「インデ――……」
隣で寝ているインデックスに声をかけようとしてテッサはそれを中断した。
彼女の潜っている布団は寝息に合わせて軽く上下している。おそらくは心地よい夢の中なのであろう。
ならば下手に起こさない方が無難だと判断する。
もし襲撃者がいるのだとすれば、ここに誰かがいると気づかれるのはまずい。彼女を起こせば騒ぐ可能性がある。
再び枕元に手を伸ばし、テッサは脱ぎ捨てていた上着の下から拳銃を取り出した。
とても扱いやすいとは言えない重たいリボルバーを両手で握り、撃鉄をゆっくり起こして音を立てないように襖へと寄る。
耳を済ませる。だが何も聞こえてはこない。
もしかすればさっきのは気のせいだったのかもとテッサは思う。悪夢を見たせいで気が立っていたのかもしれない。
襖をゆっくりと引いて、顔だけを出して廊下を窺う。
一瞬、外の明るい日差しが目を刺したが、やはりこれといった変化はない。
右を見て左を見て、もう一度右を見て、胸元に構えた拳銃を下ろそうかとしたその時――
「………………!」
再び呻き声が聞こえた。間違いない、女性の声だ。誰とまでは特定できないが、確かに女性の呻き声だった。
拳銃を構えなおし、テッサは意を決して廊下へと出る。ミシリと板張りの床が音を鳴らし、緊張から熱い息が口から漏れた。
廊下の片側へと身を寄せ、一歩、二歩。少しずつ慎重に歩を進める。
テッサは決して戦闘が得意な方ではない。ならば、今あるアドバンテージを保持していなくてはならない。
おそらくはまだ相手に気づかれていないこと。そして一撃必殺の威力を持つ拳銃を手にしていること。
それを不意にしないよう、テッサは彼女なりに最大限の慎重さで廊下を先に進む。
ミシリとまた床が音を鳴らし、テッサは廊下の角へと辿りついた。
角の向こうから血の臭いが僅かに漂ってきている。
最早、非常事態であることは疑いようがない。
今度は選択を誤らないように、テッサは拳銃を強く握り締め、そして――――
【2】
病院の広いロービーの端。
ここにはありそうで、しかし実際には普通、人の目には触れないであろう奇怪な赤色のオブジェが4つ並ぶ、その向こう側。
受付を待つ人の為に用意されたソファのひとつに、一見して男子の学生だとわかる二人が肩を揃えて座っていた。
片方が大きすぎてもう片方が小さく見えるというようなこのコンビは、小さい方が持つ携帯電話の画面を覗き込んでいる。
【[本文]:死線の寝室 ―― 3323-7666 [差出人]:人類最悪】
表示されているのはたったそれだけで、たったそれだけの文字列が彼らにとっては非常に意味深であった。
果たして”死線の寝室”とは一体何なのか? 合わせて書かれている数列の意味とは?
これらを彼らはそのよく回る頭で検討し始める。
さて、彼らは一体どこから手をつけてゆくのだろうか? それはまず、こんなところからであった――
「――ではまず、我々が検討すべき事柄は”このメールの送り主は本当に人類最悪本人なのか?”だ」
ソファから立ち上がり人差し指を立てて問題を述べた大きい方――水前寺邦博の言葉に、小さい方の坂井悠二は驚いた。
「何を驚くことがあるのかね坂井クン?
先ほど聞いた話によれば、君が所有している携帯電話には既に誰からか電話がかかってきたという事実があるではないか。
つまり、その者が人類最悪と同一人物か仲間でもない限り、その携帯電話の番号を知っているものが他にいたということになる。
ではその心はどこにあるか。おれは君が先刻見せてくれた交渉によってこの着想を得たのだがね?」
考える時間を与えるよう発言を止めた水前寺を前に、悠二はソファに座ったままなるほどと頷いた。
確かにこの携帯電話の番号を知る者がこの企みの主催者以外にいてもおかしくはないのだ。
「そう。我々に支給された物品についてはほぼ例外なく”元の持ち主”がいたのだと推測できる材料がある。
先ほど、交渉により交換が成立したバギーと刀がよい例だな。どちらもワンオフ物故、個人の物であったと確定できる。
まぁ、全ての支給品がそうかはともかくとして、その携帯電話も元々”誰かの物”であったと推定できるわけだ」
ふむ。と悠二は頷く。『シズのバギー』に『贄殿遮那』、どちらもこの世にひとつしかないはずのものだ。
そして悠二は支給品と名簿の名前の中に同じものがあると気付き、バギーに関心を寄せている人物をシズ本人だと看過した。
この携帯電話の名前は『湊啓太の携帯電話』といい、湊啓太という名前は名簿にはないが問題そのものは変わらない。
ちょっとした応用にてある程度の仮説が導き出されることになる。
「湊啓太と言ったかその携帯電話の持ち主は。いや、登録されている持ち主の名前はまた別だったようだが、
まぁ、名簿に見当たらない名前なのは変わりないので細かいところは後回しにしておこう。
では不可解な怪電話をかけてきた女がどうしてこの電話の番号を知っていたのか?」
それは簡単だった。ただ単純にその女性――おそらくは同じ参加者である誰かは最初から電話番号を知っていたのだ。
「そうだな。いくつかのパターンが考えられる。
ひとつは件の彼女は名簿の中に自身の知りあいを発見し、連絡を取ろうとしたということだ。
この場合、湊啓太などという名前が名簿にないことは問題にならない。
そもそもとして名簿には本名らしからぬ名前がいくつも載っているのだ。名簿と電話の名前が一致しないことは不自然ではない。
そしてもうひとつは件の彼女がここより外に連絡を取ろうとした場合となる。
知りあいや家族などにまずは連絡を取ってみる。不自然な行動ではないし、こちらの方がもっともらしいだろう。
