ミタルミズ、『滅びの<ルーイナー>』イセン、
『気貴き<サラム>』バルハーテ、『朱い<バーミリオン>』ダーニャ、『昏い<ブラインド>』ヨナワ、
そして『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』――……古の大戦と、英雄の物語。
中でも、取り分け心惹かれたのは、『天<ヘブン>』のウィルルカと、『雷<サンダー>』のロードン。
サティが空に関係する物を好んだのには、理由がある。
幼い時分から、己の魔法資質が他者より優れている事を自覚していた彼女には、予感があった。
自分の才能は、この都市、果ては大陸にさえも収まらないだろうと言う、途轍も無い想像である。
幼いサティは、何時か自分も英雄の様になれると、本気で信じていた。
そして懸命に空の魔法を練習したので、その後、それが得意な魔法になった。
とにかく熱心だったので、小規模な範囲で雨を降らせたり、雲を動かしたりして、
魔導師会の執行者に補導された事もある。
常に宙に浮いていたり、大気を操るのが上手かったり、攻撃には何かと雷を使ったりするのは、
当時の名残の様な物である。
89創る名無しに見る名無し:2012/05/07(月) 19:21:01.38 ID:YFiB698l
魔法暦502年、サティ・クゥワーヴァ15歳から


人並みに、15歳で魔法学校中級課程に進んだサティは、2年で魔法学校上級課程まで卒業し、
17歳と言う若年で魔導師になる。
サティが公に「十年に一度の才子」と称され始めたのは、上級課程に進級してから、3ヵ月後。
四半期に一度行われる、最初の定期試験を、完璧にクリアして、年内の魔法学校卒業が、
略確実と見做された後の事である。
彼女は「十年に一度の才子」と言われる様になる前には、別の渾名を持っていた。
その名も『織雲<クラウドウィーバー>』、織雲のサティ。
織天より数段落ちる表現だが、それに準えた高位の称号。
「十年に一度」と言う、使い古された表現より、大戦六傑の一、ウィルルカを意識した渾名を、
サティは気に入っていた。
勿論、自ら名乗る事はしなかったが……。
90創る名無しに見る名無し:2012/05/07(月) 19:33:47.05 ID:YFiB698l
才能のある子なら、普通は一般的な15歳より、もっと早く魔法学校中級課程に進級する。
15歳で魔法学校中級課程に通うのは、十分に公学校で教育を受けさせてからにしたいと、
保護者が望んだか、或いは、一般の人並みである事を、当人が望んだ場合だ。
魔法学校の各課程を修了する年齢は、若ければ若い程、優秀さの証明に繋がる。
過去、「十年に一度の才子」と呼ばれた者の中には、魔法学校の全課程を1桁の年齢で、
クリアした者も居る。
「十年に一度の才子」の称号が与えられる基準は、魔導師になると決まった時、成人前である事……
具体的には、18歳以下。
公学校上がりなら、中級1年、上級2年と言う短期間に、成し遂げねばならない。
それと、常人を遥かに上回る、優れた魔法資質を持っている事。
尤も、「十年に一度」の称号は、魔法学校の一部の者が、勝手に認定して付ける物。
何ら公的な物ではないので、単に「優秀な才能を持った子供」以上の意味合いは無い。
91創る名無しに見る名無し:2012/05/08(火) 19:30:31.78 ID:uk2FIDw2
魔導師の資格試験は、基本的に誰でも受けられるが、魔法学校の卒業試験に比べると、
合格難度は多少高くなる。
魔法学校に通って、真面目に講義を受けていれば、その年の試験官となる教師に、
試験の採点基準や、合格する為の技術的な骨を聞く機会がある。
小さな事だが、これが意外と大きい。
しかし、余程の金持ちでなければ、そう何年も魔法学校には通えないし、かと言って、
学費と生活費の為に仕事を始めると、魔法の勉強に時間を割けなくなる。
魔導師になる積もりなら、若い内にと言うのが世間の常識だ。
新しく魔導師になる者の平均年齢は、26〜27の間。
人数的にも、その前後の年齢で魔導師になる者が、最も多い。
殆どの魔法学校上級課程の生徒は、三十路を越えると、魔導師になるのを諦める。
そこで己の才能に見切りを付けるのだ。
学費の問題で、中には二十歳そこそこで早々に上級課程を中退する者も居る。
また、不慮の事故等で、四半期の試験に遅れると、その年は合格が貰えない。
余りにも仕方の無い事情があるなら、1週内ならば再試験を受けられるが、逆に言うと、
1週を越えてしまうと、如何なる事情があっても、再試験は受けられない。
こんな事を繰り返していると、何年掛かっても魔導師にはなれない。
冗談の様だが、実際に、魔法の実力とは殆ど無関係に、何年も卒業出来なかった例がある。
よって、才能のある者でも、魔法学校に通うのは、出来るだけ若い内からが良いとされる。
92創る名無しに見る名無し:2012/05/08(火) 19:34:38.39 ID:uk2FIDw2
では、何故サティは公学校卒業まで待たねばならなかったのか?
クゥワーヴァ家は裕福な部類に入るし、サティの実力なら、もっと早く魔法学校に入学していれば、
1桁の年齢で卒業出来たかも知れない。
サティは名声に価値を感じていなかった訳ではない。
人並みに功名心があり、承認欲求があった。
しかし、それを止めたのは、他ならぬ父イクターであった。
イクターは並ならぬ魔法資質を持った実の娘を、未だ立ち歩きを覚えたばかりの頃から恐れていた。
物の数え方も知らぬ子供に、理屈で物事を解らせるのは、難しい。
親は我が子の為には、いざとなれば、力尽くで制止せねばならない時もある。
だが、サティを力で抑圧すれば、それ以上の力を以って反逆される事が、目に見えていた。
それ程に、サティの魔法資質は、化け物染みていたのである。
彼女を制御するには、子供特有の強い共感に訴えねばならなかった。
即ち、善くない行いをした時に、悲しい、苦しい、辛いと言った、不快感を抱いていると認識させて、
抑止力の代わりにするのである。
逆に、子供が辛い時には、同情を以って共に悲しむ。
そして、善い行いには、喜びを以って迎える。
喜びと悲しみを分かち合う事で、価値観を共有する。
この方法で、サティは父イクター、母ジャマルの心に触れて、純粋に育った。
93創る名無しに見る名無し:2012/05/08(火) 19:36:37.04 ID:uk2FIDw2
それは思わぬ結果を齎した。
サティは善悪の判断を、共感に委ねる様になったのである。
人には人それぞれの都合があり、立場が違えば、善悪は逆転する。
無闇な共感では、その矛盾を解決出来ない。
それ以上に、善悪の判断が、相手の気分の良し悪しで決まってしまうのは、もっと恐ろしい。
イクターとジャマルが道徳の教育に力を入れ始めたのは、サティが5歳の誕生日を迎えた時。
彼女が公学校に上がる前に、何としても強力な自我と道徳心の形成を急がねばならなかった。
イクターとジャマルの苦労は知れない。
グラマー地方では、女子には慎みが求められる。
それは男子の力が強いから(――実際には、他地方程は男女の体格差は無いのだが……、
憖差が無い分、区別を強調したがるのだろう)。
では、男子の力を上回る女子が生まれたら?
普通は身体が成長するに従って、逆転する筈の力関係が、覆し様の無い圧倒的な魔法資質に、
阻まれてしまったら?
社会的な規則は、時に合理的な解に反する。
その時に、自我に目覚めたサティは、一体どんな反応をするのか……。
公学校を卒業するまで、イクターとジャマルがサティを魔法学校に行かせなかったのは、
公学校教育で社会に触れ、十分に馴染ませなければ、有り余る力の使い方を誤り兼ねないと、
考えた為である。
はっきり言ってしまうと、これまでの家庭での教育方針が正しかったのか、自信が無かったのだ。
94創る名無しに見る名無し:2012/05/09(水) 19:07:40.26 ID:BabSqsj6
イクターの心配は、半分当たって、半分外れた。
先ず、公学校の男子は、サティを相手にしなかった。
男から女に喧嘩を吹っ掛けるのは、恥だと言う風習の為である。
だが、止まらなかったのはサティの方だ。
両親の教育から、素晴らしい道徳心を身に付けたサティは、多少の理不尽には目を瞑っても、
度を超えた時には、男女ばかりか、大人子供の区別も無く反抗した。
自我の弱かった幼少期の、反動と言わんばかりに。
誰も彼も、人並み外れた彼女の魔法資質に怯え、この恐ろしい女子を避けた。
――魔法資質の低い者は、魔法資質の高い者に、威圧感を受ける。
丁度、体格の小さい者が、体格の大きい者と向き合った時と、同じ様な感覚。
酷い時には、強い敵意を向けられただけで、失神してしまう。
それは自分にとって、どれだけ相手が危険な存在かを判断する、本能的な物である。
余り魔法資質が低いと、逆に威圧されないが、殆どの者は大なり小なり影響を受ける。
公学校のクラスで、サティを恐れない者は居なかった。
当然、中には魔法資質が高くない者も、ある程度含まれていたにも拘らず……。
魔法資質が低い者にも、力量差を理解させる程の魔法資質を備えているならば、
それは最早脅威でしかない。
95創る名無しに見る名無し:2012/05/09(水) 19:08:02.65 ID:BabSqsj6
抜き身の刀の様な状態だったサティが落ち着くには、後に師となるプラネッタ・フィーアとの出会いを、
待たなければならなかったが、公学校生活が無意味だった訳ではない。
揺ぎ無い(余りに)強固な自己を確立し、それなりに人との接し方を覚えた意味はあった。
彼女を行き成り魔法学校に通わせなかった、イクターの判断は正しかったと言える。
然もなくば、サティは魔法の才能とは関係無い所で、辛い思いをしまなければならなかっただろう。
それは彼女の魔法学校時代の友人の殆どが、公学校時代からの付き合いだった事からも判る。
厳格で純粋、そして裏表が無い、鋭いナイフの様なサティに近付こうと思う者は、中々居なかった。
また、グラマー地方特有の床しさを良しとする風土もあり、色恋とも無縁であった。
理解者を得ると言う意味でも、公学校教育は有意義であった。
サティは敵に回すと恐ろしいが、味方になれば心強い。
困った時に彼女を頼る者は、少なくなかった。
サティも大抵の事には応じ、級友達の信頼を得て行った。
96創る名無しに見る名無し:2012/05/10(木) 19:44:44.69 ID:9JBPd2AU
人間


この世界で人間は、現人類しか確認されていないが、現人類とは異なる人間も定義されている。
『現人類<シーヒャントロポス>』とは異なる人類は、旧暦の伝承上では、『闇人<ニヒタントロポス>』、
『海人<オケアナントロポス>』、『空人<オラナントロポス>』に大別される。
それぞれ略して、ニヒタント、オケアナント、オラナントと言われる事もある。
或いは、ニクタンス、オーシャナンス、アラナンスとも。
闇人は『夜の人<アントロポス・ニヒタス>』であり、人目に付かない所に隠れ住むと、考えられていた。
『夜の人種<ナイト・レイス>』、『夜の人々<ナイトフォーク>』と呼ばれる事もある。
これには諸説あり、日光を浴びると灰になるとも、醜い容姿から陽の下を嫌っているとも、
その正体は地底人であるとも言われていた。
同時に、人目を忍んで悪事を働く者――例えば、夜間強盗や路地裏で恐喝を行う者、
他には夜行性の害獣を指す隠語でもあった。
全体的に良くないイメージである。
海人は『大洋の人<アントロポス・オケアノス>』であり、深い海中、大海原、小さな孤島、岩礁に住むと、
考えられていた。
解り易く言えば、『人魚<マーフォーク>』、『半漁人<オアンネス>』の類である。
空人は文字通り『空の人<アントロポス・オラノス>』であり、高い山の上や、雲の上に住むと、考えられていた。
姿は『有翼人<ウィングドフォーク>』が主だが、翼は腕が変化した物だったり、背中から生えていたり、
鳥の物だったり、蝙蝠の物だったり、虫の物だったりと様々。
中には羽が無くとも空を飛んだり、空を飛ぶ動物に乗っていたりする事もある。
闇人も海人も空人も、人の領域外の存在である。
未知の世界への希望と恐怖の象徴で、故に、将来出現する可能性が指摘されている、
『獣人<シリアントロポス>』を始めとした『新人類<ネアントロポス>』とは、明確に区別される。
闇人、海人、空人の内、海人だけは実在する可能性もあるが、分類は進化の形態によって行われ、
やはり獣人か、然もなくば『魚人<プサリアントロポス>』か、『軟体人<マラキアントロポス>』等と言われる。
97創る名無しに見る名無し:2012/05/10(木) 19:48:36.35 ID:9JBPd2AU
獣人は『獣の人<アントロポス・シリオ>』であり、現人類以外の哺乳類が、人型に進化して、
相応の知能を備えた物と定義されている。
その為、『成り上がり<アップスタート>』とは、また異なる。
略称はシリアント、またはゼリエンス。
他の新人類――『鳥人<プリアントロポス>』、『爬虫人<エルペタントロポス>』、『両生人<アムフィビアントロポス>』、
魚人、『甲殻人<ケリファントロポス>』、『虫人<エントマントロポス>』、軟体人、『植物人<フィタントロポス>』の中では、
最も出現確率が高いとされている。
そして、妖獣や霊獣から進化して誕生するであろうとも、予測されている。
旧暦でも、獣の姿をした人の伝説は見られるが、恒温変温、脊椎無脊椎に拘らず、
どんな動物であろうが、全て闇人の眷属であると、一纏めにされていた。
他の現人類以外の人間には、旧暦で『巨人<ギガース>』、『小人<ナノス>』と言われた種族もあるが、
実在した証拠が無い上に、界門綱目科からして異なる新人類とは、同列には扱われない。
仮に実在していたとしても、既存人類の亜種の域を出ないとされている。
他に区別が困難な物として、『妖精<フェアリー>』、『霊体<ファンタズマ>』の類があるが、
これも実在が確認されていない。
98創る名無しに見る名無し:2012/05/10(木) 19:52:13.40 ID:9JBPd2AU
現人類は『心の人<アントロポス・シーヒ>』であり、サイカンスロープ(サイカントロープ)とも言う。
略称はシーヒャント、或いはサイカンス。
「psychi(シーヒィ)」の通り、精神性を重視する存在であると、自ら称する。
それは魔力行使能力とも関連付けられ、魔法資質が低い者を蔑視する風潮を生んだ。
魔法を使えなければ、人間=シーヒャント(サイカンス)とは見做されなかったのだ。
魔法資質が低い者は、共通魔法の教えを受けたにも拘らず、旧暦の魔法を使えない人間と、
何も変わらないとして、アルカンスロープ、アルカンスと揶揄された。
アルカンスロープとはアルヒャントロポス、『古代の人<アントロポス・アルヒェオス>』で、詰まり「原始人」だ。
実際には、原始人と古代人を区別する為に、アルカンスロープ、アルヒャントロポスは、
それで原始人を意味する、一つの成語となる。
「愛人」と「愛の人」とで意味が大きく変わってしまう様に、『原始人<アルヒャントロポス>』と、
『古代人<アルヒャー・アントロポス>』も違うのだ。
しかし、アルカンスは無知故の呼称ではなく、差別意識に基づく、皮肉めいた蔑称である。
99創る名無しに見る名無し:2012/05/11(金) 19:31:03.31 ID:ifBIAXwV
魔法暦504年 第一魔法都市グラマーにて


サティ・クゥワーヴァ16歳


魔法学校上級課程に進級したサティ・クゥワーヴァは、中級課程に入った時と全く同じ様に、
先輩から洗礼を受ける事になった。
男女相争うべからずと言う、暗黙の了解の為、相手は勿論、女子である。
実力至上主義を掲げて、戦国乱世宛らに、初中衝突し合う男子学生とは違い、
女子学生は表立った闘争を好まない。
一回勝負が決まると、それを覆そうと躍起になったりはしないし、目上の者に向かって行く事も、
滅多に無い。
サティも相手を相当な実力者と認めていなければ、好んで勝負したがる性質ではなかった為、
これが上級課程での、最初で最後の勝負になるかも知れなかった。
――いや、サティは最初から、その積もりでいた。
先輩女学生は、中級課程を1年で修了したサティを、甘く見ていた。
公学校上がりで、中級課程を早々にクリアする者は、頻繁にではないが、割と見られる。
それなりに魔法の才能がある者なら、15歳になるまでの猶予があれば、魔法学校に通わずとも、
中級課程レベルの魔法を習得するのは、そう難しくない。
しかし、『上級<アッパー・クラス>』は訳が違う。
先輩女学生は、中級と上級の違いを思い知らせ、生意気な新入りの鼻っ柱を折る積もりでいた。
……結果だけを言おう。
変則スクリーミングでの勝負で、またもサティは相手の魔法を一度も発動させず、1ラウンドで完封した。
先輩女学生は、彼女の実力では防御し切れない、サティの強大な魔法を受ける前に、
降伏しなければならなかった。
上級の相手に、『中級<ミドル・クラス>』と全く同じ手段で、全く同じ結果を出す。
それは上級の者にとって、如何程の屈辱か……。
しかも、サティ・クゥワーヴァは未だ全力を出し切ってはいなかった。
100創る名無しに見る名無し:2012/05/11(金) 19:34:08.35 ID:ifBIAXwV
サティの容赦の無さは、瞬く間にクラス内で有名になった。
中級課程の頃から、余り褒められた戦い方をする子ではなかったが、それは手緩い物だったと、
皆思い知らされた。
サティは自ら手を出さない分、向かって来る相手は徹底的に潰す、氷の様な女だと思われた。
圧倒的な実力を見せ付けながら、相手が恥辱を忍んで参ったと言うまで止めを刺さない、
弱者を甚振るに似た攻め方をする、残酷な性格。
実際は、意地の悪い部分も確かにあったが、加減をして相手にも見せ場を作ると言う事が、
苦手だったと言う所が大きい。
仕掛けて来る相手には、全力で潰しに掛かるのが、礼儀だと思っていた節もある。
まあ傍で見ている者に、それが伝わる訳も無い。
冷血無情と謗られ様と、サティは反論しなかった。
寧ろ、それを誇らしく思っていた。
文句があるなら、掛かって来れば良い。
それが出来ないのなら、自分より上の者は、上級課程には存在しないと言う事になるのだから。
101創る名無しに見る名無し:2012/05/11(金) 19:35:14.04 ID:ifBIAXwV
サティは中級課程に上がり立ての頃と全く変わらず、増上慢だった。
事実、その中級課程には1年しか留まっていなかったので、大した出来事も無く、性格が変わるのなら、
そちらの方が余程大事だろう。
サティは魔法学校を、一時の通過点としか捉えておらず、常に更なる高みを目指していた。
教師の講義を受ける前から、彼女は進んで教本を読み込み、そこに書いてある呪文や発動技術を、
全て完璧に習得した。
『詠唱<チャント>』、『逆詠唱<リバース・チャント>』、『裏詠唱<サイレント・チャント>』、『描文<ドロー>』、
『逆描文<リバース・ドロー>』、『引継<テイク・オーバー>』、『独合唱<ソロ・コーラス>』、『独重唱<ソロ・マルチプレット>』、
『簡易発動<インスタント・エフェクト>』、『同時発動<コンカレント・エフェクト>』、『時間差発動<タイム・ラグ・エフェクト>』等、
技術的に教わる事は何も無い状態だった、サティの得意振りは、自らの成績が確認出来る試験の日を、
待ち遠しく思っていた程である。
サティ・クゥワーヴァの独走を止められる者は、このグラマー中央魔法学校には存在しなかった。
彼女が上級課程に進級してから半年が経ち、気紛れに選択科目で古代魔法史を選ぶまでは……。
102創る名無しに見る名無し:2012/05/12(土) 19:38:16.58 ID:6NLJPagt
選択科目とは、魔法学校の教育課程の中では、序での様な物である。
正式には、自由選択科目。
魔法の習得には、余り役に立たない。
選択科目は自由に選ぶ事が出来る科目で、他の科目と被る事は無い。
その気になれば、全ての選択科目の単位を取る事が出来るが、選ばなくても良い。
基礎的な学問は、公学校で習うので、教養程度の物。
古代魔法史以外には、上級数学、都市法学、心理学、経済学、社会学、生物学、上級物理学、
上級化学、天文学、気候学、地学、詩学、医学、栄養学、音学、絵画、工芸、手芸、野外活動、
体術がある。
魔法学校外部の者を講師に招く事もあり、その方針によって、飛び抜けた専門性を持つ物まである。
魔法の才能は驚異的だったサティだが、その他の実力は、それなりに優れている程度。
不得手は無かったが、人並み外れて優秀でもなかった。
その為、魔法以外に気を取られる事が無く、真っ直ぐ伸び過ぎた嫌いがある。
故に、選択科目を学ぶ必要性は感じておらず、古代魔法史にも、そこまで興味があった訳ではない。
彼女が古代魔法史を選んだ理由は、講師がグラマー地方の人間ではないと言う事で、
物見の積もりだった。
103創る名無しに見る名無し:2012/05/12(土) 19:51:23.87 ID:6NLJPagt
古代魔法史の講師、プラネッタ・フィーアは、グラマー市民と同じく、面紗で髪と口元を隠していた。
訛りの無い、綺麗な澄んだ声で、顔を隠していても、何と無く理知的で美人そうだと思ったのが、
サイティの第一印象。
その後、プラネッタの講義を受けたサティは、講義の内容より、彼女の「綺麗な」魔力の扱い方に驚いた。
プラネッタは表詠唱と裏詠唱を使って、極普通の振る舞いで魔法を使う。
サティが浮遊して移動するのと同じだが、決定的に違うのは、それが自然過ぎる事だった。
身振り手振り、本の小さな仕草、発する一言一言が魔法の要素。
他人に魔力の流れを感じさせず、魔法を使うには、相当意識しなくてはならない。
高い魔法資質を持つ者なら、尚更。
普段のサティは、自己顕示の為に、高い魔法資質を見せ付けて、人を威圧するばかりで、
静かに魔法を使う事は余り考えなかった。
何より、特別な目的がある場合を除いて、魔力を密かに行使する事は、こそこそ隠れている様で、
好きでなかった。
そう言った理由で、プラネッタの能力を認めはしても、好い印象は持たなかった。
その代わりに、この講師は本気になると、どの様な魔法の使い方をするのか――……、
自分より優れた魔法の使い手なのか、確かめたいと思う対抗心が、首を擡げて来る。
飽くまで、講師と学生と言う立場上、不躾に勝負を挑む事は出来ないが、何か方法は無い物かと、
サティは真剣に考えた。
104創る名無しに見る名無し:2012/05/12(土) 19:52:43.47 ID:6NLJPagt
「十年に一度の才子になるであろう」と幼い頃から言われ続け、この年になって遂に、
その称号を自らの物にしたサティは、恐れ知らずにもプラネッタに負ける事は、思案の外であった。
余り大事にせず、彼女の実力を確かめるには、どうすれば良いのか、そこにしか関心が無かった。
しかし、働き掛けがあったのは、プラネッタの方から。
講義が終わった後、サティが1人になったのを見計らって、プラネッタは彼女に近付いた。

 「貴女がサティ・クゥワーヴァさんですね?」

 「はい。
  何か御用でしょうか?」

 「お願いがあります。
  その……貴女の気は、険が強過ぎて……、講義の障りになるので、抑えて欲しいのです」

そんな事を他人に言われたのは、初めてだったので、サティは大層驚いた。
余程豪胆か、無神経でないと、面と向かっては告げられない事である。
プラネッタは講義中、ずっとサティを気に懸けていた。
高い魔法資質は、自然に周囲の者を脅かす。
サティの優れた魔法資質は、プラネッタの「講義を円滑に進める」細やかな魔法を妨害するばかりか、
講義室全体の雰囲気を、張り詰めた物にしていた。
それを意識的に抑える事は可能だが、プラネッタが見る限りサティには、その気が全く無かった。
寧ろ、触れなば切らんと、寄る者を拒む雰囲気があり、それを心配したのである。
傍にはサティの威圧が、意識しての物か、無意識の物か判らない。
プラネッタは「抑えて欲しい」と、制御が可能であるとの前提に立った言い方をしたが、無意識であれば、
制御する方法を教える積もりでいた。
その在り様は、講師の物ではなく、教師の物であった。
105創る名無しに見る名無し:2012/05/12(土) 19:53:59.49 ID:6NLJPagt
だが、これを絶好の機会と思ったサティは、プラネッタに刃を向けた。

 「私が居ると、迷惑でしょうか?」

刺々しい口調で、敵対の意思を表す。
プラネッタは宥める様に言い開いた。

 「違います、そう言う意味ではありません。
  貴女の魔法資質は非常に優れていますが、人は強い魔力の流れに影響されます。
  貴女にとっては何でも無い事でも、人は脅威に感じる事があるのです」

 「私が怖いと――誰か言ったのですか?」

 「いいえ……ですが、貴女の気は余りに鋭利。
  人を遠ざけていては、回り道も多くなります。
  抑える術を知らないのであれば、私が教えましょう」

彼女は終始冷静に、穏やかで優しい話し方を貫いたが、最後の一言は余計だった。
物を知らぬ様に扱われたサティは、不快感を露にする。
いや全く、不良少女を相手にする様である。
サティは居丈高な態度で応じた。

 「お心遣いは有り難く思いますが、私が教えを請う方は、私に優る者と決めています。
  『教えましょう』と仰られるなら、先ずは先生の実力を示して頂かなくては……」

態々、喧嘩を売る為である。
無礼は十分を越えて百も千も承知――とは言え、酷い言い掛かり。
少なくとも教えを請う者の態度ではない。
しかも、触れなば切らん所か、八つ裂きにしてやろうと思っている。

 「解りました。
  では、今日の放課後、実技演習場に来て下さい」

サティの企みを知ってか知らずか、プラネッタは安堵した様に、明るい声で応じた。
「実力を示して頂く」と言った意味が通じているのか?
或いは、全部理解した上での反応なのか?
……サティは小さな不安を抱えて、放課後を迎える。
106創る名無しに見る名無し:2012/05/13(日) 17:35:19.68 ID:YJKCu34q
プラネッタは約束通り、実技演習場で待っていた。
どうすれば実力を認めて貰えるのか、尋ねて来た彼女に、サティは学内で通用している、
変則スクリーミングでの勝負を持ち掛ける。
ただ実力を見るだけなら、フラワリングの技術を披露させれば良さそうな物だが……。
2、3極逡巡した後、プラネッタは「良いでしょう」と応じ、サティは内心で狂喜した。
幾ら他地方から来た者とは言え、この学校に勤めている以上、サティの噂を知らない筈は無い。
それを解って勝負に応じると言う事は、相応の実力者。
心の昂りを抑えられず、彼女は身を震わせた。
そこらの学生とは違う、自分を恐れない、本物の魔導師!
呪文を唱えた訳でもないのに、実技演習場全体が小刻みに共振する。
常識では考えられない現象だったが、プラネッタは感嘆の息を吐きはしても、驚愕はしなかった。
それが益々サティを悦ばせた。
107創る名無しに見る名無し:2012/05/13(日) 17:42:11.75 ID:YJKCu34q
プラネッタとサティは、実技演習場の床に描かれた、スクリーミング用のラインに従い、
対面して位置に付く。
競技を始める前に、プラネッタは『面紗<ベール>』を脱いだ。
さらりと青い髪が広がり、両耳のイヤー・カフスが小さな輝きを放つ。
グラマー市民のサティは、それを見て少し慌てた。
グラマー地方の女性は、身内以外に肌を晒す事は禁じられている。
婚約者以外の他人に、自ら素顔を晒すのは、即ち必殺の合図。
プラネッタはグラマー地方民ではないので、他意は無く、競技の邪魔になるから外したのだろうが……。
それに気を取られて、唖然としているサティに、プラネッタは声を掛ける。

 「先攻後攻は、どうしましょう?
  魔力石は使いますか?」

その毒気の無さに、サティは再び不安になった。
競技前の決まり文句の様な物だが、それにしても魔力石の使用を訊ねて来るとは……。
彼女は本当に、目の前の人物が、十年に一度の才子だと解っているのだろうか?
魔力石を持たせたら、演習と言うレベルでは済まなくなる。
肝が据わっているのか、軽んじられているのか、それとも鈍感なだけなのか……いや、
講義中の魔法の使い方からして、繊細な感覚の持ち主の筈である。
サティの優秀さも認めていた。
冷静に思考して、心を落ち着け、サティは穏やかに答える。

 「魔力石を御使用になるのでしたら、どうぞ。
  私は使いません。
  先攻後攻も、お好きな方で」

 「では、私も魔力石は使わないでおきましょう。
  私の力量を見るとの事ですから、先攻は頂きますね」

 「……解りました」

 「では、参ります」

互いに確認が済んで、競技開始。
サティはプラネッタが何をするのか、その一挙手一投足を警戒して注視した。
108創る名無しに見る名無し:2012/05/13(日) 18:02:15.44 ID:YJKCu34q
しかし、プラネッタは困った様な表情で、何もせずにサティを見詰めていた。
演習場内の魔力が乱れる様子は無い。
サティが不審に思っていると、プラネッタは改めて問い掛けて来る。

 「本当に始めて良いですか?」

サティは苛立った。

 「はい」

 「本当に?」

 「はい、早くして下さい」

急かされ、プラネッタは静かに両目を閉じる。

 「では……――A3H3J7!」

一変して、身を貫かれる様な鋭い声で発せられた、短い発動詩の後、閃光がサティの視界を奪う。

 「――J7J3A3H7、くっ!」

しまったと思い、サティは反射的に逆詠唱したが、全然間に合わなかった。
彼女が一瞬戸惑ったのは、魔力の流れが読めなかった為である。
サティの目には、プラネッタは発動詩以外の動作無しに、魔法を放った様に見えていた。
『仕込み<プリペアリング>』ではない。
相手が先攻の時は、必ず警戒していた。
それに、魔力の流れは隠し切れる物ではない。
サティ程の魔法資質を持ち合わせている者に、全く覚られずに魔法を使うのは、不可能と言って良い。
サティはプラネッタが使った魔法の仕組みを、既に理解していた。
高レベルの『簡易発動<インスタント・エフェクト>』だ。
予め発動の準備をしておく、仕込みの形式とは違い、自然の魔力の流れを直接利用する物。
魔力は常に微かな増減を繰り返し、ランダムに揺らいでいる。
それが狙った形になる一瞬に合わせて、神速で魔法陣を完成させ、発動詩を唱えたのだ。
プラネッタは待っている間、本当に何もしていなかったので、動作を注視していては、
反応が遅れるのは当然。
109創る名無しに見る名無し:2012/05/13(日) 18:05:19.71 ID:YJKCu34q
閃光を直視したサティの目は、眩みから未だ回復しない。
俯いて瞬きを繰り返すサティに、プラネッタは申し訳無さそうに謝る。

 「御免なさい……不意打ちみたいになってしまって」

サティは怒りに駆られる心を抑えた。
発動が読めなかったのは、己が未熟だったから。
しかも、事前に何度も警告を受けている。
それを謝られるのは、見下されているのと同じ。
後には「やっぱり解っていなかったんですね」と続く、半ば侮辱めいた言葉が隠されている。
警告する事自体が、ブラフの可能性もあったが、そんな心理作戦に掛かる方も間抜けだ。
技術で遣り込められるのは、力押しで負けるより、精神的に応える。
そうなると、負けず嫌いの気が芽を出し始める。

 「いいえ、大丈夫です。
  続けましょう」

未だ実力の全てを確かめた訳ではない。
そうサティは自分に言い訳して、スクリーミングを続行した。
1ラウンド目の先攻が終わったのみで、後攻の自分のターンも、その後のラウンドも残っている。
先の成功は一撃のみの紛れ当たりなのか、それとも未だ手を隠しているのか、見極めなくては……。
サティは無自覚に、この勝負を楽しんでいた。
110創る名無しに見る名無し:2012/05/14(月) 20:05:51.79 ID:+pIwnwAA
サティはプラネッタに意趣返しをしようと試みる。
この方式の変則スクリーミングでは、発動させられる魔法は1つのみ。
例えば、火の玉を一度出せば、即ち、現象として起こしてしまえば、他の魔法――
冷気や電撃を後で発する事は出来ない。
また、同じ火の玉でも、一度に複数出すのは認められるが、時間差で幾つも出すのは認められない。
彼女は自慢の魔法資質で、大威力の魔法を打ち噛ますと見せ掛けて、プラネッタと同じ方法で、
簡易発動を決めようと企んでいた。
サティは演習場内を不規則に漂う、魔力の流れに目を凝らした。
プラネッタは体の周囲に少しだけ魔力を纏っている。
それ以外では、特に何かを仕込んでいる様には見えない。
不気味な物を感じつつも、サティは詠唱と描文を始めた。
サティの高い魔法資質は、演習場内の魔力を掻き乱す。
生半可な魔法資質の相手では、場の魔力を奪い合う事すら出来ない。
111創る名無しに見る名無し:2012/05/14(月) 20:06:37.61 ID:+pIwnwAA
サティが両手を前方に差し出すと、そこに魔力が集中した。

 「I1EE1・I3L4・F1D5O1H1・F1D5O1H1・F1D5O1H1・F37BG4、
  F1D5O1H1・F1D5O1H1・F1D5O1H1・F37BG4、F37BG4・F37BG4・F37BG4・F1D5O1H1――」

プラネッタは静かに魔力の流れを見詰めている……。
詠唱で防御を固める様子も、逆詠唱でサティの詠唱を妨害する様子も無い。
この儘、魔力の塊を叩き付けた方が早いのではないかと、サティは思った。
小細工は見抜かれそうな予感があったのだ。

 「F37BG4・J7CC1・BG4CC4・K56B4・H5J4J7!!」

計画を変更して、サティは魔力の塊を直接プラネッタに向けて飛ばす。
魔法資質の無い者にも、凝縮された魔力の塊が、薄らと見える程の物だ。
しかし、プラネッタは何の反応も見せない。
嘗めているのかと、サティは持てる技術を駆使し、自己の究極魔法を使う。

 「N4H16B4・H5J4J7!!」

2度目の発動詩で、魔力の塊は無数に分散し、弧を描いて、プラネッタを包み込む様に襲い掛かる。

 「.      ┌E3・A17、E16H1H2D4・M2B2D4!
  J3J5D17┼B3・A56、A5H4D5J3D4・B4C1N1G3D4!
        └N1・H3K3D4、N1H4N1・N1H4N1N3D4!」

そして、独り三重唱。
裏詠唱と描文を用い、空気を振動させて行う、同時詠唱技術。
分散した魔力の一群は炎へ、一群は氷へ、一群は雷へと、同時に変化する。

 「M1H4H1A2D3D1・N1L3・K17BC17J7!!!」

最後にサティが唱えた呪文によって、炎は纏まって巨大な1匹の赤い竜に、氷は白い竜に、
雷は黄金の竜になった。
演習場内の魔力を、全て注ぎ込んだ一発。
プラネッタが防御魔法に使う魔力は残していない。
殺す積もりで放った。
112創る名無しに見る名無し:2012/05/14(月) 20:12:18.16 ID:+pIwnwAA
竜は一点に食らい付き、互いを貪り尽くす様に、莫大なエネルギーを撒き散らしながら、消滅して行く。
フラッシュと水蒸気と煙幕で、数点は視界が利かない状態だった。
エネルギーの放出が収まると、霧とも煙とも埃とも付かない白い靄が、演習場全体に立ち込める。

 (殆ど抵抗しなかった……?)

余りに静かで、本当に死んでしまったのかと、サティは冷やりとした。

 「プラネッタ先生!」

講師を殺したとなれば大罪だ。
実技演習とは言え、事故では済まない。
しかし、白い靄の向こうに、微かな魔力の流れを感じて、彼女は安堵した――と同時に、
どうやって魔法を防いだのか、疑問に思う。

 「はい、平気です。
  御心配無く」

プラネッタの返事は、意外に元気そうで、サティは益々不思議に思う。
靄の向こうで、プラネッタの影が揺れる。
彼女は魔導師のローブの裾から、折り畳み式のロッドを取り出すと、それを大きく振り回して、
石突で床をトンと叩いた。
それと同時に、靄が一瞬で晴れる。
プラネッタは全くの無傷であった。
113創る名無しに見る名無し:2012/05/14(月) 20:15:24.67 ID:+pIwnwAA
深呼吸をするプラネッタに、疑惑の眼差しを向けるサティ。
それに気付いたプラネッタは、小さく微笑んで言う。

 「勝負ありましたね」

もう魔法に使える魔力は、演習場内には残っていない。
魔法を決めた回数は、プラネッタが1回、サティは0回――……どんな一撃でも、勝ちは勝ち。
それが本来のスクリーミング、技術の勝負。
魔力石を使うかと訊ねられた時に、無下に蹴ったのも自分。
サティは俯いた。
本心では、こうなる事を望んでいたのかも知れない。

 「――私の負けです」

プラネッタとサティは、同時に言った。
驚いて顔を上げるサティに、プラネッタは理由を説明する。

 「サークルから出てしまいましたから」

スクリーミングは純粋な魔法と魔法の勝負。
競技者は互いに、魔法と魔法を打つけ合って戦う事。
その際、攻撃或いは防御の為に、競技用の円内から出てはならない。
基本ルールである。

 「流石に、『あれ』は受けられませんよ」

苦笑するプラネッタに、サティは疑問を打つけた。

 「……どうやって避けたのですか?」

 「貴女は素晴らしい才能の持ち主です。
  貴女の魔法は正確無比でしたが、貴女は魔力に集中して、他の物が見えていない状態でした。
  魔法資質に頼り過ぎましたね」

サティは再び俯く。
プラネッタは自身を模った魔力を残留させて、魔法が直撃する前にサークルの外へ退避していた。
サークルの外に出れば負けになる為、そんな事をするとは、完全にサティの予想外だった。
旨々と一杯食わされたのである。
114創る名無しに見る名無し:2012/05/15(火) 19:22:22.87 ID:Gp9u0JSl
プラネッタの自己申告が無ければ、サティは敗北を認めていた……。
普通、勝利に拘るなら、自分に不利な事は、相手が気付かない限り、黙っている物である。
プラネッタ・フィーアと言う人物を、サティは測り兼ねていた。
サティの裏を掻く行動は、お戯くっている様だが、その言葉は穏やかで、人柄も真摯である。
先のスクリーミング勝負は、まるで授業……サティの欠点を教示していたとも言える内容だった。
魔法学校に来てから、他人に物を教わる事が、余り無かったサティにとって、
プラネッタは奇妙な存在だった。
誰もが避ける強大な魔法資質の持ち主に、積極的に関わろうとし、打ち負かすでなく、勝ち誇るでなく、
講師の立場を取り続ける。
その上から物を言う態度に反感を抱きながらも、サティはプラネッタの事を認めても良いと、
思い始めていた。
115創る名無しに見る名無し:2012/05/15(火) 19:22:52.36 ID:Gp9u0JSl
俯いた儘で動かないサティの様子を、どう感じたのか、プラネッタはサティに言う。

 「済みません。
  私の実力を計る場でしたのに、腑甲斐無い所ばかりを、お見せしてしまって……」

その通り、彼女は実力を殆ど発揮出来なかった……と言っても、半分はサティの所為なので、
本気で謝っているのか、皮肉の積もりなのか、今一つサティには判らない。
愛想笑いの一つもしないサティに、プラネッタは提案する。

 「魔力石を使って、仕切り直しませんか?」

 「えっ」

 「私としても、ここで引き下がる訳には行きませんし……」

サティは驚いたが、そもそもの始まりは、彼女がプラネッタの実力を認めて、その指示に従えるか、
従えないかを決める物であった。

 「……はい。
  もう一度、お願いします」

本来の目的を思い出したサティは、再戦に応じる。
――さて、場の魔力が無く、魔力石のみを使うとなれば、互いの魔力条件は平等になる。
魔法資質が如何に高くとも、引き出せるのは魔力石に込められた分だけ。
この勝負は結果が見えていた……と言う程ではないが、幾分プラネッタ有利だった。
116創る名無しに見る名無し:2012/05/15(火) 19:24:11.27 ID:Gp9u0JSl
結果を語る必要は無いだろう。
サティは魔法資質を抑える事を覚えて、多少目立つ事を控えた。
魔法学校に通う期間は、残り半年しか無かったので、彼女が俄かに大人しくなった事について、
あれこれ言う者は無かったが……。
後にサティは、プラネッタの勤める古代魔法研究所に就職する。
117創る名無しに見る名無し:2012/05/16(水) 19:26:23.45 ID:GYhnBZuV
未来の僕へ


第四魔法都市ティナー 貧民街にて


ラビゾーが貧民街に立ち寄ったのは、気紛れであった。
ティナー市を抜ける際、態々貧民街を迂回して行くのが、面倒だったからと言う理由。
貧民街に余所者が入り込むと、大抵ろくな事にはならないのだが、旅慣れた(と自惚れていた)彼は、
気が大きくなっていた。
ただ通り抜ける程度なら、問題は起こらないだろうと、高を括ったのである。
待ち構えるは「運命の出会い」。
求め続けた、魔法の在り方。
118創る名無しに見る名無し:2012/05/16(水) 19:28:36.00 ID:GYhnBZuV
――ラビゾーは自分の魔法を見付けられない儘、十年以上も旅を続けていた。
大陸の各地で、人々の暮らしを見詰め、外道魔法使い達と出会い、多くの事を経験して来た。
それでも自身の在り方を決められないでいた。
共通魔法使いとして故郷に帰るべきなのか、今までとは違う生き方に目覚めるべきなのか、
それとも半端者の旅商として生活を続けるのか……。
時が経てば経つ程、生き方は旅商の物になって、修正が利かなくなる様に感じられる。
師に「己の魔法を探せ」と命じられた以上、惰性で生きるのは辛い。
しかし、これで生活出来ているのだから、この儘でも良いのではないか……。
そんな風に思い始めていた時の事だった。
119創る名無しに見る名無し:2012/05/16(水) 19:29:48.88 ID:GYhnBZuV
この貧民街で、ラビゾーは物乞いの少女に出会った。
見るからに汚らしい、埃塗れで、くすんだ色の髪と肌、痩せ細った幼い体を、ぼろを纏って隠した、
憐れみを誘う姿。
乞食の中には、態と貧しい格好をして、同情を引く者があると言う。
乞食になれない者は、小さな尊厳を捨て切れない者。
そう言った者は、盗人になる。
盗人にも色々ある。
置き引き、掏り、引っ手繰り、強盗。
それにもなれない者は、死ぬしかない。
貧民街では、誰もが持たざる者。
都市の豊かさのお零れに与って生きる身、誰も養ってはくれないのだから。
乞食と泥棒は、互いに蔑み合う仲だ。
己の手で生きようとせず、人の憐れみを受ける乞食。
人の物を奪い、時には人を傷付ける盗人。
どちらが良い生き方とは言えない。
社会的には、どちらも屑と評される。
120創る名無しに見る名無し:2012/05/17(木) 19:07:38.93 ID:NJZoRow3
物乞いに会う事は、ラビゾーも予想していた。
物乞いの中には、道端に椀を置いて座っている者もあれば、道を遮って金品を要求する者もある。
物乞いに出会った時の対処方法は、適当に硬貨をくれてやる事。
物乞いは道行く人の善意を量る。
善意の大きさは、落とした金の量に比例する。
礼儀として、紙幣を渡してはならない。
破れたり汚れたりすれは、使い物にならなくなるし、何より硬貨より軽い。
物乞いは小額でも決して文句を言わない。
貰ったのが、たったの1MGであっても、妨害を続けたり、後を追ったりはしない。
それは物乞いが善意を量る存在だからである。
しかし、この少女は違っていた。
100MGを渡されても、ラビゾーの後を付いて歩いた。
121創る名無しに見る名無し:2012/05/17(木) 19:09:03.03 ID:NJZoRow3
この行為は、許される物ではない。
物乞い全体の印象を悪化させる物として、同じ物乞い仲間から爪弾きにされる。
普通は、「物乞いの作法」と言う物を、周りが教える。
そもそも子供が1人で物乞いをする事が異常。
子供の物乞いは、大勢で通行人を取り囲み、「恵みを下さい」と合唱する。
その方法が、最も安全で、金品を多く貰える。
1人では、どんな危険な目に遭うか判らない。
この少女は、物を乞う態度も、普通ではなかった。
元は白色だったであろう、汚らしく黄ばんだ茶碗を両手で抱え、無言でラビゾーの前に立っていた。
ラビゾーは深く考えず、関わり合いになりたくないばかりに、硬貨を恵んで逃げようとした。
彼女が欲している物は、本当に金だったのか、それとも何か別の用があったのか……?
少女が3〜4身程の距離を保って、後を尾けて来ている事に気付いた彼は、焦った。
こう言う時に、「来るな」と大声で言える程、ラビゾーは非情になり切れない。
独り旅をして来た十年以上の歳月は、一体何だったのか……彼は甘い男であった。
122創る名無しに見る名無し:2012/05/17(木) 19:12:13.75 ID:NJZoRow3
普通、物乞いが後から付いて来ると、もっと金品を欲していると考える。
ラビゾーも、そう思っていた。
流石に100MGでは少なかったのかと、ラビゾーは立ち止まって振り返り、少女を見詰める。
少女もラビゾーから距離を置いた儘で、立ち止まった。
ラビゾーは少女を観察する。
髪は伸び放題で跳ね返っており、その間から覗く目は、不気味に大きい。
どこと無く、怖い子供である。
髪が長い事から、初めは女の子かと思っていたが、もしかしたら男の子かも知れないと、
ラビゾーは考え直した。
まあ、男であろうが、女であろうが、どちらにしても、幼い子供を強く拒絶する事等、
彼には出来やしないのだが……。
不要な優しさである。
123創る名無しに見る名無し:2012/05/18(金) 18:49:42.57 ID:2oMx8XNm
ラビゾーは自ら子供に声を掛け、歩み寄った。

 「おい」

大人の男の低い声に驚いた子供は、数歩後退りしたが、それ以上は下がらず、踏み止まる。
これで逃げてくれない物かと、ラビゾーは少し期待していたが、その通りにはならなかった。
彼は、手を伸ばせば子供に触れられる位置まで近付くと、屈み込んで表情を窺う。

 「何か用か?」

子供の顔は垢だらけで、両目の端には目脂が溜まっている。
瞳は暗い緑色で、焦点が定かでない。
心做しか、変な臭いもする。
見れば見る程、汚さばかりが目に付く……。

 「何故、付いて来る?
  未だ金が欲しいのか?」

ラビゾーが尋ねても、子供は答えない。

 「他に仲間は?
  親は?」

一言も発さないので、唖なのかと彼は疑った。
貧民街の子供は、病を抱えていても、治療を受けられない者が多い。
医学知識を持つ者は居ても、重い傷病を治すには、器具も設備も薬も足りない。
124創る名無しに見る名無し:2012/05/18(金) 18:51:59.23 ID:2oMx8XNm
――唖者であろうと、なかろうと、何を求めているのか判らなければ、何も出来ない。
或いは、聾者かも知れないと思ったラビゾーは、文字を書かせようと考え付いたが、
貧民街の子供は識字率が低い事を思い出して諦めた。
ラビゾーは静かに、子供の反応を待った。
それでも貧民街に長居はしたくなかったので、暫く待っても、何も訴え掛けて来なければ、
無視して置いて行く心積もりをした。
所が、踵を返そうと、立ち上がろうとした途端、子供はラビゾーの旅服の裾を掴んで、強く引く。
その目はラビゾーではなく、側の路地に向けられている。
どうやら、どこかへ彼を連れて行きたがっている様であった。
これは厄介事に巻き込まれるかも知れないと、ラビゾーは嫌な予感を働かせたが、
余程の事情があるのだろうと思い、振り払って逃げるのは後でも出来ると、為されるが儘、
子供に従った。
125創る名無しに見る名無し:2012/05/18(金) 18:52:47.10 ID:2oMx8XNm
子供はラビゾーを、貧民街の小さな家に案内した。
――いや、家と言うのは躊躇われる、雨風を凌ぐだけの、屋根付き小屋――
それは「豚小屋」と言うのが、相応しい様な外観だ。
足を止めて警戒するラビゾーを、子供は小屋の中へ連れて入ろうとする。
ラビゾーは悩んだ。
中で待ち伏せされていないだろうか?
そもそも子供は何が目的で、自分を連れて来たのだろうか?
自問しても、答えは出ない。
彼は尋ねる。

 「何があるんだ?」

 「……おかあさん」

子供は聞き取れるか、聞き取れないか位の小さな声で、ぼそりと答えた。
ラビゾーは子供が物を言えた事に驚くと同時に、売春小屋の可能性に思い至って焦った。
今のが聞き違いでなかったか、確認する意味で、再度尋ねる。

 「何があるって?
  お母さん?」

子供が頷くと、ラビゾーは更に尋ねる。

 「お母さんが、どうしたって?」

しかし、その答えを聞く事は出来なかった。
大人の物乞いの男が、ラビゾーの前に姿を現したからである。
126創る名無しに見る名無し:2012/05/19(土) 19:14:11.37 ID:gkNL5TXs
これは釣られたかと、ラビゾーは激しく後悔した。

 「堅気の者が何の用だ?」

威圧的な態度で迫る、物乞いの男。
ぼろを纏って、汚らしい格好をしているが、血色が良い分、子供よりは幾分増しな感じがする。

 「ぼ、……――私は、この子供に連れて来られた。
  ここは何なんだ?」

正確には、ラビゾーも堅気の者ではないのだが、貧民街で暮らす者達に比べれば、
かなり真面な生活をしていると言えるので、その事への反論はしなかった。
一人称と口調を改めたのは、嘗められるのを避ける為。
同時に胸を張って、堂々としている風を装った。
それを受けて物乞いの男は、忌々しさを込めた視線で子供を睨み付ける。
子供は男を避ける様に、ぼろ小屋の中へ逃げ込んだ。
男は改めてラビゾーに向き直り、尋ねる。

 「先に、俺の質問に答えてくれ。
  何の用で来た?
  事件の捜査か?
  人捜し?
  官公の人間か?」

物乞いの男が懸念している事を察したラビゾーは、正直に答える。

 「偶々通り掛った所、あの子供に連れて来られただけなんだ。
  特に用があった訳じゃない。
  普通に通り抜ける積もりだった」

 「チッ……あのガキは、ろくな事しねえな」

吐き捨てる様に言った男を見て、ラビゾーは少し心が痛んだ。
127創る名無しに見る名無し:2012/05/19(土) 19:17:23.70 ID:gkNL5TXs
物乞いの男は、続けて言う。

 「あんた、ここには何も無いから。
  気の狂れたガキに付き合ったって――」

直後、子供の絶叫が響いた。

 「わあああああああああああ!」

ラビゾーと物乞いの男が驚いて身を竦めると、ぼろ小屋から子供が飛び出す。
子供は物乞いの男に掴み掛かって、泣きながら訴えた。

 「かえせ!!
  おかあさんをかえせ!!」

 「黙れ!!
  手前の母親は死んだんだよ!
  死体なんか置いといても、腐るだけだろ!」

爪を立て、髪を振り乱して暴れる子供を、男は蹴り飛ばす。

 「ううっ……うぅう゛わああああああああああ!!」

飛ばされて地面に転がった子供は、一層大きな声を上げて号泣した。
物乞いの男は聞いてられないと、耳を塞ぐ。
ラビゾーは不快を堪えて、子供が泣き疲れるのを待った。
128創る名無しに見る名無し:2012/05/19(土) 19:19:39.60 ID:gkNL5TXs
子供が声を枯らし切って、嗚咽を上げるだけになると、ラビゾーは物乞いの男に尋ねた。

 「一体、何があったんだ?」

 「あのガキの母親、この前死んだばっかりでな。
  そいつを認めたがらねえんだよ。
  死体を処分するっつったら、怒り狂って邪魔しやがるしよ……。
  死ぬ前に母親を診た、潜りの奴が、『街の医者に診せれば何とかなるかも知れん』とか何とか、
  適当な事言った物だから、あんたを連れて来たんだろう。
  死人が生き返る訳無いのにな」

 「ぼ……、私は医者じゃないんだが……」

 「そんなの、見りゃ判る。
  あんたに医者を呼んで貰う積もりだったんじゃないのか?
  本当の所は知らんがな」

その話を聞いたラビゾーは、子供に同情した。

 「あの子は、どうなる?」

 「あんたの知ったこっちゃない」

深入りして欲しくなかったのか、物乞いの男は冷たく突き放した。
しかし、それと同時に、汚い椀をラビゾーに差し出している。
これの意味する所が理解出来なかったラビゾーは、物の序でに施しを求められているのかと思い、
余り深く考えずに100MG硬貨を与えた。
129創る名無しに見る名無し:2012/05/19(土) 19:23:52.93 ID:gkNL5TXs
椀の中で銭の音が鳴ると、物乞いの男は、にやりと笑って語り始める。

 「あのガキの母親は、逸れ者でな……。
  不義理をしたんで、母子共々、八分にされた訳よ。
  俺は時々様子を窺いに来る、目付け役って所だ」

椀を差し出したのは、情報が欲しければ金を寄越せと言う意味だった。
それを理解したラビゾーは、頷きながら話を聞く。

 「不義理をした母親は死んだが、俺等には、あのガキを迎え入れる訳には行かん理由があるのよ。
  追放される時に、母親は子供を俺等に預けて行くか、自力で育てるかの選択で、後者を取った。
  それは詰まり、こうなっても手助け無用と、承知してたって事。
  俺等には、好んで迷惑者を預かる理由も余裕も無い。
  可哀想だが、あいつの運命は、どっかで野垂れ死ぬか、人買いに連れ去られるかって所だ。
  ここらには俺等と盗人連中以外に、危ない連中も居るからなぁ……」

 「父親は?」

 「知らねーよ。
  母親は売女だ。
  どこぞで勝手に拵えたガキだろう」

 「……どうにかならないのか?」

ラビゾーが尋ねると、男は再度、椀を差し出した。
新たに硬貨が1枚、椀の中に落ちる。

 「無理だね。
  こればっかりは」

ラビゾーは眉を顰め、悲し気な表情を浮かべた。
流す涙も枯れたのか、子供はラビゾーと男の会話を余所に、脱力して項垂れている。
それを憐れみの目で見詰めるラビゾーに、物乞いの男は言う。

 「何なら、あんたが引き取るかい?
  教養も常識も可愛気も無い、恩を仇で返す様なガキだが……」

ラビゾーが答えに詰まると、物乞いの男は呆れた様に笑った。

 「冗談だよ、冗談。
  あんた、お人好しが過ぎるわ。
  悪い事言わねえから、さっさと出て行けよ。
  目障りだ、偽善野郎」

笑顔で偽善者呼ばわりされたので、ラビゾーは酷く傷付いた。
男は背を向けて去って行く。
130創る名無しに見る名無し:2012/05/20(日) 18:44:26.36 ID:FqzJRnSN
自分も早く立ち去れば良い物を、ラビゾーには、それが出来なかった。
彼は子供を引き取るべきか否か、本気で悩んでいた。
だが……よく考えれば、見ず知らずの男に、子供が懐いてくれるとは思えない。
ここは適当に、「強く生きろ」とでも慰めて、後は知らん顔した方が、お互いの為だと思い直し、
漸くラビゾーは子供に声を掛ける決心をする。
しかし、子供は路地に座り込んだ儘で、茫然自失し、ラビゾーが近寄っても反応しなかった。
まるで魂が抜けた様なので、彼は心配になった。

 「大丈夫か?」

子供は緩慢な動作でラビゾーに視線を向けたが、それは感情の無い人形の様だった。
頬には涙の跡が、くっきり残っている。
今まで頼りにしていた母親が、居なくなってしまったのだ。
その絶望は測り知れない。
母の死を認めない事で、平常を保って来た心が、折れてしまったのだろう。
こんな時に、どう振る舞えば良いのか、ラビゾーは分からなかった。
彼は貧民街を通り抜けようと判断した、己の気紛れを後悔した。

 (――優しいだけで何も出来ない男は屑よ)

過去に言われた事が、今頃になって思い出される。
131創る名無しに見る名無し:2012/05/20(日) 18:46:58.22 ID:FqzJRnSN
ここで見放しては、この子供は生きられないだろうと思ったラビゾーは、長い長い葛藤の末に、
覚悟を決めた。
彼は片膝を突いて、子供の傍に屈み込むと、背負っていたバッグから、色褪せたノートを取り出した。
そこには実用的な共通魔法の呪文が、基本的な唱え方と共に、書き記されている。
作成に至った明確な記憶は無いが、どこかで何かに使えるかも知れないと思って、
未練がましく捨てられずにいた物だ。
手製故か、残念ながら、索引や目次は無い。
ラビゾーは薄茶色に変色したページを忙しく捲り、心の魔法を探した。

 (人が苦しんでいる時、辛いと思っている時に――)

どこに書かれていたか、必死に思い出そうとするラビゾーの頭に、誰かの声が響いて来る。

 (――その心を少しでも解って上げられたら……――)

ページを捲る指が震える。

 (――どれだけ自分が相手を想っているか――)

今まで何度見返しても、思い出せる事は無かったが……この呪文は知っている気がした。

 (――少しの誤解も嘘も無く――)

該当ページを見付けた彼は、ノートを開いて地に置き、左手に魔力石を握り締め、
囁く様に呪文を唱えながら、右手で子供の背中に呪文を描いた。

 (――有りの儘を伝えられたなら……――)

懐かしく、暖かく、

 (――この魔法は、そう言う魔法――)

同時に、切なく、苦しい感情と共に、

 (――だから、苦しい時、辛い時は、独りで抱え込まないで……)

何かを思い出せそうな気がする……。
132創る名無しに見る名無し:2012/05/20(日) 18:52:24.00 ID:FqzJRnSN
心と心を繋ぐ、交感の魔法。
ラビゾーは目を閉じ、子供の背中に手を添えて、想いの全てを伝える。
憐憫の情を、愛と言って良いか、彼には判らない。
男の彼には、どう足掻いても、母親の代わりは出来ない。
それでも……彼は子供を見捨てられなかった。
ラビゾーには、弱い者の力になりたいと思う、明確な意志がある。
有り触れた善意と言うには、根が深い。
その源は何か?
雑念が混ざってはいけないと思いながらも、彼は考えずにはいられなかった。

 (こんな医者の真似事をして……――僕は医者になりたかった?
  苦しんでいる人達の救いになりたかった……?
  何か、違う気がする……。
  もっと俗的に、人から先生と呼ばれて、感謝されたかった?
  ……近い様な…………先生……?)

