「鬼子ぉぉぉおおおおおおっ〜〜〜!!!」
お昼か夕方かよくわからない半端な時間帯。ひのもと家に威勢のいい声が響き渡った。
夕飯の下拵えをしていた、ひのもと鬼子は意外な訪問者にハタ、と手を止めた。
いつもなら、もっと朝早くやってくるか、昼過ぎにはくるはずの声だったからである。
土間から縁側の方へ視線を送ると、障子に写り込んでいる人影が二つ。どちらも見覚えのあるシルエットだ。
「あれ〜〜?たなかとついな〜〜?めずらしいね〜〜?」
居間で遊んでいた小日本が、障子をあけ、縁側の向こうにいる来訪者に声をかけた。
そう、どちらも鬼子にはなじみ深い人影だった。一人は一目とわかるくらい特徴的で、もう一人はごく一般的な人影だった。田中匠と如月ついな。
確かに、この時間に二人一緒にやってくるのは珍しい。
しかも、ついなの特徴すぎる人影はさらに何かを背負っていた。
土間の方までガサガサと音が聞こえてくる。
「あれ〜〜ついな〜それって、ささの葉〜〜?」
小日本も同じような事を思ったのだろう。
「へっへ〜〜ん、どや、スゴいやろ!あんまりええ笹の葉やってん、このウチが直々に持ってきてやったんやっ!ありがたく思いなやっ!」
とっても得意げなついなの声が響く。
「いや〜〜今日はガッコーの用事が手間取ってさ〜なんとか用事を切り上げたら、バッタリついなっちと会っちゃってさ〜ひのもとさん、いる?」
田中匠の声も聞こえてくる。
「なんだ、なんだ。今日は騒がしいな。ただでさえ、やかましいってのに」
そう言ったのは今さっきまで小日本の遊び相手をしていたわんこだ。
「なんやとっ!!」
「まーまー、ついなっち。今日は戦いに来たんじゃないんだし」
絶妙な呼吸で田中がとりなした。
どうやら、今回は戦わなくてもよさそうだ。
如月ついなという娘はなんやかんやとよくわからない理由でしょっちゅう戦いを挑んでくる女の子だ。
素質は悪くないんだろうが、なにぶん若すぎるのと粗が目立つため、毎回適当にお相手してお引き取り願っているんだが、全く懲りる様子がない。
何故か今回のように戦いが目的でない時にもやってくることがあるので、敵というよりは道場破りを装った
門下生のような気がしてきている。もっとも、ココは道場ではないんだが。
一方、もう一人の田中匠という女の子はちょっとした縁で最近知り合った人間の友人だ。こっちは普通に交流があって、遊びに行ったり来たりしている。互いに知っている事、知らない事があって
最近、鬼子の世界というか見識も広がってきている。
二人はそれぞれ縁がなかったが、鬼子を軸に知り合う事になった。
妙な縁で知り合った、タイプの違う二人だが、あれで案外ウマが会うらしい。それでも、ついなの方が鬼子の事を一方的に敵視しているので、鬼子の家に一緒にくることは珍しいのだ。
「見ぃやっ このホレボレせんばかりの枝っぷりっ!こないな立派なんはそーそーあらへんでっ!」
障子に映った影が誇らしげに笹の葉を掲げる。
と、わんこがごく当たり前の事を尋ねた。
「で、何でウチにわざわざ持ってきたんだ?ウチにゃこンくらいの裏の山いきゃいっぱいあンだけどな」
ピキッとついなの動きが止まる。
「七夕やりたいなら、他のおうちでもできるだろうに〜〜もしかして、ついな、おともだち、いないの〜〜?」
子供はいつも残酷だ。容赦ない言葉に障子に映ったついなのシルエットがグラッと揺れた。
「あ、あでもさ、いくつあっても困らないものだし!ね!みんなでいっぱい飾りつけつけて、せーだいな七夕にしようよ!ねっ!」
わたわたと、隣にいた田中のシルエットが狼狽で手をパタパタさせながらあわててフォローを入れた。
さっきまで片手で軽々と笹の葉を掲げていたついなシルエットは今じゃうなだれるように竹に寄りかかっていた。
見ててちょっと気の毒だ。そこにようやく、鬼子がやってきた。
「あ、それじゃあ、裏に七夕の準備してありますから、一緒に立ててみんなで飾り付けしましょう。
沢山飾り付ければ願い事も叶いやすくなるなるかもしれませんしね。飾り付け、まだこれからなんですよ」
「よ、よっしっゃ鬼子ぉ!どっちが綺麗な飾り付けができるんか、勝負や!ウチがギッタギタにしたるわ!」
鬼子の言葉に勢いづいたのか、さっきまで笹の葉を抱えたまま地面にのの字を書いてヘコんでいたついなだが、
急に勢いづいて立ち上がった。この際、目元にある涙の跡らしきものはみんな見ない事にした。(小日本は気がつかなかった)
「いや、普通にみんなで飾り付けようよ……」
何でも勝負にしたがるついなに、田中がもっともなツッコミを入れた。
──続く……といいなあ──
>>262続き!
