【長編SS】鬼子SSスレ4【巨大AA】

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323大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c
―――時に大正9年、秋―――
今夜はやけに犬たちの声が騒がしい。生暖かい夜風が木々を揺らし、月明かりのみが夜道を仄かに照らしている。

町外れの深夜の稲葉川。橋のたもとの河原。そこには人に見えざる炎が2つ、上がっていた。
ひとつは青。そしてもうひとつは、―――緋色。
2つの炎は空で交差し、地を駆ける。炎が揺らげば川石は砕け、炎が大きく燃え盛れば、水面の月は大きく割れ爆ぜ散る。
青の炎が千切れ、一方に向かい飛ぶ。それを緋色の炎はよけ、あるいは混じり合う寸で弾き飛ばす。緋の炎が夜空に一筋激しく燃え上がる。真っ直ぐ撃ち下ろされた紅蓮の炎が青火を真二つに両断する!
だが。だが、それに比例するはずの音がしない。目線を反対の河原側に移せば、そこはススキが揺るる、古来より変わらぬ秋の夜長。まるで川の中央を境に透明な遮幕があるように存在(あ)る、2つの世界。
風呂の水の中で手を叩いているのを見るかのように、1町(いっちょう=約110メートル)間ほどしか離れてない集落の人々の耳に届くものは・・・なかった。

324大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c :2011/06/25(土) 22:59:31.46 ID:nFzLfxoy
「ワシャ見たんじゃあ! あれは火の玉じゃ。鬼火(おにび)じゃっ。とてつもなくでっけぇ鬼火が、バチバチぶつかりあっとった!」
蕎麦屋の暖簾の奥で、老人のけたたましい声が響く。昨日子ノ刻頃、たまたま通りかかってその様子を見たという翁は、大げさな身振り手振りでその様子を語っていた。
「・・・じいさん。だからいつも言ってんだろ。深酒はやめとけって。この前は“ヒトの姿(なり)した鶏”、だったか? 赤いトサカの。なんだそりゃ? 息子の嫁が泣いてんぞ」
相手をしていた男は肩をすくめ、翁をたしなめる。翁の酒飲みはこの界隈では有名だ。
「ゆんべはワシはほとんど飲んどらんっ。ほんとに河原で鬼火が飛びまわっとったんじゃ!」
翁はツバを飛ばして言い募る。
「じいさん。奈良の大仏さんが一升飲んでも、ちぃっとですむが、人が飲みゃぁそりゃ深酒ゆうんじゃ」
話を聞いていた浅黒い肌の人足が耳をほじりながらそう言うと、周囲がドッと笑う。
「ホントじゃ言うに・・・」
そう言うと翁は、椀に入った濁り酒をグッと煽ると、机につっぷし、やがてイビキをかきだす。やれやれ、また翁の息子に迎えに来るよう使いを出さねば。そんな店の女将の言葉に皆ひとしきり笑うと、各々の話題に戻っていく。
325大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c :2011/06/25(土) 23:01:35.69 ID:nFzLfxoy
「それはそうと・・・、例の噂聞いたか?」
「ん? あぁ、あの若い娘子が夜な夜な殺されるゆうやつか? 先日ので6人だったか。どこぞの助平野郎の仕業だろ。物騒なこった」
そう言って饂飩をすする男に、ハンチング帽をかぶった男は声を潜める。
「これは画報社(新聞社)に勤めるやつにコソッと聞いたんだが・・・、どうもおかしい、らしい」
「おかしい? らしい?」
ダシ汁を飲み干し、尋ねる。
「んむ。ほとんどが首を掻っ切られて死んでいるらしいのだが、『ホトケさんにも、周囲にも、血がほとんど残ってない』そうだ。」
「首を切られたのに血が? どこかで殺されて、その後そこに捨てられたんじゃないか?」
「と思うがな。だが、犯人が変態ヤローなら首以外にも傷がありそうなものだろ? だがそれはなかったそうだ」
「・・・・・・。ふ、ん。『手籠め』にするのが目的じゃないってことか」
「判らんがな。それと、おかしい点がもうひとつ」
「もうひとつ?」
「あぁ、そのかわり。ホトケさんの手には、まあ時期柄ではあるんだがな、―――“もみじの葉っぱ”が、握られていたそうだ」
男達は二人して首をひねるのであった。