ラビゾーは小声で呟いた。

 「あぁ、先生か……」

そっと静かに、子供の背中から手を離す。

 (僕は魔法の先生になりたかったんだ……)

彼は自然に込み上げて来る涙を、堪え切れなかった。
どうして泣かなければならないのか、その理由はラビゾー自身にも解らなかった。
心の魔法が効いて、正気に返った子供は、忍び泣く彼を不思議そうに見詰めながらも、
その傍を離れようとはしなかった。
133創る名無しに見る名無し:2012/05/21(月) 18:43:03.42 ID:vz2ksA2U
ティナー地方の貧民街界隈に於ける奇妙なルール


ティナー地方の貧民街の人種は、乞食・盗人(ぬすびと)・外者(そともの)から成る。
乞食は、通り掛かった人に物乞いをして、金品を集める。
盗人は、通り掛かった人から物を盗って、金品を集める。
乞食と盗人は、互いに軽蔑し合う仲である。
乞食や盗人は、貧民街から出られない。
乞食や盗人と取引して、商売をする者は、外者に限られる。
外者の定義は、貧民街を拠点にしながら、外に別の本拠を持っている者。
人身売買業者、密売買組織、暴力団、その他の総称。
何れも乞食や盗人とは区別される。
しかし、そう言った不法組織とは別に、乞食や盗人の中から、外と関わりを持つ役目の者を選抜した、
外者の集団もある。
乞食と盗人は、別々に外者を持っている。
盗人の外者は、正体を知られると、(当然だが)都市警察に逮捕される。
乞食と盗人は、表向きは啀み合っているが、その裏には2つの暗黙の了解がある。
1つは、貧民街に住む者同士、緊急時には協力し合う事。
もう1つは、乞食に施しを与えた者からは、盗人は物を盗らない事。
乞食と盗人は別の人種ながら、実は表裏一体なのである。
134創る名無しに見る名無し:2012/05/21(月) 18:48:50.09 ID:vz2ksA2U
乞食も盗人も、大半は市民権を持たないが、貧民街に住所を持っている者は存在する。
表向きは、「空いた土地に勝手に他人が住み着いている」事になっており、地主とは無関係。
本来は、貧民街の者は全て住民登録されるべきだが、下手に掻き回すと、大量の浮浪者と、
逮捕者を出す事になるので、都市警察も中々手が出せない。
殺人事件や失踪事件の際には、捜査の手が入る事もあるが、その場合は内通者を利用する。
住民登録されていない者は、金を払えば利用出来る物以外の、公共機関を頼る事が出来ない。
犯罪の被害者になっても、どこの市町村にも住民登録されていなければ、被害届は受理されない。
しかし、加害者は罪に問われる。
貧民街の者は被害補償されないが、その財産は市の物として扱われる。
貧民街の者を殺せば、殺人罪に問われるし、貧民街の者から物を盗めば、横領罪に問われる。
どうしても取り返したい物がある場合、地主が被害届を代理して出す事もある。
貧民街の者が住民として登録されるには、諸々の手続を行うと共に、税金を納める必要がある。
既に住所を持っている者の後見があれば、比較的スムーズに登録される。
婚姻や養子縁組等、血縁関係になる他、企業が雇う形で、身分を保証する場合もある。
所が、不正が絶えない為に、貧民街出身と言うだけで、警戒され、敬遠される。
135創る名無しに見る名無し:2012/05/21(月) 18:50:21.72 ID:vz2ksA2U
貧民街を訪れる者は、決して多いとは言えない。
乞食は人の施しだけでは生きて行けない。
盗人も人から物を盗るだけでは生きて行けない。
乞食も盗人も、普段は空いた土地で適当に作物を育てたり、川で魚を釣ったり、ネズミや野良猫、
野良犬、鳥等を獲って、飢えを凌ぐ。
中には、乞食や盗人の集団に属しながら、一切稼業に手を出さない者も居る。
そう言った者達の、集団内での扱いは、各集団によって異なる。
朱に交わろうとしない者として、軽蔑される所もあれば、貴重な生産者として、尊重される所もある。
不法組織に所属する外者は、法の庇護が無いのを良い事に、貧民街で暮らす者達を、
戯れに虐げる事があり、基本的に嫌われている。
法に守られない為か、貧民街の者は、都市法よりも集団内での規律を重視し、特に自分達の縄張りで、
都市法や一般常識を持ち出される事を、激しく嫌う。
……とは言え、貧民街も都市の一部であり、そこは間違い無く、都市法の支配下である。
その為、貧民街で暮らす者達は、一般人には強気に出られるが、官公の人間には弱い。
不法組織の摘発で、都市警察が乗り込む際には、貧民街はゴースト・タウンの様になる。
136創る名無しに見る名無し:2012/05/22(火) 19:30:36.65 ID:A5GI85Wv
馬鹿


第四魔法都市ティナー ティナー中央魔法学校にて


ヒュージ・マグナは、ティナー中央魔法学校の中級課程に通う男子学生である。
本人は魔導師になる気は無かったが、それなりに魔法の才能があったので、両親の希望で、
魔法学校に通わされた。
今でも上級課程にまで進む気は無く、中級をクリアしたら、そこで卒業する積もりでいる。
熱意の無さは、授業中の態度にも表れており、隙あらば笑いを取ろうと、冗談に走る。
その剽軽な性格は、人を惹き付け、男女を問わずクラス内の人気は高いが、一方で、
真面目に授業を受けたい者にとっては、少々障りになる存在でもある。
137創る名無しに見る名無し:2012/05/22(火) 19:33:51.77 ID:A5GI85Wv
その日は、中級課程の魔導工学の授業で、魔力伝導物質の特性実験が行われていた。
中級校舎内の実験室で、出席番号順に4人1組の班に分かれ、班毎に魔力伝導物質が渡される。
魔導合金線、不動鉄線、鋼線、銀線、銅線、魔導ゼリー、水、そして中空のストロー・チューブ。
目的は、真空を1とした時の、各々の魔力伝導係数を、実験により導き出せと言う物。
魔力伝導物質を用いて、簡単な魔法陣を描き、発動した魔法の効果から、
どの程度効率的に魔力が伝わっているかを見る。
実験する際の重要なポイントは3つ。
正確な呪文完成動作で、魔力の使用量を一定にする事。
魔力量による効果の変化が、判り易い魔法を使う事。
微妙な魔力の変化を正確に捉えられる、高い魔法資質を持っている事。
それなりの魔法知識と魔法技術、魔法資質を持っていれば良いので、実験としては、
困難と言う程ではない。
逆に言うと、どれか1つでも欠けていると、中々成功しない。
魔導工学は、修得が義務付けられている科目の1つで、共通魔法の実技とは余り関係無いが、
幾ら技能に秀でていても、基礎的な知識と、それを活かす事が出来る賢さが備わっていなければ、
卒業は認められない。
138創る名無しに見る名無し:2012/05/22(火) 19:35:42.84 ID:A5GI85Wv
ヒュージ・マグナの所属する班は、早々に実験を成功させて、レポートを提出したので、
時間を持て余した。
実験が終わった班と、終わっていない班は、半々位。
実験が終わった班は、他班を手伝うなり、さっさと帰るなり、何をしようと自由だが、
ヒュージは受けを狙って、実験中考えていた事を、実行に移す。
先ずは、担当教師に尋ねた。

 「コノハ先生、この魔導ゼリーってのは、食えるんですか?」

 「ゼリーはゼリーでも、食べ物じゃないから、止めなさい」

 「毒でもあるんですか?
  食べると死ぬとか?」

 「死ぬ様な事は無いけど……」

それだけ聞くと、ヒュージは不敵に笑う。

 「じゃあ、大丈夫ですね」

そして、実験台の上に立ち、魔導ゼリーの入ったビーカーを持って、高く掲げた。

 「さァさァ、お集まりの皆々様、篤と御覧じろ!
  この58番(※)、ヒュージ・マグナが、ここな魔導ゼリーを飲み干してくれよう!」

多くの学生が何事かと驚く中で、ヒュージをよく知る友人と、教師だけは、呆れている。


※:出席番号
139創る名無しに見る名無し:2012/05/23(水) 19:00:29.31 ID:4YZ9wY3o
そこで同班の男子学生、ヒュージの友人であるシューロゥが、彼を止めに掛かった。

 「何やってんだよ、止めとけって!
  お前、ゼリーと言えば食い物しか知らないの?
  昼飯前で腹減ってても、そこは我慢しようぜ」

 「心配するな。
  毒は無いと、先生が言った」

 「そう言う問題じゃねーって!!」

いや、それは制止の言葉ではない。
前振りだ。
シューロゥは本気で止めようとはしていない。
その証拠に、必死なのは口先だけで、表情は半笑いである。
ヒュージはビーカーの中身を凝視しながら、数度深呼吸をした後、ぐっと目を瞑って魔導ゼリーを仰いた。
ぐびぐびと4、5回嚥下すると、空になったビーカーを掲げて、「ッハァー!」と息を吐く。
喉を潤す一杯が堪らないと言った表情を浮かべ、得意気にしていたのは、束の間……。
次の瞬間、口元を押さえて蒼褪めた彼は、実験台から飛び降りて、側の流し台に顔を突っ込み、
一度は胃に納まった物を、全部吐き戻した。

 「う゛ぅえ゛ぇえ!!
  ゲホッ……不味っ!
  ゴホッ、ゴホッ……」

 「お前、本当に阿呆だな」

まるで、こうなる事を予見していたかの様に、シューロゥは手際良く水を流しつつ、
ヒュージの背中を擦る。
噎せ込み、苦しんでいるヒュージに対して、コノハ教諭は冷めた一言を掛けた。

 「お昼前で良かったな、ヒュージ君」

他の学生達の反応は十人十色だ。
爆笑している者もあれば、呆れ果てて物も言えない者も、下らないと無視する者も居る。
140創る名無しに見る名無し:2012/05/23(水) 19:03:26.41 ID:4YZ9wY3o
漸く落ち着いたヒュージは、布巾で顔を拭った後、コノハ教諭に涙声で訴えた。

 「コノハ先生、不味いなら不味いって、先に教えて下さいよぉ……」

 「だから『止めなさい』と言ったじゃないか……。
  本当は、こうなると分かっていたんだろう?
  君の芸人魂には感服するよ」

 「いやいや、分かってませんでしたよ?」

素っ呆けるヒュージの頭を、シューロゥが軽く叩く。

 「どんな言い訳だよ!?
  食い物じゃないんだから、不味くて当たり前だ!」

ヒュージは叩かれた頭を押さえて反論した。

 「いやいやいや、よく考えてくれ、シューロゥ……。
  食い物じゃない事と、不味い事は、一見関係ありそうで、実は関係無いんだ。
  例えば、墨は食い物じゃないが、舐めると甘い味がする。
  ……詰まり、そう言う事だ」

 「どう言う事だよ!?
  っつーか、墨は甘くねーよ!
  さらっと嘘吐くな!!」

2度叩かれて、ヒュージは驚いた顔をする。

 「えっ、お前舐めた事あんの?」

 「舐めたくて舐めたんじゃねーよ!!
  物の弾みって言うか、何かの間違いで偶々口に入っちまったんだ!
  そう言うのって、誰にでも覚えがあるっつーか……、寧ろ無い方が変だろ!?」

 「無いわー。
  何、常識みたいに語ってんの?」

 「あるって!!」

 「それなら、俺が魔導ゼリーを飲んでしまったのも、何かの間違いだな」

 「お前のは、思いっ切り故意だったじゃねーか!!
  間違ってるのは、他の何でもなくて、お前の頭の中身だよ!!」

ヒュージとシューロゥの漫才に、実験室で徐々に笑いが拡がる。
141創る名無しに見る名無し:2012/05/23(水) 19:04:43.67 ID:4YZ9wY3o
これ以上続けられては、実験の妨げになると思ったコノハ教諭は、両手を叩き合わせて、
2人を止めに動いた。

 「そこまでにしなさい。
  未だ終わってない人の事も考えて」

しかし、ヒュージは止まらない。

 「待って下さい、コノハ先生。
  俺は真面目ですよ」

 「真面目って、お前……」

突っ込み疲れて、シューロゥは溜め息を吐いた。
もう付き合い切れないと、彼は持ち物を片付けて、実験室を後にする。
それに構わず、ヒュージは続けた。

 「先生が何を言っても、それは『俺の体験』じゃないでしょう?」

 「本気で言ってる?」

訝し気にコノハ教諭が訊ねると、ヒュージは真顔で頷いた。
その様子を見て、彼女は微笑みながら言う。

 「それは探究心だよ。
  君は中々面白い性格をしているな。
  将来、優秀な研究者になれるかも知れないぞ」

 「冗談!
  俺は魔導師になる気なんて無いですよ」

しかし、ヒュージは自分の将来に関わる、この手の話が苦手だった。
彼は教師の言う事に耳を傾けようとせず、逃げ出す様に話を切って、そそくさと立ち去る。
儘ならぬ物だなと、コノハ教諭は小さく笑った。
142創る名無しに見る名無し:2012/05/23(水) 19:05:45.55 ID:4YZ9wY3o
「魔導ゼリーと言えば、私が子供の頃には、魔導ゼリーの菓子が流行っててな……」

「今も売れてますよ?」

「違う違う。それじゃなくて、その前の。販売差し止めになった奴。あれは本当に酷い味だった」

「何年前の話ですか?」

「……そんな事は、どうでも良いだろう。この話は止めだ」

「えぇー」

「終わりったら、終わり! 早く実験を済ませなさい」
143創る名無しに見る名無し:2012/05/24(木) 20:50:34.39 ID:R7f85eow
「知っている道を行け」――唯一大陸では、この言葉は、「急がば回れ」の意味で使われる。
「急いでいる時こそ、堅実に立ち回るべし」と言う教えだ。
「知らない道には、未知の危険が潜んでいる」と言う教えでもある。
もう1つ、「人に訊けども頼めるな」と言う諺もある。
こちらは、「困った時は人に尋ねるべきだが、頼ってはいけない」と言う意味。
解決の方法を尋ねる事はあっても、解決その物を任せてはならない。
「何事も独力で為せ」と言う教えである。
144創る名無しに見る名無し:2012/05/24(木) 20:54:59.89 ID:R7f85eow
第四魔法都市ティナー繁華街 アーバンハイトビルにて


アーバンハイトビルは、ティナーの繁華街で普通に見られる、雑居ビルの一である。
この3階には、L&RCと言う会社の事務所がある。
L&RC(Love and Romance Consulting room)とは、恋愛相談所の事。
社長イリス・バーティと、事務社員2名の、小さな会社である。
社長を含め、全員が女性の会社で、当然相談者も女が多い。
ある日、この会社に子連れの男が訪れた。
接客の女性社員リェルベリー(※)が応対に出ると、男は社長を呼んでくれと言った。

 「お客様、本日は未だ始業時刻前ですが……御予約は?」

 「お客じゃありません。
  取り敢えず、社長を呼んで下さい。
  ラビゾーと言えば、伝わると思うので」

 「……何の御用か、お教え願えませんか?」

 「個人的な用事なんです」

 「そうは仰られましても……」

 「時間外なんでしょう?」

 「ここで揉め事は困るんです」

この様な事は過去に何度かあったので、リェルベリーは社長の男絡みの厄介事だと思い込んで、
しつこく事情を問い質そうとしたが、男は一貫して社長の呼び出しを要求し、答えなかった。


※:リェの発音はry(リャ、リ、リュ、リェ、リョ)行。
145創る名無しに見る名無し:2012/05/24(木) 20:56:28.85 ID:R7f85eow
男とリェルベリーが押し問答を繰り返していると、社長のイリスが姿を現した。

 「騒がしいわね……何やってんの?
  って、ラヴィゾール!
  ここにアンタが来るなんて、どう言う風の吹き回し?」

 「あっ、社長!」

イリスは、リェルベリーと男を交互に見詰め、男の方とアイ・コンタクトを取ると、
リェルベリーに向かって言う。

 「リェル、少し外してくれない?」

蔑ろにされた気がして、リェルベリーは軽くショックを受けたが、当事者である社長の頼みなので、
聞かない訳には行かない。
リェルベリーは渋々従う振りをして、隣の部屋で聞き耳を立てた。
この男の姿を見た時、イリスの声が僅かに浮付いていた事を、彼女は聞き逃さなかった。
イリスを追って、事務所に押し入る男は、偶に現れたが、強盗目的でもなければ、彼女が不在であろう、
始業時刻前に、事務所を訪ねたりしない。
リェルベリーの知っている限り、彼女が公私を混同した事は無く、時々事務所に入り浸る事は、
体面の問題もあって、誰にも教えていなかった。
イリスにとって、この男が特別な存在だと言う事は、明らかだった。
146創る名無しに見る名無し:2012/05/25(金) 18:52:29.12 ID:sScnIhFx
イリスは自分からは何も言わず、男が事情を説明するのを待った。
男は気不味そうに頭を掻いて、自信無さ気に小声で言う。

 「今日はバーティフューラーさんに、相談したい事がありまして……」

男に「バーティフューラー」と呼ばれても、イリスは無反応で、ただ彼の言葉を待っている。
男は自分の後ろに隠れている子供を、そっと横に立たせた。

 「この子の事で……、その……、この子の服を見繕って貰えませんか?」

 「……それだけ?
  他に言うべき事があるんじゃないの?」

何か隠し事をしていないか、イリスが嫌に冷めた口調で男に迫ると、子供は彼女を恐れて、
再び男の後ろに隠れる。
男は回らない舌で、必死に弁明した。

 「ああ、ええっと、この子は……何と言うか、一時的に預かっているとでも言いますか……、
  その……保護している……と言えば、良いですか?」

 「アタシに訊かれても、知らないわよ。
  一体どう言う訳なの?」

問い詰められて、男は言い難そうに答える。

 「……拾いました」

 「はぁ!?
  どこで!?」

イリスは眉を吊り上げて、威嚇する様に声を高くした。

 「貧民街で」

萎縮した男が小声で付け加えると、イリスは一層トーンを上げる。

 「馬っっ鹿じゃないの!?
  犬猫飼うのとは違うのよ!?
  アンタ、解ってる!?」

 「……――解っています」

窮した男は一転して、非難の声にも怯まず、イリスの目を真っ直ぐ捉えて言い返した。
その存外真剣な眼差しに、彼女は一時声を失った。
147創る名無しに見る名無し:2012/05/25(金) 19:00:45.90 ID:sScnIhFx
我に返ったイリスは、落ち着いた声で問い直す。

 「それで、どうする積もり?」

 「何を?」

 「そこの子供の事よ。
  アンタの養子にするの?」

 「いえ、先ずは引き取ってくれる所を探そうかと……」

 「無かったら?」

 「その時は、僕が」

そう答えた男の目は、イリスが余り見た事の無い、強い決意が秘められた物だった。
彼女は大きな溜め息を吐いた後、じっと子供を見詰め、再び黙り込んだ。
男は自ら話の続きを始める。

 「――で、街を歩くのに恥ずかしくない服を、この子に買って上げたいんですけど……、
  生憎と僕にはセンスが無い物で……」

 「確かに……アンタ、ファッションとかには興味無さそうだし、そう言うの苦手そうよね」

子供から目を離さず、どこか上の空の様な調子で頷くイリス。

 「そんな訳で、バーティフューラーさんを頼った次第です」

 「はいはい」

彼女は男に視線を戻すと、悪戯っぽく微笑み掛ける。

 「回りくどい誘い方するのね、ラヴィゾール」

男は照れ笑いして頬を掻いた。
148創る名無しに見る名無し:2012/05/25(金) 19:05:07.71 ID:sScnIhFx
イリスは改めて、男の後ろの子供を見詰める。

 「その子、男?
  それとも女?」

そして、性別を尋ねた。
男は困り顔で尋ね返す。

 「……どっちでしょう?」

クイズかと思ったイリスは、当て寸法で答えた。

 「女の子?」

わざわざ自分を頼るのだから、男が苦手とする所だろうと予想。
しかし、彼は平然と答える。

 「いや、知りません」

イリスは目が点になった。

 「……我が子の性別を把握してないとか、親としてあり得なくない?」

 「未だ僕の子供になるとは決まってませんよ」

無責任に聞こえる言い訳に、彼女は表情を険しくする。

 「本気で言ってる?」

 「別に知らなくても困りませんでしたし、余り人の裸を見ると言うのは……」

 「こんな子供の裸を見たから何だって言うの?
  アンタ、ロリショタの気でもある訳?」

 「無いですよ!」

本の冗談の積もりだったが、男が向きになって即答したので、イリスは小さな疑惑を抱える事になった。
149創る名無しに見る名無し:2012/05/26(土) 19:31:14.44 ID:oPYwRbaI
子供は小汚い格好をしていたので、イリスはシャワー・ルームで体を洗って綺麗にしようと、
男から預かろうとした。
初対面のイリスを警戒して嫌がる子供を、男は抱き寄せ、心配無いと囁く。
男に宥められ、俄かに落ち着く子供。
その様子に、イリスは言い知れない不快感を覚えた。
誰が知るだろう……彼女に湧いた感情の正体は、嫉妬である。
男の愛を、欲しい儘に受ける子供に、妬いたのだ。
イリスは過去、何度と無く男にアプローチを掛けた。
しかし、男は尻込みするばかりで、一度も乗って来た事が無い。
男女の恋愛感情と、弱者に向ける同情心、博愛の精神が別物だとは、イリスも知っている。
余り良い思い出ではないが、彼女は男の博愛に救われた事がある。
男が子供に向ける愛情は、それと全く同じ物だろう。
それでも嫉妬した理由は、見ず知らずの子供を守る為に、男が人生を懸けたから……。
心の底では、自分だけを見て欲しいと、叫びたかったのである。
150創る名無しに見る名無し:2012/05/26(土) 19:32:11.98 ID:oPYwRbaI
だが、イリスは言えなかった。
この男は、イリスが知っていた男では、なくなっていた。
男の内面の小さな変化を、彼女は無意識に感じ取っていた。
……この日から数月後、イリスは長年慣れ親しんだ街から姿を消した。
L&RCの経営は、元事務社員のリェルベリーとファアルが引き継ぎ、新たに新入社員を加えて、
細々と続けられている。
151創る名無しに見る名無し:2012/05/27(日) 20:15:36.44 ID:wEeDn7Cp
名前に関する諸法則


地方によって名付けは違うが、ボルガ地方を除いて、多くは名・姓となっている。
その中には、古い習慣が残っている地域もある。
代表的な物は、エグゼラ地方のバルハーテ家。
当主、ミロ・ゾ・イダス・カイ・バルハーテは、「バルハーテの子孫イダスの息子ミロ」の意味。
敬称として、ミロ・ゾ・イダス・カイ・グロス・バルハーテ(大バルハーテの子孫)とも呼ばれるが、
公的機関に登録された正式な名前ではない。
流石に長いので、より短く、ミロ・ゾ・イダス或いは、ミロ・カイ・バルハーテと呼ばれる事が多い。
また、エグゼラ以外の地方では、ミロ・バルハーテの方が通りが良い。
その妻アンバーバラのフルネームは、アンバーバラ・ド・グートス・カイ・ベラル・イル・バルハーテであり、
「バルハーテ家に属する、ベラルの子孫グートスの娘アンバーバラ」の意味。
やはり他地方では、アンバーバラ・バルハーテと表記される事が多かった。
ゾは息子、ドは娘、カイは子孫、イルは所属を表す、北方の一部地域独特の物。
ゾ、ドの後には家主名が、カイ、イルの後には家名(始祖名)が付く。
この家名を姓の代わりにしている。
イルは嫁婿だけでなく、養子にも用いられる。
始祖を名乗って、カイの後に名を残す事は、誰にでも出来る訳ではない。
戸籍管理上、少なくとも財産の相続を一部放棄して、完全に独立した一家の主になる必要がある。
始祖を名乗るのは、男性限定ではないが、女性が始祖を名乗る例は少ない。
カイが付くのは始祖の孫の代からであり、始祖の子にはカイを用いず、ゾ、またはドを付ける。
グラマー地方の北部でも、この方式の名を持つ所がある。
152創る名無しに見る名無し:2012/05/27(日) 20:31:11.17 ID:wEeDn7Cp
カイには功績者名の意味もある。
ミヒェロ・ヴラードV・ゾ・オブシーン・カイ・ヴラード・カイ・エルヴィ(実在の人物)は、
「エルヴィの子孫ヴラードの子孫オブシーンの息子ミヒェロ・ヴラード3世」の意味。
エルヴィの子孫に加えて、ヴラードの子孫と付くのは、ヴラードなる人物が過去に功績を上げた為。
カイが2度入るのは、始祖と区別する為。
功績者が始祖の場合には、カイ・ヴラード・エルヴィ、または単にカイ・エルヴィとなる。
過去の風習なので、現在では功績者名は省かれる傾向にある。
因みに、ヴラード・カイ・エルヴィは初代エグゼラ市長。
エグゼラ地方では全員が全員、この様な名付け方を採用している訳ではない。
ゾ、ド、カイ、イルを用いない家系も普通に見られる。
この時、カイニトフ、カッタジール、カードガン、キリンバール、ケイオール等、姓がカ、キ、
ケで始まる時は、カイの名残である事が多い。
稀にイルラシーン、イリンベリール、イロベロート等、イルが元になった姓もある。
名前がアルトゾ、リフェルゾ、ナイラド、マリナド等、男性名+ゾ、女性名+ドで終わる時は、
明確に子を表すゾ、ドの名残と言える。
名前の後にレド、レダ等の、序列名が付く場合は、基本的には、アルトレッドゾ、
アルトレダッドの様にはならない(稀に付ける親が居る)。
一方で、そう言った伝統とは全く関係無い、普通の姓名(※)もある。


※:例としてストラド・ニヴィエリは、ストラ(女性名)+ドだが、男性である。
  発音上は娘を表すドはdouでありドウ、ドー、ドゥーに近い半長音で、ド(do)、またはドゥ(du)と、
  短く区切る一般の男性名とは、厳密には異なる。
  しかし、細かすぎるので、現地でも殆ど区別されていない。
153創る名無しに見る名無し:2012/05/28(月) 18:29:06.67 ID:Kc0HHYr3
ブリンガー地方の小村オーハにて


執行者ストラド・ニヴィエリは、『蛇男<ウェアスネーク>』を連れて、ブリンガー地方辺境の小村、
オーハを訪れた。
オーハは人口1000人に満たない、最小規模の集落である。
この小村に着いたストラドは、フードを深々と被っている蛇男に尋ねた。

 「なア、蛇男さんよォ……そろそろ見覚えのある風景とか無いのか?」

 「残念ながら……」

ストラドの目的は、蛇男を生み出した、外道魔法使いを逮捕する事。
蛇男の目的は、自らの出生の理由を知る事。
互いの目的の為に、1人と1匹は行動を共にしている。

 「心測法で見えた風景にある植物しか、場所を特定出来る物が無いんだぜ?
  何か感付くとか、思い出すとか、無いのかよ」

 「残念ながら……」

 「何だかなぁ……。
  こんなド田舎まで来て、無駄足でしたって落ちだけは、勘弁願いたい物だ」

蛇男は申し訳無さそうに項垂れた。
蛇男の記憶を心測法で探ったカーラン・シューラドッド博士は、蛇男の過去に関係がありそうな風景を、
呪文に書き留めていた。
そこにブリンガー地方北部の一区域にしか自生していない、希少な植物が写っていた事から、
ストラドと蛇男は、関係ありそうな場所を、虱潰しに探し歩いている最中なのだが……、
オーハ村はティナー地方との境から離れて、カターナ地方との境にある。
これまでストラドと蛇男は、ブリンガー地方の北部を西から東へ移動して来た。
希少な植物の自生域は、ブリンガー地方北東部の山間域に限定されている。
詰まり、オーハ村に何も無ければ、蛇男の記憶にある場所の特定は、かなり難しくなると言う事だ。
154創る名無しに見る名無し:2012/05/28(月) 18:31:52.15 ID:Kc0HHYr3
オーハ村の宿を確保したストラドは、思い出した様に、蛇男に言う。

 「そう言えば、ナイト何とかの話。
  あれは、どうなったんだ?」

宿のベッドの上で、とぐろを巻いて寛いでいた蛇男は、鎌首を擡げて尋ね返す。

 「え、何ですか?」

 「どこだかで言ってただろう。
  夜の、ナイトが何とか……」

何を今頃……と思う蛇男だったが、数日前に言い掛けた些細な事を、気に留めてくれていたのは、
素直に有り難かった。

 「ああ、ナイト・レイスです。
  あれはスファダ村の宿に泊まった夜の事で……、俺は知らない間に外へ誘い出されて、
  ナイト・レイスと名乗る変な人に会いました」

蛇男の話を聞いたストラドは、目の色を変える。

 「手前、それ重要そうな事じゃねえか!!
  何で黙ってたんだ!?」

 「だってストラドさん、下らない事は言うなって……」

 「だからってなァ!
  ――……チッ、まあ良い。
  それでナイト・レイスとやらは、どんな奴なんだ?
  何か言っていたのか?」

蛇男の言い訳に激昂し掛けたストラドだったが、自らにも非があると認めると、直ぐに怒りの矛を収め、
話の続きを促した。
155創る名無しに見る名無し:2012/05/28(月) 18:33:02.77 ID:Kc0HHYr3
蛇男は曖昧な記憶を、必死に想い起こす。

 「どんな奴と言われても、影しか見ていないので、取り敢えず『男』だとしか……。
  でも、奴は俺を何とかの子だと――」

 「お前の正体を知っていたのか!?」

 「それは……分かりません。
  俺もナイト・レイスの仲間だとは、言ってましたが……」

 「ナイト・レイス……夜の人種……。
  そいつが、お前を造ったのか?」

一々ストラドが食い付くので、蛇男は少し得意になった。

 「それは違うみたいです。
  俺が何者かに造られた存在だと知ると、驚いた様子で……俺を見守るとか何とか言って、
  姿を消してしまいましたから……」

ナイト・レイスは、闇に紛れて活動すると言われる、伝説上の亜人種。
復興期では盛んに目撃されていたが、現在では妖獣を見間違えた物として、片付けられている。
気になる事があったストラドは、蛇男に訊いてみた。

 「所で、蛇男よ。
  お前自身は『ナイト・レイス』を知っているか?」

 「いいえ、聞いた事もありません。
  何なんですか?」

 「本当に知らないのか?」

 「え、ええ」

蛇男は最近造られたのだから、昔の事を知らなくても不思議ではない。

 「いや、知らないなら良い……」

ストラドは無言で考え込んだ。
お伽噺を真に受ける訳には行かないが……。

 (ナイト・レイス、ナイト・レイスね……。
  面倒な調べ事は本部に頼るとして、誰か動いてくれるかなぁ?
  自分で全部やれとか言われそうで嫌だな……)

彼はオーハ村で何も見付からなければ、魔導師会に連絡して、ナイト・レイスについての調査を、
依頼する事にした。
156創る名無しに見る名無し:2012/05/29(火) 19:04:54.95 ID:UI6/QzKH
第一魔法都市グラマー 古代魔法研究所 プラネッタ研究室にて


この日、プラネッタ・フィーアの元に、魔導師会法務執行部から、依頼状が届いた。
内容を要約すると、「ナイト・レイスに関する情報を纏めて送って欲しい」との事。
プラネッタ自身は、ナイト・レイスの実在を信じていない。
飽くまで、伝説上の存在だと思っている。
しかし、彼女は依頼を特別な物だとは感じなかった。
例えば、ナイト・レイスの伝説に擬えた事件が起これば、その資料が必要になる事もあるだろう。
或いは、ナイト・レイスと何らかの共通点を持つ、新種の生物が、確認されたのかも知れない。
プラネッタは特に疑問を抱かず、関連資料の印刷物を、魔導師会法務執行部に送った。
157創る名無しに見る名無し:2012/05/29(火) 19:20:15.75 ID:UI6/QzKH
ナイト・レイスとは、伝説上の亜人種である。
ダーク・レイス、ナイトフォーク、とも呼ばれており、夜(或いは暗闇、昏闇、暗黒、闇夜、暗夜)の人種
(或いは、人々、種族、民族)と訳される。
その原形は、旧暦の『闇人<ニヒタントロポス>』にある。
闇人は暗闇に対する恐怖に人格を与えた物で、日中は陽の当たらない所――洞窟や廃屋に潜み、
夜間に人を襲うとされていた。
旧暦、暗闇での事件や事故の多さは、魔法暦とは比較にならず、足を踏み外して転落死したり、
通り魔や物盗りに遭ったり、野犬や狼に襲われたりと、無用なら夜中に出歩くなと言われる程だった。
それ等の不幸な事件・事故は、理化学知識が不足していた事もあって、原因特定に至る例が少なく、
特に異常な物、理解不能な物は、大体が闇人の所為にされた。
故に、これと定まった姿が闇人には無く、妖怪・妖精・妖魔の類と同じで、怪現象・怪事件の数だけ、
種族が存在し、同じ性質を持つ物でも、地域によって、容姿や呼び名が異なる。
その中で、人の容姿を一部、或いは全部動植物に置き換えた、所謂『亜人種』が多い理由は、
闇人の伝にある「人ならざり獣ならざる者」と、「影から人を羨望する眼」から、人に近い姿を想像し、
成り代わられる恐怖を表した物とされている。
こうした旧暦の迷信は、魔法大戦後も口伝によって語り継がれ、闇人はナイト・レイスと名を変えて、
再び人々の脅威となった。
治安が安定して、復興期が終わり、一般に理学知識が普及すると、ナイト・レイスの正体は、
殆どが妖獣、或いは自然現象だと推測される様になり、ナイト・レイスを信じる者は激減した。
その代わり、ナイト・レイスの存在は、子供に戒めを教える、『怖い話<ホーリッド・テイル>』として、
伝えられる様になった。
158創る名無しに見る名無し:2012/05/29(火) 19:20:49.29 ID:UI6/QzKH
ナイト・レイスの悪行の代表的な物は、人攫いである。
夜間、或いは人目の無い所で、女子供を連れ去られる話が、各地に残っている。
連れ去られた者が、無事に帰って来る事は稀で、多くは殺されているか、精神を病んだ状態で、
発見される。
特に、魔法資質の低い若い女が狙われ易く、知能の高いナイト・レイスが、集落の存続と引き換えに、
贄として「魔法の素養を持たない若い女」を指定して、要求した例もある。
しかし、ナイト・レイスが関わっていたと見られる事件で、魔法資質の高い女が要求された例は、
一度として無い。
逆に、魔法資質が高い男が要求された例は、少数ながら確認されている。
優先度としては、魔法資質が高い女≪魔法資質が高い男<魔法資質が低い男≪魔法資質が低い女。
この男女の差は、どこから来るのか、詳しい事は不明。
現在でこそ、ナイト・レイスは妖獣だと言われているが、復興期当時は、ナイト・レイスはナイト・レイスで、
ナイト・レイスを退治した後、その正体を進んで特定しようとする者は、殆ど居なかった。
その為、ナイト・レイスが後に妖獣だと判明した例と、その儘ナイト・レイスとして退治された例があり、
魔法資質が低い女を要求するのは、知能が高い妖獣に共通する一般の性質とは、断言出来ない。
復興期当時の資料は、英雄の活躍を過大評価し勝ちで、信憑性が低い事もある。
前述の様に、男が連れ去られる例は少なく、基本的に被害に遭うのは、年若く弱い女性であった。
復興期の魔導師会は、この様に弱者が集中して狙われる事を、非常に憂いており、
時には無謀、時には横暴な振る舞いをしてまで、これを止めに走った。
159創る名無しに見る名無し:2012/05/30(水) 18:42:43.74 ID:o0rV0l2r
失われた歴史の証人


唯一大陸西端 禁断の地にて


「魔法大戦の傷は深く、我々……否、『彼等』は、共通魔法の技術と知識の全てを以って、
 世界の再生を試みた」

「しかし、失われた物は、容易には戻らぬ。
 海に没した大地を浮かせても、その上に在った物は、取り戻せぬ」

「全ては泡沫の夢なのだ。シーヒャントは共通魔法が生み出した、幻想の生命。
 溢れる魔法の力と、在りし日々の記憶を素に、シーヒャントは造られた。
 その為に与えられたのが、『ファイセアルス』――」

「だが、我々の思惑とは別に、新たな生命が、シーヒャントと同じ原理で誕生していた。
 妖獣……そして――――」

「奴等を生み出したのは――――」

「愚かな事だ。やがて魔法の力は失われる……。これは必定。
 その時、魔法によって生まれた物は、皆滅びる」

「シーヒャントは肉無き身。人類の完全なる再生は、確たる肉が無ければ成らぬ。
 生き残った女達は、シーヒャントの命に、肉を与えに旅立った。そう、ウィルルカも、マゴッドも……」

「それが何百、何千年後になるか知れないが、彼等は運命の時までに、為し得る限り、
 シーヒャントに肉を与え、魔法の力無くとも生きられる存在へ、造り替えようと決めた。
 魔法無き世を見据え、時間を掛けて、穏やかに……。これが人類再生計画だ」

「この遠大な計画は、他の魔法使い共では、為し得ない事だ。共通魔法使いは、誇って良い。
 尤も……シーヒャントは、自身が人ならざる物である事を、否定するだろうがな……」

「ともあれ、こうして失われた人種が、私の前に現れた訳だ。事は、我々の望んだ方向に進んでいる。
 啓発会――否、今は魔導師会か……彼等の後継は目的を違えず、よくやってくれている様だ。
 人類が完全に復活する日も近いな」
160創る名無しに見る名無し:2012/05/30(水) 18:46:58.42 ID:o0rV0l2r
「……では、貴方は?」

「私の命は、魔法大戦で失われた。元より、人としての生は望むべくもない。
 魔法が失われると共に、滅びる宿命の身だ。
 その時まで、失われた歴史の語り部として、穏やかに人の世の行く末を見届けさせて貰う」

「それは……寂しくありませんか?」

「私の様な存在を、気に掛けると言うのか? 変わった奴だな。
 心遣いは有り難いが、こんな体になってしまった以上、今更何を言っても、どうにもならない。
 貴様に何が出来るとは思わないし、何をしてくれと頼む気も無い」

「そうですか……」

「……時々、話し相手になってくれれば、それで構わぬ」

「解りました」
161創る名無しに見る名無し:2012/05/30(水) 18:49:07.76 ID:o0rV0l2r
「所で、疑問なんですけど……魔法が失われるとは、どう言う意味ですか?」

「その儘、言葉通りだ」

「『拡がり、薄れる』と言う意味ですか? それとも、『枯渇する』?」

「気にする必要は無い。その時まで、貴様は生きられまい」

「それは……確かに、そうですけど…………。もう1つ疑問があります。
 魔法が使えない――魔法資質が低い事と、古代の人種である事は、関係無いんじゃないですか?
 だって、旧暦の魔法使いは……」

「貴様は、魔法資質が無ければ、魔法が使えないと思っているのか?」

「いえ……確かに、魔法資質が全く無い者でも、共通魔法は使えますけど……。
 大戦の英雄と呼ばれる程の魔法使いが、そんな……」

「疑問を抱くのは良い事だ。それだけ、貴様は賢いと言える。
 しかし……、直ぐ他人に正答を求めるのは、好ましくない。
 少なくとも、自分なりに考えた答えを示してから、物を尋ねるのだな」

「済みません」

「畏まるな。話の種が早々に尽きては、面白くない。そう思ったに過ぎぬ」
162創る名無しに見る名無し:2012/05/31(木) 20:28:27.91 ID:gmGlBJzi
拝啓 プラネッタ・フィーア様

去る今月15日、グラマー市で、史上稀に見る規模の大砂嵐が発生したと聞きました。
市全域に甚大な被害を与えながら、不幸中の幸いと言うべきか、死者は無いとの話で、
安堵しておりますが、プラネッタ先生の御許では、何事もありませんでしたでしょうか?
御心配申し上げる次第です。
私は現在、第三魔法都市エグゼラの北にある、ビカーレン市に向かっています。
こちらは無事その物で、予定に狂いはありません。
来月には、一度グラマー市に帰還したいと思っております。
日取りに関しては、事が決まった折に、改めて御連絡致します。

敬具

7月28日 サティ・クゥワーヴァ
163創る名無しに見る名無し:2012/05/31(木) 20:28:51.90 ID:gmGlBJzi
ガンガー山脈の最高峰、天の座オール・ワンにて


古代魔法研究所の研究員サティ・クゥワーヴァが、監視役の執行者ジラ・アルベラ・レバルトを置いて、
単身ガンガー登頂に挑んだのは、月が欠け始める7月20日の事。
天候は生憎の大吹雪。
雪山はサティを拒む様に、荒れに荒れた。
しかし、彼女は予定を変更せず、ガンガー登頂を敢行した。
天候が回復する見通しは無し。
それを知らなかった訳ではない。
現地の者から事前に、悪天候になると警告されていた。
だが、そんな事は全く問題では無かったのだ。
荒れ狂い唸る極北の冷風も、天地を覆い尽くさん許りの豪雪も、サティを阻む物には成り得ない。
164創る名無しに見る名無し:2012/05/31(木) 20:29:20.90 ID:gmGlBJzi
サティは魔力で自身の周囲の大気を支配し、空を飛んで緩やかに山頂を目指した。
歩いて登ったのでは時間が掛かり過ぎるが、普通に空を飛ぶだけでは、強風に流される。
彼女は魔力の変化を確かめながら、慎重に天へ近寄った。
サティ・クゥワーヴァが期待しているのは、ボルガ地方アノリ霊山で出会った様な、人外の存在だ。
人の立ち入らない領域には、共通魔法の支配を受けない物が潜んでいる事を、サティは学習していた。
過去、天の座オール・ワンに挑んだ者は、悉く不幸な末路を歩んだ。
冷静な見識者は、高山病や低体温症の後遺症が原因ではないかと噂したが、
サティの考えは全く違っていた。
彼等は触れてはならない物に、触れてしまったのではないか……。
そう予想しながら、恐れ知らずにも、彼女は単身ガンガーの頂に向かう。
事実、サティが恐れるべき物は無かった。
彼女は、暖を取らねば、骨の髄まで凍える様な、極寒の冷気を感じる事が出来る。
彼女は、地に這わねば、雲の果てまで飛ばされそうな、吹き荒ぶ強風を感じる事が出来る。
しかし、それは彼女自身を脅かす物ではない。
ルブラン市での一件から、サティ・クゥワーヴァは人ならざる物へ変質を遂げていた。
165創る名無しに見る名無し:2012/06/01(金) 19:06:09.68 ID:TN5FzMud
猛吹雪で殆ど何も見えない、暗黒の雲の中、ガンガーの頂に近付くに連れて強まって行く、
何物かの意思を、サティは感じ取っていた。
それは風や雪を通して伝わって来る。
その正体が旧い精霊言語である事を、サティは殆ど疑問を抱かずに、受け入れていた。

 (雲が、風が、雪が、囁き掛けて来る……。
  これが精霊の父?)

精霊言語は、風の歌、土の匂い、草木の騒めき、水の瀬々らぎ、火の罅焼き(※)、空の煌き、
闇の静寂。
精霊の父とは、星を巡る命、自然その物なのだ。
父と言うより、1つの大きな命、大精霊とでも言うべき存在。
精霊は人の言葉を持たない。
その声は音であり、光であり、熱であり、風であり、人が感じられる物、全てである。
精霊との交信は、言語より早く、人の感覚に訴える、無言の会話。
サティが感じた物は……拒絶と対立、そして畏怖する心。
彼女を恐れる小さな精霊達と、彼女を試そうとする大きな精霊の存在。
サティは常人の感覚では理解し難い物を捉えていた。
それは、過去にガンガーの頂を目指した者が、見た物でもある。
166創る名無しに見る名無し:2012/06/01(金) 19:10:35.80 ID:TN5FzMud
幾層もの雲を抜けて、辿り着くガンガーの頂、天の座オール・ワン。
『天の座<スローン>』の由来は、緯度と標高の関係で、太陽と月が上を跨がない事から、
「空に輝く最も明るい2つの星が、畏れ敬い、頭上を避けて通る」として付けられた。
サティは2角の時を費やし、麓から天の座に到った。
数点前まで荒れ狂っていた吹雪は、雲を抜けた途端、嘘の様に凪いだ。
雪に覆われた山頂の地形は、驚く程に広く平らで、白銀の絨毯を敷いた様。
見渡す限りの雲海に浮かぶ太陽は、旭日の如く。
雲一つ無い上空は、淡い朝焼け色と、深く濃い藍色のグラデーション。
それは正しく、『天の座』と呼ばれるに相応しい、荘厳な景色だった。
小さな精霊達の騒めきは、もう聞こえない。
その代わりに、雄大ながら悠々とした、巨大な物の存在が、より強く感じられる。
サティは静かに、天の座に立てられた標高碑に触れた。
積もった雪を払うと、天の座の名と共に、最大標高111.11Hと刻まれている。
標高碑の周りには、過去に到達した者が立てた、記念棹が5本。
それぞれに、今は亡き登頂者の名が記してあった。
167創る名無しに見る名無し:2012/06/01(金) 19:15:24.33 ID:TN5FzMud
サティは天を仰いだ。
大精霊は天地の広大さを語り続けている。
……成る程、気が狂う訳だと、彼女は独り頷く。
伝承上の存在に過ぎない精霊が、物を言うより雄弁に、心に働き掛けて来る。
畏敬の念さえ抱かせる様な、荘厳な景色の中に置かれた、人間の孤独。
小さい自分以外には、大き過ぎる自然しか存在しない。
その不気味な静寂が、精霊の声を一層明瞭な物にしている。
過去の登頂者は皆、無事地上に帰還しても、この時の強烈な印象が忘れられず、
再び大精霊の存在を確かめに、ガンガーの頂を目指した。
そして命を落としたのだ。
圧倒されるサティの周りで、小さな精霊が悪戯に踊り始める。
俄かに風が荒れて、人の存在を、小さき物と瀬々ら笑う。
サティは反発して、魔法資質を揮い、風を鎮めた。
しかし、小煩い精霊を黙らせても、大精霊は淀まない。
雲海は依然悠々と流れている。
大精霊は偉大であった。
サティは溜め息を1つ吐くと、風と一体になって、天の座からガンガーの西へ飛び降りた。
168創る名無しに見る名無し:2012/06/01(金) 19:18:32.98 ID:TN5FzMud
ガンガーの頂に立った者は、何かに付けて、精霊の存在を感じてしまう様になり、
共通魔法が使えなくなる。
その代わり、精霊魔法に傾倒して行く。
しかし、精霊の存在は、錯覚である。
精霊とは、気紛れに振る舞う、自然の魔力の流れであり、明確な意思を持たない。
魔導師であるサティ・クゥワーヴァは、それを十分に承知していた。
承知していたのだが――……。


(※:造語。火が「パチパチ言う」事を表す動詞が見付からなかったので、日→英→日の手順で適当に。
  crackle=「罅焼き(ひびやき)」は陶磁器の釉に罅(貫入)が出る様に焼く事。または、その技法。
  パチパチ言う=「はぜる」の当て字に、「爆ぜる」と共に「罅ぜる」があるので丁度良いと思った。
  罅焼く、罅焼き、罅焼け、罅焼ける)
169創る名無しに見る名無し:2012/06/02(土) 17:48:10.48 ID:qtGteupx
私の使い魔


ティナー中央魔法学校の中級課程に通うグージフフォディクスは、両親の了解を得て、
自分の使い魔を育てる事にした。
彼女の自宅は、ティナー市内の中流住宅街にある、新築一戸建て。
2階の自室に水槽を置いて、そこで使い魔を育てる。
使い魔を育てる時は、なるべく主人と共に居た方が良い。
互いの魔法資質を覚える事で、結び付きを強めるのだ。
……しかし、グージフフォディクスには、気掛かりな事があった。
彼女の使い魔は、人の手よりも大きい、巨大オタマジャクシである。
成長すれば、当然カエルになる。
グージフフォディクスは、カエルが嫌いと言う訳ではないが、好きと言う訳でもなかった。
年頃の女の子らしく、オタマジャクシ程度なら可愛いと思えるが、大きなカエルになると、
触るのに抵抗がある。
育てている内に、慣れると良いのだが……。
使い魔はペットとは違う。
猫可愛がる必要は無いし、主従の関係と割り切るには、丁度良いのかも知れないと、
頭では解っていても、グージフフォディクスは不安だった。
170創る名無しに見る名無し:2012/06/02(土) 17:52:01.23 ID:qtGteupx
水槽は放置しておくと生臭くなるので、週1回は掃除する。
オタマジャクシの餌は野菜の屑や残飯を与える。
体調を崩したり、病気に罹ったりしていないか、小忠実に観察日記を付ける。
グージフフォディクスは時折、魔法道具店に通ってアドバイスを受け、使い魔を大事に育てた。
目が小さくて不細工だと思っていた、オタマジャクシの顔も、見慣れると愛嬌があり、
長く付き合っている内に、次第に愛着も湧く物で、世話を始めた2週後に後ろ足が生えた時は、
彼女は一日中上機嫌だった。
その2週後には前足が生え、それなりにカエルと呼べる姿に。
使い魔の成長を喜んでいたグージフフォディクスだったが、カエルが水槽から飛び出す様になって、
持て余し始めた。
濡れた体で部屋の中を這い回られては、困るのだ。
ある日、グージフフォディクスは、その事を魔法道具店の使い魔選定コーナーにいる店員に、
相談しに行った。
171創る名無しに見る名無し:2012/06/02(土) 17:55:36.03 ID:qtGteupx
彼女の話を聞いた店員は、こう答えた。

 「使い魔を躾けるのも、主の役目ですよ」

 「それは解っています。
  私が知りたいのは、躾け方なんです。
  カエルの躾って、どうするんですか?」

 「犬猫にやるみたいに、普通にやれば良いんですよ」

 「でも、カエルって無表情だから、何を言っても聞いてなさそうで……」

グージフフォディクスの態度に、店員は顔を顰める。

 「それは誤解ですよ。
  使い魔になる動物は、カエルであれ、トカゲであれ、そこらの下手な犬猫より賢いです」

グージフフォディクスは、店員の言葉を俄かには信じられなかった。
幾ら賢いとは言っても、カエルはカエル。
哺乳類と違って、叱った所で、目に見える反応は無い。
正にカエルの面に水だ。
実際に聞いているかは、やってみなければ判らないだろう。
172創る名無しに見る名無し:2012/06/03(日) 18:55:24.37 ID:t1ilDKqb
店員は、懐疑的な姿勢を崩さないグージフフォディクスの説得を諦め、別の話題を切り出した。

 「それはそうと、グージフフォディクスさん、やっと水から出られる様になったんですから、
  連れ歩いてみませんか?」

 「えっ、連れ歩く?」

 「使い魔は『従者<サーヴァント>』ですから、従えなくては」

 「でも、カエル……かなり大きいですよ?」

グージフフォディクスの懸念は、カエルが大きく重たい事。
犬猫の様には、人と並んで歩けないので、持ち歩くしか無いが……、成体になったばかりなのに、
既に大きさは2手、重さは4袋もある。
これが人を乗せる位にまで、大きくなると言うのだから大変だ。
グージフフォディクスは一瞬、2足歩行するカエルを思い浮かべたが、直ぐに無かった事にした。

 「初めの内は、ナップ・サックに入れて下さい。
  多少重いでしょうが、魔法学校の学生さんですから、軽量化の魔法……使えますよね?」

軽量化の魔法は、心得の無い者が容易に扱える物ではないが、取り分け難しい物でもない。
難易度は中級程度。
中級課程の学生が扱えるかは、微妙な所だったので、多少気遣う様に、店員は尋ねた。

 「ええ」

グージフフォディクスが静かに頷いたのを見て、店員は失言にならなかった事を、内心で安堵する。

 「基本的に、使い魔は魔法が通じ易いですし、あの子は貴女との相性も抜群ですから、
  普通より高い効果が得られます。
  使い魔は将来、貴女の手足となって動く物です……。
  今の内から、貴女の魔法を体で覚えさせて、馴らすべきですよ」

使い魔と共に行動する意義を諭され、グージフフォディクスは一応頷いた。
173創る名無しに見る名無し:2012/06/03(日) 18:58:27.42 ID:t1ilDKqb
一応と付いた理由は、カエルの使い魔を連れ歩くのに、彼女が余り乗り気でないからである。
主人になった以上、グージフフォディクスは責任を持って、カエルを使い魔として育てる。
途中で投げ出したりは、絶対にしないと決意している。
だが、変な趣味を持っていると、級友に思われたくなかったので、堂々と連れ歩くのは、
中級課程を卒業してからにしたかった。
そんな彼女の思惑も知らず、店員は話を続ける。

 「そうやって持ち歩くのも、数月の事です。
  直ぐに大きくなって、人の足にも付いて行ける様になりますよ。
  ぴょんぴょん跳ねて、これが意外と可愛いんです」

楽しそうに語る様子に、想像だけで何と無く、本当に可愛い気がしてしまうグージフフォディクス。
しかし、友人の反応が気になる。
中には、可愛いと思ってくれる者も居るだろうが、やはり気味悪がるのが大半だろうと思うと、
気が重かった。
174創る名無しに見る名無し:2012/06/03(日) 19:01:42.11 ID:t1ilDKqb
浮かない表情のグージフフォディクスに、店員は違う話題を再び振る。

 「あ、そう言えば……名前、何て付けましたか?」

 「えっ……いえ、未だ……」

彼女の答えを聞いた店員は、大袈裟に驚く。

 「未だ!?
  早く決めた方が良いですよ!」

 「でも、中々良い名前が浮かばなくて……。
  大きくなると、何か可愛いって感じでもないですし……」

グージフフォディクスとて、何も大事に思っていない訳ではない。
悩んでいる内に、月日が過ぎてしまうのだ。
将来、人前に出す事を思うと、尚更である。

 「考え過ぎですよ。
  名前なんて、イメージと『直感<イントゥイション>』で決める物です。
  早くしないと、折角名前を決めても、自分の事だと認識しないかも知れませんよ?」

 「は、はい……」

決断が遅いのは、自分の欠点だと理解している。
主としての中途半端さを思い知らされ、グージフフォディクスは晴れない感情を胸に、
使い魔選定コーナーを後にした。
他人の目を気にしない、強い心があれば……と、思わずには居られない彼女であった。
175創る名無しに見る名無し:2012/06/04(月) 18:25:45.43 ID:VTremde/
『魔族<デモンカインド>』


旧暦の伝承にある『魔族<デモンカインド>』(※)とは、独自の価値観を持つ、異界の怪人種である。
概して、人間より強い膂力と魔法資質を持ち、魔族の貴族(魔貴族、魔華族、魔公、魔侯)である、
アリストクラティアが絶大なる権力を持つ、完全な階級社会に生きる。
圧倒的な能力を持ちながら、誠実さを絶対的なステータスとしており、強大な能力を持つ存在程、
契約を遵守する性質を持つ。
基本的に横暴なので、能力の劣っている相手が、優れた者に対して礼節を尽くすのは、
当然だと思っている。
その一方で、礼を失さず、誠実な心を持つ者には、能力で劣っていても、対等な存在と見做して、
話を聞く。
性質上、嘘を極端に嫌い、自らを欺こうとする者には、厳しい罰を与える。
魔族は基本的に不死身であり、苦痛を恐れない。
魔族同士で暴力を振るい合う事は、殆ど無意味で、口喧嘩にも劣る、戯れ合い程度の意味合いしか、
持っていない。
魔族にとって重要な事は、魔力の扱いと、それを活かせる知識、そして平静さを欠かない精神力。
これが魔族の強さに直結する。
故に、嘘は嫌いだが、気骨ある者と、賢い者は好意的に評価する。
魔族にとって、契約を守る事と、魔力の扱いが得意な事は、深い関係を持つ。
零下で水が氷に変じる様に、魔族は極自然な物として契約を守り、また守られるべきであると、
信じて疑わない。


