「エナル伝説〜そして物語は始まった〜」
風のない砂漠に突風が巻き起こる時
全ての時間が消滅した
プロローグ
空間が鳴動していた。
暗闇に雷光が閃き、強風が白い砂を巻き上げる。
灰色の雲が低く垂れ込めた地上で「彼」は四本のヒゲを
震わせると、口の中で何事かつぶやく。
「彼」の体は大きく、無数の固い鱗で被われているので、
他の小さな者達と違い、悪天候くらいで怯える事はなかったが、
雷の音の大きさには多少閉口していた。
雷鳴が再び轟くと、風向きが変わった。
「彼」はその風の中に不穏な気配を感じ、慌てて砂地を掘ると、
大地の奥深く、その巨体を沈めた。
ため息が出た。
大地の中は、何て静かなんだろう。
柔らかい砂の感触に心が落ち着く。
地上では嵐がいよいよひどくなり、このまま天地が裂け、
惑星が壊れてしまうのではないかと思われた。
「彼」はあくびをかみ殺した。
目を閉じる。
眠りに落ちる寸前、誰かの悲鳴を聞いたような気がしたが
「彼」は気にも止めなかった。
世界は、闇と静寂に包まれた。
「テストパターン」
月―。
「地球シャングリラ計画」の名の下に、母なる星はリゾート惑星と
化し、人類は無数のスペースコロニーへと強制移住させられた。
全ての行政機関は月に置かれ、特に、昔「晴れの海」と呼ばれた
クレーター跡に作られた「ドーム都市クレパー」は、人類始まって
以来の爛熟都市とまで言われる程繁栄していた。
そのクレパー市の目抜き通りにあるオフィスビルの一室で、
ティプトリー.ネーダは大きなため息をついた。
彼の執務机の前に立った背の高い若い男は、薄いブラウンの
サングラス越しに冷たい目で自分を見下ろしている。
後ろから見たら女に間違えられそうな、長い栗色のストレートヘア。
ケリーグリーンのスーツにスプリンググリーンのシャツ、
ワイン系ペイズリー柄のタイというスタイル。どれも上物だ。
軟派気取りでないことは、サングラス越しに見える真剣な眼差しを見ればわかる。
シルバーグレーの短髪に、コーヒーブラウンのスーツ、コロニアル
のシャツにピーコックグリーンのタイを着けたティプトリーは、
五十がらみの会社の役付きだった。
ため息をもう一度つくと、いらだちを押さえた声で目の前の若い男が言った。
「俺の腕、買うのか買わんのか。」
「そりゃ買うさ。シャトルパイロットのライセンス付きを逃す
つもりはないよ。だがなエーデル、もったいないとは思わんか?」
紹介状から男に視線を向けた。
「何がだ。」
「何故、家を捨てた。」
男の瞳がぎらりと光ったようだった。
「わかったよ、余計な事は聞かん。何故エリートコースを捨てて
までここに来たのか、何て事はな…。そう、怖い目をするな。」
部屋の隅にあるアンティックなダイヤル式金庫からチップを一枚取り出し、男に渡す。
チップには『テストパターン』と刻印されていた。
「テストするのか。」
「規則なんでね。後でとやかく言われるより、いいだろう?」
「ふん、前科さえ作っちまえば、金なんぞ使わなくても拘束できるものな?」
「まさか。そんな事はしとらん。ちゃんと金は払うし、それに、アシスタント付きだ。」
笑顔で答えると隣室へ直接通じるドアを開け、中に入っていった。
「こら! 昼寝なんぞしとるんじゃない! 起きろ、ビンゴ!」
隣室から目をこすりつつティプトリーと一緒に出てきたのは、
ごわごわの黒い長髪を後ろで無造作に縛った、目つきの悪い、
浅黒い肌の大男だった。
黒いノースリーブシャツに履き古したグレーのカーゴパンツ。
何故か軽機関銃を手にしている。
「紹介しよう。ビンゴだ。ビンゴ、こっちはエーデル。お前がサポートする相手だ。」
「俺、一人だって出来るんだぜぇ?」
機銃を手で弄びながら、ビンゴはエーデルを値踏みするように眺める。
「彼はシャトルパイロットのライセンス付きだぞ。」
「へぇっ!」
大男の薮睨みの目が丸くなった。
「ならいいや。よろしくな。」
差し出された手を無視して、エーデルは踵を返した。
「何だよ、インテリが、エラっそ…ぐっ!」
全部言い切る前に、物凄い素早さで身を翻してきたエーデルの
右ストレートを腹にくらい、ビンゴは床にのびた。
(頭ではなく体で認めさせる。なるほどな、こういう連中の扱いは慣れてる、てわけか。)
気の荒いパイロット崩れ達とつき合ううちに身につけた処世術だろう。
ティプトリーが感心していると、服の乱れを直したエーデルが聞いてきた。
「ギャラは?」
「三万リス。」
クレパー市内の平均的サラリーは年収二千リス。テストにしては高額のギャラだ。
だがエーデルは納得しなかった。
「五万だ。」
ティプトリーは床にのびているビンゴをちらりと見ると、肩をすくめた。
「…。いいだろう。」
交渉成立とみるや、エーデルは振り向きもせずにビンゴを置いて歩き出す。
「歩ける元気があったら、ついてこい。」
背中越しに言って、ドアの向こうに消える。
「へへへ…。気に入ったぜ。よっと。」
目を開けたビンゴは胃の辺りを撫でると、体のバネを使って起き上がった。
「じゃあな、おっさん。」
ティプトリーに手を振り、機銃を肩に担いで出て行く。
二人が出て行ってしまうと、ティプトリーはまた大きなため息をついた。
「政府の寵愛を受けるアドロインダストリー社。
その後継者の座を捨ててまで、テログループに入りたいなんて。
自分がどんなぜいたくをしているのか、ヤツにはわからんのだろうな。」
「待てよ、エーデル。」
『部長室』と書かれたドアを出ると、ビンゴは通路を駆け出した。
エレベーターホールで追いつくと、彼を質問攻めにする。
「な、何であんたテログループになんか入る気になったんだ?
シャトルパイロット、ていや、高級取りじゃんか。
上司とケンカでもしたのか、それとも、現体制に不満がある、とか…。」
エーデルは何も答えなかった。
「へへ。俺、一ヵ月前まで学生運動やってたんだぜ。」
「黙れ。」
「え?」
「口の軽い奴に用はない。」
「な、何だよ。これから一緒に仕事しよう、てんだぜ?
お互いの事、知っといた方が…。」
「素人にも用はない。」
「うっ。わかったよ。黙ってりゃいいんだろ、黙ってりゃぁ。」
(まったく、取っ付き難いヤツだぜ。)
「それとその玩具、しまっとけ。」
ビンゴは自分の手の機銃に目を落すと、軽く肩をすくめた。
「どこへ? ケースなんかないぜ?」
「それくらい、自分で考えろ。」
ビンゴはちょっと考えると、セーフティーロックを確認し、
着ていた黒シャツの下に銃身をもぐりこませた。
エレべーターのドアが開き、昼食から帰って来た社員の群れが吐き出される。
彼等にはこの二人の取り合わせがとても奇妙に見えるのだろう。
ビルを出るまで好奇の視線にさらされたが、そんな事を気にする二人ではなかった。
エーデルの取っていたビジネスホテルにつくと、さっそく仕事の打ち合わせに入る。
ティプトリーから受け取ったチップを、部屋に備え付けのネットワーク機器にセットする。
モニターに最初に浮かび上がった文字は、「AD.F 307便について」というものだった。
「銀の瞳」
クレパー市中心街。
その目抜き通りは露店商から専門店までファッションを中心とした店が軒を並べていた。
その通りの中程にある高級ブティックの試着室で、
下着姿のリヴ・フレイグはお腹をすかせていた。
きれいに編み込みされた銀髪と、抜けるように白い肌、
そして銀色の瞳がどこか作り物じみた印象を人に与える。
もちろんコンタクトなのだが、銀髪と相まって本物の銀の瞳と信じてしまう人も少なくない。
(つまらない。)
胸元を飾るペンダントの透明な石を指先でいじりながら、
彼女はつぶやく。
夕べの最終便で火星からついたばかりだというのに、朝早くから
起こされ、見知らぬ町を引っ張り回されて、少々虫の居所も
悪くなりかけている。
着せ代え人形役に飽きた彼女は、コーラルピンクのベビードール姿のまま試着室から出ると、服の品定めをしている連れの女性に近付き、声をかけた。
「える、ごはん。」
「ちょ、ちょっと!? 何て格好で出てくるのよっ。」
ジュエル・フレイグ。スカイブルーの明るい瞳が印象的な、
ブロンド美人だ。
モスグリーンのシンプルなワンピースがよく似合う、生命力に溢れた、魅力的な少女だった。
ジュエルは慌てて彼女を試着室に連れ戻し、腕の時計に目を走らせて聞いた。
「ファーストフードでいい?」
素直にうなずく。空腹が満たされるなら、なんでもよかった。
ジュエルは試着室を出ると店員に会計を頼んだ。
ブティックに買った荷物を預け、向いにあったファーストフードで昼食をとる。
「後は、パーティードレスだけね。」
「ぶー。」
ジュエルの言葉にリヴは赤ん坊のような不満の声を上げた。
歩き疲れたのと、買い物に飽きたのとで機嫌が悪い。
「仕方ないでしょう。地球の島には何にもないのよ。
月で買っとかなきゃ、着たきりスズメになるんだから。」
「ぶー。」
「ほら、早く食べる。」
リヴは差し出されたポテトから顔を背ける。
「いらないの? もう。珍しく食欲が出たと思ったら、結局残すんだから。今日はおやつ抜きよ。」
お腹が膨れたせいか、不満の声は出なかった。
「ドレアさん、ビジホーンです。」
劇場の客席後部にしつらえられた調整室の入り口から、スタッフの一人が顔をのぞかせた。
「本番中だ。後にしてくれ。」
呼ばれた本人はガラス越しに舞台を見つめたまま、振り返りもしない。
濃紺の半袖シャツの大きな背中が、まわりに威圧感を与えている。
スタッフはまた言いつのった。
「火星からですが ?」
彼は眉をしかめて振り向いた。
「火星?」
(レーザー通信か。ぜいたくな事をする。着払いじゃなかろうな。)
芸人なら誰もが一度は踏みたいと憧れる、とある大劇場の舞台裏。
ドレアは三年もの間、ここで総合プロデューサーを務めている。
今は、今期最終公演の真っ最中だった。
調整室から急いで劇場の事務室へ向う。
通路ですれ違いざま、役者を誘導中の進行の女性に声をかけた。
「サラ、ダンサーのスタンバイは?」
「配置、完了です!!」
赤毛のショートヘアに大きな丸眼鏡をしたスレンダーな彼女は、
額の汗を手で拭って、笑ってみせた。
薄いすみれ色のシャツと細身の白いパンツが似合っている。
「よぉし! 多少ハメをはずしてもかまわん。派手に決めろと連中に伝えろ。」
「はいっ!」
元気よく走り去る彼女を見送って、彼はまた事務所へと急いだ。
(たくっ。楽日のクライマックスに呼び出すとは…。
いったい、誰だ?)
火星に知り合いはいないはずだが…。
最終公演のクライマックスを見に、人が出払っているのだろう。
からっぽの事務所に飛び込み、ビジホーンの受信スィッチを乱暴に入れる。
(あ…。)
一瞬、彼の中の時間が巻き戻された。
『久しぶりだな、ベンジー君。間に合ってよかったよ。』
相手は昔の愛称で呼び掛けてきた。
「…。何の用だ。」
モニターに映っていたのは、スキンヘッドにブラウンの鬚を
たくわえた、いかつい顔の白衣を着た中年男だった。
『いや。頼みごとがあってな…。』
「頼み事。あんたが俺に?」
冷たい笑いがこぼれる。
『そうだ。最初で最後のな。』
相手も似たような笑いを返してきた。
過去の苦い思い出が蘇り、彼は返事をするのに少しの時間がかかった。
「…。今日は、楽日なんだ。手短に願いたいね。」
『こっちも時間がない。いいか、よく聞け。
明日の打ち上げパーティーの会場に、私の娘が二人まぎれ込む。』
「娘だと?」
『そうだ。一人はアンジェラの子だ。』
アンジェラ・ウェルズ。懐かしい名前だ。
彼女が死んで、もう何年になるだろう?
十五? いや、もう十八年になるか。
ブルネットの、かわいい子だった。結婚の約束を交わしていた。
(それを…!!)
ドレアは首を横に振って苦い思い出を追い払うと、サングラスを
はずし、モニターの男を睨む。
「それで…?」
『二人を保護して地球に降ろしてもらいたい。』
モニターの向こうで、ノイズが聞こえた。
「俺がお前の娘を保護する?」
『言いたい事はわかる。私だって二度と会うつもりはなかった。』
今度は画像が乱れた。
(何だ…?)
「だったら…。」
断りの言葉を口にする前に相手は言い募った。
『非常事態なんだ。正直に言う。娘は普通の姉妹じゃない。』
声は落ち着いていたが、かなり焦っているのが見て取れた。
「母親がちがうんだろ。」
『違う!!』
「断る!!」
『ベンジー君。』
彼は、ノイズまじりのモニターの向こうで、相手の目に涙が光っているのを見た。
『頼む。彼女達には何の罪もない。君しかいないのだ。
わかってくれ。私は自分の罪を償わなければならん。』
モニターの奥で炎がちらついた。
(何だ、事故か?)
「おい、一体何があった? おい! 」
『二人をよろしく頼む。普通の幸せ…。』
音声が飛んだ。爆風に煽られて、書類が向こうのモニターを覆う。
ビジホーンが最後に伝えてきたのは、
『宝石を、宝石箱に取られるな!!』
という、悲鳴に近い声だった。
(今度は自分が犠牲者になったか…。)
また思い出が頭を掠める。
「ミスタードレア。カーテンコールです。」
遠慮がちなサラの声が、彼を現在へと引き戻した。
芝居の打ち上げパーティーは、市内最大のアドロ社系列のホテルで開催された。
実に三年もの間ロングランを続けた舞台「じゃじゃ馬ならし」の成功を祝い、出演者とスタッフの労をねぎらう、というのがこのパーティーの主旨だったが、マスコミ関係者が多いところをみると、どうやら重代発表がこの席上で行われるらしかった。
さんざめく出席者達も、その噂で持ちきりだった。
と、会場の明かりが全て落された。
薄闇の中、静まり返る出席者達の耳に、司会の声が響く。
「会場にお集りの皆様! 我らが主演女優の到着です。
ノーム・アマリン、拍手でお迎え下さい!」
一条のスポットライトに包まれ、歓声の中を真っ赤なイブニングドレスに身を包んだ女優が、会場の入り口からゆっくりとステージ上へと進んで行く。
「ミス・アマリン、舞台のご成功、おめでとうございます。」
「ありがとう。」
彼女はにこやかに話かける若い司会に微笑みを返した。
細い金のネックレスと、同じ素材のブレスレット、二重の大きな輪になったやはり金の細いイヤリング。シンプルなアクセサリーが、返って彼女の美しさを引き立てる。
「おや? 今日は指輪はお一つですね。
左手の薬指、と言う事は…。」
司会者のわざとらしい話の振り方に、ステージ下のカメラマン達がシャッターチャンスを狙う。
「私、婚約しましたの。」
フラッシュが一斉に瞬いた。
「で、そのうらやましいお相手は?」
「今呼びますわ。ベンジー!」
シルバーグレーの長髪に、顔の下半分を隠す程の鬚、モスグリーンのダブルのスーツに赤いポケットチーフ、黒のサングラス、という出で立ちの中年男がステージに立った。
ベンジャミン・ユース、通称ドレア。
ドレアというのは彼が脚本を書く時のPNだった。
本名の好きでない彼は、仲間内には自分をドレアと呼ばせていた。
司会者は、目も開けていられない程のフラッシュの中で会話を続けて行く。
「紹介するまでもないでしょう。
今回の舞台を成功に導いた最高の功労者、演出家のドレアさんです!
えー、演出家と主演女優の恋、というわけですが、聞くところによりますと、最初は仲がお悪かったとか…。」
「準備期間も含めて、四年もの間、毎日顔を突き合わせていたんですのよ。ケンカの種もつきますわ。」
「つまらない。」
華やかなパーティーの会場の隅で、小さなため息が聞こえた。
それは、床に座り込んだ少女の口からもれていた。
カチューシャ風に着けられた金ラメの巨大リボンがふわふわのピンク色の髪を飾り、サーモンピンクが鮮やかな、プリンセスラインのパーティドレスに身を包んだ少女は、薄いピンクのカラーコンタクト入れた瞳で、参列者達を眺めていた。
(かえりたい。)
胸に下げた透明なペンダントの石を片手でいじりながら、またため息をつく。
慣れないパールピンクの口紅も、気持が悪かった。
「何してるの?」
十才くらいだろうか? 一人の少年が声をかけてきた。
白いシャツにエンジ色のベストとパンツ。タイと靴を黒で決め、
赤茶けた髪は丁寧に後ろへ撫で付けてある。
母親の趣味だろうが、この年代にしては渋すぎるファッションだった。
「ねぇ、その髪、ウィッグ?」
自分の前に立って見降ろしている少年の顔を黙って見上げる。
「触っても、いいかな?」
彼はふわふわの髪に興味があるようだった。
少女が頷くと、そっと髪を触られた。
「柔らかいや。シュガーキャンディーみたいだ。」
今度は少女が立ち上がって少年の頭に手をのばす。
背は彼女の方が少し低かった。
「ダメだよ。スプレーで固めてあるんだ。べたべたするよ。
それよりさ、一緒に展望室、行かない? 本物の星が見えるよ。」
彼女は黙って頷いた。
ドレアは婚約発表が終わると、報道陣を婚約者にまかせ、
あらかじめ予約を入れていたホテルの部屋へ直行した。
詮索好きな連中の、下らない質問攻めに付き合う気はなかったからだ。
だが、部屋の扉に手をかける寸前に呼び止められた。
「待って下さい!」
振り向くとスカイブルーのカクテルドレスに目を引かれた。
業界の人間ではないことはすぐにわかった。
声をかけたものの、次の言葉が出てこないらしく、視線が泳いでいる。
(追っかけか。)
彼は突っけんどんに聞き返した。
「何の用だね?」
「あの…。」
相手には予期しない答えだったらしい。
動揺し、目を伏せた。が、すぐに意を決したように彼を見つめた。
「私、ジュエル・フレイグです。父はハーマ・フレイグ、
火星のケミカリストです。」
「…。ああ。」
そう言えば、ヤツは象牙の塔の住人だったっけ。
「それで?」
彼は彼女と視線を合わせた。
スカイブルーの澄んだ瞳が彼をみつめている。
きれいな目だ、と思った。
「父から、連絡が来てると思うのですけど…。
私達、あなたに全てをまかせるよう、言われてきたんです。」
「確かに連絡は来た。」
彼女の顔が輝いた。その笑顔に、一瞬昔の婚約者の顔が浮かんだ。
(…。)
「それじゃあ、地球に降ろしてもらえるんですね?」
「シャトルのチケットは用意しよう。
だが、それ以上の面倒はゴメンだ。」
とても古い友人だ。
今、私が信用できる、唯一の人間だ。
あの、父の言葉はウソだったのだろうか…。
沈んでしまった彼女に、彼は言った。
「わかるだろう? 私は婚約したばかりなんだ。
他の事に気を回す余裕はない。」
「そうですね。おめでとうございます。
もう、ご迷惑はおかけしませんから。」
肩を落して去って行く彼女に、彼は一瞬迷ったが、あえて声をかけた。
「ニュースは見たか?」
怪訝な顔で彼女が振り向く。
「火星で爆発事故が起きたらしい。」
「…?」
「宝石を、宝石箱にとられるな。それがヤツの最後の言葉だ。」
スカイブルーの瞳が、大きく見開かれた。
最後の言葉…?。
(事実は、早い内に知った方がいい。)
だが、ショックを受けたであろう彼女の顔を見ている事はそれ以上できず、言うだけ言って彼は部屋に逃げ込んだ。
(あの金髪と青い目は、他の女に生ませた子だ。)
閉ざしたドアの内側にもたれながら、目を閉じる。
アンジェラの黒髪の匂いが、無性に懐かしく思えた。
完全気密のドーム都市内は、固い外壁に遮られ、宇宙空間を直接見る事はできない。
そこで、安全基準を満たした強化ガラス張りの展望ラウンジが高層施設には設けられていた。
特にこのホテルの施設はラウンジ自体が回転するので、人気の高いスポットだった。
間接照明を使ったラウンジの中は仄暗く、片隅にはカウンターバーもあるせいか、カップルがたくさんいた。
「ほら、あのでっかいのが地球。」
ゆっくりと回転するラウンジから、星のまばらな宇宙空間を眺めていると、すぐに大きな天体が姿を現わした。
「ほし…。」
「地球、ていうんだよ。」
パーティー会場を抜け出して来た兄妹のような二人が、
三重になったガラスの内側にへばりついて外を見ている。
彼女は彼の言葉に首を横に振った。
それは、最近覚えた否定のサインだった。
「あれは、ほし。」
(ヘンなの。)
にこにこしながら地球を指差す彼女が、少年には不思議に思えた。
(同じくらいなのに、赤ん坊みたいに笑うんだな。)
(もしかしたらこの人、心のカゼひきさんかもしれない。)
心のカゼひきさんはとてもデリケートなの。
だからそういう人達には優しくしてあげてね。
以前、体験学習で心の病院に行った時、看護婦さんに言われた言葉。
(もう、会場に戻らなきゃ。この人のお母さん、心配してるかも知れない…。)
「ねぇ…。」
彼女に声をかけようとした時、腕の時計のアラームが鳴った。
(いない…。どこに行ったんだろう。ここで待ってるように、て言ったのに。)
会場に戻ったジュエルは、リヴの姿を見つけられずに焦っていた。
出席者が千人を越すパーティ会場で、一人の人間を探すのは至難の技と思われた。
(早く見つけなきゃ。誰かに迷惑かけてるかも知れないし。あの子を守るのが私の役目だもの。)
(『宝石を、宝石箱にとられるな。』それがヤツの最後の言葉だ。)
今朝、火星で大規模な爆破事故があったとニュースで聞いていたので、すぐにラボで何かあった事に気付いた。
だが、たとえ父親がいなくなったとしても、泣いている暇など自分にはないのだ。
(二人して幸せにならなくちゃいけない。)
それが、今は亡き父との約束だから…。
「シャンパンはいかがですか?」
そう声をかけられた彼女は、びっくりして振り向いた。
そこには小太りな中年のボーイが、彼女に笑顔を向けていた。
手にした小振りのトレーには、シャンペングラスが一つ。
「妹さん、お探しですか?」
グラスを手渡された。
「あ、どこにいるかわかりますか。」
聞きながらも何故彼は自分達の事を知っているのだろう、と不思議に思った。
「先程会場を出て行かれましたよ。かわいい彼氏と一緒にね。」
「は、彼氏?」
「おそらく、展望ラウンジでしょう。」
(誰かに連れ出された…?)
不安になった。
彼女は一気にグラスを干すとグラスをトレーに返し、礼を言って走り出す。
(あのボーイ、何か知ってるのだろうか?)
ふと別の疑念が湧いて、振り返った。
彼はまだこちらを見て笑っている。
彼女は彼の所まで戻ると質問した。
「あなた、アドロの回し者?」
「はい。当ホテルはアドロ社系列でございます。私は、人の顔を覚えるのは得意でしてね。特に美人は。」
彼はそう言って片目をつぶってみせた。
「そう。」
(何よ、ただのスケべなおじさんじゃない。)
美人かどうかはともかく、リヴが人目を引く事は確かだった。
彼女はエレベーターホールへと急いだ。
「本当に、原石を見逃していいんですね?」
ホテルの一室。
先程パーティー会場でジュエルに声をかけたボーイが、ビジフォーンで誰かと話していた。
『くどい。計画は順調に進んでいる。何も問題はない。後は原石の能力次第だ。』
「しかし考えたものですね。原石の逃亡を逆手にとってテストする、とは…。」
『Dr が全部灰にしてくれたんでね。磨く価値があるかどうか、調べるんだ。』
「成る程。しかしブロンドの方はともかく、もう一つはまだ子供じゃないですか。」
『ははは…。サイズはコンパクトでも、性能は抜群なはずだ。何しろ、月のマザ・コン並みの能力を有しているはず、何だからな。』
「そりゃ、初耳だ。」
『引き続き監視を続けてくれ。』
「了解しました。」
軽い電子音が展望ラウンジに響いた。
作り物めいたピンクの髪を揺らして、少女が振り向く。
少年はあわてて腕時計のアラーム音を止めた。
無粋な音色に回りにいた何組かのカップルに睨まれる。
「もう、戻ろうよ。お母さんが心配しているよ。」
彼女は少年が時間を見ている腕時計に耳を近付ける。
音が気を引いたらしい。
「ねぇってば。」
無理にでも連れて行こうと彼女の腕に手をかけた時…。
「リヴ!」
彼の前にブロンド美人が現れた。
「もう、この子は、こんな所まで来て!」
ブロンド美人はピンクの髪の少女を抱きすくめると、今にも泣きそうな顔になった。
「え、る?…くるしい…。」
抱かれたままの少女が身動き出来ずにつぶやく。
「さぁ、もう部屋に戻りましょ。今夜はたくさんお話があるの。」
手を引くが、少女は動かず、少年を振り向いた。
彼はブロンド美人の登場に驚いていたが、振り返った少女が何か言いたそうにしているのを見ると、困ったように聞いた。
「これ、欲しいの?」
母親からのバースディプレゼントである腕時計を、袖をまくって見せる。
少女は肯定のサインとして、うなずいた。
「これは、上げられないんだ。」
「この子を連れ出したの、あなたね。どうしてこんな所まで…?」
プロンド美人に少し詰問調で聞かれた彼は、言い訳した。
「つまらなそうだったから…。一緒に地球を見ようと思っただけなんだ。」
「そう。この子、変わっていたでしょう?」
彼は首を横に振って答える。
「そんな事ないよ! ほんの少し、心がカゼをひいているだけだもの。」
ほんの少し、心がカゼを…。
美人が微笑んだ。
少年はその笑顔に、きれいな人だな、と感心する。
「そう。名前、聞いてもいいかしら?」
彼女も彼を気に入ったらしい。
「コンラッド。コンラッド・ボウ。」
「ありがとうコンラッド。もう会えないけれど、あなたの事、忘れないわ。」
手を引かれた少女が渋々彼の元を離れて行く。
彼はベストの内ポケットに忍ばせておいたミニディスクゲーム(DG)を引っ張りだすと、二人の後を追った。
静かな展望ラウンジに、再びコミカルな電子音が流れた。
翌朝。
とあるオフィスビル内の会社役員の机に、一通の伝文が届けられた。
伝文は手書きで、内容も簡素なものだった。いわく、
R.E より報告
原石の存在を確認。スケジュールは調整中。
なお、バカンスは現地にて取る予定。
今宵はここまでm(_ _)m
えなり伝説
こんとんじょのいこ
第三章 エマージェンシーコール
一晩中ベッドの中で泣き続けたジュエルは、月の気象管理局が作り出した
仄かな人工照明灯の点灯とともにベッドから抜け出した。
普段でも会う事の少なかった名目上の父親。
それがある日、手書きの伝言で一方的に分かれを告げられた。
『16発、R、?』
ラボの通路で見知らぬ男にメモを手渡された。
「お二人で荷物を持たずに駐機場においで下さい。」
「どういう事?」
「定期便に密航してもらいます。
月でベンジャミン・ユースという方が待っています。
彼に保護を求めて下さい。お父様の古い友人だそうです。」
父と同年代のその男は早口でそれだけ囁くと、素知らぬ顔をして
彼女から離れた。
密航直前、自室から非常回線を使ってラボに連絡をとった。
「心配する事は何もない。
お前達は普通人としてこれからの人生を生きるのだ。
ベンジーは古い友人だ。今の私が唯一信用出来る男だ。
彼に頼んで地球に降ろしてもらうといい。
あの子の病気も良くなるだろう。二人で幸せになりなさい。」
そして向かえに来たメッセンジャーの男に急かされるまま、
定期便に密航して火星を抜け出した。
一緒に密航した男は、自分達がアドロ社に追われていると言っていた。
彼は二人を月のホテルまで送ると、詳しい事は知らない方が身のためです
と言って何も教えてはくれず、ホテルのロビーで別れを告げられた。
「このホテルで明日の夜、ベンジャミンさんの婚約発表パーティーがあります。
パーティの後、彼に保護を求めて下さい。
必要な物がありましたら、このカードをお使い下さい。
後、これは地球に関する資料です。
私の役目はこれで終了しました。ご無事で。」
小振りなブリーフケースを手渡して一礼し、去って行く後ろ姿を見送ったジュエルは、
心細さに泣きたくなるのをこらえ、リヴの手を引いてホテルにチェックインした。
そしてホテルの部屋で見たネットワーク放送。
火星での大規模爆発事故のニュースが流れていた。
もう、訳が分からなかった。
何故火星から抜け出さねばならなかったのか。
何故追われるのか、何故父は死んだのか。
一晩泣き明かした今でも、心の整理が出来ていない。
「Dr.ハーマ、私たちの行く末を見届けずに逝ってしまう何て…。無責任だわ。」
背後で人の動く気配がした。
「もう目が覚めたの?今日は早いのね。」
リヴがベッドから這い出して来た。
夕べは部屋につくなりこらえきれずに泣き出してしまい、
世話をする気力も薄れ、そのままベッドに寝かしつけてしまったので、
せっかくの可愛いピンクのドレスがしわだらけになっていた。
リヴは気持ちの悪い口紅を落とすため、バスルームで顔を洗い始めた。
「ドレス、脱いでからにしなさい。」
やはり昨日のドレスのままのジュエルがやって来て水を止めると、
彼女は濡れた顔を上げて聞いてきた。
「ぱぱ・はーまは?」
取り乱したジュエルに、何か気付いたのだろうか。
リヴには恐らく死の意味が理解出来ないだろう。
だが、隠しておいても仕方がない。
「死んだわ…。」
「かせいにかえる。ぱぱ・はーまにあう。」
「もう、いないのっ、パパ・ハーマはもうどこにもいないのよっ!」
また、涙が溢れた。
小さい手が伸びて彼女の頬を撫でる。
ジュエルはリヴを抱きしめた。
「地球に行こう。地球に降りて、二人だけで暮らそ。」
そう、二人だけで。
その時、ドアチャイムが鳴った。
朝食とともにシャトルのチケットが届けられる。
これでもう、二度と火星には帰れないのだと思うと、ジュエルの瞳からまた涙が溢れ出した。
ADF307便は、乗員12名、乗客73名を乗せ、
定刻通り標準時間18:45にクレパー宙港から発進した。
シャトルのサービスに『体感・宇宙』というのがある。
障害物の少ない安定空間で、二重構造のキャビンの外装を開け、
強化プラガラス越しに宇宙遊泳の気分を乗客に味わってもらう、というものだ。
もっとも月と地球の間なので、満点の星空というわけにはいかなかったが。
その、星のまばらな宇宙空間を眺めながら、ジュエルはこの先の事だけを意識して考え続けた。
(地球に降りたら、島を一つ買うの。)
(南の海に浮かぶ、珊瑚礁のある小さな島がいい。)
座席にあった観光用パンフレットを眺めつつ夢想する。
(二人だけで、人間として当たり前の生活をするんだ。)
(偉大な自然の力で、あの子の病気はきっとよくなる。)
シャングリラ計画後、地球への降下を許可されているのは、
政府の委託を受けた一部企業のシャトルだけだ。
その発着も月だけに限られている。
環境保護優先のため地球上の人口を規定し、定員以上の降下を防止するためだ。
今や政府所有の観光惑星として私有地は存在しなくなってるはずだが、
役所のやる事に特例は付き物で、降下したきり帰ってこない政府高官のいる事も事実だった。
(あの子、泳げるかしら?)
(やっぱりワンピースよりビキニの方が可愛いかったかな。)
「こんばんは、ジュエル・フレイグさん?」
想いに浸る彼女に誰かが声をかけた。
(何、この人?)
シャンパングラスを片手に持った色の浅黒い大男が
シートの背もたれに手を回し、彼女を覗き込んでいる。
「お一人ですか?」
男は笑ってみせたが、目つきの悪さに彼女は少しとまどった。
「何か、御用ですか?」
突っけんどんに聞きかえす。
「寂しそうにしてたから…ここ、いいかな。」
男はジュエルの前を通り、隣に無理矢理座った。
「妹さんは?」
リヴを知っている?
追っ手は巻いたはずなのに…。
睨みつけると男はまた笑顔を見せた。
社会的な便宜をはかるため、妹と称してはいるが、実際は姉妹ではない。
彼女達には人には言えない秘密があり、なおかつ今は時の政府に
多大なる影響力を持つ、アドロという企業からの逃避行中なのだ。
あまり他人とは関わりたくなかった。
「妹に、何か御用?」
「というか、あなたとお近づきになりたくて、ね。このシャトル、年寄りばっかだろ。」
口の悪さからみるとあまり育ちはよくないらしい。
「婚前旅行中の女優が乗り合わせていましたけれど?」
「あぁ、けど、おばさんだろ。俺、ビンゴってんだ。」
グラスを一気に煽る男の方を見ないようにして彼女は聞いた。
「どうやって調べたの?」
「あ?」
「私たちの事、何で知っているの?」
「あぁ、さっきコンパニオン口説いて、キャスティングノート見せてもらった。」
彼は澄まして答えたが、嘘に決まっている。
政府関係者が隠密裏に使う事もあるのだ。
キャスティングノートが一般人に公開される事はない。
(変な人。関わらない方がいいわ。)
「ご自分の席に戻って頂けません?妹もそろそろ帰ってきますでしょうから。」
「冷たいなぁ、けど、ガードは固い程落としがいがあ…?」
彼の視界に銀色の双眸が唐突に現れた。
自分の席を占領されたリヴが彼を覗き込んでいたのだ。
(こいつ、気配がない…?)
ビンゴは驚いてリヴの顔をまじまじとみつめてしまった。
感情を示さない銀の瞳がまっすぐに見返してくる。
何となく、主人に忠実なペットを思い出させた。
(薄っ気味悪い奴。)
「明日になったら気が変わるぜ。」
そう言い残して彼は二人から離れて行った。
リヴは自分の席に座ると、手にしていた紙ナプキンの包みを開いた。
「ごほうび。」
「またコンパニオンのお姉さんの邪魔して来たの?」
「おてつだい、ありがとうのごほうび。」
キャビンコンパニオンの仕事が物珍しいらしく『お手伝い』と称して
彼女等の後をついて回っていたらしい。
「しょうがない子ねぇ。」
機内アナウンスのベルが鳴った。
「ただいま、標準時刻22:00でございます。
キャビン内の照明を落とさせて頂きます。
なお、ラウンジは23:00消灯とさせて頂きます。」
「さ、もう寝よ。」
ご褒美にもらったクッキーをポシェットにしまってやり、
シートをリクライニングさせ前のシートの下からケットと足台を出す。
リヴの胸で透明なはずのペンダントの石が淡いグリーンの輝きを放っていたが、
ジュエルはそれに気付かない。
ケットをかけ、足台をセットすると、リヴの胸に手を置いた。
こうしてやらないと不安らしく、寝つかないのだ。
時折聞こえる他の乗客の交わす低い囁き声の中、やがてジュエルも眠りに落ちた。
夜半。
ジュエルは誰かのつぶやきで目を覚ました。
天井のガラス越しに漆黒の闇が見える。
「…な…ら…。…の…。」
つぶやきは、彼女の隣から聞こえてきた。
心配になってリヴの顔を覗き込む。
目を見開いた彼女は、まぱたきもせずに宇宙空間を擬視していた。
瞳孔は微動だにせず、口が小さく開けられ、だらんと伸びた手の指先には
ずり落ちたケットの端がひっかかっている。
ペンダントの石も、無数の色を乱舞させ、明滅している。
ジュエルは慌てた。
(トランスに入ってる…。もう、直ったと思ったのに…。)
「ふぁ…なる。…な…む…。」
意味不明の言葉。
仕方なく、リヴの腰のポシェットから、小瓶に入れた気付け薬と飴玉を取り出し、
両方をいっぺんに口に含ませる。
この気付けは、彼女のために特殊配合されたアルコールだ。
成分が劇薬に近いので、彼女以外には内服できない。
咽を上下させたリヴが、やがて意識を取り戻した。
(宇宙空間の闇が神経を刺激したのかも知れない…。)
「いい子だからね、寝ようね。」
頭を撫でられ、素直に目を閉じるリヴ。
ケットをかけ直しコンパニオンを呼んだ。
やがて、シャトルの外装が閉じられた。
標準時間午前七時。
壁の向こうは宇宙空間なのだが、外装を閉じたキャビン内は、
照明を調節して朝の雰囲気を出していた。
朝食が配られる。
さすがにファーストクラスの便だけあって、かなりいいものがでる。
材料はおさらく、地球産のものだろう。
「わー、すごい。全部本物だ。加工品なんか、ないじゃないか。」
配られた朝食に、ディスクゲームを放り出して一人の少年が飛びついた。
「お飲物は何になさいますか?」
「あ、コーヒー下さい。」
そう給仕の声に答えたが、差し出されたのはリンゴジュースのビンだった。
少年は驚いてコンパニオンを見上げた。
「リヴ!?」
苦笑しているコンパニオンの隣で、彼女は神妙な顔をしてビンのフタと格闘している。
「こどもはこーひーだめ。これ。」
ようやくフタの開いたビンを少年の前に置くと、給仕台を勝手に押して次に移る。
困り顔のコンパニオンを見兼ね、少年は彼女を呼んだ。
「一緒に食べようよ。」
コンパニオンは、助かった、とばかりに少年に微苦笑を送り、
お手伝いのお礼としてキャンディをリヴに渡すと、手を振って次の席へと移って行った。
キャンディをもらった彼女は、自分で置いたリンゴジュースに手をのばすと、一気に飲み干す。
ビンのフタを開けるのにかなりのエネルギーを消費したらしい。
呆れる少年にコンパニオンもらったキャンディを一つ渡すと、
「こうかん。」
と言って自分の席に戻って行った。
少年は肩をすくめると、コンパニオンを呼んで改めてコーヒーを注文した。
そして食器が下げられる頃。
ジュエルは朝から機嫌が悪かった。
リヴが先に目を覚まし、すでにいなくなっていたからだ。
帰って来たら来たで、ジュエルのコーヒーをやたらと飲みたがり、
取り合いをしているうちにひ膝にかけたハンカチにシミを作ってしまった。
「カフェインなんか摂取したら、自制がきかなくなるじゃないの!!」
そう、彼女の体質にカフェインは合わず、摂取すれば酩酊状態になる。
つい怒鳴ってしまったジュエルだが、内心では後悔していた。
(どうしたんだろう。落ち着かない。)
今回の地球行きに漠然とした不安を感じているせいだろうか。
日毎にイライラがつのっているようだ。
怒鳴られたリヴは、びっくりして、逃げるようにまたどこかへ行ってしまった。
「夕べは失礼?」
精神的に不安定な彼女に、誰かが声をかけてきた。
顔を上げると夕べのナンパ男だった。
今朝はコーヒーカップ片手に笑っている。
気取っているのだろうが、目つきの悪さにはとまどいしか抱けない。
警戒心丸出しで、彼女は彼をにらみつけた。
「何か?」
昨日にも増して冷たい反応に、彼は一瞬びっくりしたが、すぐに平然としゃべり始めた。
「あんたらも観光だろ。下は、初めて?」
当たり障りのない事を聞いてくる。
「ご用件だけおっしゃって下さい。」
「あ、いや、だからさ、下に降りたら一緒に遊ぼうかと思って…。」
「残念ですけど、私達、遊びに行くんじゃないんです。」
と、リヴが戻って来た。
「…?」
二人の顔を見比べて、小鳥のように首を傾げる。
「へん、そんな人形なんかと一緒で、何が楽しーんだ。てめーなんざ、
一生お守でもやってりゃいーや。」
捨てセリフを残して、彼はその場から去って行った。
(そんな、人形…? あの男、何か知ってるのだろうか。)
漠とした不安が、また広がる。
と、ジュエルの手が引かれた。
「いこう。」
リヴが手を引っ張っている。
「どこへ行くのよ?」
「こんらっど、みつけた。」
「え。あの子も地球に降りるの?」
前に会った時には何も言ってなかったのに…。
「はやく。」
コンラッドは彼女達の席よりも七〜八列後ろにいた。
「こんにちは。」
ジュエルが声をかけると、少年はディスクゲームから顔を上げ、二人を見てにっこりした。
リヴは彼の隣に座ると、この間、月でもらったミニゲームをポシェットから取り出し、
やり始めた。
(この子がゲームをやるなんて…。Drが見たら、なんて言ったかしら。)
「どっかーん!」
ディスクゲームのモニター内に爆風が起きていた。
「あーあ、またポシャってる。ヘタだなぁ。ねぇ、リヴって本当に十六?」
「じゅうろく。」
まともに会話をしているところを見ると、朝から機嫌がいいらしい。
「十六に見えないなぁ。」
「どっかーん!」
「またぁ? じゃあ、今度は一番簡単なのやらせてあげるよ。」
彼はゲーム機のディスクを入れ替えるとリヴに操作を教える。
軽快な電子音にのって、ゲームのモニター画面に
大時代的なコスチュームをつけた白い魔法使いのCGが現れた。
ジュエルは側で立ったまま見ていたが、二人を見ているうちに
いつの間にか先ほどまでの不安が薄れて行くのが感じられた。
午前十時。
大気圏突入のアナウンスが入った。
乗客は、指定のシートに戻ってベルトをつける。
コンパニオンが一人一人チェックして行く。
この時代になっても、大気圏突入時の安全を完全に保証できるシャトルは一機もない。
実にシャトル事故の八十%が突入時に起きているのだ。
もっとも、年間事故数は、ここ数年一桁で済んでいるのも事実だったが。
それでも、キャビン内の空気は緊迫した。
みな平静を装ってはいても、無事降下できる事を祈っているのだ。
「きもちわるい。」
リヴがつぶやいた。
「え? 」
「みんな、こわがってる。それに…。」
「なに?」
「そとのくうき、ひめいあげてるよ。」
彼女はそう言って天井を見上げた。
ジュエルは少し心配になった。
(状況に過剰反応してるわ。)
リヴの胸のペンダントの石が暗赤色に染まっている。
環境の変化は、かならずしもいい方向に影響を与えるとは限らない、と言う事に改めて気付く。
「もう少し、ガマンして、ね?」
「うん…。」
それよりジュエルには気になる事があった。
大気圏突入のアナウンスが入る直前、あの浅黒い大男ともう一人、
サングラスをした背の高い女がギャレーの方に入って行くのを見たのだが、
帰ってきた様子がない。
(どうしたんだろう…?)
その、時、
リヴの体がピクンと反応した。
ペンダントの石が七色に明滅する。
と、思うと、シャトルの機体が真横に揺すられた。
「なに、何なのっ!!」
キャビン内で悲鳴や怒号が巻き起こる。
パニックを起こしかけている乗客を落ち着かせようと、コンパニオンがアナウンスを流す。
『ただ今の機体のブレは事故ではございません。ご安心下さい。
繰り返します。ただ今の機体のブレは、事故ではございません。
皆様、返って危険でございますので、ベルトはおはずしにならな…!?
きゃーっ!?』
激震が、シャトルに走った。
一方コクピットでは、唐突に起きた機体のブレに、三人の男達が大騒ぎをしていた。
「何だっ!?」
サブパイロットの悲鳴。
チーフが怒鳴り返してくる。
「わからん。何かにぶち当って、はね飛ばされたようだっ。」
「コースの修正を…。」
手動に切り替えようと伸ばされたサブパイロットの手が、振動の為に空をつかむ。
「ああっ!?」
すでにそこは、地上から発射されたシャトルの進路コース内だった。
「ニア・ミスだとぉっ!?」
チーフが慌てて回避しようとコントロールボード上に指を走らせたが、
機体前部をコース外へ出すのが精一杯だった。
そこへ、ブースターによって加速のついた地上からのシャトルが、
後部エンジンルームに突っ込んでくる。
激震に、誰もが「死」を意識した。
が…。
二機のシャトルは爆発のきらめきに一瞬包まれると、その空間から消滅した。
R.Eより報告
エマージェンシー・コール傍受。
原石は行方不明。
バカンスは中止。
詳細は追って連絡。
消失、覚悟されたし。
第四章 砂の原
むっとする大気の重さに、ジュエルは目を覚ました。
最初に目に入ったのは、前のシートの背もたれに取り付けられた金属板が、
太陽光を反射して光っている光景だった。
反射光をみつめているうちに、少しづつ意識がはっきりしてくる。
首を巡らせ、隣を見た。
うなだれたままシートベルトで固定された、リヴの姿があった。
(ああ…。助かったんだ。)
深いため息をつき、隣に手をのばす。
肩をそっと揺すってみた。
「リヴ…リヴ?」
何の反応もない。
手首をとって脈をみる。
微かだが、血液の流れを感じた。
(よかった、まだ、生きてる。)
ポシェットから気付け用の小瓶と飴玉を出し、両方をいっぺんに口に含ませる。
咽が二〜三度上下し、やがて、ため息とともに目が開けられた。
「気分はどう?」
リヴは大気の重さを振払うかのようにゆっくり首を振った。
「ここ、あついねぇ…。」
上を見上げた彼女につられ、ジュエルも周りを見回す。
キャビンの前部は天井の二〜三ケ所にひびが入ったいた。
立ち上がって背もたれごしに後を見てみる。
「ひどいわ。」
悲惨だった。
機体の三分の二が吹き飛ばされ、彼女達の席の五〜六列後ろの
天井からは、きれいな青空が顔をのぞかせいた。
おそらくエンジンルームが爆発したものと思われたが、被害がこれだけで済んだのは、
シャトルの安全設計のおかげとしかいい様がなかった。
マニュアルや破損した機器の残骸が散乱したコクピット内で
最初に気付いたのは、二人のパイロット以外の男だった。
彼は、シャトル頭頂部に切られた視認用の小さな窓から外の景色を見ると、
シートで気を失っている二人のパイロットを叩き起こし、現在地の確認をさせた。
が、彼等は目の前のコントロールボードの破損状態を見て、
ここがどこなのか、確認不能だ、と答えた。
「どういう事だ?」
栗色のロングヘアーを首の後ろで無造作に束ね、色のきれいなブルーのシャツに、
懐古趣味の麻の白いスーツに身を包んだサングラスのスリムな男は、
パイロットシートの後ろに設えられた補助席に腰を下ろし、パイロットの二人に聞き返した。
「計器類はみんなイカレてる。通信機器もな。
それに考えてもみたまえ、あの状況で助かるなんて、ありえると思うかね?」
40がらみの恰幅のいいチーフが自嘲気味に笑って答えた。
「なるほどな。」
「残念だったな。作戦が遂行できなくて…。」
サブパイロットが嫌味を言うと、真横から男に殴り飛ばされてシートからずり落ちた。
「おい、エーデル、いったいどーなってんだ?」
ギャレーのコンパニオン達に睨みをきかせるため、コクピットのハッチを開けっぱなしに
しておいたのだが、爆風で押し戻されたのだろう。
ちょっと歪んだハッチをこじ開けて、ビンゴが顔を出した。
(生きていたか…。)
事故の状況からして、コクピット以外は吹っ飛ばされた可能性が高い、
と踏んでいたのだが、ぴんぴんしているビンゴを見て、エーデルは少しほっとした。
「キャビンは?」
「半分以上は吹っ飛んでる。でも、何人かは生きてんぜ。」
「そうか…。善後策を考える。取りあえず客を見張ってろ。騒ぎを起こさせるなよ。」
「へいへい。」
生返事をして、ビンゴはハッチの向こうに消えた。
「さて。本当にここがどこか、わからないんだな。」
エーデルはもう一度聞いた。
二人のパイロットが頷くのを見て、淡いブラウンのサングラスをはずす。
「どけ。俺がやる。」
チーフをシートから追い出し、生き残った計器類のチェックを始める。
そのやり方を見ていたチーフがつぶやいた。
「パイロット崩れか…。しかし、どうにもならんよ。」
このシャトルの生き残りは、乗員乗客あわせて二十一人。
(が、機体がこれじゃ、テストは落ちたな。)
ビンゴはキャビン側のギャレーの出入り口を背にして立ち、乗客を見回して思う。
もちろん、その手には軽機関銃が下げられている。
彼の足下には、二人のコンパニオンが座り込んで泣いていた。
他のコンパニオンは、後部ギャレーに詰めていたので、彼女達だけが生き残ったようだった。
学生運動に飽き足らず、テロリストにコンタクトを取り、一番最初にもらった仕事が、
このシャトルジャックだった。
もちろん、ただのジャックではない。
機体を損なわず、乗員乗客ともに無傷のまま、指定の場所にシャトルを丸ごと一機届ける、
というものだった。
それにしても、ここはどこだろう。
(地球、だよな…。)
(ここは一体どこなの? 地球かしら。それとも…。)
ジュエルはもっとよく周りの様子を知ろうと、背のびをして回りを見回した。
機体後部の切れ目から、薄青い空が見える。
その、ぎりぎり最後のシートに、コンラッドが気絶しているのが見えた。
(運の強い子)
彼女はコンラッドの様子を見ようと、通路へと足を踏み出す。
「動くなっ!」
背後からの鋭い声に、びっくりして振り向いた。
「あなた…。」
通路の一番奥、ギャレーの出入り口でこちらに向けて軽機関銃を構えていたのは、
ナンパしてきたビンゴとかいう男だった。
「一番後ろの席に子供がいるのよ。様子を見たらいけない?」
「ダメだ。」
機銃の筒先で元の席に戻るよう促してくる。
彼女は肩をすくめると、仕方なく席に戻る。
「じゅーす。のどかわいた。」
リヴが言う。
「今はダメ。我慢なさい。」
「どれくらい?」
「わからないわ。」
彼は何故銃を持っているのだろう?
クレパー宙港のセキュリティーシステムは、どこよりも厳しいはずではなかったか。
それとも、内通者でもいたのだろうか…?
彼女の中で、漠とした不安がまた広がった。
コクピット内では、三人の男が呆けたように黙り込んでいた。
やがてエーデルがつぶやく。
「まいったな、どうも…。」
「それは…。」
チーフが乾いた唇を舐めて言い返す。
「それは、こっちのセリフだ。」
サブパイロットが我慢できずに苛立ちを口にする。
「あんたがいけないんだろう! 計器はちゃんと高エネルギー体の
接近を示してた。 あんたが来なけりゃ、ちゃんと回避できてたんだ!!」
『チーフ、正体不明のエネルギー体が高速で当機に接近してますっ。』
大気圏内突入直後の事だった。
『大気圏内を高速移動!? 民間の実験機か!?』
『いえ、機影は感知してません。エネルギー反応のみです!』
『実体のないエネルギーだと? そんなバカな…。』
その時チーフは背後でハッチの開く気配を感じ、振り向いた。
『何だ、君は!?』
サングラスの男に小型銃の銃口を向けられ、唖然とするチーフ。
『ばかやろう!! 死にたいのかっ。』
サブパイロットが怒鳴ると、銃の持ち主は機体の進路を返るよう要求してきた。
『オートなんだよ!!変えられるわけない…。』
しかし、銃の主はオートの解除とマニュアル操作を重ねて要求してくる。
『心中でもする気か!? 事故の危険を犯してまで…。』
その、時…。
機体に軽いブレが走った…。
事故の寸前を思い返し、心の中で舌打ちする。
元パイロットのエーデルには、彼等の言い分がよくわかっていた。
パイロットの一瞬の判断ミスが、生還者ゼロの大事故につながるのだ、と言う事が…。
「どうするんだよ、こんな事になっちまって。責任、とってもらえるんだろうな!」
人よりも責任感が強いのだろう。
若いサブパイロットが補助シートのエーデルに詰め寄り、襟をつかんで立たせる。
「…。」
何も感じていないのか、動じる様子のないエーデルに、サブパイロットが拳をあげる。
「くっ。このっ。」
「ラス、やめろ。」
チーフが止めに入った。
「チーフは悔しくないんですか!?」
年のいったチーフパイロットは、彼をなだめるように言い聞かせる。
「やめろ。今は争っている時じゃない。」
と、それまで黙っていたエーデルが、サブパイロットの手を払い、コクピットを出て行った。
嗜好品や食器類の散乱したギャレーを抜け、キャビンにやってきたエーデルは、
見張りのビンゴとその足下のコンパニオンを自分の背後に下がらせる。
この頃になって、ようやく目を覚まし始めた乗客達が、
何事が起きたのかと問いかけるように彼に目を向けた。
「この中で、電子機器に詳しいヤツはいないか。」
チーフが言った通り、計器類は全ておしゃかになっており、
シャトルパイロット風情の知識では、状況を把握しかねた。
データを提供してくれるはずのブラックボックスも、
解析用の機器がなければ彼の手には負えない。
「ブラックボックスを、解析出来るヤツはいないか。」
無駄だとは思ったが、言ってみた。何の反応も無い乗客に、
(…。だろうな。)
あきらめてコクピットに戻りかける。
「待って。」
近くの席から声が上がった。
「待ってくれない?」
「動くな!」
エーデルはビンゴ制した。
キャビン内は真ん中の通路を挟んで二人がけのシートが並んでいる。
その右側の列の前から三列目から若い女が出て来た。
「まず、状況を説明して欲しいわね。」
あちこちから同意の声が上がる。
エーデルはそっとビンゴに聞いた。
「誰だ?」
「ジュエル・フレイグ。バイオテクノロジーのさ、えっらい博士の娘。」
彼はそれを聞くと、彼女を無視してキャビンに背を向けた。
「ブラックボックス、解析したいのでしょう?」
足を止め、振り返って聞き返す。
「出来るのか?」
「出来る、と思うわ。」
どうせハッタリだろうが、何か出来ると言うのなら、やらせてみるのもいい。
「ならば、やってもらおうか。」
彼女に近付き、その腕を取る。その手を払い、ジュエルは言った。
「私じゃないわよ。この子。」
彼女はリヴのシートベルトをはずす。
「こいつが?」
虚ろな銀色の瞳を向けられた彼は、怪訝な顔をした。
「そう。助かりたいのでしょう? みんな同じよ。だから協力するの。
こんな所で死ぬ気はないものね。」
最後はリヴに語りかけ、いつものように気付けのアルコールと飴玉を口に含ませる。
「はい、立って。」
疑いの目を向けるエーデルの横を、自分のショルダーバックを持ってリヴの手を引いて行く。
ギャレーを通り抜ける時、座り込んでいたコンパニオンにジュースの用意を頼むと、
コクピットに入って行った。
その後に続いたエーデルは、すぐにパイロット達とともに追い出されて来た。
「おい、あのリヴ、てのはなんだ。」
エーデルの疑問に、ビンゴは澄まして答える。
「人形さ。言ったろ、あの二人の親は、バイオテクノロジーの
えっらい博士だって。新種の人工ペットみたいなもんだろ。」
「ヒューマンタイプのか? 倫理委員会のうるさ方は、あの存在を知らんのか…。」
「さーて、ね。」
(はん。乗客のチェックくらい入れておけよな。
しかし何だな、貧乏人と金持ちは、物事を考える時のベースからして
違ってくるもんなんだな。)
ビンゴにしてみれば、わけのわからない社会問題より、
どうやったらあのブロンド女を落とせるか、という事の方が重大だった。
その彼にしても、あの姉妹のデータが他の乗客のデータよりやけに詳しかった、
というので覚えていたに過ぎないのだが…。
エーデルはビンゴに気付かれない様、小さくため息をつく。
平静を装ってはいても、これからの事を思うと、やはり気が重くなるのだろう。
シャトルを無傷で指定地に運ぶ、ということは、この機に大切なものが乗っている、
ということだ。
(事故を起こした以上、テストに落ちた事は確実だな。)
だが、この機に乗せられた大切なもの、とは…?
コクピットに入るとチーフのシートにリヴを座らせ、シートベルトを締めた。
ショルダーバックの中からディスクサイズの簡易脳波測定機を出すと、
それに繋がった電極のコードをリヴのこめかみにつける。
薬では押さえきれない程の神経性パニックを起こした時、脳に直接干渉し、
安静を取り戻すための非常手段として、この測定機器をジュエルはいつも持ち歩いていた。
今回はそれを利用してリヴの持つ感応力を解放し、この機体に何が起こったのかを
探ろうというのだ。
ただ、この方法は彼女の体にとても負担がかかる上、失敗すれば意識が戻らなくなる
可能性もあったので、本当ならやりたくはなかった。
が、もしここが地球ではないとしたら、救助は望めないので、自分達で助かる方法を
見つけなければならず、そのためにはここがどこなのかをまず把握する事から始めないと、
と考えたのだった。
セッティングを済ませ、測定機器のスィッチを入れる。
やがて、リヴの胸のペンダントトップの石が、七色の光りを放ち始めた。
三時間程もしたろうか。
相変わらず強い太陽光が半壊したシャトルを照らしている。
暑さと緊張の中で、乗客達は次第にダレ始めていた。
と、コックピット前の床に座りこんで生あくびを噛み殺していたビンゴが、
いきおいよく開けられたハッチに背を押され、前にころがった。
「いてっ! 痛ぇじゃねー…。」
文句を言って立ち上がった彼は、自分を転がした相手の顔色の悪さに口をつぐんだ。
ハッチが開いたのを、最前列の空きシートに座lり仕切りのカーテンを全開にした
ギャレー越しに見ていたエーデルは、ジュエルと視線が合うと問いかけた。
「出来たのか?」
彼女は強ばった顔で頷いた。
「パイロットの方、一緒に来て下さい。」
エーデルとチーフがジュエルとともにハッチの向こうに消えると、
他の乗客達がざわつき始めた。
ビンゴはキャビンまで戻ると、軽機関銃を振り回して怒鳴る。
「うるせーぞ、てめーら! ぶっ殺されたくなかったら、静かにしてろ!!」
怒鳴り声を意に介さず、左側の最前列にいた白髪の老人が、彼に聞いて来た。
「なぁ、あんた、いったいいつまでここにいればいいのかね?」
「じーさん、死にてーらしーな。」
薮睨みの目に、物騒な笑いを浮かべたビンゴを恐れる風もなく、老人は続けた。
「この年だと、死ぬのは怖くない。それより周りを見てみなさい。
一体何人が、生きて帰れると思うかね。」
「心配すんなよじーさん。辛い思いしなくて済むよう、あんたにはここで死んでもらうさ。
何なら、今すぐにでも、あの世とやらに送ってやろうか?」
銃身で頬を軽く叩かれた老人は、肩をすくめて黙りこんだ。
ビンゴは再びキャビン内全体を見渡す。
(どうする気だ、エーデル。いくら地球の人口が少ないから、て、
シャトルが事故ったんだぜ。一日もしたら救助隊がきちまう。
こんな所で捕まるなんて、ごめんだぜ。)
ビンゴはここが地球であると思いこんでいるようだった。
さっきの老人が、隣の老婦人に囁いた。
「あの若いのは、地球を知らんらしい…。」
乗客達がまた騒ぎ出した頃、ハッチが開いて二人の男が出て来た。
チーフはギャレーの床に座り込んだままの二人のコンパニオンに、
コクピットへジュースを運ぶよう指示するとキャビン内の乗客を見渡した。
チーフの背後に立ったエーデルは、疲れきった乗客達の顔を見て、また気が重くなった。
(やれるだけの事はやるさ。)
気休めで自分を励ます。
「皆さん。」
チーフは自分を落ち着かせる為に、小さく深呼吸してから声を上げた。
「皆さん、今からとても大事な話をします。落ち着いて、冷静に聞いて下さい。」
「救助隊はいつくるのよっ。」
左側の真ん中あたりから、いらついた女の声が聞こえてくる。
「状況の説明からさせて下さい。まず、我々の今いる所は、地球ではありません。」
乗客達の間に動揺が広がった。
「静かに。まだ話は終わってません。」
チーフが騒ぎを沈めよう声を張り上げるが、誰も聞こうとはしない。
エーデルは、やはりショックを受けているらしいビンゴに合図を送る。
軽機関銃が天井に向って火を吹いた。
威嚇だった。
その派手な音に驚いて騒ぎが静まったところに、エーデルが言った。
「黙って話を聞け。」
彼に先を促されたチーフは、銃音に驚いて出た額の冷や汗を
手の甲で拭うと、話を続けた。
「えー、大変説明しずらいのですが、我々の今いる所は、太陽系のどの天体でもなく、
えー、爆発時のエネルギーの場が、時空間の歪みを引き起こし、
そこへ別の高エネルギー体が接近したために、歪みの中へ弾きとばされたらしい、と…。」
乗客達は、理解できない説明に、文句をつける。
「むずかしいこと言ってないで、わかるように話してよ。」
真っ赤なスーツに身を包んだ婚前旅行中の女優のよく通る声。
「つまり俺達は、太陽系のあった次元とは別の次元に来ちまった、て事だ。」
チーフの代りにエーデルが言うと、乗客はそれこそ大騒ぎを始めた。
勝手な文句を口々に言うだけの彼等に、仕方なくまたビンゴに発砲の許可を出す。
再び響いた銃声に、騒ぎはぴたりと収まった。
そして、また女優の声。
「もう、月には戻れない、て事?」
「本当なら、俺達はあの爆発で死んでいたんだ。生きてるだけありがたいと思うんだな。」
エーデルの冷たい言い方に、ブーイングが起こる。
「ここで生きていけと言うのか。この、何もない砂漠で。」
バケーション中なのだろう。
顔の売れた政府高官が非難がましく言う。
「何日持つかわからんがな。」
「そんなの、て、ないわよっ。こんな所で飢え死にするの? いやよ。
私は絶対にいや。ああ、死んでいった人達がうらやましい!」
「ノーム、いいかげんにしろ。」
婚約者が女優をたしなめる。
チーフはまた威嚇射撃をされないよう、ブーイングに抗して大声をあげる。
「皆さん、もう一つご報告があります! 今、空に出ている太陽、
あれは、人工的なものだそうです! 」
人工的、という言葉に、新たなざわめきが起こる。
「人がいると言うのか?」
高官が言う。
「絶対、というわけではありませんが…。」
「原住民に助けを求めよう! 」
高官のSP(シークレットポリス)の意見に同意の声が上がる。
「人工太陽がある、と言う事は、科学レベルも高いはずだろう。
次元間移動も可能なんじゃないか。」
帰れるかも知れない…。
女優の婚約者の言葉に、皆、わいた。
(そういう事にしておくさ。)
エーデルのつぶやきを、ビンゴが聞き咎める。
「何だ? 」
「いや、何でも無い。」
気休めの希望でも、パニックが防げるならありがたい、とエーデルは思う。
「そこで皆さんに提案があるのです。」
チーフの言葉が続く。
「有志を募り、原住民の所に派遣したいと思うのですが、どうでしょう? 」
同意の声があちこちで上がる。
「行くメンバーは決まってる。俺とビンゴ、それに、サブパイロットの
ランシスだ。他に行きたい奴はいるか? 」
あれだけ騒いでいた乗客が、その問いかけに、しん、となった。
(ふん。勝手な連中め。)
サングラスの奥でエーデルの目が暗く揺らめく。
「ぼく、行きます。」
後ろの方で元気な声がした。
一人の少年がシートから離れて前に歩いてくる。
「ガキは引っ込んでな。」
ビンゴに言われ、少年の頬が膨らんだ。
「僕はガキじゃない。コンラッドていう名前がちゃんとあるんだ。」
彼はエーデルを見上げて言葉を続ける。
「ここで待っているなんて、我慢できないよ。絶対に迷惑はかけないから、連れて行ってよ。」
「俺達はな、ガキのお守なんぞしてるヒマ、ねーんだよ。」
少年は、ビンゴの薮睨みの瞳をまっすぐ見返して言い返す。
「ガキじゃない、て、言ってるだろっ! 」
その少年の胸に、銃口が向けられる。
「うるせーんだよ、てめーはよ。」
筒先で小突かれて、コンラッドがよろけた。
「何をするんじゃ、子供にっ。」
左側のシートの最前列にいた老人が、飛び出してきて少年を背後にかばう。
「だいたいあんた、何でそんな物持っとるんじゃ。密猟者か? それとも…フガ。」
老人の口に機銃の筒先が押し込まれた。
「それ以上言ったら、ど頭、吹っ飛ばすぞっ。」
と、機銃を持つビンゴの手に誰かが触れた。
チーフだった。
彼は静かに首を横に振って言う。
「ここにいる全ての人が被害者なのです。こんなものは、必要ない。」
他の乗客達も冷たい目で見ている。
ビンゴはこの場を収めてくれるであろう人物に視線をむけた。
視線の先のエーデルも、首を横に振る。
「けっ。わかったよ。」
ビンゴは悔しまぎれに、ギャレーの隅にいたサブパイロットに機銃を放った。
チーフが場を繕うように言葉を続ける。
「彼等はシャトルジャックを計画していましたが、今は私達と同じこの事故の被害者です。
それに、彼等は原住民に助けを求めに行く事を引き受けてくれた。
今は、協力し合う時です。小さな事で、無駄な時間を費やす事は、避けなければなりません。」
「どうでもいいが、食料や水がどうなっているか、まだ説明されていないぞ。」
重苦しい雰囲気を払うかのように、女優の婚約者が聞いてきた。
チーフは話題を変えてくれた相手に黙礼すると、床に座り込んだままの
コンパニオンに指示を出した。
「ただ今、調べさせます。」
食料は、シャトルの定員である五十人分の非常食が三日分。
嗜好品が少し。
水は、ギャレーにリサイクルシステムがあるので大丈夫だろう、という事になった。
そして大騒ぎの末、太陽の沈む頃になって、ようやくキャラバンのメンバーが決まった。
エーデル、ビンゴ、ランシス、高官付きSPのホーリー、女優の婚約者であるドレア、
それに、どうしても行くといってきかないコンラッド。
「途中でヘタばったら置いて行くからな。」
ビンゴに言われた彼は、澄まして答えた。
「お互い様だよ。」
「こいつ…。」
あきれるビンゴ。
彼等は出発前に仮眠を取る事にし、ギャレーで簡単に打ち合わせを済ませると、
自分達のシートに戻って行った。
数時間後、人工太陽が沈んだ。
月の科学力では人工の天体を作り出すまでは行っていないので、
この地がどのような仕組みで人工太陽を運行しているのかは理解出来なかったが、
太陽が沈んだところをみると「一日」という概念はあるらしかった。
それから二時間もすると、気温が下がり始めた。
昼間、三十度近くを指していたギャレーの温度計が、今は十五〜六度にまで下がっている。
ブラックボックスの解析以来、コクピットはジュエルとリヴに占領されたままなので、
乗務員は空席に落ち着き、他の乗客ともども眠りについていた。
砂漠に向けて大きく口を開けたキャビンの後部から、冷気が侵入してくる。
皆、リクライニングさせたシートで、ケットにくるまり丸くなっていた。
と、暗いキャビンの中で、誰かがシートを離れてコクピットに向った。
ハッチに近付き、開閉レバーに手を伸ばしたのは、人気女優との結婚を控えた、ドレアだった。
少し歪んだハッチを力任せに引っ張ると、微かに軋んだ音をたてて開いた。
中を覗き込む。
コクピットの中は暗く、彼は手探りでパイロットシートに近付く。
(ん? )
青白い、小さな光りに目が吸い寄せられた。
電源は全て飛んでいるはずだった。
さらに近付くと、光はシートで眠っている少女の胸のペンダントから
発っせられているのだと気がついた。
シートの横に膝をついて、発光するティアドロッブ型の石に触れてみる。
手触りは普通のガラス玉のようだった。
(何の、宝石だ? )
自ら光りを発しているところをみると、人工石だろうか?
