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自宅に帰る藤木。妻の真美子は「おかえりなさい」とだけ告げる。藤木は小さく頷き無言の
まま自分の部屋に戻る。真っ暗な部屋のソファに腰掛け、大きくため息をつく。ゆっくりと眼を
閉じる。最後に投じた一球が頭にちらつく。繰り返し蘇ってくる記憶。記憶の中で何度も投げて
は打ち返される。もう一度、今度こそ打ち取ってやる。今度? そんなものあるのか。延々と
続く自問自答の末、やがて深い眠りについた。
翌朝。藤木はいつものコースをランニングした。可能性を信じているわけではないが、何だか
もやもやした気持ちを振りきりたかった。途中立ち寄ったコンビニに置いてあるスポーツ新聞の
見出しが眼に入る。『東京ギャングスターズ高倉監督誕生か!?』とのこと。思わず手にとった
のは大日本スポーツ。真偽不明な飛ばし記事で有名なスポーツ新聞だ。高倉茂道と言えば
藤木がプロ入りした時の監督であり、チームを5年連続の日本一に導いた球界を代表する
名将だ。東京エンペラーズ監督を勇退後は野球解説者をしながら全国で野球教室などを開い
ている。
エンペラーズとギャングスターズ。同じく東京都をフランチャイズとするプロ野球チームだが
実績、資金力、観客動員数等々、あらゆる面で天と地ほどの差がある。通算40回の優勝回数を
誇り"球界の盟主"の名をほしいままにする東京エンペラーズ。それに対し、球団創設から50年
を数えながら親会社が何度も変わり、現在はインターネット関連企業が保有する東京ギャングス
ターズ。結果が出ないとすぐに監督を変え、チームを強化するビジョンと言う物がまるでない。
昨年も桜が散るのが早いかと言う時期に最下位を独走し、まず小野田監督を解任。続いて代行
監督に大友ヘッドコーチが昇格。ゴールデンウィークを挟んだ12連敗と供にチームを去った。
その後、志垣2軍監督を代行の代行に据えたがチーム浮上のきっかけすら掴めず。結局5年
連続の最下位と10年連続のBクラスに沈んだ。もちろん人気も低迷。本拠地・神宮外苑スタジアム
は東京のど真ん中にあるという立地条件こそ最高なのだが、やはりチームに魅力が無いと客足は
年々遠のいていく。西原幸人や結城智樹といった人気選手はいるものの、見合った数字は残せて
おらず、仕方なく起用している現状である。
普通に考えれば、こんな球団の監督要請など誰も受けようはずが無い。しかしシーズンが終了
してから一ヶ月も経って来期の監督が決まらず難航するとは球団関係者も予想外だっただろう。
ついにはチーム最年長の大谷清広をプレイングマネージャーとする案まで出たとか。大谷と言え
ば、名古屋デンジャラス時代に2番打者としてリーグ優勝に貢献した経験を買われ7年前に今の
チームに来た内野手だ。現在41歳で、選手としての力は衰えたものの、若手からの信頼は非常
に厚い。2年前から守備走塁コーチを兼任しているが、5年連続最下位のチームで未経験の監督
をやらせるのは流石に酷だ。
球団OBでバラエティタレントとしても活躍する橋詰雄三氏の名も挙がったが、やはり采配の
能力等が疑問視され却下の運びとなった。たしかにテレビで見せる明るいキャラクターでベンチ
を盛り上げる事はできるかも知れないが、それだけで勝てるほどプロ野球の世界は甘くない。
そんな折、もはやヤケクソとも思える名将への監督要請。これがいともアッサリと承諾される
のだから世の中わからないものだ。