※:魔人族、魔神族、鬼族、鬼人族、鬼神族とも言われる。
176創る名無しに見る名無し:2012/06/04(月) 18:27:11.94 ID:VTremde/
『魔族<デモンカインド>』の価値観は、契約遵守が最優先である事は、先に述べた。
これは創作話に見られる、所謂『悪魔の取引<ディール・ウィズ・ザ・デビル>』として知られている、
書類に署名する形式を取らずとも、口頭であっても変わらない。
魔族が最も嫌うのは、約束が意味を成さない白痴の者である。
時に白痴の者を利用して、種々の理不尽な契約を結ばせ、破棄の代償を払わせる魔族もあるが、
それは大抵下等な魔族で、アリストクラティアに近い魔族は、何らかの大きな目論見が無い限り、
約束を守れない者は相手にしない。
魔族は不死の性質上、常に退屈であり、殴り合いと知恵比べで暇を凌いでいる。
儚い種族である人間が、魔族との契約を試みる際、どこに気紛れの矛先が向かうのかを、
最初に恐れなくてはならない。
魔族の中でも下等な物は、契約の重みを知らない事が多い。
仲間内で卑下される下等魔族は、鬱憤晴らしに人間を虐げる事がある。
よって、人間にとっては、下等魔族の方が、アリストクラティアより脅威になる。
契約を理解しない下等魔族は、アリストクラティアの真似をして、人間と契約する事もあるが、
その契約は下等魔族側の一方的な都合によって、簡単に破られる事が多い。
魔族を召喚して、契約を結ぶ際、アリストクラティアの相手は難しいと思うなら、
高名なアリストクラティアの配下を選べば良いとされる。
アリストクラティアの配下の魔族は、主人の名を汚さぬ様に、契約を遵守するからである。
アリストクラティアの中でも、契約違反となる行為に、注意・警告の類をする物と、一切しない物に分かれる。
この点は魔族の性格と、契約者に対する好意の有無で変わる。
知恵者を好む魔族には、詭弁に近い言い訳を認める物もあるが、それでも主張の反言は認めない。
これにより本人の言い分に矛盾が生じた場合、契約破棄と見做される。
魔族は人に対して、常に優位な関係にある。
アリストクラティアは人に従うのではなく、契約と法に従う。
それを忘れて主人面していると、契約が終わった時に手痛い竹箆返しを食らう。
魔族に人間の価値観は通用しない。
情に訴え掛ける事は無意味で、寧ろ付け込まれる。
裏を掻こうとすれば、その意図を見透かされる。
人間に対して好き嫌いと言った感情を抱く事はあるが、それ以上の物は無い。
どんなに好意的に見ていても、多少親切にする事はあれ、契約違反を見逃したりはしない。
振る舞いを1つ間違えると、途端に突き放される。
177創る名無しに見る名無し:2012/06/04(月) 18:33:08.53 ID:VTremde/
『魔族<デモンカインド>』の存在は、『魔法大戦の伝承』で確認出来る。
大魔王アラ・マハイムレアッカの配下、五天侯が魔族のアリストクラティアである。
実体を持たない上に、尋常ならざる魔法資質を持っていた為、真面な攻撃が一切通じず、
大戦六傑の一である滅びのイセンが、策略によってアラ・マハイムレアッカに契約を破棄させ、
その後に五天侯を撃破しなければ、魔法大戦はアラ・マハイムレアッカの勝利に終わっていたと、
同書には記されている。
幾つかの旧暦の伝承によれば、異界は何体ものアリストクラティアが割拠する世界で、
支配階級たるアリストクラティアの中でも、特に有力な物は、『魔王<デモン・ロード>』と呼ばれる
(或いは自ら名乗る)。
異界の魔族は、混沌の底から無意味に、そして無制限に生まれる物で、更に不死身の為に、
放置すれば異界は有象無象の魔族で溢れ返る。
生まれ落ちた時から、魔族の能力は決まっており、一部の学習能力以外は、生涯成長も衰退もせず、
特に知能が低い物は、魔物と呼ばれ、魔族の下に位置付けられる。
魔物と魔族に死を与えられる物は、知恵ある魔族のみで、魔王は死神の役割も持っている。
魔王は1体毎に独自の絶対的な法を設け、それを支配下の領域に適用する。
故に、異界は1つの世界でありながら、領域を跨げば法が異なる、混沌の世界となっている……らしい。
五天侯の目的は地上を支配下に置く事であり、大戦六傑はアラ・マハイムレアッカを倒した後も、
五天侯を退けなければ、世界は異界の様に、混沌の世界になっていた。
しかし、五天侯は各々が魔王で、アラ・マハイムレアッカとの契約の下に集結していたのであり、
互いに協力関係には無かった。
それが共通魔法勢力にとって、最も幸いな事だったと、魔法大戦の伝承にはある。
一説では、『大魔王<デモン・アークロード>』を名乗るアラ・マハイムレアッカは、元々異界の存在だったか、
或いは、魔王に意識を乗っ取られた人間だったのではないかと言われている。
178創る名無しに見る名無し:2012/06/05(火) 18:31:37.47 ID:EXxiWi4b
「異界の神々よ、この世ならざる物共よ、我等1澗の命総て、君等の降臨を良しとせず。
 去ねや、去ねや」


童話「異界の王」より


始まり


遠い遠い世界の、遠い遠い昔の話、混沌の世界がありました。
混沌とは、天と地が定まる前の事を言います。
混沌から天と地が定まり、次に人が生み出されるのが、正しい順番なのですが、
その遠い世界では天と地が定まるより先に、人が生まれてしまいました。
そこには大地も空も海も無いので、人が全部創らなくてはなりませんでした。
遠い世界で最初に生まれた人は、男の人でも女の人でもない、単眼の巨人でした。
その人は何より先ず、世界を安定させる為の法を創ろうとしましたが、その間に2番目の人が、
生まれてしまいました。
2番目に生まれた人は、男の人でも女の人でもない、顔無しの巨人でした。
2番目の人は、最初の人の真似をして、最初の人とは違う法を創ってしまいました。
2番目の人が法を創っている間にも、次々と人が生まれ、それぞれが前に生まれた人の真似をして、
次々と法を創って行きました。
その結果、最初から13番目までの人が創った、13の法によって、世界は13の領土に分けられ、
法を創った最初の13人は、それぞれ王として君臨しました。
179創る名無しに見る名無し:2012/06/05(火) 18:34:27.57 ID:EXxiWi4b
創世後


遠い世界は、栓が壊れた水道の様に、混沌から無限に命が生まれ続ける、不思議な所です。
世界は13人の王により、13の法と領土で分けられた物の、一応の天地が定められた事で、
取り敢えず安定しました。
しかし、13人の王は誰一人、混沌から生まれ続ける命を、止める法を創りませんでした。
そこまで考えが至らなかったのです。
その為に、生まれた人は死なず、飢えず、老いもせず、遠い世界は命で溢れ返りました。
放って置くと、限りある天地は人で埋め尽くされ、どんどん居場所が失われて行くので、
13人の王は仕方無く、人を殺す方法を創り、新しい命を潰す事にしました。
法を創って天地を定めたのは王、王の領土で生まれた物は、どうしようと王の自由と言う事で、
誰も反対しませんでした。
人を殺す方法を創った13人の王は、自分の知らない所で、人が人を勝手に殺してしまう事を、
快く思わなかったので、それを自分達だけの秘密にしました。
死にたくなかった人々は、王の領土を離れて、混沌の海が広がる、遠い辺土(※)へ逃げました。


※:所謂『リンボ(limbo)』の事。
180創る名無しに見る名無し:2012/06/05(火) 18:40:58.90 ID:EXxiWi4b
王の死


こうして長い間、遠い世界は平和でしたが、そこに暮らす人は退屈して行きました。
何しろ、死なず、飢えず、老いもしないのです。
それは13人の王も同じでした。
13人の王は、娯楽の為の法を創り、退屈を凌ぎました。
その中の1人、世界で7番目に誕生した王は、領土を支える王の仕事に、飽き飽きしていたので、
王である事を辞める為に、人を殺す方法を領民に教えました。
そして、領民を殺し合わせ、生き残った人を王にすると、宣言しました。
領民も王と同じく退屈していたので、喜んで殺し合いを始めました。
激しい戦いの末、生き残った最後の領民は、そのまま7番目の王を殺して、14番目の王になりました。
14番目の王も、人を殺す方法を領民に教えました。
14番目の王は、そこで領民を殺し合わせるのではなく、領民を率いて他の王に戦いを挑みました。
人を殺す方法を知らない人と、知っている人とでは、全く戦いになりません。
そこで12の王も、自分の領民の中で能力のある物に限って、人を殺す方法を教えました。
遠い世界は瞬く間に乱れ、戦火に包まれました。
人を殺す方法は、人伝に広まり、やがて誰もが知る所となりました。
ただ殺されるだけでは詰まらないので、殺される前に殺してやろうと、誰も彼も伝染病の様に、
殺し合いを始めました。
激しい戦いの中で、古い王は全員、殺されてしまいました。
それでも戦いが終わる事はありませんでした。
混沌は絶えず命を生み落とし、退屈していた人々の渇きを癒しました。
181創る名無しに見る名無し:2012/06/05(火) 18:42:03.46 ID:EXxiWi4b
新たな王


王の死後も、過去に創られた法は生きていましたが、統治者を失った遠い世界は、乱れに乱れました。
そこに現れたのが、辺土からの帰還者でした。
帰還者は辺土で得た知識を揮い、闘い続ける人を抑え、統治者に相応しい新王を決めさせて、
長い戦を終わらせました。
好い加減、人々も殺し合いに飽き始めていたので、意外と事は、すんなり運びました。
新王は新しい法を創り、無闇な殺しを禁じました。
遠い世界の人々は、再び退屈な日々に戻りました。
182創る名無しに見る名無し:2012/06/06(水) 19:42:05.35 ID:aawa6ART
新しい発見


その後、何度か王が代わったり、退屈凌ぎの戦争が起こったりしましたが、大きな変化は無く、
遠い世界は落ち着いていました。
しかし、それでは面白くないと思った34番目の王は、歴代の王の中で最も賢いと言われる、
33番目の王に、新しい遊びは無いかと聞きました。
33番目の王は賢いのですが、領土を支える王の仕事より、色々な法を創る研究が好きで、
気紛れに法を創っては、領民を困らせる変人です。
33番目の王は、34番目の王に言いました。

 「辺土に広がる混沌の裏側には、別の世界があるらしい。
  どれ、お前と己とで、行ってみようじゃないか」

34番目の王は喜んで、領土も仕事も放り出して、33番目の王と一緒に、辺土へと旅立ちました。
辺土に着いた、33番目の王と、34番目の王は、混沌の裏側を探しました。
しかし、混沌とは本来、取り留めが無い物で、表も裏もありません。
幾ら探しても、混沌の裏側なんて見付かる訳が無く、34番目の王は探し飽きてしまいました。
「もう帰ろう」と言う34番目の王でしたが、33番目の王は、こう答えました。

 「裏側が無いなら、創れば良い」

33番目の王は、混沌に裏側を創って、別世界への扉を開きました。
183創る名無しに見る名無し:2012/06/06(水) 19:47:07.95 ID:aawa6ART
別世界へ


33番目の王と、34番目の王は、混沌の裏側にある別世界に、飛び込みました。
そこには空があり、海があり、大地があり、人が住んでいました。
33番目の王と、34番目の王が、この領土を創ったのは誰かと、その世界の住人に問うと、
「それは神だ」と言う答えが返って来ました。
住民の説明では、別世界は全て、神と言う物によって創られたのだと言うのです。
33番目の王と、34番目の王は、「神」なる物が創った別世界を巡りました。
その世界は、私達の世界と同じで、空には昼と夜がありました。
命は卵から孵り、子供になって、大人になって、年老いて死にます。
死んだ命は蘇りませんが、命は命を消費して、廻っていました。
33番目の王と、34番目の王は、美しく法が整えられている、この世界を甚く気に入りました。
33番目の王と、34番目の王は、どうやって世界を創ったのか聞き出そうと、「神」を探しましたが、
結局見付かりませんでした。
33番目の王と、34番目の王は、神を探す事を諦めて、元の世界へ帰りました。
それで、時々この世界に遊びに来る事にしました。
184創る名無しに見る名無し:2012/06/06(水) 19:48:29.61 ID:aawa6ART
1つの世界の終わり


33番目の王と、34番目の王が、元の世界に戻ると、遠い世界は、混沌の裏側にある別世界の噂で、
持ち切りになりました
退屈していた人々は、一目別世界を見ようと、続々と混沌の裏側へ向かいました。
所が、人々は見物だけでは飽き足らず、神が不在の別世界を蹂躙し始めました。
別世界の命は、遠い世界の人が軽く小突いただけで、簡単に失われてしまいます。
別世界の住人は、命が消えると、怒り悲しみます。
遠い世界の人にとっては、それが何とも新鮮で、愉快でした。
一方で、余りに簡単に失われる命を、哀れに思う人も出始めました。
そして、別世界を荒らす人と、別世界を守ろうとする人との間で、大戦争になりました。
33番目の王と、34番目の王も、別世界を守る側に立ちました。
しかし、激しい戦いの末に、別世界の住人は滅んでしまいました。
34番目の王も、戦いの中で命を落としました。
守るべき物が無くなったので、別世界を守ろうとしていた人は、戦いを止めました。
別世界を荒らしていた人も、何も彼も荒らし尽くしてしまったので、満足して去りました。
この悲しい出来事が、再び繰り返されない様に、33番目の王は、別世界へ通じる混沌の裏側を封じ、
人の行き来を禁じました。
その時に、何人かは別世界に置き去りにされました。
置き去りにされた人は、別世界を蘇らせる為に、自分の意思で残った人です。
それ以来、別世界の存在を知った遠い世界の人々は、懲りずに新しい別世界を探し始めました。
次は、どの世界が狙われるのでしょう?
それは私達の世界かも知れません。
185創る名無しに見る名無し:2012/06/07(木) 18:44:57.98 ID:fyPJFL0G
今気付いたけど、娯楽魔法競技の「ストリーミング」を、何回か「スクリーミング」にしていた。
「流れ」と言う意味の「stream」から付けたのが、どうして「叫び」と言う意味の「scream」に?
どこで記憶違いしたのか……。
魔法色素と魔法資質の混同と言い、どうやら似た音に弱いらしい。
過去にも間違えていた。
反省。
諸悪の根源は、「ストリーミング」の名称と競技内容との関連性が薄い事だと思う。
当初は、魔力石から魔力を「流出させる」と言う意味だった。
186創る名無しに見る名無し:2012/06/07(木) 18:55:49.67 ID:fyPJFL0G
里帰り


唯一大陸西端 禁断の地にて


ラビゾーが禁断の地を発ってから2年後……彼は再び、この地に戻って来た。
禁断の地の村は、魔法によって守られた場所なので、一度出たら戻れない様な仕掛けが無いか、
不安ではあったが、予想に反して何の問題も無く、ラビゾーは村に戻れた。
実際は数年間暮らしていたに過ぎないが、ラビゾーは村を故郷の様に思っていた。
村人も快く彼を迎えてくれ、ラビゾーは安堵した。
最もラビゾーの帰還を喜んでくれた村の子供等は、誰も揃って一回り大きくなっており、
彼は時の流れを感じずには居られなかった。
一方で、今回の帰還は、必ずしも心安まる物とは、言えなかった。
ラビゾーにとって最も辛かったのは、村人に「自分の魔法は見付かったのか?」と問われる事であった。
確かに、そう公言して村を出た物だから、誰も彼も同じ事を尋ねて来るのは当然。
その度にラビゾーは否定せねばならず、我が与太者振りを思い知らされた。
村人の中には、自分の魔法を見付けるまでは帰って来ないと、早合点していた者もあったので、
特に悪い事をした訳でもないのに、ラビゾーは肩身の狭い思いをせねばならなかった。
187創る名無しに見る名無し:2012/06/07(木) 19:03:44.38 ID:fyPJFL0G
禁断の地の外を旅したラビゾーの土産話は、村の子供等を大いに喜ばせた。
各地で暮らす外道魔法使いの事、共通魔法社会の裏表、名所名物、日の暮らし方……、
その何れもが閉鎖的な村で暮らす者にとっては、魅力的に聞こえた。
しかし、それを好ましく思わない大人も居た。
ラビゾーの後に続いて、村を出る者が増えはしないかと、懸念したのだ。

 「ラビゾー君、余り気を持たす様な事を、子供等に吹き込まんでくれぃ……」

 「別に、そんな積もりは……。
  何も楽な話ばかり聞かせている訳じゃありませんよ。
  外には魔導師会がありますし、それなりに怖い思いもして来ました」

 「若い身には、怖ぜ話も妖しく響いてしまう故に」

 「はぁ……そう言う物ですかね……」

今一つ、しっくり来ない様子で、ラビゾーは首を傾げる。
誰にも過ぎた日々と言う物がある。
何か覚えの一つ二つでもあるのだろうと、彼は心内で独り勝手に頷いた。
しかし、思わぬ答えが返って来た。

 「現に、バーティフューラーの子は出て行ったよ」

 「なっ、何と……?
  今のは本当ですか!?」

 「己(おい)が嘘を言って、どうなる」

ラビゾーは心臓が飛び出す程に驚いて、蒼褪めた。
188創る名無しに見る名無し:2012/06/08(金) 19:02:12.20 ID:mg1ezZpG
禁断の地の外は、外道魔法使いには危険過ぎる。
何より、魔法に関する警察組織とも言える、魔導師会の存在が恐ろしい。
ラビゾーは急いで、村外れにあるバーティフューラーの家に向かった。
彼女に外への希望を抱かせたのは、自分だと思うと堪らなかった。
バーティフューラーの家に着いたラビゾーを迎えたのは、彼女の妹ルミーナだった。

 「あ、ラヴィゾールさん!
  お帰りになっていたんですね。
  お久し振りです」

 「はい。
  妹さん、お姉さんが村を出たと言うのは、本当ですか!?」

挨拶も疎かに、息を整える間も惜しんで、ラビゾーは食い掛かる様に尋ねる。

 「え、ええ……。
  半年程、前の事です」

 「その時、何か言ってませんでした!?」

 「お、落ち着いて下さい」

その鬼気迫る勢いに圧されながらも、ルミーナはラビゾーを宥めた。

 「あ……失礼しました……」

我に返って縮こまり、深呼吸を繰り返すラビゾーを見て、彼女は笑みを洩らす。

 「姉さんの事、想って下さっているのですね」

ラビゾーは静まり掛けた気を再び乱し、慌てて否定した。

 「いいえっ、そんな大層な物ではありません。
  ただ僕の所為だと思うと……」

彼の言葉は、責任の重さを感じて発せられた物であって、本人に謙遜の積もりは無い。
優しさとも言い難い、偽る所の無い本心だった。

 「それでも、何とも思っていない人に、心を砕いたりはしないでしょう?」

 「……外は危険な所です。
  誰であれ、何とも思わないなんて事はありませんよ」

ルミーナの好意的な解釈も、ラビゾーは真顔で拒んだ。
その堅物振りに、ルミーナは感心と呆れが入り混じった、小さな溜め息を吐いた。
189創る名無しに見る名無し:2012/06/08(金) 19:07:22.36 ID:mg1ezZpG
彼女は暫し考え込んだ後、ラビゾーに微笑み掛ける。

 「ラヴィゾールさんは、本当に変わった人ですね」

遠回しな表現だが、はっきり言うと変人である。
反応に困ったラビゾーは、戸惑い気味に苦笑した。

 「でも……姉さんは、そう言う所に惹かれたんだと思います。
  貴方の、誰にでも分け隔て無く優しい所に」

 「持ち上げないで下さい。
  人に嫌われるのが怖い小心者ですよ」

ルミーナの言葉に面映くなるラビゾーだが、こんな話をしに来たのではないと、首を横に振る。

 「それより、バーティフューラーさん……お姉さんは、貴女に何か言っていませんでしたか?
  どこに、何をしに行くとか……」

ルミーナは困り顔で答えた。

 「そんな事は全然……。
  私は止めたんですけど、もう帰らないと言って」

まるで駄々っ子の我が儘だと言わんばかりに、彼女の語り調子は軽い。
先の話と言い、ルミーナは余り姉を心配している様には見えなかった。
190創る名無しに見る名無し:2012/06/08(金) 19:15:21.34 ID:mg1ezZpG
ラビゾーは不審に思って、失礼を承知で尋ねる。

 「……何と言うか、そんなに心配してないんですか?
  いえ、余り気になさっていない様なので……」

 「ん、まぁ……姉さんは言い出したら聞かない人ですから。
  心配と言えば心配ですけど、姉さんにはトロウィヤウィッチの魔法もありますし」

トロウィヤウィッチの魔法は、魅了の魔法である。
警戒していなければ、無自覚の内に取り込まれる、恐ろしい魔法。
故に、トロウィヤウィッチは表立って誰かと敵対する事は無い。
しかし、ラビゾーは深刻な面持ちで言った。

 「いや、だからこそ危ないんです。
  魔導師会と言う組織は、外道魔法――共通魔法以外の魔法を、取り締まっています」

共通魔法社会の秩序を守る、魔導師会の執行者にまで、トロウィヤウィッチの魔法が通用するか、
確証は無い。
長い魔導師会の歴史から考えると、トロウィヤウィッチの魔法は、社会に混乱を齎す物として、
重刑罰の対象となる可能性もある。
ラビゾーは魔導師ではないので、詳しい事は知らないが、当然対処方法も知られているだろう。
――それでも、ルミーナは事態を重く見ていない様だった。

 「……でも、今の所は問題無いみたいですよ」

 「どうして……?」

姉妹にしか解らない、共感能力でもあるのかと、ラビゾーは疑った。
そんな彼に、ルミーナは笑顔で答える。

 「姉さんの身に何かあれば、トロウィヤウィッチの魔法は、私に受け継がれます。
  そんな気配は、未だ無いので」

 「いや、僕が心配しているのは、そう言う事じゃなくて――」

死んでいなければ良いと言う物でもあるまいと、ラビゾーは抗議しようとしたが……、

 「ルミーナ!」

突然、家の中から男の声がして、彼は身構え、口を閉ざした。
191創る名無しに見る名無し:2012/06/08(金) 19:21:05.46 ID:mg1ezZpG
出て来たのは、村の若者。

 「おっ、ラビゾーさん!
  『自分の魔法』は見付かったんですか?」

 「いや、未だ……」

開口一番、最も受けたくない質問をされて、ラビゾーは身を引く。
この瞬間、彼は全てを理解した。
そしてルミーナに問う。

 「……何時から?」

 「彼とは長い付き合いです。
  ラヴィゾールさんが村に来る前から……ずっと」

照れ臭そうに言う彼女を見て、ラビゾーは早々に立ち去る決意をした。
人を魅了する姉が居たから、今までルミーナは気軽に男と付き合えなかった。
その戒めが解かれて、漸く自由の身になったのだ。

 (それにしても、淡白過ぎやしないか……?
  信頼している……のか?)

実の妹すら本気で心配している様子が無い事に、ラビゾーは軽いショックを受けた。
他人事でありながら、最も心を砕いているのが、自分なのだと思うと、物悲しくなって来たのである。
そんな心配は全く無用だったと知るのは、未だ後の事。
彼は気の小さい男であった。
192創る名無しに見る名無し:2012/06/10(日) 17:04:43.64 ID:2n3KYt+V
魔犬と少年


ブリンガー地方キーン半島の小村ルインにて


キーン半島の小村ルインには、復興期の頃から、村外れの森に暮らす魔女の伝説がある。
ソーシェの森と呼ばれる、その森は魔犬の棲み処になっており、安易に立ち入ってはならないと、
村の子供は強く誡められている。
森に入らなければ、魔犬は人を襲わないし、村にも入らない。
それには深い理由がある。
ソーシェの森は初め、メシェンの森と呼ばれていた。
メシェンの森に棲む獰猛な魔犬の群れは、度々ルイン村を襲って、人畜に甚大な被害を齎した。
ソーダ山脈を隔てた向こうなので、魔導師会は未だ到着しておらず、駆除も儘ならない状態。
人々は何より魔犬を恐れた。
その救い主となったのが、魔女である。
ソーダ山脈を越えて、ルイン村を訪れた魔女は、困っている村人を見兼ねて、自分が魔犬を抑え、
この問題を解決すると言い出した。
半信半疑だった村人の目の前で、メシェンの森の魔犬を手懐けて見せた魔女は、人と獣の媒をし、
森に誰も立ち入らせない事を条件に、村の平和を約束した。
193創る名無しに見る名無し:2012/06/10(日) 17:05:52.30 ID:2n3KYt+V
――その後、魔女は森に住み付き、村人の前に姿を現さなくなった。
この事から、メシェンの森は、ソーシェの森と呼ばれる様になったと云う。
それには、当時勢力を拡大し始めた魔導師会から、身を隠す狙いもあったのだろう。
魔導師会がルイン村に立ち寄った際、村人は律儀に魔女との約束を守り、魔導師をソーシェの森に、
立ち入らせなかった。
魔法暦500年を迎えても誡めは生きており、村人は用も無く森に立ち入ったりはしない。
しかし、500年の間に一度も誡めが破られなかったかと言うと、それは無い。
これはルイン村に住んでいた、ある少年の体験である。
194創る名無しに見る名無し:2012/06/10(日) 17:06:57.27 ID:2n3KYt+V
この少年は、ルイン村で生まれ育った、極普通の子供で、特別優等でも劣等でもなかった。
ルイン村は狭いので、村中誰もが顔見知りで、同年代の子供は、全員友人関係にある。
両親共に健在で、孤独とは無縁だった。
彼が森を訪れたのは、子供同士の度胸試しが元であった。
目的は、ソーシェの森の中にあると言う、魔女の家を見付ける事。
魔女の伝説は、何百年も昔の話、その実在を信じている者は、大人も子供も半々程。
森に近付かないのも、魔女との約束と言うより、魔犬を恐れる面が強い。
子供等にとって度胸試しは、単なる暇潰しの遊びではなく、伝説の真偽を確かめる意味もあった。
子供等は、伝説にある魔犬を、余り恐れていなかった。
魔女との約束を守って、森に立ち入らない限りは、魔犬に襲われる事は無い。
それ所か、魔犬の姿を見る機会も殆ど無い。
子供等が稀に耳にする魔犬の目撃談は、夜中に町外れを彷徨いている所を見掛けたと言う程度の物。
大人に恐ろしい恐ろしいと言い聞かされるのみでは、その恐怖を実感出来なかった。
子供等は単純に、魔犬と言う物を、よく知らなかったのである。
精々飼い犬が少し凶暴になった程度の物としか、認識していなかった。
故に、少年は最初、生意気盛りの10人の友人と共に、木の棒やらナイフやらを片手に、
森へ向かっていた。
しかし、少年等が森に入ると直ぐ、どこからとも無く、魔犬の遠吠えが聞こえ始めた。
それは木々の間を木霊して、方向が掴めない。
耳に纏わり付く様な、低い唸り声も時折する。
取り囲まれていると感じた、何人かの子は、怖気付いて退却を訴えた。
村から離れる毎に、茂みを揺らす音、落ち葉を踏んで駆ける音、遂には威嚇吠えまで、
魔犬の接近を感じさせる現象が、頻繁に起こる様になる。
少年の友人は恐怖に駆られ、1人また1人と脱落して行く。
195創る名無しに見る名無し:2012/06/11(月) 19:58:46.57 ID:/ed3w26v
日暮れには未だ早いが、森の中は既に薄暗くなっていた。
見上げても、振り返っても、視界に入るのは木ばかり。
これまで道は一本だったが、少年は本当に戻れるのか、流石に自信が無くなって来ていた。
しかし、魔犬と思しき存在は、物陰で吠え続けるばかりで、一向に姿を現さず、襲って来る気配も無い。
少年は不安になりながらも、もしかしたら何もして来ないのではないかと、油断していた。
森の中を一通り調べた後、彼は先に逃げ出した臆病者の友人達に言うのだ。
「何も無かったし、何とも無かったぞ」と。
そして、友人達を嘲笑う。
小さな優越感と満足感を得る為だけに、少年は尚も進んだ。
数点後、少年は自らの過ちを知る。
196創る名無しに見る名無し:2012/06/11(月) 20:05:12.38 ID:/ed3w26v
暫く歩くと、少年の行く手を遮る様に、犬が1頭、道の真ん中に立っていた。
正体を確かめようと、目を凝らしながら、4身程の距離まで近付くと、犬は仔馬程の大きさもある事が判る。
それを認めた途端、少年の足は止まった。
それが魔犬だと理解するのに、時間は掛からなかった。
その大きさと、獰猛そうな顔付きに、少年は生まれて初めて、死の恐怖を感じた。
大きな魔犬は、その図体通りの、一際大きな遠吠えを発する。
木の葉が揺れ、森に木霊する遠吠えに反応して、幾つもの遠吠えが合唱の様に重なる。
気付けば、少年は魔犬に包囲されていた。

 「どう、どう」

逃げ出す事すら叶わず、硬直するだけの少年に、魔犬を制しながら近付く者がある。
それは魔犬の体毛と同じ色調をした、毛皮の蓑を被り、1身あろうかと言う、長い木の杖を突いている。
姿勢は堂々とした物で、魔犬が道を譲る様は、まるで王者。

 「小僧、禁を冒し、恐怖を押して来るとは、見上げた度胸。
  何ぞ並ならぬ故あっての事だろう。
  申してみよ」

低く落ち着いた女の声に、少年は身を竦めた。
これが森の魔女だと、彼は瞬時に理解した。
他には考えられなかった。
197創る名無しに見る名無し:2012/06/11(月) 20:05:37.38 ID:/ed3w26v
しかし、少年は何も答えられなかった。
「並ならぬ故」等、少年には無い。

 「どうした?
  口が利けぬか?
  仕方無い」

魔女は杖の頭を少年に向け、呪文を唱える。

 「CG3J54!」

すると、少年の口は、彼の意に反して、勝手に物を語り始めた。

 「オレ達は肝試しに来たんだ。
  他に用なんて無いけど、これ言ったら絶対怒られるから言いたくない」

少年は慌てて、両手で自らの口を塞ぐ。
自分でも驚く位に、淀み無く言葉が吐き出された。
強制的に言わされているのではなく、うっかり本心を洩らした感覚。

 「……酔狂よのォ」

魔女は呆れた様に溜め息を吐いて、再び呪文を唱える。

 「K56M1」

透かさず、少年の頭の上に、杖の頭が叩き付けられた。
正確には、叩き付けると言うより、重力に任せて落とす感じだったが、少年は反応出来なかった。
ゴツンと良い音がして、身悶えしたくなる程の痛みが走っても、未だ動けない。
少年は何が何やら判らず、ただ魔女を恐れるのみである。

 「罰は、この位で良かろう。
  今し方の事は忘れ、早々に去ね。
  頭の瘤は、木の枝に当てたとでも申し訳よ。
  以後再び下らぬ故で、この地に寄るでないぞ。
  輩にも伝え置け」

混乱している少年に、魔女は淡々と言った。
198創る名無しに見る名無し:2012/06/12(火) 18:33:52.50 ID:YMz+njxQ
それは古風な言い回しだったが、少年は全く疑問を抱かずに理解し、受け入れていた。

 「早う去ね」

しかし、魔女の命令に従う事が出来ない。
別に逆らおうと思っている訳では無いが、金縛りに遭ったかの様に、体が動かないのだ。
本心では、魔女に言われた通り、早く帰りたいと思っている。

 「やれやれ……H36I4!」

魔女が三度呪文を唱えると、少年の体は動くようになったが、今度は膝から崩れ落ちてしまった。
緊張が解けて、恐怖で腰が抜けたのだ。
決して、魔女が唱えた魔法の効果ではない。
立ち上がろうとしても、足腰に力が入らないので、少年は焦った。

 「あ、あれ……?
  こんな筈は……」

彼は愕然とした。
こんなに情け無い思いをしたのは、初めてだった。
……魔女の溜め息が聞こえる。
恥ずかしさの余り、魔女の顔を窺う事すら出来ない。
彼は一刻も早く、この場を去りたかった。
199創る名無しに見る名無し:2012/06/12(火) 18:36:04.36 ID:YMz+njxQ
見兼ねた魔女は、少年に歩み寄り、耳元で囁いた。

 「小僧、立て」

嫌に艶かしく、足の先まで響く声。
その一言で、少年の体は自然に動いた。
しかし、胆力が戻った感覚は無い。
自分の体が、自分の物では無いかの様に、勝手に動いている。

 「回れ……行け!」

魔女の命令で立ち上がらされた少年は、反転させられ、森の外に向かって歩かされた。
自分の体が、自分の意思より、魔女の声に従っている事に、少年は何とも言えない不快感を覚えた。
覚えた所で、抗う術は無いのだが……
少年を取り囲んでいた魔犬は、見送る様に退路を開ける。
ある程度、魔犬から離れると、背後から魔女の声が飛んで来た。

 「走れ!!」

それを受けて、少年は漸く、自分の体の主導権を取り戻した。
彼は何も考えず、全力で走り出した。
立ち止まったら、また体が動かなくなる気がして、必死で手足を動かす。
やがて森の出口が見えて来ると、安堵と喜びが混じった息が漏れ、どっと汗と涙が噴き出した。
少年は明るい場所に向かって、更に足を速めた。
200創る名無しに見る名無し:2012/06/12(火) 18:37:39.72 ID:YMz+njxQ
森の外では、少年の友人が、雁首揃えて待っていた。
少年は無性に腹が立って、大声を上げながら森から抜け出ると、転げる様に倒れ込み、
全身で息をした。
喉は枯れて、心臓が破れそうだった。
息急く少年の顔を、友人達は覗き込んで、何かあったのか尋ねて来る。
涙が汗に紛れているのが、少年にとっては救いであった。
息を整えて、少年は言う。

 「……何も無かったし、何とも無かったぞ?
  お前等、先に戻りやがって……びびり屋め」

 「置いて行ったのは悪かったよ。
  でも、何とも無かったなら、どうして必死に走ってたんだよ?」

 「別に、怖かった訳じゃねーよ!!」

少年の友人達は、「独りで怖かったんだな」と納得した。
少年は魔女との約束を守ろうと思って、そう言ったのでは無い。
「怖かった訳では無い」と言うのは強がりだが、「何も無かった」と言うのは嘘では無い。
魔女と出会った事、魔犬に囲まれた事は、すっかり記憶から抜け落ちていたのである。
魔女に命令された通り、忘れたのだ。
201創る名無しに見る名無し:2012/06/13(水) 19:19:20.47 ID:XHuVOJpq
「……――――と、言う事もあった訳」

「今と口調が違いますね」

「そこは一応、私も伝説の魔女だから、それなりの威厳を醸し出すべきかなと」

「そう言う物ですか?」

「気分よ、気分。深く突っ込まないで。百年経てば趣向も変わるの」

「それにしても、何と言うか、手緩いですね……。追い返すだけで済ませて、良いんですか?」

「杖で打っ叩いて追い返したんだから、それで十分でしょう?
 これでも私は良識派よ」

「はぁ」

「……気の抜けた返事しないで。冗談だってば」

「えっ、冗談なんですか? いや、別に、悪い事だとは思いませんよ。
 寧ろ、その姿勢には賛同する立場です。
 殺すべきだとか、報いを受けさせろとか、そんな事は言えません。
 禁を冒したからと言って、余り重い罰を与えるのは、流石に可哀想です」

「……勘違いしないで欲しいんだけど、あなたみたいな、お人好しの鴨とは考え方が違うの。
 立入禁止になっているとは言え、子供が魔犬に襲われたとあっては、村の人間も黙っていないわ。
 魔導師会に駆除を依頼されでもしたら、お終いなのよ」

「お終いって……何の事です?」

「勿論、私達の事よ」

「『達』?」

「ここの子等を纏めているのは私だから、無関係では済まないでしょう?」

「魔犬を置いて離れる事は、出来ないんですか? 1人逃れるだけなら――」

「出来ない事は無いけど……気分良くないわね」
202創る名無しに見る名無し:2012/06/13(水) 19:21:52.04 ID:XHuVOJpq
「……しかし、消極的な対応を繰り返していれば、何時の日かは――」

「あなたに言われなくても解っているわ。余り頻繁に人が訪れる様なら、その時は……」

「その時は?」

「そうね……ソーダ山脈の笠雲の下にでも引っ越そうかしら? 他に良い所、知ってる?」

「街では暮らせませんか?」

「無理よ。私は使役魔法を使う魔女……共通魔法使いが言う所の、『外道魔法使い』。
 それに、ここの子等を放っては行けない」

「……残念です」

「何時の日か――とは言っても、今日明日の話では無いわ。
 心配してくれるなら、どこか良い引っ越し先でも、探して来て頂戴」

「はい」
203創る名無しに見る名無し:2012/06/13(水) 19:32:07.54 ID:XHuVOJpq
「私も生き物を使役するだけじゃなくて、他に便利な魔法が使えれば良いんだけれど……。
 森への進入を躊躇わせたり、道に迷わせたりして、無難に帰って貰える様な」

「禁断の地にある様な、人を近付けさせない仕掛けみたいなのが欲しいんですか?」

「そうそう、そう言うのが使えたらなぁ……」

「似た効果の共通魔法なら、幾つか知っています」

「それは駄目よ。だって、共通魔法でしょう?
 熟練の魔導師相手だと、直ぐに察知されて、解除されるじゃない」

「お役に立てませんか……」

「悄気ないでよ。元々期待してないし」
204創る名無しに見る名無し:2012/06/13(水) 19:33:26.17 ID:XHuVOJpq
「所で、ここの魔犬って何と言う種類ですか? 狼みたいですね」

「雑種だと思うわ。所謂、狼犬ね。狼と魔犬か、野犬と魔狼の合いの子」

「どこで交雑したんでしょう?」

「私が知っている限りでは、交雑は無かったわ。この森には、初めから狼犬が棲んでいたの。
 もしかしたら、狼犬の妖獣かも知れない。旧暦でも狼犬は普通に見られたし」

「……狼犬の妖獣?」

「あら? 共通魔法使いは、何とかの妖獣って言い方はしないんだっけ?」

「妖獣の何々、霊獣の何々とは言いますけど……。
 僕の記憶が不完全だからかも知れませんが、聞き覚え無いですね」

「気を付けるわ」

「頼みますよ」
205創る名無しに見る名無し:2012/06/14(木) 18:51:22.04 ID:u1kz0phy
暗黒の渦へ


人は清いだけでは生きていけない。
泥に塗れなくては、成果は得られない。
人は清濁併せ呑む事を、どこかで認めなくてはならない。
それが出来ないから辛くなる。
汚れた自分を認められない。
人の世を穢れた物としか見られない潔癖症の者は、同じく穢れた存在である自己を忌み嫌い、
やがて世の仕組み自体を怨む様になる。
汚れなければ生きられない、穢れた存在……人間。
そんな生き物が存在している事、それ自体が不幸である。
こんな物は、滅んでしまった方が良い……。

 「――そうでしょう?」

 「ああ、その通りだ」

勝てば官軍、死人に口無し。
潔さや誠実さは何の役にも立たず、小狡い者ばかり生き残る事が、何より口惜しい。
それは人として、至極真っ当な感情だが……。
206創る名無しに見る名無し:2012/06/14(木) 18:54:17.20 ID:u1kz0phy
『快楽殺人者<ラスト・マーダー>』


第四魔法都市ティナー 繁華街の路地裏にて


繁華街の影には、良くない物が集まる。
違法な商品を取引する者、強引な客引きをする者、より直接的に、金品を奪う者、暴行を働く者。
人間の負の面を集めた様な物が、繁華街の路地裏に屯する者の正体だ。
繁華街の路地裏は、時に貧民街より酷い無法地帯になる。
恐ろしい事に、その路地裏に棲む者は、一歩表に出れば、何食わぬ顔をして、善良な市民に紛れる。
真っ当な人間は、仮令誰かに誘われても、見知らぬ路地裏に入ってはいけない。
何時からか、それは暗黙の法になった。
207創る名無しに見る名無し:2012/06/14(木) 18:54:36.97 ID:u1kz0phy
路地裏で悪事を働く者の多くは、地下組織の指示で動く、末端構成員である。
末端構成員と言えば、組織の一部の様に聞こえるが、要は使い捨ての走り。
何時でも切り離せる、都合の良い人材に過ぎない。
それを承知していながら、日銭を稼ぐ為に、悪事に手を染める者は後を絶たない。
そうしなければ生き残れないのだ。
その牙は常に、より弱い者へ、弱い者へと向けられる。
一方で、同じ路地裏に棲む者ながら、地下組織の天敵とも言える存在もある。
悪を潰す事を生き甲斐にする、所謂「ダーク・ヒーロー」だ。
毒を以って毒を制す存在であるが故に、決して表には出て来ないが、後ろ暗い部分を持つ者には、
最も恐れられている。
208創る名無しに見る名無し:2012/06/15(金) 18:47:26.63 ID:WWdQsnGT
L&RCの社長イリス・バーティは、事務所からの帰り、繁華街を移動中に、1組の男女を目撃した。
女の方には見覚えがある。

 (確か……エニ・クラウド?)

エニ・クラウドは、昨日L&RC事務所に訪れ、夫の浮気を心配していた三十路越えの女である。
子を生せない儘、結婚倦怠期を迎え、破局の危機を訴えていた彼女が、男と一緒に歩いている。
イリスは一目で、エニの隣を歩いている男は、夫ではないと直感した。
男は背の高い2枚目で、落ち着いた雰囲気のある、しかし、どこか若い逞しさを感じさせる、
不思議な雰囲気の持ち主だ。
相談時にエニが語った夫の姿とは、似ても似つかない。
それ以前に、2人は不釣合いで、その行動は不自然であった。
エニと男は、人目を忍ぶ様に、路地裏へと消えて行く。

 (時間外なんだけどなァ……)

良くない予感がしたイリスは、面倒事になると判っていながら、2人の後を追う事にした。
209創る名無しに見る名無し:2012/06/15(金) 18:50:10.52 ID:WWdQsnGT
路地裏でエニと男は、何事か囁き合いながら、看板も無い廃ビルの様な建物に入った。
傍目には仲睦まじく見えたが、イリスは時折鋭くなる男の目に、不穏な物を感じ取っていた。
浮気した夫への当て付けの積もりでも、この男だけは避けた方が良い。
危険な香りがする。
それを忠告する為だけに、お節介を承知で、彼女は駆ける。
しかし、イリスが建物に入ろうとすると、如何にも柄の悪そうな男が寄って来た。

 「お姉さん、1人?」

値踏みするかの様な男の目からは、邪な情念が読み取れる。
余裕のある時なら、楽しく遊んでやれるが、今は相手をしている暇は無い。
イリスは小さく溜め息を吐くと、妖しく微笑んで、男の瞳を覗き込んだ。
彼女の瞳を直視した男は、一瞬で心奪われる。

 「ええ、1人よ。
  丁度良かった、付いて来なさい」

イリスは有無を言わさず、男を従えた。
命令は甘美な響きとなって、男の頭の中で木霊する。
美しい存在に仕える事は、無上の喜びである。
彼は抵抗の意志を失い、言われるが儘の傀儡と化した。
これがイリスの本領。
『色欲の踊り子<ラスト・ダンサー>』の血統は、伊達ではない。
210創る名無しに見る名無し:2012/06/15(金) 18:52:47.12 ID:WWdQsnGT
イリスは建物の中に入ると、臭いを探した。
男と女の臭いである。
普通、識閾下に作用するフェロモンの変化を、彼女は識閾上で知覚出来る。
故に、男女の機微を見過ごす事が無い。
……建物の中は、日当たりが悪い所為か、黴臭い。
その中に、鉄の錆びた様な、嫌な臭いが混じっている。
誘引香が霞む程の、強い臭いだ。

 (血?)

良くない予感の実現に、イリスは総毛立ち、臭いを辿って走った。
危険な臭いの元を探し当てた彼女は、乱暴にドアを蹴破る。
イリスは絶句した。
エニ・クラウドは一糸纏わぬ姿で、背後から短刀を突き立てられ、ベッドの上に伏せていた。
丁度、心臓のある位置を、貫かれて……。
エニと一緒に居た男は、逃げも隠れもせず、それ所か、驚いた様子すら無く、立ち尽くしていた。
彼は徐にイリスの方を向くと、ジッと彼女を凝視し、暫し後に、不気味な笑みを浮かべて言う。

 「……あんたは違うみたいだな」

 「今、都市警察を呼ぶわ。
  そこを動かないで」

イリスは敵意を露に睨み付けたが、男は全く応えていない様だった。
211創る名無しに見る名無し:2012/06/16(土) 18:15:36.79 ID:n11MByev
イリスは自分が引き連れて来た男に、都市警察を呼びに行かせた。
彼女はエニを殺した男と、一対一になる。
エニを殺した男は、それでも慌てた様子無く、平然とイリスに尋ねる。

 「あんた、この女の何なんだ?
  どんな関係?」

 「それは、こっちが訊きたいわ」

 「お友達かな?」

 「そこまで親しくない。
  顔見知りって所」

イリスは彼の馴れ馴れしい口調に反感を抱いたが、都市警察が到着するまでの時間を稼ぐ為に、
会話に付き合う事にした。
魅了すれば解決しそうな物だが、その気は起きなかった。
男が『性的倒錯者<パラフィリア>』の可能性を考えたのである。
それも尋常ならざる深い闇を抱えた……。
幸い、今直ぐ危害を加える気配は感じられなかったので、彼女は魅了を最後の手段と決めていた。

 「……この女は大罪を犯した。
  だから死なせた」

 「大罪?」

 「罪名は『不義密通<アダルテリー>』。
  殺人よりも重い罪だよ。
  人の心を裏切るんだから」

男はエニの背から短刀を、力任せに抜き取った。
肉と刃が擦れる、嫌な音がして、どろりと赤い液体が糸を引く。
212創る名無しに見る名無し:2012/06/16(土) 18:22:30.46 ID:n11MByev
イリスが身構えると、男は再びエニの背に深々と短刀を突き立てた。
ドスッと鈍い音が部屋に響いたが、エニは何の反応もしない……イリスは彼女の死を再認識する。
男は表情の変化こそ無かったが、そこには確かな憎悪が見て取れた。
死屍に鞭打つ行為に、イリスが顔を歪めると、男は満足そうに頷く。

 「あんたは善人そうだ。
  殺さなくて済むのは、有り難い。
  牝犬の臭いは気に入らないけどな」

イリスは男の挑発には乗らず、冷静に訴えた。

 「その女性は、夫に裏切られたのよ」

 「顔見知り程度の相手の事を、よく知っているね。
  で、それが何の免罪符になる?
  裏切られたから、同じ事をやり返した?
  くくく……女ってのは屑だなぁ……」

男の表情は変わらないが、憎悪の色が濃くなって行く様子が、イリスには判った。

 「傷心の人妻を誘惑しておいて、屑呼ばわりとは恐れ入るわ」

 「まるで見て来たかの様な口振りだ」

 「違うの?」

 「いや、その通りだよ」

イリスは実際には、エニと男が出会った現場を見ていない。
しかし、昨日事務所を訪ねて来た彼女は、自分から見知らぬ男に声を掛けられる様な、
積極的な性格には、とても見えなかった。
……となれば、答えは1つしか無い。
この男は唾棄すべき存在であった。
213創る名無しに見る名無し:2012/06/16(土) 18:33:47.47 ID:n11MByev
それでも男は一向に悪びれない。

 「確かに、僕の方から彼女に声を掛けた。
  彼女は腕輪をしていたから、独身でない事は承知の上だった」

男はエニの左手を取って、銀に輝く結婚腕輪に触れた。
そして、自分の左手首に嵌めた、金色の腕輪と重ね合わせる。

 「僕は人の女を誘う時、必ず言う台詞がある。
  僕には愛し合った人がいるけれど、最近その人とは会えない日が続いている。
  もう彼女は僕を愛していないかも知れない――ってね」

彼は笑みを堪えて、愉快そうに語り始める。

 「勿論、大嘘だよ。
  でも、寂しそうな顔をした女共は、必ずと言って良い程、僕の誘いに乗って来る。
  僕を咎めも窘めもせず、まるで運命の出会いの様に振る舞う。
  ハハッ、全く理解に苦しむ。
  僕が何者でも、彼女等の罪を打ち消す事は出来ないのに……。
  常識で考えれば、伴侶を持つ者同士の密通は、より罪が重い。
  ……当たり前の事だ。
  それを敢えて犯すんだから、屑以外に何と言う?
  この女も既婚者なら、式場で宣言した筈だ。
  『如何なる時も、夫と認めた者を愛し、操を立て、生涯心尽くす事を誓う』と……」

男は目を伏せ、エニの腕輪を優しく撫でながら、深い溜め息を吐いた。

 「死者は美しい。
  誰も裏切らない」

『死体愛好家<ネクロフィリア>』の様な口振りだが、そこには深い悲しみと絶望がある。

 「宣言を破るのは、男も同じ。
  人生、そう思い通りには行かない物よ?
  現に、彼女の夫は、彼女を裏切ったわ。
  彼女より先に」

 「後先なんて関係無い。
  母親の不貞が、どれだけ重罪か、あんたには解らないだろう」

イリスが反論すると、男は失望を露に会話を切り上げて、彼女に背を向け、窓から逃走を試みる。

 「待ちなさい!」

 「都市警察を待っているなら、無駄だよ。
  連中は通報して直ぐ駆け付けてくれる様な、殊勝な人種じゃないから。
  それに……僕を止める奴は、決まっているんだ。
  それは、あんたじゃない」

それだけ言うと、男は制止を聞かず、路地裏に飛び降りて、姿を消した。
……結局、都市警察は間に合わなかった。
通報に向かわせた男は、何をしているのだろうか?
どこかで誘惑の効果が切れて、呆然としているかも知れない。
改めて自分で都市警察に通報しても良いが、根掘り葉掘り聞かれるのは面白くない。
この場に留まっても、良い事は無いと判断したイリスは、自分も立ち去る事にした。
今日は何も無かったし、何も見なかった。
そう言う事にして、やはり自分は善人にはなり切れないと、自嘲するのだった。
214創る名無しに見る名無し:2012/06/17(日) 21:17:47.09 ID:SVVBmTf4
「今日は。何か御用ですか?」

「今日は……」

「……あの、お客様でしょうか?」

「ええ、まぁ、……はい」

「失礼しました。何分、御相談にいらっしゃる方は、女性が主な物で……。どうぞ、お掛け下さい。
 どの様な、お悩みでしょう?」

「私は、ベクトル・クラウドと申します」

「あぁ……はい」

「実は、一昨日から妻が行方不明でして――」

「ええ」

「行方を晦ます前日に、ここに立ち寄ったらしいのですが……、何か御存知ありませんか?
 妻の名は、エニです。エニ・クラウド」

「エニ・クラウドさん……。はい、憶えております。それで、『何か』とは?」

「妻の行方とか……、何でも良いんです。手掛かりになる事を、教えて下さい」

「……奥様――エニさんは、貴方が浮気していると、酷く心を痛めていらっしゃいました。
 失踪の原因は、そこにあるのでは?」

「そんな事を、妻が!? それは誤解です!!」

「誤解? 何が誤解なのですか?」

「確かに、疑われる様な事はあったかも知れません……。でも、妻への想いは、嘘偽り無い物です。
 どうか信じて下さい」

「奥様は、夫の心を取り戻したいと。女性としての魅力を失ったのではと、思い詰めた御様子でした。
 どうか焦って自暴自棄にならないで下さいと、申し上げたのですが……、席を立ってしまわれて……。
 それ以上の事は、私共にも分からないのです」

「そんな……」

「相談料は頂けません。お引き取り下さい」

「…………分かりました。失礼しました」
215創る名無しに見る名無し:2012/06/17(日) 21:28:17.47 ID:SVVBmTf4
「社長。幾ら身内相手とは言え、人の相談内容を簡単に話してしまって、良かったんですか?
 相談室の看板を掲げた以上、守秘義務と言う物が……」

「ファーの言う通りですよ! こう言う仕事は、信用第一なんですから」

「良いのよ、社長判断って奴。黙っていても、話が拗れるだけだし」

(相変わらず、聞かない人だなぁ……。でも、判断を間違えた事は無いんだよね……)

「それにしても、あの男……『疑われる様な事』なぁんて言っちゃって、白々しい。
 隠し通せていた積もりだったのかしら? 奥さんには全部筒抜けだったのに」

「……でも、愛していた。邪魔だと思っていたなら、態々こんな所を訪ねて来たりしないわ」

(こんな所って、社長……)

「今更! 都合の良い言い訳ですよ。そんなに大事なら、浮気なんてしなければ良かったのに。
 奥さんが蒸発しちゃったのも、自業自得ですね」

「ええ、そうね……」

(リェルベリーはリェルベリーで、反応に困る事を言う……)

「社長、顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」

「何でも無いわ……。リェル、貴女も気を付けなさい」

(フフッ、やれやれ)

「私ィ!? 私は大丈夫ですよ! そんな男なんて、自分から捨ててやります!」

「そんな簡単に言えるのは、本気の愛を知らないからよ」

(本気の愛……)

「何です? 本気の愛って」

「……身を焦がし、魂まで捧げる様な」

(そう言う経験、社長にもあるのかな? あるんだろうなー……)

「今一つ解らないと言うか、考えられないですねー」

「ファーは知ってるんじゃない?」

「ハァ!? 知りませんよ、そんなの!」

「何で怒ってんの?」

「驚いたわ」

「す、済みません……」
216創る名無しに見る名無し:2012/06/18(月) 19:00:57.74 ID:Vwx/7+b3
婚姻


唯一大陸の家庭は、一夫一妻制を基本とする。
一部辺境では一夫多妻制の所もあるが、多くの場合、正妻と側妻を区別する。
一夫一妻制の最大の利点は、遺産を巡る骨肉の争いを最低限に抑えられる事。
遺産の相続は本人の遺言がある場合を除いて、家督の継承順に多く配分される。
具体的には、順位が下る毎に半分ずつになって行く。
一夫一妻制はグラマー地方から広まった物であり、ティナー地方以外では一夫一妻と限らず、
特にエグゼラ地方とボルガ地方では有力者のみが側妻を許されていた。
グラマー地方も魔導師が訪れるまでは、有力者限定の一夫多妻制だった。
寧ろ、妻の数が多い程、権力と財力がある事の証明として、多くの妾を寵っていたが……、
遺産を巡る争いを避ける為、その内で子を生す事が許されるのは、正妻のみと言う歪な構造であった。
逆に、最初に子を生した者を正妻と認める事で、正妻の座を巡って争いを繰り広げた例もある。
そう言う家は、大抵身内の争いが原因で没落した。
三代興亡は、この世界でも通用する法則なのである。
こうした事情から、グラマー地方とボルガ地方では、魔導師会の関与が無くとも遠からず、
一夫一妻制に移行したであろう。
一方、エグゼラ地方では、身内同士の争いが推奨された。
強者絶対の理に従い、相続権を巡って決闘する事が、公に認められていた。
法が整備され、他地域との交流が進んだ現在では、この様な物は見られない。
カターナ地方の一部では、家と言う概念が無く、狩猟と戦闘を行う男性のみの集団と、
家事と育児を行う女性のみの集団がある。
しかし、ここでも基本的には、複数の異性と肉体関係を持つ事は少ない。
一説に、性病の拡散を防ぐ為と言われている。
実際、一部地域の迷信では、不義を働く者は、局部が腐って死に至ると言われ、今でも信じられている。
217創る名無しに見る名無し:2012/06/18(月) 19:15:13.78 ID:Vwx/7+b3
唯一大陸では法律上、血縁者同士は、5代隔てるまで婚姻関係を結べない。
即ち、同じ祖を持つ者は、玄孫の代以降になって、初めて交われる。
これを法律用語で、『五代離縁<アイソレイテッド・ファイブ・ジェネレーション>』と言う。
途中で五代離縁が破られた場合は、玄孫同士でも、五代離縁とは認められない。
また、何代経っても、自らの子孫・祖先とは、結婚出来ない。
各地方によって、隔てる代は3〜5と異なっており、5代は最も遠いグラマー地方の物である。
その背景には、血縁外の者との交雑を推奨したい、魔導師会の思惑もある。
中には、正式な法になっていないだけで、同じ祖を持つ者同士は、結婚が許されない地域もある。
近親婚に対する拒否感は非常に強く、婚約の概念が法律に記されている地方でも、
血縁関係が明らかになれば、五代離縁であっても、破棄を認められる程。
218創る名無しに見る名無し:2012/06/18(月) 19:18:53.03 ID:Vwx/7+b3
結婚式は、身内や近所の者、顔見知りを招いて行われる。
式場は、自宅、宿屋、酒場、公民館と、色々あるが、教会の様な場所は無い。
式は、仲人の進行で執り行われる。
仲人は両人を知る者が好ましいが、そうでなくとも出来るし、仲人を置かない形式もある。
結婚式とは、夫婦となる事を周囲に宣言する物で、血縁者、親戚その他の知り合いが居ない者は、
当事者同士の了解のみで、式を挙げない事もある。
それでも慶事なので、多少でも知り合いが居れば、式を挙げない選択は無い。
唯一大陸では、結婚式は飽くまで、夫婦となる事を周囲に宣言する場であり、親族が出席しなくても、
余り問題は無い。
正装はローブ、或いは民族衣装。
伝統的な家系では、新郎新婦は代々家に伝わる文様(所謂『家紋』)入りのローブを着で、
愛を誓う。
219創る名無しに見る名無し:2012/06/18(月) 19:19:29.59 ID:Vwx/7+b3
婚約の証として、唯一大陸では、様々な儀式が執り行われる。
最も一般的な婚約の証明は、同じ、或いは、対になるデザインの装飾品を身に付ける事。
特に指輪、腕輪、首輪、足輪、頭輪と言った、『環<リング>』状の物が多い。
中でも、腕輪の人気が最も高い。
細くて軽いブレスレットではなく、リストバンド位の物を付ける者も居る。
近年はネックレスや指輪も、市民権を得て来たが、拘束の意味で、防具も斯くやの物を、
互いが身に付けるのが、やはり主流と言える。
ヘッドバンド、チョーカー、リストバンド、アンクレット、リングを一式揃える者も、未だ珍しくない。
年齢の若い内は指輪で、正式に付き合い始めて腕輪と、ランクアップする風潮もある。
一方で、歳を取ってからの指輪の贈り物は、余りイメージが良くない。
その他にも、特徴的な意匠の服を着たり、刻印(刺青を含む)を付けたり、混血の儀(※)を行ったり、
地域によって婚約の仕方は変わる。
内、刻印は容易には消えない物として、取り分け強い拘束力を持つ。
伝統的な婚約の儀式を実行した者は、通常より高い魔法資質を発揮する事がある為、
これによって存えたと言う話が、よく聞かれる。
唯一大陸では、離婚率は低いが、再婚率も低い。
生涯のパートナーを1人と定め、それを良しとする向きも、根強く残っている。
しかし……、近年ネックレスや指輪が、婚約の証として市民権を獲得し始めたのは、詰まり、
そう言う事だ。


※:文字通り、互いの血を混ぜて飲む、民族的な伝統儀式。
220創る名無しに見る名無し:2012/06/18(月) 21:25:06.87 ID:Vwx/7+b3
>>217
複数形で「ジェネレーションズ」だな。
まあ2度と振り返る事は無い設定だろうけど……。
221創る名無しに見る名無し:2012/06/19(火) 18:46:57.06 ID:QgmX0LZR
昔取った杵柄


ボルガ地方ドージャリ市ブリウォール街道 沿道にて


各地の大街道には、何らかの事情で通行不可になった時の為に、沿道が設けられている。
沿道も大街道の重要な機能の一だが、街道警備隊は偶にしか巡回に来ないので、
一部安全面で信頼出来ない所がある。
それでも相当に運が悪くない限り、滅多に強盗の類とは出会さない。
一定の条件で、極々稀に起こり得る程度である。
222創る名無しに見る名無し:2012/06/19(火) 18:48:03.20 ID:QgmX0LZR
その日は、ブリウォール街道の街道祭りであった。
街道祭りと言うのは、大街道、或いは、ロング・ウェイの開通を記念して行われる祭りで、
特にロング・ウェイの街道祭りは、1月間ずっと続く盛大な物である。
大街道とロング・ウェイは、全部で15あるので、月に1度以上、大陸で街道祭りが開かれている。
馬車鉄道の料金が安くなったり、街道で見世物興行が行われたりと、街道の通行量は、
通常時の5倍以上になり、ごった返す。
祭りの日とは知らず、偶然ブリウォール街道を利用しようと考えていた旅商のラビゾーは、
人込みが余り好きでないので、仕方無く沿道へと下りた。
こう言う人が集まる場こそ、商売するには打って付けであり、彼の同業者らしき者は、
道端で露店を開き、集客に勤しんでいるのだが……。
223創る名無しに見る名無し:2012/06/19(火) 19:01:00.82 ID:QgmX0LZR
しかし、沿道は沿道で人が多かった。
予想出来た事だったが、ラビゾーは気が滅入る思いで、肩を落す。
街道より増しな混み具合とは言え、大きなバックパックを背負っている彼は、他の通行人より、
幾分迷惑な存在である。
人と擦れ違う度に、背中の大荷物の所為で睨まれては、ラビゾーの小さな心は堪えられない。
彼は沿道から更に脇道に逸れて、人気の無い路地裏に抜けた。