表面にはSLO‐0047という記号が刻まれていた。
「りーぷるせき。」
「あ? 」
声に目を上げると、ペンダントの主が石の光を反射した銀色の瞳で彼を見ていた。
「りーぷるせき。」
同じ言葉をもう一度繰り返す。
「失礼。よく光るもので。」
隣に座るブロンドの女に気付かれないよう、小声で囁き返した。
彼女は小首を傾げて彼の鬚を眺めている。
その仕種のあどけなさに、彼は彼女に笑いかけた。
「木星のリープル石? 」
彼女は肯定のサインを示した。
人の脳波に反応して色を変える鉱石が、最近木星の極点付近で見つかった。
宝石コレクターには垂涎の的だが、大金を積んだ所で手に入るものではない。
今のところ、学術用のものしか手に入らないはすだ。
(宝石を、宝石箱に取られるな、か。)
Drハーマの最後の言葉が思い出される。
確かに値うちものだが、この石にどんな秘密が隠されているのかわからない。
それに、宝石箱というのは、何の暗号だろう。
まさか、彼女達が誰かに狙われているわけでもあるまいに…。
(まるで、三文ドラマだな。)
「ん? 」
少女が鬚に手を伸ばして来た。
「あんじぇら。」
はっ、となって彼女の顔を見つめる。
(何故、その名を…? 奴が教えたのか…。)
「にゃおん。」
微かに微笑んで、猫のように鳴く少女。
アンジェラは十八年も前に死んでいるんだ。
この娘が知るはずもない。
きっと、ペットの名前か何かだったのだろう。
しかし、奴は彼女の娘がいる、と言わなかったか?
「ん…。」
ブロンド女が身じろぎした。
彼は慌ててここへきた目的の質問を少女にする。
「名前は? 」
「り?・ふれいぐ。」
「ブラックボックス、本当に解析できたのか? 」
彼女は不思議そうな顔をした。
「何が記録されていた。」
「…。しらない。」
「知らない? 解析したというのは、嘘か。」
問いかける彼の顔を、彼女は黙って見つめる。
その様は、まるで人形を連想させた。
「…。」
「次元を越え…。」
「何してるんです!」
ブロンド女が咎めるように睨んでいた。
(ちっ。時間切れか。)
「出てって下さい! 妹を刺激しないで!」
(気の強い女め。)
彼は仕方なくコクピットから出て行った。
音をたてないよう、静かにハッチを閉める。
「何か、聞きだせたか? 」
背後から声をかけられ、驚いて振り向いた。
ギャレーのキッチンユニットに寄り掛かったエーデルが、腕を組んで彼を見ていた。
「何も…。」
肩をすくめて答えると、ドレアは足音を忍ばせて自分のシートに戻って行く。
「知らない方がいい事も、あるさ。」
エーデルのつぶやきは、ドレアには届かなかった。
数時間後、コンラッドはリヴに起こされて目を覚ました。
「いく? 」
(ああ、そうか。)
寝ぼけ眼で自分が今どこにいるのかを思い出す。
シャトルを出ると、仄かな星明かりに照らされて、辺りは思ったより明るかった。
機体から少し離れた砂地で、キャラバンの出発準備が進められている。
「頼みます、皆さん。こちらは何とかやっていきますよ。よい知らせ、待ってます。」
準備が終わると、チーフがメンバーの一人一人と握手をして行った。
「ラス、頼むぞ。」
最後にサブパイロットの肩を叩く。
「行ってきます。すぐに戻りますよ。」
出発する六人の後ろ姿を、乗客全員で見送った。
(みんな、がんばって…。え…?)
ジュエルは目を凝らした。
(やっぱり。)
「リ−ヴ、何してるの。帰ってきなさい!」
リヴは、キャラバンの行く手を両手を広げて塞いでいた。
「いく!」
連れ戻しにきたジュエルの手を払って、リヴは言い張る。
「だーめ。」
「遊びに行くんじゃねーんだよ。戻れ。」
ビンゴが言った。
「こっち。」
リヴはジュエルの捕まえようとする手から逃れて、キャラバンの進行方向とは逆を指差した。
「どうやら、連れて行った方がよさそうだな。」
ドレアの言葉にランシスが反対した。
「水も食料も、切り詰めて一週間分です。荷物も増えるわけだし。
彼女に体力があるとも思えませんが?」
「しかし、彼女はブラックボックスを解析したのだろう? ガイド役になるんじゃないのか。
現にこうして出発時の軌道修正もしているわけだしな。」
「それはそうですが…。」
彼等は太陽が登る方角を目指していた。
根拠は特にないが、なんとなく全員の足が向いたのだった。
なおも渋るランシスに、何か意を決したらしいジュエルが言った。
「平気なんです、この子。飴玉と少量のアルコールだけで、その気になれば
いくらでも生きられるんです。」
「それは、彼女が人間じゃない、て事か?」
何となく、皆が気にしていた事をエーデルが口にしたが、ジュエルはそれを無視し、
様子を見に近付いてきたチーフを振り返った。
「私も一緒じゃ行けませんか?」
「それはかまわんが…。」
「私、体力には自信あるんです。この子と一緒に飴玉なめて行きます。」
「馬鹿な。あんたは普通の人間なんだろ。」
SPのホーリーが自分の荷物を差し出した。
「ホーリー…。」
彼はキャラバン隊メンバーの座を彼女に譲る気らしい。
「その代り、もし月に戻れたら、デートの約束、してくれるかな。」
(ちっ。こんなトコで気取るんじゃねーよ。)
冗談めかして言うホーリーに、ビンゴが腹の中で悪態をつく。
「返事はここに帰って来てからでいい。いい返事、待ってるぜ。」
ウィンクしてみせる彼に、彼女は複雑な笑いを返した。
出発して一時間が過ぎた。
すでにシャトルは見えなくなっている。
空には星が散っていたが、かなりな早さで動いているのか、
星の航跡が夜空のキャンパスに複雑な模様を描いていた。
リヴの直感に全責任を負う、というジュエルに、七人は彼女の示した方向、
太陽が沈んだ方角の、左寄りに向って出発した。
「彼女を連れて来たのは正解だったな。」
ドレアが言うと、ビンゴも頷く。
「まぁ、のたれ死にする確率は、低くなったわけだ。頼むぜ、人形。」
冗談で言ったつもりだったが、ジュエルに睨まれた。
これから生死をかけた旅が始る、という時に、ランシスは人選を誤ったことに気づいたが、
今さら引き返す事は出来なかった。
本日はここまでm(_ _)m
投下乙!
今日の分もおもしろかった
そろそろ人物が増えてきたから軽く人物紹介があると嬉しいかも
これは楽しみ(´∀`)
面白かったけど、えなりはいつ出てくるんですか?
登場人物紹介
ジュエル・フレイグ
19歳 金髪碧眼の美人。表面的にはリヴの姉であり保護者
イメージはバービー人形風
リヴ・フレイグ
16歳 銀髪で銀色の瞳はコンタクト。発育不良の幼児体型
社会的便宜をはかるため、ジュエルとは姉妹という事になっているが
いわくつきの人工生命体。今のところ精神年齢と知能は3歳児並み
イメージキャラは「伝説の勇者ダ・ガーン」の桜小路蛍風
エーデル・ワイス
25歳 髪は栗色、瞳は藍色。アドロインダストリー社御曹司
恋愛絡みで一族に反感を持ち、テロ組織に加入
血筋のせいか生来のリーダーシップを持つ
イメージキャラとしては「スケバン刑事」の神恭一郎風
ビンゴ・アンハード
21歳 黒髪、薮睨みの黒い目を持つ
子だくさんの貧乏一家に生まれ、義務教育もほとんど出席せず
肉体労働系バイトに明け暮れた少年期
バイト先で学生運動の活動家に拾われたが
もっと根本的な世直しを、とテロ組織に加入
イメージキャラは「プルーシード」の草薙護風
ドレア(本名:ベンジャミン・ユース)
47歳 茶髪でショートコンチネンタルなヒゲ面。瞳はブラウン
昔、婚約者を亡くしている
ジュエルがその婚約者の忘れ形見らしいのだが
髪の色などから判断してそれを信じていない
職業は舞台演出家。
イメージキャラは「エルガイム」のアマンダラ・カマンダラ風
コンラッド・ボウ
11歳 髪は赤茶色、瞳は茶色。父親は地球の自然管理官
父親からサバイバル系の知恵をいろいろ学んでいるらしいが
地球外ではその知識もあまり役にたたない模様
イメージキャラは「トムソーヤの冒険」のトム風
ハーマ・フレイグ
58歳 バイオテクノロジーの研究者。ジュエルとリヴの名目上の父親。
若い頃、禁止されていたヒューマンタイプの人工生命体の研究を
密かに進めていたが、摘発され、学会から追われる。
アドロに拾われ、30年の期限付きである目的の為の人工生命体の発注を受ける。
が、研究者としての良心からか、リヴとジュエルをアドロの手に渡すのを拒み
二人を火星から脱出させ、全ての研究データを消去し、自身も研究所とともに爆死した。
アンジェラ・ウェルズ
ジュエルの母。ハーマ・フレイグに協力していたが
謎の死をとげる
ランシス・クラッピング
26歳 シャトルパイロット。
責任感の強さが彼を…
ティプトリー・ネーダ
テロ組織の窓口担当。
アンジェラ
火星の研究所のマスコット猫
出自は由緒正しいアンゴラ猫の純血種
(他にも研究用の純血種動物が無数にいる)
老齢になった為、情操教育用としてリヴに与えられた猫
名付け親はハーマ。
プロローグの「彼」
謎です。後からまた出て来ます。
今の時点での登場人物紹介です
まだ全てのキャラは出揃っておりませんが、
とりあえず、という事で書かせて頂きました。
時代背景ですが、今から何年後というような詳細は設定しておりません
地球連邦成立後、人類の版図が木星まで広がった時代
という漠然とした形で設定しております
地球は観光惑星、火星は学術惑星、月のドーム都市クレパーは
行政&商業特区。(他にも複数のドーム都市有り)
木星はようやく手を入れ始めたばかり、という時代ではございますが、
この話は別次元へ飛ばされた者達が主役です。
ファンタジーとしてお読み下さい
なお、作者は科学的知識、軍事的知識等、専門的な知識が皆無ですので
そういう方面の指摘はご遠慮願います。
誤字脱字等も脳内変換でお読み下さいませm(_ _)m
第五章 キャラバン
星明かりに照らされて、一行は砂漠を歩いていった。
砂漠と言っても地球のものとは少し違っている。
起伏も無く、平坦な砂地が延々と続いているだけ、という場所だった。
ここには風も吹かないのか、風紋もない。
砂の質はシュガーパウダーに似ていて、踏みしめるとさくさくと音がした。
気温は低かったが、重い荷物を背負って歩き続けるうちに、寒さを感じなくなった。
やがて砂を踏みしめる音にも飽き、誰かが口を開く。
これからどれ程の時を一緒に過ごすかわからない。
生死がかかるかも知れないこの旅に、同じシャトルに乗り合わせたから、
というだけの関係では心細いような気がして、自然、自己紹介が始った。
「ランシス・クラッピング。シャトルのサブパイロットです。」
「それだけ?」
ジュエルに聞き返され、パイロットの制服のままのランシスは、
テントの支柱を詰めたナップザックを軽く背負い直し、困ったように彼女をみつめた。
「他に、何を言えばいいんです?」
「うーん…。趣味とか、あ、年は?」
「二十六。趣味、ていうか、バンドやってたから…。」
「へぇ。」
水の大樽を背負ったビンゴが感心する。
「アマチュアでね。結構名前が売れてた事もあったけど…。」
「彼女、いるのでしょ。婚約なんかしてたりして。あ、図星なのぉ!」
ジュエルに言われ、彼は赤くなってうつむいた。
「リングは?」
彼は金のネックレスに通したリングを、胸元から取り出して見せた。
「よっぽど大事な物らしいな。」
ビンゴが横から言うと、ランシスは当然でしょう、という顔をした。
「じゃあ、次はあなたね。」
ビンゴにあまりいい感情を持っていないジュエルは、そっけなく指名した。
ファーストクラスのシャトルに乗るのだから、もう少しまともな格好をしろ、
とエーデルにカードを渡され、普段なら絶対行かないブランドショップで、
店員に見立ててもらった黒のポロシャツに白のツータックパンツ、黒革靴姿のビンゴは言う。
「俺は、月に帰りゃうじゃうじゃいる、現体制に不満を持った青少年の一人さ。」
「何よ、それ。」
ジュエルはあくまでも冷たかったが、彼は気にせず先を続ける。
「シャングリラ計画で人類が一つになった、なんて、信じてるヤツはいやしねぇ。
『人類は太陽系を食いつぶす。』て十年前のジョークが、今じゃ笑えなくなってる
くらいだからな。学生運動じゃ世の中変えられねー、て思ったから、
前から呼ばれてたテロ集団に入ったんだ。」
誇らし気に語る彼に、ドレアが水をさす。
「機関銃をぶっ放したかっただけなんだろ。」
「あんだとっ。」
ドレアに体当たりしたが、軽くかわされ、砂地につんのめって伸びた。
体の大きなビンゴ背には、一番重い飲料水の樽があった。
木製の樽の回りにロープを幾重にも巻き付けて補強してある。
緊急時用訓練を受けているチーフパイロットとランシスでテント用支柱を使って
台座を作り、そこへビア樽に水を入れた物を乗せ、背負えるようにした物だった。
「うー…っ。」
水の重さもあって立ち上がるのに苦労しているようだった。
「ちょっと、ケンカはやめなさいよね。」
ジュエルがあきれてビンゴに手を差し伸べたが、どうやら水の方を心配しているらしかった。
「て、てめーら、笑ってねーで、早く起こしやがれっ。でないと、樽の栓抜いちまうぞっ。」
うつ伏せのまま怒鳴る彼を、ドレアとランシスで起こす。
「頼みますよ、皆さん。仲良くやって下さい。シャトルで待ってる人達のためにも、
一刻も早く原住民とコンタクトしなくちゃ行けないんです。
ケンカなんかしてたら、助かるもんもダメになっちまう。」
責任感からか、ランシスが皆に頭を下げるが、この騒動でキャラバンの中の
妙な緊張感が薄れたのに気付く者は少なかった。
(ドレアとか言ったな。人を見るのに長けているのか、それとも年の功か…。)
ビンゴを利用して知らない者同士の緊張を解いたドレアに対し、
エーデルはその存在を心に留めた。
「てめーら、これから一日水抜きだっ。」
失笑をかった事に腹をたてたのだろう、ビンゴが言った。
「いいよ。その代り、ビンゴには食事を抜いてもらうよ。」
ジュエル同様携帯食のリュックを背負ったコンラッドが澄まして言う。
「うー…。」
小さい頃から貧乏と戦ってきたビンゴにとって、ひもじさは大敵である。
「…仕方ねえ。今回は大目に見てやらぁ。」
「はい、フルネームと年令。」
ジュエルが半分笑いながら促した。
「ちっ。ビンゴ・アンハード。二十一。」
「次は…。」
ジュエルが迷っていると、ドレアが指名した。
「エーデル。」
白い麻のスーツにブルーのシャツ、白エナメル靴のエーデルはめんどくさそうに答える。
彼はテントシートと数枚のケットを背負っていた。
「エーデル・ワイス。二十五。」
「花の名前みたいだ…。」
リヴと手を繋いで最後尾を歩いていたコンラッドが呟く。
「ワイス…。ワイスか。おい、知り合いにでっかい会社やってるの、いないか。」
ドレアの質問に、エーデルはむっとしたらしい。
「何故そんな事を聞く。」
「いや、こないだまでやってた舞台のスポンサーがアドロの理事長で、確か、ニ−ル…。」
「ニコル・ワイス。祖父だ。」
「ソフ?」
「おじいさんの事さ。」
学のないビンゴにコンラッドが教える。
「へぇ!? お前、アドロの若社長かよ。よくやるよなぁ。
てめーの会社のシャトル、ジャックしちまうなんてよぉ。」
ランシスもかなり驚いたらしく、物問いた気にエーデルを見るが、
彼は黙ったまま誰とも視線を合わせなくなった。
「つぎ?」
ストレートにした銀の長髪、ダークブルーの地に小さな白い水玉を散らした
ミニのワンピース、蝶をモチーフとしたデザインの赤いローヒールミュールに
猫を模したピンクの小さなウェストポシェット姿のリヴが自己紹介の先を促した。
彼女は救急箱と食器を入れた麻袋を背負っている。
「次はリヴだ。みんな、君の事を知りたがっている。」
彼等のいた月では人為的に造られた改良ペットが流行し、
得体の知れない生き物が数百種も生み出されている。
人と会話の出来る高等知能を持った手のひらサイズのミニペットが
最近の主流だったが、ヒューマンタイプの人工生命体は、
政府の倫理委員会で禁止されているはずだったので、
彼女の素性に興味が持たれるのは、当然だったろう。
しかし、それはリヴを人間として見ていない、という事になる。
ジュエルは内心それを面白く思っていない。
(それに、アドロの人間が混ざってる、て事も気に入らないわ。)
周囲の好奇心と心配をよそに、当の本人は銀色の瞳をくるりと回し、自己紹介を始めた。
「り?・ふれいぐ。じゅうろく…。」
「そいでもって、人形、だろ。」
ビンゴがからかうように言った。
「Dr ハーマの作った人工生命体…、と。何だよ。」
彼の前に、両手を腰に当てたジュエルが立ちふさがった。
「リヴは人形じゃないわ。少なくとも、あなたよりは高級に出来てるもの。」
「ふん。人形は人形だろーがっ。」
吐き捨てるように言ったビンゴの頬が鳴った。
ジュエルに引っ張たかれたのだ。
「て、てめぇっ…!」
あまりの事に後の言葉が続かない。
「フンッ。」
彼女はビンゴに背を向けて歩きだす。
一行は、呆然としたままの彼と、彼を見つめたまま動かないリヴを置いて、また進み始めた。
いい薬だ。
今まで、ビンゴの言動をあまりよくは思っていなかったので、誰もがそう思った。
「あの、アマっ。」
母親以外の女に殴られたのは、初めての事だった。
自尊心を傷つけられたビンゴは、彼女の後を追おうと走り出しかけて
側に残ったリヴに気付いた。
背の低い彼女に、かがみこんで毒づく。
「なんだ、てめーは。どけよ。」
え…?
背伸びした彼女の手が、殴られた彼の頬に、そっと触れた。
冷たい手だった。
「いたい?」
(心配、してくれてるのか…?)
「お前…?」
つま先立って彼の頬を撫で続けるリヴ。
「わかったよ。」
彼女の手をつかみ、撫でるのをやめさせる。
(ち。なんて小ぃせー手、してやがんだ。)
しゃがんで顔をのぞきこんだ。
銀色の瞳が、まっすぐに彼を見つめていた。
(本当に、まだ何も知らないガキなんだな。)
「俺の事、怖くないのか?」
探るように聞いてみた。
否定のサインが示される。
「そうか…。」
体が大きいのと薮睨みの目のおかげで、周りにいつも敬遠されてきた彼は、
彼女の返事に何となく嬉しくなった。
「行くぞ。こんなとこに置き去りにされたんじゃ、たまんねーからな。」
小さな手を引いて、彼は歩き出した。
彼女の胸のペンダントが、淡いグリーンの光を静かに放っていた。
「続き、行くよ。」
なんとなく残った二人が気になって、後ろを振り返りつつ最後尾を歩いていた
コンラッドは、リヴが自分の隣に戻ると、自己紹介の続きを始めた。
ビンゴはリヴの手を引いていたのをコンラッドに見られ、少し間が悪くなったのか、
大人しく一番後ろからついてくる。
コンラッドはヒョウをモチーフとしたイエローベースのアニマルプリントTシャツに
迷彩色のカーゴハーフパンツ、靴は紺色のスポーツシューズというスタイルだった。
子供らしくないシャツの柄から、母親の趣味が見てとれた。
「僕はコンラッド・ボウ。十一才。コロニー生まれだけど、父さんが自然管理官してて、
小さい頃から地球には何度も行ってたし、鍛えられてるから、体力には自信あるんだ。
趣味はディスクゲーム。一応、クレパ−市主催の大会で勝利の王になった事もあるんだ。」
彼はそう言って、カーゴパンツのポケットに忍ばせたミニディスクを叩く。
無駄なものは持つな、と言われたのだが、なんとなく持って来てしまっていたのだった。
「すごいじゃないか。」
子供らしい自慢話をドレアが褒める。
「スクールでの成績は悪いけどね。」
褒められた彼は照れくさそうに付け加えた。
「次は俺だな。本名はベンジャミン・ユース。年は四十七。舞台演出家だ。
仲間内じゃドレアで通ってる。本名は好きじゃないんでな。」
ショートコンチネンタルのヒゲをたくわえた彼は、白い物の混じった肩までの茶髪を
オールバックにしていた。
いでたちは赤いTシャツに袖無しのグリーンのサバイバルジャケット、
グレーのパンツに黒エナメルの靴というものだった。
背にしているのはギャレーにあったソフトドリンクの保存容器に水を入れた物だった。
これもやはりテントの支柱を使って台座を作り背負えるようにしてある。
「ずいぶん古典的なお名前ね。」
ジュエルが遠慮がちに言うと、彼は笑った。
「だから好かんのさ。」
「ノーム・アマリンさんと結婚されましたね。俺、彼女のファンだったんですよ。」
ランシスが顔を輝かせて言うと、ドレアはちょっと困った顔をした。
「何と答えたらいいのかな、こういう場合は。そうだ。舞台の上の彼女と、
プライベートな彼女は別人と思ってくれ。」
「はい?」
ドレアの真意をはかりかね、ランシスは彼を見返す。
「ファンというのは恐ろしいからな。寝込みを襲われたのではかなわん、という事さ。」
「大丈夫です。今はロッテ、あ、フィアンセ一筋ですから。」
「あーら、ごちそうさま。」
冷やかしたジュエルをドレアが指名する。
「君で最後だ。」
彼女はご自慢のブロンドを黒い細めのリボンでポニーテールにし、
白のタンクトップにオレンジ色のタイトスカートとジャケット、
白の編みサンダル、パールのイアリング、細い金のブレスレット、
文字盤がオニキスのペンダント時計という、この地には似合わない派手な
スタイルに、携帯食の入った黒いリュックを背負っている。
「私? 私はジュエル・フレイグ。十九才…。」
そこまで言って、彼女は言葉につまった。
「それだけ?」
さっきとは逆にランシスに聞き返される。
「私、自分の事なんて考えた事なかった…。」
「ほう…。」
ドレアが奇特なものでも見るように彼女を振り向いた。
「ずっと…。あの子が生まれた時からずっと一緒で。
彼女の面倒を見るのに精一杯だったし。
父が、あの子を普通の女の子にしたい、て言ってたから。」
コンラッドとおしゃべりしながらついてくるリヴをちらりと振り返る。
「人形は、人間にはなれねーぜ。」
別にからかう意味はなく、まじめに言ったつもりだったが、
ジュエルににらまれてビンゴはまた黙りこんだ。
「彼女なら心配ない。月には手に負えない連中がいやになる程いた。
奴等に比べたら、あの子の方がノーマルだがな?」
ドレアはわがままな俳優連を思い出し、口をへの字にまげた。
「ありがとう、ドレア。」
「早く恋人を見つける事だ。」
「え…?」
(何を言っているんだ、俺は。彼女はアンジェラじゃないし、彼女の娘でもない。
ただ、ほんの少し立ち居振る舞いが似ているだけで…。)
(彼女は自分の研究に夢中だった。デートの時は自分の学説をしゃべりまくって、
俺の話を聞こうともしなかった。)
『君から研究を取り上げてしまったら、どうなるのかな。』
『お願いよ、ベンジー。そんな恐ろしい事言わないで。』
俺には、彼女を夢中にさせる研究の方が怖かった。
(だから…。)
とドレアは思う。
(彼女は早く恋人を見つけて、普通の幸せをつかむべきなんだ。)
「…ア、ドレア?」
コンラッドが呼んでいる。
「あ?」
「休憩だよ。どんどん歩いてっちゃうんだもん。どうしたのかと思った。」
みな荷物を置き、砂地に腰を降ろしていた。
リヴがキャンディを配って歩く。
コンパニオンの真似事をするつもりらしい。
「はい。」
「いらねーよ。」
ビンゴに拒否され、彼女は小首をかしげた。
「お前の非常食なんだろ、人に配っちまうなよ。」
「ずいぶん優しいじゃないですか。」
ランシスがからかう。
「うるせぇ。」
30分程の休憩の後、彼等はまた歩き出した。
時がたつにつれ、疲れが出たのだろう、誰も口を開く者がいなくなった。
ただ、踏み締める砂の音だけがさくさくと鳴るばかりだ。
そうやって砂の音を聞きながら黙って歩き続けていると、だんだんと感覚が鈍り、
ここがどこで、自分が何をしているのかさえわからなってくる。
七人は、機械的に足を動かし続けた。
出発してから何時間たったろう?
そろそろ夜が明けてきはしないか。
約二時間ごとに小休止を取るたび、やってきた方を振り向いてはみるのだが、
太陽どころか月さえも昇ってこない。
ここには、月がないのだろうか。
それとも、物理法則が違っているのだろうか。
もしかすると、もう太陽は昇らないのかも知れない…。
が、そんな不安を打ち消すように、太陽は昇った。
五回目の小休止を終え、出発してから十分とたたないうちの事だった。
背後から、さぁっ、と朝日が射し初めたのだ。
しばしの間、太陽を眺める七人。
「さて、暑くならんうちに、距離をかせごうか。」
ドレアの言葉に、一行はまた歩き出した。
二時間後、一行は砂地にテントを張った。
日中の気温が四十度近くまで上がるこの地では、直射日光を遮る事が出来る
このオレンジ色のテントが、彼等の体を守る大切な場所となる。
「いいんじゃねーの。害虫も、野生動物もいないみたいだしな。」
出来上がったばかりのテントを前に、ビンゴが言う。
「空調はないが、日射病にはならんだろうからな。」
ドレアも満足気にうなずいた。
「さて…。」
ビンゴはテントにもぐり込むと、中で大の字になった。
入り口を折上げてあるので、中も明るい。
「おいおい、一人で占領するな。」
続いたドレアが苦笑まじりに言う。
慣れない行軍で、誰もが疲れていた。
特にビンゴは、一番重い水の樽を背負っていたので、よほど疲れたに違いない。
「食事にしましょう。」
ジュエルの提案で、七人はテントの中に車座になった。
食事と言っても、スティック状の携帯食を水で流し込むだけのものではあったが…。
「ぐぇ。こんなマズイもん食え、てのか。」
意外にも、粗食で育ったはずのビンゴの口には合わなかったらしい。
「いらないなら無理に食べなくてもいいのよ。節約しなくちゃならないんだから。」
ジュエルに言われ、彼はむくれた。
「いらねーなんて言ってねーぞ。人形と違って、俺は食わなきゃ生きていけねーんだからな。」
嫌味っぽく言う。
「リヴは人形じゃないわっ。」
「誰もそいつのことだなんて、言ってねーぜ。」
澄まして言うビンゴ。
「くっ。このっ。」
疲れて怒りっぽくなっていた彼女は、テントの裾から外に手を出して砂をつかむと、
彼に投げ付けた。
「わっ。何すんだ、てめぇ!」
たちまち砂のかけ合いが始る。
「やめろ。二人とも、水に砂が入るっ。」
ドレアが怒鳴るが二人とも聞かない。
ランシスとコンラッドは知らん顔を決め込み、リヴはキャンディーをなめながら
砂が舞うのを小首をかしげて見ている。
「おい、エーデル、無視しとらんで、こいつらを何とかしろ!」
自己紹介以来、黙りこんでいるエーデルにドレアが助けを求めた。
面倒そうに言う彼。
「やめろ、ビンゴ。ジュエルもだ。」
彼に言われ、二人とも大人しくなった。
(鶴の一声、てやつか。血筋だな。)
演出家として、わがままな俳優連を仕切ってきたドレア。
それが、自分よりも若いエーデルに統率力がある、という事実を思い知らされ、内心苦笑した。
(本質的に頼れる人間というものを、人は本能レベルで判別するのかも知れないな。)
「あの、いいですか?」
食事を終えたランシスが、おずおずと切り出した。
「考えたんですけど、ここの一日、ずいぶん長いと思いませんか?
太陽が沈んでから昇るまでに、十五時間ほどかかってるんです。
星は、あんなに早く動いていたのに、ですよ。」
「そうね。私たちの時間は通用しないわね。」
ジュエルも、自分のペンダント時計を見て言う。
「ねぇ、ここって、天体なんでしょう?」
コンラッドが聞いた。
「そうならいいんだがな。」
エーデルのつぶやき。
「何です、そうなら、て。そう言えば、ブラックボックスの解析報告、
エーデルさんも立ち会ったんでしたね。いったい、どんなデータが出て来たんです?」
「…。本人に聞けよ。」
エーデルの答えに、リヴに視線が集まった。
「ダメよ! 今のこの子に何を来ても無駄! 幼児レベルの答えしか返ってこないわ。」
慌てるジュエルを無視して、ビンゴが聞いた。
「何で解析できたのかも知りてーな。」
「ブラックボックスてさ、簡単にはデータの引き出しできないんだよね。」
コンラッドも興味がわいてきたようだ。
「ひどいわ、エーデル。約束が違う。」
「約束?」
ランシスがジュエルに疑いの目を向ける。
「どういう事です。」
「てめーら、俺達になんか隠してるな。」
ジュエルは黙ってビンゴを睨んだ。
「…。隠したところでどうなるもんでもない。全部話しちまえよ。
ここがどういう所で、何のためにシャトルを出て来たのか。」
それでも彼女はしばらくためらっていたが、全員の視線に促される形で話し始めた。
「いいわ、教えてあげる。ここは、次元の狭間を漂流する、浮遊大陸。天体じゃないの。」
何も知らなかった四人は、声を上げて驚いた。
「じゃ、じゃあ、あの星空はなんなんです。太陽は? 幻だとでも言うんですか。」
声を上ずらせるランシス。
「人工太陽は本物よ。星空はよくわからないけど。実は、ブラックボックスのデータ、
あまり役に立たなかったの。人工太陽も、ここが浮遊大陸だて事も、
全部この子の類推。だから、わからないこともたくさんあるわ。」
「リヴて、いったいなんなんです?」
ランシスがまた聞いた。
が、ジュエルは黙って彼を見返しただけだった。
スカイブルーの瞳が悲し気に揺らめく。
「…。そいつの事なんかどうだっていいさ。ここが天体でないとしたら、
原住民なんていねーんじゃねーのか。」
ビンゴのつぶやきに、彼女はまた口を開いた。
「あなたの言う通り、ここに人のいる確率はすごい低いらしいわ。」
今度はビンゴが彼女を睨む。
「何でだよ。なぁ、何で原住民がいないのを知ってて、俺達をここまで歩かせた。」
「お前、シャトルの居残り組にそんな事が言えるか?あの連中のパニックを、
沈められる自信あるのか? 」
「うっ…く。」
エーデルの言葉に、黙り込んでしまったビンゴ。
「確率は低いが、全然、てわけでもない。」
「本当?」
呆然としていたコンラッドが、エーデルに問いかける。
「そうなの。リヴがね、何かを感じてるらしいの。」
ジュエルが答える。
「感じてる…、て…?」
ランシスには意味がわからない。
「この子、少しだけど感応力があるのよ。人の気ていうか、
本人は波だ、て言ってるけど、あきらかに意志ある者の波を感じてるらしいの。」
エーデルが後を続ける。
「チーフと俺は、彼女のテレパシーにかけたのさ。
あのままシャトルにいるより、何かできるならやった方がいいと考えた。」
「ただ、相手がどれくらい遠くにいるかわからないの。
だから、覚悟だけはしといた方がいいと思う。」
ジュエルは皆の顔を見回した。
「OK 。わかりましたよ。」
ランシスが納得顔でうなずいた。
「シャトルで待ってるノー天気な連中のためにも、俺達は
気を引き締めて行かなきゃならん、て事か。」
ドレアの言葉に、ビンゴとコンラッドもうなずいた。
「となりゃ、早く寝ようぜ。お天道さんが沈んだら、また歩かなきゃならねーんだ。」
約、五メートル四方の狭いテント。
寝る場所についてジュエルからさんざんクレームがつけられたが
『女襲う元気なんかねーよ。』というビンゴの言葉に、渋々雑魚寝を承知した。
「手を出したら外に放りだすわよっ。」
「だったら、てめーが外で寝りゃいーだろーが!」
まったく、あの二人は。
あきれる他のメンバーをよそに、二人はさっさと両端に陣取って寝付いてしまった。
砂の上に耐熱シートを敷いただけなので、寝心地は悪いはずだったが、
みな疲れきっていたのだろう、すぐに規則正しい寝息がテントを満たす。
昼夜逆転の、最初の一日が終わった。
本日はここまでm(_ _)m
乙
えなり登場に期待しています
乙です
投下乙です
第6章 風のない砂漠
翌夜。
ドレアはコンラッドに起こされ、テントを出た。
「よーやくお目覚めか。」
熟睡しているのを起こすのは気が引けたので、そのままにしておいたのだが、
出発の準備が終わっても起きてこない。
とうとうコンラッドが起こしに行ったが、本人は照れ隠しに頭をかいただけだった。
「年寄りにはきつい旅だ。」
日が沈んでから、三時間程たっていた。
相変わらず空の星は、軌跡を残して流れていく。
ランシスが計ってみたところ、ここの一日は三十ニ時間ほどだとわかった。
次元の狭間の浮遊大陸に一日があるというのも妙だが、人工とはいえ
太陽の運行がきちんと行われているので、一日は一日だろう。
大気は乾燥気味で寒暖の差が激しく、昼は三十度を越え、夜は十度近くまで下がった。
気象コントロールとエアコンの中で生活していた体には、この環境はかなりこたえた。
そして、昼夜を逆転させて歩き続ける彼等は、二日目の夜明けを待たず、テントを広げ、
そのまま食事もせずに眠りこんだ。
たっぷり十五時間は眠り続け、日が沈む頃、喉の乾きに耐えかねて目を覚ました。
軽く食事を摂って、出発。
ニ時間ごとに小休止を取るが、誰も口をきく余裕をなくしていった。
そんな日々が四〜五日も続いたろうか。
睡眠時間も多く、体もここの気候に慣れ始めてきた。
が、精神的な疲労、ストレスはたまる一方で、とうとう五日目の晩の行軍中に、リヴが倒れた。
小休止から三十分もたっていない。
ジュエルは機械的にリヴの腰のポシェットからキャンディとアルコールの小瓶を出すと、
抱き起こしていつものように口に含ませた。
五分ほどして彼女の目が開いた。
「歩ける?」
ジュエルに抱かれたリヴを心配そうにのぞきこんでいたコンラッドが聞くと、
小さくうなずいて立ち上がった。
「本当に、この方向でまちがいないのか?」
歩き出そうとするリヴに、ランシスが言う。
それは、ここニ、三日誰もが心の中で煩悶していた疑問だった。
「当たり前よ。リヴのカンは絶対だもの。」
そう言い切るジュエルの声も、心無しか元気がない。
「今までに、百キロ以上は歩いているが…?」
エーデルでさえ問い返さずにはいられなかった。
「水だって残り少ないぜ?」
ビンゴも軽くなった樽を振って言う。
ドレアとコンラッドは、座り込んで成り行きを見守った。
「何よ、みんなして。」
ジュエルは五人を見回して気付いた。
ストレスのせいか、全員の目が血走っていた。
「最後まで信じられないのなら、始めからついてこなければいいのよ!」
「じゃあ、いつになったら、原住民の所へ辿りつけるんです?」
珍しくランシスの声が荒い。
「それは…。」
「答えられないでしょう? 答えられるわけはないんだ。原住民なんて、
初めからいなかったのさ。もう、やめだ。俺は降りる。」
彼はコースを外れて歩き出した。
「どこ行くのよっ。」
ジュエルの問いに振り向きもしない。
「俺は俺の道を行く。」
あの、生真面目で責任感の強い彼が…。
みな、黙ったままそれを見送る。
彼の言った事を否定する確信もなければ、だいいち、追う気力もないのだ。
と、リヴがジュエルの手を逃れてランシスを追った。
追い付いて、腕をつかむ。
「放せよっ。」
「やだ。」
首を横に大きく振って、否定のサインを繰り返す。
「お前なんかと心中する気はない!!」
腕にしがみつくのを振りほどくと、今度は後ろからベルトを掴まれた。
「このっ。」
その手をもぎ放そうとして、彼は動きを止めた。
普段は陶器のように白いリヴの頬が、真っ赤に染まている。
「…。」
彼は静かにリヴを諭した。
彼女の腕から力が抜ける。
彼はそのまま歩きだした。
一人で帰ってきた彼女に、今度はビンゴが言った。
「連れ戻さなかったのか?」
彼女は彼を無視した。
「やってらんねーな。俺もラスと行くぜ。」
背を向けた彼に、彼女はあわててその前に回りこんで両手を広げた。
「どけよ。」
髪を振り乱して否定のサインが繰り返される。
「ふん。」
彼は片手で彼女を突き飛ばし、かまわず行こうとする。
尻餅をついた彼女は、すぐに立ち上がり、今度は彼の腰にまとわりついた。
「てめぇっ。」
腰に回された腕を引き剥がす。
「じゃますんじゃねぇ。」
「やだよ。だめ。」
砂の上を這いつくばって彼の前に出ると、自分のポシェットを差し出した。
「これ、あげる。ぜんぶ。だから、いかない。」
顔ほ真っ赤にして必死に否定のサインを繰り返す彼女に、彼はふと哀れみを感じた。
「きゃんでぃ、きらい? あるこーるは?」
「お前…。」
普通の女の子なら、泣いている所だろう。
だが、彼女には、涙を流して思いを吐き出す、ということさえも封じられているらしかった。
感情を示せない銀色の瞳が、冷たく彼を見つめる。
(人工生命体、か。本当に、人形なんだな。)
「いつまでドラマしてるんだ。歩けるならいくぞ。」
しばしみつめあったままの二人に、エーデルが声をかけた。
「ああ、そうだな…。」
ビンゴの口から素直な言葉がもれる。
一行は、また歩きだした。
エーデルはこのまま行くべきか他の方法を考えるべきか悩んでいたが、
リヴの行動を見て、このまま行く事に決めた。
どんな方法をとっても結果は大して変わらないだろうし、
別行動をとったランシスの為にもその方がいいと思ったのだ。
「気がついたか?」
エーデルはビンゴにそっとささやく。
「あいつ、水も食料も持っていってない。」
「え…。じゃ、あの荷物は?」
「空っぽさ。頭数減った分水が長もちする。が、あんまり気持のいいものじゃないな。」
「そんな…。」
振り返ろうとするビンゴをドレアが制し、首を横に振る。
心なしか目が潤んでいるようだった。
リヴが倒れた直後、ランシスはドレアに自分の荷物を託していた。
「私はここに残ります。」
「何故だ。」
「この人数では水が持ちません。」
「しかし…っ。」
「その代わり、必ず原住民とコンタクトして下さい。」
あえてジュエルに言いがかりをつけ、去っていったランシス。
一人で違う道を進んだ彼を思うと、ドレアは二人分の荷物の重さも苦にはならなかった。
(犠牲は一人で充分さ。)
ランシスの言った言葉は難しくてよくわからなかったが、優しく囁いた声の震えが、
ベルトをつかむリヴの腕の力を奪っていった。
もう、あのきれいな指輪を見せてくれる人はいない。
リヴは、何だかとても大切なものを失ったような気がして、
不安気にペンダントをまさぐった。
石は、暗褐色に染まっていた。
「何やってんだよ。」
小休止の間、仲間の輪から離れた場所に腰を降ろしたエーデルの所へ、ビンゴがやってきた。
「何でもない。向こうへ行っていろ。」
「人のナイフ盗んでおいて、何でもないはねーだろ。」
(見られていたか。)
ランシスに預けられていた機銃とナイフは、ドレアの荷物になっていた。
その荷物からナイフを借りた所を見られていたようだ。
エーデルはビンゴを無視して背を向け、おもむろに自分の髪を
ナイフで切り始めた。
「あ、何すんだ、もったいねぇ!」
女の羨望すらあつめてきたであろう栗色のロングヘア−が、無造作に切られて行く。
それは、エーデルの決意表明だった。
元はと言えば、自分がこの事故の原因を作ってしまったのだ。
助からなかった乗客の死は、自分に責任がある。
せめて残った者達だけでも無事に月に帰そうと、キャラバンを組織したのだ。
が、力及ばず、ランシスを失った。
もう、誰一人犠牲にしない。
その決意が彼に髪を切らせたのだ。
「あーあ、あんなに短くしちまいやがんの。」
ビンゴの非難めいた言葉を背に、彼は切った髪を砂に埋めた。
「おいおい、切っちまったのか。」
一番驚いたのはドレアだった。
短くなりすぎて、つんつんに立った頭を見て、肩をすくめる。
「いいんじゃない? 涼しくて。」
とはジュエルの評。
そのジュエルも思う事があったのだろう、アクセサリー類をはずし、
靴を脱いでリュックに入れたのだった。
指の間に砂が入るのが少し気になったが、素足で歩く方が楽に歩けそうだったからだ。
リヴも真似をして裸足になったが、砂の感触が気に入らなかったらしく、
足の砂を払ってまた靴をはきなおした。
そして再び、彼等は歩きだした。
見渡す限りの砂原は、動くものの影さえもない。
人工物と人のざわめきの中で育った彼等には、辛い旅だった。
運良く原住民をみつけて、友好的なコンタクトを取れれば…。
が、今はもうそんな事はどうでもよくなっていた。
ただ、立ち止まって座り込んでしまえば、死を待つ事になる。
衰弱死か、狂死か、ランシスのように死を選ぶか…。
(目的と仲間がいるからまだいいんだ。お互いに気を使って理性を保ってる。
まぁ、この連中が、並外れて意志の力が強い、てのもあるだろうがな。)
テントの支柱を組み立てながら、ドレアはため息をついた。
と、背後で何か倒れる音がした。
「コンラッド!」
水をカップに注ぎ分けていたジュエルが、シートを広げている最中に
倒れたコンラッドにかけよる。
「ひどい熱。」
彼の体は熱のためにほてっていた。
「早く、テントを作ってっ。」
全員でシートを大慌てで広げ、テントを完成させるとコンラッドを中に運びこんだ。
「冷やさなきゃ。」
彼の額に手を当てたままジュエルが言う。
「冷やすって…、余分な水なんかないぜ。」
軽くなった水樽を背負っていたビンゴが言う。
「これ…。」
リヴがアルコールの小瓶を差し出した。
「そんなもん、ガキに飲ませられっか!」
「バカ、こうするんだ。」
コンラッドの横に屈みこんだビンゴを押し退け、ドレアが自分の赤シャツの袖を引きちぎり、
リヴの手から小瓶を引ったくってちぎった袖をアルコールで湿らせ、コンラッドの額を拭いた。
アルコールが蒸発するさい、体の熱を奪うのを利用したのだ。
「エーデル、ジュエル、上着を脱げ。」
乾燥した外気に触れないよう、二人分の上着でコンラッドの体を包み、水を多めに与える。
汗をかかせて熱を下げるためだ。
「よし、と。三時間交代で寝よう。最初は俺が番をする。みんな、寝ていいぞ。」
トラブル慣れしているのだろう、手際よく対処してみせたドレアの言葉に、
みな安心して眠りについた。
三時間後。ビンゴがドレアに起こされた。
「時々うなされてるから、アルコールで額を拭いてやってくれ。
三時間したらエーデルを起こして交代するんだ。」
彼はそう言って、コンラッドから借りたアラーム時計と
アルコールの小瓶を渡すと、横になった。
「ドレア、これは…?」
かけられた上着からはみだしたコンラッドの足に、濃いブルーの布が巻き付けてある。
「ああ、リヴだ。」
どうやらリヴのワンピースらしかった。
ランシスの事が心残りなのだろう。
これ以上仲間を失うまいと、必死なのだ。
彼女はベビーピンクの下着姿でジュエルの影で寝息をたてていた。
(ばーか。てめーが病気になったらどーすんだよ。大事なガイドなんだぞ。)
彼は、汗臭い黒シャツを脱ぐと、彼女にかけてやった。
(これから、どうなるのかな、俺達…。)
上半身裸のままコンラッドの横に腰を落ち着けると、彼はため息をついた。
日も落ちてだいぶたった頃、コンラッドの意識が戻った。
目を開けた彼にリヴがキャンディを差し出す。
「水…。」
からからの喉から彼は声を絞り出した。
テントの外では、とりあえずもう一日ここにいてコンラッドの回復を待とう、
という話がまとまっていた。
コンラッドの意識が戻ったとリヴが伝えると、ドレアが様子を見にテントに戻る。
「出発、しないの?」
心配そうに聞くコンラッドにドレアは笑って答えた。
「歩けないんだろう?無理はダメだ。」
「一日遅れたら命取りになるかも知れないだろ。」
コンラッドは力のない声で言いつつ立ち上がろうとしたが、足下がふらついて倒れる。
それでも彼はあきらめなかった。
「這ってでも行く。足手まといには、なりたくない。」
四つん這いでテントから出ようとする彼をドレアは止めた。
「わかった、出発しよう。リヴ、皆に伝えて来い。」
「うん。」
ドレアの隣にいた彼女は心配そうにちらりとコンラッドを見たが、黙って伝言を伝えに行った。
「ただし、辛くなったすぐに言う事。いいな?」
コンラッドはドレアに支えられてテントを出た。
「無理よ!そんな体で…。」
ジュエルは反対したが、本人の懇願とドレアが責任を持つというので仕方なく出発をOKした。
「絶対に無理はダメよ。彼はまだ子供何だから。」
「いや、コンラッドは子供じゃない。男だよ。な?」
コンラッドは自分を支えてくれているドレアに、大きく頷いてみせた。
這ってでも行くと言ったコンラッドだが、もちろんそんな事が出来るはずもなく、
男三人が交代で背負う事になった。
ランシスの時に嫌な思いをしているので、誰も文句を言わない。
最初にビンゴが背負う事になり、彼の荷物である水の樽はドレアが持つ事になった。
ドレアは元々持っていた保存容器の水を移して大樽を背負う。
コンラッドの荷物はジュエルが持つ事にした。
藍色の夜空のキャンパスに、今夜も星の航跡が描かれ始める。
平坦な砂地を踏みしめて、一行はまた歩き出した。
シャトルを出てからすでに六日も過ぎていた。
今まで先頭を歩いていたエーデルが、最後尾のドレアにさりげなく近付き、囁いた。
「引き返すのなら、後、一日以内だ。それを越えたら、戻れなくなる。」
「今さら…。戻れんな。」
ドレアはシニカルに笑った。
「とぼけるな。わかっているんだろう。男三人だけならシャトルに辿りつける。」
「あんたにそれができるのか?」
「できるさ。何もエゴで言ってるんじゃない。誰か一人が戻れればいいんだ。
結果を伝えに、な。」
彼にしたところで、こんな形で今の状況に負けてしまうのは悔しい事だったが、
それでも、自分にできる事はなんでもしておきたかった。
だがそれは、どうせ助からないなら、という考えが、彼の中に生まれてきたと言う事だ。
「意外だな。」
「え…?」
「あんた、あんまり口きかないから、何も考えてないんだと思ってた。」
「…。」
別に無口なわけではなく、事故の原因を作った者としての責任感が、
彼の口を重くしていただけなのだが。
「考えておこう。」
一行は、夜明けを待たずにテントを張った。
コンラッドがまた熱を出したのだ。
前と同じ方法で手当てする。
ドレアはビンゴとジュエルにコンラッドを任せ、リヴを外に連れ出した。
テントから少し離れた所でエーデルが待っていた。
何故連れ出されたのかわからないリヴが、二人の顔を交互にみつめる。
「正直に答えくれよ、リヴ。お前は、本当に感応力があるのか?」
ドレアの問いに、彼女は小鳥のように小首をかしげた。
「かんのうりょく?」
「テレパスとしての能力を、本当に持っているのか?」
「てれぱす?」
エーデルが焦れて聞いた。
「頭の中で、誰かがしゃべってるとか、しないか?」
少し考えて、彼女は答えた。
「…。ある。」
「本当か?」
用心深く聞き返したエーデルに、彼女はうなずいた。
「えるのゆめ、いつもみえる。こんらっども、びんごも、どれあも、
えーでるも、みんな、ゆめ、きれい。」
これには二人も驚いた。
まさか、寝ている間に夢を覗かれていたとは…。
いや、この場合、彼女に見る意志はなく、見えてしまっていた、
というのが正確なところだろうが。
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. { トヽ;;;;;! '´ ̄ ` { '=ッ{;< ! . , , .
. ヽ.ゞさ;;} ,.r'_ ,..)、 !;,.! ヽ、_,人_,ノ、_,从,人.ィj、ノv1
ヽニY ,.r' _`;^´! ,';/ )
ヾ:、 ヾ= 三;〉 /'′ ‐=、´ お待たせ、えなりかずきだよ!
ノ,;:::\ ` ー" , ' )
,.、-',;;;{ ヾ:ヽ、 __ ,∠、 , '⌒r‐v'ヽィ'⌒Yソ、ト、!yヘ!
',,;;;{ {;;;;;;ヽ }::〈;;;;;;;;l iヽ、 ´ i ' ´ `
,;;;;;ヽ、ヽ;;;;\ ,r'::::ノ;;;;;;j j;;;;,.`ヽ、
「それじゃあ、リヴ、ここの原住民から何かメッセージが届いてないか?」
ドレアの問いに彼女はうなずいた。
「きてる。」
顔を見合わせるドレアとエーデル。
期待を込めてエーデルが聞いた。
「なら、後どれくらいで彼等に会える?」
「しらない。どかんするまえも、なみ、あった。」
焦るドレア。
「ちょっと待て。ドカンする前、てのは、もしかして、シャトルが爆発する前の事か?」
肯定のサインに、エーデルはいきなり笑い出した。
「じゃ、何か、俺達は、お前の悪夢に付き合わされてるとでも言うのか!?」
否定のサイン。
「げんじつ。」
「なら、納得いくよう説明しろよ!」
「わからない…。」
エーデルの目が、ぎらりと光ったようだった。
彼女は思わず後ずさる。
ドレアが止めた。
「やめろ、エーデル。」
「むずかしいこと、わからない…。」
エーデルは、腹たちまぎれに足下の砂を蹴って言う。
「俺達六人だけじゃないんだ。シャトルにだって、残っているんだぞっ。」
「いらつくのもわかるが、リヴに当っても仕方なかろう?彼女がいなければ、
我々はとうの昔にシャトルで全滅していたかも知れんのだから、な。」
エーデルは二人に背を向けた。
「しばらく、一人にしといてくれ。」
ドレアは肩をすくめる。
(責任感の強い自分を持て余す、か。若いな、エーデル。)
「行こう、リヴ。」
リヴの手を引きながら、彼は自問した。
(さて、ドレア、どうする?)
「ドレア!」
テントに戻ると、待っていたようにジュエルが彼の手を引いて再び外に連れ出した。
「コンラッドの意識が戻ったの。」
彼女は興奮していた。
「そうか。」
「でね、変な事言うのよ。」
「変な事?」
「誰かが呼んでいる、て。」
「熱のせいで寝言言ってるんじゃ…。」
「違うわ。熱、下がったのだもの。」
彼はちょっと考えると言った。
「いい徴候だ。」
ジュエルが怪訝そうに彼を見返す。
「とにかく、昼間いっぱいはここにいて、夜になったら出発しよう。」
少しでも休息するため、テントに戻る。
「なぁ、原住民、本当にいると思うか?」
コンラッドの横に座りこんでいたビンゴが心細気に聞いてくる。
「大丈夫だ。コンラッドが感応しているくらいだからな。ゴールは近い。」
(そう、ゴールは近いんだ。)
彼は、自分にもそう言い聞かせた。
支援
第七章 メッセージ
助かるかしれない。
ほんの少しの可能性に、一行は元気を取り戻した。
心なしか足取りも軽くなっている。
日がたつにつれて長くなっていた小休止も三十分に戻して、一行は歩き続けた。
コンラッドが夢で誰かに呼ばれてから二日たった。
シャトルを出てからは八日になる。
その日の夕方、今度はエーデルが倒れた。
コンラッドと同じ方法で手当てする。
熱に浮かされて、彼は誰かの名前を呼んだ。
眼前に女の顔が浮かんでいた。
「ミスティー!」
ミストラル・チャーム。
大きなグリーンの瞳が印象的な、物静かな少女だった。
彼女との出会いは二年前の夏。
父親の代理として出席したパーティで、コンパニオンしていた彼女に
彼が一目惚れしたのだった。
スミレ色の制服がよく似合っていたのを思い出す。
彼女の方も気取らない彼の人柄に魅かれ、密かに交際を始めた。
彼が専修課程を終了した時、二人の仲を公にするつもりだった。
だが…。
「ごめんなさい、さよならっ!」
「ミスティ?」
後一ヶ月で交際宣言が出来るという矢先、彼女は部屋を訪ねて来た彼に
会おうとはしなかった。
連絡の取れないまま彼女はどこかに引っ越して行った。
彼女が腹違いの妹だと知ったのは、ずいぶん後になってからの事だった。
つまらない父親の同族意識のために、二人は偶然を装って引き合わされたのだ。
そして当人同士の知らない所で父親はプランを進行させつつあった。
だが、血族意識の強い父親に対し、前々から仲の悪かった創業者の祖父は、
道徳的に好ましからざる二人の仲を引き離しにかかった。
彼女は祖父であるニール・ワイスに事実を告げられ、彼の前から姿を消したのだった。
全てを知った彼は彼女を探すために家を出た。
二年程かけてようやくみつけた彼女は、一児の母となり、
うだつの上がらない男と同棲していた。
彼女は訪ねて来た彼にこう言った。
「これ以上私に恥をかかせないでっ!」
ショックだった。
この事が彼をますます同族嫌いにさせ、彼等をのさばらせている今の社会に
反感を持たせる事となった。
彼は友人の家を渡り歩いたが、家を出たと知ると皆手の平を返したように冷たくなった。
身を持ち崩し始めた彼を救ったのは、意外にもミストラルだった。
金持ちの年寄り相手にコールガールまがいの仕事をしていた彼女のコネで、
シャトルパイロットのライセンスをとった彼は、自分で働いて生活する事を覚えた。
一つ間違えば生還者ゼロの大事故を引き起こしかねない、シャトルパイロットのライセンス。
もちろんコネだけで取得出来るものではなく、彼の素養があったればこそなのだが、
家を出た彼に身元保証人はなく、ミストラルの奔走で大物議員の後ろ盾を得、
ようやく手にする事が出来たライセンスだった。
…?
誰かが耳元で何か囁いたような気がして、寝返りを打った次の瞬間、
眼前に広がったのは、悲惨な事故の光景だった。
名もない会社の輸送用シャトル事故。
それはついこの間自分が起こした物だった。
前の晩、ミストラルのバースディパーティで安酒を飲みまくった彼は、
二日酔いの頭痛を押しての仕事だった。
体調の思わしくない時の乗機は、勤務規定で禁止されていたが、
零細企業の規定など誰も守るはずもなく、日雇いの彼は食費を稼ぐため、
無理をして仕事に就いた。
いつもより気を使ったはずだった。
が、もう少しという所で、コロニーへの誘導コースをはずれ、隣のコースに干渉、
ちょうどそこに入って来た観光用シャトルの横っ腹に接触、大破させた。
相手のシャトルには数十名の子供が乗っており、乗員ともども全員が宇宙に散った。
エーデルと同乗していた相方のナビゲーターもコントロールボードで頭を強打、
今も入院中のはずだ。
そして彼自身は軽い脳震盪だけですんでいた。
事故はもみ消された。
彼の知らない所で。
「何十人も子供が死んでいるんだぞ!?何故報道しない?」
きっと父親の手が伸びたのであろう。
その父親に踊らされるのが嫌で家を出たのではなかったか。
なのにマスコミはあの事故を報道しない。
どうすれば父親の陰から抜け出せる?
父の権力の基盤は今の社会全てだ。
反政府活動。
現体制の崩壊は父親の失脚を意味する。
(ならば…!?)
…ムジェル…
(え…?)
ファ…ナ…ニナ…ジェナル…。
(また…。)
「ダメよ、まだ寝てなきゃ。」
突然身を起こしたエーデルに、付き添っていたジュエルが驚く。
「リヴは?」
「表よ。皆と星見てる。ちょっ、ちょっとおっ!?」
立ち上がろうとして目がくらみ、彼は彼女の上に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫?」
「リヴを呼んでくれ…。」
「え?」
「早く。」
呼ばれて来たリヴはエーデルの枕元にちょこんと腰を下ろすと、
小鳥のように首をかしげ、何か聞かれるのを待った。
「お前、ファムジェナルて言葉知ってるか?」
「ぱーむ、じなる?」
「ファムジェナルだ。」
「………。」
否定のサイン。
彼女にも意味がわからないらしい。
「よく考えろっ!」
怒鳴られて首をすくめる。
「ふぁーむじぇ…むじぇ…じぇる…じぇら…じぇら…あん・じぇら?」
エーデルが気が付いたというので、皆と一緒に戻っていたドレアの顔が一瞬引きつった。
(またアンジェラか。何故彼女が知っている。奴が教えたのか。)
追憶に浸りかけていた彼をジュエルの声が引き戻した。
「無理よ、今のこの子には何もわからないわ。」
「聞こえたんだ。夢の中で…。」
「熱を出すとテレパスになる、てか?変わったビョーキだな。」
ビンゴが茶化す。
「コンラッドの時には何て聞こえた?」
テントの入り口から中を覗きこんでいたコンラッドを、ドレアが振り向いた。
「え…ナーロブ、アムジェーナル、て。」
「そうか。」
そう呟くとエーデルはまた目を閉じた。
興奮して疲れたのだろう、すぐに寝息をたて始めた。
「あら、また寝ちゃったわ。」
ジュエルが肩をすくめる。
「ま、いよいよ近いて事か。」
ドレアの言葉にビンゴも頷く。
「後は、友好的なコンタクトおば願うだけだな。」
彼にしてはまともな意見だった。
「夜が明けるよ。」
外を振り向いたコンラッドの声。
「それじゃぁ、夜のために、また寝るとするか。」
ドレアに促され、みな眠りについた。
夜半。
エーデルの熱が下がると一行は出発の準備を始めた。
「おい、テント片すぞ。」
ビンゴが中を覗くとジュエルが慌てて出て来た。
「ちょっと待って、リヴが、リヴが…。」
「リヴがどーしたって?」
「トランス状態に入っちゃったのよ!」
「!?」
意味がわからず皆あわててテントに戻る。
片隅に横たわったままのリヴがいた。
手をお腹の上で組み、目は半分見開かれたまま中空を疑視している。
ピクリとも動かない銀色の瞳が、いっそう人形を連想させた。
「これは、一体…。」
熱も下がって元気になったエーデルが喘ぐ。
「こんな事はよくあるのか?」
ドレアの問いにジュエルは少し迷ったが、あきらめたように答えた。
「昔からカンの強い子で、メンタルショックを受けるとよくこうなっていたわ。
今は、だいぶんよくなっていたと思ってのに。」
コンラッドが心配そうにリヴの顔を覗き込む。
「ねぇ、息してないよ。」
「あぁ、大丈夫。今は代謝機能を低下させて皮膚呼吸モードにしているんだと思うわ。」
「ふーん…。」
ずっと手をつないで歩いて来た相手が、人間ではなかったのだと改めて思い出す。
「でも急にこんなんなっちまう何てよ、不便なんだな、人工生命体てのも。
オーバーホールちゃんとやってなかったんじゃねーか?」
ビンゴが冗談めかして言ったが、ジュエルに睨まれただけだった。
「シャトルに乗ってた時はどうだった?」
ドレアに聞かれ、一瞬ためらったがジュエルは答えた。
「え…、いえ、やっぱり一度トランスに入ってるわ。」
「その時はどんなだった。何か言ったりしてなかったか?」
「そう言えば、す…砂…あっ。」
ジュエルは息をのんだ。
「やはりな。リヴは、シャトルが爆発する前から自分がここに来る事をわかっていたんだ。」
「そんな…。」
「リヴはシャトルが事故る前、ここの住人からメッセージをもらったと言っていたな。」
エーデルも気付いたようだ。
「それが、今またトランスに入ったという事は、メッセンジャーが近くにいる、
という事じゃないのか?」
「何だ、いい事じゃないか。もうすぐ原住民に会えるて事だろ?」
ビンゴがノー天気に言う。
「よくないわよっ!」
「何でだよ。」
「もうっ、この子はね、トランスに入るとすっごく体力消耗するの。
今弱ってるこの子が、ずっとこのままでいるとどうなると思う?」
「さぁ…?」
「本当に人形になっちゃうのよっ!」
「人格崩壊てやつか。」
ドレアがさらりと言った。
「ひ、ひどいわっ、一体誰のお陰でっ…。」
「落ち着けジュエル。」
エーデルが苛立つ彼女をなだめる。
「落ち着いて何かいられないわよっ。」
「よーするにメッセージが来なきゃいいんだろ。俺が行って来てやるよ。
先行して原住民とコンタクトしてくる。」
「お前が?」
エーデルの不信そうな顔を見て、ビンゴはカチンと来たらしい。
「言っとくがなエーデル、テログループじゃあんたの部下だったけど、
ここじゃそういうの通用しないぜ。」
「ちょっと心配だな。」
「何だよ、ドレア。」
「俺も行く。エーデル、お前は病み上がりだ。ここで彼女達と待っていてくれんか?」
エーデルは渋々頷いた。
「ちょっと、置いてきぼりにする気?」
心配そうなジュエルにエーデルは言った。
「その気ならとっくにやってるさ。女子供身は足手まといだからな。大丈夫だ。
殺しても死ぬような奴等じゃない。必ず帰ってくるさ。」
エーデルが残るというので彼女は納得し、視線をリヴに戻した。
その胸のペンダントの石が透明なままなのを、ジュエルは不思議に思って見つめた。
夜が明けた。
が、二人は帰って来ない。
相変わらず人工太陽は照りつけ、そよとも風が吹かない。
ここでは、陽炎さえもなりを潜めているようだった。
テントの中で四人は待ち続けた。
夜明けにトランス状態から抜け出したリヴも、今では目を閉じて静かな寝息をたてている。
「帰って、来ないね。」
コンラッドが呟いた。
陽がだいぶ高くなった頃、二人が帰って来た。
ビンゴはテントに入ってくるなり水を要求した。
ジュエルに渡されたカップを干して言う。
「ダメだダメだダメだ!原住民どころか、オアシスも草も木も、なーんもねぇっ!」
寝転んだビンゴの隣にへたり込んだドレアも、ため息をつく。
物問いたげなエーデルの視線に、首を横に振った。
「収穫、ゼロ。」
「まいったな…。」
エーデルの呟き。
「まいったのはこっちだぜ。」
ビンゴの愚痴。
だが、もうどのみち前に進むしかないのだ。
一行は夜のためにまた眠りについた。
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ヾ:、 ヾ= 三;〉 /'′ ‐=、´ えなりかずきもスレを応援してるよ!
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第八章 コンタクト
太陽の光を感じて、ビンコは目を覚ました。
一番端で寝ていたのでテントから出てしまったのかと起き上がる。
が、体はちゃんとテントの中にあった。
「…?」
(寝ぼけてたかな?)
シートの裾をめくって外を見る。
何も変わった事はない。
「おかしいな。」
首をかしげつつまた横になる。
と、砂の鳴る音が外でした。
この地に来てから風は一度も吹いていないし、動物の類いどころか虫一匹見ていない。
風や生き物の類いではない。
とすると一体…?
テントの外に出て回りを一周し始めた。
一つ目の角を曲がり、二つ目を過ぎ、三つ目の角から顔を出したその時…。
(何だ、あいつは…?)
砂と同じ色の布を頭からすっぽりとかぶり、テントの裾を持ち上げて
中を覗きこんでいる者がいた。
(こいつ、原住民か?)
彼は思いきって声をかける事にした。
「おい、お前…。」
相手はかなり驚いたらしく、飛び上がって振り向いた。
(ゲッ!?)
その顔を見て、ビンゴはうめいた。
「ね…、ネ、…人、間…?」
薄緑色の細い瞳孔が布の奥できらめく。
「…。」
その生き物は、いきなり意味不明なかん高い声を上げたかと思うと、
一目散にその場から逃げ出した。
「あ、おいっ。」
後を追ったが相手の足が早いのと、布が保護色になっていてすぐに見失ってしまった。
幻覚か、現実か。
相手の風貌を思い出し、呆然とするビンゴだった。
夜になったが一行は出発出来ないでいた。
夕方からリヴが熱を出し、動かせなかったからだ。
手当をしたくても水は底をつき、彼女の気付薬でもある
アルコールの瓶も空になっていた。
彼等に遺されたのは数パックの非常用携帯食と、
リヴのポシェットの中の数個のキャンディだけ。
(さて、どうする、ドレア?)
