84 :
学校(仮):
1
この春、僕は高校生になった。
新しい環境に身を置く際の居心地の悪さを、久しぶりに味わった気がする。
それなりに楽しい学校生活になることを祈りながら、僕は最初のホームルームの時間を
過ごした。
クラス全員がそれぞれ自己紹介をしたとき、僕は初めて川辺有華を知った。なかなか美
人だなとは思ったものの、それ以上の気持ちは抱かなかった。彼女の自己紹介は無難その
もので、特に印象に残るものではなかった。
[続く]
85 :
学校(仮):2009/06/17(水) 22:23:32 ID:9wKBIB/t
2
中学生時代に仲の良かった友達はみんな別の学校に進学しており、この学校には数人の
顔見知りがいるだけ。そのなかでこのクラス内にいる知り合いは、とある女子ひとりのみ。
彼女とも別に仲がよいわけではない。
というわけで、社交性のない僕だけれど、一から友達づくりをがんばった。
二週間が過ぎるころには、どうにかこうにか、そこそこ話せる友達がクラスに四人でき
た。全員男子だ。いままでのパターンから考えるに、きっと僕はこれ以上ろくに交友関係
を開拓しないまま、一年間を過ごすのだ。
86 :
学校(仮):2009/06/17(水) 22:24:19 ID:9wKBIB/t
3
あるとき仲間うちで、「女子のなかで誰がいちばん可愛いか」という話になった。三人
が川辺有華の名を挙げた。驚きの割合だ。気の早いことに、そのうちの一人は近々告白す
るつもりだという。がんばれよとは言ったものの、成功するかどうかはかなりあやしいも
のだと思った。
というのも、彼女には人を寄せつけない雰囲気があったからだ。見たところ、彼女と仲
のいい男子は一人もいない。女子ですら、ごく限られた二、三人が、静かに彼女と会話す
るだけだった。
そういえば、川辺が声を出して笑うところをほとんど見たことがない。彼女はただ柔ら
かく微笑むだけ。
告白されたときにはどんな反応を見せるんだろう? そこだけは気になった。
「もし運良く付き合えたとしても、彼女静かだし、きっと会話に困るよ」
そう僕が言ったら、彼が言うには、
「確かにちょっと暗いけど、陰のある美人ってのがいいんじゃないか。それに、付き合い
始めて俺だけに心を開いていってくれたら……って考えると、ドキドキしてくるじゃん」
とのこと。
なるほど。
「あとやっぱりさ、俺、自分の魅力をこれ見よがしにアピールしてる女より、川辺さんみ
たいな人のほうが断然好きなんだよね。自分の素材のよさに気づいてない、あの無垢な感
じ? 『アレ? もっと気合い入れればスゲェ完成度高くできるのに、なんてもったいな
い! でもそこが最高!』てなもんで」
わからなくもないけれど。
[続く]
87 :
学校(仮):2009/06/18(木) 19:34:30 ID:+OI1Yr6M
4
それからさらに一週間が経った。
彼はまだ告白に踏み切れないようだ。あの情熱はどこへ行ったのやら、話を聞いてみて
もぐずぐずした言葉が返ってくるだけで、覚悟を決めるまでには相当の時間がかかりそう
だった。
僕は彼を急かした。鉄は熱いうちに打て、的なことを言って。
実のところ、心の底からの励ましではない。ただ、イベントがずるずると先送りになる
のを防ぎたかっただけ。
つまり僕は、彼の恋路がおもしろい展開を見せるのを待つばかりの部外者にすぎなかっ
たのだ。
しかし、それが一変するときがやってきた。
[続く]
88 :
学校(仮):2009/06/19(金) 20:45:20 ID:ArrEliV7
5
あれは忘れもしない国語の時間。
授業はいつもどおりに進んでいた。
開始から三十分間ほど経過し、僕の気持ちが中だるみしてきた頃、突如教室に大きな音
が響いた。
何の音かはすぐにわかった。近くで、椅子の脚が床を強くひっかいたのだ。