 「フゥ、やれやれ……」

人の目が無くなると、安堵して、ついが独り言が零れてしまう。
それ程にラビゾーは喧騒が苦手で、静寂を好む性質であった。
所が、そう落ち着いても居られなかった。

 「退けっ!!」

脇道から男が、勢い良く飛び出して来たのである。
ラビゾーは不意の事で避けられず、男と衝突してしまった。
ラビゾーは側の壁に肩を打ち付け、男は路地の石畳を転がる。
224創る名無しに見る名無し:2012/06/20(水) 19:12:13.02 ID:01wAcf1K
若い2枚目と言った風貌の、その男は、忌々し気にラビゾーを睨み付けた。

 「退けっつっただろうが!!」

彼は余程急いでいる風で、短い文句を言い終わる頃には、ラビゾーの事は既に眼中に無く、
立ち上がって駆け出そうとしていた。
失礼な男だとラビゾーは思ったが、相手の方が派手に転んだので、ここで誰が悪いだの悪くないだのと、
詰まらない喧嘩になるより、さっさと立ち去ってくれるなら、その方が有り難いと、流れるに任せた。
直後、別の男の怒鳴り声が、路地裏に響く。

 「居たぞ!!
  待てや、コラァ!!」

若い男は怒声に背を押される様に、速度を上げて走り去った。
丁度、彼と入れ替わる様に、強面の男が4人、脇道から飛び出して、ラビゾーの前に現れる。
4人組の男は、ラビゾーと接触こそしなかったが、進路を阻まれる格好になった。

 「手前、邪魔なんだよ!!」

先程の若い男は、この男達に追われている様だと言う事が、ラビゾーにも解った。
どちらが良いか悪いか知れないが、余り関わらない方が良いと、彼は素直に道を譲る。
しかし、事は簡単には収まらなかった。
225創る名無しに見る名無し:2012/06/20(水) 19:13:56.67 ID:01wAcf1K
若い男は数極と言う短い時間の間に、確り逃げ切っており、後姿さえ見る事が出来ない。
強面の男達の怒りの矛先は、ラビゾーに向かう。

 「おい!!
  手前の所為で、取り逃がしたじゃねーか!!
  どう落とし前付けてくれんだァ!?」

 「兄さん、詫び入れようや」

急に絡まれて、ラビゾーは後退った。
男達は口調からして、どうも堅気の者とは思えない。

 「……詫び?」

態と惚けると、半ば予想通りの反応が返って来る。

 「大人の解決方法だよ」

 「無粋な事、言わせんなや」

男達は集り屋だった。
訛りはティナー地方の物に近い。
言い成りになるのは癪だったラビゾーは、心の中で呪文を唱えた。

 (L2F4M1、L2F4M1)

この呪文は、彼に不思議な安心感を齎す。
過去に何度も唱えた記憶がある……様な気がする。

 「何とか言えや!!
  透かしとったら、痛い目見るど!!」

ラビゾーは脅しを無視して、草臥れたコートの袖に隠してある、伸縮式のロッドを密かに握る。
心は決まっていた。
226創る名無しに見る名無し:2012/06/20(水) 19:17:26.26 ID:01wAcf1K
唯一大陸では、正当防衛以外に、魔法で人を攻撃する事が認められない為、
魔法で反撃される可能性を考慮すると、犯罪行為は非常にリスクが高い。
魔法で先制攻撃を掛ければを、一方的に有利な展開に持ち込めるが、魔導師会の執行者に、
地の果てまで追われる破目になる。
執行者には、どんな言い訳も通用しない。
よって、重犯罪以外で、魔法が使われる事は少ない。
単純な暴力事件は、都市警察の管轄だ。
この集り屋は、大街道の警備が厳重になる祭りの日を利用して、警備の薄くなる沿道脇の路地裏で、
獲物を待ち構えていた。
然程、恐れる相手ではないと、ラビゾーは見切った。
こんな真似をするのは、ならず者の中でも後ろ盾を持たないか、持っていたとしても下っ端……、
最下層の末端構成員。
仮に後ろ盾となる組織があったとしても、面子を保つ意味で、報復に動く事は無い。
その為の末端構成員なのだから。
227創る名無しに見る名無し:2012/06/21(木) 19:29:31.92 ID:NQ67DAzf
集り屋達の身長は、ラビゾーより少し低いか、同じ位。
魔法を使わない、体格が同じ位の相手なら、数人掛かりでも、ラビゾーは負ける気がしなかった。
ここがブリンガー地方やエグゼラ地方でなくて良かったと、彼は思う。
ロッドを強く握り締め、ラビゾーは訊ねた。

 「……あなた方は、どこの人ですか?」

何時でも手足を動かせる様に、心は昂っている。
内心の動揺を覚られない様に、ラビゾーは胸を張り、落ち着いた風を装う。
それでも両目は鋭く、集り屋一人一人を凝視している。
少しでも変な動きを見せたら、即座に先制の一撃を叩き込む気だった。

 「どこって……」

集り屋達は、ラビゾーの変化に気付いて、戸惑っていた。

 「ンな事ァ、どうでも良かろうが!!
  詫び入れるんか、入れんのか、はっきりせぃや!!」

やや離れた位置に居る1人が、ラビゾーの方へ進み出ながら、威勢良く反抗する。
ラビゾーは反射的に、そちらを向いた。

 (遠いな)

一瞬で、そう判断した彼は、徐に数歩踏み出し、全員をロッドの射程内に収め、言い返す。

 「どうでも良くはないですよ」

集り屋達をよく観察して、ラビゾーは改めて思う。
コーザ・ノストラの一員にしては、手口が緩い。
マフィアの一員にしては、手口に品が無い。
やはり負ける気はしないと。
228創る名無しに見る名無し:2012/06/21(木) 19:32:25.79 ID:NQ67DAzf
威勢の良かった1人は、尚も強気な態度を崩さなかったが……、

 「なァ……人に尋ねるんなら、自分から先に名乗ろうや」

その語気は明らかに軟化していた。

 「別に、どこかの回し者ではありません。
  その手の知り合いも居るには居ますが、そう言う問題でもありません」

 「戯けとんのか?
  ……何が言いたいんねや」

ラビゾーは淡々と答える。

 「後ろ盾の有無を聞いているのです」

 「居ったら何かい?」

 「……面倒な事になる」

集り屋達は訝し気にラビゾーを観察していたが、やがて徐々に距離を取り始めた。

 「どこの誰だか知らんが、今回は見逃したる。
  儂等みたいな奴に絡まれとうなけりゃァ、今後は変な所、彷徨くなや」

そして、捨て台詞を吐いた後、背を向けて、路地裏を堂々闊歩しながら立ち去る。
それが彼等の精一杯の示威行動だった。
229創る名無しに見る名無し:2012/06/21(木) 19:35:18.92 ID:NQ67DAzf
遣り場の無い昂りが収まらないラビゾーは、深呼吸を繰り返して、気を落ち着けた。
詰まらない喧嘩をして、変な恨みを買うよりは、余程良い事なのだが、残念な気持ちもある。
これで良いのだと、何度も自分に言い聞かせ、ラビゾーは歩き始めた。
直後、彼に声を掛ける者がある。

 「あんた、中々やるッスね」

ラビゾーが振り返ると、集り屋から逃げていた若い男が、何時の間にか戻って来ていた。
その馴れ馴れしい態度に、ラビゾーは不快感を覚えた。
彼が集り屋から逃げていた事と、打つかった時の態度、そして問題が収まってから姿を現した事が、
印象を最悪な物にしていた。

 「いや、何もしていない」

余り関わり合いになりなくないと思ったラビゾーは、打っ切ら棒に答える。
実際、直接的な行動には出ていない。

 「言うじゃないッスか!
  カッコ良いなァ」

口笛を吹いて煽てる若い男に、内心苛々を溜め込むラビゾー。

 「確かに、大した相手じゃなかったッスけど、俺は手加減出来ない性質で……。
  旦那みたいに、戦わずして勝つって言うの?
  憧れますよ」

若い男はラビゾーの発言を、変な方向に拡大解釈して、すっかり畏まっていた。
二人称は、「あんた」から「旦那」へ格上げされている。
230創る名無しに見る名無し:2012/06/22(金) 19:16:49.14 ID:9W7TMITE
褒められて悪い気はしないが、どうも若い男は軽薄そうで、ラビゾーは気に入らなかった。
若い男はラビゾーより少し背が高く、線が細い。
小綺麗な身形をしているが、見て判る様な高級品は身に付けておらず、
「色男、金と力は無かりけり」を体現した様な人物だ。
口先だけでないなら、それなりの実力を備えている事になるが……余り信用出来そうにない。

 「いやはや、あいつ等の所為で、折角の祭り気分が台無しッスよ。
  可愛い女の子を引っ掛けて、これからお楽しみって所で……全く迷惑な連中ッス。
  連れの前で殺しも不味いんで、取り敢えず逃げていた所だったんスけど――」

ラビゾーは勝手に喋る若い男の話を、殆ど聞き流していた。

 「そこに旦那が現れた訳で……――旦那、一体何者なんスか?」

 「何者なんて、そんな大層な物じゃない。
  適当に流れている、普通の……旅人だよ」

普通をアピールするラビゾーに、若い男は疑惑の眼差しを向ける。

 「普通の人は、袖に武器を隠し持ったりしないと思うッスよ?」

彼の鋭い洞察力に、ラビゾーは驚いたが、直ぐに平静を装って対処した。

 「……護身用のロッドだよ。
  一人旅は何かと物騒で……。
  それに、僕は余り魔法が得意じゃないから」

そう言って、伸縮式のロッドを取り出して見せ、刃物の類でない事を証明する。
231創る名無しに見る名無し:2012/06/22(金) 19:19:44.13 ID:9W7TMITE
若い男は、尚も疑い晴れない様子で、目を眇めた。

 「随分、慣れた構えだったッスね」

 「公学校で習う程度の武術だよ。
  体術と、短刀術と、杖術と、鞭術の基礎の基礎。
  大会に出られる様な実力でもなかったし、本当に大した事は無いんだ」

ラビゾーは手持ち無沙汰に、ロッドを伸ばして、バトンの様にトワリングする。

 「……そうッスか?」

今一つ得心し兼ね、難しい表情をしていた若い男だったが、やや後に、はっとして俄かに姿勢を正す。

 「ああ、失礼しました……未だ名乗ってなかったッスね。
  俺はコバルトゥス、コバルトゥス・ギーダフィ。
  一介の冒険者ッス」

今更ながら、ラビゾーの冷めた視線に気付いたのだ。
しかし、この御時世、冒険者を自称するとは、冗談で言っているのか、本気なのか……。
判断に困る所だが、コバルトゥスと名乗った若い男に、ラビゾーも礼儀として名乗る。

 「……ラビゾー。
  ラビゾーだ」

 「変わった名前ッスね」

こう言う時に、仮の名は便利だと思う、ラビゾーだった。
232創る名無しに見る名無し:2012/06/22(金) 19:22:39.54 ID:9W7TMITE
ラビゾーは用が済んだのなら、早く別れたかったのだが、コバルトゥスは中々離れようとしなかった。

 「僕は急ぐんで……」

仕方無く、ラビゾーが自分から切り出すと、コバルトゥスは引き止めに掛かる。

 「これから、どこに行くんスか?」

 「西へ」

余りに大雑把な答えだが、コバルトゥスは気にせず、提案する。

 「それなら俺も連れて行って貰えませんか?
  旅は道連れって言いますし、足手纏いにはならないッスよ」

ラビゾーは彼の真意を測り兼ねていた。
先の質問と言い、コバルトゥスは中々読めない男である。

 「……僕と一緒に行動しても、良い事は無いよ。
  僕は本当に、金とも権力とも無縁の、面白くも何とも無い人間なんだ。
  偶々向かう方角が一緒って事なら、僕は何も言えないけど――」

 「そんな事は関係無いッス。
  俺は旦那が気に入ったんスよ」

裏表の無さそうな、好青年然とした清々しい笑顔で、コバルトゥスは答える。
断る口実も思い浮かばず、ラビゾーは彼と行動を共にするのだった。
233創る名無しに見る名無し:2012/06/23(土) 19:48:18.69 ID:ihRNABQJ
大陸北部は北方訛り、大陸中央は中央訛り、大陸南部は南方訛り。
それぞれエグゼラとボルガ、ティナー、ブリンガーとカターナと言う区分。
対応言語的には英語をベースに、エグゼラが北欧、ブリンガーが南欧、グラマーが北阿から中央亜、
ティナーが北米、ボルガが東亜、カターナは東南亜と南米、古代言語は東欧。
日本語的には北方は東北と北陸と中国山陰、中央は関西と瀬戸内に時々関東と東海、
南方は九州以南を参考に。
飽くまで参考なので似非。
精霊言語との兼ね合いとか、古代言語との整合性とかは全く考えていない。
234創る名無しに見る名無し:2012/06/23(土) 19:48:50.23 ID:ihRNABQJ
命のスカーフ


ティナー地方南東部の小村ミークンにて


ミークン村はタンク湖の南西部湖畔沿いにある辺境小村の一である。
その湖畔の森に、織師の魔法使いが住んでいる。
彼女は外道魔法使いだ。
旧暦から生きる、旧い魔法使いの中でも、かなりの高齢と言われている。
噂では、軽く1000歳は越えるとか。
ラビゾーはノストラサッジオの依頼で、この老婆の元を訪れていた。
235創る名無しに見る名無し:2012/06/23(土) 19:50:16.99 ID:ihRNABQJ
湖畔の森は、何時も深い霧に包まれている。
霧の中で道に迷った時、機を織る音が聞こえたら、そこに魔法使いの老婆の家がある。
そう教わったラビゾーは、殆ど何の準備もせずに、独り早朝の森に入った。
迷う為とは言え、よく考えなくとも、間抜けな行為である。
目論見通り、ラビゾーは森の中で迷子になった。
トントンとリズム良く響く、機織り機の音も聞こえて来た。
しかし、その音は霧の森に木霊して、方角が掴めなかった。

 (参ったな)

禁断の地で、山歩きには慣れているラビゾーだったが、流石に歩き通しでは疲れて来る。
散々歩いて、もう限界と言う所で漸く、彼は魔法使いの家を発見した。
236創る名無しに見る名無し:2012/06/24(日) 20:13:00.04 ID:t0z7AgrN
魔法使いの家は、人が1人住める程度の、木造の小さな家だった。
掘っ立て小屋と言っても差し支えない、見窄らしい建物に、これでは中々見付からないのも当然だと、
ラビゾーは独り頷く。
家の中からは、トントンと機織の音。
歩き過ぎて痛くなった足を引き摺り、ラビゾーは魔法使いの家の戸を叩いた。

 「御免下さい」

機の音は止まったが、暫く反応が無かったので、ラビゾーは再び戸を叩く。
今度は一回り声を大きくして。

 「御免下さい!」

 「はいはい」

2度目にして聞こえた返事は、随分嗄れた弱々しい声だった。
余り呂律も良くなさそうである。

 「どうぞ、お入んなし」

そう促されて、ラビゾーは引き戸を開け、家の中に入った。

 「失礼します」

中では、黒いローブを着た白髪の老婆が独り、機織り機の椅子に座っていた。
機織り機の他には、椅子と机が置いてあるだけの室内は、生活の匂いがせず、酷く殺風景である。
まるで機織り機の為に家がある様だった。
237創る名無しに見る名無し:2012/06/24(日) 20:23:21.40 ID:t0z7AgrN
格子窓は開けっ放しで、外から微風が吹き込んでいる。
老婆は穏やかな声で、ラビゾーに問う。

 「何用かの?」

 「ノストラサッジオさんの使いで来ました」

ラビゾーが答えると、老婆は首を傾げて、済まなそうな顔をした。

 「悪いの、近頃すっかし聾んなって……。
  ゆっくし喋ってくんなし」

 「ノォストォラァサァッジィオ、さんの、つかぁい、です」

努めて解り易くラビゾーが発音すると、老婆は何度も頷いて、了解した事を動作で表した。
その後、奇妙な鼻歌を遊み、機を織り始める。
これが本当に旧暦から生きる魔法使いなのかと、ラビゾーは疑わしくなった。
どう見ても、そこらの耄碌した老婆である。
やや間を置いて、老婆はラビゾーに言った。

 「そこのな、押入れん中な、例の……あるで。
  全部、全部、取って行きなし」

 「はい」

老婆に従い、ラビゾーが押入れに向かおうとすると、不意に質問が飛んで来る。

 「あんたさん、どこの者よ?」

ラビゾーは足を止めて振り向いたが、老婆は震える手で、忙しなく機織り機を動かしており、
彼の方は全く見ていなかった。
余り見詰められても困るが、全く目を合わせてくれないと、不安になる物。
ラビゾーは怖ず怖ず答える。

 「禁断の地の……」

 「おっ師匠は?」

 「アラ・マハラータ・マハマハリトです」

 「未だ存えとったんだな……。
  元気にしとったかい?」

老婆はラビゾーの師、マハマハリトを知っていた。
238創る名無しに見る名無し:2012/06/24(日) 20:24:09.50 ID:t0z7AgrN
同じ旧い魔法使いで長生きしているなら、知り合いでも全く不思議ではない。
人の繋がりを感じて、ラビゾーは少し安心し、嬉しくなった。

 「……元気でしたよ。
  最近は会っていませんが……」

聞こえたのか、聞こえていないのか、老婆は無言になる。
ラビゾーは戸惑いながらも、本来の目的を果たす為に、押入れの引き戸を開けて、
丁寧に畳まれた反物をバックパックに収めた。

 「ええと、それで、代価の事ですけれど……」

 「そう事を急ぎなさんな。
  疲れが見えるで、休んで行きなし」

ラビゾーの疲労を知ってか、老婆は優しく提案する。

 「では、お言葉に甘えて……」

側の椅子に腰掛けたラビゾーは、大きな溜め息を吐いた。
大きな機織り機以外には、本当に何も無い、静かな家。
寝床すら見当たらず、どうやって生活しているのか、心配になる程である。
ここを生活の拠点にしている訳では無く、作業小屋の可能性もあるのだが……。
トントンカラカラと、小気味良くリズムを刻む機織りの音を聞きながら、他愛無い考えを巡らす内に、
何時の間にかラビゾーは、深い眠りに落ちていた。
239創る名無しに見る名無し:2012/06/25(月) 19:54:01.96 ID:Un7Tvgkp
ラビゾーが仮寝から覚めると、老婆は機織りを止めて、糸と針で大きな布に刺繍をしている所だった。
老婆は寝起きのラビゾーに、縫い物をしながら声を掛ける。

 「おお、醒めたかい……。
  深々と寝とったが、良い夢でも見とったか?」

ラビゾーの肩には、ストールが掛けられている。
その温もりに気付いたラビゾーは、頭を下げた。

 「いえ、済みません。
  うっかり眠ってしまって」

 「構わん、構わん」

気さくに返す老婆に、ラビゾーは好感を持ったが、同時に縫い物を見て、ある疑問を抱いた。

 (……裁縫道具?
  どこから出したんだ?)

室内には、棚も引き出しも無い。
物を仕舞える場所は、唯一つの押入れ以外に無く、その押入れには反物しか入っていなかった。
今、目に映る範囲にも、針箱らしき物は見当たらない。
ローブの中に隠し持っていたのだろうか……?
240創る名無しに見る名無し:2012/06/25(月) 19:57:59.84 ID:Un7Tvgkp
暫く何もせずに、縫い物をする老婆を眺めていたラビゾーは、はっと思い出して尋ねた。

 「あの、代価の話ですけれど……」

 「代価な……。
  そんなら、己の話を聞いてくんな」

老婆は縫い物の手を止め、遠い目をして語り始める……。

 「己は……今は金も物も、何にも要らんのよ。
  己は長く生き過ぎた。
  生きた証を残す事も無い……。
  ただ魔法の儘に、糸を織るだけ」

ラビゾーは老婆が言っている事の意味を、よく理解出来なかった。
それが諸に表情に出ていたので、老婆は驚いた顔をする。

 「……あんたさん、マハマハリトの弟子だろう?
  魔法使いの一生を知らんのか?」

 「一生?」

ラビゾーが尋ね返すと、老婆は深い溜め息を吐いて答える。

 「やれやれ……何も教わっとらんのかい?
  魔法使いって物は、窮まると魔法の使いになるのよ。
  『魔法使<マジサリー>』となって、死なず、死ねずの存在になる」

しかし、そう言われても、やはりラビゾーには意味が解らない。
首を傾げる彼の様子を見て、老婆は俄かに黙り込んだ。

 「マジサリーって何なんです?
  『魔法使い<マジシャン>』には、『賢者<ウィザード>』とは違う、上位の階級があるんですか?」

 「……階級?
  否、……存在……変質……。
  ……人から、魔…………、使い、使われ……」

堪らずラビゾーは問うたが、老婆は小声で独り言を呟くのみ。
やがて何事も無かったかの様に、再び縫い物を始める。
ラビゾーは老婆を見詰め、応じてくれるのを待っていたが、終に話の続きは聞けなかった。
241創る名無しに見る名無し:2012/06/25(月) 19:59:21.71 ID:Un7Tvgkp
縫い物を終えた老婆は、ストールを取り上げる代わりに、先程仕上がった物をラビゾーに渡した。
それはストールと同じ文様が縫い込まれた、白地のスカーフだった。
碌に代価も払わないで、物を貰ってばかりでは悪いと、遠慮するラビゾーだったが、
厚意を無下に出来る性格では無かったので、何度かの遣り取りの後、有り難く頂戴する事になった。
どれ位の間、休んでいたのかは判らないが、ラビゾーの体力は嘘の様に回復しており、
足の痛みも全くと言って良い程、感じられなくなっていった。
それはストールに縫い込まれた文様の効果だと、老婆はラビゾーに教える。
同じ文様のスカーフは、長旅で役立つだろうと。
ラビゾーは何度も礼を言って、数年の内に再び訪れる事を約束し、魔法使いの家を後にした。
霧が立ち込める湖畔の森から出ると、太陽の位置は南中に移動していた。
信じられない位、長い半日であった。
242創る名無しに見る名無し:2012/06/25(月) 20:00:30.35 ID:Un7Tvgkp
……しかし、ミークン村の宿に戻った時、ラビゾーは初めて、彼が湖畔の森に入ってから、
丸3日が経過していた事を知った。
不思議な事に、それだけの空腹感も疲労感も、全く無かった。
243創る名無しに見る名無し:2012/06/26(火) 19:26:48.27 ID:uAjizQ73
カターナ地方周辺小島群 ボロー諸島 ボロー本島にて


カターナ市の東南東沖、ボロー諸島に属する全島に亘って拡がる、都市遺跡「引き裂かれた王都」は、
海底部分も含めて、5街平方もの広さを誇る、ファイセアルス最大の遺跡である。
ボロー諸島最大の島、ボロー本島には、遺跡の中核となる王宮跡が残っている。
王宮は風化が進んでいる物の、大体の形を保っており、貴重な文化的史料価値を持つ。
1手立方の土色のブロックを積み上げた造りは、白い巨石を積み上げた神殿遺跡とは対照的で、
一見して全く別の文化圏の物と判る。
244創る名無しに見る名無し:2012/06/26(火) 19:33:37.44 ID:uAjizQ73
12月、サティ・クゥワーヴァとジラ・アルベラ・レバルトは、「引き裂かれた王都」の王宮跡を訪ねて、
第六魔法都市カターナから、ボロー本島に渡った。
ボロー本島は、ボロー諸島の中心にあり、島全体がボロー市と言う括りになっている。
ボロー市は「引き裂かれた王都」の中心である王宮跡を、重要な文化遺産であると認め、
同時に観光資源として、その保全活動に幾許かの公金を投入しているが、王宮跡の管理自体は、
同市観光協会に委託している。
ボロー市の観光ガイドに案内されて、サティとジラは王宮跡を巡った。
王宮跡は、100年毎に1度、当時の技術を再現して補修される。
その為、発見当時から失われていた物以外は、全く変わっていない。
「引き裂かれた王都」は、遺跡としては相当有名な方で、人口が多い都市も近くにあり、
学術的な調査は尽くされた後なので、今更新しい発見は期待出来ない。
そうジラは油断していた。
245創る名無しに見る名無し:2012/06/26(火) 19:37:51.43 ID:uAjizQ73
王宮跡は、訪問者を古代への旅へと誘う。
土色のブロックは、白っぽい物と、黄色っぽい物、赤っぽい物、黒っぽい物の4種類があり、
その配色でブリックアート宜しく、壁や床に模様を描いている。
幾何学的な模様の他に、古代南洋語らしき文字、人や動物と思われる絵。
全部見ていると、目が回りそうになる。
サティは文字に注目して、観光ガイドの女性に問い掛けた。

 「ガイドさん、これは何と書いてありますか?」

サティは古代南洋語の文字を、全部は記憶していない。
しかし、元々訪れる予定だった場所の下調べを、彼女が怠る事はあり得なかった。
その気になれば、直ぐに辞書を取り出して、解読する事も出来る。
作業完了に何点も掛からないだろう。
それよりガイドに問う事に、意味があったのだ。

 「『調和の道』ですね」

 「調和?」

 「調べ、音楽、音調とも訳せます。
  この先の廊下は、絵が雑多に配置されている様に見えますが、実は楽譜になっているのです。
  御覧になりますか?」

ガイドの女性は、淀みなく答える。
徒に案内料として金を取っている訳では無い。
246創る名無しに見る名無し:2012/06/27(水) 19:30:03.78 ID:5hwO2nmn
サティとジラは、ガイドの誘導で、調和の道へ通された。
ガイドが小声で呪文を唱えると、通路のあちこちで音が鳴り始める。
鉄琴の様に軽快な音が響き合って、1つの綺麗な音楽になる。
得意気な顔をするガイドと、素直に感心しているジラ。
しかし、サティは全く別の事を考えていた。
彼女は詠唱を終えたガイドに尋ねる。

 「ガイドさんは、古代南洋語が解るのですか?」

 「はい。
  王宮跡にある物は、大体解ります」

音楽は未だ鳴り続けている。
1度発動すると、奏で終えるまで持続する仕組みなのだ。

 「いえ、そう言う事ではなくて、古代南洋語の全般についての話です」

 「全てとは言えませんが、多少なら……」

 「済みません、質問が悪かったですね。
  古代南洋語を使う人が、身近に居ますか?」

ガイドはサティの質問の意図が、今一つ汲み取れなかった。

 「古代南洋語の正確な発音は、伝わっていないのでは?
  ……日常的に使う人とは、筆談する人の事でしょうか?
  態々そんな面倒な事をする人は、私の知り合いには居ませんけれど……」

 「そうですか……、いえ、余り気にしないで下さい。
  カターナ地方の、特に島嶼に住む方々の生活は、史料に残されている古代南洋語圏の物と、
  多くの共通点が見られるとの事で、何らかの関わりがあるのではと思い、一応確認の為に、
  お尋ねした次第です」

そう答えられても、ガイドは困惑する他に無い。
サティは考え事をしている風に、短く唸った後、口を開いた。

 「最後に1つ、質問させて下さい。
  王都を造ったのは、現在島に暮らしている人々の――詰まり、貴女方の祖先だと思いますか?」

 「いいえ、別の人だと思います。
  王都を造った人々は、滅んでしまったんじゃないでしょうか?
  私達の祖先は、偶々ボロー諸島に流れ着いたと聞いています。
  ボロー本島史にも、そう記されていると」

それはボロー諸島民なら、知らぬものは居ない、周知の事実である。

 「有り難う御座いました」

澄ました顔で礼を言うサティに、学者には変わった人が多いのだなと、ガイドは独り思った。
247創る名無しに見る名無し:2012/06/27(水) 19:30:37.42 ID:5hwO2nmn
カターナ地方にも伝承の類はあるが、由来を示す物は殆ど無い。
カターナ地方民は、旧暦に古代南洋語圏で生活していた人種と、多くの共通点が見られると言っても、
最も重要な古代南洋語を引き継いでいない。
ボロー諸島の遺跡は、現在の島民とは全くと言って良い程、無関係なのである。
それをサティは確認したのだ。
魔法大戦では、禁断の地以外の、全ての陸地が海に沈んだと言う。
事実なら、魔法大戦中、禁断の地にいなかった人類は、絶滅している。
だが、常識で考えれば、天変地異で全ての大陸が沈んだとしても、禁断の地以外にも、
海に沈まなかった陸地、又は島嶼が残っている可能性は、否定出来ない。
肌色、生活習慣からして、カターナ地方周辺小島群で暮らす人々は、唯一大陸の浮上とは無関係に、
偶々沈没しなかった古代南洋語圏の島嶼の、生き残りである可能性が高いと言えた。
しかし、言語が失われている。
旧暦の時点で、既に他の言語圏の勢力に支配され、言語を奪われていた可能性は低い。
魔法大戦の伝承で、古代南洋語勢力が確認されている。
人が生き残っている限り、世界崩壊の危機で、有形の遺産が滅んでも、言語が滅ぶ事は考え難い。
……共通魔法を伝えた魔導師会にも、言語を奪った記録は無い。
248創る名無しに見る名無し:2012/06/27(水) 19:31:48.17 ID:5hwO2nmn
この事実をどう纏めるべきか、この時のサティは、余り深く考えていなかった。
飽くまで、未知の魔法に触れる事が、彼女自身の目的だったからである。
現在のボロー諸島民は、王都を造っておらず、余り大きな文明を持たない、別の古代南洋語圏民族が、
後からボロー諸島に渡って来たと考えれば……。
500年以上もあれば、古代南洋語は古語として忘れ去られても、不思議では無い。
文化を保守する意識が薄ければ、固有の言語が標準語に取って代わられる事も、
無いとは言えないだろう。
今の所は、取り敢えず事実だけを纏めて、結論を出すのは、他の地方とも比較した上で、
十分な時間を掛けて熟考した後で良いと思っていた。
249創る名無しに見る名無し:2012/06/29(金) 18:51:42.37 ID:xSulNH9g
第一魔法都市グラマー 禁断共通魔法研究所 通称「象牙の塔」 C棟魔法実験棟


禁呪の研究者の中でも、最も気違……頭の逝かれた連中が集まるのが、C棟である。
度を越えた『実践主義者<プラグマティスト>』、所謂エラッタの比率が最も高いのも、このC棟。
象牙の塔の中でC棟だけは、研究棟と実験棟が別々に配置されている。
頑丈に造られている筈の、魔法実験室が破壊されたのは、1度や2度では無い。
余りに破壊されるので、絶対に破壊されないと言われるエバラ鉄製にした所、1年持たなかった。
エラッタの連中は、チャレンジ精神の塊なので、これを破壊する事に心血を注いだのである。
エバラ鉄の強度を上回る威力を、魔法だけで出す事は、非常に難しい。
そこで誕生したのが、魔法と物理化学を融合させた、魔法理学論である。
呪文の完成を、物理化学を利用して、自動的に行わせ、何万回と言う単位で連続して発動させる。
即ち、魔法の連鎖、魔法発動の臨界状態を作り出すのだ。
エバラ鉄製の実験室を派手に爆散させた、当時のC級研究者達は、発明の功績を称えられ、
褒賞が与えられたが、それとは別に実験室を破壊したので、全員長期の減給処分を受けた。
減給は賞与が帳消しになっても余る程の物だったが、当の彼等も同輩も後進も、
自重する事は全く無かった。
その後、更に頑丈に建てられたエバラ鉄製の実験室も、別の研究者によって、
天井に穴を開けられたり、縦横に真っ二つにされたりした。
寧ろ、エバラ鉄製の実験室を1度は破壊する事が(飽くまでC棟の研究者の中では)、
一種のステータスと認識されていた節がある。
それも同じ方法では芸が無いと言う事で、出来るだけ凝った壊し方を追求する。
施設内での生活を保障されているが故の暴走とも言えるが、本当の問題は研究者の性質にある。
250創る名無しに見る名無し:2012/06/29(金) 18:55:09.56 ID:xSulNH9g
現在、C級禁呪研究者の課題は、どれだけ少量の魔力で、高い効果を発揮させられる魔法を、
開発出来るかにある。
魔法発動の臨界状態を作り出すと言うよりは、可能な限り高いエネルギーが得られる、
物理化学的な連鎖反応を引き起こす、魔法陣の組み立てを目指している。
最終目標は、魔力石1個分の魔力で、エバラ鉄製の実験室を破壊する事である。
それが達成されたら、魔力石1個分の魔力で、何回もエバラ鉄製の実験室を破壊する事を、
目指すのだろう。
こうした大威力魔法から身を守る、防護魔法の研究も、同じくC級禁呪研究者によって、
進められているが、魔法の連鎖による破壊力の上昇に、とても追い付く物では無く、
魔法を無効化する事で対処しているのが現状である。
一応、強大なエネルギーの奔流を利用して魔法陣を描き、威力を抑える方向に持って行く事が、
現実的な対策として完成しているが、絶対的な防御手段にはならない。
防護魔法の研究者は、大威力魔法の実験には常に付き添い、少しでも威力を抑える様にしているが、
その試みが有効だった事は、殆ど無い。
だが、これは飽くまで威力を見るが為であり、呪文妨害有りの場合、一対一で正対すれば、
大威力魔法を封じ込める事は、そう困難では無い。
251創る名無しに見る名無し:2012/06/29(金) 18:55:57.29 ID:xSulNH9g
大威力魔法の専門家の他に、C級禁呪研究者には、大規模魔法の専門家もある。
大規模魔法も、魔法理学論の発達と共に、現在では大陸規模で効果を及ぼすレベルまで来た。
理論上は天体レベルまで影響を及ぼせるが、環境の激変が予想されるので、
エラッタ揃いのC級禁呪研究者でも、流石に実践は自重せざるを得ない。
故に他の部門からは、「実践出来ない事」に対して、同情半ば、侮蔑半ばの扱いを受けている。
252創る名無しに見る名無し:2012/06/30(土) 18:12:30.55 ID:oG8C4+xq
1月1日 第四魔法都市ティナー 大陸中央魔法結界領域にて


各魔法都市の中心地には、魔法結界領域と言う物がある。
唯一大陸を覆う、大魔法結界を張る為の、重要な場所なのだが、「大魔法結界」なる物の重要性を、
真に理解している者は、殆ど居ない。
多くの一般市民は、世界が滅ぶ程の大災害からも、大陸の上で暮らす人々を守れる様に、
大魔法結界が張られているのだと思っている。
そう言った目的も無い事は無いが、最も重要な役割は、共通魔法の領域を作り出す事にある。
共通魔法の流れで、強力な外道魔法の行使を妨害し、抑制しているのだ。
253創る名無しに見る名無し:2012/06/30(土) 18:15:14.14 ID:oG8C4+xq
年が明けた、その日の真夜中――1月1日と2日の境に、大規模魔法の研究者は、執行者を伴って、
各地のの中央魔法結界領域へ移動する。
禁呪研究者が直接参加する、数少ない社会貢献の一にして、大規模魔法実践の場、
結界の張り直し作業である。
結界の張り直し作業は、毎年行われる物で、大陸全体が共通魔法の支配下にある事を、
視覚と魔法資質に訴え、明示する役割も持っている。
気付く者は少ないが、結界の魔法は毎年少しずつ改良が加えられており、実は更新の度に、
徐々に結界の領域が拡がっている。
結界が星を覆い尽くす時、共通魔法の支配は完全な物になる。
しかし、そんな事は、一般市民には無関係。
共通魔法が星を覆い尽くす事が、どう言う意味を持つかは余り考えず、大魔法結界の更新は、
天空に魔法で文様を描く、花火の様な、祝砲に似た儀礼的な物と捉えている。
中には、それを結界と知らず、新年の祝賀行事と勘違いしている者も少なくない。
その為か、大魔法結界の更新時に、願掛けをする奇妙な風習が生まれた。
254創る名無しに見る名無し:2012/06/30(土) 18:16:15.34 ID:oG8C4+xq
大魔法結界の更新は、ティナー市から始まる。
各地に5名の研究者が配置され、ティナー市の上空遥か1旅に文様が浮かぶと、それを合図に、
残りの25名が同時に呪文を完成させる。
一発勝負で失敗は許されない、難度の高い業なのだが、これを行う研究者は誰も彼も嬉々としている。
彼等もエラッタなのである。
公に大規模魔法を使う事が許されるなら、重大な責任を負わされる位は、何でも無いのだ。
寧ろ、責任が伴うのは当然。
誇らしいとさえ認識している。
この「誇らしい」とは、一般人が誇りに思う感覚とは、全く別の物なのだが……。
255創る名無しに見る名無し:2012/07/01(日) 17:53:51.70 ID:mcFNXsQI
1月2日が近付くと、人々は見晴らしの良い所で空を仰ぎ、大魔法結界の更新を、その目で見届ける。
市民の中には、結界の張り直しには全く興味が無く、既に夢の中の者も、少なからず居る。
その辺りは、人それぞれだ。
大魔法結界は毎年、微妙に違う物が張られる。
文様が変わっていたり、色が変わっていたり、時には呪文の完成手順が全く変わっている事もある。
花火に似ていると言うのは、強ち間違いでも無い。
技術が確立されて以降、普通に結界を張るだけでは、面白くないと言う事で、禁呪の研究者は、
見物人が楽しめる様に、態々魔法陣に種々の細工を施している。
毎年趣向を変えて、ある年には、文様を生き物の様に動かしたり、ある年には、
色調を目紛るしく変化させたりと、新しい試みが導入される。
所謂、「職人の遊び心」と言う奴だ。
256創る名無しに見る名無し:2012/07/01(日) 17:56:19.51 ID:mcFNXsQI
余りに芸術的な業の為、一部の市民は、大魔法結界を張っているのは、今六傑と呼ばれる、
娯楽魔法競技のスターだと、誤解している事がある。
丁度6地点で行われる為に、その様な誤解が広まるのだが、実際に結界を張っているのは、
象牙の塔で大規模魔法を研究している者達で、間違い無い。
一部禁呪に関係する、この重大な行事を、魔導師会が他者に任せる事はあり得ないし、
エラッタが実験の機会を他者に譲る事もあり得ない。
過去、結界の張り直しが失敗した事は、過去1度も無い……訳では無い。
大規模魔法の技術が確立されるまでは、何度も失敗を繰り返していた。
結界を張っていたのも、禁呪の研究者では無く、魔法資質の高い魔導師であった。
年に一度と言う更新頻度が設けられたのは、結界の綻びを補う意味からで、現在の様に、
新しい魔法陣を描いて、完全に更新する様になったのは、大規模魔法の研究が進んだ、
開花期になってからである。
257創る名無しに見る名無し:2012/07/01(日) 18:05:13.77 ID:mcFNXsQI
禁呪研究者が結界の更新を担う様になってからは、張り直しが失敗した事は1度も無い。
それは発動技術の向上による。
結界の更新を行う研究者は、全員事前に発動する呪文を把握させられ、何らかの合図で、
条件反射的に行動出来る様に、共通魔法で暗示を掛けられる。
失敗が無いのは、その為である。
現場で不測の事態が発生した場合に、修正が利き難いと言う欠点こそある物の、万一に備えて、
研究者には執行者が付いている。
結界自体は、最低でも3年程度は効果を保つ物であり、1年や2年、更新が行われなくとも、
大きな問題は起こらない。
それは大魔力路と街道、そして都市の構造から成る、地上の大魔法結界がある為だ。
大陸の天空に描かれる大魔法結界が無くとも、共通魔法の成功率が少々下がる程度で済む。
大魔法結界を張り直すのは、この星を完全に共通魔法の支配下に置く物のが、主目的なのである。
嘗ての大魔導計画の名残とも取れるが、これは過去の事業の慣行や因襲と言うより、
魔導師会は未だ計画を諦めた訳では無いと言った方が、より正確かも知れない。
258創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:08:54.85 ID:PPvNda+P
自分用まとめ

これまで登場した地名

○グラマー地方
第一魔法都市グラマー
・ランダーラ地区
・ニール地区(魔法刑務所)
・南東区ギフ
・禁断共通魔法研究特区(象牙の塔)
カシン市(東・カシン凶事)
ブンデン町(ミダラ)
ジャルガー村(怪事件)
夕陽の荒野
砂漠の死都
レフト村
禁断の地
259創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:10:31.12 ID:PPvNda+P
○ブリンガー地方
第二魔法都市ブリンガー
・ブロード地区
・フェストゥカ地区
ディアス市(北東・金の産地)
スィーフ市(北東・ブリウォール街道)
インベル湖
ベル川
ルテロ町(マスター・ノート)
ベオネ町(北西・蛇男)
カーウェン村
サブレ村(北東・緑の魔法使い)
コルディア村(過去に滅亡)
スファダ村(北東・蛇男)
オーハ村(東・蛇男)
ニーヴ村(過去に全焼)
ソーダ山脈
キーン半島
・神殿遺跡
・ルイン村(森の魔女)
・ソーシェの森
260創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:11:29.63 ID:PPvNda+P
○エグゼラ地方
第三魔法都市エグゼラ
・ゼーフェレコルト城
ナーラク市(北西端・大雪原へ)
フロークラ市
ルブラン市(南端・ナハトガーブ)
イミル村
ビリャ村(ルブラン市の西・ナハトガーブ)
メッサー大雪原
ガンガー北極原
キューター平原
トス平原
・極北人のイグルー
・氷下壕
ガンガー山脈
・天の座
261創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:16:53.21 ID:PPvNda+P
○ティナー地方
第四魔法都市ティナー
・中央区
・ラガラト区
・バルバング地区
・ミスト地区
エスラス市(北東)
・トック村
バルマー市
デュラー市(西・シェバハの縄張り)
カジェル町(南・黄金の手)
タンク湖
ミークン村(南東・織師)

トック村はティナー市からエスラス市の所属に設定変更。
262創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:19:36.96 ID:PPvNda+P
○ボルガ地方
第五魔法都市ボルガ
・ドッガ地区
・アイロ地区(闘犬)
・オーサ地区(闘犬)
・カーラッド地区(闘犬)
・アンラク地区
ドージャリ市(ブリウォール街道)
メートドリ市
イゼット市(メートドリの隣市)
ゴノミ村(妖獣の伝説)
クイ村
ツマガネ村(フロータイト)
ハクキ村(ナンダカ様)
グレー村(竜神)
アノリ霊山
ルーズ川
カンダの滝
アイダ渓谷(カタクス街道)
サマ島(閉鎖海域)
サメ島(サマ島から渡る離れ小島)
263創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:21:25.14 ID:PPvNda+P
○カターナ地方
第六魔法都市カターナ
・ビッセン港区(港町)
・コターナ島
ガラス市
タルタモ市(帰って来た死人)
ボロー諸島(引き裂かれた王都)
・ボロー本島
ゾナ諸島(名前だけ)
ルナ島(歌と踊りを愛する島民)
クダノナ島(ヒダル漁)
264創る名無しに見る名無し:2012/07/02(月) 19:24:32.94 ID:PPvNda+P
これからの留意点:

全体的に町が少ないので、町を増やす。
グラマー地方を中心にした話も、幾つか考える。
ティナー地方では、都市以外でも話を展開する。
カターナ地方の町村、地区の新設。
265創る名無しに見る名無し:2012/07/04(水) 18:57:34.16 ID:INd4mJuq
復帰。陰ながら応援してます
266創る名無しに見る名無し:2012/07/05(木) 18:40:09.31 ID:IZz4NQOE
ありがとう。
267創る名無しに見る名無し:2012/07/05(木) 18:46:29.47 ID:IZz4NQOE
第二魔法都市ブリンガー タリアンテ地区にて


タリアンテ地区は、ブリンガー市の北東に位置する、一地区である。
執行者のストラド・ニヴィエリは、そこで逸れた相方を探していた。

 「蛇野郎、どこ行きやがった!
  あれ程、独りで出歩くなっつったのに、又かよ!!」

彼と共に旅していた『蛇男』は、時々行方を晦ます事があった。
大抵は直ぐ見付かるのだが、当人曰く、独りになってしまう時は、夢遊病の様に意識が無いそうだ。
常に付き添っていても、少し目を離した隙に、蛇男は姿を消してしまう。
この事にストラドは、何か作為めいた物を感じずには居られなかった。
共通魔法では察知出来ない、暗示の様な物を仕込まれ、精神を乗っ取られているのでは……。
蛇男を生み出した外道魔法使いを探して、ブリンガー地方北東部を回っていたストラドだったが、
それに繋がる手掛かりが、何も見付けられなかった今、一旦ブリンガー市に戻って、
医療魔導師に蛇男を診て貰う必要があると思っていた。
蛇男が失踪したのは、その矢先である。
似た様な事は何度もあったが、今回も同じとは限らなかった。
268創る名無しに見る名無し:2012/07/05(木) 18:51:33.10 ID:IZz4NQOE
同刻、タリアンテ地区の街を歩いていた、旧い魔法使いの老人、アラ・マハラータ・マハマハリトは、
フードを被って顔を隠し、ローブの裾を引き摺りながら、ふらふらと歩く、怪しい人物を目撃した。
これが共通魔法社会に属する物とは違うと、一目で看破した彼は、長い顎鬚を撫でつつ、暫し思案する。

 (フゥム……?)

やがてマハマハリトは、右手の人差し指を真っ直ぐ立てると、くるくる空気を撹拌する様に振り回した後、
怪しい人物に向けて、投げ掛ける仕草をした。
その儘、マハマハリトが静かに雑踏から離れると、怪しい人物は徐に進行方向を変えて、
誘われる様に彼の後を追う。
街外れの人気の無い公園に着いたマハマハリトは、木陰のベンチに腰掛けて、大きな溜め息を吐き、
後から来る者を待ち構えた。
そう何点も間が空かない内に、ローブとフードで肌を隠した、先程の怪しい人物が、公園に入って来る。
怪しい人物は、迷う様子も無く、マハマハリトの前で立ち止まった。
マハマハリトはローブの袖から杖を取り出すと、ベンチに座った儘、石突きで公園の石畳を1度、
軽くカツンと叩く。
良い音が響いた直後、怪しい人物は明らかに狼狽した様子で、辺りを見回し始めた。
269創る名無しに見る名無し:2012/07/05(木) 18:55:19.56 ID:IZz4NQOE
怪しい人物は、怖ず怖ずマハマハリトに問い掛ける。

 「お爺さん、付かぬ事を伺いますが、ここは――どこですか?」

その声は低く濁っていたが、男の声と明確に判る物だった。

 「公園だが?
  入り口の門柱には、プロスペル記念公園と書かれていたな」

答えるマハマハリトは、長い白髭を蓄え、ウィザードハットにローブと言う、古めかしい出で立ち。
これに違和感を覚えた怪しい人物は、再び問い掛ける。

 「あ、あの……もしかして、お爺さん……外道魔法使い?」

 「如何にも」

堂々としたマハマハリトの返事を聞いて、怪しい人物は身構えた。

 「あ、あんたが俺をここに連れて来たのか?
  俺に何の用だ?」

 「そう構えんでくれ。
  お前さん、ルヴィエラの『子<フィーリオ>』じゃろう?」

マハマハリトは友好的な態度で接したが、怪しい人物は一層警戒を強める。

 「ルヴィエラのフィーリオ……?
  何の事だ?
  あんたもナイト・レイスと、何か関係あるのか?
  奴と同じだ……俺には全く解らない話をする……」

マハマハリトは黙り込んで、混乱している様子の怪しい人物を、繁々と見詰めた。

 「……ウム、ウム、相分かった。
  では、お前さんの聞きたい事に答えよう。
  儂は何でも知っとるよ」

そして独り合点し、自信満々に言うのだった。
270創る名無しに見る名無し:2012/07/05(木) 19:09:33.03 ID:IZz4NQOE
怪しい人物は、訝し気に尋ねる。

 「本当に、何でも知ってるのか?
  あんたは一体何者なんだ?」

 「儂はアラ・マハラータ・マハマハリト。
  旧い魔法使いの一人じゃよ」

 「どうして俺をここに連れて来た?
  何が目的なんだ?」

 「お前さん、意識が無い状態で、街ン中をふらふら歩いとって、危なっかしかったからのォ……。
  厄介な事にならん内に、目を覚まして貰った」

 「……あんたの仕業じゃないのか?」

 「違う。
  意識が飛ぶのは、恐らく改造の後遺症じゃな。
  意図的に組み込まれた物かも知らんが……」

怪しい人物が沈黙すると、マハマハリトは静かに尋ねた。

 「お前さんは、人の姿をしとらん……そうじゃろう?
  隠さずとも良い。
  目下の悩みは、容姿怪異なるが故の、『存在理由<レゾンデートル>』」

マハマハリトの話を聞いた怪しい人物は、ぬっとフードの下から首を伸ばし、顔を覗かせる。
それは緑掛かった蛇の物だった。

 「あんたは俺の何を知っている?」

縦に長い瞳でマハマハリトを睨み、未だ信用は出来ない様子で、蛇男は問う。

 「お前さんを造った者に、心当たりがある。
  その者の名はルヴィエラ――、ルヴィエラ・プリマヴェーラ」

 「ルヴィエラ……。
  どんな奴なんだ?」

 「闇の母、夜の女王、混色の黒……。
  幾つもの名を持つ、優れた魔法使い…………だが――」

 「だが?」

 「――破滅的に性格が悪い」

マハマハリトは至極真面目な口調で語った。
271創る名無しに見る名無し:2012/07/06(金) 20:44:37.03 ID:daR9YrC6
蛇男は表情こそ変えられないが、戸惑いを露にする。

 「……そんなに悪いのか?」

 「悪い所では無いわい。
  彼女は虚無と混沌の魔法使い。
  出会わぬ方が、お前さんの為かも知れん」

 「だからって、諦める事は出来ない。
  俺は俺が生まれた理由を知りたい。
  一体どうやって、何の為に、生まれたのか……」

真面目に答えた蛇男に、マハマハリトは忠告した。

 「ルヴィエラは悪い魔女を絵に描いた様な、気紛れで、我が儘で、横暴で、陰湿で、残酷で、執念深い、
  無法の魔法使い。
  予断する。
  彼女は、お前さんを生み落とした事すら、ころっと忘れとるじゃろう。
  会えば絶対に後悔するぞ」

脅しとも受け取れる物言いだったが、蛇男は怯まない。

 「それでも……そいつに会わないと、俺は先に進めない。
  どんな結果でも、受け入れる積もりだ」

マハマハリトは眉を顰め、目を伏せた。
白く長い眉毛が、彼の瞼を覆い隠す。

 「……他者が定めた存在理由に、大した意味は無い。
  過去を追い求めるより、今を生きる事の方が、余程大切じゃよ……。
  儂は過去、ある男に、そう教えた。
  結局、彼は悩み抜いた挙句、儂の教えを聞き入れずに、行ってしまったが……。
  今は何をしているやら」

マハマハリトが溜め息を吐くと、蛇男は言い返す。

 「俺も過去に、同じ様な事を言われた覚えがある。
  あんたとは違う人だが……。
  誰に何と言われても、俺の心は変わらない」

彼の信念は固かった。
272創る名無しに見る名無し:2012/07/06(金) 20:49:37.63 ID:daR9YrC6
事の起こりを知らない者は、何も解決出来ない。
そうやって得られた結果は、その場凌ぎの瞞しに過ぎない。
それは正しいが――真っ直ぐでは、折れるのも早い。

 「お前さんを見ていると、儂の弟子を思い出す。
  奴も不器用で、融通の利かない男だった」

力無く呟くマハマハリトに、蛇男は苛立った。

 「俺も……あんたの話を聞いていると、白い変な子供を思い出す。
  達観した様な、妙な雰囲気の子供だったよ。
  俺の一生は、俺の物だ。
  間違っていようと、俺は俺が決めた道を行く」

我が弟子は、こんな風に強い口調で言い切れなかったと、マハマハリトは心の隅で残念がる。

 「望まぬ物を与える事は出来んか……。
  済まなんだな、お前さんには詰まらぬ話をした」

これ以上は何を言っても無駄と思い、マハマハリトは引き下がった。
それを受けて、蛇男は態度を軟化させる。

 「……意識の無い所を誘導して貰ったのは、感謝します」

 「どうしてもルヴィエラを追うのなら、気を付け給え。
  それと……外道魔法使いが全て、彼女の様な物だとは、思わんで欲しい」

 「解っています」

マハマハリトは安堵の息を吐いて、静かに立ち上がった。

 「ウム。
  では、さらば」

そして、緩慢な歩で公園を去る。
蛇男は遠ざかる彼の背に、声を掛けた。

 「さようなら」

2人は穏やかに別れたのだった。
273創る名無しに見る名無し:2012/07/06(金) 20:51:00.35 ID:daR9YrC6
……後に、蛇男は無事ストラドに見付かり、小っ酷く怒られる事になる。
だが、彼はルヴィエラの話をしなかった。
そればかりか、マハマハリトと名乗る外道魔法使いに会った事も言わなかった。
蛇男はナイト・レイスとの遭遇、そしてマハマハリトとの出会いで、己が如何に共通魔法社会の枠から、
外れた存在であるかを、強く認識させられたのである。
ストラドは一定の信頼が置ける魔導師だが、飽くまで共通魔法使いだ。
蛇男は心密かに決意していた。
274創る名無しに見る名無し:2012/07/07(土) 21:23:09.74 ID:RQq41O8d
第二魔法都市ブリンガー七日半駅にて


サティ・クゥワーヴァとジラ・アルベラ・レバルトは、馬車鉄道でブリンガー市の中央区に向かっていた。
彼女等が乗っているコーチは、七日駅に着いた所。
1角の休憩後、コーチは八日駅に向かって出発する予定になっている。
1角では周辺を見て回る余裕も無いので、2人は大人しくコーチの中で待っている事にした。
車内販売で昼食を取るジラに対し、サティは背凭れに体を預けて仮眠を取っている。
何か食べないのかとジラは尋ねたのだが、グラマー地方では、特に女性は衆目のある所で、
物を口にするのは端無い行為だと考えられている。
少量の飲み物か、一口に含んで嚥下出来る程度の物なら、許容範囲だが、本格的な食事は無理。
これでもサティは一応、お嬢様育ちである。
グラマー地方で一般に下品とされる真似は、彼女には出来なかった。
独自の価値観を持ち、体面を気にするグラマー地方民は、他地方民の目には奇妙に映る。
寡黙で大人しく、食事もしない様は、人ならざる物を連想させる。
その為グラマーの女は、良く出来た人形の様だと言われる事がある。
逆に言えば、グラマー地方民からすれば、人前で食い物を貪る女は恥知らずだ。
互いに互いの事を変な人だと思いながら、2人はコーチの出発を待っていた。
275創る名無しに見る名無し:2012/07/07(土) 21:24:37.49 ID:RQq41O8d
その時、2人が乗っているコーチの窓の側で、言い争う女の声があった。
サティは素知らぬ振りをしているが、ジラは気になって目を遣る。
声の主は、成人した若い女と、やや年を食った中年の女……どうやら母と娘の様であった。
それは会話から判る。

 「――どんよ、良い人は見付かったけ?」

 「止めれ、母ちゃん!
  人めえで、恥ずかしいべぇ!」

 「いしゃ、親に向かって『止めれ』とは何だぁよ!
  言い方って物をけんげぇな!」

 「堪忍してくんろ、恥の晒し上げだべぇ……」

 「好い年こいて、身も固めねぇで、ふすふすしやってよ!」

ジラは2つの意味で苦笑した。
1つは丸出しの方言に、もう1つは会話の内容に。
独特の抑揚はブリンガー地方の物だが、第二魔法都市の中心地ともなれば、訛りの影響は少ない。
どの魔法都市でも同じだが、そこで方言を使う事は、如何にも田舎者染みているのだ。
若い女が恥ずかしがるのも、当然である。
276創る名無しに見る名無し:2012/07/07(土) 21:27:04.37 ID:RQq41O8d
ジラの家庭は良い感じに近代化しており、日常会話で強い訛りが飛び交う事は無かったが、
彼女は若い女に同情せずには居られなかった。
それは会話内容に覚えがあったからに他ならない。
ジラは実家で親と顔を合わせる度に、やれ男は出来たか、やれ結婚は未だか、
やれ早く孫の顔を見せてくれだとか、言われていた。
成人すれば、結婚は出来るだけ早い内が良いと言うのは、常識。
三十路が迫れば、催促される。
今年は何と言って逃れようかと、特に悪い事をした訳でも無いのに、悩まなくてはならない。

 「ジラさん、『ふすふす』とは何ですか?」

嫌な事を考えさせられ、頭が痛い思いをしているジラに、サティが問い掛けて来た。
口論が気になり、目が開いた様である。
ジラは悪い夢から現実に返り、応える。

 「知らない。
  家は両親共、殆ど訛りが無かったから……。
  えごい方言は私にも解らないの。
  聞く限り、余り良い意味では無さそうだけど」

本当の事である。
サティは目を丸くした。

 「えごい……?」

 「……あれ?
  『えごい』って、標準語じゃない?
  えぐい?
  こてこて――だと意味が変わるし……」

ジラは慌てる。

 「それは中央訛りです……。
  言わんとせん所は解ります。
  『きつい』、『灰汁が強い』と言う意味ですね」

 「そうそう、きつい!」

答えたかった事をサティに先んじられ、ジラは何度も頷いた。
方言とは自覚し難い物である。
277創る名無しに見る名無し:2012/07/08(日) 20:36:57.61 ID:c4odsjGb
「ブリンガー地方の人が、語尾に『べ』とか『べぇ』と付けるのは、仔牛が『ベェベェ』鳴くのと、
 何か関連があるのでしょうか?」

「本気で言ってんの?」

「何か?」

「…………関係無いでしょう。多分。あなたはブリンガー地方民を、牛か何かだとでも思っている訳?」

「ブリンガー地方は、酪農が盛んな地域が多いと伺いましたので」

「その理屈で言うと、犬を飼う家が多いボルガ地方は、ワンワン言ってないと行けなくなるよ?」

「ティナー地方とボルガ地方では、語尾に『ワ』を付ける例があるそうです。
 やるわ、やらんわ、やったわ、何だわ……と。
 更にティナー地方の一人称は『ワイ』で、ボルガ地方では『ワ』だとか……」

「いや、それは――」

「あっ……、ブリンガー地方では、二人称に『ワン』を用いる所もあるそうですね。
 牧羊犬を飼うからでしょうか?」

「いやいやいや」

「フッ、冗談ですよ」

(どこから冗談だったんだろう……?)


