続・怪物を作りたいんですが

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340「明戸村縁起」:2011/11/13(日) 08:39:33.47 ID:YvgFiajQ
 「……美川さんー!見てくださいよ」
小此木が覗いていたカメラを美川に手渡した。
「え?見ろって何を………ああっ!」
偶然美川がカメラを向けた中で、銃弾を浴びて倒れていた緑のバケモノが体を痙攣させながら起き上った!
「生き返った!」
「ナンダト!?…ヨコセ!」
美川からカメラをひったくったラーデンは、己の目にしたものに「Shit!」と悪態をつくと、仲間の米兵に何か言い、更に美川らにも命じた。
「ホンタイト、ゴウリュウスル!オマエタチモ……」
「待って!あなたたち、あそこに行こうっての?!そんなの無茶よ!自殺行為だわ!!」
「ワレワレハヘイシダ!センジョウリダハ……」
そのとき、美川らのいる辺りより少し上手の藪がざわめいて、一匹のケダモノが飛び出すと、ニセ米兵の一人に飛びかかった!
「ウワアッ!」
「ス、スロータン!」
バケモノと組み討ちする兵士にバレットが駈け寄ると、バケモノの後頭部に逆手で持ったナイフを叩きこみ、ぐいっと捻った!
「ギェェェェェッ!」
バケモノが体を逸らして呻き声を上げると、その口の中に白く光るナイフの切っ先が見えた!
両腕を後ろに回して相手を掴もうとするが、ニセ米兵がバケモノの髪の毛を掴み、更にナイフを抉るように動かすと、緑のバケモノはついに動かなくなった。
ナイフが突き刺さったままバケモノの体を横倒しに退かすと、下の兵士は緑の液体に塗れてはいるが、目立った外傷はないようだった。
しっかりしろと、バレットが手を差し出した。
「ダメダ、バレット!」
思わずラーデンが叫んだが…遅かった!
体を起こすなり、ソロータンは差し出された仲間の腕に噛みついた!
「グアァッ!」
予期せぬ展開にニセ米兵の一人、ポルステンが思わず後ずさる。
その背後からもう一体!
新たな緑のバケモノが山猫のように飛びかかってきた!
ソロータンの悲鳴や、バレットの叫びが、分校に押し寄せてきたバケモノの一部に届いてしまったのだ。
更に数匹のバケモノが、彼女らの身を隠していた藪に向かって突進してくるのに、美川は気がついた!
「Shit!Shit!Shit!Shit!!」「あわわわわ!」
「小此木!逃げるわよ!さあアンタも!」
美川は、同僚小此木とニセ米兵ラーデンを引き連れて、里山のさらに奥へと身を翻した!
341「明戸村縁起」:2011/11/13(日) 08:41:17.61 ID:YvgFiajQ
雑草の茂る段差を上り、木々のあいだをジグザクに抜け、狭い沢を飛び越える。
里山の雑木林を駆け抜ける美川の足取りに迷いは無い。
後を追う小此木とラーデン!
更にその後から野犬のように唸る影が二つ!藪も雑木も無視して、ほぼ直線的に追って来る!
追手の吐息までが感じられた瞬間、ラーデンがすぐ前を行く小此木の肩からカメラケースをひったくると、背後の吐息目掛けて横殴りに叩きつけた!
…ガキッ!
思いの外硬質な音がしたのは、カメラケースが相手の犬歯とぶつかったからだ!
直近の追手を殴り倒すと、返す力でラーデンはカメラケースを、続く追手の顔面に叩きつけた!
カメラケースと衝突した顔を軸にして、バケモノの体が逆上がりでもするように回転し、頭から落ちた!
その顔に、ラーデンが右軍靴の堅い踵を渾身の力でたたき落とすと、左の靴をバケモノの後頭部に支点としてあてがい、更に右靴をバケモノの顎にかける。
そしてその体勢でツイストを踊るように……。
……グギッ……
鈍い音がして首が関節構造上あり得ない角度で曲がり、バケモノは動かなくなった。
(…モウ、一匹ハ!?)
振返ったラーデンの視界に、いままさに飛びかからんとするバケモノの姿がはいった。
(…シット!)
組みつかれる!…と思ったとき、バケモノの後ろで、太い木の棒が大上段に振りかぶられた!
バケモノがラーデンに飛びかかるより、美川が棒きれを力任せに振りおろす方が一瞬速かった。
「がああああっ!」
背後からの攻撃にバケモノが振返ろうとした瞬間、ラーデンの両手がバケモノの顎と頭頂部にかかる!
ボキッ!
今度は腕を使った頸折りだ。
「サア……」
棒きれをポトリととり落した美川にむかって、ラーデンは言った。
「……グズグスシテナイテ、ニゲルゾ」
だが……それまで三人の先頭きって走っていた美川が、ただ立ちつくしたまま動こうとしない。
美川は、ラーデンが最初に倒したバケモノをじっと見下ろしている。
そのバケモノは女で……役場の事務員のように腕カバーをしていた。
仰向けに倒れたわきに、小さな縫いぐるみがストラップに繋がれた携帯電話が落ちている。
美川の目は、その上に釘づけになっていた。
「オイ……」
おいどうしたと言いかけたそのとき、三人が来た方の藪から、ケダモノの呻く声が聞えて来た。
(…Shit!)
ラーデンは無言のまま美川の腕を掴むと、引き摺るように駆けだした。
342「明戸村縁起」:2011/11/13(日) 08:43:12.28 ID:YvgFiajQ
 「落ち着いて、一匹ずつ仕留めていけ!」
兵たちに檄を飛ばしながら、サージは火線を突破したバケモノ=Greenthingsの顎の下に50AE弾を叩きこんだ!
着弾の衝撃がバケモノの首を、皮一枚残して粉々に千切り飛ばした!
サージとニセ米兵らの猛射は次々と緑のバケモノ=Greenthimgsを撃ち倒していく……。
分校が狭い谷間のどんずまりにあり、敵の進入路が一方に限られるという地の利もあって、
ニセ米兵はバケモノの突進をなんとか抑え込めていた。
しかし配下兵士の射撃は上官サージほど正確でないのか、一度は倒されても再び立ち上がるバケモノが目立つ。
さらに新手のバケモノも村の中心部から続々と詰めかけていた。
………さしものニセ米兵たちも、次第に押され始めた!
当初は30メートル以上あった交戦距離が20メートルほどまで縮まったところで、ついにサージが叫んだ。
「現在の交戦距離を保ちつつ、総員、ヘリを盾にする位置まで後退!」
支えきれないと見たのか!?
横一列の隊列が射撃を継続しながらヘリに向かって収束してゆく。
それに釣られるようにバケモノたちの突進方向もヘリに向かって収束!
そのとき!
閉ざされていたヘリの側面ドアが開放された!
「撃て!」
サージの怒号とともに、ヘリ内部から立て続けに白煙が迸った!
発砲音よりガシャッという重い作動音の方が目立つ射撃だったが、その破壊力は、軍用小銃など足元にも及ばなかった!
口径40ミリの高性能乍約弾が、ミドリのバケモノを吹き飛ばす!引き千切る!すり潰す!
Mk19オートマチックグレネードランチャー。
その威力は、あまりに非常識で、非日常的だった。
343「明戸村縁起」:2011/11/14(月) 18:44:11.80 ID:54KZCoGn
校庭前まで前進した兵がサージを振り返って叫ぶ。
「クリアです」
発射速度毎分300〜400発、有効射程は1500メートル。
オートマチックグレネードランチャーの降らす榴弾の雨は、ヘリ前20メートルから分校の建つ谷の入り口までを完全制圧していた。
「…あたりまえだ」
憮然と呟くと、サージはヘリの荷室内にしつらえられた「武器」に目をやった。
「まさかアイツを使わねばならんとはな……」
明戸村の状態は、ここへの途上に聞いたファン・リーテンの言葉を思い出した。

『危険なのはサージ、漏洩だよ』
『漏洩…つまりは変異の発生ってことだな?』
『そうだよ。そして変異は汚染の時間が長いほど大きくなる』

(どうやらこの村は全滅か。汚染がはじまったのは……)
頭の中で、サージはカレンダーを遡った。
(最大遡ったとして……震災前日か)
もし、汚染発生がそれ以前だったなら、震災以前に東北地方は地獄となっているはずだった。
(……それなら汚染開始から3日だな)
サージは自分らが撃ち倒したバケモノを見渡した。
犬歯は長くなり、全身に緑の血管が浮き出ているが、外貌ははっきりと人間を留めている。
(変異が小さいな……ってこたぁ、漏洩はつい最近か?………いや、待てよ?)
もっとよく見ると、すべてのバケモノに銃弾や炸裂弾による以外の古い深手がある。
(こいつらは、第1次汚染じゃない。1次汚染の奴らに殺られた2次汚染者だ。だから変異は初期段階……)
サージの表情が厳しくなった。
(この村のどこかに、第1次汚染のバケモノが居やがるのか!)
そいつの変異がいったい何処まで進んでいるのか?
さしものサージもでくわしたくない相手だ。
「総員集合!」
サージが大声を張り上げた。
「学校校舎内に簡易防衛線を設定し、ファン・リーテンらの帰還を待つ!」
344「明戸村縁起」:2011/11/14(月) 23:01:07.10 ID:54KZCoGn
気を取り直した美川は、ものも言わずに雑草の茂る段差を上り、木々のあいだをジグザクに抜け、狭い沢を飛び越えていった。
そのあとをラーデンと小此木も黙ったままついてゆく。
手入れのよくない林道に出て、そこからさらに岩場をよじ登った岩棚で、やっと美川は足を止めた。
「ここならたぶん大丈夫よ」
へばる寸前だった小此木は、その場に尻から崩れ落ちた。
「大丈夫ってことはー………あのバケモノ………もう来ないって………ことですか?」
「カメラ持って、そこの突き出た岩から腹這いになってみて」
小此木が、言われたとおりのかっこうになってみると、自分達の上がってきた林道はおろか、渡った沢や超えた倒木までがよく見えた。
「ここなら、バケモノが近寄って来ても、すぐ気がつくだろうってことよ。はい、それじゃ小此木くん、見張りお願いね」
おとなしく小此木が見張り番につくと、美川は別の突端に腰をおろした。
そこからは、ほんの微かにだが、樹間ごしに明戸の村を目にすることができた。
「オマエ……」
ラーデンが美川の隣に片膝立てた姿勢で腰を降ろした。
「オマエ……コノ村ノ人間ダナ?」
見張り役の小此木が驚いて思わず振返った。
「あのー、その外人さんの言ったこと、本当なんですか?実は僕もちょっとは……」
「……気がついてたってたわけ?」
小此木が頷くと、美川は苦笑してみせた。
「バレバレってことか。上手く誤魔化せてたつもりだったけど……」
口ではそう言いながらも、実は、バレてよかったと美川は思っているように見えた。
だが、続いたラーデンの問いに、美川の顔が強張った。
「サッキノ、バケモノハ、オマエノ知ッテル人間ダッタンダナ?」
それからたっぷり10秒以上、美川は何も答えなかった。
答えたくないとか、答えがみつからない……というレベルではなく、言葉そのものを忘れてしまったように、美川の視線は木々のむこうにあるはずの村の上を彷徨いつづけた。
そして………突然、美川の口から言葉がこぼれだした。
「携帯についてた縫いぐるみは、むかし私があげたものなの。あの子の名前は、名越花代。年が一緒で、附子の出だってことも一緒。そんでもって村を出ようって決めたのも一緒だった。結局、明戸を出られたのは私だけだったけど……」
345「明戸村縁起」:2011/11/14(月) 23:04:32.12 ID:54KZCoGn
「……村ヲ出ヨウトシタ?」
「もう何年も前の話よ……」
目線は村の方に据えたまま、美川は語り出した。
「明戸って、あのとおりのド田舎だけど、あのころだってやっぱりド田舎だった。花代も笑ってたわ。きっと江戸時代だってド田舎だったのよって」
そう言いながら美川も笑ったが、その笑みには微かな苦みが混じっていた。
「ド田舎トイウ、単語ノ意味ガ、ヨク判ラナイガ、ソレデ、村ヲ出ヨウト、シタノカ?」
美川は笑って、頸を横に振った。
「ド田舎だから村を出ようとしたわけじゃないわ。私と花代が村を出ようって決めたのは、私たちが余所者だったからよ」
「余所者トイウノハ……outsiderトイウコトダナ」
「私の親と花代の家族は、元はこの明戸より更にずっと山奥にある附子谷の集落に住んでたらしいの。
でもそこで何か恐ろしいことが起こって……」

