ごめんこの話ちょっと長くなる。
バイトとかあるんだったら、先断っといてくれると、すごいうれしいんだけど。
あ、いいんなら、じゃあ、話すけど。うん。
えっとね。
あいつの話はあんましたくないんだけどさ。
私、あいつの前世はマイマイカブリだったんだと思ってるんだよ。
知ってるかな、カタツムリの殻に押し入って中の宿主食い散らかして去っていく虫なんだけど。
◆ ◆ ◆ ◆
三年近く付き合ってる恋人に結局アプローチできないでいる童貞男を笑いたければ笑うがいい。
高校の友達どもはとっくに経験済みで、事あるごとにしつこく自慢する。
「俺のサークルの女は軽いから紹介してやる」とか「お前どんだけ純情ボーイだよ」なんてメールにも慣れた。
本っ当に、ヤリたいことをヤリたいようにやってる奴らは素晴らしいですな。地球ごと潰れてしまえ。
まあ、原因は僕のオクテっぷりにあるからだけじゃないんだが。
里奈とは僕が高校の時から付き合ってるけど、何かと評判がよろしい。
見かけは悪くないから気立てもそれなりにいいから、友達もそれなりに居るし、僕以外の男からもよく言い寄られるらしい。
透き通っていながら凛としたその声は、正直鈴虫の鳴き声にも劣らないと思う。
それに肩まで伸ばした黒髪がせせらぎのように指に絡まる感触なんて忘れられない。
彼氏の欲目を承知で言えば、彼女の瞳を見れば誰だって恋に落ちるはずだ。
僕も落とされた一人だ。
ただひとつ、変態的な昆虫マニアだってのに目をつぶれば……ね。
昔から里奈は昆虫とか爬虫類が好きだったらしく、自分でも幼虫とかを育てている。
今も隣の寝室には名前もわからない虫が所狭しと並んでいる。一年経っても正直ここが女子大生の部屋とは思えない。
それこそ実家の里奈の部屋はもっとぶっとんでるらしいので(クラスの女子を呼んだら次に救急車を呼ぶ羽目になったとか)、
万が一、仮にもし婚約とかするときはどうしようかと時々思う。
というか最初この部屋に入った日がいまだにトラウマだ。
――いや、ぶっちゃけ男なら、女子の部屋に二人っきりで入るとなると、やっぱ、期待するじゃん。
けど部屋入って、正面の水槽に居た、チワワぐらいの大きさのトカゲに一瞥された瞬間、甘い煩悩が一気に消し飛んだ。
見渡すと僕は部屋中の虫から睨まれていた。
話が違うだろ!
どんなテーマパークだよここ!
そしたらいつもは陶磁器のように冷たくて可愛らしいはずの里奈の指が、僕の手をぎゅっと握って、
僕をまばたきせずに上目遣いで見上げて、「彼氏なんだし、これぐらいいいよね?」ってはにかんだ。
軽く女郎蜘蛛みたいな目をして。
とっさに「喰われる! 捕食される!」と思った。超怖い。
その後「これさすがに人呼べないだろ!」って説き伏せて隣の寝室に徹夜で虫関係を全部移動させたのでした。
彼女と僕の初めての夜の事です。
あの日は忘れられない一日となりました。間違った意味で。
しえん
でまあ今日も僕はいつもの通り大学近くのミスドで食糧を買い込んで里奈の家に着いた。
そうして今日も僕はビデオに撮った教育テレビの「ダーウィンが来た!」をドーナツ食いながら見せられるのだ。
里奈の飼ってるカブトムシの幼虫とともに。
ソファで二人寄り添ってタンザニアミドリカマキリが産卵後オスを食い殺すシーンを見ながらポン・デ・リングをついばむのだ。
ビデオを何度も巻き戻して、「ほら今口から粘液出した、見てよ、すごくない?」とか指差す彼女と一緒に。
