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イオイソゴは満面の笑みでハイハイをしながら、かんざしをひったくった。
「なれば荒唐無稽大いに結構じゃっ!」
起伏のない裸体をいきいきと反転させてイオイソゴは男の前に舞い戻った。
「おおそうだ聞いてくれ聞いてくれ。蝋涙鬼やら我喰いもどきやらも耆著の特性の応用なのじゃ。
わし自身に打ち込んだ場合はの、わし自身の意思である程度動けるのじゃ。まぁ、本来の我
喰いは消化液で色々溶かすものじゃから、わしの使うのは”もどき”にすぎぬが」
そしてかんざしの端を持って軽く捻ると、果たしてキャップのように開くと……
ストローが出てきた。
「ふぉっふぉっふぉー! いっつぁ食事たーいむ!! ……あぁでもやっぱまずそうじゃのう。
しかし喰いもせんものを殺すのは主義ではないし、第一自然の摂理に反する。かといってどう
も中年の肉は瑞々しさが無く脂ぎっててうまくない……仕方がない」
ドロドロの肉塊を困ったように眺めると、イオイソゴはその上に握った左拳をかざした。
「わしは”ふぇれっと”と”まんごー”の細胞を入れられた調せ……ええと、そう、怪人なのじゃ」
果たしてぎゅっと絞った左拳からはオレンジ色の汁がダクダクとあふれ出る。
むろんその匂いはマンゴーの物であるから、どうやらイオイソゴは汗腺よりマンゴーの果汁
を出せるらしい。それで味付けするという発想に行きつくのは当人にとりごくごく自然といえよう。
なおこれは余談になるが、マンゴーはウルシ科の植物のため人によっては果汁にかぶれて
しまう事もある。先ほどイオイソゴと手を繋いだ尖十郎が手に痒みを覚えたのはそのせいなの
であろう。
「本当は”らっこ”と”こうがいびる”が良かったのにえろぐろ女医がいらんコトしおったから……」
えぐえぐと泣きながらイオイソゴは『男』だった肉塊にストローをプスリと差し込んだ。
「じゅるじゅる。”ふぇれっと”と”まんごー”の細胞を入れた理由は『淫猥な響き』だからだそう
じゃ。うぅ。何がどう淫猥なのかもわしにゃ分からんから忌々しい。じゅる。じゅるるる」
やがて男を食べ終わると、イオイソゴは粛然と呟いた。
「大丈夫じゃ。お主を痛めつけようとかそういう意思は持っておらぬ」
向き直った遥か先にいたのは尖十郎。壊れた襖の中に茫然と座り込んでいる。
一連の戦いの妖気に囚われたという訳ではない。
彼の周囲の床はことごとくドロドロと溶けている。立てないのはその溶けた床が強烈な磁気を
帯びて尖十郎を拘束しているためである。
イオイソゴは戦闘の最中に尖十郎の足元へ耆著を打ち込み、辺り一帯を磁性流体と化して
いたと見える。
むろん最初は逃れようともがいていた尖十郎であるが、磁力は血中の鉄分に反応したのか
彼を床へと吸いつけた。傷の痛みを堪え必死の思いで階段へ逃れんともがいた彼だが、横目
で見たそこも既に磁性流体のるつぼであった。かろうじて見えた一段目はとろけていた。左右
の壁に至っては何らかの磁力線に沿ったらしく針山のように激しく隆起し、向かいのそれと癒
合するや……扉よろしくばったりと閉じた。後はもう最初からそこに階段などなかったようにふ
よふよと波打つ異常な壁があるばかりである。ならば二階の窓から、と振り返っても磁性流体
と化した窓枠総てことごとく癒合し退路を断っている。そも退路があったとしても、尖十郎はそ
の場から一歩も動けぬ。
そうこうしているうちに前出の妖気を孕んだ戦いを観戦せざるを得なくなり、かつて「木錫」と
呼んでいた憎からぬ隣人が人を喰うおぞましい情景さえまじまじと見せつけられる羽目になっ
たという次第。
脱出を阻まれた時点ですでに精も根も尽き果てていた尖十郎だ。
もはや瞳からは光が消え、ただただ呆けたようにイオイソゴを眺めている。
「できれば知られたくなかったのう。わしの本性」
ストローを仕舞ったかんざしを口に咥えながら、イオイソゴは無邪気な調子で髪をポニーテー
ルに結わえた。服はまだ着ていない。にも拘わらず彼女は裸体を隠そうともしない。少女らしく
そういう所業にあまり羞恥がないのだろう。
とはいえ瞳には憂いと悲しみの光が限りなく宿っている。
「わしはな。人間が憎くて喰っとる訳ではないんじゃ。仲間たちは……それぞれ凶悪な理由で
人間を殺しておるが、わしは違う」
やがてできたポニーテールへかんざしを斜めに刺すと、イオイソゴは白い裸体をくゆらせるよ
うに四つ足で尖十郎にすり寄った。