『熊だ!熊だよう!でっけえ熊が出たよう!』
『靖江んトコが襲われただぁ!』
『も、もうこんなトコにゃ暮らしていけねえよぅ!』

「……それで一家で明戸まで逃げてきて……そのまま明戸に住むようになったのよ」
「ブス谷ノ……集落トイウノハ、villageトイウヨリ、hamletカ?」
「附子の者は、明戸では忌み嫌われていたの。毒の湧く谷のもの、山姥・山爺の子孫って言われて……」
明戸の者にとって、明戸は冥府の扉。
附子は冥府の中心だった。
「さすがに石ぶつけられたりはしなかったけど、それは明戸の人にとって、附子の者が人間以下だったから。住まわせてもらえるだけで、私たちは幸せと思わなきゃいけなかったの」
「ジャパンハ豊カデ幸福ナ国ダト思ッテタガ……」
ラーデンのセリフを、美川は鼻で笑い飛ばした。
「だから……私と花江は、義務教育を終えるのと同時に、二人して村を出ようって約束したのよ。でも……待ち合わせしたバス停に、花江はとうとう来なかった。さっきのが……」
美川はすこし言葉につまった。
「……さ、さっきのが20年ぶりの再会よ」
いつのまにか、美川の頬を涙が流れていた。
そして美川は……いきなりラーデンの方を振返ると、流れる涙もそのままに、キッとばかりに睨みつけた!
「さあ!私もこうやって正直に話したんだから、アナタも正直に話してよね!ニセ米兵さん!!」
346「明戸村縁起」:2011/11/17(木) 22:19:56.22 ID:/qwiYODT
「アナタも正直に話してよね!ニセ米兵さん!!」
「えーーーーーーーっ!」
小此木が驚いて振返った。
「ニセだって気がついてること、バラしちゃうんですかー?!」
ニセ米兵だと気づいてることが相手にバレたら、命まで含めてマズイことになりそうだ。
だからこそ咄嗟に美川は、「ニセだと気づいてない」フリをしたはず。
にもかかわらず、それを自分からバラすということは?!
「だって意味無いじゃない」
涙を流したまま、美川はしれっと言い返した。
「私たち、この人たちが銃を撃ちまくるとこ見ちゃってるのよ?なのに、『ニセ米兵だって気がついてませ〜ん』なんてフリ、続けられると思うの?!」
「あ……」
小此木を黙らせると、改めて美川はラーデンをキッと睨みつけた。
「それじゃ、まず、名前からお願いするわ」
それは美川と小此木にとって命の駆け引きでもあった。
銃こそ持っていないが、このニセ米兵は素手でも十分以上に強い。
それはさっきのバケモノとの戦いでも明らかだった。
その気になれば、格闘技……というより「殺し合い」のキャリアの無い日本人二人を殺すことなど、このニセ米兵にとってわけもないことだろう。
だからこそ、美川は自分から勝負に出たのだ。
「話して!」
涙の跡もそのままに、美川はラーデンに迫った。
「さあ!話して!!」
しばしラーデンは、美川の視線を睨み返したが、やがて自分から視線を外した。
「ヤハリ……ドコノ国デモ、女ハ、強イナ」
ふっと笑った顔に、バケモノとの格闘時に見せた殺気は微塵も見えなかった。
347「明戸村縁起」:2011/11/17(木) 22:21:38.27 ID:/qwiYODT
「俺ハ、ラーデン。俺ノ名ハ、ラーデンダ」
すると、カメラの望遠機能で辺りを見張っていた小此木が言った。
「美川さーん、そのラーデンっていうの、たぶん偽名ですよー」
それは美川も考えないではなかった。
「小此木くん、なんで偽名だって思うの?」
「この人がラーデンでー、あと仲間にソロータンって人がいましたよねー。あとバレットって人も。
ラーデンとソロータンは機関砲、バレットは対物ライフルの名前なんですよー。だから残りの一人はエリコンかボフォース……」
ラーデンが、やれやれというように苦笑した。
「ラーデン、ソロータン、ポルステン、バレット。察シノトオリ、ドレモ、偽名ダ」
「名前聞かれて偽名で答えたってことは、本名はNGなワケね。ま、それでいいでしょう。
どうせ名前聞いたのは、どう呼びゃいいのかってことで聞いただけだから……」
うしろでずっこける小此木は無視して、改めて美川は話しかけた。
「じゃあラーデン、こっからいよいよ本題に入らせてもらうけど……」
美川は足を胡坐に組み直し、ずいっと尻を擦らせ相手との距離を詰めた。
「グリーンシングズってなに?」
「………話シテヤッテモ、イイガ、聞ケバ、タダデハ、スマナクナルゾ」
美川ははっきりと頸を縦に振った。
「……ソウカ」
ため息ひとつついただけで、ラーデンは語り出した。
「コトノ始マリハ、トアルPlanthunterノ、持チ込ンダ、奇妙ナ標本ダッタソウダ……」
348「明戸村縁起」:2011/11/17(木) 22:23:48.52 ID:/qwiYODT
 「サージ!簡易電気柵の設置、完了しました!」「林間への赤外線センサー設置、終了です」「地雷敷設終了!」
指揮官であるサージのもとに次々報告が来た。
「しかしサージ……」
足元で電気柵への送電ケーブルを繋いでいた兵士が尋ねた。
「これほどの防御態勢をとる必要があるのですか?さっきは後れをとりましたが……」
「今度は大丈夫だと言いたいのか?」
サージは、それ以上は話さなかった。
話したところで相手が信じるとは思えなかったし、もし信じたなら、恐怖のあまり戦闘にならないだろう。
(オマエらは、アレを見ていない)

……………
………
………
「ラボで面倒が発生したようだ」
サージの前に立って歩く「聳え立つ壁」は、プロレスラーと並んでも巨漢でとおるような大男の白人だった。
190を軽く超える長身に、120キロ以上はある体重。
両サイドを残し禿げ上がった頭部とは対照的に、豊かな顎鬚が顔の下半分を飾る。
そして深く落ち窪んだ明るいブルーの目。
それがサージの上官であるバーナード・ブルータス・ウォレス大佐という男だった。
サージやファン・リーテンを含む仲間はウォレスを「カーネル」と呼び、敵は「ブルータル」ウォレスと呼んだ。
「ラボで面倒というと漏洩ですか?しかし、漏えいで我々にお座敷がかかるとは?」
カーネルに代わり、サージと並んで歩くもう一人の男が答えた。
「例の『緑のヤツ』ってことだよサージ」
男の名はファン・リーテン。
オランダ系イギリス人。
身長は175そこそこで痩せ形。
肉薄の高い鼻がワシのくちばしを想わせる。
高く秀でた額の上に、オールバックに撫でつけた灰色の髪。
深く抉れた頬とも相まって、その風貌はピーター・カッシングそっくりだ。
「『プロフェッサー』のいま一番お気に入りのオモチャが、何か面倒を引き起こしたのさ」
「さすがはファン・リーテン。とっくにお見通しのようだな」
輪郭のはっきりした発音で、『カーネル』は言った。
「ただの有毒物質や細菌の漏えいで我々が呼ばれることはない。我々が呼び出されるのは……殺しだ」
349「明戸村縁起」:2011/11/17(木) 22:25:26.75 ID:/qwiYODT
カーネルが立ち止まった。
その目の前には、青ペンキで塗られた金属製の扉。
見掛けは裏口か通用口なのだが、その扉こそサージたちが常々「石棺」と呼んでいる建物の、ただ唯一の出入り口だった。
サージ、ファン・リーテン、そして彼らに続く10人の兵たちの方に振返ったとき、カーネルの双眸は冷たい鋼の色を湛えていた。
「漏洩発生と同時に、石棺はオートロックされた。それ以後侵入するのは我々が初めてとなる。我々の任務は、感染対象の処分だ」
この場合「感染対象」には当然人間も含まれている。
だが、いちいちそんなことを確認するような者は一人もいない。
「交戦時の注意事項については……ファン・リーテン、説明してやってくれ」
カーネルに軽く会釈すると、咳払いしてから痩せぎすの男は口を開いた。
「感染のメカニズムは、狂犬病をイメージしてもらうと判り易い。
感染者が口から垂らす唾液、傷口から流れる体液が体内に入ればほぼ確実に感染する。
『体内に入る』とは、唾液の滴る口で噛みつかれる、緑の体液が滴る爪で引っ掻かれるといった判り易い事象だけではない。
たとえば相手を素手で殴ったとき、その拳の皮膚に裂傷などを生じていればアウトだと考えてもらいたい」
「…ってこたぁつまり」
サージが口を開いた。
ファン・リーテンの話しを中途で遮っていいのは、カーネルの他はこのサージだけだ。
「……接近戦は極めて危険というこったな。で、倒すにゃどうすりゃいい?」
「脳幹部を破壊する。ただ頭を撃つだけではダメだ。本物は映画やゲームに出て来るゾンビほどか弱くはない」
「しかし、敵がこっちを向いてるとき、脳幹は頭の後っかわだ。正面から正確に射抜くなぁ……」
「そうだねサージ。しかもこの場合相手は動いている。そんなヤツの脳幹を正面から撃ち抜くのは、キミやカーネルでもなきゃ難しいだろうね」
兵たちに軽い動揺が生じたと看て取ると、両眉をひょいと吊り上げてファン・リーテンはつけ足した。
「脳幹を狙撃できないなら、次点の対策として頸を切ればいい。こっちなら簡単だろ?」
「よし!諸君!」
ファン・リーテンやサージのやりとりを笑って見ていたカーネルが、ここで口を開いた。
「……指切りの三点バーストを敵の頚部に叩き込め。それなら頸を切断するのと同じことだ。……それでいいだろう?」
カーネルが顔を向けると、芝居がかった身振りでファン・リーテンが頷き返した。
「よし、それでは諸君!いざ行こう!……地獄へ!!」
カーネルは、石棺のロックを解除した。
………
350「明戸村縁起」:2011/11/17(木) 22:27:02.83 ID:/qwiYODT
「……石棺ニ入ッタ男ハ13人。生キテ出テキタノハ、カーネル、サージ、ファン・リーテンノ、ソシテ俺ノ4人ダケダッタ。
カーネルハ、石棺内部ノ総テヲ焼キ払イ、グリーンシングズヲ、滅ボシタ。
シカシ、サンプルマデガ失ワレタノデ、研究用ノ新タナサンプルガ必用にナッタ……。
トコロガ、大地震ト津波ノアト、現地ニ派遣シタ、エイジェントトノ、連絡ガトレナクナッタ。
ソコデ、空母ロナルド・レーガンノ災害派遣ニ、便乗スル形デ、我々ガ派遣サレタノダ」
「グリーンシングズ……緑色のバケモノ……」
美川は短く呟いたきり黙りこんだ。
「あの……」
美川の様子を気にしながら、小此木が口を挟んだ。
「……それって染るんですかー?」
「噛マレタリ、引ッ掻カレタリスレバ、ウツル」
「ひぇっ!?」
「ソレダケデハナイゾ。バケモノノ返リ血ガ、体ノ傷口ニ着イテモ、ウツル」
俯いてもの想いにふける様子だった美川が不意に顔を上げた。
「ねえラーデン、それ食べても感染するの?」
「ソレガオソラク、最悪ノ、感染経路ダ」
ラーデンは更に低く声を潜めた。
「血液経路デノ感染ハ、変異発症ハ速イガ、変異ノ巾ハ小サイ。ダガ、消化器官カラ感染スルト、変異速度ガ遅イ代ワリニ、変異ノ巾ハ桁違イニ大キク……美川!?ドウカシタノカ??」
ラーデンが総てを言い終えぬうちに、美川がすっくと立ち上がったのだ。
「ねえ小此木くん!?覚えてる??あの最初の家よ!祭川を越えたところで、私たちが最初に見つけた家!」
「もちろん覚えてますけどー、それが何か?」
「思い出しなさい!あの家の様子よ!緑のゲロはあったけど、血痕はどこにも無かった……ってことは!?」
「血液経路以外デ、感染シタ奴ガ、居ル可能性ガアルナ」
「こうしちゃいられないわ!小此木くん行くわよ!ラーデンもついて来て!」
「つ、ついて来てって、いったい何処行くんですかー?」
美川はザックを肩に背負い直し、早くも岩棚の降り口に手を掛けていた。
「附子には人が山爺や山姥に変身するっていう伝説があったの。それから、鬼を見張る『鬼守』の家系もあったわ。その血をひく人がいまもたぶんこの明戸に住んでいるはずなのよ」
「判りましたー!その人の家に行くんですねー?それでその人、なんて名前なんですかー?」
「多々良伍平さんと与一の兄ちゃんよ」
351「明戸村縁起」:2011/11/19(土) 19:15:28.00 ID:GFvi0YUZ
 寂れた寒村の里山はろくに山掃除もされないせいで、ただの森林に還ってしまっていた。
そのため、土地勘のある美川の先導があってなお、三人の歩は遅々として進まなかった。