「それじゃぁ、飾りを作るための和紙の切れ端や布の端切れを用意しますね」
そう言って鬼子が奥に引っ込もうとしたとき……
「チッチッチ。そないなモン必要無いでっ!」
ついなは何やら自信満々で鬼子を呼び止めた。
「よっしゃっ!それじゃよー見とれよっ」
そう言うと、ついなはいつも背負っている巻物を取り出すとバサァッと広げた。途端、中から色とりどりの折り紙が
たちまち床に溢れた。
「ふわぁ〜何、これついなが持ってきたの〜〜?すっごぉ〜〜い」
床に広がった様々な色の紙を眺めて、こにぽんが素直に歓声をあげた。赤、青、黄は元より銀や金などの紙に
ハサミやペーパーナイフ、糊なども豊富に揃っている。
「ふっふっふ。せやろせやろっ!ぎょーさん持ってきたさかい、いくらでも作るとえーわ!」
ここぞとばかりに腰に手をあて、得意げにふんぞり返るついな。
(どんだけ楽しみにしてたんだ……)
わんこや田中辺りは内心そう思ったが、常識的な思いやりを発揮して口にしなかった。また落ち込まれると
メンドクサい。
それはともかく──
みんなで飾り作りが始まった。
「おふねできた〜〜」
こには水色のお折り紙で船を作って得意げに掲げた。会心の出来らしい。
「へへっ手裏剣だぜっ」
わんこは手裏剣を作って忍者になりきってシュッシュッシュと飛ばして遊びだした。
「コラ、わんこ、遊ばないっ!」
ゴリラ、兜、キリンと手早く折りあげた田中がすかさず注意を入れる。
「………………」
ついなは何故か先ほどから静かだ。
「ん〜〜?ついなっちはどーしたの〜?」
「あっ!ちょっ……!」
ついなの制止も間に合わず……田中はひょいとのぞき込み……
「あ……ちゃ〜〜」
ちょっぴり後悔した声を漏らした。そこにあったのは折り鶴?と、思しきゴチャっとした折り紙のなれの果てだった。
何度も折り曲げられただろう紙はヨレヨレのボロボロで、歪みまくった折口があさっての方向を向いていた。
「…………え、え〜とさ、つ、ついなっち?」
ついなは早くもズ〜〜〜ンと重い空気を纏いはじめている。
ま、まずいっ!このままだとまたメンドくさい事になるっ咄嗟にそう思った田中は
「ね、ついなっち、ついなっち。そ、そーいえばさー紙鎖まだ作ってないよね〜〜
ヤッパあれがないと盛り上がらないしさっ、これから作らない?糊が乾く時間とか考えると今から作らないとねっ」
あわててフォロー入れる田中。ついなはしばらく俯いていたが……
「……せ、せやな。ちっこいヤツちまちま作るよか、どーんとデッカイの作ってやろやないけっ」
何とか気を持ち直したようだ。紙鎖なら、適当に輪にした紙を繋いでいくだけだし、何とかなるだろう。
内心ホッとなで下ろす田中であった。
──暫くして。
「あらあら、そういえば、お夕飯の支度、どうしましょう」
鬼子は取りかかっていた夕飯の支度を思い出した。
意外な事にそれに返事を返したのは田中だった。
「あ、そんなに作らなくてもいいよん。来る途中、兄貴に作るよういってきたから」
「「!!」」
空気が、動いた。が、実際に動いたのは乙女な鬼子一人。
「まあ、それじゃあなおさら腕によりをかけて作らなきゃ」
鬼子はよけいにハリキリ出した。わけがわからず戸惑う田中。
「……え?あ、あの……鬼子さん?」
「だって、田中さんのお兄さまって、お料理上手なんですもの。負けていられませんよ」
田中の兄は料理好きで、その料理の腕が主に鬼子達の間ではよく話題になっている。
まあ、実際のところ、単純な対抗心だけではないのだが、その辺の事は田中にはわからない。
単純に「うちの兄貴がそんなにモテる訳はない」とか考えているためか、この事に関してだけは普段の察しの
良さが働かないのだ。
張り切って土間に向かう途中で、ふと思い出して足を止める。
