THE IDOLM@STER アイドルマスター part3
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衷心
「ちょっと二日くらい留守にするけど、いいか?」
765プロ唯一のプロデューサーである彼は、その日の朝、事務所に来るなり秋月律子に
そう言った。いきなり話を振られて、律子は一瞬面食らったが、すぐに今週のスケジュールを
頭の中に展開し、「そのくらいなら、大丈夫だと思いますけど」と冷静に答えた。
デビューして半年余り、名前も売れてきてそれなりに忙しいとはいうものの、もとより
プロデューサーなしでも、アイドル活動くらいなんとかできるだろうと内心思っていた彼女に
してみれば、それほど大きな問題ではなかった。
「で、何かあったんですか?」律子は持っていたボールペンを彼の方へ向けた。
「田舎のばあちゃんが、ゆうべ亡くなってさ」
「え、それは……ご愁傷様です」律子は礼儀正しく、座っていたイスから立ち上がって一礼した。
彼もそれに応じて、小さく会釈を返した。
「九十過ぎてて、何年も寝たきりだったし、ここ一年くらいは意識もずっとなかったから、
もう自分の中で、心の準備はとっくにできてる、って思ってたんだけど、やっぱりすごく
悲しかったな。口の悪い親戚は、意識不明で寝たきりなんだから、もう死んでるのも同じだ、
なんて言ってたし、おれも確かにそういう感覚少しあったけど、頭でそう考えてるのと、
本当にそうなるのとは、天と地ほど差がある、ってのがよくわかったよ」
「大丈夫です?」律子は彼の精神状態を気づかって言った。
「ああ、もう気持ちの整理はついたと思う。おれ、ガキのころ、ばあちゃん大好きだったから、
顔見たら、きっとまた泣くかも知れないけど」
彼は社長に休暇の了解を取ると、そのまま会社を出て行った。雑誌社からの取材を午前中に
終え、少し空き時間のできた律子は、彼の不在にいくぶん物足りなさを感じながら、今ごろ
飛行機に乗っているころかな、と廊下の窓から空を見上げた。
ところが、そうやってよそ見をしていたせいで、律子は一歩目の階段を踏み外し、きちんと
一階分、滑り落ちてしまった。音を聞きつけた社長が飛んできて、すぐ車で病院へ運んでくれた。
幸い、骨には異常なく、脚に二、三個所打撲を作った程度で済んだ。
「このくらいなら、ファンデーションで隠せるから問題なしね。お医者様も、湿布していれば
明日には痛みもほとんどなくなると言ってたし」
事務所に戻ってきた律子は、イスに座ったまま、何か所か赤くなっている自分の脚をながめて、
ひとりごとを言った。しかし、彼のことを考えていて階段を踏み外したというケガの理由が、
自分自身、なんとも気に入らなかった。
次の日、大事をとって一日分の仕事を自分でキャンセルした律子は、逆にこの空き時間を
逃さないようにと、一日会社にこもって、たまった書類や帳簿の整理をすることにした。
その中には、なかなか進捗していない、彼の分の書類もあった。
昼近くなって、ご飯でも食べようかと、ゆっくり立ち上がって大きくのびをしたとき、部屋の
外からけたたましく階段を駆け上がる音が聞こえ、どしん、と大きな音をさせてドアが開いた。
プロデューサーが血相を変えて立っている。
「律子、大丈夫か!」
律子は突然のことで、なにも言えずぽかんとしていたが、彼はほんの数メートルの距離を
走るように近づいてきて、彼女の両肩をつかんだ。
「大丈夫か、ケガは。医者を呼ぶから、座って待ってろ」
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ、プロデューサー。医者ならきのう行って、もう治りかかって
ますから。痛みだってほとんどないし。っていうか、なんでケガのこと知ってるんです?第一、
会社出てくるのは明日でしょ?お葬式はどうしたんですか?」
「通夜は出てきたから」
「だめでしょ、お世話になったおばあちゃんなのに。……とにかく、この手を離して下さい」