「附子の集落には、村人が山爺や山姥になる伝説があったの」
「その山爺だかが、あのバケモノだってんですかー?」
「伝説だと、山爺や山姥になると牙が伸びて緑の涎を垂らすっていうから、間違いないと思うわ。さ!早くしないと暗くなる前に、多々良さん家に着けないわよ!」
「だったらなんでこんなに遠回りするんですかー?!」
ひときわ大きな声でそう言った途端、小此木の脳天に美川のゲンコツが降って来た!
「声がデカい!」
「す、すみませんー」
「遠回りしてんのは、村のなか通ったらバケモノやニセ米兵に見つかっちゃうじゃないの!」
何時の間にか、ラーデンはニセ米兵とは別扱いになっている。
ラーデンの方も何故か仲間と合流するとは言いださず、美川のあとに従っていた。
「でも美川さん!その多々良さんとかんトコに行くんじゃなく、村の外に連絡した方が……」
「そっちならタヌさんがやってくれるわ。私たちはタヌさんが応援連れてきてくれたときまでに、出来るだけの情報を集めとかなきゃなんないの!」
村に入る道が立たれていて狸鼻が村から出られなかったことなど、美川はまだ知らなかった。
「多々良の家は村の西側、附子谷に向かう途中にあるわ。村の中心を抜けないで行くには分校脇を抜ければいいんだけど……」
「ソノルートハ、止メタホウガイイ」
久しぶりにラーデンが口を開いた。
「爆発音ガシタカラ、オートグレネードヲ使ッテ、制圧シタニ、違イナイ。ソレナラ、分校周辺ハ、対グリーンシングズノ、厳重ナ警戒ガ、敷カレテイルハズダ」
「だからこうして、遠回りだけど東回りで行ってんじゃない」
「美川さーん!ほら、あれ見てくださいー」
大きな声を出すな!と言われたばかりなのに、また小此木が素っ頓狂な声を放った。
「道です!それも舗装された道ですよー!」
ボカッと小此木にまず鉄拳制裁を加えてから、美川は言った。
「あれが村道。村と外とを繋ぐメインロードよ。少し行けば明戸橋があって、それを渡れば……」
そのとき、不意にラーデンが美川の口を後ろから押さえた!
「……!?」
「黙ッテ、姿勢ヲ、低クシロ……」
相手の言葉が含むある種の臭いを、美川は敏感に感じ取った。
衣ずれの音すら立てないよう細心の注意を払って、美川は灌木の影にそっと膝まづいた。
……最初は何も感じなかった。
しかし、そのまま数分ほどそうしていると、美川にもラーデンが警戒する理由が判ってきた。
(臭いだわ!あの緑のゲロによく似た臭い……でもなんでこんな人気の無い所であの臭いが?)
352「明戸村縁起」:2011/11/19(土) 19:16:40.99 ID:GFvi0YUZ
(臭いだわ!あの緑のゲロによく似た臭い……でもなんでこんな所であの臭いが?)
更に気がつくと、辺りには小鳥一匹いなかった。
小鳥の囀りどころか、風も無いので葉擦れの音すらしない。
カラッ……カラカラカラッ
そのとき、山の静寂を破ったのは小石の転がる音だった。
カラカラカラッ!
(……また余震!?)
美川が最初に考えたのは、3/11の余震だった。
(……いいえ、ちがうわ。地面は全然揺れてない。それじゃ今の小石の転がる音は……)
すると今度はもっと大きな石……そして更に大きな岩が……と、岩の動く音が連鎖した!
こんども確かに地面は揺れていない!
最後にかなり巨大な岩がガラガラッと転がる音がして、そのあと辺りは急に静かになった。
やがて、美川らのいる場所からずっと下手の村道の辺りで、再び音が聞えて来た
今度の音は、さっきまでの音ほど軽くはなく、リズミカルでもない。
(岩が転がってる音じゃない。転がるんじゃなくって、引き摺るっていうのか……押しのけるみたいな……)
何かがいるのは間違いない。
村道を這いずっているらしい「それ」は唸りもしなければ、吠えもしなかった。
それ以上に奇妙なのは、村道の周囲の木々の揺れかたからして「それ」はかなりの大きさのはずなのに、樹間に姿が全く見えないことだった。
(まさか……透明なんてことが!?)
そのとき美川の耳元でラーデンが囁いた。
「ココハ、行ケナイ。他ノルートヲ、探ソウ」
ラーデンの囁きに従い、三人はじりじりと後退していった。

「それ」の姿は最後まで見えなかった。
353「明戸村縁起」:2011/11/19(土) 19:17:45.70 ID:GFvi0YUZ
「……まずいわね」
村道から充分に後退した森の中で、美川はどっかと腰を降ろして胡坐になった。
「多々良さんトコに行くには……村の中央を抜けるか……いまさっきの村道を横切る……最後がここまで来たコースを逆に戻って分校近くを抜ける……この三つしかないんだけど……」
「サッキモ言ッタガ……」
ラーデンはまだ村道の方を気にしていた。
「……分校ノ近クヲ、抜ケルノハ、自殺行為ダ」
「でもー、村の真ん中通るのも自殺行為ですよねー。バケモノがまだいるかもしれないしー」
「じゃ、小此木くん、人柱のつもりで村道まで戻ってくれる?」
「そ、そんなぁー!人柱だなんて、美川さん冷たすぎ……」
そのとき、ラーデンが音も無く村道の方に向きを変えた。
森の木々が枝を揺らしているが……体に感じるような風は吹いていない!
………ピシッ……
地面に落ちた枯れ小枝の弾ける音がした。
ピシッ!
……また音がした。
ピシッ!……ピシッ!
枝の揺れと音とは、ゆっくり近づいてくる
だが、近づいてくる物の姿は見えない。
「ひょっとしてー、村道から追っかけてきたとかー?!」
「…ソノヨウダ」
やがて……三人の見つめる方、十数メートルのところに立っていたクヌギの巨木が、メリメリと音をたて倒れかかって来た!
「見えませんー!?木しか見えませんですー!?」
「そんなバカな!?」
チッと舌うちしてラーデンは言った。
「コノママ、コノ森ニ居ルノハ、危険過ギル。里ニ降リヨウ!」
354「明戸村縁起」:2011/11/20(日) 19:30:14.30 ID:PWOrtepf
 追ってきた「見えない何か」を遠巻きに回避し、美川らは息を切らして明戸の里へと降りて行った。
「あれが仙岩寺、この明戸のたった一つのお寺さんよ。お寺っていっても神仏混淆だけど」
美川の指さす先の山の中腹に、崩折れかかった鐘撞堂が見えた。
「あそこの境内を抜けるのが錦平に通じる登山道への近道なの。問題は、村役場の近くを抜けなきゃいけないってこと」
「え!?」…と大きな声を出しかかり、慌てて小此木は自分の口を押さえた。
「……役場って、普通は村の真ん中にあるんじゃないんですかー?でも村にはバケモノにが……」
「ニセ米兵さんたちが、かなりやっつけてくれてるはずよ。たぶん……」
「たぶんなんて、そんな心許ないこと言わないでくださいよー」
「イヤ、タブン彼女ノ言ウトオリダロウ。奴ラハ、音ニ集マッテ来ル。銃声ハ、村中ノ、グリーンシングズヲ、呼ビ集メタハズダ」
「……だから、村にはバケモノはいない?」
「居ナイトマデハ、言ワナイ。我々ヲ追ッテキタ、モンスターノヨウナ、未知ノ怪物ガ、潜ンデイルカモシレナイカラダ」
「そんなあー」
まだ泣きごとを言いたそうな小此木の脳天に、また美川のゲンコツが降った。
「そんなに怖いんなら、アンタだけここで待ってなさい!私は独りでも行くんだから!」
鋭い口調で宣言すると、美川はさっさと斜面を下りだした。
美川は「独りでも」と言ったが、そのあとをラーデンもついていく。
こうなると……小此木に選択の自由は無かった。
「ま、まってくださいよー。僕も行きますー」
355「明戸村縁起」:2011/11/20(日) 19:31:53.56 ID:PWOrtepf
 ラーデンが遮蔽物の殆ど無い畑を這う姿勢で横切って行くのを、美川らは雑木林と畑の際々で見ていた。
「……だいじょぶですかねー?」
言葉で答える代わりに、美川はゲンコツを使った。
里が見える場所まで来たら、いっさい口をきかないのが約束だった。
もし近くにバケモノがいて気づかれれば、あっというまに二匹三匹と増えていくだろうからだ。
ラーデンは畑を無事横切りその向こうの農道も越え、更に向こうの低い垣根に張り付いた。
垣根の向こうには庭がひろがり、さらにその向こうには木造平屋建ての民家がある。
雨戸をたてまわす形式の古い民家だが、雨戸は開かれていて家の中まで見渡せた。
美川のところから見る限り、薄暗い家の中に動くものは見えない。
美川が見つめていると、垣根を背にラーデンが振り返った。
手の平を下にしてそれを地面近くで上下させてから、手の平を上に返してゆっくり指を動かした。
(「姿勢を低くして、慎重に来い」ってわけね)
まず美川が四つん這いの姿勢で木陰から滑り出すと、極力低い垣根に隠れるよう心がけて畑を横切りラーデンの傍らについた。
垣根の隙間から伺っても、民家の中に動きは無い。
続いて小此木が樹間から飛び出したが、小太りのうえカメラケースも背負っているので、動きがとてもぎこちない。
それでも姿勢を低くしようとする努力が、足のもつれとして現れるのはすぐだった。
(こ、このアホ!)
心の中で毒づく美川の目の前で小此木が派手にすっ転び、音をたててカメラケースが転がった。
その途端!民家の中で何かが動いた!
356「明戸村縁起」:2011/11/20(日) 19:34:21.84 ID:PWOrtepf
 薄暗い室内で雄叫びが上がり、正面大窓のガラスが庭に向かって砕け散って、庭に飛び出したのは白髪の老婆だった。
長い犬歯を剥き出し緑の涎を垂らしながら、血走った目を左右に走らせた老婆は、畑に腹這いになった小此木に気付くと、再び村中に轟くような絶叫を上げた!
(や!やばいっ!!)
年老いた姿に似ぬ激しさで、土を蹴立てて一直線に老婆が走り出した!
倒れ込んだまま小此木はまだ動けない!
(殺られちゃう!)
意味不明なことを狂ったように喚き散らしながら、老婆は美川らが身を隠す生垣を飛び越えた!
そのとき、美川の頭上で棍棒のようなものが振り回された!
生垣を飛び越えたところで、バケモノ老婆は地面に叩き落とされた!
バケモノを叩き落とした大型シャベルを手に、素早くラーデンが駈け寄る!
唸り声を上げ立ち上がろうとするバケモノの胸を足で踏みつけ大地に固定すると、手にしたシャベルの刃を逆手に持って振りかぶった!
「うわっ!」
思わず美川が両目を閉じる!
ガッ…シュッ!
鉄の歯が固いものにぶち当たる音と、土に突き刺さる音が続いた。
「シッカリシロ、美川!」
ラーデンの声に目を開けると、既に勝負はついていた。
「小此木モ、早ク!」
しかし、農道の下手と上手、その両方でけたたましい叫び声が上がった!
下手の農家から二人、上手の農家から三人のバケモノがころげ出ると、脱兎の勢いで三人目掛け走り出しす!
「シマッタ!」「うわあ!挟みうちですよー!」
「二人ともこっちよ!」
退路無しと見えたそのとき、美川は迷わず老婆が飛び出してきた民家へと駆けこんだ!