「……あ、でもここにいらっしゃるには……」
鬼子の家は来るのにちょっとばかり特殊な環境にある。
「んーダイジョブ、ダイジョブ。ここ携帯通じるからさ、目印の所に重箱おいてって貰うし〜」
「「駄目(やで)ですっ!ちゃんと来て貰わな(あかんて)いとっ!」」
思わず、鬼子とついなが唱和して、田中が目を白黒させた。
「なっ?!な、なな、何?鬼子さんについなっち?」
「だだだ、だって、いくら趣味だといってもわざわざ料理を作って貰った上、持ってきて貰うだけなんていくら何でも
甘えすぎですよ!!」
「せや、せや、いくら何でもあんまりやっ!にーちゃんがかわいそうやでっ ここは一つ一緒に楽しんでもらわなっ!」
思わぬ勢いに意表を突かれて田中は目を白黒させる。
「え、ええっ?!そ、そそ、そう?でも、兄貴、こういうの参加したいモノなのかな〜?」
「それはあたし達がどーこー言うよりもまず聞いてみるべきですっ!」
「せや、せやっ!電話で聞いてみるべきやっ」
「わ、わわ、わかった、わかったから?それなら一応聞いてみるっ……」
二人の勢いに圧されて田中は携帯を取り出した。
「もしもし、兄貴?……あ、今料理中?……そんでさ……うん、で、ん、参加うん。まあ、うん。
そう。わかった。じゃあ、案内すっから……」
そして、携帯をしまうと……
「参加するってさ。迎えにいかないとね」と、一言告げた。
──ついなと鬼子が張り切ったのは言うまでもない。
──「どうも〜おじゃましま〜す」
夕方、日が沈む前に田中の兄、田中巧は重箱をもって到着した。
「ようこそいらっしゃいました。何にも無いところですが、どうかゆっくりしていって下さいね」
にこやかに鬼子が出迎える。田中兄を迎えにいったのは妹の田中匠だ。なんだかんだ、悪態をつきあいながら
やってきたが、喧嘩するほど仲がいいというヤツなんだろう。
「へー何か急に参加しちゃっていいのかな?何か手伝える事とかあったら、何でも言ってね」
物珍しそうに家の中を眺めながら田中兄こと、田中巧はそう申し出た。
「あ、いいえ、そんな……もう充分色々していただいているのに、悪いですわ」
「わ〜いごちそう、ごちそう〜」
こにぽんは家の中から漂ってくるいい匂いや、田中兄の下げている重箱を目ざとく見つけて思いも寄らぬ豪華な
夕飯にワクワクしていた。
「はいはい。それじゃあ、ちゃんと準備ができたらみんなでいただきましょうね」「わーい」
田中兄が到着してからも、七夕の飾り付けは着々と進んでいた。
「やっぱり、手伝うよ。ほら、こういうのは参加した方が楽しいからね。これ、できたの?」
「ひゃっ?!はひゃいっ」
さっきまでの威勢のよさはどこへやら。ついなは妙に静かになっていたが、背後から巧兄に声をかけられた途端、
奇妙な声をあげ、飛び上がった。
「ん?……キミは……あ、そーそー、確かいつかの迷子の」
田中兄はおぼろげな記憶を引っ張りだした。
「あ……あ、あの……あの時はどうも……」
顔をふせ、今にも消え入りそうな声でついなは呟くように返事をした。
いつもの威勢の良さは影を潜め、まるで借りてきた猫のようだ。
「いいえ、どういたしまして。あ、これ、上に飾り付けるんだね」
「は……はぃ……」
ガサガサと、ついなの手の届かない所まで紙鎖を取り付けていく。だんだんと飾り付けも完成に近づいていった。
「ねーねーあにたなか〜これも〜これもつけて〜」
ブンブンと、銀紙で作った星を振り、こにぽんが兄にリクエストする。
「はいはい……と、そぅれっと」
そう言うと、こにぽんを後ろから抱えあげて、こに手づから取り付けられるようにしてあげる。
キャッキャとこには大喜びで笹の上の方に星を結びつけた。