ブリンガー訛り
参考:関東・東海地方
278創る名無しに見る名無し:2012/07/09(月) 19:11:03.02 ID:MlFBBena
第一魔法都市グラマー北西端の一区 タラバーラ地区にて


事象の魔法使い


砂風荒れるグラマー地方では、誰も彼もブードが付いた裾の長い、ローブかマントを羽織っている。
男でも女でも、肌を露にしている者は見られない。
極寒のエグゼラ地方以外は、どこに行ってもグラマー地方民は異質な存在になる。
その格好からグラマー地方民は、他人の理解を求めず、拒絶する様な、不干渉主義者に見えるが、
実際は正義感が強く、よく話し合い、それなりに喧嘩をして、それなりに笑い合う、普通の人で、
地域包みの付き合いも多い。
しかし、男女の別は明確であり、街では男同士、女同士の団体で行動している所は見られても、
複数の男女が行動を共にしている所は見られない。
家族、夫婦、恋人の例を除いて、男女は距離を置く。
それでも彼等は、普通の人である。
グラマー地方民は、本の少し頑固で、独自の規律に煩いだけなのだ。
魔導師会の存在もあって、グラマー地方は犯罪率が唯一大陸で最も低く、最も旅行者の安全が、
確保された地域でもある。
279創る名無しに見る名無し:2012/07/09(月) 19:12:46.61 ID:MlFBBena
第一魔法都市グラマーは、唯一大陸最初の魔法都市にして、共通魔法使いの聖地。
しかし、同市タラバーラ地区の路地裏、石造りの建物が並ぶ地下に、外道魔法使いの住家がある事は、
全くと言って良い程、知られていない。
その者の名はマハナ・ヴァイデャ・グルート。
名の全てが称号や職業に由来する地位名で、本名は誰も知らない。
恐れ知らずにも、共通魔法使いの聖地で、密かに医業を営む大人物。
彼の住家は診療所でもある。
驚くべきは、その魔法。
ヴァイデャの魔法は、物事に名と形を与える、『象魔法<エルフィール>』。
旧い魔法使いが使う魔法の中でも、かなり古い部類に入る物。
それを傷病の治療に用いている。
280創る名無しに見る名無し:2012/07/09(月) 19:14:00.60 ID:MlFBBena
8月。
この最も暑い時期に、ラビゾーは外道魔法使いのヴァイデャを訪ね、グラマー地方に足を運んだ。
しかし、彼は乾燥した暑いグラマー地方の気候に慣れず、数日で参ってしまった。
グラマー地方の風習に則り、フード付きのマントを羽織っていたにも拘らず……。
前月、涼しいエグゼラ地方に滞在していたので、激しい寒暑の差を経験した事も、
少なからず影響しているだろう。
長旅の疲れもあるかも知れない。
それでも目的を果たす為に、ラビゾーは頼りない足取りで、ヴァイデャの診療所に入った。

 「患者か?」

ヴァイデャには、ラビゾーの体調不良は一目瞭然だったのだろう。
彼を見掛けた時の第一声が、それだった。
他のグラマー地方民と同じく、裾の長い白ローブを着ているヴァイデャは、その外見からは、
外道魔法使いと感じられる要素が無い。

 「いいえ、違います。
  あなたが……ヴァイデャさんですか?」

 「そうだ」

 「僕はラビゾーと言います。
  ……マハナ・ヴァイデャ・クルードさん、これを」

ラビゾーは相手をヴァイデャだと確認すると、長さ1足程度の筒を懐から取り出し、手渡そうとした。
だが、ヴァイデャは受け取りを拒み、ラビゾーを気遣う。

 「後で受け取ろう。
  取り敢えず、そこに掛け給え。
  見るからに具合が悪そうだ」

そう言って彼は、手近にある椅子を指した。

 「いや、大丈夫です」

 「嘘を吐くな。
  顔が白いぞ。
  医者の言う事は聞け」

 「あ、はい」

やや強い口調で言われ、ラビゾーは素直に従う。
麻色のマントを羽織っている彼は、如何にも貧乏臭かったが、ヴァイデャは全く気にしていなかった。
281創る名無しに見る名無し:2012/07/10(火) 19:01:20.04 ID:yLW/a7O8
椅子に座ったラビゾーは、フードを剥ぐと、大きな溜め息を吐いて、俯いた。
それと同時に、どっと疲れが出て、体が重くなる。
眩暈が酷く、全身に力が入らない。
ヴァイデャは彼の背後に立ち、低く唸る様な声で、怪しい呪文を唱える。
……精霊言語では無い。
ラビゾーが今まで聞いた、どの詠唱とも違う、謎の呪文だった。
20極程度掛けて、呪文を唱え終えたヴァイデャは、締めにラビゾーの頭をペシッと平手で叩く。

 「――『熱の一撃』よ!」

 「いてっ」

大して痛くは無かったが、ラビゾーは反射的に声を出してしまった。
それと同時に、喉から大きな塊の様な物が、ぬるっと飛び出す。

 「うぇっ!?」

……そう言う感覚があった。
ラビゾーは口元を触ったが、別に濡れてはいない。
嘔吐よりは、痰が飛び出す感覚に近い物だったが……。
何故か、妙に体が軽くなっており、気分も良くなっている。
282創る名無しに見る名無し:2012/07/10(火) 19:04:55.72 ID:yLW/a7O8
床に何か吐いたのではと、ラビゾーが足元を確認すると、真っ赤なゼリー状の物体が目に入った。
それは半径1手の半球状をしており、グズグズ蠢いて見える。

 「なっ、なななっ何だ!?」

ラビゾーは驚きの余り、急に立ち上がって飛び退いた。
彼の背後に立っていたヴァイデャは、体当たりを食らう格好になって、2、3歩よろめく。

 「あっ、済みません!
  大丈夫ですか?」

 「ああ、大丈夫……気にしないでくれ」

慌ててラビゾーが謝罪すると、ヴァイデャは姿勢を正し、取り繕って答えた。
一拍置いて、ラビゾーは床のゼリー状の物体を指し、ヴァイデャに尋ねる。

 「……こっ、こいつは何ですか?」

 「それは『熱中症<ハイパーサーミア>』だ」

ヴァイデャは冷静に返したが、ラビゾーは何が何だか理解出来なかった。
真っ赤なゼリー状の物体は、じりじりと蛞蝓の様に這って、ラビゾーに近寄り始める。
ラビゾーはゼリー状の物体から距離を取って、再びヴァイデャに問う。

 「いやいや……僕は、こいつの、正体を、訊いているんです!」

 「だから、熱中症だと言っているだろう」

ラビゾーは懸命に頭を働かせ、ヴァイデャが言った意味を理解しようとした。

 「僕は熱中症の所為で、幻覚でも見ているんですか?」

 「いや、私にも見えるよ。
  君の口から出た、そこの赤い奴の事を言っているんだろう?
  それは『熱中症<ハイパーサーミア>』だ」

その答えに、ラビゾーは益々混乱する。

 「僕の口から、こんなデッカい物が……?
  熱中症とは違う、ハイパーサーミアと言う名前の、寄生虫か何かですか?」

 「何を言っているんだ?
  熱中症は熱中症だ。
  君の体調不良の原因だよ」

ヴァイデャは然も当たり前の様に語る。
283創る名無しに見る名無し:2012/07/10(火) 19:12:06.71 ID:yLW/a7O8
ラビゾーはヴァイデャに説明を求めた。

 「一体、どうなっているんです?
  熱中症が、僕の口から飛び出た??」

 「その通りだ。
  余り知られていないが、熱中症と言うのは、体内に潜む菌が、引き起こしているのだ。
  本来は無害な菌だが、高熱が加わる事で異常増殖し、この様な物になる」

一般常識から掛け離れた話に、ラビゾーは疑問を抱かずには居られない。

 「ほ、本当ですか?」

 「嘘だよ」

 「はぁ……」

ラビゾーが呆れて溜め息を吐くと、ヴァイデャは笑いを堪えて言った。

 「解った、真面目に解説しよう。
  古くから、病気に罹るのは、病魔の所為と言われて来た。
  例えば、不治の病に冒される事を、『病膏肓に入る』と言うだろう?
  私は魔法で、その様な無形の物に、名と容を与えられる」

最初から、そう説明すれば良いのに……と、ラビゾーは思ったが、黙っている事にした。
古い魔法使いには、人を揶揄う様な性格をした者が珍しくない。
不親切だと怒った所で、笑って流される。
暖簾に腕押し、空気を打つ様な物だ。
284創る名無しに見る名無し:2012/07/11(水) 18:31:18.60 ID:66Wqxq8i
それよりもラビゾーには、気になる事があった。
無形の物に容を与える魔法は、共通魔法の枠から外れた、大逸れた技術である。
発動形式からして、共通魔法とは相容れない。
共通魔法使いの聖地、第一魔法都市グラマーで暮らしているのみならず、そこで外道魔法を使って、
医療に携わっている。
何時、排除されても可笑しくない。

 「そんな魔法を使って、大丈夫なんですか?
  ここは第一魔法都市グラマーです。
  執行者の目も厳しいんじゃ……」

 「君は余り法律に詳しくないのか?
  魔導師会が定めた『魔法に関する法律』では、外道魔法は完全には禁止されていない。
  詰まり、共通魔法以外の魔法を、ある程度認めているのだ。
  私は『許容範囲内』で、魔法を使っているに過ぎない。
  グラマー市民は理想を顕すが為に、忠実に法を守り、理性的に振舞う事を心掛ける。
  私の様な者にとっては、大陸で最も安全な地域だ」

ヴァイデャは自身が脅かされない理由を、淡々と語った。
それは彼の自信に満ちた態度と相俟って、十分な説得力を持っていたが、ラビゾーは今一つ、
安心出来なかった。
理屈では無く、感覚的な物だった。
285創る名無しに見る名無し:2012/07/11(水) 18:35:26.33 ID:66Wqxq8i
晴れない顔をしているラビゾーに、ヴァイデャは言う。

 「君は自分の事を心配し給え。
  ほら、足元」

ラビゾーの足元には、『熱中症』が這い寄って来ていた。

 「うわっ!?
  こいつ、何で僕に!?」

彼は靴の爪先で蹴り払おうとするが、熱中症は全く怯む様子が無い。
仕方無く、回り込んで避ける。
驢馬を初めて見た虎の如く、恐れながら遠巻きに観察するラビゾーを見て、ヴァイデャは意地悪く笑う。

 「君から出た物だから、戻りたがっているんだろう」

 「戻る!?」

この決して小さいとは言えないゼリー状の物体が、再び口の中に入る事を想像して、
ラビゾーは総毛立った。

 「何、大した事は無い。
  再び熱中症になるだけだ」

 「何にしても嫌ですよ!!
  やっつける方法は無いんですか!?」

 「あぁ……そら、受け取れ」

彼の必死の訴えを受けて、ヴァイデャは革の水筒を投げ渡す。
286創る名無しに見る名無し:2012/07/11(水) 18:37:15.05 ID:66Wqxq8i
ずっしり中身が詰まった水筒を受け取り、ラビゾーは当惑した。

 「えっ、これで?
  どうするんですか?」

 「熱中症の治し方位は、知っているだろう」

 「水?
  打っ掛ければ良いんですか?」

狼狽えるばかりのラビゾーを、ヴァイデャは嘲笑う。

 「先ずは、やってみるんだな。
  何事も自分で考え、行う事に意味がある」

ラビゾーは迷った末、水筒を傾けて、躙り寄るゼリー状の物体に、少量の水を掛けた。
ゼリー状の物体は動きが鈍い為に、水を避ける事が出来ず、諸に浴びる。
効果は目に見えて現れた。
水に濡れた熱中症は、呻き声を上げる事も、沼田打つ事も無かったが、微かに湯気を吹いて、
塩を掛けられた蛞蝓の様に縮み上がった。
一体、どう言った原理で、こうなるのか?
不思議でならないラビゾーだったが、それより仕留める事が先だと考え、革の水筒を逆様にして、
残る水を全て熱中症に打ち撒ける。
287創る名無しに見る名無し:2012/07/12(木) 21:10:49.33 ID:ivLoOOrF
熱中症は湯を掛けられた氷の様に、見る見る溶けて、跡形も無くなった。
ラビゾーは水浸しの叩き土を睨み、踏み締め、熱中症が完全に消えた事を確認した。
ラビゾーが溜め息を吐くと、ヴァイデャはパンパンと音を立てて手を打つ。

 「よくやった。
  君は熱中症に打ち克ったのだ」

意味が解らない褒め方をされ、ラビゾーは顔を顰める。

 「……病を克服するって、こう言う事じゃないと思うんですよ」

 「私の魔法を使えば、こうやって病を払う事も可能なのだ。
  治せるのは、病だけでは無い。
  『耳鳴り<リンギング>』、『眩暈<ディジネス>』、『頭痛<ブレインエイク>』、『悪寒<シヴァー>』、『物煩い<レンガー>』、
  『吐き気<ノージア>』、『腹痛<ベリーエイク>』、『心配事<ウォーリー>』、『苛立ち<イリテーション>』、
  『憎悪<ヘイトレッド>』――正確な病名が不明でも……いや、病とすら呼べない様な物でも、
  それ等に名と容を与え、切り離す事が出来る。
  勿論、人の根源に係わる物の場合、無事では済まないが……」

ヴァイデャは口元に薄ら笑いを浮かべた。

 「君の『心配事』も解消出来るぞ」

 「……それは飽くまで『解消』であって、『解決』じゃないんでしょう?」

 「客観的に自分を見詰め直す意味では、有効だと自負している」

彼は言外に、「どうだ、試してみないか?」と訴えていた。
それも軽い冗談で推しているのでは無く、本気で試したくて仕方無い風であった。
288創る名無しに見る名無し:2012/07/12(木) 21:12:25.52 ID:ivLoOOrF
ラビゾーは自分の欠点を、嫌と言う程、理解していた。
自分と言う人間が、他人の目には、どう映るのかも理解していた。
態々、嫌な自分を眺める趣味は無かった。

 「『無事では済まない』なら、乗る事は出来ませんよ。
  遠慮しときます」

 「そう言わずに」

ラビゾーは話題を逸らそうと、知恵を働かせ、本来の目的を思い出す。

 「……それより、これを」

そう言って先程渡し損ねた筒を、再度懐から取り出した。
ヴァイデャは不服そうな顔で受け取り、筒を開けて、中の手紙を読み始める。
そして、本当に読んだのか、疑わしくなる様な短時間で、側の机の上に手紙を置いた。

 「成る程、有り難う。
  所で、ラビゾー君……だったかな?」

声色が低く落ち着いた物に変わっている。

 「はい」

次は何を言われるのかと、身構えるラビゾーに、ヴァイデャはフードを剥いで、己の素顔を見せる。
銀の髪を短く切り揃え、立派な髭を蓄えた、壮年の紳士。

 「……アラ・マハラータ師の弟子とは知らず、失礼した」

それが神妙な面持ちで言った物だから、ラビゾーは不安になった。

 「ど、どうしたんですか?」

 「いや……君が余りに若い風な物だから、つい悪い癖が出て、揶揄ってしまった」

 「僕は言われる程、若くありませんよ……」

この場合、若いとは未熟と言う意味である。
ヴァイデャはラビゾーの師マハマハリトと、浅からぬ因縁のある者の様だった。
289創る名無しに見る名無し:2012/07/12(木) 21:14:10.09 ID:ivLoOOrF
「我々旧い魔法使いは、本来魔性の物。君の様な者を見ると、揶揄わずには居られないのだ」

(迷惑な……)

「共通魔法使いに追い遣られている現状こそが、我々の在るべき姿なのかも知れない」

「それは、どう言う意味ですか? 『古の賢者達<オールド・ウィザーズ>』を名乗っていたなら、ともかく……」

「魔法大戦で、世界は一度滅んだ。その事を考えるとな……」

「ヴァイデャさん、魔法大戦には参加していないんでしょう?」

「大戦『には』な……」

「それに戦争とは、そう言う物でしょう。勝敗が存亡に係わるなら、手段を選んでいる余裕は無い。
 互いに落とし所を決めないと、亡ぶか亡ぼされるかの極限まで続いてしまう。
 魔法大戦は、その究極だったと理解しています」

「『勝敗が存亡に係わるなら』、道理だろう」

「……少なくとも、共通魔法使いにとっては、そうだった」

「ああ、『君達にとっては』な……」

「何なんですか?」

「こうやって勿体振るのも、我々の悪い癖だと解っているが……。今の君には教えられない」

「はぁ……」
290創る名無しに見る名無し:2012/07/13(金) 19:22:10.75 ID:6+meQdlA
画いた竜に点ける睛を探して


第四魔法都市ティナー バルバング地区 バルバング工業団地跡にて


工業団地跡の廃屋に住む描画魔法使い、シトラカラス・クドーシュは、アトリエに篭って日々に、
限界を感じていた。
ある日シトラカラスは、その迷いを知り合いの旅商に打ち明ける。

 「……この儘では駄目だと、解っているんだ。
  でも、旅に出る事が正しい選択なのか、今の私は判らないでいる。
  君の後押しが欲しい」

思い詰めた様子のシトラカラスに、旅商の男は言う。

 「良いんじゃないですか?
  経験に勝る師は無しと言いますし、大陸は十分に広いですよ。
  何でしたら、僕と一緒に行動します?」

男の提案に、シトラカラスは暫し黙した後、答えた。

 「……いや、私は私の道を行きたい」
  
シトラカラスの心は、旅商の男に相談する前から、九割方固まっていた。
彼は本当に一押しが欲しかっただけなのだ。
291創る名無しに見る名無し:2012/07/13(金) 19:24:05.43 ID:6+meQdlA
旅商の男は心配そうに尋ねる。

 「本当に大丈夫ですか?
  近頃は道を選ばないと、野盗が出る所も多いですよ」

 「何、盗られて困ると言ったら、絵描き道具位の物だ」

 「……窮した者は、1MGにでもなるなら、何でも盗って行きます」

先程まで迷っていた者とは思えない、楽観的なシトラカラスの発言に、旅商の男は益々不安になる。

 「そしたら似顔絵でも描いてやるとするよ」

一体どうして、そこまで強気になれるのか?
芸は身を助けるとは言え、命まで助けられる保証は無い。
しかし、シトラカラスは自分の身を守る、十分な技術を持っていた。
斯くして数日の後、彼は独り大陸巡りの旅に出たのである。
旅商の男は、怪訝な顔でシトラカラスを見送った。
292創る名無しに見る名無し:2012/07/14(土) 18:59:46.12 ID:p/lix+zX
描画魔法使いとグラマー地方民


グラマー地方北東部の町クルクにて


グラマー地方は全体的に乾燥している為、南北で寒暑が極端に分かれる。
北東部に位置するクルク町は、昼夜の気温差こそ激しい物の、年間気温を平均すると、
エグゼラ地方に次ぐ程の冷涼さである。
冷砂の町クルクに着いたシトラカラスは、フード付きのマントを羽織って歩く。
彼は旅先の様々な風景を描いて、それを売って路銀を稼いでいた。
シトラカラスの絵は見事な物で、それと引き換えにすれば、大抵の事は済まされた。
故に、文無しでも苦労は無い。
開花期の写実主義の画聖ガラルドを思わせる画風は、本物より本物らしい、不思議な魅力を持ち、
値段を付ける事すら躊躇われる。
彼の絵を『受け取れる』者は、それを描くよう依頼した者に限られる。
少しでも見る目がある者は、既に出来上がった絵を、『買い取れない』のだ。
293創る名無しに見る名無し:2012/07/14(土) 19:02:37.59 ID:p/lix+zX
クルク町の通りで、シトラカラスは暇潰しに、道行く人を描いていた。
彼の路銀の稼ぎ方の一に、100MGで似顔絵を描く物がある。
注文があれば、相応のMGを貰って、その分だけ色を付ける。
勿論、注文が無くても1割位は、色男、色女に見せる。
しかし、シトラカラスはグラマー地方民の好みの把握に困っていた。
グラマー地方民が考える、美男美女の基準が判らない……。
男女共、肌を隠しているので、良くする所が目元しか無い。
後は、僅かに顔や体の輪郭を細くする位。
そうやって苦労して良く見せても、当人には余り喜ばれない。
纏っているローブの色調は、下手に弄ると家系が云々、伝統が云々で、変えられなかった。
どんな風に描いて欲しいかと尋ねても、「有りの儘に」と言われる。
結果、描き上がる絵は、そこにある線をなぞるだけの、味気無い物になってしまう。
「よく描けている」とは言われるが、それ以上の評価は無いのだ。
一体どうすれば、グラマー地方民の歓心を得られるのか、シトラカラスは悩んだ。
肌を隠しているから、元々姿絵に興味が薄いのだろうか……?
逞しく描けば喜ばれる、エグゼラ地方民の豪放さや、気に入らなければ、何度も描き直しを要求する、
ティナー地方民の厚かましさが、恋しくなる。
294創る名無しに見る名無し:2012/07/14(土) 19:03:48.62 ID:p/lix+zX
――では、風景画が喜ばれるのは、何故だろう?
道行く人を眺め、画板の上に掛かる砂を払いながら、ふとシトラカラスは気になった。
見える物を有りの儘に描くなら、風景画も変わらない。
それなのに、風景画が喜ばれ、人物画は喜ばれない理由とは?
まさかグラマー地方民の全員が、人嫌いと言う訳ではあるまい。

 (初めから、歓心を買おうと思うのが、間違いだったのかもな……)

シトラカラスは初心を思い出した。
見た儘に、自分が受けた感動を、素直に表現する事。
大なるは大に、小なるは小に。
「私には、こう見えたのだ!」と声を大にして主張する様に。
それが受け入れられるか、拒まれるかは別として、シトラカラスは思うが儘に筆を揮おうと決めた。
写実と抽象の間を彷徨う、しかし、どちらにも寄り過ぎない『絵』。
印象と記憶と事実から成る、空想と現実の隔て。
シトラカラスは描画魔法の神髄に、一つ近付いた。
295創る名無しに見る名無し:2012/07/15(日) 18:38:34.45 ID:qgfJhli1
いとしの料理人


ブリンガー地方ファーニェ市にて


ファーニェ市はブリンガー地方南西部に位置する、中規模の都市である。
ブリンガー地方に多く見られる、平々凡々な農業都市で、特に穀類が有名。
ファーニェ麦は、混ぜ物抜きでも、しっとり甘いパンが作れるとして、菓子類に多く用いられる。
ブリンガー地方の農業都市の中心は食品加工場で、それを囲む様に市街地があり、
その外縁には広い農場がある。
開花期に大規模農業が発達して以降、ブリンガー地方では各市町村毎に、名産品と言える物が、
定められており、それ以外の作物は余り生産しない。
例えばファーニェ市では、麦以外の作物を育てても、その殆どを市内で消費してしまい、出荷しない。
それには、都市全体を特定の作物の生産と加工に特化させ、近隣都市との競合を避ける意味もある。
296創る名無しに見る名無し:2012/07/15(日) 18:39:32.25 ID:qgfJhli1
ファーニェ市の市街地に、料理魔法使いが住んでいる。
彼女の名はクーテ・コヒナ・マギエレヴィ・ベルーシ。
外道魔法使いの素性を隠し、一般人の男性と結婚して、主婦として普通に生活している。
料理魔法使いは、その名の通り、料理で魔法を作ったり、魔法効果のある料理を作ったりする、
魔法使いである。
料理で人の喜怒哀楽を操ったり、依存効果のある中毒症状を起こしたりと、割と物騒な技術の他に、
調味料を使わないで味付けをしたり、逆に特定の味を消したり、野菜を肉に、肉を野菜に変えたりと、
日常生活で便利な技術も持つ。
料理に関する知識と技術の究極が、料理魔法の正体であり、旧い魔法の中では比較的、
理学の側面が強く、共通魔法に組み込まれ易い。
その為、クーテを外道魔法使いと見抜いた者は居ない。
夫ですら、彼女の正体を知らない。
297創る名無しに見る名無し:2012/07/15(日) 18:40:17.98 ID:qgfJhli1
旧暦では、宮廷料理人は男性の役職であった。
小さな家庭では、料理をするのは女性だったが、豪華な宴席の料理を作るのは、不可能だった。
「企み事をする女には、王宮の厨房は任せられない」と言われていたが、より至極単純な理由がある。
それは腕力が無かった為。
宴席で振る舞う、大量の食材を運び込み、捌くのは、女の細腕では無理だったのだ。
大量の水が入った鍋、山と積まれる野菜、丸々一頭の牛豚――料理は力仕事なのである。
その代わりと言っては何だが、女性は配膳係を任される事が多かった。
詰まり、料理人と言えば『男』なのである。
宮廷料理人として、王侯貴族に仕えた料理魔法使いも、全員男性だったので、料理魔法使いと言えば、
男性と言う印象が強いが、しかし、料理魔法使いは本来、『女』である。
298創る名無しに見る名無し:2012/07/16(月) 21:44:16.66 ID:4vphhpLZ
料理魔法の元は、旧暦に存在した流浪の民族による、薬学、薬草学である。
毒草や毒虫等の下手物を使った怪しい『薬』から、料理魔法の歴史は始まった。
どの成分が人体に、どの様な影響を与えるか、長い年月を掛けて、人体実験を繰り返す。
それを抵抗無く口に出来る様にする為に、巧妙に誤魔化す方法こそが『料理』。
料理魔法とは、料理からの派生では無く、成るべくして成った物なのだ。
魔法の料理があれば、病人を健康にする事も、健康な者を病人にする事も、自在であった。
それは力無き者が強者に取り入り、時には抗う、有効な手段になった。
故に、料理魔法使いは『女』なのである。
――こう言うと、理学の側面しか無い様に思われるが、料理魔法には、更なる段階がある。
料理魔法は、肉体や精神を変化させる効果を持つ魔法と交わって、現在の料理魔法になった。
しかし、料理魔法が体系として完成した後は、これを悪用する料理魔法使いは無かった。
魔法使いとしての禁忌に係わる為だ。
寧ろ、料理魔法使いが作る料理には、健康の増進効果や、解毒作用があると言った、
良い面ばかりが強調され、争い事に利用されるのを避けた。
299創る名無しに見る名無し:2012/07/16(月) 21:46:18.20 ID:4vphhpLZ
だが、その『良い面』こそが、料理魔法の神髄である事に、変わりは無い。
そもそも病気を治す為の薬学、薬草学から始まった物。
毒盛りが禁断魔法扱いになるのは、当然である。
日々の健康を支え、力の源となる料理魔法は、内助の功の表れでもあった。
料理は家庭円満の秘訣と、旧暦から言い伝えられている。
健康を気遣ってくれる上に、美味い料理を作れる者は、この上無く有り難い存在である。
「美味い食い物は、喧嘩を収める」とも言う。
この様に、野心や戦闘とは凡そ無縁の所で、料理魔法使いは生きていた。
逆説的に言うならば、それ等に好んで関わろうとする者は、少なくとも同じ料理魔法使いの仲間からは、
真の料理魔法使いと認められなかった。
所謂、外道として扱われたのである。
300創る名無しに見る名無し:2012/07/16(月) 21:48:21.65 ID:4vphhpLZ
料理魔法使いの裔であるクーテは、料理魔法使いの掟を忠実に守り、それを悪用した事は無い。
彼女の夫である、アンデロス・ヘンリレッド・ベルーシは、個人で酪農業を営む、一般の農夫である。
料理が得意な妻を誇りに思い、度々惚気ては、知人等に羨ましがられる事、頻り。
しかし、幼少の砌は、アンデロスは体が弱く、一人っ子ながら農家の後継ぎとして、不安視されていた。
従業員を雇える程、ベルージ家は金持ちでは無かったので、将来は農地を売り渡さねばならないかと、
一時期は両親共々深刻に悩んでいた。
それがクーテと結婚して以降、アンデロスは見る見る頑健になり、風邪一つ引かなくなった。
本業も順調で、ファーニェ市にベルーシ家在りとまで、言われる様になる。
活躍は決して派手では無く、公に表彰される様な事も無いが、これこそ料理魔法使いの在るべき姿と、
クーテは思っている。
301創る名無しに見る名無し:2012/07/17(火) 18:37:08.56 ID:ixNwXZ9i
『精霊化<エレメンタライズ>』と『光輝体<フォトン・ボディ>』に関する報告


シーヒャントの一部に不安定な個体があり、突如消失する事例が報告されています。
対象は男女を問わず、若年層に集中しており、都市から離れた市町村で多発との事。
予兆として、軽度の躁鬱状態を繰り返す内に、妄言と記憶障害が目立ち始め、次第に理性を失って、
無気力状態になります。
その後、数日内に「強く発光して消失、或いは飛散、飛翔」(※)。
何らかの理由で、肉体の固着が緩んだか、或いは、固着その物が不完全だった可能性があります。
過去、普通に生活していた物が、ある日突然不安定化する例には、そこに至るまでの経緯から、
『魔法恐怖症<パラノマフォビア>』との関連が疑われます。
疑念を差し挟む様で恐縮ですが、この消失は予測されていた物か、お答え頂きたく存じます。
再生計画の諸段階に於いて、不安定な個体が出現する事は、想像に難く無く、
一定数は見込まれていた物と推察します。
一連の事件が予測の範囲内の出来事なのか、範囲内ならば少ない方か、多い方か、
全く想定外だったのなら、外的な要因か、内的な要因か、詳細な説明を願います。


※:目撃者の証言
302創る名無しに見る名無し:2012/07/17(火) 18:37:57.73 ID:ixNwXZ9i
回答します。
調査の結果、発光現象は『光輝体<フォトン・ボディ>』による物と断定されました。
御明察の通り、今回の事件は、肉体の固着が不完全だった者が『精霊化<エレメンタライズ>』して、
『光輝体<フォトン・ボディ>』になった為に、引き起こされた物です。
光輝体となった個体は、何れも自我の希薄化が確認されているので、人の姿には戻らないでしょう。
現在は星を巡る魔力と、完全に同化していると思われます。
予測の範囲内かとの御質問でしたが、大凡その通りだと言えます。
アルヒャーとシーヒャントの交配には、未知の部分が多く、それなりの確率(最大で5割程度)で、
不安定な個体が誕生すると、予測されていました。
今回の事例は、個別では決して少ない発生数とは言えませんが、想定される最悪の事態を考えた場合、
然程でも無いと言うのが、上の見解です。
大魔導計画が進めば、自然に解決される問題ですが、魔導師会は放置を好しとせず、
大魔法結界を強固にし、更に都市毎に魔法結界を張る事で、不安定な個体の精霊化を、
防止しようと試みる方針が、『法の法による決定』で通りました。
外的な要因は、無いとは言い切れませんが、今の所は認められません。
魔法恐怖症との関連は、現在調査中で、確証は得られませんが、否定し難い状況です。
これに関しては、詳細が判明し次第、追って報告させて頂きます。
303創る名無しに見る名無し:2012/07/17(火) 18:40:35.70 ID:ixNwXZ9i
我々の懸念は、精霊化した状態、或いは、光輝体となった後も、意識を保って活動している物が、
万に一つでも無いかと言う所にあります。
再生計画の為には、幽霊の様に、死後も精神が残存し続ける事は、避けるべきだと思っています。
仮に、精霊化しても意識を保った物があれば、肉体の再構築処置を施すか、それが不可能なら、
処分しなければなりません。
より気を付けるべきは、自分の意思で精霊化と物質化を自在に行う者が、出現しないかと言う事です。
確率は零とは言い切れません。
万が一、億に一でも発見した場合、先ずは理解を求めて、強く口止めを要請し、応じれば地位を与えて、
実質的な軟禁状態に、応じなければ、直ぐに処分する必要があります。
シーヒャントは飽くまで、アルヒャー再生の為の繋ぎであり、この地に於いては賓人。
来るべき時には、諸共に消え去る運命。
優秀な人類でも、目覚めた人類でも、後世に残るべき物でも無いと言うのが、上の一貫した意思です。
304創る名無しに見る名無し:2012/07/18(水) 19:58:37.77 ID:dM3ACyif
反逆の火種


八導師への意見書


シーヒャントが持つ精霊化の性質は、様々な分野に応用が可能です。
これを上手く利用すれば、人は肉体の損壊ばかりか、老いや病を恐れる必要も無くなります。
精霊化によって、人は肉体の軛から解き放たれ、新たなる段階へと進む事が出来るのです。
旧い生き物であるアルヒャーを、無闇に排出し、栄えさせようとする、現在の計画方針には、
懐疑的にならざるを得ません。
アルヒャーの能力は、全ての面に於いて、シーヒャントに及びません。
シーヒャントをアルヒャーへの逓伝にするのでは無く、旧暦にアルヒャーが担っていた諸々の役割を、
シーヒャントに引き継がせるべきでは無いでしょうか?
僭越無礼は承知で、シーヒャントに対する評価と、人類再生計画の方針を改めて頂きたく、
これを提出する次第です。
どうか、より良い統治の為に、先人の遺志に囚われない、合理的な判断を期待します。
305創る名無しに見る名無し:2012/07/18(水) 19:59:12.71 ID:dM3ACyif
八導師に代わりまして、回答させて頂きます。
八導師は貴君の意見には、全く賛同出来ないとの事です。
貴君には、根本的な認識の誤りと、優生思想の気が見られます。
伏せられた事情があるので、知らないのは当然と言えますが、シーヒャントは貴君が想像している程、
優れた存在ではありません。
しかし、僭越無礼は承知と断り、意見書を提出されたと言う事は、相応の覚悟なのだと理解します。
その純粋さと誠実さを無下には出来ぬと、八導師は貴君との対話を希望しています。
就きましては翌月1日、日中であれば時刻は問いませんので、御本人が直接、魔導師会本部受付に、
お越し下さいます様、お願い申し上げます。
日程に不都合が生じた場合は、事前に御報告下さい。
特段の事情が無い限り、応じられない場合は、貴君に反抗の意図有りと見做しますので、ご留意を。
306創る名無しに見る名無し:2012/07/18(水) 20:02:50.58 ID:dM3ACyif
「本日は、お招きに与り、恐悦至極に御座います。
 よもや八導師の一と、直接お言葉を交わす機会を頂けるとは、望外でありました」

「話は聞いている。一言言わせて貰うなら、貴君は浅薄であるよ」

「早々に手厳しい。八導師に浅薄と宣われては、返す言葉がありません」

「復興期が終わって、早50余年。貴君の様な者が現れるのも、無理は無い」

「……性急な物言いを、お許し下さい。本題に入らせて頂きます。
 魔導師会は、魔法秩序の維持を第一とする組織……ならば、それを恙無く遂行する為には、
 魔法の扱いに秀でるシーヒャントが、組織の運営に係わるべき。
 予てより、アルヒャーの復権を優先する、人類再生計画の方針には、疑問を持っておりました。
 敢えて率直に申し上げれば、アルヒャーに拘るのは、『懐古<ノスタルジア>』ではありませんか?
 これが私の認識不足なら、我々シーヒャントがアルヒャーに劣る故を、御説明願います」

「シーヒャントとアルヒャーを区別するな。肉持つ事の重大さを、貴君は知らぬのだろう」

「肉体は精神を縛る枷です」

「だが、肉無くば生きているとは言えぬ」

「それは観念的な見方です。肉を失えば、人は生死を超越した存在になれます」

「妄信だ。肉によって存えていた物が、魔力によって存える物に、成り代わったに過ぎぬ。
 魔力が枯渇し始めれば、原始生物の様に淘汰され、一息に死に絶える」

「人口が増えた所で、魔力は枯渇しません。シーヒャントに対して、アルヒャーの割合が増えるだけです。
 強い魔法資質を持ったシーヒャントは、百年後、千年後も、今と何ら変わり無く生き続けるでしょう。
 私はアルヒャーの根絶を、訴えたいのではありません。遍く組織の中枢に真のシーヒャントを据えて、
 アルヒャー以下、その他を管理すべきだと申し上げたいのです。
 ――――そう、魔導師会の様に……」

「貴君は知り過ぎたな。そろそろ情報の公開水準を見直す時期の様だ」

「この儘では将来、アルヒャーが八導師となり、魔導師会を動かす事になります!」

「何の問題が?」

「肉に頼るアルヒャーの身は、余りに脆い!
 人類再生計画は、シーヒャントの絶滅を前提としている事が、どうしても納得行かないのです!
 何故、我々が滅びねばならないのですか!?」

「先も言った筈だ。人は人であり、アルヒャーとシーヒャントに分けられる物では無い。
 アルヒャーが無ければ、シーヒャントも無い。優劣を語る事は無意味」

「言葉で誤魔化しても、アルヒャーとシーヒャントの差は、厳然たる事実として存在します!」

「……魔導師会が、禁断共通魔法を研究しているのは、何故だと思う?」

「突然何を? 逸らかさないで頂きたい!」

「それはシーヒャントを殺す為――、シーヒャントと同じ物に対抗する為だ。
 シーヒャントとは何か、貴君には知って貰う必要があるだろう」
307創る名無しに見る名無し:2012/07/19(木) 19:19:13.30 ID:bqTojn5D
ニャンダコーレの冒険


ティナー地方フェンス町にて


フェンス町はティナー市の北西に位置する、やや規模の大きな町である。
余り目立った産業は無く、ティナー市を始めとした、中央都市のベッド・タウンと化している。
この様な町は、ティナー地方中央では普通に見られる。
各都市へ向かう馬車鉄道は、早朝便と夕便、宵便が非常に多く、昼便は比較的少ない。
日中のベッド・タウンは、活気の無い寂しい町になる。
そうした事から、ベッド・タウンでは、留守を狙った空き巣の被害が多い。
家主の留守を預かるは、妖獣の使い魔。
中でも、人気は魔犬である。
融通こそ利かないが、他人の侵入を許さない。
しかし、留守を任せているからと言って、甘やかしてはいけない。
我が物顔を許していると、知らぬ間に家を乗っ取られている事がある。
308創る名無しに見る名無し:2012/07/19(木) 19:20:10.51 ID:bqTojn5D
競う化猫


フェンス町に立ち寄った、化猫の妖獣ニャンダコーレは、1匹の白い街化猫と遭遇した。
化猫ながら、人の様な出で立ちで、二足歩行するニャンダコーレに、街化猫は驚き、
動きを止めて問い掛ける。

 「おミャー、ニャー者(もん)ニャア?」

 「我輩はニャンダコーレ」

羽根付き帽子を爪の先で押し上げて、ニャンダコーレが猫の瞳を見せると、街化猫は動揺を隠す様に、
慎重な態度を取った。

 「……ニャフ、見ニャー顔ニャア。
  シチャア、えりゃー流暢ニャーし。
  キャッコもヒットん真ニニャーキャしニャっチ、変ニャ奴(やっ)ちょ」

ミャーミャー、ニャーニャー、所謂「猫語」と言われる、酷い訛りである。
それは北方訛りと中央訛りを足して、幼児言葉を掛けた様な物。
一度で意味を理解するには、相当聞き慣れなければならない。

 「コレ、旅の途中である」

 「余ショ者ニャか……、ニャアええニャ。
  僅キャーデャ町ん居るニャア、こっキャア、ニャッシャん集キャーあっキ、挨シャツしちょキ」

白い街化猫は、ニャンダコーレを同じ化猫と疑わず、恐れている姿は見せられないと、
変な見栄を張って、太々しくも彼を集会に誘った。
ニャンダコーレは内心で色々と思ったが、取り敢えず黙って従う事にした。
長年旅をしているので、化猫の集会に誘われるのは、これが初めてでは無かったし、
都会の街猫は、どんな話をしているのか、興味があったのだ。
309創る名無しに見る名無し:2012/07/19(木) 19:24:17.23 ID:bqTojn5D
人が通れない様な、建物の狭い隙間を抜けて、街化猫は集会の場へ向かう。
ニャンダコーレは獣の象徴の様な、四足歩行を嫌っているが、二足歩行の儘では進めない、
土管や溝を通る為には、已む無く前足を突かねばならなかった。
そうして辿り着いたのは、町外れの公園の裏手。
そこだけ忘れ去られたかの様な、何も無い小さな空き地。
既に他の化猫が十数匹、円座して待っていた。

 「シャー、ミャー、おシェえっチ!
  ボッスんミャだっちキャァ、えキャっちギャ、ヒャーヒャーしニャっちゃ」

虎斑の街化猫に文句を言われ、白い街化猫は弁解する。

 「済ミャー、済ミャー!
  ミェザッチ者ニャ、会うチニャー」

後から来たニャンダコーレを見て、その場の全員身構えた。

 「シャー、おミャー、ニャーチ物(もん)ニャ連れチ来ちゃーニャ!
  奴ちゃニャーンナァ!?」

二足歩行する上に、人間の様な出で立ちの化猫が現れたのだから、当然の反応と言える。
少し例は悪いが、子供の集まりに大人が出て来た様な物だ。
310創る名無しに見る名無し:2012/07/20(金) 19:16:09.11 ID:kXIqMAgk
慌てる仲間を見て、白い街化猫は、虎の威を借る狐の如く、強気に言い放った。

 「おミャーニャ、きミャァ抜っキャし過ギャっチ!
  ニャーニャア!」

やれやれ、全く幼稚な奴等だと、ニャンダコーレは呆れながら進み出て、挨拶をする。

 「コレ、我輩はニャンダコーレ。
  大陸を巡る旅をしている、コレ」

街化猫は互いに顔を見合わせながら、怖ず怖ず元の姿勢に戻った。

 「ニャ……はジャまシャっチ」

しかし、返事は余所余所しく、ニャンダコーレから距離を置いている。
完全に借りて来た猫状態だった。
それを白い街化猫が揶揄う。

 「ニャっシャキニャーニャァ!
  ニャンニャー?
  ビビっちゃ?」

 「ビビっちニャーし!
  シャー、ミャー、ボッスニャ怒ニャーデャ!」

 「シャーデャナ、シャーデャナ!」

 「しししっ、ビビっちゃーニャギャ!」

ニャーニャー、ギャーギャー言い合う化猫だったが……。

 「静ミャーニャ!!
  ボッスん来ャーニャデャァ!」

内1匹が声を上げると、途端に黙って神妙にした。
311創る名無しに見る名無し:2012/07/20(金) 19:22:04.87 ID:kXIqMAgk
やって来たのは、街化猫より一回り大きく太った、厳つい黒化猫。
大凡ニャンダコーレと同程度の体格は、一見して街化猫のボスと判る物だった。
毛並みの良さから、『高級使い魔<ハイアー・サーヴァント>』である事が、見て取れる。
しかし、そんなボス化猫の目にも、二本足で立つニャンダコーレは、やはり奇異に映った様で、
明らかに驚いた風に身を竦めた後、恐れを覚られまいと、自らも二本足で立ち上がった。

 「お前は何だ?」

流暢な人語は、高級使い魔の証。

 「我輩はニャンダコーレ」

同じく流暢な人語で返され、ボス化猫は面食らった。
だが、ここで怯んでは、群の長としての沽券に係わる。

 「何の用だ?」

脅す様な低い声で、ボス化猫は問う。
答えたのは、ニャンダコーレを連れて来た、白い街化猫。

 「ボッス、ニャッシぎゃ案ニャーしちゃっちゃ。
  旅ゃしちょっチ言うキ、面っしぇハニャシん、ひっとつデャ聞っキャしぇニャー思っチ、
  こっこにシャショっちゃンニャ」

ボス化猫は黙り込んだ。
どう反応したら良い物か、迷ったのだ。
正直、この場に居られるのは、気に入らなかったが、向きになって追い返して、仲間達に、
度量が狭い奴と思われるのも困る。
312創る名無しに見る名無し:2012/07/20(金) 19:23:19.23 ID:kXIqMAgk
悩んだ末に、ボス化猫が出した答えは……。

 「成る程。
  俺はブラッカー、この町を仕切っている。
  ニャンダコーレよ、見知り置くが良い」

虚勢を張って、何でも無い様に振舞う事だった。

 「コレ、仕切っているとは?」

ニャンダコーレはブラッカーの言葉に、引っ掛かる物があった。
ブラッカーは不気味な笑みを浮かべる。

 「そうとも!
  この町の支配者は人間では無い!」

 「ニャ……コレ、何と?」

大言壮語にニャンダコーレが驚くと、ブラッカーは機嫌を良くして、一層笑った。

 「人間共は、俺達の忠実な下僕なのだ。
  ここの者達、一頭一頭が、人間の下僕を飼っている」

何と言う勘違いだろうと、ニャンダコーレは呆れた。
主の甘やかしに増長した飼い猫が、分を弁えず思い上がったとしか、彼の目には映らなかった。
化猫が人間を守っているとでも、思っているのだろうか?
313創る名無しに見る名無し:2012/07/21(土) 21:37:56.93 ID:rIkpzvrW
黙した儘のニャンダコーレを、戦慄している物と思い込み、ブラッカーは益々上機嫌になる。

 「ニャフフ、信じられんと言った顔だな。
  ニャンダコーレよ、お前は旅をしていると言ったが、お供に人間を連れているか?」

 「我輩はコレ、誰の付属物でも無ければ、コレ、誰かを従属させる事も無い」

 「キシシ、そうだろうなぁ……」

ブラッカーは明らかにニャンダコーレを見下していた。
彼は人間を下僕として従えているか否かに、価値基準を置いているのだ。

 「ニャンダコーレよ……この町の人間は、俺達を崇拝している。
  あらゆる物事が、俺達優先で行われる」

周りの街化猫は、ブラッカーの演説に陶酔し、静聴している。

 「勿論、全員が全員では無い。
  中には俺達を嫌う人間も、少数だが存在する。
  しかし、そんな物は所詮少数、塵芥だ。
  俺達の忠実な下僕は、どんな犠牲をも厭わない!
  果たして、何故か?
  それは――俺達妖獣が、その中でも化猫が、地上で最も崇高な存在だからに他ならない!!」

対して、ニャンダコーレは殆ど聞かずに、唾を吐き捨てた。
ニャンダコーレは妖獣の大敵、ニャンダコラスの子孫を自称自任している。
彼にとって全ての妖獣は、並みの動物以下の存在だ。
314創る名無しに見る名無し:2012/07/21(土) 21:45:12.28 ID:rIkpzvrW
そんなニャンダコーレの態度に気付く様子も無く、ブラッカーは短い手足を目一杯振って唱える。

 「人間は強い……!
  妖狐、魔狼、亜熊、これまで多くの妖獣が、人間の前に屈して来た。
  だが、強いだけだ!
  断言しよう、人間は強いだけの下等生物である!
  真に人間が上等な生物なら、弱者に諂って、悦びはしない!
  人間は本能的に知っているのだ!
  爪も牙も持たない己等が、地上の支配者に相応しくない事を!!
  では、地上を支配するのは誰か?
  それは爪と牙を持ち、人間をも従える存在――――化猫!
  俺達を措いて、他に無い!!」

ニャーニャーと賛同の声を上げる化猫。
しかし、ニャンダコーレは内心で小馬鹿にしていた。
弱者に阿り、上等な振りをするのは、比較的生活に余裕がある人間の、悪い趣味である。
フェンス町には、裕福な者が多いと言うだけで、人類全体が同じでは無い。
化猫とて所変われば、兎泥棒、鳥泥棒として退治され、保護されなければ、鳥に突かれ、
野良犬に食われる程度の、詰まらない存在……上等でも何でも無い。
人に飼われて、狭い世界に閉じ篭っているから、そんな事も解らないのだ。
地上の支配者とは、口先ばかり。
権威の無い王である。

 「ニャンダコーレよ、お前は上等か?
  それとも下等か?」

そうブラッカーに問われても、ニャンダコーレは無愛想に何も答えなかった。
315創る名無しに見る名無し:2012/07/21(土) 21:48:23.45 ID:rIkpzvrW
ブラッカーは下僕を持たないニャンダコーレを、完全に格下と見做した。
否、正確には、街化猫の手前、格下に見せようとしていたのだ。

 「フフフ、未だ疑っている様だな。
  余程、人間に都合好く馴らされたと見える。
  どれだけ俺達が高等な存在か、聞かせてやろう。
  シャーロ、お前が連れて来た客人だ。
  今日は、お前から始めろ」

ブラッカーに命じられた、白い街化猫のシャーロは、咳払いを一つして、話し始める。

 「ニャァ下ぼきゃァ、今キャァこっでゃきゃ寄越っしゃっちゃ」

そう言って、首輪に付いていた巾着を外し、引っ繰り返して中身を打ち撒ける。
それは色取り取りの硬貨だった。
特徴的な八角八芒星の刻印から、紛れも無いMG硬貨である事が判る。
高額紙幣でないにせよ、使いを任せる以外で、妖獣に金を持たせる事は、普通あり得ない。

 「ニャンボやぁナァ?」

隣の街化猫が尋ねると、シャーロは胸を張って答える。

 「ニッしぇんと8ひゃくと2じっとニャナ」

2827――周りの反応は区々である。
「おおっ」と感嘆の息を漏らしたり、「フン」と詰まらない物の様に遇ったり……。
316創る名無しに見る名無し:2012/07/22(日) 21:29:58.15 ID:lJ86Z4q1
その後、シャーロに続いて他の街化猫も、1匹ずつMG硬貨を見せ披かす。
中には1万MGを越えた物もあったが、何れも硬貨のみであった。
輝くMG硬貨は美しいが、金額的には大した事は無い。
特殊な製法で作られるMG硬貨は、原材料自体は、そこらの土や石である。
貢物の積もりで徴収しているとしたら、滑稽な事だ。
くれた本人は、小遣い程度の気持ちだろう。
塵も積もれば山と成るとは言え、人が住む町に影響を及ぼすのに、数万MG程度では、
どうにもならない。
小さな村でも何十億、都市になれば何兆ものMGが無ければならない。

 「全部で46973MGだな。
  序列の変動は無し。
  稼ぎ頭のフルルノーンは、1位を維持だ」

ボス化猫のブラッカーは、提出されたMG硬貨を、満足気に見詰め、ニャンダコーレを一瞥したが、
ニャンダコーレの表情に変化は無い。

 「コレ、こんな物で何をする気なんだコレ?」

 「金の価値を知らないのか?
  金さえあれば、何でも買える」

金の価値を知らないのは、一体どちらか?
まるで飯事だと、ニャンダコーレは呆れ果てた。
317創る名無しに見る名無し:2012/07/22(日) 21:35:25.71 ID:lJ86Z4q1
その反応を、無知から来る物だと決め付けたブラッカーは、ニャンダコーレを完全に愚鈍扱いして、
街化猫に命令した。

 「例の場所に持って行け」

指示を受けて、街化猫は銘々に、どこかへMGを持ち去る。
ニャンダコーレは他の化猫が居なくなったのを確認して、ブラッカーに言った。

 「……金の価値を知らないのは、コレ、そっち方じゃないのか?
  コレ、高が数万のMGを集めた所で、買える物は、コレ、限られている。
  この程度の空き地を買うのだって、コレ、何十万も掛かるんだぞ、コレ」

ブラッカーは感心した様に小さく息を吐き、口の端に笑みを浮かべた。

 「この集会は毎週開かれている。
  1回平均4万強として、1年で72回……300万程度は稼いでいる計算だな」

 「それでも端金だ、コレ。
  コレでは、とても人間社会は動かせない。
  この位の町でも、コレ、1年で何百億と言う金が回っているんだぞ、コレ!」

ニャンダコーレは事実を告げたが、ブラッカーは余裕を失わない。

 「多少は物を知っている様だな。
  しかし、やはり人間の常識に毒され過ぎている。
  もっと安い金で、人間社会に大きな影響を与える方法を、俺は知っている。
  俺達が買うのは――――人の命だ」

 「ニャ!?
  コレ……どういう意味だ、コレ!?」

 「金さえ出せば、何でも売る。
  金の価値を最も解ってないのは、人間って事だ」

笑みを深めるブラッカーの瞳は、黒より暗い邪悪に染まっていた。
318創る名無しに見る名無し:2012/07/22(日) 21:44:10.70 ID:lJ86Z4q1
ブラッカーはニャンダコーレに囁き掛ける。

 「ニャンダコーレよ、お前も俺達と手を組まないか?
  人間共の上に立ち、地上を支配しよう。
  ニャンダカニャンダカ王国の再建だ。
  全ては、俺達の思うが儘に」

彼は確信を持っていた。
同じ化猫同士、魅力的な誘いには乗って来ると。
その思考は社会病質者の物に似ている。

 「俺達には、足りない物がある。
  お前の存在は、それを補ってくれる」

ブラッカーは手下では無く、同志を欲していた。
しかし、ニャンダコーレは絶対に乗らない。
提案が、全く魅力的だとも思わない。
それは――決して人の存在を愛しているからでは無く、彼自身がニャンダコラスの子孫だからである。

 「コレ、断る。
  我輩はニャンダコーレ!
  コレ、偉大なるニャンダコラスの『子孫<ケトゥルナン>』」

ブラッカーは目を丸くして驚いた。

 「ニャンダコラス!?」

 「コレ、ニャンダカニャンダカの子孫共よ……どこへ行っても、コレ、貴様等の腐った性根は、
  変わらぬ様だなコレ!!」

ニャンダコーレは敵意を露に、口角を大きく吊り上げて、長い牙を見せ付ける。
彼は「腐った性根は変わらない」と言ったが、別に昔の事を知っている訳では無い。
勢いに任せた、根拠の無い言葉である。
だが、野心旺盛な妖獣に対して生じる、激しい憎しみは本物。
ブラッカーを恐怖させるには、十分な物だった。
ブラッカーは反射的に飛び退いて、四足で這い、姿勢を低くして構えた。
319創る名無しに見る名無し:2012/07/22(日) 21:53:36.91 ID:lJ86Z4q1
臨戦態勢から動けないブラッカーに対し、ニャンダコーレは2本の足で立った儘。
優劣は明らかであった。

 「コレコレ、どうした?
  掛かって来ないのか、コレ?
  ……コレ、何度も言わないと解らないか?
  我輩は妖獣の『大敵<アークエネミー>』、ニャンダコラスの子孫が一、ニャンダコォーゥレ!
  コレ、貴様等にとっては、怨んでも怨み切れない、最悪の存在だ、コレ!」

ニャンダコーレはブラッカーを挑発する。

 「コレ、そんな調子では、人間を相手にする等、コレ、夢の夢の、そのまた夢だなコレ!
  大敵を前に尻込む臆病者が、コレ、支配者とは片腹痛い!!」

ブラッカーはニャンダコーレが纏う、不気味な雰囲気に、完全に呑まれていた。
ニャンダコーレがブラッカーに1歩寄ると、ブラッカーは1歩分だけ後退る。
それは遺伝子に刻み込まれた天敵への恐怖か……。

 「コレ!!
  お前の爪と牙は飾りかっ!?」

ニャンダコーレは右前足を振り上げて、爪を伸ばし、真っ直ぐ縦に振り下ろした。

 「ギャニ゛ァア゛ア゛ア゛ア゛!!」

全くブラッカーに届かない距離だったが、空間を無視した様に、ざっくりブラッカーの額が抉れ、
鮮血が飛び散る。
ニャンダコーレ独自の獣魔法である。
額に出来た3本の傷を、両前足で押さえ、ブラッカーは転げ回った。
ニャンダコーレは徐にブラッカーに寄り、その腹を前足で力一杯踏み付ける。

 「ぐニ゛ァ!」

ブラッカーは呻き声を上げると、急に黙って大人しくなった。
ニャンダコーレの爪は鋭く伸びた儘で、下手に暴れると腹に食い込んで、肉を引き裂いてしまう。

 「コレ、どうして逃げ出さなかった?
  逃げる機会は、コレ、幾らでもあったぞ、コレ。
  歯向かう事も、逃げる事もせず、コレ見っ度も無く腹を晒して、コレ何の積もりだった?」

ブラッカーは答えられない。
ニャンダコーレはブラッカーの耳を齧った後、ドスを利かせて言った。

 「『コレ』は服従した者の姿だ。
  地上の支配者?
  お前に、その資格は無いのだ、コレ」

ブラッカーは全く無抵抗になった。
その瞳からは生気が失われ、その耳からは赤い血が滲む。
ニャンダコーレはブラッカーを解放すると、背を向けた。

 「コレ、私に怯えている様では、コレ未だ未だ。
  広い世の中には、コレ、お前の想像も付かない事が、沢山あるのだコレ」

去り際に、そう言い残し、彼はフェンス町から姿を消した。
その後、ブラッカーもフェンス町から消え、やがて街化猫はMGを集めなくなった。
集会は相変わらず行われているが、化猫が地上の支配者だ等とは、誰も言わなくなった。
320創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 18:51:06.56 ID:jVM/pF1O
過去設定見返すと矛盾とか修正したい所があり過ぎてワロス
いつか纏めて訂正する
321創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 18:55:13.72 ID:jVM/pF1O
資格


第一魔法都市グラマー クゥラー地区にて


クゥラー地区は、グラマー市の中央から、やや南西にある一区。
古代魔法研究所、禁断共通魔法研究特区に程近い、工業地区でもある。
古代魔法研究員プラネッタ・フィーアは、休日を利用して、調理器具を買い替えに来ていた。
グラマー地方では、男女の別が明確で、調理器具を買うのは、女性の役目である。
それは家庭料理が女性の仕事だからなのであり、夫婦一緒か、妻に頼まれたのでもなければ、
男性は売り場に立ち寄らない。
独り者の男性は浮いて見えると言う、大変居辛い所である。
しかし、女性でも独りで来る者は少ない。
大抵は、友人連れか、母娘連れ、複数人で訪れる。
322創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:00:44.27 ID:jVM/pF1O
プラネッタ・フィーアの目的は、新しい調理鍋セットを買う事。
彼女は魔法が得意な為に、何時までも古い物を修繕して使い続けてる癖がある。
鍋で言えば、焦げ付きや錆び位なら、簡単に落とせる。
だが、日々の使用で磨り減る分は、戻せない。
穴が開いてしまっては、どうにもならない。
正確には、どうにもならない事は無いが、魔力を無駄に使ってしまうし、好い加減に、
性能の良い新品が欲しくなったのもあって、買い替える事にした。
プラネッタは、古い物を捨てる事が、苦手だった。
普通に古い物を捨てて、新しい物を買うだけなのに、罪悪感が生じてしまう。
長らく使っていれば、詰まらない物でも、愛着が湧くのは当然だろうが、彼女の場合は、
詰まらない物であればある程、愛しくなるのだ。
どうしても、「見捨てられない」。
それは、過去の代償行為の様に……。
323創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:03:25.48 ID:jVM/pF1O
調理用品専門店に着いたプラネッタは、一人の男性に声を掛けられた。