だが、この可能性は通話の内容により否定されるので、先の可能性が有力であろう」
またふむと頷き、悠二は夜中にかかってきた電話の内容を思い出した。
それは”友人を殺した”などというまさに怪電話そのものであった。
「あなたの友人を殺しましたなどとは物騒極まる。
言い捨てて切ったことから彼女は電話の持ち主が本人であると確信していたようだが、この点は間抜けと評価せざるを得まい。
もっとも、実際に誰かを殺していたのだとすれば関係者にとっては笑い話にはならないことだが……」
悠二は水前寺の視線を追って、ロビーの中に横たわる4つの死体へと視線を移した。
そう、ここでは人が死ぬのだ。そしてはじめに脱落者として呼ばれた10人の内に、友人である吉田一美の名前があった。
もしかすれば件の彼女はこちらを知る人物だったのかもしれない。そんな可能性もまだ存在している。
「ともかくとして、
おれが言いたいのはこの携帯電話にメールを送ることも、人類最悪の名前を騙ることも決して難しくはないということだ」
前提を語り終え、水前寺は次なる段階へと論を進ませた。
「では、まず第一の可能性として件の女がこのメールを送ってきた場合を考えよう」
了解したと、悠二は頷いた。
「この場合、死線の寝室とは彼女とその携帯電話の持ち主の間で通じる隠語だと推測するのが妥当であろう。
併記されていた八桁の番号が電話番号だとするならば、そこにかけることで彼女とコンタクトできるかもしれん。
無論。彼女の言動からこの行動には少なからず危険が伴う。
そして我々はその危険の度合いを測る術を持ってはいない。故に判断は慎重に行わねばならんだろう」
”3323-7666”と書かれていた八桁の番号。確かに電話番号だと見るのがもっともなのかもしれない。
だが、これについても可能性は幅広い。
郵便番号から住所を割り出せるのかもしれないし、金庫や扉などの暗証番号かもしれない。
そもそもとして死線の寝室という言葉と合わせて謎解きになっているのかもしれないのだ。
ここらへんは一度発信者の意図を探ってみないことには特定することはできないだろう。
もっとも、電話番号であるならば、一度かけてみれば即座に判明するが――しかし、これはリスクが伴う。判断は慎重に、だ。
「では、第二の可能性として本当にあの人類最悪がこのメールを送ってきたのだと考える場合、
その意図を探る為には大きな問題がひとつある」
それはなんなのか? 悠二は考えるが、水前寺が答えを言ってしまうほうが早かった。
「それは、その携帯電話を悠二クンが持っていることを想定しているか否かだ。
あの男は鞄の中身はランダムだと言っていたが、それは当てにならんし、確定させることは不可能だ。
ならば、そうである場合とそうでない場合を想定せねばならん。
まずひとつに、その携帯電話を悠二クンが持っていることを人類最悪が想定し、君宛てにメールを送ったのだとする。
その場合、このメールの内容には人類最悪の明確な意図。引いてはこの企画からの意図が篭められていることとなる。
ならば、我々はあの男が我々を死線の寝室とやらにコンタクトさせようとする意図を推測せねばならない。
それは今の所全くもって不明であり、解く当ても目には見えていない。
だが! これを解決できれば、我々はそれを得るべくして動いていた事の真相とやらに一歩近づけることは間違いないだろう。
無論。ことに対しては慎重に慎重を重ねなくてはならんが、この場合は最終的にはコンタクトすることが望ましい」
なるほとと悠二は水前寺の説に関心した。
つまりこの場合は、坂井悠二という登場人物に人類最悪が役を与えようとしているわけだ。
その意図を辿れば、つまりこの企画――あの男の言葉を借りるなら物語の向かう先がわかるということになる。
「では逆に、支給品は言葉通りにランダムであり、悠二クンが携帯電話を持っているというのは偶然、
またはその電話を誰が持っていようが構わなかったとした場合、どうなるか。
その場合は、メールが送信されてきたのはその携帯電話の付加価値だと捉えるのが順当だろう。
つまりその携帯電話はただの連絡手段なだけでなく、時折メールが送られてくる携帯電話だったという訳だ。
例えば、送られてきたのが電話番号だとして、そこに電話をかければなんらかの情報を得られるとかな」
悠二は手にした携帯電話を見る。もしそうなのであれば、これを引いたのはとても幸運なのかもしれない。
だが、水前寺はそこに冷や水をかけるような恐ろしい発言を浴びせかけた。
「電話だからといって、かけたら通話が始まると考えるのは早計だぞ悠二クン。
携帯電話というのはだな、簡易の電波送受信機とするには実に優秀であり、それもそういう役割なのかもしれん」
つまり、送られてきた番号に電話をかければ、その信号を受けてどこかに仕掛けられた爆弾が爆発する。
などということもありえる。と聞き、悠二は電話を見つめたまま息を飲んだ。
「なんにせよ、迂闊には触れることはできんというわけだ。
そもそもとしてオレは自分のものではない携帯電話を信用できん。
スパイやテロリストの常套アイテムだからな。その電話にしたって何が仕掛けられているとも限らん。
かかってくる当てがある以上、捨てるわけにもいかんが、……まぁ、時間を見て中を検める必要はあるだろうな」
僅かに動揺した感じでなるほどと頷き、悠二は携帯電話に対する印象を改めた。
今まではただの通信手段としか思っていなかったが、水前寺が言うにはそれ以外にも色々と用途があるようだ。
