パパが台所に立っていた時のことを思い出す。下手糞だけど一生懸命に作っている後ろ
姿。そして毎日そんなことができた理由を思い出す。パパは会社に必死で頼んでなんとか
残業をなくしてもらい、帰宅時間も早くしてもらったらしい。その全ては私への愛情によ
るものなのに、それに気づきながら、私はパパを傷つけた。
ひとしきり泣いた後、私はベランダに出た。夕日が赤々と照りつける中、一つのプラン
ターに目を落とす。赤く染め上げられて、ヒマワリはそこにあった。少しずつ伸びてきて、
丈も大きくなっている。若々しく立派な葉を勇壮につけているけれど、まだその様は太陽
の花ではなかった。ここは不思議な空間だ。その花を見ているとママを思い出すのだ。マ
マが綺麗に手入れしていた花々は枯れてうち捨てられたのに、このプランターだけは大切
に育てられている。パパもヒマワリにママを見ているのかもしれない。
その日の夕食はまずかった。パパが作った料理よりずっとまずく感じた。パパは必死で
言葉をかけるけど、それは宙に浮いて、消えていった。私は何も言えずに黙ってご飯をか
きこんで、逃げるように部屋に戻った。
その日はなかなか寝付けなかった。頭の中を色々な物がぐるぐる渦巻いていて、混乱し
ていた。何よりもパパを深く傷つけてしまったことが心にしこりのように残り続けていた。
二時を過ぎた頃だっただろうか。相変わらず呻って寝付けないでいたのだけど、突然、
線香の匂いが漂ってきたように思う。いつもは大嫌いだと思っている匂いなのだけど、今
日はどうしてか懐かしくて、温かい気持ちが胸に広がり、気づくと眠りに落ちていた。
翌朝から全てが変わってしまった。
「ほれ、これでたりないみたいならまた言ってくれよ」
チャリンと、百円玉を五枚、手渡された。無機質なそれはなんの温もりも持っていない。
私をパパを結びつけるものが今はそれしかないことを心細く感じた。
学校では昨日の男子たちが報復してくるようなことはなかったけれど、私はないものと
して扱われた。
「おう、お帰り。学校は楽しかったか」
「う、うん」
一瞬ためらったのがまずかった。
「おい、由美、学校が楽しくないのか? 学校でなにかあったのか」
「なにもないよ。ホント、今日も楽しかったよ学校」
「……」
無言の間が肌をチリチリと刺す。パパは私の心を見抜いただろう。
「そうか、ならいいんだ。でもなにかあったら父さんに言うんだぞ。父さんはいつでも由
美の味方だからな」
それでもかっかっかと、笑いながら私の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、ベランダに出て行っ
た。今のパパにとって、そこだけが憩いの場なのだろう。私は次第にパパを慈しむように
なっていた。
七月の初め、グループ学習で班を作った。相変わらずなきものにされている私はなにも
発言させてもらえないし、なにもできない。邪魔くさそうに男子が私を小突いた。
「うわっ、なんだ森山! おめぇ、めっちゃ臭ぇぞ」
教室がいきなりざわざわしだす。数人の男子が駆け寄る。
「うっわ〜、まじだ! 超臭ぇ!」
「これなんていう臭い?」
「あれじゃない? ほら線香の臭いだよ」
「てか女なのにこの臭いはねーだろ」
どっと、下品な笑いが起こる。
「お前いつまでも母ちゃんのことなんか気にしてんのかよ」
「いや、むしろあのオヤジの方じゃない? 授業参観の時来てたけどすっげーよな。ハゲ
散らかしてて一人だけバリ浮いてたもんなー。『母ちゃーん、母ちゃーん』って毎日必死
で拝んでんじゃない?」
思わず周りからも笑い声が漏れてくる。気の弱い先生は何もできずにおろおろしている。
最低だ! 心で叫ぶ。最低だ! 心が慟哭する。最低だ! 心が血を流す。
私はどんなのバカにされてもいい。でも死んだ人をバカにするな! 私の自慢のパパを
バカにするな!
私の大好きなパパとママをバカにされて我慢の緒が切れてしまった。
机にかけてあったカバンを掴むと、それで目の前でいやらしく笑う男子を殴った。頬を
涙が伝いながら何度も何度も殴りつけた。