357「明戸村縁起」:2011/11/20(日) 23:27:38.86 ID:PWOrtepf
 「こっちよ!」
美川は躊躇なく他人の家に土足で踏み込んだ。
「こ、こんな家に立て篭もりですかー?!」
「んなことするわけないでしょ!」
美川は、テレビの置かれた居間を突っ切って廊下に出ると迷わず右に折れた。
「この辺の家の造りは、どれも似たようなもんなのよ!」
廊下から玄関に出ると、玄関横の曇りガラスの前を何かが慌ただしく横切った。
「そっちじゃない!」
玄関にカギをかけようとした小此木を怒鳴りつけると、美川は廊下を玄関とは反対の方に折れた。
簾の下がった狭い入口をくぐるとそこは台所。
嵌ったガラスの向こうが明るいのは裏口だ!
しかし、美川が手を掛けたのはガラスの嵌っていないもう一つの扉だった。
「裏口から逃げるんじゃないんですかー?!」
さっき通ったばかりの居間で、唸り声とともに何かが倒れる音がした!
追ってはもうこの民家の中にまで入って来ている!
「アンタは黙ってついて来なさい!」
美川が開けた扉の向こうは農機具置き場も兼ねた車庫で、黄色いバンが止まっている。
「やっぱりあった!」
「で、でもキーは?」
「この村じゃ、車のキーなんて……」
美川が手を掛けると、車のドアはそのまま開いた。
ハンドルのコラムにはキーが刺さっている!
「……見てのとおり、射しっ放しが常識よ!」
「ヨシ!ミンナ乗ルゾ!」
台所との間仕切りのドアがガクンと開きかけたが、ラーデンが肩をぶつけて押し返すと、素早くドアノブの下に持ってきたシャベルを突っ込んだ!
運転席に美川、小此木は助手席!
ラーデンはいかにも兵士らしく後部ハッチを開けるとそこに飛び乗った!
「イイゾ!出ロ、美川!」
「オッケー!」
美川がギアをドライブに入れると同時に、つっかい棒のシャベルがとんでバンの車体にガツンとぶつかった!
車庫から飛び出す黄色のバン!
その正面にバケモノが一匹飛び出した!
「止メルナ!轢ケ!!」
ラーデンが叫び、美川はブレーキに置きかけた右足をアクセルに戻すと、力一杯踏み込んだ!
ガンッ!
車体が大きく揺れ、右のミラーがもぎ取れた!
358「明戸村縁起」:2011/11/22(火) 23:51:20.77 ID:Qocga02x
 民家を飛び出した黄色いバンを数人のバケモノが追って来るが、バンとの距離は次第に開いていった。
しかし追ってくる怪物の叫びが呼び水になって、行く手の道からは更にバケモノが飛び出してくる!
「絶対ニ、止マルナ!」
バンの荷室から更にラーデンが叫ぶ。
「数匹以上ニ、獲リツカレタラ、車ゴト、ヒックリ返サレルゾ!」
しかしハンドルを握る美川に、いちいち応える余裕は無い。
眦決してハンドルを右に左に切り戻しつつ、たいして広くもない村の道をただ突っ走って行く!
右から飛び出したバケモノを左にかわした瞬間、左側面が木製の電柱に激しく接触!
ガリガリガリッ!
「うおっとぉ!?」
助手席の小此木が悲鳴を上げ、左ミラーも吹き飛んだ。
接触で電柱が傾き、反動で車が撥ねて、車に縋りつきかけたバケモノを吹っ飛ばす!
さらにそのままの勢いで、車の正面に飛び出した割烹着姿のバケモノ女も跳ね飛ばした!
ボゴンッ!という鈍い音とともに細かくヒビが入って、フロントガラスが丸く凹んだ!
「前が見えない!?」
「退ケッ!」
後席背もたれを乗り越えたラーデンが、運転席と助手席のあいだから長い脚を飛ばしてフロントガラスを蹴り破る!
「…サンキュー!視界良好!」
確かに視界は良好だが……前から来るバケモノに対しノーガード状態だ。
小此木の座る助手席側も、電柱との接触で既にガラスは無い。
おまけにボンネットからは、微かに白い蒸気が噴き出し始めた。
「…ラジエターが壊れたっぽいわね。動かなくなるまえに、村を横切っちゃうわよ!」
「そ、そんな無茶なー!?」
しかし、小此木の抗議は美川の耳を左から右に素通りした!
「突撃レポーター!美川弓子!いっきまーーす!!」
美川はハンドルを村の中心部、村役場の方へと切った。
359「明戸村縁起」:2011/11/22(火) 23:52:43.76 ID:Qocga02x
「美川!トモカク飛バセ!」
「言われるまでもないわよ!!」
「奴ラガ、エンジン音ニ反応シテ、表ニ出テ来ル前ニ、走リヌケルンダ!」
魔窟と化した村を、メチャメチャに壊れたバンが白煙を巻きながら疾駆する!
ガラスが半分方無くなってやたら風通しのよくなった車内にも白煙が流れ込んで、素通しなのに前が見えない!
「うおっ!どひゃっ!うへっ!?」
「小此木!うるさいっ!!」
車の中にもたちこめる白い蒸気の向こうから飛び出してくる人影を、カンだけのハンドル捌きで猛然と突破!
サイドに取りついたバケモノにはラーデンが軍靴の踵ぶち込んで突き落とす。
「あ!いまのは!」
白煙の向こうに見覚えのある赤い標識が飛び過ぎた!
「郵便局です!マークが見えたー」
「……道まちがえた」
「んなアホなぁ!」
小此木の鼻っ柱に左裏拳をお見舞いすると、思い切りよく美川はハンドルをきった!
「あ!」
(やっちゃった)と美川は思った。
鈍重なはずの黄色いバンが、滑らかな挙動で回転する!
そして水蒸気の向こうから、雑草の生えた石垣が急に!!
「ごめん!ドジったぁ!」「あわわわ!?」
ヘッドレスト越しに後席からラーデンが腕をのばし、シートベルトをしていない美川と小此木の肩口を抑えつけた。
クワシャンという思ったより軽い音がして車が石垣に突っ込んでから、続いて車体後部が何かにぶつかり回転が止まった!
車の動きがとまるより先に、ラーデンは後席ドアを蹴り開けていた!
「降リロ!」
まず美川!続いて小此木を前席から引き摺り降ろす。
車の向こうからはバケモノが!
「走レ!必死ニ!」「う、うわああああ!」「こら小此木!騒ぐんじゃないっ!」
ひと固まりに走る三人!
車から十数メートルほど離れたとき、ボンネットから噴き出し続ける水蒸気の中から、先頭のバケモノが飛び出した!
三人の姿をみとめ、唸り声とともに道を塞ぐ車の上に飛び上がった!
「き、きたーーっ!」
目薬のCMのように小此木が叫んだそのとき!
漏れたガソリンに電装系の火花が引火!
車が大爆破!
黄色いバンは、一瞬で真っ赤な炎に包まれた!
360「明戸村縁起」:2011/11/23(水) 22:45:32.72 ID:tloZyv1k
 ラーデンが瞬時に二人を追い抜いたので、美川と小此木がそれを追う形となって、三人は駆けた。
いま三人の行く手には、前方にバケモノの姿は無い。
だが車の爆発音は、あたりじゅうのバケモノを呼び寄せるはずだ。
事実、四方の家々の中から立て続けにケダモノの雄叫びが沸き上がった!
(……アソコト、アソコハ×!)
ラーデンは山野を行く狩人のように、声のした方角を正確に特定した!
(アソコモ×!アッチハ……○!)
先頭のラーデンがスパッと右に折れブロック塀の小道に飛びこむと、美川と小此木も盲目的にこれに追従!
最後尾の小此木がブロック塀の影に飛びこむのと入れ替わりに、バケモノの一群が現れたが、それらは吠えたけりながら燃える車の方に駆けて行った!
黙れ!と警告されなくても、誰も何も言わない。
石垣を廻り込んだ向こう側からは、鼻を鳴らし歯ぎしりする音がはっきりと聞えてくるからだ。
石垣を挟んで、バケモノの一群は燃えるバンに、ラーデンに美川と小此木は反対の方に進んでいく。
石垣の裏側、チェーンの切れた自転車やシートの切れたバイクの転がるやせ地を行くと、三人はコンクリート造りの箱のような建物の裏口に出た。
息を潜めて美川は言った。
「村でたった一件のコンクリートの建物。関川ガソリンスタンドだわ」
「営業は……ずいぶん前に止めてるっぽいですねー」
「私が子供のころでも店主はけっこう年くってたから……」
そう言いながら美川が錆びたドアノブに手を掛けると、裏口に鍵はかかっていない。
ただ鍵は掛っていないけれども、蝶番が酷く錆びているらしく、容易には開いてくれない。
無理に開けようと力をかけると、ギギィィッと耳障りな音が空気を軋ませ、美川は慌ててドアから手を離した。
「……どうする?」
美川がラーデンを振返りかけたとき、三人の左右から鼻をならす音、粗い息が聞えた!
いまの音を耳にしたバケモノが石垣の裏まで回り込んで来たのだ!
「(マズイ!)美川!音ニカマワズ、押セ!!」
美川だけでなくラーデン、小此木も錆で縞模様になったドアに押しかかった!
蝶番の悲鳴がギギからガガに変って、裏口はゆっくり開き始めた!
しかし左右からの気配も鼻息から喚き声となり、どんどん近付いて来る!
「美川!入レ!」
ようやく開いたドアの隙間にまず美川が、続いて小此木が体を割り込ませた。
「美川さん!引っ張らないでください!痛い!痛いですー!」
「泣くな、小此木!!オマエが抜けないと、ラーデンが通れねえんだよ!」
「ぎ!?ぎゃああーーーっ!」
あちこちに擦り傷つくって小此木がドアの隙間を抜けると、同じ隙間をラーデンが楽々抜けた!
「コンドハ、閉メルゾ!!」
ラーデンと小此木が体重を預けると、軋み音をたてドアが閉じる!
「ミ、美川!ロックダ!」
言われるまでも無いと美川がロックに手を伸ばす。
しかしそのとき!ドーンという衝撃とともにドアが数センチも押し戻された!
「うわっ!?」「負ケルナ!押シカエセ!」
ドアの縁に、爪の剥がれた緑の指がかかった!
361「明戸村縁起」:2011/11/23(水) 22:47:12.67 ID:tloZyv1k
 緑の指を目にした小此木が悲鳴を上げた。
「ぎゃあ!?は、入ってくるぅーー!?」
「いちいち騒ぐなっ!」
美川は足元に転がっていたドア止め代わりの煉瓦を拾うと、躊躇うことなく緑の指に叩きつけた!
「どっかいけゴラァ!」
ぐぎゃっ!という悲鳴で指が引っ込んだ瞬間、ドアが閉まり、同時にラーデンがロックをかけた。
バン!バン!バン!バン!
向こうでは狂ったようにドアを乱打するが、ドアは鉄製だし、ロックも鉄板を曲げたものなのでちょっとやそっとでは壊れる心配は無さそうだ。
一安心して、ようやく周りを見回す余裕ができた。
美川らが逃げ込んだのはガソリンスタンドの倉庫らしい。
いちおうは屋根もあり、開きっ放しの狭い天窓から光も入って来る。
ガソリンが入っていたらしい錆びたドラム缶が一つ。
それからポリタンクもいくつか転がっているが、そのどれの上にも埃が厚く積もっている。
埃は床にも絨毯のように積もっており、長いこと誰も入って来ていないのは明らかだった。
ドアは……今も向こうから乱打されているものと、それから部屋の反対側にもう一つある。
入って来たドアはゴツイ鉄製で室内側にロックがあるが、もう一つのドアにはロックどころかドアノブも見当たらない。
「なんで何にもついてないんですかー?」
「向こうからだけ開閉するドアだからよ。もしあれに向こうから錠が掛ってたら……」
……美川らは袋のネズミということになる。
ラーデンは何もないドアの表面に両手をあてた。
軽く押すとドアは2〜3ミリほど動くが、そこでガクンと動かなくなる。
「だめってことですかー?」
たちまち小此木が泣き顔になったが、ラーデンは黙ったままドアの上から下まで手の平を這わせていく。
ドアの上部と下部の方が、中央部より動き巾が僅かに大きい。
「……他愛ナイ、ロックダナ」
表情を変えずに二三歩退くと、ラーデンは右足を振りあげドアに叩き込んだ!
ブチッでもバキッでもない音をたてて、ドアは開いた!
「助かったぁ……」
ふらふら外に歩き出す小此木……。
しかし……これまで聞いたことの無いような凄まじい咆哮が、突如として小此木を襲った!
362「明戸村縁起」:2011/11/24(木) 19:59:30.37 ID:Mc6wGrJq
 「ストップ!」の声より早く、小此木の襟首が掴まれてガクンと引き戻される。
そのほんの鼻先で、長い犬歯が凄まじい勢いで噛み合わされた!
吐き気を催す呼気に襲われ、小此木は一瞬意識が遠退いた。
「小此木!しっかりしろ!」ガキッ!「ぐえっ!?」
美川の顔面キックが、小此木の意識を呼び戻した!
「小此木!立て!」
立ちなさいではなく、立てと言うのが美川らしい。
倉庫の外は狭くはない中庭で隅には貧相な柿の木が生えていて、そこに一匹の雑種犬が繋がれていた。
「…うわっ!」
その姿を目にした小此木が改めて飛び退いた。
体毛は斑に抜け落ち、両目は目ヤニで塞がって、口の端には乾いた泡がこびりついていた。
体は大型犬クラスの大きさなのに、首輪が不釣り合いに華奢で、首が括れるほどに狭く喰い込んでいる。
そして口からは、緑の涎が滴っていた。
「近寄ルナ!変異シテル」
「あの首輪、なんであんなに喰い込んでるの!?」
「元ハ、ズット小サナDogダッタンダ。ソレガ、感染ニヨル変異デ、アノ大キサニ!」
首輪のサイズはもとのままに犬が大きくなったため、首輪が首に食い込んでいるのだ。
しかし普通であれば窒息しているはずの状態で、犬はいっそう凶暴に吠えかかってくる。
「……チエーンノ、長サニ、気ヲツケロ」
犬は鎖いっぱいの長さで斜めに後足立ちになり、猛烈な勢いで吠え続ける!
「チェーンノ、長サノ中ニ、絶対入ルナヨ」
犬を繋ぐ鎖はかなりの長さだが、壁に背中を貼り付かせるように行けば、ギリギリで中庭を横断して母屋の裏口の前まで行ける。
まずはラーデン、続いて美川、最後は一番臆病な小此木の順番で庭を越える。
危険慣れしているラーデンは、目前で吠えたける犬に一歩も足を止めることなく、母屋の裏口前に辿り着いた。
油断なく戸を開け、素早く中を見回す。
(問題ナサソウダナ……)
ラーデンは美川らの方に振返った。
「二人トモ早ク……」
そのとき、何もいないと見えた暗がりの片隅から、突然何かが跳ね起きた!