僕は斜め後ろを振り返った。二人ほど隔てた、最後列の席。そこにいた川辺有華が立ち
上がっていた。
かなり勢いのよい動作だったらしく、いままさに椅子がゆらりと後ろに傾き……。けた
たましい音を立てて床に倒れた。
全員が注目していた。
誰ひとり口を開くものはいなかった。
教師の声もやんでいた。
しばらく静寂が続いた。
彼女は真剣な顔つきで斜め上方を見ている。
それからおもむろに両手を胸の前で組み、目を閉じ、顔をうつむけた。
そして凛と通る声で言った。
「★×◆△○☆◎? ……ええ、私よ。はっきりと聞こえているわ。いま行く」
再び静寂が教室中を満たした。
いま思い返してみれば、誰かが噴き出してもおかしくはないセリフだったが、誰にもそ
んな様子はみられなかった。皆、彼女の妙な迫力に圧倒されていたのだと思う。あるいは、
彼女が精神に異常をきたしたのだと思い、恐怖で固まったのかもしれない(とりわけ、日
本語でも英語でもない前半部分の威力が大きかったはずだ)。
そして一方僕は、驚きと恐怖を感じると同時に、恋に落ちていた。
完全に。
言葉の内容はともかくとして、その物憂げな表情、透明あふれる声、形のいい唇、艶や
かな髪、上を向いたときの澄んだ瞳、うつむいたときのまつげの美しさ……、これまで本
当の意味では気づいていなかった彼女のあらゆる魅力が、なぜかこのとき初めて僕を打ち
のめしたのだった。
「先生、私、早退させていただきます」
彼女はそう言って、鞄にものを詰め込み、急ぎ足で教室を出て行ってしまった。
すべてが終わった後も、しばらくは誰ひとり口を開かなかった。
「な、なんだぁ……?」
やっと沈黙を破った教師の声は弱々しく、実に間抜けに聞こえた。
[続く]
89 :
学校(仮):2009/06/20(土) 22:19:17 ID:EO5lFS5/
6
休み時間になると、さきほどの話題で持ちきりとなった。みな恐怖を感じていた。少し
変わったところのある女の子だと誰もが思っていたものの、「いよいよこれはおかしい、
もうあまり関わらないほうがいい」ということで意見が一致した。
彼女と仲のよかった女子たちもまた困惑していた。「確かにみんなと打ち解けられない
性格ではあったけれど、心優しいし、いわゆる『痛いコ』ではなかった」とのことだ。
告白するつもりだった彼も、なんとなく思いを寄せていた他の男たちも、完全に冷めき
っていた。
「聞いたか? なんか受信してたぞ」
「あれはやばい」
「小中学生ならまだしも、この歳であれはちょっと……」
「相当の病を心に抱えているのは間違いない」
「付き合うなんてまず無理」
みな口々にそう言った。
彼女を好いていたものは一度にいなくなった。そして彼女に興味のなかった僕だけが、
いまや彼女に恋していた。
90 :
学校(仮):2009/06/20(土) 22:20:00 ID:EO5lFS5/
7
家に帰ったあと、僕は考えた。「今日だけたまたま彼女のことが綺麗に見えたんだろう。
きっと一次的な魔法みたいなものだ」と。
しかし、そうではなかった。
あの日以来、魔法は解けなかった。
そして僕は気づいたのだ、それは魔法でもなんでもなかったのだということに。
僕はただ単純に、彼女に惚れただけなのだ。それだけのことだった。
[続く]
91 :
学校(仮):2009/06/22(月) 02:06:09 ID:4mhSGtvB
8
「病院に収容されるのでは」「突如引越ししてしまうのでは」「一人でフラフラと失踪し
てしまうのでは」などという説がクラスのなかで出たが、そんなことは起こらなかった。
事件の翌朝ごく普通に登校してきた川辺は、前日までとまったく変わりがないように思
えた。
ただのおとなしい女の子だ。丸一日、なんの奇行も見られない。
