−5−
巨大な鳥が、舐めるように空を滑ってゆく。
銀の翼は羽ばたくことを知らぬ。軽やかなさえずりに代えて、地底に棲む獣の息遣いを思わせる心音を不気味
に響かせていた。
引き伸ばされて金切り声を上げる大気を意にも介さずに、雲流れる高さのそのまた上を飛び続ける。
以上の事柄をもってその正体を謎掛けとするならば、ひとはそれを飛行機と答えるかもしれない。
なるほど確かに。その姿は航空機、中でもジャンボジェット旅客機と呼ばれるものに近しいといえる。有する
能力も似てはいた。
けれど惜しくも、ああ、惜しくも、それでは不正解とせざるを得ない。
『まったく、怪物クロックもあんな形(なり)して計画性がないったら……』
何故なら、それは 年若い娘らしい癇の強さを滲ませてぼやくのだ。
確固たる意思をもって自ら喋る。物をいう。
“怪物ジャンボジェット”。彼女の名だ。
すなわち、ジャンボジェット旅客機の怪物機械。酸素を食らって燃料と燃やし、噴流を利用して空を飛ぶ鉄の
鳥。その流れを汲む、機械仕掛けの怪異だ。人類に牙剥く機械仕掛けの王、ひとつ。
『何が悲しくて、このあたしが、怪物ゲームハードたちのようすを見に行かなくちゃならないんだってのッ』
突然の予定変更というものは、怪物ジャンボジェットにとって鬼門だった。機嫌も悪くなろうというものだ。
情報収集のためにたまたま顕現していた彼女が、同族の怪物クロックから連絡を受けたのは、今から二時間ほ
ど前のことになる。
怪物機械の棲む世界の果てから飛び出し、ひとの住む領域へとその固有のメカニズムを実体化させる“顕現”
は、彼らにとっても決して容易いわざではなかった。それをなすには、相応の時間とエネルギーを代価に支払わ
なくてはならない。
構成部品の多寡、構造の複雑さ、製造に必要な技術水準、稀少物質の含有量、質量の大きさなどによってコス
トは変化し、概ね“強力な怪物機械ほど顕現に時間が掛かる”とされる。ある面では、回線を通じた電子データ
のダウンロードにも似ていた。
どれほど早い個体でも数時間、大物になれば数ヶ月を必要とすることもある。
今回は不安がる怪物マイクロウェーブオーブンのために、怪物クロックが急遽用心棒を向かわせる運びになっ
たわけだが、新たに送り込むにはどう計算しても時間が足りず、最寄りの怪物ジャンボジェットに声が掛かった
という次第だった。
『だいたい、あたしの知ったことじゃないんだ。ゲームハード嫌い。……だって調子狂うしッ』
止まることのない不平不満を吐き出しながらも、怪物ジャンボジェットは空を渡る。
コックピットの中、パイロットに取って代わったカメラアイが目的地を捉えた。到着だ。
レーダーシステムが、怪物機械でも中流階級以上の反応を拾い上げ、オレンジの光点として座標系に入力表示
していく。
主催者である怪物ゲームハードの人望のなさか、ほとんどは有象無象だ。
怪物機械たちが大行進するルートのちょうど真上に差し掛かり、レーダー座標上に天の川が完成したころには
、怪物ジャンボジェットは既にひと仕事終えたような気分になっていた。可能な限り飛行速度を落として、市街
地の上空をだらだらと旋回。
『――ん?』
そんな怪物ジャンボジェットが、にわかの緊張に翼端を震わせた。
『何で……?』
ひとつ。またひとつ。ともがらたる怪物機械を意味する光点のロストに気づく。誰にも予期し得なかった異状
の発生を知る。
“怪物機械はおよそ不滅”だ。人類の兵器によって完全破壊されることはない。彼らこそ、世にある機械仕掛
けたちの王であるから。
サーチ。局所的自然災害か? まさか。