363「明戸村縁起」:2011/11/24(木) 20:01:43.57 ID:Mc6wGrJq
「グオオオオオオオオオオオオオッ!」
屋内から飛び出してきたバケモノに踊りかかられ、ラーデンは仰向けの姿勢で中庭に倒れこんだ!
その頭のすぐうえ、わずか数センチのところには吠えたける変異犬!
体の上には残り僅かな白髪を振り乱す緑のバケモノ!
ラーデンは両手でバケモノの首筋を掴みなんとか噛みつかれまいと距離をとるが、その動きのせいで体の位置がずれ、次第に感染犬との距離が近くなっていく!
「Shitttttttt!」
そのとき壁を背にした美川が叫んだ!
「関川伊佐巳さん!」
ハッとしたようにラーデンの上でバケモノの動きが止まり、視線が美川に移った。
「灯油、1リットルだけお願いしまっす!」
老バケモノの上体が伸び、何かを思い出そうとするように視線が宙を彷徨う……。
「ヨ、ヨモ……」
その瞬間、ラーデンは下から殴りつけると素早くバケモノと体を入れ替えた!
そしてバケモノより先に立ちあがると、まだ中腰だったバケモノの頭を左足で
石垣に固定!
素早く左足を除けると同時に、腰の回転で右足の踵をバケモノの眼窟の辺りに叩き込んだ!
メキッ!と音のしたとき、美川が顔をそむけるのを、ラーデンは見逃さなかった。
「……サア、早クコッチヘ」
動かなくなった老バケモノから目を背けつつ美川がラーデンの傍に駈け寄ると、小此木もこれに続く。
だが……庭の片隅で突然メキメキという音が聞えた!
吠え猛るバケモノ犬の動きに、鎖を繋いだ柿の木が傾き始めたのだ!
いっそう猛り狂うバケモノ犬!
さらに傾きを増す柿の木!
美川らと小此木のあいだにあった僅かばかりの安全地帯は完全に無くなってしまった!
364「明戸村縁起」:2011/11/24(木) 20:05:55.13 ID:Mc6wGrJq
「小此木っ!人生最大の勝負のときよ!死ぬか生きるか!?根性出しておっ走りなさいっ!!」
「い、いやですー!」
そのとき、いつのまにか母屋に入っていたラーデンが、卓袱台抱えて戻ってきた!
足二本を両手で持つと、卓袱台を盾代わりにバケモノ犬の前に立ち塞がった!
「イマダ!走レ!」
「うわあーーっ!」
目をつぶって小此木が僅かな距離を駆け抜けると、ラーデンも卓袱台をバケモノ犬に叩きつけて裏口まで後退!
そのときついに、柿の木が根元から折れた!
メキメキメキメキメッ!
「シ、閉メロ!」
ラーデンとバケモノ犬。
追うものと追われる者のあいだの僅かにな距離で、裏口はバタンと閉じた!
素早く美川が錠を下ろすと、ラーデンがダメ押しとばかりに近くの棚を裏口扉の前に動かした。
「コレデ一応ノ安全ハ、確保デキタナ」
さしものラーデンも少しばかり堪えたようすだったが、息を整えると美川に尋ねた。
「サッキ美川ハ、アレ……アノ老人ヲ、イカワ・イサミト呼ンダガ、知ッタ相手ダッタノカ?」
「………ええ、そうよ。知ってる人だったわ」
足元を見つめたまま美川が答えた。
「このへん冬、寒いから、子供のころよく灯油を買いに来てたの。おっきなポリタンク下げて。だけどお金が無かったから、買うのはいつも1リットルだけ」

『関川のおじさん。灯油、1リットルだけお願いしまっす!』

「そうしたら、おじさん、ムッとした顔で、よく作業服のポケットから飴出して私にくれたわ。
汚いポケットだから、私、ホントは嫌だったんだけど……」
視線を上げると、美川は懐かしいものであるかのように、部屋の壁にそっと指を触れた。
「附子者だった私のことなんて、村じゃ誰一人、気にかけちゃくれなかった。だけど関川のおじさん、私のことちゃんと知ってた、まだ名前も覚えててくれた……」
ラーデンはあの老いた変異者が美川の呼びかけに対し「ヨ、ヨモ……」と口走ったのを思い出した。
「美川弓子ってのはいわゆる芸名よ。ホントの名前は、四方寿美枝。四つの方と書いてヨモ」
不意に美川はラーデンらに背中を向けて笑い出した。
「バカだな私は。関川のおじさん、私のことちゃんと知ってたんだ。あの飴だって、きっと私のためにワザワザ用意してくれてたんだ。それなのに私は………私は……」
美川が振返った。
笑って、同時に泣いていた。
「……汚いからって、おじさんが見てない所で、あの飴、捨ててたんだ。作業服だから汚いの当然なのに」
美川は、笑って笑って、そして泣き続けた。
「明戸村の奴らなんて、みんなクズだって思ってたけど、考えてみりゃあ、私だって相当なクズだよねぇ」
笑って笑って笑って、そして、泣いて泣いて泣いて泣き続けた。
365創る名無しに見る名無し:2011/11/25(金) 22:40:27.92 ID:Y1DOY/gk
しまった、ドジった。
レス番363に出て来る元ガソリンスタンド店主は、構成当初は「井川伊佐巳」という名前だった。
ところが「井川」だと発音が「美川」に似ていすぎる(ikawaとmikawa)ので、「関川」に変更。
更に、子供のころの美川が、大人である関川を「関川伊佐巳」とフルネームで呼ぶのはおかしいので、「関川のおじさん」に再度変更。
ところが364のラーデンのセリフを直すの忘れてしまった(苦笑)。
美川にとって「大嫌いな故郷」が、次第に違って見え始めるっていう重要なパートだったんだけど、ドジってもうた。
お詫びのうえ、訂正します。
366「明戸村縁起」:2011/11/25(金) 23:44:12.94 ID:Y1DOY/gk
 ラーデンの読みどおり、村のバケモノは大半が分校正面でニセ米兵らに倒されたようだった。
さらに残りのバケモノが、関川ガソリンスタンド中庭裏口と爆発炎上するバンの回りに集まったらしく、美川らはそれ以上バケモノとはでくわさないで、目指す仙岩寺まで辿り着くことができた。
「なんとか到着ね」「命からがらですー」「気休メダガ、門ヲ閉メテオコウ」
寺の門は、寒村の古寺にしては板材も厚くしっかりしていた。
バケモノの攻撃に晒されてもある程度までは耐えてくれそうだった。
門を閉じて閂を通すと、ラーデンは振り向いて言った。
「随分シッカリシテイルナ。マルデ城塞ダ」
小此木も持参した地図を指さした。
「場所も変ってますよー。普通なら村の鬼門だからこっち、北東に置くはずですよねー?
でもこのお寺さんは村の北西。裏鬼門なら南西のはずだしー」
「…封じてるものが北西にあるからよ」
「北西にあるー?……いったい何を封じてるんですかー?」
「附子谷よ」
ぶっきらぼうに答えると、美川はさっさと話を切り上げ、本堂への石段を足早に上がって行った。
367「明戸村縁起」:2011/11/25(金) 23:47:05.33 ID:Y1DOY/gk
 石段を上がり切ると、まず目に着いたのはあの荒れ果てた鐘つき堂だった。
ラーデンが後ろから美川の手をとって止めた。
「なに!?」
「……見ロ」
ラーデンは鐘つき堂の片隅を指さした。
緑の吐しゃ物があった。
……例のバケモノ、変異者がいるということだ。
自然そこからはラーデンが先頭になり、慎重に寺の境内を進んでいった。
すると………。
本堂の傍でラーデンの足が止まった。
「……………」
「どうかしたの?」
ラーデンに代わって小此木が小さく声を上げた。
「……あ!?美川さん、聞えませんかー?」
「何が?」
「何がって……ほら、耳を澄ましてくださいよー」
言われるままに美川も耳を澄ますと、閉ざされた扉のあいだから、ポクポクというどこか丸みを感じさせる音が聞えて来る。
「木魚を叩く音だわ。まさか和尚さん、無事だなんて!?」
「……シカシ、此処ニハ、感染者ガ居タハズダ。無事ダナンテコトハ」
「でもあれは間違いなく木魚を叩く音よ!きっと感染した人は和尚さんに気がつかなかったんだわ!」
制止のため横に伸ばしたラーデンの腕をくぐると、美川は本堂正面の階段を駆け上がった。
「マ、待テ!美川!!」
ラーデンの警告も耳に入らず、美川は本堂の扉に手をかけた。
「(まさかまだ良庵和尚が住職やってるなんてことは……)すみません!」
キイッという乾いた軽い音がして、本堂の扉は開いた。
こちらに背を向け木魚を叩き念仏を唱えるのは、美川も覚えのある姿だった。
「良庵和尚さま!」
木魚を叩く手はそのままに、念仏だけがピタリと止まった。
368「明戸村縁起」:2011/11/25(金) 23:48:41.70 ID:Y1DOY/gk
「………その声は……………」
たっぷり十秒以上間をおいてから、和尚は続けて言った。
「…………四方の寿美枝ちゃんか?」
「そうです!」
美川は思い出した。
仙岩寺の良庵和尚は、「村の人のことなら、死んだじいさまから生まれたばかりの赤子まで、知らないことはない」と言われていたことを。
声を聞いただけでも、いや、足音だけでも、それが誰なのかすぐ判ると言われていたことを。
「20年ぶりに帰って来ました。私、四方寿美枝です。おひさしぶりです……」
そのとき、本堂に上がろうとした美川の肩ごつい手が捕えた。
ラーデンが耳元で囁いた。
「行ッチャダメダ!見ロ!アノ手ヲ!!」
「…………………あっ!」
囁く声の指摘するものを見て、美川は思わず息を飲んだ。
木魚を叩く撥(バチ)を握る手の指は、関節部分が変形し節くれだって、甲には太い血管がうき上がっている。
そして血管の色は……緑だった。
「そうじゃ………その人の……言うとおりじゃ。寿美枝ちゃん………ワシに近付いちゃあいかん」
木魚を叩き続けながら和尚は言った。
「近づいたら……寿美枝ちゃんにどんな悪さするか……わからんのじゃ」
「お……和尚さま……」
「いま……こうしておってもな……ワシの胸んなかは……口にだせんような……あさましい欲望で……もし木魚を叩くのをちょっとでも止めたらぁ………ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」
美川の見ている前で、和尚の後ろ姿が激しく痙攣を始めた。
激しく震えながら、それでも木魚を叩く手は止まらない。
やがて……痙攣は治まり、再び和尚は口を開いた。
「……寿美枝ちゃんのお連れさん……ひとつ……ワシの願いをきいて……きいてくれんかのう」
「言ッテクレ。何ガ、願イダ?」
「その辺に……ほ……包丁が落ちて……おろう?」
和尚の言うとおり、本殿の片隅にどこにでもある古びた包丁が転がっていた。
「それ……で……ワシを……ワシを……ワシワシワシワシワシワを………………………こ、殺して……欲しいんじあ」
ラーデンは包丁を拾いあげた。
「………美川、外ニ行ッテロ」
「……………」
美川が無言で外に出ると、ラーデンは本殿の戸を閉めた。
「……すまんのう……自分では……ようできんのじあ……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥………」

本殿の扉が再び開き、ラーデンが現れた。
「サア美川。先ヲ急ゴウ」
369「明戸村縁起」:2011/11/26(土) 23:56:59.74 ID:avP/JzL/
 季節は早春の三月。まだこの辺りでは雪の舞う時期だ。
まして山の奥とあっては、平地よりも夜の足は速い。
明戸村を出て山道へと入った美川たちの上に、はやくも巨大な夜の影が舞い降りていた。
「急ぎましょうよー。暗くなっちゃいますよー」
「大キナ声デ、喋ルナ。森ニモ、バケモノガ、イルカモシレナインダゾ」
暗がりの中、小此木が慌てて口を押さえた。
森の奥は一足早く闇に飲まれている。
その奥で、闇の中で、あの姿の見えないバケモノが這い寄っているかもしれない。
身震いすると、小此木はカメラを取り出し暗視モードに切り替えた。
冬枯れの森のなか、生き物の気配は………
ふうっ……安堵の息を吐いて小此木はカメラを下ろした。
(何モ、見アタラナカッタヨウダナ。ダガ、シカシ……)
ラーデンは考えた。
これまでこの明戸の村で出くわしたバケモノは、人と犬の変異。
だからあの姿の見えない存在も、何かの変異種と考えられる。
だが、居ながら姿の見えない変異種とは?
(カメレオン?……マサカナ)
こんな寒い地域にカメレオンがいるはずがない。
歩きながらラーデンは頭を振った。
それでは………いったい何が変異したバケモノなのか?
そのとき、先頭を行く美川の足が止まった。
「見て、あれよ」
山道の登り口あたり。
藍色の空を背景にして、山の輪郭が赤い光の先で描かれるその中に小さく特出して、多々良の家は建っていた。
370「明戸村縁起」:2011/11/26(土) 23:58:30.60 ID:avP/JzL/
 (夜が来たか)
分校の窓から、サージは明戸の森を眺めていた。
部下の兵たちは、既にぬかりなく配置についている。
赤外線と音響センサーもすでに作動し、周囲の森と校庭に電子の目を張りめぐらしているし、要所にはクレイモアまで配置した。
だから、彼らが遅れをとるような事態は金輪際あり得ない。
しかし………サージは事態を楽観してなかった。