なるほど、電波を飛ばすのであれば、何らかのリモコンとして使うことも難しくないのだろうと納得する。
「さて、3つの可能性が持ち上がった。
ひとつ。
これは参加者の内の誰かが、同じ参加者に向けて送ったメールである。
身に覚えがない故、我々にとっては間違いメールとなるわけだが、しかしなんらかの情報になるやもしれない。
ふたつ。
これは人類最悪より悠二クン宛てのメールである。
このメールはこの企画においてなんらかの意味が持たされていると考えるべきであり、
そして我々はそれがどういうものなのかを推測し、吟味した上でコンタクトを取るのが好ましいと言える。
みっつ。
このメールはこの携帯電話宛に送られた付加価値である。
この場合、メールの意味やコンタクトの結果がどうなるかと推測するのは極めて難しい。
当たるも八卦当たらぬも八卦の心持ちでコンタクトを試みる他はないだろう。
これら3つの可能性及び、まだ浮かび上がってきていない別の可能性からひとつの結論を導き出すことは現在不可能だ。
必要なのは”死線の寝室”及び”3323-7666”というワードに対する情報であろう。
オレはどこかの誰かがこれを知っているという可能性は少なくないと思っている。
なので、これよりの情報収集の過程でこれらに関してもアプローチし、知っている者がいれば何かと尋ね、
その人物にもこのメールの意図がどこにあるのかを探るのに協力してもらうことが望ましい。
と、思っているがどうかね?」
いいんじゃないかな。と悠二は答えた。
出会ってからというもの、感心しっぱなしだが、水前寺という男はなんにせよ頭が早く回る。
新聞部の部長ということらしいが、普段から膨大な情報を扱っていればこうなるのか、
それとも水前寺がこうであるから新聞部の部長というポジションにいるのか、なんにせよ感心し納得するばかりであった。
「では、ここからは君の仕事だぞ悠二クン。
実のところを言うと”死線”という言葉にはどこかで聞き覚えがある。
あー、まぁ、ぶっちゃけたことを言ってしまえば、神社で交わした情報交換の中で聞いた言葉のはずだ」
なので――という、水前寺の言葉の続きを聞く必要はなかった。
約束を反故にした手前、自分から電話をかけるのはばつが悪いから、悠二がそうしてくれという話である。
悠二としても、神社にいるはずのヴィルヘルミナには若干の苦手意識があったが、まぁかまわないと携帯電話の――
「待ちたまえ悠二クン! 君はオレの話を聞いていなかったのかね?」
ボタンに指を置いたところで水前寺にそれを制された。
「言ったではないか。他人の携帯電話は信用できんとな。
かかってくるのは如何ともし難いが、できうる限りこちらからは使わないのが好ましい」
ならばどうするのか? 疑問に思う悠二に、水前寺は長い腕を伸ばしてホールの端を指差し、それに気づかせた。
「こちらからかける分に関しては電話などどこにでもあるだろう。
そこらの電話が使えるのかという実験も兼ねて、まずはそこの公衆電話から電話をかけてみてくれたまへ。
もっとも、この世界そのものがあの男の手の内となればこんなことに意味はないのかもしれんが、
しかしできるだけ奴の意図しない行動を取るということは、いつか我々によい結果を齎してくれるかもしれん」
なるほどね、と悠二はソファから立ち上がり、水前寺と共に公衆電話が並べられたコーナーへと近づいた。
とりあえず右端の電話から受話器を持ち上げ、そこで足りないものがあることに気づく。
「先ほど、院内の売店よりせしめておいた。使いたまえ」
水前寺のポケットから出てきたテレホンカードの束を見て、悠二は本当にこの人はよく動くなとまた感心した。
【3】
「――それでは、電話を切るのであります」
ヴィルヘルミナはそう告げると、持ち上げていた受話器を下ろし、小さな溜息をついた。
「多事多端」
「まったくであります」
電話をかけてきていた相手は悠二であった。
シャナが発見するか、キョンが電話番号を持ち帰るが先かと思っていたが、その前に本人より電話があったのである。
それについてはよいことだろう。いくら彼女とて彼が無事であることに安堵しないほど薄情ではない。
彼と同行しているはずであった水前寺の無事も確認されたし、杞憂は減った――が問題はまた増えた。
悠二と水前寺の二人は現在、この世界の北東に位置する病院に滞在しているらしい。
浅羽直之の捜索を主目的としていると考えればヴィルヘルミナから見ても妥当だと思える場所だ。
しかしまだ彼の発見には至っていないらしい。そして、彼ではない他の人物を悠二と水前寺は発見している。
島田美波の級友である吉井明久と土屋康太。キョンの仲間である朝比奈みくるであろうと思われるメイド服の女性。
どこの誰とも知れぬ着物姿の男。そして、ここから行方知らずとなっていた零崎人識。
合わせて5人。全て、既に物言わぬ死体に成り果てた後であった。
最初の4人は病院でまとめて、そして零崎人識はそこより離れた市街の中で発見したのだという。
彼や彼女らが死んだことをヴィルヘルミナは惜しいとは思わない。
話を聞く限り、彼らは戦力なりえないと思えたからだ。せいぜいが朝比奈みくるより未来のことを聞きたかったぐらいか。
「シズという人物でありますか」
「虚心坦懐」
そして、二人は多くの死体とは別に生きた人物とも出会っていたと言う。
シズという名前だけはキョンと会話を交えたアラストールより聞いていた。既に人を殺している危険人物とのことだ。
しかし、悠二は自身もそれを知っていながら彼と平和的な交渉を成し遂げたのだという。