326大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c :2011/06/25(土) 23:04:22.87 ID:nFzLfxoy
「参っちゃったなぁ」
道ばたに立つお地蔵さまの隣に置かれた一抱え程の石に腰かけ、袴に紅色の大正羽織を着た少女はため息とともに呟く。
川沿いのそれなりに広くならされた道を、カラカラカラと人力車が町の方向に向かって急いでいる。
『大正でもくらしぃ』で、ひと昔前とは違い、女性の社会進出がだんだん認められつつあるこの時代。人々の生活にも活気があり、町には色とりどりの様々な店が軒を連ね、駅に行けば蒸気機関車で遠出も可能となってきている。
人通りもそれなりにあるこの道なのだが・・・。黒く長い髪、そしてそれを頭の上の大きな赤いリボンで纏め、結構目立つであろう容姿の鬼子なのだが。
誰もそんな鬼子を気にしない。眼を合わそうともしない。のんびりと牛を連れた農家らしき人が鬼子の前を過ぎる。唯一鬼子に気づいたらしい牛が、彼女を見ながらブルルと鼻を鳴らすのだが。
鬼子は右手にぶら下げたものを見、もう一度ため息をつく。
(足袋が汚れちゃうけど、しょうがない。もう片方の下駄も脱いで、裸足で帰るしか・・・)
そう思い鬼子が立ち上がろうと思った時。
「あの。どうかなさったんですか?」
鬼子の頭上で声が聞こえた。
「 え? 」
鬼子は顔を上げ、飛び込んできた太陽の光におもわず一度眼を閉じる。間を少し取り、鬼子はソッと瞳を開けた。
逆光を背に。全身白い・・・これは軍服だろうか? 糊の利いた上着の肩には飾り紐が付き、ボタンには菊の紋様が刻まれている――――を纏い、同じく陸軍の徽章を付けた白い帽子を被った青年が、そこにはいた。
327大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c :2011/06/25(土) 23:06:24.99 ID:nFzLfxoy
「あの・・・わたし、ですか?」
鬼子は尋ねてみる。
「え? いや、はい。その・・・、物憂げなお顔でなにやらお困りのご様子だったので・・・」
鬼子と白い青年の視線が、ピタリと合う。どうやら間違いなく青年は鬼子に声をかけたようだ。
歳は鬼子と同じくらいか、少し上、だろう。よく見れば、なかなか端正な造りの顔をしている。今どきの青年にしては下顎の細い、だが一本筋の通った鼻梁。帽子から零れる髪は逆光のせいか、鬼子には白銀に輝いて見えた。
そして、意思の強そうなキリと上がった眉毛と、少しだけ少年の面影を残した、黒い二重の瞳。だが、鬼子と合ったのは青年の右眼のみだ。
青年の左の眼は、その端正な顔に似合わない包帯で塞がれており、伺うことは出来ない。
「・・・わたしが、見えるんですか?」
鬼子のその言葉をどう受け取ったのか、青年は左眼の包帯に思わず手をやる。
「あ、この目は、そ、その・・・も、“麦粒腫(ものもらい)”にかかって。大丈夫、ちゃんと見えていますよ」
青年はなぜか困ったようにハハハと笑う。
その笑顔に、鬼子は下心のようなものを見つけられなかった。人好きのする、なんとも好感の持てる爽やかな笑顔だ。まったくどこかのトリ野郎に見習わせたい。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないんです。そうじゃなくて・・・」
(おかしいな。隱形の結界はちゃんと張っていたはずなんだけど)
どう言うべきか迷っている鬼子に、青年はもう一度笑みを向ける。
「大丈夫ですよ。気にしないで。あぁ、下駄の花緒が切れてしまったんですね。どうぞ、僕に貸してください」
「え、あ・・・」
そう言い、鬼子の右手のものを受け取ると、青年は河原の斜面に向かいそこに生えていたススキの穂を数本手折ると、鬼子の元へ戻ってきた。
「少し、待ってくださいね」
青年はススキを手際よく両手で撚(よ)る。あっと言う間にそれで編紐を作ると下駄の目に通す。そして・・・。
===カラン・・・===
鬼子の足元にそれをそっと置いた。
「どうぞ。これでなんとか家に帰りつくまでは大丈夫だと思いますよ。ちょっとかっこ悪いかもしれませんが」
これで勘弁してください、と言い頭をかく。
しっかりと撚られた花緒は、このまま十分実用にも耐えられそうに見えた。
328大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c :2011/06/25(土) 23:08:26.63 ID:nFzLfxoy