その陰でこっそり、ついなは息をついた。巧に近づけるのはウレシイ。でも、その反面やたらドキドキして
緊張してしまう。おかげで、徹頭徹尾調子が狂いっぱなしで、どうにか話しかけようとしてもどうしてもできない。
何て言えばいいのか頭の中がグチャグチャになって結局、何もいえずに終わってしまうのだ。
それでホッとする反面、いつも終わった後、大きな後悔が襲ってきてやっぱり落ち込んでしまう……
(けど、今日はあれや。七夕やし……ちょっとくらい願掛けしてもええやんか……)
若干、消極的だけど、ささやかにそう思うついなであった。
「はいはい、みんな〜お夕飯の支度、できましたよ〜〜」
縁側の近くで、鬼子がみんなに呼びかける。せっかくだからと、庭先にテーブルを広げ、外で会食形式で夕飯を
食べることにしたのだ。
「よっし、後は短冊に願い事を書いて吊すだけだし、メインイベントは後にしておくかっ」
田中がそういってテーブルにいくよう、みんなに号令をかける。兄が
「何でおまえがえらそーに仕切っているんだよ」とかつっこみ入れたりしたが。
ともかく、わいわいガヤガヤと和やかにイベントは進行していた。
「でもさ、いざ考えるとなるとなかなか願い事って思い浮かばないよね〜〜」
田中がモゴモゴと料理をほおばりながら話をふる。
「そうですね〜〜でも、せっかくですから。何かしら短冊に願い事を込めるのは。ステキですよ」
小皿によそった料理を兄に手渡しながら、鬼子は返事をした。さりげに味付けに自信のある芋の煮っ転がしだ。
「ありがと。で、我が妹はどんな願い事するんだ?」
「んふふ、乙女のひ・み・つ☆」
田中茶目っけたっぷりに返事した所を兄がチョップでつっこんだ。たちまち周囲が笑いに包まれる。
「こにはね〜短冊に、いっぱいお願い書いたの〜〜でも、全然足りないから、もっと沢山書くの〜〜」
こにぽんも、口の周りをベタベタにしながら、楽しそうに報告していた。さらに、どんな願い事をするのか
楽しそうにしゃべっている。
わんこは、モリモリ食べながら、そんなこにの報告に適当に相づちをうって、聞き流していた。
「…………」
みんながワイワイと和やかに食事をすすめる中、ついなはモクモクと食べていた。
「どう、ついなっち、楽しんでる?珍しく静かだねっ?」
ついなは急に不意を打たれたようにあわてて振り向いた。
「へっ?い、いやその、そ、そんなことあらへんで、メッチャ楽しんどるでぇ」
「そ、そう?それならいいけど……もう、短冊は書いた?一つくらいは書かないと損だよねっ」
田中は屈託無く笑う。ついなにしては珍しくうっすらとほほえんで返事を返した。
「せやな。うちも……願い事無いわけやないし……な」
何か思い込んでいるような表情に少し虚を突かれる田中。
「そ、そう?(ん〜なんか今日のついなっち、少しオトナっぽいなー?何かあったのかな〜?)」
だが、実は作業の合間についなは短冊をすでに飾っていた。……こっそりと。
〔田中のにーちゃんと……〕はっきり見とれるのはここまでで、後は文字が小さくなって読みとれなくなっている。
書いているうちにだんだん気恥ずかしくなっているのがよく分かるが……織り姫と彦星も読めないんではなかろうか。
「ねーねー、もっと短冊飾るの〜 兄たなか〜またあれやって〜」
こにぽんが、さっきのをよほど気に入ったのか、またやってとせがんだ。
「だめよ。こに、たくみさんに迷惑でしょ?」
鬼子がこにをたしなめようとしたが、兄は気にしなかった。
「あ、いいよいいよ、じゃ、この辺で……ん、なんだ?」
そのとき、ヒラリと顔になにかかかった。短冊だ。
途端、ついなの顔がサッと青ざめた。
(〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!)