 「あの……もしかして、プラネッタさん?」

聞き慣れない若々しい声に、プラネッタは戸惑う。

 「はい。
  どなたでしょう?」

 「ああ、覚えていませんか……」

明らかに落胆した様子の男性を見て、プラネッタは過去の記憶を辿った。
男性は標準的な体格だが、如何にも誠実そうで、自信に満ちた感じを受ける、爽やかな好青年。
彼女の記憶力は良い方だが、グラマー地方では誰もローブにフード姿なので、見知っている人間でも、
判らない事がある。
だが、学生時代まで遡っても、この男性の顔付きに思い当たりは無かった。

 「ええっと、ティナー北東魔法学校で一緒だった、フィクスターと言います。
  フィクスター・ユニフ」

男性はフィクスターと名乗ったが、やはりプラネッタには全く覚えが無かった。

 「……御免なさい」

プラネッタが一層困った表情を見せると、フィクスターは慌ててフォローする。

 「いえ、覚えていなくて当然です。
  上級課程で1年間一緒だっただけですから。
  でも、私は覚えています。
  あなたの魔法資質は忘れられませんよ」

魔法資質は、この世界の人間が備える、標準的な感覚の一。
高い魔法資質を持つ者は、良くも悪くも、人の記憶に残り易く、強く人を引き付ける。
324創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:05:16.80 ID:jVM/pF1O
プラネッタはフィクスターから、自分に向けられた仄かな好意を読み取った。
彼は、ここでプラネッタと出会った事にも、運命的な物を感じている様である。
それが判り過ぎる程に判ってしまうのも、彼女の高い魔法資質が故。
企み事や嘘は通用しない。
しかし、異性として好意を抱かれている場合に、どう応じれば良いのか、プラネッタは悩ましかった。
似た経験は、1度や2度では無かった。
容姿端麗で成績優秀、何でも無難に熟せる器用さを持ち、気立ては優しく、大人し目。
公学校時代から、アイドル的な存在だった彼女に、言い寄る異性が居ない訳が無い。
同性にも告白された覚えがある。
優しいプラネッタを悩ませるのは、そうした好意に応えられない事。
言えば人を傷付けるが、自分にも相手にも、嘘は吐けない。
そんな時に、必ず思い出されるのは、過去の友人の事。
プラネッタの心は暗く、下降螺旋を描いて沈んで行く。
325創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:07:23.32 ID:jVM/pF1O
フィクスターはプラネッタの動揺を感じ取り、自ら話を切り出した。

 「今日は『粉挽き<ミル>』を買いに来たのですが、どうも入り難くて困っていたのです。
  連れが居れば良いのですが、恥ずかしながら、未だ独り身で……。
  プラネッタさんは何をしに?」

 「私は鍋を買い替えに」

プラネッタの表情は晴れない。
彼女は次の言葉を、容易に予想出来ていた。

 「どうでしょう、付き合って貰えませんか?」

勿論、付き合うとは、買い物に「付き合う」だけで、それ自体に深い意味は無い。
……確かに無いのだが、今後「お近付き」になる為の一言でもある。
プラネッタは静かに首を横に振った。

 「グラマー地方では、夫婦か恋人同士でも無ければ、男女が連れ立って歩く事はありません。
  あらぬ誤解を避ける為にも、それは止めた方が良いですよ」

 「あっ、失礼しました!
  そんな積もりでは……」

演技では無く、フィクスターは本気で、グラマー地方の風習に疎かった。
この事から、彼は最近グラマー地方に来たのが判る。
それも一時的な用事で。
恐らくは、仕事上の理由だろうと、プラネッタは当たりを付けた。

 「気を付けて下さい。
  こうして立ち話をしているだけでも、余り良い目では見られません」

 「は、はい。
  では、また今度」

すっかり恐縮してしまったフィクスターは、粉挽きを買いに来ていたのも忘れて、足早に立ち去る。
プラネッタは小さく安堵の息を吐いた。
彼女とて人の子である。
本来は、異性に好意を寄せられて、悪い気はしない。
しかし、今のプラネッタには、色恋の香りは苦痛でしか無かった。
326創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:09:21.17 ID:jVM/pF1O
「美男美女のカップルは、別れ易いんだって。何でだと思う?」

「美男と美女なら、言い寄って来る人も多いから――じゃないですかね……」

「でも、本当に愛し合っているなら、横槍みたいな誘惑に負ける事は無い。そう思わない?」

「別れるのは、本気じゃなかったからって事ですか?」

「違うわ。その時は本気なの。本当に本気。でもね、愛は冷める物なのよ」

「それが美男美女と、何の関係が?」

「恋人同士になれる事と、長く連れ添う夫婦になれる事は、全然違うの」

「ええ、聞いた事があります」

「大事なのは、自分自身が、愛する人にとって、どれだけ価値のある存在になれるか……」

「それは自分『が』相手『に』愛『される』為の条件じゃないですか?」

「同時に、人『を』愛『する』為の条件でもあるのよ。愛が冷める時、大抵の人は、気付いてしまうの。
 『ああ、この人に私は必要無いんだ』って。そう思ってしまったら、どんなに好きでも、もう愛せくなる」

「そう言う物ですか?」

「そう。男でも女でも。それが引け目になって、段々疎遠になって行くの。
 だから、欠点が少ない人程、付き合いが長く続かない訳。見た目が良いのなら、尚更。
 引く手は数多、自分は無価値……これ以上に悲しい事は無いわ。
 何かの間違いで付き合い始めても、膨らむ葛藤に耐え切れずに、最後は自分から身を引くの。
 『貴方には、もっと相応しい人がいる』ってね。
 完璧過ぎるのは考え物よ。少し抜けている位が、可愛いの」

「男の人が守り甲斐のある人を選ぶのは、解らないでも無いですけど……。
 女の人は、頼り甲斐のある人を選びたくなるんじゃないですか?
 ……美男じゃない僕には、よく解りませんね」

「まあ、持てないアンタには、解らないでしょうね。要するに、『釣り合い』と、『愛し甲斐』の問題なのよ。
 破れ鍋には綴じ蓋……どちらが立派過ぎても、収まりが悪いわ」

「解る様な、解らない様な……」
327創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:11:06.34 ID:jVM/pF1O
「その点、アンタは心配要らないわよね。顔は美形とは言えないし、性格には難ありだし」

「あんまり言わないで下さい……。本気で凹むんで」

「ゴメン、ゴメン。で、何が言いたいかって言うと――――堅気の女と付き合うのは、
 アンタには無理って事よ」

「えっ、な、何で? 無理なんですか?」

「何? そんなショック受ける様な事だった?」

「いやいや、どうして断定口調なんですか?」

「ああ、アンタは他人に決め付けられるのが、何かと嫌いだったわね。でも、事実だから。
 今日までの行いを、よくよく思い返して見なさいな。どう考えても、アンタは真面じゃないわよ」

「一部は認めますけど、人を狂人みたいに言わないで下さい」

「自覚の無い辺りが、完全に狂人よね。まあ、その、『破れ鍋に綴じ蓋』って言ったでしょう?
 余り理想を高く持ち過ぎなければ、直ぐに良い人が見付かるわよ」

「えぇー……。そう言うバーティフューラーさんは、どうなんですか?」

「アタシは――――ほら、魔法が魔法だしさ。堅気は疾っくに諦めてるの」

「『諦めてる』って……。捨て鉢な言い方は良くないですよ」

「は? アンタに心配される謂われは無いわ。こう見えて、アタシも一端の魔法使いだから、
 一族の魔法を誰かに継がせるまでは、若い儘で居られる訳だし」

「へー、初耳です」

「あれ、言ってなかったっけ? ルミーナから聞いたりしてない?」

「何と言うか……中々羨ましい性質ですね」

「……羨ましくなんか無いわよ。母さん、アタシ達が幼い内に死んじゃったし」

「それは……どう言う……?」

「無限に寿命が伸びる訳じゃないって事」
328創る名無しに見る名無し:2012/07/28(土) 19:12:34.66 ID:jVM/pF1O
「そ、そうなんですか……」

「――あのね、でもね、だからってね、その……別に、そう言うんじゃなくて、違うのよ?」

「何? 何の話です?」

「詰まり、『この人の子供を産めるなら、死んでも良い』って位、愛している人!
 そう言う人を選んで、一緒になる訳よ。解る?
 不幸だとか、可哀想だとか、そんな風に思われるのは、心外だわ」

「いや、思ってないですけど……」

「そ、そう?」

「何だか、夏の虫みたいですね」

「……それ、どう言う意味よ?」

「蝉とか、蜉蝣とか……」

「『蜉蝣<エフェメロプテラ>』って! 『蝉<ツィツィキ>』も鳴くのは雄だけ。地味なのは趣味じゃないのよね。
 責めて『蛍<ピュゴランピダ>』とかさ」

「蝉も蜉蝣も、長い時を『妖精<ニンフ>』として過ごし、『面影<イマーゴー>』は数日しか生きられないんです」

「……皮肉か何か?」

「『儚き物こそ美しけれ』と言うでしょう?」

「美しい?」

「そこだけ抜き出さないで下さい。諺です」

「ああ、諺……。知ってるわ。『儚い物に美は宿る』、『有限の美』だったかな?
 自分でも思うけど、嫌らしいよね。死して完成する、究極の魔法って。
 思い出は美しいって言うけれど……」

「……あの、お母さんは早くに亡くなられたって話ですけど、お父さんは――」

「自殺したわ。母さんの後を追って」

「あっ……御免なさい。本当に」

「だから、そう言うのは止して! 謝らないでよ!」

「いえ、何と無く判っていたんです。話の流れ的に、お父さんが亡くなられていた事は……」

「はぁ、アンタと話していると、不愉快な気分にさせられるわ」

「……済みません」

「良いのよ。好きで付き合ってるんだし」

(訳が解らん……)
329創る名無しに見る名無し:2012/07/29(日) 21:20:03.13 ID:m/ZtSLv1
断罪者


魔法大戦の英雄、傀儡魔法使い『断罪のエニトリューグ』。
『九人の死神<ナイン・デスス>』と呼ばれる殺人鬼を従え、殺戮の限りを尽くす。
彼の魔法の恐るべきは、傀儡の擬態。
心身共に死した空蝉ながら、その振る舞いは生者の如し。
ある者は言う。

 「傀儡魔法とは、催眠術の類では無いか?」

しかし、否。
催眠術で心停止状態から復帰する事が、果たして起こり得るだろうか?
体中を穴だらけにされて尚、活動可能だろうか?
傀儡魔法について、詳しい事は判っていない。
だが、唯一つ、これだけは言える。
エニトリューグは恐ろしい魔法使いである。
330創る名無しに見る名無し:2012/07/29(日) 21:21:07.63 ID:m/ZtSLv1
エニトリューグが魔法大戦に参戦した理由を、明記した文書は無い。
彼は『断罪』の名から、大鉈に似た「首切りの大剣」を持った姿で、描かれる事が多い。
エニトリューグとネサ・マキ・ドク・ジグ・トキドの両者は、野心に満ち溢れた者とも、使命を帯びた者とも、
誇りや領土を守ろうとした者とも、異なる扱われ方をされる。
完全に人間性を捨て去ったと言われる、呪われし者ネサに比べれば、人間らしい描かれ方をされるが、
エニトリューグの戦いの目的は、人を殺す事その物にあった。
九人の死神は、殺される度に入れ替わったが、処刑方法に因んだ名を与えられていた。
それぞれ『絞首』、『断頭』、『毒殺』、『火炙り』、『串刺し』、『石打ち』、『拘禁』、『生き埋め』、『抉裂』。
内、「火炙り」と「抉裂」は残虐刑。
しかし、エニトリューグは単なる気狂いの無差別殺人者とも違う。
どちらかと言えば、彼は所謂「殺し屋殺し」の側面が強く、それはエニトリューグ自身の渾名である、
『断罪者<パニッシャー>』や、九人の死神が各々、処刑方法を名に持つ所から窺える。
331創る名無しに見る名無し:2012/07/29(日) 21:22:22.21 ID:m/ZtSLv1
だが、エニトリューグ自身は、余り「戦った」とは言えなかった。
神聖魔法使いの王ジャッジャスと、『祈り子長<プレアー・リーダー>』を同士討ちさせた以外に、
目立った戦果は無く(※)、魔法大戦で高名な魔法使いを数多く殺害した、九人の死神も、
その方法は暗殺が主。
敵と正対しては、大人しく殺されるか、抵抗しても撤退するのみで、返り討ちにした記録は無い。
尤も、傀儡魔法の恐るべきは、殺した者を乗っ取る秘術、「呪傀儡の魔法」にあり、
殺される事が目的の様な物だから、実力の程は知れない。
幾つかの史料では、九人の死神は、乗っ取った者の実力を、併せて発揮出来るとされている。
エニトリューグの実力が疑問視されるのは、彼の最期にも関係する。
「魔法大戦の伝承」に依れば、エニトリューグを殺したのは、呪詛魔法使いのネサだったが、
その際は運命を受け容れる様に、殆ど無抵抗だったとある。
エニトリューグとて一個の人間であり、罪の意識からは逃れられなかったのだろうか……。
恐らく傀儡魔法最大の禁呪であろう、呪傀儡の魔法を使用した時から、己も他者に断罪される覚悟は、
決まっていたのかも知れない。
魔法暦以降では、九人の殺人鬼に準えた連続殺人事件に、エニトリューグの名が見られる。
数件起きているが、何れも早い段階で、魔導師会が調査に乗り出し、模倣である事が確定している。


※:共通魔法使いの記録に残らない所で、戦果を上げていた可能性はある。
332創る名無しに見る名無し:2012/07/30(月) 19:56:05.96 ID:KEvrF6Cp
ヨハドとタロス


ティナー地方北東部の都市クルトラムにて


クルトラム市はティナー地方の北北東に在り、エグゼラ地方に隣接する、中規模の都市である。
旧クルトラム市圏は、同じく北部にある幾つかの都市と並んで、避暑地として有名で、
人口50万人規模の、それなりに発展した都市だったが、平穏期の市町村再編で、
周辺小町村を吸収した結果、人口密度が低い田舎都市に転落した。
それでも避暑地としての価値は失われておらず、夏場は涼を求めて来た客で賑わう。
333創る名無しに見る名無し:2012/07/30(月) 19:58:45.80 ID:KEvrF6Cp
勤めていた会社が潰れてしまった、ヨハド・ブレッド・マレッド・ブルーターは、元部下のタロスと共に、
クルトラム市の警備会社に入社し、一警備員として働いていた。
経歴から、危険な仕事を任せられる事が多く、更に以前の職業と比べて、給料は格段に落ちたが、
ヨハドは辞めようとは思わなかった。
何より彼は、人に怨まれずに済む事が嬉しかった。
心の静穏は、何物にも代え難いのだ。
この職場で、ヨハドはタロスと同僚になったが、相変わらずタロスは、ヨハドを「兄貴」と呼んで慕った。
経歴が経歴なので、ヨハドとタロスは初めの間、余り他の社員とは馴染めなかったが、それ故に、
荒事には慣れており、『問題』が起こった時には、活躍の機会があった。
次第にヨハドとタロスは、『問題』処理係として頼られる様になり、仕事仲間と打ち解けて行った。
334創る名無しに見る名無し:2012/07/30(月) 19:59:36.08 ID:KEvrF6Cp
警備会社の制服は、ジャケット、スラックス、コート。
『目線隠し<ブリンカー>』を外して、人が変わった様に穏やかになったヨハドを見て、
嘗ての冷徹な取立屋を連想する者は無かった。
しかし、彼は当時の名残で、コートやジャケットの裏に、魔除けの装飾品を忍ばせていた。
荒事に関わり続けていれば、これが役立つ時が来るだろうと、予想していたのである。
ある日、ヨハドとタロスは、ある会社の社長の警護を依頼された……。
335創る名無しに見る名無し:2012/07/31(火) 19:57:06.30 ID:n6DVqCDx
この件に関して、ヨハドは最初から、嫌な予感がしていた。
警護対象である社長について、同僚から良い噂を全く聞けなかったのだ。
これまでに彼は、個人の警護を何度か経験していた。
人物には大なり小なり、悪い噂が付き纏う物である。
だが、悪評しか聞けない程の者を守るのは、初めてだった。
確かに会社は、金さえ払って貰えれば、誰でも警護するが、恨みを買われるのは自業自得。
金蔓とは言え、守りたくない様な人間は、実際に存在するのだ。
しかし、金を貰っている以上、こちらに落ち度があれば、責任問題になる。
仕事は仕事で、私情を捨てて熟さなければならない。
因果な物だと、ヨハドは半ば達観していた。
336創る名無しに見る名無し:2012/07/31(火) 20:00:33.51 ID:n6DVqCDx
都市を走る公衆馬車に乗って、ヨハドとタロスは警護対象の社長の元へ向かう。
話では、その社長は最近、刃傷沙汰に遭って以降、臆病風に吹かれて、人間不信になったと言う。
それだけ不特定多数の人間に、恨まれる覚えがあるのだろう。
……ヨハドは警備会社に勤務する様になってから、初めて『目線隠し<ブリンカー>』を着け、出勤した。

 「兄貴、ブリンカーしてるの久し振りですね」

何時もヨハドの側に居るタロスは、真っ先にヨハドの変化に気付く。

 「嫌な事でもあるみたいですぜ」

 「フン、女みたいな勘を働かせるな。
  気色悪い」

ヨハドは顔色を窺うタロスを、連れ無く突き放した。
タロスは余計な事を言ってしまったと思い、項垂れる。
自分より大柄なタロスが落ち込んでいるのを見て、ヨハドは苛付きを溜め息に変えた。

 「それが良くない。
  大の男が、一々細かい事で動揺するな。
  堂々としていろ」

 「は、はい……」

ヨハドは弟分のタロスを、誰より気に懸けていた。
自分は余り長生き出来そうな人種では無い。
恐らくは、タロスを置いて逝く事になるだろう。
その前に、タロスには早く、木偶の様に他人の命令に従うばかりでなく、自らの意思を持って、
行動出来る様になって欲しい。
それがヨハドの願いだった。
337創る名無しに見る名無し:2012/07/31(火) 20:02:03.77 ID:n6DVqCDx
社長宅に着いたヨハドは、その場違い振りに呆れた。
周りは平屋ばかりの中に、堂々と鎮座している3階建ての豪邸は、まるで自己顕示欲の塊。
気圧されるタロスを余所に、ヨハドが正門のチャイムを鳴らすと、使用人らしき若い女性が、
2人を出迎えた。
ヨハドとタロスが警護の物だと名乗ると、その場で待つ様に女性は言って、豪邸内に引き返す。
2針後に出て来たのは、未だ30〜40代位に見える男性。
柄の悪いヨハドとタロスを認め、明らかに怯えた反応を見せる。
彼が依頼人の社長だった。

 「あ、あんた等がセキュリティー・ガードか?」

怖ず怖ず尋ねて来る社長に、ヨハドは言葉少なに答える。

 「ああ」

 「な、成る程」

ブリンカーを着けているヨハドと、体格の良いタロス。
2人が『警備員<セキュリティー・ガード>』と聞いて、社長は安堵した。

 「まぁ、その、何だ。
  こっちは高い金を払っているんだ。
  宜しく頼むよ?」

そして、姿勢を正し、俄かに横柄な態度に出る。
この瞬間、ヨハドとタロスは社長の底を見た気がした。

 「チッ」

 「堪えろ」

外方を向いて舌打ちするタロスを、ヨハドは軽く嗜めた。
338創る名無しに見る名無し:2012/08/01(水) 19:22:56.85 ID:ETqy6uxd
社長は貸切契約した中型馬車を足に使い、出勤する。
ヨハドとタロスも馬車に同乗して、社長の左右を固めた。
全く無言の2人に挟まれ、社長は居苦しさを感じていたが、何も言えなかった。
会社の正門前に着くと、先ずタロスが降りて、次に社長が降り、最後にヨハドが降りる。
見慣れない人物が、社長の馬車から出て来た事に、一般社員は不安気な表情を見せる。
大柄なタロスが、どよめきに反応すると、彼等は見てはいけない物を見てしまった様に、目を伏せた。
恐れられているのだ。

 「では、付いて来給え」

馬車から降りた社長は、人が変わった様に、堂々としていた。
ヨハドとタロスを従え、彼は社長室に向かう。
社員が見ている手前、見栄を張っているのが、ヨハドには判った。
柄の悪い男を社長が伴っている事に、社内の者は動揺していた。
擦れ違う時は、廊下の端に寄って道を開け、中には、社長への挨拶を忘れる者も居る位だ。
傍から見て印象は良くないが、社長は満足気だった。
宛ら「虎の威を借る狐」と言った所。
339創る名無しに見る名無し:2012/08/01(水) 19:31:01.51 ID:ETqy6uxd
社長室に入ると、若く美しい、落ち着いた印象の女性の秘書が、社長を出迎える。
しかし、彼女もヨハドとタロスに驚き、固まってしまった。
その反応が面白かったらしく、社長は笑みを堪えて、秘書に向かって言う。

 「彼等は私が雇った、セキュリティー・ガードだよ。
  それより、お茶を汲んで来てくれないか?」

喉が渇いていたのでは無い。
暗黙の了解と言う奴で、席を外して貰いたかったのだ。

 「は、はい」

秘書は社長の意を汲み取り、静かに給湯室へ下がる。
更に社長は、豪華な椅子に腰掛けると、思い付いた様にタロスに命じた。

 「そうだ、そこの体格の良い君。
  ドアの外で不審な者が彷徨いていないか、見張っていてくれ」

タロスはヨハドを一瞥し、彼が無言で頷いたのを確認すると、素直に指示に従った。
後にはヨハドが1人残る。
社長はタロスが退室した後、数極間を置いて、ヨハドに声を掛けた。

 「……さて、ヨハドと言ったかな?
  君に話がある」

 「人には聞かせられない話でしょうか?」

 「そう言う訳では無いが……馬鹿は居ない方が、楽に話を進められるだろう?」

社長は短い時間で、ヨハドとタロスの関係を見抜いていた。
序でに、タロスの頭が余り良くない事も。
340創る名無しに見る名無し:2012/08/01(水) 19:33:46.87 ID:ETqy6uxd
成る程、社長になるだけの人物ではあると、ヨハドは認める。
同時に、簡単に他人を馬鹿呼ばわりする、常識知らずの人間と言う事も認めた。

 「ヨハド、今の仕事を変える気は無いか?」

 「突然、何を?」

 「いや、君の様な人間が側に居てくれると、心強いと思ってね。
  変に思わないでくれ。
  私は思い立ったら、即実行する事にしているんだ」

1角に満たない時間で、人の何を解った気でいるのだろうか?
ヨハドは内心反発していた。

 「いえ、今の仕事が気に入っているので」

彼が膠無く断ると、社長は嫌味を言い始める。

 「残念だな。
  警備員の給料なんて、高が知れているだろうに。
  君が個人で契約してくれるなら、今の十倍は受け取れるぞ。
  会社を通しても良いんだが、それだと君の取り分は大幅に落ちるだろう」

金が全てだと言わんばかりの口振りに、ヨハドは益々反感を強めた。
ブリンカーを着けていなければ、不快に満ちた瞳を見られていただろう。
この社長は人の能力を見抜く目があり、十分な決断力と実行力を持っている。
恐らくは、商才も人並み以上と思われる。
だが、絶望的に人の心の機微が読めない。
確かに、彼の提案は魅力的だろう。
しかし、ヨハドにとっては、「お前が気に食わない」の一言で終わってしまう。

 「私の仕事は、警備員です」

 「そこまで尽くす価値のある会社かねぇ……?」

 「任務に支えます。
  この話は終わりにしましょう」

社長は未だ説得を続けたい様子だったが、ヨハドは強引に話を切った。
341創る名無しに見る名無し:2012/08/02(木) 19:21:40.86 ID:3a9vh/03
その後は、ヨハドは社長室内で、タロスはドアの外で待機するのみ。
御意見伺いに幹部が数人訪れる以外は、何も目立った事は無かった。
流石に社長も、一日中侍らせているのは、用心し過ぎだと思ったのか、社内会議の時間を利用して、
ヨハドとタロスに小休憩を取らせる。
会社の中庭のベンチに、ヨハドとタロスは並んで座り、他愛無い話を始めた。

 「何なんですかね、あの社長……。
  今朝は、穴倉ウサギ(※)みたいに、びびり捲ってたのに」

 「この会社は、謂わば奴の城だからな。
  味方に囲まれている間は、気が大きくなるんだろう」

ヨハドはハーブガムを齧る。

 「それにしても、拍子抜けと言うか、退屈と言うか……」

 「何も起こらないに、越した事は無い。
  皆無事で、金も貰えて、万々歳だ」

タロスは得心行かぬ様子である。

 「……そこが解らないんですよ。
  あの社長は、何を怖がってるんです?
  毎日毎日、命を狙われてるって訳じゃ無さそうなのに」

金持ちが強盗に遭うのは、よくある事だ。
しかし、恨みを持たれると言う事が、タロスには理解出来なかった。


※:穴倉ウサギ……アナウサギの俗称、臆病者の代名詞。
342創る名無しに見る名無し:2012/08/02(木) 19:31:14.67 ID:3a9vh/03
ヨハドはタロスを羨ましく思う。

 「馬鹿なんだよ。
  人間と言う物が、丸で解っちゃいない」

 「えっ、俺……?」

 「あの社長の事さ。
  恐らく奴は、自分が狙われた理由も解っていないだろう。
  自分の価値観が全てだと思っている。
  だから、安心を金で買おうとする」

 「……どう言う事で?」

今一つ飲み込めない様子のタロスに、ヨハドは噛み砕いて説明する。

 「この会社の噂を何度か耳にしたが、よく今まで社長が殺されなかった物だと思う。
  より良い条件があれば、契約を反故するのは当たり前、違約金さえ払えば良いと言う考えで、
  協力関係にあった企業――主に資金力の無い中小企業を、何社か潰していると。
  他にも、法に触れない暗い所で、人には言えない事をやっている様だ。
  こんな事、部下が勝手に出来る訳は無いから、社長の判断……と言うか、その方針で行く旨の、
  指示が出ているんだろう。
  社長の性格からして、直接自分では命令せずに、方針だけ伝えて部下にやらせていると、
  俺は睨んでいる。
  俺達が勤めていた、あの屑会社みたいにな。
  その癖して、自分は法律には違反していないし、表では都市警察が見ているから、
  身に危険が及ぶ事は無いと、慢心していた。
  それが実際に刃傷沙汰に遭った物だから、一瞬にして周りが敵だらけに見える様になったのさ。
  人物じゃないんだよ。
  権力を持っては行けない人種だ」

 「それは……ド豪い奴ですね」

呆気に取られるタロスに、ヨハドは真面目な声で言う。

 「それだけの事をしていながら、あの社長には覚悟が無かった。
  人の憎悪を受ける覚悟だ。
  『人物じゃない』ってのは、そう言う意味だ」

 「……それで兄貴は、どうする積もりなんですか?」

尋常ならざる雰囲を感じたのだろう。
タロスは不安気な声で尋ねる。

 「どうもしない。
  仕事を熟すだけだ」

ヨハドは天を仰ぎ、自分に言い聞かせる様に答えるのだった。
343創る名無しに見る名無し:2012/08/02(木) 19:34:13.93 ID:3a9vh/03
約2針が経って、ヨハドは腕時計を確認する。

 「そろそろ会議が終わる時間だな」

そう言った直後、彼は背後から心臓を貫かれる様な感覚に震えた。

 (……何だ?)

服の裏に忍ばせた、魔除けの装飾品が、奇妙な魔力を帯びている。

 「兄貴……?
  どうしました?」

 「タロス、先に社長室へ行っていろ」

 「兄貴は?」

ヨハドは左胸の内ポケットに隠したアミュレットを、強く握り締めた。

 「少し辺りを見回ってから行く。
  良くない気配がする」

 「だったら、俺も一緒に――」

 「陽動かも知れん。
  お前は社長の側に居ろ」

 「了解」

徒ならぬヨハドの様子に、タロスは二も三も無く頷き、社長室に向かう。
ヨハドは怪しい魔力の流れに誘われて、社屋の裏手に移動した。
344創る名無しに見る名無し:2012/08/03(金) 19:54:46.04 ID:VK5VTd1n
正門とは反対の位置にある、ゴミの仮置き場に、ヨハドは辿り着く。
そこには種類別にゴミを放り込まれた、大型のコンテナが、幾つも並んでいた。
黴と埃の混ざった臭いは、酷過ぎて耐えられない程では無いが、長居したいとは思わない。
普通の人なら、ゴミ捨て場に好んで立ち寄ろうとはしない。
身を潜める事は、そう難しくないだろう。
ヨハドの魔法資質は、この付近が怪しいと告げている。
彼はコンテナの陰に誰か隠れていないか、探し回った。
高さ2身、幅4身、奥行き2.5身の、長方形の滑車付きコンテナ。
その陰は薄暗く、ブリンカーを着けた儘では、明かりを点けないと、足元すら見難い。
共通魔法でサーチライトを灯そうとした瞬間、ヨハドは身震いする様な寒気に襲われた。
冷涼なクルトラム市の気候の所為かと、彼は一瞬思ったが、直ぐに違う事に気付く。
魔除けの装飾品が、氷の様に冷たいのだ。
コートやジャケットの裏に、幾つも付けている魔除けが、ヨハドの体温を奪っている。

 (こ、これは一体?!
  罠か!?)

魔除けの装飾品とは、小型の魔導機である。
魔力伝導率の高い金属で、魔法陣を描く事により、余計な魔法を発動させて、魔力を分散させるのだ。
大抵の魔除けは、光熱変換や風力変換と言った、簡易で害の少ない魔法の魔導機である。
故に熱を持つ事があっても、冷気(それも凍傷になろうかと言う程の)を発する事は無い。
そんな物を持った覚えは、ヨハドには無い。
345創る名無しに見る名無し:2012/08/03(金) 19:55:30.14 ID:VK5VTd1n
ヨハドは言い知れぬ恐怖に駆られ、冷気を放ち続けるコートとジャケットを脱ぎ捨てた。

 (畜生、何だってんだ!?)

彼の知らない外道魔法の使い手か、それとも高位の共通魔法使いの仕業か……?
焦るヨハドを嘲る様に、艶かしい女の笑い声が響いた。

 「フフフフフフ……」

 「くっ、誰だ!?
  どこに居る……?
  姿を見せろ!」

高い女の声は、仮置き場の中で反響し、正確な位置は掴めない。
直ぐ側にある「可燃ゴミ」の赤いコンテナに背を預け、ヨハドは静かに呪文を描きながら、
神経を研ぎ澄ます。
だが、彼は背後から行き成り、何者かの冷たい腕に抱き付かれた。
後ろはコンテナであるにも拘らず!
呪文完成動作は中断、魔法の発動は失敗する。
その儘、彼は「後ろ側に」、引き摺り込まれた。
抵抗する間も無かった。
視界が暗転する。

 (何が起こっている!?)

意識はあるのに、目だけが突然見えなくなった様。
同時に、冷たい腕の感触が消える。
346創る名無しに見る名無し:2012/08/03(金) 19:56:25.60 ID:VK5VTd1n
取り敢えず身体の自由が戻ったヨハドは、現状を必死に認識しようとした。
熱くも寒くも無く、風が吹く所か、臭いすら無い、不気味な空間に、彼は立ち尽くしている。
触れる物は何も無い。
足場は確りしている様だが、踏み出すと、柔らかく綿の様に沈む。
意識は残っているが、視界が切れたと言う事は、感覚遮断系の共通魔法。
未知の外道魔法なら、手の打ち様が無い。
ヨハドは外部干渉遮断系の呪文を唱える。

 「A1C21……、――H36I4!」

彼が魔法を発動させると、徐々に視界が戻り始めた。
真っ暗闇だった状態から、少しずつ色が付いて行く。
臓器の内部を思わせる、暗い薄桃色……。
しかし、ヨハドの目に映る物は、磨りガラスの様に暈けていた。
魔法が効いた事は一つの安心出来る材料だったが、それ以上に不安になる材料が多い。
ヨハドは続けて、空間認識の魔法の発動を試みる。
その途中で、艶かしい女の囁き声が聞こえた。

 「無駄だよ」

突然の事に、ヨハドは動揺したが、そこで呪文完成動作を中断したりはしなかった。
働き掛けがあったと言う事は、それだけで成果と言える。
ブラフの可能性も考えれば、手を止めるのは愚策。
347創る名無しに見る名無し:2012/08/04(土) 20:03:34.81 ID:uyGfx6E1
ヨハドは速やかに、認識魔法を発動させる。

 「――AI16H4――、C1H4――、A17!」

彼の予想では、魔法資質が目の代わりをする筈だった。
しかし、何も感知出来ない。
魔法が失敗したのでは無く、この空間には何も無いのだ。

 (ここは、どこなんだ?
  テレポートさせられたとでも言うのか?
  感覚が不完全なのと、何か関係が……?)

ヨハドの魔法資質は、然程優秀でも無ければ、劣等でも無い。
知覚出来る範囲は、最大でも半径5身程度。
だが、小石の一つ、砂粒の一つも引っ掛からないのは、流石に異常だ。

 「だから無駄と言ったではないか……」

 「何者だ!?」

空間に木霊する声に向かって、ヨハドは呼び掛ける。

 「答えてやっても良いが……――お前には敬意が足りない。
  主君に傅く騎士の様に、膝を折って伺いを立てろ」

尊大な態度、遊戯的、執拗に型を気にする……。
その反応から、ヨハドは相手が外道魔法使い――その中でも、取り分け旧い物だと察した。
実力のある外道魔法使いに、一般人が正面から反抗しても、何も思い通りにはならない。
適当に話を合わせて、呑める要求は呑み、呑めない要求は誤魔化す。
どれだけ頓知を働かせて、相手の裏を掻くか、旧い魔法使いから逃れるには、それが重要。
348創る名無しに見る名無し:2012/08/04(土) 20:06:19.78 ID:uyGfx6E1
ヨハドは拭い切れない不安を抱えながらも、子供の頃に聞いた、お伽噺を思い出す。
果たして、乗って来るか、否か……。

 「では、その前に姿を現して貰えないだろうか?
  どこに居るのか判らなければ、背を向けて礼を失し兼ねない」

 「良かろう」

 (良いのかよ……)

これだけ古典的な外道魔法使いが、本当に居るのだろうか?
思う通りに事が運んでいる状況を、ヨハドは素直に喜べなかった。
やがて、彼の視界が再び眩み、その代わりに黒い像が浮かび上がって来る。
それはヨハドの約2身程前で、黒い服を着た女の姿になって行く。
周囲の風景は、相変わらず暈けているにも拘らず、彼女の姿だけは、克明に見える。
幻では無い証拠に、ヨハドの魔法資質も、存在を捉えている。
豪華な黒のパーティー・ドレスを纏った、蒼褪めた肌の女性。
年齢は20代後半〜40前と言った感じで、成熟した美しさと厳かさを備えている。

 「これで跪く気になったかな?」

 「はい。
  ……ですが、その前に御尊名を伺いたく存じます」

謙るヨハドに気を好くしたのか、黒いドレスの女性は落ち着いた声で答える。

 「私は『闇の母<マトラ・エ・テネブリ>』……『夜の女王<ノクテ・レジーナ>』、『混色の黒<リッカ・ブラック>』、
  『泥濘の海<タール・マリス>』。
  好きな様に呼ぶが良い」

闇に関する名前を挙げられた事に、ヨハドは表面では平静を保ちつつも、心内で戸惑う。
旧い魔法使いで、闇の名を持つ物は、何れも恐ろしい魔法使いだ。
349創る名無しに見る名無し:2012/08/04(土) 20:08:00.47 ID:uyGfx6E1
これは大人しく下手に出た方が、得策だと思ったヨハドは、徐に膝を突いた。

 「マトラ様は、私に何の御用でしょうか?」

 「用と言う程の用は無い。
  邪気の集まる所に、偶々お前が居たので、戯れにな」

 (用が無いのに、余計な事をするな!)

ヨハドは毒吐こうとして、喉で止める。

 「では、直ちに解放して頂きたく――」

 「ならぬ」

マトラに冷たく即答され、ヨハドは思わず声を荒げた。

 「何故!?」

 「何と無く。
  故に、故は無い。
  そう焦らず、ゆっくりして行け。
  退屈にならぬ様、この私が直々に、話し相手になってやる」

 「……そうは行きません。
  私は護衛任務の最中でした。
  急いで戻らねば――」

何としても、この場から去りたかったヨハドは、留まれない理由を説明しようとしたが、マトラに遮られる。

 「はいはい。
  嘘、嘘、全部嘘」

その人を小馬鹿にした様な口振りに、ヨハドは苛っと来た。
350創る名無しに見る名無し:2012/08/05(日) 19:19:41.69 ID:CEh+0zd7
途端に、マトラの目付きが険しくなる。

 「お前は本心では、仕事をしたくないと思っている。
  私は何でも知っている。
  ここの社長は、間も無く殺される。
  それは誰にも止められない……」

 「したい、したくないの問題ではありません。
  行かねばならぬのです」

 「また嘘を吐いたな。
  己を偽る人間は好きだ。
  内に矛盾を抱えて、悩み苦しみ葛藤する姿こそ、人間の本性」

本当に心の底まで見透かされている気がして、ヨハドは口を噤んだ。

 「私は『母<マトラ>』、お前の母。
  我が子よ、母を欺くか?」

マトラは安らぎに似た、抗い難い魅力を放っている。
睡魔の様な物に襲われ、意識が朦朧として来るも、ヨハドは必死で抵抗する。

 「あの社長が死のうが死ぬまいが、そんな事は関係無い……。
  社長の身に何か起きるなら、タロス……あいつが危ない!」

 「あはははは、面白い!
  言っとくが、私は『奴』とは無関係。
  『奴』の悪意に誘われて、物見に来たんだ」

突然、何を言い出すのかと、ヨハドは疑問に思った。
瞼が下がるのを堪えていると、視界が白んで歪み始める。
マトラの姿も白光に呑まれて行く。

 (一体、何なんだ?
  解らない事だらけだ……)

目を凝らそうとすればする程、歪みは酷くなって、何も見えなくなる。
思考が暈けて行く一方で、どこか分からない場所から、涼しい風が吹いて来る。
後頭部が熱を帯びる。

 「寧ろ、感謝して欲しい位だ」

マトラの声は、遠ざかる様に小さくなって行く。
遂に、ヨハドの目の前は真っ白になった。

 「私が呼ばなければ、お前は死――……」

最後の方の言葉は聞き取れなかった。
351創る名無しに見る名無し:2012/08/05(日) 19:24:10.48 ID:CEh+0zd7
数極の間を置いて、ヨハドは突然現実に返った。
そこは元のゴミの仮置き場で、ヨハドは赤いコンテナに縋って、眠り転けていた。
後頭部がジンジン痛むのは、どこかで打つけた所為……。

 (夢!?)

急いで起き上がったヨハドは、立ち眩みにも負けず、コートとジャケットを拾って、駆け出した。
最早、冷気は放っていなかったが、そんな事は頭に無かった。
社長が狙われている。
夢の中の出来事とは言え、無視する訳には行かない。
何者かに襲われて、気を失っていたのは事実なのだから。

 (間に合ってくれ……!)

社長が殺されては、警備会社の信用に係わる。
その時に、現場に居合わせていなければ、大問題。
現場に居て、それでも止められなければ、それはそれで問題なのだが、明日の生活の為にも、
ヨハドは社長室へと走った。
夢の中でタロスが何とか言っていたのは、忘れていた。
352創る名無しに見る名無し:2012/08/05(日) 20:03:56.07 ID:CEh+0zd7
社長室に飛び込んだヨハドが見た物は、社長を壁に押さえ付けているタロスの姿だった。

 「放せ!!」

怪力のタロスに持ち上げられ、社長は身動きが取れない。
これは不味いと思ったヨハドは、タロスを怒鳴り付ける。

 「タロス、何をしている!?」

 「違うんです、兄貴!
  俺が手を離すと、こいつは自殺しちまう!!」

よく見れば、社長は必死に暴れて、タロスを殴ったり蹴ったりしているが、タロスの方は、
押さえ付けているだけで、何もしていない。

 「ゲギィイイイ!!
  放せ、グラァ!!!
  キイイイーッ!!!」

 (狂ったのは社長の方か!?)

社長の目は憎悪に染まり、顔は真っ赤で、奇声を上げ、どう見ても真面では無かった。
騒動に気付いたのか、続々と社員が集まって来る。
ヨハドは彼等に言った。

 「協力してくれ!
  社長は正気を失っている!
  全員で取り押さえるんだ!!
  ……早く!!」

事態が飲み込めず、社員は暫し呆然としていたが、状況を察した数人が、ヨハドの呼び掛けに応じ、
タロスと一緒に社長を押さえ付ける。

 「タオルでも何でも良い、長い布を咬ませて猿轡にしろ!」

口を封じるのは、呪文を唱えさせない為だ。

 「それと、拘束の魔法が得意な者は居ないか!?」

ヨハドは再度呼び掛けたが、今度は誰も顔を見合わせるばかりで、返事が無い。
一般に拘束の魔法は、執行者が使う物と言う認識が強いので、知らないのが普通だ。

 「……なら、俺がやる!
  確り社長を押さえていろよ!」

仕方無く、ヨハドは呪文を唱え始めたが……。
353創る名無しに見る名無し:2012/08/05(日) 20:14:05.07 ID:CEh+0zd7
危機を察したかの様に、社長は信じられない腕力を発揮して、社員とタロスを振り払り、
窓に向かって全力で駆け出した。
そして静止する間も無く、上半身から窓ガラスに突っ込んで、飛び下りる。
ガラスは簡単に割れて、社長を宙に放り出した。
社長室は地上4階、人が落下しても、絶対に助からない高さでは無いが……。
静寂の中、ガラスが割れる音と共に、固い物同士が打つかる、鈍い音が聞こえた。
数人の社員が確認の為に、窓から下を覗いたが、皆直ぐに目を逸らして、首を横に振った。
社長は死んだ。
タロスはヨハドに言い訳めいた口を利く。

 「あの社長、凄い怪力で――」

 「解っている」

どうし様も無かった。
運が悪かった――……否、社長の行いが悪過ぎたのだ。
後に、ヨハドとタロスは執行者と都市警察から、重要参考人として、何度も事情聴取を受けた。
数週は付き纏われた物の、容疑者として扱われずに済んだのは、幸運と言えるだろうか?
しかし、周囲の目は厳しく、ヨハドとタロスには、仕事が回って来なくなった。
犯人は未だ特定されていない。
数日後、2人は警備会社を首になった。
354創る名無しに見る名無し:2012/08/11(土) 18:04:35.81 ID:6WdfuMDV
好敵手


「時に、君は戦争を知っているか?」

「センソウって、あの戦争ですか?
 国家同士が武力衝突すると言う、あの……」

「ああ、その戦争だ」

「……抗争が激化した物と認識しています。
 魔法暦で戦争と呼べる程の武力衝突と言えば、復興期の大陸北部開拓と、大陸東部開拓、
 それと開花期にディアス平原の利権を巡って、ブリンガー地方とティナー地方が対立した事件……
 位でしょうか?」

「戦争と言えば戦争だが、旧暦の物と比べると温いな……。
 旧暦の戦争は、勝者が敗者から全てを奪う、人の誇りと生死を懸けた、地獄の闘争だ。
 少し、昔話をしよう――あれは未だ、私が魔法剣を究める前、剣士として名を馳せていた頃。
 私にも共に技を磨き、実力を高め合う、『好敵手<ライバル>』とも呼べる、親友が居た」

「へー」

「私と彼は剣の腕を買われて、傭兵として戦争に参加し、味方に先駆けて敵陣に切り込むと言う、
 最も危険な任務に就いていた。
 後退は即ち死と言う状況で、立ち塞がる敵を、斬っては捨て、斬っては捨て……。
 後方と比べれば、報酬は正に桁違いだったが、故に失う物も多かった」

(長くなりそうだな……)

「ある戦闘で、私の友人は勇み過ぎ、命を落としてしまった……。
 戦場で剣士が恐れる物は何だと思う?」

「……何でしょう? 魔法?」

「違う。弓矢だ。当時は一般兵が戦争で使える程、魔法は有用な物では無かった。
 代わりに、縦横無尽に吹き荒れる、嵐の如く襲い掛かる、大量の矢。それが剣士の最大の敵だった」

「その人は、流矢(りゅうし)に当たって亡くなられた?」

「ああ。呆気無い最期だった。若かった私達は、より多く戦功を上げる事しか、考えていなかった。
 武勲を立てれば、それだけ剣士としての高みに近付けると、信じて疑わなかった。
 剣技は殺人技、一撃必殺の理。私達は競う様に、目の前の敵を斬り続け、その数を誇っていた」

「……怖いですね」

「価値観の違いだよ。しかし……、今だから言えるが、私は何時も親友の背を追っていた。
 剣士としての技量は、私より彼の方が『僅かに』ではあるが、しかし、『確かに』上だった」
355創る名無しに見る名無し:2012/08/11(土) 18:57:18.37 ID:6WdfuMDV
「そんなに凄い人だったんですか?」

「矢の雨を潜り抜け、剣気を飛ばして楯を断つ。彼の手に掛かれば、鉄は紙の如く、人は藁の如く。
 差しの立ち会いなら、あの竜人タールダークにも勝る。私を措いて、彼と並ぶ者は無かった」

「魔法使いでも無いのに、そんな……。知らないと思って、盛り過ぎでしょう」

「いやいや、本当の事だよ。……だが、彼は私の先を行った分だけ、早く逝ってしまった。
 もし私の技量が彼を上回っていたなら、あの時に死んでいたのは、私の方だっただろう。
 ……仮定の話をしても、仕方無いな。私は弱かった。弱かったが故に、生き残る方になってしまった。
 我が友の敗死は、剣の敗死でもあった。死に怯えた私は、魔法を学ぶ決意をした」

「どうして、そこで魔法が?」

「彼の得物は刃渡り2歩もある、攻防一体の長剣、『大牛刀』。
 無骨な造りながら、剣身に浮かぶ鱗状の波紋が美しい、ユニーク・ブレイドだ。
 彼は体と剣の『軸』を利用して戦う我流剣技で、立ち回り、振りの速さ、威力、リーチ共に、
 当時の剣士の中では、群を抜いていた。
 しかし、彼は誰より優れていたが為に、単身突出し、長時間の戦闘で消耗した所に、矢雨を浴びた。
 ――だが、そこまで追い込まれていても、生死の差は紙一重だった。
 あの時……あの瞬間、彼が少しでも早く、軽く、剣を振れていたなら……」

「その為の技術が、『魔法剣』?」

「肯(うむ)。より鋭く、速く、遠く。私は魔法剣を究める為に、あらゆる刀剣を集め、その技を修めた。
 そして、魔法と組み合わせて、自分の剣に相応しい物を取り入れ、最高の魔法剣を編み出した。
 尤も、魔法に頼るのは、己の技術が及ばない状況に限ったがな。
 ……白状すると、魔法剣に慣れてしまった時、再び普通に剣を振れる自信が無かったのだ。
 魔法剣完成の暁には、修めた剣技を活かして、友の形見を振るう積もりでいたが――」
356創る名無しに見る名無し:2012/08/11(土) 18:58:40.36 ID:6WdfuMDV
「振るわなかったんですか?」

「あれから随分経つが、幾ら技を磨いても、彼に及ぶ気がしないのだ……。
 私は魔法を得て、当時の彼を上回る身体能力を得た。それでも、動きがイメージに合わない。
 私は未だに、若き日の幻影を追い続けていて、どこかで彼を神格化しているのだろうか?」

「僕に訊かれても……」

「そこで、だ。君に頼みがある。大牛刀を持って、私と手合わせして欲しい」

「えっ、僕が?」

「勿論、親友が使っていた物を、素人の君に托す訳には行かない。使って貰うのは、特注の模造品だ」

「素人って分かってるのに、どうして仕合なんて――」

「私にも自分の剣の型と言う物がある。それが技の再現の妨げになっているとしたら……
 決まった型が無い状態の君なら、何か気付かせてくれるかも知れない」

「まあ、そう言う事なら……」
357創る名無しに見る名無し:2012/08/11(土) 19:00:00.15 ID:6WdfuMDV
「――20本中、19−1か……。こんな物だろう」

「あの、1本取られたからって、向きになるの止めて貰えませんか? 大人気無いですよ」

「君の実力を見極めようと思ったのだ。紛れなのか、本物なのかをな」

「…………それで、どうだったんです? 何か参考になりました?」

「何と言うか、君は色々惜しい男だな。鍛えてやれば、そこそこ伸びそうな気がする辺りが、また……」

「今時、剣士って流行らないでしょう」

「分からんぞ。魔法が使える奴は、年々減っているのだろう?」

「いや、それでも僕が生きている間は、魔法を使える人が優位でしょう。魔力石もありますし」

「永く生きる魔法使いになれば良い」

「なれと言われて、なれる様なら、苦労はしませんよ。大体、剣士になるんじゃないんですか?」

「魔法を使える剣士、魔法剣士になるのだ」

「魔法剣士ですか……」

「中々良い響きだろう?」

「それは否定しませんけど……」
358創る名無しに見る名無し:2012/08/11(土) 19:01:16.51 ID:6WdfuMDV
「――私は今も後悔している」

「何をです?」

「あの時……あの瞬間、私が少しでも早く、彼に追い付いていたら……。
 何度、夢に見た事か知れない。彼と並び、その背を守れるのは、私を措いて他に無かった。
 過去の私に、今少しの実力と、勇猛さがあったなら……」

「一体どうしたんですか? 急に……」

「私は死に時を逸してしまったのだ。命を懸けるべき時は、あの時を措いて他には無かった」

「死なずに済んでいるんですから、良いじゃないですか。生きている事の何が悪いんです?」

「生きている事が悪いのでは無い。何も成さず、惰性で生き続ける事が辛いのだ。
 私は死を恐れて、魔法に逃げた。こんな様で、何が剣聖だ。滑稽過ぎて笑うしか無い。
 剣士としての私は、あの時、彼と共に死んだ。今の私は、牙を抜かれた臆病な犬だ」

「そんな卑屈にならなくても……。剣術道場を開いているんでしょう? 生き甲斐を求めるなら、
 秘剣を託す、弟子を取っては?」

「この共通魔法の時代に? 剣士等、流行らないと言ったのは君だ」

「魔法剣なら、分かりませんよ」

「君は受け継ぐ気になれるか?」

「僕は才能無いですよ。第一、僕には既に師匠が居ます。二師に学ぶ真似は出来ません」

「成る程。二君に仕えず、二師に学ばず。本当に、君は惜しい男だな。君に出会うのが、後10年……
 いや、5年早かったなら……」

「持ち上げないで下さい。買い被りです。今は、魔法を使えない人が増えていますから……
 その気になって探せば、僕より剣に適した人なんて、掃いて捨てる程見付かりますよ」

「……済まないな。過去に思いを馳せると、何時も鬱々とした気分になる。
 雨が降れば、水溜まりが出来る(※)様な物だ。気にしないでくれ」
359創る名無しに見る名無し:2012/08/11(土) 19:02:55.57 ID:6WdfuMDV
※:『雨が降った後には、水溜まりが出来る』


主にブリンガー、ティナー、ボルガ地方で使われる諺。
意味は、「当然の事」、「自然な事」、「常識である事」、転じて「日常的である事」。
表記揺れが多く、一字一句その儘で使われる事は少ない。
前半部分は、「雨が降った後は」「雨が降れば」「雨になれば」等、言い回しが変わる程度だが、
後半部分は、「水が溜まる」「土が湿る」「道が泥濘る」等、単語が置き換わる。
特に「道が泥濘る」は、注意を促す諺として、新しい意味で使われる事もある。
似た様な諺に、『水溜まりを踏めば、泥が跳ねる』と言う物がある。
こちらは、薮蛇、自業自得の他に、「行動にはリスクが伴う」の意味でも使われる。
360創る名無しに見る名無し:2012/08/12(日) 18:59:40.92 ID:fKbBttNP
『気術<ヴィガー・カルト>』


ボルガ地方イノルダ町にて


イノルダ町を通り掛かった、サティ・クゥワーヴァとジラ・アルベラ・レバルトは、小さな公園で体操をする、
奇妙な集団に目を留めた。
全員似た様な動きをしている以外、集団に統一感は無く、老若男女様々で、服装も体形も区々。

 「あれ、何でしょう?」

 「さぁ?
  夏祭りでもあるんじゃない?」

サティはジラに尋ねたが、彼女にも分からない。
この集団は『気術<ヴィガー・カルト>』の同好会。
サティとジラが知らないのは当然。
気術は、ボルガ地方以外では、殆ど見られないのだ。
361創る名無しに見る名無し:2012/08/12(日) 19:04:18.13 ID:fKbBttNP
気術の起源は旧暦にまで遡る。
人体に内在する「気」と、自然界の「気」を同調させ、その流れに乗る、或いは流れを作り出して、
体調を整え、身体能力を高めると言う、所謂「気功術」、「操気術」と呼ばれていた物が、原点である。
『気術<ヴィガー・カルト>』と名付けられたのは、開花期。
ボルガ地方トダイ町出身の共通魔法使い(魔導師では無い)、ガロ・ダン・ローシによって発明され、
ボルガ地方を中心に、各地に広められた。
魔法暦99年、若き冒険者ガロ・ダン・ローシは19歳の時に、外道魔法使いである魔法武術家
(名不詳)と出会い、彼の技に感動して弟子入りする。
厳しい修練に耐え、不惑を迎えて、魔法武術の極意を得たガロは、師の下を去った後、
共通魔法の技術と組み合わせて、共通魔法武術『気術<ヴィガー・カルト>』を生み出した。
しかし、未だ魔力に満ちていた開花期では、武術その物が流行らなかった。
その為に気術は、魔法が余り得意でない者の間で、密かに受け継がれるに留まっていた。
気術が世間の注目を集め始めたのは、平穏期になってから。
魔力不足から、魔法を思う様に使えなくなる者が増え、それを補う為に、気術が流行したのだ。
無手の護身術、身体操作術として、気術は大いに活躍した。
一方で、元が外道魔法である事、一部犯罪に悪用された事、俄か流行である事から、
危険な新興団体――「カルト」としての印象も強く、故に発祥の地であるボルガ以外では根付かず、
受け入れられなかった。
362創る名無しに見る名無し:2012/08/12(日) 19:06:09.26 ID:fKbBttNP
しかし、魔導師会は気術を、飽くまで共通魔法を利用した武術の一と位置付けており、
全く問題視していない。
共通魔法を身体能力強化に用い、武術と組み合わせる戦い方は、古くからあった。
気術は多くの派生流派を持つが、それとは起源や系統を異にする、共通魔法武術も数多くある。
例えば、グラマー地方では暗殺武術と、砂漠戦闘技術が発達している。
ブリンガーでは騎乗武術、エグゼラ地方では愚直なまでの剛拳法、カターナ地方では水中武術と、
地方の特色を活かした、独自の戦闘技術がある。
その一としか、数えられていないのだ。
363創る名無しに見る名無し:2012/08/13(月) 19:12:37.75 ID:rV9P9f8I
サティとジラが馬車鉄道に乗るべく、イノルダ町の駅を訪れた時、2人の男が隣の乗り場で、
諍いを起こしていた。

 「おっさん、割り込みは良くないよ」

 「割り込みじゃねえよ!
  俺が最初に並んでたんだ!
  用を足しに離れたら、何時の間にか列が出来てて」

 「大か小か知らないけど、何針掛かってんだ?」

 「んな事は関係ねえだろうが!!」

サティとジラは、どうやら次の馬車に乗る順番で、揉めている様だと察した。
割り込みを咎めた男は、体格は然程大きくない、中肉中背の青年。
割り込みでは無いと主張する男は、やや太目だが、背も高い中年。
だが、そもそも乗り場が違うので、どちらの言い分が正しくても、2人には無関係だ。

 「サティ、騒ぎが収まるまで、向こうに行っていましょう」

興味深そうに眺めているサティを、ジラは牽制した。
364創る名無しに見る名無し:2012/08/13(月) 19:15:18.69 ID:rV9P9f8I
しかし、サティは冷静に反論する。

 「市民性、地域性は、いざこざが起きた時、特に顕著になります。
  思考や思想と言う物が、よく現れますから。
  一体何に怒るのか、直面した問題に、どう対応して、どう処理するのか、それを見るのも、
  民俗研究になるんですよ」

 「だからって、端無いとは思わないの?
  もっと確りしていると思っていたら、意外に品が無いんだ」

どんなに言い繕っても、ジラが指摘した通り、他人の喧嘩を見物するのは、下品な行為。
婦女子にあるまじき姿である。

 「下品とは何ですか!?」

 「品が無いって言ったの。
  下品とは言ってないって」

 「同じ事でしょう」

一応、名家の子女であるサティは、無理無謀と言われる事には慣れていても、
自らの品性を卑しい物と決め付けられるのは、我慢ならなかった。
365創る名無しに見る名無し:2012/08/13(月) 19:19:20.91 ID:rV9P9f8I
ジラはサティの反発を予想していた物の、思った以上に怒りを買ったので、堂動いだ。

 「落ち着いて、サティ。
  私達が口論して、どうするの?」

ジラに宥められ、サティは矛を収める。

 「人間観察が、余り良い趣味とは言えない事は、承知しています。
  ……ですが、往来で諍いを起せば、注目されても仕方の無い事。
  耳目に入る物を止める事は出来ません」