まさにティアマトーの言う虚心坦懐の至りであろう。悠二が時折見せる機転と胆力にはヴィルヘルミナも感心するばかりだ。
交渉の結果、悠二はバギーを差し出し、シズの持っていた贄殿遮那と交換することができたらしい。
これは僥倖だとヴィルヘルミナも柄になく悠二を褒めたくなる。
シャナの手に愛刀が渡れば彼女も喜び、戦力の面から見ても十全を尽くせるようになるに違いない。
もっとも、それでシャナが悠二の評価をまた高め、喜びの表情を彼に見せる光景を想像すると心に波立つものもあるが。
だがしかし、そううまくいくならそれはそれでよいともヴィルヘルミナは考える。
贄殿遮那を取り戻せたのはいいが、バギーを失ったのはやや手痛い。
移動手段としてということもあるが、現在、シャナはそのバギーを目印に悠二を追っているのだ。
悠二の言によればシズは話の通じない相手ではないようであるし、シャナが負けるような相手でもないようでもあるが、
しかし何か誤解が起こってしまうかと想像すると心配になる。
「杞人之憂」
「……そうであります。今はいらぬ心配に気を割いている時ではないのでありました」
桜色の炎が揺れる一室にはそれより濃い赤の臭いが立ち込めていた。そう、只今手術中なのである。
■
ヴィルヘルミナは逢坂大河の失った右腕に義手を取り付ける手術を行っていたが、
その光景は万人が想像する手術とはいささか様子が異なり、傍目には随分と幻想的に映るものであった。
部屋の中は、《夢幻の冠帯》を展開したヴィルヘルミナの発する炎によって淡く桜色に染められている。
狐面のヴィルヘルミナは部屋の一端に座し、そして中央には繭のように包帯で包まれた逢坂大河の身体が浮かんでいた。
大河の身体のうち、繭の中より露出しているのは手術を施される右腕と、頭。そしてそこから垂れる豊かな髪の毛のみ。
これらは手術の痛みで彼女が暴れたり、そのせいで自身を傷つけないようにとの処置だ。
右腕を切断し義手を取り付けるという手術だが、あいにくとここには麻酔がない。故に途轍もない激痛が伴う。
彼女はそれでもいいと言ったし、始める以上ヴィルヘルミナにも途中で止めるつもりなどないが、並みの痛みではない。
あまりの激痛に心変わりが起き、途中で止めてくれなどと泣き叫ぶかもしれない――故の拘束であった。
「――――んぐううううう! ……ぐぅっ! んんんっ! ――――っ!!」
実際、始めてみればこの通り、大河はあまりの苦痛に悶絶している。
猿轡を噛ましている為に何を言ってるのかは不明だが、おそらくそれがないとしても意味のある言葉は吐けなかっただろう。
ヴィルヘルミナは彼女の進言通りにその悲鳴を無視して、手術を進めてゆく。
既にティアマトーの一閃により大河の右腕は適切な長さに断たれている。今は細かい作業を繰り返す段階だ。
包帯に持ち上げられた腕の切口を前に、ヴィルヘルミナは片手に鋏。片手に糸を通した針を持って器用に仕事をこなしてゆく。
「おぐううぅおおおお……! んんんんんんんん……ぐうううううううう…………っ!」
肉の中に鋏を突き刺し、チョキン。血管を引き出したら手早く糸で先端を括る。その間に鋏は湯を潜らせ炎で消毒する。
また鋏を突き刺して、チョキン。神経を剥き出しにしたら必要なものを残し、不必要なものを桜色の炎で殺す。
「がっ! がぁっ! ぐぅうううう……んぐうううううううううう……!」
チョキン。チョキン。チョキン。チョキン。チョキン――ヴィルヘルミナの動作に揺るぎは見られない。
鋏と糸とを交互に通してゆく姿はまるで機織り機のようでもある。
見る見る間に作業は進み、肉の断面でしかなかった傷口は生身と作り物を接続するコネクタへと変じてゆく。
「あぐおあぐあぐおおあ! ん――っ! んん――っ!! んんんんんんんうううううう……!!」
作業が進むにあたって漏れ聞こえる大河の悲鳴も大きく切羽詰ったものへと変化してきた。
なにせ、肘から先の神経がほとんど剥き出しにされているのだ。それは言葉に表すこともできないような苦痛なのであろう。
獣のような唸り声をあげる大河の顔は真っ赤で、噴出した汗が髪をべっとりと濡らし、目に当てた包帯に涙が滲んでいた。
「ぐがおおおおおお……! あぐあっ! があっ! がああああ……っ!」
桜色の炎が傷口を舐め、穢れを落とし、僅かに痛みを癒す。しかし、これとて大河の身を慮ってのことではない。
癒しにより彼女の身体が僅かに弛緩するのを見てヴィルヘルミナはより深い場所に鋏を突き込んだ。
「がああああああああああああああああああああああ……っ!!」
ヴィルヘルミナはこれらを丁寧に丁寧に繰り返す。
鋏を肉に突き入れ、必要なものを糸で縛り、不必要なものを炎で焼き、鋏を湯に通して炎で炙り、また突き入れる。
耳に届く悲鳴にも、鼻につく血の臭いにもヴィルヘルミナは揺るがない。
チョキン。チョキン。
チョキン。チョキン。
チョキン。チョキン。
そして、手術は進み、終了した。
時間にしておよそ1時間ほど。手術の内容からすれば神業の如き速さだろう。だがしかし、
「………………………………………………………………」
小さな彼女。逢坂大河が真っ白に燃え尽きるには十分以上の時間であった。
【4】
「うえぇぇ…………」
薄暗い廊下の上を須藤晶穂がフラフラとした足取りでどこかへと向かっている。
ひとつ呻き声を漏らすと板張りの床がミシリ。またひとつ呻き声を漏らすと床もミシリ。
彼女がこんな風に廊下を歩いている理由は、その胸に抱えた中くらいのバケツのせいだ。
「これってどこに流せばいいんだろう……?