とは言え、周囲の警戒心は強く、皆がなんとなく彼女に近づけないでいる。
終日、昨日のことは話題に上らなかった。
皆、心の中では
「早めに本人の前で話題に出しておいたほうがラクなのに。笑い話にしやすいのに」
と思っていたに違いないのだが、
「ねーねー川辺さん、昨日のアレ、なんだったの?」
などと気楽に訊ける者が誰一人いない(どのクラスにも、そういう壁をあっさり破れる
ヤツが必ず一人はいるものなのに)。
川辺の友達二人も、まるで昨日の事などなかったかのように彼女に接している。本人か
ら何らかの釈明があればいいのだが、それもない。
そうしてなんとなく気まずい時間だけが過ぎてゆく。このまま事件の風化を待つことに
なりそうだ。
[続く]
92 :
学校(仮):2009/06/22(月) 22:02:22 ID:o+g4x+ke
9
そして僕もその日、なんの行動も起こせぬまま、ただ休憩時間に時折彼女を眺めるばか
りだった。
そんな僕の横で、友達がブツブツと話しかけてくる。
「あのあとあの子どうしたんだろ? 『いま行く』とか言ってたけど。普通に家に帰って
寝てたのかな? どこかで遊んでたのかな? それともマジで謎の生命体かなにかと会っ
たりしてたのかな? んなワケないか。それにしても、サボりたいならもっとまともなや
り方があるのに。やっぱりただの変な子なのかな。お前どう思う?」
「わかんないよ」僕はそっけなく答える。
「ま、そりゃそうだよな。でさ、変な人ってときどきいるけどさ、そういう人って大抵い
つも変なこと言ってるからまだわかりやすくていいんだよ。でもあの子の場合、突然スイ
ッチ入っちゃった感じで、それが怖いんだよな。世界観もよくわかんねーし」
「たまたま、そういう気分になったんじゃない?」
「そういう気分、て」
「とにかくたまたま、だよ」
「俺はまた彼女が何か受信するんじゃないかと思うよ。それが全校集会や式典の最中じゃ
ないことを祈るよ。そうなったらそうなったでちょっと面白いかもしれないけど」
「全然面白くない」僕は彼を睨みつけた。
93 :
学校(仮):2009/06/22(月) 22:03:42 ID:o+g4x+ke
10
それにしても授業に身が入らない。
僕は自分を慰めた。「彼女は危ない子なんかじゃない、あれは今回だけの出来事だ。も
う起こることはない」。……いや、自分でもわかっている。一度でもああいう事件が起こ
ったことが問題なのである。
やっぱり彼女はちょっと危ない子なんだと思う。
そして僕は自問自答する。
「なぜよりによってあんな子を好きになってしまったのだろう?」
なんでだろ。なっちゃったんだから仕方がないよね。
「そんな彼女を好きになった僕も、ちょっと危ない子なんだろうか?」
うん、もしかしたら、そうなのかもね。
「この道は、若干イバラの道かもね」
間違いないよね。
それから何事もなく数日間が過ぎた。
[続く]
94 :
学校(仮):2009/06/23(火) 18:30:26 ID:aM/dzozt
11
「酒井君、最近川辺さんのことばっかり見てない?」
休憩時間。
ざわつく教室のなか、頬杖をついてぼんやりとしていた僕だったが、思わず顔を掌から
すべらせてしまった。
「な、何、突然?」
声のしたほうに顔を向けると、僕の席のすぐ傍にクラスメイトのブホ美が立っていた。
ブホ美はブホホホと笑いながら、その巨体を揺らした。
「まーたまた。とぼけちゃって。私知ってるのよ、酒井君が最近川辺さんに熱烈な視線を
送っているってこと」
「ちょっと……」僕は周りを見回しながら言う。幸い川辺は教室にはいなかった。「そう
いうこと言うのやめてくれないかな。誰かに聞かれたら、ホントにそうだって誤解される
かもしれないじゃないか」