共食いする昆虫を大画面で見ながら。
なんだこの図。前衛芸術かこれ。
よく食事中にあんなもの見れるよなお前。
なんで付き合ってるのかわかんなくなるよ本当。
でもその日、里奈は僕がDVDを再生しようとするのを止めて「話がある」と言った。
いつになく真剣な、混乱を必死で鎮めようとしているかのような表情が、いつもとはあまりにも違っていて。
僕は里奈が落ち着けるように、いつもどおりソファに二人座って。
先にドーナツでも食べる? って勧めたりして。何もわかってないふりをして。
手を握ると、手のひらがびっくりするほど熱くなっていた。ほんの少し、指が震えていた。
僕がその指を強く握って、里奈が落ち着くのを待っていた。
やがて里奈は話し始めた。
それは彼女が頑なに拒んでいた、昔話だった。
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syen
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◆ ◆ ◆ ◆
小さい頃、お父さん含めた三人で近所の公園掃除してた時、私はマイマイカブリをヤドカリだと勘違いして母親に見せに行ってね。
そしたら叱られた。「そんなばっちいもん、すてちゃいなさい!」って。軽く引くぐらいの勢いで。
でもお父さんは「ばかだなあ、ヤドカリはもっとケンキョな生き物なんだよ。そいつはオウヘイだし、マイマイカブリだな」って言ってた。
お父さんの、顔中汗だらけのにへっとした顔が、なんか仲間でも見つけたみたいで、幼心にちょっと気持ち悪くて。
でもまあ父親だったし、きもちわるーいとか、パパとかおがにてるーとか、私も幼くって面と向かって言えっこなかったし、
いろんな意味で「変な虫見つけた、最低」とか思ってた気がする。
あの時私、たぶん顔に出てただろうな。お父さんには悪かったけど。
なんかたまに思うよ、お父さん、どう思ってたのかな、って。
小四の時にうちの家族離婚したからいまさら聞けないけどね。
今、離婚から九年経って私十九でしょ。
九年も経てば母親だって老けたけど、大体それまでと変わってなくて、
唯一変わったのは私の家で変な男が勝手に寝泊りし出したってぐらいだったの。
しえん
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そいつはなんか知らないけど小六の頃、急にうちに居ついてた。
夏過ぎた辺りに最近母親が家にいないなーとか思ってたら夜中急に男連れ帰ってきたのが最初かな。
それからちょくちょくうちで過ごすようになって、気づいたらうちに住んでた感じ。
私が中学上がる頃に、母親が「今度はヒロシさんをお父さんだと思いなさい」とか言ってた。
そんなゲームのカセットみたく取り替えらんないよってすごいムカついたし。
結局私が妥協するしかなかったんだけどさ。
あいつ、最初はなんか服とかちゃんとしてて「俺、絵で食ってこうと思ってんですよー」とか言ってたけど、
だんだん化けの皮はがれてきて、今じゃタンクトップで朝から寝てる。
あいつ明らかヒモだし。
うちの母親完全に金づるにされてるし。
本当死ねば良いのに。みんなまとめて。
ってかなんかあいつが来てから、昔の私が持ってた男に対する幻想とか夢想とかそんなのが全部消し飛んだ気がする。
だってあいつ私が寝てる隣の部屋で母親とエッチするんだよ?
