【シェアード】学園を創りませんか? 4時限目

このエントリーをはてなブックマークに追加
4ワンオラクル [5]

ナギサワ・マイコは、大人しくて地味。教室では目立たないタイプの女の子だ。

肩くらいまでの黒髪を、いつもだいたいポニーテール(短すぎて“尻尾”になってない)か、
片方にまとめて耳の下あたりで結んで垂らしているのだったが、今日は違った。

いわゆる『お下げ』……というのかよくわからないけれど、左右両方に髪をまとめていたのだ。


学校を出てすぐに、バスを待っている彼女の姿が目に入った。
彼女も僕に気がつくと、ひらひらと手を振った。


「今、帰り?」
若干緊張しながら、話しかける。

「うん。今日はバスなんだ。朝、雨ひどかったから。なのに、こんなに晴れるなんて!」

ナギサワは、屈託なく笑って空を見上げる。
朝の大雨をあざ笑うかのように、すっきりとした晴天が広がっていた。

――その髪型、珍しいね。

たったそれだけのことを、僕は言えなかった。
気恥かしさが先に立って、無難な話題を選択してしまう。

「明日から、また天気悪くなるみたいだね」

「うん、しばらくバスで来ることになるかなぁ。でも、バスだと本が読めるから好きだよ」

本が読める、という言葉に、僕の耳は反応した。
僕がネコ耳か犬耳を持つ獣人のたぐいだったなら、きっとマンガみたく『ピン!』と耳を立てたことだろう。

――どんな本を読むのかな。

けれど、当然と言うべきか、僕はその質問をすることなく、
「じゃ」
と言って自転車のペダルを踏み込んだのだった。


さっきの短いやりとりを頭の中で反芻しつつ、自転車を漕ぐ。

ナギサワは、読書家なのだろうか。
教室では、そんな気配は見せない。
休み時間には、仲の良い女子のグループでおしゃべりをしている姿しか思い浮かばない。

ナギサワの読む本。
あの、お下げを耳の上にあげたような髪型。
ひとりっきりで弾くコントラバス。
5ワンオラクル [5]:2010/08/10(火) 00:25:13 ID:P8fr3ocK

教室で地味な彼女について、僕が知っていることといえば、名前と顔と、座席の位置くらいだった。
その彼女が、意外な一面を持っていたことに、僕は何とも言い難い、不思議な感覚を覚えていた。

――勘違いするなよ。

自転車を漕ぎながら、僕は頭を振る。

乱暴にちぎったみたいな雲の塊が、抜けるような青空に浮かんでいた。


〆 〆 〆


夕食を済ませ、自分の部屋に戻る。
中学2年になった時、ようやく手に入れた、この部屋。

勉強机も、その時一緒についてきた。
残念ながら本来の用途に活用される機会は少なく、もっぱら開いたノートにイラストとも呼べない落書きが描かれたり、
ゲームの攻略本とマッピング用方眼紙が広げられていたり、『設定資料』などと称して意味不明な地名や人名が
書き連ねられたりしているのがせいぜいだ。

その愛すべき机の前で、タロットカードを切る。
そして、念じながら一枚抜く。

――三者面談のことを母さんに言うけど、どんな反応をするか。

抜いたカードを裏向きに伏せる。

カードから解釈を読み取るには、訓練が必要だという。
僕はその訓練として、『ワンオラクル・スプレッド(カードの並べ方のことだ)』を使って、
些細なことや個人的なことを占っていた。

カードは【節制】の正位置。
たおやかな女性が、杯から水を移す様子が描かれている。

『節制』……普段は使わない言葉だ。
『節約』と、何が違うんだろう。『節約』なら、母さんの得意とするところだけど。

辞書を引いてみる。
――節度を守る・度を越さない・控えめである

……うーん。
よく、分からない。
これを、どう解釈しろと?
6ワンオラクル [5]:2010/08/10(火) 00:26:22 ID:P8fr3ocK

節制……節制……このカードの女性は、天使みたいだな。背中に翼がある。
天使……天使の仕事は、杯から水を移すことか?

この天使は、他のよりも年上のお姉さん、って感じがするな。なんとなくだけど。

お姉さんは、よく物事を知っていて、水も零さず移せる、と。
おかしいな、お姉さんといえば「色っぽい」か「ドジ」、ってのがデフォルトなはずなんだが。
……って、いやいやいや、そんなラノベ的解釈で良いワケ無いだろ!

