>>3 春の公園。満開の桜。こずえは舞い散る花びらの中を歩いている。
彼女はそこに足を踏み入れた時から不気味なデジャブを感じていた。
この光景は確かにどこかで見たことがあった。だが、彼女はそれを
思い出すことができない。
時刻は午後5時。
黄昏が近づいていた。
人の気配はなく、赤く染まった空間に風が吹き抜ける。かすかに腐臭を
感じる。彼女の頭上で何かが揺れていた。背筋に冷たいものを感じる。
見てはいけないと思いながらも彼女は誘惑に抗えず、視線を上に向けた。
桜の中でもひときは太い枝からロープが垂れていた。その先端に結び付け
られているのは人間の首だ。彼女より少し年下の中学生ぐらいの女の子が
首を吊って風に揺れている。それはまるで意志を持っているかのように
ゆらゆらと前後に運動を繰り返していた。こずえは悲鳴を上げることも
できずにただその場で凍り付いている。公園が急速に闇に覆われていく。
夕暮れ時といえどもそれは異常なスピードだった。わずか10分ほどで夜が
訪れる。普通の夜ではない。それはなにかどんでもない災厄を伴った闇だ。
逃げなければならないかことは分かっていたが、体は微動すらしない。
本能が逃げることを拒否している。逃げても無駄なことを知らせている。
恐怖が全身を支配する。やがて背後から聞こえるざわめき、人の気配。
だが、それは救いではなかった。暗く地の底から響いてくるようなその声は
とてもまともな人間が発するものとは思えない。全身の血はすでに引いて
いた。いまだかつて経験したことがないような悪寒を感じた。
― 助けて、助けて、助けて。
彼女は心の中で繰り返す。
頭上で首吊り少女が空ろな声で笑い始める。
そこで目が覚めた。真夜中の自分の部屋。
カーテンの隙間からは月明かりが差し込んでいる。全身が脂汗で濡れて
いるのを感じた。彼女は幼い時、首吊り死体を夕暮れの公園で目撃し、
それ以来このような悪夢に悩まされていた。高校生になってからようやく
その悪夢からも開放されたと思っていたのに久しぶりに見たそれは今まで
にもまして強烈なものだった。こずえはベッドの上で大きく深呼吸をする。
悪夢から帰還した安堵感がゆっくりと全身の緊張をほぐしていく。
着替えをしようとベッドから体を起こしかけた時、彼女はあることに気が
つく。
― 私は一体、いつ家に戻って眠りについたのだろう?
その記憶がすっかり欠落している。彼女が覚えているのは夕方、
学校の帰り道で友達と別れた所までだ。その先はー。
部屋の暗さに慣れると天井から何かがぶら下がっているのことに気がついた。
それは前後にゆっくりと揺れている。
ドアの向こうからざわめき声が聞こえてきた。