「まあ、誤解だなんて」またもやブホ美はブホホホと笑った。「私そういうの敏感なのよ。
休み時間の酒井くん見てたらすぐにわかっちゃったわ」
「気のせいだよ」
「あら、まだシラを切るつもりなのね。恥ずかしいかもしれないけど、もっとどーんとぶ
つかっていかなきゃだめよ。あたしみたいに」
僕は中学生のころを思い出した。僕はブホ美に三度告白され、三度断ったのだ。
そう、クラス内での以前からの知り合いとは、このブホ美のことなのである。
「ま、あたしはもう酒井君には興味失せちゃってて、いまや新しい恋に足を踏み出してい
るところだし、協力してあげてもいいわよ」
「余計なことしなくていいから」
「なーるほど」ブホ美はニヤリと笑った。「いまの言葉で証明しちゃったわね。要するに、
『俺には俺の告白プランがあるから余計なことはするな』っていう意味でしょ」
「なんなんだよ一体。何言ってもそういうふうに捉えるんじゃないか」さすがに怒りがふ
つふつと湧き上がってきた。
「あ」ブホ美が急に教室の出入り口を見た。「川辺さん」
僕は狼狽して、やたらと大きな動作でそちらを向いた。
しかしそこには川辺などいない。
ブホ美がまたニヤリと笑う。「騙してごめんなさいね。でもいまの慌てぶり、やっぱり
酒井くんは川辺さんのことを大層意識しているようね」
「おい……、ふざけるなよ。そっちがやたら川辺さんの話を吹っかけてくるのが悪いんだ。
会話の端々に自分の名前が出てくるのを本人が聞いたら、悪口を言われてるかもって思っ
ちゃうかもしれないだろ。だから慌てたんだよ」
僕の苛立った様子に、ブホ美はひるんだようだ。
「うん、ま、それもそうね。私ちょっと酒井くんをからかいすぎたかもしれないわ。本当
にごめんね」
それだけ言うと、ブホ美は教室から出て行った。
[続く]
95 :
学校(仮):2009/06/24(水) 20:19:49 ID:ZaNHkBJ8
12
僕は川辺有華と仲良くなるためのきっかけを探そうとした。
とは言っても、同じクラスだ。ただ声をかければよい。
しかし周りの目は気になるし、話題がまったくないので、ちょっと難しい。僕がそうい
うことを気にしないたちだったらよかったのだけれど、まったく逆のタイプなのだ。
川辺は相変わらず、例の友達ふたりと物静かに会話して休憩時間を過ごす。
時折、ひとりで勉強したり読書したりしていることもある。
騒がしい休憩時間のなかにあって、一見物悲しい過ごし方に思えるが、なぜか孤独な雰
囲気があまり感じられない。不思議だ。
そして何より、やっぱり彼女は綺麗だと思う。
そんな川辺を僕はちらちらと盗み見る。
そして、別の意味で気になる人物がもう一人。
ブホ美だ。
あのとき以来妙に僕に注目しているようで、ブホ美とはしょっちゅう目が合う。そのた
びにあいつはニヤニヤと笑っている。不気味だ。そもそも根本的に佇まいが不気味なのに。
僕が川辺のことを好きなのは事実だ。しかしそれをブホ美に覚られるのは気分がよくな
い。
しかしブホ美のあの様子を見るに、完全に確信している。誰かに言いふらしたりしてい
なければいいけれど。
……いや、むしろ言ってくれたほうがいいのかもしれない。周りの強引な押しに呑まれ
て、あれよあれよという間にうまくいってしまう、なんて話もときどき聞くじゃないか。
……うーん、しかしそれは……。
考えがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
[続く]
96 :
学校(仮):2009/06/25(木) 22:35:34 ID:0DIDUbM2
13
ある日の放課後、学校近くの本屋で制服姿の川辺を見かけた。
僕は気づかれないように、やや離れた雑誌棚の前に立ち、雑誌を読むふりをして彼女を
盗み見た。胸が高鳴る。さっさと声をかければいいだけなのにと思うのだけれど、どうに