サーチ。機械仕掛けを持たぬ原始的武器か? それこそまさかだ。
サーチ、サーチ。
果たして地上にちらつく謎の光の正体は――
−6−
えー太少年は七階建てのビルの屋上から戦闘を見守っていた。
気絶したしー子ともども、アイヴァンホーに安全と思われる場所まで運ばれたのだった。機械仕掛けの勇者の
手のひらは、見た目の武骨な印象の割りに温もりがあり、どこか肌に馴染むように柔らかく感じられた。
えー太の手首には、今、車輪をあしらった勇壮な意匠のブレスレットが装着されていた。先ほどまでは影も形
もなかったそれは、戦いに赴くアイヴァンホーがえー太に預けていった品だった。
『これを渡しておこう』
「これは……?」
『“ブレイブチャージャー”。キミの勇気ある行動を覚えていてくれるアイテムだ。また、遠く離れていても私
と話をすることができる。……詳しいことは後で説明しよう』
先刻に交わした会話を思い出す。スーパーヒーローに仲間として認めてもらったような感覚。胸が躍る。心臓
の疼きは苦しくも愉快で、今すぐ走り回りたい衝動に駆られる。
眼下の戦いは、ひとつの区切りを迎えようとしていた。
『噛みつけ、アイヴァンホイール!』
勇者アイヴァンホーが、変形前の後輪に当たる両肩部のタイヤを相次いで投射する。
左右の車輪が空を蹴って走る。怪物ペンシルシャープナーと怪物ダンプカーが、躱しきれずに吹き飛んだ。猛
回転が敵の外装を削る。
最も頼みとする武器アイヴァンホーガンの矢数は最大二十、残りわずかに四本のみ。それだけでは、怪物機械
の百の軍勢を一掃できない。
アイヴァンホーは、攻撃手段をアイヴァンホイールに切り替え、四面楚歌の中立ち回る。鋭角の方向転換はさ
ながら稲妻。
とはいえ、外的ショックに対して高耐久の個体を破壊するには、そのどちらの武器も火力不足だった。喩える
なら、城に矢を射掛けるようなものだ。これが御伽噺ならば、太陽を射殺した男もいるけれど。
『口ほどにもないナ、アイ、バァン、ホー?』
『がしゃしゃしゃ!』
『怪物機械の強大さは、顕現の時間で決まる。我らでも半日掛かり。此度の主催者に至っては、七日を費やし、
ようやっと顕現を終えるのだぞ』
『見るにおまえも顕現の方法は同じ。ブレイブチャージだか何だか知らぬが、数秒ていどで電送したメカニズム
など、恐るるに足らん』
優勢の怪物機械、図に乗って大いに語る。
『……口の達者な奴らだ』
言い放つアイヴァンホーの表情は鋼のよう。
怪物機械の言葉は正しい。
機械仕掛けの勇者を送り込む“ブレイブチャージシステム”。それは、合力する対象人物を決定するだけで、
異世界にて待機するそのメカニズムの電送じたいを補助するものではない。
アイヴァンホーがえー太の前に一瞬で顕現できたのは、ひとえにその電送能力が並外れて優れているからであ
る。電子データのダウンロードに置き換えれば、“回線が太い”といえるか。
しかし、それでも越えられない壁は存在する。
物(メカニズム)量の差は圧倒的だ。特に攻撃力の貧弱さは深刻で、このままではそう遠くないうちに押し負
けると予測できる。
苦境に追い討ちを掛けるように、怪物機械がどよめく。滲み出す歓喜の色。
『おお、来たぞ』
『ようやくか。待ちくたびれタ』
『顕現するぞ、顕現するぞ、今、七の夜を越え、我らのリーダーが』
そうして。
本物の怪物が、太陽の下に出現する。
怪物が来る。それは人間の本能を呼び覚ます恐怖。
怪物が来る。それは人類を絶望に追い立てる脅威。
怪物が来る、怪物が来る。
ああ、多くのひとびとはその姿を知らない。高等怪物機械を。グレートモンスターマシーンフェノメナを。