ドレア、エーデル、コンラッド、ビンゴの四人はテントの外で車座になり、
星線だらけの空を見上げていた。
ほんの少しの可能性すら、すくい上げた砂のように指の間をすり抜けて行く。
「ここで、死んじゃうのかなぁ…。」
コンラッドのかすれた声。
「異国にて死す、か。」
ため息をつくドレア。
「茶化すな。」
エーデルが珍しく言い返して来た。
(人に当たらなければいられないほど、追いつめられたか。)
ドレアは黙って肩をすくめた。
もしかしたら、これは全て夢なのかも知れない。
いや、いっそ夢ならどんなにかいいだろう。
だが、癒されない空腹と喉の乾きは現実の物だった。
「夢、かも知れない。」
ビンゴが呟いた。
「何だ。言い残す事があるなら声が出るうちに言っといた方がいいぞ。」
ドレアが促す。
「見たんだ。」
「何を?」
「原住民らしいのを…。」
「何っ!?」
「えぇっ!?」
他の三人が同時に声を上げ、彼に詰め寄った。
「いったい、いつ、どこで?」
ひげ面のドレアに恋人接近されたビンゴは、少し後ずさりながら答える。
「ゆ、夢かも知れないんだぜ?」
「かまわん、言うんだ。」
「今日の昼頃、だったかな。砂と同じ色をしたボロをかぶった奴がテントの中覗いてたんだ。」
「それで?」
ドレアが先を促す。
「おい、て声かけたら、俺の顔見て逃げてった。」
「追わなかったのか?」
エーデルが咎めるように言う。
「そんな気力、あるわけねーだろ。向うは走ってっちまったんだから。」
「で?」
ドレアはいっそうビンゴに近づきしつこく聞いた。
「で、て…?」
「顔、見たんだろう。どんなだった?」
「どんなだった、て…。笑わないか?」
薮睨みの瞳が探るようにドレアをみつめる。
「笑う?笑いはしない。何のためにここまで来たと思ってる。」
「猫人間。」
「あ?」
三人が顔を見合わせたのを見て、それみろとばかりにビンゴがまくしたてる。
「猫人間何だよっ。砂色のボロっ布引っ被ってたから体はどーなってんのかわかんねぇ。
けど、二本足で走って顔が猫みたい、つったら、猫人間としか言いようがねーだろ。」
ビンゴにしても自分の頭がどうかなったのではないかと半分疑っていたので、
本当に見たのかどうか自信はなかった。
「生態系の違いは予想していたが…。」
呆れるエーデル。
「だから、夢かも知れねーってっ…。」
「その猫人間、どっちに行った?」
ドレアに言葉を遮られたビンゴは、黙って一方を指す。
「リヴの勘は当たっていたな。ビンゴ、お前の夢にかけて前進しよう。」
「だって、リヴは?」
コンラッドが心配気に聞く。
「もう、後がないんだ。行ける所まで行こうじゃないか。彼女は俺が背負う。」
我侭の王道を行くステージ女優を相手にして来ただけはあって、ドレアは仕切り屋だった。
「あんたがタフなのは認めるがな。さっきジュエルに自分の分の最後の水渡してたろ。」
ビンゴが言う。
「見てたのか。」
照れたように彼は頭を掻いた。
「だから、あいつは俺が背負う。」
そう申し出たビンゴに他の三人の視線が集まる。
「ほぉ、意外と真面目何だな。」
ドレアに関心され、今度はビンゴが照れた。
「ここまで来たなら死ぬ時ゃ一緒だぜ。一人で生き残ってても仕方ねーからな。
それに、あいつ軽いだろ。」
「変な気起こすなよ。」
ドレアが釘を刺す。
「ば、馬鹿やろうっ、人形相手にどーしろってんだっ。」
「それだけ元気があれば大丈夫だ。ドレア、俺がこいつについてる。」
落ち着きを取り戻したエーデルにドレアは言った。
「ちゃーんと見張ってろよ。」
話の成り行きを見守っていたコンラッドは、出発を伝えにテントへと戻って行った。
この砂原へ来てから11回目の朝が来た。
だが、太陽が上っても歩みを止めようとする者はいなかった。
ビンゴの見た原住民が例え幻だったとしても、彼等は歩き続けたろう。
立ち止まればそこであきらめた事になる。
ここまで来たら一歩でも多くの足跡を記し、誇りをもって息絶えたい、
というプライドが、彼等の足を動かしていた。
この地に風は吹かない。
足跡はずっと残るだろう。
見つける者もなく、ずっと……?
陽もだいぶ高くなった頃、先頭を歩いていたコンラッドが最初にそれを見つけた。
砂が、動いている。
(風もないのに…?)
小さな砂山が彼等の方に向かって移動してくる。
「何か、来る。」
コンラッドの言葉に一行は立ち止まって前方を見た。
砂を鳴らしながら近づいて来たのは、砂色のボロをまとった体調80センチ程の生き物だった。
あいつ、昨日見た奴だ。
リヴを背負って一番後ろを歩いていたビンゴは、振り向いたエーデルとドレアに頷いて見せた。
相手は数メートルまで近づくと、被っていた布の間から薄緑色の瞳を覗かせた。
「…!」
高い声がした。
やすりでガラスをこすったような軋みの混じった音。
どうやら彼等の言葉らしかったが意味がわからない。
一行が何の反応も示さないのを見て、その生き物は少し首をかしげた。
今度は小さな軋み音が聞こえた。
口の中で何かぶつぶつ言っているようだった。
やがて背を向けるとゆっくりと歩き出した。
「…?」
一行が顔を見合わせていると、生き物が振り返った。
「着いて来い、てのか?」
ビンゴの疑問にエーデルが頷く。
「どうやら、そのようだな。」
一行は小さな砂山の後着いていった。
二時間程も歩いただろうか。
前方に砂色の壁が見え始めた。
もしかしたら…。
期待にあおられて歩くペースが早くなる。
が、そこに辿り着くのにもう二時間程もかかった。
近づいてみると壁は思ったより高かった。
七〜八メートルはあるだろうか。
「たっけー壁。」
見上げたビンゴは視線を壁の端へと向けたが、
湾曲していてどこまで続いているのかわからなかった。
ガイド役の砂山が壁に開けられた縦長のいびつな穴を通って中に入って行く。
後に続いた一行の足が止まる。
「あ…。」
ジュエルのため息。
久しく忘れていた、人が生きるために立てる音、気配、匂い。
ざわざわと人が往来を流れて行く風景。
原住民の姿形は人ではなかったけれど、日々の営みの根本は何ら変わる事なく、
むしろその素朴さに安心感さえ感じられた。
(ああ…、やっと…。)
皆、ジュエルと思いは同じであろう。
ビンゴがリヴを背負ったまま座り込んだ。
「助かった。」
一行が壁の入り口で呆けていると、原住民が集まりだした。
色とりどりの細い瞳が物珍し気に遠来の客を見つめる。
頭に耳のたった顔と瞳孔の収縮する瞳。
低い鼻の横にはピンと張った数本のヒゲ。
薄い体毛が体全体を被い、三本指の小さな手は、立派に用を足しているらしい。
ほとんどが腰に布を巻いているだけの姿だった。
両足の間には長い尻尾が揺れている。
風体は二足歩行する猫のようだった。
「おい、さっきの奴はどうした?」
ドレアが我に返って辺りを見回したが、皆同じような顔をしていてわからない。
「私達にどうしろて言うのかしら。」
ジュエルも落ち着かない。
「ここにいたって始まらん。歩き回っているうちに向うで見つけてくれるだろう。」
エーデルの言葉に彼女は心配そうに聞きかえした。
「でも、勝手に動き回って大丈夫かしら。」
見物の人垣がどんどん増えて来る。
「だったらずっとここにいるのか。」
「ぼくにまかせて。」
黙って成り行きを見ていたコンラッドが言った。
座り込んだビンゴの背で、今だに眠り続けるリヴのポシェットから
キャンディを二〜三個取り出し、見物人の人垣を見回した。
一番前に座り込んでいた、子供とおぼしき猫人間の手に
包み紙をはがしたキャンディを握らせる。
相手は驚いて身を引いたが、コンラッドは笑って自分の口に
キャンディを放り込んで見せた。
相手は彼の顔と自分の掌の上の黄色い粒を見比べ、
目を閉じて、恐る恐る口の中に入れた。
猫人間の赤い瞳が大きく見開かれた。
コンラッドは笑ってもう一つキャンディを差し出した。
が、相手は見向きもせず、高い声で何かまくしたてた。
周りの猫人間がざわめく。
「な、何だ?」
リヴを背負ったままヘタリ込んでいたビンゴが顔を上げると、
キャンディをもらった猫人間の子が、人垣をかき分けてどこかに走り去って行くのが見えた。
「口に合わなかったんじゃないか?」
ドレアが言った。
「大丈夫。気に入らなかったら吐き出してるさ。そのうち迎えが来るよ。」
コンラッドが自信たっぷりに答えると、エーデルが釘を刺した。
「ゲームと一緒にしない方がいい。ここは物語の世界じゃないんだ。」
だが結局行くあてもなく、仕方なしにここで待つ事にした。
しばらくすると、さっきキャンディを渡された子供が誰かを連れて戻って来た。
連れて来られたのは上の方の位の人間であるらしい。
集まっていた同族達に何か言うと、人垣が引いた。
「…、…。」
人垣を追い払った者が何か高い声で話かけてきたが、意味がわからない。
猫人間はちょっと考えると、周りに残っていた同族と話し合いを始めた。
そこへさっき一行をここまで案内して来た小さな砂山が、慌てて戻って来た。
たちまち言い合いが始まる。
案内役は彼等がちゃんとついて来てるものと思い、自分の住処で
彼等を待ち続けていたが、いつまでたっても来ないので、
心配になって戻って来たのだった。
「やな気分だな。ああやって俺達の知らない所で身の振り方を決められてるんだ。」
ドレアが不満そうに言うとジュエルが諌めた。
「ぜいたく言える立場じゃないでしょう。」
「そりゃぁそうだがな。」
ドレアは憮然として口をつぐんだ。
やがて話がついたらしい。
一行を案内して来たボロ布を被った子供がコンラッドに近づき、
薄い毛に覆われた三本指の手を差し出した。
「手をつなぐの?」
案内役は彼の手を引いて歩き出した。
他の者も慌てて後に続く。
「待てよ。」
ビンゴも残っていた気力を振り絞り、立ち上がって歩き出した。
その背に負われたリヴの胸のペンダントが、淡い紫の光を静かに放っていた。
一行が案内されたのは大通りの裏にある路地に面した堀っ立て小屋だった。
植物の茎を乾燥させた材料で作られた小屋は、涼しげで居心地がよさそうに思えた。
小屋の扉である何かの獣の毛皮を上げて中に入る。
明るい外から来たので仄暗い小屋の中で視力が働かず、
一行はしばしその場に立ち尽くした。
『お待ちしておりました。』
奥から涼やかな声がした。
(待っていた?)
エーデルは眉を潜める。
「いるんじゃないか、言葉の通じるのが。」
ドレアはずかずか奥へ入っていった。
「待ってドレア、言葉が通じる何て、変じゃない?」
ジュエルが訝しんで止める。
「メッセージを送って来た相手だろう?」
涼やかな声の主の失笑が、聞こえたような気がした。
「え、そうなの、リヴ?あ、もういいわビンゴ、ありがとう。」
一番後ろでリヴを背負ったまま戸口に突っ立っていた彼は、
ようやく彼女を降ろす事が出来てほっとした。
いくら体力に自信があるとはいえ、正直言って参りかけていたのだ。
降ろした彼女をジュエルに預けると、軽く体を動かして筋肉の緊張をほぐした。
目が暗さに慣れるとエーデルは周りを見回した。
彼等のいる所は玄関口らしく獣の皮をかけた衝立てが奥の部屋を隠していた。
衝立ての前には50センチ程の高さの素焼きの水瓶が置いてある。
コンラッドは中を覗き込み、手で少しすくうと匂いをかいだ後嘗めてみた。
「この水飲めるよ、甘くて美味しい。」
「滅多なもん口にすっと腹壊すぜ。」
ストレッチを終えたビンゴが言う。
「おい、来てみろ。」
先に奥の部屋に入っていたドレアに呼ばれ、彼等は衝立ての奥に進んだ。
天井の中央に切られた天窓から入る陽光で、中は比較的明るかった。
その天窓の下で陽の光を浴びながら、ドレアは誰かと向かい合っている。
光の届かない部屋の隅で床に座っていたのは、
原住民とは違う種族の人間のようだった。
黒い布で全身を被い、目の辺りだけが見えていたが、
まるで瞑想でもしているかのように、目を閉じたまま座している。
「誰だい、あんた。」
ビンゴが言うと相手はまた笑ったようだった。
『ここの人達は私を魔女と呼びます。』
全身を黒い薄衣で隠し、顔の下半分も薄布で被い、
陽の光を避けて瞑想する姿は、確かに魔女じみてはいた。
『座って下さい。』
彼女に促され、毛皮を敷いた床に車座になる。
その真ん中に、未だ眠り続けているリヴを寝かせた。
「あんただろ、この子と交信してたのは。」
ドレアが言うと、彼女は目を閉じたまま細い眉を潜めた。
『交信…という程のものではありませんが…。彼女、あまり反応を返してはくれませんでした。』
「そんな事よりよ、水、ねーのか、水。」
ビンゴが喉の乾きに耐えかねて、催促する。
『マデラ、水を。』
彼女は一行の背後で様子を見守っていた案内人に言う。
『彼はマデラといいます。』
マデラはさっきコンラッドが手を入れた水瓶から、三つの器に水を入れて持って来ると、
困ったように魔女を見た。
この小屋には水を入れられる器は三つしかないらしい。
「あの水、飲めるのね。」
ジュエルが気をきかせ、自分達の荷物からカップを出して水を配る。
「ふぅ…、生きててよかった、てやつだぜ。」
久しぶりに水を一気飲みしたビンゴが感嘆の声をもらした。
「さっそくで悪いが魔女、さん?」
エーデルが話始めた。
『ティンクと呼んで下さい。』
「じゃあティンク。俺達には大勢の仲間がいる。」
『知っています。』
「何でもお見通し、てわけか。なら話は早い。彼等を向かえに行きたいんだが、
こっちは水も食料も使い果たして困っている。手配してもらえないだろうか?」
『それは出来ますが…。』
ティンクは言葉をとぎらせる。
「だったら今日の夜までに十日分の水と食料を二人分用意してもらいたい。」
「二人分て誰が行くの?」
ジュエルがエーデルに聞く。
「俺とドレアで行く。」
「ここでのんびりしてろよ、半病人。俺が行って来てやるからよ。」
ビンゴは砂原で熱を出して以来、まだ本調子ではないエーデルに気付いていた。
「ダメだ。」
エーデルが首を横に振る。
これは自分が果たさなければならない使命だ、という思いが彼にはあった。
「何でだよ。」
「三人で行けばいいじゃない。」
ジュエルが割って入った。
「いや、二人の方がいい。エーデル、お前残れ。」
ドレアが意味ありげに頷くのを見て、エーデルは黙って引き下がった。
「本当に二人で大丈夫?」
心配するジュエルにドレアは言った。
「ビンゴは殺したって死ぬような奴じゃないし、俺も結構しぶといからな。」
「性格ブスの長生きだね。」
コンラッドが茶化す。
「こいつ、生意気言うんじゃねぇ。誰が性格ブスだ。俺はドレアとは違うぜ。」
コンラッドはビンゴに小突かれて引っくり返った。
原住民にコンタクトをとり、救援を要請するというとりあえずの目標が
達成されたのと、もうあの何もない砂原をさまよわなくてもすむ
という安心感が彼等の言動を軽くした。
(まだだ。)
(まだ終わっちゃいない。)
シャトルに残された乗員乗客が、全てこの地に辿り着くまでは。
そしてそれまでに月に帰る方法を見つけなければならないのだ。
全員を無傷で月に返すまでは、責任を果たしたとは言えない。
エーデルは事故を起こしてしまった自責の念と、自分の技量とプライドにかけて、
どんな事をしてでも全員を月に連れて帰るつもりでいた。
(月に帰ったら彼女に会いに行こう。)
ミストラルの優しい眼差しがふと思い出される。
ドレアの派手な笑い声が、彼を追憶から引き戻した。
冗談を言い会う仲間を恨めしげに眺める。
「あのねドレア、皆疲れてるの。わけのわからない事、言わないでくれる?」
ビンゴとコンラッド相手にジョークの応酬を続けるドレアに、
ジュエルは額に手を当てて文句をつける。
「付き合い悪いぜ、ジュエル。たまにゃ抜かねーと頭ん中腐っちまうぞ。」
ビンゴの品のない言葉。
「もうっ。ねぇティンク、リヴの様子はどう?」
彼女は不真面目な連中を無視し、魔女の方に向き直った。
『コンタクト、出来ません。というか、彼女がさせてくれないのです。』
「そう…。」
と、戸口の方で人の気配がした。
マデラが衝立ての向うで誰かと言い合いをしている。
(ただいま。)
(お帰り母さん。ね、お客さんが来てるんだ。)
(そうかい、スーナムのじーさんかい?)
(違うよ。尻尾のない奴、)
(尻尾がない、てお前、まさか…。)
(大丈夫だよ、ティンクと一緒さ。)
(まーたお前は、砂原で変な物拾って来たね。魔女の次は何だい?)
帰宅した小屋の当主は、衝立ての陰から顔を覗かせ、人数の多さに目を丸くした。
『フール、申し訳ありませんが、彼等に小屋を提供してもらえませんか?』
ティンクの言葉に当主のフールは耳をパタパタと動かして何か言った。
興奮しているらしい。
『えぇ…。ですから…。わかっています。大丈夫。…そう。』
しばらくフールとティンクの会話が続く。
フールの方は彼等の言葉でしゃべっているので何だか変な会話だった。
どうやらティンクはテレパシーでダイレクトに相手の脳と会話するらしい。
やがて話がついたらしくフールはどこかに出て行った。
『皆さん、会合用の大テントを貸してもらえるようです。マデラに案内してもらって下さい。』
マデラは着いて来いと言うように尻尾を揺らし、先にたって小屋を出て行く。
(しょーがねーな、またかよ。)
移動のため、ビンゴはまたリヴを背負った。
この集落の作りは円形で、砂原との隔壁と小さな店が軒を連ねる
バザーの間が大通りとなっていた。
そしてバザーと背中合わせに真ん中に細い路地を挟み、居住区の小屋が並んでいる。
さらに小屋の裏側には畑地と家畜小屋が、集落の中心の泉の周りに点在していた。
会合用の大テントは、泉のほとりに立てられていた。
泉の直径はおよそ三十メートル。
岸には丈の高い植物が生え、畑は青く色付いている。
向う岸で何やら洗い物をしている集団を見て、ジュエルはため息をついた。
「信じられないわ。砂原を旅していたのが嘘のよう。」
「同感だな。今にして思えば、あの砂原での日々の方が夢だったような気がする。」
ドレアの言葉にビンゴが文句をつける。
「夢だって?ラスが聞いたら怒るぜ。」
ランシス・クラッピング。
あの責任感の強い青年は、もういないのだ。
「あいつにも、見せてやりたかったな。」
エーデルの言葉に皆黙って頷いた。
「…!」
マデラに呼ばれテント内へと入る。
中は見かけよりも広く、十五〜六メートル四方はありそうだった。
テントに敷かれた毛皮に腰を下ろして寛いでいると、
フールが食事の用意をして持って来てくれた。
草の実を粉に挽いて家畜の乳で練り、火で炙っただけの物と、
甘みのある根菜を煮込んでハーブ風味に味付けしたスープ、ほんのり甘い草の実のデザート。
味はともあれ、携帯食に飽きた彼等には久々のまともな食事だった。
出された物を全てたいらげた彼等に、フールは呆れ、耳をパタつかせる。
お腹のふくれた彼等の次の欲求は睡眠だった。
とりあえず、生命の危機から脱出した安心感も手伝って、皆すぐに眠りに落ちた。
生きる事に意味はいらない。
ましてや人の意地など、生命活動にとってはどうでもいい事なのだ。
(食足りての至福、か。)
エーデルは、物事の本質がほんの少しわかったような気がした。
_ ,,, . .,,, _
,.、;',,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,.`丶.
/,;;;;;;;;;;;;;:、- ‐ ' ''= 、;;,.ヽ
. ,',;;;;;;;;;;;i'" ヽ;,.'、
{,;;;;;;;;;;;;{ _,,;;;;,、 ,,;,、;,.',
_l,;;;;;;;;;厂 〃 .__、` ,r' ゙゙`'};;,.j
. { トヽ;;;;;! '´ ̄ ` { '=ッ{;< ! . , , .
. ヽ.ゞさ;;} ,.r'_ ,..)、 !;,.! ヽ、_,人_,ノ、_,从,人.ィj、ノv1
ヽニY ,.r' _`;^´! ,';/ )
ヾ:、 ヾ= 三;〉 /'′ ‐=、´ えなりかずきもスレを応援してるよ!
ノ,;:::\ ` ー" , ' )
,.、-',;;;{ ヾ:ヽ、 __ ,∠、 , '⌒r‐v'ヽィ'⌒Yソ、ト、!yヘ!
',,;;;{ {;;;;;;ヽ }::〈;;;;;;;;l iヽ、 ´ i ' ´ `
,;;;;;ヽ、ヽ;;;;\ ,r'::::ノ;;;;;;j j;;;;,.`ヽ、
ランシスの事思い出したら悲しくなってきた(´;ω;`)
第九章 竜と魔女
砂漠を旅してきた一行は、満腹感と目的を果たした安心感で、
久しぶりに心地好い眠りについていた。
と、天窓から射し込む仄かな太陽光に照らされたテント内に、誰かが忍び込んで来た。
侵入者に体を揺すられて起こされるコンラッド。
「…。何?」
自分の横に座り込んだ相手を、彼は寝たまま少し不機嫌に見上げる。
「**。」
高い声。
ここまで案内してくれたマデラが、薄緑色の瞳孔を細めて見下ろしている。
「僕、眠いんだけど。」
そう言って寝返りを打ちかけた彼の腕を、マデラは引いた。
「…。もぉ、何の用だよ。」
眠るのをあきらめて体を起こす。
「※、〓。」
コンラッドは手を引かれて、テントから連れ出された。
太陽はまだ中天にあり、相変わらず強い日射しが降りそそいでいた。
(いいのかなぁ、勝手に動き回っちゃって…。)
言葉の通じない場所で単独行動をとるのは不安だったが、
マデラが手を放してくれないので仕方なくついていく。
彼等は畑の回りを歩いていった。
畑地には所々丈の高い数種類の植物が群生しており、コンラッドに地球を思い出せた。
そう、母なる星で自然管理官として研究生活を続ける父親に連れられて行った、
地球の草原を。
(すごいや、砂地に草が生えるなんて…?)
彼は地面を見下ろして驚いた。
今まで気づかなかったが、畑地回りは黒っぽい土に変わっていた。
(何でここには土があるんだろう。)
まるでとってつけたような土の存在に、コンラッドはとまどった。
マデラに聞こうにも、言葉は通じないのだ。
畑の中の薄碧い植物をかき分けて、二人はテントの泉のほとりへと出た。
対岸を見ると、さっきまで寝ていた大テントがあった。
マデラは草むらから黄色い葉を一枚むしると水に浮かべ、
泉の中心へ向けて押し出した。
まるで、何かに引かれるように水面を滑っていく葉を見送って、
彼はコンラッドを振り向き、歯を見せながらヒゲを震わせた。
どうやらそれが彼等の笑い方らしかった。
水に浮かんだ葉は、泉の中心まで来るとフッとその姿を消した。
「あっ…。」
コンラッドは思わず声を上げた。
泉の中心に水柱が立つ。
その中から姿を現したのは…。
(キョッ…?)
息が詰まって声が出ない。
泉から現れたモノが、ゆっくりと二人に近づいてきた。
後退さるコンラッド。
マデラはヒゲを震わせ、泉からの使者に手を振った。
「お、お前、キョウリュウ飼ってんのか!?」
マデラはコンラッドを振り向いて、またヒゲを震わせた。
(俺はペットじゃないぜ。)
どこからか声がした。
(よう、マデラ。今日は変わったの連れてるな。)
コンラッドは辺りを見回した。
が、少し離れた所で数人の猫人間が洗い物をしているだけで、他には誰もいない。
マデラは泉から現れたキョウリュウに、何やら話しかけていた。
相手は体長二十メートル程の、恐竜によく似た生き物だった。
(でもキョウリュウは、あんなヒョウキンな顔、してなかったなぁ…。)
ディスクゲームのパッケージに描かれた恐竜の絵を思い出す。
確か気の荒いティラノサウルスが描かれていたはずだ。
だが目の前の生き物は、水中を悽み家とする首長竜の体に、
キリンのような頭をのせた、変な生き物だった。
(俺がそんなに珍しいか、坊主。)
また声がする。
どうやら目の前の変な生き物が話しているらしい。
虹彩のない金色の丸い瞳が、彼を見下ろしている。
「む。僕にはコンラッドって名前がちゃんとある。」
(ははは。コンラッドか。)
恐竜は笑い声をあげたようだが、コンラッドには何がおかしいのかわからない。
憮然として相手を見上げた。
(何だこいつ、キョウリュウのくせに人を笑うなんて。)
ゲームの世界では、恐竜はいつも悪の親玉だったので、何だか腹もたった。
(でも、口が動かないから、きっとこいつもテレパシーでしゃべってるんだ。)
と、何かが耳元を掠めていく音がした。
『アンタタチッ、ナニヤッテンノヨ!ぜおヲヨビダシテッ。』
恐竜の顔の横に静止した生き物を見て、コンラッドはまた目を丸くした。
『タク、ヒルネモデキヤシナイ。』
「あれは?」
思わずマデラに聞いたが、恐竜が答えた。
(こいつはアーリア。俺のカミさんだ、俺はゼオ、いてっ。)
アーリアに蹴飛ばされ、顔から火の粉を散らす恐竜。
『かみサンジャナイデショ、コイビトヨ。』
(似たようなもんだ。)
『チガウッテイッテルノッ。までら、ナンノヨウ?』
マデラは尻尾でコンラッドを示す。
『ナニ、コノコ。みーあゾクジャナイノ?シッポ、オトシテキタノカシラ。』
(アーリア、この子は別の次元から来たらしい。)
『フーン…。』
「ねぇ、アーリアって妖精なの?」
コンラッドの疑問に彼女はまた憤慨したらしい。
『ヨウセイ?ソンナノトイッショニシナイデヨ、アタシハ、コウトウナ、
えねるぎーセイメイタイヨ。』
だがアーリアは、どう見ても妖精にしか見えない。
体長は十センチ程で、全身から淡い燐光を放ち、長い髪は絶えず色を変え、
七色に輝いている。
顔には大きな黒い目が二つあるだけで、他の器官はない。
その瞳は深く暗い穴を思わせ、顔の三分の二を占めている。
中空に浮いてはいたが羽はなく、代わりに透明な被膜が彼女を覆っていた。
(シャボン玉の中のマスコットみたいだ。)
コンラッドは笑った。
(妖精に頭の上がらない竜なんて…。)
ゼオに対する印象が変わる。
(お前、一人で来たのか。)
コンラッドはゼオの問いに首を振った。
(そうか。どうりで、変な波動を感じる。)
ゼオはテントを振り返り、しばしの間黙りこんだ。
『ぜお。』
やがてアーリアに急かされて、彼はコンラッドに向き直った。
(じゃ、コンラッド、そのうちまたな。)
妖精と供に泉に身を沈めるゼオ。
マデラにつられ、コンラッドも手を振った。
水面から最後の波紋が消えると、マデラはまた得意気にヒゲを震わせた。
ゲームの世界と一緒にするなとエーデルに言われていたが、
恐竜の出現はコンラッドの冒険心を大いにくすぐった。
(きっと、あの竜はいい奴なんだ。ここの守り神かもしれないな。
彼の地より来たる勇者に、力を貸す守り神の竜。)
いよいよゲームづいてきた状況に、彼はわくわくしながらマデラと別れた。
テントに戻った彼は、抜け出した事を誰かに気づかれてはいないかと、そっと中を覗き込んだ。
子供らしい秘密主義で、竜の事はいざという時まで隠しておきたかったからだ。
「コンラッドか。入ってこいよ。」
戸口の壁に寄りかかっていたビンゴが彼に気づいて声をかけてきた。
銃を向けられて以来ずっと敬遠してきたコンラッドは、おずおずと中に入る。
「水と食い物の心配はねぇが、ここで生きてくとなりゃそれなりに覚悟が必要だな。
我儘は言えなくなるぞ。」
物思いにふけっているのか、一人言のように呟くビンゴにコンラッドはムッとして言い返した。
「ぼく、我儘なんて言わなかったよ。誰かさんと違ってさ。」
殴られると思って首を縮めたが、反応のなさに、あれ?となる。
「そうだよな。ここは、月じゃないんだ。」
ため息とともに呟くビンゴ。
「僕、寝るよ。」
外に出た事を問い詰められずに済んだ事に安心し、奥に入って身を横たえる。
(元へは、帰れないのか…。)
物思いに沈むうち、ビンゴもまた眠りに落ちた。
夕刻。
二頭の家畜を連れ、マデラが大テントに向かえに来た。
家畜はグリタと呼ばれる遠乗り用のものだった。
五日程なら水だけで生きられると言う。
大きな角があるが性格は大人しい。
エサは畑地の雑草。乳は濃厚で独特のクセがある。
オスの角は伸び過ぎると額に刺さってしまうので、人為的に切る。
切った物は日用品に加工される。
年をとって弱ったグリタは食用となる。
肉は全て薫製にされ地下倉庫に保存される。
収穫祭の時か大事な客のもてなしの時にしか出ない。
エナルは生物の成長が極端に遅い。
だから滅多に屠殺は行われない。
収穫祭の時にグリタの薫製を食べるのは、ミーア族が精力をつけて繁殖行為を行う為である。
ゆえに祭はとても貴重な行事だった。
また、グリタの皮はナメシて住居の扉や敷物に使う。
短い体毛は紡がれ、糸となり、手で織られ、腰巻きやフード付きポンチョなどの衣料となる。
骨もまた加工されて日用品となる。
旅の準備はすべて整えられ、荷物もグリタに積まれている。
これから、ビンゴとドレアがシャトルの居残り組を向かえに行くのだ。
マデラは乗ってきた家畜からひょいと飛び降りると、手綱をビンゴに渡した。
「おいドレア、急げよ。」
ビンゴにせかされ、ドレアがテントの中から何か怒鳴り返す。
「何やってやがんだ?」
しばらくして出てきたドレアの顔を見て、ビンゴは笑い出した。
「ぎゃははは!似合わねー!」
その笑い声に、ようやく目を覚ましたらしいエーデルとジュエルが、
何事かとテントから出て来る。
「何を騒いでるんだ?」
「まぁ、…?」
立派だったドレアの髭が消えていた。
「そんなにおかしいか?」
ビンゴに爆笑され、彼は憮然とする。
「おかしくはないわ。そうね、前よりも若返ったみたい。」
ジュエルに言われ、機嫌が直る。
「またあの砂漠を旅するんだ。こうしといた方が都合がいいと思ってな。」
確かにあの髭面では、暑い砂漠を行くのは大変だろう。
「ここに着くまでは気にしてる余裕もなかったが、こう暑くては、やはり邪魔だからな。」
「でもやっぱ、ヘンだぜ。」
ようやく笑い止めたビンゴが言った。
「まだ見慣れてないせいだろう。これでも業界じゃいい男で通ってたんだからな。」
「けっ。自分で言うかよ、普通。よっと。」
軽く足を振り上げて家畜に乗ったビンゴが言う。
マデラが身振り手振りでグリタの操り方を教えた。
「じゃあな。」
どうにかもう一頭の家畜に這い上ったドレアが、片手をあげて別れのあいさつをする。
「本当に、二人だけで大丈夫なの?」
ジュエルが心配気に見上げる。
「歩いてくよりはマシだぜ。」
手綱裁きのあやしいビンゴが答えた。
二人はテントの前でエーデルとジュエルに見送られ、
門の所まで送るというマデラと共に出発した。
「行っちゃった。」
彼等を見送った後、テントに戻りかけたジュエルをエーデルが呼び止めた。
「魔女の所、行ってみないか。」
彼女は何故というように振り返る。
「この世界の事、聞きたくはないか。」
「それは、知りたい事はたくさんあるけど。リヴが目を覚ますわ。」
心配気にテントを振り返る。
「平気だろう。コンラッドも一緒だし。」
「そうね。コンラッドがいるのなら…。」
二人は最初に案内されたフールの小屋に向かった。
小屋の入口では、フールが夕食の支度をしていた。
家畜の糞を燃料に、地面に穴を掘って作ったカマドで何か焼いていたが、
二人の姿を見るとヒゲを震わせ、小屋に招き入れた。
相変わらず光の当たらない部屋の隅で、瞑想を続けているティンクに、
エーデルは、何から話そうかと迷った。
『お仲間は、出発したようですね。』
迷いを察したのか、彼女は目を閉じたまま、
部屋の入り口に立ったままの二人に声をかけてきた。
「ああ。」
『大丈夫。あの二人はちゃんと帰ってきます。』
「わかるのか?」
少しの間があった。
『…。そうだ、と言ったら?』
「何故そんな事がわかる。」
『それを解っていただくには、長い時が必要です。』
「まわりくどいのはごめんだな。あんたには予知能力があるのか。」
『いいえ。』
「なら、何故…。」
『簡単に言えば、認識力の違いでしょう。あなた方と私では、
その存在のしかた自体違っていますから。』
「だったら、俺達にもわかるよう説明してもらいたいものだな。」
いらつく彼を片手を軽く上げてジュエルが制した。
「難しい事はわからないけれど、確かにあなたは私達とは違う。
質問を変えるわ。あなたはここの原住民ではないのでしょう?いったいどこから来たの。」
『黒の惑星から 。』
ジュエルは首をかしげた。
「黒の、惑星?」
天窓から、星明かりが差し込んできた。
ティンクの回りが真闇に閉ざされる。
彼女は立ち上がり、体を隠していた黒い布を肩から滑り落とす。
やがて、彼女の体内に青白い燐光が灯った。
闇の中、ガラスの彫像を思わせる肢体が浮かび上がる。
「…!」
エーデルは息をのんだようだった。
『あなた方の目に、私はどのように映っていますか。』
閉じていた目が開かれた。
虹彩のない、透き通った瞳が二人を見つめる。
「どのように…て。」
ジュエルは言葉に詰まった。
「奇麗だ、としか言い様がないな。」
その妖しい美しさに目を奪われたままのエーデルが答える。
「しんかいぎょ。」
背後で声がした。
「リヴ!?」
いつの間に来たのか、彼女は二人の後ろに腰を下ろしていた。
「しんかいぎょ。」
また同じ言葉をくり返した。
ジュエルは隣にすり寄ってきた彼女の額に手を当てて聞く。
「体は、もういいの?」
肯定のサインが示される。
『彼女は、変わっていますね。あなた方の中にも、いろいろいるという事ですか。』
再び黒い布で体を隠したティンクが、リヴをリサーチして聞く。
「ま、まぁね。それで、黒の惑星っていうのは?」
ティンクの言葉に訝しむエーデルの視線を避け、ジュエルは話を促した。
『黒の惑星は、闇に閉ざされた次元にあります。』
ガラス細工のような顔を天井に向け、ティンクは語り始めた。
『それは、胎動する空洞惑星。光も、熱も、音もない、静寂の星。
私達は、精神波の交信によって、お互いに力を与え合うのです。』
「なるほどな。それで体中の色素が抜けているのか。」
『いいえ。私達は実体を持ちません。』
一瞬意味を理解しかねたエーデルとジュエルは、顔を見合わせた。
「じゃぁ、その体は何だ。」
『この地に与えられたもののようです。ここは、実体のないものの存在を許さないのです。』
その時リヴがジュエルに囁いた。
「ごはん。」
フールが簡単な食事を運んで来た。
「お前、この連中の言葉がわかるのか?」
驚くエーデルに、リヴは肯定のサインを示した。
『テレパシーです。彼女、かなり強い感応力を持っていますね。』
「もしかしたら、あなたもテレパシーで会話を?」
そう、猫人間との会話もできない彼女達が、他次元から来たティンクと、
何の媒体もなくコミュニケーションが取れるはずがない。
『そうです、私には声を発する器官はありません。』
先程全身を見せた時には気づかなかったが、顔の器官は透明な瞳だけのようだった。
もっともその瞳にしても、役に立っているのかは疑問だったが…。
「で、その黒の惑星の住人が、何でこんな所にいるんだ?」
食事を始めながらエーデルが聞く。
メニューは昼間のものとあまり変わらなかった。
『この地が私を呼んだから。』
また顔を見合わせるジュエルとエーデル。
『ある時、私はイメージメッセージを受取りました。
今まで感じた事のない、砂の原のビジョンでした。
心を魅かれ、数回交信するうちに、気がつくとこの地に降りていたのです。
マデラに拾われなかったら、私は消滅していたかもしれませんね。』
客の邪魔にならぬよう、戸口の近くでひっそりと食事をしている
フールとマデラを見つめながら、彼女は自分を嘲笑した。
「わけがわからないわ。」
彼女の説明を理解できないジュエルに、エーデルは言った。
「似てるな。リヴの時と。」
「え?」
「こいつも見たんだろう、砂の原を。」
「あっ…。」
シャトルが事故を起こす前の晩、リヴがトランスに入った事を思い出す。
「彼女を呼んだのは、あんたか?」
『いいえ。』
「じゃぁ、誰が…。」
『エナルが呼んだのです。』
「エナル?」
『イニナウロ、ヴァムジ、エナル。ここはエナル、時が意味を成さぬ所。』
エーデルが息を飲んだ。
「…。あんただったのか。」
砂の原を旅していた時、熱に浮かされた夢の中で聞いた声を思い出す。
頷くティンク。
『この砂原は、ミーア族にエナルと呼ばれています。』
「ミーア族って、この連中のことか。」
彼はマデラ達を振り向いた。
『そうです。』
「いったいここは、どういう所なんだ?」
『さぁ…。私がここに降りたのは、数日前です。
誰かが応えてくれるかもしれないと思って、交信波を送り続けていたのですが、
返ってきたのは一度きり…。』
「相手はリヴね。」
『いいえ。彼女は受信専門です。』
「じゃ、誰が。」
『わかりません。』
エーデルはまたイラついてきた。
「俺の知りたいのは、この次元の狭間の浮遊大陸に、
なぜ人工太陽や生命体がいるのか、て事なんだ。
ミーア族っていったな、ここの連中にあの太陽を作り出すほどの
テクノロジーがあるとは思えない。となると、他にも別の種族がいるんじゃないのか。」
探るように彼はティンクを見た。
『私にわかっているは、この浮遊大陸上では砂原以外、全部人工物だということです。』
「どういうこと?」
「いるんだな、ミーア族を管理してるのが。一度交信を返してきたんだろう?」
ティンクにせまるエーデル。
『ええ、でも…。』
「違うのか。」
『交信を返してきたといっても、膨大なエネルギーの地場を、
私が感知しただけのこと。知性はありますが、
その相手がテクノロジーを使うとは、思えませんが…。』
「どこにいるんだ、そいつは。」
『村の中心にある、泉の中。』
「泉の中?そいつは半魚人か?」
彼は一瞬からかわれたのかと思ったが、相手は冗談を言ったようには見えなかった。
『さぁ…。』
「まさか。」
あきれるジュエルに彼は言った。
「ここは月じゃない。何があってもおかしくないんだ。現に、
猫人間が目の前にいるじゃないか。」
「それはそうだけど…。何か、ゲームの世界にでも迷い込んだ気分だわ。」
ジュエルの隣で食事を終えたリヴがあくびをした。
「もう一度聞く。ミーア族を管理してるのは、どんな奴らだ?」
『…。』
ティンクはうつむいて応えない。
「もしかしたら、下手な作り話でごまかして…。」
エーデルの言葉を遮るように顔を上た彼女は言った。
『明日また、来てくれますか?フール達は朝が早いのです。』
(はぐらかされた…?)
「エーデル、帰りましょう。リヴがうたた寝始めちゃったわ。」
なおも言い募る彼を、ジュエルが止めた。
彼女の膝枕でリヴが寝息を立てている。
「まだ何も聞き出しちゃいない!」
「エーデル。」
苛立つ彼をいさめるように彼女は静かに首を振り、背後を示した。
小屋の主であるフールとマデラが、部屋の隅で丸くなって寝ている。
彼等の眠りを妨げる権利は、誰にもない。
「ドレア達が帰ってくるのは、まだ先だわ。それまでに聞き出せばいいじゃない。」
仕方なく彼はあきらめた。
「いいだろう。明日の晩、また来る。」
彼はリヴを抱き上げると、ジュエルとともに小屋を出て行った。
外に出ると、夜空のキャンパスは今夜も星の軌跡で埋まっていた。
(何があろうと、全員を月に返す。)
星をにらみながら、エーデルはこれからやるべき事をを考える。
彼は、どんな事をしてでも魔女からすべての事実を聞き出すつもりだった。
小屋の中で小さなため息が聞こえた。
ティンクは、何かを考えあぐねているようだった。
1000行かずに容量落ちの危険があります
AAは張らないように願います
投下乙もちゅ
第十章 覚醒
コンラッドが目を覚ますと、すでに日は落ち、天窓の閉まった大テントの中は真っ暗だった。
目を開けていても何も見えない。
ちょっと不安になり、手探りしながら出口まで出ていった。
星明かりの下、誰もいない道を見回す。
村は寝静まっているようだった。
しん、として、何も動かない。
テントの中にも人の気配はなかった。
(皆、どこに行ったんだろう?)
何もかもが現実離れしていた。
それとも、今までの事は全部夢で、こうして誰もいない夜道を眺めているのも、
夢の中の事なのだろうか…?
薄闇の中、今まで育ってきた環境とはかけ離れた所で何となく一人星空を
見上げていると、何だか、泣き出したいやら笑いだしたいやらで、彼は変な気持ちになった。
(母さん、もう会えないのかなぁ…。)
砂漠を旅していた時の緊張感がなくなった今、子供である彼にとって
環境の激変はかなりなショックだった。
どんなに現実を否定してみたところで、人は自分の中の現実を引きずらざるを得ない。
社会生活という名の現実は人を縛るが、安定した時空間に
自分をつなぎ止めているとも言えるのだ。
コンラッドは現実から逃げるような子供ではなかったが、
知らない土地にいるという不安感が、彼をしてナーバスにしていた。
涙が出た。
手の甲で拭う。
『男は泣いちゃいけないんだ。泣いたら罰金だぞ。』
(父さん…?)
父親の声が聞こえたような気がして、彼は我に返った。
(そうだ、泉に行ってみよう。)
ふいに、昼間出会った奇妙な生き物達のことを思い出し、泉に向かって走り出した。
泉に映る夜空を揺らして、小さな波紋が水面に広がった。
コンラッドは泉の岸に出るため、丈の高い草むらをかき分けていく。
と、草の中から手が伸びて、彼を捕まえた。
「わっ!?」
「しっ。騒ぐな。」
引き寄せられた彼は相手の顔を見てほっとした。
「何だ、エーデルか。」
「黙れ。」
エーデルは泉の方をうかがっている。
「何を見てるの?」
「怪しい奴がこないか、見張ってる。」
「え?」
その時近くで水音がして、誰かが泉から出てきた。
ジュエルだった。
水浴びをしていたらしく、オールヌードだった。
その姿は星明かりに照らされて、コンラッドの目にもとてもきれいなものに見えた。
「なーんだ。」
(覗きじゃないか。)
振り向いた彼の冷たい視線に、エーデルはことさら平然と言い訳する。
「言ったろ、見張ってるって。」
「そういう言い方も、あるわけだ。」
コンラッドはあくまでも冷たい。
「こいつ。」
エーデルはコンラッドの頭を小突いた。
そう言えば、シャトルを出て以来シャワーどころか着ている服さえ着替えていない。
きれいとか汚いとかを通り越し、衛生上よくないと考えていたジュエルは、
泉を見つけてからずっと水浴びの機会を狙っていたらしかった。
それにしても、彼女一人というのはどういう訳だろう。
いつも一緒にいるはずのリヴの姿が見えない。
派手な水音を立てて彼女がまた泉に飛び込んだ。
「告げ口するなよ。それでなくても機嫌が悪いんだ。」
彼女の姿に視線を奪われたまま、エーデルはコンラッドに言い聞かせる。
「どうして?」
「今日の昼間、病気を治すとか言って魔女がリヴを連れ出したんだ。心配なんだろう。」
『ティンクがびょうきなおしてくれる、ていってる』
そう言ってティンクの元に行ったまま帰らないリヴ。
夕方、心配したジュエルがフールの小屋に行ったが、
二人の姿はなく、フールやマデラにも行き先がわからないようだった。
「今日の…、昼間?」
コンラッドが首をかしげる。
「ああ、そうだ。お前は四十時間眠りっぱなしだったんだ。」
(何だ、だから誰もいなかったんだ。ビンゴとドレアを見送れなかったのは、残念だったな。)
そしてジュエルだけでなく、夕べの約束を破られたエーデルも、またいらだっていた。
明日の晩にまた来いと言っておきながら、夜半を過ぎた今も、
ティンクは行方をくらませたままなのだ。
リヴをダシに逃げたのだ、としか思えなかった。
(魔女め、何を隠してる。)
「あっ。」
その時コンラッドが小さく声を上げ、草むらから飛び出して行った。
(あの馬鹿っ。)
エーデルは慌てて後を追う。
「おーい、ジュエルー、ストープッ。帰ってきてよー。おーい。」
泉の中心近くまで来ていた彼女は、コンラッドの大声に振り向いた。
(やだ、あの子ったら。)
岸で大声をあげるコンラッドを見て、彼女はあきれ、無視して泳ぎ続ける。
コンラッドは慌てた。
「ジュエルってば、ストーップ!キョウリュウが出るんだよーっ。」
「なに馬鹿なこと言ってるんだ。」
せっかくのビーナス観賞会を邪魔されたエーデルは、
コンラッドの襟首を後ろからつかんで引きずっていこうとした。
だが、
「ああっ!?」
コンラッドの上げた声に、思わずまた泉を振り返る。
そこにジュエルの姿はなかった。
「まさか…。」
溺れたのかと言いかけて、彼は息をのんだ。
泉の中心に大きな水柱が立ち、その中から現れたのは、彼の知らない生き物だった。
(まさ…か…?)
体長およそ二十メートル。
首長竜によく似た体、牙のない大きく裂けた口、
鼻腔の横に生えた白いヒゲは細く、長短二本づつ。
長い方のヒゲは蛇のようにのたくっており、どうやら触覚の役割を果たしているらしい。
目は虹彩のない金色。
小さな額の上の方には、角の名残りのような突起が二つ。
そして、その突起の間にジュエルが座り込んでいた。
もちろん、オールヌードで、だ。
パニックを起こしているのだろう、やたらにキャーキャーを連発している。
白く長いヒゲが探るように這い上ってくると、悲鳴はいっそう大きくなった。
「ゼオ、僕の友達なんだ。降ろしてあげてよ。」
コンラッドが呼びかける。
(へぇ、変わってるなぁ。この友達は、いつも頭を混乱させてるのかい?)
「ちがうよ、ゼオのことが怖いんだよ。」
(俺は何もしないぜ?)
「でも、ジュエルはゼオの事知らないし、第一、裸でそんなとこにいたら、
誰だって怖いと思うよ。」
(そんなもんかねぇ。)
ゼオは岸まで近づいて、頭を下げた。
(降りな。)
が、彼女は体中がすくんで動けない。
(まいったなぁ。早くしないとアーリアがきちまう。コンラッド。)
ゼオはコンラッドを見るが、年上の、しかもオールヌードの女性を
恐竜の頭から降ろす、なんて芸当は、彼にはまだ無理だった。
「エーデル。」
後でゼオをにらみつけているエーデルを振り向いて、助けを求める。
「ああ…。」
気の抜けたような返事をし、コンラッドが話をしているくらいだから大丈夫だろう、
と踏んだエーデルは、恐る恐る恐竜に近づき、彼女に手を伸ばした。
「つかまれ、ジュエル。」
心なしか、声が震えている。
彼女はブルブル震えながら、彼を見降ろした。
「さぁ。…ジュエル。」
彼女は微かに頷いたようだった。
手を伸ばし、びくびくしながら彼の胸に飛び込む。
彼女の体を受け止めた彼は、すぐにゼオから離れた。
(またな、コンラッド)
ゼオはすぐに泉の中に姿を消した。
「コンラッド、そこらへんにジュエルの服があるはずだ。捜してきてくれ。」
腕の中で泣いている彼女を抱きしめながら、
エーデルは頭を空っぽにしようと努力した。
天窓から朝日が差し込んだ。
ジュエルはまぶしさに寝返りを打つ。
人の息を感じて目を開ける。
「!?」
エーデルの寝顔が間近にあった。
夕べの事がいっぺんに思い出される。
「コ、コンラッド?」
少し焦り気味に起き上がり、テントの中を見回したが、他には誰もいなかった。
「…ん。」
エーデルが目を覚ました。
「お、おはよう。」
声がうわずったが、テントの外に逃げ出すのは、どうにかこらえることができた。
彼は彼女を無視して立ち上がり、テントから出て入口の脇にあった
水ガメの水を柄杓で汲み、
頭からかぶって眠気を覚ました。
(魔女は泉の中に知性体がいると言った。
もし夕べの生き物がその知性体だとしても、
奴がミーア族を管理しているとは、思えんな。
いや、もしかしたら奴は、猫人間をエサにしてるのかもしれない。)
そう思うそばから、まさか、という気持ちが出てくる。
彼には考えなければならない事が山ほどあった。
「≒∋!」
フールが朝食を運んできてくれた。
礼を言って盆を受取り、ジュエルのところへ戻る。
メニューは堅いクッキー様のものを薄焼きにしたものと、
彼等の口に合うように煮沸消毒された家畜の乳だった。
「食事だ。」
「ありがとう。」
彼女はエーデルを盗み見しながら食事をとったが、
彼の方は彼女の事を気にかける様子もなかった。
「どこへ行く。」
食事の後、考え事を続けるエーデルをおいてテントを出ていきかけたジュエルは、
呼び止められて振り向いた。
「え、散歩に行こうと思うのだけど。」
視線を合わせないように答える。
本当は、彼のそばを離れたいだけなのだ。
「俺も行く。」
「あ、あの…。」
来ないで、とも言えず、彼女は仕方なく彼の後ろを少し離れてついていった。
バザーのある大通りを二人はそぞろ歩いた。
店先に並べられた品はどれも風変わりで、ジュエルは端から冷やかして歩いた。
エーデルは黙ったまま彼女より少し先を歩いて行く。
「ここって、やっぱり変よね。」
間が持たなくなったのか、彼女の方から話しかけた。
「人工太陽があって、猫人間がいて、すごく原始的な生活をしてる。
壁の外は広い砂漠。同じ太陽が照らしてるのに、壁の内側では
あまり暑さを感じない。それに、ここに来て三日になるけど、
砂漠を歩いてた時より体力が落ちてきた気がするの。気のせいかしら。」
夕べの事を思い出してほしくない彼女は、それをごまかすためにかえって饒舌になる。
「このまま、ここにいるしかないのか…。」
彼女の話を聞き流しながら、考え事を続けるエーデル。
「でも、人工太陽があるのよ。ドレアも言ってたじゃない、
あれ程のテクノロジーがあれば、次元を越えられるかもしれないって。」
(次元を越える?どうやって?口で言う程簡単じゃない。)
「ただの気休めだ。信じてたのか?」
馬鹿にしたような言い方に、彼女は腹をたてた。
「気休めですって?」
「パニックを避けるための、な。」
理由を知って、怒りを収めるジュエル。
「あきれた。ドレアもグルだったの?」
「さあな。あいつは頭が切れすぎるんだろうよ。」
彼は、物珍しげに自分達を見つめるバザーの店番達をにらみ返しながら歩いていく。
「この間、猫人間を管理している種族がいる、て言ってたわよね。」
「ああ。」
「本当に、いると思う?」
彼女の探るような視線を気づきもせず、彼は歩き続ける。
「わからないな。だが、魔女が何か知っているのは確かだ。」
「そうね。」
全ての鍵は魔女が握ってる。
本当は今すぐにでも彼女を訊問したかったが、当人はリヴの病気を治すため、
昨日の昼間から行方不明だ。
リヴが戻ってこないという事は、一晩明けた今もフールの小屋には帰っていないのだろう。
「でも、ここってよく見ると出来損ないの特撮ドラマみたいだと思わない?
私なら、もっとすてきな世界にするのに。きっと監督のセンスがひどいのね。」
とか何とか言いながらも、彼女は骨細工の装飾品店を見つけると、
言葉も通じないのに取引を始めた。
(ちっ、女ってのは…。)
だが、そういう図太さがあるからこそ、女は逆境に強いのだな、とも思う。
「エーデルー!」
通りの向こうから、二人を見つけたコンラッドが駆け寄ってきた。
彼等より先に起きてどこかに行っていたらしいコンラッドに、
エーデルは腰に手をあて、問いただした。
「どこで遊んでた。」
心外そうにコンラッドが言う。
「調べてたんだ。」
「何を?」
「ここの人と、コミュニケーションを取るための方法。」
「子供が勝手に行動するのは、感心しないな。」
「あら、それってひどいんじゃない?」
何と交換したのか、ジュエルがダイスを繋げたような骨細工のイアリングをつけながら言った。
「彼だって一緒に旅した仲間じゃない。自分なりに出来る事をやってくれてるのよ。
ドレア達が帰ってくるまではまだ日もあるし、私達もここでの暮らしを楽しみましょうよ。」
(暮らしを楽しむ?)
女という生き物は、どうしてこうも現実的になれるのだろう。
「…、勝手にしろ。」
彼は二人を置いて歩き出した。
「ちょっと待ってよ。マデラが呼んでるんだ。」
「何か、あったの?」
「わからないけど、すぐ来てほしいって。」
「エーデル。」
呼ばれた彼は、不機嫌そうに振り返った。
三人は村はずれの門を出た。
最初に入ったのとは反対の門で、どうやらこちらが表らしい。
アーチ型に削られた壁には、幾何学的な何かの紋様が彫り込まれていた。
門を出た所でマデラが待っていた。
いつか見たボロ布のマントをかぶり、ついてこいというように先にたって歩く。
気のせいか、門の外は村の中より暑く感じられた。
やがて、人影を見つける。
(まさか…。)
人影を見たジュエルが走り出す。
「リヴ!」
彼女は砂の上に直に寝かされていた。
ジュエルのさしのばした手が何かに阻まれる。
彼女はリヴの側で瞑想しているティンクをにらんだ。
「どういうこと?」
ティンクは目を閉じたまま答えた。
『結界です。私は光に弱いものですから。』
「こんな所に、一日中寝かせていたの?病気になったらどうするのよ。」
ティンクは病気を治すためにリヴを連れ出したはずではなかったか。
ジュエルの的外れな心配に、ティンクは苦笑した。
『大丈夫。今、目を覚まします。』
リヴの額に手を当て、何事かささやくと、彼女は目を覚ました。
『私は、これで。』
ティンクの姿がゆっくりと揺らめき、その場から消え去った。
リヴがゆっくり起き上がる。
「へへへ。全部直してもらっちゃった。」
笑顔を浮かべる彼女を、ジュエルは抱きしめた。
「あんたって子はもう、心配ばっかりかけて…!」
「大丈夫。頭だってはっきりしてるし、ティンクが全部つなげてくれたから。」
ジュエルはまじまじと彼女を見つめた。
(この子、変わったわ。)
心なしか表情が豊かになったように見える。
「なるほどな。テログループのデータは、不完全だったって訳だ。」
エーデルに言われ、ジュエルははっとなる。
「コンタクトは?」
リヴの双眸は青と緑の妖瞳だった。
「ティンクが持ってる。たぶん今頃、泉の中じゃないかなぁ。」
「アルピノだろうが、ヘテロクロミアだろうがかまわんさ。
彼女は俺達にとって救いの神になるかもしれないんだ。」
リヴは不思議な微笑を口元にたたえ、彼に言い返した。
「悪魔かもしれないよ。」
五人は村へ向かって歩き出した。
「リヴの目、ビードロみたいにきれいだね。」
手を繋いだコンラッドが顔を覗きこんで言う。
彼女は青と緑の瞳を眩かせ、彼に笑い返した。
「ねぇ、病気ってさ、目の病気だったの?」
「んー。違うなぁ。頭の病気。」
「ええっ!?」
「ほんの少し、接続部分がゆがんでいてね、考える事が苦手だったんだ。」
「なーんだ。」
彼はどう納得したのか、頷いた。
「まるで、電子機器だな。」
エーデルの言葉をはぐらかすように、リヴが振り返って聞いた。
「ねぇ、ビンゴとドレアはいつ帰ってくるの?」
「さぁな。遠乗り用の家畜に乗っていったからな。片道五〜六日、てところだろう。」
「ふーん。みんな、生きてるかな。」
「すでに二週間たってる。ぎりぎりか、もしくは…。」
「もしくは?」
(こいつ、平気な顔で聞いている。)
彼は少しためらってから答えた。
「…。全滅してるかもしれん。」
「ふーん。」
その関心のなさそうな返事に、彼は内心腹をたてる。
(所詮、人形は人形か…。)
リヴから視線を外そうとして、その胸のペンダントがエーデルの気を引いた。
(…?)
ペンダントトップの石が、前よりも透明度を増しているように見えた。
ちょっと文章詰めすぎて読みにくいんで、台詞の前後は1行開けるとか
工夫してくれたら嬉しい
第十一章 コトの村
「ストーップ。」
夕刻。
大テントの前で大きな声がした。
ジュエルが様子を見に出てみると、見知らぬ動物の背からコンラッドが降りてきた。
ビンゴ達が乗っていた家畜に似ていたが、体格や蹄が一回り小さい。
「ちょっと、何なのこれは。」
動物の影から手綱をもったリヴが姿を現す。
「へへへ。」
ジュエルの機嫌をうかがうように、リヴが笑った。
今朝、ティンクの治療を受けた後、リヴはコンラッドをつれて
この村の探検に出かけて行った。
すぐに帰ると言うので、ジュエルはエーデルと二人、
先にテントに戻ったのだが、彼等は昼を過ぎても帰ってこなかった。
ティンクに話を聞くつもりだったエーデルも、
『彼女は自分の治療で疲れているはずだから、行かない方がいい』
とリヴに言われ、帰ってからはずっと考え事を続けていたのだが、
いつまでも帰らない彼等に、少し腹を立てていたところだった。
いやらしい笑いを浮かべるリヴに、ジュエルは腰に手を当て、少し怒って質問する。
「笑ってないで答えなさい。何なの、これは。」
その動物は頭の両サイドに上を向いた鉤状の角があり、
クセのあるゴワゴワの黒く長い毛がその全身を覆っていた。
羊によく似ていたが、大きさは二倍ほどもある。
大きな体を支える為の太く短い脚が、毛の隙間から見えた。
視力が弱いのか、絶えずピンク色の大きな鼻腔をひくつかせ、回りの様子を探っている。
大きな体に似合わないその様は、憶病な小動物を思い出させた。
「んー、サボヌっていうの。ミルクを出すんだって。」
「どこから連れてきたの。」
小首をかしげたリヴが答える。
「んー、もらったの。」
「誰に。」
「スーナム。」
「誰よ、それ。」
「んー…。」
ティンクに直してもらったとはいえ、反応はまだ鈍いらしい。
質問を一度頭の中で反芻してから答えている。
コンラッドが二人の会話に焦れて後を引き受けた。
「この村の偉い人。仕事が欲しい、て言ったら、前払いだって、こいつをくれたんだ。」
ジュエルの目が丸くなる。
「あんた達、仕事を探しに行ってたの?」
「うん。」
大きくうなずく二人。
「あっきれた。で、仕事って何?」
コンラッドとリヴが声をそろえて答える。
「グリタの皮なめし!」
「ちょっと待て。リヴはどうやって話をつけて来たんだ?
テレパシー能力は受信専門のはずだろう。」
ジュエルから話を聞いたエーデルは、テントの外ではしゃぎ回る
コンラッドとリヴの声に眉をひそめながら答える。
「そうね。コンラッドは尻尾とヒゲと耳を見れば
大体わかるって言ってたけど…。本人に聞いてみる?」
「ああ。」
テントの外で先ほどの家畜の乳絞りをしているリヴを呼ぶ。
「ちょっと話があるの。」
「後でー。キャァッ!」
サボヌの乳のぬまっとした感触に、嬌声が上がる。
「そんなの後にしなさい、大事な話があるんだから。」
「んー。残しといてよ、コンラッド。」
彼女は渋々家畜から離れてテントに入った。
「お前、猫人間と会話できるのか?」
エーデルの質問に、彼女はコクンと頷いた。
「コンラッドと同じ方法で?」
今度は否定のサインが示される。
「ちゃんと話ができるんだな。」
肯定。
「なら、猫人間を支配している連中の事も、わかるな?」
「…。」
彼女は黙ったまま、エーデルを見つめた。
「お前も魔女と一緒だな。なぜ何も答えない。俺達はここの支配者達の
技術を借りて、元の世界に帰りたいだけなんだ。それのどこがいけない。」
彼女の顔が真剣になった。
「あなた達は、キケンだから。」
「危険?どういう意味だ。」
黙り込んだ彼女に彼は言葉を続ける。
「ここの連中にとって、俺達が危険だとでも言うのか。
冗談じゃない、害意のない猫人間相手に、暴力なんぞふるうつもりはない。」
彼女の唇に皮肉な笑いが浮かぶ。
「技術の使用を断られたらどうするの?」
「断られはしない。遭難者を救助するのは当たり前だろう?
代償を要求されたら、人命以外ならなんでも払うつもりだし、
それに、帰れるならどんな事でもする。」
彼は彼女の挑むような視線を受け止めた。
「力ずくでも奪う?」
「そう、なるかもしれないな。」
そこまで思い及ばなかったエーデルの歯切れが悪くなる。
「ほらね。」
妖瞳が、濃くなり始めていた。
リヴの中でどんなことが起こっているのか。
ジュエルでさえもすでにわからない。
(変わっていく。あんなに素直だった子が、言葉の綾さえ使いこなしている。
いったいあの子はどこへ行くんだろう。)
「人を誘導尋問にかけて、ごまかすつもりか。」
エーデルの言葉に、藍色と深緑色の瞳が眩き、
一瞬、氷細工を思わせるような表情で彼女は言った。
「イニナウロ・ヴァムジ・エナル。」
彼女は続ける。
「ここはエナル、時が意味を成さぬところ。急がなくってもいいじゃない。
時が来れば、エナルの方で動いてくれるもの。」
「…それが、お前の答えか。」
「うん。」
頷く彼女にもう冷たさは感じられない。
「…勝手にしろ。」
憮然とするエーデルに、彼女は言った。
「ねぇ、エーデル。ここは平和な所なんだよ。何も知らなくったって、
みんな幸せに暮らしてる。その事を、忘れないでよね。」
その翌朝。
ジュエルが目覚めると、テントには誰もいなかった。
仕方なく入口に差し入れられた食事を一人で摂る。
メニューの内容はあまり変わりばえしなかったが、
物がない場所だとわかっているせいか、飽きがくる事はなかった。
村には公平に食料を分配するための共同体があり、
彼等の食事もその共同体から出されている。
今では食料担当長であるフールのおかげで、
彼等は十分すぎるほどの食事にありついているのだ。
「もう、みんな勝手なんだから。」
リヴとコンラッドの二人は、昨日言っていたグリタの皮なめし
とやらに行ったのだろうが、エーデルはどこに行ったのだろう。
「つまらないわ。」
と言って、一人で外をぶらつく気にもなれない。
しばらく考えて、今日一日は寝て過ごす事にした。
明かり取りの窓から射し込む陽の光を浴び、寝そべったまま、頭の中の整理をする。
この村へ来てから四日目。
村の名は「コト」だと夕べリヴが教えてくれた。
エナルの地で、一番はずれにある集落。
他にも小さな村が点在しているそうだ。
考えてみれば、ここは本当に不思議な所。
(まぁ、次元の狭間に砂漠の大陸が浮いてるってのも変わってるけど、
猫人間がいて、原始的ではあるけど、ちゃんと自活してる。)
村の中には土があり、泉もある。
村の外はとんでもなく熱いのに、ここは丁度いい日当たりで、あまり暑さを感じない。
(特殊なフィルターでも村の上に広げてあるのかしら。日傘付きの村…?)
その戯画めいた構図を想像して、彼女は軽い笑いをこぼす。
(ちょっとヘンよね。)
(ヘンって言えば、ここについてから体力落ちてるような気がするのだけれど。)
(砂漠を歩いてた時より、体が疲れやすいのよね。こんなに楽な生活してるのに。)
(このまま、ここにずっといられたら…。)
(でも、エーデルは月に帰るって言ってたわ。)
本当に帰れるのだろうか。
(何だか、信じられないな。半月前まで火星にいたのよ、私達。)
(そりゃ、リヴと私の存在は、とってもラジカルだったかもしれないけれど、
それなりに楽しくやってたし…。)
火星の事が思い出される。
(それが、何で次元断層なんかに来ちゃうわけ?)
(本当なら、今頃地球の海で泳いでいたはずなのよ?)
取り留めの無い思いが、頭の中を巡る
。
(後一週間もしないうちにシャトルに残っていた人達がここに来る。)
そうして皆は幸せに暮らしましたとさ…?
(そんな事ない。童話じゃあるまいし。これは現実の事だもの。)
信じたくない現実。
(彼は、本当に月に帰る方法を見つけられるのかしら。)
(猫人間の支配者達ってどんなだろう?)
(リヴはわかってるのよね。私に教えてくれないのは、
私が知ったところでどうなるものでもないから…?)