もそれができない。
見たところ、彼女はどうやらあてどもなくさまざまな棚を物色しているようだ。
しかししばらくして、特定の棚の前に陣取った。そして何冊もの本を次々に手に取り
ページをめくる。
が、とある本を手にしてからはそればかりを食い入るように読みだした。
その様子が気になったので、僕は雑誌を置き、彼女の姿がよりよく見える場所へとゆっ
くり移動した。
少しすると彼女は本を戻し、そのまま向こう側の出入り口から出て行ってしまった。
僕は棚の前に行き、彼女が最後に手に取った本を抜き出した。
『スウェーデンボルグの霊界日記――死後の世界の詳細報告書』
これが本のタイトルだった。
「なんだこりゃ……」
僕が軽く本文を読んでみようとしたそのとき、
「ちょっと」
突然肩を叩かれた。
97 :
学校(仮):2009/06/25(木) 22:37:53 ID:0DIDUbM2
心臓がとまりそうなほど驚いて振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
派手な顔立ち、派手な髪型、僕と同じ制服。
「いま見てたんだけど……、君……、川辺さんのことが好きなのかい? そうなのか
い?」妙に大仰な感じで、彼は言った。
「え……」
なぜあの子の名字を知っているんだ? 知り合いなのか? それにしてもなんて唐突な
……。僕は言葉に詰まった。
「君の反応をみると、すぐにわかったよ。君はあの子を観察していただろう。その君を、
僕はさらに遠くから観察していたのさ。
君は僕と同じ学校の生徒みたいだね。名前は? おっと失礼、僕は二年の鈴木だ」
なんだこいつ、と僕は思いながらも、すでに重要な点を見抜かれている上に、なんとな
く彼から逃げても無駄な気がした。そんなオーラがある。
僕は仕方なしに、会話に乗ることにした。
「一年の酒井です」
「そうか。酒井君、改めて訊くが、君は彼女のことが好きなんだろう?」
「ええ……まぁ」
「やっぱりね」鈴木と名乗る男は満足そうにうなずいた。「僕はね、君と彼女の仲をとり
もってあげてもいいと思っている」
なんだこの展開は。
僕は男に対して一気に不信感を抱いた。怪しすぎる。
このタイミングでそんな都合のいい発言をすんなり受け入れるわけにはいかない。
「おっと。『このタイミングでそんな都合のいい発言をすんなり受け入れるわけにはいか
ない』とでも言いたげな顔をしているね」鈴木が顔をぐいぐい近づけてきた。
「近い近い、近いです」生暖かい鼻息が僕の顔をなでる。
「気に食わないな……。すぐそこに喫茶店がある。入ってゆっくり話をしようじゃない
か」彼は出口を指した。
「ヤです」
「……」
[続く]
98 :
学校(仮):2009/06/26(金) 18:33:13 ID:NqcUCjs9
14
断ったはずなのに、僕はなぜか強引に喫茶店に連れてこられてしまった。
川辺有華。
住まいはここから電車で四十分、加えて徒歩五分程度の住宅街。
趣味、読書・油絵・バイオリン。
誕生日、八月十二日。
血液型、B型。
父親を亡くしており、現在は母・姉・弟と共に暮らしている。
以上が、ざっと鈴木が話した内容だ。
同じクラスでありながら、僕は彼女のことを何も知らない。それにしても、なんて気品
漂う趣味ばかり……。
もちろん鈴木の言うことを鵜呑みにするわけにはいかないのだが、妙に自信満々なその
様を見ていると、どうにも本当の情報のような気がしてくる。少なくとも、彼女の名前を
知っていたことは事実なのだ。
僕は自分が川辺有華と同じクラスであることと、先日彼女のことが好きになったばかり
であることを話した。なんで初対面の人にこんなこと喋ってるんだろう、と思いながら。
「実を言うとね、僕は川辺さんと同じ中学校の出身なんだ。そして一年半ほど前、川辺さ