最初は何とか寝たふりして、っていうより必死で自分寝かしつけようとしてたけど、
だんだんそういうのどうでも良くなってきて、中三の時にはもう普通に受験勉強とかしてたよ。
ってかあいつらもこっちに対する遠慮がなくなってきたから、変に気を使えばこっちがつらいだけだし。
つーか「隣に娘がいる」ってことエッチのネタにしないで欲しい。聞こえてんだよ全部。やっすいマンションなんだから。
まあそれぐらいなら許せるってか無理にでも許さなきゃ頭がおかしくなるって感じだった。
でも、中二の夏ん時、ありえないこと起きた。
私、あいつに襲われかけた。
しえん
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しえん
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その日は女子テニス部の大会近くて、結構夕方近くまで練習してたんだけど、
帰ってきたら家に誰も居なくて。あいつは缶ビールでも買ってんだろうけど、珍しく母親も居なくて。
まあまた母親おばあちゃんにお金借りに行ってんだろうなとか思ってたんだけど。
私疲れてたし、体育着のまま部屋のベッドで寝ちゃったのね。まだお父さんが住んでたころに買ったやつ。
そしたらなんか近くに気配感じて、「あれえおとうさんかなあ」って夢の中で思って、
薄目開けたら、あいつの頭が真ん前にあって。私の胸んとこすごい見てて。顔真っ赤で。
ほぇ、とか変な声出てた。ていうか頭止まった。何これ。え、これ何?こういうの何なの?って。
わけわかんなくなってすごい焦って息できないぐらい怖くなってどうしようもなくなってた時、あいつが言った。
なぁ里奈ちゃん、俺が今日、里奈ちゃんを大人にしてあげよっか、とかって。
背中の温度が一瞬、下がった。今、私やばい、って。
反射的に丸めた粘土みたいな横っ腹蹴り上げて「出てけ!きもいんだよ!」って叫んだらびっくりして飛びのいた。
その時、胸がどきどきして止まんなかった。頭んなかパニくってんのに、乗り物酔いっぽい感じがしてた。
のどの中の水分がやけに少なくって、声が空回ってうまく出なくて、超あせったし。
それで近くにあったラケットで背中殴りつけて「うちから出てけヘンタイ!」とか叫んだ時辺りに母親が帰ってきて、
私必死でその事話したら、「何もそれぐらいのことで殴ることないでしょ!」って逆に叱られて。
訳わかんなくなって、自分がどこにいるのかもわかんなくなってきて、
とにかくもうこんなとこ居たくないって思って、その辺に引っ掛けてあったバッグに財布とケータイだけ入れて家から出たの。
◆ ◆ ◆ ◆
平静を装って、アルバムを紐解いて笑い話でもするかのように喋っていた里奈の身体が、いつしか震えていた。
もういいよ、話すの辛いんなら。大丈夫だから。
そんな言葉を掛けたけど、「お願い最後まで聞いて」って。
僕は里奈を抱き寄せる。
神様どうか里奈を苦しめないでください、なんて思いながら。
こういうとき、結局僕は何もできない。
里奈を安心させられるような、そんな言葉なんて、考えられない。
すぐそばにいる里奈の身体を支えてやることしか、できない……。
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しえん
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後書き入れてピッタリかな?
◆ ◆ ◆ ◆
その時どこをどうやって行ったのかとか、全然覚えてない。
夕焼けと夜が混じって紫色になった空とか、ビーズみたいに作り物っぽく光りだした街灯とか、
そういうのが少し頭の中に残ってるだけ、って感じだよ。今も。
それでどっかの交差点で赤信号待ちしてる時に、急に「あ、足寒い」とかって思って、
そしたら我に帰った。
あ。あたし今日どうしよう、みたいな。
その時、車がひっきりなしに目の前横切ってく感じとか、チャリ乗って塾に向かってるクラスの男子とか、
道路の向こう側ではしゃいでる小学生の集団とか、そういうのがいきなり気になりだして、