台所の流し? お風呂? トイレ? それとも外に捨ててきたほうがいいのかな……?」
中くらいといっても、中にはなみなみと水が湛えられており、少女が抱えて歩くにはややという以上に重い。
そしてその中の水は赤く濁っており、これが彼女に嘔吐くような声を上げさせる原因であった。
最初に水を汲んだ時には透明だったものが赤く濁っているのは、先ほどまで行われていた手術に使われていたからである。
「……う」
未だ耳に残る大河の悲鳴と、濃い血の臭いに晶穂は顔を顰めた。
なんで自分がこんなことをしなくてはならないのかとも思うが、しかしこんなことしかできないのだからしかたない。
最初は晶穂も手術の手伝いをするつもりだったのだ。
だが、ヴィルヘルミナが最初の一刀を入れた時、それは無理だと悟り、部屋を飛び出してしまった。
手術だということはわかっていたし、血を見ることも覚悟していた。だが、大河が苦しんでいる姿を正視することができなかった。
「(あんなのどう考えても18禁じゃない)」
自己弁護するとすればこんなところか。
できるのならば、大河の傍についてがんばるよう応援できるのがよかったのだろう。
彼女とはこの事態に陥ってよりすぐに一緒となった間柄である。
言わば、ここでの物語の中ならば最初の仲間であり、無二の友になる存在のはずなのだ。
多分、これが映画やドラマだったのならば大河の友は彼女に付き添い励まし続けたはずだと、晶穂はそう思う。
しかし現実は苛烈だ。少女らしさを投げ捨て獣のように吠える彼女の姿は女子中学生には刺激が強すぎた。
まるで洋画の中に出てくる悪魔憑きの少女である。しかもそれは作り物ではなく、スクリーン越しでもないのだ。
「はぁ……あたしって……」
沈む気持ちに抱えたバケツも重さを増し、晶穂の足は止まってしまう。
誰かの役に立とうという気持ちはあったのだ。しかし、そのやる気がたいしたものでなかったのは現状が証明している。
できたことといったら大河の声に耳を塞いで、最後の最後に汚れた水を捨てに行くことだけ。
「うぅ……」
ともかくとして、汚れた水を捨てに行くことが現在の限界で、与えられた役柄だ。
涙も出ないがそれも仕方ない。せめてこれぐらいは全うしよう――と、再び足を踏み出した時、
「――動かないで下さい!」
その目の前に拳銃が突きつけられた。
「え……?」
「え……?」
須藤晶穂とテレサ・テスタロッサ。うまくいかない少女同士が狭い廊下の中で交差する。
しかし、勘違いに食い違い。この交差では物語は発生しえず。
互いに空しさを与えるのみであった。
【5】
ヴィルヘルミナとの交信を終え、滞りなく情報の交換をし終えた悠二と水前寺の二人は再びソファへと戻っていた。
こちらから伝える情報があれば、こちらへと伝わってくる情報もある。また、求める情報への回答もあった。
故に、電話をかける前と同様に彼らは情報を整理する為に意見を交し合う。
「《死線の蒼》に《欠陥製品》か……」
悠二の隣で水前寺がヴィルヘルミナより聞いた二つの言葉を呟く。
それらは先刻、死体で発見された零崎人識が探し人として上げていた人の名前らしい。
「どちらも、最初から名簿に名前のあった者だと考えるのが順当ではあるな。
零崎人識が我々と同じ一般的な参加者だとするならば、名簿外にその二人がいたとは知りようがないのだから」
するならば? 悠二は発言に疑問を感じて、隣の水前寺を見る。
「うむ。こういった陰謀論は拡大してゆくときりがないのだが、
零崎人識及び死線の蒼と欠陥製品とが、人類最悪の仲間である可能性も考えられる」
悠二も最初にヴィルヘルミナより話を聞いた時からそういう可能性を考えていた。
人類最悪のメールにある死線の寝室が=死線の蒼であるならば、その名前を出した零崎人識も人類最悪に繋がるのだろうと。
「しかし、この線で押してゆくにはいまいち死線という言葉は一般的すぎるだろう。
たまたま偶然そうだった……というほうが、まだ分があるようにおれは思える」
やや残念な感じもあったが、悠二としても水前寺の考えには同意できた。
多少近いからといってすぐにこれはこうだと決め付けてしまうなど、結論を急ぐとロクなことはない。
そもそもとして、メールの意図もそれが本当に人類最悪からのものなのかも未だ確定していないのだ。
「とりあえずは、《死線の蒼》と《欠陥製品》と呼ばれる者を探すことにしよう。
零崎人識が死亡している以上、どのような人物であったかを聞き出すことは最早不可能であるが、
この世界のどこかにいることは疑いようがないしな。すでに亡くなっているのなければ行く行く先で出会えるはずだ」
頷き、悠二はポケットから取り出したメモに二人の名前を記した。
《死線の蒼》に《欠陥製品》。果たして二人はどのような人物なのか――?
悠二はソファから立ち上がると、窓際へと歩み寄りそこから空を見上げた。
明るい青の空にはいくつかの千切れ雲が浮かんでいて実に和やかだが、しかし彼の探しているものは見当たらない。
「シャナ……大丈夫かな?」
ヴィルヘルミナに聞いた所、神社から自分を探してシャナが島田美波と一緒に出立したらしい。
さらによく聞けば、自分が水前寺と一緒にキョン達から離れた直後にシャナはあの場に現れたらしい。
そんなに近くにいたのかと悠二は悔しく思う。普段ならば彼女の気配に気づかないことなどないはずなのだ。
過ぎたことは置くとして、シャナがバギーを目当てに自分達を探していることが悠二には心配だった。
確かにバギーは道路の上を音を立てて走るし、それを目印にするのは悪くない。
だが、そのバギーに今乗っているのは自分達でなくシズなのだ。
「そんな浮かない顔をするものではないぞ悠二クン」
隣を見ると、いつの間にかに水前寺がいて同じように空を見上げていた。
「あのシズという男は我々がこの病院に向かうことを知っている。話が通じるのならばこちらへと誘導してくれるはずだ。
それに前向きに考えれば、その子がシズと面識を持つことはいいことだとおれは思うぞ。
言葉だけでは証明しきれない我々の側の実力というものをシャナという子が証明してくれるのならば、
あのシズという男もこちら側へと転んでくれるかもしれん」
確かに。と悠二も思った。
それにシズには携帯電話の番号を渡してある。シャナと出会えば即座に電話がかかってくるかもしれない。
そう考えれば、シャナがバギーを追うことはなんら問題がないと言えるだろう。
「では、我々は我々としての行動を起こそうではないか。
晴れてヴィルヘルミナ女史より行動の自由を保障されたのだからな!」
言って、水前寺は踵を返して病院の奥へと歩いていった。例の盗撮眼鏡に収められた映像を見れる機械を探すらしい。
悠二も最後にもう一度だけ青空を見上げ病院の奥へと歩を進めることにした。こちらは足となる救急車の確保だ。
「(うーん……)」
ヴィルヘルミナとの話し合いの結果。悠二と水前寺は遊撃隊として行動するよう彼女に任じられた。