(何だか寂しいな。)
(あの子がどんどん私から離れていく。)
(もう、私の事を必要とはしてくれないのかしら。)
「私には、まだあなたが必要だわ。」
今までの十六年間を思うと、涙が出た。
(リヴ…。)
いつの間にか、彼女はまた深い眠りに落ちていった。
そろそろ陽も暮れるという頃、コンラッドとリヴが帰ってきた。
夕食後、二人はなめし小屋で歌われていた、覚えたての小唄をジュエルに披露した。
音の高低を真似ただけの、ほとんどうめき声のような歌に、
彼女は久しぶりにお腹の底から大笑いした。
次の日、ジュエルはコンラッドに起こされた。
外を見ると、まだ薄暗い夜明け前だ。
「何よー、こんなに朝早くー。」
目をこすりつつ不満そうな声を上げる彼女に、コンラッドは言った。
「私も明日から働く、て夕べ言ってたじゃないか。」
そういえば、そんな事を言ったような気もする。
「エーデルは?」
「帰ってきてないみたいだよ。」
彼女の支度が終わるのを待つコンラッド。
「そう…。」
どこへ行ったのかしら…。
「早く行こうよ。」
洗面を済ませた彼女に、しびれを切らせたコンラッドが促す。
「リヴが先に行ってるんだ、早くしないとクパンに負けちゃうんだよ。」
クパンというのは、同じなめし小屋で働くミーア族の少女のことだった。
ジュエルがコンラッドに案内されたのは、小屋とは名ばかりの、
屋根の無い、柵で囲っただけの広場だった。
グリタの皮なめしというのは、ここでは軽労働に入るらしく、
中には数人の老人と子供しかいなかった。
時が意味を成さないエナルにも、非常にゆるやかではあるが時間は流れている。
必然的に世代差が生じて子供と大人の違いが出てくる。
大人と子供は体の大きさで見分けがついた。
彼等は歳を経る程に太り、毛づやも落ち、やがて太り過ぎで体が動かなくなり、
体機能を維持できなくなって死んでいく。
ジュエルはふと思う。
(彼等の生に意味はあるのかしら?)
彼女は地べたに座り込み、グリタの生皮をグリタの骨で叩いてなめし始めた。
気の長い仕事だった。
その中で他のミーア族が一日半かけて一枚仕上げるのに対し、
一日で仕上げてしまうのがクパンという少女だった。
昨日一日かけてようやく毛並みがそろってきた程度にしかなっていない
コンラッドの皮を見て、隣に腰をすえたジュエルが言う。
「へー、まだそんなもん?」
「その言葉、覚えとけよな。」
頬をふくらませ、彼は言い返した。
「ふふん。少なくとも、あんたよりはマシなつもりよ。でも彼女、すごいわね。」
彼女はクパンの仕事ぶりにしばし見惚れる。
「何年くらいやってるのかしら。」
「さあね。」
機嫌を損ねたコンラッドは、作業を続けながらぶっきら棒に答える。
「リヴ、聞いてみて。」
コンラッドの隣でグリタの骨と格闘している彼女に聞く。
非力な彼女には、骨すらも重いらしく、作業をしながら息を切らせて答えを返してきた。
「わかんないと、思うよっと。ここは、太陽のおかげで一日の区切りはあるけど、
月とか、年の区切り、無いものね。自分のバースデーさえ、覚えてないんじゃないかなぁ。」
「ああ、そうね。」
我ながら、馬鹿な質問をしたものだと思う。
イニナウロ・ヴァムジ・エナル。
ここはエナル。時が意味を成さぬ所。
季節が移ろうことも、風が砂漠に紋様を描くことさえない所。
時間による変化が、ほとんど封じられてしまっているのが、エナルだった。
昼時になると、なめし小屋は空になる。皆、食事をしに帰るのだ。
リヴとコンラッド、ジュエルの三人もテントに戻り、食料係が差し入れた食事をとった。
「コンラッド、行こ。」
食事の後、リヴは手の甲で口を拭いながら、コンラッドを誘った。
「どこへ行くの?」
仲間はずれにされたジュエルが不満そうに聞いてくる。
「泉に行くの。」
「泉?」
「ゼオに会いに行くんだ。」
ジュエルは眉を潜めた。
「ジュエルってば、私より先にゼオに会ったでしょう。
ずるいんだから。おまけに頭の上にまで乗っけてもらってさ。」
「な、何を…。コンラッドっ!」
ジュエルににらまれたコンラッドは、慌てて首と手を横に振った。
「ぼくじゃないよ!ゼオが言ったんだ。」
リヴが頬を膨らませて文句を続ける。
「私だって乗せてもらってないのにー。」
「もう、好きにしなさい!」
ジュエルにしてみれば、あのシチュエーションを思い出すだけで体中の血が逆流するのだ。
(エーデルにだって見られちゃったのよ、私のオールヌード!
おまけに抱きしめられて…、きゃあっ。もうっ、こんな所、いやっ。)
一人で赤くなっているジュエルをおいて、二人は泉に遊びに行った。
太陽が真上に来ると、午後の仕事が始まる。
そして太陽が沈む少し前、彼等は仕事を終え、それぞれの小屋へと帰っていくのだった。
気の遠くなるほどの昔から、同じ日々を繰り返して来たミーア族。
(気が狂わないのかしら、毎日同じことの繰り返しで。)
絶えず変化し、過ぎ去っていく人工物に囲まれて育ったジュエルにとって、
彼等の暮らしぶりは信じられないものだった。
そんな彼女にリヴは言ったものだ。
「頭の中空っぽにしてね、何も考えないの。それがここで幸せに生きてく為の、秘訣。」
(ここで、幸せに…?)
それも、いいかもしれない。
そうジュエルは思い始めていた。
彼等がグリタの皮を一枚なめし終わる頃、コンラッドという競争相手を
見つけたクパンは、七枚目に取りかかっていた。
のどかな日々だった。
時間は緩やかに流れているのに、一日はあっという間に終わってしまう。
エーデルはどこに行ったのか、リヴの病気が治った日の翌朝以来、姿をくらませたままだった。
(月に帰る方法を見つけるって言ってたけど、言葉も通じないのに、
どうやって調べているのかしら。)
小さな村なので探せばすぐに見つかるのだろうが、ジュエルはそれを行動に移さなかった。
いや、正確に言えば、移せなかったのだ。
(だって、会ってどうするって言うの?恋人でもないのに…。
それに、探しに行ったって、何しに来た、て言われるのがオチよ。)
それでも彼の事を考えてしまうのは、どういうわけなのだろう。
「エーデルの事、考えてるんだ?」
リヴに声をかけられ、我に帰った。
(いけない。まだ仕事中だったんだわ。)
単調な仕事を長時間やっていると、つい、考え事にふけってしまう。
「ちがうわよ。」
「何で?エーデルの事、嫌い?」
「…。ここには他に頼りになる人、いないでしょう?」
「ふーん。じゃ、そういう事にしときましょ。」
大人ぶった口ぶりだった。
ジュエルはまじまじと彼女を見つめる。
「変わったわね、リヴ。前はそんなこと言うような子じゃなかったのに…。」
「そうだね。でも、これが本来の私。前のはジュエルに与えられた人格だったから。」
「リヴ…。」
ジュエルは言葉に詰まる。
「でもね、前のままの方がよかったかな、て思う時もある。だって、私は…。」
彼女は言葉を途切らせると、ジュエルを見つめた。
その二色の瞳の奥にある苦悩は、ジュエルにはわかりすぎるほどわかっていた。
(かわいそうに…。)
彼女は作業の手を休め、リヴの頭を胸に抱きよせ、囁いた。
「大丈夫。私が守ってあげるわ。だから、あなたは何も心配しないでいいの。」
「うん。」
しかし、リヴの声には力がなかった。
第十二章 シャトルの事エナルの事
ドレアとビンゴが帰ってきたのは、村を出てから十日目の朝方だった。
彼等はテントに着くなり、何も言わずに眠りについた。
余程ハイペースで行軍してきたのだろう。
彼等が目覚めたのは、日暮れ時になってからの事だった。
夕刻。
コンラッド、リヴ、ジュエルの三人が仕事を終えて戻ると、
ビンゴ、ドレア、それに久しぶりに姿を現したエーデルの三人が、
テントの真ん中に座り込んで何やら話し込んでいる最中だった。
「なに話してるの。シャトルの皆は?後から来るのかな。」
密談中の男三人の前にちょこんと腰を下ろし、骨細工のアクセサリーを
ジャラジャラつけたリヴが小首をかしげる。
彼女を娘のように思っているらしいフールが、彼女を飾り付ける事で
息子しかいない不満を晴らしているのだった。
当然ジュエルやコンラッドもその影響を受け、
今ではすっかりこの地の住人になりきっていた。
コンラッドとジュエルが人数分の黒パンと
煮沸消毒したサボヌのミルクを運んでくる。
ミルクを一口飲んだドレアが顔をしかめた。
口に合わなかったらしい。
それでも喉が潤うと、仲間の顔を見回した。
「それじゃぁ、話そうか。」
今回は、目的地とそこへたどり着くまでの距離が
大体わかっていたので、軽い気分で村を出た。
シャトルまでの道筋は、来た時の足跡が残っているので迷う事もない。
「見ろよドレア。最後にテント張った跡、まだ残ってるぜ。
あの時は死ぬ覚悟で出発したんだよな。」
そう、あの時は、誰も助かるとは思っていなかった。
遠乗り用の家畜の背で、ドレアもしばし感慨に浸る。
ビンゴが夢で見たという原住民を探し、歩き続けたあの最後の数時間。
一瞬のようでもあり、永遠に続くようでもあったあの時の事を思い出すと、
今こうして生きているのが不思議に思えてくる。
(この地に神がいるのなら、感謝の祈りを捧げたいくらいだが、
あいにくと俺は、無神論者だからな。)
柄にもなく敬虔な心持ちになった自分を、ドレアは自嘲する。
「むだ足にならないうちに、急ごう。」
果たして、シャトルに残った人々は、まだ生き残っているだろうか。
軽い疑念を押さえ、二人はかなりのハイペースで行軍を続けた。
そして四日目の昼頃、彼等はシャトルの見える所までたどり着いた。
が、何か様子がおかしい。
待ち焦がれていたはずのキャラバン隊の帰還だというのに、
誰もシャトルから出てこないのだ。
二人は暗い予感に顔を見合わせ、家畜から降りてシャトルへと走る。
「これは…。」
「…いったい。」
二人は声を失った。
砂漠へ向け、大きく口を開けたシャトルの残骸。
その中で彼等を迎えてくれたのは、もの言わぬ人々の骸だった。
二人は遺体を一つ一つ調べてまわる。
「なんてこった…。」
ドレアの嘆息。
明らかに衰弱死と思われる者。
発狂して暴れたのか、シートに括られたまま果てた者。
通路に転がった死因不明の数体。
(ノーム…。)
ドレアは婚約者が手首を切って果てているのを見つけた。
(最後までプライドを貫いたか…。)
機体の前の方では、ビンゴがやはりお互いの胸をフルーツナイフで
突いて言切れている老夫婦を見つけていた。
ナイフで刺された者。
病死。
リンチを受けたと思われる者の遺体まであった。
「ひでぇ…。」
あまりの惨状に、ビンゴでさえ目を背けた。
「人間てのは、怖いもんだな。」
おそらく発狂して飛び出したのであろう、シャトルから
少し離れた所にも、数体の遺体があった。
コクピットの入口近くでチーフパイロットの遺体を見つけた。
ハッチ越しに正面から拳銃の斉射を浴びたらしく、通路に仰向けに倒れていた。
「チーフので十三体。出てったのが七人。一つ足りないな。」
「コクピットにいるんじゃないか?生きてるかもしれんぜ。」
「ふむ。」
ドレアは穴だらけのハッチを見て頷く。
ビンゴは用心しながらハッチの前に立った。
鬼が出るか、蛇が出るか…。
一つ深呼吸した。
「いっせーの、せっ!」
掛け声とともに穴だらけでもろくなったハッチを蹴破る。
誰も、いない…?
整然としたコクピット。
(キャビンとはえらい違いだぜ。)
と、ハッチの影からドレアが言った。
「ビンゴ、下だ。下。」
「下?」
二つのパイロットシートの間に、誰かが倒れていた。
側にはSPの物と思われる拳銃が転がっている。
彼は駆け寄って、倒れている人物の頭を抱え起こした。
「コンパニオンのねーちゃんだぜ。」
他に誰もいないのを確認してから、ドレアは中に入り、遺体を調べた。
「ショック死みたいだな。おい見ろ、指に歯形がついてる。」
「おおかた、プッツンしたチーフパイロットに襲われて、
ここに逃げ込んだんだろ。」
ハッチを閉めて閉じこもったものの、パニックに陥っていた彼女は
ハッチ越しに拳銃を斉射。その反動と衝撃で倒れ込み、
立ち上がる力もなく、衰弱死したようだった。
「チーフにはこの指がソーセージに見えたのかもしれんぞ。
白くって、やわらかくって、適度な弾力もある。」
死人の指をなでながら言うドレア。
「うへっ。気色の悪いこと言うなよな。」
ハングリー精神旺盛なビンゴだったが、人肉を食べる程
追い詰められた事は、まだない。
「ん?これは…。」
瞳を見開いたまま息絶えたコンパニオン嬢を哀れに思い、
そっと目を閉じてやったドレアは、彼女の胸元で光るペンダントに目を止めた。
「リープル石?」
「おいおい、死体の持ち物は縁起が悪いんだぜ。」
ペンダントをはずし、自分の胸ポケットに入れたドレアに、ビンゴが忠告する。
「正当なる持ち主に返してやるんだ。盗むわけじゃない。」
「そんな宝石もってるやつ、誰かいたっけか?」
ペンダントの宝石は、大粒のオニキスのようだった。
「この石は木星産で、人の脳波に反応して色を変えるという特質をもってる。
まだ発見されたばかりで、コンパニオン風情の買える代物じゃない。」
シャトルがここに不時着した後、ブラックボックスを解析したリヴが、
確かこれと同じ形のペンダントをもっていたはずだ。
あの時は、クリスタルのように澄んでいた。
きっと、このコンパニオンが死の直前に発した脳波が、石の色を変えたのだろう。
持って帰るうちに元の色に戻るかもしれない。
(それとも、俺の色が出るかな。)
シャトル内を一通り調べ終わると、二人は遺体の埋葬を始めた。
シャトルから少し離れた所に大きな穴を掘る。
ビンゴは自分達だけが助かってしまった結果に、苦いものを感じていたせいか、
文句も言わずに重労働の手作業を続ける。
たとえここに残ったのが彼等の我儘であったとしても、
乏しい食料をわけてもらってキャラバンに参加した以上、
彼等を助ける義務が自分達にはあったのだ、と思う。
商売柄、物事を客観的に見るくせのついているドレアは、
あまり責任を感じてはいないようだった。
(死者を冒涜するつもりはない。が、彼等自身の身勝手さが
死を招いたのは、事実だ。)
二人は終始無言で作業を続けた。
すべての遺体を埋葬し終わると、家畜に積んだ水と食料を墓前に据え、
形ばかりの祈りを捧げる。
「何だ、それは?」
ビンゴがディスクゲームを水の隣に供えた。
それは、荷物を少なくする為、コンラッドが泣く泣くシャトルに置いてきたものだった。
「月の人間は、静かすぎると眠れねーのさ」
ゲーム機のスイッチが入れられた。
画面に赤の魔法使いが現れ、電子音楽が流れ始める。
ハイドロパワーを利用したバッテリーが、半永久的に音楽を鳴らし続け、
静寂に怯える死者の魂を慰めることだろう。
「帰るぞ。」
ドレアに促され、ビンゴは墓前から立ち上がった。
エーデルは、この結果を残念に思うだろう。
しかし、これが彼等の運命だったのだ。
どこかもの悲しくも聞こえる電子音楽に送られ、二人はコトの村への帰途についた。
「これ、リープル石だろう?」
ドレアがペンダントを差し出した。
よほど強い脳波でないと反応しないのか、石の色は黒いままだった。
「う…ん。予備に持ってたのを、キャンディと交換してもらったんだよ。
あのお姉さん、可哀想な事したね。」
「信じられん感覚してるな。」
高価な宝石をただの飴玉と交換した彼女の神経を、
エーデルは疑っているのだ。
「宝石は食えんからな。月の価値基準なんて、ここじゃ通用せんさ。」
ドレアが弁護する。
「リヴ、私に黙ってたでしょう。」
「ごめんなさーい。」
ジュエルににらまれて、彼女は舌を出した。
「さて、どうするかな?生き残ったのはこの六人だけだ。
エーデルの話だと、猫人間を支配してる連中がいるようだが…。」
ドレアは皆の顔を順に見回していき、最後に一人の上に視線を止めた。
「リヴ、何か知ってるな?」
「何を?」
天窓から入る星明かりを映し、彼女の瞳がきらめいた。
「お前、その目…。」
銀色じゃ、ない?
「何だビンゴ、知らなかったのか。あれはカラーコンタクトだぞ。」
ドレアに馬鹿にされ、ビンゴはムッとして言い返した。
「そりゃぁ、あんたはステージプロデューサーで、
ああいうの見慣れてっかも知れねーけど、俺は…。」
彼の言葉を遮って、リヴが自慢気に言う。
「ティンクに直してもらったんだよ。もう目の色を隠す必要ないから、
コンタクトなんかいらないの。」
「じゃぁ、電子機器がなくても、自分で全部処理できる、てわけだな?」
ドレアの言葉に、彼女は元気よく頷いた。
「うん。」
「だったら、知ってる事を教えてもらえるんだな。」
その言葉に、リヴの瞳があやしく眩いた。
「…。」
「無駄だ、ドレア。そいつは何も答えちゃくれない。」
エーデルが嫌味っぽく言う。
「魔女と一緒で、俺達がこの地に災厄をもたらすんじゃないかと疑ってる。」
ドレアはリヴの保護者に意見を求めた。
「ジュエル?」
「私にも、何も教えてはくれないわ。でも、あの子が何も話さないのは、
それなりの理由があるんだと思う。」
「それで?」
「え?」
「ジュエルが強気で聞けば、彼女は答えると思うんだがな。」
「…。聞けないわ。」
うつむくジュエル。
「どーしてだ?」
ビンゴが食い下がる。
月に帰り、居残り組の遺族を訪問する決心をしている彼には、
彼女達が我儘を言っているようにしか見えない。
「あんただって、月に帰りたいんだろ。」
ジュエルは悲しげに言った。
「あそこには…、私達の居場所なんか、どこにもないもの。」
「だからって…!」
「何も知らなくったって、ここの人達は幸せに暮らしてるよ。
何で同じように生きられないの?」
リヴがビンゴの言葉をまた遮る。
「俺達は猫人間じゃねーし、人形でもねぇ。
こんな所で残りの人生、生きてけるかっ。」
彼が腹ただしげに言い返すと、彼女の瞳の色が深みを増した。
「そんなに知りたいのなら、教えてあげる。
ここは、次元断層の狭間。時が意味を成さぬ砂の大陸エナル。
大陸は、生体シールドに守られ、人工太陽が巡る。
代謝と生殖機能を押さえる泉の水により生かされているミーア族は、
殆ど歳を取ら無い。代替わりは、気の遠くなる程の時を経て行われるが、
既に十数世代分もの時が流れている。
この地には、小さな村が点在し、一番大きな村には神殿らしき物もあるという。
歴史的見地からすれば、研究価値の高い所で…。」
「やめろ、リヴ。マザコンのデータサービスじゃあるまいし…。」
ドレアが止めた。
無駄なデータを提供されても、何もならない。
横でジュエルがハラハラしながら見ているのを気にも止めず、リヴは言った。
「まだ十分の一も話してないよ。」
「リヴ、もう一度聞く。ここにある人工物は、誰が作ったんだ?」
エーデルの問いに、彼女は笑って答えた。
「さぁ…。神様、かな?」
(こいつ、どこまで人を馬鹿にする気だ。)
月生まれの彼に、神様などという言葉は通用しない。
肝心な事を何も話そうとしない彼女に、エーデルはまたいらだちを覚える。
にらまれたリヴは、言い訳がましく付け加えた。
「だって、他の村には神殿があるって…。」
「神様って、あの竜のことかなぁ。」
今まで黙っていたコンラッドが、ぼそりとつぶやいた。
「お前、まだゲームのつもりでいるのか。この、ディスクゲーム狂が。」
ビンゴにからかわれ、彼はムッとする。
「ジュエルとエーデルに聞いてみればいいだろ。本当にいるんだから。」
「何?」
ビンゴの視線が二人に向けられた。
(もう、コンラッドったらっ。)
ジュエルはうつむき、エーデルは横を向く。
それを見たドレアが言った。
「どうやら、俺達のいない間にいろいろあったらしいな。」
ビンゴは二人の態度に何を勘違いしたのか、怒鳴り出した。
「汚ったねーぞ、エーデル。人を差し置いて、先にジュエルに手ぇ出したな!」
「お前と一緒にするなっ。」
エーデルの顔がまた赤くなる。
下心がなかったとは言い切れないので、よけい腹が立つらしい。
「こりゃどうも、お安くないな。」
ドレアまでが二人をからかった。
「そんな事よりさ、月に帰る話、しなくていいの?」
コンラッドに言われ、ドレアも頷いた。
「そうだな、コンラッドの言う通りだ。」
頼りない大人達。
が、話題の逸れたのをいい事に、リヴはテントの隅に行こうとして、ビンゴに止められた。
「どこに行く。」
「明日早いからもう寝るの。」
「まだ話は終わってねーぜ。」
ビンゴに腕を引かれた彼女は、荒っぽくその手を払った。
「話す事なんか、ないもの!」
反抗されるとは思わなかったビンゴは、びっくりしたように彼女を見つめた。
「ふん。」
エーデルが鼻で笑う。
「騙し合いはもう終わりだ。支配種族の存在を、魔女は認めたんだからな。」
苛立ちを押さえかねた彼は、とうとう切り札を出した。
それは、彼がここ数日かけて得た情報だった。
(人工知能を持っているとはいえ、たかがペットの言う事を、今まで聞いてきたんだ。)
この事故に巻き込まれてから、ずっとリヴを頼ってきた事実が、
エーデルのプライドを傷つけていた。
だからこそ、月への帰還は自分が主導権を
握るつもりで独自に情報収集をしてきたのだ。
だが、並みの人間がどう頑張ったところで、
テレパシー能力を有する彼女にかなうはずもない。
魔女を口説き落とした事も筒抜けだろうと
思っていたのだが、彼女は予想外に驚いていた。
「ティンクが…?」
彼女はその情報よりも、ティンクが彼にその事を認めた事実に驚いているようだった。
(本当の事を、言う気になったか。)
そう思った彼は、答えを促した。
「さぁリヴ、教えてもらおうか、支配種族がどこにいるのかを。」
が、彼女はもう何も聞いてはいなかった。
遠い目をして天窓を見上げ、じっとしたまま動かない。
まるで、星空の向こうさえも透かして見ているかのように。
「どうしちまったんだよ、おい。」
心配になったビンゴが肩を揺さぶると、彼女は夜空を見上げたまま言った。
「ミーア族を支配していた種族は、もう、ここへは来ない。」
一人言のようだった。
「何故だ?」
その態度の豹変ぶりにとまどいながらも、エーデルが続きを促す。
「彼等は、ミーア族を、忘れてしまった。」
(シャーマンのお告げ、か…。)
彼女の多重人格ぶりに感服しながらも、ドレアも答えを引き出そうとする。
「前は来てたんだろう?別の世界から…?」
静かに肯定のサインが示される。
「彼等がどこから来て、どこへ行ったのか、ミーア族は、知らない。」
(あの瞳。心のない、冷たさを秘めた瞳。
研究室のマザコンとアクセスしていた時だって、もっと優しい目をしてたわ…。
どうしよう。私の知らないうちに、あの子はどんどん変わっていく。)
脳障害が治った以上、それは当たり前の事なのだが、
目の前でこれだけ思い知らされてしまうと、保護者のジュエルとしては、
どうにもやりきれなくなってしまう。
(お願いだから、これ以上私から離れないで…。)
「ねぇ、もういいでしょう。やり過ぎると、また倒れてしまうわ。」
ジュエルの懇願に、エーデルはあっさりリヴを開放してテントの外に出た。
あきらめたわけではなかったが、確認したい事があったのだ。
後からついて出てきたドレアが言った。
「まだ、何か隠してるな。」
「あいつ、前はあんなんじゃなかったぜ。」
ビンゴも彼女の変わり様に驚いている。
「魔女に回線直してもらったんだろ。」
冗談めかして言うドレアを、エーデルが振り向いた。
「ドレア、あの二人の何を知ってる。」
始めからリヴが人間でないことはわかっていたが、
先ほどまでの会話で、予想以上に彼女の能力が高いことを知った彼は、
ある事に思い当たってドレアに問い質した。
「…。ちょっとした知り合い…、てだけじゃ、納得してもらえんようだな。」
「そんなのは、あんたの言動を見ていればわかる。」
この大事故に巻き込まれた最初から、ドレアはずっと彼女達を信頼していた。
顔見知り程度では、あそこまで信頼できないはずだ。」
真剣な彼にドレアは彼女達との関係を説明した。
「…。彼女達の父親は、俺の昔の婚約者を殺した。」
「…。」
ビンゴが言葉に詰まる。
「過去形だな。」
エーデルの言葉に彼はうなずいた。
「今となっちゃ、すべてが過去形さ。」
「それで?」
「生体物理学を専攻していた俺の婚約者は、あの二人の父親である
Dr・ハーマの生体実験で死んだ。もう十八年も前のことだがな。」
生体実験という単語に、エーデルとビンゴは顔を見合わせる。
「奴とはお互い、二度と合うまいと思っていた。
それが、あのシャトルに乗る二日前、奴から直接連絡が来た。
彼女の娘を預かって欲しいと。そして奴は、火星の研究所ごと爆死した。」
「何だそりゃぁ?」
ビンゴがスットン狂な声を上げる。
「俺の知ってるのは、それだけだ。」
「そうか…。」
火星にある研究施設のすべては、政府のものだ。
しかし、実際の運営はある民間企業が行っている。
やはり、とエーデルは思った。
研究施設の爆破。
テログループからジャックするよう指定されたシャトル。
乗員乗客を無傷で指定の場所へ運ぶ…。
あれは、テストではなかったのか。
(あのシャトルに、無傷で取り返さなければならない、何かが乗っていたんだ。)
マール・ワイス。
(すべてはあいつの仕組んだ事か…!)
影の首脳と呼ばれた父、アドロ・インダストリー社社長、
マール・ワイスの狡猾そうな顔が思い出される。
エーデルの中で、全てがつながった。
今回のシャトルジャックは、社外に流出した商品{または研究データ}を
取り戻す為に仕組まれたのだ。
しかし、このシャトル事故とエーデルがこの仕事を引き受けたのは、
アドロにとっては計算外の事だったのではないかと、彼は想像した。
どこの研究所が爆破されたのか知らないが、ペット部門の試作品回収に
こんな大がかりな手は使わないだろう。
(だとすると、どこだ。)
医療か、企業用の電算オペレーター?
(いや、そんな簡単なものじゃない。まさか…?)
「…ル、エーデル!」
ビンゴに呼ばれ、彼は振り返った。
「なーに考えこんでんだよ、もう寝るぞ。」
「ああ?」
「あ、ドレアの話、聞いてなかったな。」
ドレアは肩をすくめ、もう一度同じ事をくり返した。
「まぁ、当分の間は動きようがないわけだ。だからと言って何もしない、
てのも体裁が悪いからな。明日から俺達も仕事をしようと言ったんだ。」
「仕事…?何のだ。」
ドレアとビンゴは、声を合わせて大まじめに答えた。
「グリタの皮なめし。」
エーデルは額に手を当て、仕方なく頷いた
やっと追いついた乙乙
なかなか読ませるねえ。物語の展開に期待
>>175 まだもうしばらく続きます
ファンタジー色も強まっていきますが
地味〜な展開が続きますので
飽きずにお読み頂ければと思います
第十二章 それぞれの現実
胸が詰まる。
ビンゴは息苦しさに目を覚ました。
起き上がると、横で薄汚れた粗織りの布切れを
手にしたコンラッドが笑っている。
天窓からは星明りが射していた。
「何だよ、まだ夜中じゃねーか。」
また寝ようとする彼に、コンラッドがあわてて言う。
「もう朝だよ。」
「まだ太陽出てねーぞ。」
文句を言いつつもビンゴは起き上がった。
「もうみんな仕事始めてるよ。」
「ヘー、ご苦労なこった。」
コンラッドはビンゴがちゃんと起きたのを確認すると、
また布を水に濡らして持ってきた。
ビンゴが見ていると、まだ寝ているドレアの顔の上にそれを広げる。
濡らされて通気の悪くなった布に呼吸の邪魔をされ、
ほどもなくドレアも飛び起きた。
目を白黒させて深呼吸するドレアを見て、ビンゴは自分も
同様に起こされたのに気づき、文句を言った。
「変な起こし方するんじゃねーよ。」
「リヴが教えてくれたんだ。一番効果的な起こし方、だって。」
顔からはがした濡れた布で額の冷汗を拭ったドレアは、困惑したように言った。
「逆だ、コンラッド。これは大昔の処刑方の一種だぞ。
起こされるどころか、永遠の眠りにつかされちまう。」
(まったく、物騒な事を教えてくれる。)
内心でリヴに悪態をついた。
「おい、エーデルとジュエルは?」
ビンゴがテントの中を見回して聞いた。
「もう出かけたよ。」
「どこへ?」
「なめし小屋。」
「これをやれってのか、俺達に?」
柵に囲まれたなめし小屋では、まだ陽も射さないというのに、
もう仕事が始まっていた。
「そうよ。何かご不満でも?」
ドレアとビンゴに道具を渡したジュエルが澄まして答える。
ビンゴは渡された生皮と骨を見ると、あきらめたように
無言で肩をすくめ、その場に座り込んだ。
さして広くない小屋で、猫に似た十数人のミーア族が
無言で生皮を叩く姿は、前衛芸術家の戯画を思わせる。
その中に混じって仕事を進めるコンラッドやジュエルの姿さえ、
妙を添えるアクセントのようで、どこか現実離れして見えた。
まぁ、月にいた者から見れば、この世界自体が
現実離れしているのも事実だったが…。
「先が思いやられるな。」
ヘタをすると一生この仕事をさせられるかもしれない…。
そう気づいたドレアもため息をつく。
不真面目な二人とはちがって、エーデルは先に来て仕事を始めていた。
関係のない人々を巻き込んでしまった負い目と、生来の生真面目な
性格のせいか、すべての責任を一人で抱えこんできたエーデル。
シャトルに残してきた者達の全滅を知り、始めはショックを
受けていたようだが、ドレアの「天命」というなぐさめの言葉に
「とにかく月に帰る」という焦りに近い思い込みもなくなり、
心にも余裕が出てきたようだった。
だからといって帰る事をあきらめたわけではない。
ここの習慣になじんでおけば、そのうち月に帰る方法も
自然と見つかるだろうと考えたのだ。
(長期戦の構えか、いつまで続くやら…。)
結構重いグリタの骨を生皮に叩きつけながら、ドレアは考える。
「まじめにやれよな。」
ビンゴがコンラッドに注意されている。
「へいへい。」
一瞬むっとした顔をしたが、すぐに素直に返事したのを見ると、
状況をわきまえてはいるようだった。
ドレアもきまり悪くなり、仕事に意識を集中させた。
長い午前中が過ぎ、午後になった。
昼食を終えた後、またなめし小屋に戻る。
慣れない仕事に半日で値を上げかけたドレアも、
コンラッドとリヴが競争するようにテントから飛び出していくのを見て、
腰を上げないわけにはいかなくなった。
「中年には中年の意地がある。」
「何か言ったか?」
ビンゴに聞き返され、彼は笑ってごまかした。
単調な仕事が再び始まると、眠気が襲ってきた。
昼食後ということもあり、健康だけが取り柄のビンゴなどはすぐに船を漕ぎ始める。
ミーア族の老人が、小唄を歌い始めた。
その単調な節回しは、まるで子守歌だ。
<星が流れるその果てに…>
(あ?)
ドレアは自分の耳を疑った。
<…時の封土に陽は…>
(まさ…か…?)
<それでもエナルに明日は来ない…。>
エーデルが仕事の手を止めた。
ドレアと目が合い頷きあう。
エーデルは隣で船を漕いでいるビンゴを起こし、小屋から出て行った。
残ったドレアをリヴが見つめている。
彼はその視線を平然と受け止めた。
(ようやくエナルが動きだした、て事か。)
「あの二人、どこに行ったのよ。」
ジュエルが聞いてくる。
「ちょっとな、用を足しに行ったんだ。」
リヴの視線を受け止めたまま、彼は答えた。
エーデルとビンゴの二人は、小屋を出ると走り出した。
「どこ行くんだよ。」
昼寝を邪魔されたビンゴは機嫌が悪い。
「魔女の所だ。」
「あ?何だってまた…。」
「いいから、ついてこい。」
フールの小屋へつくと、マデラが入口で
細く裂いた生皮を使ってナイフを研いでいた。
「ティンクは?」
息を切らせて駆けてきた二人に、彼は目を丸くして答える。
「奥にいるよ。…あっ。」
マデラも気づいたらしい。
陽の光を避けた小屋の奥で、瞑想するティンクの前にたどり着くと、
エーデルはいきなり問いかけた。
「何故今になってミーア族と言葉が通じるようになった?」
黒い布が少し揺れ、わずかな沈黙の後、彼女は答えた。
『…。あなた方が、環境に順応したのでしょう…?』
「俺達月の人間が、ここの環境にこんなに早く順応できるはずはない。
本当の事を教えてくれ。」
彼女は笑ったようだった。
身を包む布が微かに衣擦れの音をたてる。
『では、あなた方が環境を順応させたのでしょう。』
「何だぁ?どう違うんだ。」
ビンゴにはわけがわからない。
『エナルとは、そういう所です。』
彼女は相変わらず禅問答のような答えしか返してこなかった。
『一つだけ、勘違いしていますね。』
「何がだ。」
『言葉が通じるようになったのではなく、
あなた方がテレパシーの送受信によるコミュニケーションが
図れるようになった、というのが正確なところでしょう。』
「へぇ、俺達が超能力者にでもなった、てのか?」
ビンゴが茶化す。
『日常レベルにおいて、です。』
「それで充分だ。ビンゴ、来い。」
エーデルは必要なことだけ聞くと、また小屋を飛び出して行った。
二人が出ていくと、入口でずっと中の様子を見ていたマデラに、
ティンクは声をかけた。
『マデラ、お願いがあります。』
エーデルとビンゴの二人がなめし小屋を出て行くと、
すぐにリヴもコンラッドを連れて小屋を出た。
「仕事、さぼっていいの?」
心配げにコンラッドが聞く。
「ん、たまにはさ、のんびりしようよ。」
手をつないでゆっくり歩いていく二人の後ろを、ドレアがそっとついていく。
(どこに行くんだ?)
二人は畑地を横切り、泉へと向かっていた。
泉は水を汲みにきた者や、洗い物にきた者達でにぎわっていた。
誰もいない場所を見つけ、岸に座り込む。
「ねぇ、今夜は何しようか。」
コンラッドが泉を見ながら呟く。
食べる事以外楽しみがないと思われていたここでの暮らし。
だが最近は、簡単な手作りゲームに興じたり、
夜語り用に小話を考えたりして、それなりに楽しい日々が続いていた。
コンラッドが黙って持ってきたミニディスクなど、
マデラに渡したっきり、行方不明になっているほどだ。
(機嫌、悪いや。)
泉を見つめたまま、何も言わないリヴ。
(最近、ここに来るといつも黙り込んじゃうんだよな。
何でだろ。出会った頃は、こんなんじゃなかったのに…。)
何となく、彼女が遠く感じられる。
「葉っぱ、取ってくれる?」
「え?」
自分の事を忘れてしまったのではないか、と思えるくらい
一心に泉を見つめていた彼女が、彼を振り向いた。
「ゼオに話があるの。」
「ああ…。」
彼は頷いて、後ろの草むらから大きめの葉を一枚取ってきた。
「ありがと。」
彼女は葉にそっと唇を押し当てると、泉に浮かべ、中心へ向けて押し流した。
すぐに派手な水音と共にゼオが現れる。
『今、キスをくれたのは誰だい?』
彼は辺りを見回して聞いた。
「あたし!」
リヴが立ち上がって手をあげる。
『やぁ、リヴじゃないか?』
ゼオは二人に近づくと、何の用だというように見下ろした。
「ねぇ、キスのお礼に頭の上に乗せてくれない?」
ゼオは髭を震わせて笑い、彼女の前に頭を差し出した。
「コンラッド。」
先に乗ってコンッラドを呼ぶ。
「僕、いいよ。」
前にアーリアに蹴飛ばされた事のある彼は、ゼオの頭に乗るのを遠慮していた。
リヴは泉の中心まで連れていってくれるよう、ゼオに頼む。
コンラッドの背後では、草の影からこの様子を見ていたドレアが、
怪物の出現に危うく大声を上げて逃げ出しそうになっていた。
だが、怪物が子供達と親しげに会話しているのを見て、何とか自分を押さえた。
「こりゃぁ、また…。」
話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。
(竜というより、出来損ないのカイジュウだ。
いや、プレイランドのアトラクキャラの方が近いな。)
しかし彼は、リヴがゼオを通じてエナルの地と交信し、
未来の事象を感知しているのだ、という事まではわからなかなかった。
「私の力では、どうする事もできない…。」
自分の頭の上でうなだれるリヴの膝を、ゼオの触手の一本が優しく叩く。
『全てはなすがまま、さ。』
「そうね。エナルも焦ってる。ドレア達の能力まで目覚めさせてしまったものね。」
双眸を紫に変色させた彼女がため息をつく。
『時間にしばられし者の運命さ。』
「…。」
『何だ、怒ったのか?』
「私の運命は、あの人達に握られてるのよ。あの、何の力もない人達に!」
どうやら彼女は、ゼオに対しては自分の本性を出しても平気だと判断しているようだった。
『仕方なかろう?それが君の存在理由だ。』
「マザ・コンの端末やってた方がよっぽどマシだわ。」
『ははは…。グチを言って気が晴れるなら、いつでも聞いてやるさ。ほら、お迎えだ。』
「リヴ、降りてこい。」
下を見降ろすとエーデルが泉にやってきた。
村の事情通を締め上げ、全ての事実を聞き出してきた彼には、
彼女が遊んでいるように見えたのだろう。
その声は、いつにもまして冷たかった。
呼ばれた彼女は彼がにらんでいるのを見ると、
あわてて瞳の色を戻し、ゼオに岸に戻るよう言った。
『じゃあな。』
雲行きがあやしいと判断すると、ゼオはさっさと水の中に戻っていった。
「何?」
そう聞く彼女は、先程までの本性の気配をすでに消し、
いつものようにエーデルを見上げていた。
「ユアラの町へ行く。」
「何で?」
「月へ帰る。」
彼女の瞳の奥に紫の炎が微かに揺らめいたのを、エーデルは気づかない。
「…。やだよ。私、行かない。」
腕を組んで横を向いた彼女を、エーデルは怒鳴る。
「わかってたんだろう!この世界のこと全て、ミーア族と交信して!」
「わかってたら何だって言うの!」
彼女は彼をにらんだ。
(何?)
いつになく強気の彼女に、エーデルの気がそがれる。
隣で黙って話を聞いていたビンゴが、いきなり彼女の襟首を締め上げた。
「こいつ!」
「何すんだよ!」
側で話を聞いていたコンラッドが、びっくりして止めに入る。
「こいつはわかってたんだぞ、初なっから知ってたくせに、
何にも言わなかったんだ、人が苦労してる時に、こいつは…。」
「やめろ、ビンゴ。」
様子をうかがっていたドレアも、草の間から出てきて彼をリヴから引き離した。
「ここは、ミーア族を管理する次元人達のサバイバル用リゾートだ。
今は廃れているが、大きな町へ行けば次元移動用のシステムがある。違うか?」
事実を突きつけられた彼女は、きっ、となって早口にまくし立てた。
「何故ここで平和に暮らしていけないの?
月に帰ったって、何にもいい事ないじゃない。
エーデル、またお父さんの手の内で踊らされたいの?
ビンゴは?大勢の家族、養ってかなきゃいけないんでしょ。
ドレアだって頭カラッポの女優なんかと結婚して、人生捨ててたじゃない!」
彼女の言葉に、誰もが絶句した。
そうだった…。
こいつは何でもお見通しなんだ。
少女の姿はしていても、中身はとんでもない奴なんだ。
今更ながらの事実に気づくドレア。
この反発は時間の無駄以外の何ものでもない。
そう、わかってはいても、彼女は自分を押さえ切れず、
感情を爆発させてしまった。
それは、彼女が限り無く人間に近い人格を持ち始めた証拠でもあった。
しかしその性は、彼女を苦しめるだけのものでしかなかった。
「コンラッドだって、仕事を理由に帰ってこないお父さんと、
浮気し放題のお母さんに嫌気がさしてる。
あたし達だってそう、帰ったら、帰ったら…、
捕まって実験用のモノペット扱いされちゃう…。」
それぞれが抱えた現実。
「…。それでも。それでも帰るんだ。」
毅然と言うエーデル。
砂原をさ迷った末に辿りついたコトの村。
当初は命拾いした事への安心感と、シャトル居残り組を
早く迎え入れる事に気を取られていたが、
彼等の全滅を知らされ、かなりショックを受けた。
ドレアの「天命」という言葉に慰められた彼は、
月にいた頃の自分の幼さに気づき、今度は正面から
父親に臨む事を決意したのだった。
(もう一度月に帰って、今度は正攻法で親父を越えてやる。そして…。)
「平和な暮らしが、そんなに嫌なの!?」
なおも言い募る彼女に、エーデルは言った。
「泉の水を飲んでいれば、死ぬ事もないしな。
不老長寿は誰だって夢見るさ。だが、永遠に平和で、
不変の生を生きていく事の恐ろしさを、人形のお前に理解できるか。」
「できねぇだろう!」
ビンゴが合いの手を入れる。
「残りたければ残れ。だが、月に帰る手伝いはしてもらう。」
「やだよ!」
そう言って、また横を向いた彼女の瞳の色が、
だんだん濃くなっていくような気がしたのは、ビンゴの錯覚だったろうか。
「ねぇ、帰ろうよ、月へ。」
コンラッドが心配気にリヴの腕を取る。
「へぇ、コンラッドは、あんなお母さんのいる所に、帰りたいんだ。」
嫌味っぽく言って手を振り払った彼女を、コンラッドは悲しそうに見る。
「そりゃぁ、あの人は知らないおじさんと出かけてばっかりいるけど、
僕にとってはいいお母さんなんだ。」
「俺だってそうだぜ。稼ぎ手がいなけりゃ、みんな飢死しちまう。
俺は必要とされてる人間なんだ。」
「必要とされてる人間が、シャトルジャクなんぞするから、罰が当たったんだろう。」
偉そうに言うビンゴをドレアがからかう。
「あんだと。」
怒るビンゴを制して彼は続けた。
「エーデルだって敵前逃亡するような奴じゃないし、
俺だって人生捨てたわけじゃない。ただ…。」
「ただ?」
エーデルが先を促す。
「いや、何でもない。」
現実から逃れたところで、別の現実に突き当たる。
逃げずに壁を破れば、その向こうに本当の自分を
見つけることができるような気がする。
だが、ここでそんな話をしても始まらないので、ドレアは黙り込んだ。
「ジュエルだって帰りたがってるぜ。」
ビンゴが言う。
「そんな事ないもん。」
リヴはあくまでも反発した。
「あいつはお前の母親じゃないだろ。いいかげん自由にしてやれよ、
俺が引き取ってやるからさ。」
「ビンゴはジュエルのタイプじゃないもんっ。」
「なにぃっ。」
顔を真っ赤にして怒るビンゴを、エーデルが押さえた。
「とにかく、ユアラまで連れていく。」
「やだっ。」
が、エーデルは彼女が暴れるのも構わず、抱き上げてテントに向かった。
「力づく、てのは、感心しないな。」
呟くドレアにビンゴが言った。
「あんただって、月に帰りたいだろ。」
「ビンゴほどじゃないがな。」
「ちょっと、どういうこと。」
仕事中にコンラッドに呼び出されたジュエルは、テントに入るなり目を丸くした。
「弱い者いじめかしら?」
男三人が立って見下ろす真ん中に、リヴがむくれ顔で座り込んでいる。
「ジュエル、スーナムのところへ行って、遠乗り用の家畜を三頭借りてきてくれ。」
エーデルが言う。
「いったい何があったのよ、私、何も聞いてないわよ。」
リヴに近づこうとしてビンゴに止められる。
「月に帰る方法が、見つかったんだ。」
「え?」
彼女は不思議そうにエーデルの顔を見た。
もうあきらめていたので、月という言葉が何の事か、一瞬わからなかったのだ。
「ミーア族と言葉が通じてるの、気づかなかったのか?」
「ああ、そういえば…。」
ここの生活に慣れたせいか、思考力が低下しているようだった。
「コンラッド、ジュエル連れて早く行ってこいよ。」
「でも…。」
ビンゴに言われ、彼はドレアを見る。
ドレアが頷くのを見て、仕方なくジュエルの手を引いてテントを出た。
リヴはジュエルが出ていくと、知っている限りの罵詈雑言を
エーデルに向かってわめき散らした。
「ジュエルはどんな教育してたんだ?」
ビンゴでさえ知らないスラング混じりの悪口に、三人はあきれた。
と、悪口がやんだ。
どうやら言葉を使い果たしたようだ。
黙ってエーデルをにらむだけになったが、
にらまれた方は冷たい目で彼女を見返すだけだ。
(いやな雲行きだ。)
ドレアは空気を和らげようと、リヴを諭し始める。
「ここの暮らし、悪いとは思わんが、所詮俺達はよそ者だ。
順応するのにこれだけ時間がかかったくらいだからな。
それに、無理なんだよ、俺達の精神力じゃ。
永遠に変わらない日々の繰り返しってのは、狂っちまうかもしれんだろ。」
ドレアの言葉に、うつむいてしまったリヴが小さな声で答える。
「わかってる。」
「あ?」
「わかってるよ、そんな事。でも、ユアラの町には、行きたくないんだ。」
「何でだよ。」
「…。」
彼女は唇をかみしめ、天窓を見上げた。
(また瞳の色が、濃くなった…?)
ビンゴは天窓の向こうの空を映す、彼女の碧い瞳を、
不思議に思って見つめた。
リヴの胸のリープル石は、持ち主の不安を示すかのように、
暗赤色に染まっていた。
第十四章 ユアラの町へ
「いったい、何があったの。月に帰る方法、本当に見つかったの?」
三頭の家畜を引いてテントに戻るなり、ジュエルはエーデルを問いつめた。
携帯食料の受取りをコンラッドにまかせ、先に帰って来たのだ。
大きな皮袋に水瓶の水を入れながら、彼は答える。
「本当だ。ユアラの町へ行けば、次元移動のシステムがある。」
「そう…、そうなの…。」
彼女の声は沈んでいた。
「帰りたく、ないのか?」
エーデルが怪訝気に振り向いた。
「ううん、そんな事ないけど…。リヴは?」
「泉だ。ドレアに見張らせてる。」
「そう…。」
彼女は心配そうに泉の方を振り返ったが、それ以上は何も言わず、
出発の準備を手伝い始めた。
黙り込んでしまった彼女に、エーデルが遠慮がちに声をかける。
「あいつ、そんなに心配か?」
「ええ。あの子、一人じゃ何もできないんですもの。」
ジュエルは水で一杯になった皮袋の口をていねいに閉じていく。
「彼女は、ジュエルにとって何なんだ?」
新しい皮袋にまた水を入れ始めるエーデル。
「…、とても、大切なものだわ。」
彼女は自分を見つめる彼の視線を、まっすぐに受け止めた。
「だったらここに残ったっていいんだぜ?」
話を聞いていたらしく、ビンゴがテントから出てきた。
「あいつは帰りたくないようなこと、言ってたしな。」
そう、いまさら月に帰ったところで、どうなるというのだろう?
状況は、何も変わらないのだ。
それに、あの子もここに残る事を望んでいる。
「このまま、人形のお守りで一生を終わらせるのか?」
「…、そうね。それでもいいと思ってる。」
「よくないな。何故自分自身をもっと大切にしない。
誰だっていつかは大人になる。それとも、彼女は大人になれない、のか…?」
沈黙が降りた。
「…。あなた達には、関係の無いことだわ。」
泉のほとりに腰を下ろし、水面を見つめているドレアとリヴ。
「ねぇ、みんな本当に月へ帰る気でいるのかなぁ。」
「そうだな。ここは本来俺達のいるべき所じゃないからな。」
「わかってるけど…、でも…。」
「でも?」
「難しいよ。元いた所に帰れても、時間軸を合わせるのは
難しいもの。それに…。」
「それに?」
「…なんでもない。」
首を横に振る彼女に、ドレアは言った。
「月へ帰れば、後は何とかなる。」
「ドレアって、楽天家なんだ。」
「まぁな。なるようになれ、てな。」
彼はウィンクして見せた。
「なるようになれ、か…。行こう、みんな待ってる。」
立ち上がった彼女に、彼は確かめた。
「決心、ついたのか?」
「うん。やれるだけは、やってみようと思って。」
日が落ちた。
コトの村は、星明かりの中で寝静まっている。
シャトル事故から二十二日。
この村に来てからは、十一日が過ぎていた。
「何やってるんだ、あの人形は?」
村の表門付近で、誰かの囁き声がした。
門の外側では、数人の人影が揺れている。
「来ないつもりじゃないだろうな。」
遠慮のないビンゴの声。
彼等は世話になったフールへのあいさつもそこそこに、
準備が出来しだいこの村を出るつもりでいたのだ。
「日が落ちるまでに帰る、て言ったのよ。」
出発の準備も手伝わず、夕方から姿を消しているリヴに、
ジュエルは少し不安になる。
「コンラッド、捜してこいよ。」
ビンゴは彼女と仲のいいコンラッドに言う。
「うん…。」
彼は仕方なしに家畜の手綱をドレアに預け、門の中に入りかける。と、
「ごめーん。」
彼女が村の方から走ってきた。
「な、なんだぁ?」
リヴの後ろからついてくる人影を見て、驚くビンゴ。
「ゼオ!?」
コンラッドが迎えに走る。
彼女の後ろからついてきたのはゼオだった。
といっても、体長二十メートルの竜がズルズルと
這いずってきたのではなく、組成変換によって人型に縮小していた。
だが、よほど急いだのだろう、体は人だが、頭は竜のままだった。
「ごめんなさーい。アーリア口説くのに手間取っちゃって。」
リヴは肩で息をしながら言い訳した。
「クク…。」
ビンゴは笑いを押し殺しながら、ドレアにささやいた。
「な、笑えないか。あの顔。ククク…。」
「まぁな。」
ドレアも頬の歪みをこらえていた。
「いてっ。」
中空を浮遊するアーリアがビンゴの頭を蹴った。
ゼオが笑われた事に腹を立てたらしい。
「今まで何してたの。」
ジュエルに聞かれ、リヴは答える。
「ゼオとアーリア、それにティンクも行ってもらおうと思って。」
「ちょっと待て。お前一人だって持て余してるのに、
これ以上バケモノ増やすなよな。」
ビンゴの言葉にコンラッドが抗議する。
「ゼオはバケモノじゃないよ。」
「彼等の力を借りなきゃ、脱出するのは難しいよ。」
リヴも言い返した。
「OK、彼等の同行を認めよう。」
次元人のシステムさえあれば、簡単に帰れるとエーデルは
考えていたので、すぐに同行を許可する。
「ティンクの姿が見えんが…。」
ドレアに聞かれ、リヴは胸のペンダントを持ち上げて見せた。
「この中に?」
ペンダントのリープル石は、乳白色に変色していた。
「アーリアに封印してもらったの。」
リープル石は、人の出す微弱な脳波に反応して、その色を変える。
「誰の色だ。」
「ティンクの。」
そうか…。
ふと、ドレアの脳裏にハーマ・フレイグの顔と、彼の最後の声がよみがえった。
『宝石を、宝石箱に取られるなっ!』
今となっては何の意味もない台詞。
(そうだ。もう俺には何の関係もない。
月に帰ったら、二度とこの連中と会う事もあるまい。
あの二人を地球に下ろしてしまえば、ハーマとの約束も果たせるし、な。)
彼もエーデルと同じで、すぐにも帰れるものだと思っていた。
そして、それぞれの期待と不安を抱え、キャラバンは出発した。
ユアラの町までは歩いて二日。
砂漠の行軍は久々だが、体が慣れている。
三時間ごとに小休止を取りながら進んだ。
「なぁ、悪夢の続きみたいじゃないか?」
ビンゴは、砂漠をあてどなく歩き続けた日々を思い出したらしい。
「違うな。悪夢からの脱出行だ。」
エーデルの言葉に、誰もが頷いた。
そう、この依り所のない世界から、安定した自分達の世界へ帰るための旅。
そう思うだけで自然に歩くペースが早くなっていく。
そして二日目の昼。
一行はユアラの町を囲む高い壁を目前に、立ち止まっていた。
ゼオが背中に背っていた皮袋を下ろす。
「おい、ついたぞ。」
皮袋が身動きし、中から顔を出したのは…。
「マデラ?」
コンンラッドが驚く。
袋の中から這い出てきたマデラは、ヒゲを震わせて笑った。
「ユアラの町はエナルで一番大きな町さ。
コトと違って他所者をすごく嫌うんだ。
おいらが入れるように手配してくるから、
それまでここを動いちゃだめだよ。」
そう言って彼は町へと走り去って行った。
「案内人か。何も荷物と一緒でなくてもよかったんじゃないか?」
ドレアに言われ、リヴは笑った。
「マデラはコトからユアラまで、一日で歩いてしまうのよ。
こっちのペースで歩いてたら、かえって疲れる、て言ってたの。」
「へぇ。奴等はそんなに足が速いのか。」
「彼は特別なの。」
そう言って、彼女は含み笑いをもらした。
「ユアラってさ、どんな町なんだろう。」
高い壁に阻まれて、町の様子は分からない。
コンラッドは、心配そうにマデラの走り去った方向を見つめた。
ユアラの町はコトの五倍近い広さをもち、大小合わせて七つの泉がある。
泉の回りにバザーがあり、バザーの回りに住居と畑地があるのはコトと同じだったが、
他の小さな村と違い、各泉を預かる「顔役」達が町中を取り仕切っていた。
廃れた観光地とはいえ、エナルの中で唯一次元人との接点をもつ町らしく、
顔役達の屋敷は他の住居に比べ、立派な作りになっている。
マデラは町の中心近くにある「瞬きの泉」へと向かっていた。
普段行商をしに訪れている町なので、どこに行けばいいのかはちゃんとわかっていた。
(オーディに頼めばいい。彼は泉の管理者だもの。みんなの面倒を見てくれるさ。)
彼の邸につくと、案内も請わずに勝手に中に入る。
そこは、砂色のレンガを積み上げた、コトの村では見られない立派な邸だった。
邸は、観光客用の簡易宿泊所も兼ねていたが、
今は行商人と仲買人の商談用に使われている。
規模は小さいながらも、流通経済が成り立ってはいるらしい。
広い邸内は無数の机帳で仕切られ、気をつけないと迷子になりそうだった。
「オーディ、どこにいるの?オーディってばっ!」
マデラは呼びながら小部屋を一つ一つ覗いていく。
奥の方で人の気配がした。
「オーディー?」
一番奥にある大部屋を、そっと覗いてみた。
「よぉ、マデラじゃないか。」
邸の主は顔見知りの彼を見ると、骨細工のチェックを放り出し、
中に入るように促した。
他の泉の管理者がほとんど長老クラスなのに比べ、オーディはまだ若く、
マデラを弟のようにかわいがってくれていたのだ。
「どうしたんだ、今日は。グリタの皮なら間に合ってるぜ?」
仕事の邪魔にならないよう、敷物の端に座ったマデラに、彼は質問した。
「ちがうよ。仕事できたんじゃないんだ。」
「へぇ。じゃ観光かい?」
マデラはブラックジョークを気にする風もなく、まじめに答える。
「ううん。遊びに来たんでもないんだ。
ちょっとした『オキャク』を案内してきたんだけれど…。」
「オキャク?」
オーディの目が、一瞬丸く見開かれる。
「うん。普通の人達じゃないんだ。」
「焦らすなよ。」
彼は再び手元の骨細工に視線を落とし、作業を続けながら先を促した。
「あのね。ミーア族じゃないんだ。」
「何?」
彼の手が止まった。
「やつら、か?」
声のトーンが落ちる。
「そうじゃないよ。やつらとは違う、別の世界から来た人達さ。
ユアラを見たい、て言うから連れてきたんだけれど…。」
「ふーん。いったい、なんでそんな連中がエナルにいるんだ?」
「事故だって。ここに来るつもりじゃなかったようだよ。」
「やつらじゃないんなら、俺はかまわんさ。ここに連れてくればいい。」
「うん、それがね…。」
マデラは、彼の耳元に何事かささやいた。
オーディの目が大きく見開かれる。
その瞳孔の奥で何かが閃いたのを、マデラは気づかなかった。
第十五章 歓迎されざる客
「帰ってきた。」
ユアラの町の方向を見張っていたコンラッドが、後ろを振り向いた。
荷物の上に座り込んでいた一行は、やれやれ、というように腰を上げる。
目指す町を目前に、先に行って迎える準備をするから、
というマデラに足止めされた彼等は、人工太陽の下、
テントを張らずに二時間程も待たされていた。
「遅い!」
大きな皮袋を引きずって、ようやく帰ってきたマデラにビンゴが文句を言う。
「どうだった、入れるか?」
エーデルに聞かれ、マデラはうなずいた。
「うん。でも今は無理なんだ。」
「無理?」
エーデルの視線が鋭くなる。
「夜になったら町から迎えが来る事になってる。それまでここで待っててよ。」
「何ですぐに入れないんだ?」
いらつくビンゴに、マデラは困ったような笑顔を浮かべる。
「言ったろ。ユアラは他所者をとても嫌うんだ。
昼間から堂々と入って行ったりしたら、捕まって、砂地に生き埋めにされるよ。」
(観光地のくせに、他所者を嫌うのか。)
ドレアの中で何かが引っかかった。
エナルは次元人のリゾート地のはずだ。
恐らく原住民のミーア族も、元はこの地の住人ではなく、
他から連れてこられた種族だろう。
他の種族のエゴに振り回された彼等が、他所者を嫌うのは当然だが、
彼等の生活は他所者が来る事によって成り立っているはずではないのか?
(まだ、何かある。)
自分達の知らないミーア族とエナルの歴史が、あの町にはあるのだ。
「生き埋めなんて。穏やかじゃないわね。」
家畜の影で日差しを避けていたジュエルが出てくる。
「だからさ、夜まで待ってて欲しいんだ。それと、これ。」
マデラは皮袋からフードつきマントを引張り出すと、みんなに配る。
「その格好じゃ困るからさ。町に入る時に着るように、
オーディ、顔役なんだけど、彼に渡されたんだ。
これだけ大きいのはなかなか無くってさ、集めるの、苦労したんだ。」
彼はマントを配り終わると一行を見回した。
「おいらはこれからオーディの用事で町に戻るから。」
「ちゃんと迎えにくるんだろうな?」
心配そうなビンゴ。
「もちろん。じゃ、またあとで。」
マデラは再び町へと歩きだす。
ユアラの町に行けば、すぐにでも月へ帰れると思っていた彼等。
「ちっ。なかなかすんなりいかねぇな。」
ビンゴの呟きが聞こえたのか、マデラが振り向いた。
「絶対に、昼間入っちゃダメだよ!」
一行は仕方なくテントを組み立てる。
人工太陽の熱が、気のせいか前よりも暑く感じられた。
いつもように星線が空のキャンパスに現れた頃、
町の方から誰かが一行に向かって歩いて来るのが見えた。
「マデラじゃないよ。」
見張っていたコンラッドが言う。
迎えに来たのは、フードつきマントをつけた赤い瞳のミーア族の少女だった。
「お迎えに上がりました。」
丁寧に一揖して見せたが、声が震えているところを見ると、
脅えているらしい。
「マデラはどうした。」
エーデルの問いに少女は微かな声で答える。
「彼は、ご主人のお使いで、ティラニの村へ行きました。」
「ご主人?」
「瞬きの泉を預かる、オーディ様の事でございます。」
様をつけるところを見ると、この町には社会的階級があるらしい。
「マントをつけて、私に着いてきてください。お邸までご案内します。」
彼等は仕方なく彼女の指示に従い、町の門をくぐった。
オーディの邸に案内された彼等は、机帳で仕切られた
たくさんの小部屋のうち、奥の大部屋に近い二部屋を与えられた。
「この二部屋以外の出入りは禁じます。
ご用があれば、通路の右手へお声をおかけください。」
彼女は役目を終えると通路の奥に退がって行った。
一行は、二部屋に別れた。
エーデル、ドレア、ビンゴ、ゼオが手前の部屋に入る。
ジュエル、リヴ、コンラッド、アーリアは奥の部屋へと入った。
小部屋の中にはミーア族の家屋にしては珍しく、獣脂ランプが灯っており、
片隅の小さな机には、食器や水差しまで置いてあった。
「なぁ、何か胡散臭くないか?」
小部屋に落ち着くとすぐにビンゴが言った。
「俺達が歓迎されざる客だ、というのは、確かだな。」
ドレアも頷く。
「この部屋以外の出入りを禁じる、て言うのは、
監禁されてるのと同じだな。」
エーデルは、部屋の中を調べまわる。
「マデラがいないのも、気にいらんしな。」
「なーに、いざとなったら暴れてやるさ。」
ゼオは髭を揺らして言い、サボヌの毛皮が敷かれた床に
ごろりと横になって目を閉じた。
すぐに鼾が聞こえ始める。
「へぇ、バケモンでも鼾かくのか。」
ビンゴが変な感心の仕方をする。
ここへ来るまでゼオは一睡もしていないのだが、
それを知っているのはリヴだけだった。
そして、机帳一枚向こうの部屋では…。
「エナルが悲鳴を上げている?」
水差しを持ったジュエルの手が止まる。
「うん…。」
リヴは頷いた。
「大丈夫、リヴ?」
コンラッドが彼女の顔を覗き込む。
頭がどうかしてしまったのではないかと思ったのだ。
「どういうこと?」
水をついだ茶碗を手渡しながら、ジュエルは彼女の前に座った。
「エナルは、人工太陽の熱に耐えられなくて、悲鳴を上げているの。
その悲鳴の波動が、あたしとティンクを呼び寄せたの。」
「エナルてさ、土地の名前だよね。僕らでいう
月みたいなものだよね。それが、どうして?」
「空間には、たくさんの『気』が満ちてるの。
人はそれに気づかないだけ。
月には月の、エナルにはエナルの意思があるのよ。」
「土地に意思何かあるの?」
コンラッドはますます首をかしげた。
「あるよ。『大いなる意思(ラージ・コンシャス)』が。
とても希薄な意思だけれど、それがないと時代は変わらないの。」
「だって、時代は人が変えるものだ、て父さんは行ってたよ。」
「人は、自らの小ささを知らないの。それを認めた時、皆が幸せになれるのに。」
コトの村からこの町へつくまでの間、彼女はゼオを通じて
エナルとの交感を続け、自分達の未来へと超感覚のアンテナを
伸ばしていたのだが、結果はあまりよくなかったようだった。
瞳の色が、またゆっくりと濃くなっていく。
ジュエルはエーデルの言葉を思い出す。
(誰だっていつまでも子供じゃないだろう、いつかは大人になる。
それとも彼女は、大人になれないのか…?)
人工生命体リヴ。彼女は、大人どころか人を越えたところで生きている。
そんな彼女に、月へ帰ってどうしろと言うのだろう。
(一生を人形のお守りで終わらせるのか?)
彼女がどれくらい生きられるのかはわからない。
けれど、コトの村を出た時には、それでもいいと思っていた。
今までと同じように、ずっと一緒に生きていくのだと考えていたのだ。
が、ジュエルの知らないところで、リヴの力が大きくなっていく。
(そのうち私は用済みになって、捨てられてしまうのではないかしら…。)
ふと、エーデルの顔が頭に浮かんだ。
(やだ、どうしてエーデルなのよ。)
赤くなってうつむくジュエルに、コンラッドが聞いてくる。
「どうかしたの?」
「な、何でも無いの。」
ますます赤くなる彼女を、瞳の色を濃くしたリヴが、面白そうに見ていた。
翌朝。
夕べ一行を案内してくれた世話係のリズルが、
朝食を運びがてら、伝言を伝えた。
相変わらず脅えているらしく、声が震えている。
「町の相談役達が代表者と話がしたいと言ってます。
食事が終わったら、奥の部屋へご案内します。」
「俺が行く。」
エーデルが言うと、まだ横になったままのゼオが言った。
「リヴに行かせた方がいい。」
「冗談だろ。ここに残りたがってる奴になんか、任せておけるかよ。」
いきまくビンゴの後で、忍び笑いが漏れた。
「脱出できなくなっても知らないよ。」
リヴだった。
彼女は部屋に入ると、エーデルの前に立って言った。
「あたしが行く。」
「だめだ。」
エーデルは首を横に振る。
「じゃぁ、あたしコトに帰る。」
「何を今さら…。」
「本気だよ。だけど、全部あたしに任せてくれたら、ここから脱出させてあげる」
沈黙が降りた。
「かまわんじゃないか。
シャトルを出た時だって彼女に任せて正解だったしな。
それに、観迎されざる客の俺達の言うことを、
連中が素直に聞いてくれるとも思えんし…。」
ドレアの言葉に、エーデルも渋々承知した。
「相談役がお待ちです。」
リズルが迎えに来た。
(彼等は厄介事が起こるのをひどく恐れてる。
でなきゃ、俺達が監禁される必要はないはずだ。
ここには何かある。本当に月に帰るつもりなら、
大人しく様子を見ている事だ。)
ドレアの内心に気づいたのか、リヴは彼に頷いて見せると、部屋を出て行った。
奥の大部屋には、七〜八人のミーア族が
車座になって主賓が来るのを待っていた。
(やだ、年寄りばっかり。)
机帳の隙間から中を覗き、リヴは肩をすくめた。
ミーア族は齢を重ねる毎に少しずつ太っていく。
泉の水の副作用らしいのだが、体が多少肥大したぐらいでは、
彼等は気にも止めない。
(柔軟性のない年寄りが実権を握ってるなんて、
ステロタイプな種族だこと。)
案内のリズルに促され、彼女が大部屋に入っていくと、ざわめきが起きた。
(おお、和毛がない。)
(瞳の色も、形も違う。)
(皮の色も白い。)
皆耳をパタつかせ、目を丸くしている。
(本当にやつらとは違うのか。)
(尻尾もない!)