北米における先の顕現では、あまりに強大さに未曾有の天変地異と見なされた。九死に一生を得た目撃者すら
も、竜巻らしき何かとしか表現できず。
ただし今このとき、極東の技術大国において、ひとりの少年がそれを見る。
機械仕掛けの王たちからも畏怖の念を集める、怪物の中の怪物があるのだ。
性能だけでいうならば、王たちの王モンスターマシーンキングに認められた“モンスターマシーン大幹部”に
勝るとも劣らない、それは怪物機械の実力者。
『やぁやぁ、諸君、待たせたね』
口から飛び出る言葉は、刹那的に刺激を欲する若者のように軽々しく薄っぺらい。あるいは人生に飽いた遊び
人のそれか。
鮮烈なメタリックレッドのボディは、まだどうにか人型といえる。
コントローラ型の掌のあちこちで、ボタンやスティックがぎちょぎちょと蠢く。コード類の乱れ髪が這いずり
回り、乗用車を転覆させた。排熱ファンが唸り声を上げて、真夏の暑気を吹き出す。
ヘリコプターのローターのように、ディスクと思しき円盤を頭上で高速回転させ、基底部をわずかに地表から
浮かせていた。
『顕現なんて久し振りすぎて、セーブデータをメモリーカードからロードするのに、ハッ! 苦労したさ』
けばけばしく明滅するディスプレイを貌とする頭は、地上30メートルの高度に達して、一帯の建築物のほと
んどを見下ろす。白昼の街に翳が落ちる。
怪物機械の群れがざっとその後方に下がり、“リーダー”に先頭を譲り渡した。
「あつい……っ」
突然に吹き荒れ始める熱気に、えー太は目を細めた。火照る頬。気温の上昇を肌で感じる。だというのに、ち
っぽけな体と幼い心が、芯から冷えてたまらない。
ゲームハード。最新機種の面影がある。クラスメイトがソフトの話題で盛り上がっているのを聞いて羨ましく
なり、ずいぶんと親にねだったが、未だに買ってもらえていない。
脳髄がけたたましく警鐘を叩く。分かってしまう。誰に説明されるでもなく。それが怪物の中の怪物だという
ことがだ。大小無数の“機械のお化け”たちの中でも、あれだけは異質だ。あれだけは別格だ。
ああ、勇者がついていながら、何故みすみすその顕現を許してしまったのか。
『さてさて、デモが止まっていると思ったら、何やら乱入者もいることだし、ハッ! ……ボクの名を今こそ告
げようじゃないか――“怪物ゲームハード”ってね』
遊戯のための高性能電子機器の一種が化身せし、機械仕掛けの王が名乗る。
余裕綽綽な響きに実力が窺えた。積極的に攻撃を仕掛けてくるでもなく、先手は格下からとばかりにスティッ
クをくいくいと動かす。
『ここで真打か』
対峙するアイヴァンホーは、誰に聞かせるでもなく呟いた。
未だ山と残る怪物機械の軍勢に、それらをはるか凌ぐ怪物ゲームハード。ピンチといえばこれほど分かり易い
ピンチもない。
それでも毅然と胸を張ってみせる。
『だが、敵の底は見えた。ここからが、正念場だ』
「アイバンホー! 大丈夫!? あいつ、すごく強そうだよ!」
いてもたってもいられないとばかりに、えー太がブレイブチャージャーの通信機能で独白に割り込む。
アイヴァンホーは少し驚いたように沈黙し、すぐに優しい表情で微笑んだ。
『このていど、さしたる窮地でもないが。そうだな。少年、力を借りたい』
「な、何っ? ぼく、何でもするよ!?」
『弱点を突きたい。ゲームハードなる機械について、知っていることを教えてくれないか?』
「ゲーム機の弱点!?」
えー太は思わず空を仰いだ。少年はそもそもテレビゲームを持っていなかった。
電気? 水? いかにもそれらしいが、どちらもこの場で利用するには難しい気がする。思考の隅に焼きつけ
て一旦保留。