んに告白してフラれている」鈴木は言う。
「え」
「長い話になるが、聞いてくれないか。一人の哀れな男の物語を……」
「うーん……、じゃ、どうぞ」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
[続く]
99 :
学校(仮):2009/06/27(土) 20:18:45 ID:oUWflJfZ
15
しばらくの沈黙ののち、鈴木は話し出した。
「……登校時に偶然彼女を見かけてね。一目惚れだった。そのまま彼女のあとをつけて教
室を突き止め、下校時にはまた彼女を尾行して家を突き止め、それからもたびたびあとを
つけたものだよ」
「……」
「もちろんストーカー行為みたいなものだけれど、自分の気持ちをとめられなかったんだ。
彼女のクラスメートから密かに情報を得て、少しずつ彼女のことに詳しくなっていった。
僕は少しずつ距離を縮めていくという方法をとらなかった。本人に話しかけることをし
なかった。サプライズが一番効果的だと思ったんだね。そして、満を持して告白したんだ。
登校時、道路のド真ん中で、百本の薔薇の花束と共に」
鈴木はコーヒーをすすった。
「ベタと言うなかれ。いまの時代、薔薇の花束で告白はなかなかない。まぁ僕が集めた情
報の中に『彼女は薔薇が好き』なんていうものは一切なかったから、なんであんなふうに
したのかいまから考えるとサッパリわからないんだけれどね」
「はあ。それで」
「さっき言ったとおり、失敗だ。何よりタイミングが最悪だった。
……彼女の父親が亡くなっていると言ったね。僕が告白したのは、そのわずか数日後だ
ったんだ。本当に興醒めなことをしてしまったよ。僕はそれまで毎日のように彼女をつけ
たり情報収集したりしていたというのに、告白前の数日間は台詞を考えるのに没頭してい
たため、まったくそのことを知らなかったんだ」
鈴木は口を歪めた。
「絶好の告白日和に思えた。僕は朝五時に起き、すっかり準備万端。自転車で並木道を抜
け、彼女の家の方向へと向かう。素晴らしい青空で、朝日はさんさんと照り、スズメがち
ゅんちゅんと可愛らしく鳴いている。彼女が家を出る時間になり、その頃には僕は通学路
の電柱の陰にスタンバイ完了だ。
……そして彼女がやってきた! 僕は満面の笑みを作って電柱の陰から飛び出し、花束
を差し出して彼女の前に立ちはだかった。それと共に台詞の朗読だ。彼女はびっくりして
一瞬立ち止まった。ここまでは計画通りだ。
……しかし僕は気がついた。なぜか彼女は泣いている。あくびのせいで出た涙なんかじ
ゃないことはすぐにわかった。百パーセント、悲しみの涙だった。朝から泣き腫らした目
だった。
理由はわからない、理由はわからないがしかしそれを見て、途中まで朗々と響いていた
僕の声はだんだんしぼんでいった。困惑しつつも、『ああ、やっちまった。それだけは確
かだ』そう思った。
彼女は『ごめんなさい』と小さくつぶやいて僕の横を通り過ぎ、僕はただ一人路上に取
り残された。
……その日のうちに、彼女のお父さんのことを知ったんだ」
「そんなことが……」
100 :
学校(仮):2009/06/27(土) 20:20:39 ID:oUWflJfZ
「僕ははっきりと断られたわけじゃないと思ってる。あの『ごめんなさい』は、『あなた
とは付き合えない』という意味じゃなく、『いまは話を聴いていられない』という意味だ
ったと思うんだ。いや、わからないけど、きっとね。でもどちらにしろ、川辺さんを彼女
にしたいという思いはだんだんと消え去ってしまった。
僕は思ったんだ。『いま改めて彼女に告白しても、あの朝のように、悲しみのあまりま
ったく相手にされないんじゃないだろうか。そう、父親の思い出と共にあるべき彼女の邪