その理由は、単純に人手が足りないからだ。
この不思議な世界の成り立ちや感じられる存在の力については彼女も同様の考察を行っており、
またあちら側ではこの後、天体観測をするなどのアプローチが考えられているらしい。
なのでこちら側、つまり悠二と水前寺の二人は地図でいうところの東半分を担当してくれると助かるとのことだった。
それは的確だと悠二も納得した。電話がある以上、わざわざ彼女達の元へといちいち帰る必要はないだろう。
だがしかし、少し残念なことがある。東側の捜索は”悠二と水前寺の二人だけ”で行うように、と言われてしまったことだ。
あの後、警察署に向かったキョンと美琴がまだ神社に戻っていないらしい。
またシャナと島田美波が神社から出たこともあって、結果、あるはずの人手が全く足りないとのこと。
なので悠二達がシャナと合流したならば、シャナと美波は即座に神社へと帰らせるようにとの彼女からの厳命であった。
「(しかたないけど……)」
キョンと美琴が向かった警察署には古泉一樹がいたらしい。
つまり、彼らが戻ってこないのはなんらかのトラブルに見舞われたからと考えるのが自然だ。
ならばそちらへと人を当てる場合、空を飛べて戦闘能力の高いシャナが向かうというのが最適だろう。
それは悠二もそう思う。ヴィルヘルミナの采配はどれも適切であり、自分が考えてもそうするだろうと断言できる。
だがしかし、
「(僕がシャナと一緒にいることを妨害しているようにしか思えない……)」
そんな意地悪も多分に含まれているのでは? と疑わずにはいられない悠二なのであった。
【B-4/病院/一日目・午後】
【坂井悠二@灼眼のシャナ】
[状態]:健康
[装備]:メケスト@灼眼のシャナ、アズュール@灼眼のシャナ、湊啓太の携帯電話@空の境界(バッテリー残量100%)
[道具]:デイパック、支給品一式、贄殿遮那@灼眼のシャナ、リシャッフル@灼眼のシャナ、ママチャリ@現地調達
[思考・状況]
基本:この事態を解決する。
0:救急車を確保する。
1:水前寺と一緒に浅羽を探す。
2:シャナと再会できたら贄殿遮那を渡し、神社に戻るよう伝える。
3:事態を打開する為の情報を探す。
├「シャナ」「朝倉涼子」「人類最悪」の3人を探す。
├街中などに何か仕掛けがないか気をつける。
├”少佐”の真意について考える。
└”死線の寝室”について情報を集める。またその為に《死線の蒼》と《欠陥製品》を探す。
4:もし途中で探し人を見つけたら保護、あるいは神社に誘導。
[備考]
清秋祭〜クリスマスの間の何処かからの登場です(11巻〜14巻の間)。
会場全域に“紅世の王”にも似た強大な“存在の力”の気配を感じています。
【水前寺邦博@イリヤの空、UFOの夏】
[状態]:健康
[装備]:電気銃(1/2)@フルメタル・パニック!
[道具]:デイパック、支給品一式、「悪いことは出来ない国」の眼鏡@キノの旅、ママチャリ@現地調達、テレホンカード@現地調達
[思考・状況]
基本:この状況から生還し、情報を新聞部に持ち帰る。
0:眼鏡型カメラに記録された映像を検証するため、病院内で出力装置(PC)を探す。
1:悠二と一緒に浅羽特派員を探す。
2:事態を打開する為の情報を探す。
├「シャナ」「朝倉涼子」「人類最悪」の3人を探す。
├街中などに何か仕掛けがないか気をつける。
├”少佐”の真意について考える。
└”死線の寝室”について情報を集める。またその為に《死線の蒼》と《欠陥製品》を探す。
3:もし途中で探し人を見つけたら保護、あるいは神社に誘導。
【6】
手術の終わった部屋はもう幻想の色彩も去り、元の色褪せた畳敷きのものへと戻っていた。
明かりは桜色の炎から黄ばんだ蛍光灯のものへと変わり、逢坂大河の姿は宙にではなく敷かれた布団の上にある。
気を失いぐったりとした大河の姿は生まれたままのそれで、ヴィルヘルミナはその汗に濡れた身体を温かい布で拭いていた。
力の篭めすぎで筋などを痛めていないかを確かめながら、身体を冷やさないようにと素早く丁寧に布を走らせる。
薄く紅潮した胸元から、細い四肢の先までを。汗が浮かびやすい首元や背中はより丁寧に、
そして小さな口を開かせて歯が欠けたり口の中を切っていないかも確かめる。
あらかた終わると、最後に一瞬だけ桜色の炎を走らせ彼女の身体を清めなおした。
真っ白な身体に布団をかけ、一連の作業を終えるとヴィルヘルミナはそこでようやく一息をつく。
「これにて全工程を終了。後は大河が覚醒した後、義手が正常に作動するか確認するのみであります」
「一労永逸」
麻酔なしで腕を切るなどと、まるで戦国時代か極北での話かといった風ではあるが義手を取り付ける手術は無事終了した。
大河は心身ともに衰弱しきっているが、それも寝ていればじきに回復するであろうもので大きな問題ではない。
それもこれも、その小さな身体からは想像もつかぬ胆力のおかげだろうとヴィルヘルミナは思う。
寝ている姿は深窓の令嬢のようで、腕も足も細くまるで作り物のように見える。
しかし、逢坂大河はその見た目にそぐわぬ意気の持ち主であった。
そんな彼女にヴィルヘルミナは僅かなデジャブを感じる。
華奢な体躯に、幼さを残した未完成の美貌。その身に秘めた強靭な精神力。この子はどこか炎髪灼眼の討ち手を想像させる。
木刀を振りかざし突き進んでくる様は稚拙と他ならなかったが、その無鉄砲さにはどこかノルタルジーを感じていたかもしれない。
もしかすれば、逢坂大河は別の《物語》における炎髪灼眼の討ち手に相当する存在なのかもしれない。
勿論、それはただの空想だ。あるいはあの時をまた繰り返したいと思う欲が浮かび上がらせた妄想なのかもしれない。
ヴィルヘルミナは、自身を”シャナ”だと言い切った彼女の顔を浮かべ、そして大河の顔を見る。
似ているかもしれない。けど彼女達はそれぞれ違う子で、それは当たり前のことだ。
「……それでは、今一度近辺を見回ってくるのであります」
ヴィルヘルミナは大河に被せた布団を整えなおすと、すくと立ち上がりその部屋を後にした。
僅かに赤みの増した陽光を背に受け、板張りの廊下を音もなくしずしずと進む。
影に隠れて見えない彼女の顔。そこには母のような優しい表情があったのかもしれない――……
【C-2/神社/一日目・夕方】
【ヴィルヘルミナ・カルメル@灼眼のシャナ】
[状態]:疲労(小)
[装備]:なし
[道具]:デイパック、支給品一式、カップラーメン一箱(7/20)、缶切り@現地調達、調達物資@現地調達
[思考・状況]
基本:この事態を解決する。しばらくは神社を拠点として活動。
1:神社を防衛しつつ、御坂美琴とキョン。炎髪灼眼の討ち手と島田美波の帰りを待つ。
2:状況に応じて、警察署や南の方にいるであろう上条当麻への捜索隊を編成して送り出す。
【逢坂大河@とらドラ!】
[状態]:睡眠中、疲労(極大)、精神疲労(極大)、右腕義手装着!