でも、良く知った人は、何でも卒なく物事をこなす。

『良く知った者』……『卒なくこなす』……

うん、この絵柄にはそういう言葉がぴったりだな。
さて、それをどう解釈するんだ?

節制……英語で、temperance。
てんぺらんす。テンパランス、かな?
ぺらんす。パランス。……バランス。
均衡……精確……絶妙な……デリケートな……精密……精鋭……頭脳明晰……

――ダメだ、結びつかないぞ。母さんの機嫌を占うのに、頭脳もなにもあったもんじゃないよ。

「あ゛ーーー! タロットって、難しいぃーーなぁーー!!」

背もたれに思いっきり凭れて、伸びをしつつ僕は叫んだ。


案の定、その後すぐに妹が、煩いだのなんだのと怒鳴りこんできたのだったが、知ったことか。

7ワンオラクル [6]:2010/08/10(火) 00:29:23 ID:P8fr3ocK

4時限目の授業が終わり、理科室から戻る途中、ナギサワと一緒になった。
偶然にも僕も彼女も当番に当たって、授業の後もガスバーナーやらビーカーやらを片付けていたのだ。

ナギサワは……今日は束ねた髪を纏めて左肩に垂らしている。

今まで気づかなかったのだけど、彼女は毎日髪型を微妙に変えている。
ポニーテールにしても、高い位置で噴水みたく (この喩え、伝わるかどうかとても自信がない) 散らしている時もあるし、
やや低い位置で房を垂らしている時もある。

「サイトウくん、この前進路指導室に行ってたね」

特別教室棟の廊下を並んで歩いている時、ナギサワが言った。

――見られてた?
僕は平静を装いつつ、少しばかり動揺していた。

「呼び出し食らった?」
いたずらっぽく笑って、僕を見る。

「はは……まぁ、そんなとこ」
曖昧に笑って、やり過ごす。

何だか、そこに出入りしていることを知られたくないような気がした。
知られたところで、どうにもなりそうにないけれど。


「進路、決めた?」
ナギサワは、さらに追い打ちをかけてくる。今の僕が、もっとも聞かれたくない類の質問だ。

階段を降りる。
一日中日陰なせいで、ここだけ冷房が効いたようにひんやりと心地いい。
あと何日かで、夏休みだ。
夏休みが終わったら……本格的に、進路決定をしなくちゃならない。

正直言って、考えたくない。

「……悩んでる。どうしたらいいんだろ。この前のテストもイマイチだったしさ」
冗談っぽく笑って返す。

「わたしもだよ。なんていうかさ、『もうちょっと考える時間ください』って言いたくなっちゃう」

渡り廊下に差し掛かる。
凶暴さを増す太陽光が、容赦なく気温を上げている。

うわ、暑っ! などと口にしながら、僕たちは歩いている。
8ワンオラクル [6]:2010/08/10(火) 00:30:15 ID:P8fr3ocK

その廊下を歩いているとき、不意にナギサワは、言った。

「『〇〇に成りたい』とか、『△△を目指す』とかって言える人は、ホントに凄いな、って思う」

遠慮がちに、けれど確固たる信念を持った口調だった。

僕は黙っていた。
真意を測りかねた。

代わりに彼女の横顔を見る。
笑ってはいなくて、けれど深刻というわけでもない。

呟くように、「だってさ、」と続ける。

「成りたい希望を言ったとして、それが『お前じゃ無理だ』とか、『素質がない』なんて言われたら、どうするの? 
わたしは……怖いよ、そんなの。可能性が、たった一言で潰されちゃう気がする」

その気持ちは、分からなくはない。
僕は具体的な将来像を描けないでいるけれど、もしかするとそれは『否定されるのが怖い』から、なのかも知れない。

希望する将来像を具体的に言ったとする。
それを否定されてしまうと……、なんというか、逃げ場を失ったような気分になる。

その可能性――たとえどんなに僅かな可能性だったとしても――を、いともあっさりと、潰されたような気分になる。
大袈裟に言うなら、他人のたった一言で自分の人生が決定されてしまうような気がするのだ。

そんなの、まっぴらごめんだ。


教室のある棟に戻ってくると、人が増えてざわめきも増した。
すぐにナギサワの友達が彼女を見つけ駆け寄ってくる。
じゃ、と手を上げ、僕は購買部へ向かう。
ナギサワは、きっと仲良しグループの女の子たちとお弁当を囲むだろう。