そして、公共の場で揉め事を起こす方が悪いのだと、主張した。

 「それはそうだけど……」

言い淀むジラに、サティは畳み掛ける。

 「誤解しないで下さい。
  飽くまで、学術的な好奇心です」

その学術的な好奇心とやらは、野次馬根性と何が違うのかと、ジラは心の中で呟いた。

 「まあ、あの2人をよく見ていて下さい」

 「だから、それが良くないって」

ジラの制止も聞かず、サティは所感を語り始める。

 「2人の内、若い男の方……割り込みを止めた人です。
  あの人は、相当喧嘩慣れしているか、武術の心得がある様です」

 「……何で判るの?」

 「姿勢や態度で、何と無く。
  彼が粋がってる素人相手を、どう遣り込めるかと言う所に、私は興味があります」

サティの勘は正しい。
割り込みを止めた男は、気術の熟練者だ。
366創る名無しに見る名無し:2012/08/14(火) 19:48:15.82 ID:IQBhiH4h
割り込みに対する、各地方の対応は様々。
グラマー地方では、真っ先に鉄道員を呼び付け、判断を仰ぐ。
ブリンガー地方では、一人位の割り込みは気にされない。
エグゼラ地方では、口論より先に、殴り合いが始まっている。
ティナー地方では、割り込んだ側が悪とされ、周りも黙っていない。
カターナ地方では、自分より後の全員に、小金を払って手を打つ。
一部地域では、そもそも馬車を待つのに「並ぶ」と言う事をしない。
さて、ボルガ地方イノルダ町では、鉄道員を呼び付ける習慣は無い様である。
エグゼラ地方民程、血気に逸ってもいない。
ブリンガー地方民程能天気でも無く、ティナー地方民程主張が強い訳でも無い。
カターナ地方の様に、金で解決する気も無い。
この儘では埒が明かないので、何かを切っ掛けに、一方が譲るしか無いのだが……。
最終的には、若い男の方が、実力行使する事になるのだろうと、サティは想像していた。
367創る名無しに見る名無し:2012/08/14(火) 19:50:37.55 ID:IQBhiH4h
所が、状況は一向に変化しない。
若い男は頑なに割り込みを拒み、中年の男は根気強く訴える。
終いには互いに言う事が無くなり、「お前は何なんだ」「お前こそ何だ」と、全く無意味な探り合いを、
始める始末。
サティの目には、若い男が相手の攻撃を待っているのが、よく解った。
手を出してくれさえすれば、返り討ちにして、これ以上は抗弁させない様に出来る。
学生時代に、サティが散々やって来た手段である。
同時に、中年男が嘘を言っていない事も、彼女には判った。
相手を格下に設定して、強気に出ているのであれば、相手を小突く、必要以上に詰め寄る、
挑発的な言動を交える等の、示威行動が現れる筈だが、そんな様子は無い。
そして、若い男が手練と気付いている様子も無い。
駄々を捏ねている以上には、見えないのだ。
若い男の方は、絶対に自分から手は出さないと決めている。
これは周りが何か言わないと、終わりそうに無いと、サティは見切った。
368創る名無しに見る名無し:2012/08/14(火) 19:52:33.94 ID:IQBhiH4h
しかし、後に並んでいる人々は、何も言わない。
一人位は割り込んでも良いと思っているのか、それとも声の大きい人には関わりたくないと、
思っているのか……。
恐らく両方であろう。
揉め事に関わっても、得する事は一つも無い。
サティは事態を打開する為、外方を向いているジラに、話し掛けた。

 「好い加減、向こうが煩いので、ジラさん何とかして下さい。
  執行者の出番ですよ」

 「嫌だよ。
  グラマー地方とは違うんだから、警察みたいな真似は出来ないの」

ジラの反応は、怠慢では無い。
グラマー地方では、魔導師会法務執行部が、都市警察の役割を兼ねているが、その他の地方では、
魔導師会と都市警察は、全く別の組織である。
魔導師会の権威を盾に、警察の真似事をして、正義を気取る事は、絶対に許されない。
執行者として、当たり前の心構えだ。
そこでサティは、こう言う。

 「では、私が『個人的の意思』で止めに行きましょう」

それを聞いたジラは、慌ててサティの肩を掴んだ。

 「止めて!
  解った、私が行くから!」

好戦的なサティに任せると、何を仕出かすか分からなかった。
369創る名無しに見る名無し:2012/08/15(水) 19:09:47.31 ID:q+4GdR2+
ジラを仲裁に行かせたサティは、事の成り行きを静かに見守る。
第三者の介入でも収まらない様なら、彼女は鉄道員を呼びに行く積もりだった。

 「何事ですか?」

母が子を諭す様に、ジラは出来るだけ穏やかな口調を心掛け、啀み合う2人の男に声を掛ける。
そんな彼女の気遣いも知らず、魔導師会の執行者が割って入った事に、2人は恐縮した。

 「い、いえ、大した事ではありません」

 「何でも無いです!」

若い男と中年男は、急に大人しくなって、仲良く列の最後尾に下がる。
余りに簡単に事が収まったので、ジラは拍子抜けして、気味の悪さを感じながら、サティの元に戻った。

 「これで良いんでしょう?」

呆れた風にジラが問い掛けると、サティは憮然として答える。

 「……面白くありません」

 「勘弁して頂戴」

この結果はサティにも予想外だった。
370創る名無しに見る名無し:2012/08/15(水) 19:15:58.48 ID:q+4GdR2+
やがて馬車が到着すると、誰も何事も無かったかの様に、整然と乗り込んで行く。
その様子にサティとジラは、ある種の冷淡さを感じ取った。
誰も望まない争いだったのだろうか……。
若い男も中年の男も、一度突っ掛かった手前、お互い引っ込みが付かなくなっていて、
本当の所は、もっと早く誰かに止めて欲しかったのかも知れない。
小さな町の、小さな駅での出来事である。
371創る名無しに見る名無し:2012/08/15(水) 19:19:42.43 ID:q+4GdR2+
「ボルガ地方民には好感が持てます」

「どうして?」

「第三者の目に弱く、権威に従順だからです」

「全然、好かれる様な要素じゃないと思うけど……」

「第三者の目を気にすると言う事は、公平公正に敏感と言う事です。
 権威に従順なのは、自らの立場を弁えていると言えます」

「私には、主体性が無い奴隷の性質に見えるよ。
 そりゃ従順な子は、可愛いでしょう」

「捻くれていますね」

「あなたには言われたくないと思う私なのよ」
372創る名無しに見る名無し:2012/08/16(木) 20:33:20.13 ID:f5glKt7S
悪夢


ブリンガー地方タハデラ市十一日駅にて


サティ・クゥワーヴァとジラ・アルベラ・レバルトは、ブリンガー地方からカターナ地方へ移動する為、
馬車鉄道に乗った。
大魔力路に沿って走る、高速馬車鉄道は、半日ずつしか停車しない。
故に、東端の市タハデラの十一日駅から、カターナとブリンガーの境界上にある十二日駅までの間は、
丸半日コーチの中で過ごさねばならない。
移動時間を惜しんだサティは、夜行コーチが良いと言い出したので、夕方から翌明け方まで、
彼女とジラは馬車の揺り籠で休む事になった。
373創る名無しに見る名無し:2012/08/16(木) 20:34:16.93 ID:f5glKt7S
西北西の時、すっかり日が落ちて、コーチの外は真っ暗になる。
何時もの様に、ジラはサティが寝るまで、起きている積もりだった。
律儀に護衛の役目を果たそうとするジラは、丸で従者の様で、サティは疼痒い気分になる。
流れ去る街の灯りを眺めながら、サティは静かに眠りに就いた。
そして彼女は夢を見た――。
374創る名無しに見る名無し:2012/08/16(木) 20:35:37.81 ID:f5glKt7S
サティは汚れ一つ無い真っ白な部屋で、同じく白い安楽椅子に腰掛けていた。
彼女は眠りが浅い時には決まって、この場所に着いてしまう。
過去何度も経験した事から、これが夢の中だとサティは知っていた。
他人に話しても、先ず共感が得られないので、一時期は精神に問題があるのではと、
随分気に病んだ物だが、二十歳になる頃には慣れてしまった。

 (またか……最近は見なかったんだけどな)

この殺風景な部屋は、安楽椅子と、小さな机があるのみで、壁も窓も天井も無い。
それでも部屋だと認識しているのは、白い壁に囲まれている様で、開放感が皆無な為だ。
サティは、この部屋が好きでは無かった。
何が嫌かと言うと、この部屋では何も起こらないのだ。
真なる静寂と孤独の恐怖を、彼女が最初に知ったのは、この場所。
時々安楽椅子がベッドだったり、机の意匠が変わっていたり、或いは机すら無かったりするが、
それが何になる訳でも無い。
ここに着いたサティは、目を覚まして現実に帰るか、夢の中で眠って、別の夢を見なければならない。
375創る名無しに見る名無し:2012/08/17(金) 19:40:20.69 ID:HEy0VeS9
しかし、今回は状況が違っていた。

 「おや、お早う。
  それとも今日は?
  今晩は?」

先客が居たのである。
真っ白い部屋とは対照的な、闇色のドレスを着た、豊かな黒髪の女性。
それが行儀悪く、足を高く組んで、白い卓に腰掛けていた。
今までサティは、ここで人と出会った事が無かった為、驚いて跳ね起きた。
彼女は闖入者に、在り来りな質問をする。

 「あなたは誰ですか?」

 「誰でも良いじゃないの。
  お前こそ、誰なのさ」

黒い女は半目でサティを睨み、気怠そうに口答えた。
その態度が気に障ったサティは、詰問する様に言い放つ。

 「私は度々この部屋に来ていますが、あなたの様な人は知りません」

 「あぁ?
  ここは、『お前の場所』なのかい?」

黒い女は不快感を露に反抗した。
何と礼儀知らずなのだろうとサティは憤ったが、ここが『自分の場所』と言い切る事は出来なかった。
もしかしたら、自分の方が闖入者と言う可能性も捨て切れない。
376創る名無しに見る名無し:2012/08/17(金) 19:41:30.67 ID:HEy0VeS9
然りとて、この無礼な女に頭を下げたくは無かった。

 「知りません。
  とにかく、私は十年以上前から、ここで人の姿を見た事がありません。
  あなたは一体『どこから』、『どうやって』、この部屋に入って来たのですか?」

 「十年以上?
  お前は見た目通りの小娘、魔法使いとしては赤子にも等しい存在だ。
  それが空間を……お前は死に生まれ(※)の魔女か?」

黒い女はサティの話に興味を持った様子で、続きを聞き出そうとする。

 「『魔女<ウィッチ>』?
  私は歴とした『共通魔法使い<コモン・スペラー>』、『外道魔法使い<トート・マジシャン>』等と、
  一緒にしないで下さい」

 「無自覚な『独自魔法<ユニーク・マジック>』の使い手か?
  成る程、この場所が何なのか知らないのも頷ける」

 「……何だと言うのです?」

 「聞けば教えて貰えるとでも?
  お前には敬意が足りない」

訳知り顔で語った上に、嫌に勿体付ける黒い女を、サティは鬱陶しく思った。


※:転生の事。
377創る名無しに見る名無し:2012/08/17(金) 19:42:44.11 ID:HEy0VeS9
サティは改めて、黒い女に問い掛ける。

 「あなたは一体誰で、どうやって、そして、何の目的で、ここに来たのですか?」

 「お前に教える義理は無い」

 「用が無いなら、出て行って貰えませんか?」

 「指図される覚えも無いね」

黒い女は、何か用があると言うよりも、サティに従いたくないので、出て行かない様に思えた。
それが益々サティを苛立たせる。

 「では、そうせざるを得なくさせて貰います。
  死にたくなければ、私の目の前から消えて下さい」

怒りに任せて吐き出した言葉は、明確な敵対宣言だった。
どうせ夢の中なので、手加減する必要は無いと、相手の実力も、勝敗も考慮に入れず、
サティは魔法資質を解放する。

 「小娘にしては、中々の『術<マノス>』じゃないか!
  面白い、少し遊んでやるよ」

黒い女も乗り気でサティを挑発した。
378創る名無しに見る名無し:2012/08/18(土) 20:26:34.09 ID:yCmmm6BT
2人の状態は正に、導火線に火が着いた爆弾。
数極後には爆発して、心の儘に戦う定め。

 「待った!」

しかし、それを延ばそうとする声がある。
3人目の登場にサティは、「今日に限って何なのだ」と、脱力した。
声のした方に目を遣ると、見覚えのある姿――――サティと全く同じ格好をした人物が、立っている。
『それ』が自分と黒い女の間に割って入ったので、サティは酷く混乱した。

 「何の真似ですか?」

そして疑いの矛先を、黒い女に向ける。

 「……私の仕業と思ってか?
  勝手な想像で、人を勘繰るんじゃないよ」

 「あぁ、済まない。
  この格好は不味かったか……」

そう言うと、3人目は一瞬で黒い女に姿を変えた。
サティは魔力の流れを全く感じ取れなかったが、危機感は殆ど無かった。
それより、印象の最悪な人物が2人に増えたので、頭痛がする思いだった。

 「……あなたは誰ですか?」

その問い掛けには、3人目の代わりに黒い女が答える。

 「そいつはソーム・バッフーノ。
  人を茶化すのが趣味の、最低な奴さ」

 (どの口で言うんだろう……)

サティは言いたい事を堪えて、3人目の反応を待つ。

 「酷いなぁ……。
  改めて、名乗らせて貰おう。
  私は『泥<バフノ>』のソーム、夢の旅人」

恭しく礼をする様は、少なくとも本物の黒い女よりは、淑女的だった。
379創る名無しに見る名無し:2012/08/18(土) 20:28:08.61 ID:yCmmm6BT
黒い女は横槍を入れられたのが、相当気に入らなかったらしく、ソームに対して悪態を吐く。

 「何が夢の旅人だ!
  お前の出る幕じゃないんだよ、釜野郎。
  帰った帰った!」

 「どうして、そんな言い方しか出来ないのかな?
  昔の君は、もっと素直な良い子だったよ」

 「そう言う所が、縊り殺してやりたい位、大っ嫌い!!」

 「ほら、また出来もしない事を言って……。
  大体、君は大して強くない癖に、無駄に強がるから良くない。
  大叔母に屋敷を乗っ取られた時は、人間の勇者に泣き付いて、解決して貰っていたよな。
  そんな見っ度も無い事にならない様に、こうして私が仲裁――」

 「放っといてくれない?
  って言うか、泣き付いてないし!!
  あれは下僕を使って、義理知らずの鬼婆を叩き出したの!」

 「下僕?
  完全に同情されていたと思うんだけど……。
  後、義理知らずは血統じゃないかな?」

 「冗談じゃないわ!
  礼は失しても、義理まで忘れた覚えは無い」

 「忘れた覚えが無いって事は、忘れているんじゃないか……?
  フフフ」

ソームと黒い女は、サティを完全に無視して、2人で口論を始めてしまう。
やれやれと溜め息を吐いたサティは、安楽椅子に戻って腰掛け、独り思案を始めた。

 (この無秩序振りは、普通の夢かも知れないな……)

そして再び深い溜め息を吐いて、瞼を閉じたのである。
380創る名無しに見る名無し:2012/08/18(土) 20:35:48.67 ID:yCmmm6BT
……次に目を開けたとき、サティは現実に返っていた。
コーチ内の照明は、落ちていて真っ暗。
窓から差し込む秋の月明かりのみが、車内を薄く照らす。
懐中時計を確認すると、北の時を1針過ぎた頃。
真夜中だった。

 (それにしても変な夢だったな……)

覚醒すれば、眠っていた間の事は、全て夢。
夢は夢で、それ以上の感想は無い。
向かいの席のジラは、横になって毛布に包まり、眠っている。
サティは欠伸を噛み殺して、再び眠りに就いた。
381創る名無しに見る名無し:2012/08/19(日) 19:15:21.33 ID:j2YJYpmo
だが、夢はサティを解放しなかった。
彼女は白い部屋に戻って来て、口論の続きを聞く破目になったのである。
見たくない夢の続きだったが、サティは身を起こして、安楽椅子から立ち上がった。
この儘では眠れない。

 「――少なくとも、私は私の意思で行動している。
  お前の様に、正体も無く彷徨っている、『夢想家<ロータス・イーター>』とは違うのだ」

 「その意思の為に、何人――否、何百、何千、何万人が迷惑を被った?」

 「知った事じゃないよ!
  今更、この私に説教?
  お前と話していても、全く実りが無い!」

 「そう思うのだったら出て行ってくれ。
  主不在の空間を維持し続けるのは、大変なんだ」

 「……その主は帰って来た様だが?
  出て行くのは、お前の方だ」

ソームと黒い女――全く同じ容姿の人物が、同時にサティを見る。
彼女は臆す事無く、言って退けた。

 「私としては2人共、出て行って貰いたい所です。
  何度も尋ねますが、ここに何の用ですか?」

嫌々口を利くサティに、先に答えたのはソーム。

 「私は数多の世界を見守っている。
  『ここ』は、不完全な小世界――故に、脆い。
  君達が戦えば、ここに留まらず、他の世界にも良くない影響を及ぼすだろう。
  だから止めに入ったのだ」

同じ姿でも、口調と魔力の流れで判る。
その説明に一応納得して、サティは頷いた。
次に、黒い女を見る。
382創る名無しに見る名無し:2012/08/19(日) 19:18:53.26 ID:j2YJYpmo
ソームの反応を見て、黒い女も自己弁護を始める。

 「私だって初めは、戦う気なんて無かったよ。
  だが、殺すとまで脅されたら……ねェ?」

誰に同意を求めているのか、よく判らなかったので、サティは黒い女に再度改めて尋ねた。

 「あなたは何の目的で、ここに来たのですか?」

黒い女は返答に詰まったが、深呼吸をした後、開き直る。

 「……目的と言う程の目的は無いけど?
  偶々ここを見付けたからさ、面白い物が無いかな〜と思って」

どうやら重要な用件は無さそうだと悟ったサティは、大きな大きな溜め息を吐いた。

 「2人共、もう出て行って下さい」

 「それは……」

しかし、ソームと黒い女は、互いに顔を見合わせて、難色を示す。
2人共、出て行く意思はあるのだが、何か懸念がある様だと、サティは察した。
383創る名無しに見る名無し:2012/08/19(日) 19:20:41.42 ID:j2YJYpmo
ソームと黒い女は、暫し視線を送り合って、何かの遣り取りをしていた。
その後、ソームが残留の意思を表す。

 「私は未だ話がある」

 「そう、じゃあ私は帰るよ」

黒い女は、興を削がれた風に、投げ遣り気味に言うと、自らの影に足から沈んで行き、
水に潜る様に姿を消した。
それを確認して、サティはソームに向き直る。

 「話とは?」

 「この小さな世界に関する事だ」

サティはソームを信用していないが、話を聞くだけ聞こうと思った。
彼女は安楽椅子に身を預ける。

 「どうぞ、続けて」

どこにあったのだろうか、ソームは白い丸椅子に座って、語り始めた。

 「この世界は、君が創った物だ」

 「……と言う事は、これは夢?」

疑問に思うサティに、ソームは真顔で答える。

 「厳密には、夢とは違う。
  夢と現実の狭間にある世界だ」

これが夢なら、中々面白い方向に転がる夢だと、サティは感心した。
――夢じゃなかったら?
それはソームの話を聞き終わってから考える。
384創る名無しに見る名無し:2012/08/20(月) 19:08:13.67 ID:Bi0EWO9K
余裕を持って構えるサティに、ソームは質問を始めた。

 「時に、サティ・クゥワーヴァ……君は、この世界が出来てから、何か困った事は無いか?」

不意を突かれたと感じたサティは、声の調子を落として、不快感を露にする。

 「どうして私の名前を知っているのですか?
  名乗った覚えはありませんが……」

 「あー……それは――」

明らかに失言だった事が、ソームの反応からは読み取れる。

 「私は夢の旅人だから」

曖昧な答えに、サティは警戒を強めた。

 「……何でも知っていると言う訳ですか?」

 「『ある程度』だな。
  私は君の意識の一部を、感じられる。
  他の事――例えば、この世界の成り立ち等は知らないし、分からない」

信用して良い物か迷うサティに、ソームは改めて問い掛ける。

 「君は、この世界を創った――或いは、事故か何かで、この世界を生んでしまった。
  しかし、現状を見る限り君は、この世界で不自由している様だ。
  今一度尋ねよう。
  何か困った事は無いか?」

サティは答える前に、頭の中でソームの情報を整理した。
385創る名無しに見る名無し:2012/08/20(月) 19:09:46.90 ID:Bi0EWO9K
このソームと言う人物は、怪しい事は怪しいが、今の所はサティに危害を加えようとしたり、
挑発的な態度を取ったりはしていない。
敵対の意思は無いのだろうと予想出来る。
「人の意識が読める」、「夢の旅人」、「世界を見守っている」との発言を信じるならば、
夢の管理人の様な存在なのだろう。
「困った事は無いか?」と尋ねて来るのは、サティの本心を知っている証拠にもなる。
この場所が、夢と現実の狭間にある世界と言うのは……よく解らない。
夢なのか?
現実なのか?
その中間とは――明晰夢の様な物?
……と、長考するサティに、ソームは自ら提案する。

 「もし、この世界が不要な物だと思っているなら、完全に消してしまった方が、君の為にもなると思う。
  先も言ったが、この世界は不完全で、不安定だ。
  それが夢と現実の狭間にある所為で、この世界で何か起これば、現実に悪影響が出るのでは……と、
  私は懸念している。
  主の君が不在の間、この世界は酷く揺らぐ。
  揺らぐのだが……消滅するまでには至らない。
  これが良くないのだ。
  消えるなら消える、留まるなら留まるで、定まっていれば良いが、確りしていないと今回の様に、
  招かれざる客が居座る」

サティはソームの話を、完全には理解出来なかったが、取り敢えず嫌味だけは返した。

 「あなたや、あの女の様な?」

 「そうだ。
  誰が悪意を持って、何をするか分からない」

それを真面に返されてしまったので、罪悪感と言う程では無いが、サティは申し訳無い気持ちになる。
386創る名無しに見る名無し:2012/08/20(月) 19:11:19.68 ID:Bi0EWO9K
サティはソームを信用する事にした。

 「では、お願いします。
  ここでは何もする事が無くて、困っていたのです。
  悪用されるのなら、潰して下さい」

 「確と承った。
  作業が終わるまで、暫く起きていなさい」

ソームは快諾し、両手の平を叩き合わせて、パンと大きな音を出す。
それが合図だったのか、サティは再びコーチの中で目を覚ました。
今まで眠っていたとは思えない程、意識が鮮明で、目も冴えている。
懐中時計を確認すると、1角弱の時間が経過していた。
……夜明けには未だ遠い。

 (本当に変な夢だったな……)

第一に、そう思ったサティだったが、夢の内容が内容だったので、三度寝する気にはなれなかった。
普段の彼女なら、高が夢と切って捨てるのだが……。

 (暫くって、何時まで起きていれば良いんだろう……)

サティは窓の外の明るい月を眺めつつ、覚醒の魔法を唱えた。
387創る名無しに見る名無し:2012/08/20(月) 19:13:10.88 ID:Bi0EWO9K
翌朝――。

 「サティ、顔色が優れないけど……夜行コーチは寝辛かった?
  偶に居るんだ、そう言う人。
  結構、揺れていたからねー」

 「そう言う訳では無いのですが……」

サティは寝不足になった。
388創る名無しに見る名無し:2012/08/21(火) 19:12:54.60 ID:IfB/dqN1
馬術


唯一大陸での主な陸上移動手段は、徒歩か乗馬、或いは馬車である。
その為に、大人は馬車の運転免許か、乗馬の免許を持っているのが普通。
乗馬免許が取得可能な年齢は15歳以上(馬車運転免許は20歳以上)。
無免許者は、公道で馬に乗ってはならない。
公学校で馬術の授業が行われる事もあり、馬に乗れない者は、半人前扱いされる。
乗馬系の免許は全地方で共通しており、どこで取得しても、全ての地方で馬に乗れる、
非常に便利な物だが、同時に事故も多い。
その原因は、馬種の違いにある。
一部地方農家を除いて、馬を飼っている家は殆ど無い。
故に、馬車貸し、馬貸しと言った事業が成り立つ訳だが、余所の地方から来た旅行者、
特に馬の扱いが上手いと自負している者に限って、馬の扱いを間違える事が多い。
以下に、各地方の馬の性質の違いを記す。
389創る名無しに見る名無し:2012/08/21(火) 19:16:27.84 ID:IfB/dqN1
・グラマー地方
土地柄、乾燥に強い馬が多い。
ラマが乗馬として扱われる事もある(瘤のあるラクダは存在せず、全てラマとして扱われる)。


カクタスイーター

砂漠地帯に広く分布する、毛の長い馬の一種。
集団で長距離を移動し、生肉以外は何でも食べる。
名前はサボテンを食す事から。
蹄が小さい代わりに、足の裏は扁平で広く、砂地を歩くのに適している。
耳は小さく、体毛に埋もれる程。
その体毛は、体の上部と下部で、色が異なる。
日に当たる上部は黒っぽく、日が当たらない下部は白っぽい。
普通の馬に比べると、首と脚部が長いが、走行時の最高速度は劣る。
外見は馬と言うより、ラマに近い。
移動時は、長い首を真っ直ぐ前方に突き出し、槍の様に歩く。
その他の特徴として、汗を殆ど掻かず、水分の少ない乾いた糞をする。
特殊な性質の為に、異種交配が非常に難しい。
性格はマイペースで、人の命令を余り聞かない。
固い地面を走るのは苦手。


バレンランナー

主に荒地で暮らす、グラマー地方では最も一般的な馬。
丈夫で強く、体格も立派で、荒地も街路も苦無く走る。
カクタスイーター程では無いが、貪欲な上に悪食で、草の根まで掘り返して食べる。
こちらも集団で長距離を移動する。
闘争心が強く、競走馬としても優秀だが、気性が荒過ぎる欠点を持つ。
他の馬に抜かれると、所構わず抜き返そうとするし、並走する相手には、体当たりを噛まそうとする。
『目隠し<ブリンカー>』をさせても、他の馬の足音で興奮して暴走する。
故に、街中では事故が多く、騎乗者の能力が問われる馬でもある。
ブリンガー地方から大人しい馬が入るまでは、暴走を抑える為に、態と積荷を重くしていた。


ウィールドデアー

こちらは森に棲む小型の馬。
低木の葉や、雑草を食べる。
普通の馬より一回り小さく、それなりに能力も劣る。
余り大きな人や物は、乗せられない。
障害物を避けたり、小路を走ったりするのが得意。
性格は大人しく、臆病で神経質。
390創る名無しに見る名無し:2012/08/21(火) 19:18:30.35 ID:IfB/dqN1
・ブリンガー地方
豊かな大地で育った馬は、健康で力強い。
馬は人々の生活の一部で、個人で馬を所有する者も多い。
中には、牛や豚に乗って移動する者も見られる(一応、乗馬免許で乗れる)。


シュヴァラピード

細身の駿馬。
脚が長く、飛ぶ様に走る。
重い荷物を運ぶ事は出来ないが、人の体重程度の荷物を乗せて走る分には、問題無い。
数ある馬種の中で、最も速いと言われる。
但し、草原を走るのは得意だが、荒地や街路を走るのは不得意。
環境の変化によって、体調が崩れ易く、病気に弱いと言うより、脆い部分を持つ。
人の命令を聞くが、繊細な面もあり、手懐けるのが難しい事でも知られる。
高級飼馬。


コーサモンターニ

高地に棲息する種類の馬。
体格が良く、耐久力と持久力に優れ、斜面も平気で登るが、競走馬としては今一つ。
どちらかと言うと、ロード・レース向き。
悪路に強く、主に車を牽く馬として活躍する。
性格は大人しく慎重だが、意外に大胆な所がある。
また農作業に使われる馬としても知られるが、後述のグランミュールの方が有名。


グランミュール

ラバに近い馬。
馬にしては余り速く走れないが、その分、重労働で活躍する。
粗食に耐え、怪我や病気に強く、牛並みの体格を持つ。
普通の馬に比べて、やや耳が長く、脚が短い……と言っても体格の割に短い程度なのだが、
脚が太い所為で余計に短く見える。
温厚で従順な性格である事から、完全に重労働係としてしか扱われない。
農作業用の家畜としては、非常に優秀。
しかし、系統としてはラバに近い部分を持つので、異種交配が難しい。
391創る名無しに見る名無し:2012/08/22(水) 20:16:09.44 ID:1H+UYvFe
・エグゼラ地方
寒さに強い馬が1種棲息するのみ。
だが、エグゼラ地方には、馬を育てる習慣が無い。
車(橇)を牽く動物としては、大鹿や大山羊、大型犬の方が有名。


ホーゼ

夏は北、冬は南へと、寒冷地を移動する、巨躯の馬。
大陸最大種。
雪に埋もれない様に、蹄が前方に大きく張り出しており、足の裏も広い。
長毛で、脚部は毛皮のズボンを穿いている様に見える事から、ベルボトムとも呼ばれる。
鬣が特に長く、耳を覆う程で、首を下げると目も隠れる。
鈍重そうな見た目に似わず、かなり活動的で、雪山を駆け上ったり、氷の上を滑って移動したり、
冷たい川に飛び込んだりする姿が確認されている。
毛皮には多量の脂が含まれており、非常に臭い。
性格は寒暖で極端に変わり、暖かい時は元気だが、寒い時は大人しくなる。
余り人には懐かない性質。
暑さに弱い。
392創る名無しに見る名無し:2012/08/22(水) 20:16:58.41 ID:1H+UYvFe
・ティナー地方
本来、ティナー地方は痩せた土地で、馬は棲息していない。
代わりに、ロバが飼われていた。
現在ティナー地方で見掛ける馬は、全て外来種。
393創る名無しに見る名無し:2012/08/22(水) 20:17:35.35 ID:1H+UYvFe
・ボルガ地方
山岳地帯が多く、それに適応した、中型から小型の馬が数種ある。
人と馬との付き合いも古い。


エスカープクライマー

小柄で跳躍力に長けた馬。
高地を移動して暮らす。
高い所が好きで、高台を見掛けると、頻繁に昇り降りを繰り返す。
降りより登りが得意で、少し目を離した隙に、崖の天辺に登っている事から、一部の地域では、
空を飛ぶと信じられていた。
やや脚が短い為、遠目には角の無い山羊の様にも見える。
別名、『山羊馬<ゴートホース>』、翔馬。
残念ながら、人間の大人を乗せられる程の力は無い。
活発で、好奇心が旺盛。
水溜まりを踏めない。


トルーパーポニー

高地から平地で暮らす、中型の馬。
どんな道でも、それなりに走る。
体が丈夫で、環境の変化にも強い。
ボルガ地方で「馬」と言えば、大抵これを指す。
現在でも、ボルガ地方の農家で、普通に見られる。
目立った欠点が無く、性格にも難が無い事から、非常に扱い易く、交配種としても人気がある。
394創る名無しに見る名無し:2012/08/22(水) 20:21:30.59 ID:1H+UYvFe
・カターナ地方
馬を飼うのは内陸部のみで、海岸沿いの地域では余り見られない。
時間を気にしない地方性が故か、馬に速さが求められる事は無く、その所為かは分からないが、
他地方と比較して明らかに馬の足が遅い。


パレードヒーロー

鬣と尻尾が非常に長い馬。
具体的には、鬣は鼻頭の辺りまで伸び、尾は地面に付くか付かないか程度。
横から見た姿は、鶏の様だと言われる。
パレードヒーロー同士では、鬣と尾がバランス良く長い程、魅力的と言う認識がある。
体格は中程度で、農作業には使われない。
完全に乗用の馬だが、余り重い荷物は運べず、足も速くない。
中々言う事を聞かない性格で、気難しい所がある物の、寂しがりで、人懐っこい。
競争馬には全く適さないと思いきや、群から離れる事を嫌う為、追い足が速いと言う長所を持つ。


ヘビーホーリンガー

足が非常に太く、馬力がある、中型の馬。
体高が低く、首が短い為、見た目は非常に、ずんぐりしている。
基本的に重労働用だが、人を乗せる事も出来る。
しかし、足は遅い。
地面を踏み締める様な、力強い歩き方が特徴。
性格は温厚だが、鈍感で反応が遅く、頭が悪そうな印象を受ける。
カターナ地方の一部地域では、綱で結んだホーリンガーを、逆向きに引っ張らせ合う、
馬綱引きと言う行事がある。
395創る名無しに見る名無し:2012/08/23(木) 19:31:10.54 ID:l4jG84fd
・交配種
各馬を交配して生まれた馬。
現在、各都市の街を走る馬は、大抵が交配によって生まれた種。


ハイウェイランナー

バレンランナーとシュヴァラピードの合いの子。
バレンランナーの屈強さと、シュヴァラピードの快速を併せ持つ。
バレンランナーの血は、シュヴァラピードの欠点を殆ど補い、乗用馬としても競走馬としても優秀だが、
性格だけは更に難しくなっている。


レールランナー

バレンランナーとコーサモンターニの合いの子。
名前の通り、コーチを牽いて、鉄道上を走る馬。
バレンランナーの闘争心は抑えられているが、物怖じしない性格は変わらず、不測の事態にも、
隊列を乱さず走れる。
長距離走馬としても知られる。


ノニシヴィス

トルーパーポニーとパレードヒーローの合いの子。
足は然程速くないが、気が優しく、見知らぬ人にも馴れる。
その為、馬貸し業で、最も人気がある。
個人で借りるのに、最も適した馬で、よく街中で見掛ける。
やや鬣と尻尾が長い以外に、見た目で判るパレードヒーローらしさは無いが、高温多湿に強い所は、
パレードヒーローの性質である。


ノーブル

シュヴァラピードとトルーパーポニーの合いの子。
シュヴァラピードの性格面での難点は、御し易く改善されているが、やや繊細さが残る。
これも街中で普通に見られるが、ノニシヴィスに比べると、借り賃が高い。
シュヴァラピードの子らしく、草原を走るのが好きで、街路を走るのは得意でも苦手でも無いが、
ノーブルの最大の長所は、シュヴァラピードの美しい容姿を引き継いでいる所。
396創る名無しに見る名無し:2012/08/23(木) 19:37:42.13 ID:l4jG84fd
セントリオット

バレンランナーとホーゼの合いの子。
バレンランナーの荒々しさと、ホーゼの体格を併せ持つ、最強の戦闘馬。
暑さに弱い所も、確り克服している。
しかし、非常に扱い難く、しかも軍馬としての性質は、レールランナーの方が上……。
単騎で暴れ回る戦い方に向いているが、平穏以降は無用の長物と化し、少数しか飼育されていない。


カンパニエ

コーサモンターニとトルーパーポニーの合いの子。
体格と馬力はコーサモンターニより劣るが、持久力は増している。
長旅の友として、また、行商や輸送業に重宝する。
旅行者の馬と言えば、この種。


ロードランナー

バレンランナーとトルーパーポニーの合いの子。
バレンランナーの強い気性は、見事に抑えられている。
抜群の走破力で、道を選ばず、どこでも走れるのが魅力。
強いて欠点を挙げるとすれば、街中を走るには体格が大き目なので、小回りが利かない所。
それでもコーサモンターニと同程度の体格。
両者は、コーサモンターニが長距離向きで、ロードランナーが中距離向きと言う違いがある。


アリーウォーカー

ウィールドデアーとトルーパーポニーの合いの子。
小柄で小回りが利き、狭い路地も楽々駆け抜ける。
トルーパーポニーの性質が混ざって、ウィールドデアーの臆病さは、幾分緩和されている。
ウィールドデアーに比べれば大型なので、余程太っていなければ、大人でも普通に乗れる。
余り馬力が無いので、重い車は牽かせられない。
397創る名無しに見る名無し:2012/08/23(木) 19:47:58.53 ID:l4jG84fd
ホープドラフト

ウィールドデアーとシュヴァラピードの合いの子。
別名、『旋風<ワールウィンド>』と呼ばれる程に素敏捷く、地上を自在に駆け回る。
完全に乗用だが、1体を超える重さの物は乗せられない。
非常に神経質で、管理が難しい。
ウィールドデアーの血を色濃く継ぎ、障害物の多い所で活躍する。


プロンプトジャンパー

ウィールドデアーとエスカープクライマーの合いの子。
標準的な体重であっても、大人は乗せられない。
小柄な大人なら、何とか乗せられる程度。
凄まじい跳躍力と敏捷性で、『稲妻<ライトニング>』と称される。
助走ありで3身の高さを飛び越える跳躍は、他馬を突き放して圧倒的。
ホープドラフトが美しい円軌道で旋回するのに対し、この種は鋭角に方向転換する。
逃げ足が速い。


シュニープフェアト

ホーゼとトルーパーポニーの合いの子。
ホーゼに比べて、体格も馬力も劣るが、人に馴れ易い。
寒さに強く、余り雪の深くない寒冷地で、乗用馬として活躍する。
雪道に慣れており、氷の上でも転ばない。


プフリューゲン

ホーゼとグランミュールの合いの子。
ホーゼの力強さと、グランミュールの従順さを併せ持つ。
シュニープフェアトと同じく、寒さに強く、寒冷地で農耕馬、或いは除雪馬として活躍する。
多少雪が深くても問題にしない、強靭な脚が特長。
交配が難しい物を掛け合わせたのは、相応の需要があっての事。
だが、車を牽かせるには、やや足が遅い為、その役目は大鹿や大型犬に譲られる。


ロイヤル

シュヴァラピードとパレードヒーローの合いの子。
毛並みと体躯の美しさから、最高級の乗用馬とされる。
見た目の為に、シュヴァラピードの駿足は抑えられたが、散歩好きな性質に名残が見える。
競走馬としては、最高速度と加速性能を犠牲にしてるが、追走時の粘り強さに定評がある。
しつこく食い下がる走りで、順位のキープが得意な一方で、追い抜きは苦手。
逃げる時より、追う時の方が、断然早い。
その長所を活かして、追い馬として使われる事もある。
398創る名無しに見る名無し:2012/08/24(金) 19:03:55.81 ID:XvGCQH4J
馬術の授業


第四魔法魔法都市ティナー ティナー北東魔法学校 馬術訓練場にて


魔法学校に於ける馬術の授業は、選択式である。
公学校で馬術の授業があるとは言え、それは「一応経験しておく」程度の物で、
乗馬に慣れた者は少ない。
馬術の訓練で使われる馬は、コーサモンターニとトルーパーポニーの合いの子、カンパニエで、
人の命令を聞く様に訓練されている。
これは周辺の馬貸し業者からの、借り物である。
魔法学校は魔導師会に属し、一定の権威を持っているとは言え、流石に霊獣の馬を借りられる程、
金を余らせていない。
実は、魔法都市を始めとした、大都市で暮らす分には、馬術は全く必要無い。
自身が馬を扱えずとも、辻馬車や公衆馬車、馬車鉄道と言った、公共交通機関が発達している為だ。
故に、最初こそ馬術の授業を面白がって、物見に来る学生は多いが、継続して参加する者は少ない。
ティナー市の周辺で囁かれる、「馬に乗るのは田舎者」と言う偏見も、馬術を続ける学生が少ない、
原因の一である。
399創る名無しに見る名無し:2012/08/24(金) 19:06:32.01 ID:XvGCQH4J
ティナー市にある魔法学校の学生は、殆どが都市部出身なので、馬の違いを知っている者が少ない。
乗馬の授業では、最初に『軽馬<ライト・ホース>』、『重馬<ヘビー・ホース>』、『小馬<ポニー>』の違いから学び、
知識だけではあるが、各々の扱い方を覚える。
コーサモンターニは軽馬と重馬の、トルーパーポニーは小馬と軽馬の中間的な性質を持つ。
合いの子であるカンパニエの性質は、軽馬寄りとなる。
軽馬は走る為に生まれた馬。
人を乗せて走る馬だ。
長い脚で、軽やかに走る。
体格は中型から大型。
カンパニエは、やや大柄な体型ながら、落ち着いた性格で、よく訓練された物は、
乗る人間を気遣う事が出来る。
だが、馬に慣れていない者が、背の高いカンパニエに乗るのは大変だ。
一般に乗馬初心者は、やや背の低いトルーパーポニーか、ノニシヴィスの方が、
相応しいと言われる。
背の高い馬は、揺れが激しく、バランスを取るのが大変で、初心者は先ず落馬する。
魔法学校に通う学生は、基本的にエリート意識が高く、失敗したがらない。
魔法学校が、やや大柄なカンパニエを乗馬訓練に使うのは、実用性を重視した結果だが、
それが却って、学生を遠ざけていると解っているかは、不明である。
400創る名無しに見る名無し:2012/08/24(金) 19:10:24.42 ID:XvGCQH4J
魔法学校中級課程に通う学生、ワーロック・アイスロンは、この年入学し立ての1回生。
彼は同回生達と一緒に、馬術の授業を見学する為、馬術訓練場に来ていた。
馬術訓練場は、校舎裏手にある、高さ2歩の柵に囲まれた、1区平方の広大な芝地。
新入生の見学者に気付いた馬術の教師は、良い所を見せようと、先輩学生を呼び集めると、
一緒に速度を上げて馬を走らせる。
人から見れば、十分に巨体のカンパニエが、地響きを上げながら、隊列を乱さず走る姿に、
新入生達は圧倒された。
訓練場を3周程した後、乗馬の教師は速度を落として隊列から離れ、新入生達の目の前――
柵を隔てた直ぐ側で、馬を止める。

 「ようこそ新入生諸君、我が馬術教室へ!」

声高らかに挨拶した女性教師に、新入生一同は揃って、「変な人だ」と言う感想を抱いた。
八角八芒星の『花相<ピオニー>』章を配った、特徴的なローブは、間違い無く魔導師の物だが……。

 「私はエスリン・メドウ。
  勘の良い君達は既に察していると思うが、この学校の馬術教師だ」

通りの良い、凛とした声は、周囲の空気を張り詰めさせ、新入生は緊張する。

 「馬術は見た目程、優雅な物では無い。
  半可な気持ちでいると、痛い目を見るぞ。
  それでも試してみたいと思う、度胸のある者は居るか?」

そう言うと、エスリンは馬から下りて、新入生の前に連れて来た。
401創る名無しに見る名無し:2012/08/25(土) 19:26:33.19 ID:sttlPBBh
エスリンのカンパニエは鼻息荒く、新入生を睨んでいる。
素人目には、何時暴れ出しても可笑しくない馬の様子に、公学校上がりの学生は怖気付いていた。
カンパニエに乗るのは、相応の勇気が要る。
公学校の授業で、大人しそうなトルーパーポニーに乗ったのとは、訳が違うのだ。
中々進み出る者が居ないので、エスリンは適当に新入生を見回した。
そこで偶々ワーロックと目が合った。
「しまった」と思いつつも、彼は目を逸らせない。

 「よし、お前!
  名前は何と言う?」

 「……ワーロック・アイスロン」

 「声が小さい!」

 「ワーロック・アイスロンです!」

ワーロックは似た様な経験を、何度もしていた。
弄られ易い性質で、こう言う時には決まって目を付けられるのだ。

 「乗ってみるか?」

 「……はい」

しかし、ワーロックは逃げなかった。
彼は馬術の授業が、どの様な物か見学に来たのだ。
ここで辞退しては、何の為に来たのか分からない。
402創る名無しに見る名無し:2012/08/25(土) 19:28:13.12 ID:sttlPBBh
エスリンはワーロックに、柵を潜って訓練場内に入る様に言うと、行き成りカンパニエに乗れと言った。

 「え、良いんですか?」

 「良いから乗れ」

 「その、何か準備とか……」

ワーロックが躊躇った理由は、乗馬用具を一切持っていなかった為である。
だが、エスリンは問題にしなかった。

 「馬に乗るだけで、何が要ると言うのだ。
  愚図愚図するな」

馬の手綱はエスリンが握っている。
抗弁を諦めたワーロックは、カンパニエの側面に回り、その肩と腰に手を掛けた。
ワーロックの乗馬の経験は、公学校の授業でトルーパーポニーに乗った事がある程度。
ワーロックは地面から跳躍して、何とか馬上の鞍に飛び乗ろうとしたのだが……カンパニエの鞍は、
彼の身長より、数節高い位置にある。
これに乗るのは容易では無い。
403創る名無しに見る名無し:2012/08/25(土) 19:28:53.15 ID:sttlPBBh
ワーロックの苦労も知らず、エスリンのカンパニエは、首を下げて草を食み始める。
何度も跳ねるワーロックの姿を見兼ねたエスリンは、呆れ半分で口を出した。

 「お嬢さんじゃあるまいし、行儀が良過ぎるんだよ。
  何を遠慮している?
  この馬は少々の事では動じないから、思い切って寄り掛かれ」

ワーロックは言われた通り、必死に馬の背に登ろうとしたが、それでも体を乗せられない。

 「……無理です」

彼が音を上げると、周囲の同回生は失笑を漏らした。
エスリンは溜め息を吐いて、ワーロックを下がらせる。

 「仕方無いな。
  手本を見せてやる」

そして、スウィング・アップの動作で鐙に足を掛け、軽々と馬の背に乗った。
エスリンは直ぐに飛び降りると、ワーロックに問う。

 「もう一度やって見せようか?」

 「……お願いします」

 「利き足は右か、左か?」

 「右です」

ワーロックの答えを聞くと、エスリンは解説を始める。

 「では、右足で跨ぐ方が楽だろう。
  先ず、馬の左前足の辺りに、馬とは逆向きに立つ」

 「はい」

 「左手を上げて、鞍角を確り掴む」

 「はい」

 「踏み台に上る気持ちで、鐙に左足を掛ける」

 「はい」

 「勢いを保った儘、右手を鞍角へ。
  体が自然に回るから、右足を高く上げながら、鐙に掛けた左足を捻り、腰に回転を伝えて跨ぐ。
  一連の動作は、流れる様に」

 「……はい」

馬に乗るエスリンの動きを、ワーロックは注視していたが、上手く出来る自信は無かった。
404創る名無しに見る名無し:2012/08/26(日) 21:06:55.37 ID:hAIqpxvA
ワーロックは見様見真似でスウィング・アップを試したが、2度続けて失敗した。
堪らずエスリンは注意する。

 「片側の鐙に体重が集中するのは、本来は好ましくない。
  何度も失敗すると、馬が嫌がって乗せてくれなくなるぞ」

 「す、済みません……」

彼は3度目にして、何とかカンパニエの背に乗った。

 「良し、気分は如何かな?」

それを見届けたエスリンは、感想を求める。

 「……高いです」

ワーロックはカンパニエの高さに、軽い恐怖を覚えていた。
地面が嫌に遠く感じられる。

 「鞍角を放すなよ。
  上半身だけでバランスを取ろうと思うと、落馬する。
  意識を下半身に持って行け。
  鞍を内腿で軽く挟む様にすれば良い。
  だが、視線は前だ。
  下を向くな」

公学校時代、ワーロックはトルーパーポニーに乗った事があるので、その位は知っていたが、
カンパニエも同様に乗り熟せるとは思っていなかった。
不安を隠せない彼を無視して、エスリンは馬の手綱を引き、歩き始める。
405創る名無しに見る名無し:2012/08/26(日) 21:08:50.52 ID:hAIqpxvA
ワーロックは馬の歩調が掴めず、上下に揺られて、バランスを取るのに苦労した。

 「力み過ぎだ。
  もっと落ち着いていろ。
  私が手綱を持っていなければ、疾うに暴走しているぞ」

 (そ、そんな事、言われたって……)

エスリンの助言に、口答えする余裕も無い。
だが、それなりに適応能力は高いワーロックは、次第に馬の揺れに慣れて行った。
自然にバランスが取れる様になった頃に、エスリンは馬を止める。

 「さ、そろそろ降りてくれ」

 「はい……」

ワーロックは反射的に返事をした物の、どうやって降りれば良いか、分からない。

 「えー……と、どうすれば良いんでしょうか?」

 「普通に降りれば良い」

エスリンに言われたワーロックは、乗る時とは逆の手順で降り様としたが、高さを見誤って、
不格好に芝の上に尻餅を搗いた。
エスリンは無反応だったが、それが逆に恥ずかしくて、ワーロックは素早く立ち上がる。

 「戻って良いぞ」

そう言われた彼は、早足で柵の外に出た。
406創る名無しに見る名無し:2012/08/26(日) 21:10:37.45 ID:hAIqpxvA
エスリンは再び、新入生の元にカンパニエを連れて行き、尋ねる。

 「次、誰か!
  我こそはと言う者は居ないか?」

しかし、大半の新入生は、ワーロックの無様な姿を目の当たりにして、二の舞になる事を恐れ、
去ってしまっていた。
後に残ったのは、馬に興味がある者と、馬に慣れたい者と、失敗を恐れない者。
ワーロックは乗馬の免許を取ろうと思っているので、馬に慣れたい者の部類に入る。

 (悪い事したかな……)

自分が梃子摺っている間に、見学者が一気に少なくなっていたので、ワーロックは責任を感じた。
そして何をするでも無く、柵に寄り掛かって、後から馬に乗る同回生を眺めていた。
407創る名無しに見る名無し:2012/08/27(月) 18:56:37.88 ID:ufEQWlIo
ワーロックの次に、馬に乗ろうとした男子学生は、エスリンに要求する。

 「エスリン先生、踏み台を用意して貰えませんか?」

 「厩舎に置いてある。
  使いたければ、持って来るが良い」

 (踏み台あったのか……)

要らぬ恥を掻いたと、ワーロックは俯いた。
よく考えれば、全員が全員、乗馬が得意とは限らないので、踏み台があるのは当然だ。

 「馬と長く付き合う積もりなら、飛び乗りが出来るに越した事は無いがな。
  私が教えるからには、取り敢えず全員、飛び乗り位はマスターして貰う」

エスリンは厳しい口調で言ったが、ワーロックの耳には入らなかった。
踏み台が用意されたので、ワーロックの様に乗る段階で苦労する者は出ず、中には踏み台無しで、
軽々と飛び乗りに成功する者まで現れて、ワーロックは立場が無くなる。
数名は馬上でバランスが取れず落馬したので、取り分け彼が下手だった訳では無いのだが……。
そう言った者を蔑むよりも、ワーロックは踏み台を要求した同回生を尊敬した。
408創る名無しに見る名無し:2012/08/27(月) 18:57:55.92 ID:ufEQWlIo
踏み台を要求する事は、一見何でも無い事の様に思えるが、とても重要な事なのだ。
飛び乗りが出来る出来ない、どちらにしても立派な行動である。
本来なら飛び乗りに自信の無いワーロックが、踏み台の有無を尋ねるべきだった。
見栄を張って、言われるが儘に、飛び乗りを試した事が、彼の失点なのである。
踏み台を用意する事により、後続の者が馬に乗る難度は、ぐっと下がる。
一時の恥が全員の為になるのだ。
……普通、そこまで物事を深く考える者は居ないだろう。
しかし、ワーロックは細かい事を、大袈裟に気にする性分だった。
そして自分の未熟振りを、恥じたのである。
409創る名無しに見る名無し:2012/08/27(月) 18:59:11.81 ID:ufEQWlIo
エスリン・メドウ


ティナー北東魔法学校の女性教師。
馬術の他に、魔法生態影響学も教えている。
魔法生態学では、丁寧な授業を淡々と行うが、馬術の授業では人が変わった様に、
厳しい指導振りを発揮する事から、陰で『鬼軍曹<ドリル・サージェント>』と渾名される。
実家はティナー地方南西部のヨユーク市で、両親は牧場を経営しており、幼少の頃から、
馬には慣れている。
現在は結婚して教職を辞し、魔導師会からも距離を置いて、実家で静かに暮らしている。
410創る名無しに見る名無し:2012/08/28(火) 18:34:30.47 ID:nX7M+1Lj
時空を越えて


第一魔法都市グラマー 禁断共通魔法研究特区 象牙の塔D棟リャド研究室にて


象牙の塔D棟唯一の研究室は、リャド・クライグの物。
D棟全体が、彼1人の為にあると言っても、過言では無い。
リャドは元教え子のウィルクとベルータと共に、時間と空間を操る魔法を研究している。
最近の関心は、未来からの訪問者イクシフィグにある。
リャドはイクシフィグの登場に関して、ある仮説を立てていた。

 (魔法暦1000年では、魔法の存在が知られていない。
  これはアルヒャーが復活し、魔導師会の役目が完全に終わった為だろう。
  『正しい』未来では、シーヒャントはアルヒャーに取って代わられている筈だ。
  しかし、もし彼にシーヒャントの性質が見られたならば……?
  魔法を知らない『イクシフィグ・ヴァルパド・コロンダ』は、『甦った人類<アルヒャー・アントロポス>』。
  だが、『彼』が『現人類<シーヒャントロポス>』ならば、そこから得られる結論は――)

リャドは新たな真実を掴もうとしていた。
411創る名無しに見る名無し:2012/08/28(火) 18:37:54.60 ID:nX7M+1Lj
時空を越える事は、共通魔法使いにとって、重要な意味を持つ。
『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』の再喚を防ぎ、人類に恒久の安寧を齎す為には、
絶対に必要な技術なのだ。
共通魔法使いは怯えていた。
――それは何に対して?
失われた魔法使い達の復讐?
否、共通魔法使いが真に恐れたのは、彼方からの『再侵攻』である。
412創る名無しに見る名無し:2012/08/28(火) 18:40:11.68 ID:nX7M+1Lj
禁断の地に眠っている物は、この世ならざる恐怖。
遥か古は、神に選ばれし者が、人を支配する時代であった。
しかし、神に選ばれし者は必ずしも、人々にとって良い選択をするとは限らなかった。
神に選ばれし者の支配に抗う為、人は新たな神々を呼び、神に選ばれし者と対峙した。
だが、それは新たな支配者を招いただけだった。
新たな神々に選ばれし者は、旧来の神に選ばれし者より、人格的に優れているとは言えなかった。
彼等は大きな理由も無く、略奪や殺戮を行い、人々の秩序と平穏を乱しに掛かった。
後の、『旧き征服者達<オールド・コンクエラーズ>』と呼ばれる存在である。
世界は旧神と新神の勢力に、二分された。
混沌に沈み行く世界に失望した人々は、神の手を借りない事に決めた。
人の手で人を殺し、人の手で人を生かし、人の手で神を葬る事を決めたのである。
共通魔法とは、その為の力。
413創る名無しに見る名無し:2012/08/29(水) 19:11:28.40 ID:z/mq+ODH
ラビゾーとコバルタの愉快な冒険


第四魔法都市ティナー繁華街にて


人で溢れ返る、大陸最大の都市ティナー。
各地から様々な人が集まり、そして去って行く。
擦れ違う人の顔を確かめる事も無い、この大都会で、旅商の男ラビゾーは、奇妙な再会を経験する。
414創る名無しに見る名無し:2012/08/29(水) 19:14:17.54 ID:z/mq+ODH
ラビゾーが偶々所用で繁華街を通り掛った時の事。
彼は人込みの中から発せられる、甲高い女の声を聞いた。

 「旦那っ!!」

それが自分に向けられた物だとは思わず、ラビゾーは歩を緩める事もしないで、完全に鹿十した。

 「旦那、待って下さい!」

所が、女の声はラビゾーを追う様に、近付いて来る。
とうとう彼は肩を掴まれて、強引に振り向かされた。

 「旦那、無視しないで下さいよ!
  聞こえてたでしょう?!」

そこに立っていたのは、目を見張る様な、金髪の美少女。
ラビゾーより小柄な彼女は、何故か男物の服を着崩している。

 (誰だ!?)