「あ、ありがとう、ございます」
「僕の肩を」
そう言い青年はズボンの裾が汚れるのも構わず、地面に片膝を付く。目線の高さが鬼子のものと一緒になり、鬼子はつい頬を染めてしまう。
「あ、はっ、はい」
慌てて鬼子は片足で立ち上がり、青年の言葉に甘え彼の肩に手を置かしてもらい、体重をすこし預ける。そして地に置かれた右の下駄に足を通した。
うん。全然きつくもない。
「ありがとうございます。なんてお礼を言えばいいか」
人間(ひと)になにかをしてもらうのがこんなに暖かいなんて。鬼子は嬉しく思い、立ち上がった青年を少しだけ見上げ、満面の笑みで礼を言う。
その笑顔を見、突然青年の顔が傍目にも判るほど朱に染まり、慌てて自分の胸のあたりを右手で抑える。
「 ? 」
「と、とんでもないっ。僕・・・じゃない、じ、自分は、当たり前のことをしただけで、そ、そのお爺様からも『女性には優しくするべし』と常々い、言われておりましてそのっ・・・」
なぜこの青年はこんなにも慌てているのだろう? 少し不思議に思い首をかしげる。
「んと・・・。その、本当に助かりました。あのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「もっ、申し遅れました! じっ自分の名は『南條 眞魚(なんじょう まお)』と申しますっ!」
青年・・・眞魚はなぜか敬礼しながら言う。
「(クスッ)わたしは鬼子。『日本 鬼子(ひのもと おにこ)』です。・・・ヘンな名前でしょ?」
そう言い鬼子はペロと舌を出し、笑う。自分の名前に対する人間の反応は慣れっこだ。だが青年は・・・。
「と、とんでもありませんっ。 優しく力強い、素敵な名前です! と言うか、名前とのギャップがまた堪らない、と言うか・・・じ、じゃなくて、その!!」
慌てる眞魚に鬼子は一度ポカンとした表情を浮かべ、そしてまた笑う。
「あは♪ そんな風に言われたのは初めてです。なんだか・・・とっても嬉しい、な」
329大正浪漫ノ章  詠麻呂 ◆HxC0abXB7c :2011/06/25(土) 23:11:24.49 ID:nFzLfxoy
「いえ、その自分の名前のほうが、その男らしくないと言うか、ヘンと言うか・・・」
「あら、そんなことないですよ。かの弘法大師・空海様の俗世の御名前ではなかったですか? 徳高いお名前だと思いますよ」
その言葉に眞魚が感心する。
「へぇ、お詳しいんですね。知ってる人がいるとは思いませんでした。そうらしいですね」
(まぁ、あの人とは、あまり良い思い出はないんだけどね・・・)
鬼子は声に出さずに顎をかく。
こんなに人間と打ち解けて沢山話したのはいつ以来だろう。本来鬼子もおしゃべりは嫌いではない。
眞魚も緊張が溶けてきたのか、鬼子との談笑を好ましく感じているようだ。知らぬ間に時がすぎてゆく。
やがて涼しくなってきた秋の涼風が鬼子のリボンを揺らし、鬼子は慌ててそれを押さえる。
「あら、もうこんな時間。そろそろわたし帰らないと」
鬼隠ヶ岳と呼ばれるここから西側の連山を見、そこに隠れる準備を始めた太陽を眺めながら、鬼子が呟く。
鬼子の仕草や表情に見蕩れていた眞魚は、その言葉にハッとした表情になる。そしてつい、
「あ、あの鬼子さん!!」
・・・また、うわずった声をあげてしまった。
「 ? なんでしょう?」
笑顔で首をかしげる鬼子を見、眞魚は一度グビリと喉を鳴らす。
「ま、また鬼子さんとお話すること、叶いますでしょうかっ?」
渾身のチカラで言う。だが、目線だけは真っ直ぐ鬼子に向けて。
鬼子は一瞬顔を曇らせ、そして呟く。
「・・・そうですね。またお会いする機会があったら。その時はまた、是非」
その言葉に、鬼子とは逆に、素直に眞魚は喜色を浮かべる。
では、と深々とお辞儀し、鬼子は眞魚に背を向ける。
「・・・鬼子さん、かぁ」
眞魚は小さくなってゆく鬼子の姿が、鬼隠ヶ岳に消えるまでずっと見送るのだった。

そんな眞魚のことを先ほどから少し離れた場所で、数人の野菜売りのおばさん達が見ていた。そして声を潜めヒソヒソと話す。
「あれ、南條さんトコの坊っちゃんやろ? ・・・なんと話しとったんや? 独り言をブツブツと。」
「さあねぇ」
もう一人の老婆は、今晩の夕餉はなににしようか。そんなことを考えていた。


〜〜 日本鬼子 大正浪漫ノ章 序文 〜〜
                                              続く・・・かもしんない