スタートが出遅れた。ハムカツサンドは、まだ残っているだろうか?
僕は、購買へ向かう足を早めた。


〆 〆 〆
9ワンオラクル [6]:2010/08/10(火) 00:31:45 ID:P8fr3ocK

真夏かと思うような強烈な暑さだったのが、夕方には雲が空の7割を覆っていた。
見るからに重そうな灰色が、前方に低く垂れこめている。

「これは降るな。さっさと帰ろう」
いつものとおり、友人を促して自転車置き場へ向かう。

タカハシは自転車を出そうとせず、ボーッと突っ立っている。

「なにしてんだ?」
と聞くと、ニヤリと笑い、
「原チャで来たからさ。あっちに隠してある」
親指で校門を指す。


原付での通学は、当然禁止されている。
けれど免許を取った連中は、原付で学校の近くまで来て、公園やなんかに隠して停めている。

タカハシも、原付免許を持っている。
16歳になるとすぐに取ったそうだ。

タカハシはのんきに、ハーフキャップ・メットを頭の上に乗せてスーパー・カブに跨った。
先生やなんかに見つからないか、僕の方がビクビクしてしまう。


自転車の僕に合わせて、のったり走るタカハシ。
眼の障害のことを考えると、自殺行為――というのは大げさにしても――に近いと思う。
それでもヤツは気にせずに、原付を乗り回している。


〆 〆 〆


進路指導室に通っている僕は、どうしても考えざるを得ない。

例えば、仮に数学が得意だから数学科に進んだとして、就職はどうなる?
『数学科なんて、出たところで塾講師がせいぜいだよ』
数学が得意なクラスメイトが言っていたセリフが思い出される。

史学科や国文科、数学科のなかでも純粋数学の分野、芸術の分野……。
確かに、それらに興味はあるけれど。
頑張って勉強して、大学を出たところで……、何に成る? 
それを活かした就職口なんて、あるのだろうか?

研究職として、大学の一室に篭もるのだろうか。
……それが社会に貢献しているとは、あまり思えない。
10ワンオラクル [6]:2010/08/10(火) 00:32:45 ID:P8fr3ocK

世の中で、もっとも無駄に飯を食っている職業は、哲学者と言われている……というのを、倫理の授業で聞いたことがある。
物事を考えている“だけ”の「仕事」は、結局のところ人様の役に立ってはいないのだ。
『下手な考え 休むに似たり』――つまり、どれだけ高尚であっても役に立たなきゃNEETと同じ。

では、大学時代に蓄えたその知識をひとまず置いておいて、他のテキトーな文系学生と同じく、
企業の営業として働くことになるのだろうか。
営業は、僕には無理だろうと思う。
なにより、身につけた知識を活かせていない。

やりたいことを勉強していたら、いつの間にかそれを活かせる職業が見つかって、その職に就く。
自分の興味あることを勉強し、それで得た知識やスキルを活かして仕事をし、生計を立てていく。
それで適材適所、丸く収まる……。

就職情報誌や進路指導室は、そういう情報は与えてくれない。
『この学部に行ったらこの職業!』というような、選択の余地を与えない記事ばかり。

世の中に、就ける『ジョブ』は限られているように思える。
そのジョブに就くために、有利な学部を選択する必要がある。

でも、どのジョブにも魅力を感じない人がいたら……
どうしたらいいんだ?


テレビを見ていると、実に多くの肩書き、つまり職業についている人たちがいる。
〇〇研究家だとか、△△プランナー、××アドバイザー。

彼らは、自分の得意を職業にしている感がある。
まさしく『ジョブ』だ。

……けど、それで食っていけてるのだろうか?

この、『食えるかどうか』というのが、実に厄介だ。
結局のところ、それを考えて進路を決めなきゃならない。

『大学に入れば、好きなことだけ勉強できる』なんて、嘘っぱちだ。

好きなことを勉強したって、就職できなきゃ意味が無い。
それも、『食っていける』職業に、だ。


「まーたブツブツ言ってるし。キモいんだけど」

さっきから微かに感じていた冷たい目線の正体は、にっくき我が妹だったりする。

「だから、勝手に入ってくるんじゃねぇって言ってんだろ」
「和英辞典どこ?」

聞いちゃいない。
コイツは、世界が自分のためにあると、本気で思ってるに違いない。