ひとしきり悩み、暑さと焦りとで汗ばんだ額を手首で擦んだときだった。
頬の火照りを思い出す。
「そうだ! 熱だ!」
天啓のように閃いた。記憶が連鎖的に蘇る。
そう。そうだ。クラスメイトのダイ。確か去年、夏休み明けにクーラーなしではとても遊んでいられなかった
などと贅沢な不満を漏らしていた。
ブレイブチャージャーに叫び声を吹き込む。
「アイバンホー!」
『あるのか』
「うん! ゲームハードはすっごく頑丈だけど、すぐに熱くなっちゃうんだ!」
『ほう……』
最小限の予備動作だった。
感心したように相槌を打つや否や、怪物ゲームハードの虚を突くタイミングで、アイヴァンホイールを投擲し
た。微妙な速度差のついた二つのタイヤが空中で接触し、一方がもう片方の回転力をもらって加速、加速。
『――踏破せよ、アイヴァンホイール!』
想いを籠めるように武器の名を叫ぶ。車輪が砲弾となって飛ぶ。
威力はたかが知れたものと、怪物ゲームハードがガードもせず嗤う。
しかし果たして、逆転への布石アイヴァンホイールは、怪物ゲームハードの排熱口はおろか、その巨大な本体
のどこにも命中しなかった。ブーメランのような曲線に残像を引き、力任せに車道を砕く。
アスファルトの散弾が、メタリックレッドの外装の表面を強かに叩いた。逆さの土砂崩れのよう。しかし、も
ちろんそんなもので傷つくような怪物ゲームハードではない。
タイヤが毬のように弾んでアイヴァンホーのもとへ帰っていき、肩の定位置に戻る。
観衆と化していた怪物機械たちが一斉に嘲笑。
『どこを狙って、ハッ! ……ってアレ?』
怪物ゲームハードは、そこで自らの筐体の内部温度がどんどん上昇していることに気づいた。あまり長いこと
放置しては、深刻な不具合を生じるだろう。
泡を食って自己分析を開始する。
(ファンがうまく回っていない?)
その原因は、排熱口の孔から機構に侵入したアスファルトの破片。先ほどのアイヴァンホイールによって雨霰
と飛び散った車道の舗装材が、異物となって怪物ゲームハードのラジエータ機能を麻痺させたのだ。
『しかしこのていど、ハッ! ものの数秒もあれば除去して……』
『そんなことをしている余裕が、貴様にあるのか?』
『ん何だって?』
アイヴァンホーは上空に腕を掲げた。
『戦闘に掛かりきりで遅々として進まなかったが、貴様がのんびりしていたおかげで、我が電送は既に99パー
セント終わった。退くならばそれでよし、退かねば』
『どういう意味、……ハッ!?』
それは、これまでの怪物ゲームハードがしてきた、相手を小馬鹿にした呼吸とは違っていた。
アイヴァンホー。その“顕現”の異質さに思い至ったが故のもの。
『今こそ、我が愛車を紹介しよう!』
「愛車!?」
アイバンホーも、もとは車なのに? 何だか釈然としないものを感じるえー太だった。
しかし、顕現したそのインパクトの前に、そんな違和感は吹き飛ぶことになる。
『来たれ』
耳を聾する雷轟を伴って顕現する流線形。
それは巨大。
それは重重量。
勇者の乗り物、神々しい銀色を発する。大型怪物機械の剛力をもってして止められぬ大馬力。
古代ギリシャの二輪戦車を彷彿させるかたちだ。ただしそれを曳くのは、選び抜かれた精強なる軍馬などでは
なく、未来的意匠の牽引車。
もうもうと土煙を立てて馳せ参じる。
『“アップローダー”』
それが、そのマシーンの名前。
顕現の余波だけで、矮小な怪物機械たちが蛍火となって吹き飛んだ。
アイヴァンホーは、大跳躍から傲然たる振る舞いで古代の戦車の上に座し――
『ファイナルフォルムチェンジ』
――出し惜しみもせず、奇跡の呪文を口にした。
−つづく−