【リクエスト】こんな物語が読みたい!【受付】

このエントリーをはてなブックマークに追加
297 ◆c6PZzYalbM
「お前さんよ、刀葉林の女って……知ってるかい?」
警部補はまた僕の知らない言葉を口にした。そちらに向くことはしない。僕はただただ、立ち去って行く黄色いワンピースの後ろ姿を見つめていた。
ハァとため息をつく警部補。
ワンピースの彼女は振り返らなかった。木漏れ日の映える黄色いワンピース。まるでそれ自体が光ってるように輝いている。
「刀葉林の女──女神でもかまわんがな。地獄にそういうのがいるんだよ」
──地獄。警部補のその言葉に僕は少し興味を引かれた。が、やはり彼女の後ろ姿から視線は外せない。
地獄に住まう女か。そんな二つ名は確かに彼女にこそ相応しいのかもしれないとそう思った。
「刀葉林ってのは刀剣の葉が茂る林のことでな、地獄の獄卒はそんな林のド真ん中に罪人を放り出すんだよ。そこでな、罪人がふと目の前の大樹を見上げるとな」
「女がいると?」
そうだ、と警部補は言った。

衆合地獄に刀葉林という林がある。地獄の獄卒は刀剣の葉が生い茂る林の中に罪人どもを放り出すのだ。
途方にくれた罪人が樹上を見やると、そこには見目麗しき端整な姿形をした姫君が鎮座しているのである。
その容貌に見とれた者は、すぐにその木の上に登ろうと試みるのだ。
しかし足場となる枝も葉も幹も刃である。それら刃によってその罪人は体の肉ばかりでなく、筋さえも引き裂かれてしまうのである。
それでも一度燃え上がった情欲の火は尽きることなく、罪人は苦痛を堪え、姫君よ、姫君よ、と木を登りきるのだ。
しかし、かの姫君はいつの間にやら地上に降りていて、欲情のこもった媚びた目で、罪人を見上げているではないか。
それを見た罪人は再び欲情が盛んになってきて、今度こそと地面に降り立とうとする。結局前と同じように、刀の葉が体のすべてを切り裂くのである。
やっと地面に降りてみれば、姫君は再び樹の頂上にいる。
しかし、この罪人はまたもや樹上を目指して登っていくのである。

「まるであの女のようじゃねぇか」
警部補は黄色い後姿を顎で指し示す。
「魅入られた男たちはよ、あの女を手に入れるために刃の葉の大樹を喜んで登っていくんだぜ。何度も登り、何度も降りる。繰り返し繰り返し、何度も何度もな」
だがここは地獄じゃねぇ、見も心も切り刻まれればいつかはくたばる。警部補は吐き捨てるように言い放った。
「それを彼女は見ていた。自分の魅力に惹かれて、近付いて、そしてやがて息絶える様を“ただ”見ていた」
「あの女は黒だよ。真っ黒だ」
だけど、証拠はない。
「あぁそうだ、証拠はない。だがな、諦めないぞ。いつかきっとワッパかけてやる。絶対にだ」
再戦を一人約し、警部補は署に入っていった。
僕も戻るか、そうして身を翻そうとした時だった。

──ブワッ!

一陣の強い風が埃を舞い上げ、僕は思わず目を瞑る。
そして、やんだ風に目を開いた時、目に映ったのは彼女──。
笑顔、それは笑顔! 輝くような大輪の向日葵──笑顔。

『魅入られた男たちはよ、あの女を手に入れるために刃の葉の大樹を登っていくんだぜ。何度も登り、何度も降りる。繰り返し繰り返し、何度も何度もな』

警部補の言葉が思い浮かぶ。
あぁ、そうか。
とっくに魅入られていたのだ。僕も。
立ち止まり、僕を見つめ、笑顔を向ける彼女に、僕はゆっくりと近付き始めた。
いつか僕も彼女によって切り刻まれるのだろうか。刀葉林の刃の葉によって。
そうなのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。
だとしても、彼女の笑顔は今、僕に向いている。
魅入られた憐れな罪人に過ぎない僕には、それだけでいいのかもしれなかった。