全く見覚えの無い人物だったので、ラビゾーは驚いた。

 「し、知りません!
  人違いじゃないですか!?」

咄嗟に、拒絶の言葉が口を衝いて出る。
ラビゾーは少女を、都会でよくあると言われる、美人局の類だと思ったのだ。
実際に美人局の被害に遭った事は無かった彼だが、そうとしか考えられなかった。
415創る名無しに見る名無し:2012/08/29(水) 19:20:22.13 ID:z/mq+ODH
少女は逃げようとするラビゾーの腕を、慌てて引っ張る。

 「お、俺ッス!!
  コバルトゥス・ギーダフィ!
  旦那が判らないのも、当然ッスけど……」

 「……コバルトゥス?」

ラビゾーは足を止め、少女の顔をよく観察した。
彼の知っているコバルトゥス・ギーダフィは、歴とした男である。
流浪の冒険者気取りで、女好きな、美形の優男だが、女では無い。
彼と目の前の彼女は、顔付きも背格好も全く違う。
面影すら見られない。

 「……何?
  親戚とか姉妹とか?」

 「違いますって!
  本人ッスよ!!
  話せば長くなるんスけど、先ずは聞いて下さい」

自称コバルトゥス・ギーダフィは、現状に至った経緯を語り始める。
416創る名無しに見る名無し:2012/08/29(水) 19:23:56.80 ID:z/mq+ODH
彼女の言い分を簡単に纏めると、以下の通りだ。
コバルトゥスはティナー市の街角で、怪しい魔法使いに出会った。
怪しい魔法使いは、「お前の最も大切な物と引き換えに、お前の願いを叶えてやろう」と言った。
コバルトゥスは叶えられる物なら叶えて見せろと、絶世の美女を要求した。
その結果、コバルトゥスは美少女になり、魔法使いは姿を消してしまった。
417創る名無しに見る名無し:2012/08/29(水) 19:26:35.89 ID:z/mq+ODH
……少女の話を聞いたラビゾーは、冷めた目で彼女を見下した。
少女は上目遣いで、瞳を潤ませる。

 「し、信じて貰えないッスか……?
  本当に付いてないんスよ!」

 「いや、信じてないんじゃなくてさ……少しは考えて行動しろよ」

ラビゾーが呆れて溜め息を吐くと、少女は必死に反論する。

 「だって、こんな事になるなんて、予想出来ないッスよ!」

喜怒哀楽を隠さない少女は、とても可愛らしい。
だが、ラビゾーの心は微動だにしなかった。
その正体が、いけ好かないコバルトゥスだと知っているからである。

 「……その魔法使いって、どんな奴だった?」

 「そんなの良いから、元に戻す方法、知らないッスか?」

即物的で、直ぐに成果を欲しがる彼の性質は、全く変わっていない。

 「それを探す為に、聞いてるんだよ。
  十中八九、外道魔法使いの仕業だろうから、知り合いに当たれば、何とかしてくれるかも知れない。
  案外、僕の知ってる人かも知れないし」

 「うっわー!!
  流石は旦那っ、頼もしい!
  俺が女だったら惚れてるッス!」

 「……女じゃん」

 「あ、じゃあ撤回します。
  さっきのは無しで、テヘヘ」

調子の良い少女に、ラビゾーは渋い顔をした。
418創る名無しに見る名無し:2012/08/30(木) 19:05:24.26 ID:Rl1iRY/9
ラビゾーは取り敢えず、少女から情報を聞き出そうと、落ち着いて話せる場所を探した。
人目に付く往来で、外道魔法使いが何のと続けるのは、不味いと思ったのだ。
どこか良い場所を知らないかと、ラビゾーが少女に問い掛けると、彼女は近くの喫茶店で良いと答える。
偶に酒場に行く事はあっても、喫茶店には殆ど縁の無かったラビゾーは、多少抵抗はあったが、
他に良い場所も知らなかったので、渋々喫茶店に向かう。
2人は最も出入り口から遠い、目立たない席に、向かい合って座った。
注文を取りに来た女性店員に対して、ラビゾーは水を、少女はアイスト・ティーを頼む。
店員が去ると、少女は途端に暗い顔をして、俯いた。

 「コバギ、どうした?」

 「この姿の何が辛いって、女の子に声を掛けられない事なんスよ……」

心底どうでも良いなと、ラビゾーは外方を向く。

 「しかも、男共の視線が野獣の様に、こうギラギラと……!
  言い寄って来る奴等も居て、気持ち悪いったら無いッス。
  こんな様だから、力尽くで追い払う訳にも行かなくて……」

 「愚痴は程々にして、例の魔法使いの事を」

話を遮られた少女は、唇を尖らせ、拗ねて見せた。

 「旦那、モテないっしょ?」

 「放っとけ」

 「茶店(サテン)で水だけとか無いッスよ」

 「男同士で喫茶店に長居する趣味は無い」

ラビゾーが冷たく言い放つと、少女は益々機嫌を悪くする。
419創る名無しに見る名無し:2012/08/30(木) 19:08:10.92 ID:Rl1iRY/9
少女は反抗的な目付きで、ラビゾーを睨んだ。

 「自分で言うのも何なんスけど、俺は相当な美少女にされた積もりッス。
  旦那のリアクションは、おかしくないッスか?
  男として」

 「人間、中身だよ。
  見てくれが幾ら良くても……」

少女は強い不満を抱えて、ラビゾーを追求する。

 「本当に何の魅力も感じないんスか?
  『俺の最も大切な物』と引き換えに、『叶えられた願い』って事を考えると、この姿は多分、
  俺の理想を反映した物だと思うんスよ。
  染み一つ無い白肌、流れる様な金髪、整った顔立ち、豊満――とは言い切れないッスけど、
  発展の余地を残した肉体!
  俺の好みを全否定ッスか?」

そう言いながら、少女は襟を抓んで、胸元を少し開けて見せた。
ラビゾーは反射的に目を逸らす。

 「だから、中身が問題だって言ってるだろうが!
  馬鹿やってないで、魔法使いの事を話せ。
  元の姿に戻りたくないのか?」

ラビゾーの反応に、少女は嫌らしい笑みを浮かべた。

 「ヘヘヘ、その『中身』以外は好いって事ッスね。
  いや、旦那が同性愛者じゃなくて安心しました」

 「……好みと言うには、若過ぎる。
  未だ4、5年足りない」

 「そ、そうッスか……済みません」

誤解無い様にと、ラビゾーが本音を告白すると、少女は急に萎らしくなった。
互いの守備範囲の重ならない部分を、理解したのである。
420創る名無しに見る名無し:2012/08/30(木) 19:09:34.99 ID:Rl1iRY/9
本題から話を逸らし続ける少女に対し、ラビゾーは苛立ちを露にして、説教を始める。

 「そんな事を話しに来たんじゃないだろう?
  人が協力すると言ってるんだから、もっと真剣になれ。
  好い加減にしないと、置いて行くぞ」

 「そしたら泣き叫びますよ」

得意満面で少女はラビゾーを脅したが、彼は口を閉ざして、真顔で睨み返した。

 「えー……、何から話せば良いッスか?」

無言の威圧に屈した少女は、漸く真面目に話す気になる。

 「その魔法使いの外見は?」

ラビゾーに尋ねられた少女は、両腕を組んで、低く唸りながら記憶を辿る。

 「黒っぽいフード付きのローブで、顔は見えなかったッス。
  背は俺より低くて……あっ、元の体の事ッスよ?」

 「男、それとも女?
  年齢は?」

 「落ち着いた低い声で、男か女かは……よく判らないッス。
  齢は……とにかく、子供じゃなかったのは確かッス」

 「何か持ち物は?
  杖とか、鞄とか……」

 「持ってなかったと思うッス」

 「他に、ローブの模様とか、アクセサリーとか、印象に残っている事は?」

 「……無いッス」

最後に、申し訳無さそうに小声で答え、少女は俯いた。

 「手掛かりは殆ど無しか……」

ラビゾーの呟きが、気不味い沈黙を招く。
421創る名無しに見る名無し:2012/08/30(木) 19:10:39.01 ID:Rl1iRY/9
数点後、痺れを切らしたラビゾーは、徐に立ち上がった。

 「さて、そろそろ行こう」

少女は面を上げて訊ねる。

 「どこに?」

 「知り合いの所。
  ここに座っていても、何も解決しないだろう?」

 「だ、旦那……」

少女は弱々しい声を漏らした。

 「悔よ悔よすんなって!
  何とかなるって気持ちで行かないと」

ラビゾーが励ますと、少女は活気を取り戻し、大きく頷く。

 「はい!!
  今は金が無いんで、飲み物の代金、奢って下さいっ!」

ラビゾーは両肩を落とし、深い深い失望の息を吐いた。
422創る名無しに見る名無し:2012/08/31(金) 19:11:54.67 ID:xf8GCNPx
ティナー市繁華街アーバンハイトビルにて


手掛かりらしい手掛かりを得られなかったラビゾーは、少女を連れてアーバンハイトビルに来た。

 「旦那、ここに知り合いの人が居るんスか?」

 「ああ」

ビルの中に入ると、ラビゾーは迷わず階段を上る。
少女も駆け足で、彼の後に続く。
ラビゾーが3Fの廊下に出ると、少女は側の看板に目を留めた。
それには、目立つ字体で、次の様に書いてある。
「L&RC――片想い、仲違い、夫婦・恋人・男女の悩みはLove and Romance Consulting roomへ」
少女は愕然として、足を止めた。

 「だ、旦那……」

少女に呼ばれ、ラビゾーは足を止める。

 「どうした?」

 「恋愛相談室って……俺をどうする積もりなんスか!?」

少女は顔面蒼白で、何か悍ましい物を見る様な目をしていた。

 「どうもしないっ!!
  見て貰うだけだ!」

ラビゾーは半切れで答える。

 「み、見て貰うって……何を!?
  俺は旦那を信じていたのに!
  あぁ、ひゃぁわわわわ……」

悪い想像を働かせてしまった少女は、真面に喋れなくなる程に錯乱した。

 「変な声を出すな!
  お前、馬っ鹿じゃないの!?」

 「だ、だって、逃げようったって、他に頼れる人とか居ないし……。
  俺が逆の立場だったら、適当に騙くらかして一発――」

 「お前と一緒にするな!
  それと念の為に言っとくが、恋愛相談室は『休憩所<スキャム・ホテル>』とは違うからな!!」

少女は恋愛相談室と言う物が、どの様な場所か知らなかった。
423創る名無しに見る名無し:2012/08/31(金) 19:13:14.84 ID:xf8GCNPx
やいのやいのと2人が言い合っていると、L&RCのドアが開いて、栗色の髪をした若い女が、
何事かと顔を覗かせる。

 「――あ、バーティフューラーさん!」

 「ラヴィゾール!?」

ばったり目が合ったので、ラビゾーが自分から声を掛けると、バーティフューラーと呼ばれた女は、
驚いて目を丸くした。
直後、少女に目を留めて表情を曇らせ、鋭い目付きでラビゾーを睨む。

 「……アンタ、その娘は何なの?」

バーティフューラーは、ラビゾーが知る外道魔法使いの1人である。
ラビゾーは自分と少女が男女の仲だと誤解されては堪らないと、大いに慌てた。

 「いや、違うんですよ!
  これは男です!!」

 「はァ?!」

 「とっ、とにかく大事な話があるんです!!
  どこか人に話が洩れない場所は、ありませんか!?」

 「……取り敢えず、中に入んなさい。
  納得行くまで説明して貰うからね」

ラビゾーの様子から、これは徒事では無いと覚ったバーティフューラーは、室内に2人を招き入れる。
424創る名無しに見る名無し:2012/08/31(金) 19:46:52.49 ID:xf8GCNPx
L&RCの玄関は、待合室になっている。
バーティフューラーは待合室を通った先の応接室に、ラビゾーと少女を案内した。
応接室の中央には、低いダイニングテーブルがあり、それを囲む様に、ソファーが置かれている。
バーティフューラーは出入り口に近いソファーに、ラビゾーと少女を座らせ、自分は対面に腰を下ろした。

 「丁度、アタシ独りの時で良かったわ。
  他に誰も居ないから、安心して話して頂戴」

 「はい」

ラビゾーは少女との出会いから、ここに至るまでの経緯を話した。
事の在らましを聞いたバーティフューラーは、半信半疑で訊き返した。

 「男が女に?」

 「ええ、年齢も外見も全く変わって」

 「願いを叶える魔法……。
  残念だけど、分からないわ。
  でも、その話が本当なら、かなりの古強者って感じね」

バーティフューラーは憂いを帯びた表情をする。

 「……大人しく魔導師会を頼った方が、良いんじゃないかしら?」

 「そうなると、他の人達にも迷惑が掛かるんじゃないかと……」

ラビゾーの懸念は、危険な外道魔法使いの存在が知られた時、都市から外道魔法使いを、
排除しようとする動きに繋がるのでは……と言う所にあった。

 「それに、彼が僕を呼び止めたのも、魔導師会と関わりたくなかったから……或いは、
  魔導師会に係れない理由があるからと、思ったんですが……」

ラビゾーが隣の少女に目を遣ると、彼女は心ここに在らずと言った様子で、
据わった目をバーティフューラーに向けていた。

 「どうしたの?」

バーティフューラーが声を掛けると、少女は我に返る。

 「……済みません、見惚れていました」

そして顔を真っ赤にして俯いた。
425創る名無しに見る名無し:2012/08/31(金) 19:50:44.96 ID:xf8GCNPx
ラビゾーは感付いた。

 (これは魔法に中てられたな……)

バーティフューラーは『色欲の踊り子<ラスト・ダンサー>』と言う、魅了の魔法使いである。
見た目は美少女でも、心は青年男子なので、少女はバーティフューラーに魅かれたのだ。

 「好意は嬉しいけれど、今は自分の事を考えなさい」

事情を察したバーティフューラーは、悪戯っぽく微笑んで、軽く少女を窘める。
その響きに、少女は益々陶酔して行った。
俯いた儘の少女を、どうした物か、ラビゾーは迷う。

 「……大丈夫か?」

そう彼が問い掛けると、少女は僅かに面を上げたが、バーティフューラーと目が合った瞬間、
再び俯いてしまう。

 「おいおい……」

 「視線が気になる?
  アタシは余り見ない方が良いのかしら」

バーティフューラーは少女を慮り、目を逸らして素知らぬ振りをした。
426創る名無しに見る名無し:2012/08/31(金) 19:52:04.65 ID:xf8GCNPx
少女は恐る恐る顔を上げて、バーティフューラーを盗み見ながら、ラビゾーの腕を取ろうとする。

 「その手の動きは何だ?」

不気味に思って、腕を引っ込めるラビゾーに、少女は声を潜めて言った。

 「旦那、耳を貸して下さい」

 「何なんだよ……」

ラビゾーが渋々応じると、少女は彼の方へ身を乗り出し、興奮を抑え切れない調子で囁く。

 「ヤバいッス……あの人、超絶好みッスわ……。
  声聞いてるだけで、ハートにキュンキュン来るッス。
  見詰め合うだけで、悶死する自信がありますよ。
  男の体だったら絶対に起ってるッス」

 「お前……形は女でも中身は男なんだから、ハートがキュンキュンとか言うなよ。
  女に合わせる積もりなら、『起ってる』は止めろ」

こう言う所は男なのだなと、ラビゾーは呆れ半分に感心する。

 「それに、お前の理想像とは全然違うが……そこら辺は、どうなんだ?」

 「そんなの関係無いッスよ。
  好きになった人が、俺の好みッス」

少女の言い分は、確かにコバルトゥスが言い出しそうな事だったが、ラビゾーは小さな違和感を抱いた。
427創る名無しに見る名無し:2012/09/01(土) 18:56:03.36 ID:TZGJG7t7
ラビゾーの知るコバルトゥスと言う男は、もっと大っ平な性格だった。
殊、女に関しては、強引過ぎる位に、押して押して押し捲る。
好みの女を前に、尻込みする様な玉では無い。
バーティフューラーがラビゾーの知り合いだからと、遠慮しているのだろうか?
否、コバルトゥスは他人の女でも、平気で寝取って捨てる様な、人間の屑だ。
遠慮等する訳が無い。
そこまで考えた所で、ラビゾーはバーティフューラーの視線に気付いた。
彼女は険しい目付きで、ラビゾーを睨んでいる。

 「あの、バーティフューラーさん?」

 「何?」

バーティフューラーが威嚇する様な調子で答えると、少女はラビゾーから離れ、またしても俯いた。
ラビゾーの耳には、人を遠ざける嫌な響きに聞こえたのだが……、この少女の耳には、
一体どんな風に聞こえているのか、彼は気になった。
……気になったのだが、今はバーティフューラーの事を優先する。

 「な、何か気になる事でもあるんですか?」

 「目の前で内緒話されて、良い気分な訳無いでしょう」

 「あ、済みません。
  でも、大した話じゃないんですよ」

ラビゾーが笑って答えると、バーティフューラーは怒った様に席を立つ。

 「……お茶を淹れるわ。
  座ってて」

 「いや、お構いなく……」

ラビゾーは遠慮しようとしたが、バーティフューラーは聞こうとしなかった。
彼女はラビゾーと少女を放って、応接室の棚からティー・セットを探す。
428創る名無しに見る名無し:2012/09/01(土) 19:01:06.57 ID:TZGJG7t7
何か気に障る事を言ってしまったのか、それとも急に押し掛けて来たのは、やはり迷惑だったのかと、
ラビゾーが気に病んでいると、少女が再び耳打ちして来た。

 「旦那、物は相談なんスけど……」

 「何だ?」

 「――あの人を犯してくれませんか?」

 「……え?」

ラビゾーは我が耳を疑った。
聞き違いであって欲しかったのだ。
コバルトゥスは非常識な男だったが、行き成り女を犯せと言い出すのは考えられない。

 「こう、後ろから……ガバッと」

しかし、彼の淡い期待は、少女自身によって無慈悲に打ち砕かれた。
何をどう間違って、その結論が導き出されたのか、ラビゾーには全く理解不能だった。

 「コバギ……お前、一体どうしたんだ?」

 「もう辛抱堪らんのッスわ……。
  この儘だと、俺、気が狂いそうッス」

少女は息遣い荒く、バーティフューラーの後姿を凝視している。
ラビゾーは必死に説得した。

 「いや、既に十分狂ってるよ!?
  冷静に、落ち着いて考えろ。
  誰も得しないぞ!」

 「俺だって物が付いてりゃ、旦那なんかに、こんな事は頼みませんよ。
  でも……女って、こんな時どうするんスか?
  本気で、どうして良いか解らないんス……。
  旦那は何とも思わないんスか?」

少女は魅了魔法の影響と、心身の性の不一致から、酷い倒錯を起こしていた。
429創る名無しに見る名無し:2012/09/01(土) 19:02:23.03 ID:TZGJG7t7
ラビゾーは少女の額に、手刀を軽く一発食らわす。

 「確りしろ!!
  大体、何で直ぐ『犯す』って発想が出て来る!?」

 「だって……何か変なんスよ、俺……自分で自分が解らないッス。
  あの人、綺麗だって思うんスけど、ブチ込みたい訳じゃなくて……。
  寧ろ、その……一緒に×されたいって言うか……、男の時とは違って……」

少女は頭を抱えて、屈み込んだ。
そして長らく小声で唸った後、震えながらラビゾーに懇願する。

 「もう旦那でも良いんで、何とかして下さい……」

 「そんな誰でも良いみたいに言われて応じる程、安い男だと思ってんのか!?
  馬鹿にするなよ、コバギ!!」

少女に活を入れる積もりで、ラビゾーは激昂した。
普段のコバルトゥスからは想像出来ない姿に、恐怖心に近い不安を感じたのだ。
怒鳴られた少女は、涙ながら声を絞り出す。

 「だ、旦那…………。
  旦那が良いッス……旦那じゃないと、駄目ッス……」

 「だっから、ちっげーよ!!
  このバーカ!!!
  男に戻る為に来たんだろうが!!
  好い加減にしろ、この色惚け!!」

 「だって……だって……」

ラビゾーが打ち切れると、少女は本格的に泣き始めた。
430創る名無しに見る名無し:2012/09/02(日) 17:50:38.14 ID:Al9KyKjo
そこへ見計らった様に、トレイを持ったバーティフューラーが戻って来る。
彼女はティー・カップを配りながら、ラビゾーを揶揄った。

 「あーらら、何やってんの?
  女の子を泣かしちゃ駄目よ」

 「見た目は女でも、中身は男ですからね!!」

ラビゾーが抗弁すると、バーティフューラーは確信めいた疑問を投げ掛ける。

 「……本当に、そうなのかしら?」

 「嘘だって言うんですか?」

確かに、弱味を隠さず泣き晒す姿は、とてもコバルトゥスの物には見えなかった。
だが、ラビゾーには、これまでの振る舞いが芝居の様にも思えない。

 「もし、その娘が本当に『元』男なら、事態は思ったより深刻よ。
  心身は一体、心が体に影響を及ぼすなら、逆もまた然り」

 「――詰まり?」

 「精神の女性化が始まっているんじゃない?」

バーティフューラーの推測に、ラビゾーは総毛立った。
少女の行動や言動に、思い当たる節が多かったのだ。
431創る名無しに見る名無し:2012/09/02(日) 17:54:11.35 ID:Al9KyKjo
ラビゾーは未だ嗚咽を漏らす少女に目を遣り、神妙な面持ちで言う。

 「早く何とかしないと、これは取り返しが付かなくなりますね……」

 「ひっ……ぐすっ、うぅー……」

 「コバギ、男が何時までもグズってんなよ。
  好い加減に泣き止め」

 「アンタが泣かしたのに、その言い方は酷くない?」

ここで止まっている場合では無いと、焦るラビゾーに、バーティフューラーは冷や水を浴びせた。

 「いや、半分はバーティフューラーさんの所為ですよ!
  魅了の魔法が効き過ぎて、変な事ばかり口走ってましたからね!
  少しは抑えて下さいよ!!」

ラビゾーが言い訳すると、バーティフューラーは透かさずカウンターを入れる。

 「変な事って、どんな?」

 「そ、それは……」

正直に答える訳には行かず、ラビゾーが口篭っている間に、バーティフューラーは少女に香茶を勧めた。
432創る名無しに見る名無し:2012/09/02(日) 18:00:51.57 ID:Al9KyKjo
少女は震える両手で、包み込む様にティー・カップを持ち上げ、啜り泣きに合わせて、
薄緑色の液体を吸い上げる。

 「コホッ、ゴホゴホッ!
  ひぃ、苦っ……ゲホッゴホッ!」

勢い余って誤嚥した少女は、香茶が苦かった事もあって、激しく噎せ込んだ。

 「……大丈夫か?」

ラビゾーは少女の背を擦りながら、ティー・カップに残った薄緑色の香茶を見て、
バーティフューラーに尋ねる。

 「この香茶、僕のと色が違いますけど……何を入れたんですか?」

 「企業秘密。
  強力な鎮静作用と性欲減退効果があるとだけ言っておくわ」

バーティフューラーが香茶を淹れに行ったのは、少女が暴走する前だった。
予め、それを用意出来ると言う事は……。

 「……魔法が効いてる事、分かってたんですよね?」

 「何の事?」

バーティフューラーは惚けて、話題を逸らす。

 「それより、この娘の男性格を守る術を考えないと。
  アタシ、直ぐに使える、手軽で良い方法を知ってるんだけど……聞いてくれる?」

元はと言えば、少女の中の女性格が目覚めたのは、バーティフューラーの魔法の所為なのだが……。
そこをラビゾーは追及したかったが、今はコバルトゥスの女性化を止めるのが先決だと思い直し、
敢えて見過ごした。
433創る名無しに見る名無し:2012/09/02(日) 18:02:06.44 ID:Al9KyKjo
そんなラビゾーの心中を知ってか知らずか、バーティフューラーは彼の答えを待たず、自ら口を開く。

 「取り敢えず、この娘に女の子らしい名前を付けて上げたら、どうかしら?
  本名とは違う名前を付ける事で、主人格である男性格を保護するの。
  二重人格みたいになるけれど、男性格と女性格が綯い交ぜになるよりは良いでしょう?」

真っ当な意見だなと、ラビゾーは頷いた。

 「元に戻った時の事を考えると、そうですね。
  同性愛に開眼されては堪りません」

 「えーと、元の名前はコバルトゥスだっけ?」

コホコホと軽く咳き込み続けている少女に代わり、ラビゾーが答える。

 「はい。
  コバルトゥス・ギーダフィです」

 「じゃあ、コバルティア……だと少し諄いから、コバルタで」

 「えっ……あの、勝手に話を進めないで欲しいッス……」

少女の名前が決まりそうな所で、息を整えた本人が、待ったを掛けた。
しかし、抗議は通らない。
バーティフューラーの妖しい眼差しが、少女の瞳を捉える。

 「貴女は『コバルトゥス』の影、『コバルタ』。
  そこの男と一緒に、主人格『コバルトゥス』の体を取り戻すのよ」

少女は操り人形の様に、無表情で頷いた。
ラビゾーは初めて、バーティフューラーを恐ろしい魔法使いだと思った。
434創る名無しに見る名無し:2012/09/02(日) 18:03:47.37 ID:Al9KyKjo
「所で、ラヴィゾール……コバルトゥスって男とアンタは、どんな関係なの?
 只の知り合いじゃないでしょう?」

「いえ、何も特別な関係は無いですけど? 旅先で偶々数日一緒に行動した位です」

「……何で、そんな赤の他人にも等しい奴の為に、必死になれるの?」

「別に、必死になってなんかいませんよ。
 助けを求められたので、出来る範囲の事で、協力しているだけです」

「お人好し過ぎて、気味が悪いわ……。どこの大聖人様?」

「いやいや、でも、知った顔が困っていたら――あ、知らない顔か……って、そうじゃなくて、
 正直な所を言うと、僕も男ですからね」

「男だから、あの娘に協力するの?」

「いや、違うんですよ。誤解です。僕が逆の立場なら、何としても男の体に戻りたいと思いますから。
 あの娘の為でも、コバルトゥスの為でも無くて、男の1人として協力する訳です」

「何言ってるのか、全然解らないんだけど……。
 コバルトゥスって人は、そんなに助けたいと思える様な人なの?」

「いえ、全然。敬意を払うべき人物とは、対極に位置します。個人的には苦手です」

「だったら尚更、何で?」

「僕は自分の為に行動していると思って下さい」

「アンタって、アレでしょう? 物語はハッピーエンドじゃないと、気が済まないって言う」

「そんな事は無いですけど……」

「じゃあ、アレだ。どんな悪人にも救いが欲しいって言う」

「いや、違いますけど……」

「…………大聖人様?」

「何とでも言えば良いでしょう」

「違うのよ? 悪い意味じゃなくてね……」

「彼が男の姿に戻りたいと言ったから、僕は人の尊厳の為に行くんです」

「……人の尊厳って何?」

「自分の人生を、自分の意志で決める事です」

(ラヴィゾールが巻き込まれてる様にしか見えないのは、言わない方が良いのかしら?)
435創る名無しに見る名無し:2012/09/03(月) 18:31:15.82 ID:1p9jglAV
ティナー市南部の貧民街にて


旅商の男ラビゾーと少女コバルタは、新たな手掛かりを求めて、ティナー市南部の貧民街に立ち寄った。
ここには予知魔法使いの裔、ノストラサッジオが居る。
ラビゾーは、旧い魔法使いについて詳しい彼なら、何かヒントをくれるのでは無いかと、期待していた。
しかし、ティナー市南部の貧民街は、地下組織『マグマ』の拠点でもある。
ノストラサッジオに会うのを、ラビゾーが後回しにした理由は、ここの治安が宜しくない為だ。
ラビゾーはノストラサッジオと知り合いで、ノストラサッジオはマグマの相談役なのだが、
このマグマと言う組織は、複数の小集団の連合で、統一された意思が無い。
当然、中にはノストラサッジオを快く思わない者も居る。
ラビゾーとマグマに直接の繋がりは無く、彼は貧民街に立ち寄る際、こう言った者達に度々、
『挨拶』をしなければならなかった。
436創る名無しに見る名無し:2012/09/03(月) 18:36:12.38 ID:1p9jglAV
コバルタはコバルトゥスだった時の記憶から、ティナー市南部の貧民街が危険な所だと知っており、
故に好い印象を持っていなかった。
廃屋が立ち並ぶ、人気の無い路地を歩く、1組の男女。
男の方は頼り無さそうな壮年で、女の方は美少女となれば、何も起こらずに済む訳が無い。
そう思って、コバルタは怯えていた。
元に戻る為とは言え、不安の色を隠せない彼女は、無意識にラビゾーの側に寄ろうとする。

 「旦那、歩くの早いッス」

 「ああ、悪い」

ラビゾーが歩く速度を緩めると、コバルタは遠慮勝ちに尋ねる。

 「それで、あの……旦那、手を握って貰えませんか?」

少女は先の一件で、完全に女性格『コバルタ』を確立していた。
ラビゾーは彼女の扱いに困っていた。
本来の人格である男性格『コバルトゥス』を忘れさせない為に、『コバルトゥス』と同じ様に扱うのか、
それとも『コバルトゥス』を守る為に、『コバルタ』は全くの別人として扱うべきか……。
どちらにしても、メリットとデメリットがあるので、安易には決められない。
コバルタは、ラビゾーが何時まで経っても返事をしないので、黙って勝手に彼の腕を取った。
振り払うべきか悩んだ末に、ラビゾーはコバルタの行動を黙認する。
ラビゾーとて男なのだから、美少女が自分を慕ってくれて、悪い気はしない。
だが、相変わらず、中身はコバルトゥスなのだと思うと、彼の中では違和感と嫌悪感、そして焦燥感が、
先に立つのだった。
437創る名無しに見る名無し:2012/09/03(月) 18:52:59.64 ID:1p9jglAV
数点歩いた所で、ラビゾーとコバルタは、路地に屯している若者の集団を見掛けた。
見るからに不良少年と言った感じの、柄の悪い若者等に、ラビゾーは険しい顔をする。
若年者の集団は、経験の不足から、観察力は鋭くても、考察力が乏しい。
ラビゾーとコバルタを見て、恐れる相手では無いと思い込み、暴走する危険があるのだ。
ラビゾーとノストラサッジオの関係を知っているなら、見過ごしてくれる可能性が高いのだが、
マグマは余程重要な事でない限り、集団同士で連絡を取り合わないので、中には未だに、
ラビゾーを知らない者も少なくない。
実際、ラビゾーは何度も、マグマの若い連中に襲われている。
その都度、自らの手で返り討ちにするか、途中で上役が止めに入るかで、事は収まっていたが、
今回は守るべき者が側に居る。
ラビゾーはコバルタを伴って、上手く立ち回れる自信が無かった。
だが、幾ら本性が男だからと言って、コバルタを差し出すのは、彼の信義に反する。
望ましくないが、衝突は避けられないだろうと、ラビゾーは予測していた。
438創る名無しに見る名無し:2012/09/04(火) 18:43:16.26 ID:wclydDNF
ラビゾーとコバルタが近付くと、若者等は徐に立ち上がり、2人の行く手を塞いだ。
相手は男6人、女2人の8人組。
中には、喧嘩慣れしていそうな、体格の良い者も居る。
コバルタはラビゾーの陰に、そっと隠れた。
ラビゾーは仕方無く、若者等の前に進み出る。

 「オッサン、女連れで、こんな所に何の用よ?」

最初に声を発したのは、若者の中の背が低い男。
ラビゾーは7人を見回して、役割らしい物がある事を察した。
今、ラビゾーに声を掛けたのが、交渉兼突攻役。
その少し後ろで構えている男2人が、戦闘要員。
更に後ろで、不安気な顔をしている男は、地位が最も低い下っ端。
最もラビゾーから遠い所で構えている、やや身形の良い男が、リーダー格。
その側に控えている男は、サブリーダー。
リーダーの両脇に居る、お負けの様な女2人は、地位の情婦だ。

 「ノストラサッジオに会いに来た」

臆する事無くラビゾーが答えると、若者等は顔を見合わせて冷笑した。

 「知らねぇな。
  無事に通りたけりゃ、出す物出せよ」

ラビゾーは辟易して溜め息を吐いた。
何度も経験した事である。
439創る名無しに見る名無し:2012/09/04(火) 18:51:18.45 ID:wclydDNF
完全にラビゾーを格下だと思って、へらへら笑っている若者等に、ラビゾーは懐から取り出した、
魔力石を突き付けた。

 「おい、何の積もりだ!」

若者等は焦って身構えたが、リーダー格の男だけは動じない。
しかし、その目は確かにラビゾーを捉えている。
油断から余所見をしていた訳では、決して無い。
落ち着いているのは、魔力の流れが読めるので、ラビゾーに魔法を使う意思があるか無いかを、
見極めらているから。
共通魔法を使われても、防ぐ自信があると言う事。
彼は余程、魔法資質に自信があるのだろうと、ラビゾーは考えた。
貧民街であっても、人を束ねるのは、魔法の才能なのだ。
ラビゾーは更に、敵の情報を分析する。
ノストラサッジオを知らない事から、この若者等は、マグマの中で影響力の小さい集団の一員か、
或いは、この若者等自体が1つの集団である可能性が高い。
マグマは集団同士の相互不干渉を謳っているので、余りに小さい集団は無視される。
故に、口出しされない事を、地位を認められたと勘違いして、調子に乗る俄が後を絶たない。
危険な背後関係が無いのは良いが、ラビゾーにとっては逆に、こう言った者達が最も扱いに困る。
440創る名無しに見る名無し:2012/09/04(火) 18:53:49.04 ID:wclydDNF
若者等と戦う事は、リスクが大きいと悟ったラビゾーは、手首を捻って魔力石を持ち直し、
手の平に載せた。

 「これで下がってくれないか?」

魔導師会に所持数制限が掛けられている魔力石は、魔力不足の現状と相俟って、
非公式な取引の場では、市販価格以上の価値を持つ。
今後の為には、恐喝に応じるべきでは無いが、ラビゾーはコバルタの安全を優先した。
しかし、ラビゾーには2つの誤算があった。

 「は?
  冗談きついよ。
  石ころ1個とか、巫山戯てんの?」

1つは、この若者等が裏社会に於ける魔力石の価値を知らなかった事。
即ち、裏社会に馴染みの無い、単なる不良共の証明なのだが、それが判った所で、
状況を変える役には立たない。

 「ここはマグマの縄張りな訳よ。
  無事で済むなら、有り金全部置いて行く位の事は、当然だと思うんだけどねぇ……。
  舐めた真似してくれた残念なオッサンには、割高な通行料を払って貰おうかな〜?」

交渉兼突攻役の男が目配せすると、体格の良い戦闘要員が前に出て来る。
これでは話にならないと、ラビゾーは手早く見切りを付けて、魔力石を引っ込めた。

 「オッサン1人なら見逃してやるから、選べよ。
  抵抗して何も彼も失うか、自分から差し出すか――」

交渉兼突攻役の男が口上を述べている間に、体格の良い戦闘要員の左腕が、
ラビゾーに向かって伸びる。
441創る名無しに見る名無し:2012/09/04(火) 18:56:17.38 ID:wclydDNF
瞬間、ラビゾーの視界の隅を、小さな影が過る。
それに気を取られた隙に、彼は戦闘要員に胸倉を掴まれた。
ラビゾーは対抗して、その腕を両手で取り、素早く屈みながら身を捻って、戦闘要員の懐に潜り込んだ。
一本背負いを掛ける体勢である。
いざ投げる際に、ぬるっとした感触があり、少し手が滑ったが、汗だと思って、構わず足を払った。
体格の良い戦闘員は、背中を強かに石畳に打ち付ける。
痛みに呻く彼を見下ろした時、ラビゾーは初めて理解した。
……戦闘要員の手首からは、大量の血が脈打つ様に、溢れ出していた。
ラビゾーは慌てて指摘する。

 「腕から血が出ているぞ!」

血に濡れた手をラビゾーに見せ付けられ、最初は唖然としていた戦闘要員だったが、
やがて自身に起こった異変を認識し、見る間に顔を蒼くする。
明らかに危険な出血量だった。
彼は忽ちパニックを起こし、泣きながら手首を押さえて蹲った。

 「い、いてぇよォー!!」

実際には、痛みは余り無い筈たが、酷い出血から、痛いと思い込んでいる。
ラビゾーはコバルタが何かしたのでは無いかと思い、背後の彼女を一瞥した。
どこから取り出したのか、コバルタは肉削ぎナイフを両手に1本ずつ握っている。
もう1つのラビゾーの誤算とは――――、コバルタが何も出来ない、弱い少女では無かった事だ。
442創る名無しに見る名無し:2012/09/05(水) 18:46:31.55 ID:9XL6Hb/r
余りに急な出来事で、ラビゾーも混乱している。

 「うぅ、血が……血がぁ……」

彼は呻く戦闘要員に止めを刺さず、リーダー格の男を睨んだ。

 「早く手当てをしてやれ!
  然もないと出血多量で死ぬぞ!」

咄嗟の対応にしては、上手い判断だった。
仲間の流血に、若者等は動揺している。
一応、ラビゾーも手当てする事は出来るが、戦力を殺ぐ為にも、敵の治療は敵に任せるのが良い。
流石に、この事態を見ても退かない程、愚かでは無いだろうと、ラビゾーは思っていた。
しかし、ここで3度目の誤算が起こる。

 「それで?
  1人倒した位で、何、好い気になってんの?」

リーダー格の男は、戦闘要員の1人を見捨てたのだ。
彼の表情には、恐怖も躊躇も無かった。
443創る名無しに見る名無し:2012/09/05(水) 18:49:01.52 ID:9XL6Hb/r
その反応に誰より驚いたのは、仲間の方である。
傷を負った戦闘要員の1人は既に、声を出せない程の放心状態になっていた。
出血性ショックで失神するのも、時間の問題である。
多量の出血と相俟って、素人目にも重体だと判る有様。
若者等は不安気に、リーダー格の男に対して、意思を改める積もりが無いか伺う様に、
何度も視線を送っていた。

 「手前等も何ビビっってんの?
  相手は2人、こっちは1人やられても未だ7人。
  どっちが有利か、算数も出来ないのか?」

この儘、リーダー格の男の思惑通り、集団戦になっては困るので、ラビゾーも交渉の姿勢を見せた。

 「そちらが手を出さなければ、こちらからは何もしない。
  僕等は唯、ここを通して貰いたいだけだ」

リーダー格の男は、ラビゾーの話を聞いて、得意気に笑う。

 「ほら見ろ、及び腰だ。
  こっちが有利なのは変わり無いんだよ」

状況は若者等を如何に説得するかの、舌戦になっていた。
444創る名無しに見る名無し:2012/09/05(水) 18:51:44.28 ID:9XL6Hb/r
ラビゾーは段々、このリーダー格の男の非人間的な態度が、腹立たしくなって来た。
当事者の癖に、他人事の様に涼しい顔をしているのが、我慢ならなかったのだ。

 「黙れ、この屑野郎!!
  こんな所で命を捨てて何になる!!
  お前等、どんな関係か知らないが、仲間を平気で見捨てる様な奴に、ヘコヘコ従うのか!?」

 「おい、手前等のリーダーは誰だ?
  長い付き合いの俺より、こんな誰とも知れない、通り縋りの言う事を聞くのか?」

付き合いを持ち出されては不利だと、ラビゾーは大見得を切る。

 「どうしてもやるって言うんなら、さっきみたいな手加減は無しだ。
  命の保障はしない!」

若者等は判断が付かない状態だった。
仲間を助けたい、死にたくない、だが、リーダーに逆らいたくもない。
リーダー格の男とラビゾーとの間で、無為に立ち尽くすばかりである。
445創る名無しに見る名無し:2012/09/05(水) 18:54:20.16 ID:9XL6Hb/r
堪り兼ねたサブリーダーらしい男が、リーダー格の男に意見する。

 「今回は下がろう。
  命を賭ける様な場面じゃない。
  早く手当てしないと、フォラスが死んじまう」

リーダー格の男は溜め息を吐いて、首を横に振った。

 「やっぱり駄目か……。
  愚図は、どこまで行っても愚図だな。
  この程度で引き下がるんなら、最初っから付いて来るなよ」

ラビゾーは怒りが収まらず、激昂する。

 「お前は仲間を愚図呼ばわりするのか!?」

 「仲間……?
  冗談は顔だけにしてくれ。
  こいつ等は、単なる駒だ。
  尤も、リーダーの言う事を聞かない奴は、もう駒とすら呼べないがな」

若者等は皆、俯いている。
女2人に至っては、泣き始めていた。
こいつは一発殴らなければ気が済まないと、ラビゾーは熱り立った。
顔の事が問題なのでは無い。
人の信頼を裏切って、何とも思わない性根に憤ったのだ。
446創る名無しに見る名無し:2012/09/06(木) 18:40:38.96 ID:YY3V6hU9
頭に血が上ったラビゾーは、リーダー格の男を見据えて、拳を突き出した。

 「お前が一体、どれ程の人間だって言うんだ?
  人の後ろで、コソコソしているだけの卑怯者!
  前に出て来い!!」

激憤する彼を侮蔑する様に、リーダー格の男は失笑する。

 「嫌だね。
  大体、1人で何、熱くなってんの?
  こいつ等を愚図と言おうが、それは俺達の問題で、アンタには全然関係無い事だ」

 「それが何だ!!」

 「あのさ、不用意に手を出したのは、そこの馬鹿な訳だ。
  返り討ちにされるのは、まあ仕方無い……自業自得だよ。
  それで、どうしてアンタが『俺に』怒るのか、訳が解らない」

次にリーダー格の男は、若者等を睨んだ。

 「手前等も大概おかしいよな。
  フォラスに重傷を負わせたのは、こいつ等だ。
  仲間だってんなら、怒るべきじゃないのかよ」

しかし、もう誰も彼の言う事を聞こうとはしない。
447創る名無しに見る名無し:2012/09/06(木) 18:42:34.33 ID:YY3V6hU9
孤立無援になったリーダー格の男は、唾と共に、捨て台詞を吐いた。

 「付き合い切れんわ。
  手前等で勝手にしてろ」

 「待てっ!!
  人を煽るだけ煽っておいて、自分は何もせずに逃げるのか!」

ラビゾーが呼び止めると、彼は小馬鹿にした様に言い返す。

 「手を出さなきゃ、黙って見逃してくれるんだよな?」

詰まらない理屈だったが、ラビゾーは反論しなかった。
この場に、事を構えようとする者は、残っていない。
……争いは避けられたが、ラビゾーは行き場の無い憤りを抱えていた。
これで良かったのだと、彼は自分に言い聞かせ、深呼吸をする。
その程度は大人だった。
448創る名無しに見る名無し:2012/09/06(木) 18:44:31.98 ID:YY3V6hU9
リーダー格の男が去った後、ラビゾーは真っ先に、気絶している戦闘要員の手当てをする。
その間、彼はリーダーを失った若者等の話を聞く事にした。
コバルタは不満そうな顔をしていたが、ラビゾーは努めて気にしない様にする。

 「君達は、マグマの構成員じゃないだろう?
  貧民街の外の者だな?」

魔力石を手に持ち、治療の魔法陣を描きながら、ラビゾーが質問すると、若者等は揃って、
答え辛そうに顔を顰める。

 「別に、騙りに就いて、責める積もりは無い。
  僕もマグマの構成員では無いから」

そうラビゾーが言い添えると、交渉兼突攻役の男が口を開いた。

 「……『あいつ』が言い出したんです。
  ここなら何をしても大丈夫だからって」

 「『あいつ』ってのは、君達のリーダーの事か?」

 「はい」

 「彼とは昔からの知り合いなのか?」

若者等は顔を見合わせる。

 「そうだけど、そうじゃないって言うか……」

 「彼は他の街から越して来た、その筋では有名な『代論士<ゴロス>』の、息子なんです」

言い難そうにしている交渉兼突攻役の男に代わって、サブリーダーが語り始めた。
449創る名無しに見る名無し:2012/09/06(木) 18:46:37.32 ID:YY3V6hU9
既に大体の所を察していたラビゾーだったが、彼は黙って話の続きを聞いた。

 「ヤバい連中と付き合いがあって、大人に媚びないから……俺達は、そこに惹かれて連んでました。
  でも、付き合って暫くすると、無茶苦茶な本性が判って――逆らうのが、怖かったんです」

 「無茶苦茶な本性?」

 「自分に歯向かう奴が居ると、そいつを徹底的に貶めて、潰しに掛かるんです。
  誰も逆らえる奴が居なくなると、段々我が儘が酷くなって、少しの意見も許されなくなって、
  終いには仲間だった奴まで……」

若者等は区々に、サブリーダーの語りに相槌を打つ。

 「そんなだから皆、距離を置き始めて……俺達は、何て言うか、タイミングを逃したって言うか……。
  一緒に鼻摘まみ者扱いされて、引くに引けないで、今に至る訳です」

複雑な家庭事情が絡んでいそうだなと、ラビゾーは聞いていて思った。
恐らくは、代論士である父親と、何らかの確執があったのだろう。
そう思っただけで、別に何の解決を目指す訳でも無いが……。
450創る名無しに見る名無し:2012/09/06(木) 18:48:28.97 ID:YY3V6hU9
気絶している戦闘要員は、かなりの重体で、ラビゾーは2個目の魔力石を使わねばならなかった。
若者等は、仲間の容体を不安気に見守っている。
その時、今まで黙っていたコバルタが、唐突に喋り出した。

 「何だ彼んだ言い訳してるけど、俺等を襲った事に就いては、どう思ってる訳?」

刺々しい口調に、俄かに空気が重たくなる。
コバルタは威嚇する様に、肉削ぎナイフをジャグリングし始めた。

 「こう言う場所では、何をしても良い代わりに、何をされても文句は言えない。
  お前等は、打っ殺されても仕方無い立場なんだが……何か言う事は無いのかよ」

 「……済みませんでした」

サブリーダーが頭を下げると、彼の仲間も倣う。
だが、コバルタの気は収まらない。
ジャグリングを止めて、ナイフの切っ先をサブリーダーに向ける。

 「謝って済むと思ってんのか?
  本気で反省してるなら、手足の爪を自分で剥がす位の誠意は――」

 「止せ、マフィアの真似事なんかするな!
  ここは確かに無法地帯だが、彼等は確りした住所を持つ、外の人間だ。
  下手な事をすれば、都市警察が動く。
  犯人として追われるのは、御免だ」

ラビゾーが制止すると、コバルタは拗ねた様に、両腕を組んで外方を向いた。
451創る名無しに見る名無し:2012/09/07(金) 18:37:25.39 ID:s42ub52m
気絶している戦闘要員の治療を済ませたラビゾーは、若者等に向き直って警告する。

 「もう二度と貧民街に近付くなよ。
  ここの事は忘れるんだ。
  次、見掛ける様な事があったら、命は無い物と思え」

 「はい……」

若者等は大人しく頷いて、気絶した儘の戦闘要員を連れて、貧民街の外へ消えた。
それを見送ったラビゾーは、コバルタに目を遣る。

 「旦那、甘いッスわ。
  胸焼けする程、大甘ッスよ」

待ち兼ねていたかの様に、コバルタは文句を言った。

 「誰だって、本心では真っ当に暮らしたいと思っている。
  これが切っ掛けになれば良い」

ラビゾーは宥めようとしたが、コバルタは先程まで黙っていた分を取り返す様に、捲し立てる。

 「俺は寧ろ、ああ言う風に、他人に乗っかるだけの人間の方が、信用出来ないッスけどね。
  自分の無い奴は、また縒りを戻すなり、別の奴に付いて行くなりして、どこかで悪さを働きますよ」

 「次は無いと言った。
  更生するもしないも、彼等自身が決める事だ。
  所で、コバギ……どこで短刀術を身に付けたんだ?」

ラビゾーは露骨な話題逸らしに、コバルタのナイフ捌きを持ち出した。

 「あれ?
  旦那、知らなかったッスか?」

意外にも、コバルタは簡単に話に乗る。
452創る名無しに見る名無し:2012/09/07(金) 18:43:31.98 ID:s42ub52m
コバルタは肉削ぎナイフを1本、懐から取り出した。

 「俺、一応、剣技の心得があるんス。
  これは『薔薇の花弁<ピタール・ド・ローズ>』って名前の『肉削ぎ刀<スライサー>』で、
  師匠――に当たる人からの譲り物ッス」

 「そうなんだ……」

師匠と聞いて、ラビゾーは心が痛んだ。
譲り物と言う事は、ある程度、師に腕を認められたのだろう。
彼はコバルトゥスを羨ましく思った。

 「男の体なら、あの時に手首を落とせたんスけどね。
  女でも同じ事が出来るか、自信が無かったんで、動脈狙いにしました。
  結果的に、殺さずに済んで運が良かったッス。
  都市警察に追われるのは、俺も勘弁ッスから」

そう語りながら、コバルタがナイフを指先で器用に回すのを見て、危なっかしいと思ったラビゾーは、
1歩下がる。
コバルタは引いたラビゾーに気付くと、ナイフを振り回しながら身を屈め、彼の顔を睨め上げる様にして、
ぐっと迫った。

 「……旦那、動かないで下さい」

 「寄るな、危ないから!」

 「顎の裏が赤くなって、痣が……さっきので打ったんスか?」

ラビゾーはコバルタに指摘され、下顎の線を片手で擦る。
一部、指で押さえると微かな鈍痛があり、確かに痣が出来ている様だった。
453創る名無しに見る名無し:2012/09/07(金) 18:51:50.65 ID:s42ub52m
恐らく、投げの前後だろうと、ラビゾーは当たりを付ける。
触れなければ痛くない事から、そう重傷でないのは確かだった。
軽い打撲である。

 「大した事は無いから」

 「でも、見るからに痛そうで、嫌ッスよ。
  後で腫れるかも知れませんし。
  俺が治して上げます」

 「な、治す――?
  いや、手当てなら自分で出来るから……」

ナイフを片手に握り締め、躙り寄るコバルタ。
表情は真面目だが、それがラビゾーにとっては怖かった。

 「待て、先ずはナイフを仕舞え」

ラビゾーは引け腰で下がったが、コバルタは距離を詰め続ける。

 「H3N1N5・J1H4A1――」

コバルタはラビゾーの言葉を無視して、精霊言語による詠唱を始めた。

 「魔法を使うなら、ナイフは要らないよな?」

 「大丈夫ッス、痛いのは一瞬ッスから」

 「魔法で治すんだよな?
  ナイフは要らないよな!?」

 「黙って、じっとしてて貰えませんか?
  下手に動かれると、狙いが逸れて危ないんで。
  ――I1EE1・J3K1B7――」

ラビゾーはコバルタの詠唱に、共通魔法の詠唱とは違う音が混ざっている事に、気が付いた。

 「コバギ、その詠唱は――!?」

瞬間、神速の斬撃が、ラビゾーの首を目掛けて飛んで来る。
454創る名無しに見る名無し:2012/09/07(金) 18:53:59.73 ID:s42ub52m
彼は反射的に上体を仰け反らせたが、確かに顎を掠った感触が残っていた。

 「つっ!!
  お前、何しやがる!」

斬られた部分が、熱を帯びて熱くなる。
だが、コバルタに反省の色は見られない。

 「そう怒らないで下さい。
  痣は綺麗に消えましたよ」

はっとして、ラビゾーは痣の部分を押さえた。
斬られた跡は無く、痛みも消えている。
顎に触った指を見て、臭いも嗅いだが、血が出た様子も無い。
見事な手腕である。

 「――いやいや、今の避けてなかったら、喉を掻っ切られていたぞ!?」

 「そこは調整したんで」

 (こいつ……)

元よりコバルトゥスは、何を言っても応えない性格。
ラビゾーは無駄な抗議を諦めた。
それよりも、彼には気になる事がある。

 「……コバギ、今のは共通魔法じゃなかったよな?」

 「やっぱり、判っちゃいますか?
  旦那には黙ってましたけど、俺、実は精霊魔法使いなんス。
  旦那は色んな魔法に理解があるみたいッスから、バレても問題無いかなって」

コバルタの言い分に、またもラビゾーは違和感を覚えた。
これが大怪我なら未だ解るが、軽い打撲の治療に、態々魔法を使うだろうか?
ラビゾーには先の行動が、精霊魔法使いである事を知って欲しいが為に、取った物の様に思えたのだ。
不気味な物を感じつつ、ラビゾーは一応コバルタに礼を言って、彼女をノストラサッジオの元へ、
連れて行く。
455創る名無しに見る名無し:2012/09/08(土) 19:14:19.97 ID:0p6RW5vU
廃ビル ノストラサッジオの住居にて


ラビゾーとコバルタは、マグマの幹部に案内されて、「予知魔法使い」ノストラサッジオの元へ向かった。
ノストラサッジオは、ラビゾーの急な訪問にも拘らず、快く応対する。

 「やあ、ラヴィゾール。
  お前が訪ねて来る事は判っていたよ」

流石は予知魔法使いと、ラビゾーは感心した。

 「では、僕が何を頼みに来たのかも、お解かりでしょう」

 「そこの彼女の事だな?」

 「はい。
  是非、お知恵を拝借させて頂きたく」

 「何時にも況して、畏まっているな。
  余程、逼迫した事態と見える」

ノストラサッジオは、ラビゾーとコバルタを見比べ、深い息を吐いた。
そして、シニカルな笑みを浮かべる。

 「しかし、お前も好き者だな。
  確かに女は若い方が良いが、少々若過ぎやしないか?」

 「何の事です?
  ……ノストラサッジオさん、何か誤解してませんか?」

ラビゾーが不審に思って尋ねると、ノストラサッジオは苦笑して沈黙した。
456創る名無しに見る名無し:2012/09/08(土) 19:16:15.90 ID:0p6RW5vU
適当に知ったか振っていたのかと、ラビゾーは呆れる。

 「あの、僕から事情を説明した方が良いですか?」

 「待て、違うのだ。
  そこの女は、真面な女では無いと判っている」

ノストラサッジオの狼狽振りが滑稽な物だから、コバルタは声を潜めて、ラビゾーに疑問を打つける。

 「この爺さん、大丈夫なんスか?
  呆けてません?」

 「いや、これでもマグマから信頼されている、かなりの実力を持った魔法使い――」

そこまで言い掛けて、ラビゾーは口を噤んだ。
ノストラサッジオがマグマに信頼されているのは確かだが、ラビゾー自身はノストラサッジオが、
予知魔法らしい物を使う所は、一度も見た事が無い。

 「――の、筈、だけど……」

ラビゾーは自信無さそうに付け加え、ノストラサッジオに目を遣った。
ノストラサッジオは忙しくオラクル・カードをシャッフルして、配ったり戻したりしている。

 「いや、違うのだよ。
  お前が何某かの問題を抱えた少女を、連れて来るのは判っていた。
  早合点と言う奴だ」

ここで機嫌を損ねられても困るので、ラビゾーは特に追及せず、話を進めた。

 「それで、どうすれば良いんでしょうか?」

ノストラサッジオはカードを1枚捲り、ラビゾーとコバルタに示す。
そこには都市の絵が描き込まれていた。

 「ティナーの街を彷徨え。
  運命が、お前達を導く」

 「解りました」

普段は、こうやって予言をしているのかと、ラビゾーは感動した。
予知魔法的には、オラクル・カードは余り意味の無い物なのだが、そんな事は知らない者には判らない。
457創る名無しに見る名無し:2012/09/08(土) 19:21:00.11 ID:0p6RW5vU
過去に、詐欺の類を散々見たコバルタは、能天気なラビゾーとは違い、ノストラサッジオを警戒していた。
オラクル・カードが無意味な物とも、早々に見抜いていた。
彼女は納得行かない様子で、ラビゾーに問う。

 「旦那ぁ、今の本気で信じるんスか?」

 「取り敢えず、言う通りにして、損は無いよ」

 「いや、胡散臭いッスよ。
  ろくに話も聞かないで、こうすれば良いって」

コバルタはノストラサッジオを知らないので、その実力や人格を疑うのも無理は無い。

 「そう言う物だと思うしか無い」

ラビゾーの答えは、到底コバルタが満足出来る物では無かった。

 「信じられないなら、無理して信じなくとも良い」

話を聞いていたノストラサッジオは、不満顔のコバルタに冷たく言い放つ。
コバルタはノストラサッジオを睨み付け、険悪な雰囲気になった。
これは不味いと、ラビゾーはコバルタを下がらせ、ノストラサッジオに依願する。

 「お忙しい所、申し訳無いのですが、こんな事になった経緯を聞いて下さい。
  解決方法だけじゃなくて、色々御意見を伺いたいのです」

 「……話してみろ」

ノストラサッジオは硬い表情の儘で、無愛想に答えた。
458創る名無しに見る名無し:2012/09/09(日) 17:56:16.62 ID:LZyRYGTd
コバルタとノストラサッジオの顔色を伺いながら、ラビゾーは慎重に話し始める。

 「彼女は男なんです」

 「……いや、その娘は女だ。
  私の予知は外れない」

ノストラサッジオは、「ラビゾーが少女を連れて来る」と予知した。
彼は自らの予知に、絶対の自信を持っている。

 「ええ、今は女です。
  ――が、元は男だったのです」

 「フン、成る程……そう言う事か……。
  何者かに、男から女へと性別を変えられたと言うのだな?」

 「はい。
  ノストラサッジオさんに伺いたいのは――」

 「解っている。
  犯人に心当たりが無いか――だろう?
  話を続けてくれ」

ノストラサッジオは、予知魔法が無くても、基本的に勘が良い。
故に、時々思い込みが先行して、全く見当違いな誤解をする。
459創る名無しに見る名無し:2012/09/09(日) 17:58:01.78 ID:LZyRYGTd
ラビゾーは持っている情報を、全てノストラサッジオに明かした。
……とは言っても、個人を特定出来る様な、大きな手掛かりは無い。
ノストラサッジオは眉を顰めて、答え難そうにする。

 「それだけでは、中々……どの魔法使いとは言えないな」

 「判らない物ですか?
  魔力の流れとか、魔法の痕跡とか調べれば、何か……」

ラビゾーは共通魔法使いが行う、心測法をイメージして、ノストラサッジオに尋ねたが、
答えは連れ無かった。

 「専門外だ。
  お前は判ると言うのか?」

 「いや、僕は魔法資質が低いんで……」

 「『古代魔法<ルーディメンタリー・マジック>』の一種だとは思う。
  だが……それ以上の事は、魔法解析の専門家であっても判らないだろう」

古代魔法と言う、聞き慣れない魔法の名前に、ラビゾーは興味を持つ。

 「古代魔法って、どんな魔法なんですか?」

 「原理不明、効果未知の、古い魔法の総称だ。
  特定の魔法を指す物では無い」

 「それって、使い手は限られるのでは?」

ノストラサッジオは片手を眉間に当てて俯き、疲れた様に息を吐く。

 「私が知る古代魔法使いは、限られている。
  魔法暦以降に、名前を聞けた者は、たった4人。
  その内、面識があるのは、アラ・マハラータ――お前の師しか居ない」

 「後の3人の中に――」

 「いや、手口が違う。
  人の願いを歪んだ形で叶える……。
  都市伝説では聞いた事はあるが、果たして実在しているかとなると……」

ノストラサッジオは続きを言わず、「これ以上教えられる事は無い」と暗に表した。
460創る名無しに見る名無し:2012/09/09(日) 18:00:52.18 ID:LZyRYGTd
ラビゾーは隣に居るコバルタの様子を窺う。
彼女は真剣な表情で、ノストラサッジオの話を聞いていた。
取り敢えず、ノストラサッジオが相応の知識を持つ、旧い魔法使いだと言う事は、解って貰えただろうと、
ラビゾーは安堵した。

 「有り難う御座いました。
  では、僕等は取り敢えず、街を歩いていれば良いですか?」

ノストラサッジオが静かに頷いたのを確認して、ラビゾーはコバルタにも問う。

 「他に、聞いておきたい事は無い?」

 「……はい」

少し考えた間を置いて、コバルタも頷く。
ラビゾーとコバルタが退出の意思を固めた時、丁度見計らった様にノックの音がした。

 「宜しいでしょうか?」

ラビゾーとコバルタは驚いて振り向いたが、ノストラサッジオは平然と答える。

 「ああ、お帰りだ」

ノックをしたのは、マグマの幹部。
彼は予め、話が終わる時間を、ノストラサッジオから知らされていたのだ。
マグマの幹部に案内され、ラビゾーとコバルタは廃ビルを出た。
461創る名無しに見る名無し:2012/09/09(日) 18:03:48.11 ID:LZyRYGTd
「旦那、もし俺が男に戻れなかったら……女の儘だったら、俺、どうすれば良いッスか?」

「馬鹿な事は考えるな。予言が信じられなくて、不安なのか?」

「はっきり言うと、そうッス」

「あのな、男に戻れる、戻ってやるって気概が無くて、どうする?」

「でも……もし、もしもの話ッス」

「余り悪い方へ悪い方へと考えるなよ。
 …………だが、どうしても魔法が解けなかった時の事か……」

「俺を置いて行くのは、無しッスよ?」

「そうだなぁ……独りが心細いなら、僕の旅に付いて来るか?
 ティナー市の外にも、色々な魔法使いが居る。
 その内、お前に掛かった魔法を解ける人とも、出会えるかも知れない」

「……良いッスね。じゃあ、旦那の事、先輩って呼んでも良いッスか?」

「急に、どうした? 僕は、どっちでも構わないが……」

「今から旦那の事は、先輩って呼びます」

「好きにすれば良いよ。でも、男に戻るのが第一だぞ。忘れるな」
462創る名無しに見る名無し:2012/09/09(日) 18:05:46.97 ID:LZyRYGTd
続きは次スレが立ったら
463創る名無しに見る名無し
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