声にならない悲鳴をあげる。よりにもよって、一番目立たないように飾った短冊だったが、ついな目線で
目立たないよう高い所につけた短冊は兄にとってはまさにドンピシャな位置だったのだ。
何気なく目を凝らす兄。
「ん……なんだこれ……?」
が、
「ねー早く〜こにの短冊もいっぱい飾るの〜〜」
しびれを切らしたのか、こにぽんが先をせがんだ。
「あ、ああ。ゴメンゴメン。……そりゃ!」
また持ち上げられ、キャッキャ、キャッキャとハシャぐこにぽん。ついなはコッソリ、胸をなで下ろした。
やがて────
「ふー、終わった終わった。思ったより手間取った」
兄がやっとこにぽんの「短冊飾り」から解放されて戻ってきた。
「すいません。あの子の為にお手をに煩わせてしまって……腕、疲れませんでしたか?」
鬼子はそういいながらすかさず飲み物を渡した。
「あはは、大丈夫です。あ、どうも」
そういって、飲み物を受けとり、うまそうに飲み干した。
「……それで、たくみさん自身はなさらないんですか?願い事……?」
ゴクゴクと動く喉を眺めながら、鬼子はうっすらとほほえみながら尋ねた。兄は飲み終えると
「いや〜、ははは。どんな望みがいいのかな〜あんまり思いつかないや」
飄々とした所は妹の田中さんとそっくりだ。
「あら、想い人とか、気になる女性とか……いらっしゃらないのですか?」
この言葉についながピクッと反応した。鬼子も何気ない振りしていたが、少し緊張する。
空気がやや張りつめた。が──
「いやーモテなくてさ〜そういうのホント縁がなくてね〜」
その言葉とともに張りつめていた空気がゆるんだ。ホッとしたような、恋愛対象とはみられていない事が
残念なような──
ついなも漏れ聞こえてくる二人の会話を聞きながらまた自己嫌悪に浸っていた。自分も鬼子のように巧とお話したい。
でも、勇気がなくて話しかけられない。鬼子はどうしてそんな簡単にできるのか。やっぱりあの娘は、
あの鬼の娘は敵だ。そんなような事を陰々滅々と考えていると、また二人の会話が聞こえてきた。
「でも、せっかくなんですから、何か書いたらどうですか?はい。これをどうぞ」
そういって、鬼子は赤い短冊とペンを巧に手渡した。
「ん〜そうだなあ。せっかくだし、そーいってくれるなら……なにがいいかなあ……ん、よし、決めた!」
暫く、サラサラとペンの走る音が聞こえてきて……
「まあ。いやだ、うふふ」
鬼子がくすぐったいような呆れたような声で笑うのが聞こえてきた。その仲のよさそうな声だけでついなは内心、
ぐぎぎ……と歯ぎしりしてしまう。
(な、仲よさそうやないけ……)
ちらっとついなが目をやると、早速、その短冊を笹の葉に結びつけに歩いてゆくのが見えた。
一体、どんな願い事を書いたんだろうか……ついなは気になって仕方がなかった。
横目でチラチラと見て、その場所をおおざっぱに確認するついな。
「なんだー兄貴のくせに願い事なんてぜーたくな事するんじゃねーっ
妹の友達のイベントなのに恥ずかしくないのかーっ」
田中が目ざとく見とがめ、ツッコんだ。
「うるせー、わざわざメシの支度させといてハブるなんて鬼かおまえは〜」
巧の口調も代わり、反撃する。
兄妹のジャレあいを真に受けて、鬼子がオロオロと様子を見守っている……
その間についなは、ダミーの短冊を手に、そっと兄の赤い短冊が飾ってある笹に近づいていった──
最初に気づいたのは兄貴との言い合いでジャレあっていた田中だった。
「まったく、兄貴はー ……ん?あれは──」
田中が見たのはやたらと不自然な挙動で笹の周りをウロついているついなの姿だった──
「ん?ついなっち、何してんの〜?」
田中が声をかけると、一瞬、ビクゥッ!とした後、わたわたと慌てた様子でついなが振り返った。
「え、い、いや、その……短冊を……えと」
「?」