『おい、まさかそんなものまで持ってけってのか?』
ファン・リーテンが指向性対人地雷の積み込まで指示するのを見て、サージは思わず声を上げた。
『アフガニスタンにでも戦争しに行こうってのか?』
『サージ、「石棺」で我々が戦ったのは、人とモルモットの変異体の二種だった』
『ああ、そうだ。「石棺」一個をお釈迦にしたが、なんとか片付けたぞ』
『もしこれから赴くアケドで漏洩が起こっているなら、事態は「石棺」よりも厄介だ。
なんといっても野外だからね。どんな変異体が出て来るか、想像もつかないから』


(おまえの言うとおりだ、ファン・リーテン。ここは、何が出てきてもおかしくはねぇ)
サージたちの倒した変異者は一次変異者の犠牲になった二次変異者に過ぎなかった。
もっとも変異が蓄積しているはずの一次変異者はどこに潜んでいるのか?
それから人間以外の変異体が存在するのか?
(考えても仕方ねえ。どうせ夜が訪れれば、どっちの答も判るだろうよ)
サージはそう確信していた。
(……今夜が山だ)
371「明戸村縁起」:2011/11/27(日) 00:00:16.72 ID:N329oLV2
多々良の家は、「家」というより「小屋」と呼ぶのが相応しかった。
明戸と附子谷を結ぶただ一つの山道を見下ろす高みで、吹きつける北風にガタガタ震えていた。
夜が近いというのに明かりは……ついていない。
小屋が間近になったところで、さりげなくラーデンが美川の前に出た。
暗くなっても明かりをつけていないということは、誰もいないか、さもなければ闇に潜む者がいるかだ。
ラーデンはフラッシュライトのスイッチに指を添えると、そっと小屋に近づいていった。
小屋の周囲には特に異常な気配、特に、例の緑の吐しゃ物の臭いは無い。
血の臭いも、唸り声もしない。
閉ざされた扉の向こうの様子をちょっと伺ってから、、ラーデンは勢いよく扉を開け放った!
同時にスポットライトが、既に真っ暗だった小屋の中に丸い光の円を落とした!
光の円の中に、男が座っていた。
つかれたように背中を丸めて。
男は顔を上げると、牙を剥くでもなく、唸りもせずにじっとラーデンを見返した。
ラーデンの後ろで、美川が息を飲んだ。
「た、多々良の伍平じいちゃん!無事だったのね!」
372「明戸村縁起」:2011/11/28(月) 23:37:24.51 ID:PNwETIE7
 制するラーデンの腕を振り切って、美川は男の前に出ると両膝ついて腰を下ろした。
「伍平さん。判りますか?わたしのことが?附子の寿美枝、四方寿美枝です」
「ヨモ・スミエ……………おお!思い出した。四方の照之と松代んとこの一人娘か、よう戻ってきたな」
「おひさしぶりです」
美川は三つ指ついて古風に頭を下げた。
「……大きゅうなったな。松代が生きてたら……」
「それより伍平さん!」
美川は尻をずらして、更に伍平との距離をつめた。
「村の様子を御存じないんですか?」
「村の様子?………村でなにかあったのか?」
「実は……」
ニセ米兵のこと、それからバケモノに変異した村人のこと。
美川は村で見てきたことのあらましを伍平に話して聞かせた。
「山爺、山姥が明戸に……」
「そうなの。それから山爺以外にもなんだか判んない見えないバケモノもいて…」
「そうか……」と言ったきり伍平は黙りこんだ。
そしてなにを言うでもなく、なにをするでもなく、ただじっと座りこんでいる。
そんな様子を見ていて、美川は次第に不安になってきた。
(伍平じいちゃん、ひょっとしてボケかけてるとか?)
俯いた伍平の顔を美川は下から覗きこんだ。
「あの……伍平さん。与一兄ちゃんは何処居んの?」
「与一かぁ……」
ふっと顔を上げると、伍平は家の中を見回してから、急に思い出したように言った。
「そうだ、与一はいんかったんじゃ。ワシが戻って来たら、与一はいんかった。何処にいったのか、ワシにも判んねえ」
「そんなぁ!」
美川は途方に暮れた。
附子の「鬼守り」多々良伍平に尋ねれば、何か対策が見えると期待していたのに……。
肝心な伍平はこのありさまで、息子の与一は行方が知れないというのだ。
「あの日、カカアの墓に花でも供えてやろうと、村の墓場に行ったんだが……」
「村?……明戸じゃなく附子のですね?でも地震あとの山道は危なくはなかったですか?」
「地震?なんじゃそれは?」
「3日前の大地震ですよ」
「3日……前の??」
伍平の表情に嘘は無さそうだった。
「あの……(そうだわ)」
レポーターの職業的直観で、美川は質問の方向を変えた。
「伍平じいちゃん、お墓に行ったのは何日?」
「墓参りに行ったのは……昨日のことだから……7日のことじゃ」
「7日っていうのは……それじゃもちろん今日は3月8日なのね?」
内心の驚きを表情に出さないのは、職業的訓練のたまものだ。
(なんてことなの!今日は3月13日なのに……)
多々良伍平の脳内では、3月7日からの5日間がすっぽり抜け落ちていた。
373「明戸村縁起」:2011/11/28(月) 23:44:05.88 ID:PNwETIE7
訛りのある伍平からの聞き取りは、ラーデンの日本語ヒアリング能力では手に余った。
老人の相手は美川に任せると、ラーデンは窓を被う板戸をそっと持ち上げた。
(雲ガ厚イナ。月ガ……見エナイ)
西日を背にしていた多々良の家もいまは闇に飲みこまれ、外の景色を見ようとすれば僅かな星明かりだけが頼りだ。
上って来た山道を見下ろすと、雲が厚いのかわずかな星明かりすらささず、明戸の村は全き暗闇の底にあった。
民家も、田畑も、あぜ道も、そして分校の校舎も、墨を流したような夜の底にどっぷり沈みこんでいる。
しかし、ラーデンは知っている。
それは夜歩くということを。
374「明戸村縁起」:2011/11/29(火) 23:11:03.27 ID:I9e1a2DE
 明戸村分校、屋根の上、東の端……闇の中で囁く声があった。
「おいラリー」
「……その名で呼ぶな!モーゼル!」
………………
「……おいワルター」
「なんだ?」
「ちょっと見てくれないか?右手の森の奥に、斜めに二股の木があるだろ?そのあたりだ」
「……」
ワルターと呼び直された男は、手にした狙撃銃のスコープを言われた辺りに向けた。
モーゼルの暗視装置は赤外線を照射してそれを緑に画面処理して見るタイプだ。
だから赤外線の届かないエリアを見ることはできない。
しかしワルターが手にする狙撃銃の暗視スコープは、物体自身が放射する遠赤外線を見るパッシブタイプなので、投光の効かない木々の向こう側まで見ることができるのだ。
ワルターはまず言われた辺り、それからその左右とスコープをひと通り向けながら、相棒に尋ねた。
「なにも見えない。ただ木があるだけだ」
………………
あるはずの返事が無い。
「どうしたモーゼル?なぜ黙ってる?!」
返事の代わりに、相棒のいる辺りから聞えて来たのはゴボゴボという何かが泡立つ音だ。
映画やゲームであれば、ワルターはそのまま為す術も無くモーゼルのあとを追うことになるだろう。
しかし現実の兵は、映画やゲームの出来あいのキャラとは違った!
ワルターは屋根の傾斜に身を投げ出しながら、音のする方に銃口の向いた一瞬のチャンスで引き金を引いた!