うわ、今私一人だ。ってすごい思って、急いでケータイで親友の裕美に電話掛けた。
その時なに話したか覚えてないけど、その日は裕美の家に泊まれることになった。
幸い裕美の家のおばさんが割と真剣に、っていうか私以上に心配してくれて、それから三日ぐらい裕美の家に泊まってたかな。
やっぱさすがにその日の夜は寝付けなかった。
一緒の布団で寝よって裕美に言われて、え、いいよとか言ってたけど、結局手をつなぎながら寝てた。
裕美といろいろどうでもいい話して、それこそセシルマクビーの新作の話とか、今話すことじゃないのに無駄に喋って、
裕美が疲れて寝ちゃった後、豆電球のやわらかい明かりの下で、それでも寝付けないから、いろいろ良くわかんないこと考えてた。
その時かな、ぼんやりとわかった気がしたよ。
なんていうか、大人になるのって、結局あの程度なんだなって。
なんか昔は「大人」っていう別の生き物になって、そのころには私もいろいろ成長してて、
いい感じの男の人といい感じに付き合って、子供とか生まれて、なんとなく幸せになれるのかな、とか思ってたんだけど。
あんな家で育ったからたいした夢とか持てなくなってたけど、それでもなんとなくそれぐらいのことは考えてたんだよ。
けど、そういう感じも、なんか、こう、やっぱないんだなあ……って。
――私もいずれ、気づいたらどうでもいい男と暮らしてたりして、母親と同じようなことされたりしてるのかな、って。
大して愛してるわけでもないのに、愛し合ってるとか思い込んで、ああやって馬鹿みたいに繰り返すのかな、って。
そんなこと考えてたら、ふっと、お父さんの顔が浮かんだ。
自分でもびっくりするほどはっきりと、「あ、お父さんまだいたの」ってぐらいに。
そしたら、おもちゃ箱ひっくり返したみたいに思い出が溢れてきて。
しえん
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そういえば昔、幼稚園通ってた頃、部屋の中で青虫見つけて。
最初なんだかよくわからなくてびっくりしたけど、そのうちああいう姿かたちに慣れてきて。
その時一人で留守番してたからヒマで、なんとなくつっついてみたりしたんだよね。
うぶ毛のざらっとした感じとか、私の小さい指をいやがってよける動きが、なんかかわいくて。
それでふっと気づいたら、お父さん帰ってきてて。
私びくってして。ほら、こういうの触ってると母親キレるしさ。
でもお父さんはそういうの言わずに、
「ほら、駄目駄目。そうやって触るのは、虫さんにとっちゃ丸太ん棒でたたかれるのと一緒なんだからな」って。
そんなひどいことしてる自覚なかったし、私、なんかすごい申し訳ない気持ちになって。
そしたらお父さんが押入れから虫かご持ってきて、里奈ちょっと外から大き目の葉っぱ持ってきてくれとかって言われて。
言われたとおり外出てって、その辺の草をちぎって持ってきた。なんかすごい晴れてたな、その日。
それでお父さんがその青虫を丁寧に自分の太い指に移して、私の持ってきた葉っぱに乗せたの。
私も葉っぱごと大事に虫かごに入れて。
そしたらなんか、全部収まるべきところに収まったような気がして、ちょっと安心して。
私、調子乗って「このまま育てたい」って言い出したんだよ。
お父さんも「じゃあママには秘密で育てるか」って言ってくれて。
結局その日の夜にママ……ってか、母親にバレて、やっぱ捨てなさいって言われてさ。
でもお父さんが何とか説得してくれて、自分で面倒見るって約束で、最後まで育てたよ。
名前とか付けてたよ。確か……あ、「むしお」だ。
笑っちゃうでしょ。虫に「むしお」って、ストレートすぎてさ。
ってか、虫だからって生理的に受け付けない、って感じはなかったな。何でかわかんないけど。
なーんか親近感感じてたんだよね。あの虫に。
ツタか何かの葉っぱちぎって、むしおの口元に端っこつっつくと、はむはむってかじるんだよ。
なんか良くない? いじらしくて。
ああ、私の葉っぱ、食べてくれた、って。私の持ってきた葉っぱ気に入ったんだ、って。
お父さんでさえも私がそこまで青虫フェチになるなんて思ってもなかったみたいだよ。
気づいたら私のが蝶とか詳しくなってたもんね。