怪訝な顔になってゆく田中になおも言い募るついな。
「ど、どこがええかな〜なんて、せ、折角やし、お星様にぎょーさん見えるとこがええな〜なんてその……」
ギクシャクと、おかしな姿勢を正しながら、ギギギッと、まるで油の注していない機械のように振り向いた。
「? ふ〜ん、ま、いいけどね。それあんまり引っ張っちゃダメだよ。固定とかしっかりしてないから」
明らかに挙動不審ではあるが、そう強くツッコむもんでもないか。と、放っておくことにした。
田中が離れるとまたついなは、覗き込もうとしたり、伸び上がるような姿勢をとったりと、妙な事をしはじめた。
……あれで、気づかれないと思っているんだろうか──
よくわからないが、好きにさせとけばいいか。田中はそう思ったのだが……
「ついな〜なにやってんの〜?」
今度は小日本が興味を示してきた。
「ぬななっ あ、いやその、短冊をやな……」
口の中でモゴモゴと呟いているのを知っているかいないか
「こにもね〜これ!次はこれを飾るの〜」
手には「アンコロモチ こにぽん」と、書かれた短冊を持っている。見回すと「ちょこれーと」「おはぎ」「ぜんざい」
等々、大体、そういうのばかりだった。さすが食いしん坊。
「ね、ね、これ付けて〜これ、こにじゃあ手、届かないの〜」
「な、なんでうちが……」といいかけたが、ふと気がついた。こにの短冊を付ける振りしながらなら、より自然に
あの短冊を覗けるのではないかと。
「よ、よっしゃ。まかしとき。これを付ければええんやな」
「うんっ!」
ついなは短冊を受け取ると、ぐぐっと背伸びして、つま先にも力をいれ、問題の短冊のある所まで背を伸ばした。
例の短冊は向こうを向いてて読みとることができない。もう少し、もう少し手を届かせれば……
この暗さではよく見えない。なんと歯がゆいものか……
クキッ
と、急に足首がヘンな方向を向いた。もともと、不安定な履き物だっただけに、容易にバランスを崩してしまったのだ。結果……
「どわぁぁぁぁぁぁあっ……!」
どて〜〜〜〜ん!と、七夕飾りごと倒れてしまった。
かろうじて小日本を巻き込むことこそなかったが、辺りはは騒然となった。
「ててて……いつ〜……」
倒れた拍子にあちこちブツけ、痛みに顔をしかめるついなの前にスッと手が差し出された。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
巧だった。途端、ボッと顔に血が上る。辺りが暗くてよかった。ついなは先ほどの不満を忘れてそう思う。
「ははは、はいっ」
声も裏返ってつい甲高くなってしまう。
手を握ると、いつかみたいに力強く、グッと引っ張り上げられ、助けを借りて立ち上がった。この手だ。
この手の感触が……
「ちょっとぉ、一体、何の騒ぎ?」
いきなり無粋な声で考えごとを断ち切られた。ウッカリ、ボーッとしていたらしい。見ると、ハンニャーが
家の障子を開けて文句をいっていた。
ハンニャーはこの家に住み着いている猫股みたいな存在だ。普段は可愛げのない猫の姿だが、このように人の姿を
とることもできる。その時は年齢不詳の美女の姿になる。
「ちょ、ちょっとっ?!ハン……やさん?!」
鬼子の慌てたような声が響く。それだけハンニャーはとんでもない姿をしていたのだ。
寝起きなのだろうか。乱れに乱れた着物は肩からズリ落ちそうで、胸元が大きくはだけている。
今にも胸元から大きなメロンがこぼれ落ちそうになっていて、足も片方、太股まで露出してしまっていた。
乱れた髪をボリボリとかきながら、眠そうな目で辺りを見渡たし、鬼子の声もどこ吹く風。
そして鼻をひくひくとさせた。
「ん〜〜そういや、今日は七夕か〜〜なんか美味しそうな匂いがするわね〜〜」
寝ぼけているのか、言葉もどこかチグハグだ。