375「明戸村縁起」:2011/11/29(火) 23:18:55.47 ID:I9e1a2DE
続けざまに二発の銃声が夜の静寂を破った!
(いまの銃声は!)
サージの耳は、銃声は減音弾なので狙撃銃、一発目は屋根の西端、二発目は同じ東端だが地上からだと告げた。
(ルーフE班はモーゼルとワルター!狙撃銃はワルター!モーゼルは殺られたか!?)
矢継ぎ早にサージは指示を出した。
「トンプソン!ルーフE班を呼び出せ!ガーランド、センサー反応は!?」
「赤外線、感無しです!」「ルーフE班応答ありません!」
「なんだと!」
サージはトンプソンから無線のマイクをひったくった。
「ルーフE班!返事をしろ!ルーフE班!!……くそっ!」
マイクを無線手に投げ返すと、サージは「全員持ち場を離れるな!」と命じて窓際に走ると窓を開け放った。
「全員持ち場を離れるな!」
(たぶんモーゼルは殺られた…だがワルターは!?)
そのとき減音された三発目の銃声が耳に飛び込んだ。
「ワルター!」
サージの緑に調色された視界に、スコープ付き狙撃銃を手にした兵が入った。
減音弾はプレッシャーが低いので自動装填が効かない。
兵は屋根を見上げて必死に遊底を操作しながら、後ろ向きにどんどん校舎から離れていく。
「それ以上校舎から離れるな!それ以上離れると地雷に…」
ズーーーン!
爆発とともに兵士とその片足が別々に吹き飛んだ。
「ワルターッ!!」
サージが叫ぶのと殆ど同時に、吹き飛ばされた兵の上に何かが「飛び降り」た!
(……ワ、ワーウルフ?!)
欧米人の感覚からすれば、それを「ワーウルフ=人狼」と表現したのは当然だろう。
日本人であればそれは、もっと簡潔に「鬼」と表現したはずだ。
緑の画面に踊る緑の鬼。
それは、サージの最も恐れていた相手。
グリーンシングズの第一次感染者に間違いなかった。
376「明戸村縁起」:2011/11/29(火) 23:21:12.77 ID:I9e1a2DE
 風に、鈍い、詰まった感じの音が混じったのをラーデンは聞き逃さなかった。
(弱装薬ノ弾ノ発射音。狙撃銃ダ)
銃声がしたのは村の方……つまり分校だ。
(奴ラガ……来タ)
377「明戸村縁起」:2011/11/29(火) 23:25:31.98 ID:I9e1a2DE
「サージ!」
指揮官の背後でセンサーを睨んでいたガーランドが叫んだ。
「センサー感あり!」「場所は!?」「校舎西側の森の中です!」
叩き付けるに窓を閉めると、サージは無線手トンプソンに怒鳴った!
「ルーフE班と校舎内E班に接敵を伝えろ!」
「了解!……ルーフおよび校舎内E班!東側森より何物かが接近中!警戒せよ!繰り返す!!東側森より何物かが……え!?なんだと?そんなことがあるもんか!」
「いったいどうしたんだ!?」
「それがサージ!校舎内E班ドラケンの言うには、森の中には何も見えないと!?」
「…ガーランド、センサー反応は!?」
「継続しています。どんどん接近してまもなく森の際に!」
そのとき無線手トンプソンの顔色が変わった。
「あ……!グリペンが何か叫んでいます。それからドラケンも!」
だしぬけに校舎東側でバリバリバリバリというフルオート斉射が始まった!
そして…ズンという校舎全体を揺るがす震動、それからバキバキメキメキという木材の砕け割れる大きな音!
文字に出来ない男の絶叫は、それの始まったときと同様、だしぬけに終わった。
「校舎内E班!校舎内E班!!」
トンプソンは無線に叫び続けるが、どう考えても返事があるとは思われない。
「て、敵はセンサー領域を突破!」
センサー画面がガーランドが振返った。
「もう位置は不……」
不明と言いかけてガーランドの顔が凍りついた!
(……いちいち確認するまでもねえわな…)
軽く小首を傾げると……サージは電光の早さで腰のデザートイーグルを抜き放ち、振返ることなく背後のガラス窓に50AEの巨弾を続けざまに発射!
ガラスに貼りつくようにして歯を剥きだしていたワルターの顔面を半分方ぶち砕いた。
「各自防御戦闘開始!!」
サージが吠えた!
378「明戸村縁起」:2011/11/30(水) 22:39:28.33 ID:tpW2DXHg
 それまでの三発とは違う、発砲音が立て続けに響き、以後は銃声がひっきり無しになった。
(通常装薬ダ……乱戦ニナッタカ。兵タチニハ、カワイソウダガ、生キ残レルノハ、サージダケダ)
ラーデンも参加した「石棺」での戦闘。
そこで見せたサージの強さは異常なほどだった。
(彼とファン・リーテンの強さはゲームのキャラクターそこのけだ)
「ラーデンさんー、窓、閉めませんかー?」
うしろで小此木が情ない声をあげた。
「…寒いですー」
(マアイイ。情勢ハ判ッタ。変異者ノ集団ハ、分校ヲ襲ッタ。少ナクトモ、今夜ハ此処ニハ来ナイ……)
ラーデンは窓被いの板をそっと閉じた。
そのとき…いくままさに閉じようとする瞬間、ラーデンは窓の外に何かの気配を感じた。
(ナニッ!?)
ラーデンは再び板を持ち上げた!
………
…………
……
……………
日本人とはケタ違いに夜目の効くラーデンですら、外の闇に何かを見出すことはできない。
しかし彼のシックスセンスは、十数メートル向こうの林の中に、何かがじっとうずくまっていることを知らせてくれた。
バリバリと連続して遠い銃声は続く。
しかし心やすからぬその存在は、闇の中じっとそのままそのままに動かない。
「…ラーデン?」
気がつくと美川が傍らにやってきていた。
「……なにか気になることでもあったの?」
そう言うと美川は窓被いの板に手をかけ、大きく持ち上げた。
「……なにも見えないわよ……小此木くん、カメラ暗視モードに切り替えて渡してしてくれる?」
手渡されたカメラを美川が覗いたとき、外にいた「存在」は逃げるように立ち去ったあとだった。
379「明戸村縁起」:2011/12/06(火) 23:06:23.98 ID:vbooTap5
校内東端で叫び散らしていたM16が沈黙するのと同時に、野太い絶叫が響いた。
「(校内E班は殺られたな。屋上班は……)トンプソン!校内W班と正面口班を二次防衛線に後……」
しかしサージが「後退」を命じるより先に、分校内西端でもガラスの割れる音と激しい銃撃が始まった!
同時にM4小脇にセンサー班ガーランドが叫ぶ!
「学校正面に反応多数!村からの感染者です!」
「かまわん!そっちは放っておけ!クレイモアが始末してくれる!」
サージが怒鳴ったそばから、分校校庭前面で立て続けに爆発が起こった。
一基あたり700個の鉄球の嵐が、前面から押し寄せる変異者を、一瞬にして挽肉に変える!
さらに校庭周囲には電気柵。
柵を突破されても、そこから先には例のオートグレネードが着陣している。
まともに考えれば突破は不可能だ。
(変異度の低い奴らはどうでもいい!問題は高レベル変異者だ!いったい何匹いるのか!?)
銃を手にサージが廊下に飛び出そうとすると、トンプソン、ガーランドも続いて席を立ちかけた。
そのとき!爆発するように部屋の窓ガラスが砕け飛び、緑色の何かが飛びこんで来た。
「うああっ!」
ガラスの雨に打たれ血まみれで倒れ込んだトンプソンの上に、緑のものが顔を伏せると、トンプソンの悲鳴がゴボゴボと泡立つ音に変った。
「バ、バケモノめ!」
ガーランドの抱えるM4が火を吹き、トンプソンと「緑のもの」、区別なく銃弾が撃ち抜いた!
「バカ!無駄弾撃たず、ちゃんと狙え!」
トンプソンは死んだ。死因は噛み裂かれた喉の傷か?それとも全身をハチの巣にした銃創かは判らない。
しかし、「緑のもの」は顔を上げ、邪魔したな!というようにガーランドを睨み返した!
「ししし、死ね!死ね!死ね!」
ガーランドは機械的にトリガーを引き続けるが、もう一発も弾は出ない!
ボルトは既に後退位置で停止している!
キシャー!
ヘビのような威嚇音を放って「緑のもの」はガーランドに飛びかかった!
ドムッ!
鈍い発砲音ともに「緑のもの」の頭部が爆ぜた。
「……バカめ!脳幹を狙えと命じただろうが!」
ザージの放った一発で、「緑のもの」は後頭部下方から緑の粘液をダダ漏れさせ動かなくなっていた。
僅かな照明のもと、明らかになったその顔は……。
末期梅毒患者のように鼻の軟骨部分が腐り落ち、同様に耳も後頭部と癒合したようになっている。
唇は千切れたか腐ったか、ともかく無くなっていて、露出した歯は並びがぐちゃぐちゃになって長大さと鋭さを競っていた。
そして指は長く太くなって、爪が平爪からネコのようなギ爪に変形しかかっている。
「(……変異度が大きい。こうなるともうミュータントだ……)校内西班らと合流するぞ!」
「はい!」
「それからトドメを忘れるな!」
「は、はいっ!」
サージが廊下に飛び出すとガーランドはトンプソンの躯に銃口を向けたが、自分の銃は弾切れになっているのを思い出した。
足元には死んだトンプソンの銃が、一発の弾も撃たないまま転がっている。
(こっちを使うか)
ガーランドは死者の装備に手を伸ばした。
「悪いが……使わせてもらうぜ」
銃のスリングに指がかかったそのとき、死者がガバッと跳ね起きると、ガーランドの腕に掴みかかった!
380「明戸村縁起」:2011/12/06(火) 23:08:08.57 ID:vbooTap5
 「ひゃあああああああああっ!うわっ!わあああああああああああああっ!」
(なにっ!?)
いま飛び出したばかりの部屋から悲鳴が上がった!
振向くより早くサージは部屋の出口に銃口を向け引き金を引いた!
巨大な自動拳銃がグローブのような手の中で踊り、部屋から飛び出してきた頚部をあらかた吹き飛ばす!
(…こいつはトンプソンか)
部屋に飛びこむと、ガーランドが血の海でもがいている。
「サ、サージ……助けて……くださ……」
「判った。口をあけろ」
……ドムッ!
サージは眉一つ動かさず、部下の開いた口の中に巨弾を撃ち込んだ。
(くそっ!これじゃ石棺のときと同じじゃねえか)
 立て続けだったクレイモアの爆発音が止まって、いきなりカシャカシャという機械的作動音の目立つ発砲が始まった。
クレイモアのフィールドが突破され、オートグレネードが吠え始めたのだ。
しかし不思議なことに、変異者がよくあげる唸り声が聞えない。
(……高レベル変異者か!?)
Mk19を設置した校舎正面にサージは駆けた!

381「明戸村縁起」:2011/12/06(火) 23:10:28.17 ID:vbooTap5
オートグレネードの発射と爆発音が……着弾と爆発音の変化が状況の切迫化を冷酷に伝え来る!
その間も、敵は唸りもせず、叫び声も上げないが……その代わり、歌うような……泣くような詠唱が微かに聞えてくる。
オートグレネードの発砲音にM4のそれが加わった直後、サージの行く手で悲鳴の輪唱が響いた。
輪唱に、あの奇妙な詠唱が唱和する。
なむなんみだぶう……なむなんみだぶー……なんみだぶー……
「なにっ!?」
壁にぶつかったようにサージは止まった。
校舎入り口の側から人影があらわれたのだ。
なむなんみだぶー……なむなんみだぶー……
詠唱は人影が唱えている。
人影は、つるつるのはげ頭で日本のブッディストが着る「袈裟」を纏っていた。
「なむなんみだぶー………殺してもろうとうて、首切ってもろうたのに………それでも………死ねんのじあ……」
それは、仙岩寺住職・良庵和尚の変わり果てた姿だった。
ラーデンや美川らと会ったころはまだ「人」の姿を留めていたが、いまはバケモノ以外の何物でもない。
殺してもらうため、ラーデンに頼んで切断してもらった首は、縺れ合い蠢き続けるい紐状のものが束になって体と接続されている。
「いまのおシトらぁも………わじうぉ………殺ジてはくれんかった………アンタはどうガのぉ」
和尚の首代わりを演じていた紐状のものが、突如鞭のようにのたうち始めた。
「……Ok!come on!!」
首の鞭がカメレオンの舌のように襲ってきた!
382「明戸村縁起」:2011/12/06(火) 23:15:19.90 ID:vbooTap5
 村から離れた多々良伍平の小屋で、ラーデンは外の音にじっと聞き耳をたてていた。
(オートグレネードノ爆発音ガ止ンダ。防衛線ハ完全ニ突破サレタ……)
そっと振返ると、小屋の奥ではまだ美川の質問が続いていた。
問いただす美川に対し、答える伍平は甚だしく歯切れが悪い。
「ぷらんとはんたあ?」
「てんぷらの一種じゃないわよ、伍平おじいちゃん。プラントハンターってのは、珍しい植物なんかを探してる人のことなの」
プラントハンター。
直訳すれば植物狩人。
主に18世紀から19世紀ごろの英国や西欧に、世界中歩いて珍しい植物を探し回る人々がいた。
それがプラントハンターである。
蘭ハンターのように美しい花々を探す者もいれば、薬効のある植物を探す者もあった。
開国期の日本にも多くのプラントハンターたちが訪れている……。
「…要するに、花やなんかを専門に探しとる人のことなんじゃな?」
美川が頷くと、五平ははじめて合点がいったという顔をした。
「祭川の鬼の屏風、おじいちゃん、もちろん覚えてるわよね?」
「あ……おお、もちろん……覚えとるぞ」
「村からあそこに行く途中、藁葺屋根のちっちゃな家があるけど、あの家が鍵だと思うの。おじいちゃん、何か心当たりない?」
美川の目の前に、荒れ散らかった家の中のまざまざ蘇った
雨戸が閉め切られて家の中は滅茶苦茶。
奥の寝間に散乱した布団の下には、緑の吐しゃ物があった……。
「あの家よ!絶対まちがいないの!あれが、ニセ米兵のボスが言ってたプラントハンターの…」
「でも美川さんー」
そのときビデオカメラの撮影済み映像をチェックしていた小此木が口を開いた。
「これ、あのときとった映像なんですー。今の話しで気になって調べてみたんですけどー」
小此木は美川にカメラを手渡した。
「…ね、資料とか標本とか、なんも無いんですよねー。研究してたってんなら、ほら、あるでしょー?普通―、そういうのがー」
「……そうね。たしかに何にもないわ……」
「あそこは寝るだけのトコなんじゃないですかー?標本とかなら、どっか別のとこなのかも」
あり得る話だった。
(明戸に来たとき村役場あたりから紹介されたのがあの藁葺屋根の家。
でも調査対象が定まってからは、もっとそこの近くに根城を移したのかも……)
そして……不意に美川は思い当たった!
「附子谷だわ!きっとそうよ!人がバケモノになる伝説は附子の村が舞台だったんだもの!もう一軒小屋があるとしたら、それは附子谷以外にはありえないわ!」
「そうです!きっとそうですよー!」
窓辺で美川と小此木のやりとりを耳にしていたラーデンも、そのとおりだというように頷き返す。
「附子谷よ!附子谷に行かなくっちゃならないんだわ!でもどの辺りに……」
プラントハンターがいわば「前線基地」を置きそうな場所に考えをめぐらせながら、何気なく美川は視線をあたりを見回した。
そのとき……
(……ん?)
伍平がとまどうように視線を逸らしたのを、美川は見逃さなかった。
(どうしたっていうの?……伍平じいちゃん、まさか……)
383「明戸村縁起」:2011/12/10(土) 23:37:29.63 ID:7a+HEM3o
(…来たっ!)
咄嗟の回避直後、ヒュンッと風切り音がして背後の板壁に穴が開いた!
切断された頭部と体を繋ぐ無数の紐がカメレオンの舌のように伸び、手槍のように突き刺さる!
(兵どもはこれで殺られたのか!)
首代わりの「紐」が次々唸る!
暗がりから来る触手の回避は、100%のカン頼みだ!
「なんまーだぶー」
ヒュンッ!ヒュンッ!
「…Shit!(くそっ!)」
右に左に回避するサージ、右に左に穴が開く!
(くそ!とっとと片付けねえとまずいぞ)
分校校舎のいたる箇所で銃声や悲鳴が上がるが、その割合は「銃声>悲鳴」から「銃声<悲鳴」へと傾いていた!
正面校庭の向こうからは複数の唸り声が近づいてくる!
このまま回避で粘っても、他のバケモノが集まってくれば多勢に無勢。
(……確実にアウトだぜ!)
「なまだだぶー」
「Shut up!(黙れっ!)」
バケモノ僧侶の首の紐がざわめいた瞬間、紐が伸びるより早くサージが引き金を引いた!
ドムッ!
銃口が撥ね、50口径12.7ミリの巨弾が唸りを上げる!
標的は、バケモノ僧侶の頭部だ!
しかし!?バケモノ僧侶は自分の頭部を両手で掴むと、天井近くまで放りあげた!
(な、なんだと!?)
50AEのハイパワー弾は虚しく空を切った!
バケモノ僧侶が再び頭部を両肩のあいだに置くと、頭部は牙を剥いて狂気じみた笑みを浮かべた。
「……なままんだぶぶー」
(…ならこれでどうだ!)
サージは
僧侶の笑みは哄笑となり、首代りの紐状のものが一斉にワサワサと蠢き始めいた。
(……こりゃやべえな)
そう思ったそばから、バケモノ僧侶の首回りがエリマキトカゲのように翻った!
同時にサージはバケモノ僧侶の足元に手榴弾を放ると左にダッシュ!
サージを追うように、ブスブスとクギの刺さるような音が機関銃のように追って来る!
384「明戸村縁起」:2011/12/10(土) 23:39:12.00 ID:7a+HEM3o
バケモノ僧侶の攻撃を間一髪振り切って、サージは手近の教室に飛び込んだ。
そこは児童数減少でできた空き教室だった。
学童用の椅子も机も無く、教卓も無い。
部屋の片隅に外された教室ドアの片方が立て掛けてあるだけだ。
(……適当な広さだな。ここで、殺るか)
サージの腹が決まったとき、開いたドアのすぐ向こうに、ますます非人間的になった詠唱が聞えた!
「なんなんなんだだあぁぁぁぁ……」
バケモノ僧侶が戸口から入って来る!
左手の中指一本を天に向け突き立てると、サージはバケモノ僧侶の頭を右手の拳銃でポイントした。
すかさず頭部を両手で掴むバケモノ僧侶。
また頭部を外して弾丸を避けるつもりだ!
しかし……右手の拳銃はオトリにすぎない!
バケモノ僧侶の目が右手に集まった一瞬、サージは背中にまわした左手で手榴弾の安全ピンを抜いていた!
「……Present for you!」
ニヤリと笑って相手の足元ジャストに手榴弾を転がすと、サージは立て掛けられた教室ドアを盾にして身を伏せる!
「…な、なんまい……」
ドーーーーーン!
………
爆発!衝撃!それからシェルター代わりの扉の上に、何か重い物が次々ぶつかってきた!
シェルター代わりの扉を押し除けたサージの目に最初に入ったのは、天井に開いた穴から覗く夜空だった。
ハゲモノ僧侶の体は手足もバラバラなって教室の隅に散らばっている。
頭は黒焦げで、わけの判らない詠唱もしなくなっていた。
(首を切断されているのに、何故コイツは滅びなかったんだ?)
不審に思いサージがバケモノの体に近寄りかけたとき、すぐそばの廊下で、バケモノの唸り声がいくつも上がった!
もう一発の銃声も聞こえない。
この分校にいる生きた人間は、明らかにサージだけだった。
(……ここは撤退して、ファン・リーテンと合流するっきゃねえか)
都合よく壁に開いていた大穴に身を潜らせると、サージは呪われた村の闇へと姿を溶かし込んでしまった。
385「明戸村縁起」:2011/12/11(日) 20:19:34.88 ID:F3icFxf7
 サージの去った明戸分校にちらちらと白いものが舞い始めた。
獲物を求めてうろつく影は、人に似て、しかし人ではない。
中には米兵の軍装を纏った者もいるが、火器を持たず、ただ血走った眼を闇に走らせるばかり。
真っ暗な分校正面口で、そんな元ニセ米兵の感染者がヨロヨロ立ちあがった。
まだ変形していない歯から、緑の涎の最初の一滴を滴らせているのは、バケモノに転生してからまだ間が無い証しだ。
元ニセ米兵の新米バケモノは、朧に残った生前の記憶に導かれたか、サージの陣取っていた司令部に足を引き摺り進んでいった。
だが新米バケモノは、司令部に辿り着く前、爆発でメチャメチャに壊れた教室前に差し掛かったところで、足元に転がった「手首」に気がついた。
新米バケモノは「手首」を拾いあげると迷うことなく齧り付いた。
だが、齧り付いたところで新米バケモノは、それが「手首」だけどはないことに気がついた。
「手首」の切断面に、細長い紐のようなものが何本も繋がっている……。
「…?」
新米バケモノが不審の目で「紐」を辿りかけた時……教室の中からもう一方の手首が飛んできて新米バケモノの頭を引っ掴んだ!
「ん、んが?!」
ブリッツヘルムごと新米バケモノの頭は、卵のように握り潰された。
闇の教室で瓦礫の中から、あまりにも人間離れしたシルエットが立ちあがった。