……うわ、幼稚園で男子からちょっかい出されたの思い出したし。
ま、そりゃ女子が昆虫図鑑独占してたら、変なやつって言われるのもしょうがないよね。まあそうだよ。
――あ、母親? あの人は最初から相手にしてなかったよ。
最後まで「汚いものいじったら手を洗いなさい」って言ってた。酷くない? それってさあ。
◆ ◆ ◆ ◆
実の父親の事を話す時だけ、里奈はいつもの調子に戻った。
あたかも昔を懐かしんでいるだけといった、軽いノリで。
時々僕も噴出してしまう。こいつ昔っからそんなやつだったのか、って。
それを見逃さない里奈は「ひどい。慰謝料請求するよ」なんて笑う。僕もつられて笑ってしまう。
けれど、話は続く。二人手を取り合って、記憶の海に深く沈みこんでいくようにして。
しえん
しえん
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◆ ◆ ◆ ◆
んでね、気づいたらそいつサナギになっててさ。
その頃には私も図鑑で幼虫がサナギになって、羽化するのも知ってたから、それ自体はあんま驚かなかったんだけど。
――なんでかね。
置いてかれる気がしたんだよ。
お父さんから「ちょうちょになったら逃がしてあげなさい」って言われてたからかもだけど。
なんか、私の葉っぱで育ったむしおが、私だけ置き去りにして勝手に飛んでっちゃうのが、すごい嫌で。
あの時は私も小さかったし、いや、今もそんな変わんないけどさ、
けどやっぱその時は、自分の気持ちとか、自分自身わかってなかったから。
笑わないで聞いてよ。
私、あの虫に嫉妬してた。
私だってサナギになって、静かに過ごした後、自分だけの羽で飛んでみたかった。
色とりどりの花の蜜を吸って、青空に自分の羽をはためかせてみたかった。
っていうか、私だって、自分に葉っぱくれる人とか、居たらいいな……とかってね。
いや、ベジタリアンって意味じゃないって! そんな気がしたってだけだよ。
確かに私、肉そんな好きじゃないけどさ。
でもその話、パパにしたんだ。あ、お父さんにね。まあどっちでもいっか。
そしたらパパ、いつになくまじめっぽい顔して、こんなこと言ってた。
今でも覚えてるよ。
「いいかい里奈、人間もいつかサナギにこもるんだよ。
だから、心配しなくてもいい。
そりゃアリやクモみたいにサナギ作らないやつもいるけどさ。
でもアリはいつでも仲間と一緒じゃなきゃいられないし、
クモなんか誰かが来てくれるのを待ってるだけなんだ。
それに比べりゃ、アゲハチョウやカブトムシはすごいぞ。
みんな自分の力で、自分の身体で、元気にやってる。
里奈、お前もサナギに入るんだから、心配すんな。
むしろそのうちサナギに入るのが怖くなるときもあるだろうけど。
そりゃあサナギの中は暗くて狭くて、誰も居ないから、寂しいだろうからね。
そしたら里奈、こう思えばいいんだ。
『わたしは今、ちょうちょになるための羽をつくってるんだ』って。
サナギから出られたら、いっぱい大空を飛べるんだって、そう思うんだぞ。」
私、その言葉の意味が本気でわかんなくて、
とりあえず「アリさんはがんばりやさんだよ」って反論したりした。
そしたらお父さん吹き出して、「そうかそうか、じゃあ里奈はアリさんを目指すといいな」って言ってくれた。
でもその後、お父さん私の目を見て、ちょっと怖いぐらい真剣な顔して、
「でもそのちょうちょはちゃんと逃がせよ。じゃなきゃサナギといっしょだからな」って言ってた。
その時の顔が、裕美の家の暗い布団の中で、急によみがえってきて。
そしたら、結び目がほどけるようにお父さんの声が聞こえてきて。
目の前の殻が破けてくような感じがして。
とても愛おしくて、夜だったのに明るくなった気がして。
しえん
102 :
.:2008/12/23(火) 00:03:43 ID:dUfT7f/j
気づいたら私、泣いてた。
目を覚ました裕美に抱きしめられて、その時ずっと泣いてた。
裕美の体温をそのまんま感じて、ああ、私大丈夫なんだ、とかって思った。
正直話しててなんか良くわかんないけど。すごいうれしかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「――それから先は、君も知ってる通りだよ。」