「あ、は、はい。腕によりをかけて作ってきました。よければ飯夜さんも。どうぞ」
いつの間にか、巧はついなの隣から、ハンニャーの所へ重箱の一つを持って移動していた。
飯夜とは、人間の時のハンニャーの名前である。以前も田中家のホームパーティーにこの名前でお邪魔したことが
あったのだ。
巧が重箱を掲げるようにして差し出す。ハンニャーは背が高い上、縁側に立っているので、まるで家臣が女王サマに
捧げものをしているような絵面になった。
「ふ〜〜ん、どれどれ?」
知ってか知らずか。ハンニャーは身を屈めて重箱を覗き込む。すると、重量感のある、大きな胸の固まりが、今にも
こぼれ出そうになって巧の目の前でゆさ、と揺れる。
年頃の高校生には目の毒どころか、もはや暴力だ。
その視線に気づいてるのかいないのか。重箱からベーコン巻きを一つつまみ、上を向いて口の中に放り、
モグモグと咀嚼して飲み込んだ。
くちゃ……ぷちゅ……んく。
上を向いた喉元がなまめかしく動く。
つまんだ後、指先についた脂を舌先で舐める。
ヌメヌメと舌先が動き、指についた脂分をすべてぬぐい去った。
そして、ふ〜〜っと息をつく。
「ど、どうです?」
巧がそるおそるといった感じで尋ねた。
「ん〜〜そうねぇ……」
ふと、考え込むようにして、ひょい。と、巧の腕から重箱を奪い去った。
「あ……」
一瞬、巧はあっけにとられた。
「悪くないわね。もらっといてあげる。騒ぐのもホドホドにしときなさいよ」
そう言うと、障子の向こうに消えてしまった。
「あ……は、はい!」
パァッとうれしそうに巧は障子に向かって返事を返した。
面白くないのは乙女二人だ。どちらも「せっかくいい雰囲気だったのに……」と、思ったかどうかはともかく。
知らず、自分の胸元に手をやらずにはいられなかった。
二人ともハンニャー程のボリュームはない。
「ほらほら、兄貴、何ボサッとしてんのサ?!さっさとコレ、立て直してよっ!」
面白くなかったのは匠も同じだったらしい。兄をとられたような気分にでもなったのか。
さっきのジャレあいよりもずっと険のある声で笹飾りを立てるよう、叱りとばした。
「はいはい、分かったよ……って、ナニ拗ねてんだ」
「別にっ」
「?」
「…………」
ついなは笹飾りを立て直す巧の横で見ていた。先ほどの一幕を思い出してため息をつく。
(やっぱり胸の大きい娘の方がええんやろうか……)
触ったからと言って大きくなるもんでもないが、ついつい手がいってしまう。
カサ……
指先に何か触れた。
(? ……なんやコレ)
胸元から何か赤い色の紙切れがのぞいていた。笹の葉数枚がパラパラと落ちる。どうやらさっき倒れた拍子に胸元に
紛れ込んだらしい。
そろそろと引っ張り出すと文字が目に入った「たくみ」と。
ドキンッ
心臓が動いた。これはさっき見ようとして見られなかった、あの短冊ではないか。そこに巧の声がかけられた。
「あ、そこの短冊とってくれる?」
ビクンッ考えるより先に身体が反応した。
ズザザッ
思わず後ずさった。
「?」
巧が何か言う前に知れず、ついなはパタパタと駆けだしてしまった。
「あ、ちょっとっ!……なんだあ?一体?」
「鼻の下伸ばした、すけべえな兄貴が気持ち悪かったんじゃないの〜」
田中が冷たく突き放した。
「チェッ。なんだよ、それ」
そう言うと、地面に落ちている小日本の短冊を拾って笹の先に吊した。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……
つい逃げ出してしまった。そう遠くない、家の裏手。そっと懐に手を伸ばす。
そこに巧の願い事が書かれた短冊がある。
暗い中、短冊を引っ張り出す。暗いが、目を凝らせば読めないこともない。……だが。
(ええんか。ホンマにこないな覗き見みたいなマネでホンマにええんか?)