[装備]:無桐伊織の義手(右)@戯言シリーズ、逢坂大河の木刀@とらドラ!
[道具]:デイパック、支給品一式
大河のデジタルカメラ@とらドラ!、フラッシュグレネード@現実、無桐伊織の義手(左)@戯言シリーズ
[思考・状況]
基本:馬鹿なことを考えるやつらをぶっとばす!
0:…………………………。
【7】
「はぁー……」
天上の方角を突く巨大な天体望遠鏡を見て、インデックスは改めて感嘆と脱力が混じった息を吐いた。
なんど見てもすごいものはすごい。目の前に屹立する望遠鏡の大きさは彼女が居候している部屋よりも大きかった。
突然。ごうんと、望遠鏡の鎮座しているドーム内に大きな音が響き渡る。
「お、おぉ…………、すごい……」
インデックスが見上げている前で、ドーム状の天井が展開し、空が開けてゆく。
隙間から見える空はまだ茜色で、観測を行えるまでには時間があったが、
まるでTVアニメの中で見た秘密基地みたいなその光景に、インデックスはきゃあという楽しそうな声をあげた。
別室。観測機器が並ぶ一室にて、はしゃぐインデックスの姿をカメラ越しに見ていたテッサはくすりと笑い声を零した。
天井が開ききるのを確認すると、キーボードを叩いて今度は望遠鏡が乗っている台を上昇させるよう操作する。
そしてマイクを口に当ててインデックスに近づかないよう注意すると、その光景をまたしばらく楽しんだ。
当初の予定では、ここに再来するのはもう少し後の時間になってからということであったが、
テッサとインデックスの二人はその予定を繰り上げて天文台へと登ってきていた。
大きな理由としては、警察署から戻ってくるはずのキョンと御坂が戻ってきていないことがある。
その内でも特に御坂美琴の存在がこの場合は大きい。
現在、散り散りではあるがテッサ達の組んだグループは11人の人間を抱えている。
当初からこの世界にいた総人数に対して6分の1。現在であれば4分の1ほどになるこの数は、数値だけを見るならかなり多い。
だがしかし、その中には戦闘をするどころか戦闘という状況すら知らない普通の女学生らも多く含まれるのだ。
故に、何かしら動くごとに戦闘に長けた者を同伴させる必要がある。そうでなければ危険だからだ。
そして、その戦闘に長けた者の一人である御坂美琴が未だ帰還を果たしていない。
もし彼女がいれば、彼女かヴィルヘルミナのどちらかがこちらに同伴し、もう片方が神社の防衛につく予定であった。
だが、いくら待っても帰ってこないので、望遠鏡の調整も兼ねてテッサとインデックスが先行することなったのだ。
他にも、手術を終えた大河が眠ったままであったり、テッサが寝ていた間にキノという来訪者が現れたとも聞いており、
そういう諸々の理由もあってヴィルヘルミナは神社に残り防衛の任につくこととなった。
既に一度は二人だけで来ていたわけであるし、地理的に考えても天文台は危険の度合いが低いということもある。
「さてと……」
テッサは再びマイクに口をよせ、インデックスに管制室に来るようにと声をかけた。
観測機器を操作するのはテッサにとって容易いことだが、何を観測すべきなのかは彼女の知恵を借りなくてはならない。
とりあえずは、システムから前日までの観測データを呼び出しデフォルトの設定をそれに合わせておく。
インデックスから見れば不思議な魔法に見えるこれも、テッサからすればキーを少し叩くだけの簡単な作業だ。
こんなことを感心してくれる彼女の姿を思い出し、テッサはそのチグハグな光景にまた頬を緩めた。
初期設定を終えたテッサは椅子から立ち上がると、会議机の端に置かれた湯沸しポットの前へと歩いてゆく。
空腹時におけるインデックスの凶暴性の発露はすでに体験済み。
そして、テッサは見越せる危機を前に対策を怠る少女では決してない。
彼女お気に入りのカップラーメンを筆頭に、物資調達班が持ち帰った数々の食料は既に配備完了している。
「テッサ、おなかすいたー!」
そして、ちょうどインデックスが扉を勢いよく開いて管制室へと飛び込んできた。
昼食の後の午睡と、神社からここまでの山登り。彼女の食欲中枢にレッドアラームを点すには十分だったのだろう。
間もなくして、テッサの予測通りに彼女と食料による第一次接触戦が始まった。
テッサの計算によれば戦闘終了までは20分ほど。食料側6%ほどの損耗で戦闘が終了する予定である。
「……………………」
とてもおかしな光景だと、自分もサンドイッチを齧りながらテッサは思う。
このような状況で、このような時間を過ごせる自分はなんと幸運なのだろうか。
しかし、そういではない者も多数いて、今まさに死の狭間を彷徨っている。そういう者もどこかにいるはずなのだ。
結果的に、見殺しとしてしまったあの少年のような者が幾人も。
それを考えれば浮き上がった心も奈落の底へと沈む。
罪悪感が胸を締め付け、それ以上に自分は正しいことをしているのかという自問が途絶えなくなってしまう。
こんなことで死んでいった者達に顔向けができるのか。仲間と再会した時に胸を張れるのか。
しかし、この問題に答えは存在しない。
ただ問い続けることしかできないのだ。全てが決するその時まで――……
【B-1/天文台/一日目・夕方】
【テレサ・テスタロッサ@フルメタル・パニック!】
[状態]:健康
[装備]:S&W M500(残弾数5/5)
[道具]:デイパック、支給品一式、予備弾x15、調達物資@現地調達、不明支給品x0-1
[思考・状況]
基本:皆と協力し合いこの事態を解決する。
0:陽が落ちるまでは休息。
1:インデックスと協力して天体観測を行う。
2:メリッサ・マオの仇は討つ。直接の殺害者と主催者(?)、その双方にそれ相応の報いを受けさせる。
[備考]
『消失したエリア』を作り出している術者、もしくは装置は、この会場内にいると考えています。
【インデックス@とある魔術の禁書目録】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:デイパック、支給品一式、カップラーメン(x1)@現実
試召戦争のルール覚え書き@バカとテストと召喚獣、缶詰多数@現地調達、不明支給品x0-1
[思考・状況]
基本:みんなと協力して事態を解決する。
0:陽が落ちるまでは休息。
1:テッサと協力して天体観測を行う。
3:とうまの右手ならあの『黒い壁』を消せるかも? とうまってば私を放ってどこにいるのかな?