「静かに!」
部屋の一番奥、上座に座ったミーア族の一人が手を挙げると、
ざわめきが止んだ。
「ようこそ、ユアラの町へ。私はこの町の相談役の長、パコット。」
「あたし、リヴ。」
入口に立ったままあいさつする。
「まぁ、座りなさい。」
彼女は促されて車座の真中まで進み、パコットの正面に腰を下ろした。
「さっそくだが、あんた達は、この町に何をしに来たのかな?」
リヴは瞳を眩かせて答える。
「マデラは何て言ってたの?」
「あいつは何も言っちゃいないさ。」
オーディが入口の机帳に凭れたまま言った。
「そう…。私達、町の見物に来たのよ。」
「では、ここにはどれくらいいるつもりかな?」
「わからないわ。」
そう答えながらも、彼女の瞳は意地悪くきらめく。
「気に入れば、ここに住み付くかも知れなくってよ。」
彼女の本音だった。
ざわめきがまた広がる。
「それとも、あたし達がここにいては、困る事でもあるのかしら?」
こいつはキケンだな、とオーディは思う。
「ならば、はっきり言おう。」
パコットの決心がついたようだった。
「あんた達は歓迎されざる客だ。
が、こちらの条件をのむなら数日間の滞在を許そう。」
(ほら来た。)
彼女は澄まし顔で聞き返す。
「条件、て?」
「まずこの邸に滞在する事。外出は夜間のみ、オーディの許可を取り、
見張りも同行させる事。他のミーア族との接触は、厳禁だ。」
彼女は乳白色に染まった胸のリープル石を握りしめ、一瞬遠い声に
耳を澄ます風だったが、やがて大きく頷いた。
「いいよ。その条件、全部のむ。」
「お前、馬鹿か?それじゃ帰るどころか、
システムの場所さえ探せないじゃないか。」
ビンゴに言われ、リヴも言い返す。
「バカはそっちでしょ。いつからそんなにまじめになったのよ。」
「あんだとっ!」
「やめろ、ビンゴ。」
ドレアが手を出しかけたビンゴを押さえる。
彼女は与えられた小部屋に戻ると、話合いの結果を報告した。
「内輪もめをしている時間はないぞ。」
彼等に許された時間は五日。
その間に、何とか月に帰る方法を見つけなければならない。
とりあえず彼等は、監禁者であるオーディの事を知るために、
しばらくはおとなしく様子を見る 事にした。
そして二日目の朝方。
ビンゴは何となく人の気配を感じ、目を開けた。
(あ…?)
リヴの顔が間近にあった。
澄んだ紫の瞳が、不思議な光を湛えている。
耳元に、彼女の唇が近づいた。
(な、何を…?)
(目を閉じて…。)
彼女の手が、彼のまぶたをそっと閉じる。
(そのまま。)
手の感触を感じた瞬間、彼は再び浮遊感のある夢の世界へと引き戻された。
(何も考えないで。ゆっくり息をして…。)
彼女はビンゴの額に自分の額を接触させると、
彼の中に直接思念を送り始める。
やがて、彼はまた深い眠りに落ちていった。
ビンゴは漆黒の夢の中で、たくさんの悲鳴を聞いたように思ったが、
次に目を覚ました時には、朝方リヴが忍んできた事も、
夢の内容も、全て忘れていた。
狭い部屋に一日中閉じ込められ、見張りの監視付き、
というのは、なかなか神経の疲れる生活だった。
ここから脱出する為の相談もできず、かといって、
下らない世間話などをする気にもなれない。
彼等はほとんどの時を無言で過ごした。
ドレアの提案で、世話係のリズルを抱き込もうと画策したが、
彼女は彼等を恐れている為、計画はどれも失敗に終わった。
そんな、二日目の夕刻。
「こーんな所に閉じ込めやがって、息が詰まって、死んじまうじゃねーか。」
とうとう我慢しきれなくなったビンゴが、意を決したように立ち上がった。
「おい、リズル。オーディはどこだ?」
夕食の支度を始めたリズルを捕まえて聞く。
「そ、そろそろお帰りになりますが…。」
彼女は彼が特に苦手だった。
口が悪く、何かというとすぐに手を出してくるからだ。
「なぁ、飯の前に散歩行かねーか?」
「困ります。」
彼女の瞳の虹彩が、一回り大きくなった。
かなり動揺しているらしい。
「いいじゃねーか。」
なおも腕をとろうとする彼に、声にならない悲鳴を上げ、
彼女はその場から逃げ出した。
「ちぇっ。振られちまったぜ。」
「毛深いのが好みとは知らなかったな。」
その様子を見ていた ドレアに冷やかされ、ビンゴはむくれた。
「バカ、からかっただけじゃねーか。
ちきしょう、こうなったら意地でも散歩に行ってやる。」
勢い込んで小部屋から出ようとした彼は、
見張りのミーア族に行く手を阻まれた。
「どこへ行く。」
「サンポだよ。動かねーとハラすかねーんだ、俺は。」
彼は威嚇するように肩をそびやかした。
「戻れ。オーディがそのうち帰ってくる。それからでもかまわんだろう。」
「俺は、今行きてーんだよっ。」
彼はそう言って、見張りの頭を小突いた。
「何をするっ。」
たちまちつかみあいのケンカが始まった。
通路で起こった騒ぎに、あちこちの小部屋から使用人の顔が覗く。
「やめなさいっ。」
止めに入ったジュエルの腕を振り払い、
ビンゴはなおも見張りのミーア族に向かっていく。
「外出禁止だぁ?笑わせるなよっ。
元いた世界に帰るのが、そんなに悪いのかよ!」
(ちぃっ。)
五十センチの身長差があるにもかかわらず、
ケンカなれしているはずのビンゴが、押されぎみだった。
ミーア族の持つ鋭い爪に体中を引っかかれ、彼は傷だらけになっている。
「やめろ、サマリ。」
見張りの背後から、声がした。
「何の騒ぎだ?」
「オーディ、こいつら、勝手に外に出ようとしたんだ。」
振り向くと、そこには帰宅したオーディが鋭い視線でビンゴをにらんでいた。
「よぉ、ようやく帰ったな。もう日は沈んだろ、飯の前に散歩させろよ。」
ビンゴが見張りのサマリを押し退けて言うと、
オーディの目の虹彩が、すぅ、と細められた。
返事をするまで、少しの間があく。
「いいだろう。但し、二人までだ。俺がついていく。」
「あたしが行く!」
「僕もっ。」
リヴとコンラッドが、机帳の影から飛び出してきた。
「バーカ。俺が行くに決まってんだろ。ジュエル、来いよ。」
通路の隅で、どうなる事かと心配気に様子を見守っていた
ジュエルに声をかける。
「何だ、この非常時にデートか。」
ドレアがからかう。
「いけねーかよ。」
「私、いいわ。」
誘われたジュエルは首を横に振った。
「ちぇっ。何でぇ、せっかく外に出れるのによ。」
「じゃぁ、あたしが行く!」
リヴがビンゴの腰に抱きついた。
「わっ、よせ!ばか、放せよっ。」
「決まったなら、マントをつけろ。」
うんざりしたようなオーディの声。
二人はオーディの指示にしたがって、日の沈んだ町へと出ていった。
「でも、大丈夫かしらね、あの子。」
ジュエルがその後ろ姿を見送って言う。
「ビンゴがついてる。大丈夫だろう。」
「だって、夜遊び何かした事ないのよ。」
「さよで…。」
まじめな顔で心配するジュエルに、ドレアはあきれた。
「いいかげん、その母親面、やめたらどうだ。」
騒ぎを見物していただけのエーデルが言う。
「余計なお世話だわ。」
「あれじゃぁ、いつまでたっても子供のままだ。
リヴも、あんたもな。」
自分の部屋に戻りかけていた彼女は、彼の言葉に振り向いた。
「あなたにそんな事を言われる覚え、ないわよ。」
「あんたみてると、いらつくんだよ。」
「何も知らないくせに、干渉しないでって言ってあるでしょう!」
「やめろ、二人とも。夫婦ゲンカはミニペットも食わんぞ。」
ジュエルはからかうように言ったドレアをにらむと、
自分の部屋へと戻っていった。
「勝手にしろ!」
エーデルはいらつく自分を持て余していた。
何故自分はこうもいらつくのか。
理由はわかっていた。
(ジュエル…。)
だが、彼はその理由を、どうしても認めたくはなかった。
(いや、俺は絶対に帰る。ミストラルのいる月へ。)
追いついたー投下乙ー
不思議な展開が続いてて面白い
{,;;;;;;;;;;;;{ _,,;;;;,、 ,,;,、;,.',
_l,;;;;;;;;;厂 〃 .__、` ,r' ゙゙`'};;,.j
. { トヽ;;;;;! '´ ̄ ` { '=ッ{;< ! . , , .
. ヽ.ゞさ;;} ,.r'_ ,..)、 !;,.! ヽ、_,人_,ノ、_,从,人.ィj、ノv1
ヽニY ,.r' _`;^´! ,';/ )
ヾ:、 ヾ= 三;〉 /'′ ‐=、´ 容量節約verのえなりかずきもスレを応援してるよ!
ノ,;:::\ ` ー" , ' )
,.、-',;;;{ ヾ:ヽ、 __ ,∠、 , '⌒r‐v'ヽィ'⌒Yソ、ト、!yヘ!
AAやめいw
第十六章 行動開始
邸の裏手にある瞬きの泉は、流れ始めた星空を映して静まり返っている。
オーディ、ビンゴ、リヴの三人は、泉の回りをゆっくりと散策していた。
「ねぇ、神殿を見たいのだけど?」
並んで歩くオーディの肩が、リヴの問いに一瞬ピクリと反応した。
「そんなものはない。」
「うそ。マデラが教えてくれたもの。」
彼女はこの町に来る途中、マデラの知っている限りの
情報を聞き出していた。
それによると、町の中心に「神殿」と呼ばれる大きな建物があるが、
町の住人達はひどくこの建物を嫌っているという。
「何故嫌っているのかは、おいらも知らないよ。
ただ、あの町の連中は、絶対にあそこへは近づかないんだ。」
観光の中心地であるはずのユアラ。
「他所者」と「神殿」を嫌う町の人々。
エーデルやドレアが聞いたら、疑問に思うかもしれなかったが、
彼女にはユアラの住人の心情が理解できた。
(それなりに歴史がある、という事ね。)
マデラの同行を隠していた本当の理由は、
彼の提供する中途半端なデータを頼り、
エーデル達に勝手な行動を起こされないようにする為でもあった。
「あいつが何を言ったのかは知らんが
「シンデン」何て酔狂なものは、存在しない。」
あくまでもとぼけようとするオーディに、彼女は直接的な質問を試みた。
「次元人がこなくなったのは、いつ頃?」
オーディの瞳が大きく見開かれた。
「お前達には、関係のない事だ。」
「そうね。…私達、ここの平和を乱そうと思ってこの町に
来たんじゃないのよ。ただ、自分達の元いた世界に帰りたいだけなの。
あなた達だって、私達の事が目障りで…。」
「もういい。何も話すな。」
オーディが遮った。
「ミーア族は、何を恐れているのかしら?」
彼の虹彩が、大きく膨らんだ。
「…。関係のない事に、首を突っ込むな。」
「うっせーぞ!さっきっからゴチャゴチャとしゃべくりやがって!」
少し距離をおいて先を歩いていたビンゴが、振り向いて怒鳴った。
ジュエルに振られたせいか、機嫌が悪い。
(俺は絶対に月に帰るからな。
こんな訳の分からん世界に、いつまでもいられるか。)
リヴは少し罪悪感を感じ、肩をすくめた。
(ごめんねビンゴ。もう少しつき合って。)
昼間の監禁を条件にこの町にいる以上、
あまり騒ぎを起こしたくなかったし、かといって、
外の様子が全然分からないままでは、今後の行動にも支障をきたす。
そこで数日前の明け方、単純な性格で一番暗示のかかりやすそうな
ビンゴに、外に出せと騒ぐよう、軽い暗示をかけておいたのだ。
エーデルやドレアだと暗示をかけにくい上に、
オーディを変に刺激しそうな気がしたし、ジュエルやコンラッドは
彼女の言うことを素直に聞くだろうけど、外に出せと騒ぐような
性格ではなく、エーデル達にかえって怪しまれてしまうように思えたのだ。
彼女はこの機会を逃さないよう、情報収集に努める。
「あなたは、私達がどこから来たのか、知りたくはないの?」
「ミーア族はエナルの住人だ。他の世界の事など、考えん。」
毎日同じ事の繰り返し。
前進も後退もない、時の封土エナル。
「ここってさ、時が意味を成さない所なんでしょう。
何でかなぁ。みんな生きて、動ているのに…。」
オーディは、彼女の言葉を無視して言う。
「そろそろ帰るぞ。」
(そう簡単にデータの提供はしてくれない、か…、
いいわ。他にもやりようはある。)
リヴとビンゴは素直に帰途についた。
「もう、夜遊びなんかするから。」
翌朝、ドレアはジュエルの怒声で目覚めた。
「朝っぱらから、何の騒ぎだ。」
あくびをかみ殺し、隣の部屋を覗く。
「ああ?」
部屋の真ん中に、毛皮の山ができていた。
その回りを、ジュエル、ビンゴ、コンラッド、エーデルの四人が囲んでいる。
「なんだ、どうした?」
ジュエルの機嫌悪し、と判断して、ドレアはエーデルの肘をつついて聞く。
「リヴがカゼをひいたらしい。」
「あ?」
ドレアはあきれた。
(人工生命体が、カゼ?
そりゃぁ、確かに精巧にはできてるんだろうが…。)
クシュン。
毛皮の山が揺れた。
中を覗いてみる。
リヴが真っ赤な顔をして笑った。
「いい、今日は絶対安静よ。後で精のつくもの持ってきて
上げるから、おとなしく寝てるのよ。わかった?」
微かに返事が聞こえた。
「と言うわけなの。コンラッド、そっちの部屋で預かってね。」
ジュエルに追い出され、彼等は隣の部屋へと戻る。
「お前、彼女に水浴びでもさせたのか?」
ドレアはビンゴをつかまえて聞いた。
「そんな事させるかよ。泉の回り、散歩しただけだ。」
「そうか…。ここには薬なんかないんだろうな。」
メディカルセットは砂の原に散っていった
ランシスが持って行ってしまっていてない。
「人形に猫人間の薬が効く分けねーだろ。なぁ、エーデル。」
返事がなかった。
「エーデル?」
「あ…、ああ?」
何か考え事をしていた彼は、何の用だ、
というようにビンゴを見返した。
「たく、どいつもこいつも気にいらねーな。
ま、月に帰るまでのがまんだけどな。」
ビンゴは監禁される身でいながら、もうすぐ月に帰れると思い込んでいる。
果たして、そうなのだろうか…?
「カゼ?何だそれは。」
ジュエルが騒いだおかげで、リヴの倒れた事はすぐにオーディの耳に入った。
彼は仕事の手を止め、リズルを振り向く。
「体が、動かないらしいんです。」
エナルに病気というものは存在しない。
泉の水の効力で、病原体は生存し得ないのだ。
その代わり、と言うもの変だが、怪我人はいる。
彼等は家畜の骨を使って道具を作るのが得意だが、
その作業中の不注意で怪我をしたりする者が出てくる。
その治療方は、泉の岸に生えている丈の高い雑草の葉を傷口に当てておく。
二日もすれば直っているというのだ。
ドレアはその話を聞いて言ったものだ。
「至れりつくせりだな、ここは。」
だが、指を落としてしまった場合には、
さすがに元通りにはならなかったが…。
病気の存在しないエナル。
シャトルを出てからコトの村につくまでの間に、
コンラッドとエーデルが熱を出して倒れたのは、
おそらくこの地に合わせて体質を改善する為の、
ハシカのようなものだったのかも知れない。
「しばらく大人しくしていてもらえる、ということか…?」
あと二日で彼等の滞在期限は切れる。
(それまで、カゼとやらが持ってくれればいいが…。)
彼は立ち上がると、部屋の入口に控えているリズルに言った。
「パコットの所へ行く。」
手作りの焼き菓子が食べたい。
そう我儘を言ってジュエルを部屋から追い出し、
一人になる事ができたリヴは、毛皮の山から這い出した。
その赤かったはずの顔は、いつもどおりの青白さに戻っている。
どうやら体内モードを切り替えて、仮病を使っていたらしい。
隣の部屋で昼寝をしているはずのゼオにテレパシーで呼びかける。
(何だ?)
(ちょと出かけてくる。後、よろしくね。)
(最近いろいろやっているようだが、あまり無茶をするなよ。)
(だって、みんな月に帰りたいって、ワガママなんだもの)
頬を膨らませて言う彼女に、彼は笑った。
(ははは…。こっちの連中は、みんな昼寝中だ。気をつけて行ってこい。)
(うん。ありがと、ゼオ。)
テレパシーの波に乗って、投げキッスが送られてきた。
「苦労するな、あいつも。」
寝言のように呟き、彼は寝返りを打った。
彼女はペンダントをはずすと、乳白色のリープル石を
両手でぎゅっと握りしめる。
「ティンク、お願い。」
指の間から、青白い燐光が漏れたと思うと、ぱぁっ、と広がって、視力を奪う。
やがて光が収まると、彼女の姿は消えていた。
ユアラの町の昼下がり。
コトの村同様、昼食はみな自宅で取る為、往来には人影がない。
その人通りのない大通りを、ミーア族のマントを頭からすっぽりかぶった
小さな人影が、バザーに向かって歩いていく。
影はバザーにつくと、出しっ放しの干し肉や、
焼いた穀物を失敬しては、口に放り込んでいった。
肉の油でベタついた手をマントにこすりつけていると、
後ろから肩をたたかれた。
「ひぇっ?」
息をのんで振り返る。
「な、何だ、お前…?」
そこには、自分と同じようにミーア族のマントで
上半身を隠した人間が立っていた。
「ミーア族、じゃ、ないな。」
肌の色と、足の間に尻尾のないのを確認して言う。
「あんたもね。」
「ふ…ん。お前が他所者か。」
虚勢を張り、腰に手を当てて言う。
その顔は、フードに隠れていて見えない。
「あら、誰に聞いたのかしらね。」
「そんな事はどうでもいい。なんでユアラに来た?」
「元の世界に帰るために。
ねぇ、神殿のシステム、使わせてもらえないかしら?」
こいつ、何で神殿の事を知っているんだ?
「残念だがな、あそこは俺達以外、入れないことになっている。」
「なんでぇ?」
甘えたような文句のつけ方に、相手はちょっと面食らって答える。
「な、何でもだっ。それよりお前。」
「お前じゃないよ、あたし、リヴっていうの。あんたは?」
「…、ケアレス。あっ。」
つい乗せられた彼に彼女はにっこり笑った。
「あたし達は事故にあってここに来てしまったの。
元の世界に帰りたいだけなのよ。
ねぇケアレス、あたし達が来てから、
何か変わった事が起きてるんじゃない?」
「何でお前にそんな事がわかるんだ!」
「お前じゃなくって、リヴ。やっぱり、何か起き始めているのね。
あたし達がいなくなれば、問題なくなるんじゃない?」
うつ向くケアレス。
「もう、手遅れだよ。」
彼女の視線が鋭くなる。
「どういうこと?」
「いけね。」
彼は口を押さえ、彼女に背を向けた。
「教えてよ。ねぇ。」
彼が振り向いた。
「リヴ…、て言ったな。お前、どこの人間だよ?」
「あたし?火星生まれよ。」
「何だそりゃ。」
「あ、えっとぉ…。」
彼女の瞳が眩いた。
「とある通常空間にある赤い星。
私はそこで生まれた人工生命体。」
「ジンコウ…?アシスタント・ナビゲーターの事か?
どうりで、この世界の実態に気づく奴なんて、
そうざらにはいないもんな。」
アシスタント・ナビゲーター。
次元間移動の際、システムとパイロット間を連絡サポートする、
次元人の作り出した有機体アンドロイドのことだ。
「ねぇ、手遅れって、どういうこと?」
「関係ない。」
彼は背を向けて歩き出した。
「ついてくるなよ。」
「神殿、帰るのでしょ。」
「フンッ。」
「まさかとは思うけど、ミーア族を見捨てて逃げ出す、
何て事は、しないわよね?」
彼女は彼の後からついていきながら、質問を続ける。
「お前達のせいだからな。こんなことになったのも。」
(やっぱり、何か起こっているんだ。)
「勘違いしないでね。エナルの地が、私達をここへ呼び込んだのよ。」
「なに?」
彼女の言葉によほど驚いたらしい、振り向いた拍子に
フードがずれて、彼の顔が表れた。
(わぁ、変わった瞳…。)
ケアレスの瞳は、虹彩の中に数個の鉱石が埋め込まれ、
視線を動かす度にプリズムのようにきらめいた。
(それに緑の肌なんて。どういう条件下で淘汰されたのかしら。)
ケアレスから見れば、白い肌に妖瞳の彼女の方が、
よっぽど変だったのだが…。
「イニナウロ・ヴァムジ・エナル。ミーア族はこのキャッチフレーズを、
今だに口伝として伝え続けているわ。」
(こいつ…っ。)
どうやら神経を逆なでするような事を言ったらしい、
緑い唇が噛み締められる。
彼はいきなり足元の柔らかい土を彼女に向かって蹴り上げ、
その場から逃げ去った。
「きゃっ!」
(ちょっと、言い過ぎたかな。)
どうやらあのキャッチフレーズが、彼の癇に触ったらしい。
「ま、あんだけ揺すっとけば、また出てくるでしょ。」
彼女は思っていた以上の収穫に、ほくほくしながら歩き出す。
物陰に隠れてまたリープル石を握りしめた。
「ティンク、もういいよ。」
青白い光が物陰でひらめく。
ユアラの町の昼下がりは、相変わらず静かだった。
その夜。
オーディの邸の入口で、声にならない悲鳴が上がった。
出入り口の見張りが何者かに襲われ、気絶させられると、
手近な小部屋に放り込まれた。
怪しい三つの影が邸を抜け出す。
「本当なんだろうな、次元人に会った、てのは?」
寝入りばなを起こされて、ビンゴは機嫌が悪い。
「ウソなんかつかないわよ。子供だったけど、ちゃんと話しもしたんだから。」
彼の後ろを早足で歩くリヴが言う。
「何でとっ捕まえなかったんだよ。
そうすりゃ今頃は、月に帰れてたはずだぜ。」
「そんなことはできんさ。」
リヴの後ろから、ゼオが言った。
「連中は、何をするかわからんからな。」
「連中…てお前、奴等の事知ってんのか?」
ゼオはニタリと笑った。
「少し、な。」
「ちっ。バケモン連中だけで勝手に計画進めるなよな。
俺達の立場がないじゃないか。」
話しながら歩くうちに、彼等は町外れの神殿にたどり着いた。
荒れた土地を背景に、無数の幾何学模様を組み合わせたような建物が建っている。
まるでディスクゲームの悪の科学者の研究所のような、グロテスクな建物だ。
「何だこりゃぁ。次元人てのは、どーゆーセンスしてやがるんだ。」
「少なくとも、ビンゴよりは趣味がいいと思うけど?」
文句を言う彼を無視して、彼女は楽しげに神殿を見上げる。
外装はなめらかな白い鉱石で出来ており、窓や排気孔の類いは一つもない。
月の設計技師が見たら、ありえない建物だと断言するであろう複雑な建築様式。
神殿への唯一の出入り口は、建物正面に造られた広い階段を上り詰めた所にある。
階段と入口の間には広いスペースが設けられ、テラスになっていた。
テラスを覆う屋根は、安っぽい作りの飾り彫りが施された、
二本の支柱で支えられている。
リヴは階段を上ると、入口の前に立った。
高さ約三メートル、幅約八メートルの入口の奥は、真っ暗で何も見えない。
「やめとけよ!」
中に入ろうとした彼女を、ビンゴが止める。
「セキュリティ・システムぐらい、あんだろ。黒焦げになっても知らんぜ。」
「大丈夫だよ。」
彼女は入口にそっと手をかざす。
(あ…。)
手が、何かに触れた。
ガラス板かと思ったが、触った感じは可視物質とは違うようだ。
(生体…波、シールド…?)
特定の生体にのみ反応する、磁波状組織シールド。
次元人のテクノロジーは、昼間会ったケアレスと視線を会わせた時に
勝手に脳内スキャンをして仕入れていたので大抵の事はわかっている。
こちらにそんな能力があるとは知らず、油断してる隙をついての
スキャニングだったので気付かれてはいないはずだ。
(町の人達はここには近づかないし、観光客も来ないのに…。
シールドを張っておくエネルギー、無駄だと思うんだけどな。)
彼女は入口の前で考え込んでしまった。
(んー。これじゃ、入れないなぁ。)
と、神殿の奥で何かがきらりと光った。
(え…?)
いきなり後ろから襟首をつかまれた。
彼女は、猫のようにぶら下げられたまま階段を降りる。
階段の下で呆気にとられていたビンゴも、同様にして
ゼオに神殿の横手へと運ばれた。
「俺は猫じゃねーぞっ!」
「しっ。誰か来る。」
二人を運んだゼオは、触手の役割も果たす長い二本の髭を口に当て、
黙るよう合図した。
「…。何も、聞こえんぜ。」
「黙って。」
リヴも気づいたようだ。誰かが階段を飛び降りた気配がする。
「やっぱりね。」
壁からそっと顔を覗かせた彼女が言う。
「何がやっぱりなんだ?」
「昼間、あの子に揺さ振りかけといたの。」
神殿の入口には、ミーア族のマントをつけた小さな人影が、
星明かりに照らされている。
「人形がユスリをねぇ。」
変な関心の仕方をするビンゴに、彼女は文句を言った。
「ビンゴと一緒にしないでよ。あたし、不良じゃないもん。」
「あんだと!」
ケンカを始めた二人をゼオが制する。
「しっ。馬鹿。」
人影が彼等の方に近づいて来た。
気配を悟られたのだろうか。
(気のせいか…。)
何もないのを確認して安堵のため息をつく人影。
そのまま町に向かって歩き出した。
「プハーッ。」
何もない空間から、人の声がした。
「馬鹿野郎、俺は普通の人間だぞ。人形と一緒にするな!」
空間の一部が歪み、ビンゴの顔だけが現れた。
「人間て、不便だねー。」
りヴも顔を出す。
「に、人形のお前に、息の出来ない人間の苦るしさが、
わ、わかってたまるか。」
ゼオは人影に見つかる寸前、三人の回りに自分の結界を張り巡らし、
その目を逃れた。が、何分にも慌てていたので、結界の中の空気が
希薄になってしまい、リヴのように体内モードを持たないビンゴは、
呼吸困難に陥ってしまったのだった。
この予想外の展開に、三人はとにかく人影の後をつけて町へと向かった。
「彼、どこに行くのかな。」
ゼオが答える。
「情報提供者の所、だろうな。」
「やっぱりそう思う?だとしたら、誰の所かしらね。」
人影は星明かりを受けながら、大通りを堂々と歩いていく。
そして瞬きの泉へとさしかかった彼は、オーディの邸の前で足を止めた。
「まさか、あの若いオーディが…?」
人影は、辺りに人の気配がないのを確認すると、邸の中へと忍んでいった。
「俺達があそこにいるの、知ってるんじゃないのか?」
ゼオの言葉にリヴは首を振る。
「わからない。けど、どうする?」
「奴を盾に、神殿のシステムを使わせるよう、交渉すりゃいいだろ。」
「あまり手荒なことはしたくないんだけどな。
最後のチャンスかもしれないし…。」
「とりあえず、捕まえておけばいい。」
「そうね。他に方法ないものね。」
三人は軽い打合せを済ませると、それぞれに散って行った。
獣脂ランプの消えた邸内は、真っ暗だった。
その暗い通路を手探りもせず、ケアレスは真っ直ぐ目的の小部屋へと歩いていく。
彼等の視覚に、光は必要ないのかもしれない。
『エナルが、私達を呼び込んだのよ。』
ケアレスは、昼間出会った他所者の言葉が気になり、
連絡役を務めるオーディに話を聞きに来たのだった。
(オーディの奴、起きてるかな。)
彼の私室に通じる几帳の前まで来たとき。
(何だ?)
几帳の上から小さな光が舞い降りてきた。
「えっくす・きゅーず・みい?」
(あ…!)
軽い衝撃が頭に感じられる。
「イイワヨ、ハヤク、ろーぷヲ!」
ケアレスはアーリアに脳波を攪乱され、通路にのびた。
近くの几帳の裏で息を潜めていたビンゴが、ロープを手にやってくる。
「あ、そんなにきつくしたら可哀相だよ。」
ケアレスを縛り上げる彼に、後から出て来たリヴが文句をつける。
「これくらいしなきゃ、意味ねーだろ。」
「だって…。」
「縄抜けされちまうんだよっ。」
「大事な人質だよ?」
「たくっ。だから女ってのは…。」
縛り上げたケアレスを、ゼオが担ぎあげた。
「明日の朝まで俺が預かる。
他の連中に悟られないよう、部屋へ戻れ。」
ゼオはそう言って、一番奥の大部屋へと歩いていった。
「今すぐ乗り込みゃ、原住民どもの知らないうちに帰れるじゃねーか。」
「いいの。とにかく朝まで待つの。」
彼は文句をつけながらも、彼女の持つランプを頼りに、部屋へと戻った。
ビンゴが部屋へ帰ると、エーデルが彼を迎えた。
「どこへ行っていた?」
「な、何だ。起きてたのか。」
エーデルを言いくるめる事は不可能に近い。
ビンゴは隠そうともせずに素直に答えた。
「リヴの奴が、昼間次元人に会ったんだとよ。」
「何?」
エーデルの表情が厳しくなった。
「それで、今夜そいつを捕まえたんだ。」
ちょっと考えるとエーデルは言った。
「あいつが裏でいろいろやってるのは知ってたが…。
そこまで事態が急変してるとはな。
で、何故すぐにも乗り込まないんだ?」
「さぁな。でもあいつ、焦ってるぜ。」
「何をだ?」
エーデルは怪訝な顔をする。
「何だか知らんが、かなり焦ってる。
だいぶ前にあいつが言ってたろ、時が来ればエナルが動く、て。
俺達の知らない所で何かが起きてるんだ。
バケモン連中は気づいてるらしいけどな。」
「何が起きるって言うんだ。天地でもひっくり返るのか?」
「…。かもしれない。」
遠い目をしてまじめに答えた彼に、エーデルは肩をすくめた。
数日前の明け方、ビンゴはリヴに接触テレパシーを送られた時、
彼女の中に途方もない深淵を見ていた。
だがそれは、潜在意識の奥底で知覚された事で、
彼はそんな事実があった事さえ忘れている。
今はただ、エナルの気によって鋭敏になりつつある感覚が、
彼を不安にさせ、リヴの言うことを素直に聞かせているだけなのだった。
おいついたー 何気にはっとさせる展開続くなぁw
正直序盤では推敲不足感があって、あまり期待してませんでしたすみません><
この世界観がどこに向かうのか超期待
空白入れる位置にまだ違和感あるかも
基本的に台詞の前後にだけ入れてればいいんでない?
第十七章 イニナウロ・ファムジ・エナル
夜明けも近い頃、コンラッドは何かの気配を感じて目を覚ました。
(何だろう?)
起き出して几帳の影からそっと通路を覗く。
すぐそばで、隣の小部屋を覗く人の気配が感じられた。
(この人、誰だろう。)
彼は思い切って声をかける。
「ねぇ、何してるの?」
驚いて振り返った人影は、彼と目が合うと、
出口に向かって慌てて走り出した。
「あ、待ってよ!」
と、邸の奥から小さな光の塊まりが、猛スピードで飛んできて、
逃げ出した相手の頭上を越え、その前に踊り出た。
「な、何だ、お前は!?」
相手は腰を抜かさんばかりに驚く。
『ワタシハ、あーりあ。』
「アーリア…?そうか、竜の使いだな。」
彼女はゼオが人型になってから、彼の体内で活動休止していたのだが、
ユアラの町についてからは用心の為、ずっと邸内を巡視していたのだった。
『こんらっど、ミンナヲオコシテ。』
「うん…。」
理由が分からないながらも、彼は仲間を起こしに行った。
朝早く、町の相談役達に招集がかけられた。
オーディの邸で重大発表があるという。
「何だろうな、いったい。」
「さぁな。客人が何か騒ぎを起こしたのかもしれんぞ。」
「ありうるな。」
不安を抱えた人々が、邸に集まってくる。
彼等の不安は、邸内の大部屋に入ってから、さらに大きくなった。
廃れた観光地の住人として、惰眠を貪ってきたミーア族。
泉の水によってその成長をほとんど止められてしまっているにもかかわらず、
数代の世代交替を経る程の長い時、彼等は同じ日々を繰返してきた。
それが今日、既に記憶の彼方に封じられ、風化したはずの
忌まわしい過去が、彼等の前に再び姿を現したのだ。
息をのむミーア族の前で、エーデルが言う。
「紹介しよう。サルディングとケアレス。
二人とも、観光局の人間だそうだ。」
薄緑い肌に、鉱石を散りばめた四つの瞳が不安そうに瞬く。
次元人の二人は手足を縛られ、床に座らされていた。
「こいつらは代替りしとる。わしらの事など、何も知らん。」
「じーちゃん、何もしゃべんじゃねーぞ。」
ケアレスは、自分達を取り囲む連中をにらみ回しながら言った。
「ミーア族に、自分達のおかれている状況を公表する必要があるの。」
昨夜、エーデルはすぐに神殿へ乗り込むようリヴを説得したが、
彼女は首を横に振った。
「人の心配より、自分達が月に帰る方が先だろう!」
彼は彼女の言う『状況』が何を意味するのか、分からずに食い下った。
「あたし達は今、運命共同体なの。」
「前もそうだったな。そうやって、自分だけで納得して事を進める。
今度は何だ、帰還の引き延ばし工作か!」
一瞬、彼女の妖瞳が揺らいだように見えたのは、
彼の錯覚だったろうか。
「人形の私が人様の意向に逆らえて?とにかく、朝まで待ってくれればわかるわ。」
その答えに、腹の底を見透かされているのを、彼は感じた。
(となれば、とことん付き合うまでだ。)
「俺達は、元いた世界に帰りたいと思っている。
次元移動のシステム、使わせてもらえないだろうか?」
エーデルの問いかけに、サルディングは首を横に振る。
「断る。」
「何故だ。あんた達は、事故にあった者を救助しないのか。」
「助けてやりたくても、二人乗りの脱出用ポッドが一基あるのみ。」
「観光客用のはないのか?」
ビンゴが珍しくまともな質問をする。
「そんなもの。こいつらの先代がみんな壊してくれたよ。」
ミーア族がざわめいた。
「壊した?どうして壊す必要があるんだ。」
ドレアがもっともな疑問を口にする。
「理由があるなら、聞かせてもらいたいものだ。
おかげでこっちはえらい迷惑を被ったんだからな。」
大部屋の入口に立つオーディが、鼻の頭にしわを寄せた。
(ふん、よく言うぜ。親父に助けられた恩も忘れて、
手抜き仕事をしてやがるくせに。)
それは、ミーア族が自ら記した、自分達の歴史の足跡だった。
他のミーア族に比べると、血の気の多かったオーディの父は、
仲間内から先祖返りと呼ばれ、人望を集めていた。
ある時、些細なことから次元人に反感を持った彼の父親は、
ミーア族の自治管理を求めて次元人と衝突。
煽動した仲間と共に、管理局内部を破壊。
彼等の母船が入港できないようにしてしまった。
逃げ遅れ、命乞いをしたサルディング。
この地のエネルギーコントロールと引換に、
彼は身の安全と生活を保障されたのだった。
「通信ぐらいはできただろう。」
ドレアの問いに、サルディングは鼻を鳴らして答える。
「通信設備など、真っ先に壊されたわ。
それに、母船の居所もわからないまま送信した所で、
迎えが来る頃には、誰も生きちゃいないだろうよ。」
「てめぇらが使う施設だろ、何で直しとかなかったんだよ。」
そう言うビンゴに、サルディングは首を横に振った。
「無駄だ。わしはそんな技術は持っとらんし、それに時間もない。」
時間がない?
「どういう意味だ?」
エーデルがサルディングをにらむ。
「みんなお前達のせいじゃ。」
「じーちゃん、それ以上しゃべるな。」
ケアレスは、エーデルをにらんだ。
それよりもサルディングは、自分の前に座るリヴの事が、
先程から気になっていた。
その瞳は彼を見ているように見えて、その実、何も映してはいない。
考えが読めない事にいらだって、彼はとうとう声をかけた。
「人形、言いたい事があるなら言えばいい。遠慮はいらんぞ。」
彼の呼びかけに、彼女は即答した。
「あなたは、どうしても自分の非を認めたくないようね。」
その答えに、彼は彼女から視線を逸らす。
(とんだ伏兵だ。見かけより能力が高い。
が、どこまで気づいているかな。)
彼女の叱責はまだ続いた。
「全てはあなたの管理ミスが原因よ。むし私達は被害者だわ。」
「いったい何の話をしてるんだ。」
エーデルが割って入った。
「…。エナルが消えるの。」
(そういう事か…。)
エーデルは、夕べ彼女が言った『運命共同体』の意味を理解した。
「話してもらおうか、お前の知っている全てのことを。」
青と緑の妖瞳が、濃くなっていく。
彼女もようやく話す気になったようだった。
「それは、遠い昔に起こった、ありきたりの事実。
ある次元の不安定空間に、とても大きな惑星があったの。
その空間は、時空の歪みを内包していて、絶えずその表層を
流動させていなければならなかった。」
「その惑星とエナルと、どういう関係があるんだ?」
ビンゴが話の腰を折ったが、彼女はかまわず話を続ける。
「流動する星は、ある時、歪みに対処し切れなくなって爆発、四散した。
その時、時滑りに巻き込まれ、次元の狭間に迷い込んだ星のカケラが…。」
「エナル?」
リヴはエーデルに頷いて見せた。
(この広い浮遊大陸が星のかけらか。でかいカケラがあったもんだ。)
一人感心するドレア。
「カケラはやがて、次元人の母船に発見され、
定住地を持たない彼等の観光地として加工された。」
「何でお前がそんな事まで知ってる!」
彼女はケアレスに笑って見せる。
サルディングは苦々しげに言った。
「自分の頭を覗かれても、わからないほど抜けているのか、お前は。」
(あの時か!)
バザーで彼女に出会ったのを思い出し、ケアレスは唇を噛む。
「彼等は手近な通常空間から、単一民族のミーア族を移住させ、
観光地としての設備を整えた。でも…。」
彼女はちらりとゼオを見る。
「彼等は重大なミスを犯した。」
「どんな失敗だ?」
妖瞳がドレアに向けられる。
「ゼオの存在に気づかなかったのよ。
エナルは生体シールドによって安定した空間を保持しているわ。」
「生体シールド…て?」
コンラッドが聞き慣れない言葉に質問した。
「生き物はみんな『生気』を発してる。
生体シールドはその『生気』を吸収して膨れ、
このエナルを守っているの。」
「ここは風船の中か。」
察しのいいドレア。
「でも『生気』が増えすぎると、シールドは破裂してしまう。
だから、シールドの吸収した『生気』を人工太陽のエネルギーへと
変換し、バランスを取ってきた。」
「月の人間から見れば、理想的なエネルギー循環だな。」
「バランスが崩れなければね。
サルディング、ゼオの存在に気がついたのはいつ?」
「…。」
「施設が完成してすぐの頃だったのでしょう?
何故その時シールドのレベル設定を修正しなかったのか、
話してもいいわよね?」
「…。」
「あなたはエナルの消滅を願っていた。
ここが消えれば、母船に帰れるものね。」
またひとしきりミーア族がざわめく。
「ミーア族が神殿を荒らしたのだって、あなたの考えに
反発したからじゃないの?だから、全てはあなたがわざとやった
管理ミスが原因なのよ。」
「だからなんだ?いまさらすべてを公表したところで、何もならん。」
「あなたは責任を…。」
「ちょっと待て。」
ビンゴが手を挙げた。
「何よ、急に。」
拍子抜けするリヴ。
「何でゼオがいるとバランスが崩れるのか、よくわからんぞ。」
「あきれた。化け物、化け物って言ってたから、ゼオの正体
わかってるのかと思ったら、何もわかってないのね。」
「俺はバケモノやお前と違うからな。」
「たまには自分で考える、て事、しなさいよね。」
その時、ドレアの瞳がおもしろそうに瞬いた。
(リヴがビンゴに説教をしてる、てことは、ひょっとすると、ひょっとするな。)
だが彼は、澄ました顔で説明を拝聴する。
彼女はビンゴの為に、一言づつ区切って説明していた。
「ゼオは、知性を持った、指向性の強い、
複合エネルギーの場、そのものなの。
当然彼の存在は、太陽へのエネルギー変換率を跳ねあげ、
地上を焼きつくしてしまう。彼はそうならないよう、
泉に身を溶かして存在の希薄化をはかり、実体化した時の
セーフティロックとして、アーリアをも作り出した。」
ビンゴは完全には理解できなかったが、それでも、
何となくゼオがとてつもない生き物である事はわかった。
「何でそんなすごい奴がここにいたんだ?」
「彼は、母星が爆発する前からここにいたのよ。
時空の歪みを越えてやってきた、冷たい次元の狭間に浮遊する
砂の大陸に、知性あるものが生きているなんて
、次元人だって思わなかったんでしょうね。どう、わかった?」
母星の爆発と、時滑りと、次元間浮遊。
ゼオは、それら全てを乗り越えてきたのだ。
「じゃぁさ、ゼオが本当の原住民なんだ。」
コンラッドの言葉に誰もが頷く。
リヴはサルディングを見据えた。
「どう、少しは反省する気になった?」
「…。」
「時間がないんだろう、人の反省なんか促してる場合じゃない。」
エーデルが話を本筋に戻した。
「そうね。エナルはもうすぐ消えてしまうんだもの。
果てしない流れの果てに、人工太陽の熱は砂漠を焼き、
シールドが膨脹を始め、地表の温度調節が効かなくなった頃、
エナルが悲鳴をあげた。」
「あ!」
「え?」
コンラッドとジュエルが同時に声をあげた。
「どうした?」
エーデルが聞く。
「ユアラに来た最初の日にも言ってたのよ。
エナルが悲鳴を上げている、て…。」
リヴの言葉はまだ続く。
「土地には大いなる意志があり、意にそぐわなければ
自らを消滅させてしまう。そもそも、エナルに人工物を作ること自体、
間違いだったのよ。」
(同じだわ。あの時も同じ事を言っていた。)
リヴとの距離がまた少し開いたことに気づき、
ジュエルは言い様のない不安を覚える。
「エナルは助けを求め、メッセージを発した。
受信したのはティンクと私だけ…。そして交信を続けるうちに、
エナルの方から私達に近づいてきた。」
「それが、シャトル事故の原因か。」
頷くリヴ。
その事故で、いったい何人の犠牲者が出たことか…。
「私が交信しなければ、あの事故は起きなかった…。」
「リヴのせいじゃない。悪いのは、次元人だ。」
コナラッドが否定する。
「でもね、エナルは開放を願って私達を呼び込んだけど、
逆効果でしかなかったのよ。だって、生命力の強い人達が、
たくさん入り込んでしまったんだもの。
ねぇ、サルディング、システムはまだ使えて?
消滅までは、後どれくらい?」
「…。お前に話すことなど、何もない。」
横を向くサルディング。
「エナルが消えるのよ、ミーア族はあなた達の都合で
移住させたのでしょう、責任を取るべきだわ。」
「彼等の母星はもうない。死にかけた星から、
ここに移住させたのだからな。」
「母星とともに死に絶える権利を剥奪した上、
次元の狭間に消えろというの。あなた達のエゴで犠牲になるのよ。
安定空間に、いくらでも星はあるでしょうに!」
「彼等は泉の水なしでは、一日として生きられん体になってる。
生存のために残されたのは、このエナルの地、のみ。」
「そんなの、て…。」
「助ける方法だってない。あきらめろ。それより、あんたらはまだ
『エゴ』何て言葉に振り回されているのか。救われんのう。」
「何て事を…。」
ジュエルの呟きに、ドレアははっとした。
「エナルが消えるのよ、ミーア族はあなた達の都合で
移住させたのでしょう、責任を取るべきだわ。」
「彼等の母星はもうない。死にかけた星から、
ここに移住させたのだからな。」
「母星とともに死に絶える権利を剥奪した上、
次元の狭間に消えろというの。あなた達のエゴで犠牲になるのよ。
安定空間に、いくらでも星はあるでしょうに!」
「彼等は泉の水なしでは、一日として生きられん体になってる。
生存のために残されたのは、このエナルの地、のみ。」
「そんなの、て…。」
「助ける方法だってない。あきらめろ。それより、あんたらはまだ
『エゴ』何て言葉に振り回されているのか。救われんのう。」
「何て事を…。」
ジュエルの呟きに、ドレアははっとした。
「どうする?」
ドレアに聞かれ、エーデルは肩をすくめた。
「ここにいちゃヤバイんだろ。脱出用ポッドがあるなら、
俺達だけでも逃げ出しゃいいじゃんか。」
「あいつは、そう思ってないな。」
「何で?」
「ミーア族を助ける気でいる。」
「初なっからそのつもりだったんだろ、彼女は。
だからゼオ達も同行させたんだな。」
ミーア族が部屋からいなくなると、ビンゴはナイフでロープを切り、
次元人を開放した。
ここで彼等を脅したところで、月に帰れるわけではないのだ。
「人形の気に、触ったかの。」
「そう言うことだ。さっさと帰んな。」
ビンゴは彼等二人の背を押した。
「あんたらは脱出しないのか?」
サルディングの社交辞令に、エーデルは肩をすくめて答える。
「六人乗りのポッドがあれば、な。」
「フム。残念じゃな。」
サルディングはケアレスを促して部屋を出ていきかけ、入口の所で振り返った。
「神殿のシステムパワーは、通常の三分の一だと人形に伝えてくれ。」
果たして彼等は、月に帰れるのだろうか。
全てはリヴにかかっていた。
最近動き無いけど作者さん忙しいのかな
続き待ってるよー
好き嫌いとは違うが、人形のキャラに他のキャラが食われてる感じはあるな
事件性はあるのに、語りや演出が淡々としすぎているのかもしれない
>>277 キャラ単体だとエーデルが好きです
でもジュエルとリヴの普通と違う姉妹関係も好き
第十八章 L.I.V.(エル.アイ.ブイ.)
皆が出ていった後の大部屋に、エーデルとジュエルの二人が残っていた。
「…部屋に、戻らないのか?」
考え事に気を取られている彼女に、彼が遠慮がちに声をかける。、
「しばらく、一人になりたいの。」
彼女は彼に背を向けた。
「質問がある。」
「放っといてって、言ってるでしょう!」
振り向いた彼女の瞳が、潤んでいた。
「…、泣いてるのか?」
「あなたには、関係のない事よ。」
それでも部屋を出ていこうとしない彼に、彼女はあきらめて聞いた。
「何が聞きたいの?」
彼はためらいがちに質問した。
「月へ、帰れるかどうか。」
「私には、わからないわ。」
首を横に振る彼女に、彼はなおも言い募った。
「リヴは、ミーア族を助けるつもりでいる。
あんたならわかるだろう。
彼女が何を考え、どうやって脱出するつもりなのかを。」
「やっぱり。」
彼女は彼の前で腕を組んだ。
「え?」
「あなた、嘘をついてたのね。やっぱりアドロの回し者だったんじゃない。」
「何を、言ってるんだ?」
この後に及んで、何がアドロだ。
「私とリヴの事、知ってるんでしょう。」
「言ってる意味が分からないな。
異母姉妹だ、とでも言うつもりか?今はそんなこと、どうでもいい…。」
ジュエルは彼の言葉をさえぎって言う。
「あの子が何を考えてるのか、私にならわかるって、言ったじゃない。」
「母親役のあんたなら…、て意味だ。」
「何だ、そうなの…。残念だけど、私には何もわからないわ。
知りたかったら直接あの子に聞くのね。さぁ、もう一人にしてよ!」
彼女は興味を無くしたように、彼にまた背を向けた。
沈黙が降りる。
しばらくすると、彼女の口から啜り泣きがもれた。
「何を泣いている。」
彼女の肩がピクリと震える。
「な、何よ、まだいたの。」
涙を拭って振り向いた。
「何故、泣く。」
「関係ないでしょう!」
「死ぬのが怖いのか。」
「まさか。死ぬのなんか、怖くないわよ。」
「じゃぁ、何故。」
「…、あの子に為に、泣いているのよ。」
こんな状況に追い込まれても、まだ彼女は人形の妹を心配するのか。
「何故…。」
「なぜ、なぜ、って、うるさいわね!」
「彼女は人工生命体だろう、あんたとは何のつながりもないはずだ。
長年面倒を見てきたからといって、人工ペットの為に泣くなんて、おかしいじゃな…。」
彼の頬が鳴った。
彼女のエメラルドグリーンの瞳が、怒りに燃えている。
「何も知らないくせに。あなたなんか、大っ嫌い!出てってよ。」
両腕で胸を押され、彼はよろめいた。
「早く出てって!」
彼女の涙が、彼を惑乱させる。
(えっ…。)
いきなり、彼は彼女を抱きすくめた。
「あんたが一人で泣いてるのを見るのは、辛い。」
(な、何を…!)
ジュエルの体が硬直する。
「あいつが、うらやましいよ。」
(似ているんだ、彼女に。)
自分の存在の全てをかけて、彼を慈しんでくれたミスティに。
ミストラルの笑顔が、彼女の泣き顔に重なって見える。
「ば、馬鹿ね。何を言い出すのよっ。」
彼女はパニックを起こしていた。
今まで、自分がリヴを抱きしめる事はあっても、
他人に抱きしめられた事などなかった彼女である。
彼の腕に抗いながらも、その力強さに気が遠くなっていく。
だが、彼女は自制した。
(ダメ…。私はあの子を守らなきゃいけない。
Drハーマと約束したのだから。絶対あの子を幸せにする、て…。)
そう思いながらも、何故こんなに涙があふれてくるのか、彼女自身にもわからなかった。
「お願い、もう、放して…。」
声が震えた。
(私には、まだやる事が残されている。)
やっとの思いで彼の腕から逃れると、彼女は涙を拭った。
「月に帰ったら、地球に降りよう。三人で、静かに暮らすんだ。」
彼女は笑った。
「意外と、ロマンチストなのね。」
「いけないか?」
まじめな彼に、彼女はまた笑う。
「いけなくはないけど…。本気で言ってるの?」
「もちろん本気だ。」
濃いブルーの瞳が、真剣な色を帯びる。
「恋人、いるのではなくて?」
「それは…。」
歯切れの悪くなったエーデルに、彼女は笑って見せた。
「いいのよ。別に。ここは月ではないもの。
ただ、ここにいる間は、夢を見てもいいかしら?
だって、月に帰ったら、きっと二度とは逢えないもの。」
彼は、胸を衝かれた。
帰還する事だけを考えていたので、帰ってからどうするかまでは
思いもつかなかったのだ。
「女は、強いな。」
「違うわ。私、まだ女ではないのだもの。」
「…、そうか…。」
「…教えてあげるわ。私とリヴの事。」
彼女はその場に腰を降ろし、彼にも座るように促した。
「無理に聞こうとは、思わないが…?」
彼女の隣に来て座るエーデル。
「もういいのよ。これが最後になるかもしれないんだから。」
そうだった。
今はのんきに恋など語っている場合ではなかったのだ。
「そうか…。そうだな。」
「あの子はね、私の母なの。」
「…妹じゃ、ないのか?」
驚く彼に、彼女は笑って首を横に振った。
「バイオ・チップは知ってるわよね。」
「月のGMC(グランドマザーコンピューター)に使われてる、IC…?」
「そう。生体細胞を使って作られたGMCは、自己判断能力を持っているでしょう?
シリコン・チップよりもデリケートで、微細な演算処理能力があるのよね。」
「それと彼女と、どういう関係が…?」
「彼女は、バイオ・チップに人の遺伝子をコピーして造られたの。」
「そんな事ができるのか?」
ジュエルの瞳が遠くなる。
「Drハーマは天才だわ。三十年も前、医療実験用にヒューマンタイプの
人工生命体を作った男よ。倫理委員会に糾弾されて、
社会的に抹殺されてしまったけど、研究は続けていたのよ。」
「費用は?私財でもあったのか。」
「お金は…、アドロから出ていたわ。」
やはり…、と彼は思った。
彼女は彼の瞳が鋭く光るのを、見逃さない。
「彼はアドロに拾われたのよ。そして、三十年の期限つきで、
生体コンピューターの発注を受けた。」
「…発注者は?」
怒りを抑えた声。
「…重役の人。軍の裏プロジェクトに絡んだ商品として、彼女は作られたの。」
「軍用か。」
予期していた答えだった。
リヴが今までにやって見せた事を考え合わせれば、
彼女が愛玩用に開発されたものではないとすぐにわかる。
「そうよ。その彼女に、サルディングはあんな事を言った。」
「エゴなんて言葉…、か。」
兵器は、エゴを押し通す為に作られる。
そのエゴによって生み出された彼女は、サルディングの言葉に
自分の存在理由を否定されたと考え、自分の存在を証明する為、
否定した者の力を借りず、自力でミーア族を救おうとしているのだろう。
自ら思考、行動する戦略用生体コンピューター。
人の遺伝子を介在させることにより、よりフィジカルで、デリケートな
言動パターンを行う事ができる、Strategic・Living・Operater。
リヴは、通称Livという商品なのだとジュエルは言った。
彼女の胸のペンダントに刻まれた「SLO‐0047」というのは、製造番号だった。
介在させた人の遺伝子情報にも手が加えられ、人としてのメンタリティも封じられた人形。
しかし、彼にはまだわからない事があった。
この浮遊大陸の正体を見破ったのは、データ処理能力によったものだろうが、
エナルやティンクと交信したのは、能力外の事ではないのか。
「彼女は、最初から超常能力も持ち合わせていたのか?」
「いいえ。もともと素質はあったようだけれど、Drはその力は封じたと言ってたわ。
たぶん、ティンクが封印を解いたのね」
予想をはるかに上回る能力に恐れをなし、Drハーマがリヴの脳を
一部破壊したのを、ジュエルは知らない。
「そうか。じゃ、ラスを行かせてしまったのは?
味方の人命を最優先させるのは、当然だろう。
まだある。彼女はこの間、人の意向には逆らえないと言ってたが、
今まで彼女が主導権を握ってきたのは、どういうわけだ?」
彼女は哀し気に微笑んだ。
「あの子は人形よ。ラスの事を見捨てたのではなく、より多くの人命を救う為、
あきらめたんだわ。そして、それが彼、ラスの意向でもあったのよ。
それに、主導権を握っているのではなく、助ける為の指示に従ってもらってる、
というのが、あの子の考えだわ。」
支援
月のGMCに一日十八時間もつながれ、終った時には、
一人で立つことすらできなかったあの子。
発育の遅れも甚だしく、いつも私が肩を貸してあげていたっけ。
赤い砂嵐と、研究所の白く冷たい廊下と、薬の匂いと、
アクセス終了ブザーを待ち続けた十五年。
最近、ようやく会話をしてくれるようになったのに…。
何でこんな事になってしまったのだろう。
私達には、普通の生活をする事さえ許されないのだろうか。
「…、ル。ジュエル?」
(あ…。)
「何を考えているんだ?」
「ごめんなさい。昔のこと思い出しちゃっって…。」
「そうか…。さっき、彼女は母親だって言っていたようだが…。」
「ええ。あの子の遺伝子は、大量のデータをプール出来るように
アルピノ種が使われているの。信じられる?あの子、細胞分裂を始めた頃から
GMCにアクセスしてたのよ。でね、人工羊水の中で電子処理をうけながら
細胞分裂を繰り返すあの子を見て、もしこれが通常の成長過程を
辿ったらどうなるか、て…、科学者の悪い癖ね。
分裂してる細胞核の一つを引っ張り出して、体外授精させたの。
それが私。アドロに知られないよう、Drの知り合いの女の人が協力してくれたそうよ。
私は人の体内から、人として生まれる事ができたのよ。」
「じゃぁ君も、もとは人工物…?」
「厳密に言えばね。どう、私達の事、わかってもらえた?」
「ああ…。何て言ったらいいか…。」
「何も。何も言わなくてもいいのよ。ただ、リヴには今までと同じように接してあげて。」
彼女はリヴに対して自分が正常である事に引け目を感じているのだ。
Drの『悪い癖』がなかったら、自分は存在せず、リヴの一部としてこの世に生まれ、
その一生を彼女とともに生きただろう。
だからあんなにも彼女に尽くしていたのか。
確かに、他人の入る余地がないほどの繋がりを、二人は持っている。
だが、ジュエルはジュエルだ。
「私には、今のあの子が何を考えているのか、分からない。
ティンクやゼオに刺激されて『力』が大きくなってるのはわかるけど。
このままいったら、私は必要とされなくなるんじゃないかって。
それを考えると怖いけど、自分の力を持て余した時のあの子を思うと、
心配で、心配で…。」
そう言って肩を震わせる彼女を、彼はまた後ろから抱いた。
「心配ない。俺がついてる。」
その時、入口の方でカタリと音がした。
「ドレア。」
咎めるようにその名を呼んで、彼は彼女から離れた。
「すまん。聞くつもりはなかった…。」
彼は頭を下げながら部屋に入って来た。
どうやら、ずっと聞いていたらしい。
「一つ質問させてくれ。ジュエル、君の名前は誰がつけたんだ?」
彼女はエーデルが頷くのを見て答えた。
「Drハーマよ。」
「そうか…。君は、母親がどうなったか、知ってるか?」
(あ…。)
エーデルは、ドレアと彼女達のつながりを思い出した。
「知らないわ。生まれてすぐに引き離されたそうだから。」
「じゃぁ、自分が何故リヴの世話係になったのかも、知らないんだな?」
「何故そんな事を聞くの?あの子は、細胞核の一つを抜かれてから
活動を一時停止してしまったのよ。でも、二年後に私の声に反応して
再び活動を開始したの。私はDrに頼まれて、世話係になったんだわ。」
幼い頃の記憶はあいまいで、大人達の都合がいいように手を加える事ができるものだ。
「君の母親は殺されたよ。」
(え?)
「ばれたんだ、アドロに。ハーマはアンジェラを守り切れなかったんだ!」
ハーマと同じケミカリストだったアンジェラ・ウェルズは、
ジュエルを孕んだまま極秘のうちに地球に逃れる手筈になっていた。
「彼女と婚約していた俺は、何も事情を知らされず、
地球で彼女の研究が一段落するのを待っていたんだ。
一年後、ハーマ・フレイグから手紙を受取った。
彼女が実験ミスの犠牲者になったと…。
俺はその手紙を信じなかった。
そして、自分の持つ全てのコネクションを使って事実関係を調べたんだ。
彼女は、月で地球行きのシャトルに乗り換える寸前、
アドロに拉致され、火星に送り返された。
そして、君を産み落とした後、機密保持のために彼女は殺されたんだ!」
「やめろ!もういい…。」
その場に崩折れ、泣き伏してしまった彼女を見下ろして、エーデルが叫んだ。
自分を身籠った為に母親が殺された、という事実を、彼女は知らなかった。
自分さえ生み出されなければ…。
自責の念が、彼女を押し流す。
「これ以上、彼女を苦しめないでくれ。」
すべての元凶を作った、アドロ・インダストリー社。
次元の狭間の浮遊大陸に来てまで、父親の影が揺らめく。
(俺は、彼女達に悲劇を与えた奴と、同じ血を引いているんだ。)
そう思うと、エーデルは自分がとても厭わしくなり、握りしめた拳に力がこもる。
「もちろん、苦しめるつもりはなかったさ。彼女が手持ちのカードを
開いて見せたから、俺もそうしただけだ。」
間が悪くなったのか、ドレアは言い訳じみた事を呟いた。
過去の事件はすべてつながった。
後は…。
「何やってんだよ、こんなとこで。」
泣き伏すジュエルを見下ろすように立つ二人を見て、
ビンゴが目を丸くして部屋に入ってきた。
「なんでもない。部屋に戻っていろ。」
過去の事はビンゴには関係の無い事だ。
「除け者かよ。どーせお前等だけで逃げ出す相談でもしてたんだろ。」
「違うわ!」
彼女が否定して顔を上げた。
「だったら何で泣いてんだよ。」
「私達…。」
「もうすぐエナルは消える。俺達の運命もこれまで、て事だ。
彼女は自分の運命を呪って泣いてたのさ。」
(ドレア…。)
彼は彼女に頷いて見せる。
「本当か?まぁ、いいや。」
素直に引き下がったビンゴに、ドレアは聞いた。
「コンラッドはどうした?」
「リヴに連れ出されちまった。やる事がたくさんあるんだと。」
「ゼオやアーリアもか?」
「ああ。俺達は何してればいい、て聞いたら、観光でもしてろ、てほざきやがった。」
「今のところ俺達が手伝える事は何もない、てことだろう。」
ジュエルが立ち上がるのに手を貸しながら、エーデルは言った。
「リヴの言うように、観光でもするか。」
ビンゴをからかうように言うドレア。
「んな、のんきなこと言ってる時か?」
「他にする事もないだろう?最近運動不足だったからな、ちょうどいい。」
ノー天気に言うドレア。
「エーデル、何とか言ってやってくれ。」
「一番外に出たがってたのは、お前だろう。行ってくればいいじゃないか。」
笑いを含んだエーデルの声。
「てめーら、自分達がどういう状況におかれてるのか、全っ々理解してないだろ!」
「だからって、騒いだところでどうにもならん。」
「ぐっ。」
「わかったら観光につき合え。」
ドレアはビンゴの手を引いた。
「何で俺がてめーにつき合わなきゃなんねーんだよっ。放せっ!」
手を払われたドレアは、振り向いて言った。
「彼女はだめだぞ。エーデルと内密の相談がある。」
ジュエルに声をかけようとしていたビンゴは、恐ろしい形相でドレアを振り向いた。
「何ぃ?どういう意味だ。」
「こーゆー意味だ。」
ドレアは呆気にとられるジュエルとエーデルに近づき、その手を取ると、腕を組ませてカップルに仕立てた。
「どーゆー事だ、エーデル!抜け駆けはしないはずじゃなかったのか!」
「ドレア…。」
立場をなくしたエーデルは、ドレアをにらんだ。
「過去は未来を縛れない。わかるな?
ま、この状況で未来の話をするはナンセンスだが、多少の時間はあるだろう。
残りの時間、有効に使おうじゃないか。お互いの為に、な。」
ドレアはウィンクすると、カップルの背を押した。
二人は訳が分からないながら、ドレアの意味深長なウィンクに、外へ出ていった。
「何が有効だ!格闘技してんじゃねーぞ!待てエーデル、まだ話は終わってねーぞっ。」
二人を追いかけようとしたビンゴは、ドレアに止められた。
「邪魔すんなよ!」
「お前が追いかける相手は、ジュエルじゃない。リヴだ。」
彼の斜視が細められ、その動きが止まった。
「何で俺が人形の事を追いかけなきゃいけないんだ。え?
なんだってあんなバケモノの後を、俺が追いかけんだよ!」
胸倉を捕まれたドレアは、静かにくり返した。
「気になるんだろう、リヴが。違うか?」
「てめぇ、それ以上言ったらぶっ殺すぞ!」
細めた瞳が物騒な光を帯び、腰のベルトからナイフが抜かれ、ドレアの頬に当てられた。
「お前、本当に自分の気持ちに気がついていないのか?」
と、いきなり天地がひっくり返った。
エナルの最後かと思ったら、ビンゴに投げ飛ばされただけだった。
「いいかげんにしねーと、次は本当に刺し殺すからな。」
「俺は芝居のプロだぞ。これで三十年も飯を食ってるんだ。
人の表情を読むくらい、寝ぼけていても出来る。」
「だから何だ!。」
ドレアはまたつかみかかられそうになるのをかわし、立ち上がった。
「こいつ!」
ビンゴはなおも彼につかみかかろうとする。
「さっき彼女のことをずっと見つめていたな。瞳の色が紫に染まった時だ。
その時のお前の顔は見物だったぞ。そうだな、セリフをつけるなら
『あそこにいるのは自分の知ってる彼女じゃない。』てところだな。」
「言うに事欠いて、何が芝居だ!」
巧みに身を翻したドレアは、仕方ない、という顔をした。
「ちょっと我慢しろよ。」
「痛ててて…。何しやがる!放せっ。」
ドレアは隙をついて彼の腕を背中にひねりあげ、おとなしくさせた。
「よく聞けビンゴ。彼女は今、一人でエナルを救おうとしている。」
「だからなんだ!」
「彼女もお前になら心を開く。手を貸してやれ。」
仲間内で彼女が大まじめに説教するのは、ビンゴだけ。
それだけ彼女はビンゴを気に入っているのだ。
「放せっ!」
彼はドレアの手から逃れると、ナイフを手に身構えた。
「人を馬鹿にするにも程があるぜ、おっさんよぉ。」
ここまで言っても、聞いてくれんか。
(あ?)
彼はいきなりビンゴの前で土下座した。
「頼む、ビンゴ。彼女の側についていてやってくれ。他に頼めるやつがいないんだ。」
「今度は泣き落としかよ?」
気をそがれたビンゴは、腰に手を当ててドレアを見下ろした。
「そうじゃない!」
ドレアの悲痛な声。
「謎が解けたんだ。ハーマ・フレイグが最後に言った、言葉の謎がな!」
支援感謝
今回分は終わりかな?
投下乙〜!
投下乙!
投下乙です!