魔になってしまうんじゃないだろうか?』『よし、じゃあもうしばらく待とう。彼女が悲
しみが立ち直るのはいつだろう?』『おい、ちょっと待て。人が肉親の死を克服するタイ
ミングを計るだなんて……、こんな考え方、最低じゃないのか?』こんなことばかりをと
りとめもなく考えて……、結局なにもしなかった。
僕はしょうもない男なのさ」
「……」
「ただ、彼女が早く元気になってほしいとは思った。だからそれからもたびたび彼女のク
ラスにこっそり見に行ったりもしたけれど、お父さんが亡くなった悲しみから一向に抜け
出していないようなんだ。それまでもおとなしい子ではあったんだが、あのときを境に、
さらに内向的になってしまった。遠くから見てもそれがありありとわかった」
僕は国語の時間に起こった例の事件を思い出した。あれは、内へ内へと向かう彼女の感
情がついに爆発してしまった結果なのだろうか。
事件のことを話題に出そうかと思ったが、ひとまずそれはやめておくことにした。
[続く]
101 :
学校(仮):2009/06/28(日) 19:45:13 ID:fEDSyAEG
16
鈴木は続ける。
「この春、川辺さんがうちの高校に進学したことを知った。本当に驚いたよ。『川辺さん
は高校生活を楽しめそうだろうか?』それが気になって、何度か休み時間を利用して彼女
の様子をチラ見した。
僕が見たところ、彼女はいまだ悲しみの中にいる。
僕としてもつらい。かつて川辺さんに惚れた者として、彼女が元の状態を取り戻してく
れればいいと思ってる。もちろん、すべて綺麗さっぱり元通り、なんてことにはなるはず
がない。一生心を離れない出来事だろう。でも、ほんの少しでも、いまより元気になって
もらいたいんだ。
だからさっき本屋で彼女と君を見つけたとき、すぐに事情を察した僕は――こういう勘
だけはやたらと働くんだ――、あの子が去るのを待ってから君に声をかけたんだよ。ここ
で自分ががんばることによって、二人をくっつけ、彼女に元気を取り戻させることができ
るんじゃないか、とね。
……こういうわけさ。いくらでも手伝うよ」
僕はこの鈴木という男の真摯な様に引き込まれつつあった。「強引でちょっとおかしい
人」という最初の印象はほとんど拭い去られ、謝りたい気持ちにすらなっていた。そして、
僕に協力まで申し出てくれている。が、それは僕の望むところではなかった。
「いろいろと話してくださって、ありがとうございます。……ただ、本当にありがたいん
ですけど、助力は結構です。自分なりにのんびりと少しずつ仲良くなっていって、それか
ら自然な流れで付き合えたら一番いいんじゃないかなって思うので」
奇妙なことに、ここまで言って僕は初めて「彼女と付き合うということが本当にありえ
るかもしれないのだ」ということを意識した。自分の口で言葉にしたせいだろうか。考え
てみれば、いままで誰にも話したことがなかったのだ。
僕は、彼女を遠くから眺めているだけでそれなりに満足だった。自分自身が臆病である
せいでもあるし、彼女が浮世離れしているせいでもある。それがやっと、現状を打開して
もいいのだと思えてきたのである。
しかし付き合う僕たち二人をイメージしようとしても、いまいちその像がはっきり見え
ない。二人で笑っているイメージも、手をつなぐイメージも、キスのイメージも、どうも
しっくりこない。それでも、なにか行動してみるのはきっと楽しいに違いない……。
[続く]
102 :
学校(仮):2009/06/29(月) 22:51:51 ID:VNHSmKg+
17
「そうだね」鈴木の声がして、僕の思考はさえぎられた。「でも、本当に自然に仲良くな
っていけるのかな。キミ、間違いなく押しの弱いタイプでしょ」
「う」若干失礼なことを言われている気もするが、図星だ。僕は言葉に詰まった。押しが