「……なぁんぶぁぁだぁぁ……」
386「明戸村縁起」:2011/12/13(火) 23:36:07.70 ID:YtIHvNHh
 まだ暗いうちに多々良の小屋を出てから、はや3時間……。
美川ら三人に多々良伍平も交えた附子谷へと向かう山道には、薄っすらと白い雪に覆われていた。

「なんでこんなに早くから出るんですかー?寒いしー、まだ真っ暗…」
小此木のボヤキに、鉄拳をもって美川は答えた。
「附子にはこのくらいに出発したって、着くのは昼過ぎになっちゃうのよ!」
 明戸村と附子の集落との間は、慣れた者でも3時間以上かかる。
余所者ならば、未明だちで昼ごろ着と考えておかねばならない。
「だから、例のプラントハンターが明戸と附子のあいだを毎日往復していたはずは無いの!村と附子のあいだのどこかに、足場を持ってたはずなのよ!
それにラーデンが言うには……」

『明戸分校ノ部隊ハ、未明マデニ、壊滅シタヨウダ』
『あの部隊が?でも昼は……クレンザー?電子ジャー??』
『…オートグレネードランチャー』
『そ、そうよ、そのなんたらランチャーであの大群をやっつけたんでしょ?』
『ヤツラハ初期変異者ダ。初期変異者ナラ、怖クハナイ。ダガ美川、覚エテイルカ?
森デ我々ヲ追ッテキタ、アノ見エナイ怪物ヲ』
『覚えてるわ。私たちのことを追っかけてきた怪物ね』
『変異ガ進メバ、ドンナ怪物ガ、出現スルカ、判ラナイ。ソンナ奴ガ、ドレクライ、イルト思ウ?』
それは美川にとって想像すら不可能な問題だった。
『アノ見エナイ怪物ハ、明ラカニ我々ヲ、シバラク、追ッテキテイタ。ソレナノニ、昨日ノ夜、襲ッテコナカッタノハ、キット分校ノ方ニ行ッタカラダト、思ウ』
美川は、見えない怪物と出会った森から多々良の家を直線で結ぶと、分校の近くを通ることを思い出した。
『判ったわ。あの怪物はきっとまだ私たちを追って来ているんだわ。分校はたまたまその進路上にあったから……』
『ソウイウコトダ、美川。ダカラ我々ハ、一刻モ早ク、此処ヲ出ナクテハナラナイ』

 (あの怪物、姿は見えないけど、動くスピードはそんなに早くないみたい。だから私たちがチャッチャと行けば、追いつかれる心配は……)
だが、美川たちを追っているのは、「見えない怪物」だけではなかった。
殿を務めていたラーデンが囁いた。
「…皆、身ヲ隠セ!小此木、カメラヲ、貸シテクレ」
小此木から受け取ったカメラを、ラーデンは器用に操作した。
「………美川、見ロ」
387「明戸村縁起」:2011/12/13(火) 23:38:02.04 ID:YtIHvNHh
渡されたカメラは既に最大望遠になっていた。
「見エルダロウ?ホラ、我々ガ15分ホド前ニ、通ッタバカリノ、峠カラノ、下リ道ダ」
言われた辺りにカメラを向けると……動くものがあるのに美川は気がついた。
(………あれは?)
峠の辺りに丸い物がチラチラ動いている。
それがだんだんとせり上がって……。
美川の口から思わず呻きが漏れた。
「……げっ!」
峠を越えて現れたのは……顔だった。
鼻や耳の軟骨が剥落し、唇が腐り落ちた口から緑の涎にまみれた牙を剥き出し、真っ赤な目を辺りに走らせながら、それは次々現れた。
「……判ルダロ、美川。我々ヲ、追ッテ来テイル」
「雪が降ったのもマズイわね。私たちの足跡追ってきたんだわ」
「アノ調子ダト、アト15分モスレバ、追イツカレルダロウ」
「……じゃ、どうすれば?」
「コチラニ有利ナ場所デ、私ガ迎エ撃ツ。オマエタチハ、先ニ行ケ」
「そんな!」
美川の見ている間にも、峠に現れたバケモノの頭数は二ケタに達していた。
変異の度合いも、きのう森で戦った2匹とはまるで違う。
「無茶よ!それじゃまるっきりの捨石じゃないの!」
「兵ニ、捨石ナドトイウ言葉ハ、無イ」
「でも…」
納得しない美川を、ラーデンは冷静さをもって制した。
「有利ナ場所デト、言ッタダロウ。別ニ、イマスグトイウワケデハ、ナイゾ。ソレニ……」
ラーデンは山道の右手に広がった森を指さした。
「アノ森ニ入レバ、足跡モ追イ難クナルダロウ。アトハ、ソレカラダ」
そして、青い顔の小此木、それから蝋のような顔色の伍平にも彼は言った。
「急グゾ!」
ラーデンの声に三人は一斉に森へと駆けだした。
388「明戸村縁起」:2011/12/13(火) 23:39:03.05 ID:YtIHvNHh
「道を外れたのは正解だったですねー」
小此木の声に緊張の色は消えていた。
山道を外れ、森に進路をとってからおよそ30分。
追って来る変異者はいまのところゼロだった。
運のいいことに森の植生は原始のものでなく、かつて植林された杉が中心だった。
杉は常緑なので冬にも葉を落とさず、そのため地面にも足跡の残るほどの雪は積もっていなかった。
一方マイナスの点は、手入れが悪いせいで倒木が多く、30分歩いてもあまり先へは進めていないことだった。
つまり追っては、「姿が見えない」といっても「完全に振り切れた」というわけではない。
「木のせいで地面に雪が無いですからねー。足跡だって残らな……」
「小此木!黙れ…」
美川が言い終えるより早く、近くで「ガフッ…」という鳴き声のような吐息のような音がした!
4人の顔が一斉に同じ方に向く。
全員凍りついたように動かない。
そのまま目だけキョロキョロ動かす状態で5分は経った。
しかし音はそれきりで、落ち葉を踏みしだく音や、落ちた小枝を踏み折る音もしない。
「…………何も、いませんよー」
緊張の切れた小此木が呆けた声で言ったとき、何かが茂みの向こうから飛びだして倒木の上に踊り上がった!
「あ、あいつはっ!」
それは……旧関川ガソリンスタンドの裏庭で飼われていた犬だった。
首が異様に細いままなのでそれだけは判る。
しかし地面から肩までの高さが、1.5倍ほどになっている。
全身の毛は抜け落ち、裸になった皮膚は潰瘍のようなもので大小の斑に覆われている。
緑色の牙は、先史時代のサーベルタイガーのように長かった。
倒木の上でバケモノ犬は鼻づらを高く上げ、大きく鼻を鳴らした。
獲物の内心の恐怖を、嗅ぎ取ろうとするかのように……。
389「明戸村縁起」
 バケモノ犬とラーデンが同時に跳んだ!
バケモノ犬の標的は伍平を跳び越してその向こうの小此木!
しかしラーデンの軍靴が、空中でバケモノ犬の顎をとらえた!
ガシッという硬質な音がして、両者ともにもんどりうって地面に落ちた。
横合いから仕掛けた分、立ち上がるのはラーデンの方がわずかに早い!
跳ね起きるバケモノ犬を前に、ラーデンが中腰の体勢から腰を捻った。
腰の回転に少し遅れて右足踵がスレッジハンマーのようにブンと唸りを上げる!
跳びだしかけたバケモノ犬が踏み止まった!
すると…単純な回転動作の途中から、ラーデンは上体を大きく仰け反らせた!
右足の描く回転面の角度が変わる!
水平回転から上下の回転へ!
バキッ!
軍靴の踵が杵のように叩きつけられ、バケモノ犬の頭部が地面にめり込んだ!
さらに叩きつけた脚をそのままにして相手の頭を押さえつけると、ラーデンはバケモノ犬の不釣り合いに細い首に左のトウキックをぶち込んだ!
一度!二度!三度めにメキッという音がした。
(次デ、フィニッシュ!)
だが、ラーデンの左足がそれまでより大きくバックスイングをとった瞬間、右足の下でバケモノ犬の頭がグルンと捩じられた!
「…Shit!」
軸足を攫われ、枯葉舞い上げ地面に転がるラーデン!
転がりながらも相手との距離をとって、隙の無い動きで素早く立ち上がった!
(頸ガ、折レタセイデ、固定ガ甘クナッタカ……デモ……)
頸が折れている以上、勝負はついているはず……ラーデンがそう考えたとき……。
枯葉の海の中、身を伏せていたバケモノ犬が突然立ち上がった!
「あ……あぅうー」
小此木が呻き声を漏らした。
四足を伸ばし立ち上がった反動で、細首で繋がれた頭部が振り子のようにプラプラ揺れている。
頸骨は完全に折れているようだ……が、頭部の重さで引き延ばされていた頸の皮下で、むくむくと奇妙な蠕動が始まった。
皮下でモグラか地虫が這いまわるような動きはあっという間に頸全体に広がって……。
すでにバケモノだった犬が、更なるバケモノへと変異を始めた!