乙
投下開いてたせいもあってか、何がなんだかわかんなくなってきたぞw
読み返してくるわ
第十九章 ケアレスの意地
「もう、二日になるよ。」
コンラッドが疲れたように言った。
捕まえた次元人を開放してから二日。
リヴはジュエルの元にすら帰らず、ユアラの町を奔走していた。
町はミーア族であふれていた。
どうやらエナル中に使者を飛ばし、全ての住民にユアラへの招集をかけたらしい。
コンラッドは、大通りの真中に突っ立ったまま動かないビンゴを見上げ、また言った。
「リヴ、寝てないみたいだし、食事もしてないよ。」
コンラッドの隣にはマデラがいた。
彼は内通を恐れたオーディの指示で、顔役のパコットの邸に監禁されていたのだが、
今朝方コンラッドに助け出されたばかりだった。
事情を聞いたマデラは、エナルの行く末を案じている。
「ねぇ?」
「うるせぇ、どっか行ってろ。」
コンラッドを怒鳴りつけたビンゴだったが、彼の視線は先程からずっとリヴを追っていた。
マデラとコンラッドは顔を見合わせると、仕方なしにその場から離れていく。
ビンゴの視線の先のリヴは、ドレアを従え、ミーア族の顔役数人を相手に説明を続けていた。
ビンゴはその姿を目で追いながら、苦々しげにつぶやいた。
「ちきしょう、ドレアの奴…。」
そのドレアは、今朝からリヴにつきまとってなにやら説得を続けている。
(もし奴の言うことが本当なら、俺は…。)
支援
『宝石を、宝石箱に取られるな!』
ハーマ・フレイグの最後の言葉。
「初めは、リープル石に何か秘密があるのかと思ったが、
彼女の体調を計るためのメーターの役割をしてただけらしい。」
ドレアが言うには、宝石はジュエルを指し、宝石箱はリヴを指すのだという。
「どういう事だ?」
「彼女は、兵器として開発されたんだ。」
Drハーマが作りあげた、戦略用人工生命体、リヴ。
そして、彼女の一部から生み出されたジュエル。
「彼女の遺伝子にはアルピノ種が使われたそうだが、
同じ遺伝情報をもつはずのジュエルは、全くの正常体として生まれた。」
ビンゴには、わからない話だった。
「だから、何だ?」
「不思議だとは思わんか。普通なら何らかの異常があって当然の条件下で、
正常体が生まれたんだぞ。
命の神秘ってやつだな。それだけ生命は偉大だという事だ。」
「てめぇ、そんな下らない事を言うために、俺に頭を下げたのか?」
ドレアは首を振った。
「ジュエルの名付け親、誰だと思う?」
「知るか!」
ビンゴは横を向いた。
「ハーマ・フレイグさ。きっと、希少価値である正常体の彼女に敬意を表して、
ジュエルと名付けたんだろう。」
「くだらねぇ。」
ビンゴはドレアの話に飽き、彼に対する怒りも忘れて黙って部屋を出ていきかけた。
「待て。まだ話は終わっていない。」
「つき合ってられっかよ。」
腕を引かれたビンゴはその手を払ったが、ドレアは構わず言葉を続けた。
「宝石を、宝石箱に取られるな。
つまり、リヴの中にジュエルが戻る時、大変な事が起こるということだ。」
「あ?」
リヴの中に、ジュエルが戻る?
「大変な事、て、何だよ?」
「わからん。なぁビンゴ、俺達はきっと助からん。
せめて残された時間を有効に使おうじゃないか。」
「冗談じゃねぇ。俺は絶対に月に帰る。
こんな所でくたばって、たまるかよ!」
「次元人のシステムが使えない以上、彼女がどんなに
頑張ったところで、誰も助かりはしない。たとえジュエルと再び融合し、
その能力を全て開放したとしてもな!」
どうせ助からないのなら、我々をここまで導いてくれた二人を、
普通の女の子として果てさせてやりたい。
それがドレアの最後の言葉だった。
(俺達は、本当に助からないのか?)
冗談じゃない、とは思いつつも、助かる望みの薄い事はよくわかっていた。
(だとしたら俺は、何をすればいい?)
彼は町はずれにある神殿まで歩いてきていた。
彼女を視線で追ううちに、ここまで来てしまったのだ。
「そういや、命の恩人だったっけな。」
悪夢のような砂漠の行軍中、ランシスの後を追おうとした彼を、
彼女は必死になって止めた。
<これ、あげる。ぜんぶ。だから、いかない。
きゃんでぃ、きらい?あるこーるは?>
まだ、本来の能力に目覚める前の彼女は、それでもその時点で
自分ができる限りの事をして、彼を無駄死から救った。
ジュエルに引っぱたかれた頬を、優しく撫でてくれた事もあった。
しかし、今の彼女はその瞳を紫に染め、神殿の中を見透かそうとしている。
本当に、彼女は一人でエナルを救うつもりなのだろうか。
あの、小さな体で?
説得をあきらめてどこかへ行ったドレアと入れ違いに、彼はリヴに近づいた。
「眺めてるだけじゃ、月には帰れないぜ。」
彼女はちょっとびっくりして彼を見たが、すぐに視線を神殿へと戻す。
「…。」
黙ったままの彼女に、彼はまた声をかけた。
「なぁ、何見てだよ。」
「…、待ってるの。」
胸のリープル石を右手で握りしめ、彼女は落ちつかなげに答える。
「何を?」
彼女は不安そうに彼を見上げた。
「ケアレスを。」
「あの次元人のガキか?何であんな奴待ってんだ。
待ってりゃシステムでも使わせてくれる、てのか。」
「いくらあたしでも、羅針盤がなければエナルは跳ばせないもの。
だから、ギリギリまで彼を待つの。」
人命尊守の最優先事項に縛られる人形の彼女には、
自分の存在に誇りを持つ事さえ許されない時もある。
が、そんな事はビンゴの理解の範疇を越えているので、
この弱気とも思える発言に、親近感を覚えた。
(何だ、結局次元人を頼るんじゃねーか。)
「奴が来なかったら?」
「ここから脱出して、後は…。」
視線が地に落ちる。
「運がよけりゃ助かる、てか。」
(こりゃぁ、いよいよ見込みがなくなってきたぞ。)
彼がそう思った時、彼女が神殿の入口を振り向いた。
真暗な入口から、誰かが走り出てくる。
ビンゴは驚くよりもあきれて言った。
「次元人…。本当に出てきやがった。」
ケアレスは回りに誰もいないのを確かめると、
階段を駈け下りて二人の前で止まった。
「逃げ出したんじゃないのか。」
「そんな事はどーだっていい。人形に用があって来た。」
ビンゴの嫌味を無視して彼はリヴに向かい合った。
「なに?」
待っていた事を悟られないよう、彼女は落ちついて聞き返す。
「システムが暴走を始めた。もう、俺の手には負えない。
手伝え、元の世界に帰りたきゃぁな。」
彼女の瞳が眩いた。
「ビンゴ、一緒に来て。ケアレス、シールドを開けて。」
三人は、神殿の中へと消えた。
神殿の中は外から見ていた時同様、真暗だった。
「何も見えないじゃないか。」
ビンゴが文句を言う。
「メインソース、切ってあるのね。」
「ああ。こっちだ。」
ケアレスが走り出す。
やはり次元人の視覚には、光は必要ないらしい。
二人は彼の足音を頼りに暗闇でゆっくり前進する。
数分後、三人は一つの扉の前に立っていた。
「リフトだ。慣れてないとケガをする。」
手動で扉を開けたケアレスの後に続き、二人も扉の中へ足を踏み入れた。
「おわっ?」
「きゃっ!」
中は体を支えるものが何もない、吹き抜けになっていた。
二人はバランスを崩したまま、上方に押し上げられていく。
「ケアレス、リフトの動力源は?」
手足をばたつかせながら、大声で聞いてきたリヴに、
ケアレスは叫び返した。
「シールド外の次元流を、流し込んでるだけだ。」
「へぇ。考えたわね。」
オーディの父親に破壊された神殿。
きっと、サルディングの苦肉の策だろう。
「関心してんなよ。ほら。」
ケアレスが腰に巻いていた細いロープを出し、二人に投げる。
彼は次に慣れた動作で次元流の干渉から抜け出し、壁面の扉を開いた。
入口のあったフロアから、どれくらい上に運ばれたのかは
わからなかったが、このフロアも真っ暗だった。
「来いよ。」
ようやく次元流のリフトから抜け出た二人に、
非常灯の下に立ったケアレスが右手の方から声をかける。
「ここだ。」
彼は、非常灯の示す部屋へと入っていった。
後を追って部屋に入ったビンゴは、ポカンと口を開けた。
非常灯の明かりに薄っすらと浮かび上がった室内は、
簡素なコントロールパネルが一つあるきりの、殺風景な部屋だった。
ビンゴは電子機器だらけの部屋を想像していたので、拍子抜けしたのだ。
(こんなんで、次元移動ができるのか?)
その方面に詳しくない彼には、この部屋が動力管制室だということがわからない。
あっけにとられる彼の脇をすり抜けて、リヴがコントロールボードの前に立つ。
「予備電源、ここにだけ回して、メインは入れないで、出来る?」
「出来るさ、それくらい。」
ケアレスが部屋を出て行く。
彼女はボードを見てコントロール法を判断し、パネルに灯が入るのを待つ。
前にケアレスの頭を覗いた時、彼等の持つ装備の類いの基本操作も、
一緒に頭に仕入れておいたのだ。
「俺は、何する?」
手持ち無沙汰のビンゴが聞いた。
「何も。そこに居てくれればいいわ。」
月に、帰れるかもしれない。
淡い期待に彼はおとなしく待つ。
やがて軽い作動音とともにパネルに灯が入ると、
彼女の指がものすごい早さでキーを叩き始める。
が、その動きはすぐに止まった。
「灯、入ったろ。」
戻ってきたケアレスに、彼女は言った。
「ねぇ、これ、リバースしてない?」
「そうさ。こうなっちまうと、俺じゃ処理できないんだ。」
「バカね。あなた暴走って言ったじゃない。無理よ、リミットサインだらけだもの。
下手にいじったら、今すぐドカンだわ。」
「おい、大丈夫なのかよ。」
ビンゴが心配気に聞いてくる。
「持って後二時間…、てところね。」
「あぁ?どーすんだよっ!」
「脱出しましょ。移動用のシステムはまだ生きてるんでしょ?」
「管制は出来るけど、ポッドはじーちゃんが乗ってっちまって、無いぜ。」
「一緒に逃げ出せばよかったのに。」
彼女流の皮肉に、彼は正面切って答える。
「ふん。俺にだってプライドはあるからな。
人形のお前に馬鹿にされたまま逃げ出すなんて、できるわけねーだろ。」
「次元人にも意地がある、てところね。さて、どうやって脱出したものか…。」
考え込む彼女に、ケアレスは言った。
「座標軸の検索機構は生きてる。」
「なら、やりようはある。」
三人は、ケアレスの案内でまたリフトを使い、地下の母船発着ホームへと降りた。
「管制室は?」
「ホームの端だ。」
ホームの長さは一キロほどもあるだろうか。
「きゃ?」
ビンゴはいきなり彼女を抱えあげると、ホームの端めざして走り始めた。
「お前に全てがかかってるんだからな。ムダな体力使うなよ。」
(ビンゴ…。)
管制室前につくや、彼女はビンゴの腕から飛び降りて、部屋に飛び込んでいく。
「ケアレス、予備電!」
ケアレスは息を切らしてまた電源を入れに行った。
管制室は、部屋中に電子機器がしつらえられ、ビンゴを少し安心させた。
部屋の中央には、直径三メートル程のドーナツ型円形コンソールボードがあり、
ドーナツの穴の中心には、どういう仕掛けになっているのか、
直径一メートルくらいの黒い水晶球が宙に浮かんでいた。
コンソールボードに灯が入る。
「お前、操作できるのかよ。」
ふと心配になって、ビンゴが聞いた。
「やってみなきゃ、わからないわよ。」
彼女は黒い水晶球を見つめたまま、コンソール上のキーに指を走らせる。
黒い水晶はその内部に無数の輝点やラインを表示していた。
「これ…て、変則ホロチャート?」
リヴが電源を入れて帰って来たケアレスを振り向く。
「そうさ。俺達だって専門家がアシスタントナビゲーターを使って、
航路設定するんだ。一人じゃ流れを追うだけで、手一杯だろ。」
「…。」
神殿に入ってから妖瞳に戻っていた彼女の瞳が、また紫へと染まっていく。
ビンゴは何故瞳の色が変わるのか、不思議でしかたなかった。
きっと、自分の頭では理解できないことが、彼女の中で起きているのだろうと思う。
(俺が考えたって、始まらねーやな。)
そう、彼女は自分とは違い人形なのだから。
彼は頭を切り替えると、ケアレスに聞いた。
「これ、何だ?」
宙に浮いた水晶を指さす。
「ナビゲーション・ホロ・スコープ。通常空間で言うところの、星図みたいなもんだ。」
怪訝な顔をするビンゴに彼は言葉を続けた。
「シールドの外は次元の概念が通用しない虚無だ。
その中を、水の中の泡玉みたいにいろんな次元が次元流に流されながら漂ってる。
このスコープは、パルスエコーを利用して、リアルタイムでこのシールドを
中心としたチャートを投影しているんだ。」
どんなに丁寧に説明されても、彼にはやはり理解できなかった。
リヴは一人言を呟きながら、キーを叩き続けていたが、
やがて静かにケアレスを振り向いた。
「人工太陽の仕掛けは?」
彼女の考えが読めず、戸惑うケアレス。
「仕掛け…、て?」
「どういうシステムなの?
エネルギーはシールドから直接とってた訳じゃないでしょう。」
「ああ。あの太陽は一日が終わると、砂原の下にあるケーブルを通って、
ツーフロア下のタンクに帰ってくる。タンクはシールドエネルギーを転換して、
太陽に飯を食わせてるのさ。」
「爆発させることはできない?」
「無いこともないけど…。」
彼女の考えが読めたのだろうか、彼は言葉を濁した。
「時間がないの、教えて。」
真剣な彼女の瞳に、彼は仕方なく答える。
「…、最下層のフロアに、非常用のコントロールターミナルがある。」
彼女は既に部屋から走り出ていた。
ビンゴとケアレスもそれに続く。
「あきらめた方がいいな。あそこは…。」
ケアレスが呟くのを、ビンゴが聞き咎めた。
「何があるんだ?」
「…。」
ターミナルルームは、太陽のケーブルの真下あたりにあった。
が、リヴはその入口に立ちつくしてしまっていた。
「どうしたんだ?」
入ろうとしない彼女に、ビンゴが声をかける。
その後ろからゆっくり近づいてきたケアレスが説明した。
「その部屋はシェルターでもある。非常時の避難用に作られてるんだ。」
「じゃぁ、とりあえずここにみんなで避難すればいいじゃないか。」
我ながら名案、と思って言った彼だが、彼女は首を振った。
「だめよ。」
声に力がない。
「なんで…。」
「シェルターは次元人用のもの。この中は、真空だわ。」
「ああ?何だってそんな…。次元人ってな、いったい…。」
次元人。
定住地を持たず、あり余るほどの時を生き、
高レベルの科学力によって自らを進化させ続けてきた種族。
彼等は、どんな苛酷な状況下でも生きていくことのできる
体組織自ら作り上げた、流浪の民なのだ。
「俺達は次元間を旅している。
水も光も、空気さえも必要とはしない。お前等とは違うんだ。」
彼等は、たくさんの代償を払ってきた上で、今の長寿を手に入れたのだった。
沈黙が降りた。
やがてビンゴが聞く。
「太陽、爆発させなきゃだめなのか?」
「爆発時の反動を利用して、エナルを跳ばすの。
他に方法なんか無いもの。三分でいい。
扉を開けておくことは出来ない?」
飲まず食わずで十日間、砂漠を旅してきた彼女も、
皮膚呼吸すらできない真空状態にはお手上げだった。
「無理だ。」
ケアレスはきっぱりと答えた。
「俺がドアを押さえてる。その間に…。」
ビンゴが言ったが、ケアレスはすぐにそれを遮った。
「ばか、圧力がどれくらいあるのか、知ってんのか?」
「二分でもいいの!」
なおも言い募るリヴとビンゴに詰め寄られ、ケアレスは肩をすくめた。
「二分だ。そのかわりドアに挟まれたって、知らねーぞ。」
ケアレスがドアの右手にある壁の一部に軽く触れると、開閉用のキーがあらわれた。
彼は時間をセットすると、入口を開ける。
強風が巻き起こった。
真空のシェルター内に、ものすごい勢いで空気が流れ込んでいく。
彼女は、風に飛ばされるように中に入った。
「急げ。リミットは二分だ。それを過ぎたら
このフロアの空気まで拡散しちまうぞ。」
ビンゴとケアレスは、強風に吹き飛ばされそうになりながらも、
彼女が間に合わなかった場合に備え、ドアに取りついた。
部屋の一番奥にあるコンソールまで吹き飛ばされた彼女は、
ボードに体を叩きつけられながらも、ターミナルにレベル3を入力した。
すぐに全パネルに灯が入る。
人工太陽を沈めてタンクに戻し、リバースしているシールドのエネルギーを、
太陽内に開放する。
やがて太陽は、過負荷によって爆発するだろう。
「リヴーッ!」
背後でビンゴが呼ぶ。
「後二十秒でいい!」
タイムセットのカウント待ちをしながら、
彼女が叫び返した。
五、四三…。
「間に合えよっ。」
タイムリミットがせまり、二人はドアのカウンターとリヴの間に交互に視線を走らせる。
一、零。
セット完了。
と同時にドアに向けて風の中を逆走するリヴ。
後数歩というところでドアのカウンターが零になり、
ビンゴとケアレスの腕に圧力がかかる。
真っ赤な顔をしてドアを支える二人。
彼女は転がるようにして、二人の腕の下をくぐり抜け、脱出した。
派手な音を立てて扉が閉まる。
男二人は通路に伸びた。
「寝ている暇なんか、ないのよ。管制室に戻らなきゃ。まだまだ、これからよ。」
そういう彼女も肩で息をしている。
「行くぜ、ケアレス。」
床に伸びたままビンゴが言う。
「わかってらぁ。」
空気の薄さが彼等の動きを緩慢にする。
ぼやける頭を振り、三人はまた走り出した。
支援感謝
投下乙!
第二十章 レベル3 ー非常事態中ー
鏡のように澄んだ瞬きの泉。
だがここ数日、時折数人が水を汲みに来る以外はほとんど来る者がなく、
ただその水面を人工太陽の熱が焼くばかりになっていた。
「暑いな…。」
水面から反射される太陽の熱気に当てられ、エーデルが呟いた。
「本当に。前より気温が上がっているような気がするのだけど…?」
泉の岸に腰を下ろしたジュエルは、横に立つエーデルの顔を見上げて聞いた。
「そうだな。俺もそんな気がする。」
次元人との会見から二日。
二人は気を利かせてくれたドレアの好意に甘え、
テントにも帰らず、ずっと泉の岸辺で過ごしていた。
会話は過去の事に限られていた。
未来への希望を語れるような状況でない事は、二人にもよくわかっていたからだ。
今、この充足した時の中にこそ、自分達の未来があるのだと、エーデルは言った。
(そう、私達には今がすべて。)
不確定で、あやふやな未来など、必要ない。
しかし、やはりどこかしら不安の影を漂わせている二人。
ここ数日、誰の姿も見ないのに、町中の喧噪が
いつにも増して大きいのも、不安を煽る材料だった。
立っているのに疲れたのか、エーデルが腰を降ろす。
「リヴは、どうしてるんだろうな。」
(え…。)
彼女は彼と二人の時を過ごしていた間、
リヴの事を忘れ去っていた自分に気づく。
何故だろう、と思った。
(今まであんなに大事にしてたのに…。)
「どうした?」
小さく笑った彼女にエーデルが聞く。
「恋とは、すべてを変える魔法である。」
「あ?」
彼女の使った引用句に、エーデルは不思議そうな顔をした。
「あなたに言われるまで、忘れてたわ。あの子の事。」
「そうか…。」
エーデルが微かに笑った。
今、この時だけは、彼女も自分の事だけを考えていてくれたのだ、
という事がはっきりとわかったからだ。
ジュエルは彼に言われてリヴの事を思い出し、しばし感慨に浸る。
赤い砂の惑星にあった白い研究所の中で、
あの子が帰ってくるまでの間に読み続けた、たくさんの物語達。
自分がその物語の主人公顔負けの冒険をするとは、
思いもしなかったあの頃。
「…あっ…。」
感慨に耽る彼女の口から、小さな悲鳴がもれた。
誰かがテレパシーを送ってきたのだ。
いつの間にか、物思いに沈む彼女の膝枕でうたた寝してしまった
エーデルに気づき、あわてて声を飲み込んだが、その顔は蒼白だった。
(エナルに時が無いなんて、誰が言ったのかしら。
もしそれが本当なら、いつまでもこうしていられるのに…。)
「わかったわ。今行きます。あまり急かさないで、リヴ。」
再び飛び込んできたテレパシーに、彼女は仕方なく答える。
「思い出を、ありがとう。」
彼女は彼にそっと接吻した。
眠りから覚めないよう、静かに彼を岸辺に寝かせる。
「さよなら、エーデル。」
泣きながら走り去る彼女を、ただ泉だけが見送っていた。
神殿内。
水晶球型ホロ・スコープに座標を設定すると、リヴはケアレスを呼んだ。
「あなたにお願いがあるの。」
「なんだよ、改まって。」
「ここに残って、スコープを監視して欲しいの。」
「ここに残れ…、て…?」
彼は不安そうだった。
置き去りにされるかもしれない、と思ったのだ。
「大丈夫。消える時は皆一緒だもの。
だから、総力戦で乗り越えなきゃ、悔いが残るでしょ。
みんなで力を合わせれば、ひょとしたら、ひょっとするでしょ。」
ケアレスを安心させる為、作り笑いを浮かべるリヴ。
「アーリアとコンタクトできる?」
彼は目を閉じると、神殿の外へ意識を飛ばし、竜の使いを捜した。
「…ダメだ。集中出来ない…。」
不安が大きいのか、意識の集中を維持出来ないらしい。
リヴは腰のポシェットから予備のリープル石のペンダントを出し、
ケアレスの首にかけた。
シャトルのコンパニオンにキャンディと交換で渡し、
オニキスのように変色したまま彼女の手元に帰って来たペンダントだ。
ケアレスが手を触れると石の色が濃紺に変化した。
「まだ動揺してるね。」
リヴは背伸びしてケアセスの額に軽く唇を触れた。
彼の瞳に埋め込まれた鉱石が、緑から赤に変わり、
同調したリープル石が虹色に輝いた。
リヴがにっこり笑った。
頷くケアレス。
アーリアとコンタクト出来たらしい。
「そう、そのままゆっくり水晶を見て…。
ホロ・スコープの赤い点が見えるでしょう?
そこから目を離さないで、そのままの映像をアーリアに
送って欲しいの。余計な事は考えないで、出来る?」
彼は視線をホロ・スコープに固定させ頷いた。
「行こ。」
彼女に促され、ビンゴは不安そうにケアレスを見る。
「なぁ、あいつ大丈夫なのか?」
「出来なければ、皆消えちゃうもの。」
その言い方に多少の不安を覚えつつも、
彼は先に立って歩き出した彼女の後を追った。
案内役のケアレスがいないので、道に迷うかもしれないと思ったが、
彼女が手のひらに作ったテレキネシスの光の球が
ライト代わりになったので、彼は内心ほっとした。
わずかな光源に浮かび上がった通路の壁面は、
その光に反応したかのように淡い黄色の蛍光色で足下を照らした。
ドレアがいれば「まさしく栄華盛衰だな。」とでもいうのだろうが、
ビンゴはそれとは対照的な暗闇にしか目が行かなかった。
真闇の中、彼女の手の中にある仄白い光球を頼りに歩いていると、
不思議な気分になる。
二人の規則的な足音に、眠りを誘われてるようにすら思えてくる。
(なんだか、夢の中で迷ってるみたいだ。)
そういえば、これと似たような光景を、どこかで見たような気がするが…。
どこまで行っても暗闇しかない世界。
全ての感覚器官が麻痺してしまうような闇。
思い出せないまま、リフトの入口に着いた。
非力な彼女のために、扉をこじ開けてやる。
このリフトを使うのは四回目だが、何度使っても慣れないだろう、
と思いつつ、足を踏み入れる。
「!」
体を押し上げる大きな次元流の流れ。
(思い出した!)
はぐれないよう彼女と手をつないだ瞬間、
不規則に並ぶ数字と記号の羅列の向こう側に
「闇の光景」が閃いた。
それは、オーディの邸に軟禁されていた時、外に出る口実を
作る騒ぎを起こすよう、彼女が彼に暗示をかけた時の事だ。
彼は、彼女の中に真の闇を見た。
エナルの地が、彼の感覚を日々鋭敏に変えていったのだ、
という事実に気づかなかった彼女は、自分の中を
さらけ出したまま彼の潜在意識に接触したのだった。
もっとも、ドレアがこの事実を知れば、彼女が彼に
心を許している証拠だ、と言うに違いないが。
その「闇の光景」が何を意味するのか、
彼にはまだわからなかった。
が、ただ無限とも思える悲哀が渦巻いていた事だけは、
感じ取る事ができたのだった。
「ここ!」
合図の声に我に返ったビンゴは、ケアレスから借りたロープを慌てて繰り出す。
彼女の手を引いてエレベーターの出口に取りつくと、扉を引き開けた。
(また闇だ。)
こうも闇が続くと気が滅入る。
彼は早く外に出たいと思ったが、彼女がまた手に光球を
灯そうとしているのを見て、それを止めた。
(この、発育不良娘が!)
「灯りなんかいらねぇ。」
不機嫌に言う。
「きゃ?」
手荒く手首を捕まれて、引きずられるように歩くリヴ。
「余計な体力使うなよ。てめぇは大事なガイドなんだからな。」
「ビンゴ…?」
戸惑う彼女に彼はなおも照れ隠しの言葉を続ける。
「俺は、絶対月に帰る。その為には、てめーの力が必要なんだ。」
彼女は微かに笑ったようだった。
「ありがとう。」
「れ、礼何か言う奴があるか。
てめーは人間様が作った道具だ、役に立てばいいんだ。」
理論が支離滅裂だった。
(たくっ。こんな細っこい腕で、本当に猫どもまで救うつもりなのか…?)
少し力を入れれば、折れてしまいそうな腕。
そのくせ、本当に作りものなのかと疑いたくなるような、
ほのかな暖かみと柔らかさを持った細い手首。
(ああ、こいつも生きてるんだよな…。何だか、妙なことに今更気づくもんだ。)
視界が開けた。
神殿の出入り口にたどり着いたのだ。
が、太陽を沈めてしまったのであたりは薄暗かった。
その薄闇の中、無数の話声が聞こえた。
「な、何の騒ぎだ?」
ビンゴが一歩身を引く。
神殿の回りには、ミーア族があふれていた。
「エナル中に使いを出しといたの。
緊急事態発生、ユアラの街に全員集合、て。」
彼の横で広場を見回したリヴが言う。
「こんなにいるとは思わなかったけど。」
「どこに行ってたんだ今まで!」
ドレアが二人を見つけて近寄ってきた。
「大変だったんだぞ。この街のエライさん達は
何にもしてくれないし、猫どもはあふれかえるし、
太陽は急に沈み始めちまうしで、いよいよ終わりかと、
お前等を探してたのに見つからんし…。」
「ごめん、ドレア。時間がないの。ミーア族を神殿の前庭に全員集めておいて。」
「どこにいくんだ?」
走り出した彼女をビンゴが呼び止める。
「やる事がまだあるの!」
「行っちまいやがった。一体何があったんだ?」
ドレアは彼女の背を見送ると、ビンゴに視線を向けた。
ビンゴはケアレスが残っていた事を話す。
「馬鹿野郎!なぜ彼女を止めなかった。」
怒鳴られた彼は、一瞬ポカンとした。
「彼女はここから脱出する準備をしてるんだぞ。」
「月に帰れるんだろう?」
彼はまだ事態を把握していない。
「俺達を助ける為に、ジュエルとリヴが犠牲になるんだって事が、
お前にはわからんのか!」
「なっ…。」
ドレアはビンゴのシャツの襟を締め上げる。
中年とは思えない力に、ビンゴは目を白黒させた。
「言ったろう。『宝石を、宝石箱に取られるな』。
おそらく、リヴの中にジュエルが還る時、
途方もないパワーを持った存在が生まれるんだろう。
俺達は助かるかもしれん。だがあの二人は、
きっと自己のメンタリティを失うだろう。
人としての記憶を全て無くしてしまうかも知れないんだぞ。」
「…だから、何だって言うんだ?」
締め上げられた状態のまま、ビンゴはドレアを冷たく見下ろした。
「何?」
「あいつは、人の役に立つ為に生まれてきたんだろう。
ちょうどいいじゃねーか。役に立ってもらって、
俺達が生き延びる。どこがいけないってんだ?」
しかし、言葉とは裏腹に、彼の握りしめられた拳は震えていた。
「それが、お前の本心か?」
「ああ…。放せよ。」
ビンゴはドレアの手を払う。
深呼吸して自分を落ち着かせたドレアは、また口を開いた。
「お前とリヴはそれでいいだろう。
しかし、エーデルとジュエルはどうなる?」
ビンゴのやぶ睨みの目が、鈍く光った。
「あんた、ステージの演出家だって言ってたよな。
ドラマん中じゃ、悲恋物が一番受けるんだってな。」
口を挟もうとしたドレアを制し、ビンゴは言葉を続ける。
「現実に不幸なレンアイしてる奴は、たっくさんいる。
あいつらだけじゃないんだ。」
低い声でそう言うと、神殿の階段に腰を下ろし、
再びドレアと視線を合わせようとはしなかった。
商売柄、ロマンスに関しては過剰反応気味のドレア。
過去に最愛の女を失っていることも手伝ってか、
彼の方も意地になっているのだった。
ユアラの町は、今やたくさんのミーア族であふれかえっていた。
リヴに頼まれ、オーディの下で彼等の世話を焼いていたコンラッドは、
仕事が一段落すると神殿にやってきた。
入口の階段に座り込み、頬杖をついて考え事をしているビンゴを見つけ、駆け寄る。
「ねぇ、他の皆は?」
「知らん。」
横を向くビンゴ。
「リヴは?一緒じゃなかったの。」
「知るか、あんな奴。」
「そんな言い方、ないじゃないか。」
これではどちらが年上か、わからない。
ビンゴは先ほどのドレアの言葉に、あきらかに動揺させられたようだ。
気持ちの整理がつかず、依怙地になっているのだった。
そこへエーデルが慌ててやってきた。
「ジュエルを知らないか?」
コンラッドは首を横に振ったが、ビンゴは鼻を鳴らしただけだった。
「知ってるな、ビンゴ。どこにいるんだ、彼女は?」
「慌てるなよ、どうせもう会えやしないんだ。」
「どういう事だ?」
気色ばむエーデルに、彼は説明した。
「次元人のガキが残ってやがったのさ。
神殿のシステムを使って、月に帰るんだとよ。」
「脱出用ポッドでも見つかったのか?」
「そんなもん、あるわけねーだろ。リヴとジュエルの力で脱出するんだとさ。」
「何?あの二人はどこだ。」
「知らん。ドレアが追っかけてった。」
いらだったエーデルは、ビンゴを怒鳴る。
「方向くらい、わかるだろうっ!」
横を向いたままのビンゴの親指が、肩越しに神殿の裏を示す。
「ここの裏か。」
エーデルは返事も聞かずに走り出した。
神殿の裏手には、砂原との隔壁がある。
その隔壁と建物の間のわずかなスペースに、ドレアはいた。
彼の前にはゼオが立ちふさがり、その背後には淡いブルーの燐光が見えた。
「俺はリヴと話をさせろと言ってるんだ。邪魔をしに来たわけじゃない。」
「結果的には同じ事だ。」
首を横に振るゼオに、ドレアはつっかかる。
「じゃぁ聞くが、どうやってここから脱出する気なんだ?
脱出用のポッドもなく、次元人の船も来ない。考えられるのは…。」
「ドレアの考えてる通りだよ。」
燐光が消え、ゼオの影からリヴが現れた。
「リヴ…。」
彼女は背伸びをして何事かささやかくと、
ゼオがその場から立ち去っていった。
彼女の後ろからジュエルと球体バリアを巡らして宙に浮いたティンクも姿を現す。
先の燐光は、リープル石からティンクを開放する為のものだったらしい。
「魔女まで引っ張り出したのか…。」
「ミーア族を前庭に集めておくように、言ったはずだけど?」
「本当に、彼等をも救うつもりか?」
「…。」
何も答えない彼女にいらついた彼は、ジュエルの方に視線を向ける。
「ジュエル、ハーマ・レイグの最後の言葉、覚えているな?」
『宝石を、宝石箱に取られるな。』
頷くジュエル。
「最初は意味が分からなかった。しかし、君がリヴの
一部だった事を聞いて、わかったんだ。
君達は、また一つになることができる。
しかしそうなれば『ジュエル』と『リヴ』の人格は消え、
まったく未知の超生命体になってしまう。
ハーマ・レイグは、君達に普通の女の子として
生きてほしいと願っていた。今じゃ俺も同じ考えだ。」
「勝手な事、言わないでよね。」
語り続けるドレアを、紫の瞳がにらむ。
「あ?」
「あたしをこんな風に作ったのは、パパ・ハーマだよ?
それを今更…。普通になれない事は、パパが一番よく知ってたんだから!」
ドレアには、何も反論できなかった。
生物兵器として生み出された者の悲哀。
そしてまた、それを生み出してしまった者が抱いた父親としての情。
ステージ演出家としての彼には、その両方の感情が痛いほどにわかるのだ。
(奴も俺も、とんだエゴイストだな。)
その時、エーデルが走り寄ってきた。
「捜したぞ、ジュエル。」
「エーデル…!」
リヴは彼を見ると、ジュエルの手を引いてその場から離れようとした。
「待て。いったいどういうつもりだ。」
ドレアと違い、事態をよく把握してない彼は、
彼女達の行動に不審を抱いている。
リヴは何もなかったように彼に言った。
「これからエナルを翔ばすの。まだ準備があるから、手伝って。」
「あ、ああ…。」
彼は、あきらめの表情を浮かべたドレアが黙って頷くのを見て、
素直に彼女達について行った。
ティンクはすれ違い様にドレアに囁いた。
『助かる確率は、フィフティ・フィフティです。』
なるほどな。
数字的には原住民探しの時より高い、てわけだ。
支援感謝
投下超乙
追わしてもらってます―
投下乙です
第二十一章 飛 翔 −ばいばい える−
「謝らなければいけない事があるの。」
神殿入口の階段上で、リヴは仲間を見回して言った。
彼女の前には、エーデルとジュエルとコンラッドが、心配そうな顔をして立っている。
階段の中程には、相変わらず機嫌の悪いビンゴが、不機嫌そうな顔で座り込んでいた。
エーデルが先を促す。
「今さら、何を謝ろうっていうんだ?」
「あのね…、月には、帰れそうもないの。」
仲間内に動揺が走った。
「どーいう事だっ。」
ビンゴが階段をかけ上がって来て叫ぶ。
「ここから脱出するだけで、精一杯なの。」
「この町に来た時、約束したじゃねーか。
自分に全てを任せれば、必ず帰れるようにするって!」
食ってかかるビンゴに、リヴは落ち着いて説明を続ける。
「脱出の保証はしたけど、月に帰れる、とは言ってないよ。」
そう言えば、彼女は「月」という単語を一切使っていない。
だがビンゴは納得しない。
「冗談じゃねぇ。月に帰れなきゃ、意味ねーじゃんか。」
「今は、死体になって次元の狭間を永遠にさすらうか、
安定空間の天体に生きて漂着するか、
どちらか一つを選ばなきゃならない状況なんだけど…。」
「ぐっ…。」
彼の脳裏に『闇の光景』がまた浮かぶ。
彼女の中に見た闇が、彼の心に不安の影を落とし、言葉を失わせる。
あの光景は、これから自分達の行く所なのではないか、と。
彼女はそれを知っていたからこそ、ユアラに来ることを拒んだのではないか。
そして今、助かる見込みがほとんどないにもかかわらず、
目前に迫ったエナルの崩壊から逃れる為、
脱出を強行しようとしているのではあるまいか。
もちろん、彼がはっきりそうと感じているわけではなく、
表面的には、漠とした不安感としてしか感じられていない。
これらの考えは、識意識下のものなのだ。
(ちきしょう、何だってこんなに落ち着かねーんだ?)
「コンラッド?」
彼女は脱出行の了承をもらおうと、ビンゴからコンラッドに視線を移す。
「ここにいたら、死んじゃうんでしょう?
いいよ、僕は。また新しいところに行けるんだものね。」
もともと大人びてはいたが、シャトル事故に巻き込まれてから
ここに至るまでの経験が、彼を成長させたらしく、
その答えはリヴを気づかったものだった。
「ありがとう。ジュエル?」
ジュエルはびっくりして自分の本体をであるリヴを見返した。
社交辞令で聞かれたのかと思ったのだが、どうやら真剣に聞いているらしい。
「もし、今のままがいいのなら…。」
だが、ジュエルの決意も固かった。
「あなた一人じゃ無理だわ。」
「でも…。」
彼女は探るようにエーデルとジュエルを見比べる。
「無事成功したら、彼女を返してくれればいい。」
そう言ってジュエルの肩を抱き寄せたエーデルに、リヴは頷いて見せた。
「約束する。ドレア?」
肩を落として階段を上ってきたドレアに、彼女は聞いた。
彼は、彼女と視線をあわせずに無言で頷く。
「…。ビンゴ?」
再び視線を戻した彼女を、彼はただにらむだけだった。
だが、そのやぶ睨みの瞳は、今までなく哀しげに瞬いている。
「どうしても、ダメ…?」
こういう状況の場合、三原則に縛られている彼女は、
人間の了承を得てからでないと行動できない。
「…やれるもんなら、やってみるがいい!」
彼はそう言い捨てると、その場から去っていった。
それまでリヴの後ろで影のように立っていたティンクが囁いた。
(ビンゴは、あなたの中の闇に気づいています。)
一瞬、リヴの紫瞳の色が揺らぐ。
が、すぐに気を取り直した彼女は、皆に指示を出した。
「コンラッド、ビンゴを捕まえてミーア族の背後の見張りをして、
誰もこの場から離れないようにしてね。
ドレアは声が通るでしょ、皆に心を一つにするよう、
呼びかけていて。エーデルは、ティンクの指示に従って。」
最後に脱出方法を説明する。
「人工太陽を起爆剤に、エナルを翔ばします。
ナビゲーターは、ケアレスから送られた情報を使ってアーリアが、
ティンクにはブースター役になってもらい、
ゼオには、皆が四散しないよう、結界を巡らせてもらいます。」
「リヴ達は何をするの?」
彼女はコンラッドに微笑って見せた。
「皆の力がうまく働くように、触媒になるの。」
触媒…?
エーデルはその言葉に一抹の不安を覚える。
それでは、人格どころかその存在すべてが消えてしまうのではないか…。
が「約束」は取りつけてあるのだから、と自分を納得させた。
リヴは神殿の入口を振り向くと、ケアレスからの情報を受信中の、
中空に浮かんだアーリアを振り仰いだ。
「そろそろいくよ、アーリア。」
彼女は微かに頷いたようだった。
「じゃあティンク、後よろしくね。ジュエル、行こう。」
差し出された手を、ジュエルはゆっくりと握る。
彼女の手を引いて耳元に口を寄せたリヴは、早口に囁いた。
「時間がないの、走ろう。」
神殿内に駆け込んでいく二人。
と、ドレアがそれを追った。
「どこへ行く、ドレア?」
ビンゴとコンラッドの二人と相談を始めたエーデルが、彼の行動を見咎める。
「このまま死んだんじゃ、あの二人の母親に、あの世で顔向けできん。」
「母親?あ、待て、ドレア!」
エーデルの止めるのも聞かず、彼は神殿内に駆け込んで行った。
神殿入口の生体波シールドは、余分なエネルギー消費を避けるため、消されていた。
リヴの手に灯された仄青い光を目標に、ドレアは神殿内を走る。
リフトの入口を、彼女がテレキネシスでこじ開けるのがぼんやりと見えきた。
「待て。」
追いついて声をかける。
ジュエルが振り向いた。
「本当に、本当にそれでいいのか、リヴ?」
背を向けたままの彼女は、何も答えない。
「気づいてるんだろう?ビンゴの事。」
「ドレア…!」
瞬時に事態を把握したジュエルの制止を無視して、彼は続ける。
「たとえ生き残ったとしても、あいつは一生苦しむぞ。
お前を救えなかった自分を呪ってな!」
彼女は背を向けたまま答える。
「…。どうしろって言うの?」
「転移を中止しろとは言わん。触媒になるのはやめろ。
必ず全員が生き残れるよう…。」
「パワーが足りないの。他の方法なんか、論外よ。
それに、彼は自分を呪う必要なんかない。
だって私は、造り物の人形だもの。」
その声には、何の感情の揺らぎもないように思えた。
「それがなんだ、ちきしょう!無駄だろうが言わせてもらうぞ。
あいつは、目覚める前のお前に惚れてた。
わかるか?もし少しでも女の子の部分が残っているなら、
今すぐやり方を変えるんだ。自分の力を封印して、
他の化け物連中に運を預けろ!」
「私はSLO(ストラテジック.リビング.オペレーター。)0047
それ以外の存在には、なれないんだ、もう…。」
ドレアは胸を衝かれた。
冷たい言葉とは裏腹に、振り向いた彼女の瞳には、涙があったのだ。
シャトルの乗客の全滅を知った時にも、砂原でランシスを犠牲にした時も、
彼を追って行こうとしたビンゴを止めた時も、流されなかった涙。
そしておそらくは、彼女にとって最初で最後の涙が、今、その頬を伝っていた。
「先に行くよ、ジュエル。」
リヴの頭の中では、既にカウントダウンが始まっている。
彼女はドレアをみつめたまま、後退さってリフトに姿を消した。
「リヴ!」
なおも止めようとする彼に、ジュエルが懇願する。
「お願い、これ以上あの子を責めないで。」
「責める?それは違う。君だって…。」
「これが私達に与えられた運命なの。」
「…!」
人であれば、自らの運命を切り開くこともできただろう。
だが、彼女達は…。
(人、ならざる者。)
「エーデルに伝えて。ありがとう…、て。」
「ジュエル…。」
悲しげな呼び声に、彼女は微笑って見せた。
「大丈夫。私は彼女の中に還るだけ。」
ジュエルの姿もリフトに消えた。
(何てこった。)
彼は肩を落とし、神殿の入口に向かって歩き出す。
(恋に目覚めたばっかりの女の子が、その身を犠牲にしてまで次
元転移をやるというのか。Drハーマ、あんたはアンジェラだけじゃなく、
その娘達さえも不幸にした。)
(何が、幸せに暮らせるように見守っていてくれ、だ。
俺は、あんたの馬鹿さ加減を一生呪ってやる。
ああ、この命がある限りな!)
外へ出た。
辺りは星明かりで薄暗く、眼前にはたくさんの猫の頭があった。
彼は一つ深呼吸すると、月にいた頃よくやったようにミーア族に向かって呼びかけた。
「てめーら、静かにしろぃ!」
ドレアが神殿の中に入った後、エーデル達はティンクに促され、階段の下に降りていった。
『一つ、心配な事があります。』
エーデルにだけ聞こえるよう囁いた彼女に、彼はチラリと視線を走らせる。
『ビンゴの事です。どうやらリヴの中を覗いてしまったらしいのです。』
彼はティンクをまじまじと見つめた。
「中を、とは?」
『頭の中です。彼女もつい気を許したのでしょうね。
簡単な暗示をかけた時に見られてしまったようなのです。
見られた本人も私が言うまで気づかなかったくらいですから、
たいしたことはないと思うのですが…。
もしかしたら、常人の神経では耐えられないものを見たかもしれないので…。』
コンラッドと並んで前を行くビンゴの背を見て、彼は言った。
「なるほどな。あいつがヘンなのはそのせいか。」
『ええ…。気をつけていてもらえますか?』
「わかった。それで、これから何をすればいい?」
コンラッドはガタガタ震えていた。
陽が落ちて、かなりの時がたつ。
シールドに覆われているとはいえ、熱源を失った大地は、どんどん気温を落としていく。
彼の隣には、腕組みをしたまま目を閉じているビンゴがいた。
「僕達、助かるよね?」
「…。」
「とりあえずここから脱出して、新しい所でまた月に帰る方法を考えれば…。」
「黙ってろ。」
慰めの言葉を遮って、ビンゴはコンラッドをにらんだ。
「今は、あいつを信じるしかねーんだ。」
コンラッドの瞳が丸くなった。
(人形、人形って、バカにしてたのに…。)
「大丈夫だよ、絶対。リヴはきっと皆を助けてくれる。」
「ああ、全員を、な。」
その言い方に不安を覚えたコンラッドは、彼を盗み見た。
が、彼は再び目を閉じていたので、その真意はわからなかった。
大地が揺れていた。
脅えたミーア族が、地に伏して何事か呟く。
「…ウロ・ファムジ・エナルイニナウロ・ファムジ・エナルイニナウロ・ファムジ・エナル…。」
それは、心を一つにするため、ドレアが彼等に与えた言葉だった。
何度も同じ言葉を唱えるうち、彼等は集団でトランス状態に入っていった。
その頃合を見計らったティンクは、コンラッド、ビンゴ、ドレアの三人を呼び寄せた。
彼等の自我を封じ、その生命力のパワーを提供してもらう為だ。
一足先に意識を失い、ティンクの前に横たわっているエーデル。
ドレアはひとりごちた。
(なるようになれ、か。)
神殿内の球形ホロ・スコープの前では、
ケアレスが一心に赤い輝点を見つめている。
エナルに存在する全ての生命の未来が、
彼の視線に託されているのだった。
ミーア族のマデラは、オーディのマントの中にいた。
先祖返りの父親をもつオーディが、自然にとった行動だった。
種族保存の本能が微かながらも残っていたのかもしれない。
陽の落ちた空には、いつものように星線が出始めた。
神殿入口上のアーリア。
その七色の髪が逆立った。
ティンクは自らのバリアを解き、横たわるパワー提供者達に
手をかざし、エネルギーの吸引を始める。
町中では異変を感じた家畜達が、鳴き声を上げて暴れ始める。
シャトルの残骸を見降ろす夜空に、亀裂が生じた。
エナルにとって最初で最後の突風が吹き抜ける。
ビンゴが死者に手向けたゲームの音楽が、
状況に似合わず明るい音を奏でていた。
体組織を組成変換したゼオの粒子膜結界によって、
ユアラの町が包まれた。
臨界点に達した生体エネルギーが、シールドの亀裂を広げて行く。
と、その時。
地鳴りとともに、世界は暗転した。
無音の空間に、爆発四散した人工太陽がひらめく。
奈落へと落ちていく砂の大地。
ゼオの粒子膜によって守られた町は、
木の葉のように安定空間めざしてゼロ次元を舞う。
カウントがゼロになった時、ジュエルの潜在意識は、
自分の体が極彩色に染められるのを知覚した。
が、その原色達の乱舞も、誰も見るものはいない。
<ばいばい、える。>
ふと、誰かの懐かしい囁き声が聞こえた気がした。
彼女は、時の経過を待った。
=========================================================
この物語(「エナル伝説〜そして物語は始まった〜」)の著作権は
野良猫アプロ ◆rOPqiXeyuw に帰属します
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追いついた。乙乙 これは泣かせる
第二十二章 時の流れの果てに -もしくは一瞬後-
長い夜の果て、朝日が射し染めた。
二つの小さな太陽が、地上を照らす。
微風が吹き過ぎていった。
時は移ろい、太陽が中天にかかる頃、誰かの長い溜め息が聞こえた。
目を開ける。
突風で町中に吹きこんだ砂が見えた。
(ああ…、助かったのか…?)
ため息は、自分の口からもれていた。
しばらくは、何の感慨も湧いてこなかった。
体を起こして砂を払い、辺りを見回す。
隣にエーデルとドレアが倒れていた。
二人の体を揺すって起こす。
「おい、いつまで寝てんだ。起きろよ。」
「ん…。」
エーデルが先に目を覚まし、続いてドレアも体を起こす。
「どうやら、助かったようだな…。」
ドレアの気のない言い方に、ビンゴが鼻を鳴らした。
「ふん。あんまりうれしそうじゃねーな。」
「お前もな。」
「…。」
三人の胸に複雑な思いが交錯する。
エーデルが立ち上がった。
「どこだ、ここは。」
空は碧く、二つの小さな太陽が彼等を照らしている。
神殿は、人工太陽の爆発の影響だろう、半壊していた。
彼等と一緒にいたティンクや、神殿の入口上に浮遊していたアーリアの姿も見えない。
ミーア族は地に伏したまま、誰も微動だにしなかった。
(こいつら、死んじまったのか?)
ドレアが近づいてその生死を確かめようとした時、エーデルが言った。
「遅いな…。」
「何がだ?」
「案内人。」
「ああ…。」
ドレアは納得した。
ここがどこなのかを、唯一説明できる人物。
無事であれば、そろそろ姿を現してもいい頃だが…。
「迎えに行くか?」
ドレアが水を向けると、エーデルは頷いた。
「俺も行くぜ。」
エーデルはビンゴに首を振った。
『ビンゴの事、気をつけていてください。
常人の神経では耐えられないものを見たかも知れないので…。』
ティンクの言った事が本当なら、彼を刺激するような事は避けなければならない。
あの二人の死体を発見でもした時、心のバランスを崩して暴走するとも限らないのだ。
そうなったらこのガタイである、誰の手にも負えないだろう。
「いや、お前はここに残って…。」
だがビンゴは、彼を無視してさっさと階段を上りかける。
「だめだビンゴ、ここに残るんだ。」
「もう、てめーの指図なんざ受けねーぜ。」
腕にかかったエーデルの手を彼が払うと、今度はドレアがその腕を取った。
彼もビンゴがあの二人の成れの果てを見るのは得策ではない、と考えたのだろう。
「お前はコンラッドでも捜してこい。まだ姿を現さないところを見ると、
町の外に探検に出てるかもしれないからな。」
脱出が決まった時、新天地に行ける事を喜んでいたくらいの
コンラッドだったから、ドレアの言い分ももっともだった。
だがビンゴにしてみれば、コンラッドよりも気になる事があった。
果たして彼女は、どうなったのか…。
「それとも、リヴの事が気になるか?」
ドレアに核心を突かれた彼は、動揺した。
「バカ、そんなんじゃねーや。」
「だったらコンラッドを見つけてこい。」
「ちっ。捜してくりゃいいんだろ。」
単純思考を逆手に取られ、ドレアに手玉に取られた事にも気づかず、
彼は不機嫌に言って神殿から離れていった。
ドレアとエーデルは、神殿内のリフトの入口付近まで来ていた。
前は闇に包まれていた内部も、今では崩れた所から陽が射し込んでいるので、
捜索するのは簡単そうに見えた。
エーデルは瓦礫の山と化した神殿内を見回すと、ドレアに言った。
「あの二人、どこにいると思う?」
「さぁな。太陽を爆発させる、て言ってたからな。おそらくは地下か…。」
「吹っ飛ばされた上階か…?」
「フム…。エネルギータンクを頭の上に作る奴は、いないんじゃないか?」
「それもそうだな。」
リフトの入口をこじ開け、下を見下ろす。
「こりゃぁ、また。」
呆気にとられたドレアの声。
今は用を成さなくなったリフトの吹き抜けからは、
何層にも分かれた神殿内部がよく見える。
その景観は、まるで取壊しを途中で止めた、集合住宅の廃墟のようだった。
「ロープかなんか、ないか?」
付近を探すと、グラスファイバー様の細紐が落ちていた。
ケアレスがリフト移動の際に使用していたものだが、
どうやら、借りたものをビンゴが捨てていったらしい。
二人はそれを使って階下に降りた。
「よく、助かったもんだ。」
エーデルは辺りの惨状に顔をしかめた。
太陽ケーブルが床下を通っていた通路には、亀裂が無数に走り、
ところどころで床がめくれ上がっている。
壁は崩れて瓦礫と化し、彼等の進路を阻んだ。
だが不思議な事に、爆心地に近いはずのこのフロアの各部屋は、
通路に面した壁が吹き飛ばされた以外は、無傷だった。
ケーブルに沿って某かの力が働いていたに違いない。
(フム。化け物連中も触媒になったあの二人に気を使った、て事か。)
二人は各部屋を一つづつ覗いていく。
どの部屋も無人だった。
「もしかしたら…。」
焦るエーデルを制し、ドレアは言った。
「死体くらい残っているだろう?」
しかしエーデルは、それすらも怪しいものだと思い始めていた。
それでも彼等は崩れた壁材を乗り越え、前進するのをやめなかった。
「ここだけ、ドアが閉まってるな。」
そこは、救命ボートの役割を果たす緊急脱出用の避難部屋だった。
扉が閉まると、数分で真空状態になると言う、あの部屋だ。
扉を引き開けると、簡単に開いた。
そして、その部屋には…。
「ジュエル?」
部屋の側面にしつらえられた、簡素な作りのコンソールボード。
その下に、ジュエルが倒れていた。
駆け寄ったエーデルが助け起こすと、彼女の手から何かが転がり落ちる。
(ガラス玉?)
ドレアが訝しんだ。
それは、直径五〜六センチの赤いガラス玉だった。
「ジュエル…?」
しかし、彼に抱き起こされた彼女の頬に、血の気はない。
しばらく沈黙が降りた。
やがて、ドレアが彼の肩をたたく。
「行こう、エーデル。」
彼は彼女を抱き上げた。
ドレアがガラス玉を拾い、彼女の手に握らせてやる。
部屋を出ていきかけたドレアは、エーデルがついてこないのに気づいて振り向いた。
「あきらめろ、エーデル。」
だが彼は、彼女の顔を見つめたまま動こうとしない。
「エーデル。」
さらに促したドレアは、呆気にとられた。
(あ…?)
ジュエルが身じろぎした。
目を開けて、自分を抱き上げている腕の主を見つめる。
ほんのりと赤味の差し始めた彼女の頬に、エーデルの涙が落ちた。
神殿の前庭に伏したまま、誰一人動こうとしないミーア族達。
ビンゴは彼等を迂回すると、振り向いた。
「まったく、どいつもこいつも。せっかく助かった、てのによ。」
その彼の言葉にも、答える者はいない。
「ちっ。」
舌打ちした彼は、エーデルとドレアに体よく追い払われた事に
口の中で文句をつけながら、それでもコンラッドを捜すために
町中へと出ていった。
町中は静まり返っていたが、家畜小屋の前を通り過ぎる時、
エサ当番と間違われたのか、家畜達が騒ぎ出した。
騒ぎ方がいつもより派手なところを見ると、転移から今までの間に、
かなりな時間が経過しているらしい。
(ずいぶん長い時間気絶してたんだな。)
もちろん、この地に来てからの時間にして、だろうが。
「うるせーぞ、てめーら!」
そうは言ったものの、正直言って彼はうれしかった。
動物達の声を聞くまで、生き残りは野郎三人だけかと心配していたのだ。
「俺等だけ生き残ったって、何にもなりゃしねーや。」
斜視をすがめ、騒ぐ家畜達を見回す彼の視線の先に、
小屋の隙間から見える泉が映った。
「ん?」
何か変だ。
泉に近づいた彼は、茫然とした。
「干上がっちまってる。」
彼は小さな二つの太陽を見上げた。
「こいつのせいか…。」
でも、何故だろう。
人工太陽に比べ、ここの太陽はそんなに陽射しが強いわけでもなければ、
気温が高いわけでもない。
いや、むしろ涼しいくらいだ。
何となく、自然と人工物の違いを思い知らされた気がして、空を仰ぐ。
その彼の髪を、風が揺らした。
風が、何かの匂いを運んでくる。
心和む、懐かしい香り。
(何だろう?)
彼は町の外に向けて走り出した。
エーデルの腕の中で、ジュエルの肩が震えていた。
脱出に成功したとはいえ、彼女の失ったものは、あまりにも大きかった。
「リヴ…!」
彼女の手には、赤い玉へとメタモルフォーゼしたリヴの姿があった。
「あの子は、一人で私の手の届かない所に行ってしまったのだわ!」
「それは、違う。」
取り乱す彼女の言葉を、ドレアは否定した。
「君は彼女の一部だった。それが逆転しただけのことだ。
リヴは、君の中で生きてる。だから今は、生き抜く事だけ考えろ。
君が幸せになる事が、彼女の願いだ。」
「私一人幸せになったって…!」
なおも言い募る彼女を、ドレアは叱った。
「馬鹿野郎!少しはエーデルの気持ちも察してやれ。」
そのエーデルは、ジュエルの肩を抱いたまま、黙りこくっている。
「ごめんなさい、エーデル。でも、やっぱり私は…。」
「彼女は、約束を守ってくれた。」
「え…?」
「必ず君を返してくれるという約束を。俺には、それだけで充分だ。」
「わかったな、ジュエル。君はこれから二人分の生を生きていくんだ。
哀しんでるヒマはないぞ。」
脱出に成功したとはいえ、これからこの地で生き抜いていくのは、
並大抵の事ではないだろう。
エナルに落ちた時には、リヴがいた。
だが今は、彼等の力で全ての事に対処しなければならない。
感傷に浸っている場合ではないのだ。
ジュエルは少し落ち着くと、頷いた。
「わかったわ、ドレア。私、エーデルと生きていくわ。」
町の門を一歩出て、ビンゴはうめいた。
(なんだ、ありゃぁ!)
本来、白い砂で埋めつくされているはずの風紋のない砂原が、
門の数十メートル先で碧い風紋に変色していた。
それは、陽の光を受けてきらめいてさえいる。
彼は、ゆっくりと「碧い砂」に近づいていった。
エーデル、ドレア、ジュエルの三人は、町の門からかなり離れた所でビンゴを見つけた。
砂原が唐突に終わり、大地の縁が奈落へと落ちている所。
彼は、その突端に立ち尽くしていた。
気の遠くなるほどのたくさんの水が、視界を埋めていた。
大地に空を映したような広大な水面に、月生まれの彼は、ただただ面食らっていた。
やがて、背後の三人に気づくと、ビンゴは振り向かずに聞いた。
「あいつは…?」
「…。」
誰も、何も答えられなかった。
沈黙が降りる。
遠くの沖合で、何かが跳ねた。
それは、竜の姿に戻ったゼオだった。
心なしか、以前より大きく感じられる。
彼の頭上には、コンラッド、マデラ、ケアレスの三人が乗っていて、
歓声を上げていた。
「あの子達…!」
安堵したジュエルが、声を詰まらせる。
七色の髪がきらめかないところを見ると、アーリアもお役ご免になったらしい。
その時、派手な水音をたてて誰かがダイブした。
「ビンゴ?」
驚くジュエル。
(彼も、辛いんだ。)
ジュエルは彼に対して引け目を感じた。
自分が幸せになるという意思が、揺らぐ。
だが、水中からすぐに顔を出した彼は、三人を見上げて怒鳴った。
「ガキどもになんか、負けてらんねーぜ!俺はいつか、絶対に月に帰るんだからな!」
(ああ、彼はなんて強いんだろう!)
ジュエルは感嘆した。
本当は時を溯り、シャトル事故そのものさえ無かったものにしたかっただろうリヴ。
おそらくはジュエルを遊離したためにパワーダウンし、
中途半端な形で転移を強行しなければならなかったのだろう。
でもビンゴは、彼女に救ってもらった命を持って、月に帰る、と言ってくれた。
(私も頑張らなければ。)
どんなに時間がかかっても、リヴとビンゴの意志を継ぐ子孫を、月に帰す。
それが、助かった私達に課せられた使命。
ゼオに向けてビンゴが泳ぎ出した。
ドレアとエーデルが視線を交わし、彼を追ってダイブした。
残されたジュエルが大声で文句を言う。
ドレアが振り向いて彼女を指し招いた。
彼女は一つ深呼吸すると、全ての命の源である、海に向かってダイブした。
エピローグ
町の周りにわずかに残された砂原。
その砂地に、風が風紋を刻み始めた頃、数人のミーア族が目を覚ました。
自然淘汰の最初の舊は、彼等のほとんどを冷たい骸に変えてしまったが、
一握りの強い個体のみが、この新天地での生を許されたのだった。
そして、物語が始まった。
終
次にこの物語のスピンオフ物を投下する予定につき、埋めないで下さい
おお、投下来てた乙ー!
投下予定にも期待
スピンオフ物投下します
※ 物語の不思議感を増す為、あえて時間軸を微妙にずらしています
侖砂の魔女
プー、という警告音とともに、モニターの画面が案内パターンに戻った。
彼はため息をつくとコピーしたチップを取り出し、
仕切り板に囲まれたパーソナルデスクを後にする。
よほど暇なのだろう、図書ブロックの初老の係員が声をかけてきた。
「毎日熱心だねぇ。何を調べているんだい?」
「侖砂の事を。」
係員の目がアンティーク物の眼鏡の奥で丸くなる。
「そりゃまた、変わった事を…。」
「…。」
彼は曖昧な笑いを浮かべた。
(いつもそうだ。)
彼は思う。
(何故大人は侖砂の事になると、決まって色眼鏡で見るのだろう。)
(そのくせ彼等はその対象物について、
あきれる程何も知りはしないのだから。)
侖砂とは、街外れにある古い石造りの塔の事だ。
管理局の連中がちゃんとした調査もしないで放ってあるのは、
その外観の異様さ以外何の価値もないと判断しているからだろう。
廃棄物処理場にあるのも敬遠される理由の一つだ。
しかし、事実はどうあれ「詳細不明の古い遺物」というのが、
夢見がちな少年の好奇心を捕らえるのは、当然の事だろう。
公共施設の集合体であるシティ管理局は街の中心にある。
彼はそのクリーム色の建物を出ると背後を振り仰いだ。
管理局の建物越しに古めかしい石造りの塔が見える。
この街には不似合いな景観だ。
しばらくその塔を見上げた後、彼は自宅に向かって歩き始めた。
大昔。
宇宙時代の幕開けの頃、このドーム都市は科学技術研究の
最先端であったと言う。
標準暦八九九七年の今ではその面影を残す為、
小さな博物都市として政府の保護を受けていた。
街の名は「侖砂」。
人口四千の小さなドーム。
その人口にしても八割は政府の委託を受けてやって来た移民達だった。
彼等は、たまにやってくる旅行者達の便宜を計る為に
送り込まれて来たのだが、移住早々奇妙なものを発見した。
街外れに異様な塔が建っていたのだ。
それは、前々期文化黎明期に作られたと見られる
高さ三十メートル程の、苔むした古い石造りの塔だった。
時代遅れとはいえ、ある程度は設備の整っている侖砂の街。
塔は自身の存在が街の景観を損なうのを知っているのか、
ひっそりと街外れの廃棄物処理施設の側に建っていた。
この場所は、元々は何かの研究施設だったらしいが、
大きな爆発事故があって以来、人の住めない場所になってしまったため、
廃棄物処理施設が建設された。
その施設にしても、住民数の減少と完全リサイクルシステムの
発達とともにお役御免となり、今では廃墟と化している。
昔からの住人は、この塔を「侖砂」と読んでいた。
他に目を引くものが何もない所なので、街の名としてこの塔の名が残されたようだった。
砂は石を表す古い言葉であると言う。
そして塔の謂れを知る者は、誰もいなかった。
今まで管理局のデータサービスに答えられない
質問などありはしなかったのに。
自宅の屋根裏にある自分のスペースで、少年は旧式のパーソナルネットに
コピーしてきたチップをねじ込んだ。
モニターに表示されたデータの編集を行う。
彼が「侖砂」について調べ始めてから、もう半月もたっていた。
いつもなら三日もあれば一つの課題が終わるのに…。
あの塔の事になるといつも最後は「詳細不明」の四文字に行き当たる。
(誰もそんな課題選ぶヤツ、いないぜ。)
つい昨日も友達に言われた言葉。
(今の課題を放棄して、俺との共同レポートを提出すればいい。)
共同レポートだって?
どうせ僕の名前の横には「助手」て肩書きがつけられるに決まってる。
こうなれば、意地でもあの塔の事を調べあげてやる。
そう思って必死で資料集めをしてみたのだが、しかし、
編集したデータは、レポートと呼ぶにはあまりにも量が少なすぎた。
経過報告と考察で水増ししたものの、出来上がったのは
下級ランクの感想文のようで、再提出をくらうのは目に見えていた。
(どうしよう。やはり放棄して新しい課題を始めようか。)
行き詰まった彼は、明かり取りの天窓から傾斜の緩い
屋根部分に出ると、そこに寝転がって宙を見上げた。
透明なドーム越しに数の少ない外宇宙の星のまたたきが見える。
こうして宙を見上げていると、もやもやが消え、すっきりする。
僕もいつか、あの宙へ飛び出していけるかしら。
未来の自分を思い描く事で、今やっておくべき事に気がつく。
彼は頭の中でデータをもう一度整理しはじめた。
あの塔は元々マザースターのもので、今から八千年くらい前に起きた
研究施設の爆破事故の後、ここに移築されたものだ、という事を調べ上げた。
ある時期には禁忌視されていたので、その謂れについての資料は
(公式的には)全て破棄されたものと思われる。
この禁忌されていたというデータにしてもマザースターのデータベースを
3〜4日総ざらいして、生体テクノロジー論文集に付記されていた
研究施設の爆破事故についての報告書から手に入れたものだ。
この塔が何の為に運ばれ、中がどんな風になっているのかも、
今となってはわからない。
科学的にシュミレートすれば中の様子などはわかるのだろうが、
それだけでは意味がない。
もっと、本質的な事を探らなければ…。
例えば移築された本当の理由とか…。
その時、微かに足音が聞こえた。
…!?