[備考]
『消失したエリア』を作り出している術者、もしくは装置は、この会場内にいると考えています。
【8】
須藤晶穂は社務所の縁側に腰掛け、ひとりぼっちでただ陽が沈みゆく景色を眺めていた。
西日に当てられ朱色に染まる山は、知らない風景であるはずなのにどうしてか郷愁を誘い心を掻き立てる。
カラスが鳴くから帰ろう――なんて歌詞が童謡にあるが、晶穂の今の気持ちはまさにそれであった。
”帰りたい”と思っている。帰ることなんてできないのだが、気持ちはいっぱいだった。
別に元の日常に戻りたいとかそういうことではない。
もし、はいいいですよと帰してくれるならそれはありがたい話だが、今の気持ちはもっと短絡的なものだ。
現状から逃げ出したい。今、”この場”から離れたいという感情。
さっきまで、テッサとヴィルヘルミナ。そして半分寝ぼけていたインデックスとが難しい話をしていた。
晶穂も仲間の一員として同席していたから話を聞いたし、別にその内容が理解できないということもなかった。
しかし、自分から何か意見を出すことはできなかった。まるで手が出なかったともいう。
彼女達は専門家なのだ。軍人にフレイムヘイズ。抜けたところのあるインデックスだって何かすごいものらしい。
大河はちっこくて普通側の仲間だけど、彼女は自分なんかより全然すごい。
それに手術なんかして、片腕がロボットみたいになっている。もう普通側の仲間ではなくなっていた。
翻って自分は普通の普通オブ普通の一般人だった。まるで配役の肩書きが一般人ってくらい普通の女の子。
普通じゃない話の中で基準となる存在。スケールを表すために置かれる煙草の箱。それが須藤晶穂という存在だった。
だからなんだ。普通のどこが悪い――と、晶穂は思う。
それに、一口に普通と言っても人それぞれ尊重されるべき個性というものがあるのだ。
例えば大食いが得意……とか。
「はぁあああぁ〜…………」
既視感。それどころかマンネリズムすら感じる嫌な気分。
部活中に浅羽と部長が自分のわからない話で盛り上がっている時の感じ。
浅羽と部長がイリヤにかまって、私という存在をどうとも思っていない時の感じ。
浅羽も部長も、テッサやヴィルヘルミナも決して意地悪をしているわけではないのだ。
ただ単に、須藤晶穂を須藤晶穂として見ているだけのことにすぎない。
構って欲しければ、注目してほしければ自分から前に出て行かないといけないのである。
魔法使いでも超能力者でもない一般人は自身の個性を自らアピールしなくては非普通人の輪には入って行けないのだ。
それが、一般人の掟。
しかし自分はそんなことができない。
盛り上がっている輪の中に顔を突っ込んで、「何々?」とずうずうしく聞くこともできなければ。
「じゃああたしもやらせてよ!」とか分も空気も弁えない分不相応な突貫もできないのだ。
弁えている。そういうことにしておけば須藤晶穂はいい子ちゃんだろう。
けど実際は、「馬鹿じゃないの?」とか「そんなこと勝手にして!」とか言ってしまい、その輪から離れてしまう。
しかも、離れるなら離れるでどっかに行けばかっこいいのに、ギリギリ目の届く範囲でウロウロいじいじしているのである。
かまってもらえなくて拗ねているだけ。そして向こうから声をかけてくれる期待を未練たらたらに諦めきれない。
すごく幼稚な感情だってことは晶穂自身がよくわかっている。わからないほど頭は悪くない。
けど、わかっちゃうからこそ悔しくもあり、そんな自分の小ささに悲しくなってしまう。
これがいつもなら、浅羽に「馬鹿!」と言って家に帰り、お気に入りの音楽を聴きながらベッドで丸まっていればいい。
それか部長に「こっちは勝手にします!」と啖呵を切って、取材兼自棄食いをしに商店街へと走ればいい。
でも、ここではそのどっちもできはしない。
みんなから離れると言っても、せいぜいこの縁側までが限界。がんばっても鳥居の前までだろう。
須藤晶穂は殺し合いの中で役に立てる人間でも、物語に彩りを与える華やかな人間でもない。
浅羽みたく無茶無謀ができるほど馬鹿ではないつもりであるし、
部長みたく力及ばない状況でも自分でできる範囲で全力を尽くせるほど肝は据わっていない。
ヴィルヘルミナやテッサにかまってなんて言えるはずもなく、かといってここから離れる度胸もない。
だから、
「帰りたい……」
ただそれだけを思うのだ。
【C-2/神社/一日目・夕方】
【須藤晶穂@イリヤの空、UFOの夏】
[状態]:意気消沈
[装備]:園山中指定のヘルメット@イリヤの空、UFOの夏
[道具]:デイパック、支給品一式
[思考・状況]
基本;生き残る為にみんなに協力する。
1:どうすればいいってのよ……。
2:部長が浅羽を連れて帰ってくるのを待つ。