手の中にあるからこそ、そんな疑問が沸き上がる。冷静になった自分と、巧がどんな願い事をしたのか知りたい自分。
二つの自分がせめぎあう。目を閉じたまま、握りしめた短冊を前にもってゆき──
(〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
──結局、見ることができなかった。
ついなが戻ってきた時にはもうすっかり片づけられていた。笹飾りは立てられ、散らばっていた飾りも拾い集められていた。
「あ、来た来た。ついなっち、もういいよん。今度は簡単に倒れないようにって、キツ〜〜く言っといたから、
ダイジョウブだよん」
「おい、何だその言いぐさは」
兄が妹の言いぐさを聞き咎める。
「ふ〜〜〜〜〜〜んだっ」
匠はツーーンとそっぽを向く。
「ハハ、まあまあ、みんな楽しくしましょうよ」
あわてて鬼子がとりなしに入った。
ついなは緩く笑って横を通り過ぎた。
「……ついなっち?」
匠の声に少し考えごとをしていたついなはハッと我に返った。
「あ、う、うん。遠慮なく短冊、飾らせてもらうわ」
考えごととは言うまでもない。例の短冊をどうやって戻すかだ。
それほど難しいことではない。自分の短冊を結びつけるフリして、ドサクサにまぎれて戻せばいいだけだ。
少し高い位置だが、さっきと同じ間違いが起こらないよう、高い位置の枝を探し、たぐり寄せる。
(よし……これで……)
その時だった──
「あれ?それって、俺の……?」
すぐ後ろで巧の声がした。
驚きのあまり、手が滑って短冊を結びつける前にスポーンと枝が抜けてしまった。
「な、な、なっ……?!」
ついなが振り返ると、巧が手元を覗き込んでいた。
「ひ……あ……ぐ…ぅぅ……」
違うと言いたかったのに咄嗟に言葉がでてこない。喉の奥の方で何かがひっかかったようで、まともに息もつげない。
頭の中はさっきから「どないしよう、どないしよう、どないしよう」と同じ所をぐるぐる回ってばかりで役に
立たなかった。悪いことは何もしていないのに短冊取ったと思われてしまう……っ
「よかった、見つけてくれたんだ」
巧はそういった。
「へっ」
ついなは思わず間の抜けた声を出した。
「え、だって、さっきの騒動で見あたらなかった短冊、見つけてくれたんだよね?ありがとね」
そう言って、ついなの手から短冊をスルリと受け取った。
「あ……は、はい」
何か言う前に察してくれた。その事に思わず肩から力が抜けた。
……だが、ついなはふと気がついた。……今がお話をする最後の機会かもしれない。
何か言わなければという感覚はずっと頭の中をグルグル巡っていた。……言わなければ…………言わなければ……
今、どんな話題がいいのだろうか……
「あ……の……」
「ん?」
巧は短冊を付けようとする動作をやめ、振り返った。途端、それだけでボッと頭に血が上る。
「あ……あの……どん……な、お願いなん…で…す……か?」
その時の彼女の振り絞った勇気は称賛されてもいいだろう。
それを知ってかしらずか……巧は自分の短冊を見下ろして
「ん?これ?みたいの?いいよ。はい」
あれだけ悩んだのがバカバカしくなるくらいアッサリと短冊を渡された。
「あ、でも、女の子に見られるのはちょっと恥ずかしいな〜 笑わないでくれよ?」
そう言って巧はちょっと恥ずかしそうに笑った。
それを聞いて逆についなは緊張する。
(な、なな、何やてぇ、は、恥ずかしいやてぇ?!ど、どど、どんな内容なんや?!)
その内容とは──
『毎朝快便──たくみ』
(う……そ、そんなあ──)
あまりといえばあまりの内容に絶句するしかないついな。
後ろからはこれを見咎めた匠が文句を付け……
「コラ、バカ兄貴。あにしょーもない願い事してんのよ」
「いやだって、毎日のお通じは健康の秘訣だろ?」
「だったら、無難に『健康第一』とかにしときゃいいのよ!ってか、いいから書き換えろ!まるでアタシの
願い事みたいじゃん!」
「そうか?それじゃあ、横に『巧』って書けば……」
「お馬鹿兄貴〜〜っそれじゃあ、兄妹そろって願掛けしているじゃないかー!!」
そんなにぎやかな兄妹喧嘩さえ、ついなの耳には届かなかった……
──終わり──