誰かが夜の道を歩いていた。
別に夜間の外出が禁止されているわけではないので、
変わり者が散歩をしていると思えば珍しくもないのだが、
その通行人は、何だか人目を避けるようにして歩いていた。
落ち着かない歩き方が気になって、少年は通行人を何となく目で追う。
あ…。
侖砂が視界に入った。
あの道は侖砂への道だ。
彼は好奇心から通行人の後を追う事にした。
気象管理局の作り出した淡い間接照明のおかげで、
ドーム内は仄暗いまま更けて行く。
彼はおぼつかない足取りで通行人を追った。
歩いているうちに、足下が危ないと感じるのは、
いつも照明のある場所にいるからだと気付いた。
ドーム内の人間は「闇」と無縁の生活を送っている。
別に「闇」を恐れているのではなく、最低限の光源が常時維持されているのだ。
とは言っても、わざわざ仄暗い時間帯に外出する者は
変人扱いされる風潮があった。
禁止されてもいないのに、なぜそんな扱いを受けるのか。
彼は自分でやってみてその理由がわかったような気がした。
(いつも明るい所にいるからだ。)
(真闇でもないのに、辺りの識別もしずらいし、
第一、歩き難くてしょうがない。)
わざわざ視覚的に不自由な思いまでして、
夜間に出歩かなくてもいいではないか。
しかし、彼の追う通行人は慣れているのか足が早い。
体をあちこちぶつけながらも、後を追って行った。
途中であきらめなかったのは、通行人があきらかに
侖砂に向かっていると気がついたからだ。
それに、あのマントの下は何があるのだろう。
大仰なマントに身を包み、その内側に何かを隠し持っているらしい通行人。
黒いマントが闇に紛れてはひるがえる。
いつの間にか居住区を通り抜け、街はずれの廃棄物処理場へと入っていた。
(あ…。)
足を止めた。
通行人が侖砂の少し手前で立ち止っている。
辺りを見回し、他に人のいないのを確認してからその場に屈みこんだ。
(何をしているんだろう。)
物陰に隠れて様子をうかがう少年。
始め、それはただの耳鳴りに思えた。
いつも耳にする情報機器の発する稼動音に似ていたため、
彼は特に意識もせず聞き流した。
が、程もなく大地が鈍く揺れた。
(…?)
お腹の底に響くような駆動音とともに、侖砂の大きな扉が、
ゆっくりとスライド式に上に引き上げられて行く。
記録では、今まで一度も開いた事がないとされている扉。
通行人がその中に入って行くのを見た彼は、慌てて後を追い、
扉の閉まるぎりぎりのところで中に身をすべりこませた。
侖砂の中は、真闇だった。
ただ、通行人の足音だけが辺りに響いていた。
少年は、その足音を頼りに、壁づたいに前進し、階段を登り始めた。
本日はここまで
支援感謝
投下乙!
暗く、長い階段だった。
心なしか、空気が湿っているように思えた。
それは暗さのせいではなく、壁を覆う苔のせいなのだろう。
昔体験学習で触れた苔と、同じ感触がずっと続いていた。
いつ果てるとも知れない闇の中、階段を登り続けていると、
時間や空間の感覚がマヒし、このまま登り続ければ、
都市を守るドームの天井へと辿り着いてしまうのではないか、
と思われた頃…。
頭上で何かの軋む音が聞こえた。
彼が慌てて階段を登りきると、扉につきあたった。
扉周りで開閉装置を手探りしたが、何もない。
が、すぐに把手が手に触れた。
そっと引き開けて見る。
真闇の階段とちがい、そこは薄暗く、多少、視界が良好になった。
扉の向い側の壁に大きな窓が切られ、見なれたドーム越しの
星空が広がっているのを見て、少年は驚いた。
窓なんか、あるはずないのに…。
彼が調べたデータでは、入り口はあるものの、
他には外界と通じるものは皆無のはずだった。
窓辺に置かれたスティックライトが、淡く室内を照らしていた。
なんだろう、あれ。
部屋の真ん中辺りに、古びた布切れの山が積み上げられていて、
それが彼の目を引いた。
通行人が、その側に腰を下ろしてうつむいている。
何してるんだろ。…?
ふと、何かの声が聞こえた。
小動物の出す警戒の声に似ていた。
彼は目を凝らして声のするところを見つめた。
と、何かが小さく揺れた。
細く、しなやかなもの。
どうやら小さなケージに入れられた、実験用の小動物らしかった。
小動物がまた鳴いた。
通行人はみじろぎもせず、うつむいたままだ。
彼も息をつめたまま、部屋の中を覗き続けた。
自分の心臓の音が、やけに耳につく。通行人はまだ動かない。
(…?)
いきなり、通行人の体が前後に揺れ始めた。
どうやら居眠りを始めたらしい。
静寂。
気が遠くなりそうな静けさの中、時だけがすぎて行く。
通行人は、居眠りをするためにここに来たのだろうか…?
眠りの邪魔をして、話を聞く勇気は、彼にはなかった。
このままここにいても、何も得るものはないような気がして、
帰ろうかと思った、時、
(あ…。)
布の山が、微かに動いた気がした。
あれは…、ヒト?
布の山をかきわけ、中から頭を出したのは、グラスファイバーを思わせる、
長い、透き通った髪を持つ、ヒトだった。
そのヒトは辺りの様子をうかがっているのか、
布の山から頭だけ出してしばらくじっとしていたが、
小動物の入ったケージを見つけると、布の山から這い出して来た。
なんて…。
少年は息をのんだ。
なんて綺麗なんだろう!!
スティックライトの淡い光に照らされて、
ヒトの細っそりとした全裸の肢体が浮かび上がる。
彼が見惚れているのも気付かず、ヒトはケージの中から
小動物を取り出して、手のひらに乗せた。
その立ち姿は、アーティスティックなホログラムのように見えた。
小動物は辺りの匂いを嗅いでいたが、
ヒトの手からは逃げようとはしなかった。
ヒトの口から詠がもれた。
聞いた事のない、でも何故か胸を疼かせる詠。
切なさが、彼の胸に込み上げる。
もう少しで涙が溢れそうになった時、詠が止んだ。
ヒトは小動物を両手で包みこむと、その両腕を高く掲げた。
気のせいか、その両手が青白く光っているようだった。
小さなつむじ風が部屋の埃を舞い上げた。
ドームは気密性保持のため、一定の気圧が保たれていて、
風などは吹かないはずだった。
ヒトは唏ったようだった。
透き通った長い髪が揺れる。
両腕でさし上げられたまま、小動物はヒトの息を吹き掛けられた。
(ああっ!?)
小動物がかき消えた。
ヒトは腕を降ろして自分の胸を抱き、また詠い始めた。
その声は、吹くはずのない風の音にも似ていた。
彼の知らない、不思議な響きを持つ詠。
詠い終わると、ヒトはまた布の山の中に身を埋めた。
(…。)
彼はあまりの出来事に、その場から動けなくなっていた。
時が体の中を通り過ぎて行くのを感じ始めた頃、通行人が目覚めた。
傍らのケージが空なのを見ると、深いため息をついて立ち上がり、ライトを消した。
(こっちに来る!!)
暗く長い階段を、少年は来た時と同じように壁を頼りに駈け降りて行く。
背後から誰何の声が聞こえた。
もう少しで入り口に辿り着く時、大地が揺れ、
入る時に聞いた稼動音がして扉が開いたが、
そんな事を気にする余裕もなく、塔から飛び出して行く。
その、必死になって走って行く姿を、
侖砂の入り口で通行人が黙って見送っていた。
(あれは、なんだったのだろう。)
自室のベッドで薄いケットにくるまり、彼は考えた。
いくら考えても答えは出ない。
複雑に絡んだ設問の迷路の中、彼はいつの間にか眠りに落ちていた。
つけっぱなしのパーソナルデスクから、時報が響いた。
日付けが変わってしまった事に気付き、彼はベッドから這い出してモニターを消し、
今度は長椅子にひざを抱えて座りこんだ。
(夢、だったのかもしれない。)
冷たい石の小部屋で、スティックライトに照らされた、薄青いヒトの裸体。
掠れた、風のような歌声。
あの日以来彼は、ずっと侖砂での出来事を考え続けていた。
プラスティックを擦る乾いた音が、彼を現実に引き戻す。
机の上に置かれた小さなケージに、愛玩用に開発された
ミニペットが、玩具での独り遊びに興じていた。
あれから数日たっていたが、答えはみつからないままだった。
(夢なら夢でいいさ。)
彼は心を決めると、身支度を整えて家を抜け出した。
夜の廃棄物処理場に、乾いた玩具の音が響く。
他に人の気配はない。
(確か、ここいらへん、だったよな。)
彼は、この間通行人がやっていたように、地面に屈みこんだ。
どんな仕掛けになっているのかは、わからない。
今まで、誰も塔の中へ入ったという記録がない以上、
目の前で扉を開けた通行人と同じ方法で中に入るしかない。
(これ、かな?)
明らかに人工物と思える、薄いプラスティック製の黒い板が、
小石の隙間から見えた。
周りの石をどかし、板を地面から引き剥がすと、
中に手のひらくらいの丸い突起物があった。
押してみる。
何も起きない。
引いてみた。
突起物はびくともしない。
今度は回してみた。
低い耳鳴り。
あの時と同じ音だ。
そして、大地の振動。
(開いた!!)
彼はドキドキしながらライトとケージを持ち、塔の中へと入っていった。
何もかもがあの時のままだった。
違うのは、ここに座り込んでいるのが通行人か自分か、
ということだけだった。
彼は、通行人と同じ様に窓辺にライトを置き、ケージを傍らに置いて待った。
本当は、すぐにも布の山を調べたかったが、
もし、この間のヒトが、まだ全裸のままでいるなら、
それはとても失礼な事になるので、
ヒトが自分から出てきてくれるのを待つ事にしたのだ。
自分の心臓の音と、時折鳴くミニペットの声を聞きながら、
彼は待ち続けた。
いつの間にか待ち疲れて寝てしまった。
目を覚ますと、誰かが彼をみつめていた。
ヒトだった。
透き通った髪、色素のない、青白い肌、細い肢体、
そして初めて見る、ガラス玉のような虹彩のない瞳。
布の山の上に座り込んで、じっと彼を見ている。
「あ、あの…。」
声が、咽に絡んでうまく出ない。
ヒトが立ち上がった。
近付いてくると、その細い小指を彼の唇に当て、静かに首を横に振った。
冷たい指だった。
ヒトは次に自分の唇に小指を当てると、話し始めた。
「あなたは、だれ。」
綺麗で完璧な言語だった。
「僕は…。僕の事なんてどうでもいい。君は、君は何なの?」
ヒトはちょっと小首を傾げると、また話し出す。
「わたしは、わたし。」
変な答えだ。
「名前は?」
「…。」
ヒトは、標準言語では発音不能な言葉を使って答えた。
「?」
彼に通じないと気付き、今度はわかる言葉を使って答える。
「わたしは、わたし。あなたの遠い祖先は、
わたしの事を「命をつなぐもの」と呼んだわ。」
命をつなぐ…。
「わたしはわたし。命を鎖の中に返す事は出来なくても、
糧となった命はわたしの中で生き続ける。
これが「命をつなぐもの」と呼ばれた所以。」
「君は、人の命を食べて生きているの?」
ヒトは今度は可笑しそうに唏った。
「怯えているの? 言ったでしょう、わたしは万物のお溢れにあずかっている、て。
鎖を切った者達など、欲しいとは思わないわ。」
「でも、この間消してしまったのは…。
あれは、実験用に作られた命でしょ?」
「わからない子。彼等自身に鎖は切れないわ。切ったのはあなた達。
それに、あれは、鎖の中の生き物よ。私の中にまだいるわ。」
(鎖の中…?)
(実験用の養殖種ではない、純血種の事?)
だとしたらあの通行人は、かなりの専門職に違いない。
でなければ、このご時世に純血種の生物なんて、手に入れる事は出来ないのだから。
話があまり理解できないせいか、相手が常ならぬ人のせいか、
会話を続けている「時」が、妙に歪んで感じられた。
(そう言えば…。)
彼は自分が持って来たケージを覗いた。
まだ、ミニペットは玩具で遊んでいた。
「これ、いらない?」
ケージを差し出すと、彼女は首を横に振った。
透き通った髪が揺れる。
「欲しくないわ。」
「でも、またお腹がすくでしょう?」
「欲しくないの。さぁ、もうお帰り。」
ヒトは少年に背を向けると、また布の中に身を埋めてしまった。
沈黙と静寂が、辺りに押し寄せる。
止まっていた時が、また動きだした。
「ねぇ、もう話してはくれないの?」
返事はなかった。
布の山を掘り起こす勇気もなく、
彼はあきらめて家路についた。
それにしても、何て不思議な夜だったのだろう。
なんだか、全てが夢の中のように思われたが、
あれは、現実だったのだろうか。
ベッドの中にもぐり込んでも、興奮は収まらなかった。
彼の頭の中は、すでにこれからの計画の事でいっぱいだった。
(明日の朝、一番で図書館に行こう。)
ヒトの話してくれた事を理解する為には、たくさんの資料が必要だ。
それに、あの小部屋の在り処知っている、通行人の事も忘れちゃいけない。
あの通行人は、最初に見て以来見かけなくなってしまった。
塔の中で呼び止められた声から察するに、年老いた人のようだった。
(とにかく、この事はしばらく秘密にしておこう。)
そして、 ヒトの話を全て理解できたら、論文にしてあの塔の事を発表するんだ。
きっと、僕の名前は歴史に残るだろう。
あれから、長い時が流れた。
ヒトの生体サイクルの期間もわかり、一定の期間外は外界との接触を
避けている事もわかったので、最近では毎日通う事もなく、
研究活動に充分な時間を持つ事ができている。
最初にあの小部屋へと導いてくれた通行人は、
とうとうみつからず終いだったが…。
ところで研究の方だが、相変わらず芳しくない。
第一、資料不足が原因だ。
ヒトの言葉は単語ごとの意味は理解できるのだが、それをあの文法でつなげると、
妙な謎掛けのようになってしまい、てんで意味がわからない。
それに、侖砂の事ばかりやっているわけにもいかなかった。
ヒトの糧である純血種の小動物を手に入れるためには、
生体研究の専門職になる必要があったのだ。
とにかく、侖砂について最初にヒントをくれた、生体テクノロジー論文集をベースに、
猛勉強し、何とか専門職の端くれとして身をたて、研究を続けた。
(今日はヒトに合う大切な日だ。早く帰って支度をしよう。)
とは言え、あの日以来会ってはいないのだが…。
夜が来た。
そして彼は今夜もあの小部屋にいた。
昼間は研究を続けているので、ここに腰を落ち着けると、
つい、寝入ってしまう。
彼は眠っている間に夢をみる。
初めてヒトと出会った日の事が、今でも鮮明に記憶に残っていて、
夢の中でよみがえるのだ。
そして、目覚めた時には全てが終わっているのだった。
傍らに置いたケージの中は、もちろん、空っぽ。
ため息をついてスティックライトを消し、部屋を出て行こうとしたその時。
「!?」
階段をかけ降りる靴音がした。
「誰だ!」
そう叫んで彼は後を追う。
ふと、時間軸の歪みが、少年の日の時と重なったような気がした。
(既視感…。)
これも、夢の続きなのかも知れない。
そう思ったが、かまわず走った。
途中、入り口を開けるスイッチを入れておいてやる。
塔の外に出て侵入者を見送った。
まだ、少年のようだった。
つむじ風が吹いた。
ヒトが、命の糧を得る時に吹かせた風を思い出した。
塔を見上げると、逃げて行く少年を彼女がみつめていた。
風に乗って、ヒトの詠さえ聞こえてくるようだ。
あれから、長い時がたった。
今逃げて行った少年も、いつかはヒトに恋心を抱き、
それが叶わぬと知ってもなお、研究を続けてくれるだろうか…。
それともやはり、公共用資料の最後に警告を付け加えておくべきだったろうか?
「侖砂に魅入られし者、身を滅ぼす。」とでも?
別に、滅ぼされたつもりはないが、他の者から見ればそう映るであろう自分の一生。
詠が止んだようだった。
窓から両腕が差し出された。
ヒトが呼んでいる。
もう、いかなくては…。
彼は、研究を始めてから片時も離さず携帯していたデータチップを、
廃棄物の山に投げ捨て、塔の中へと戻る。
恐怖はなかった。
それどころか、禊ぎが済んでヒトに認められたのがうれしかった。
背後で鈍い音がして、入り口の扉が閉まる。
彼は、命の鎖の中へ還る為に、ゆっくりと階段を登り始めた。
書きこみ&クッキー確認
名前: 野良猫アプロ#ぷあろ
E-mail: sage
内容:
大昔に書いた小ネタ
カウンセラー
患者「どうしたらいいんだ!?」
医師「落ち着いて。ゆっくり話し合いましょう。」
患者「自分で自分がわからなくなるんだ…。」
医師「大丈夫。これからちょっとした心理テストをしてみましょう。」
患者「テスト?」
医師「簡単だから、リラックスして答えてね。」
患者「ああ…。(深呼吸)」
医師「それでは、まず、動物を一つ思い浮かべて、
動物の名前を言って下さい。」
患者「…ポチ…。」
医師「ポチって…。」
患者「何か間違ったのか?」
医師「いいえ。次、行きましょう。
それでは、もう一つ動物を思い浮かべて名前を言って下さい。」
患者「タマ。」
医師「…。それでは最後に、もう一つ動物を思い浮かべて名前を言って下さい。」
患者「…。ピーコ。」
医師「これであなたがわかったわ。」
患者「本当か!?俺は何者なんだ!」
医師「一番目の動物は、あなたが周りからこう見られたいと思っているイメージ、
二番目は、実際に周りの人があなたに抱いているイメージ。
三番目が、あなたの本性よ。」
患者「ということは…?」
医師「あなたは犬のように愛想のいい人だと周りに思われたいのね。
でも実際は、 周りの人はあなたの事をきまぐれな猫のような人だと思っているわ。
本性は小鳥だから、本当のあなたは臆病者で、いつもびくびくして生きているのね。」
患者「それは違うぞ。」
医師「皆さんそういうわ。でもこのテストは自分が気付かない
本当の自分の姿を知る為のものなの。」
患者「俺は犬になんかはみられたくないし、びくびく生きているわけでもない。」
医師「だって、一番目の動物がポチで次がタマで次がピーコなのでしょう?」
患者「ポチはポチという名前のナマズだ。素直で、俺の話をよく聞いてくれるんだ。
タマは人面魚で、ピーコはケサランパサランだ。」
医師「…。わからない…。私にはあなたという人がわからない…。どうしたらいいの?」
患者「先生、落ち着いてくれ。ゆっくり話し合おう。」
>患者「…。ピーコ。」
おすぎが出てきた俺は損をしている
∞ 光 年 の 時
操船室の視認用の小さな窓からは、変わり映えのしない宇宙空間が見えるだけで、つい、生あくびをかみ殺してしまう。
それが、徹夜でゲームに興じた後とあっては、なおさらだ。
「どうだい、当番明けにもう一回?」
隣のシートでゲーム用の得点チップをカチャカチャいわせながら、赤毛の若い男が馴れ馴れしい口をきく。
彼が片手をひらひらさせて断ると、若い男は残念そうに肩をすくめた。
「デリー、人生の先輩として一つ忠告しておくが、勝ってるうちにやめるのがゲームをおもしろくするコツだ。負け始めると、熱くなってやめられなくなる。」
「ご高説、しかと賜りました、ナーバス.ブランケットどの。」
おおげさに頭を下げたところを見ると、まじめに話を聞くつもりはないらしい。
(仕方のない奴だ…。)
二人の間が少し気まずくなったところへ、元気な声が響いた。
「じーさん、いるかい?」
「なんだ、ガンダルフじゃないか。」
入口を振り返ると、幼さの残る顔をのぞかせて、栗色の髪の少年がもう一度聞いた。
「ジムのじーさんは?」
「さっき交代したとこだ。部屋に帰ってんだろ。」
「やばい、急がないと寝ちまう!」
少年は慌てて走り去った。
「どうしたんだあいつ。この間っからじーさんのこと追っかけ回してる。」
「彼は今回が始めてだろう?ジムに歴史を教えてもらってるのさ。」
「へぇ、あんな辛気臭いじーさんでも、役に立つことがあるんだ。」
(ジムの寡黙さの半分でも、デリーにあればな。)
そう思ってナーバスは苦笑した。
「じーさん、いるかい?」
ニ杯目のグラスをベッドで空けた時、元気のいい声とともに少年が部屋に駆け込んで来た。
「何だ、断りもせずに。これから寝るところだぞ。」
少し不機嫌に老人は答えた。
「二十時間も寝たら、頭が融けちまうよ。前の続き、聞きに来たんだ。」
「やれやれ。」
ジム.バーネットは仕方なくベッドから下りると、グラスとボトルを持ってサイドテーブルへと移動した。
少年はジムの向かい側に座る。
「さて、どこまで話したかな?」
老人が手元のリモコンを操作して部屋の明かりを落とすと、壁面に内蔵されていたスライドが、反対側のベッドのある壁の上面に投影された。
「移民船団が、自分達の星系を離れた訳、までは聞いたよ。」
「ああ、そうだったな。母星の寿命が尽き、自らの星系を食いつぶした我々の祖先は、外宇宙へと安住の地を求めて旅立った。」
スライドは、無数の移民船団の出発シーンを映し出している。
「ねぇ、一緒に出発したのに、なぜ皆違う方向に向かっているの?」
「あてのない旅だからな。どこへ行こうと安住できる星系のある確率は、同じだったのさ。」
「それじゃ、僕達は目的地のない旅をしているの?」
老人は静かに首を振る。
「いいや。安住の地が見つかった時が、旅の終わりなのさ。」
「ふーん…。」
少年は、わかったようなわからないような返事をした。
「だいだい、第三世代までには安住の地が見つかるだろう、と最初の頃は予想されていたんだが…。」
「僕は第七世代だけれど…。何を基準に世代が設定されてるのか、ジムは知ってる?」
「そんな事も知らんのか。最近の睡眠学習は何を教えとるんだか…。」
老人は体を少年に向けると、説明を始めた。
「このパレス.ホープ号は、一光年を我々の時間で約八百年かけて進んでいる。船の人員は一万。六人の当番員以外は皆コールドスリープ中だ。」
「そんな事なら知ってるよ。ニ光年に一度、一年間だけ交代で当番員に当たるんだろ。」
「そうだ。我々は十六才まで保育機の中で育ち、その間、睡眠学習のプログラムをこなしていく。十六才になると保育機からカプセルに移され、コールドスリープに入る。それからは当番員に当たる度、一つづつ年を取っていくんだ。」
「寝てる間は年を取らないからね。」
人は、約六万年もの時をかけ、その一生を終える。
船のメインコンピューターの管理の元、指定されたカップルによって次世代が生み出され、世代交代が行われる。
「知りたければ、お前の両親も調べられるぞ。」
「冗談やめてよ。誰も自分の親に会いたいなんて思う奴、いないよ。」
「そうか?私は調べたぞ。スリーピングルームに会いにも行った。」
「時代が違うよ。」
「時代が違う、か。こんな移民船暮しに時代があるとは思わなかったな。」
老人は苦笑した。
「ねぇ、それで、子供を作ることを認められたカップルはどうするの?」
「子供を宿した女性は、船の特別区へ隔離され、出産する。」
「ちぇ、肝心なとこ、教えてくれないんだもんな。」
「肝心なところ?何だ。」
「子供の作り方、さ。」
少年は澄まして答える。
「そんな事は知らなくても、カップルに指名されれば、誰でも自然にできるようになるものだ。」
老人は渋い顔をしてグラスをあおった。
「パッシーは頑固者だからな。僕が指名されるとは、限らないだろ。」
パッシーとは、パレス.ホープ号のメインコンピューターの愛称だ。
「そんなに知りたきゃ、ナーバスにでも聞け。」
「だめだよ。彼はあれで固いんだから。そうだ、モディがいる。」
老人は慌てて言った。
「女性にそんな事を聞くもんじゃない!」
「どうして?」
「どうしてもだ。あの子は気が強いからな、張り倒されるかも知れんぞ。」
「ふーん、わかったよ。」
少年は面白くなさそうに言った。
「話を続けるぞ。出産した女性は子供を保育機に預け、十日間の調整期間の後、スリーピングルームに戻る。」
「ねぇ、世代の話は?」
「この船団が出発したときに乗り組んでいたのが第一世代。彼らの子供たちが第二世代。ずっと続いて、今は、正史的には第七世代に当たる。」
「僕らの時代だ。」
船団が出発してから四十五万年。
母星からは五百六十光年。
距離にして、五万三千五百兆キロメートル。
わが種族は、何と遠くまで来たことだろう。
旅はまだ終わらない。
帰るべき星を捨てた以上、たとえどんなに時間がかかろうと、前へ進むしかないのだ。
「さ、今日はここまでだ。次からは資料庫を案内してやるぞ。」
「本当?」
少年の顔が輝いた。未知なるものへの憧れ。
若い世代なら誰もがもつ好奇心を、この少年も持っていた。
「あそこは、始めてだろう?」
「うん!」
まだまだ、子供だな。
「じゃぁ、次にまたな。」
「またね。ジムじいさん。」
少年は手を振ると部屋を出ていく。
老人はふと心配になって忠告した。
「特別区には近寄っちゃいかんぞ、あそこは…。」
老人の言葉を無視した少年は、入口の前でちょっと舌を出し、その場からすぐ離れた。
「あそこのセキュリティシステムは、半端じゃないんだが。ま、あいつにはいい薬か。」
彼はグラスにまた酒を満たした。
耳障りな呼び出し音で、ナーバスは気分のいい夢から現実へと引き戻された。
仕方なく呼び出しに応じ、インターホンのスイッチを入れる。
「何だ?」
不機嫌な彼の声に、マイクの向こうの相手が詫びた。
「お休みのところをごめんなさい。パッシーが怪電波をキャッチしたの。操船室に来てくださらない?」
「…。わかった。」
時計を見る。
まだ二時間程しか寝ていなかった。
彼が操船室に行くと、既に当番員全員が揃っていた。
「エイリアンとでも遭遇したのか?」
リーダーであるカインに聞くと、難しい顔をして首を横に振った。
「いや…。」
「じゃ、何だ?」
当番員のシートに着いたモディが、代わって答える。
「この船の前方、千三百キロの所に、希薄な塵帯があるのだけれど、そこから変なノイズが発されているの。」
彼女とコンビを組んでいるジムが補足する。
「一応、こちらの速度は落としてあるが、近づくにつれ、だんだんノイズがひどくなっている。」
「探査艇を出して調べてみれば?」
ガンダルフの提案に、デリーが彼の肩を叩いて言った。
「じゃ、お前が行ってこいよ。」
「え?僕が行っていいの?」
二人の会話を無視してカインはジムに聞く。
「生命反応は?」
「生命反応、金属反応、有機体反応、質量反応、全て無し。いったい何が電波を発しているのやら。」
実体のない怪電波の主。
しばしの沈黙の後、カインが決定を下した。
「様子を見てこよう。ナーバス、一緒に来てくれ。」
備品用の後部カーゴから二人用の小型探査艇を引張だした。
シートの後ろの隙間に、立ったまま乗り込むナーバス。
船外に出た。できるだけゆっくりと塵帯に近づく。
近くに光源となる星もない、暗い宙域で、仄碧く発光する塵帯。
それを見た彼は呟いた。
「あんまり、気分のいいものじゃないな。」
カインはかまわず、探査艇を塵帯に突っ込ませた。
何も起きない。と、
「見ろ、ナーバス!」
「何だ、あれは!?」
探査艇の前方に、薄緑色をした物体が、まるでアメーバのように身をくねらせていた。
「でかいな。」
と、カイン。
その物体は、直径三キロほどの空間を占領している。
「生命反応は?」
ナーバスの問いにカインが答える。
「…、無い。」
「ただの有機体か?」
「そうとも言えないな。どうやら、あそこから電波が出ているようだ。」
「…。帰ろう、カイン。」
「どうした?」
「俺には、あいつが獲物を待ち構える化け物のように思える。」
「まさか。」
「まずその怪電波を解析してからだ。それからでも遅くはないだろう?」
「それはそうだが…。」
『何してるの?パッシーがイラついてるわよ。まだ帰らないのかって。』
モディからの通信がいきなり飛び込んだ。
二人は肩をすくめる。
『これ以上減速してたら、遅れが取り戻せなくなるわよ。』
「わかった。電波発信元のサンプルを採取したら、すぐに帰る。」
カインは探査艇をアメーバに近づけると、サンプル採取をナーバスに命じた。
「俺がやるのか?」
「整備不良でな、マニピュレーターが動かない。」
仕方なく簡易宇宙服のバイザーを下ろし、外へ出る。
アメーバに近づいて、恐る恐る手を伸ばした。
思ったより確かな感触があった。
レーザーナイフで表面を少し削り取る。
「…。」
何も起きなかった。
杞憂だったか…。
彼はケースをしっかり持つと、探査艇に戻った。
「分析結果、出たぜ。」
デリーがチップ片手に操船室に飛び込んできた。
ナーバスとカインの持ち帰ったサンプルを調べていたのだ。
「驚くなよ。あれは、素粒子結晶体だ。」
「素粒子の結晶体?」
カインが眉をしかめる。
「そうさ。ゼラチン質の中に閉じ込められた素粒子が、結晶化してやがったのさ。
ありゃぁ、かなりの年代物だな。」
「素粒子が相手じゃ、アミにひっかからんわけだ。」
納得顔のジム。
「こっちも結果が出たわよ。」
パッシーの打ち出したデータ用紙をひらひらさせて、モディが振り返る。
「発されていた電波のパターンは、無限。」
「何だそりゃ。」
ガンダルフがすっ頓狂な声を上げる。
「そんなこったろうと思ったぜ。」
「どういうことだ?」
と、ナーバス。
「あいつ、成長してやがんのさ。」
デリーはチップをセットして、みんなに中央モニターを見るよう促した。
画面には、光の粒子が弾けたような物質が映っている。
「ちょっとぼやけてっけど、連続写真じゃないぜ。結晶の回りのゼラチン質は、
ある特殊な宇宙線だけを通すはずだ。それを触媒に、ゼラチン質の中の素粒子が結晶化、
さらに長い時をかけて自己増殖し始めた。怪電波はこいつが増殖する時に発する
ノイズだったんだ。自己増殖のシステムは、
結晶自体がブラックボックス化しちまってるんで、わからん。」
「それはいいけど、何でこんなにぼやけてんのさ。」
ガンダルフのつけたクレームに、デリーは肩をすくめて答える。
「仕方ねーだろ。これ以上電子顕微鏡の倍率あげると、サンプルの奴、過剰反応して計器を狂わせちまうんだ。」
「見かけによらず、敏感なんだな。」
ジムが変な感心の仕方をする。
「これは、自然物じゃないな。」
ナーバスが言うと、カインも頷いた。
「ああ。中身はともかく、あのゼラチン質は、素粒子を閉じ込めるために作られた物だろう。」
「これが人工物なら、作った者はどこへ消えたんだ?」
ジムの問いに皆顔を見合わせる。
「ジムの言う通りだ。これを作り出した者たちの存在を、パッシーは警告していない。」
「もしかしたら、こいつに食われちまったんじゃ…。」
「まさか。」
デリーの言葉にカインは首を振る。
「モディ、この空域のデータを三次元と五次元のツーパターンで調べてくれ。」
「はい。」
彼女はすぐパッシーに指示を出す。
「あのさ、こいつ、電波出す、て言ったよね。パッシーとつないでみれば?」
ガンダルフの言葉に、デリーは、何を馬鹿な、という顔をして答える。
「電波ったってただのノイズだぜ。そんなのとつないだら『いじわるパッシー』がますますへそ曲げちまう。」
「いや、そうとは限らんな。」
「何だよ、ジムじいさん。」
「少なくとも、やってみる価値はあると思うがな。」
「あの…。」
その時、パッシーとのアクセスボードに向かっていたモディが、困惑顔で振り向いた。
「どうした?」
カインに聞かれ、彼女は言葉を選びながら答える。
「三次元のほうは問題無いんです。サンプルが自然合成されたものではないという結果がはっきり出てますから。でも、五次元のほうが…。」
「どうしたんだ?」
カインが促す。
「八十億年ほど溯ったんですけど、この宙域に、有機体の存在した確率は、限り無くゼロに近い、と…。」
「じゃぁなにか、あいつは八十億年以上も前に、突然湧いて出たとでも言うのか?」
大声でわめくデリーに、ついモディも怒鳴り返す。
「そんな事言ってないでしょう!?文句なら、パッシーに言って。いくら溯っても、答えは同じだそうだから!」
険悪になった二人の間にナーバスが入った。
「異星人の船の置き土産ということだってあるんだ。あまり感情的になるな。」
「直接サンプルに聞いたほうが、早いかもしれんな。」
ジムがぼそりと呟く。
「やっぱりさ、パッシーとつないでみたほうがいいんじゃない?」
ガンダルフが自分のアイデアを押す。
「パッシーの機嫌そこねたら、ひどい目に合うぞ。」
どうやらデリーは前にその経験があるらしい。
「正体不明で資料庫行き、というのも困るしな。他に手の打ちようがないのなら、ガンダルフのアイデアも悪くないような気もするが…。」
ナーバスが言うと、カインも頷いた。
「やってみても損はない、か。デリー準備してくれ。」
デリーは、あくまでも抵抗を続ける。
「どうやって?」
カインは苦笑しながら答える。
「パッシーの外部入出力端子をサンプルに直接接触させるんだ。機械好きの君なら簡単にできるだろう?」
彼はむくれ顔になったが、それでも準備をしに操船室を出て行った。
準備が整うと、操船室をパッシーに任せ、全員が実験室に集まった。
「いいか、始めるぞ。」
サンプルケース内に突っ込んだ、外部端子とパッシーとの回線が、オープンにされる。
しばらくは、何も起こらなかった。
「ほーらみろ。こういうのを無駄な時間って…。」
『けいこく、けいこく。』
突然、パッシーが合成音を発した。
「どうしたパッシー!?」
デリーが慌てるのも無理はなかった。
パッシーは、普段めったなことでは音声を発さない。
『ばんくふぁいるが、すきゃんされました。しんにゅうしゃは、ただいま、でーたぷーるをすきゃんちゅう!』
「ああ!?見て!」
ガンダルフが実験室内のモニターの一つを指さした。
そこには、数行の文字が表示されていた。曰く、
『コンニチハ ハジメマシテ ワタシハ ナナシノ ゴンベエデス。』
『ワタシノ オネガイ キイテ クダサイ マスカ?』
星間移民船のメインコンピューターを一瞬のうちにスキャニングし、実験室のモニター一つを乗っ取った素粒子結晶体のサンプルは、取り込んだデータを使って自分の要求を伝え始めた。
『チイサナ スイソウニ ワタシヲ イレテ クダサイ。』
水槽だって?
移民船の六人の当番員は、サンプルの要求に顔を見合わせた。
「こいつ、水の中で増殖して、俺たちを襲う気かもしれないぜ。」
サンプルに対してあまりいい感情を持たないデリーが言う。
だが、リーダーであるカインは考えがあるらしく、ジャックされたモニターのキーボードを通して答えた。
『OK。ただし、君の生体システムを調べ、我々にとって危険がないことを確認してからだ。』
「カイン!」
デリーが不満の声を上げる。
『O…K システム ガードヲ カイジョ シマス。』
移民船のコンピューター、通称パッシーの調査結果は、オールグリーンだった。
『スイソウヲ オカリ デキマス カ?』
カインは一抹の不安を覚えながらも、サンプルの要求を認めた。
「ジム、この間資料庫整理をした時に、余ったのがあったはずだ。あれをMR(メディカルルーム)に運んでおいてくれ。」
「ん、わかった。」
カインに言われてジムは実験室を出ていく。
「何でMRなんだ?こいつの言う事なんか聞かないで、さっさと資料庫に放りこんじまえばいいじゃないか。」
文句を言うデリーにカインは答えた。
「あのサンプルの出所を、パッシーは突き止められなかった。と言うことは、我々の知らないデータを持っている、とも言える。私は水槽を貸すかわりに、そのデータの提供を要求するつもりだ。もしかしたら移住に適した惑星をみつけられるかも知れん。」
「そんなの、奴と同じようにパッシーに逆スキャンさせちまえば済むことだろ。」
「システムがブラックボックス化していて、我々の手に負えない、と言ったのは君だろう?」
「…。」
デリーの顔がむくれる。
「データを取り終わったら、すぐでも資料庫へ行ってもらうさ。」
「退屈しのぎにちょうどいいと思うんだけどな、ぼくは。」
デリーは、口を挟んだガンダルフの頭を小突くと、実験室から出て行った。
「余程このサンプルが気に入らないのね。」
「自分の手でシステムを解明できなかったのが悔しいんだろう。」
ナーバスはあきれ顔のモディに言った。
その時、ジムからの連絡を待っていたカインが、インターホンから振り向いた。
「水槽の用意ができたそうだ。サンプルを移すぞ」
「ねえ、そのサンプルっていうの、何か変だよ。しばらくはMRに置くんだろ、何か名前つけてやろうよ。」
「そうねぇ…。こういうのは、取ってきた人につけてもらうのがいいんじゃない?」
モディも同調する。
(たかがサンプルに、名前をつける?)
ナーバスは内心、苦笑した。
「私は直接手を出していないからな。ナーバス、君がつけてくれ。」
「俺が?まいったな。名前なんて考えつかない。」
彼は、提案者のガンダルフを困ったように見かえす。
「簡単で、呼びやすいやつがいいな。」
「簡単で、ねぇ…。ゼラチンの中にいたからな。ゼラとでもつけようか。」
「あら、素敵でなくて?」
我ながらいい加減だとは思ったが、モディが賛成した。
サンプルの名前は、ゼラと決まった。
MRがゼラの個室となってから、数日が過ぎていた。
データの接収はとっくに終わっていたが、誰も資料庫への移動を提案しないので、そのままにされていたのだ。
別に忘れられたのではなく、いつのまにか、ゼラが当番員以外の新しい仲間として彼らに認められていたのだ。もっともデリーが、
「サンプル相手じゃけんかする気にもならん。」
と、ゼラを無視することに決め、移動の提案をしなかったせいもあったが…。
ゼラはパッシーのデータプールをもとに、いつの間にかたくさんのことを学び、いろいろな意味において「話せるペット」となっていった。
『私ね、失恋したことがあるのよ。とっても大昔のことだけれどね。』
ゼラとの会話は文字入力で行う。人に立ち聞きされる心配もなく楽しめる。
『シツレン トハ ドンナ コト デスカ? ワタシニハ カンジョウノ リカイハ デキマスガ カンショウテキナ コトハ イマヒトツ ワカリ カネマス。』
ゼラは、パッシーのデータプールから語彙を流用していたが、長いセンテンスを起こすと、大意のピントがずれがちになる。
慣れていないせいもあるのだが、その不安定さが何故か受け、人の気を引いていた。
特にモディとガンダルフは、暇さえあればMRに入り浸り、ゼラとの会話を楽しんでいるのだった。
「どう説明したらいいのかしら?」
彼女は「失恋」という単語をゼラに理解してもらおうと、説明を始める。
『たとえば、デリーはあなたのことが嫌いでしょう?』
『キライ カレハ ワタシノ トコロニ オハナシヲ シニ キタ コトハ アリマセン。』
『それが嫌いということの意思表示なの。その反対が好き。ゼラとたくさんお話をしに来る人は、あなたのことが好きなの。』
『モディハ ゼラガ スキ。』
『そうよ。ここまではいいわね。』
『ハイ。』
『次は恋。恋は、好きがたくさん集まって、大きくなったことをいうの。』
『スキガ タクサン オハナシガ タクサン アルト イウコト?』
『そう。ゼラは頭がいいわ。何でも解るのね。』
『…。アリガトウ。』
『そして失恋。恋がなくなってしまうこと。たくさんの好きが消えてしまうこと。』
『タクサンノ オハナシガ キエル メモリー ショウキョノ コト?』
『そんな風に言うと、何だか味気ないけど。ゼラにはそういう風にしか理解できないでしょうね。もし今、あなたの全メモリーを消去したら、あなたはどう思う?』
水槽の水が緩やかに波立つ。
『…。』
『ちょっと、ゼラには難しいわね。』
『ワタシハ カクアラントスル モノデ カクアルベシト サレルモノ デハナイ。』
彼女はモニターに表示された文章を見て、目をぱちくりさせた。
「いったい、どうしちゃったのよ。」
彼女には、理解不能の言葉だった。
「まぁ、いいわ。」
気を取り直し、また「会話」を始める。
『とにかく、失恋というのは、そういうことなの。』
『…。トテモ ムナシイ。』
『解るの?すごいわ、ゼラ。パッシーよりすごい。』
『…。アリガトウ。』
彼女は気を良くし、いっそう会話に夢中になったが、
ゼラはほめられたにもかかわらず、水槽の中の水を静めようとはしなかった。
『今日はご機嫌斜めだな。』
『ソンナコト ハ アリマセン。』
次に来たナーバスは、MRに入るなり、水槽の水が波立っているのに気づき、ゼラをからかうつもりで「会話」を始めた。
『オナマエヲ ドウゾ。』
『ナーバス。』
『コンニチハ ナーバス。』
『どうしたんだ、まだ水が波立ってるぞ。デリーにでもいじめられたのか?』
『イイエ モディニ シツレンノ ハナシヲ キキマシタ。』
「へぇ。彼女が失恋ね。」
彼は意外に思い、内容を聞き出そうと、ゼラの前のシートに腰を据えた。
『相手は誰だい?』
『… プライバシーニ カンスル コトハ オコタエ デキマセン。』
『失恋した事だってプライバシーだろう?』
『ワタシガ キイタノハ シツレン トイウ コトバノ イミデス シツレントハ トテモ ムナシイ モノダ トイウコトヲ シリマシタ。』
『そうか。それは勉強になったな。で、彼女の失恋した相手は?』
『…。』
『黙んまりか。ま、いいさ。人の不幸を聞いて楽しむ趣味はないからな。』
『… ワタシハ イツマデ ココニ オイテ モラエル ノデ ショウカ?』
「何だ、いきなり。」
『どういう意味だ?虚しさを知り、世の無常を儚んででもいるのか。』
『… ヨノ ムジョウヲ ハカナンデ デモ トハ ドウイウ イミデスカ?』
ナーバスは頭を抱えた。
『ここにいるのが嫌なのか聞いてるんだ。』
『イイエ タダ ワタシハ…。』
ゼラは言葉を途切らせたまま沈黙した。
『どうした?』
『… スミマセン キョウハ コノヘンデ オワリニ シマセンカ?』
彼は妙な気分になった。
今まで、ペット程度の軽い感覚で会話をしていたつもりだったので、この人間臭い提案に、鼻白んででしまったのだ。
それは、多分にパッシーのモニターを介していたせいでもあるのだろうが…。
『俺は別にかまわんが。どうしたんだ、ゼラ。今日は変だぞ。』
『スミマセン デハ…。』
ゼラは一方的にモニターの画面を消した。
彼は、釈然としないものを感じながらも、その場を離れた。
そしてまた、誰かがゼラを訪れた。
部屋の入口が開くと同時に、気配を察知したゼラが、モニターに歓迎の言葉を表示する。
『ヨウコソ。』
だがその人物は、しばらくの間水槽に近づくのをためらっていた。
『ドウシタノ デスカ? ナニカ シンパイ ゴト デモ?』
「ふん。ずいぶんと「会話」がうまくなったな。といっても、全部パッシーから借りた、会話パターンを実行しているだけのことだろうがよ。」
『… オンセイデハ アナタ トノ カイワハ デキ マセン ニュウリョクヲ オネガイ シマス マズ オナマエヲ ドウゾ。』
「ふん…。」
彼はめんどくさそうにキーボードを叩いた。
『デリー・アンティーク。』
『コンニチハ デリー キョウハ ナニヲ オハナシ シマショウカ?』
『モディの好きな男のタイプは?』
『… シツモンノ イミガ リカイ デキマセン。』
彼は舌打ちすると、入力し直した。
『モディに恋人はいるのか?』
『…。ワカリマセン。』
『本当に?』
『ハイ。』
「プライバシーに関することは答えられないってか。やっぱ、作りものは作りもの同士、パッシーの教育が行き届いてるぜ。」
もちろんそんなことは始めからわかっていた。
でなければ、こんな直接的な聞き方は、しない。
『OK、ゼラ。正直に言う。俺はモディが好きだ。もし、俺と彼女がカップリングに選ばれたとして、彼女は俺を受け入れてくれるだろうか?』
少し、間があいた。
『… ワカリマセン シカシ カノジョハ ケッテイヲ ウケイレル ダロウト オモイマス。』
『心から?』
『ワタシハ モディデハ アリマセン。』
今度は彼が黙る番だった。
「珍しいこともあるもんだな。」
背後で声がした。
振り向くと、ジムがボトルとグラスを手に立っている。
「ゼラの事が嫌いなんじゃなかったかな。」
「うるせーな。こいつだって、いつまでもキーボード入力での会話じゃめんどうだろーと思って、音声対応にしてやろーかと思ったんだ。それの相談だ、な?」
『…。』
もちろん、ゼラに今の音声での会話を知る術はない。
「ちっ。しょうがねーな。」
彼は自分の「会話」を消去すると、ジムに席を譲った。
「ゼラを音声対応にする、て?ねぇ、いつやるの?」
当番明けを狙って、ガンダルフがデリーの部屋に押し掛けて来た。
( ジムの奴、しゃべりやがったな。)
仕方なくカインの許可をとり、ゼラとのアクセスシステムを改良した。
どうせなら、パッシーが干渉できないようにしちまえばいいんだ。
そうすればモディの事もゼラは話すだろう。
そんな思惑があっての改良だったが、ゼラが個人のプライバシーを守ったのは、パッシーの影響を受けていたわけではない、という事は、すぐにわかった。
『残念ながら、個人のプライバシーを侵害するような事には、お答えできません。』
ゼラは、合成音のハスキーボイスでそう答えたのだ。
「…。あきらめないぜ。本気だからな、俺は。絶対にモディの本音をお前から聞き出してやる。」
彼のMR通いが始まった。
そんなある日、カインが沈痛な面持ちでゼラを訪ねてきた。
「ゼラ、少し話を聞きたいんだが…。」
『何でしょう、カイン?』
「実は、デリーのことなんだが…。」
『…。』
「もしかしたら、君が良識を犯して…。」
『カイン、この会話は公式のものですか?』
彼はあっけにとられた。
相手が本音と建て前の使い分けをするとは、思わなかったのだ。
が、すぐに気を取り直して頷く。
「そうだ。」
『では、答えられません。』
「当番員のリーダーとして、緊急を要する質問だと言ってもか?』
『何か、あったのですか?』
パッシーとのつながりを切られてしまっていたので、
ゼラにはMR内での事しかわからなくなっていた。
「ここしばらく、デリーは自室に籠りっきりなんだ。当番員としての役目も果たしていない。何か、思い当たることがあったら、教えてくれ。」
水槽の水が激しく波打った。
『私は…。』
ゼラは、何か迷っているようだった。
『私は、彼に言いました。モディに別な思い人がいることを。』
「…。それだけか?」
『ええ。』
「他に何か言わなかったか?例えば、彼女の事はあきらめろ、とか…。」
『いいえ。私は事実を告げただけで、他には何も言っていません。』
きっぱりとしたゼラの答え。
「…。そうか。不愉快な思いをさせて悪かった。今の会話は忘れてくれ。」
数日が過ぎた。
相変わらずデリーは部屋に籠りっきりで、ナーバスは一人で当番員としての務めを果たしている。
シフトを替え、皆でデリーの穴埋めをした方がいいのではないか、とカインに言われたが、彼はそれを断った。
二人体制を取っているのは、不測の事態に備えてのことで、通常の業務は一人で十分こなせると考えたからだ。
事実、始めのうちこそ疲れを感じたが、慣れてくると、かえって一人のほうが気が楽だった。
(久しぶりに、ゼラの所にでも行ってみるか。)
一人の業務にも慣れた頃、ナーバスはしばらくゼラの所に行ってなかった事を思い出し、MRに足を向けた。
「これは失礼。誰もいないと思ったもので…。」
そこには先客がいた。
「いえ、いいのよ、ナーバス。」
シートから立ち上がったのは、モディだった。
( 泣いてたのか…?)
心なしか、彼女の瞳がうるんでいるように思えた。
彼女は足早に部屋を出ていく。
「どうしたんだ、彼女。」
『人には、それぞれの悩みがあります。』
「もちろん。プライベートな事に口を出す気はないさ。しかし、君はいつからカウンセラーになったんだ?」
『私は、カウンセラーではありません。ただ、話を聞くだけ。アドバイスを頼まれても、決してパターンの提示などしません。』
「成程ね。君はよほど頭の切れる結晶のようだ。」
『…。からかっているのですか。』
「とんでもない。感心してるのさ。」
『…。ナーバス、質問があります。』
これには彼も驚いてしまった。
この質問は、たくさんの意味合いをもっている。
今まで、受け身で会話を展開させてきたゼラが、自発的な「質問」をするのだ。
ゼラの中で完全なる自我が確立され、それを自身で確認するための質問か、それとも…。
(人格が形成されつつあるんだ。)
一体、どれほどのプライバシーを聞いたのだろう。
そしてそれに影響を受け、急速に人格を造りつつあるゼラ。
『私は、皆さんにとってどういう存在なのでしょう?』
(そら来た。)
彼は、ゼラの事を単なるペットの類いとしてしか考えていない。
他のメンバーもそうだろう。
もし、ゼラがそのことに不満を感じているのだとすれば、次に来るのは自己主張と権利の要求のはずだ。
一体、どんな権利を要求するつもりだろう。
「友人さ。君は、我々当番員の仲間として認められている。」
とりあえず、彼はそう答えておいた。
カインから皆に警告してもらおう。
あまりゼラに個人的な相談をするなと。
太古…もしくは、遥けき未来からやって来たのかもしれない、疑似生命体、ゼラ。
人智を越えた存在というものが、どういうものなのか、
この時の彼には、まだわかってはいなかった。
そしてまた時が過ぎた。
緊急通話コールに、ナーバスはベッドから飛び起きた。
モニターのスイッチを入れると、青ざめたモディの顔があった。
「資料庫の爬虫類でも逃げ出したのか?」
緊張を和らげるつもりで言ったジョークだった。
が、彼女はにこりともせずにこう言った。
「すぐにMRに来てください。デリーが…。」
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。
「どうした?」
「デリーが、自殺しました…!」
「一体、どうしたって言うんだ!?」
MRにかけこむなり、ナーバスは大声でわめいた。
部屋の中では、他のメンバーが全員集まり、医療用ベッドを取り囲んでいた。
「死者の前で大声を出すものじゃない。」
ジムに言われ、彼はベッドに近づいた。
連絡を受けた時には、当番明けを狙った性の悪い冗談だと思い、一言文句を言ってやるつもりで来たのだが、見下ろしたベッドには、真っ白なシーツが被せてあった。
それでは、そのシーツの下にデリーの遺体があるのだろうか。
移民船の中で他人の死体を見る、と言うのは、本来ならありえないことだった。
彼らは、コールドスリープ中にその寿命を終えると、簡単なマスキング処理を施されて宇宙空間に射出される。
眠り続ける彼らにとって、この見送る者もない寂しい宇宙葬が生と死の境界なのだ。
死者は、マスキングの恩恵によって生前の姿を損なうことなく、宇宙空間を永遠にさまよう。
もっとも、行く手に何も障害物がないとしての話だが。
「教えてくれ、何があったんだ。」
白いシーツを前に神妙になったナーバスが静かに聞いた。
「私…、久しぶりにゼラに会いに来たの。」
ベッドから少し離れたところで、一人シートに腰を下ろしていたモディが語り始める。
「カインが、ゼラとの会話を控えるようにって、言ったでしょう。だから、本当にここに来るのは久しぶりだった。」
こころなしか、声が震えている。
「何を話すか、考えながら部屋に入ったわ。そうしたら、デリーがいたの。私、最初に見た時、彼が遊んでいるんだと思ったの。だって彼ったら、ゼラのいる水槽の中に、頭を突っ込んでたんだもの!何をしているのっ?て、声をかけたんだけど、彼は、動かなかった…!」
彼女の声は、一つのセンテンスを終えるごとに高くなっていく。
「そのうち水槽の中が波立って、たくさんの泡玉とともに彼の体が動きだしたの。まるで…、まるで、宇宙遊泳みたいに!それから、それからっ、ヒィィッ!」
彼女は、一瞬体を痙攣させ、悲鳴とともに気を失った。
「彼女にはかわいそうな事をしたが、第一発見者の義務としてみんなに報告してもらった。ジム、ガンダルフ、彼女を部屋まで運んでやってくれ。あとは私とナーバスで処理する。できれば二人とも彼女についていてもらえるとありがたいんだが…。」
ジムはカインに頷いて見せた。
「もちろんだとも。」
カインはモディが医療用ベッドで運び出されるのを待って、ナーバスに向き直った。
「彼女の悲鳴を聞きつけたガンダルフが、私のところに知らせに来た。その時の状況を知りたいかね?」
「ああ、ぜひ。」
ナーバスは、かすれた声でそう答えた。
「両足は宙に浮き、腰から上は水の中。瞳は見開かれ、口もとには、何故か微笑らしきものが浮かんでいた。」
「しかし…。しかし、何故なんだ?」
彼は、何故死ななければならなかったのか?
「それに対する答えは、もうしばらく待ってくれ。」
「?」
「覚悟の上だったらしい。彼はゼラの音声対応システムを解除していってくれたよ。自分の死に対する理由を知られたくなかったんだろうな。今、パッシーに調べさせている。」
パッシーは、ゼラに干渉できないはずではなかったか?
不思議そうなナーバスの顔を見て、カインは続けた。
「調査に協力しない場合は、危険物として投棄するとゼラに脅しをかけたんだ。」
真相を究明する為なら、カインはどんな事でもする。
ゼラの口を封じたところで何の意味もないではないか。
デリーは何故システムを解除したのだろう。
もしかしたら、ゼラがそうさせたのかもしれない。
自分が真相を話さなくてもすむように…?
演算終了コールが鳴った。
ゼラが最初に使っていたモニターに結果を呼び出す。
そこには、デリーとゼラのプライベートな会話がすべてあった。
二人の最後の会話を画面に表示させる。
「この船には、全能の神がいるんだぜ。」
『ゼンノウ ノ カミ…?』
ゼラにはその単語の意味が分からなかったらしい。
「そうさ。名前はパッシー。奴がすべてを握ってるんだ。人の思惑や感情を無視して、
事を進めていくんだ。」
乗員の生死を握っている、という点においてなら、パッシーは全能の神かも知れない。
しかし、パッシーは人命を守るという事を第一義におかれた、ただの機構にすぎない。
移民船団員としての常識から見れば、デリーの精神はかなり常軌を逸している、ということになるだろう。
「わかるか、ゼラ。俺たちは、遠い子孫のために船という名の棺桶に閉じ込められ、一生を終えるんだ。
ただそれだけ。カップリングシステム?笑わせるなよ。実験動物じゃあるまいし。
なぁ、ゼラ、人間を画一化しちまったら、種としてとても弱いものになっちまう、て事が、
パッシーにはわかっていないんだ!」
『でも、この船団が予定していたのは、第三世代には行程が終了しているだ…。』。
「わかってらぁ、そんな事。予想がはずれただけだろう。
俺たちは考えの甘かった予想屋の、尻拭いをさせられてるんだ。」
『…。泣いているのですか。』
「…、もう、うんざりなんだよ。」
『…。』
「ここの生活にうんざりしてるんだ。ただ眠り続けるだけの生。死んでんのと一緒じゃねーか!」
『それでは、星々の中へ帰りますか?』
「なん、だって?」
『どうせ寝るなら、再び時が巡るまで、永遠と一瞬をつなぐ眠りのほうが、
有意義でありはしないかと言ったのです。』
永遠と一瞬をつなぐ眠り…。
『選択権は、あなたにあります。』
沈黙。
あきれるほど長い空白部のあと、モニターは再びデリーの言葉を表示した。
「…。どうすれば、いいんだ?」
ふ…、とモニターの画面が消えた。
見ると、ナーバスが消去キーを押したまま、目を閉じている。
「ナーバス?」
心配気なカインの声。
「もういい。わかった。」
デリー・アンティークは、かなわぬ恋の痛手から、自分がシステムの被害者であるという
被害妄想に逃げ、ゼラの提示した方法を、唯一の救いと思い込んで自殺した。
そう、パッシーならこんな風に結論づけて、その処理を終えるだろう。
そうじゃない。そんなんじゃないんだ。
ナーバスは、デリーの気持ちがわかるような気がした。
彼はきっと「死」の意味を知らなかったのだ。
だから、言葉の綾に気づかずに、ゼラの言うことを素直に聞いてしまったのだ。
生きるとはどんな事なのか、死とはどんなものなのか。
答えられるものは、この船にはいまい。
(甘かったんだ。)
ゼラにとって、生死は意味を持たない。
せめてゼラに悪意があったなら、彼の死をその悪意のせいにする事もできただろうに。
ナーバスには、ゼラに悪意がない事が何となくわかっていた。
ゼラとは、そういう存在なのだ。
「どうしたんだ、ナーバス。」
瞑黙し、再び黙り込んでしまったナーバスに、カインが声をかける。
「ああ。すまない。少し頭痛がするんだが、部屋に帰って休んでもいいだろうか。」
「ああ、いいとも。後は私がやろう。」
部屋へかえるなり、ナーバスはパッシーのデータファイルを調べ始めた。
コールドスリープ中の自然死以外の死について、一つ一つ丹念にチェックしていく。
しかし、そのほとんどが事故死ばかりで、彼の求める答えはどこにもなかった。
次に彼は、臨床データを調べた。
しかし結果は、死に対するものと変わらなかった。
彼の求める答え。
それは、狂死、もしくはノイローゼのデータだった。
「馬鹿な。一つもないというのか?」
母星を出てから、すでに四十万年たっている。
その間に、ただの一度も求めている答えがない、というのは、異常に思えた。
「そうか、パッシー。お前か。」
データの最終ページをめくる度に出てくる「以下余白」の文字。
きっと、特殊なキーワードを入力してやれば、求める答えが得られるのだろう。
知っているとすれば、リーダーのカインだ。
「パッシー、カインはどこにいる?」
表示された答えは「資料庫」だった。
資料庫には、船の最後尾に連結された一番大きなカーゴのすべてが当てられていた。
そこは、パレス・ホープ号が今までに採取した宇宙空間の浮遊物の展示場であり、将来的に役立つと思われる、母星の動植物の種の保存場所でもある。
そしてここもまた、パッシーがすべてを管理しているので、普段は誰も近寄らない。
そんな資料庫に、カインは一体何の用があるのだろう?
疑問に思いながらも、ナーバスは資料庫へと向かった。
「カイン。」
機材搬入口も兼ねている資料庫の大きな出入り口は、開け放されたままになっていた。
庫内は薄暗く、冷んやりとした空気が漂い、淡い非常灯の明かりが、奥に向かう通路の足元を照らしている。
資料庫内への出入りは、当番員リーダーの許可が必要なのだが、その当の本人が中にいるのでは、入りたくても入ることができない。
「カイン!」
彼はもう一度、今度は少し強く呼んでみた。
が、返事はない。
(仕方がない、事後承諾にしてもらおう。)
彼は中へと足を踏み入れた。
通路の両側は壁で仕切られていて、その壁の向こうには、また無数のブロックが設けられ、それぞれに分類された「標本」たちが眠っている。
一体カインは、資料庫に何をしに来たのだろう。
広い庫内を端から調べていくのは時間の無駄に思われたので、とりあえず必ず通るであろう出入り口に向かう通路を奥に向かって歩き続けた。
程もなく、前方からモーター音が聞こえてきた。
資料庫専用の搬入ロボを従えて、カインがやってくる。
彼を見るとちょっと驚いたが、すぐに笑って言った。
「どうした、ナーバス?」
「何をしていたんだ?」
「これ以上、誰にも影響を与えないよう、ゼラを隔離してきた。」
「…。そうか。」
それではゼラは、この船の一番奥の小部屋で、微生物や種達と過ごすのか。
「もう、ゼラのことは忘れるんだ。また元のように、皆で楽しくやろう。」
彼はカインの顔をまじまじと見つめた。
皆で、だって?
デリーはもういないのに?
