スポーツをテーマにした小説を書くスレ

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◆1
 それは一瞬だった。藤木真介が十九年間の現役生活で積み重ねた勝ち星は193。さらに
胴上げ投手になること2回。日本シリーズでMVP1回。最多勝7回。最優秀防御率5回。
最多奪三振4回。プロ野球選手として歴史に残る大投手の一人に挙げられる左腕に厳しい
現実がつきつけられた。ここ数年は度重なる怪我で戦列を離れる事も多く、今シーズンも
一軍での登板は無かった。八月に入りようやく二軍で登板し、一軍復帰を目指していた矢先
の戦力外通告であった。「来期の戦力構想には入っていない」ただそう告げられた。

 10月27日。東京都文京区。エンペラースタジアム。ジャパンシリーズ第4戦。ここまで
3勝のエンペラーズが4−1とリードして迎えた九回表。2アウト、ランナー無し。マウンド
にはエンペラーズのクローザー大島。打席には対戦相手ハーキュリーズの4番ルイス。
 今シーズン広島レッドウォリアーズからFA移籍してきた大島恭兵。不動のクローザー
として36セーブを挙げ移籍一年目からチームの優勝に貢献した。
 初球から打者の懐に速球を投げ込む。かつて広島の町を熱く燃えさせた豪快なピッチング
フォームはユニフォームが変わっても健在だ。

 ツーストライクと追い込めば後は伝家の宝刀、高速スライダーが唸りをあげる。無数の打球
をスタンドに叩き込んだ強打者のバットが空を切る。二月一日のキャンプインから全ての球団、
監督、選手、スタッフ、そしてファンが目指した日本一の栄冠は長い長いペナントレースの末、
東京エンペラーズが掴み取った。藤森監督が前任の高倉監督からチームを受け継いで3年連続
の日本一奪取。特に今シーズンは生え抜き、補強選手、助っ人外国人が上手くかみ合い、一年
を通じて危なげなく独走した。「これは過大評価でもないんでも無い。史上最高のチームだ。
私はただベンチで見ているだけ」とは藤森監督の談。エースの鷲尾雄介の17勝を筆頭にロー
テーション投手のうち5人が二桁勝利。新潟アストロズから移籍の3番ペドリックが本塁打、
打点の二冠王。4番のパイソンが打率3位、本塁打3位、打点2位。5番の松岡が本塁打2位、
打点3位と打撃タイトル上位に名を連ねた。

 藤森監督を先頭にシーズンを戦ったエンペラーズのナイン達がグラウンドを一周し360度を
囲んだファンからの歓声に応える。その中に往年のエース藤木の姿は無かった。

 その頃。東京エンペラーズの二軍が練習する多摩川スタジアムでは一人の選手が黙々とラン
ニングを続けていた。今シーズン戦力外を受けた選手達が集まる合同トライアウトに向けて静か
に闘志を燃やし続ける男……かつてエンペラーズ不動のエースと呼ばれた藤木真介である。