弱いというか、押したことすらない。「何かきっかけがあれば……。しばらく待ってみま
す」
「そうか」鈴木はコーヒーを飲み干した。「応援してるよ」
僕はそれまで自分の頼んだものにほとんど口をつけていなかった。そろそろ出るタイミ
ングかと思い、急いで飲もうとすると、鈴木は「急がなくていいよ。もうちょっとゆっく
りしようじゃないか」と言って席を立った。そして雑誌を取ってきて、また深々と腰かけ
た。
僕は言われたとおり、自分のペースで少しずつ飲み続けた。そのあいだ窓の外を眺めた
り考えごとをしたりしていたのだが、時折雑誌越しにちらちらとこちらを見てくる鈴木の
目が気になる。目が合っても、彼は一向にそれをやめる様子がない。無言のまま、妙に鋭
い眼光でこちらをじっと見つめてくる。
正直なところ、少々気持ちが悪い。
やっぱりどこか変な人だな、でもまあいいか……。僕はひたすら外の景色に目をやるこ
とにした。
[続く]
103 :
学校(仮):2009/07/01(水) 21:21:46 ID:NVby3JUQ
18
家に帰り、入浴を済ませ、晩御飯を食べ終えた後、僕は自室で一人ぼんやりと過ごした。
疲れる一日だった。
僕の川辺に対する態度が露骨過ぎるせいで、ごく短期間のあいだに、二人の人間に気持
ちを見抜かれてしまった。ブホ美と鈴木さんだ。
そして、鈴木さんの話。
あのときはすっかり最後まで聴いてしまったんだけれど、よかったんだろうか。いまで
は聴かないほうがよかったような気がしている。彼にはまったく悪気がないのはわかるん
だけれど、思いがけず川辺の家庭事情を知ってしまい、複雑な気持ちだ。なんだか覗き見
をしたような感覚で。
でもあの人はきっと、本当に僕のことを手伝いたいんだと思う。だからこそわざわざ自
分の話をしたんだし、流れ上、彼女の家庭の話が出てくるのも仕方がない。
僕は机の上の携帯電話に目をやった。
あのあと喫茶店で、電話番号とメールアドレスを鈴木さんと交換したのだ。「大してや
りとりする必要もないのに」とは思ったが、わざわざ断るようなものでもない。
と、そのとき、携帯電話が鳴った。電話着信だ。
手にとって開いてみると、そこには鈴木さんの名が表示されている。
早速なんなんだ? 特に用事があるとも思えないが……。
とりあえず僕は電話に出てみた。
104 :
学校(仮):2009/07/01(水) 21:23:22 ID:NVby3JUQ
「はい、もしもし」
「もしもし。酒井君、いま大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。今日はどうも」
「うん、無理矢理つき合わせてしまって悪かったね。初対面だというのに」
「いえ、そんな。で、何か用でも?」
「いや、用というほどのものでもないんだ。ただ、『今宵も外は冷えるけど、酒井君、元
気にしてるかなぁ』なんて思ってね」
なんなんだこのヒト……?
「元気ですよ。ていうか何時間か前に話したばかりじゃないですか」
「そうか、それならいいんだ。その調子でガンガン前進してくれたまえよ」
「はあ、わかりました」
「その意気だ! 川辺さんは君のアタックを待っている!」
なんだか妙にテンションが高い。僕は少々面倒くさく感じてきた。
「あ、そうそう、ところで酒井君」
「なんでしょう」
「君の誕生日と血液型を教えてくれないか」
「……なぜです?」
「いや、大したことじゃないんだ。僕は占いが趣味でね。君のこれからの運勢、ひいては
川辺さんとの相性を占ってみようかと」
「占い?」
「そう」
誕生日や血液型程度のことを教えてもどうということはないはずだが、なんだか鈴木さ
んにかかると変なコトに利用されそうな気すらしてくる。
「五月六日のA型です」
そう言った途端、突然電話が切れた。
[未完]