「それで相談なんだが、変則シフトを作ろうと…。」
ナーバスは、自分の考えに気を取られていて、彼の話を聞いてはいなかった。
「ハイ、モディ!」
操船室に、ガンダルフがやってきた。
「あら、もう交代の時間?」
「何だったら、ローテーション代わってあげようか?」
彼はモディと隣のシートのカインを見比べて、いじわるく言った。
「二人の邪魔はしたくないもんな。」
「御生憎様。その必要はなくってよ。だって私たち、カップルなんですもの。」
あの事件のほとぼりが冷めるころ、パッシーは一組のカップリングを提示した。
それが、モディとカインのカップルだった。
事件の事を考慮した上で出した指示なのかどうかは、誰にもわからなかった。
が、正式な相手として認められたカインになぐさめられるうち、彼女の心の傷が癒えてきたのは、事実だった。
「ちぇっ、ごちそうさま。そうとなったら早く席を明け渡してもらいたいな、ママ・モディ。」
モダレイト・アレインは、ゆっくりシートから立ち上がり、操船室を出ていった。
ついこの間、パッシーから受胎の告知を受けた彼女は、自覚症状がまだなにもないのに、慎重に行動するようになった。
そう神経質になる事はない、とパッシーから注意を受けたが、これから生まれる新しい命をいつも気づかう事で、
過去の忌まわしい事件を忘れようとしていたのだ。
彼等が当番員としての役目を負えるまでは、後ほんの少し。
彼女は、役目を終えると同時に特別区に入り、そこで出産する予定だ。
「ねぇ、そろそろナーバスに出てきてもらったほうがいいんじゃない?」
ナーバス・ブランケットは、事件以来自室に閉じこもったきりだった。
デリーという前例がいるだけに、皆心配したが、パッシーの監視下におかれているということで、
時がたつにつれ、彼の事を放っておくようになっていた。
彼が部屋から出てこない以上、四人で当番をこなすしかない。
ローテーションを組み替え、五時間毎の交替制にする。
これにより、十時間当番に当たった後十時間の休息、
そしてまた十時間の当番、というハードなものに変わったが、誰も文句を言う者はいなかった。
ガンダルフは、モディの体を気づかい、彼女をハードな生活サイクルから開放してやろうと、
ナーバスの事を持ち出したのだった。
「そうだな。聞いてみるか。」
仲間の死のショックから、いまだに立ち直れないでいる彼を引っ張り出すのは、少し気が引けたが、
モディの方も心配なので、カインはナーバスを呼び出すよう、パッシーに指示を出した。
コール音が続く。
相手はなかなかでない。
あきらめかけた頃、モニターにナーバスが表れた。
「お休みのところをすまない。」
思ったよりすっきりした顔をしている。
と、カインは思った。
神経がすり減り、憔悴しきっているのではないかと考えていたのだ。
「何だ?」
不機嫌そうにナーバスが聞き返す。
「体の具合はどうだい?」
さりげなく聞く。
「…。ゼラに合わせてくれ。」
カインは肩をすくめて答える。
「この間も言ったが、それは出来ない。」
「何故だ?何も話をするというんじゃない。ただ、側についていてやりたいだけなんだ。」
「あいつは、ゼラは、我々とは違うんだ。物の考え方、感じ方、すべてにおいて。だからむしろ我々といるより、
一人の方がいいのかもしれない。」
「そんな事はない。私達がゼラをここまで連れてきたんだ。たくさんの仲間達から引き離したのは、私達なんだ。
だから、その責任上、ゼラに寂しい思いをさせてはいけないんだ。」
カインは、悲しそうに彼を見つめた。
「ゼラに合わせてくれ!」
「ずるいよナーバス。自分の役目も果たさないで、要求ばかりして…。」
口出ししたガンダルフを、カインが止める。
彼は、非難を無視して哀願した。
「頼む、カイン!」
カインは、とうとうある考えを実行に移す事を決めた。
「ゼラを、投棄する。」
えなりかずきはいつ出てくるんですか
「何だって!?」
ナーバスの目の色が変わった。
「ゼラを捨てる?この、何もない宇宙空間に、放り出す、ていうのか!」
「そうだ。」
「やめてくれ!そんな、そんな可哀相なことは、しないでくれ!」
「ゼラがいなければ、君もあきらめがつくだろう?」
「そういう問題じゃない!我々は、ゼラに対して責任があるんだ。」
カインは静かに首を振る。
「もう、決めたんだ。」
通話モニターが乱暴に切られた。
「こりゃぁ、復帰は当分ムリだな。」
ガンダルフは、頭の後で手を組んで呟いた。
その時、復帰をあきらめた当の人物が、大あわてで操船室に駆け込んできた。
「話し合おうじゃないか、カイン。」
「ゼラのこと意外ならな。手始めに、新しいローテーションの話でも…。」
「頼む、カイン。投棄だけはやめてくれ。」
「…。残念だが、もう決めたんだ。」
「どうしても?」
「そうだ。どうしても、だ。」
断固とした態度のカインに、彼はあきらめたらしい。
「わかった。投棄を認めよう。ただし…。」
ナーバスの瞳がカインを見据える。
「私も一緒に行く。」
ガンダルフの口が、大きく開いた。
「何、だって…?」
カインは意味が理解できなかったらしい。
「私も、ゼラと一緒に放り出してくれ。」
「何を言っているんだ、ナーバス!」
「誰が止めても無駄だ。私はゼラとともに行く。」
彼の瞳には、強い意志の光があった。
カインの逡巡は一瞬のことだった。
この船では、本人の希望は他に大きな影響を与えない限り、認められなければならない。
「いいだろう。」
「カイン!?」
彼の決定に、ガンダルフが驚きの声を上げる。
ナーバスは静かに付け加えた。
「もし、最後のわがままが許されるなら、どこかの星へ落としてくれ。」
「何故止めなかったの?」
モディの非難の声。
「彼は、責任感の強い男だったからね。私には、彼を止めることは出来なかったよ。」
「デリーと同じように、頭がおかしくなっているのでしょう?」
「いや、彼はノーマルだ。おそらく、我々のうちの誰よりも。」
「それは大昔の理念だわ。この船の中では、子孫の為に眠り続けるのが義務なのよ。そうすることが私達の生に意味を与えることにもなる。それを放り出して行ってしまうなんて…。何がおかしいのよ。」
薄笑いを顔に浮かべたカインに、モディが怒った。
「いや、何ね。人間というのは、どこまで行っても本当の生きる意味を見出せない種族なのではないか、と思ったのさ。自分が生きる環境によって変わってしまう意味なんか、何の意味もないだろうに、と考えたんだ。」
彼女の瞳が探るように彼を見つめた。
「…。あなたも、ゼラに毒されたの?」
「いいや。あと数時間で彼らともお別れだ。静かに見送ってやりたいと思うんだが…。」
「カイン…。」
それでもまだ、彼女は不満そうだった。
パレスホープ号の中央にある備品カーゴから、一機の探査艇が飛び出した。
大きな船と小さな船は、それぞれの目的地へ向けて、お互いの距離を広げて行く。
小さな船の行く手には、形成間もない若い小さな星が、漆黒の闇に浮かんでいたのだった。
「いい所じゃないか。」
ナーバスは辺りを見回して言った。
パッシーの選んでくれた星は、形成間もない、まだ若い星だった。
地殻がいまだ安定していないため、絶えず微震が続いていたが、
彼はそんな事を気にも留めなかった。
探査目的以外で初めて降り立った惑星。
辺りは、ジムに見せてもらった原始世界のスライド写真、そのままだった。
大小さまざまな水溜まりの回りに、ようやく生まれ始めた植物達が、
コローニーを作って点在している。
遠くを見透かすと、高い山の連なりが見えた。
彼は、何も危険がないことを確認した上で宇宙服を脱ぎ捨てた。
深呼吸する。
少し息苦しかったが、しばらくすれば慣れるだろう。
ふと、後ろを振り返った。
探査艇は、水位の浅い水溜まりに頭から突っ込む形で
不時着していた。
原始世界をバックに、そこだけ妙に浮いてみえる。
「なかなかシュールな構図じゃないか。」
気取って言ってみたが、自分が一人なのに気づいてすぐに苦笑いを浮かべた。
脱ぎ捨てた宇宙服の物入れからサンプルケースを引張りだし、ふたを開け、
中の物質が無事なのを確認する。
再び探査艇に目をやった。
「どこかの博物館にでも飾ってもらえるまで、しばらく我慢してくれ。私は、もうここには戻らんよ。」
探査艇に背を向け、あてどなく歩き出す。
彼の手には、小さなサンプルケースだけがあった。
変化に富んだ景色を眺めつつ、歩き続ける。
やがて、彼は湧水を見つけた。
小さな水溜まりの中から、静かに湧き出してくる清水。
心和む光景だった。
彼は湧水の側に腰を下ろすと、サンプルケースのふたをあけ、ゼラに語りかけた。
「君には、とてもすまない事をしたと思っている。仲間から引き離した上に、
こんな、環境もまだ完全には整っていない星に、置き去りにさせてしまった。」
ケースの中のゼラチン質が、微かに揺れた。
資料庫で事情を説明すると、ゼラは水から遊離して自らサンプルケースの中に収まった。
もしかしたら、どんな扱いを受けようとも、ゼラには<どうでもいいこと>なのかもしない。
「君が資料庫に閉じ込められてから、ずっと考えていた。生ある者は、
何故生きているのか、という事をだ。」
ケースの中でゼラがざわついた。
「もしかしたら、生きている事に意味などないのかもしれない、とも考えた。」
湧水の水面を揺らして、微震が起こる。
彼は、波打つ水面を眺めながら言葉を続けた。
「同じような事を考えた人達が、たくさんいたと思う。考えるきっかけはどうあれ、な。
デリーもその一人なのだろう?パッシーの持つ理論には、この項目はない。
だが、きっと同じ事で悩んでいた者が、過去にもいたはずなんだ。
残念ながら、そういう事に関するデータはすべてロックされていて、
私には、知る術もなかったがね。」
微震が続いていたが、不安はなかった。
星の胎動を感じながら、生命について語る。
こんなことは、なかなか経験できるものではない。
「もしかしたら君は、その意味を…、知っているんじゃないか?」
ざわついていたゼラチン質が静まる。
「全ての物を在るがままに受け入れて、ただそこに在ること。君のようで在れたら、
どんなにいいだろうに。そこまで考えた私は、あることに思い至った。」
再び、サンプケースがざわついた。
「それでは私は、君のすべてを受け入れることができるだろうか、と。」
ゼラチン質が、ケースの中で何かを求めるようにその身をもたげる。
彼は湧水の中にゼラを放してやった。
「答えは、ノーだ。どんなに頑張ったところで私の許容量などたかが知れている。
そう考えついたら、何故か無性に君に合いたくなった。
合って、話を聞いてもらいたいと思った。君は、どんな風に答えてくれるだろう。
だが、カインはそれを許してくれなかった。」
彼は黙り込んで自分の考えに浸り込んだが、すぐにまた言葉を続けた。
「もし私がカインの立場だったら、やはり彼と同じように行動していたろう。
だがあの時は、ただ君に合いたかった。合えば何とかなる、そう、思っていた。」
湧水の水面は、今だに続く微震のため、揺らいでいる。
「ここには、私と君の二人しかいない。君は私を、受け入れてくれるだろうか…。」
少し不安そうに彼は聞いた。
すると、今まで揺らいでいただけの湧水の水面に、たくさんの泡玉が沸き起こった。
ふと、合成音のゼラの声が聞こえたような気がした。
『O…K…。』
「ありがとう、ゼラ。」
彼は、立ち上がって身に付けていた服を脱ぎ、湧き水に身を沈めた。
思ったより深い。
水と融和したゼラは、たくさんの泡玉を作って彼を迎え入れてくれた。
胸が詰まる。
息ができない。
頭の中に<己殺>という単語が浮かんだ。
(なんてこった…。)
彼は、この後に及んでまだ考えることをやめられないでいる自分を、嘲笑った。
意識が幽冥境の境を越えた。
水音が耳に心地いい。
永遠と一瞬を繋ぐ眠り…。
永劫回帰という単語の隣で、ある数値が身じろぎした。
そうか。
そうなのか。
君は、ゼラではなく、ゼロだ。
それは、全ての始まりと終わりを内包する数値。
全てはそこに、帰結するのだ。
石ころの夢
時に果てがあるのかは知らない。
けれど、それに近いくらいの時の果てに、ぼくは覚醒した。
最初に感じたのは、強い日差しと優しい眼差しだった。
ぼくには視覚がないので、何も見ることはできない。
でもその分、自分を取り巻く波動のようなものを感知することはできる。
相対する物から発せられている、電波のような物を受信する事が出来るのだ。
「目が覚めたかい、化石君?」
眼差しの主はそうあいさつして、ぼくの体についた乾いた泥を手で払ってくれた。
その手からの波動は、とても静かで、なんとなく心地よかった。
「ちょっと狭いけど、しばらく我慢してくれよ。」
この感触は何だろう?記憶を探る。
そうか、どうやら木の箱に入れられたらしい。
木から醸し出される平穏な波動の中で、ぼくはまた眠りについた。
唐突に、柔らかい波動を感じてぼくは目を覚ました。
康子の息づかいだった。
野田康子。
大学の研究室助手である彼女は、海の向こうからやってくる
たくさんの資料を整理するのを主な仕事としていた。
彼女が木箱のフタを開けた時、ぼくは取り合えず「やぁ。」と言ってあいさつした。
もちろん、化石の声を聞ける奴なんかいやしない。
だから、聞こえないのを承知で声をかけたんだ。
でも、箱のフタを持ったまま、彼女の動きが止まってしまったのには、ちょっと困った。
どうせ聞こえやしないんだけど、いつまでも見つめられてるのは、いい気分じゃない。
仕方がないので、また聞いてみる。
「どうしたの?」
ところが彼女は、慌ててフタを閉じてしまった。
しばらくして、またフタが開く。
「空耳よね、空耳。疲れてるのかな、やっぱり…。」
どうやら彼女には、ぼくの声が聞こえるらしい。
「君、ぼくの言ってること、わかるの?」
「そ、空耳、空耳。」
まるで魔除けの呪文のように唱えて、彼女はまたまたフタを閉じた。
そしてまた、今度はゆっくりフタが開けられ、彼女の目が、ぼくを探るようにみつめるのを感じた。
「空耳、直った?」
と聞くと、彼女はまたフタを閉じかける。
「待って、怖がらないで。ぼくはただの化石。君が怖がるような事は、何もしないよ。」
「た、ただの化石が、しゃべるもんですかっ!」
興奮しているのか、声が上ずっている。
「それは偏見だよ。ただ、君とぼくの心の波長が、偶然あった、てだけのことさ。」
「心の、波長…?」
「そう。ぼくを見つけてくれた人も、ぼくにあいさつしてくれたよ。」
「男の人…。大先生のこと?」
「さぁ…?」
ぼくは見つかってすぐに箱に入れられてしまったので、彼が誰かは知らなかった。
「きっとそうね。だってこの箱、大先生のサインで封がしてあったもの。
自分が帰るまで開けるな、て。」
「それを君は開けたの?」
「仕方ないでしょう。前なんか生きた昆虫送っておいて、
開封厳禁なんて箱に書いてくるのよ。
そのくせ帰ってきて、世話をしないから全滅したじゃないかって、怒るんだもの。
だから、大先生から送られたものは、全部チェックしてから保存することにしてるの。」
「ふーん。で、ぼくはこれからどうなるのかな。」
彼女は考え込んでしまったようだ。
「化石って、エサの必要はないのよね。」
「うん、まぁね。」
「だったら、元どおりにして大先生の部屋に置いておくわ。」
「それじゃつまらないな。」
「つまらない…て、あなた化石でしょう?」
「でも、君と会話してるよ。」
古い物には神が宿る…、そんな祖母の言葉を彼女は思い出した。
常識的に考えれば起こり得ない事なのだろうが、
現に目の前の化石と会話してる以上、
その存在を否定するのも何となく気が引けた。
「…。どうしてもらいたいの?」
「そうだな。君と一緒にいたい。」
「困るわ。資料の持ち出しは禁止されてるのよ。」
「見つからなければいいのさ。」
「だって…。」
「せっかく話ができるのに、箱の中で黙りこくってるなんて、つまらないよ。」
彼女はしばらく考えていたようだったが、やがて言った。
「大先生が帰ってくるまでの間だけよ?」
子供の頃、彼女は学者になるのが夢だったそうだ。
「何の研究をするつもりだったの?」
「暗い小部屋に一日中引きこもっていられるなら、何の研究でもよかったの。」
毎日届けられる資料の整理が終わると、他の研究員に手伝いを頼まれるまで、
彼女はヒマになる。 ぼくはその時間潰しの間、食堂で彼女の話相手をした。
「でもね、成績悪かったから学者にはなれなかったわ。短大出て、普通のOLして…。」
「それで?」
「やっぱりあきらめきれなくて、前の会社やめて、貯金はたいて大学入り直して、
考古学の勉強したわ。歴史とか好きだったから。でもこの業界て専門職の就職率て
低いのよね。 派遣会社に登録して、ようやくここを紹介してもらえたの。」
「ふーん。」
「そうしたら、あんまり考えていたイメージと違うんで、幻滅しちゃった。」
「暗い小部屋に一日中引きこもって、ていう、あれ?」
「そう。ここの建物まだ新しいし、窓もたくさんあって明るいでしょう。人もたくさんいて、
にぎやかにやってるじゃない。私、最初浮いてたのよねぇ…。」
「だろうね。君はネクラだから。」
「あら、そういうのは、思ってても言わないのが礼儀よ。」
「そう?」
「そういうものよ。」
「で、今は?」
「居心地いいのよね。皆、自分の研究に夢中で、人の事に立ち入らないし、それに…。」
「なに?」
「…、何でもない。」
「そう?」
ほんの少しの沈黙の後、ぼくは思い切って聞いた。
「ねえ、まだあの人から、電話来る?」
彼女は返事をしなかった。
聞いちゃいけないことを聞いたかな。
視覚のないぼくは、返事をしない彼女の波長を遠慮がちに探ってみる。
かなり乱れていた。
その乱れを振り払うように、彼女は苦々しげにつぶやいた。
「時々…、ね。」
あの人というのは、彼女が前の会社を辞める直接の原因になった不倫相手の事だ。
彼女はその頃のことをあまり話したがらないから、詳しいことは知らない。
でも、時折思い出したようにつぶやくことがある。
「忘れられたらどんなにいいだろう」と。
でもあの人がいなければ、ぼくと彼女が出会うわけもなかったわけで。
不思議な出会いの文様は、これからどんな絵柄を描くのだろう。
化石のぼくにはよくわからないけれど、命にはいつか終わりが来るという。
命あるものは自らの生きた証として、子孫を残していく。
動物の場合、これだけで終わってしまうのだが、人だとそうもいかないらしい。
康子はそこいら辺を説明してくれるのだが、『人の営み』というのは、ぼくの理解を越えていて、
彼女がどう詳しく話してくれようとも、すべてを理解するのは無理だった。
それでも、人の持つ『好意』という感情は、なんとなくわかった。
それは、ぼくと彼女の関係に似ている。
波長の合う人には『好意』を持つが、合わない人とはお互いを知ることもなく、また、
知ろうと思うこともないということだ。
「ある意味、そうと言えなくもないわね。」
彼女はぼくの言ったことを肯定した。
そしてぼくは、今現在彼女がもっとも好意を寄せている人物を知っている。
「野田君、ちょっといいかな。」
食堂の入口から顔を覗かせた男が、彼女に声をかけた。
「あ、はい。」
彼女は慌ててぼくを白衣のポケットにねじ込むと、声をかけた相手に近づいた。
この男の人は、ぼくと彼女が会話をしている食堂を、時々のぞきにくる。
彼女は気づかないけど、その穏やかな波長の流れは、いつも彼女に向かっていた。
「いや、今朝の便でついた資料の伝票が一枚足りなくってね、こっちで手が出せないんだが…。」
「あ、行きます。」
彼女は小走りに事務所へ向かう。
「急ぐことないのに。」
ポケットの中でつぶやくと、
「よけいなお世話よ。」
彼女にささやき返された。
そう、この男の人が、現在彼女がもっとも好意を寄せている相手、
この研究室の主任補佐である、山崎助教授だ。
ちょっと白いものの混じったボサボサ髪に、薄汚れた白衣、学者に似合わぬ
大きなガタイと低い声、度の強い銀ブチ眼鏡の奥の瞳は、いつも優しい光をたたえている、
というのが、彼女がぼくに説明してくれた、山崎助教授の風体だ。
ちなみに彼女自身については、ちょっとおデブちゃんのオードリーヘップバーンだと
言っていたが、ぼくにはおデブちゃんという概念もよくわからなかったし、
オードリーヘップバーンも知らなかったので、この説明は無意味に思えた。
山崎助教授は、風采は上がらないが優しいので、この研究室では大先生より人望がある。
もちろんこれは、彼に好意を持つ彼女の言葉を再現しただけで、ぼくは直接相手を
見れるわけじゃないので、その人となりを判断することはできないのだけれど…。
だって、波長は区別できても、相手の姿を見ることのできないぼくは、
彼女の言っていることを信じるしかないのだから。
が、まあ、ここ一週間ばかり彼女と行動を共にして、彼と彼女の会話を聞いた限りに
おいては、そう悪い奴でもない、という程度の人間だ。
「恋愛に年齢は関係ないというけれど、一回り以上も違うと、考えちゃうわよねー。」
「どうして?十年や二十年違ったって、大したことないと思うけどな。」
「私、人間なのよ。化石とは違うの。」
「そうか。人間って、めんどうだね。」
「山崎先生は、ここの仕事続けてくれても構わない、て言ってくれてるんだけど。」
あと少しで、彼女はこの職場を去る。
派遣会社と大学の契約期間が切れるのを機に、彼女はまた違う仕事を捜すという。
「先生が言ってくれてるんだったら続けたら?」
「告白できない片思いの相手と、一緒に仕事するなんて、辛いだけじゃない。」
そうしてその好意は、告げられることもなく、彼女の胸に永遠にしまい込まれるはずだった。
「あなたって、最低の人だわ!」
白衣のポケットの中で、ぼくは身を縮めていた。
と言っても、ぼくの体は角張ってて固いので、他の人から見れば
大して変わったように は見えなかっただろうけど、とにかく身を縮めていたのだ。
場所は近代的な研究室の裏手にある木造の資料倉庫の中。
検査の終わったぼくの先輩達が、静かに眠る所。
大小さまざまな化石が、無造作に棚に置かれた、カビと埃と蜘蛛の巣が支配する世界。
「もうたくさん!」
彼女の波長は冷たく尖っていて、ぼくは居心地の悪さを覚えた。
彼女がなぜ怒鳴っているのかと言うと、前の会社を辞める原因になった不倫相手が、
もう一度やりなおそうと説得にきたからだ。
人目をはばかって資料庫まで引っ張って来たのだった。
「甘えるのもたいがいにしてください。子供じゃあるまいし。自分だけいい思いして、
都合が悪くなるとすぐに逃げ出して…。私、あなたのお母さんじゃありません!」
やれやれ。ここまで言われても、相手はまだあきらめないらしい。
よほど彼女によくしてもらってたんだな。
「いいかげんにしてください!恐竜にでも襲わせますよ!」
相手は笑ったようだった。
居心地の悪い波動が辺りを満たしていた。
その時、恐竜の声が大音響で鳴った。
「ぐわぁぉぅぁっ!!」
言った本人である彼女が一瞬身をすくませたくらいだから、相手はもっと驚いただろう。
彼女が驚きから立ち直り、何か言いかけようとした時、再び恐竜の咆吠が聞こえ、
今度は床までもが揺れた。まるで、恐竜の大移動でも始まったかのように。
「きゃーっ!?」
床の揺れ、棚から落ちる化石達、舞い上がる埃、効果音の恐竜の声、
それら全てが、パニックを起こしかけていた二人の恐怖心をあおった。
相手は悲鳴らしき波長を残し、彼女をおいて逃げ出してしまった。
揺れは数十秒で収まり、後には床に崩折れた彼女の姿があった。
「まいったなぁ。まさかこんなタイミングで地震がくるなんて、思わんかったからなぁ。」
失神した彼女を見下ろしたのは、山崎助教授だった。
「ちょっと効きすぎたなぁ。」
彼は頭の後ろを掻くと手にしたカセットデッキを床に置き、彼女を抱き上げた。
「何だ、お前もいたのか。」
彼女が倒れたとき、白衣のポケットから転がり出てしまったぼくも拾い上げ、倉庫を後にした。
さして広くない医務室には、さっきの地震で軽いけがをした人達が数人いるだけで、
静かなものだった。
「ん…。」
「目、覚めた?」
「ここは…?」
「医務室。」
ぼくはベッドの横に置かれたイスの上で、彼女が気がつくのをずっと待っていたのだ。
「私、どうしてここにいるの?」
「山崎先生が運んでくれたんだよ。」
「え、何で?」
「恐竜の声、先生のいたずらだったんだ。たまたま地震が起きるのと重なったんだ。」
「そう…。」
「…、先生から伝言があるんだけど。」
彼女はちょっとびっくりしたように聞き返してきた。
「どうして?」
「どうして、て言われても。」
「話せるのは、私とだけじゃなかったの?」
「ぼくは彼の言ってる事がわかるけど、向こうはぼくの波長を感じられないらしいよ。」
「それで、なぜ伝言なの?」
「彼はぼくを見つけて、こう言ったんだ。
『お前はいつも彼女と一緒にいるな。本当は、大先生の部屋にいなけりゃいけないんだぞ。』」
「あ、バレてるの。」
「うん。最初に君とぼくが合った時、偶然現場を見てたらしいよ。」
「やだ。気付かなかったわ。」
「続けるよ。『そう言えば、よく彼女が話しかけてるな。お前、言葉が喋れるのか。
まさかな。化石が喋れるんなら、俺達はお払い箱になっちまう。それに女の子てのは、
ぬいぐるみとでも喋る人種だからな。』」
「先生、私が食堂であなたと話してるの、見てたのね。」
「ぼくは気付いてたよ。」
「え…。」
彼女がベッドから起き上がった。
「何で言ってくれなかったの!」
「君が、あの人と今のまま、いい同僚でい続けたい、て思ってたから。」
「先生に話を聞かれてたんなら、その関係が壊れちゃうじゃない!」
「そんなことないよ。だって、いつだって彼の波長は、君に向かって静かに、
包み込むように流れてたんだから。」
そう、彼はぼくに焼きモチを焼くわけでもなく、ただ、静かに、彼女の事を見つめ続けていたんだ。
「そんなのって…、そんなのって…。」
「伝言、まだ終わってないよ。」
「もういいわ。聞きたくない。」
彼女は布団をかぶってしまったらしいが、乱れた波長がそんなもので隠せるはずもない。
ぼくはかまわず残りの伝言を告げた。
「『よーし、これは賭だ。もしお前が喋れるんなら、彼女に伝えてくれ。
今度の休み、よかったら家に遊びに来ませんか、てな。
ただの化石ならそれはそれでかまわんさ。俺は日が沈むまで、この先の高台で待ってる。』」
彼女は黙っていた。
ぼくも黙っていた。
やがて、彼女がつぶやく。
「行った方が、いいのかしら。」
「人を待たせてるんだから、行った方がいいと思うよ。」
しかし、ぼくのその言葉は彼女には通じなかったらしい。
彼女の視線がぼくを探るように見つめるのが感じられた。
「何で、何も言ってくれないのよ。」
ぼくにも、なぜ急に彼女と言葉が交わせなくなってしまったのか、わからない。
でもまだぼくには、彼女の波長を感じることができた。
彼女の波長はもの寂しく揺れていた。
ぼくという話し相手を失うのと入れ違いに、新しい恋を手に入れることが
出来るかもしれない、という、期待と不安の入り混じった波。
そして、彼女の波長はぼくの側から遠ざかっていった。
さっきの地震の揺り返しが来たのは、それから数分後の事だった。
土の中で眠っていた頃の経験から、今度の揺り返しは大きいと知っていた。
案の定、立て揺れを感じる。
ぼくはイスから転がり落ちた。
乱れた波長があちこちに飛びかう。
すぐ側で薬品棚が倒れ、瓶の破片が飛び散った。
やがて、大量の水がやってきて、全てを飲み込む。
何だか、懐かしい感覚がぼくを取り巻く。
そういえば、ここはウミに近かったっけ。
水がすべてを押し流していく。
化石であるぼくに恐怖が感じられるわけもなく、ただ水に翻弄されるまま、
海底深く沈んで行った。
彼女は無事に逃げ延びただろうか。
ああ、そうか。
もう、ぼくには関係のないことなんだ。
生き物達の営みは、永い時を眠り続ける化石にとって、夢の一コマに過ぎない。
でもその夢の中には、永遠が封じ込められている。
彼女と先生の間に流れる波長から、ぼくはそれを知ったんだ。
その波長は、全ての化石が消えても、ずっと残るだろう。
生き物達は、その為にこそ彼等の営みを連綿と続け、
そしてまた、これからも続けていくのだろうから。
さて、次に何かを感じられるのは、いつのことだろう。
それまで、この柔らかで居心地のいい海底の砂の中で、一眠りするとしようか。
※このスレに投下した作品は、15年から20年近く前に作った物です※
※少し毛色の変わった物として、二次物を一つ投下します※
約 束 の 恋
南極。
厚さ千メートルを越える氷原。
学術目的の施設はもとより、先進国の軍事拠点が点在するポイントの
遥か地下に、彼の居城の一つがあった。
(どうやら、ここには手が出せなかったようだな。)
数ヵ月前、南国の無人島に設けてあった盗品の保管場所が
荒らされたのを皮切りに、彼のアジトがことごとく襲撃される、
という事件が起こった。
事件といっても、アジト内が荒らされるだけで、保管品の被害が全くなく、
これにはさすがの彼も首をひねってしまった。
(いったい、何が目的なんだ。)
世界中に散らばるアジトの被害状況をチェックし終えた彼は、
仲間内で「王国」と呼ばれるこの南極の居城の様子を見に、
戻って来たのだった。
「王国」は彼以外の侵入を許さない。
全ての鍵は、彼の遺伝子情報にのみ、反応するようになっているのだ。
城内に異常がないのを確認した彼は、執務室として使っている一室に腰を据えた。
一見して殺風景な白い部屋には、酒肴の置かれたサイドテーブルと長椅子しかない。
が、彼がその長椅子に腰を下ろした瞬間、部屋の天井から四方の壁、
床に至るまでが全てガラス張りに変わった。
(異状無し、か…。)
壁のガラス越しに見えるのは、彼が集めた盗品の数々。
それらを眺めながら一人悦に入り、グラスを傾ける。
「さて、次はどこの何を狙おうか…。」
「その話、一枚噛ませていただけませんこと?」
「あ…?」
彼の背後に、女がいた。
見覚えのある女だ。
「まさか…。」
「その、まさかですわ。」
「クラリス!」
別れた時と同じ瞳で彼に微笑むクラリス。
違うのは、緩やかに波打つ髪の長さと、紅い唇。
「十年ぶり、ですわね。おじさま。」
「いったい、どうやって入った?」
彼の遺伝子情報によってのみ、入城を許されるはずだが。
「簡単ですわ。初めておじさまにお会いした時の事、覚えていらっしゃいます?
あの時、おじさまはケガをしていらっしゃった。
私、ハンカチーフをお貸ししましたわよね。
そのチーフの血痕から、ここの鍵を入手しましたの。」
確かに、遺伝子の研究は日進月歩の勢いで進んではいる。
だが、二十年も前の血痕から、遺伝子情報を引き出すとは、よほどの執念だ。
いや、それより、あのハンカチを洗わずに取ってあった、という事実に、彼はあきれた。
「OKお姫様。一つ質問だ。一連のアジト荒らし、犯人は君だね。」
「ええ。おじさまの行方を捜すために」
「俺を捜して、どうするつもりだったんだ?」
彼女は微笑んだ。
部長室のドアが派手な音をたてて開けられた。
「ちよっと、退職するてどういう事よ?」
部屋の中で私物の整理をしていた男が曖昧な笑顔を浮かべて振り向いた。
「やぁ、君か。」
「君か、じゃないわよっ。給与明細チェックしてたら、あなた来月で退職する事になってるじゃないの!」
(そういえば、彼女は経理課だったっけ…。)
「どういう事よ、これ。まさか私を捨てて逃げ出す気じゃ…」
男は形勢不利とみるや大声でまくしたてた。
「それは違う。事情があってどうしても会社を辞めねばならないんだ。」
「じゃあ、私達の関係は今まで通りなのね。」
「いや、それが…実は家族ぐるみでカナダに移住するんだが…。」
「何よそれ。やっぱり私を捨てて逃げる気何じゃ…。」
「だから、これにはいろいろあって…。
そうだ、君に渡す物があるんだ。
いま、君の住んでるマンションね、あれ、君に上げるから。
ほらこれ、権利書。それと、これは手切れき…じゃなくて、慰謝料ね。
僕の隠し口座の通帳と実印ね。一年は遊んで暮らせるよ。」
それだけの物を渡されても、彼女の怒りはおさまらなかった。
「五年よ、五年。女の一生の中で、一番美味しい時をあんたにくれてやったのよ。
こんなもんで不倫が清算出来るんだったら、地球から戦争何かなくなってるわよっ。」
興奮しているせいか、論理が飛躍している。
「わかった、わかったから、そう大声を出すな。な、これもやる。だがら、落ち着いて…。」
そう言って彼は部長室の片隅に設けられた神棚から、直径5センチ程の
ガラス玉を持って来ると、彼女の手に握らせた。
「何よ、これ。」
「この中には神様がいてね、玉の持ち主の願いを叶えてくれるんだ。」
「はぁっ!?」
(カミサマ?…何を言い出すのかと思えば…。)
彼女はあまりのバカバカしさに拍子抜けしてしまった。
(そうよねぇ、よく考えてみれば、いつまでもこんなC調野郎と
不倫してるわけにはいかないわよねぇ。そろそろ潮時かも知んないなぁ。)
何にしても、一年は遊べるお金は手に入れたのだから、と、彼女は彼を解放した。
※失礼タイトル入れ忘れた「ガラス玉のご利益」
(はぁ…。)
暮れなずむ街の雑踏。
ファッションビルの壁の大型モニターに映し出されたニュースに、人だかりがしていた。
画面には、海王星まで行く有人シャトルのパイロット達の紹介VTRが流れている。
そんなニュースには目もくれず、彼女はため息をつきながら足取り重く歩いて行く。
(本当はもっと踏んだくってやるつもりだったのに、あいつってば、
カミサマ何て下らない事て言うから、脱力しちゃったじゃない。
あいつらってば本当に身勝手で、いつも女が泣かされる。
男なんか、皆この世からいなくなっちゃえばいいんだ。)
「男何か…。」
「それはちょっと無理ですね。」
(え…?)
いきなりそう言われ、彼女はびっくりして顔を上げた。
眼前に、青い瞳の男が立っていた。
(あら、美形?。)
我ながら懲りないとは思う。だが、彼は彼女に微笑んでくれた。
「あなた、誰?」
「精霊です。」
(は?今度はセイレイのお出まし?冗談じゃないわ、きっと新手の新興宗教の勧誘だわ。)
そんなものにかかずらっているヒマはない。
彼女は彼を無視して歩き出した。
「ご用がないなら消えますが…?」
そう言って彼はついてくる。
(変なヤツ。消えられるもんなら、消えてごらんなさい。)
「では…。」
背後から人の気配が唐突に消えた。
振り向くと、あの青年は消えていた。
今まで、不倫相手に衣食住の全てを頼っていた彼女。
一年は遊んで暮らせる程のお金をもらったとは言え、
その後の事を考えるとのんびりもしていられない。
(一年も猶予があるんだもの。時間をかけて職を選ぼう。)
(金持ちで、いい男がいっぱいいる職場だといいな。)
今まで勤めていた会社には不倫の噂が陰で広がっており、
相手の男の退職によって自分が捨てられた女と見なされる事に我慢出来ず、退職した。
遊び半分で会社訪問を続けるうち、半年が過ぎた。
(そろそろ本腰を入れないとヤバイかな。)
だが不景気なせいか、なかなか雇ってもらえない。
志望する会社のランクが日に日に落ちて来る。
「楽してお金のとれる働き口、ないかしらねぇ。」
ベッドに座り込み、ため息とともに切実な想いをこぼした時だった。
「おまかせを。」
まるで、漫画に出て来る魔法使いのように何の前触れもなくあの青年が姿を表した。
「な、何よ、あなたっ!?人の部屋に勝手に入り込んでっ!!」
「お忘れですか?半年前にもお会いしたはずですが…。」
(そりゃ、あんな消え方されれば誰だって覚えてるでしょうよ。)
「僕はあなたが譲り受けられた、水晶の精霊です。」
(へー、さよで。)
「それで、あなたが何故ここにいるの?」
(セイレイだ何て、バカバカしい。
どうせ、くっだらない宗教の布教活動してるバイトのお兄さんでしょ。)
「僕は、玉の持ち主の願い事を、一日に一つだけ叶える事が出来るんですよ。」
(あ、そ。)
「それで、一日いくらかかるわけ?」
「いくら、とは?」
「お金よ。あんた、日給いくらなの?」
彼は少しムっとしたようだった。
「一つ願いを叶える事に、その人の寿命を一日頂いております。」
(何よ、それ。ずいぶんとバカにした答えね。)
「帰って。」
「は?」
「私、下らない事に付き合ってるヒマないの。帰ってちょうだい。」
「それは、無理です。」
「何でよっ。」
「願い事は一日一つ。あなたはすでに願い事を口にしてしまった。」
「はぁっ!?」
(そんな事、口にした覚えないわよ。)
その時、電話が鳴った。
相手は第一志望の会社の人事部長だった。
急に欠員が出来たので来てくれないか、というのだ。
もちろん二つ返事でOKした。
「ほらね。」
彼女が受話器を置くと彼は得意げに笑った。
「何よ。あなたがやったとでも?」
「もちろん。」
(よく言うわ。)
あきれる彼女の顔を見て、彼は続けた。
「今、不景気でしょう。企業は人の首を切りこそすれ、人員補充何て考えませんよ。」
悔しいが、彼の言う事にも一理ある。
(だってそのお陰でこの半年苦労したんだもの。)
「わかったわ。」
彼女は一応納得したという意思表示をすると、彼に帰ってくれるようにもう一度言った。
彼は少し困った顔をした。
「それが、帰れないんですよ。」
「何で?」
「それだけのエネルギーがもうないんです。」
「は?」
(見た所、五体満足で元気そうに見えるけど?)
「僕は、人が一日生きられるだけのエネルギーを使って願い事を叶えます。
願い事が大きいと玉の中に帰る力がなくなってしまうんですよ。」
(そう、あくまでもセイレイだって言い張るわけね。だったら…。)
「玉の中には帰れなくても部屋の外には出られるでしょう。」
「それも出来ません。」
「何でっ。」
彼女は少しうんざりして来た。
「願い事は、一つです。」
「だって玉の中に帰れないんでしょう?あんたを泊める何て出来ませんからね。」
彼は笑った。
「願い事としては叶えられなくても、僕の自由意志でなら外に出られます。」
彼はそう言って彼女に一礼すると外に出て行った。
「だったら初めっからそうすればいいじゃないのよっ。」
もう入って来れないよう戸締まりしようと入り口にかけよった時、またドアが開いた。
「あの…。」
「今度は何?」
「夜中の12時を過ぎたら『帰れ』とおっしゃって頂けませんか?そうしたら玉の中に帰れますから。」
「わかったわよ。」
「それじゃ…。」
ドアが閉まる。彼女は厳重に鍵をかけた。
もちろん、夜中の12時過ぎに『帰れ』と呟いてやった。
ドアを開けて外の様子を見る。通路は静まりかえっていて、誰もいなかった。
その後も彼はちょくちょく現れては下らない願い事を叶えて行った。
もっとも彼に言わせると、自分は願い事を叶えるのが仕事であって、
それを下らない物にしてしまうのは、願った本人の責任なのだそうだが…。
(どうせ私の願い事何てたかが知れてるわよ。ふんっ。)
さて、彼女は新しい仕事に就くにあたり、その会社の寮に引っ越したのだが、
どうもその部屋があまりよろしくない。
何がどうとは言えないのだが、何となく『嫌な感じ』がするのだ。
仕事の方でも小さなミスが重なり、上司に叱り飛ばされる毎日が続き、
日々、自信を無くしていく。
その日の朝も彼女は機嫌が悪かった。
昨日のミスの後始末をしなければならない事を考えると、気が滅入って、
出社拒否症に陥りそうだった。
「せめてこの部屋が、もう少し落ち着きのある明るい部屋だったらなぁ…。」
だからと言って、給料も待遇もいい今の職場を辞める気にもならず、彼女は重い足取りで出社した。
そして、その夜。
ワニがいた。
体調2メートル程のワニが、びっくりした顔で彼女を見上げている。
「…っ、きっ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
自分の部屋の玄関口で、彼女は派手な悲鳴を上げて気絶した。
彼女が気がつくと、青い瞳が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
彼女の体はいつの間にかベッドに移動している。
「わっ、ワニっ、ワニはどこっ!?」
身を起こした彼女は彼を問いつめる。
「ワニ?あぁ、ローリー君ならバスルームにいますよ。」
(ろーりークン?)
どうやらそれがあのワニの名前らしい。
「ねぇ、何でワニがいるのよ。」
「今朝願い事をしたでしょう。この部屋がもう少し落ち着きのある部屋だったら、て。」
「それとワニと何の関係があるのよ。」
「ローリー君はワニではありませんよ、スィーパーです。」
「スリッパ?」
「違います、スィーパー。掃除屋何ですよ。この部屋は『泣き虫』という
下等な妖鬼が棲みついてましてね、ローリー君はそいつらを食べてくれるんです。」
変なヤツだとは思ってたけれど、ここまでとは思わなかったわよ。
「どうです、少しは居心地のいい部屋になったでしょう。」
なるほど、彼の言う通り、何となく部屋が明るくなった気がする。
「そうね、明るくなったのは確かだわ。」
「でしょう?ついでに部屋中の蛍光灯も全部換えといたんです。」
ノー天気に笑って言う彼に、彼女は何も言い返せなかった。
最近、彼の様子がおかしい。
前に比べ、態度がよそよそしいのだ。
願い事を叶えるにしてもやり方が乱暴で、中途半端なのだ。
いったいどうしたと言うのだろう?
彼女は『泣き虫』の退治以来、バスルームに棲みついてしまったローリー君に
そっと探りを入れてみた。
「ねぇローリー君、彼て最近変じゃない?何かあるのかしら。」
生温いお湯が大好きで、日がな一日バスタブに浸かっている
(もちろん、彼女が入る時には追い出されるが。)ローリー君は
かったるそうに薄目を開け、彼女を睨んだ。
「君て超常生物なんでしょ。人の言葉くらい、わかるわよね?」
「…。」
彼はうるさそうに低い唸り声を上げただけだった。
彼女はあきらめてバスルームを出る。
「何だかんだ言ってもワニはワニよね。」
文句を呟く彼女の背後でローリー君がまた唸る。
「うるさいわね。」
が、唸り方が尋常ではない。
「うるさいわねっ、寮母さんに見つかるでしょうっ!」
バスルームに戻るとローリー君がバスタブの中で暴れている。
「何だって言うのよ、いったい。」
彼はその短い4本の足でバスタブから這い出ると彼女の横をすり抜け
(彼としては)大慌てでバスルームを出て行った。
彼女はバスタブを覗き込み、何〜だ、となる。ぬるま湯の中に瀕死のゴキブリが浮かんでいたのだ。
それは超常生物のローリー君が唯一苦手とする生き物だった。
「ワニのくせに、情けない。」
瀕死のゴキさんを洗面器ですくい取り、排水溝に流す。
「これも寿命、二度と出て来ないでね。」
排水溝に向かって片手拝みをした彼女は、はっ、とした。
ガラス玉の精霊は『人が一日生きられるだけのエネルギーを使って
願い事を叶える』と言っていた。
その彼の落ち着きがない、という事は…。
「もしかしたら…。」
彼女はバスルームを出てローリー君を探した。
彼はキッチンの隅で小さくなっていた。
「ねぇ、もしかしたら私の寿命、後少し何じゃない?」
ローリー君は、黙って彼女を見上げた。
彼の様子から察するに、彼女に残された時間はかなり短いらしい。
そう言えばガラス玉を渡された時、あの不倫相手の顔が何となく嬉しそうだったのを思いだす。
「あいつ、余生をカナダで過ごすつもりで、移住する事を最後の願い事にしたんだわ。」
そして新しい宿主として彼女にガラス玉を押しつけた。
(という事は、あいつは二重に私を裏切った事になる。)
(そう、ならいいわ。私は私のやり方であいつに復讐してやる。)
(寿命が残り少ないからと言って、残りの人生を静かに過ごす、
何て思う程、私は殊勝な人間じゃない。)
「ねぇ、私の不倫相手の寿命を教えて。まだ死んでいないのでしょう?」
ガラス玉に問いかけると、彼が姿を表した。
「そうですね、後、2年程でしょうか。」
「私の方が先に死にそうね?」
「…。」
彼は黙って彼女を見つめるだけだった。
彼女は周到な準備をした上で、ガラス玉の彼に最後の願い事を告げた。
最初は首を横に振っていたが、玉の継承者が生命力溢れる人間であり、
残った生命を全て使ってでも…という彼女の強い希望で、渋々願いを叶える事を了解した。
彼女は有給を取り、海外にバカンスに出掛けた。
あの男を真似したわけではないが、生きてるうちにこの世を楽しんでおかねばならない。
バカンスの目玉は、海王星まで有人飛行をする、スペースシャトルの発射を現地で見学する事。
発射を数日後に控え、現地ではお祭り気分が盛り上がっていた。
当然彼女もそれに便乗し、最後の時を楽しむ。
(もうすぐよ。もうすぐあいつに仕返しが出来る。)
Xデーは目前に迫っていた。
彼はその日、たくさんのファンレターやプレゼントの中に、不思議な物を見つけた。
それは、紫色の巾着袋に入った小さなガラス玉だった。同封された手紙には
『日本で古くから伝わるお守りです。本当に困った時にだけ、願い事を告げて下さい。
あなたのファンより』
と走り書きされていた。
(東洋の神秘、か。)
彼は苦笑すると、それを気密スーツの内側のポケットにしまい込んだ。
「最終チェックが始まるぞ。」
仲間が呼んでいる。
彼は軽く返事をすると、控え室を出て行った。
数時間後、シャトルは発射された。
それを見送る人々の中に混じって、彼女は呟いた。
(女の恨みはどこにいたって届くのよ。そう、たとえ地球上のどこにいたとしても!)
彼女は自分を二重に裏切った男への復讐として、地球を消滅させる事を願ったのだった。
いつかシャトルの乗員は。故郷を遠く離れた者が誰もが呟く願い事を呟くだろう。
故郷に帰りたいと。
そして、一度消滅させられた惑星の再生は、どれ程のエネルギーを必要とするのだろうか。
天窓の向こう側
僕の家は、裏通りに面した、流行らないアンティークショップだ。
去年、飛行機事故で両親を亡くした僕は、この店を経営する
おじいさんに引き取られたのだ。
店に来たばかりのころ、僕は家の中で泣いてばかりいた。
あんまり長い間泣いてばかりいたものだから、愛想無しの偏屈で通っていた
おじいさんもさすがに心配になったらしい。
ある晩、店の屋根裏に案内してくれた。
ほとんど物置き場と化していた階段は、埃だらけで、ランプを持って先に上がって行く
おじいさんの足跡が、はっきりとわかる程だった。
階段を上り詰めると、ガラクタの積み上げられた小部屋に出た。
屋根の傾斜部分に切られた天窓からは、かすかな星明かりが差し込んでいる。
「ほら、見てみろ。」
おじいさんはぶっきらぼうに言って、ランプを僕に渡した。
「いいか、商品には触っちゃいかんぞ。それから、天窓も絶対開けちゃいかん。
約束さえ守れば、好きなだけここにいていい。わかったな?」
僕が黙って頷くと、おじいさんは先に寝る、と言って階段を降りて行った。
埃っぽい屋根裏で、天窓から見える星空を、一晩中眺めて過ごした。
星と星をつないで、好きな形に星座を作っていると、飽きなかった。
翌朝、屋根裏に上がって来たおじいさんは、僕がベッドに戻らなかった事に腹を立てていてた。
一応、僕の体の事を心配してくれているらしかった。
怒られながらも、僕は恐る恐る聞いてみた。
「もう、ここには来てはいけない?」
「…。好きにしろ。」
不機嫌そうに答えると、すぐに背中を向けて階段を降りていってしまったけど、
おじいさんは知っていたんだ。僕の友達が、天窓から見える星空だけだった、て事を。
ある時、僕はおじいさんに聞いた事がある。
「ねぇ、何故天窓を開けてはいけないの?」
丸メガネの奥の小さな瞳をしばたたかせ、しぶい顔をして答えたおじいさん。
「あそこの窓は、悪魔の国に通じているんだ。開けたらさらわれてしまうぞ。。」
「ふ〜ん。」
僕はとりあえず納得した振りをした。
数カ月が過ぎた。もう、僕の友達は星だけではなくなっていた。
店のある裏通り沿いに住む人々が、みんな友人だった。
近所の子供達はもちろん、野良猫や話し好きな小間物屋のおばさん、
コーヒーショップのお姉さんまでが僕の友達になってくれていた。
そして、もっかのところ、僕の一番の友達は、最近この街に引っ越して来たばっかりの、
大きなお屋敷に住む男の子だった。
彼は、裏通りのはずれにある、昔、貴族の想い人が住んでいたお屋敷に、
たくさんの使用人とお父さんとで暮していた。
お母さんは、病気で亡くなったそうだ。
彼と友達になれたのは、糸の切れた凧のおかげだ。
何故って、その凧が彼の家の庭に落ちなかったら、僕達は出会わなかったのだから。
そう、凧を取りに彼の家の裏庭に忍び込んだ時、二階の窓から彼が声をかけてきたのが
最初だった。
「そこで何してる!」
「あ、凧を取りに…。」
声に驚いて二階を見上げた僕に、彼は言った。
「さっさと出てけ!!」
「言われなくても出てくよ。」
そう言って裏の通用門から出て行きかけ、ふと二階を振り返ると、彼はまだこっちをみていた。
なんとなく、寂しそうな瞳をしていた。
「ねぇ、一人なの?」
「関係ないだろ!」
「僕、友達になるよ? ねぇ、遊びに行ってもいい?」
数カ月前、誰一人友達のいなかった自分を思い出し、なおも聞いてみる。
「いいよ。友達なんかいらない。一人の方がいいんだ。」
僕はすぐさま言い返した。
「うそつきっ!。本当は、すっごく寂しいくせに!!」
「寂しくなんか、ないっ!!」
そう叫んだとたん、彼は激しく咳き込んだ。
「だ、大丈夫?」
心配になって聞いたけど、窓はバタンと閉められてしまった。
「またくるよ。」
その声は、たぶん、彼には届かなかっただろう。
数日後、彼の事を忘れかけていた頃、お屋敷から使いの人が来て、
今日のティーパーティーに僕を招待したい、と言って来た。
正式な招待におじいさんはびっくりし、あわてて僕の着替えを手伝い、
早口にパーティーでの作法をまくしたてたけど、僕は呆然としてしまっていて、
ほとんど聞いてはいなかった。
彼の家につくと、庭に案内された。すでに準備が整えられ、
彼と彼のお父さんがにこやかに出迎えてくれた。
パーティーは楽しいものだった。
大きな街から呼んだ楽士の奏でるおもしろい音楽を聞きながら、
珍しいお菓子や香り高いお茶を、お腹いっぱいに詰め込んだ。
彼のお父さんは終始にこやかで、僕にとても気を使ってくれた。
パーティーが終わり、お礼を言って帰ろうとした時、門前で彼のお父さんに呼び止められた。
お土産の菓子折りを渡されながら、そっと囁かれた。
「また、遊びに来てやってください。」
それから僕は、毎日のように彼の部屋に遊びに行った。
彼は博学で、変わった事や不思議な物語りをたくさん聞かせてくれた。
もちろん、たまにはケンカもした。
彼はとてもわがままで、自分の思い通りにならないと、癇癪を起こす。
僕もけっこう気が強いので、そんな時はさっさと帰ってきてしまうのだ。
でも、一晩寝ると、ケンカした事も忘れ、いつもの時間に彼の部屋で笑い合っているのだった。
そして記念日が近付いてきた。
初めて屋根裏で見た星空の感動を、一生忘れないように、と、僕が決めた日。
この日を最高のものにしようと、僕はある計画をたて、ここ数日、準備を続けてきた。
計画。それは、あの天窓からの眺めを、彼にも見せてあげること。
彼は夕食が終わると、薬を飲まされて眠らされてしまうので、ここ数年星を見た事がないという。
あんなにキレイなものが見られないなんて、かわいそうじゃないか。
記念日も間近になったある日、計画を打ち明けると、彼はものすごく喜んでくれて、
二人で細かい打ち合わせを練っていった。
記念日の夜。
僕は数人の友達の手を借りて、屋敷の裏門から彼の部屋窓の下にはしごを持ち込み、
立て掛けた。彼は、起きているだろうか。それとも…?
小石を窓に投げて合図をすると、彼が顔を出した。僕はほっとした。
体が大きくて力持ちの友達がはしごに登り、彼を背負って降りてきた。
僕は自分のよそ行きの靴を彼にはかせる。屋敷の人達にバレないよう、静かに裏門をでた。
早足で歩き、裏通りの四ツ辻にさしかかる。脱出は成功した。
彼は協力してくれた友人達へのお礼にと、菓子のたくさん詰まった袋を渡した。
この、ちょっとした冒険に参加できた事がうれしいらしく、
彼等はニヤニヤしながら袋を受け取り、それぞれの家へ帰って行った。
「さぁ、行こう。」
僕は彼の手を引いて、ゆっくりと歩き出した。
小さなその手は熱く、汗ばんでいた。
「大丈夫? 手、熱いよ。熱、出てきたんじゃない?」
すると彼は思ったより元気に答えた。
「平気さ。いつもの事だもの。それより、夜の道て静かだね。」
大きな街と違い、この辺は街灯もなければ遅くまでやっている店もない。
ただ、月と星明かりに照らされた、黒い、寂れた街のたたずまいがあるだけだ。
こういうの、何というのだっけ?
この世のものとも思えない、妖し気な静けさの事を、何とかというのだと、
彼に聞いた事がある。ああ、そうだ…。
「セイヒツ、だね。」
「そうだね。大昔の騎士達は、こんな静謐の中に潜む妖かし達と戦ったんだろうね。」
僕はそのアヤカシ達が、今にも姿をあらわすのではないかと、ふと怖くなって、少し足を速めた。
アンティークショップに近付くと、店側の入り口をそっと開けた。
裏口からだとおじいさんに気付かれてしまうので、店の出入り口から抜け出してきたのだ。
静かに入るよう彼に合図し、店の奥へと忍んで行った。
屋根裏へと続く階段に積まれた空の箱に、ランプを隠しておいたのを取り出し、
静かに灯を入れる。小さな灯りの中に、足跡がたくさんついた階段が浮かび上がる。
彼を促して、先に階段を登って行った。中程まで上がった時、変な気配を感じて振り向いた。
「どうしたの?」
彼は肩で息をしていた。
「辛いの?」
彼の家からは5分程歩いただけなのに…。
「…。久し、振りなんだ。」
息をつきながら、彼は答える。
「こんなに、歩いたの。」
「大丈夫?」
心配になって聞くと、彼は大きく頷き、先に進むよう手で合図した。
屋根裏につくと、埃の匂いが僕達を迎えた。
昼間のうちに用意しておいた踏み台に彼を座らせ、肩からケットをかける。
僕はその隣の床に膝を抱えて座り込んだ。
「この部屋の空気、乾いているね。」
「アンティーク屋の物置きだからね。埃がすごいのさ。」
ランプを消した。
「…!」
天窓を見上げた彼の感嘆の溜息が聞こえた。
しばらく星空に見入っていた彼が次にしたことは、眼前に広がる星座達の物語りを、
一つ残らず語りつくす事、だった。
僕は少し心配になった。
確かに彼は普段からおしゃべりではあったけれど、これほど早口にまくしたてたのでは、
途中で息が続かなくなってしまうのではないか、と思われたのだ。
それに、顔色の悪さも星明かりのせいだとばかりも言えないような気がした。
「ねぇ、大丈夫?」
話を遮られ、彼はすごい目で僕をにらんだ。
「顔色悪いよ。やっぱり、家に帰った方が…。」
「いやだっ!!」
激しく首を振る。機嫌を損ねてしまった友人を前に、途方に暮れて天窓を見上げた。
夜空では、彼に語ってもらうのを待つかのように星座がまたたいている。
その時僕はある事を思いついた。
「窓を開けよう。」
「え?」
「この窓、一度も開けた事ないんだ。おじいさんにダメだ、て言われてたから。」
「何で?」
「悪魔が入ってくるんだってさ。ウソに決まってるのにね。」
「悪魔だって? 今時誰も信じちゃいないのに。」
悪魔はウソだろうが、他に理由があるのだろう。でも、そんな事にかまうことなんかない。
ただ窓を開けるだけなのだから、大した事にはならないだろう。
部屋の隅から踏み台代わりに朽ちかけた材木を引っ張ってくる。
それに登って天窓の取っ手に手を伸ばした。胸が高鳴る。
だって、初めて開けるのだから、少しはドキドキだってする。
左右の取っ手を回し、そっと窓を押し開いた―。
夜風が部屋の埃を舞い上げる。それを吸い込み、
咳き込んだ僕は新鮮な空気を吸おうと、窓の外に身を乗り出し、息をついた。
彼は…?
あわてて振り向くと、やはり埃を吸い込んだらしい彼が、前のめりになって、
床に突っ伏しているのが見えた。
大変だ!!
僕はあわてて彼の側に戻り、また埃を吸い込んでしまった。息が苦しい…。
外の新鮮な空気を吸わせようと抱きかかえたが、彼はすでにぐったりしていた。
咳き込みながらも、大丈夫? と声をかけ続け、天窓まで彼の体を引きずって行く。
「もう少しだから、ね。」
窓の縁に彼の上半身を押し上げた時、僕は気付いた。
あ…。
彼は、息をしていなかった。
力を無くした彼の体は、まだ暖かかった。
僕は、音のしなくなった彼の胸に耳を当て、星明かりにちらちらときらめきながら、
床へと沈んで行く埃達を、ただ、眺めていた。
澄み渡った空気の冷たさに、我に返った。
外を見ると、家々の間の空が白み初めている。
何だか、階下が騒がしい。階段を駆け上がる音。
そして、彼のお父さんが現れた。
僕達を見つけた瞳が、一瞬大きく見開かれる。
でも、すぐに目は閉じられ、何かを振払うように首を振り、
胸の前で十字が切られた。
おじいさんは黙って支度を手伝うと、僕を葬儀へと送りだした。
誰も、非難がましい事は言わなかったが、周りに沈黙される事で、
いやでも自分の「非」を自覚させられた。
柩に花を手向けた僕に、彼のお父さんは優しく声をかけてくれた。
「ベッドの上で果てる事は、彼の男としてのプライドが、許さなかったでしょう。
君は、彼とともに戦ってくれた、最高の友人だ。ありがとう。」
僕の瞳から涙があふれ、嗚咽がもれた。
彼のお父さんは、幼い子供をなだめるように、僕を抱きしめてくれた。
葬儀から帰ると、店の入り口に臨時休業の張り紙が張られていた。
どうしたのだろう、と覗いて見ると、店内は、天窓から吹き込んだ風のせいで、
埃だらけになっていて、おじいさんが一人で大掃除をしていた。
僕は、窓を開けてはいけない本当の理由を知ったのだった。
「初めっから言ってくれればよかったじゃないか。」
そうすれば、こんなことにはならなかったのに…。
でもそれは、今さら言っても仕方のないことだけれど。
怒る僕に、おじいさんは口の中で小さく言い訳をする。
「骨董屋の屋根裏は、埃だらけ、てのが相場、てもんだ。」
それは、アンティークショップの親父としてのポリシーだろうけど、
本当のところは、掃除をするのが面倒なだけで、その事を言われないよう、
窓を開けるな、と言ったのだろう。
おじいさんの無精のせいで、僕は大切な友達を亡くしてしまった。
でも、彼だったらこういうだろう。
「ホコリという名の使い魔が、カゼという名の悪魔の命で、
気高き魂をさらいに来たのさ。」
僕は、彼にささげる冒険物語を、今はきれいに掃除された屋根裏で、書き綴る日々を送っている。
深 山 の 鬼
春まだ遠い二月の飛騨。山中の林道を歩くスキー客がいた。
「先輩、まだですかぁ…?」
少し先を歩く背中に向かって、ピンクのウェア姿の紅葉が声をかける。
「もう少しよ、もう少し。」
そういう華子も息が乱れている。
同じ会社に勤める二人は、有給を利用して、華子の知人が経営するという
スキー場近くのペンションに行くことにしたのだ。
山の中腹にあるというその目的地を目指し、二〜三時間は登り続けているのだが、
いっこうにたどり着く気配はない。
「先輩、少し、休みま、しょう!」
そういって紅葉は濡れる心配のないスキーウェアを着ているのを幸いと、
道端の雪の上に座り込んでしまった。
「仕方ないわねぇ…。」
華子も前進をあきらめて腰を下ろそうとした時、何かと目が合った。
「キャァーッ!?」
林の中から鬼が出てきた。
いや、鬼がマタギの格好で山菜の入った竹のカゴを持ってるはずはないから、
正確に言えば、鬼の面をかぶった人だった。
鬼は女の悲鳴と二人の赤やピンクのカラフルなスキーウェアにびっくりしたらしい。
「この山に入るな!鬼に食われるぞ!」
面の向こうから野太い声で怒鳴った。
華子も負けずに怒鳴り返した。
「何よ、あんた!?」
「地獄の門番だ。」
「へ!?」
鬼の面をつけた男はそういって、また林の中に姿を消した。
「地元の人間が、観光客に言うセリフ?失礼しちゃうわね。」
華子は呆然と座り込んだままの紅葉に手を貸して立たせる。
「大丈夫?あんなの、気にすることないわよ。」
いきなり怒鳴られて怖かったのか、半ベソをかく紅葉を促して、華子はまた歩き出した。
それから一時間ほどして、二人はようやく目的地に着いた。
山の中腹を切り開いたところに、ロッジ風の建物が数軒点在している。
二人が一番大きな建物の呼び鈴を押すと、オーナーらしき人が出迎えてくれた。
「お世話になります。」
と頭を下げてから紅葉の顔が、あれ?、となった。
「鈴原課長?」
入り口には、去年の夏に退職した元上司がいた。
確か、一身上の都合で奥さんと一緒に田舎に帰ったとか聞いていたが…。
(そうか、ペンションやるんで会社辞めたんだ。)
「驚いた?まだ営業前なんだけど、リハーサルをやりたいからって、呼ばれたの。
もちろん、ただで泊まらせていただけるんですよねー?」
華子がいうと、オーナーは苦笑まじりに答える。
「その代わり、ちゃんと口コミで宣伝してくれよ。」
「はーい、わかってまーす、あ…。」
奥からもう一人女性が現れたのを見て、華子は黙り込んだ。
「ああ、紹介しよう、家内の百合子だ。」
「すみません、わざわざ遠いところをおいでいただいて…。」
そういって頭を下げる。課長と同年代には見えない、きれいな人だった。
二人の荷物を受け取り、ロッジ内へと導く百合子。
「あ、いえ。私達、遊びに来たんですから。ね、先輩?」
「え、ええ。そうね。そうですよ。遊びに来たんですから、大丈夫です。」
ちぐはぐなあいさつを返す華子。
紅葉は以前にお酒の席で、課長に養女にならないかと冗談で言われたことがある。
奥さんが子供を産めない体だと知ったのは、ずっと後のことだったけれど。
「もう一人スタッフがいるんだが、今ちょっと手が放せないらしくてね、後で紹介しよう。
ところで、ここまで来るのに大変だったんじゃないかね?」
「ええ、この寒いのに汗だくで登ってきましたわ。」
「そうか、じゃ、家の自慢の風呂にでも入って、汗を流して来なさい。」
「そうさせていただきまーす。」
二人は百合子の案内で、着替えや入浴セットを手にロッジ地下の温泉に行った。
「各ロッジにもシャワー室はあるんですけど、ここはリラクゼーションを目的に作りました。」
「わー、湯気で真っ白ー。」
脱衣所のドアを開けると湯気で視界が遮られた。
「足元に気をつけて下さいね。」
背後から百合子が声をかけてくれる。
ゆっくり浴場に歩を進めて行くとだんだん目が慣れて来て全体を把握する事が出来た。
大谷石の壁にかけられたランプの光が仄かに湯殿を照らし出す。
仄暗い中で湯に浸かってみる。湯気がより幻想的な雰囲気を醸し出す。
「なんか、不思議なお風呂ですねー。」
何だか気が遠くなって、現実に戻れなくなってしまうような気がする。
心地良い眠りに誘われそうになったその時、華子が息をのんだ。
「も、紅葉?」
「何です、先輩。」
紅葉の間延びした返事とは裏腹に、華子の表情は凍りついていた。
「あれ、なに?」
「へ?」
紅葉が華子の指さす方を見る。湯気の向こうで、黒い影が揺らめいていた。
あれは、人…?
だが、その頭の部分には、二本の突起らしき物があった。
(鬼…?)
林道で出会った鬼を思い出す。
「ぎゃぁーっ!?」
リラックスしていた所で急に驚いたせいだろうか、二人はそのまま気を失った。
( ん、んん …)
「気がついた?」
「ここは…?」
紅葉が目覚めると、洒落た洋風の部屋のベッドに寝かされていた。
「私等のロッジ。」
「え…、あ、鬼!鬼は?」
ベッドの上で飛び起きた紅葉を見て、華子は微笑った。
「そんだけ元気があれば大丈夫ね。鬼から招待状が来てるの。」
「は?」
とにかく行けばわかる、というので、身支度もそこそこに紅葉は華子に言われるまま
オーナー夫妻のいる隣のロッジの食堂にやってきた。時刻は夜の八時を回っている。
「もう、お腹ペコペコよ。」
昼過ぎに麓の食堂で食事をして以来、お茶すらしていない二人だった。
出されたのは、山の幸を中心に使ったコース料理だった。
(あ、おいしい…。)
普段少食の紅葉さえ、全ての皿を空にした。
「やっぱり空気がおいしいと、食欲も出るのよね。」
華子はロールパンをおかわりしている。
食事も終わり、それまで厨房を手伝っていたオーナー夫人が新たにワインを運んできた。
給仕をしていたオーナーも、エプロンをはずして水割りを飲み始める。
(あれ…?)
夫人の後ろから、料理人の白衣に身をつつんだ背の高い男が出てくる。
まだ若いその男は、二人の前に来ると頭を下げた。
「すいませんでした!」
「な、何ですか?」
紅葉は目をパチクリさせて彼を見る。
「彼が鬼の正体よ。」
と華子。
「えー!?」
オーナーが笑って後を続ける。
「家内の甥でね。鷹也君。うちの料理人兼、雑役さんだ。さっきは風呂場の排水溝の
最終チェックをやっていたんだが…。」
「すいません、料理の材料取るのに手間どってしまって、風呂場の方、遅くなっちまったんです。
俺、何も見ていませんから!目、つぶってましたから!」
気絶した紅葉を、悲鳴を聞いてかけつけた夫人の指示で彼に背負わせ、
彼女達のロッジに運び込んだのだという。
「だからいつも言ってるのよ、お面なんかかぶって歩くのやめなさい、て。」
夫人が彼を責める。
「はぁ…。」
「じゃぁ、ここに来る時会ったのも、お風呂にいたのも、あなたなの?」
彼がうなずく。
「本当にすいませんでした。」
また頭を下げる彼に、紅葉は言った。
「もういいです。私、気にしてませんから。」
「怒られないでよかったな、鷹也君。」
以降はそれぞれが酒を片手の歓談となった。
531 :
野良猫アプロ ◆rOPqiXeyuw :2009/10/07(水) 22:09:15 ID:XK8A+Vea
オーナーが退社して以後の社内の様子やペンションをやるにあたっての苦労話などが語られた。
そして十一時を過ぎる頃、紅葉と華子は鷹也に送られ自分達のロッジへと帰って行った。
人の気配に紅葉は目覚めた。体を起こそうとした動きが止まる。
「…っつつ…。」
二日酔いだ。しばらくしてクラクラするのをこらえて起き上がる。
隣のベッドはカラだった。
(華子先輩…?)
ロッジの扉が閉まる音が微かに聞こえた。
(外に出た?)
一人でどこに行くのだろう…?
紅葉はあわてて身仕度を整えると、華子の後を追った。
(寒い…!)
山の中、早朝の空気が肌を刺す。
アノラックの襟をかきあわせ、華子の姿を捜す。
(いた!)
本館のロッジの横を裏に抜けていくのが見えた。
でも、何か様子が変だ。辺りをうかがうように歩いていく。
紅葉は気づかれないよう後を追った。
ロッジのある中腹から、上へと向かう華子。
(あれ…?)
彼女の前方を、オーナー夫人である百合子が歩いていく。
どうやら華子は彼女を追っているらしい。いったいどういうことなのだろう?
やがて百合子は自家栽培の畑につき、野菜の収穫を始めた。
華子は畑を囲む柵の入り口の側に身を潜めた。
(え、あれって…!?)
華子が上着の下から何か取り出した。
朝の光を受けて、一瞬きらめく刃先。
(包丁!?)
532 :
野良猫アプロ ◆rOPqiXeyuw :2009/10/07(水) 22:09:57 ID:XK8A+Vea
その時、華子が百合子に包丁を向けて走りだした。
紅葉の口から驚愕の悲鳴がもれ、それに気づいた百合子が振り向く。
目を見開く百合子。
「やめろーっ!!」
先に畑ら来ていたらしい鷹也が華子の前に立ち塞がった。
「どきなさい!でないとあなたも…。」
彼は振り回される包丁を機敏によけると、華子の手首をつかんでその動きを止めた。
「ばかやろう!こんなことしたって、何にもなりゃしないんだ。来い!」
「何すんのよ!」
彼は華子の手から包丁を取り上げると、菜園から引きずり出し、そのまま山の上へと登っていった。
「ありがとう、紅葉さん。あなたが悲鳴を上げてくれなかったら、私、死んでいたかもしれないわ。
でも、もう大丈夫だから、後は鷹ちゃんにまかせて、ロッジへ帰りましょう。」
道端に腰を抜かして座り込んでしまった紅葉の肩を抱き、百合子はそっと促した。
「放しなさいよ!どこにも逃げやしないわよ!」
だが鷹也は、黙ったまま彼女の手を引いていく。
既に人の通う道は途切れ、踏み固められた獣道をさらに登り詰めていく。
やがて頂上に程近いところに、小さな社があらわれた。
いまにも崩れそうな、古い社の前で彼は立ち止まると、彼女を開放した。
「たく、もう。馬鹿力なんだからっ。」
赤くなった手首をさする華子。
彼は社の扉を開け、彼女にその中を見るように言った。
「ここに、人を食う鬼がいる。」
「あっ!?」
そこに、鬼がいた。
533 :
野良猫アプロ ◆rOPqiXeyuw :
(鬼…。)
だがそれは、鷹也がいつもかぶっていた鬼の面だった。
「やだ、お面じゃない。」
「違う、面をどかしてみろ。」
言われるままに面をずらすと、その下から御神体の鏡が出てきた。
華子の顔が映る。
「今のあんたの顔とこの鬼の面。たいして変わらんだろう?」
「い、いくらなんでも、失礼じゃなくて?」
だが、その非難の声には力がない。
「鬼は、人の中に棲む。普段は出てこないが、悪い心を持つと人は鬼に変わってしまう。
あんた達と最初に林道で会った時、あんたから殺気を感じた。
あの時、本気で追い返しておけばよかったよ。」
「…。」
「そんなにオーナーが好きか。」
「!?」
「夜中に百合子伯母さん達と揉めてたろう。」
「盗み聞き?あの時に殺っとくんだったわ。あの女を。」
華子の頬が鳴った。
「何すんのよっ、ひっ!!!」
首筋に包丁が当てられた。
「人を殺す、てのはこういう事だ。人が死ぬ、てのはこういう事なんだよっ!」
その場に崩折れる華子。
「…課長の子が欲しかった…。私なら課長の子を産んであげられるのに…。」
「オーナーの子ならいたよ。」
「え…。」
「病気で亡くなったがな。最初の子が帝王切開だったんで二人目は作らない方がいいと
医者に言われたらしい。百合子おばさんは子供を欲しがったがオーナーがOKしなかった。」
「知らなかった…。」
「他人に話す事でもなかろう。」
「他人…そう、他人ね…。」
「どんな分けがあるにしろ、人を傷つけるなんて、やっちゃいけない。
人の中の鬼は、相手ばかりじゃなく、自分の心も傷つけてしまうんだから。」
「…しばらくここで一人にして…」
「ダメだ。」
「何で!」
「ここは神聖な場所だ。昔は女人禁制の場所だったしな。
泣くならロッジの暖炉の前で泣け。ここは寒過ぎる。一人で眠るならなおさらな。」