里奈はそう言って昔話を終えた。
緊張から解かれた里奈の気持ちが僕にも伝わって、するととたんに冷蔵庫の音がうるさく聞こえだした。
家の前の道路で、はしゃぐ中学生の騒ぎ声が聞こえた。
里奈の過去から急に現在に引き戻された気がして、めまいを感じた。
「紅茶でも、入れるよ」
鼻声で小さくそう言って里奈は僕の腕から抜けて、台所へと立った。
僕から顔を背けるように。
やばい、メイク崩れちゃったかも、なんてひとりごちながら。
僕は……やっぱり、何も言葉を掛けられなかった。
しえん
支援
◆ ◆ ◆ ◆
なんか私の話、思ってた以上に長くなっちゃったね。日とかもう暮れてるし。あは。
ごめん、付き合わせちゃって。ていうか付き合ってるんだし、当たり前か。でもごめんね。
とりあえず今度ミスドか何かおごるから許してよ。ってかむしろ払わせて。
だって、裕美以外にこんな話聞いてくれたの、君だけだったし。
私ってさ、変わってるじゃん。
自分で言うのもあれだけど。
それわかってるし、人から「お前なんか変」って言われるのも割と慣れてるんだよ。
けど逆に、だからなんだけど、触れられたくないとこは絶対触れられたくなかった。
だから、君が私好きだって頭では知ってても、どうしても……ダメなとことかあって。
ごめんね変な話付き合わしちゃって。
けど私、前、君としようってとき、断ったじゃん。
あの時、すっごい私後悔して。っていうか君にも心配掛けちゃったし。
なんか言い訳みたくなっちゃってるけどさ。ほんとごめん。
君と、母親の男がぜんぜん違うって、頭ではわかってたの。
けど、どうしても、その時になったら、あの男の顔を君に重ねそうで。
すごい怖かった。
自分の思考とか、自分が母親と同じになるのが、そういうのが全部。
高校の時とかも、身体の仕組みが母親に近づいていくのがすごい嫌で。
だから、あんなことしたんだと思う。
死にたくは、なかったし。
死ねないだろうな、とも思ってたけど。
でも、死んだら楽だろうな、とか思ってたし。
最期ぐらい、むしおと同じに空とか飛んでみようかな、とか、考えてたかも。あははは。
あの時は君にも迷惑掛けたよね……ごめんね、本当。
しえん
でもさ、やっぱさ、私にとって、中学高校の頃って、サナギだったんだと思う。
サナギの中で、身体を傷つけながら、別の生き物になろうとしてたんだと思う。
あのね、高校二年の十一月十三日、放課後高校近くの公園に呼び出して、私に告ってくれたよね。
あの日、笑っちゃうかもしんないけど、
生まれて初めて、生まれてきて良かったな、って素直に思えたんだ。
私も、愛されることあるんだ、って。
映画とか、ドラマで見たのって、自分の親と重ねたりして、そんなのないって思い込んでたけど、
ってか、少なくとも私はそういう世界に住んでない、別の世界の話だと思おうとしたけど、
でも、違うんだな、って。
君に言われて、ずっと好きだった君に言われて、初めて、わかった。
ありがとう。本当に。
それだけは、忘れないから。
しえん
支援
しえん
◆ ◆ ◆ ◆
泣きじゃくりながら、途切れ途切れに、そう言葉を漏らしていた。
ごめん、本当にごめん。私、君、好きになっちゃって、ごめん。
一年前も涙を流しながら、そんな言葉を聞いた。
その時と同じように、耳元で僕は言った。
大丈夫だよ、僕も里奈を愛してるから、心配ないから、って。
意味も考えず、意味なんか後回しにして、神様にお願いするように、繰り返した。
大丈夫だよ、大丈夫だからと。
けれど、一年前と違って、今、里奈は顔を上げた。
涙でぐちゃぐちゃになったひどい顔を上げた。
「……慰謝料。私にこんな思いさせた、慰謝料。
ちゃんと払って。
罰として、」
そこで里奈は口ごもった。言いたい事、わかるでしょ。そんな目をして。
僕がおどけてミスド? ってたずねると、少し笑って、その後、里奈は自分の声で言った。
――罰として、一生私を幸せにしなさい。
じゃなかったら、訴えてやるから。
僕は、最後まで何も答えられないままの僕は、
声を震わせながらその言葉を発した唇に、口づけで応えた。
(了)